虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

香港

【香港】旺角(モンコック)街頭での政治談議

旺角(モンコック)街頭での政治談議

白瑞雪

2014年10月9日


原文

10月5日の日曜日の夜には、多くの人々が、警察はオキュパイ運動への弾圧に乗り出すのではないか、と不安になっていた。翌日からは公務員は通常出勤になるがオキュパイ運動はそれを妨害してはならない、と警察が警告していたからだ。その後、今週に入ってからも、参加者は減少したとはいえ、抗議行動は続いている。先週の連休(10月1日の国慶節をはさみ前後が連休になった:訳注)とは違い、今週は平日が続く。にもかかわらず、参加者の決意は固い。学生連合会は今週末の金曜日に香港政府と対話を行うと発表したが、政府の側は、対話に臨む立場は香港基本法と全人代決議を基本とすることを明らかにしている。愛国勢力(親中派)と裏社会はオキュパイ運動への攻撃を継続しているが、その規模は先週の金曜日にくらべて大きく減少している。

旺角の街頭ではあちらこちらで自発的な議論の輪ができている。昨晩、私もある議論のグループに参加した。参加者の多くは、現在の情勢からどのように目標を達成することができるのかに関心があった。特筆すべきは、議論の輪を囲んで討論に参加していた市民は、学生ではなく、いろいろな世代にまたがる一般の労働者であったということだ。もちろん社会運動の活動家も参加はしていた。このような街頭政治談議はそもそも活動家たちが呼びかけたものである。従来、中下層の労働者たちは政治に対して関心を明らかにすることはなかったが、近年は変化が見られ始めている。それは若い世代から始まっている。議論の輪は、始まりのときは少人数なのだが、すぐに周囲の人々を巻き込んで大きな輪になる。道行く人々も立ち止まって発言を求める。

私が議論の輪に加わったときは、旺角と銅鑼湾のオキュパイ陣地を維持すべきかどうかについて話し合われていた。ある人は、オキュパイ銅鑼湾の参加人数の減少は顕著だが、旺角では陣地を防衛しようとする熱意ある人々がまだたくさんいると発言。またあるひとは、オキュパイ旺角の運動は川の流れのようで、参加者が(オキュパイ運動の中心である)金鐘地区へ流れても、また新しい人たちが旺角にやってくるのでオキュパイが継続できていると発言。別な人は、長期間のオキュパイで旺角の個人経営の商店の売り上げに影響が出ているのではないか、と問題提起。このとき、通りすがりの人が立ち止まって批判を始めた。抗議行動によって交通が寸断され不便をもたらしていると言う。

この運動が一ヶ月あるいは二ヶ月も持ちこたえることができるのか、という問いを発した参加者の発言をきっかけに、参加者の議論は、この運動がどのくらい持ちこたえることができるのか、撤退はいつか、などに集中した。どのような条件ならばオキュパイを終了することになるのかについての議論は白熱した。ある市民は、目標と原則は簡単に変更してはならないが、戦術的には柔軟であってもいいのではないか、と発言。彼の意見では、みんなの目標は真の普通選挙の実現だが、それだけでなく政治経済制度の変革も追及すべきであり、梁振英が辞任して別な行政長官が就任すればいいというものではない。

また別な参加者は、今回の運動で香港無料テレビの許認可問題[香港政府が新規参入を認めず2013年に10万人規模の抗議行動に発展した:訳注]を思い起こしたという。数万人の人々がこの問題で街頭デモに参加したが、その後は闘争が継続しなかったという。彼は、もし運動が目的を達成せずに撤退してしまったら、市民の声を圧殺する政府のやり方を逆に応援することにつながってしまうと言う。その意見に賛成する参加者からは、真の普通選挙を実現するまで街頭にとどまり続けるべきだと発言。反対する意見も出た。運動は戦争と同じであり、段階的な勝利を目指すべきだという。現在の運動は拡大しているのか、それとも縮小しているのか、どの街頭をオキュパイするのかという戦術が運動自体の終了を意味するものでない、という視点を提供した発言者もいた。

立場の異なる意見が交わされはしたが、今後どのような状況になったとしても原則を放棄することはないし、市民が立候補できる真の普通選挙の実現そこが大切な目標である、というコンセンサスは確認できたのではないかと思う。

討論では次のような質問も出された。学生連合会や学民思潮はどの程度オキュパイ参加者全体を代表しているのか、と。参加者の一人はつぎのように発言した。両団体は学生の代表組織であり、われわれを代表するものではないが、それでもわれわれは両団体を支持すべきだ、なぜなら学生団体はわれわれと政府とのあいだの媒介だからだ。学生連合会は政府との対話のあとは、われわれの前に登場して状況を説明することが大切だ。別な参加者は次のように述べた。学生連合会は運動参加者に対して何をすべきかを提示する権力はない。また他の参加者は、もし政府との対話で成果がなければ、学生団体はオキュパイ参加者からの信頼を失うだろうと発言。討論の参加者たちは、学生団体が運動全体からの代表権を獲得すべきかどうかについても議論が行われた。どのような方法でそれが可能かについては誰も明確な答えがないにもかかわらず。

政府との対話の問題では意見が噴出した。発言者の一人は、対話は象徴的なものでしかなく、なんら成果がないということが最大の成果になるだろうと発言。政府の権謀術数を警戒する発言もあった。別な発言者は、政府が譲歩するよりも、学生側が譲歩することになるのではないかという悲観的観測を述べた。運動は始まったばかりであり、今の段階で対話による実質的な成果がなくてもそれほど気にはならないという発言もあった。

主流民主派に対する批判も討論の話題になった。ある女性は、立法会の議員の多くは、主流民主派をふくめて、民意を反映していないと発言。デモ隊に対する催涙弾による弾圧の際も、主流民主派はただ傍観するだけで何もしなかった。「こんな人たちにこれからも投票しないといけないの?」と問うた。別な人は、主流民主派はこれまでも庶民の意見を聞いてこなかったと発言。また別な参加者は、運動の敗北は重要なことでない、なぜなら種がまかれたからだ、というある主流民主派の発言を批判した。中国では89年の民主化運動が弾圧されてから25年が経つが、出てきた芽はまったく別物ではないか、今回の運動でも多くの人々が犠牲を払って今があるにもかかわらず、主流民主派はわれわれに対して「もう家に帰りなさい」などという権利がどこにある、と批判を続けた。

オキュパイ運動への敵対者からの発言もあった。香港人はコメから飲料水から、一切を中国大陸に依存しているんだから、中国政府に反対するのはおかしいと発言。さらにオキュパイ運動が社会に亀裂をもたらしたとも批判した。それに対して、経験ある社会運動の活動家が反論した。香港人が食べているコメは共産党が作ったものではなく農民たちが生産したものであり、工業製品は労働者たちが生産したものだ。水は自然の賜物だが、共産党政権によってひどく汚染されているではないか。

この活動家はさらにこう付け加えた。社会の亀裂については無理やり作り出された亀裂とそうではない亀裂を分けて考える必要がある。大陸から香港に移住してきた新移民と香港人との間の亀裂(新移民に対する差別)は人工的に作り出されたものであり、それは撤廃すべきである。だが権力エリートと庶民の間にある亀裂は客観的に存在するものであり、多くの庶民がますますそのような亀裂を認識することは、決して悪いことではない。貧富の格差に代表されるそのような亀裂を認識することで、人々が問題の根源と、その解決のために立ちあがる必要があることを理解するからだ。

【香港】梁振英の当選に寄せて(2012年3月)

【解説】現在の梁振英行政長官は、2013年3月に、親中派の経済人などが多数を占める800名の選挙委員会によって選出された。中国政府は2017年に予定されている行政長官選挙では「一人一票の普通選挙を実施する」と約束していたが、ふたを開けてみると一人一票には違いないが、候補者は親中派が多数を占める選挙委員会の過半数の推薦を得た者2~3名に限定する、というシロモノだった。

これは早くから指摘されていたことであり、先駆社をふくむ香港のラディカル派は、香港返還以前からこの問題を指摘しており、前回の行政長官選挙(2012年)際にも警告を発してきた。中国共産党の支配的影響下にある選挙委員会の欺瞞性を告発し、選挙権・被選挙権ともに民主的な選挙制度の実現を訴えてきた。

一方、主流民主派は、香港返還以前も以後も、選挙委員会の枠組みは維持しつつ、立候補条件の緩和という要求を掲げ続けてきたが、真の民主的選挙の実現にはなんら力を発揮することができていない。

以下は、前回の行政長官選挙が行われた2012年3月25日に書かれた先駆社の林致良同志による論考である。2年以上前の論考だが、現在の状況を理解するための参考にしてほしい。

なお2012年当時すでにいくつかの論評を翻訳・紹介している。
行政長官選挙結果に対する声明(2012年3月)
真の普通選挙実施で中国による統治を一掃しよう(2012年7月)


末尾に【訳者による解説】として1997年香港返還後の行政長官選挙の経過をつけた。(H)


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梁振英の当選によせて(2012年3月)

林 致良

原文


これほどでたらめで、醜悪で、けがれにけがれた小集団による特区行政長官選挙という醜いお芝居はついに千秋楽を迎えた。梁振英は過半数の選挙委員の支持を得て行政長官に就任した。[1200票の過半数689票]

今回の行政長官選挙は、これまでと同じように基本法の制度下における非民主的選挙制度の産物であり、平等な政治的権利を香港人に享受させず、少数の特権者とブルジョアジーが大多数の人民に対して赤裸々な専制を確保する専制上の産物である。そうであるがゆえに、人民は選挙の結果に拘束されずに、この特権階級の支配に反対し続ける権利を持っているのである。


● 党人以上の党人

自分は共産党員ではないと天に誓って宣言したこの「党人」は、過去20数年のあいだほとんどの香港人から歓迎されず、逆に不安がられてきた政客であり、近年になってイメージチェンジを行い、民意を理解する勤勉な政治家というイメージを作り上げてきただけにすぎない。もし彼が本当に党員でなかったとしても、70年代末にはすでに北京の権力中枢の目にかなって、緊密な関係を維持してきた経歴には変わりがなく、今後も忠実に北京の権力中枢の意志に沿って働くに過ぎない。官僚と大資本家の特権を香港民衆が揺るがすことは許さず、香港で真の民主政治を実現することも許さないだろう。

彼は唐英年[候補者の一人]以上に「ボス」たちに忠実であり、北京の意向を汲むことにも長け、中国共産党の官僚資本家の利益への奉仕と香港ブルジョアジーの利益への奉仕の間においては、意識的に前者の利益を貫徹するであろう(もちろん両方のブルジョア階級の間には矛盾がないとは言えないが、全国人民を搾取するという点においては共同の利益を有しており、根本的な矛盾があるわけではない。両者の間の分岐は二次的な問題と言える)。


● 彼は誰のために考え誰のために働くのか

この「党人」は表面上はそれぞれの利益集団から距離をとり、選挙の当初は庶民の友を演出していたが、その骨格はまごうことなき中国共産党官僚と大資本家の忠実なしもべである。

それは、彼が今後も「にわか庶民派」をつづけ、細微な民衆生活の改善によって有権者の支持を得ることで、富豪独裁の長期的な安定を実現する可能性を排除するものではない。しかし、不動産資本など独占資本の根本利益および北京官僚の権威に抵触する事項については、かれは決して容易には譲歩しないだろうし、彼自身も自らの主人が誰なのかをはっきりとわかっている。最近の報道では、彼がその任期中に国家安全法の制定に尽力するだろうと言われているが、それは根拠のないことではないだろう。労働者民衆は彼の任期である今後五年のあいだ巨大な挑戦に直面することになるだろう。


● 基本法では真の普通選挙は永遠に実現しない

今回の行政長官選挙が最後の制限選挙であり、2017年には普通選挙が実施されると考える人もいる。

いや、喜ぶのは早すぎる!

