虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

雨傘運動

【香港】3月の行政長官選挙にラディカル左派が参戦

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 左上から時計回りで葉劉淑儀、曽俊華、林鄭月娥、胡国興

 
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 行政長官選挙への参戦を表明した社民連の梁国雄・立法議員。
 「市民推薦で立候補できる普通選挙を実現しよう」(2月8日)



【解説】

昨年末、梁振英・香港行政長官は326日に行われる行政長官選抜選挙に立候補しないことを表明し、親中派のなかで後継者争いが加速している。現在、行政長官選挙への立候補を表明しているのは林鄭月娥(キャリー・ラム、前政務官で雨傘運動と前面で対立)、曽俊華(ジョン・ツァン、前財政官、親自由主義経済の信奉者)、葉劉淑儀(レジーナ・イップ、元保安局長、現立法議員で治安立法を狙う)、胡国興(元高等裁判所判事)、そしてラディカル左派の社会民主連線の梁国雄などである。

 

香港の行政長官選挙は職能別に選出された1200人の選挙委員による間接選挙。その間接選挙に立候補する候補者資格を取得するには、214日から31日までの期間に150名以上の選挙委員の推薦を受ける必要がある。昨年末に行われた選挙委員を選ぶ選挙で民主派の議席は、前回(2011年)の200余りから今回327議席に拡大した。本番の行政長官選挙では過半数(600票)の支持が必要となるので、民主派が当選する可能性はない。

 

社民連の梁国雄は、28日に民主自決派の議員らとともにマニフェストを発表し、有権者1%の推薦で立候補できるとする国際標準の要求を掲げる民主派運動組織のプロジェクトにコミットしている。このプロジェクトは正式な選挙制度の枠外であり、かりに有権者1%の支持を得たからといって、正式な候補者資格を得られるわけではないが、9割以上もの有権者が行政長官選挙では選挙権がない現行制度の欺瞞を暴露することは可能である。

以下は香港の民主自決派を支援する區龍宇による論考である。職能別で選ばれた委員らによる間接選挙は実際には中国政府による選抜選挙でしかないが、目標を明確にしたうえで選抜選挙にかかわることは全く無意味ではないと主張している。原文はこちら(早野)

 

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皇帝[中国政府]の欽定で指名される黄大仙[行政長官]

行政長官の選抜選挙 その1


區龍宇
 


結局のところ誰が中央で誰が黄大仙人なのか? 聖旨が誤って伝えられているのか、それとも皇帝の真の詔なのか? 媚びて寵愛を争い、権謀術数的取引に事欠かないリアルなドラマは、この二〇年間テレビを席巻してきたフィクションの宮廷ドラマよりも面白い。

 


「腐敗官僚には反対するが、皇帝には反対しない」?

 

私はゴーゴリの『検察官』を思い出さずにはいられない。ストーリは、検察官が視察に派遣されてくると聞いた市長は[かねてよりの腐敗した市政のせいで]大いに慌て、たまたまその町に滞在していた博徒をその検察官だと勘違い、盛大な接待や付け届けを行い、あげくのはてには自分の娘も検察官に差し出してしまい、これで出世間違いなし、という淡いロシアンドリームを抱くのだが、そこに本物の検察官がやってきて、市長はじめ町のお偉いさん方一同ぽかんとするほかなかった、という内容だ。作者は、専制主義における人間の恥ずべき醜さを余すことなく風刺している。

 

あるいは、何人かの古くからの汎民主派(既成の民主派)はこの喜劇をご存知ないからか、同じように腐臭のする出し物を目の当たりにしているが、そのペテン性を暴露するどころか、逆にそのペテン劇に加担して、より少ない悪を支持するべきだと主張し、林鄭月娥(キャリー・ラム)ではなく、曽俊華(ジョン・ツァン)を支持せよという。しかしいわゆる「抗西環論」(西環は中国政府の香港出先機関である中央政府駐香港特区連絡弁公室がある場所)は、せいぜいのところ「腐敗官僚には反対するが、皇帝には反対しない」といった封建的忠臣ドラマの再演にすぎない。曽俊華が西環に反対するというのも、皇帝に忠誠心を示すためであり、治安維持条項の基本法二三条の立法化を進めるという点では、林鄭以上に中国政府に忠誠を誓っている。それに対して民主党の主席は批判するどころか、逆に擁護する始末だ。いったいこの党は民主派なのか、それとも「腐敗官僚には反対するが、皇帝には反対しない」派なのか、はっきりしているのではないか。

