虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

香港

フォト報告:7・1 55万人デモ~香港のことは香港人が決める!中国政府の統制下の香港NO!との圧倒的民意

「週刊かけはし」2019年7月15日号の、7月7日付の沖縄報告に掲載されている「7・1 55万人デモ
 香港のことは香港人が決める! 中国政府の統制下の香港NO!との圧倒的民意」の写真を掲載する。紙面に使われた写真は、そのごく一部にすぎない。(H)

①2019.7.1 香港の日刊紙「蘋果日報(アップルデイリー)」の紙面。一面に6.9の100万人デモ、6.16の200万人デモの写真と共に、「悪法未撤回、林鄭未退陣」の見出しがある。
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②2019.7.1 香港の日刊紙「蘋果日報(アップルデイリー)」が出した特集版の中の6.9デモの写真。103万人の香港人が決起し、白服姿の良識ある人海だと伝えている。
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③2019.7.1 香港。容疑者引き渡し条例の改正案に反対して行われた大デモ。55万人参加。デモを呼び掛ける横断幕。悪法の撤回と香港行政長官の林鄭退陣を求める。
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④2019.7.1 香港。容疑者引き渡し条例の改正案に反対して行われた大デモ。55万人参加。前日はがされたが一晩で元通りになったステッカー類。その横に救対班のテント。
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⑤2019.7.1 香港。容疑者引き渡し条例の改正案に反対して行われた大デモ。55万人参加。デモ行進の道路わきに設置された様々な団体のブース。
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⑥2019.7.1 香港。容疑者引き渡し条例の改正案に反対して行われた大デモ。55万人参加。デモの先頭の宣伝カーとマイクで呼びかける青年。
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⑦2019.7.1 香港。容疑者引き渡し条例の改正案に反対して行われた大デモ。55万人参加。道路はプラカードを手に行進する人々であふれかえった。
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⑧2019.7.1 香港。容疑者引き渡し条例の改正案に反対して行われた大デモ。55万人参加。中央分離帯をはさんで両側の道路が皆行進コース。
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⑨2019.7.1 香港。容疑者引き渡し条例の改正案に反対して行われた大デモ。55万人参加。「大専同志行動」というLGBTIQA+の学生団体の横断幕「すべての権力を人民へ」
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⑩2019.7.1 香港。容疑者引き渡し条例の改正案に反対して行われた大デモ。55万人参加。女性が手にしていたプラカード。写真を撮らせてと言ったら顔を隠した。
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香港:回帰を慶び、専制に反対し、民主化を勝ち取る6・30宣言(1997年)

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▲1997年6月30日から7月1日にかけての香港返還闘争にたちあがる先駆社の仲間たち

【解説】7月1日、香港はイギリスから中国に返還されて20年を迎える。一向に進展しない民主化、そしてますます強まる中国政府の影響力。中国国内での民主化の厳しい停滞のなかで、香港一都市のみの民主化の進展はありえないだろう。「50年不変」「一国二制度」など中国政府の約束の欺まんについては『香港雨傘運動』などを参照して欲しい。以下は20年前の香港返還直前に香港のマルクス主義グループ、先駆社が発した宣言である。香港議会と行政長官選挙における全面的普通選挙の実施は2014年秋の雨傘運動にも通底するが、植民地時代の限定的権限しか持たない香港議会の変革なしに一人一票の普通選挙を実現したとしても限界があることから、全権普通選挙にもとづいた香港人民代表大会の招集を訴えている。これは雨傘運動のメインストリームでは主張されてこなかった。また雨傘運動につづいて登場した民主自決派の主張を先取りする自決権を以下の生命で主張していることなどに注目して欲しい。(早野)


【1997年】回帰を慶び、専制に反対し、民主化を勝ち取る6・30宣言

先驅社


植民地に陥ること150余年、香港はついに中国に回帰することになった。中国ははやくに香港割譲時の専制王朝支配を終え、40数年まえに人民民主主義を標榜する共和国となった。理に照らせば、香港が人民中国に回帰する日は、香港人が[植民地支配から抜けだして]社会の主人公となる日である。だが実際には、中国政府のお手盛りで制定された特区基本法は、官僚と大資本家の永久的支配を香港人が受け入れるよう強制している。イギリス植民地政府がその末期に迫られて実施したいくつかの政治的改良政策さえも、中国の支配者はそれを元に戻そうとしている。

民選の三級議会は一律に解散させられ、欽定の臨時立法会(これは基本法にさえ法的根拠を見出すことができない)がそれに取って代わった。近年享受してきた結社の自由とデモの自由も廃止されようとしており、新たに審査権[許可制]を制定しようとしている。報道の自由と言論の自由について、中国官僚はこれまでも何度も制限を加えると宣言してきた。これら一切の兆候は、香港人の自由と民主的権利が中国への回帰ののちに、さらなる脅威にさらされるということである。自由と民主的権利はいったん喪失すると、経済上の困難を打破することも難しくなる。

それゆえ、われわれは祖国への回帰という大いなる日々のなかで、市民大衆がたんに回帰を慶ぶだけでは不足だと考える。われわれは団結して、専制と悪法に反対し、自由を防衛し、民主化と社会的福祉をかちとる決心を示すべきである。

専制と悪法に反対し、人民の自由を侵害し、社会的不平等を温存させる一切の法律は廃止せよ。

民衆の生活レベルを保障せよ。最低賃金法を制定しなければならない。基本給はすくなくとも毎年のインフレ指数にそって上昇させなければならない。

大資本による住宅の独占を打破し、民衆の利益に奉仕する住宅や土地政策を実施せよ。

人民の就業権を保障せよ。この目的を達成するために、政府は公共事業と効果的な職業訓練を実施すべきである。賃金を維持したまま週の労働時間を40時間に短縮する法律を制定しなければならない。

香港人代表大会を招集し、真に民主自治の香港基本法を再制定せよ。香港の政治制度、社会経済制度および種々の重大問題については香港人代表大会によって決定されなければならない。

一人一票の平等の普通選挙制度を実現せよ。自由な立候補と自由な選挙。職能別選挙区の廃止。委任議員の廃止。行政長官を普通選挙で選出し、中央政府の任命は不要とせよ。

香港人と大陸住民は団結し、国家主権の人民にとりもどし、一党独裁の廃止のために闘おう。人民は、各種の大衆団体と政党を結成する十分な政治的自由を必要としている。

人民には為政者を打倒を主張する権利がある。為政者は人民の公僕とならなければならない。為政者打倒の主張を禁ずるということは、為政者が専制の帝王となることと同じであり、共和制の理念は裏切られるだろう。

民主的権利には、民族自決権と地域的な住民自決権が含まれる。この種の自決権を否定し、ある民族あるいは一つの地区の住民が一つの国家への帰属を強制されるのであれば、それは実際にはかれらに対する征服であり、かれらに対する抑圧である。強制的な統一は衝突を生み出し、最終的には分裂にまでいたる可能性がある。ただ自発的で平等な連合こそが良い結果を生むのである。

民衆組織(政治団体を含む)は、支援金の受取りを含む外国の民衆組織と連絡を確立する権利を有する。政府、政権党、資本家はみな外国と連絡をとり、外資を受け入れる権利があるのだから、民衆組織が同様の権利を享受することを禁止する理由はないはずである。外国との連絡の確立は外国勢力の支配を受けることと同義ではないし、さらには売国などですらない。民衆組織の対外連絡を禁止することは官僚独裁を助長するだけであり、中国と外国の支配者が結託して人民を抑圧することを利するだけである。

香港と中国全土の経済政策は民衆生活の保障と改善を第一原則とすべきである。社会経済の最高管理権は人民大衆に映すべきである。すべての国有企業において民主的管理を実施し、民営化に反対する。

文化事業は国家の支援を受けつつも自由に発展させるべきであり、官僚が文化活動の中身に干渉することに反対する。

人民こそが主人公にならなければならない!民衆の福祉は最後まで徹底してたたかう民衆自身によってのみ実現し防衛するができる!

1997年6月30日
(5月1日起草)

【香港】 「六七暴動」をどう規定すべきか

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文革や「六七暴動」は、表面的には極左的一面もあったが、その本質の大半は極右である。文革のスローガンには「一切を否定せよ」というものがあったが、毛主席の絶対的権威は、その「一切」には含まれず、逆にその絶対的権威をさらに神格化し、中国共産党政権を神権国家へと変えてしまったのである。これは極左ではなく極右である ――― 區龍宇

 

「六七暴動」とは1967年7月から11月まで、香港の中国共産党組織が発動した英植民地政府反対運動。中国で始まっていた文化大革命の影響を受け、それは爆弾闘争として展開された。闘争期間中に1167発の爆弾が町中に設置され、15人(警官2名、イギリス軍人1名、年少の姉弟をふくむ市民12名)が犠牲になった。このようなかつての武装闘争を「極左のなせる業」とする元共産党系新聞社の記者で、現在はリベラル派のジャーナリストがウェブマガジンに掲載した長文の論文に対して、『香港雨傘運動 プロレタリア民主派の政治論集』の著者である區龍宇氏が、批判する論文を書いた。區氏は、武装闘争を指導した中国共産党のスタイルは極左というよりも、国家主義を個人主義にまで高めた点でいえば極右のスタイルにより近いものであり、毛沢東時代を「極左」と規定することは、その後の鄧小平時代から現在に至る中共の立場を客観的に擁護することになると指摘する。雨傘運動の前後から登場した極右排外主義もまた、反共・反中国ではあるが、中国共産党の極右主義と共通する部分も多いと指摘する。原文は「無國界社運 Borderless movement」より。著者からの指摘で冒頭に若干の補足を加えている。訳注は[ ]および※で示した。(H)


 

「六七暴動」をどう規定すべきか


2017
515

 

區龍宇

 

「六七暴動」という北京政府の鼓舞によって発動され、人民をペテンにかけたエセ蜂起の亡霊が、いまふたたび首をもたげようとしている。だがかつては中共支持者で、その後苦難の人生を歩んできたと考えている程翔[原注1](※)は、「六七暴動」に関する長文のなかで、「六七暴動」は赤色テロであると論証している。

 

香港では、いまだスターリンや毛沢東の本質を理解できずに、真の左翼と偽物の左翼の違い、左翼と右翼の違いも理解できておらず、それゆえに暴動の亡霊が再臨しつつあるいまにいたっても、「熱血公民」という極右排外主義者の本質を理解できずにいるのである。

 

程翔は、そのような主張が、客観的には中共の免罪に手を貸すことになることを理解していない。

 

※程翔:香港の中国政府系日刊新聞の元記者で89年天安門事件に抗議して辞職、2005年に中国滞在中にスパイ容疑で逮捕され5年の実刑判決を受けたが08年に保釈。

 

● 白色テロなき赤色テロ

 

白色テロは、簡略化を厭わず言えば、支配階級が自らに抵抗する反対派にたいして法的範囲の内外で行う暴力的攻撃のことである。赤色テロとは、反対派に対する白色テロにたいする実力的反撃である。この種の決死の闘争がヒートアップし続けると、それは往々にして内戦となり、その際に暴力が濫用されることは避けがたい。

 

国民党と共産党の闘争を例に見てみよう。1925年に中国の第二次革命が勃発した。当初は国共が協力して北伐を進めたが、1927年に[国民党の]蒋介石が共産党にたいする弾圧を行い、上海では多くの共産党員が殺害された。その後も国民党は共産党討伐を進めてあっというまにファシスト化していった。他方、中国共産党はスターリンの指導のもと、第二次革命があきらかに敗北したにもかかわらず、それを認めようとせず、1927年に広州と南昌で暴動[武装蜂起]を実行した。暴動は惨敗し、湖南省共産党委員会は敵軍[国民党]の湘南[湖南省南部]への南下を阻止するために、街道沿いの十里四方の村落を焼き打ちさえしたのである!後に、中国共産党の歴史家でさえも、これによって当初は共産党にたいする反感をもっていなかった人々が共産党に反対するようになったことを認めている[原注2]。このような赤色テロは、その後もおりにつけ再演された。毛沢東は白色テロへの反撃にかこつけて、多くの無実の同志を殺害した。これがいわゆる富田事変である。

 

中共の「赤色テロ」には擁護しがたい面もあったが、しかしそれは白色テロにたいする抵抗という状況下での応答だったのである。もちろんそれは不正確な応答ではあったのだが。だがもし「六七暴動」が赤色テロだというのであれば、白色テロはどこに存在していたのだろうか。67年5月、イギリス植民地政府は人造プラスチック工場のスト労働者を弾圧した。これは労働者の権利を侵害する事件である。だがこれは白色テロとは言えない。白色テロが存在しないのに、香港共産党みずから「赤色テロ」を作り出した。なんら正当な理由のない武装闘争であり、まったくのでたらめと児戯であり、どうりでのちに中共自身が「あれは間違いだった」と認めたわけである。

 

● 香港共産党官僚の保身のために

 

香港共産党はなぜこのようなでたらめを行ったのか。それは偉大な毛主席が「プロレタリア文化大革命」というでたらめを行ったからである。「六七暴動」は文革という大状況下の産物にすぎない。しかも「プロレタリア文化大革命」という名称自体、一語一語すべてにおいて間違っているのである。まず、これは革命ではない。そして、このエセ革命を主導したのはプロレタリアートではなく官僚集団の最高指導者である。さらに、内容も文化革命とはまったくの無縁で、毛主席の言いつけをしっかりと守れない部下を打倒することが目的であり、その過程で20世紀の焚書坑儒が行われ、官僚独裁の妨げになる文化一切を殲滅してしまったのである。

 

このとき、中国大陸の最南端にあった香港共産党の最大の関心は「反植民地闘争」や「人民の利益」などではなく、いつなんどき最高指導者の紅衛兵の炎が自分たちを焼き殺すのか、ということにすぎなかったのである。自らの地位のために、香港共産党トップであった梁威林と祁烽は、ほんの小さなストライキを無限大にもちあげて、それを反英抵抗運動に祭り上げたのである。香港共産党の当事者である金尭如は回想録のなかでつぎのように述べている。

 

「香港新華社[香港における中国共産党の出先機関]はすでに紅衛兵の扇動的情緒に満ちていた。おおくの中下層幹部は……小字報[ビラ]で、香港の党組織の中に『走資派』がいないかどうかを香港新華社の指導部に問いただしていた。……新華社の実権派は……批判の矛先を他に向けて、自らの地位と権威を守ることだけを考えていた。もし香港やマカオで反帝反植民地闘争がおこれば、新華社内部の『革命大衆』は内部で造反することもなく、中央政府も幹部を北京に償還することもないだろうというわけである……」[原注3]

 

いまでも六七暴動を擁護する人が少なくない。植民地支配があまりに酷かったからというわけである。その通り、たしかに酷かった。ではなぜ中共はさっさとそのような酷い植民地から香港を回収しなかったのか?なぜ逆に香港の労働者にたいして「静かに解放を待て」と言い続けたのか? 実際、当時多くの香港の若者が植民地支配にがまんならず、「静かに解放を待て」ない状況だったのである。1966年のスターフェリー運賃の値上げ反対闘争で、蘇守忠[25歳の青年]が座り込み抗議を行い、それが幾千もの青年たちの抗議行動を促した。これは戦後の青年世代における反植民地闘争のさきがけとなった。だが当時の香港共産党はそれを支持しなかったばかりか、逆に敵視したのである。しかしまさかその一年後に、自己保身から自らも武闘派に転身し、爆弾で「黄色の皮の犬[地元警察官]」(と通りすがりの無辜の民)を爆殺することになろうとは思いもよらなかったのである。

 

● 反英闘争はカモフラージュ

 

第一段階(非暴力不服従段階)において、香港共産党が反英闘争を呼びかけたとき、影響下にあった民衆は断固としてそれを支持したし、影響下になかった普通の青年のなかでもそれを支持する人がいた。植民地政府は白色テロを行っていたわけではないが、腐敗と抑圧ははやくから民衆の怨嗟の対象となっていたのである。しかるに三罷業[労働者のストライキ、学生の授業ボイコット、商店主の同盟罷業]が成功せず、第二段階の爆弾闘争にグレードアップしたとき、周辺の支持はすぐに失われた。これは当然のことである。労働者民衆はかならずしも政治倫理と道徳学を学んでいるわけではないが、目的と手段はたがいにふさわしくなければならないことは、多少なりとも理解しているのである。なにゆえストライキのために爆弾を爆発させなければならないというのか。しかし、このときに香港共産党の影響下にある大衆は、死をかけてその指示に忠誠を示した。なぜなら香港共産党が「植民地政府が頭を垂れないのであれば最期までたたかう」というスローガンを提起したとき、大衆は中央政府が香港を回収するつもりだと受けとめ、そして死を賭して奮闘したのである。

 

だが、そもそも……そもそも中央政府は香港を回収する意図などはなから持っておらず、逆に、香港植民地統治の繁栄と安定を維持することを考えていたなどと、いったい誰が知っていただろうか!まさに中共によって大衆がいいように使われ、天気が変わるように方針が変わり、まったく信頼に足らず、自らの信頼と栄誉を損なっただけでなく、影響下にあった大衆に苦汁をなめさせ、さらに理想にたいする幻滅という悲劇をも押しつけたのである。この闘争ののち、香港共産党の大衆的基盤は失われた(それにともない香港の労働運動も犠牲になった)。その後、共産党は大衆的基盤を再建したが、それを成したのはかつてのような真に信念から生じる無私の精神をもった大衆ではなく、見返りや地位を求める愚民にとってかわったのである。

 

香港共産党の堕落の過程は、中共政権全体における同様の過程を反映したものにすぎない。かつての国民党、そしてその後の共産党は同じように被抑圧人民を代表する民主革命党としてスタートしたが、同じように新しい支配者、しかもファシスト型の独裁的支配党として変質した。「悪魔に反対すればするほど悪魔化する」(ミイラ取りがミイラになる)。共産党について言えば、この変質は1989年の六四天安門事件で完成した。文革はこの堕落の過程の中間段階にすぎなかった。

 

これによって、なぜ文革や六七暴動を「極左」と呼ぶこと、あるいは「六七暴動」の主要な教訓が「防左」(左翼から防衛する)の二文字(張家偉[原注4])だという主張が、どれほどミスリードであるかは明らかである。文革や「六七暴動」は、表面的には極左的一面もあったが、その本質の大半は極右である。文革のスローガンには「一切を否定せよ」というものがあったが、毛主席の絶対的権威は、その「一切」には含まれず、逆にその絶対的権威をさらに神格化し、中国共産党政権を神権国家へと変えてしまったのである。これは極左ではなく極右である。

 

● 左右もわからずどうして「防左」ができるのか

 

現代では「極左」とは、たんに極端、ひいては極端な暴力であると理解されている。それでは極右やファシストは極端ではないのか?暴力を用いないのか?両者の区別はどこにあるのか?1956年の国民党による暴動と1967年の香港共産党による暴動の質的違いはどこにあるのか? 極左を単に極端であるとのみ理解する認識では、そもそも左翼と右翼の歴史的脈絡をはっきりさせることなどできはしないのである。

 

いわゆる左派と右派の違いは、右派とは保守主義に属し、極右とは極端な保守主義のことである。なかでももっとも顕著な特徴を持つのは、絶対的権威主義であり、それは「上は賢く下は愚かで、それはずっと変わらない」という考えを絶対的に信じており、それが極端に発展したものこそ、神権国家である。この種の価値観は、支配階級の利益を表したものにすぎない。

 

それとは逆に、左翼はおおむね平民精神を主張し、民主主義、自由平等、富の再分配、世俗主義(非宗教)などによって表現される。それはまた被支配者の利益をいくらか代表している。

 

「極左」とは、これらの主張を極端に推し進めたもの、あるいはすぐに結果を求めようと直反応するものをいう。その傾向の一つは、下層大衆の抵抗の自然発生性を崇めるとともに党による指導に反対するというものである。大きな社会運動が出現するたびに、この種の思想もかならず登場してきた。雨傘運動においても例外ではなかった。無政府主義者においてこの傾向は最も突出していることから、往々にして極左派とされてきた。しかし「六七暴動」はこのような本来の意味での極左とは全く逆であったにもかかわらず、どうしてそれを「極左」といえるのか[原注5]。文革に至っては、大衆の自然発生的な要素もあったが、それは主要な要素ではなかった。文革は「毛主席みずから発動し、みずから指導した」[林彪が毛沢東を持ち上げて語った言葉]ということを忘れてはならない。

 

文革時期の中共には、ある種の極左的現象はあったが、本質的には極左とはいえない。逆に、まさに文革の開始のときから、極左的言辞に満ちていたにもかかわらず、実際には極右の歴史的軌道に乗っていたのである。なぜならその時点ですでに民主主義、平等的価値観、労働者人民の利益とは全く無縁であったからだ。なぜならそのときにすでに中共は抵抗者から支配者に、そしてさらに独裁政権から神権政権に堕落したからである。文革は毛沢東という大司祭が、自らの権力のために青年を利用して劉少奇や鄧小平を打倒し、さらに軍隊を使って青年を打倒することで、自らの神聖性の基礎を固めたものにすぎない。「六七暴動」はこの全くナンセンス劇のなかの一幕にすぎない。

 

極左はもとより悪いが、しかし極左と極右では、悪さの性質と方法に大きな違いがある。被害集団と利益集団にも違いがある。それゆえその対応方法もそれぞれ異なる。もし左右の違いを区別することもできないのであれば、極右であろうと極左であろうと、それからの被害を防ぎ、対峙することなどできないだろう。どちらかの側につく必要はないが、左右の基本的な国際政治の分類についての基本的認識もないままではすまされない。そのような認識を持てなければ、ペテンに陥ることははっきりとしている。「六七暴動」の際の熱血青年や雨傘運動の前後に現れた極右排外主義にたいして、香港の民主派の多くが「同伴者」だと考え、ついには雨傘運動におけるメインステージに対する攻撃(※)を甘んじて受けるに至ったのである。

 

※雨傘運動の後期、オキュパイの中心であった金鐘地区に民主派が設置した発言ステージをめぐり、極右派はその撤去を激しく主張した。

 