基本法第45条の第2項は次のように定めている。「行政長官の選出方法は、香港特別行政区の実情および順を追って漸進するという原則に基ついて規定し、最終的目標は広範な代表性をもつ指名委員会が民主的手続きを踏んで指名したのちに普通選挙で選出されることである」。非常に長い文章であり、「最終目標」だけを見ても長くてわかりづらい。しかしそこで表現されている中心的考えは「指名委員会が……指名したのちに普通選挙で選出」するということである。

普通選挙―――これは民主主義政治制度といえる。しかしその前に「指名委員会が指名したのちに」という制限を加えることで、まったく別なものになってしまうのである。上等のスープでも、たった一杯の臭い油を入れるだけで、もう口にすることもできなくなってしまうのである。選ぶのは君たちが選びなさい、ただし選択肢はこちらが提示する、ということだ。つまり、結局はいつまでたっても選挙の自由を享受できないということである。香港人は「指名委員会」によってふるいにかけられた「腐ったリンゴ」から自由に選ぶことができるに過ぎないのだ。

かつて中国共産党によって一方的に制定された基本法のこの条項は、あらかじめ香港人に着けられた緊箍児[孫悟空の頭に着けられている金の輪]であり、それによって香港人を飼いならそうとするものだ。

普通選挙で選出された権力機関によって、基本法を民主的に制定しなおし、指名委員会などの悪法規定を削除してはじめて、名実ともに民主的自治といえるのだ。

何俊仁[候補者の一人]のような主流民主派は、立候補あるいは指名条件の緩和を求めるだけであり、極度に穏健で軟弱な要求でしかない。それは主流民主派が民主主義政治を実現するという断固とした決意を喪失していることをあらためて表現するものである。


● 社会経済の制度の全面的改革が必要

プロレタリア大衆がこの運命を変えようとするならば、自分自身の力にのみ依拠した長期的な闘争が必要で、しかも闘争目標は普通選挙の実現のみに限定してはならないだろう。2017年に一人一票による被選挙権を含む自由な選挙が実施されたとしても、ブルジョアジーによる民生資源の独占状況が変わらないままであれば、民衆の生活には本当の変化が訪れることはないだろう。このような社会経済領域における不平等は、名目上の政治的平等を見た目はいいが役に立たないモノにしてしまうだろう。そして多党制民主政治をブルジョアジーの支配に陥れるだろう。英米が最たる例である。そこでは民主主義普通選挙が実施されて久しいが、共和党であれ民主党であれ、あるいは保守党であれ労働党であれ、いずれも「小さな政府、大きな市場」という新自由主義の反民衆的政策を実施し、労働者大衆はいぜんとしてブルジョアジーに搾取される賃奴隷のままなのだ。

それゆえ、民主主義普通選挙および労働時間規制などの改良的措置は何としても必要ではあり、それらは民衆の利益に完全に合致してはいるが、人民の闘争目標はそれだけに限定するべきではない。当初から資本主義の搾取と国家的抑圧の廃止という遠大な目標を確立すべきであり、政治と社会経済の領域において人民が主人公となる社会の実現によって、道は切り開かれるのである。そのために、社会的解放を目標とするプロレタリア大衆の左翼政党の建設によって、ブルジョア選挙政治を迎え撃ち、政治経済の民主化に向けた決定的な勢力となるよう大衆を導かなければならない。

2012年3月25日

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【訳者による解説】

香港は1997年7月1日にイギリスから中国に返還された。イギリス植民地時代の行政のトップはイギリス女王が任命した香港総督であったが、返還後の初代行政長官は中国政府が組織した香港人から構成される選挙委員会によって選出された。

最初の選挙は、返還前年の96年に中国政府が組織した選挙委員会400人から50人(12.5%)以上の推薦を得た候補者3名によって争われた。投票権を持つのは400名の選挙委員である。96年11月15日に行われた選挙で、董建華が320票を獲得して初代行政長官に就任した。任期は5年。

2002年3月24日に行われた第二回選挙は、選挙委員会が800人に拡大されたが、現職の董建華行政長官以外には候補者となる条件(選挙委員100人=12.5%以上の推薦)をクリアできず、董一人が候補者として762票を獲得して行政長官に再任された。

しかし董は2003年に中国政府の意向を受けて治安条例を制定しようとしたが、香港民衆の巨大な反対を受ける。その後も民衆の批判にさらされ続け任期満了から2年も前倒しの2005年3月に辞職した。同年6月の補選では3名が立候補を宣言したが、民主党党首を含む2名は途中で離脱を表明し、行政長官代行の曽蔭権が無投票で返還後二代目の行政長官に選出された。

2007年の第三回香港特別区行政長官選挙では、800人の選挙委員から100人(12.5%)以上の支持を得ることが候補者になれる条件とされ2名が候補者としてノミネートされ、800人の選挙委員による投票で、曽蔭権が649票を得票して行政長官に再選された(対抗馬の梁家傑は123票)。

2012年の第四回行政長官選挙では1200人に増加した選挙委員の150人(12.5%)以上の支持を得ることが候補者になれる条件とされ民主派1名を含む3名が候補者としてノミネートされ、梁振英(689票)、唐英年(285票)、何俊仁(76票)で、梁振英が行政長官に選ばれた。

2017年に予定されている第五回行政長官選挙では、1200人の選挙委員(親中派が圧倒的過半数を占めると予想される)の過半数の支持を得た2ないし3人を候補者としてノミネートし、そこから香港の全有権者が一人一票で行政長官を選出する。

つまり普通選挙といっても、親中派の意向に沿った2~3人の候補者のなかから一人を選ぶという「偽りの普通選挙」である。現在オキュパイ・セントラル運動に参加する香港の人々はこのような「偽りの普通選挙」ではなく、有権者の1%の支持を得るだけで立候補できるように条件を変更するよう要求している。

【香港】我々が結託すべき「外国勢力」とは

我々が結託すべき「外国勢力」とは

區立行(左翼21 )

2014年10月30日


原文

中国共産党および香港親中派の宣伝はいつも、香港人による民主化運動を「別な意図がある」「外国の反中国勢力と結託している」と描き出すか、あるいは「外国の資金を受け取っている」と直接的に批判されいる。まるで「外国の資金を受け取る」ことそれ自体に悪意があるかのようである。

孫文と毛沢東が「外国勢力と結託」して革命を成し遂げたことをほとんどの人は知っているだろう。「一方で困難が生じれば、八方から支援が駆け付ける」ことは高貴な志である。先にあげた批判は一顧だにする必要もないが、「外国勢力との結託」については、詳しく分析する価値があるだろう。

◆外国政府に助けを求めることは有効か?

親中派の「愛国人士」らとは逆に、一部の人々はホワイトハウスや英国領事館に署名を寄せて外国政府に対して「香港を救え」と必死に訴えている。しかしそれに対する回答は、冷水を浴びせかけられるだけのものである。ホワイトハウスに対して19万人が署名を行い、ホワイトハウスは香港政府に対して冷静な解決を求めはしたが、結局は「香港が『基本法』にしたがって普通選挙を実施することを支持する」という水準を超えるものではなかった。イギリス外務省の声明は「デモなど一切の活動は法律の範囲内で行われるべきであり」、「各方面が建設的対話を継続することが必要である」というものでしかなかった。注意すべきは、これら米英政府のコメントは、香港人が求めている真の普通選挙を支持するものではなく、市民的不服従についても賛同していないということである。サッチャー元英首相の元秘書はオキュパイ・セントラル運動を「非現実的」と指摘するなど、実際には親中派と同じ主張なのである。

どうして米英政府はこれほどまでに香港人を「失望」させるのだろう? 答えは簡単だ。すべてマネーが影響している。「国際都市」香港には海外投資家からのマネーが集まっている。かれらは当然「安定したビジネス環境」と「香港における民主化」の二つの選択肢のうち前者を選択する。また、英米政府はどちらも自国内の抵抗運動に対する弾圧者でもある。両国では「非暴力不服従」行動の参加者が大量に逮捕され、暴行を受け、監禁されている。ここでも英米政府は中国共産党とそれほど大きな区別はない。

◆万国の人民は団結せよ

それでは他に頼る術もなく、香港人は孤立無援なのだろうか? そうとも言えない。各国における政官財の結託のなかで、人民と政府の利益は対立していることから、各国政府間のいわゆる衝突は、分け前を巡る盗賊の内紛であり、人民の利益とは無関係だともいえる。そう考えると、われわれの本当の盟友は外国政府ではなく、我々と同じく抑圧されている各国の人民だと言える。

実際、折りたたみ傘革命の爆発いらい、各国人民からの支援の声は途絶えることがない。海外の華僑や留学生はもとより、労働組合や民衆組織、そして無数の個人などから声援が寄せられている。連帯集会を開いたり、香港の情勢を各国語にして伝えたり、スマホの自撮りで支援を呼びかける人もいる。アメリカ・ミズーリ州ファガーソンの人種差別反対で弾圧された人々からも連帯のメッセージが寄せられている。パレスチナ自治区のガザ地区からも、巨大な暴力の渦中にあっても香港の状況に関心を寄せる人々がいるのである。

海外からの連帯メッセージでは「何の力にもならない」という意見もあるだろう。しかし、連帯のメッセージは行動の第一歩でもある。さらなる行動としてのオキュパイやボイコットもあるだろう。たとえば9月29日には台北で300人が香港政府の台北事務所をオキュパイして、機構運営を混乱させて香港政府にプレッシャーを与えた。今年7月のイスラエルによるガザ虐殺の際には、多くの労働組合が「ボイコット、投資撤退、制裁」=BDS運動の呼びかけに応え、イスラエル製品の輸送と販売を拒否した。このように経済に実際に影響を与える行動も政府にとっては大きな損害となる。

悪巧みを画策する各国政府よりも、我々が連帯すべきは上記のような「外国勢力」のほうなのだ。政府と財界のプレッシャーに直面するいまこそ、海外の社会運動との連帯し、各地の闘争への相互支援をはじめるときである。


国際的な支援のサイトはFacebookでも多数開設されている

1.Hong Kong Democracy Now
https://www.facebook.com/HKDemoNow

2.Calling for international support for democracy in Hong Kong
https://www.facebook.com/.../Calling-for.../275123362684837