 

選挙ではなく選抜

 

初心を忘れるべからず。行政長官と議会の普通選挙の実現は、最低限の民主的要求である。世界では二〇世紀初頭に民主化運動の圧力によって各地で実現されていった。香港に目をやれば、二一世紀だというのに普通選挙は永遠に延期されているのだ! 職能別選挙制度が普通選挙の代りだという主張は、まったくの「魚目混珠」(魚の目玉を真珠に混ぜる=ニセモノ)にすぎない! 三〇年前には査良鏞が職能別選挙制度を次のように擁護していた。「政治的権利は社会的貢献に応じて分配すべきであり、大企業のトップはもっとも貢献していることから多くの権利を享受できる。一般市民の貢献は少ないので、権利も少ない」(大意)。彼らは次のことを忘れている。建設労働者がおらず、清掃労働者がいなければ、どれだけカネがあっても家も建たず、ゴミの処理にも困るだろう。勤労者に対するこのようなあからさまな差別的選抜制度は、真の民主派であれば、本来は受容も参加もしてはならない。受容し参加することは、民主主義を裏切り、支配者の酒池肉林の宴に加わるということである。

 

汎民主派の若手論客の區諾軒がウェブメディア『端』に書いた文章で曽俊華を擁護していないことは良いことである。だが「よりまし論」が間違いではないこと、そしてその論拠としてアメリカ左翼の中心的論客であるノーム・チョムスキーを引き合いに出し、彼もアメリカ大統領選挙では「よりまし論」としてトランプではなくヒラリーを支持したではないか、と主張する。しかしそれは間違いだ。アメリカ大統領選挙は普通選挙だからだ。良いも悪いも人民が権限を付与したものである。だが香港の行政長官「選挙」は、九割以上の有権者を排除するという前提で行われるものであり、専制政治のオブラートにすぎないのだ。

 

民主党はあるいはこう反論するかもしれない。ああ、道徳的高みに立った実効性のない主張になんの意味があるのか、と。その主張の前半部は正しいが、結論は正しくない。正しくは、民主政治においては道徳[正論]を説く必要があるが、道徳を説くにしても実効性がなければならない、である。世間の圧倒的大部分の政治は権謀術数と陰謀であり、民主派が道徳を説くことによってのみ、政治に対する人々の信頼を回復することができるのであり、そうしてこそ民主化運動に闘争的精神を注入することができるのだ。これが最大の実効性である。

 

行政長官制度廃止のための行政長官選挙を

 

二〇一一年に行政長官選挙に参戦した民主党の何俊仁を、社民連がこっぴどく批判したという古い対立を持ち出して、今回社民連の梁国雄が行政長官選挙に参戦するとは道徳もクソもあったものではないと批判するむきもある。確かに当時の社民連の声明の内容は水準の低いもので、道理を説かずに批判に終始していた。職能別選挙の本質はファシズムであり、原則的には参戦すべきではない。ただそれが抗議と真の民主主義のカンパニアであることを明確にした場合を除くという条件付きで。私は昨年末の「鶏毛有用、却非令箭」(一票の価値は伝家の宝刀ではないが紙クズというわけでもない)という文章のなかで、もし抗議の意味を込めて、そして「行政主導の廃止、立法主導と普通選挙による全権の議会の実現」というマニフェストの宣伝のためのみ限定して行政長官選挙[の候補者に選ばれる予備選挙]に参戦することは可能だと表明している。今日の民主化運動の最大の弱点は、目標が何なのかさえはっきりとしていないことである。もし何俊仁が二〇一一年にこのような立場で行政長官選挙に参戦したのであれば、それは必ずしも間違いだとは言えない。