● なぜ独立思考が重要なのか

 

「六七暴動」からは確かに多くの教訓をくみ取ることができるが、労働者人民の立場にたてば、この教訓は単なる「防左」ではなく、いくつかのレベルにおいて真剣に検討すべきである。

 

1、雨傘運動以降も多くの人が「不正義に抵抗するすべての手段は正義である」と主張している。しかし「六七暴動」の教訓は、まさにこの主張の間違いを明らかにしている。手段はつねに効果的なもの、まったく効果のないもの、そして全く逆効果のものがあるにもかかわらず、「抵抗するすべての手段」を用いるなどどうして言えるのか。状況に合わせ、最大多数を団結させることができてこそ、良い手段なのである。そうでなければ扇動家に利用されるだけであり、あるいは「憎悪の連鎖」という落とし穴に陥るだけである。

 

2、民主化闘争は曲折した険難な道であり、直感だけに依拠することはできず、目標と路線の絶えざる思考が必要で、善悪の分別を認識し、独立した思考能力を養わなければならない。もしそのようにふるまうのではなく、口先だけで自分を信じるように大衆にもとめる政治的指導者がいるとしたら、それは扇動家であり、民主主義の教育家と実践家ではない。

 

3、「悪魔に反対すればするほど悪魔化する」という格言は、民主化運動に反対する思想的論拠にも悪用できる。つまり、労働者人民がたちあがって独裁政府に反対すれば、その結果、暴力の応酬となるだけであり、ひいては社会的後退を招き、得るものより失うものの方が多いので、おとなしい良民であるほうがましだ、という主張である。だがこのような考えも間違っている。それは客観的には、独裁政権に無関心でいるように人民に思考停止を求める主張だからである。民主的抵抗は必要であり、暴力の連鎖を防止する方法もある。

 

4、「悪魔に反対すればするほど悪魔化する」という状況は中国では一般的で、そうなるには多くの理由があるが、その理由の一つは、中国の歴史において革命はよく見られたことであるが、しかし易姓革命(政権交代)のほうが多く、本当の民主的革命は極めて少なかったことが挙げられるだろう。このような歴史的運命から脱するためには、真の人民精神、そして民主的精神をいっそう強調することが必要である。文明がはじまって以来、社会は支配階級と被支配階級に分裂した。外国では比較的完成された代議制度のもとで、多くの労働者人民が被支配者として、四年に一度、腐った政治家の中から比較的ましな候補者を選んでいるにすぎない[アメリカ大統領選挙を指している]。香港それすらもできないでいる。中国にいたっては選択肢のメニューに独裁しか示されていない。真の民主派は自らの階級的立場を明確にする必要がある。多数の労働者人民の立場に立つのか、それとも両者の間の中間に立つのか、それとも支配階級の立場に立つのか。理性的な分析においても究極的な道徳的判断基準が必要であり、庶民大衆および青年、女性と一緒に呼吸し、ともに困難に立ち向かうという民主的精神こそが、立脚点となる。言い換えれば、民主と科学は依然として我々の歴史的任務だということである。それは往々にして容易に回答し得ない任務であるにしても、である。

 

2017515

 

原注


[1]
「六七暴動」的恐怖主義根源


[2]
《中共七十年風雲録》,利文出版社,1992年,153頁。中共はこの苦難の問題の核心をはっきり述べることができず、スターリンの責任問題をあいまいにし、責任を瞿秋白と李立三などの初期中共指導者に押しつけている。


[3]
《中共香港政策秘聞實錄》,金堯如,田園書屋,1998年,88-9頁。


[4]
《五十年了香港終究要防左》,明報,2017511日。


[5]
レーニンは中共から「教師」と称されていることから、極左とは何かについて述べる資格が充分にあるだろう。彼の「共産主義における左翼小児病」では、ドイツ共産党内部の極左指導者を批判している。レーニンに批判されている極左は独裁者だったのか?暴力で知識人の頭を打ち砕いたのか? いやじつは全く逆である。レーニンに極左と批判された人々は、大衆抵抗の自然発生性を崇拝し、「指導」などいらないと主張していたのである。文革や六七暴動を単純に極左だとひとくくりにすることは、「マルクス・レーニン主義」をしっかりと理解していないということである。

【香港】もうひとつの香港は可能だ--左翼は情勢判断を見誤るべからず

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もうひとつの香港は可能だ
 

左翼は情勢判断を見誤るべからず


區龍宇

 

原文は無国界社運(Borderless movement)に掲載された

社会運動圏内に一種の意見がある。それは、今回の選挙は工党、街坊工友服務処(以下、街工)、社会民主連線(以下、社民連)の三党派が後退して総得票率も減少したので、民主主義左翼が後退したことを意味し、政治情勢の悪化を反映した、という意見である。木を見て森を見ないとはこのことである。

 


三党派の後退の原因は惰性にあり

 

三党派の後退はもちろん残念なことではある。香港で労働者運動に従事する汎民主派の党派は工党[職工会連盟]と街工だけである。労働は社会の基礎であるが、そうであるがゆえに支配階級は意識的に労働者人民を貶めようとする。だからこそ左翼は多少なりとも労働者を代表する候補者を支持しなければならないのである。両党の後退は喜ばしいことではない。社民連は労働組合の基礎はないが、2011年に(右派が)分裂して以降、その路線は比較的明確になり、中道左派となった。相対的に言えば支持に値するが、この党もまた後退した。

 

しかしこの三党派の後退は、民主主義左翼の後退を代表するものではなく、ましてや情勢が悪化したといえるものでは全くない。その良し悪しは相半ばというところだろう。

 

まず次の点をしっかりと認識しなければならない。今回の選挙は、これまでの慣例と大きく異なり、香港政治の地殻変動という状況のもとで行われたということである。地殻変動とは何を意味しているのか。それは雨傘運動を経て、中国と香港の関係に大きな変化が起こったということである。中国共産党の独裁と香港人の自治権は水と油の関係になった。民主的返還論(基本法の枠組みの下での普通選挙実施)は完全に破たんした。情勢は民主派に新しい方向性を迫っている。歴史は雨傘運動において「命運自主」という名スローガンを召喚したが、それは偶然ではない。ゆえに、改めて民主自決を発展させることは必然である。投票した有権者の五分の一がこの方向性(自決)を提起した候補者を支持したことは、変化を求める意識が小さくないことを反映している。

 


蔡教授を信じると大変なことになる

 

工党、街工、社民連の三党派の後退の理由は、まずこの大局を軽視したことにある。2012年以降、私はこの三党派の友人たちと交流するなかで、大局の変化に注意するよう何度も促してきた。香港人は焦慮を迫られているのだから、政治化とオルタナティブの模索は必然である。だが民衆が左転換するのか右転換するのかはまだ不明であり、それは左翼がどう取り組むのかにかかっている。もし左翼が新しい方向性を提起することに間に合わなければ、そして排外主義的本土主義者に対抗しなければ、左翼を含む民主派全体は取り残され、ひいては敗北するだろう。従来の路線(基本法の枠組みの下での普通選挙実施)はすでに死んでいる、民主自決の方針を提起することでのみ、香港人を政治的困惑の局面から連れ出すことが可能になる、と(原注1)。

 

しかし残念なことに、三党派の指導者は期せずして同じ類の主張をしている。つまり、排外主義本土派は恐れるに足らず、無視するのが上策である、と。彼らは、自決という要求は流行の一種に過ぎない、あるいは、これまでの主張がダメなら、別な主張を言ってみようという程度の窮余の策に過ぎないと考えている。だが彼らは、二〇世紀の世界の反植民地主義運動は、すべて民族あるいは民主的自決という結果につながっていること、国民会議を招集して憲法を制定しなおすという運動につながっているということを完全に忘れている。香港の反植民地運動や自主を求める運動だけがどうしてそのような歴史の例外となり得るというのか。

 

次のような意見もある。自決も結構だが、それはスローガンだけのものだ、と。否!このスローガンは、数百年における世界の民主革命の歴史を継承しているのだ!民主主義革命の常識を知らないものだけが、自決という主張に対して、そのような平板な考えをもつことができるのだ。もちろん、それも歴史的脈絡があってのことだ。つまり香港人には反植民地闘争の歴史がなく、また海外の運動を学ぶこともなかったことから、政治認識が不足しており、情勢の変化においてなすすべがなかったのである(原注2)

 

もちろん歴史は参考になるだけで、人間は歴史を作ることができる。もし民主自決がオルタナティブでないというのであれば、別の新しい方策を発明することもできる。しかし工党と街工は何ら新しい政治的見解を示さなかった。情勢の変化を無視するこのような状態は一般的に「惰性」と呼ばれるし、流行りの言葉でいえば「経路依存性」と言われる。明らかに大局が変化しているにもかかわらず、従来のしきたりを重んじ、すべてそれに従う。

 

蔡子強[香港大学政治行政学の上級講師で政治コメンテーター]は汎民主派政党に対して、若者票に力を割かなくてもいい、新しい主張を提起しなくてもいい、これまで通りの活動をしていればいいとアドバイスしてきた。民主党はこの「ご高見」を受け入れ、選挙結果もまずますであった。なぜなら保守の中産階級に支持基盤があったからだ。しかし工党と街工は労働者市民に依拠しており、断じてそのような保守中産階級に迎合する「ご高見」を受けいれてはならない!だが彼らはそれを受け入れて大きな代償を支払うことになった。社民連はそれよりもマシであった。選挙が始まるまでに主張を転換し、自決に似たような主張を提起した。しかし転換が遅かったことから守勢とならざるをえなかった(三党の後退は、もちろん汎民主派の多くの政党が選挙区で競合したことにもある。私自身も新界西選挙区では当日までどの候補に投票しようか迷ったほどである)。

 


ニューフェイス当選の背後にある意義

 

幸いにも今回の選挙では民主自決派(朱凱迪、小麗、衆志)が立候補し、多少なりとも排外主義本土派以外の選択肢を有権者に提起することができた。この三人が当選する一方、排外主義本土派のイデオローグであった三人のゴロツキ政治屋が落選したことは、「もうひとつの香港は可能だ!」「命運自主の香港、排外主義のない香港は可能だ!」という素朴な願望を持つ相当数の有権者を体現している。

 

排外主義ではないということは、民主的多元主義を受け入れ、中国大陸からの新移民を歓迎することとイコールではない。しかし少なくとも新移民反対を掲げる排外主義本土派とは大いに異なる。自決に賛成するということも、多くの事柄を熟慮する知識をもっていることとイコールではない。しかし工党と街工が奉じ続けている「選挙制度改革の手順のやり直し」に比べればずっとましである。総じて、三人の民主自決派の当選は、政治的綱引きにおいて、民主派の陣地の一部を奪い返し、排外主義的本土派の大勝を阻止した[排外主義本土派からも新人三人が当選した]。逆に、もし三人の民主自決派が当選していなければ、オルタナティブを模索しようとしていた多くの有権者、特に青年世代が、排外主義本土派に回収されてしまっていただろう。それこそ情勢の急激な悪化となったであろう。

 

なかには、世代交代という事情もあり、有権者は新人を好んだのであって、自決の主張など関係ない、という見方もある。このような考え方にはもちろん一定の根拠はあるが、もしそれが全てであるかのように言うのであれば、工党、街工、社民連はそれぞれ新人も候補者として立候補させていたにもかかわらず当選できなかったのはなぜなのか。[民主自決派と排外主義本土派という新興勢力に投じた]22%の有権者のおそらく一定の割合が、多少なりとも自らの政治的判断で投票したことは想像に難くない。雨傘運動を経て、政治情勢は確実に変化しており、民主派を支持する民衆は確実にオルタナティブを欲しており、確実にさらなる政治化と急進化を遂げている。世代交代という理由をあげて変化を求める有権者の願望を否定することができるのか。そもそも世代交代と変化を求めることは対立するのだろうか。

 

また別の意見として、当選した三人の民主自決派はどれも中途半端なものだ、という意見がある。たとえば何某の綱領は排外主義本土派に甘いとか、何某のこの立場は左翼ではないので彼らの当選は特に喜ばしいことでもない、等々である。そして「情勢は悲観的にならざるを得ない」と結論付ける。だがこのような意見は、三人の新人のこれまでの主張や実戦が、排外主義本土派とは全く区別されるものであることを見ていない。より重要なことは、その背景としてさらに多くの民衆がふたたび模索を始めているということだ。惟工新聞[ウェブメディア]が香港のベテラン左翼活動家である阿英に行ったインタビューのなかで、彼はこう述べている「少なくともこの選挙は、香港人に思考することを、ひいてはその政治理念を実践することさえも迫りました。」(原注3)左翼はこの決定的な時期において、消極的な批判に終わるのか、あるいは積極的に参加して大衆を勝ち取るのかが問われている。

 

発展途上という観点が必要

 

当選した三人の新人の不足については、私は「変化を求める 2016年立法会選挙の結果についての初見」のなかでも指摘した。「政治分岐は始まったばかりであるということだ。今後それがどのように発展するのかという変数は極めて大きいし、直線的に発展するかどうかはもっとわからない。とりわけ民主自決派の多くは、スタートしたばかりであり、政治主張および経験は極めて不足している。極右本土派の攻撃の中で、基盤を確立し、流れに抗して、新しい民主勢力を鍛え上げることができるかどうかは、いまだ未知数である。だが真の民主派は、手をこまねいて傍観しているだけであってはならない。闘争に身を投じ、民主勢力の世代交代を促さなければならない。

 

民主主義左翼として、われわれは次の三つの立脚点を持たなければならない。

 

ひとつは、発展途上という観点である。工党、街工、社民連、あるいは朱凱迪、小麗、衆志に対してもすべて今後の発展を期待するというスタンスである。一歩前進すれば、とりもなおさず一つの功徳として、われわれはその発展に尽くす価値がある、ということである。逆に後退すれば批判すべきであるが、それは後ろ向きの批判であってはならない。

 

第二に、民主的教育という観点である。生まれ持ってすべてを理解している人などいない。誰もが学習を通じて会得するのだ。

 

第三は、団結可能な一切の勢力は団結すべし、という観点である。

 

労働者民主派にしろ、中道左派にしろ、あるいは青年世代の民主自決派にしろ、セクト主義を克服し、思考を一新し、路線を転換し、大局を把握し、強大な連合に向けて徐々に進むことで、独裁と排外主義本土派に対抗すべきである。それができなければ、地獄への道へとまっしぐらである。

 

左翼の観点についていえば、さらに多方面にわたり、ここで書き尽くせるものではない。たとえば左翼は代議制選挙についてどう考えるのかについて、阿英のコメントを再度紹介したい。「もし純粋に議席獲得のためだけに選挙にかかわると、その団体は逆に選挙に縛られてしまい、全く逆の結果になってしまうだろう」。このコメントは三人の青年自決派にも同じように当てはまる。今回の選挙がさならる思考を促すことを期待したい。

 

2016926

 

(原注1)私は2012年初めから常に警鐘を鳴らしてきた。当時の論文を参照してほしい。「香港のあり方をめぐる右翼と左翼『香港ポリス論』批判」左翼21[『香港雨傘運動』柘植書房、2015年に収録]

 

(原注2)「雨傘運動の意義と展望」参照[『香港雨傘運動』柘植書房、2015年に収録]

 

(原注3)「労働NGO14年 『雇用関係がつづくということは、労働者がつねに犠牲にさらされるということでもある』」

【香港】分裂ばかりで連合できなければ将来は死あるのみ

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分裂ばかりで連合できなければ将来は死あるのみ
 

區龍宇

 
[本論考は香港紙「明報」2016年9月11日の日曜版付録に掲載された

終わったばかりの選挙をめぐって最も多用された用語は「味噌もくそも一緒に道連れ」であろう。民主派が重複して立候補し「分散化」したことをめぐって、それぞれが攻撃し合あう事態になった。たしかに、そのような泥試合がなければ、民主派の成績はさらに理想的なものとなっただろう。

 


道同じといえども、相為(あいとも)に謀(はか)らず

 

冷静な分析をすれば、たしかに民主派のなかでの分岐は存在していた。たとえば民主自決という主張[選挙制度改革は香港人が決める]と、選挙制度改革手続きのやり直しという主張[選挙制度改革は基本法に定められた手順に従って行う、つまり最終的な権限は中央政府にある]にはたしかに違いがある。真の分岐が存在するのであれば、それぞれ立候補することには、少なくとも一定の理由があるだろう。従来どおりの香港民主化の道筋はすでに断たれているが、新しい道筋はいまだ未定である、という厳しい状況で混乱が生じるのは必然ともいえる。

 

問題は、多くの候補者や政党の綱領に実質的な違いがないにもかかわらず、事前に合同することもできず、逆にそれぞれの主張に終始して同じ選挙区から立候補したということにある。中道右派の民主党、民主民生共進会、公民党がまさにそうである。中道左派の四つのグループも多かれ少なかれそうである。

 

汎民主派[既成の民主派政党]は分散化の原因を比例代表制のせいにしている。しかしそれは根本的な原因ではない。なぜなら分散化は政党だけに限った問題ではないからだ。社会運動を見てみよ。もっと分散化している。20年ほど前、香港では住宅局と水道局の公務員労働組合が民営化に抵抗した。しかし一つの部門に20以上もの組合が乱立していて、どうして闘争に勝利などできるだろうか!今日、政党も社会運動も同じ状況にある。これで専制[中国政府]に抵抗するなどできるだろうか。

 

 

選挙運動が民主化運動を押しのける

 

私は雨傘運動についての一連の総括文章のなかで、なぜ香港人が一般的に政治能力が不足しているのかという分析を試みたことがある。「まず香港人は長年の植民地支配にもかかわらず、それに対する抵抗を欠いてきたことがあげられる。戦後において土着の大衆に根ざした反植民地闘争は存在しなかった。イギリス植民地主義者に反抗することがなかった香港人が、中国への返還の過渡期において民主的政治能力を鍛え上げ、イギリスと中国の支配者から最大限の民主主義を勝ち取ることができなかったのは自然なことである。それゆえ、返還後、中国共産党に自治を奪われていくことも運命づけられていたとも言える。」[『香港雨傘運動』72頁]

 

汎民主派政党からはこんな反論がでるかもしれない。「われわれの二つの普通選挙運動[行政長官選挙と議会選挙]こそ、専制に反対しているのであり、植民地主義と闘っているではないか」。

 

そうではない。二つの普通選挙運動は、真の民主化運動には程遠いものである。民主化を実現するには政治の最高権力機構を徹底して民主化する必要がある。だが二つの普選運動の対象である行政長官と立法会のいずれも最高権力機構ではないのだ。最高権力は中国の中央政府が握っているのだから。だが汎民主派は真の民主化を目指してはいない。だからそれは反植民地闘争と言えるものではないのである。

 

幸運なことに香港人は反植民地闘争を経ずに選挙権を獲得した。しかし汎民主派政党は、この利点を利用して真の民主化運動を発展させるのではなく、議席の獲得だけに専念したのである。その結果、議席だけに執着し、議席のためなら原則を犠牲にして野合または分裂する一群の政治屋を各世代につくりだすことになった。選挙のたびごとに民主化から遠ざかっていった。希望は徐々に禍根に変わっていった。民主化運動の内容は恐ろしく貧相になった。民主と自由、人権と法治を口々に叫ぶが、それは無内容となり、主権在民すら俎上に上らなくなった。政治屋はごろごろいたが、民主化の闘士は姿を消した。これでは中国政府に抗うことなどできようもなく、必然的に終始ばらばらのままとなったのである。

 

 

集団的自己萎縮化

 

しかし彼らの妥協主義は、香港の主人となる準備が全くなかった当時の香港人の意識を反映したものでもあった。これはある一つのエピソードからもはっきりと見て取れる。1991年に行われた最初の立法会の直接選挙において、香港民主同盟[のちの民主党]が6・4天安門事件による追い風を受けて議席を席巻して得意満面となっていた[定数60のうち、18議席が直接選挙枠に充てられ、港同盟の12議席を含む民主派が17議席を獲得した]。そして李柱銘[弁護士出身の港同盟のリーダー]を筆頭に、香港総督府に対して行政局への参加を要求した。それに対して「権力を奪おうとしている」として世論から大々的に批判されたのである。

 

李は不満げに自己弁護した。「選挙に勝利したのだから、民主主義の慣例に従えば、政権に参加するのが当然ではないか!」。しかし当時の有権者はある番組の視聴者の声[phone-in]でこう批判した。「あんたに投票したのは、われわれの声を政府に聞いてもらいたかったからであり、あんたに権力をとらせるためではない!」。これが当時の有権者の意識であった。今日から振り返れば、笑うに笑えないエピソードである。

 

新しい世代が、上の世代と自分自身が抱える植民地の歴史を真剣に総括することなしに、香港人の解放闘争を指導しようと考えるのであれば、無邪気にもほどがあるだろう。実際に、新しい世代の多くが、自決や独立など、新しいネーミングをよどみなく暗唱してはいるが、いずれも内容的に乏しいのである。

 

 

「独立後、一切は現状維持」?

 

ある独立派のフェイスブックにこんな質問が書き込まれた。「独立派はどのような青写真を示せば、最も支持を得ることができるだろうか。 公共住宅の増設だろうか、福祉政策の充実だろうか。」答えはそのいずれでもなかった。「香港は独立した翌日にこう宣言するのだ。市民の生活方式は現状維持、一切は不変である、と。」 馬脚をあらわにした。つまり、偉大な大香港国は、その国名を除いて、現在の香港とまったく変るところがないというのだ。大資本による独占、貧富の格差、高齢者はくず紙拾いで糊口をしのぐ!このような香港国を、搾取にあえぐ庶民や高額な学費ローンに苦しむ青年たちが支持する理由があるだろうか?