3.中国国内からも香港支援
https://www.facebook.com/WeSupportHongKong

4.壁で支援は隔てられない
https://www.facebook.com/Mainlandsupporters

【香港】雨傘運動の自発性と自覚性:旺角(モンコック)攻防戦のアップグレード(その2)

jg
商業化が進む住宅公社運営の非民主制に抗議する住民たちが
家賃支払いに対する市民的不服従運動を開始(2014年10月23日)



雨傘運動の自発性と自覚性
旺角(モンコック)攻防戦のアップグレード(その2)


區龍宇 

原文

旺角でのオキュパイ区域が確保できるかどうかは、オキュパイ参加者の果敢な行動いかんにかかっている。その多くはこれまでどのような党派にも参加したことのない人々であり、初めて運動に参加したニューフェイスたちが示した決意は何物にも代えがたいものがある。


◆民衆の傲骨

労働者にしろ、中下層の学生にしろ、すでに早くから、この極度に貧富の格差の激しい社会に対して不満を持っていたことは確かである。メインストリームの中産階級の主張は、支配的エリートの言う「社会的亀裂は避けなければならない」という類の主張への不用意な追従が常に見受けられる。まるでそれまでの社会がとても調和的であったかのように。

だが香港社会はこれまでもずっと1%の超大金持ちと99%の中下層に分裂していたのであり、とりわけ近年においてこれら一握りの財閥による階級闘争という攻撃が中下層の人々にしかけられてきた。民営化、家賃統制の廃止、巨大な箱もの工事によるゼネコンへの利益誘導などだ。

そしていま、このような生活苦を耐え忍んできた人々が、街頭で不満を爆発させる機会に巡りあえたのだ。人々は警察との攻防のなかで街頭の奪回に成功したことで、はじめてエンパワーメントされ、自信を獲得した。このような精神的な自由と自立は、勇気と意志を鼓舞する。これこそが民衆の傲骨(気骨、プライド)である。

この世には二種類の反抗がある。ひとつは目的なく騒ぐこと。たとえば香港では1981年のクリスマスと84年のタクシードライバーのストライキの時に発生した青年たちの騒乱がある。しかし30年にわたる民主主義意識の普及によって、今回爆発したのはそのような騒乱ではなく、強烈な市民的不服従の意識を表現したオキュパイ運動であり、明確な民主的目標を持っており、充分に自律的で、敵意ある状況においても非暴力を貫徹し続けている。とりわけ旺角では、警察の攻勢にもかかわらず敗北を認めない精神を示し続けている。これは民衆の自発的で自主的な創造的スピリットの表現である。


◆目標の混乱

しかし、現在のオキュパイ運動がボトルネック(隘路)にあることもまた事実である。オキュパイ参加者の自発性にもますます限界が近づいている。もちろん民主的な要求については毎日のように新しいアイデアが生み出されている。しかし真の民主主義を実現するための経路については、はっきりとした方針があるわけではない。

20日付けの「明報」では、オキュパイ参加者に対して行った世論調査の結果(複数回答可)が掲載されている。オキュパイを解散する条件として、「政府が諮問をやり直す」が45.6%、「候補者指名委員会(※訳注1)の『民主化』を政府が約束する」が43.9%、「梁振英の辞任」が24.6%であった。

この三つの条件は、どれも本当の解決にはつながらないだけでなく、落とし穴になる可能性がさらに高くなる。諮問のやり直し[政府が諮問・パブリックコメントの募集を行い報告書をまとめて中国政府に提出する:訳注]については、陳建民[オキュパイを呼びかけた3人の知識人の一人]が最初に提起したものである。この方法は下策に他ならない。オキュパイ解散の代わりに得るものは、形式上の諮問という政府の茶番にすぎないからだ。候補者指名委員会の「民主化」は全人代決議の問題点を覆い隠すだけである。(原注1)

この世には二種類の妥協がある。一つは、目的は達成できてはいないが、今後もその目標に向けて奮闘する条件を獲得できる妥協。もう一つは、目的が達成できなかっただけでなく、敵に有利で自分に不利な条件で妥協することだ。上記の三つの条件のいずれにしても、それでオキュパイを解散してしまうことは、後者の妥協とおなじことである。しかし調査の結果をみれば、多くの人がそのような選択をしてしまうことに、政治的な認識不足がうかがわれる。

世論調査ではあらかじめ回答の選択肢が決められていることから、その結果だけで評価することはできないのかもしれない。しかし運動内部の一部の指導者からも、オキュパイを堅持を掲げつつ、市民立候補という目的が達成できない場合は、目標を候補者指名委員会の民主化に変更するという提案がなされていることもまた事実である。


◆手段は目的に従属すべし

このような思考は、運動をひとつの矛盾に陥れる。それは、オキュパイは頑強性があるが、政治目標は混乱しており弾力性がある、というものだ。これでは事にあたる手順がバラバラである。オキュパイは手段であり、その実施には弾力性を持たせなければならない。市民の立候補は政治目標であり、それは原則であり、簡単に変更してはならない。オキュパイという手段は市民立候補という目的に従属するのであり、その逆ではない。運動の指導者から運動の参加者にいたるまで、どのような目標を堅持すべきなのかについてすら、意見が噴出している状態で、それらの意見のなかにも問題ある意見も多い。このような状況は、容易に敵の側からの分断工作が功を奏することになるし、運動の側も消耗して消滅するだけだ。

ここで基本的な問題に立ち返ることになる。大衆運動の自発性を疑うことなく信じるだけで、事は足りるのか、ということだ。


◆感情の赴くままにか、プロアクティブにか

大衆運動の自発性はすばらしいことであり、歴史を前進させた無数の大事件はすべて大衆の自発性の結果であり、支配者や知恵者があらかじめ計画した物事によってではない。しかし、これらの大事件においても、大衆の自発性だけが絶対的なものではなく、その背景には自覚性も内在していたのである。つまりそれまでの年月のあいだに、志ある人々によって長期にわたる啓蒙と教育の時期があり、それは新たな知識を汲んだ新しい知識世代(学生や労働者を含む)のなかで深厚なコンセンサスを鍛えた。だから、このような偉大な歴史的事件は、自覚性と自発性が結合した結果なのである。

ただ自発性のみに依拠することは、運動を感情の赴くままに走らせることになりはしないか。そう、89年民主化運動のように。この社会の政治経済の状況は巨大かつ複雑な構造であり、その構造を変革するためには、感覚に依拠するだけでは絶対に成功しない。目覚まし時計を修理するのでさえ、ばねやねじまきの構造を認識する必要があるのだから、社会の変革においてはいうに及ばずである。運動には大衆の自発性とともに、その自覚性も必要なのであり、より学び、より議論し、そしてより深く思索しなければならない。

しかるに現在、オキュパイの現場において公然たる議論を阻止しようとする輩がいるのだ。このような反知識の行動は、客観的には敵を利することにしかならない。

運動の中には一貫して一種の極右排外主義(イナゴ=中国本土からの移住者を叩き出せ!というスローガンを掲げる)が存在している。かれらはごくごく少数にとどまってはいるが、運動の側が自覚的に真の民主主義と平等という政治的方向性に大衆を振り向かせようとしないのであれば、大衆に対する極右の自覚的な扇動を勢いづかせることになるだろう。

2014年10月27日

原注1
論理上は、候補者指名委員会の民主化も不可能ではないが、このような主張は実際には中国政府の同意を得ることは難しく、難易度においては市民立候補の要求とさして変わらない。いま指名委員を普通選挙で選出するという要求を掲げるべきではないだろう。それは民衆を欺き、雨傘運動を誤った道に進めることになるだろう。

※訳注1
候補者指名委員会:立法議員や業界団体など1200名の香港人で構成される現行の選挙委員会を引き継ぐ。2017年の行政長官選挙では委員の過半数の支持を得た候補者2-3名を香港の全有権者が投票で選ぶ「中国の特色ある普通選挙」形式で実施される。委員の大半が親中派で固められることから中国政府の意向を反映した候補者しか立候補できない恐れがあるとして、オキュパイ・セントラル運動では有権者の1%の賛成を集めた香港市民ならだれでも立候補できるようにするべきだという対案を示している。なお付言すれば、漸次的な普通選挙を実現すればよい、というアドバイスは無意味である。香港基本法45条では、指名委員会が候補者を指名したうえで普通選挙を実施するのが最終目標として明記されているからである。民主化運動は、香港基本法と50年不変という英中両政府が上から決めた取り決めを乗り越える必要がある。

【香港】梁振英と葉國謙:反する主張で補充しあう

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葉國謙・立法議員(左)と梁振英・行政長官

梁振英・行政長官が、普通選挙を導入すれば低所得者層のための政治に偏ってしまう、という問題発言をして香港の人々の怒りを買ったが、同じく親中派の葉國謙・立法議員(職能別選挙区選出)は、民主派議員が反中国のメディア「苹果日報」の会長から巨額の献金を受けていることを批判して「選挙は結局はカネだ」と述べている。両者は同じ穴のムジナであるという區龍宇氏の論考を紹介する。香港紙「明報」日曜版(2014年10月26日)に掲載された。(H)
 
原文 

 
 
梁振英と葉國謙
相反する主張で補充しあう


區龍宇
 
「明報」2014年10月26日 日曜版
 
 
われわれは、貧乏人には普通選挙権を与えるべきではないという趣旨の発言をした梁振英・行政長官には感謝しないといけない。彼の発言は白書以上に明白にその意図を吐露しており、香港はこれまでも貧乏人を無視した政治を行ってきたことを語る反面教師の役割を果たしたからだ。
 
 
◆アリストテレスと梁振英は同類か?
 