 

もう一つ特別な状況として、かつて支配者が、職能別選挙は一時的なものであり、すぐに普通選挙に転換することを約束したということがある。そのような約束のもとで汎民主派が一時的に[選抜選挙という]状況を受容したことは、情状酌量の余地がないでもない。しかし約束はとっくに「鏡花水月」(絵に描いた餅)となってしまっており、汎民主派の漸進戦術は、三十年たってもなにも実現されていない!民主派はもっと早く「ちゃぶ台返し」をしていてもよかったのである。行政長官「選挙」は、無頼政権が香港における総監督官を「選抜」するために精密に設計された制度である。古くからの汎民主派は「選抜」を「選挙」だとみなしているが、何と愚かなことだろうか。

 

梁国雄の欠点や誤りを指摘する意見もある。だが民主派諸氏には、腐ったリンゴのなかからよりましなものを選ぶのではなく、どうか歴史の正しい側に立つよう、勤労市民の権利の側に立つように要請する。梁国雄のマニフェストの欠点という主張については、別な論考で考えを述べるつもりである。

 

區諾軒の文章の良いところは、今日の古くからの汎民主派がどれだけ徹底的に専制体制に取り込まれているかを明らかにした点である。彼曰く「市民が候補者を推薦することに対する嫌悪、社会運動活動家による曽俊華への反対に対する反感は、すでに私の許容範囲を超えたものになっている」。かわいそうな區諾軒よ、いっそのこと「棄暗投明」(反動勢力と手を切って正しい側に移行)してはどうだろうか? 何故にそのような投降派の隊列で苦悶するのだ。「要留清白在人間」(困難を恐れることなく、清く正しい姿でこの世にいつづけよう)ではないか(訳注)。


二〇一七年二月八日


 

(訳注)

于謙(明の政治家、1398―1457)が12歳の時に詠んだの詩「詠石灰」の最後の句。

 

・詠石灰

 千鎚万鑿出深山

 烈火焚焼若等閑

 粉骨砕身渾不怕

 要留清白在人間

 

・石灰を詠ず

 千鎚万鑿(せんついばんさく)  深山(しんざん)より出()

 烈火の焚焼(ふんしょう)    等閑(とうかん)の若(ごと)

 粉骨砕身(ふんこつさいしん)  渾(すべ)て怕(おそ)れず

 要(かなら)ず清白(せいはく)を留めて 人間(じんかん)に在()らしめん

 

(現代語訳)

・石灰を詠む

 叩かれ穿たれて 山の奥から掘りだされる

 炎に焼かれるが 気にしない

 粉骨砕身も   恐れることなく

 清く正しい姿で この世にいつづけようではないか

 

こちらのサイトを参照しました

『香港雨傘運動 プロレタリア民主派の政治論評集』 區龍宇 著、柘植書房新社

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『香港雨傘運動 プロレタリア民主派の政治論評集』

區龍宇 著 / 早野一 編訳 / 三七〇〇円+税
柘植書房新社 / 二〇一五年九月一五日 発行



au01【著者紹介】 區龍宇 香港で活動する労働問題研究者。中国におけるグローバリゼーションの影響について大衆教育を推進するNGO「全球化監察」(グローバリゼーション・モニター)創立メンバーの一人で、二〇〇五年末の香港でのWTO第6回閣僚会議に対するアクションの中で「香港民衆連盟」代表の一人となった。現在、「チャイナ・レイバーネット」と『ワーキングUSA-労働・社会雑誌』の編集委員・『ニュー・ポリティークス』、『ワーキングUSA』などの雑誌に寄稿。



【 目次 】

◇ 本書を読むにあたって

◇ 第一部 雨傘運動の総括と展望


 一 中国共産党と雨傘運動

 二 六つのシナリオと一〇万人のキャスト雨傘運動の内部力学について

 三 雨傘運動の意義と展望


◇ 第二部 オキュパイ・セントラル雨傘の前奏曲(二〇一三年六月~二〇一四年七月)