 

汎民主派の学者は香港独立派と社会民主連線を、急進派という同じカテゴリーに区分する。しかし社民連の「急進」は、中道左派の急進主義である。前述の独立派は「急進的保守主義」であり、その従兄にあたるのが他でもないアメリカのトランプなのであり、同じ急進派でも全く違うのである。

 

 

香港版「ハンガーゲーム」

 

右翼独立派は、自分たちは新しく、そして急進的だと考えているようだが、実際にはそのイデオロギーは古い上にも古く、保守の上にも保守であり、汎民主派の保守主義がどんどんと右へとシフトしてきたことの結果にすぎない。彼らは古い汎民主派と同じく、植民地主義の遺産を継承している。党派間では互いに泥試合を展開しているが、しかしその社会経済政策においては、高度に同質化しているのである。

 

香港の植民地主義の制度的特質は、政治における権威主義(行政主導と呼ばれる)、経済における大資本のなすがままの独占(自由放任と呼ばれる)である。たしかに香港は特殊である。イギリス植民地から中国の植民地となったこの170年、政治と経済の制度には変化がなかったのだから! それは「超安定構造」などとも呼ばれているのだ! この170年の間、世界経済システムには大きな変化が訪れた。自由貿易は一変して関税戦争へ、そして世界大戦へと至った。その後は、国家が関与するケインズ主義、福祉国家へと移り変わった。そして1980年代初頭からはさらに新自由主義へと転換した。だが香港の政治経済制度には何ら変化も起こったことはなかったのである。

 

これまで変化が起こらなかったのは、このような制度が植民地宗主国にとっては最も理想的だったからである。

 

1、イギリスはアヘンの自由貿易で大いに潤った。中国政府は香港への自由投資で、中国資本が香港株式市場の時価総額の六割を占めるまでになった。香港でカネ儲けの兆しがあれば、大挙して投資をたたみかけ、すこしでも変化の風を感じれば、いつでも自由に投資を引き揚げる。このような自由放任で誰が一番得をするのか、はっきりしている。

 

2、宗主国は表面的には自由貿易をうたうが、実際には行政権を盾にして、土地の囲い込みと独占をおこない、自分の利益を確保しようとしてきた。政府調達では、高値にもかかわらず、必ず「宗主国」のモノが購入された。香港返還の前はイギリス製、そして今では中国製にとってかわったにすぎない。

 

右翼の香港独立派は、植民地主義の政治経済制度すべてを、永遠にそのままにするというのである! 汎民主派政党の主張もそれと大して変わりはない。しかし、まさにその自由放任が、香港人の民主共同体の誕生を阻害しているのであり、命運自主[雨傘運動で叫ばれたスローガンで「運命は自分で決める」という意味がある]を困難にしてもいるのである。「自由放任」のもとで、中下層の民衆は支配者によって引き起こされる底辺に向けた競争に駆り立てられる。まさに映画「ハンガーゲーム」のようである。民衆が互いに「スタートラインにつく前から勝負をつける」、「生まれる前から勝負をつける」というような状況では、民主共同体など存在しようもない。

 

 

植民地主義の害毒を総括し、

香港人の民主共同体を建設しよう

 

幸いにも若い世代は、その親の世代とは大いに異なっている。皇后埠頭の保存運動から雨傘運動にいたるすべてにおいて、文化と個性の発展を大いに重視する姿勢を明確にしており、非難の泥仕合に巻き込まれることを忌諱している。だが青年の素朴な理想は、新しい民主主義の理論で武装される必要があるし、それ以上に植民地主義的遺産の総括を必要とする。そうしてはじめて、新しい綱領の上に分散化を克服し、すべての民主的勢力の連合によって、専制に対する一致団結した抵抗が可能になる。

 

2016910

 

【香港】変化を求める――2016年の立法会選挙についての初見


変化を求める――2016年の立法会選挙についての初見


區龍宇

 

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【解説】9月4日に行われた第六回立法会選挙(定数70)は、建制派(政府与党)が40議席、非建制派が30議席を獲得した。直接選挙区での得票率が40%余りの建制派が議席の多数を獲得できるのは、定数35の職能選挙区が存在するからである。
 2014年8月末、中国全人代は職能性選挙区を含む選挙制度を従来通り実施することを決定。それに反発したのが同年秋からの雨傘運動であった。雨傘運動は英植民地時代からつづく支配層に有利な職能制選挙区を廃止し、全議席を普通選挙で選出することを訴えたが実現しなかった(もう一つの要求は行政長官の直接選挙)。当初、非建制派は、雨傘運動以降の混迷から苦戦が予想された。
 しかし中国政府に批判的な書籍を発行・販売する香港の書店主ら5人が中国国内で失踪し、今年6月におよそ8カ月ぶりにそのうちの一人が香港に戻って記者会見を開き、共産党中央の特別捜査チームに秘密裏に拘束・監禁され、国内顧客のリスト提供など捜査に協力することを条件に、一時的に香港帰還を許されたことを明らかにしたことで、中国政府およびその意向を組む建制派への批判が高まり、非建制派が重要議案の否決に必要な三分の一の議席を確保した。
 この非建制派には従来の民主派だけでなく、2014年秋の雨傘運動以降、若年層をふくめた広がりを見せた本土派なども含まれる。
 本土派とは「香港こそが本土だ」というナショナリストで、中国からの移民を排斥する排外主義や反共主義などが特徴で、香港独立を主張するグループもいる。この本土派の候補者6名が、香港独立の主張などを理由に立候補資格を取り消されるなど、これまでにない当局の警戒ぶりが報じられた。本土派の著名候補者などは落選したが新人3名が当選した。
 一方、それら排外的本土派とはことなる「民主自決派」として、
劉小麗(雨傘運動のときから街頭で小麗民主教室を開いてきた香港専上学院講師)、朱凱迪(高速鉄道建設による立ち退きに反対した菜園村運動のアクティビスト)、羅冠聡(雨傘運動をけん引した大学生連合会の中心的メンバーの一人。同じく雨傘運動をけん引した学民思潮の黄之鋒や周庭らと結成した政治団体「香港衆志」から立候補した)の三人が、既成の民主派政党(汎民主派)が突破することのできなかった基本法の枠組みを乗り越える香港の将来を主張し、初当選を果たした。中国政府が香港に介入する余地を保障した香港基本法の枠組みでの改革に拘泥した汎民主派の多くは得票数を減らした。
 この區龍宇氏の論考は投票日翌日に書かれ、ウェブメディア「立場新聞STAND NEWS」に掲載された。[ ]は訳注。(H)

 



2016年立法会選挙の結果は、変化を求める声を示している。それは、さらなる政治化、二極化、世代交代という三つの状況から見てとれる。三つの傾向は、逆に選挙結果を説明するものでもあり、今後の発展にも影響するものである。


 

さらなる政治化、さらなる嫌中

 

長年にわたって香港人は「政治に冷めている」と言われ、香港返還[1997年7月1日]までの投票率はずっと低いままであった。1995年の立法会選挙[返還前における最後の選挙]では直接投票の選挙区での投票率は35.79にとどまっていたが、返還後は急上昇した。しかし返還後の選挙の投票率は興味深い数字を示している。第一回、第三回、第五回の選挙の投票率は相対的に高く、第二回、第四回の投票率は低く、まるでバネの反動のようである。

 

1998年 投票率53.29% 投票人数1,489,707

2000年 投票率43.57% 投票人数1,331,080

2004年 投票率55.64% 投票人数1,784,406

2008年 投票率45.20% 投票人数1,524,249

2012年 投票率53.05% 投票人数1,838,722

2016年 投票率58.28% 投票人数2,202,283

 

1998年の投票率が高いのは、返還直後だからである。2004年は23条立法化問題があった[基本法23条の治安維持条項の立法化問題が社会不安を高めた]。2012年は愛国教育反対運動の高まりが影響した。逆にいえば、もし中国政府と香港政府が香港人の逆鱗に触れるようなことをしなければ、第二回、第四回の選挙と同じように投票率は4割台に落ち込んでいただろう。しかし愛国教育反対運動の後、中国政府は、香港人を懲らしめるという政策に変更したため、香港人の危機感は高まった。

それゆえ今回の選挙では、従来見られたような反動が見られず、逆に投票率はさらに高まる結果となった。情勢が人々をそのように追いやったのであり、香港人はいやおうなく政治化し、今回の選挙の投票率は史上最高を記録した。直接選挙区において建制派の得票率が40.6%にとどまったことは、2012年の42.7%をさらに下回る結果となった。これは、民衆が中国政府によるさらなる強硬策に対して首を垂れるのではなく、逆に民衆の抵抗と変化を求める心理を刺激したことを物語っている。


 

変化を求める心理が新しい勢力を誕生させた

 

この種の政治化は同時に二極化でもある。ひとつの極は建制派[政府与党]である。そしてもう一方の極は急浮上した自決派および本物と偽物の香港独立派であり、この勢力は22.2%の得票率を獲得した。この新興勢力のせいで、選挙制度改革のやり直しを主張してきた汎民主派[既成の民主派政党]は、まともにこの影響を受けることになった。これまでは汎民主派が一方の極であったが、現在は中道に押しやられた。図を参照してほしい。

 

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だが、この新しい勢力をどのように位置づけるのかをハッキリとさせておく必要があるだろう。ある汎民主派の学者は、これらを「本土自決派」とひとまとめにくくっている。つまり劉小麗、朱凱迪、香港衆志と、実際には全く異なる質の熱血公民および青年新政を同じ一つの鍋に入れてしまっている。そしてそれとは別に人民力量・社会民主連線連合を「急進民主派」として位置付けているのである。このような分類は極めて奇妙というほかない。

 

これはたんなる名称だけの問題ではなく、重大な分析的価値を持つ議論である。中国と香港という立場を基準に区別することは、二極化の一つのレベルにすぎない。しかしさらに第二のレベルの二極化があることを無視することはできない。つまり社会的、経済的立場における二極化である。つまり国際的に言われるところの左右の二極化である。この区別に従えば、建制派は右翼あるいは極右に位置する。汎民主派はといえば、それぞれ中道左派から中道右派のあいだに位置づけられるだろう。そして今回の選挙の注目点としては、はじめて右派・極右の排外的本土派の政治団体が選挙に立候補し当選を果たしたことである。

 

 

移民排斥の感情

 

熱血公民および青年新政は、その排外主義、反移民、反労働人権の主張から、一般的な政治常識からいえば、右翼ひいては極右(もしも移民に対して暴力を用いたり、「わが民族ではない」など主張すれば)であり、右翼本土派あるいは排外主義本土派と呼ばなければならない。「選民起義」[今回の選挙に向けて結成された選挙・政党情報を発信する団体で區氏も参加している]ではこれらの政治団体の労働、環境、地域、女性などの政策を比較した。その結果、これら右翼本土派は表面的には中国政府と対抗する主張をしているが、社会経済問題においては、建制派とおなじく、ときにはそれ以上に保守であった。そもそも極右とは、一種の急進的保守主義でもある。つまり急進的かどうかだけを判断基準として、その社会経済的政策におけるウルトラ保守の立場を無視する、社民連と熱血公民の違いさえもわからず、敵同士を同じ分類にしてしまうという判断に陥ってしまったのである。

 

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   が議会の新興勢力


この図の分類については、細かい個所については異なる評価があるだろう。しかし大まかに言って、新興勢力はひとつではなく二つ、左の一つと右の一つであることは疑いをもたない。前出の汎民主派の学者は「専制VS民主」「政府VS民間」という香港ではおなじみの二分法に拘泥しており、情勢を正しくとらえきれていない。左右の立場を組み込んだ分析によって、自決派の香港独立右翼あるいは極右の登場が、現代香港政治情勢の急激な変化を代表することを理解することができるのである。この新右翼の登場のすべての背後に中国共産党の影をみることができることは否定しがたい事実である。

しかるに、もしそれによって、香港人の中に確実に反共主義と反移民思想という一種の右翼的主張が存在することを理解しなければ、それはさらに危険なことである。危険という意味は、[右翼的主張の]攻撃対象は中国からの移民にむけられたものであり、民主主義にとっての真の人民の敵である中国共産党を見逃してしまっているからである。しかも客観的には、[右翼/極右の主張が]この人民の敵に香港の自治権を粉砕するための最高の口実を与えてしまっている。

 

今回の選挙では、移民排斥を主張せず、多少なりとも中道左派といえる三つの若い民主自決派が登場した。また社民連・人民力量連合はなんとか間に合って装いを改めることができた[社民連には反共右翼排外主義者がいたが分裂した]。この四つの勢力の社会経済政策は主流の汎民主派[公民党、民主党]とそれほどの違いはない。しかし、中国と香港の関係について新たな展望を提起しているがゆえに、新たなオルタナティブを模索しながら、移民排斥にも反対する旧来の民主派支持の有権者からの票を集めたことで、客観的には右翼候補者やそれを支持する有権者によるさらなる世論のさらなる右傾化を押しとどめることができた。

 

排外的本土派はあわせても7%の得票率(15万2180票)であったが、民主自決派は15.2%(32万9141票)を獲得した(どちらも落選候補の票を含む)。朱凱迪は8万票以上の高得票で当選し、香港の民主化運動がまだまだ健在であることを改めて示した。

 

両極の新興勢力が22.2%の得票率を獲得したことは、当然にも主流の汎民主派を圧迫した。しかしなぜ中道右派の民主党が比較的影響を受けず、逆に中道左派の労働者民主派(とくに工党)が比較的影響を受けたのだろうか[工党=労働党は、労働運動出身のベテラン議員、李卓人らが2011年に結党。今回の選挙では新人一人を含む4人が立候補したが李氏をはじめ3人が落選し、議席を1に減らした]。

考えられるひとつの理由は、安定を求める上層の中産階級の有権者は、これまでもずっと民主党の票田であったが、工党、街坊工友服務処[80年代から労働者街で地域運動や労働運動などを行い、90年代からは立法議員選挙にも参加。今回の選挙ではベテラン議員の梁耀忠は議席を守ったが、区議から転戦した新人は落選した]は、おもに中下層の中道派、あるいは中道左派を支持する有権者が支持基盤である。しかし今回、これらの有権者のなかにも変革を求める心理が起こったことで、労働者民主派の保守的な政治主張[選挙制度改革のやり直し]には関心を持たなくなり、加えて若い有権者を引き付けることができなかったことから、支持率が下がったのは自然の成り行きであった。

 

しかし指摘しておかなければならないことは、前述の政治分岐は始まったばかりであるということだ。今後それがどのように発展するのかという変数は極めて大きいし、直線的に発展するかどうかはもっとわからない。とりわけ民主自決派の多くは、スタートしたばかりであり、政治主張および経験は極めて不足している。極右本土派の攻撃の中で、基盤を確立し、流れに抗して、新しい民主勢力を鍛え上げることができるかどうかは、いまだ未知数である。だが真の民主派は、手をこまねいて傍観しているだけであってはならない。闘争に身を投じ、民主勢力の世代交代を促さなければならない。

 

 

世代交代を拒むことはできない

 

左右の政治化というほかに、第三の要素がある。それは世代交代という作用である。多くの有権者、とくに青年の有権者らが、既成の顔触れに嫌気をさしていたことは想像に難くない。道理で、ベテランの民主派候補者の結果が芳しくなかったわけである(芳しくないのは、当選しなかったことではなく、その主張があまりにひどかったことである)。他方、雨傘運動を押し出した新しい世代は、たとえ雨傘運動後の困惑があったとしても、かれらは戦後の香港において初めて真に大衆的で抵抗の意思を持った大運動の誕生を促したのであり、それは嫌気がさしていた有権者に新しい希望をもたらしたのである。

 

もちろん、さらに第四の要素がある。それは中国共産党が巨大なリソース資源を持ち出して、舞台の下でさまざまな卑怯な手段で介入者がその代理人を育成し、火に油を注いで扇動するなどの陰謀を企てたことであるが、それについては後日あらためて述べる。

 

2016年9月5日

【香港】日曜には二つの民主派に投票しよう そして投票後は闘いを継続しよう

日曜には二つの民主派に投票しよう
そして投票後は闘いを継続しよう

區龍宇


原文

まず問わなければならないのは次のことである。民主派にとって、今回の選挙における最大の目標は何か。議席の三分の一を確保して拒否権を維持することだろうか。この目標は、すでに汎民主派自身によって破棄されている。汎民主派の政党間では同じような立場であるにもかかわらず、いくつにも分裂して互いに票を奪い合っているからだ。よりひどいことに、この5-6年のあいだに、政治情勢は悪化しているにもかかわらず、全くなすすべがなく、勢力再編のチャンスをみすみす極右排外主義に奪われていることだ。雨傘運動ののちも、依然として「選挙改革のやり直し」という主張にとどまり続けることで、有権者の極右排外主義政党への支持を逆側から後押ししている。候補者乱立のなかでは票割などできるはずもない。三分の一の議席を確保できるかどうかは誰にもわからない。それは依然として目標とすべきだが、すでに現実的な目標ではなくなっている。


◎ 民主自決派に票を投じよう

まして、香港の自治を守る防衛戦の戦場は、すでに議会だけに限定されてはない。中国共産党はこれまでの過渡期のあいだに、「暗(ひそ)かに陳倉に渡り」[三六計の第八計で、囮で敵を正面に引き付けておき背後から急襲する計略]、背後で闇勢力を組織してきたが、それがいま「収穫期」を迎えているのである。汎民主派が拒否権を確保して基本法二三条の立法化[治安維持法]を阻止できたとしても、中国政府が闇の勢力をつかって香港自治を亡きものにすることを阻止することは出来ないだろう。政治的に極右排外主義を圧倒することもできないだろう。周永勤の選挙からの撤退[政府与党の自由党の候補者だが、同じ選挙区から立候補している中国派の有力候補と競合することなどから、立候補を取り下げるように脅迫を受けた。テレビ討論会で立候補取り下げを突如表明した]および極右排外主義への支持の高まりはそれらの格好の証拠である。

強敵に対峙する民主派の支持者は、新しい力に票を投じることで、主流の汎民主派に比べて相対的に事態の急変にも対応しようとする新しい勢力を社会的に押し上げることが必要である。雨傘運動後から今回の選挙までの期間に、汎民主派の抱える問題が暴露されたことで、民主自決派の登場が促進された。facebook「選民起義」が昨日発表した政党採点(※)は、各政党のマニフェストおよび実践についての評価を行っている。読者はそこから、四つの政党・候補者の主張が極めて似通っていることを理解できるだろう。人民力量・社民連連合、朱凱迪、小麗民主教室、そして香港衆志の四つが、程度の濃淡はあれ、すべて民主自決を主張している。

この四つの候補者のマニフェストを詳細に検討すると、それぞれの政治主張には弱点がないわけではない。だが少なくともこれらの候補者は大局の変化には比較的敏感であり、民主化運動にも新しい思考が必要であることを理解している。また労働、環境、文化、コミュニティなどの主張において、労働者民衆の利益に寄り添っており、支持することができる。人民力量・社民連連合以外の三つの候補者には経験不足という批判もある。しかしそれは今後の学習と発展の中で克服可能である。議会内にこのような新しい勢力が登場することで、事態の推移に鈍くなった主流の汎民主派を刺激することもできるだろう。

人民力量・社民連連合については若干のコメントつけておくことが有益である。人民力量の陳偉業[民主党を離党して2006年に社民連結成に参加。2011年に離党して人民力量を結成]は、連合結成の際に、人民力量は中道左派であり、社民連の立場とほとんど同じであると表明した。2008年に(当時のメンバーの)蕭若元は「真の民主主義右派を建設しよう」という文章を公開し、労働組合を批判していた。労働組合が「自由な交渉を破壊する」からだという。そのころこの勢力は中道右派であった。さらに遡れば、社民連結党の3人の立役者[陳偉業、梁国雄、黄毓民]は、主張もバラバラで政治的分類が困難であった。だが数年が経過して、社民連は三つに分裂して、その一つである人民力量は、極右からの批判にさらされる一方で、自身も分裂を重ね、陳偉業はフェードアウトして勢いがそがれた。こういう事情から立場の変更を迫られたのではないだろうか。

人民力量・社民連連合は社民連の勢力が強いので、人民力量が再度右転換することをけん制することができるかもしれない。もちろん将来その立場を変化させないとは言えないが、それら一切は相対的なものである。いずれにしても、なすすべもなく事態のなすがままの主流の汎民主派に比べると、人民力量・社民連連合は、少なくとも、その気概を有権者に示すことができている。

かりに人民力量・社民連連合が、選挙において競合するのではなく、もっと前から他の三つの民主自決派と協力関係を構築していれば、影響力はさらに拡大したであろう。これについては選挙後に期待するしかない。

以上が、まずは一票を投じることができる勢力である。


◎ 労働者に根ざした汎民主派

次に一票を投じることができるのは、労働者を組織している汎民主派政党(organised labor pan-democrats)だろう。

民主派の分散化は、香港人が一般的にもっている弱点の反映に過ぎない。社会に蔓延する強固な個人競争主義が組織化を困難にさせている。偉大な運動であった雨傘運動の傘でさえも、重大な弱点を覆い隠すことはできなかった。つまり高度の非組織化である。それゆえ運動内部の右翼挑発分子から指導部が攻撃を受けてもそれに対処することができなかった。民主化運動は、労働者民衆の参加なくしては成功しない。そして組織がなくてはもっと成功しない。工党(HKCTUが支持母体)と街坊工友服務処(略称「街工」)は、指導者の政治水準は合格とは言えず、その思考方法は20年前そのままというのが深刻な問題である。

しかし民主派はその組織と指導者とを分けて考えることを理解しなければならない。この二つの労働者組織のメンバーと幹部は、長年にわたって労働組合の組織化に従事してきたのであり、最も報われない活動のための力を注いできたのであり、しかし長期的な展望にたてば極めて重要な活動でもある。このことは知られるべきである。Facebook「選民起義」でもこの点を評価に加えている。民主自決派の政治評価は労働者民主派よりも高くなっている。しかし労働者民主派の労働に関するマニフェストと実践のポイントは、民主自決派よりも高い得点を獲得している。

現在でも「必要な時にはストライキ、罷市、同盟休校が必要だ」と主張し、ストライキの威力を理解している汎民主派もいるが、平時において労働組合の組織化に力を注ぐことなく、危機の時にだけ労働組合に対してストライキを呼びかけるだけでは、労働者大衆をまるで命令すれば動くかのような奴隷と同じように考えていることにはならないだろうか。しかも蕭若元のような政治家は労働組合を敵視さえしているのだ。