民主主義は貧困層に偏った政治を行うという考えは、なにも梁が言い始めたことではない。2000年以上前に、かのアリストテレスが「政治学」の中で述べていることでもある。彼はその著書の第三巻第八章のなかで、民主主義が多数者の権力掌握に等しいと考えるのは間違いである、と述べている。「寡頭政治と民主主義政治体制の主要な違いは、人数の多い少ないにあるのではない。両者の原則上の違いは、その貧富の区別にあるのだ。いかなる政治体制でも、その支配者の人数如何にかかわらず、もしその富に依拠する体制であれば、それは寡頭(財閥)政治体制となるのである。おなじくもし貧者を主体とするのであれば、それは民主主義政治体制なのである。」
 
これが、西側のブルジョアジーが王権・貴族と権力争いを演じているときに、民主主義という言葉を忌み嫌った理由でもある。貧者の権力である民主主義に、ブルジョアジーがどうして賛成することができたであろうか。だからブルジョアジーは貧者の圧力に抵抗するために、王権を根本的に排除しようとはしなかったし、選挙権においても最初から一定の資産を条件とすることで、普通選挙に反対してきたのだ。
 
民主主義という用語は、19世紀には民主主義者だけが使っていた言葉で、周囲からは普通選挙権の要求は過激思想だと考えられた。だが資本主義による工業化が一般化するまでは、これらの民主主義者の大衆的基礎は、プチブルと自立的な職人たちだったので、ブルジョアジーと貴族に譲歩を迫るほどの力はなかった。ヨーロッパで産業労働者が政治的舞台に登場して、普通選挙権運動を引きついだことによって(たとえば英国1838年のチャーチスト運動)、この状況に変化が生まれた。
 
 
◆真の普通選挙にも限界がある
 
しかし普通選挙権運動が後の世に成功したが、それは貧者の権力、つまり梁振英の警告するような事態を招いたであろうか? 普通選挙がおこなわれ、国家行政の長を選ぶ選挙での選挙権、被選挙権が与えられている世界中の国家において、貧者が権力を握った国家がいったいどれだけあっただろうか? 権力を握るといわないまでも、貧者のための政治が実現されたケースはほとんどなかった。だから、梁振英の主張は実は間違いなのだ。だが、それは事実において間違いということであり、結論についていえば、梁が真の普通選挙に反対したことは、全く正確無比である。つまり中国・香港の権力エリート財閥にとって、真の普通選挙に反対することは正確無比なのである。事実と結論は分けて考えなければなら
ない。
 
梁振英は間違っていたが、アリストテレスは間違ってはいなかった。古代ギリシャとブルジョア代議制には大きな違いがあるからだ。前者の人民議会では、政治と経済の権力が結合されており、艦隊の建造や公共工事、あるいは貧者が政治に参加するための手当の支給などで国家が資金が必要な時には、富裕者に対して資金の提供を要求することができた。こうして政治権力を掌握した者は、経済的権力も相当ていど掌握することができたのである。エリート主義者のアリストテレスにとっては、民主主義はもちろん貧者の権力掌握と同じに見えたことから、当然それには反対した。
 
ブルジョア代議制は、普通選挙改革を経たものであり、それは古代ギリシャの民主主義とは別物といえる。封建主義を打倒した資本主義においては、ブルジョアジーは自らの財産権を「神聖不可侵」なものに変えることに成功し、経済を政治領域の外側に置いた。政治的に代議制が存在するか否かに関わらず、普通選挙権があるか否かにかかわらず、政府の政策は以前よりも小さな範疇に限定されてしまった。その後、大財閥が経済権力を通じて政治に影響力を行使しだすのである。いわゆる金権政治だ。だから労働党が政権を取っても、労働者人民を真に代表することができないのである。
 
民主主義が貧者の政治になるという主張は、古代ギリシャのアリストテレスにおいては正しかったが、21世紀の梁振英においては間違っているのだ。なぜなら資本主義において、真の普通選挙が貧者の権力をもたらすことはあり得ないし、貧者の立場にたった政治を実現することさえもありえないだろう。
 
 
◆親中派は始皇帝の思考回路
 
おもしろいのは、梁振英と同じ穴のムジナである葉國謙[親中派の政党、民建聯の立法議員]が、今年の8月4日に書いた文章で、民主派議員が黎智英[民主化支援のメディア経営者]から献金を受けていたと指摘し、「民主主義とは金権ゲームである」ことの証明だと主張したことだ。つまり選挙は結局のところカネに左右される、カネの多い者が勝利するという。では誰がいちばんカネを持っているのだろうか。言うまでもなく財閥だ。つまり、梁振英とは逆のことを主張している。梁振英は真の普通選挙は貧者の権力をもたらすと主張し、葉國謙は選挙が財閥の権力をもたらすと主張しているのだ。
 
しかし両者は相反する主張で補充し合っている。事実について大まかに言うならば、梁の主張は完全に間違っているが、葉の主張は大体において正しい。しかし事実と結論とは分けて考えなければならない。葉の主張の趣旨は事実の表現に限定されているわけではなく、次のような結論へ導くことを狙ったものである。「貧乏人が普通選挙などに関心をもっても意味がない。結局それで得をするのは君たちではなく財閥なんだから。」
 
しかしこの結論は問題である。普通選挙権が財閥の特権をはく奪するものでないにしても、それが労働者民衆に何かしらの利益をもたらさないとは限らないからである。北京のメディア、いわゆるマルクス主義者、そして葉國謙などは、次のような公式を並べたてたがる。
 
代議制=西側民主主義=金権政治=ブルジョア独裁=労働者人民にとっての利益なし=絶対的否定。
 
問題は、この等式の一つ一つの推論がすべて間違っている、ということにある。これは典型的な秦の始皇帝の思考方法と同じである。自分は絶対に肯定し、他人は絶対に否定し、その中間はあり得ないという考えである。しかし現代思想においては、いくつもの中間状態が存在することを認めなければならない。労働者民衆が政治的権利を享受することは、権力を掌握することではないにしろ、いくらかは財閥の専制をけん制することは可能である。
 
もし労働者民衆が政党を結成することが可能となり、労働運動の発展が可能ならば、議会、政党政治、社会運動を通じて、自立した政治参加の能力を鍛えあげて、長期の展望に立った労働解放の事業を達成することができるだろう。そもそもこれが社会民主主義の立場であった。普通選挙権には積極的な意味があるし、それは勝ち取るべきものである。もちろん普通選挙権だけでは不十分であり、それはより良いものにしていく論理が必要だが、完全に否定すべきものではない。ましてや赤裸々な財閥独裁を支持するなどもってのほかである。
 
葉國謙の立論は、実際のところ梁振英の主張と同じである。違いがあるとすれば、訴えかける対象が違う、ということだろう。葉は労働者民衆を欺くために発言し、梁は(NT紙のインタビューを通じて)海外資本に警告するために発言しているのだ。「おやおや、注意なさい。真の普通選挙を支持する側なんかに立ってはいけませんよ。真の普通選挙はみなさんに不利なんですから」と。
 
2014年10月25日

【香港】旺角(モンコック)攻防戦のアップグレード(その1)

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オキュパイ金鐘湾の民主流動教室で「真の普通選挙から
真の民主主義へ」の講義を行う香港の仲間(10月24日)



旺角(モンコック)攻防戦のアップグレード (その1)

區龍宇

原文

旺角(モンコック)での攻防戦の発展は多くの人々の予想を超えた。梁振英が意図的に衝突をけしかけ、しかも状況が比較的落ち着いた時を狙ってきたことが、オキュパイ旺角の情勢を押し上げた理由の一つである。しかしそれだけではない。旺角の人々の勇敢な迎撃がなければ、旺角を奪還することはできなかっただろう。

不動産資本の独占を排除し、小商店を守れ

オキュパイ旺角には有利な点が大いにある。しかしまた弊害もある。オキュパイによる地域の居住民および小商店への影響は否定できない。また旺角にある大型チェーン店の労働者、特に時計や宝石の類を扱う商店への影響もある。これらの商店の労働者の収入の多くは、売上の手数料に依っているところがおおい[歩合制に近い:訳注]。友人の話によると、商売への影響で、売上手数料は半分になったという。

もちろん商売への影響にもかかわらず、さまざまな方法でオキュパイ行動を支持する小商店の人々もいることは確かだ。また熱心なオキュパイ参加者も、地域の小商店を回って理解を求める行動を呼びかけたり、消費者に向けて小商店での購入を呼びかけている。だがそれだけでは十分とは言えないかもしれない。われわれはオキュパイ旺角をアップグレードさせて、この社会的コミュニティの支持、すくなくとも中立的態度を勝ち取る必要がある。私のいうオキュパイのアップグレードとは、行動のことではなく、政治的にアップグレードさせるということだ。

◆300万余の勤労者の生活を保障してこその民主主義

小商店の店主らにさらに我慢を説得することは難しい。我々はかれらの利益を保護しなければならない。いかにして保護するのか?不動産資本の独占を排除することが、最良の方法になるだろう。小商店から搾取する本当の犯人は、不動産資本の独占とそれを後押しする香港政府である。

多くの国家では、小商店やその従業員を保護する法律がある。たとえばアメリカでは1996年に小規模商業とその雇用を保護する法律がつくられ、税制面をはじめ各種の優遇政策が実施されている。香港では反対に、ウルトラ級の巨大財閥も、吹けば飛ぶような個人商も同率の事業所得税なのである!一見、公平に見えるこの制度は、実際には不公平極まりない。本当に公平な税制というのであれば、固定税率ではなく累進課税にしなければならない。

香港政府は最大の地主であるにもかかわらず、小商店を支援しないだけでなく、不干渉の名のもとに実際には財閥の独占を黙認している。たとえば、かつては大型スーパーが公共住宅に併設されている商業スペースで営業する際には面積の規制があり、惣菜販売も規制されていた[地域の小商店の営業を保護するため:訳注]。しかし2000年ごろからそれらの規制は取り払われた。これが大規模小売店による小商店排除の先駆けとなった(住宅供給公社が管理する駐車場と商業スペースの民営化がそのピークとなった)。今日の民主化運動は、小店主らの支持を得るために、これら不動産財閥に搾取されている小店主らのために立ち上がる責任を果たすべきだろう。たとえば法律や税制、融や土地リースなどの面で優遇政策をかちとるための運動を組織化することなどが考えられる。

民主主義とは単なる「価値観」ではなく、一種の利益(権利)であることを理解すべきである。つまり、多数の中下層の人々の生活の利益(権利)を守るということだ。われわれは、普通選挙の実現というシングル・イッシューの運動から、社会改革運動へ飛躍しなければならない。そこにはもちろん不動産資本の独占への攻撃も含まれる。香港基本法では、香港の土地は公有である。それゆえ、香港政府の不動産政策が大多数の人々を犠牲にして、ごく一部の不動産資本をもうけさせる理由などないのである。

不動産資本の独占への攻撃の方法とは、穏健なもの、つまり少なくとも小商店に土地とスペースを提供するよう政府に要求するという内容である。たとえば私が住んでいる地域を例にすれば、政府の経営放棄や不作為の結果、公営市場[いちば]は閉鎖されてしまった。だが住民は買い物をしないわけにはいかない。しばらくのち、個人経営の八百屋や肉屋が開店したが、これらの小店主は公営市場のときよりも高いテナント料を支払わなければならず、その結果、住民は以前よりも高い買い物を強制されることになった。本来、行政は閉鎖などの対応ではなく、地域住民と一緒に市場の改革に取り組むべきであった。

このほかにも、大型商業店舗が営業のための土地使用を申請する際には、小店舗地区などのスペースを確保することを条件とし、政府がそのスペースを小店舗などに貸し出すことなども可能なはずだ。

宝石店の従業員らが、オキュパイによって歩合収入が半減したことも、必然の事柄であるというわけではない。もし従業員らに団体交渉権があれば、労働組合を結成することで、収入が半分も減少することは防ぐことができただろう[香港では労働組合の団体交渉権は法的に保障されていない:訳注]。これらの大型チェーン店は、いくつかの支店で収入が減少するかもしれないが、会社全体では正常な利潤を上げ続けている。つまり従業員がまともな集団的契約(協約)を結んで会社側と利潤を分け合うこともできたはずである。