一 香港社会の地殻変動
・香港のあり方をめぐる右翼と左翼『香港ポリス論』批判
・六月四日、七月一日、そしてX月Y日香港行政長官選挙後の新しい情勢と任務
・これまでの民主主義の理論は時代遅れに新しい民主主義の理論は危機の中に好機を見出す
・サンクト・ペテルブルグの「中国特使」と香港の特務工作
・戦略ゲーム「オキュパイ・セントラルの鎮圧」
・香港の三つの歴史的画期民主化運動の回顧と展望

二 新しい民主化運動青年とプロレタリア
・オキュパイ・セントラルは誰が担うべきなのか
・真のポリス論候補者指名権を巡る論争から
・普普主義プロレタリアと普通選挙
・プロレタリア民主主義の萌芽
・尊厳ある労働と理工大学の過労死

三 オキュパイ・セントラルの決行に向けて
・攻勢的に七月一日のオキュパイを実現しよう 新情勢下の新思考(一)
・青年の創造的イニシアチブの勝利
・三大決戦へ香港人よ、用意はいいか
・研究室と監獄
・新しい民主化運動の不服従の夏


四 香港自決権の防衛と排外主義極右批判
・自決権に対する郝鐵川氏の誤解
・人民ではなく権力者に奉仕する陳弘毅の憲政観と問題だらけの「人民力量」の全人民憲法制定論
・時危くして節を見し、世乱れて良を識る新情勢下の新思考(二)
・『学苑』元編集長の王俊杰氏に答える

◇ 第三部雨傘運動のなかで(二〇一四年九月~一二月)

一 学生ストと新しい世代
・学生ストという素晴らしい授業 フランス一九六八から香港二〇一四へ
・オキュパイ・セントラルからみた二つの民主的価値観
・劉兆佳よ、お楽しみはこれからだ!
【付】全人代の乱暴な結論反対真の普通選挙と民生の改善がともに必要だ 普通選挙を実現する労働団体、市民団体の声明

二 雨傘運動の拡大
・オキュパイ・セントラルの攻略
・なぜ旺角を撤退し金鐘に結集させるべきなのか
【付】旺角街頭での政治談議(白瑞雪)
・雨傘運動と八九年民主化運動似ているところ違うところ
・立法会への襲撃は運動破壊である
・全人民の議論で、大業を共謀しよう
・敗北の中の勝利

三 プロレタリア民主派の雨傘綱領
・香港人の民主共同体の誕生「雨傘運動の共同綱領」の提案
・旺角攻防戦のアップグレードその一
・雨傘運動の自発性と自覚性旺角攻防戦のアップグレードその二
・梁振英と葉國謙反する主張で補充しあう
・二つの「民」主義が雨傘を救う

四 香港民族共同体批判
・香港核心価値論を掲げる香港新民族主義 民主共同体か民族共同体か(その一)
・民主主義はこうして鍛えられた 民主共同体か民族共同体か(その二)

五 中国共産党
・事に必ず至るもの有り、理に固より然るもの有り 中国共産党の本質から全人代決議を論じる
・カモフラージュして登場する闇の勢力に社会運動はいかに対峙すべきか
 【付】ファシスト暴徒による平和的オキュパイへの襲撃を放置する香港政府を強く非難し、金鐘オキュパイに力を結集することを呼びかける
・重惨党を笑う
・まるで「動物農場」のラストシーン 豚と人の見わけがつかない
・田北俊事件と門閥資本主義

◇ 第四部 雨傘運動が終わって(二〇一五年一月~)

・新しい世代の古い路線?
・思想を大いに解放しよう独立を目指さない自決権について
・学生諸君、これは政治闘争である
・「舟に刻みて劍を求む」では香港の自治を守ることもできない
・天安門追悼集会に参加すべし支聯会は改革すべし黔驢は柵に入れておくべき
・立憲体制に介入し、香港人の政治的人格をうちたてよう
・採決直前の爆弾テロ未遂事件?