だから投票するのであれば、はなから労働者を見下しているような上流プチブル階層の汎民主派ではなく、労働者の組織化に力を注いでいる労働者に根ざした汎民主派に投票すべきである。

これが次に投票すべき候補者である。

この二つの勢力[民主自決派と労働者民主派]にはそれぞれ長所がある。民主自決派は政治的水準では賞賛すべきものがあるが、労働組合の基盤がない。労働者民主派は労働組合の基盤はあるが(強弱の違いはあるが)、政治的水準はそれほどでもない。もしこの両者が相互に学び合うことができれば、かなりの水準でお互いを補う会うこともできるだろう。しかしそのためには、主流の気風である個人競争主義を克服する必要があるだろう。

Facebook「選民起義」の評価のなかで、もう一点注目するとすれば、高得点のトップ3(人民力量・社民連連合、街工、工党)も満点の過半数にしか達しなかったことである。比較的支持に値するような候補者でさえも獲得点数はそう高くはない。古い民主化運動は死んだが、新しい民主化運動はいまだ生まれていない。しかも強敵の進行は増すばかりである。民主派を支持する有権者は闘いつつ進むしかない。新しい政治勢力へ投票を終えた後は、さらに大きな闘争の準備を進めるべきである。闘争を通じてのみ、健全な力をもつ勢力が生み出されるのである。

2016年9月1日

【香港】9月の選挙では三つの勢力に投票するな

9月の選挙では三つの勢力に投票するな

區龍宇


原文

9月の選挙は候補者乱立の混戦模様である。民主派を支援する有権者は誰もが戸惑っている。だが少し分析すれば、すくなくともどの候補者への投票を除外すればいいのかがわかり、選択肢の幅は大きく狭めることができる。

1、建制派(親中派)には投票するな。

これに説明は不要だろう。


次に、汎民主派の研究者の中には、今回の選挙では戦術的な投票をすべきだと主張しながら、政党については、たんに建制派といわゆる非建制派の二つにしか区別していないという問題がある。もし仮にそのようなあいまいな区分しかしないのであれば、民主派を支持する有権者は王維基への投票を検討すべきだということになるではないか。この候補者は、労働者の権利に敵対し、真の民主主義に反対する大金持ちの候補者である。あるいは排外主義的暴力を扇動する偽の本土派もおなじく民主派としてひとくくりにしている。このような区別は、民主派を支持する有権者にとって全く望ましいものではない。それゆえ建制派には投票しないだけでなく、次の二つの勢力にも投票してはならない。


2、極右排外主義には投票するな。

民主派を支持する有権者は、熱普城[熱血公民、普羅政治学苑=黄毓民、城邦派=陳雲の三つの排外主義右派勢力の総称]あるいは本土民主前線に投じてはならない。「本土派」を名乗る勢力もあるが、もしそうであるなら、地元文化の保護運動に真剣にとりくんだ朱凱迪やコミュニティでの民主化運動を推進した小麗民主教室[どちらも民主自決派の候補者]と、「本土派」を自称する右翼排外主義とをどのように区別すればいいのだろうか。

「急進民主派」を名乗る勢力もあるが、いい加減にしてほしい。「急進」的「民主派」とは、その語のもつ元来の意味でいうなら、それは熱普城が憎むべき左翼のことを指す(原注1)。かりに香港で一般的に行われている分類にしたがったとしても、「急進」、「民主」という分類では、社民連と熱普城を区別することはできない。そのような分類方法は百害あって一利なしである。

熱普城と本土民主前線のもつ排外主義、個人崇拝、政治の宗教化、権威主義、多元的民主主義への敵対、ころころ変わる主張、若者を暴動に扇動しながら自らは傍観する等々の特徴は、いずれも明確に極右主義の性質であるが、アメリカのトランプですらこれほどひどくはないだろう。極右の特徴は、民主主義に対する殲滅という理念である。それにも関わらず「民主派」を名乗る?そのような行為は、客観的に中国政府や香港政府による民主化運動に対する破壊を手助けするものである。それは実際には歪曲化された建制派である。そんな勢力に投票してはならない!

名正しからざれば則ち言順(したが)わず、言順わざれば則ち事成らず[論語]。名称を明確にしなければ、有権者はあいまいなまま間違った投票を行い、それによって不要な打撃を招くことになるだろう。つまり最初に戻って考えると、これら極右排外主義の存在が意味するところは、「建制VS非建制」という汎民主派の研究者による区分が百害あって一利なしであることを改めて明らかにしているのである。

もうひとつの本土派といわれる政治勢力に「青年新政」がある。しかし実際にはその主張に何ら新しいものがあるわけではなく、旧態依然の保守的な排外主義と右翼ポピュリズムである。かれらのいう「香港民族主義」は、「新移民[返還以降の中国大陸からの移民]は、広東語と繁体字、または英語を理解していることを証明する試験に合格しなければ市民権を得ることはできない」と主張している! 青年新政の指導者の祖母は80歳の客家だが、青年新政が目指す香港国家が樹立された暁には、その祖母は香港の市民権を失うことになるだろうという冗談もあるほどだ。


3、「軟弱な汎民主派」には投票するな。

いわゆる「軟弱な汎民主派」とは以下のような特徴を持っている。

1)かつての最大の汎民主派の政党であり、長い歴史を持っているがゆえに、とっくに成仏して役立たずの専門業種[弁護士など]の政治家集団となってしまい、選挙のことしか考えられない。民衆や民主化運動などは選挙の手段にすぎない。

2)妥協主義が骨髄にまで浸透している。朝廷[中国政府]による帰順の呼びかけに心中うれしくてたまらなく、それになびいてしまう。いまはなびかなくても次はなびく。臨時立法会への参加や密室協議など、これまでの事件は偶然の産物ではない。

3)妥協主義がマニフェストに表現されている。つまり基本法という鳥かごの枠内での普通選挙にのみ参加し、あえて冒険を冒そうとしない。妥協主義が階級属性にも表現されている。つまり上層プチブルの立場で、支配者と民衆のあいだでバランスをとり、そこから利益を得ようとするが、実際には一方に偏っている。このようなプチブル政党は、一貫して労働者の権利を蔑んでおり、一貫して民営化には積極的で、一貫して大企業に傾斜した主張をしてきた。このような政党が口では「庶民のため」といったところで、それを信じることができるだろうか。

4)香港は8・31通達[香港ではすぐに普通選挙は実施しないという中国政府が2014年8月31日に出した通達]を経過し、雨傘運動を経過し、5人の書店主の違法な拘束[中国政府に不利な書籍を出版・販売していた香港の書店主が中国当局に拘束された事件]を経過したというのに、いまだ「普通選挙実施のための手続きを再度やりなおす」というのんきな主張をしているのだ! 

有権者諸君は「自決権」「香港独立」「国内自決権」「基本法の永続」などの新しい政治主張に同意する必要はない。だが8・31通達が出されたことで、従来のやり方[手続きのやり直し]では先が見えてしまっている。専制主義者[中国政府]はとっくに香港人の自治権を絞め殺す決意を固めているのに、まだ跪いて普通選挙を賜ろうとし、中国共産党が設定した鳥かごの手続き[基本法にのっとった普通選挙実施のための手続き]に沿ってものごとを進めようとしている。ふたたび中国共産党にもてあそばれる[手続きに沿って普通選挙実施が拒否される]のが関の山である。このような「民主派」を「建制民主派」と呼ばずして何と呼べばよいのか。


多くの汎民主派政党には、上記のような特徴を少なくとも一つか二つは持っている。だが、これらすべての特徴を備えているのはそう多くないはずである[民主党だけ]。汎民主派候補の乱立局面において、つぶし合いを避け、最もふがいない汎民主派政党に懲罰を与え、民主化運動のブラッシュアップを促進させるために、「軟弱な民主派」には投票すべきではない。そのような政党に投票しないことが、大局にとって最も望ましいことである。

9月には以上の三つの勢力に投票しないことこそ、民主派を支持する有権者の第一の戒律となる。

2016年8月18日


原注1:香港の主流メディアで使われている分類方法ではなく、歴史的および国際的基準に照らし合わせた分類。歴史的および国際的基準でいえば、香港で「左派」と呼ばれる中国派勢力(香港共産党)は、実際には極右派であり、どのような意義においても「左」の要素を持ち合わせていない。

【香港】6・4天安門事件と香港民主化運動

香港「雨傘運動」では、中国の民主化と香港の民主化は関係ない、中国は政府も人民も民主主義を望んでいない、という香港ナショナリズム右翼の主張が登場した。その後遺症はいまも続いている。

香港ナショナリズム右翼は、毎年香港で行われる6・4天安門事件追悼集会が香港民主化にとって有害だと主張している。このような主張に対して、中国と香港の民主化は一体であるという長年来の主張とともに香港民主化運動の歴史的問題点について触れている區龍宇氏の論評を紹介する。[ ]内は訳注。 (H)

原文はこちら
http://www.inmediahk.net/node/1034848

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天安門追悼集会に参加すべし
支聯会は改革すべし
黔驢は柵に入れておくべき


2015年6月3日

區龍宇


199764
写真は1997年の6月4日天安門追悼集会に関する司徒華と先駆社との公開紙上討論



明日の夜、ビクトリア・パークには参加しなければならない。それはほかでもなく、中国共産党を歴史的恥辱の柱にくぎ付けにしつづけるためである、

今年の六・四天安門事件記念日には特別な意義がある。半年前、戦後の香港史上はじめての壮大な民主化運動が巻き起こった。雨傘運動である。運動は成功しなかったが、香港の民主化をいかに推し進めるかという議論に無数の香港市民を議論に巻き込んだ。


◎ 鹿は馬で馬は鹿?

香港防衛を自称する驢なにがし氏[人気ブロガーの盧斯達のこと。「驢」はロバのことで後出の皮肉とかけている]は、一九八九年六月七日に支聯会[香港市民支援愛国民主運動聯合會]の指導者である司徒華[1931年~2011年]が三つのストライキ(労働組合、学校、商店)を中止したことを批判するとともに、支聯会の解散を主張している。ストライキ中止の件については、議論すべきことであり後述する。

問題は、この驢なにがし氏が「中国人は民主主義を必要としてない」ので香港人は中国民主化支援などにかかわる必要はないと大真面目で主張する一方で、昨日開催された六四フォーラムの席上、もし司徒華が三つのストライキを発動してそれが成功していれば香港はもっと多くの民主化が実現できただろう、もしかしたら独立も可能だったかもしれないなどと発言していることである。

なんとも奇妙な自己矛盾に満ちた主張ではないか! 一九八九年の三つのストライキが成功すれば良かったことには違いない。しかしこの三つのストライキは一体だれのために計画されたのか? 香港の民主化のためなのか?そうではない。それは中国の民主主義のために計画されたのだ。

だが驢なにがし氏の見解によれば、中国の民主化は香港にとって百害あって一利なしだそうだ。なのに三つのストの成功がなぜ香港民主化のためになるのか? これが自己矛盾でなければなんだというのか?もしやフロイト的失言、つまり無意識のうちに本音が出てしまったのか?驢なにがし氏自身が無意識に持っている大中華コンプレックスがあらわになったのだろうか?それとも、相手を攻撃するため、論理矛盾も気にせずに、まずは攻撃してみたということだろうか? 

しかし、小我[自分の小さな世界。仏教用語]の上には、無限の客観的論理[真理]が存在しており、それは一切の人間の自己矛盾を暴露するということを忘れてはいないだろうか。


◎ 民主化運動と地政学的政治

驢なにがし氏のような人々は、大中華コンプレックスの人間だけが中国の民主化に関心を持っていると主張する。なんとまあ、まるで義和団[區氏は政治改革を主張する反共排外主義者らをこうよんでいる]の主張ではないか。かれらは、真の民主主義者たちが国際主義的精神で他国の民主化運動を熱烈に支援してきたことを知らないのだろう。一七七六年のアメリカの独立戦争ではフランスとイギリスの民主主義者がそれを支援し、フランスは軍隊を派兵して独立戦争を支援した。一九三六年には選挙で勝利したスペインの左翼共和派に対してフランコがクーデターを起こして内戦になったが、五〇カ国、三万人余り民主主義者と社会主義者(『動物農場』や『一九八四年』のジョージ・オーウェルを含む)が国際旅団を結成して、左翼と共和派の側について内戦を戦った。

地理的に近ければ近いほど、民主主義者は相互に支援しあう。それはほかでもなく実際の利害関係が関係してるからだ。一八世紀末、ポーランドは近隣の三大国[プロイセン・オーストリア・ロシア]によって分割されたが、十九世紀以降はロシア帝国からの抑圧を受け続けていた。ポーランド人民はポーランド復活の願いを持ち続けた。当時のポーランド社会民主党は、ロシアの民主勢力と連帯してロシアの皇帝と貴族を孤立させる取り組みこそ、列強に包囲されたポーランドを民主的に復活させることができると考えた。ポーランド社会民主党は当時のロシア社会民主労働党[のちの共産党]と共同でロシア帝国の支配と戦い続けた。指導者のひとりにローザ・ルクセンブルグがいた。ポーランド人であった彼女は、ロシア社会民主労働党の会議に夜活動にも積極的に参加した。その後ドイツに移住してドイツ社会民主党の理論家および実践家となったが、一九一八年に極右派に惨殺された。


◎ いかにして隣国の巨大な力に抵抗するか

驢なにがし氏のグループがもし、中国人としてのアイデンティティをもつ香港市民すべてを香港から排除し、純粋な「香港人」だけによる独立を達成できたとしても、次のことを考える必要がある。それはいかにして強大な隣国からの圧力に対抗するのか、ということである。中国と戦争する?いったい何時間持ちこたえられるのか? 決起する勇ましい部隊があったとしても、孫子がいうように、「上兵は謀を伐つ、其の次は交を伐つ、其の次は兵を伐つ」(最上の戦い方は、敵の謀略、策謀を読んで無力化することであり、その次は、敵の同盟や友好関係を断ち切って孤立させることである。それができなければ、いよいよ敵と戦火を交えることになる)を考えなければならない。

だが現在までに、これら香港義和団がどのように「謀を伐ち」「交を伐つ」のかが全く不明である。このような「黔驢之技(けんろのぎ)」[見かけ倒しのはったり、※参照]で香港の将来を幸福に導くなどという主張は、本当に・・・その身を滅ぼさんばかりのものである。「黔驢」は放し飼いにするのではなく柵に入れておくのがいいだろう。

※「黔驢之技」は、ロバ(驢)のいない地域(黔州)にロバを連れてきて放し飼いにしたところ、初めてロバを見た虎は最初は恐れたが、ロバに蹴られて(技)、たいしたことはないと知りロバをたいらげたという成語。

支聯会はもちろん問題を抱えている。一九八九年六月七日、司徒華ら指導者は、三つのストら気を中止しただけでなく、デモ行進も中止にしてしまった。しかし中国共産党による虐殺と弾圧に抗議する数十万の香港市民は自発的にビクトリア・パークに集まって、中国政府の代表機関であった新華社香港支局までデモ行進した。社会運動は、長年にわたって作り上げてきたのに、その力を発揮しようというまさにその時、敵前逃亡するなどという道理があるだろうか?この問題については今に至るも支聯会の指導部は何ら反省も検証もしていないのである。


◎ 黔驢は司徒華にも遠く及ばない

だがさらに重要なことは、路線の問題である。驢なにがし氏の類は、支聯会の非民主的あり方を批判する。そんなことは今に始まったことではない。三つのストライキを中止して間もなく開かれた支聯会の会議で、私は先駆社[香港のトロツキスト組織の一つ]を代表して出席し、会議の前に支聯会指導部が三つのストライキを中止したことを批判する意見書を配布しようとしたが、それを阻止されてしまったことがあった。香港返還が迫る一九九七年の六・四天安門事件記念日の直前、支聯会の指導部は投降主義的な宣言文案を発表した。

その文案は、返還以降に六・四追悼集会が禁止された場合は各自で追悼記念してほしいという方針しか示されず、弾圧に対して抵抗を呼びかける姿勢は皆無であった。先駆社はそれを批判する文章を掲載するとともに、支聯会が断固とした抵抗の姿勢をとることを求める署名を六・四集会で集めるとともに、集会の壇上で署名の呼びかけの発言させることを求めた。のちにこの行動が司徒華から批判された。支聯会は、主流の汎民主派[民主党などリベラル派]とおなじく、反省すべきことはたくさんある。

驢なにがし氏やその仲間は、主流の汎民主派が「民主中国の建設」に血迷っていると批判する。そうすることで逆にかれらを押し上げている。だが一九七〇年代から八九年の民主化運動にいたるまで、かれら主流の汎民主派の路線は、中国の民主化運動とはまったく相交わることがなかったのである。八九年以降、致し方なく中国の民主化に関心を示すことになったのだが、厳格にその境界線を分け隔ててきたのである。

だから主流の汎民主派の政治家たちは完全にちぐはぐな行動をとるのである。一年のうちの一日(六月四日)だけは中国の民主化について発言するが、それも支聯会の四つのスローガン[実際には五つある。民主化活動家の釈放、八九年民主化運動の名誉回復、虐殺の責任追及、一党独裁の廃止、民主中国の建設]だけを叫び、それはまったく香港の民主化と関連付けられない。そして残りの三六四日、とくに七月一日[香港返還記念日]の民主化デモでは、香港の民主化を大々的に主張するが、そこでは中国の民主化についてはまったく語られないのである。

まさにこの種のちぐはぐな言動は、香港の新しい一世代に対して、中国と香港の民主化は関連していないという間違った教育を施してきたのである。

両者の民主化は密接に関連している。だが見解の相違は当たり前のことであり、それは議論するしかない。しかし残念なことに、驢なにがし氏の類は理性的な議論をもっとも嫌っているのだ。事実に基づき論理だてて主張するという議論における最低限の礼儀すらさえも持ち合わせていない。当然である。彼らの目的は、相手を貶めて、自分がその地位にとってかわろうとするものである。民主的な議論という点では、かれらは司徒華の百倍もたちが悪い。

二〇一五年六月三日

【香港】思想を大いに解放しよう~独立を目指さない自決権について

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1月14日、香港政府の梁振英行政長官が今年の施政報告を行った。民主派議員らは黄色い雨傘を掲げて抗議の意味を込めて退場した。梁行政長官は施政報告の説明で、香港大学学生会の機関誌『学苑』2014年2月号が「香港民族 命運自決」と題する特集を組んで、そのなかで香港独立を主張したと厳しく批判した。雨傘運動の中でも中国嫌いの「香港本土派」らが盛んに「香港独立」「中国国内のことなど関係ない」という主張を展開し、中国の民主化がなければ香港の独立どころか高度な自治さえも実現することができないと訴える社会運動派に対する敵がい心をあからさまに表現していたことは、區龍宇氏による一連の論評でも紹介してきたところである。以下は、區龍宇氏が「民主的自決権派」という立場から今回の問題を論じたもの。原文はこちら。(H)

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思想を大いに解放しよう
独立を目指さない自決権について


區龍宇

2015年1月16日

梁振英(行政長官)の『学苑』に対する攻撃は、準備されたものであり、香港独立派に対して先手を打ち、反す刀で主流民主派に立場表明を迫ったものである。梁家傑(民主党派の公民党党首)は梁振英から香港独立を支持するのかと追及され、やや受動的かつ簡単に、香港独立に反対すると答えた。だがこれが民主派の立場であると受け取られてはかなわない。さらに重要なことは、梁家傑 のような答えは、主流民主派がそもそも情勢の推移に追いついていないことを暴露するものである。民主主義の立場に立ち、戦略的な観点から答える、次のようになるだろう。

1、香港人には自決権がある。香港の真の民主派は、これからは「民主的自決権派」と名乗るべきである。(原注1)

2、自決権には独立する権利も含まれる。

3、独立する権利は、イコール、独立しなければならないということではない。去年のスコットランドの独立を巡る投票では、多くの有権者が自決権を支持した(独立を問う投票に参加した)が、結果は独立反対が多数を占めた。

4、つまり民主的自決権派は二つに分類することができる。独立をめざす自決権派と独立を目指さない自決権派である。

5、大多数の香港人は、(独立や自決権ではなく)高度な自治のみを願ってきたが、今日の情勢下においては、自決権をかちとらなければ自治さえも危ういということが明らかになった。

6、自決権は擁護するが独立は目指さないという価値観は、大多数を結集させることができるし、また柔軟にとらえることができる。だが独立を目指す自決権の場合は、独立と自決のどちらの実現も難しいだろう。それゆえ後者の立場は支持できない。(原注2)

7、独立を目指す自決権派は、反中国人主義と決別しなければ、支持されないばかりでなく、自ら墓穴を掘ることになるだろう。

8、香港人が自決権を実現しようとするのであれば、中国大陸人民の共感と支持をかちとり、中国政府をけん制することができれば、実現の可能性がでてくるだろう。逆に、すべての中国人を敵視する排外主義は、たとえいかに「香港の利益」を打ち出すことで粉飾したとしても、実際には一部の政治的ポピュリストのために危険な火遊びを行うことにしかならない。それは香港の民衆を袋小路に追いやることになるだけである。

9、独立を目指さない自決権派は、独立を目指す自決権派と連携して言論の自由(香港独立の主張を含む言論の自由である)を防衛するとともに、政治路線においては違いをはっきりとさせなければならない。

10、香港の自治権は空前の危機に陥っている。香港人はさらなる思想の解放、大胆な発言し、自由な思索が必要である。政権によるいかなる言論抑圧の試みに対しても、全香港人による共同の反撃が必要である。


(原注1)民族だけが自決権があるわけではない。民主主義の原則から以下に自決権を導き出すべきかについては、筆者による『自決権を誤解する郝鉄川氏』を参照してほしい。「主場新聞」に掲載され[同サイトは閉鎖:訳注]、現在は以下のサイトで閲覧できる。http://www.workerdemo.org.hk/0001/20140413.01T.pdf

(原注2) これに関する見解については、筆者はこの一年の間に「主場新聞」「独立媒体」「明報」などで述べてきたところである。

【香港】新しい世代、古い路線?