我々は小店主や従業員らに我慢をお願いするよりも、社会全体を民主的に変革する偉大な事業の隊列に加わるよう促すほうがよいだろう。真の普通選挙の実現とともに、団体交渉権や小店舗の保護などを実現し、不動産資本を規制する一連の生活防衛の主張を掲げよう。普通選挙のシングル・イッシューから、民主改革憲章の提唱へとステップアップし、それを行動促進の旗印としよう。

真の普通選挙は社会変革の大工程

香港の民主化運動30年の最大の失策は、普通選挙というシングルイッシューに切り縮めてきたことにある。運動のなかには、要求すべきは普通選挙であって社会構造の改革ではない、という意見もある。しかしそれはあまりに単純な見解ではあるが、願望と客観的事実を分けて考える必要がある。

最低賃金制度の導入のような運動[香港では2011年5月にやっと導入された:訳注]においては、社会経済の権力構造の変革は不要であり、その導入は典型的なシングル・イッシューの改良と言える。しかし真の普通選挙は、新たな政治権力の再編を引き起こすことから、シングル・イッシューではありえず、社会変革の大工程となる。民主化運動は下からの闘争によってのみ勝利することができる。その一方で、その運動の発動は、必然的に社会各層の利害に抵触するし、当然にも支配階級の利害にも抵触することから、社会全体の激動を引き起こす一歩となる。

だから、たとえ我々がこの運動をシングル・イッシューと考えていたとしても、相手にとっては蜂の巣をつつかれたような大騒ぎとなる。とりわけ中国共産党の官僚独占資本主義のもとでは、香港の財界はすでに中国国内の官僚資本との二人羽織を演じていることから、真の普通選挙の実施は最高権力者たちの利害に抵触せざるを得ないし、だからこそ彼らは一部のプチブルや不安定階層をつかって民主化運動への攻撃を行っている。このような官僚財閥の陰謀に対して、民主化運動は総合的な改革綱領を提起して、最大多数の人々の支持をかちとるべきである。

これは世界の民主化運動の歴史な教訓でもある。私は、全面的な社会改革によってではなく、普通選挙というシングル・イッシューだけで民主化運動に成功した事例を知らない。

普通選挙シングル・イッシューか民主憲章か

これまでも民主化運動のなかで民衆の生活防衛の重要性を提起してきた団体は存在した。しかしその声は普通選挙の実現と並んだメインストリームにはならなかった。しかし今後も主流民主派による普通選挙シングル・イッシュー路線に追従することは、敗北への道に他ならない。敗北の道を避けるために今すぐ、民主化と民衆の生活の両方を掲げた社会的イメージを、簡潔で力強い方法で一般化すべきである。1952年に南アフリカで掲げられた自由憲章(Freedom Charter)が参考になるだろう。この憲章は、多くの民主的、政治的要求を帰納的に提起するとともに、以下の三つの経済的要求を提起している。

1、国家の富は共有される。鉱物資源、銀行、独占企業は、人民全体の所有とする。

2、土地は人民のものとする。土地の再分配を行い、国家は小農民を物質的に支援する。

3、誰もが働く権利を有し、労働組合を自由に選ぶことができ、団体交渉権が尊重される。性別や民族にかかわりなく同一労働同一賃金が保障される。


民主憲章の制定に賛成するすべての団体・個人との議論を推進し、機が熟した段階で、各地域で代表を選出し、民衆会議を組織し、民主憲章の起草と採択を行おう。人数の多い少ないは関係ない。この運動の推進および選挙すべてが啓蒙と教育の過程である。さまざまな課題に取り組む社会運動団体がそれぞれの課題のために奮闘するとともに、この憲章を中心的なスローガンとして、人々をけん引して運動のアップグレードをつづけ、多数をかちとり、少数の専制者を孤立させることが目的である。

これがわたしの考えるオキュパイ運動のアップグレードである。

2014年10月24日

【香港】オキュパイ運動の力を集中させよう-左派4グループ共同声明

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金鐘オキュパイにつくられたアンブレラ運動のモニュメント

以下は、複数のオキュパイ拠点を金鐘(アドミラリティ)の拠点に集中しようという二つの主張である。二つ目の文章では、特にプチブルの憤激が極右運動を大衆化させる可能性を示唆している。社会的変革の激動において、プチブルが憤激も動揺もすることなどできないくらいの確固たる組織的な運動をつうじて、このような動揺と憤激の大衆的極右化の根を完全に断ち切る、というのが理想ではあるが、現状ではとてもそのような組織的な動員をかけられるほど社会運動の側が強力ではない、という現状判断が読み取れるだろう。(H)


ファシスト暴徒による平和的オキュパイへの
襲撃を放置した特区政府を強く非難し、
みなさんの力を金鐘オキュパイに結集することを呼びかける


香港の法治は基本的人権を比較的尊重するものであったが、それは今日破壊された。今日、旺角、銅鑼湾、尖沙咀などでファシスト暴徒とマフィアが平和的にオキュパイを行っていた市民とその拠点を襲撃する事件が発生し、100名以上の負傷者がでたからだ。われわれはこの事件を強く非難する。残念なことに、われわれの特区政府は香港人の安全を守らなかっただけでなく、暴徒が平和的オキュパイ参加者を襲撃することを放置した。これらの暴徒とマフィアは明らかに準備を整えてやってきたのであり、そうであるなら特区政府がそのことを全く知らないということはありえないのである。知っていて警備態勢をとらず、市民を守るために襲撃者をひとりのこらず逮捕しなかったのは、事実上これらの暴徒とマフィアに依拠して民主化運動に打撃を与えることにほかならないのである。このような状況は、かえってオキュパイ運動の正当性と切迫性を証明するものである。民主主義を実現ことこそが法治を保障するものである、と。

政府容認によるひどい襲撃において、これ以上の被害を回避し、無辜の民衆への影響を緩和するには力を結集しなければならない。われわれは、他の拠点から撤収して、金鐘のオキュパイ防衛に力を集中し、現在の重要な陣地--この陣地はこの一週間で本当の市民空間になっている--を防衛することを真剣に検討するよう、みなさんに呼びかける。専制政治を終わらせるには長期の奮闘が必要であることは我々も理解している。今回の運動によって勝ち取られた成果はできる限り活用することは当然であるが、現有の実力の消耗、とくに梁振英政権が戒厳令を宣言し全面的に弾圧を行う口実を与えないよう注意する必要もある。

今回のアンブレラ民主化運動は、押し寄せる大波のごとく大きな発展をみせた。運動の参加者は驚くべき文化的素養を発揮し、香港人の自決への渇望とともに、香港人にその能力があることを示した。われわれは権力エリート階級が一切を取り決めることを拒否する!われわれは民主的自治を要求する!われわれは真の普通選挙を要求する!

今回の運動の結末がどうなろうとも、この運動の登場そのものが、すでに最大の成果である。それは香港人の民主的覚醒を代表しているからである。これこそが民主化が最後には勝利することの保証である。

すべての暴徒を法によって裁け!
梁振英は辞任しろ!本当の普通選挙、本当の民主主義を実施せよ!市民の立候補を!
全人代の決定を撤回せよ!
民主万歳!人民万歳!

2014年10月3日

街坊工友服務處
社會民主連線
全球化監察
先驅社

原文は署名団体の一つ街坊工友服務処のサイト参照
http://www.nwsc.org.hk/desktop/content.php?id=345



なぜ旺角を撤退し金鐘に集中すべきなのか?

2014年10月5日
區龍宇

街工など四団体は昨日、人々は旺角を撤退し金鐘に集中すべきだという声明を発表した。

まさにそうすることが必要となっている。政府がすぐに弾圧するという理由や、こちら側の力不足などの理由はこれまでも語られてきた。ここではもう一点を補足しておきたい。旺角での襲撃はすべてが組織された極右暴徒による計画だったわけではない、ということだ。

襲撃者のなかにはプチブルによる自発的な部分もいた。旺角は多くの小店舗が軒を連ねており、彼らに直接なんらかの影響を受けていなかったとしても、心理的にはすでに極度に動揺していた。これらのプチブル(小ブルジョアジー)は、上からは独占的な土地ブルジョアジーからの搾取を受け、下からは雇人からの突き上げに遭い、つねに社会的保守の集団を形成している。

さらに重要なことは、かれらの計江基盤が極めて脆弱であり、わずかの経済的波乱でもすぐに破産に追い込まれる状況にある。このような状況が極度に波乱を恐れ、波乱を目の当たりにすると恐慌に陥るという階級的心理を作り出している。いったん恐慌状態に陥ってしまった人間は、なんでもやってのけることができる。経験のある社会運動の活動家の第一戒は、これらのプチブルを恐慌の淵に追いやってはならないということである。いったん恐慌のふちに追いやられたプチブルは、一切を惜しむことなく「秩序回復」のために、容易に極右暴徒を支持するだろう。

ここ両日、これらのプチブルは誰かれとなく攻撃をしている。私も前夜に何人かの女性を防衛しながら旺角のオキュパイ拠点を後にしたときに、知らない人から「あんたは誰だ」と聞かれた。わたしが教師だと答えると彼は突如豹変して「お前みたいな教師がこのクソ学生たちを育てたんだろう!」と食ってかかられた。こういう人間に道理を説いても無意味である。そのプチブル精神が彼ら自身に呼びかけているのである。「一切を惜しまず秩序を回復せよ!!」と。

オキュパイ・セントラル運動はこれらプチブルの怒りを買ってはならない。さもなくばそもそも大衆運動ではない極右が大衆運動に代わってしまうかもしれないからだ!

わたしは、学生連合、学民思潮、街工、社民連、工盟およびすべての団体が、旺角およびその他の拠点を撤退し、金鐘に集中するという声明をだすことを期待する。

だが、金鐘に集中したとしても、主要幹線を長期間占拠しようと考えるべきではない。われわれの運動は無数の民衆の支持はあるが、一方で運動には弱点もあり、当面は中国共産党の譲歩を引き出すことは難しいだろう。もし無理に道路を占拠しつづけたとすれば、深刻な弾圧に発展する可能性がある。

一時的な街頭占拠によって政府との対話を再開し、すくなくとも添馬公園[政府総部ビルの目の前にある:訳注]を学生と市民が管理する民主化公園とすることを政府に認めさせるべきだろう。このような民主化公園は政府にとっても目の上のたんこぶになるし、今後のアンブレラ運動の一大拠点として、民主化の宣伝と教育のセンターとなるだろう。政府が承諾すればそれに越したことはない。実際、承諾することで交通も回復するだろうし、林鄭月娥[香港政庁ナンバー2]のいうように、双方相討ちよりもずっとましである。われわれの運動自身も成果をあげることになる。

もし政府が承諾しなくても、主要幹線道路から撤退して添馬公園の拠点化に集中すべきだろう。これによって運動は敗北するのではなく、逆に政府が難題にぶち当たることになる。公園を占拠したところで、市民生活や政府の活動に影響はでないが、拠点の登場で民主化運動にさらなる勢いがでるだろうし、これによって運動が抱えるリスクもそう大きくはないからである。

これごときで梁振英政府が戒厳令や発砲など行った時には、それこそ人々の批判を一斉に受けることになるだろう。

もし運動の側が旺角を撤退しなければ、逆に多くの批判を我々が受けることになり、暴徒による極右大衆運動の発展に力を貸すことになるだろう。

もちろん拠点を公園に移したとしても、政府は攻撃してくるだろうし、戒厳令あるいは発砲の事態に至るかもしれない。そのようなやむを得ない場合にも公園からの撤退を行うべきだろう。しかしわれわれはそれによって大衆の支持を勝ち得ることができるだろう!今日という日を失うべきではない!このチャンスを失うべきではない!自ら運動を袋小路に追い詰めてはならない!