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▲学生団体と香港政府の対話(2014年10月21日)

新しい世代、古い路線?

區龍宇


11月20日、学生連合会の代表と政府との二回目の対話---。

周永康・学聯代表 「10月21日の第一回目の対話のあと、もっと大きな事件に発展しました。各業界でストライキが発生しています。もし政府が譲歩しないのであれば、さらに大きな怒りを買うことになります。」

林鄭・政務司司長 「しかし街頭占拠に反対する人たちも、それ以上にいるではありませんか。」

岑敖暉・学聯代表 「選挙制度改革は中央政府の専権事項なので香港政府には権限がないと主張し続けるのであれば、私たちは一歩下がって次のことを要求します。労働者・学生連盟の『民主憲章』にある民生に関する事項のすべての要求を受け入れてください。これらの事項はすべてあなた方自身に決定権があるのですから!」

林鄭 「それらについてはゆっくり検討しましょう。あなた方は恫喝的な態度で私たちに要求を迫るべきではありません。」

梁麗幗・学聯代表 「私たちは恫喝などしていません。ただ庶民は我慢の限界なんです。街頭の占拠者だけでなく、たくさんの労働組合もすでに準備ができています。もしも市民のための公共住宅建設を拒否したり、団体交渉権と40労働時間の法制化を拒否したりすれば、人々はすぐにストライキに突入するでしょう。この第二派のストライキは、第一波のストライキのときよりも強烈でしょう。なぜなら要求実現の権限があなた方にあることをみんな知っているからです!」

林鄭 「それらの議題についてはすぐに諮問手続きに入ることを検討して・・・・・・」

周永康 「具体的な期日を明言してください。庶民は大変苦しいんです。それが分からないのですか?それにもかかわらずタバコ税は倍に引き上げられます。どうして労働者たちが禁煙することが大変なのか分かりますか? 毎日長時間働いて、仕事だって楽じゃないんです。林鄭司長!タバコでも吸わないとやってられない。分かりますか? 健康のためだというんなら、労働時間を短くすれば、タバコ税を引き上げる必要などありませんよ。仕事が少しでも楽になれば、タバコに頼る必要も減るんですから、司長!」

◆ 亜洲電視社員の労働の尊厳はいかに?

この対話はもちろんフィクションである。

だが、もしこのような状況であれば、労働者の尊厳はもう少しましなものになっていただろう。クリスマスと正月を目前に控えた亜洲電視(アジアテレビ)の社員らが賃金遅配の憂き目にあうという事件は起こらなかっただろう。あるいは少なくとも労働者らの怒声が悪徳資本家たちを震え上がらせることができたかもしれない。タダ働きほど耐え難い屈辱はない。

亜洲電視の社員の多くは、普段は自分のことを「労働者」というよりも「専門分野の人間」あるいは「中産階級」だと思っていたかもしれない。しかし今回の賃金欠配事件は、ほかでもなく次の事実を明らかにした。つまり彼ら彼女らも確かに労働者であり、確かに経営者階級と利害が対立しており、しかもその対立は経営者たちに踏みつけにされていることで発生しているのである。昨日の報道によると、亜洲電視の数人の経営陣の資産合計は720億香港ドル余りに上るが、欠配賃金は1500万香港ドルに過ぎない。つまり経営者らの資産総額のわずか0.02%に過ぎないにもかかわらず、それっぽちも払おうとしないのである。これは搾取というだけでなく、屈辱でさえある。

香港全土の労働者は300万余りで、総人口の約半数であるが、「普通選挙権を持っていない」と「労働の尊厳を持っていない」という「二つの持たざる者たち」でもある。(2013年の)港湾労働者の争議で、ある労働者の代表がこう語っていたことを思い出す。「仕事をするならすぐにしろ、したくないならとっとと出て行け、という職制の口癖は、みんなの憎しみの的だったね」。労働時間規制もなく、団体交渉権もない。労働権や休憩する権利の保障はわずかなもので、自分の退職金は銀行の強制積立金になってしまう。これら一切の事柄はここで詳細に述べるまでもなく周知の事実である。

◆ 「二つの持たざる者」は社会変革を求める

人々は二つの権利(民主的権利と労働権)を奪われたままになっているのだから、民主主義と民生保障はどちらもかちとるべきである。普通選挙の実施だけを求めるシングルイッシュー路線は間違いである。だが残念なことに主流民主派は一貫して大資本に親和的な路線をとっており、普通選挙以外の要求をかかげてこなかった。しかも普通選挙の要求でさえも、真剣に実現しようとはしてこなかった。

これら主流民主派はすでに民主化運動を指導することはできなくなっている。一方で労働者市民らはますます政治化し、さらに多くの労働者市民が雨傘運動に参加した。いまでも雨傘運動を学生運動としか考えていない主張もあるが、それは正確とはいえない。簡略化を恐れず言えば、旺角ではブルーカラーが多く、金鐘ではホワイトカラーと自営業者が多かったが、ブルーカラーもホワイトカラーもどちらも労働者階級であることにかわりはない。だからであろう、それぞれの占拠区では、庶民らによるメッセージ(ポスター、各種の宣言、イラスト、横断幕など)、労働団体や学生連合会を含む社会組織にいたるまで、それらすべてにおいて民生保障を求める声を発していたのである。しかし、このような真の民主主義の訴えが(民生問題を訴えない民主主義は真の民主主義にあらず)、民主主義一般の訴えから自立した形で大きく響き渡らなかったことも事実である。もちろんそれには客観的な原因がある。しかし普通選挙を求める運動において労働団体の路線が、上層の中産階級路線と明確な区別をつけることができなかったことも、ひとつの原因といえるだろう。

◆ 労働者と学生の同盟は自主的そして自覚的に

労働団体が去年初めのオキュパイ・セントラルの開始当初から学生と一緒に、主流民主派の普通選挙シングルイッシュー路線から離脱して、民主と民生の両方を掲げていれば、雨傘運動の初期に打たれたストライキの規模も少しは大きくなっていたかもしれない。あるいは規模の拡大はなかったかもしれないが、すくなくとも労働者市民からの支持は大きくなっていただろう。反オキュパイ運動との世論の引っ張り合いでも、有利な状況になっていただろう。もっと重要なことは、主流民主派に追従すして沈みゆく船に乗り込むという、骨折り損のくたびれ儲けになることもなかっただろう。

しかし、香港社会の満身創痍の理由が普通選挙権の不在だけではないことは、誰もが知っていることだ。それは1%と99%という、極度の貧富の格差が存在する社会ゆえのことである。そして99%に含まれる大学生や卒業生らも、その多くが労働者への道を歩むことになる。このような99%の人々が、全面的な社会変革を訴えたのである。だが従来の民主派の路線はそれとは異なり、香港民主化運動の目標を普通選挙シングルイッシューに制限し、労働運動、そして学生運動さえもその付属物としてしかみなさなかったのである。当然である。それこそ大資本に迎合する上流の中産階級の路線なのだから。奇妙なのは、この路線においては敗者にしかならない労働団体が、何ゆえに主流民主派と運命を共にしたのかということだ。

考えられる理由の一つは、独立した民主的労働運動の路線を掲げることで、民主化運動が分裂するのではないかという心配である。しかし、それは考えすぎだし、独立した運動であっても対立せずに協力することは可能である。それに何よりも、労働運動の圧力によって主流民主派が新しい路線を歩み始めるという選択肢を、どうして初めから排除するのか。一歩下がって、彼らがそれを受け入れないとしても、労働者と学生の同盟が独立した旗幟を掲げることは他の民主派を妨害することではない。必要に応じて協力すればいいことだし、別個に進んで共に撃てという方針のもと、共同の敵に対抗すればいいのである。

◆ 古い路線にサヨナラしよう

民主化運動の大衆的基礎を拡大しようとするなら、普通選挙の実現と同じくらいの力の入れようで、富の再分配を要求すべきだろう。もちろんこうした方針は財界の大物や上流の中産階級が喜ぶところではない。だが問わなければならないことが一つある。いったいどれだけの財界の大物が、真の普通選挙を支持しているのか、ということだ。次にオキュパイ10氏(宗教家、教員、医師、メディア主宰者ら10人のオキュパイ応援団:訳注)らが雨傘運動の進展の中でとった態度をみても、いったいどれだけの上流の中産階級たちが犠牲を厭わずに真の普通選挙を実現しようと考えていたのかがわかろうというものである。民主化運動の力は青年学生と中下層の労働者階級にある。

雨傘運動を担った若者に対して、次は選挙に取り組むべきだと鼓舞する声が聞こえてくる。主流民主派もできるだけこれらのニューフェイスを起用しようとするだろう。次回の選挙では主流民主派のリーダーたちの選挙リストの順位を二番目か三番目にすべきだという意見も聞かれる。それも道理のないことではない。しかし改めて問われなければならないことは、ニューフェイスの起用も結構だが、路線が古いままであれば、結局のところ新しい革袋に古い酒を入れる(中身は変わらない)のと同じではないのか。

新しい世代には新しい路線が必要である。それは労働者と学生が同盟し、民主と民生を掲げて、ともに社会変革を実現するという路線である。そうでなければ面白くない。

2015年1月9日

原文
http://www.pentoy.hk/%E6%99%82%E4%BA%8B/a405/2015/01/09/%E5%8D%80%E9%BE%8D%E5%AE%87%EF%BC%9A%E6%96%B0%E4%B8%96%E4%BB%A3%EF%BC%8C%E8%88%8A%E8%B7%AF%E7%B7%9A%EF%BC%9F/

【香港】抵抗者の言

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▲最後のオキュパイに参加する周保松さん(中)


香港紙「明報」2014年12月21日の日曜版に掲載された中文大学政治行政学部講師の周保松さんが金鐘オキュパイ最後の座り込みに参加した体験記を、三回の連載の最初のみだが翻訳・紹介する。原文のコピーはこちら


抵抗者の言(上)

私は2014年12月11日午後5時1分に金鐘(アドミラリティ)夏愨道(ハーコート・ロード)で正式に香港警察に逮捕された。容疑は「違法集会」と「公務執行妨害」であり、これは私が市民的不服従を選択したことで引き受けた刑事罰である。私の人生プランにおいて、こんなことになろうとは考えたこともなかった。このような一歩を踏み出したことで、今後の人生においてどのような影響がでるのかは、いまのところ予測はできない。だが記憶と感覚が残っているうちに、自らの経験と思うところを書き記し、歴史の記録としたい。

私が、学生連合会の呼びかけに応えて警察の強制排除の際に逮捕されるまで非暴力で座り込むことを決めたのは、12月10日の夜8時過ぎのことだ。その時、私は干諾道(コンノート・ロード)にある人通りの多い陸橋の中央分離帯の上で、薄赤くなった空を眺めながらそっと寝ころんで、小一時間ほど経過していた。その時すでにはっきりと決意は固まっていたが、思わずそのまま寝入ってしまった。眠りから覚めると、若い女性が通りにしゃがみ込んで、「天下太平」の大きなアートを描いていた。描かれた人々は一人一人、黄色い雨傘をさしている。わたしも急に思いつき、落ちていたチョークを拾って、誰もいない所をさがして「悲観する理由はない、こうする以外にない」の二行の文字を書き記した。高いところから、眼下にある自習室を眺めるとまだ明かりがともっていた。そしてあちらこちらで立ち去りがたい人々の影が見えた。最後の夜だということを、私は理解した。

家に帰ると真夜中になっていた。私は妻に自分の考えを伝えた。妻との議論で私はなんども最後にこう言うしかなかった。「こうしないわけにはいかないんだよ」と。妻は私の決意が固いことを知り、不承不承こう言った。「明日の朝、寝坊して、起きたときにはすべてが終わっていたらいいのに」。朝8時半に目がさめたとき、ちょうど3歳の娘が保育園に行くところだった。私は娘を抱いて「パパは今晩は一緒にご飯を食べられないんだ、ごめんね」と伝えた。そして妻には、子どもの心に悪影響を及ぼすかもしれないので本当のことは伝えないようにと頼んだ。というのも、このところ、娘はテレビで警察が出てくると「警察が捕まえにきたよー」と恐怖心が入り混じる大声で叫ぶようになっていたからだ。

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金鐘に戻ってきたときには、午前10時近くになっていた。地下鉄の駅を出ると、太陽は同じように差していたが、世界はすでに同じではなかった。夏*村はすでに狼藉の後で、レノン・ウォールに貼られていた幾千幾万の願いを書いたカードはすべて撤去されており、「We are Dreamers」の文字だけがさびしく壁に残されていた。(ジョンレノンの「イマジン」の歌詞に出てくる:訳注)「失望しても絶望はしない」と書かれていたところにはいまは何もなく、「初心は愛」という大きな文字だけが残されている。文字の色は白く、用紙は黒く、そして壁は灰色だった。9月28日、わたしはこの壁のすぐそばで、傘をさして無数の市民らと一緒に、最初の催涙弾の洗礼を受けた。その時には、まさかそれが香港の歴史の転換点になるとは思ってもいなかった。さらには、その75日後には中文大学政治行政学部のトレーナーを着て、無数の市民らと一緒に満員電車に乗車し、金鐘の駅で降りて、彼らは出勤し、私は逮捕されに行くことになろうとは思ってもいなかった。

レノン・ウォールの前にしばらく黙して立ちすくんでいると、陽の光に照らされて、Johnson(楊政賢)とEason(鍾耀華)が手をつないでこちらにやってくるのが遠くに見えた。二人はともに中文大学政治行政学部の学生で、中文大学の元学生会長だ。Johnsonは民間人権陣線の呼びかけ人の一人でもある。Easonは学生連合会の執行部書記で、政府との対話に参加した5人の学生代表の一人。のちの強制排除のときには、Easonは最初に逮捕され、Johnsonは最後に逮捕された。私たちは多くを語るわけでもなく、「We will be Back」の横断幕のところで一緒に写真を撮り、夏愨道と添美道(ティムメイ・アベニュー)の方へと一緒に向かった。そこでは、不服従の市民らが座り込んで最期の時を待っていた。

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◎ 政府は「権威」から「権力」に堕落した

しかしついてみたら、その場にいる人はかなり少ないことがわかった。座り込んでいる人も200人ほどしかおらず、周囲にいる記者や観衆よりもかなり少ない。さらに意外だったのは、多くの民主派の議員らもそこにいたことだ。また李柱銘(マーティン・リー、元民主党党首)、黎智英(アップルデイリー会長)、余若薇(公民党主席)、楊森(元民主党党首)などもいた。これは私が昨晩想定していたものとはかなり違っていた。わたしはもっと多くの若者がこの場に残るのではないかと考えていた。だからといって失望しているわけではない。むしろ幸いだったとひそかに思っている。というのも、これまで若者たちは多くの代償を払ってきており、これ以上の苦難を味わう必要はないと思っていたからだ。

だがもっと深い理由を考えると、この二か月余りの経験の中で、若い世代の市民的不服従に対する理解が根本的に変化したのではないか、と私は考えている。ルソーの「社会契約論」に絡めていえば、香港政府はすでに「権威」(authority)から「権力」(power)へ堕落する過程に深く入り込んでいるということだ。正当性のない権力は、せいぜいのところ人々を恐怖で屈伏させるだけにすぎず、政治的な義務感を生じさせることはできない。そして市民が服従する義務を感じなければ、市民的不服従においてもっとも核心的な「法律に忠実に従う」という道徳的拘束力を大いに損ねることになるからだ。

そう考えれば、香港政府の支配の正当性の危機は、今回の運動を経たことで根本的に変化した。それまでの危機は、権力が人民の投票によって権限を与えられたものでないというところに原因があったが、にもかかわらず、人々はそれでも条件付きでそれを受け入れてきたが、それは権力機構がかなりの程度みずから抑制し、手続き上の公正さと専門家倫理という一連の基本的な要求をクリアしていたからでもある。しかし現在の危機は、権力がなんら制約を受けることがないという態度で恣意的に公権力を乱用し、それが権力の正統性のさらなる喪失を導いた。その必然的結果は広範な政治的不服従である。

当初わたしは後方に座っていたが、しばらくして学生とともにいるために座り込んでいるのだから、学生たちのいるところのほうがいいだろう、ということで前から二列目の一番右側に座り込んだ。わたしの隣にはmenaという若い女性が座っていた。彼女は学生だと思っていたが、聞いてみると社会人だという。10月から学生連合会の手伝いをしているといい、数多くいたボランティアのなかで唯一、最後の座り込みに参加していた。なぜこのような選択をしたのかを聞いてみた。彼女は、こうすることが正しいと思ったからだと答えた。ご両親は知っているの?とさらに聞いてみた。彼女はちょっと笑って、今朝一時間かけて母親を説得したと答えた。私と同じ列には、周博賢(シンガーソングライター)、何芝君(元理工大学教員、フェミニスト)、何韻詩(デニス・ホー、歌手・女優)、羅冠聡(嶺南大学学生会事務局長、大学生連合会中執)らがいた。さらに遠くには以前学生だった黄永志と中文大学で同級生だった蒙兆達と譚駿賢がいた。私の後ろには、韓連山(道徳教育反対のハンストなどで著名な元教員の政治家)、毛孟静(民主派の公明党議員)、李柱銘(マーティン・リー、
民主党創設者)、李永達(元民主党党首)などが座っていた。しばらくして、今日の座り込みには、政党やNGOのメンバーが多く、私のような「独立人士」は多くないようだ。

◎ なぜ「こうせずにはいられなかった」のか

警察が障害物を排除する速度が遅かったことから、数時間の余裕ができた。私たちはその場に座り込んで、警察が一度、また一度と座り込みを続ける人々にすぐにその場から立ち去るように警告する放送を聞いていた。そしてオキュパイ地区は徐々に封鎖されていった。しかし現場の雰囲気は緊張したものではなく、みんなは必ず起こるであろう、そしてどのように起ころうとしているかが分かっている事柄にも、それほどの憂慮や恐怖もなかった。わたしは内心は平静だったが、ときどき座り疲れて立ち上がって、密集した記者、それほど遠くない所で警戒にあたっている警官、立体交差道の上から見下ろしている観衆を見渡し、疲労の表情を見せる学生たちを見下ろした時には、いくばかの困惑と心の痛みを感じずにはいられなかった。どうして我々はここにいるのか? どうして彼らはここにいないのか?どうして我々の「こうせずにはいられなかった」が、他の人にとってはそうではなかったのか?香港のこの街は、本当にわれわれが代償を払うほどの価値があるのか?

私は次のことを認めなければならない。警察が逮捕行動を始めたときに私の脳裏には、私は立ち上がってその場を離れれば、私は「彼ら」にならずに済み、地下鉄で学校に戻り、安穏とした生活に戻ることができるだろう、という思いが本当によぎったということを。いま私が負わなければならない責任の一切は、そもそも私の世界に属するものではなく、私自身もだれに対してもなんの約束をしたわけでもないのに、なぜここに座りづづけなければならないのか。私は自分に問うた。

これは実はこの二ヶ月間、私がずっと考えていた問題であった。私は、結局のところどのような原因でこれほど多くの若者が立ち上がり、抵抗の道に繰り出したのか、そして巨大な個人的な代償を払うことをよしとするのかを知りたいと考えていた。もちろん誰かから示唆されたり、個人的利益ためではないことはあたりまえだ。鄭[火韋]と袁[王韋]煕によるオキュパイ参加者に対する代表的な調査(11月29日「明報」)では、運動に参加した人々の中で一番多かったのは、教育水準も高く収入もそこそこあるホワイトカラーと専門職(55%以上)であった。常識でいえば、これらの人々はゲーム理論における既得権益者であることから、個人のことだけを考えるのであれば、これらの人々がそのような行動を理由はない。かれらが立ち上がった主要な理由は、「本当の普通選挙がほしい」(87%)、すなわち自由平等な市民が彼ら自身の政治的権利を行使したいということだった。

◎ 最も深い政治的覚醒:権利と尊厳

しかし民主主義が彼らにとっていかに重要なのか?それに対して、民主主義はよりよい経済生活あるいは社会的上昇のチャンスなど、かれらにその他のメリットをもたらすからだという人も少なくない。もしそうであるなら民主主義は役割的な価値しかないことになることから、このような説明にはあまり説得力がないように思える。それよりも抗議に参加する人々は、こう答えるだろうと信じている。つまり、民主主義制度によってのみ人々は平等に尊重され、人としての人生に尊厳がもたらされるからだ、と。しかしそれは尊重と尊厳が、抽象的で理想的な中産階級の「ポスト物質主義」の追求だと言いたいのではない。絶対にそうではない。人々はまさに具体的な政治と経済の生活の中で、自らに降りかかる制度の不公正と不自由を本当に感じているからこそ、平等な尊厳の尊さを徐々に経験しつつあるということなのだ。

だから、これらの価値観が人々の行動の理由になるのは、これらの価値観がとっくにある種の方法によって彼らの生命に深く浸透し、それが自分自身と不可分の一部になっていると感じているからであると、私は考えている。こうしてのみ、他人が経済的利益を用いて彼らの政治的権利を持ち去ってしまうことに同意しないのである。そしてまたこうしてのみ、彼らが有するべきと考える政治的権利が粗暴に剥奪されようとするときに、自らの尊厳が深く傷つけられたと考えるようになるのである。そしてこれによって、今回の雨傘運動のなかで青年が最も深く政治的に覚醒したのではないか。支配者と多くの大人たちにとっては、理解できない世界なのかもしれないし、人には経済人だけでなく道徳人も存在するということ、そして人はパンだけでなく権利と尊厳が必要だということを理解できないだろう。新しい世代は、自分と生まれ育ったこの街を古い価値的規範で理解したくないのである。観念が変化するとき、行動もそれに伴い変化し、新しい主体が形成される。このような政治的自我の表現と実践に対して有効な回答ができない制度は、大きな挑戦を受けることになる。この過程がどれほ
どの苦痛を経て、どれほどの代償を受けるのかは、われわれすべて――とくに支配者――が真剣に考えなければならない問題なのである!