とまれ、現在の力関係から考えれば、この運動は長期的な闘争にならざるを得ないだろう。だからこそ実力を蓄えておかなければならない!そう思うものはこの主張を拡散してほしい!

原文は香港独立媒体を参照
http://www.inmediahk.net/node/1026870

【香港】香港人の民主的コミュニティの誕生ーー「アンブレラ運動の共同綱領」の提案

香港人の民主的コミュニティの誕生
「アンブレラ運動の共同綱領」の提案

區龍宇

今回のアンブレラ運動は香港人による驚異的な民主主義の実践能力を示した。十数万の人々が混乱することなく、しかも自ら秩序を維持しつつ、相互の尊重し認め合っている。長年にわたり香港の人々は一種のアイデンティティの喪失状態にあったが、今回の運動はこの問題を初歩的に解決した。香港人はすでに新しい立場をもつことになった。それは香港人の民主的コミュニティである。

人類社会はコミュニティをつくることで生存が可能になる。しかし「コミュニティでは平等な政治権力を実施し、民主的な手続きで政策をきめなければならない」という概念が一般的となったのは近代社会以降のことである。中国そして香港はその後塵を拝している。1989年の中国の民主化運動において、初めて広く民主主義が叫ばれたが、それは人々が奴隷思想から抜け出しはじめたことを示しており、それに刺激を受けた香港人も同じような訴えを抱くことになった。しかし香港人は今日になってやっと、広範な動員をつうじた権利の獲得に動き始めたのだ。

現在、香港の街頭では民衆アセンブリーが登場しており、人びとは自発的に意見を表明したり相互党論を行っている。民衆アセンブリーを至る所で花開かせよう!われわれもさら様々な方法で組織化を進めなければならない。組織化こそが民主的コミュニティの骨格をうちかためることができるのだ。

この一週間の運動の深遠さから、この運動における絶対的多数の参加者にある種の共通点があることをわれわれは理解している。しかし、生まれたばかりの香港人の民主的コミュニティを健やかに成長させるために、一定の定義づけが必要だとおもわれる。まず、民主的精神とはネルソン・マンデラが言ったように、自らの権利を実現するためだけではなく、すべての人の権利を実現するものでなければならない、ということである。そう考えると、われわれは香港の全面的民主化を実現すると同時に、中国国内の民衆の民主的訴えも支持すべきなのである。われわれは香港人の政治制度の自主性と高度な自治の権利を追求しているが、香港独立を追求するのでも、また中国からの離脱を求めているのでもない。

つぎに、民主的コミュニティであるがゆえに、それは政治制度だけにとどまらず、コミュニティのすべての人の生存権や労働における尊厳が保障されなければならない。しかし1%の人々が経済を支配し、99%の人々の生存には保障も尊厳もないという格差が存在する現在の状況は、まさに民主主義に反することなのである。それゆえ、今回の全面的なオキュパイ香港運動において、独占財閥と専制政府に対する不満の声が至る所で耳にするのも、なんら不思議ではないのだ。民主主義は生存権の保障とかい離することなどできない。これが共通の訴えなのである。この訴えにはすくなくとも、労働時間規制、皆年金制度、団体交渉権が含まれるべきである。[香港では英植民地時代から中国返還された現在も、これら労働者を守る規制は存在していない:訳注]

いま運動には共同綱領が緊急に必要である。目標を明確にし、最大多数の参加者を団結させ、あわせて運動が陥るかもしれない不利な局面の主張とはっきりと境界を引くべきである。

運動は「選挙改革の五つの手続きをもう一度やり直す」などという要求を提起してはならない!これは袋小路にしかならないからだ!

香港人は自身の行動、汗と涙によって、中央政府に対して自らの要求を押し通す決意を示した。それゆえ選挙制度改革における明確な目標は次のようになるべきである。

・2017年の行政長官選挙における市民立候補の要求の堅持
・2016年の立法会選挙で、職能別議席を廃止して完全な普通選挙の実現の堅持
・基本法の変更は香港人の要望に沿ってのみ行われるべきであり、逆であってはならない
・自分たちの政府は自分たちで選ぶ!

運動はもちろん非暴力を堅持すべきである。しかし緊急の事態に対しては、心の準備をしておかなければならない。暴力を制止するためには、必要な力や方法を行使して相手の暴力を阻止することも必要である。そのためには広範な民衆によるピケット隊を組織する必要がある。

以上の提案は、コミュニティの一員としての意見である。市民からの多くの批判や意見が提起されることを望んでいる。これこそが民主主義である。

希望は人民にあり、変革は抵抗から始まる!

2014年9月30日 黎明

香港:下からの組織化と長期的な闘争の準備を!

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 香港では街頭を占拠して民主化闘争がつづいている

【解説】香港の民主化闘争は、オキュパイ・セントラルという大規模な街頭闘争を成功させた。9月22日からはじまった大学生や高校生らの授業ボイコット運動、そして9月26日の街頭における機動隊の暴力と学生リーダーへの弾圧に対する広範な市民の憤激による自発的な街頭占拠闘争、9月29日には学生と市民による街頭占拠闘争を支持するための独立系労働組合ナショナルセンターによるゼネスト宣言を経て、10月1日の国慶節には10万余りの市民が、行政長官官邸から見下ろすことができる大通りを含む市内数か所を占拠するまでに発展した。オキュパイ運動は(1)中国政府が決定した2016年議会選挙(職能別議席の温存)と2017年香港行政長官選挙(親中派が占める候補者選定委員会による候補者の確定)の方法を撤回すること、(2)行政長官および選挙制度改革チーム責任者の辞任、(3)オキュパイ空間の確保などを要求している。以下は、独立系労働組合ナショナルセンターのゼネスト呼びかけ当日であり、市民による自発的な街頭占拠が始まりつつあった9月29日未明に書かれた林致良同志の呼びかけである。(H)

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人民による正義の闘争を支持し、偽りの選挙に反対する
下からの組織化と長期的な闘争の準備を!


林致良


ここ両日、数万の香港市民、特に青年たちが、無私無欲の精神を発揮し、自発的に集会闘争を展開し、香港政府本庁舎前の学生たちを支援している。大衆運動は拡大し継続しつつある。本日未明、一部の市民はすでに自発的に銅鑼湾と旺角の通り[どちらも繁華街]を占拠した!

闘争に道理あり
偽りの選挙を恥じよ


デモに参加している市民たちは、行政長官の選出方法についての中国全人代常務委員会の決定に反対し、市民候補者と自由選挙の真の普通選挙を要求している。これは全く正当であり、かつなんら急進的な要求ではないにもかかわらず、北京当局はかたくなにそれを拒否している。北京当局は、選挙候補者指名委員会によってふるいにかけられた候補者のなかから、有権者が一人一票で選ぶ選挙を普通選挙として香港人に押しつけようとしている。このような方法は上流階級の特権を保障し、市民の真の選挙権を奪うものでしかなく、そもそも普通選挙と呼ぶことなどできない代物である。このような反動的制度と公然たるペテンに反対するために、学生たちが授業をボイコットし、市民らが平和的な集会を行うことは、まったく正当な闘争にほかならない!

各分野の闘争のための
プラットフォームの組織を


政府によるかたくなな拒否から、真の普通選挙をかちとる闘争は長期の奮闘が必要となるだろう。より多くの香港市民の支持が必要となるだけでなく、中国人民の支持を得ることが(すでに中国国内のSNSなどでは香港人民を支持する書き込みなどが見られる)、勝利をかちとるカギになるだろう。必要なことは香港の労働者民衆による下からの組織化であり、労働者、学生、女性など各分野の闘争委員会を組織し、民主化闘争の継続を共同で準備する必要がある。

街頭での議論の組織を
生活分野での民主化をいかに実現すべきか


真の普通選挙を実現することはごく当たり前のことであるが、しかしそれだけでは深刻な人々の生活困窮問題を解決することはできない。今日の民衆、とくに青年たちは、物価高騰、低賃金、長時間労働、公共住宅への永遠の入居待ちなど、未来に展望を見出すことができない。こうして織りなされるさまざまな不満は資本主義社会に普遍的な現象であり、香港においても例外ではない。それゆえ、われわれは政治制度の民主化を実現する必要があるとともに、同時に生活の困窮も改善しなければならない。専制反対の政治闘争と大企業独占反対の生活経済闘争は相互に補完するものである。

真の普通選挙は香港市民による現状変革のツールの一つであり、われわれは積極的にこのツールを手にしなければならない。同時に「われわれの生活はいかなる抑圧に直面し、その抑圧は何故に生み出されているのか?もし市民派候補者が実現するのなら、われわれはいかなる政治的手段で理想的な生活を保障し実現するのか?」について検討し討論することが極めて重要である。

大規模な大衆集会で最も貴重なのは、異なる業種、異なる居住区の人々が遭遇するチャンスをつくりだすことである。われわれは街頭で民主的政治制度を実現しようと奮闘する市民の皆さんに、みなさんの周囲の10~20人を一つの単位としたグループをつくることを呼びかけたい。そしてそこで、真の普通選挙というツールの実現のだけでなく、理想的な民主主義にはどのような実質的な内容が含まれるのか、われわれが考える真の民衆のための政府は物価高騰、低賃金と長時間労働、家賃高騰などの問題をいかに解決するのか、いかにして民主主義を経済生活のなかで実現するのかなどについて、討論することを呼びかけたい。

人民による積極的な討論を通じたコンセンサスの形成こそが、民主主義を選挙の時だけのものに限定させず、真の民主的生活を実現させることができるのである。

2014年9月29日 午前3時

【香港】民主主義を蔑ろにする中国政府の決定

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2017年の香港特区首長の選挙について、中国の国会にあたる全国人民代表大会は、完全普通選挙(立候補の自由を含む)の実施を求める香港市民の声を無視する内容の「決議」を発表した。

香港のラディカル民主派は、中国政府の回答如何によっては、大衆的なオキュパイ(占拠)戦術で、中国政府・香港政府に選挙案の変更を迫る闘争を公然と議論し、また社会的にも呼びかけてきた。

運動側はアジアの金融マーケットの中心のひとつである香港の中環(セントラル)地区を大衆的にオキュパイすることを呼びかけてる。


以下は、オキュパイ闘争を主張する団体の一つ、左翼21の声明。(原文はこちら

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民意を無視し、選別選挙に固執し、
産業界エリートの利益を擁護するとは恥を知れ!

2017年の特区首長選挙についての中国全人代「決議」を譴責する声明


2014年8月31日、中国人民代表大会[中国の国会]は次期の立法会および特区首長[香港議会と香港行政府のトップ]の選挙についての「決議」をおこなった。決議によると2017年の特区首長選挙の候補者は1200人で構成される指名委員会の過半数の賛成が必要であり、候補者は2ないし3人に限られるという。これは本年6月10日に中国国務院[中国の内閣]が発表した「一国二制度白書」、7月2日の市民的不服従への暴力的弾圧、8月17日にカネで市民を動員した「オキュパイ・セントラル反対デモ」につづき、市民の立候補権と一人一票で特区首長を選出するという香港市民の願いを無視するものである。

権力エリートが独占する選挙委員会


人民代表大会の「決議」では、指名委員会は現在の選挙委員会の枠組みをつかい、1200人を四つの業界別に分けて組織されるという。1200人の産業金融界の経営者、宗教指導者、専門職団体代表、政界から選ばれる指名委員会はなんら代表性がなく、その構成は政財界の利益に著しく偏ったものであることは言うに及ばない。とくに1200人の選挙委員のなかで、労働組合に割り当てられるのはたった60人だけであり、経営者の代表らとの完全なアンバランスに、われわれは留意せざるを得ない。このような「決議」は香港全土の386万人の勤労者をまったく顧みることもないのだ!

資本に肩入れし庶民を軽視する香港基本法


人民代表大会は、この「決議」は「香港基本法」に従って作られたと述べている。それが事実かどうかに関係なく、「基本法」そのものがすでに問題だらけのしろものなのである。まず、このいわゆる「憲法」は全民衆のコンセンサスではなく、59名の委員によって起草され、180名の委任委員がわずか2回の市民説明会を開いただけで作成したものである。それは香港人の利益を代表するものとはとても言えない。さらに重要なことは「基本法」の多くの条文が、資本の利益に触れる一方で、庶民の生活を軽視するという本質をもっていることである。いままさに、香港市民は基本法によって被害を受けているのである。

「基本法」第107条では、財政予算の「収支均衡」を要求しており、108条では「低税率政策」が確立されている。今日の香港では、役人らがこの条文を濫用して民生福祉政策に災厄をもたらしていることをわれわれは嫌という程みてきた。低税率政策によって政府は慢性的な収入不足にあり、土地不動産売却によって収入を補っているが、それは不動産業界の影響力を大きくした。「収支均衡」の原則は十分な社会保障政策の実現を困難にしており、以前より深刻であった貧富の格差をさらに拡大させている。


法律は不変ではないし、必要に応じて進化させなければならない。民意に逆らい、民情を害する法律は決して法治ではなく、悪法の乱用である!


権力エリートのための国家安全


「白書」の発表以降、中国共産党の役人が、普通選挙と「国家安全」をこじ付け的に結び付け、「外国勢力による国家転覆」を繰り返し叫んでいる意味は、香港での普通選挙は容認しないということである。われわれは、この種のセリフは中国共産党が異論派にレッテルをはり弾圧するための官僚的常套句であることをよく知っているが、一方で、このいわゆる「国家安全」が、人民の安穏した生活を指すのではなく、党官僚ビジネスエリートたちがこれからも政治と経済の権力を独占し続けることを指していることを指摘しなければならない。


今日の中国が各種の問題にあふれかえっていることを我々は知っている。工場での劣悪な安全衛生によって引き起こされる労災、都市部の大気と水の汚染の深刻化、危険な食品や手抜き工事による事故などが絶え間なく続いている。このような状況において、人びとはストライキ権、知る権利、言論の自由が剥奪され、どんな異論も厳しく弾圧され、ひいては違法に拘束されてしまう。このような社会において「国家安全」を語ることなどできるだろうか?民衆の危機感に訴える言語詐術は、すぐに自らに跳ね返ってくるだろう。


全民衆の不服従的闘争は猶予ならず


中国共産党政府の強硬な態度に直面し、われわれは落胆、失望、恐れなどを抱いて支配者に付け入るすきを与えてはならない。香港市民は、交渉による打開という幻想を捨てなければならない。いまこそオキュパイ・セントラルという直接行動によって香港の政治経済の中心をマヒさせ、政府が民意に応えるように、民衆を説得し、組織化し、動員するときである。


88年の(部分的)直接選挙実施以来、香港市民は真の普通選挙を勝ち取るために26年間もたたかいを続けてきた。人民代表大会が香港の命運を「鶴の一声」で決めようとする事態を転換させ、権力エリートの独裁と人民抑圧という現状を変革させるために、われわれは幾重にも続く不服従の闘争に、さらに多くの市民の参加をかちとり、長年奪われてきた基本的権利を実現するとともに、社会の各領域における民主化を推進し、人民が権力を握るべく奮闘しなければならない!


左翼21
2014年9月1日

香港のあり方をめぐる右翼と左翼:『香港ポリス論』批判

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【解説】 1997年7月の香港返還以降、政治・経済における中国政府の影響力が増していることに香港市民は常に敏感に反応してきた。近年では2003年に締結され、その後何度も拡大緩和されてきた中国・香港間の経済連携協定によって、モノやサービスの貿易だけでなく、大陸からの香港への個人旅行の解禁などを含む人の移動が香港社会にさまざまな影響を及ぼしている。最近では中国からの投機マネーによる香港不動産のバブルにともなう物価上昇、香港で出生した子には香港の永住権が取得できるという最高裁の判決によって多数の中国人妊産婦が香港に押し寄せるなど、香港では「嫌中」デマゴギーが社会に広まりつつある。香港嶺南大学の陳雲が昨年11月に出版した『香港ポリス論』では、このような「嫌中」世論に便乗する形で、香港の自治権の更なる拡大を訴えた。中国の民主化ではなく、中国から独立したポリス(ギリシャ語の都市国家)としての香港を目指すことで香港の自治権を守ること訴えた『香港ポリス論』は香港市民にも一定程度浸透している。以下は香港の左翼アクティビストのネットワーク「左翼21」が1月29日に主催した青年キャンプでの発言をもとに書かれた報告。香港・先駆社のウェブサイトより訳出した。小見出しは訳者がつけた。(H)



香港のあり方をめぐる右翼と左翼:『香港ポリス論』批判

区龍宇

◎ 意識的な排外主義には意識的に対抗すべし

孔慶東(訳注:北京大学の教授、悪口で知られる)が「一部の」香港人は(殖民主義者の)イヌだ、と口汚く罵った事件をはじめ、その他一連の事件は、中国と香港のインターネット上で熾烈な議論に発展した。同地域の人間すべてが悪人であるかのような考えには当然のごとく反対である。「香港人はイヌだ」であろうと「中国人こそイナゴだ」であろうと(訳注:先の孔慶東の発言に対して、香港のインターネット上では、大陸から香港にやってくるパワフルな中国人らを揶揄したこのような応酬があった)、あるいは陳雲のように、中国大陸の人々はすべて「全体主義政府を信奉している」とか中国からの新移民はすべて「中国共産党思想に汚染された人」(原注1)という考えはすべて、事実無根あるいは科学的根拠のない主張であり、純粋な差別思想に他ならない。

だが庶民が一時的にそういった感情を持ったとしても、持続はしないし、その影響もそう深刻なものにはならない。そのような考えに対しては批判すべきだが、厳しく批判するほどのことでもないだろう。われわれは、そのような主張をする庶民に対しては、批判すべきは不当な行為そのものに対してであり、人そのものへの批判をすべきではないし、ましてやその地域すべての人をひとまとめに考えるべきでない、と指摘すればいいだけである。


しかし陳雲のように意識的、そして綱領的に中国からの新移民を排斥する主張に対しては異なる対応が必要である。彼は「中国の人間は公民・民主主義の意識に欠ける」から「中国が急速に民主化すれば、ファシスト軍国主義に突入する可能性があり、香港を蹂躙し絞め殺すかもしれない」(原注2)と考えている。このような差別的な考えが、「香港の自治権擁護」という外套に包まれて主張されているのである。だからこそとりわけ真剣に向き合わなければならないのである。


◎ すべての中国人が全体主義の政府を信奉している?


陳雲はすべての中国人が「全体主義の政府を信奉している」と主張しているが、まずこれが事実ではない。この様な主張に対しては、中国共産党の独裁に対して中国では誰も抵抗したことはないのか、民主主義のために闘ってきた人はいないのか、と問いたださなければならない。

もしそういう事例があるのであれば、民主主義を求める闘いが勝利したか否かに関わらず、陳雲の主張の前提が根本的に誤っていることが証明される。陳雲は1989年の壮烈な民主化運動を完全に忘れている。自分自身も積極的に支持していたにも関わらず、である。269頁に及ぶ彼の著書のなかで、89年民主化運動に言及した箇所はほとんどないが、それは偶然ではなく、意図的に歴史を無視しているからだろう。


中国人はすべて「全体主義の政府を信奉している」とさげすんでいるこの著書に果たしてどれほどの学術的あるいは政治的価値があるのかは推して知るべしである。89年民主化運動が敗北してから現在までの20年間、民主化を求める声は押さえつけられてはきたが、それは大敗北の後の消沈状態なのであって、中国の民衆が本質的に民主化を追求しなくなったということでは全くない。(原注3)

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【香港】行政長官選挙結果に対する声明

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▲開票場前で抗議する香港市民

3月25日、香港行政のトップである行政長官選挙で親中派の梁振英が選出された。投票権を有するのは、選挙委員1200人のみで、今回投票したのは1132人。梁は当選に必要な過半数を上回る689票を得た。

同じ親中派で途中まで本命と見られていた香港行政のナンバー2の政務長官、唐英年は285票にとどまった。当初は唐候補の当選が確実視されていたが、過去のスキャンダルが噴出。「香港人による香港統治」を掲げる中国共産党にとって香港市民から嫌悪される候補者の当選は望ましくないという判断から、共産党が梁候補にてこ入れしたとも言われている。直接選挙を主張する民主党の何俊仁主席も立候補したが76票にとどまった。


行政長官の任期は五年。業界団体などから選ばれた1200人の選挙委員会の投票で過半数を得た候補者が選出される。行政長官選挙への立候補には、この選挙委員会メンバー150人の推薦が必要。行政長官は選挙委員会による間接選挙といわれるが、業界によって選挙委員会選挙の一票の格差の開きは大きく、産業界、金融界、そして親中派に有利な結果になるという批判がある。行政長官は中国全人代常務委員会の批准で任命・罷免される。


中国全人代は2017年の選挙で行政長官の直接選挙に言及している。直接選挙の早期実施について、民主党は将来的直接選挙が実現するよう中国政府から確約をとるという立場に後退した。


よりラディカルな民主派は、いますぐにでも直接選挙を実施すべきという立場。現行の行政長官の選出方法は間接選挙ともいいがたい、一部の利害関係者のみが参加する「内輪」の似非選挙であると批判し、投票ボイコットを選挙委員に呼びかけると共に、市民に対して抗議やデモなどの行動を呼びかけた。数千人の市民らが開票会場での抗議行動やデモに参加した。