◎ 内心の信念に対する約束

まさにこれらの問題への回答を見出そうと、私は当日、カバンの中に衣類と水、そしてクリスティーン・コースガードの『規範性の源泉』を入れていた。座り込んでいるときに、ロンドン・レービュー・オブ・ブックスの記者が興味を持って、何の本を読んでいるのかと聞いてきた。わたしたちは、喧噪のなかで、道徳と身分について話をした。「独立媒体」の記者も私のところへやってきて、なぜ座り込んでいるのかを聞いてきた。私はちょっと考えて、自分の人格を成就させるためだと答えた。もしある重要な時に、深慮熟考ののちにもある種の価値観を堅持したいと思うのであれば、それはその価値が極めて重要なものであり、それはその人の人格の一部となっていると、私は思う。このような価値観を守るためには大きな代償を払わなければならないかもしれないが、それは確実に自我を成就させる。このような成就は、他の誰かに対しての約束ではなく、自分の内心に対する約束である。

今回の運動のなかで、真剣な参加者はみんな、このような覚醒と内省を経験し、最後に自分が正しいと思う道徳的選択を行ったと、私は信じている。それゆえ、巨視的には、怒涛のように盛んな気勢は容易に観察できるが、一人一人の真実の個々人がどのようにそのなかで真実かつ着実に自分自身の信念に生きたのかを観察することはできない。排除の直前に、私は何度も立ち上がって、座り込んでいた一人一人の表情を凝視した。特に深い印象を受けた表情の3人を紹介したい。

區龍宇。退職教員。一貫して労働者の権利に関心を持ち続け、清廉で、好く書をたしなみ、その人となりは闊達正直。初対面は19年前のイギリスで、自由主義とマルクス主義について二日二晩激論を交わした。今回の運動には最初から全身全霊を投入し、フェイスブックで若者たちと自由に議論を交わし、オキュパイ各地区でなすべきことをなすなど、一般的な「60年代生まれ」のイメージとは全く異なる(実際は56年生まれ:訳注)。当日、彼は私と握手をしながらこういった。「私はもう若くないからどうってことはないが、あなたはまだ若いのでまだまだやるべきことがあるはずだ。ここに残るかどうか、しっかりと考える必要があるよ」。

周豁然。中文大学人類学科の学生。その人となりは「豁然」の名前の通り悠然とし、田畑を耕すを好み、エコロジーに関心を寄せる中文大学農業開発チームの中心メンバーで、土地正義連盟の様々な行動にも身を投じてきた。6月20日の反東北開発集会で初めて逮捕された。7月2日早朝、チャーター通りで彼女が再度警察に連行されるのを私はこの眼で見た(オキュパイ予行演習として500人以上が座り込んで逮捕された事件:訳注)。9月28日(催涙弾が打ち込まれた日:訳注)、彼女はデモの最前線にいた。後日、彼女は私に、その日は防護用のゴーグルも雨傘も持たないことにして、警察のペッパースプレーと催涙弾に対峙したと話した。座り込みの当日、彼女は朱凱迪や葉寶琳らと最後列に座り込んでいた。私は彼女に近づいてそっと、二回も捕まっているのだから、今回はその必要はないのでは、とささやいた。彼女はちょっと笑っただけだった。

朝雲。市民記者。痩せこけて顔面蒼白。目の奥には憂いを宿している。オキュパイ運動が始まってからは、仕事を辞めて、この運動のすべての過程に参加した。将来、人びとがこの運動を振り返る際に、もし朝雲が撮った写真や記録した文章がなかったら、我々がこの運動に抱く認識は全く違ったものになっていただろうと思うかもしれない。朝雲は記録者としてだけでなく、オキュパイの予行演習(7月2日)でも逮捕された。旺角オキュパイの強制排除(11月25日、26日)でも逮捕された。ここ金鐘の排除の際にも最後まで座り込み続け、最後のシャッターを押してからカメラを知人に託して逮捕された。そして銅鑼湾での排除(12月15日、最後のオキュパイ拠点)でも逮捕された。当日は彼と話す機会はなかった。私たちの間は座り込む人々が隔てており、お互いに眺めあい、目が合うと互いに微笑みあい、そして別れを告げた。

これらの友たちと一緒だったことが、わが人生、最高の幸せだ。
君たちに感謝する。

「明報」2014年12月21日(日曜版)掲載

【香港】暗闇の中で光明を探し尋ねる--大学生連合会から香港全市民に送る書

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暗闇の中で光明を探し尋ねる
大学生連合会から香港全市民に送る書


市民の皆さんへ

9月22日の同盟大休校から昨日の警察による強制排除までの長い道のりの中で、私たちは、全人代8・31決議の撤回、選挙制度改革に関する議論のやり直し、そして真の普通選挙の実現を、変わることなき目標としてきました。私たちは最も平和的な方法で当然の政治的権利の実現を粘り強く求めてきました。しかし大変残念なことに、政府は私たちの訴えを完全に無視し、この威風堂々たる民主化運動を暴力によって終わらせたのです。私たちは苦痛と怒りに包まれましたが、決して絶望はしていません。私たちは、香港というこの土地に民主主義の花が開くまで、私たちの世代が闘争を継続することを、ここに誓います。

私たちはこれまで政府高官、国家主席、総理に公開書簡を送ったことを、皆さんも覚えていると思います。これらの書簡で私たちは、事実を詳細に述べ、論拠をひとつひとつ示し、私たちが街頭に繰り出した理由を記し、香港が陥っている困難な局面の原因を分析し、選挙制度改革の必要性を力説してきました。しかし残念なことに、これらの書簡が送られましたがまるでなしのつぶてで、何の回答も得られませんでした。私たちは街頭を占拠し、政府との対話を行い、北京行きをも試みました。しかしそれによって得られたものは、軽視、恥辱、そして入国拒否という扱いだったのです。

そうです、時代は私たちを選択したのです。ここでいう「私たち」とは、世代を超えた、貧富の分け隔てなく、左右の違いのないものです。私たちはともにこの空間に生活しているのです。否応なしにこの大地に立ち、同じ空を仰ぎ見ており、同じ空気を吸っているのです。私たちの運命はつながっており、憂いや悲しみを共にしているのです。

そうです、私たちが形ある通りを封鎖したのは、すでに塞がれていた(民主化へつながる)形なき道を切り開くためだったのです。政府が民主主義を私たちに与えなかったので、自分たちでそれを実践したのです。オキュパイの期間中、私たちはコミュニティに落下傘で舞い降り、各地で民主化の理念を宣伝してきました。討論会を主催し、政治についてみんなで協議してきました。私たちはオキュパイ区域の日常的活動を、職業や貧富の分け隔てなく、いっしょに運営してきました。私たちは、政治とビジネスの共謀によって抑圧される日常が、オキュパイ区域においては創造性にあふれる発現となるようプロデュースしてきました。私たちは各々が運動の方向性について激しい議論を交わしながら、それぞれが責任を果たしながら尊重するよう努めてきました。私たちは民衆とともに、共同で責任ある活動を担ってきました。各方面からの善意あるアドバイスと批判に対して、私たちはすべての力を尽くして応え、引き受けてきました。まだまだ例を挙げればきりがありません。

政府はいまのところ民主の声に対して聞こえないふりをして、しばらくは傲慢な態度で、私たちの正当な要求をないがしろにできるでしょう。警察はデモ参加者に対して暴力的に対応し、オキュパイに反対していた人たちが別な課題で街頭に繰り出したときには、同じような対応に直面しないことを保証はできないでしょう。私たちの抵抗は、当初から香港人の共同の利益--自由と民主--を願ってのものであり、一切の私利私欲は存在しません。70日余りの中で、私たちは、様々な方法で道を切り開こうと努力してきました。しかしついに政府は警察の力で民主の訴えを排除してしまいました。

今日、太陽はいつもと同じように昇りましたが、テントの姿はなく、自習室テントはたおれ、中央分離帯にかけられた自作のステップは片づけられ、空中コンコースから掲げられていた横断幕や垂れ幕ははがされ、壁に貼られたシールは時が経つにつれて風雨に洗い流されて消えてしまうでしょう。色とりどりに飾られたレノン・ウォールの時間は終わり、すべては灰色に戻ってしまいました。

一見したところ、香港は「正常」に戻ったかのようです。そして私たちの訴えは全く目的を果たせず、今日で終わりを迎えたかのようです。しかし私たちは過度な悲観に陥る必要などないのです。なぜなら私たちが一歩一歩記した足跡、私たちが共に歩んだ道を、みなさんがしっかりと記憶しているからです。選挙制度にかんしてはしばらくは具体的な成果を勝ち取れてはいませんが、共に歩んだ道から見た風景や、ともに築いた美しいコミュニティはみなさんの心の中に刻まれているのですから。私たちの故郷の自由と民主を実現するという初心は、もはやすべてのオキュパイ参加者の生命に融合されたのです。

次の主戦場は、地域における市街戦となるでしょう。私たちはしっかりと鍛錬し、落下傘で地域に降り立ち、民主の理念を根付かせ、闘争の意識を張り巡らさなければなりません。次回の政府による選挙制度改革に関する諮問の際には、それぞれの段階で機会を利用して抵抗を継続するでしょう。闘争を堅持しさえすれば、レノン・ウォールに書かれた願いは必ず成就することを、私たちは信じてやみません。自由と平等を愛するすべての市民の皆さんは、自分たちに属するこの香港で、もっとも基本的な政治的権利を実践することが必ずできるようになります。このような願いを実現するために、一人一人がわずかの努力を惜しむことなく、ともに奮闘しなければなりません。

咲き開いた雨傘は、一つの世代を覚醒させました。民主理想の船は出航しました。その目的地に到着するまでに、香港を基盤とする互いの理解協力が私たちの願いです。雨傘運動の洗礼を受けたすべての香港人は、たとえ立場や戦術の違いがあるにせよ、いちどは同じ現場を共にした戦友です。民主化運動の嵐はこれからも巻き起こるでしょうが、すべての友人たちはそれぞれが以心伝心で、それぞれの道をともに進み、肩を並べて再び戦える日が来ることを願っています。

雨傘運動は、香港民主化運動の新たなスタートとなりました。これまでの70日余りのなかで、私たちは一緒に暗闇の中で光明を探し尋ね、現世から未来を想像してきました。私たちはつまずき、涙し、腹をすかし、傷を負ってきました。しかし私たちは一度たりとも絶望したことはありませんでした。私たちが正しい側にいることを知っているからです。どれだけ強固で高くそびえる壁でさえ、最後には崩れ落ちる時が来ることを、私たち信じてやまないからです。なぜなら時間は私たちのものであり、そして私たちは絶対にその壁を叩き続けることをやめることはないからです。

暗闇の中で光明を探し尋ね、刻下の中で未来と契りを交わしました。私たちが被ってきた一切の苦難は絶対に徒労などではありません。今日は新しい時代の序幕となる日です。私たちは必ず帰ってくるでしょう!

香港大学生連合会
2014年12月12日

原文
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【香港】全人民の議論で、大業を共謀しよう

以下は香港の區龍宇さんが、政府本部ビル包囲封鎖戦の翌日、12月2日にウェブメディアに掲載した論考の翻訳。文中の添馬公園は、政府本部ビル、立法会ビル、行政長官官邸に囲まれた巨大な公園で、ビクトリア港を挟んで対岸の九龍半島側の夜景が見える絶好のポイント。(H)

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 2014年12月1日未明 香港・添華道


全人民の議論で、大業を共謀しよう
區龍宇

原文はこちら

学生連合会が政府本部ビルの包囲失敗を認めた。だが午前中いっぱいの包囲それだけで、すでに勝利といえる。それは警察による11月25日の旺角での残虐行為に対する力強い回答なのだ。たとえ失敗を認めたとしても、次のことを忘れるべきではない。民主化闘争はたった一回の戦闘でその成否が決まるものではない。たった一度の決戦という可笑しな考えは、民主化運動を商売と同じような態度で扱うものだ。まるで一回の勝ち負けでその優劣が決まるとでもいわんばかりに。

だが運動が曲がり角にあることは否定しがたいことかもしれない。一千余名の民衆が学生団体の呼び掛けに呼応して政府本部ビルを包囲したが、添馬公園から行政長官官邸に迫る階段を駆け下りよ、という呼びかけに応えるものはそう多くはなかった。中には躊躇する者もいた。10月17日に旺角を奪回したときの英雄的行為と比較にもならない。

雨傘運動の背後にある巨大な大衆的情熱はすでに消散が始まりつつある。さらにオキュパイを呼びかけた3人の自首によって、縁の下の力持ち的支えが今後は失われていくだろう。だが、われわれはそう簡単にオキュパイを終わらせるわけにはいかない。運動は転化が必要である。これまでの巨大な大衆的攻勢の運動を、長期的な組織化、宣伝戦、鼓舞、教育に転化し、次のさらに大きな運動のために思想と実力を準備しよう。

転化へのかけはしは、そう遠くない時期に金鐘オキュパイの終了を宣言すると同時に、隣接する添馬公園のオキュパイを実施し、長期的な雨傘民主大学の拠点にすることだろう。雨傘民主大学では市民集会、民主主義の授業、そして雨傘運動ディスプレイのイベントを定期的に開催しよう。あわせて、一年から二年のうちに恒久的な民主大学を設立するためのカンパ運動を呼びかけよう。学生連合会は雨傘民主大学の設立準備をする資格を持っている。

永続的な民主大学というハードを建設するまで、添馬公園を長期的にオキュパイしよう。それまではこの陣地を防衛し、強制排除をはねのけよう。添馬公園でのオキュパイは交通に全く影響を与えることもないので、多くの市民の支持を得ることができるだろう。雨傘運動はここに新たな拠点を得ることになるだろう。学生連合会は香港全18区から構成される人民防衛隊を設立し、添馬オキュパイの輪番防衛を組織することも可能だ。

このような大衆的基礎のうえに、全18区からなる人民議会の設置を呼びかけ、民主主義勢力の梃を草の根から組織化することもできるだろう。梃があれば地球さえ動かすことができる。

あわせて、この週末を利用して、学生連合会は全民衆の討論の夕べを呼びかけ、オキュパイ拠点のメインステージを民主的に開放し、一日目には短期、中期、長期の参加計画を議論し、二日目にはさまざまな団体からの自由な発言を行わせるべきである。しかし事前に次のことを明確にしておくべきである。学生連合会は11月30日の夜の行動の原則を堅持し、非暴力と公共建造物破壊の禁止を堅持するという立場から、そうではない立場を吹聴する主張は、あくまで個別の見解であり、学生連合会や集会全体の総意ではない、ということである。もしかりに発言の機会を利用して公共建造物の破壊や警察への襲撃を鼓舞するものがいた場合は、学生連合会はそれに反対する意見を表明すべきである。さまざまな意見はすべて、添馬公園での民主大学や各区の人民会議において継続して討論することができるだろう。

2014年12月2日

【香港】政府本部ビルを包囲・封鎖せよ

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            ↓        ↓
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「突入をやめなければ武力を用いる」という警告を掲げながら
学生部隊に突入する香港警察(2014年12月1日未明)
その他当日の画像はこちら


香港「雨傘運動」のオキュパイ(占拠)は大きな転換を迎えつつある。11月25日に九龍半島側のオキュパイ拠点であった旺角オキュパイが強制排除された。「雨傘運動」の指導部に押し上げられた学生団体は、運動のレベルアップを求められ、11月30日の夜に香港島側のオキュパイの最大拠点である金鐘オキュパイに隣接する香港政府本部ビル包囲封鎖行動を呼びかけた。結果的には封鎖行動は半日しかもたず、オキュパイ拠点の防衛を継続することになった。以下は、政府本部ビル包囲封鎖を呼びかけた学生連合会の声明および参加を呼びかけた左翼21の声明の翻訳。(H)



政府が市民の訴えに答えなければ
政府本部ビル封鎖を解くことはできない


香港大学生連合会

(原文はこちら

オキュパイ開始から64日が経過したが、政権は取り乱すばかりであり、逆に市民に対する滅茶苦茶な弾圧を強めている。今晩9時、香港大学生連合会(学聯)としみんは「警察に対する不要な挑発あるいは襲撃はしない、集団で行動する、公共施設を不要に破壊しない」という三つの原則のもとに、権力中枢の象徴である政府本部ビルの封鎖を試みた。

これまでに、添馬、龍和通り一帯で多数の衝突がみられた。ニュースの中継では、デモ参加者が顔面から流血し、随所にあざができ、あちこちに傷痕が見られた。ヘルメットで武装した警察が、デモ参加者に対して警棒を振るいながら雨傘を払いのけ、段ボールで作られたデモ隊の盾を奪い去りながら、添華通りに引きずり込んで拘束した。警察は市民を地面に押さえつけながら、手足をきつく縛りあげていた。そしてペッパーガスを噴射したあとに、その容器をデモ参加者の顔面に押し付けるという恥ずべき暴力を見せた。

特区政府と親中派団体は、オキュパイ参加者が道路を占拠し、民生に影響を与えていると批判してきた。前線での衝突で、警察はなんども警告用のレッドフラッグを掲げ、警察の防衛ラインに近づくことを禁じ、わずかでも動きがあれば、ペッパーガスを噴射し警棒で殴打した。だが市民はひるむことなく次々と押し寄せ、不服従の抵抗に奮闘し、オキュパイを各地で展開し、その規模を拡大してきた。結局のところ、市民が立候補する権利を簒奪してはばからず、市民の道徳的権利という最低限の防衛ラインに対して何度も攻撃を行い、民意を踏みにじってきたのは梁振英を首班とする特区政府であり、いまふたたび機動隊を動員して無辜の市民に対する冷血な弾圧をおこなっている。

対岸(台湾)で終了したばかりの選挙では、民意を軽視し、一度は学生(ひまわり運動)に対して暴力的弾圧をおこなった政権党が無残にも惨敗した。「人民の側に立たない政府から、人民は権力を取り戻すことできる!」という主張はすでに国際的にも通用する名言であり、公権力を手放そうとしない支配者は無視することができないテストの一つとなっている。学生連合会は、市民に対して明日の出勤時間まで政府本部ビルを封鎖し、政府本部ビルの動きを麻痺させることを呼びかける。特区政府は学生連合会や様々な団体が堅持する「8月31日の(中国全人代常務委員会の決定という)枠組みを撤回し、選挙制度改革のための一連の手続きを再度実施せよ」という訴えに答えるべきである。もしそれに応えなければ、われわれは政府が人民に帰するまで、政府本部ビルの封鎖を継続しつづけるだろう。

香港大学生連合会
2014年11月30日


 左翼21 
暴力装置は人民を犠牲にして肥大する
政府本部ビルを包囲して権力エリートに迫ろう


(原文はこちら

2014年11月30日この夜、学生連合会と学民思潮のリーダシップによって、二か月にわたって続けられてきたオキュパイ・ストリートの運動は政府本部ビルの包囲封鎖に発展した。

かつての植民地時代から現在の特区時代にいたるまで、香港政府は決して我々自身の政府であったことはなかった。かつては、イギリス植民地主義者と香港の大ブルジョアジーは支配のための同盟を結んで香港を支配した。97年の中国返還後、中国共産党政府は同じように大ブルジョアジーと結託した。立法会(香港議会)の職能別議席選挙や特区行政長官選挙の選挙委員会、そして今回の中国全人代常務委員会による行政長官選挙立候補者指名委員会という枠組みは、すべて徹頭徹尾、大ブルジョアジーの利益を保護するために設定されたものだ。

そうであるがゆえに、この政府の施策は、人民の生活を犠牲して支配階級の利潤を増加させるものに他ならない。そうでなければ、この政府が人口の高齢化現象が迫る2008年に利得税率を17.5%から16.5%引き下げながら、巨額の公共工事を行った後に、長期的な民生生活の安定のための収入が不足しているなどと平然といえるだろうか。

董建華、曾蔭権、そして梁振英ら歴代の行政長官の権力の源は、中国共産党と大ブルジョアジーである。かれらが指導する政府は、既得権益者が人民を犠牲にして肥大する政府である。労働者は長時間労働、青年たちは高まる学生ローンに苦しんでいる。ますます高まる家賃、公営医療機関における長時間の待ち時間、高齢者の生活保障問題など、中産階級から庶民まで、影響を受けないものはいない。しかし、香港がこれらすべての人々の尊厳ある生活を保障するための財源に事欠いているわけではない。問題は、政権を握る人間たちが自分自身の利益のために、民衆をますます抑圧せざるをえないというところにある。

世界の他の民主国家を見ても、普通選挙が存在すれば人民の生活に尊厳が保障されるわけではないことがわかる。つまり真の普通選挙はなんら過度な要求ではなく、「とりあえず実施する」ものに過ぎない(訳注1)。しかしこの政権は何ら妥協しようとせず、自ら引き起こした社会的分裂の責任をオキュパイ参加者らにかぶせ、あらゆる暴力装置を用いて民衆の正義の訴えを弾圧しようとしている。

見境なく口汚くののしるだけの支配階級の混乱ここにいたり、行動のレベルアップは避け難い。政府本部ビルの包囲行動で、民衆を犠牲にして肥大する権力エリートの国家システムに迫り、この既得権益者らに対して、市民らへの抑圧を停止しなければ、民衆の抵抗の意志はさらに強まるだけであるという決定的な段階にあることを見せつけよう!

文:左翼廃老

訳注1 「とりあえず実施する」は、中国政府による漸進的な選挙制度改革の表現。将来的には真の普通選挙を実施すると読み替えることもできるが、香港基本法では現在の「とりあえず実施する」案が最終目標とされていることから、中国政府の案は「とりあえず」ではないという批判がある。ここでは自由な立候補を含む「真の普通選挙」こそ「とりあえず実施する」必要があると主張している。「とりあえず実施する」の詳しい解説は「香港ポスト」のこちらの記事を参照。

【香港】民主主義はこうして鍛えられた

【解説】9月末から続いている香港の「雨傘運動」は、繁華街のオキュパイ拠点である旺角(モンコック)での強制排除が行われた11月25日以降も、最大拠点であり香港政府や金融街に隣接する金鐘(アドミラリティ)のオキュパイ拠点を維持しつつ、今後の運動の方向性を大衆的に議論している。11月30日には、「政府を包囲し運動を強化しよう」と呼びかけられた金鐘オキュパイでの集会に、旺角から排除された市民らを含む多数の市民が参加した。2017年の行政長官選挙で中国政府の意向に沿った候補者の中からしか選挙で選ぶことができないという現在の政府の選挙方針に対して、学生運動や民主化運動は誰でも一定の条件(有権者の1%の推薦等)をクリアすれば立候補できる選挙制度を対置しているが、中国政府はいっさい妥協する気配を見せず、オキュパイ運動の疲弊を待っている。一方、雨傘運動には当初から、反中国、反中国人民の「香港優先主義」や「香港独立」を掲げたグループも参加しており、かれらによる学生指導部や社会運動団体への非民主的な批判的言動が行われてきた。巨大な在外権力の介入に反発する大衆的運動における排外主義の伸長は、ウクライ
ナ、そしてシリアなどで悲劇的なまでに拡大したことは記憶に新しいだろう。これら運動に介入する排外主義勢力に対して、香港のラディカル左翼の仲間たちは毅然とした対応を取るべきだと主張している。以下は11月30日付の香港紙「明報」の日曜版に掲載された區龍宇さんの主張である。(H)




民主主義はこうして鍛えられた

區龍宇

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 區龍宇さん


過去30年、支配的エリートは「敵のいない都市」等という神話のねつ造に成功してきた。しかし現在かれらは自らが創り出した神話を投げ捨て、自分たちと人民が不倶戴天の敵であることを露にした。

血涙が民主共同体を鍛える

しかし旺角で流された血と涙は無駄に流されたわけでない。それは香港の民主共同体を鍛え上げたのである。

互助相愛と打算のなき精神にあふれるオキュパイ空間を「ユートピア」であると褒めたたえる意見がある。これは、マネー第一をモットーとする中環価値、独裁を崇拝する西環価値、暴力を崇拝する国家機構と、巨大なコントラストを為している(訳注1)。だが犠牲をいとわない一群の民主的活動家のさらなる参加によってのみ、長期的闘争の継続が可能となる。

11月25日(旺角オキュパイの強制排除:訳注)以来、雨傘運動は新たな段階に突入した。大衆的な参加は縮小したが、そのかわり幾千人もの断固たる活動家を鍛え上げた。つまり運動は上昇し続けているということである。この30年来、香港民主化運動の大きな弱点は、政党・団体の職員と、民主化を支持する幅広い支持者(民主派を支持する有権者や7月1日のデモの参加者)との間に、つねに活発に動く活動家層が存在しないことである。他国ではこれらの活動家層が、その数はわずか数千、数万であっても、教育や組織活動、あるいは扇動などを持続的に行っているのである。社会変革はつねにこれら三つの要素(専従、活動家、大衆)がそれぞれ並行して活動を続けることで、突発的な運動と平時における長期的な準備の双方に目を配り、自発性と自覚性の双方に目を配ることができる。しかし香港のカードル層はこれまでずっと少数であった。9月28日の雨傘運動の発展、10月17日の旺角奪還、そして11月25日の事件を経て、雨傘運動はみずからのカードルを鍛え上げたのである。多くの庶民がオキュパイから撤退したが、数百数千の人々が警察の暴力に屈せずに闘争を継
続した。これこそがオキュパイから長期闘争へ転換するために必要な勢力なのである。

しかし雨傘運動のさらなる発展は、この運動がこれまでも解決することができなかった壁にぶつかる。つまり運動内部における意見の違いをどのように処理するのかという問題である。

あらゆる民主化運動はある難題に直面する。たとえ2、3の街頭の民主化でさえも、闘争しなければ実現などしない。しかし闘争には戦略と戦術が関係するし、その背後には各グループの「隠された目的」が存在する。それゆえ、分裂、ひいては敵対する状況も容易に生み出されるのである。


独裁に抵抗する運動の発展とともに
運動内部の民主主義を防衛せよ

では、どうすべきか。答えは一つしかない。民主主義を実践し続けることである。オキュパイ運動を支持する多くの人は、自然体の民主主義支持者でもある。街頭討論を妨害しようとする運動参加者に対して普通の参加者は「順番にはなせばいいだろう。なぜ人の話をさえぎるんだ!」と強い不満を示してきた。共同行動ができないのであれば、別個に進んで共に撃て、という方法を用いればいいだろう。たとえば戦術で違いがあるのであれば、普通は民主的な討論を経たうえで、オキュパイしている空間を物理的に分けて、それぞれがそれぞれの主張をするスペースで力を発揮すればよい。これこそ小異を残して大同につき、別個に進んで共に撃てである。だが残念なことに、この二カ月にわたり、排外主義的地元主義者らは、そのための民主的な議論ではなく、組織的、計画的にオキュパイ空間の異論派に対する封殺を行おうとしてきたのである。このような彼らの行いは、香港人の民主的共同体とは相いれない。

かれらは他人の民主的権利を尊重しない。自分たちだけが唯一香港人の利益を代表するのであり、他のオキュパイ参加者は売国奴ならぬ売港奴だと考えているからだ。

だがかれらは自らの主張の前提がすでに間違っていることに気が付いていない。

香港人が大陸の人々と異なる独特の歴史を歩んできたことは確かである。これこそ、われわれが高度の自治、ひいては政治体制の自決を要求する権利の歴史的根拠でもある。しかし「香港人」というアイデンティティは、新民族論者が想定するような単純なものではない。香港人の内部にも矛盾は存在し、決して一枚岩ではないのである。不必要な対立軸を用いて自らの主張の正当性を誇示しようとするものはいつでも存在する。

長年にわたり、香港人というアイデンティティは中国人というアイデンティティと矛盾なく共存してきた。近年の大漢民族主義の盛隆が、一部の人々の非理性的な大香港主義という反応を呼び起こしたのである。この二つの主義は、表面的には対立しているが、狭隘な民族主義という一面において完全に一致している。

民族主義の本当の意味するものは、「愛国」であるか「愛香港」であるかにかかわらず、民族的アイデンティティを一切のその他の価値(人権、民主主義、労働者の権利、女性の権利、少数民族の権利、エコロジーなど)を凌駕する記号として高く掲げられ、すべての民衆をそのもとに拝跪させるところにある。このような主義は、投機的政治屋を選挙で当選させる手助けにはなるだろうが、その代償は多数の香港人を対立面、つまり民主主義の破壊の側に押しやってしまうことである。

このようなアイデンティティは、自らを皇帝のように位置づけ、人びとを奴隷のように見下すものである。もしそのような考えはないというのであっても、次のことは認めるべきである。民族、地域アイデンティティは、その人がもっているさまざまなアイデンティティの一つに過ぎず、他の一切の価値観を凌駕することなどありえないということである。たとえそれを認めようとはしなくても、少なくとも次の事実は尊重すべきである。多くの人が、民族性こそが唯一のアイデンティティであるというような考えには賛同していないという事実である。

民主優先、貧者優先

興味深いことに、排外主義的香港主義は誰かれとなく敵とみなすにもかかわらず、明確な貧富の格差という対立軸にはまったく興味を示そうとしないことである。どうやら、かれらの新民族(香港人)にも、貧富のピラミッドが厳然と存在することを忘れているようだ。かれらの主張する「香港人優先」は、1万4千香港ドルの平均収入ライン以下の香港人のことを言っているのか、それとも60%の富を握る3335人の大富豪の香港人のことを言っているのか聞きたいところだ。(訳注2)

フェイスブックである友人がこのようにコメントを寄せた。「中国と香港が完全に隔絶されたと想定して、それでどうなるのでしょうか?香港で安穏と暮らせるのでしょうか?香港は大財閥のコントロールから自由になるのでしょうか? お年寄りが段ボール拾いで生計をたてなくても済むようになるのでしょうか?」

意味不明な「香港優先」を主張するよりも、ジョン・ロールズの貧者優先(貧者への優先的分配)を主張するほうがずっとましである。

「明報」2014年11月30日副刊に掲載


訳注1 中環(セントラル)とは香港金融マーケットの中心街、西環(ウェストポイント)とは中国政府の香港出先機関がある場所。

訳注2 梁振英行政長官は雨傘運動のさなかの10月下旬に訪米した際のインタビューで香港人の半分は1万4千香港ドル(約20万円)の月収しかないので、過半数の意見が尊重される普通選挙を実施すれば、そのような平均所得以下の人々に偏った政治を行わなければならなくなると答えて、香港市民の不評を買った。11月中旬にある金融機関のレポートでは、香港には3000万米ドル以上の純資産を有する富豪が3335人が存在し、それらの資産を合計すると全香港の資産の6割近くに達することが明らかにされた。

【香港】次の一歩 何をなすべきか?

次の一歩 何をなすべきか?
2014-10-10 

區龍宇

林鄭月娥(キャリー・ラム)香港政務司司長[行政長官に次ぐ官僚トップ:訳注]による対話のキャンセルを受けて、学生連合会と学民思潮は今晩(10月10日)の抗議集会を呼びかけた。民主派を支持する民衆はこの呼びかけに呼応し、敗北主義の圧力に抗し、学生は街頭から全面撤退すべきだという主張に対する抵抗の意思を示さなければならない。

しかし、全面撤退の圧力には抗すべきであるが、戦術的の練り直しをしなくてもいい、というわけではない。現在、運動を主導している団体が、民衆に対してそのような議論を呼びかける形跡がみられないことは残念である。逆に懸念すべき状況が顔をのぞかしつつある。


◆ 目標は簡単に変更すべきでないが、戦術は臨機応変であるべきだ

今日の「明報」紙に掲載されたインタビューで、黄之鋒[ジョシュア・ウォン:学民思潮の若きリーダー]は「実際の成果がないまま広場を撤退することは、多くの市民の賛同を得ることができない」と語っている。彼の言うところの実際の成果とは、全人代常務委員会決定の再考であり、「再考の意味は、(全人代常務委員会事務局次長の)李飛がすぐに市民立候補案(訳注1)を受け入れるということではなく、すくなくとも[行政長官に立候補するために選挙委員会の]過半数の推薦が必要という条件を撤回することです」。

このような条件闘争には同意しかねる。しかし私はまず黄之鋒の結論に含まれている政治的前提について議論したい。彼の考えでは、市民立候補という目標は一時的に凍結して、立候補の条件を引き下げるべきだという。そして同時に、街頭でのオキュパイを堅持すべきだともいう(原文は「広場」であるが、インタビューの全文およびそれまでの黄の発言を考慮すれば、街頭のオキュパイを意味すると受け取られる)。このような政治的駆け引きはやや奇妙であると言わざるを得ない。目標には弾力性を持たせて、短期間のうちにあれこれと変更を加えることができる。しかし戦術(金鐘と旺角のオキュパイ)は高度な不動性を維持して、断固として変更を許さない、というものである。

だが政治的駆け引きの正道は、その逆でなければならない。目標はそう簡単に変更してはならないが、戦術は臨機応変であるべきだ。戦術は目標を実現するための手段に過ぎないからだ。目的達成のための手段が容易に変更できないなどということはありえない。

なぜ現時点で市民立候補の要求を放棄して、立候補の条件の引き下げを要求するのか、私にはわからない。条件引下げは、主流民主派[民主党などブルジョア民主党派を指す]が有利になるだけである。非民主的な政治制度がそのままの状態で、仮に主流民主派の行政長官が誕生したとしても、それは権力エリート階級の人質になってしまうだけであり、いまの張炳良(訳注2)と何ら変わらないだろう。市民立候補それ自体はすでにきわめて基本的な要求なだけに条件の引き下げなど問題にならない。もし現時点でこの要求を放棄するのであれば、それが一時的なものであっても、説得力に欠けるものになるだろう。

◆ 市民立候補の要求は下ろせない

黄君は、今以上に市民からの支援があったとしても、政府に譲歩させることは難しいから、ここはいったん次善の策をと考えているのかもしれない。そう考えるのも根拠のないことではないが、組み立て方が間違っている。もし運動が一時的に勝利することができないのであれば、検討すべきは戦術的な調整であり、当初の目標そのものではない。一時的に敗北を喫したからといって、目標を変更していては、何を目指して奮闘しているのかという路線がわからなくなり、はじめて政治化した自主的な人々に対して誤った教訓を残すことになる。

わたしはこれまでの30年にわたる主流民主派の誤りを思い起こさずにはいられない。かれらは何度も民主化の目標を変更してきた(あるときは議席の半分の直接選挙、あるときは議席の四分の一の直接選挙、そしてまた半分に戻す・・・・・・)。一方、その戦術は、硬直化した漸進路線、遵法主義、大衆の自主性を厳しく統制するといった硬直的なものであった。この戦術は現在の新しい世代による押し上げによって変更を余儀なくされた。

しかしこの新しい世代の民主派も、国内外の社会運動の貴重な経験を吸収することでしか、主流民主派の敗北の轍を避けることができないだろう。

黄君の主張からはハッキリとそのようなを読み取ることはできないのかもしれない。しかし今後、この記事を悪用する輩がでないとも限らないから、あえて私は上記のような意見を提起した。私は批判としてではなく、運動の次の一歩を検討するために、こう言っているのである。まず最初に論理の枠組みをはっきりさせてから、討論を喚起すべきだとおもったからだ。目標(戦略)と戦術の関係をはっきりとさせておかなければ、討論すればするほど混迷するだけだからだ。


◆ 情勢分析の必要性

この十数日のあいだ、街頭やウェブ上で、旺角を断固防衛せよという主張を目にしてきた。その理由は「悪いのは政府の方であって、われわれが悪いわけではない」という類のものだ。普通の市民が数日の間で大きく政治的に変化した状況では、このように考えることは理解できる。しかし社会運動に携わる人々は、一般道徳/道義だけに依拠することはできない。政治分析にも依拠しなければならない。目標と戦術のあいだには、情勢という要素が存在する。現在の情勢変化に基づいて、戦術を練ることが必要であり、道徳的理由だけで、あるいは最高目標(最大限綱領)だけで戦術を推論することはできない。

情勢についての討論が開始されたならば、われわれはこう問わなければならないだろう。運動は高揚しているのか、それとも減退しているのか。これまで運動に参加してきた参加者は、まだ戦闘力を保持しているのか、それとも疲弊しているのか。あらたに運動に加入してくる人々は、去っていくものよりも多いのか、その逆なのか。先週末、おそらく政府内部で見解の分岐が発生したことから、政府の方針が攻勢から持久戦に転換したが、もしまた数日内に方針が転換した場合、われわれはどのように対処すべきか。われわれの軍勢は増加しているのか減少しているのか。いかにして保守プチブルの民衆の支持をかちとるのか、あるいは少なくとも中立化させるのか。問題が正しく提起されることで、議論は極めて有意義なものとなるのである。

われわれは一昨日の夜、試しに旺角でこのような討論を実施してみた。反応はまずますだった。参加した市民らがこのような討論の大筋について理解できたのであれば、社会運動に携わる人々のあいだでは、さらに深い理解を得ることができるはずである。

黄君を厳しく責めたることはできない。17,8歳の青年が突如として政治的荒波に押し上げられたのだ。しかもその背後にいる主流民主派の大人たちはこれまでも歴史的な敗北を喫してきたのである。大人であっても、その過ちは時には許すことができるのだから、青年の過ちを許すことができないことがあろうか。青年、ただ青年のみが過ちを犯すことの特権を持っているのである。青年たちへの怒りをあらわにする者は、まず自分たちの過去数十年の歴史のなかで為しえなかったことに対して反省すべきである。

2014年10月10日


訳注1 市民立候補
原文は「公民提名」で、直訳すると「市民ノミネート」 。行政長官選挙の候補者は選挙委員会が指名する。中国政府が提示した指名条件は、1200人の選挙委員の過半数の推薦を得た候補者から2~3名を指名して、香港の全有権者が投票で決めるという案。これに対してオキュパイ・セントラル運動は「公民提名」として有権者の1%の推薦を得た市民なら誰でも立候補できる案を要求している。

訳注2 張炳良
大学教員で民主党副党首などを務めたが、のちに政界に進出し、政府部門の高官などを歴任し、現在は日本の内閣に相当する政府の行政会議メンバー。

【香港】雨傘運動と89年北京の春~似ている所と違う所

今回の雨傘運動と1989年北京での民主化運動との比較を、區龍宇さんが2014年11月9日の香港紙「明報」日曜版コラムに掲載したもの。區龍宇さんは同じタイトルで11月5日の夜に旺角オキュパイでの流動民主教室で話をしており、訳文を講演風に「です・ます」調にした(H)


雨傘運動と89年民主化運動
似ているところ 違うところ


區龍宇



◆ 性格と対象

どちらの運動もともに中国共産党に対して基本的な政治的自由を要求するものですが、雨傘運動は一国二制度という複雑な状況があります。一国二制度は、中国共産党による香港直接統治を回避するものですが、いっぽうでは香港人が中央政府の政策に反対しようとする際には、克服すべき要因にもなります。雨傘運動は香港特区政府の権限外の事柄[中国全人代に決定する権限がある香港行政長官の選出方法等を指す:訳注]を特区政府に実現するよう迫っていますが、どのようにそれを実現させるかは大きな試練だといえるでしょう。

1970年代から、香港の民主化運動が中国との関係をどのように処理するかについては、一貫して悩ましい事柄でした。現在、運動内部には三つの立場があります。ひとつは中国との関係を断ち切る、中国のことは忘れるという立場。ふたつめは中国の民主化運動と結合するという立場。みっつめは戸惑いつつ考える、というものです。奇妙なことに、6月4日の天安門事件記念集会に結集する多くの団体が、その約一ヵ月後に開催されている7月1日の香港返還記念日の香港民主化デモと、中国民主化の象徴である6月4日のデモを完全に別なものとして扱っているのです。6月4日のデモでは「民主的中国の建設を!」と叫ぶのに、7月1日に同じスローガンを叫ぶことを躊躇しているのです。

◆ 主体

どちらの運動も、学生が最前線に立ち、それが刺激となって民衆が参加したという共通点があります。しかし雨傘運動はさらに先を進んでいるといえるでしょう。89年民主化運動の学生たちは庶民らの支援を歓迎しましたが、工人自治連合会との関係は疎遠であり、民衆の生活についての議題についても関心を示しませんでした。6月4日の弾圧の数日前にストライキが呼びかけられましたが、それは遅きに失したといえるでしょう。雨傘運動は状況が異なります。学生連合会の発言では常に民衆の生活問題について言及しており、労働組合との関係も良好です。学生と労働者の同盟は大きな力になります。しかし香港の労働運動自体の弱さもあり、組合が呼びかけたストライキの成果もあまり理想的であったとはいえません。

学生と労働者の同盟はここ数年の出来事です。メーデーにも学生の隊列がみられます。しかし、ここで皆さんに考えてほしいのは、普通選挙と民衆の生活という二つのテーマが、じつは以前と同じく、別々なものとして捉えられている、ということです。5月1日のメーデ・スローガンが7月1日の香港民主化デモでも掲げられているとは限らないのです。雨傘運動でもこの二つのテーマの間には溝があります。民衆生活の議題を掲げる団体はないわけではありませんが、力不足もあって運動全体のテーマになるまでにはいたっていません。この運動が全民衆の運動にアップグレードすることは、そう簡単ではないということです。

◆ 背景

しかし、極度の貧富の格差に対する反感も、まさにこの二つの運動を生み出した主要な理由の一つでもあるのです。89年の学生たちの要求は政治的課題に集中していましたが、市民らにより大字報(壁新聞)やスローガンは、党官僚の腐敗を批判していたり、自分たちの低賃金に対する不満などでした。雨傘運動もおなじように、とりわけ青年たちの貧困への不満があります。高騰する家賃や独占的不動産業界への批判などに、それは顕著にあらわれています。

このような背景を認識することで、旺角のオキュパイ参加者を理解することができるでしょう。かれらはより庶民階層に近く、より勇敢です。これまでずっと社会の底辺で抑圧されてきた人々が、突如として警察との衝突の最前線に立ち、自らの運命を自ら変えることができる権力を獲得したかのように感じたのです。「差老を撃退したぞ!」という事実が集団的な力を認識させたのです。

◆ リーダー

89年の民主化運動は、その発生からその後まで、指導者がつぎつぎに変わったことによって、天安門広場からの撤退の決定がなんども覆されました。運動が北京以外の学生たちを巻き込めば巻き込むほど、さまざまな傾向が生まれました。北京の学生たちは、長期間の広場占拠による疲れから、撤退を提起しても、遠くの地方からやってきた学生たちは「十数時間もかけて駆けつけたのに撤退などできない」と主張します。運動が長期化すればするほど自然発生性が運動を支配していきました。当時、こんな言い方がありました。「運動は感覚とともに進む」。しかしそのなかに敗北の種があったことも、また確かです。

◆ 発展

89年民主化運動は5月中ごろには疲労を見せていました。5月19日、政府が戒厳令を発表たことで、民衆の怒りが再燃しましたが、そのような政府の挑発がなければ、運動は自然消滅していたかもしれません。雨傘運動もおなじように、もし9月29日の大弾圧がなければ、雨傘運動が誕生しなかったかもしれません。また、この弾圧から反弾圧という運動の持続によって、政府内部に分岐、ひいては分裂をもたらします。89年民主化運動と雨傘運動のどちらにおいても、程度の差こそはあれ、このような状況があります。

香港政府は9月28日以降、ハト派の路線を採用し、オキュパイの継続を容認します。しかし運動の継続はいっぽうで、その弱点も露呈させます。運動の団結の基礎はそう強いものではないことから、それぞれの要求や展望に違いが現れます。9月28日未明にオキュパイの3人の代表がオキュパイ・セントラルを正式に宣言しましたが、それは歓呼によって迎えられたわけではなく、すくなくない人々が運動から退きました。もしその日の夕方に87発の催涙弾が打ち込まれなければ、雨傘運動が誕生したかどうかはわかりません。

オキュパイはこれによって長期化することになりましたが、団結の基礎はそう強固ではありません。先月20日の「明報」紙の世論調査では、どのような条件ならオキュパイ撤退をするかという質問の回答は、かなりのばらつきがありました。オキュパイはすでに一ヶ月以上続けられています。しかし中央政府は譲歩していません。こういったボトルネックのもと、運動をさらに拡大させるのか、あるいは戦術的な撤退をするのかの判断が迫られます。難しいのは、撤退すれば非難され、かといって運動をさらに拡大させることにも困難があるということです。

◆ 結末はいかに

89年民主化運動の結末には二段階ありました。第一段階は天安門における血の弾圧です。しかしその後の第二段階といえる、全国で吹き荒れた徹底した大弾圧こそが、その世代の民主化の声を完全に消し去ることに政府が成功した大きな理由です。

現在の香港はそれほど悪い状況にはありません。かりに暴力的な弾圧が行われたとしても、89年民主化運動に対する徹底した弾圧ほど悲惨な状況になることはないでしょう。その分析については昨年執筆した「オキュパイ・セントラル弾圧のシミュレーション」(2013年11月28日)を参考にしてください。とはいえ、いくら弾圧がそう悲惨なものでないと予想されるからといって、軽率な行動をとってもいいというわけではありません。

いずれにせよ、今回の雨傘運動は、民主化闘争の正々堂々たる予行演習となったことには違いありません。これまでとこれからでは、香港の民主化運動は格段に違ったものになるでしょう。

2014年11月8日

(2014年11月9日「明報」日曜版コラムに掲載)

【香港】オキュパイ・セントラル弾圧のシミュレーション

 「雨傘運動と89年民主化運動~似ている所と違う所」の最後の箇所で参考として挙げられていた「オキュパイ・セントラル弾圧のシミュレーション」 (2013年11月28日)を以下に紹介する。このなかで、區龍宇さんは「オキュパイ・セントラルが1万人もの参加者を集めることが出来ると考えている人はほとんどいない」としているが、それが過小評価であったことは否めない。しかしこの文章の中心である中国共産党の対応を分析した箇所については、「台頭する大国、中国」の脆弱さの一端をしめすものだと言える。また最後に「カラー革命」の方向性を示唆する主張への警告も行うとともに、オキュパイを陰謀的にではなく公然と議論して実施すべきだと訴えている。(H)


オキュパイ・セントラル弾圧のシミュレーション
2013-11-28 16:44:04

區龍宇 元教員、労働運動研究者、世界市民。
近著に《China Rise: Strength and Fragility》, published by Merlin Press.