23日、24日に香港大学が実施したインターネットなどを使った模擬投票では香港市民22万2990人が投票し、得票率は梁振英候補17.8%、唐英年16.3%、何俊仁11.4%で拮抗したが、54・6%もの投票者は「白票」を投じ、「内輪」選挙の結果と実際の市民らの意識との隔たりを浮き彫りにした。


以下は、香港の左翼ネットワークである左翼21の声明の翻訳。(H)



経済的平等を実現しよう!直接選挙を実施せよ!
香港行政長官選挙結果に対する声明


左翼21 2012年3月25日 
原文 


今日、「内輪」の選挙という批判のなか、梁振英が行政長官に選出された。誰が当選したとしても、この選挙は人々が参加することのできる真の選挙などではない。このような選挙は、最初から最後まで、特権階級のドタバタ劇に過ぎないからだ。


いわゆる「唐梁の争い」といわれる今回の選挙だが、両氏は異なる利害にあるそれぞれの資本家グループを代表しているに過ぎず、どちらも労働者民衆からの搾取によって成立している。それゆえどちらか一方の勝利に歓喜の声をあげることがあってはならないし、当選後には労働者民衆の利益となる政治を行うと期待することなど論外である。両候補者は、この醜悪なドタバタ劇に出演し相互に攻撃しあっているが、自らの利益集団に少しでも多くの分け前を確保することだけが目的であり、700万香港市民の未来は脇へ追いやられている。我々の頭上にのしかかる権力は、彼らのうちのどちらが当選したところで消え去るものではない。


当選した候補の選挙公約に対する不釣合いなまでの幻想をおしまいにする時がきた。労働時間規制には全く触れることなく、また長年社会的論争のあった団体交渉権についてもその影さえ見い出すことはできない。次期行政長官は労働者人民に対して何ら公約を提示せず、口約束をする勇気すらなかったことを見ておくべきだろう。滑稽なことに、梁振英は当選の見込みが高まったとみると、立法会選挙(日本の国会選挙に相当)における法人票の廃止など、進歩的と見られた一部の公約を取り消した。誠実さをアピールしてきた唐英年も自宅違法建築疑惑でデタラメが明らかになった。風見鶏と化したエリート権力者と親中派の醜悪な振る舞いからも、この一部の利害関係者だけが参加できる似非選挙が、まさに中国共産党独裁政権に尻尾を振るこれら恥知らずどものために設定されたものだということは明らかである。


この数ヶ月の間、主流メディアは市民を対象に支持率の調査を実施してきた。しかし、一部の利害関係者らだけが投票できる選挙の支持率のアンケートなど、似非選挙の実態を覆い隠すイメージ作り以外に何ら実質的な意味はない。さらに問題なのは、一部の権力エリートたちは、候補者が市民から高く支持されているというイメージ戦略にこの調査結果を利用していることだ。その目的は特権支配の合法性を維持強化するためである。われわれは、このような民意調査やそれを悪用することに批判し警戒しなければならない。


われわれは、人は生まれながらにして平等であり、経済的地位や職業の違いによって政治的権利に差別があってはならないと考える。似非選挙の問題点は、資本家や業界人だけに投票権があるとものだ。これは下層民衆へのあからさまな差別であり、プロレタリアートを二等公民と見なすものだ。この様な不公正は終わらせなければならない!


一点、言っておくべきことは、われわれの直接選挙という要求はひとつの前提に過ぎない。直接選挙によって平等な社会がすぐにでも実現するとは思っていない。経済的な平等が実現できなければ、政治権力の平等は絵に描いた餅だからだ。世界各地のブルジョア民主国家で巻き起こったオキュパイ運動は、ブルジョア民主主義では富の再分配を保障することもできず、貪欲な資本家を抑制することさえもできないことを明らかにした。財閥政治のもとで、政府の政策は大資本によって操られ、政権はブルジョアジーの玩具と化している。それゆえ、われわれは直接選挙だけでなく、経済制度の根本的な変革を追求しなければならない。政治的な民主主義を実現するとともに、労働者階級を搾取する経済制度を廃止することがわれわれの理念である。


この恥ずべき選挙の結果は、これからの未来の一連の闘争の開始を指し示しすものである。香港の特権エリートによる抑圧はますます激しくなり、政治的弾圧も続くだろう。だが生ある限り屈服はしない。政治弾圧の風雨はわれわれの勇気を奮い立たせるだけである。奴隷か解放か、独裁か自由か、われわれは二つに一つの選択を迫られている。われわれの身は、中国共産党独裁政権と香港の権力エリートが押しつけた鉄鎖に縛られている。それはわれわれ自らの力で打ち砕くしかないのだ!


経済的平等を実現しよう!直接選挙を実施せよ!すべての権力を人民に!

10・15香港~金融センターを占拠せよ!



10月15日、アジアの金融センターのひとつである香港でもウォール街をはじめ世界各地で取り組まれた占拠アクションに呼応する取り組み「占領中環」(中環を占拠せよ)が行われた。「中環」は内外の金融機関が集まる香港のビジネス地区の中心。「占領中環」アクションは、香港証券取引所や日本領事館などがある「中環交易スクエア」とオフィスやショッピングモールの複合施設である「国際金融センター」の間の広場で行われた。


左翼21、リーマンブラザーズ投資家被害者連盟、コミュニティメディアのFM101、中文大学左翼学会、反核連盟、社会民主連盟、街坊工友服務センター、人民力量、大学人による企業監視アクション、社会主義行動などが呼びかけた。


左翼21は、第二証券取引所の入り口に「占領中環」と「反資本主義」の横断幕とテントを広げた。その他の団体もさまざまなスローガンを掲げて「中環占拠」に取り組んだ。


参加団体から金融資本が支配する社会を批判する発言が相次いだ。反核連盟のメンバーは、原発産業は核兵器産業から派生したものでありともに多国籍企業のビジネスと化している、国家だけでなく国連までをも巻き込んだ巨大ビジネスであり、それらのシンジゲートが決める被曝基準は安全や科学とは程遠い、ビジネス中心の基準であり、日本政府の福島原発事故後の対応を見ればそれは明らかだと厳しく批判した。


その後も全体行動終了の夕方までさまざまな発言やパフォーマンスがつづき、参加者全員で上海香港銀行(HSBC)までデモを行い、デモ解散地点でさらに集会が続いた。10月17日の月曜日時点でもこの場所での座り込みは続いている。(H)


以下は、左翼21に参加する香港・先駆社の同志による「占領中環」アクションでの発言。

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私たちが占領すべきは何なのか
「占領中環」集会での香港・先駆社の同志の発言
2011年10月15日


2011-10-15B


ニューヨークのウォール街占拠は、金融資本に反対する大衆的行動として世界各地に広がり、現代資本主義制度の本質を人々の前に明らかにしています。

現代資本主義の本質とはなんでしょうか? 私たちの後ろにあるセントラル取引所スクエアを見てください! 毎日2兆ドル(!)ものマネーが24時間絶えず国際金融市場で取引されています。そのうち、モノや労働力の売買といった、まともな経済活動はわずか1%だけです。その他はまるまる投機活動なのです。多くの社会的資本がごく一部の大企業に握られています。かれらはその富を、生産活動にではなく、ますます金融投機に振り向け、マネーがマネーを生むビジネスに賭けているのです。やれ外為だ、いやデリバディブだ、ファンドだ、サブプライム等々、まだまだあります。金融投機がこれまでになく想像を絶するほどの規模に膨れ上がる一方で、生産的な活動や医療、教育、社会福祉などの事業は活力を失い縮小する一方です。

グローバル資本主義はすでに巨大なカジノと化しています。「カジノ資本主義」になっているのです。それは普通のカジノよりもさらに悪質で恐ろしいものです。もしカジノでスったとしても、せいぜいフクロにされるか、家族に害が及ぶくらいが関の山でしょう。しかしこの「カジノ資本主義」は、賭けに参加していない普通の人々に被害を及ぼし、賃下げやリストラを強制し、苦労して支払ってきた年金などの基金の大半をあっという間にスッカラカンにしてしまうからです。


いったいこれはどういった災いなのでしょうか。それは、金融独占の時代における資本主義の腐朽性と反動性にまで発展したものに他なりません。もちろん資本主義が必然的に貧富の格差と環境破壊を引き起こすことはいうまでもありません。資本主義はすでに恐ろしい悪魔になってしまったのです。それを更正することができるなどと、いまだに信じることができるでしょうか。それは消滅させなければ、プロレタリア民衆に前途はないのです。


もちろん私たちは、労働時間の短縮、賃金引上げ、社会保障制度の設計など、部分的な改良を勝ち取ることも必要です。これらの要求は当然であり、プロレタリア民衆の切迫した要求だからです。しかし、資本主義制度が依然として維持されており、1%のブルジョア階級が権力を独占している状態では、これらの改良政策の全面的で実質的な実現は不可能なのです。1%の特権集団による政治経済領域における独裁をひっくり返し、プロレタリア民衆のための民主的政府を建設することではじめて、民衆のための各種の社会改革の全面的実現が可能になるのです。


確かに、私たちはセントラルを占領し、ウォール街を占領し、金融独占資本主義の象徴的空間の一切を占領しなければなりません。しかし、そこは本当に進駐すべき場所ではないのです。では何処を占領しなければならないのでしょうか。われわれが占領すべきはブルジョア階級が独占する政治権力と経済権力なのです。プロレタリア民衆が主人にならなければならないのです!


今日の世界同時的な抵抗アクションは「Global Revolution」と呼ばれています。これは非常にメッセージ性のあるスローガンです。資本主義がグローバル化しているのであれば、反資本主義運動もグローバル化しなければなりません。革命もグローバル化しなければなりません。革命がふたたび日程に上る日が来たのです。しかし革命はそう簡単に実現できるものではありません。なぜでしょうか?


私たちが集会でよく歌う「インターナショナル」には、次のような歌詞があります。「思想を監獄から解放せよ」という歌詞です[中国語バージョンの歌詞:訳注]。そうです!もし私たち自身の思想革命がなければ、つまり革命的意識がなければ、多くの勇敢な大衆運動が起こったとしても、それは袋小路に入り込み、成果をあげることはできないでしょう。ひどい場合には惨敗することにもなるでしょう。


もし我々が資本主義思想の監獄に囚われたまま、「パイを大きくすれば分け前も多くなる」などの主張を信じ続けたり、法人税の引き下げや福祉削減や自由市場を信じ続けたり、あるいは「福祉国家」の改良政策の再来によって貧富の格差を縮小させ公平な社会を実現できると信じていていいのでしょうか。徹底してそのような幻想を放棄することなしには、反資本主義のグローバル革命を実現することはできないでしょう。今日、私たちのセントラル座り込みは、資本主義制度の問題点を検証し、資本主義をのり超える可能性と必要性、そしてそれに代わる社会制度についての討論を始めなければなりません。


2011-10-15

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