李飛が香港を去って間もなく、呉志森が「中国共産党中央が本当の普通選挙を賜るという幻想は捨てよ」と呼びかけた。まさにその通りである![訳注1]

幻想を捨て、闘争を準備し、オキュパイ・セントラル[訳注2]を積極的に行うべきである。しかし市民団体などの討論において、筆者もオキュパイ反対の意見に接したことがある。反対する理由のなかに「中国政府は1989年の天安門の時と同じように解放軍を投入して弾圧するかもしれな」というものである。(原注1)

◎ 解放軍が出動する?

もちろんその可能性はないわけではない。しかしその可能性は極めて小さい。鶏を絞めるのに牛刀を用いる必要はないからだ。オキュパイ・セントラルが1万人もの参加者を集めることが出来ると考えている人はほとんどいないが、香港警察は3万人の要員がおり、オキュパイに対処するに余りある人数である。89年天安門事件では中国共産党は戦車で鶏をひき殺したではないかという主張もあるかもしれない。確かにその通りである。だが中国と香港は違うのである。中国共産党は中国本土では独断専横で他の社会勢力の牽制を受けることはない。香港では、内部か外部かはとりあえず論じないとしても、中国共産党上層部がコントロールすることができない勢力が依然として多く存在することから、戦車で鶏をひき殺してしまうと、思いもしない結果を引き受けなければならなくなる。

1989年の中国では、中国共産党は国家の一切を統制していた。民主化運動は一気に沸き起こったが、弾圧によって一気に霧散してしまった。香港ではすでに各種の政治および社会運動が長年にわたって成長している。中国共産党が兵力で弾圧に成功したとしても、その後には各種の組織的勢力の抵抗に直面することになる。反対するすべての声を打ち消すには、軍事統制を行わなければならないだけでなく、50年は政策を変えないという�眷小平の政策を変更することが前提となる。それは非常に重大な政治的危機に道を開くことになる。[オキュパイという]小さな事件に対応するために、大きな動揺を引き起こす危険性をあえて冒すだけの価値があるだろうか?今日の支配者も絶対的自由ではないという状況においては尚のことである。

◎ 習近平が直面する困難

昨年の『The China Quarterly』9月号に掲載された李成の「共産党による頑強権威主義の終焉」(原注2)は、今日の中国共産党の政治情勢の特徴について以下のように述べている。

1、強力な党内派閥と脆弱な指導部
2、強大な利益集団と脆弱な政府
3、強大な社会的発展と弱体化しつつある政府の統制

習近平が党政軍および国家安全部門を掌握しなければならない理由は、まさにそれらが前任者に比べて脆弱であるがゆえに、特に威厳を確立しなければならないからである(薄熙来打倒を含む)。だがそのようなやり方は反発も招く。つまり内部派閥の対立のさらなる激化をもたらし、敵対派閥による権力争奪の機会増大をもたらす。

もし習近平が軽率に軍事力に訴えれば、まず内部において分岐が発生するだろう。一旦分岐が発生してしまえば、1989年以上に党内分裂を引き起こす可能性がある。その当時分裂しなかったのはトウ小平という元老の存在が大いに影響した。だが今日の中国共産党には全党を統一させるだけの超越した元老は存在しない。

しかも、さまざまな形跡から2013年の中国はすでに危機の時代に突入したことが伺えるのである。

◎ 中国民主化には明日がある

中国共産党内部の要素だけでなく、二つの新しい政治的条件が中国共産党の政策決定を牽制している。ひとつは、中国人民が天安門事件の弾圧によって作り出された長期低迷状態を脱しつつあることだ。敗北を知らない新しい世代は特にそうである。2010年のホンダ労働者は長年にわたって誰も提起することができなかった要求――労働組合の改選を提起したのである。政府は強力な弾圧に訴えることはできず、逆にいくらかの譲歩をおこなった。

次に、中国共産党による急速な工業化は、自らに不利な新しい民主主義勢力を生み出した。中国の全人口にしめる都市人口の割合は半分を占めるまでになっている。小農を中心とした中国は、都市階級を中心とした近代化された中国に変わった。高等教育を受けた人数も爆発的に発展している。労働者階級の数は3億人に増加した。大学生から労働者階級に至るまで、初歩的な民主化闘争を経ている。農民も昔日とは異なっている。2011年の烏坎村の農民による土地収用への抵抗闘争では、臨時選挙で理事会を選出し、民主的意識を示した。

新しい民主化運動にいたる道のりはまだ遠いが、その距離は短くなっている。烏坎村事件の後、中国共産党広東省委員会の朱明国副書記は、幹部への訓示として「大衆が激怒してはじめて、力とは何かを理解することができる」と語っている。

◎ 経済発展というボトルネック

最後に、経済的な観点からも検討すべきである。中国はすでに世界第二位の経済体となっており、香港で軍事力を使った弾圧を理由とする経済衰退が起こったとしてもその損失に耐えることは可能である。しかし損失は底だけにとどまらない。外国との関係で言えば、中国は完全にグローバル市場に融合している一方で、中国の台頭は日米欧による制約も受けている。このような状況において、もし中国がオキュパイ・セントラルを軍事力を使って弾圧すれば、国際的な経済制裁を引き起こす可能性があり、その期間が長くなれば、中国はそれによって引き起こされる損失を引き受けることができなくなる。とりわけ考慮しなければならないのは、中国では経済危機がますます近づきつつあるということである。資本主義の周期的生産過剰と貸し出しの膨張は、中国においてとりわけ突出している。各種の矛盾が積み重なり、爆発の機会をうかがっている。

◎ なぜ天安門の民主化運動を弾圧したのか?

上記の四つの制約にもかかわらず、習近平が依然として解放軍を出動させて弾圧をおこなうのであれば、予測不可能な政治的危機を引き起こすだろう。それは新しい民主化運動を引き起こす可能性を含んだものである。ほんの僅かのオキュパイ・セントラルを弾圧するために、このような大きなリスクを取るとは、ばかばかしいにも程があるだろう。

もちろん次のような反論もあるだろう。トウ小平も天安門の民主化運動をあれほど酷く弾圧する必要はなかったにもかかわらず、彼がそのような行動をとったことは、共産党は予測不可能またはとんでもないことをしでかすという証明ではないか、と。私は昨年出版した英文書籍のなかでそれについて検討している(原注3)。トウ小平のおこないは、まったくでたらめなとんでもない行動ではなく、一種の官僚的理性からの行為である、と。

1989年初めの中国社会は、改革が労働者人民に奉仕するのか、それとも官僚による公有財産の私有化に奉仕するのかというターニングポイントに直面していた。4月になって学生運動が起こり、それが民衆の支持を受けるに至って、このターニングポイントは、改革は労働者人民と官僚のどちらが主導権を握るのかというレベルにまで進化した。中国共産党は大弾圧を経ることにより、国有資産を安穏と私有化することができたのである。いわゆる「20万人を弾圧して、20年間の安定を得る」という主張は、このような枠組みの中で理解すべきである。20数年後の今日、中国共産党による大事業は完成した。今後の主要な任務はこれまでのような創造(官僚資本主義の新社会の創造)ではなく保守である。創造と保守の方法は異なる。官僚的理性から考えても、習近平が香港における小さなオキュパイ運動の弾圧に軍事力を使う必要は感じないだろう。もし軍事力を動員することがあれば、それはオキュパイが理由ではなく、国内外でさらに大きな危機が爆発したことによるものだろう。

◎ 陰謀詐術に対処するには

中国共産党はオキュパイ・セントラルへの攻撃を行うだろうが、それは軍事力を動員してではなく、香港特区行政長官を指揮することのほかに、次の三つの企みが考えられる。

1、公然的には、シンパや大衆組織を動員して、世論と大衆的攻撃を発動する。
2、非公然で、スパイを急進分子として運動に紛れ込ませ、発言権や指導権の簒奪を狙う
3、水面下でオキュパイ・セントラル活動家に対する中傷をおこなう

これに対処するには、スパイ合戦を妄想するのではなく、正確な政治路線による線引きを明確にし、敵と味方をはっきりとさせることである。たとえば最近では、直接選挙を実現する手段としてオキュパイ・セントラルだけでなく、ゼネストを提起すべきだという主張がある。もしも労働運動の側ですでに準備が整っているのであれば、この提案は原則上なんら間違いではない。しかし、同じような提案が、もし香港独立につながり、「英米の介入を要求し、カラー革命を進める」といった綱領につながるのであれば、仮にそれを提起した人物の主観がどうであれ、客観的には誤った路線なのである(原注4)。なぜなら英米政府はそもそも心から香港人を支援しようとは思っていないからである。英米という別の支配者のために香港人が火中の栗を拾う必要はない。このような誤った路線は、客観的には中国共産党による弾圧の口実となる。誤りの上に誤りを重ねないためにも、このようなエセ急進主義への自覚的抑制が必要となる。


原注1:林和立《習近平督師打佔中 必要時用解放軍》,ウェブニュース「主場新聞」掲載
原注2:《China Quarterly》
原注3:《China’s Rise: Strength and Fragility》
原注4:「佔領中環 奮起護港」

訳注1
2013年11月21日から23日の日程で香港を訪れた中国全国人民代表大会副議長兼香港基本法委員会主任の李飛は、訪問期間中に香港行政長官らトップと会談し「行政長官は愛国愛港であること、中央に敵対しないこと」と中国政府の立場を示し2017年の次期行政長官選挙でも中国政府の立場を反映した人事を示唆した。呉志森は香港公共放送の人気ラジオパーソナリティでストレートな政府批判が好評だったが、香港政庁高官が同放送局トップに天下って間もなく契約更新が打ち切られ、現在はフリーパーソナリティを勤めるかたわら政治コラムなどを執筆している。

訳注2
非暴力不服従で香港の中心街セントラルをオキュパイして2017年に行政長官と議員の完全直接選挙を要求しよういう訴えが2013年初めに提起され、学者などをふくむ多くの賛同を得る一方、違法な闘争手段に訴えるべきではないという穏健民主派や親中派の批判がある。

【香港】オキュパイ・セントラル 雨傘運動FAQ


「台頭する中国における香港民主化運動」と題して
旺角の流動民主教室で話す林致良さん(2014年11月14日)


雨傘運動FAQ
林致良

「Socialist Review」2014年11月号に掲載されたものを増補。
英語版はhttp://socialistreview.org.uk/396/weve-already-won-results参照。

Q 雨傘運動の規模は今でも持続していますか?

A 今日(10月28日)は雨傘運動が勃発してからちょうど一か月です。オキュパイ金鐘、旺角、銅鑼湾の三つのストリートでは行動が継続しています。しかし9月末のピーク時の20万人(香港の人口は723万人です)から比べると大きく減少しています。しかし警察が排除を試みようとしたり、裏社会や親中派による妨害があれば、新たなオキュパイ参加者が増加する、という現象があります。とはいえ、参加者全体は減少傾向にあります。

10月21日、香港政府は、今回の運動の中心的団体の一つである学生連合会の代表の会談をおこないました(他の中心的団体には「オキュパイ・セントラル・ラブ&ピース」の三人の発起人、高校生組織「学民思潮」があります)。しかし政府は譲歩しませんでした。その頑なな態度の背後には北京政府の意向があります。伝えられるところによると、習近平中国国家主席は今回の運動に対して「流血は避けるが譲歩もしない」という態度で臨むといわれています。

民衆は最大限の勇気と知性を示してオキュパイを堅持しています。民衆は政府がそう簡単には真の普通選挙の実施要求に対して譲歩しないことを理解しています。しかし一方で自らオキュパイを終わらせてしまったらこの一か月の努力が無駄になるとも思っています。運動の指導者も参加者も、やや迷いがみられます。それは理解できることです。今回の運動は完全に自発的でかつ効果的な組織的指導を欠いた大衆運動だからです。


Q 大衆運動の要求はなんでしょうか?

A 運動全体の一致した要求は、次期の特区行政長官を自由選挙で選出することです。上流階級らによって組織された候補者指名委員会が候補者をふるいにかけるような中国共産党式の偽りの普通選挙に反対し、真の普通選挙を要求しています。
しかし、運動体には異なる傾向がみられます。

オキュパイ・セントラルの3人の呼びかけ人は市民的不服従を提唱しています。ストリートの封鎖を手段にして政府に譲歩を迫り、真の普通選挙を実現しようというものです。彼らは、普通選挙こそが香港における真の自治を実現するものであり、政治とビジネスの癒着の解決をもたらす方法だと考えています。その思想はリベラリズムを超えるものではありません。

一方、近年台頭してきた「現地主義」を標榜する右翼現地派は、香港と中国の関係を疎遠なものにすべきであると主張しています。しかも「反共」を強調しています。これは香港中心主義の傾向であり、中国政府の支配に対して嫌悪と恐怖を感じる香港人が現状を変革する健全な考えを見いだせないことの反映でもあります。

一部の社会運動団体と左派団体(たとえば左翼21など)の主張は、政治的民主主義と同時に社会経済の改革を要求しています。また下層人民が政治決定のプロセスに参画することを阻害する権力者による独裁的政治体制を告発しています。「貧困層に偏った政策を回避する」、これはまさに現在の梁振英行政長官がニューヨークタイムズ紙のインタビューで語ったことです。この運動は民主化闘争であると同時に、下層人民が民主的自由と生活保障をかちとることができるのか、という階級闘争でもあるのです。

私たちは「真の普通選挙」の実現はスタートにすぎないと考えています。政治と社会経済における真の民主主義、つまり民主的社会主義こそが根本的目標です。


Q 金鐘(アドミラルティ)と旺角(モンコック)は主要なオキュパイ地区ですが、その違いは?

A 金鐘はビジネス街であると同時に政府所在地です。ここでオキュパイに参加しているのは学生や青年労働者が中心です。ビジネス街で働く一部のホワイトカラーからの支持もあります。居住区ではないので住民との軋轢はあまりありません。

旺角は全く異なります。住民がいますし、複雑な社会関係があります。裏社会の構成員もいます。ここでオキュパイに参加しているのは庶民階層が多いと言えます。以前、警察が排除を試みた際、裏社会や親中派の人間による挑発を容認しました。

またオキュパイに参加する右翼は故意に警察との衝突を挑発し、警察の暴力を誘発しました。オキュパイ参加者は旺角を奪還しましたが、つぎに何をなすべきかについては、さまざまな意見があります。


Q 大学生と高校生の参加は?

A 今回の運動の最大の特徴のひとつは多数の青年学生が参加しているということです。千名以上の中学生が金鐘のオキュパイに参加し、中学生だけの組織を結成しました。高校生も学校で集会を開いたり、フェイスブックでオキュパイ運動を支援してくれています。大学では学生や教員がオキュパイが始まった冒頭の一、二週間のあいだ授業ボイコットを組織しました。オキュパイの現場で講義を行う大学教員などもいました。

これほど広範な青年と学生が参加し、これほど影響力のある街頭行動を伴った大衆運動は、過去数十年の香港の歴史でもありませんでした。それに比較できるのは1967年の香港暴動くらいでしょう。

結果がどうなろうとも、この大衆運動は香港、そして中国大陸にも深遠な影響をもたらすでしょう。


Q 労働者の参加はどうでしょうか?

A あります。9月28日にオキュパイが宣言されましたが、警察による87発の催涙弾に対する抗議として、主流民主派陣営の教員組合、運輸組合、ソーシャルワーカー組合などがストライキを呼びかけました。ソーシャルワーカー組合のストライキは比較的成功したと言えるでしょう。香港全土には1万9000名のソーシャルワーカーがいますが、そのうち2000名のソーシャルワーカーが警察による暴力的弾圧の翌日のストライキ集会に参加しました。

しかし民主派に近い労組と中学教員組合のストライキは大きな影響力を持つことはできませんでした。今回の運動がまだ組織された労働者階級の広範な支持を得ることができていないと言えます。


Q 親中派の労働組合は運動を支持しているのでしょうか?

A 親中派の労働組合は香港工会聯合会(工聯会)です。この組織は輝かしい労働運動の歴史を持っていました。1925年6月から翌26年10月までの16か月にわたる省港大ストライキは、当時の中国共産党に指導された組合によってたたかわれました。ストライキでは英植民地政府に対して六つの要求が掲げられましたが、そのうちの一つはまさに普通選挙の実施でした。時代が下った1980年代、香港で議会制民主主義が実施されようとするなか、この組合は労働者に向かって「選挙権ではなく食券を!」という恥ずべきスローガンを打ち出しました。反オキュパイの団体の代表の一人は工聯会の指導者です。


Q 昨年の香港港湾労働者のストライキに参加した労働者たちは今回の運動を支持していますか?

A 港湾労働者らもオキュパイ支持に駆け付けました。ですが人数は多くなく、ストライキも打ちはしませんでした。とはいえ支持に駆け付けたことは貴重なことです。


Q この運動は中国国内の民主化の問題と関係しているのでしょうか? 中国国内では雨傘運動を支持する人々が100人以上も拘束されていますが、香港の人々はこの問題についてどのような反応を示していますか?

A 中国国内では公然と香港の運動を支援したことを理由に100名以上の市民が当局に拘束されました。しかし、運動の中心的組織者は拘束された中国の人々を積極的には支援しませんでした。中国政府代表部に抗議したのは社会民主連線(中道左派政党)だけです。

香港人民と中国人民との連携こそが官僚独裁の資本主義への抵抗の道であることを、新しい世代の活動家らはあまり理解していないことが不安の種であることは確かです。なかには、中国と距離を保つことこそが香港の自由を守る方法だと考える人もいます。

われわれ社会主義左派は、香港と中国の労働者民衆が一致団結して専制支配と資本の支配を打ち負かすことによってのみ、民主主義と社会的正義を実現することができる、と主張し続ける必要があります。


Q 運動部内部に論争について紹介してください。

A 最大の争点は、次の一歩をどうするかです。学生連合会のリーダーはストリート占拠を堅持すると主張していますが、右翼香港主義者らは学生連合会は計画的に撤退しようとしていると攻撃しています。

一部の参加者は自主的にストリートから撤退し、大衆運動の連合組織を結成して定期的な集会やデモなどを呼びかけるという別な方法で、力を保持して運動を継続することを主張しています。誕生したばかりの新しい運動が弾圧でつぶされないようにするためです。私はこの方針に賛成しており、人々に辛抱強くこの方針を説いています。

オキュパイ参加者の多くが、政府がまったく譲歩していないなかで、自主的にストリートから撤退すれば、この一か月間のオキュパイが無駄になるではないか、と考えています。

しかし今回の民主化運動の成果を、政府の譲歩だけで考えるのは一面的です。実際には、すでに一定の成果を勝ち取っています。たとえば人々の民主的政治意識の長期的な影響力については以下のような成果がかちとられています。

1、2017年普通選挙という嘘と、基本法と全人代常務委員会の決定が香港大資本の特権政治を守ることを認識することができた。
2、多くの市民、とくに青年学生が初めて街頭直接行動に参加したという経験
3、抵抗の現場で「民衆の団結」の意義という、大衆運動の実力を実感した。
4、最大の敵は親中派や梁振英ではなく、中国当局であることが分かった。
5、警察と暴徒による暴力によって、人民を弾圧する国家の暴力装置の本性を目撃した。
6、各政治勢力の真の姿がはっきりと示された。

ストリート占拠を堅持する民衆の不屈の精神は尊敬に値します。しかし、力関係では依然として民衆の側が不利です。一度のオキュパイ行動で成功を勝ち取ることは難しいことを、冷静に判断すべきではないでしょうか。

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