◇ 解説:雨傘運動の底流─近年における香港の民主化運動  早野一


【 本書を読むにあたって 】

 本書は、二〇一四年九月末から一二月まで、香港の政治経済の中心地や繁華街の大通りを大規模にオキュパイ(占拠)して民主化を求めた「雨傘運動」に関する論評をまとめたものである。著者の區龍宇氏は香港在住の左派活動家で、中国の労働問題やグローバリゼーションをはじめ様々な課題について、複数のウェブメディアを中心に執筆をつづけている。區龍宇氏は一九七一年に香港で盛り上がった釣魚台(尖閣諸島)運動に弱冠十四歳で参加し、その後は左翼組織に参加。一九八四年の中英共同声明によって香港の中国返還が合意され、香港社会でもさまざまな立場からの議論が活発化し、従来からの中国派はもとより、ブルジョア民主派も中国政府の返還に向けた統一戦線にからめとられていく中で、區氏ら少数の独立左派グループはおりしも盛り上がっていた中国国内の民主化運動の展望を背景として、香港の民主的返還と自己決定権を全面に掲げたプロレタリア民主派として、民主化運動に参画していく。

 中国政府による香港返還に向けた統一戦線政策は、一九八九年の民主化運動への弾圧(六・四天安門事件)による香港および国際社会の反発をうけて強硬路線に転換する。これ以降、九七年の返還から昨年まで、天安門事件の追悼集会や香港民主化運動については、民主党などのブルジョア民主派(本文では「主流の汎民主派」と表現されている)の動きだけが取り上げられてきたが、天安門事件以前の歴史と香港返還以降の民主化運動の経過を知る者にとって、それは事実の一面、しかもほとんど重要ではない一面にすぎない。本書に収録した一連の論考によって、香港における民主化運動にとって、それらブルジョア民主派が果たした─正確にいえば、果たすことができなかった─決定的な役割を知ることができるだろう。

 もちろん著者の論考もプロレタリア民主派という立場からのものであり、そのような観点には批判もあるだろう。しかし雨傘運動のような事象を全面的に理解するためには、「極」の側に立つこと、ゆるぎない明確な立場に自らを置くことが必要な場合もある。ある事象の誕生、生存、発展を規定する主な条件を精確に認識することが、事象の分析にとって重要である。雨傘運動の場合は、中国共産党と資本主義という二つがその条件にあたる。そして著者はそれに対する妥協なき闘士として長年香港で活動してきた。一方、これまで香港の民主化運動の中堅を担ってきたとされるブルジョア民主派は、中国共産党と資本主義の二つのあいだで揺れ続けてきた。ブルジョア民主派というフィルターを通して香港民主化運動を理解することは不可能とまではいわないが、事態の把握が極めて不精確とならざるを得ない。今回の雨傘運動において、八〇年代から続く香港民主化を巡る論争から、原則的な立場がほぼ一切ぶれずに変わらなかったのは、中国共産党とプロレタリア民主派だけである。その意味でも、三十年にわたる香港民主化運動のピークの一つとしての雨傘運動を理解するうえで、著者の論考に納得できなくても、それを知っておく必要があるのはいうまでもない。

第一部 「雨傘運動の総括と展望」について

 第一部「雨傘運動の総括と展望」は、雨傘運動終了後の数ヶ月後に執筆された総括的文書を収録した。

 一は、雨傘運動が対峙することになった最大の壁である中国共産党についての分析である。昨年、日本で出版された區龍宇氏の著書『台頭する中国その強靭性と脆弱性』(柘植書房新社)では香港問題に関する論考は収録されていないが、本稿はそれを補うものになっている。『台頭する中国』に収録されている中国共産党に関する論考もあわせてお読みいただきたい。二は、雨傘運動にかかわった六つのアクターに関する論考である。中国共産党という巨人に抗う運動内部の問題を中心に展開されている。三は、当初の要求をほとんど実現することができなかった雨傘運動が提起した課題と今後の展望を示す。

 第二部と第三部は、第一部で記述されたさまざまな事象を、いくつかのテーマに分けて、それぞれのテーマごとに時系列的に収録した。第一部の総括が、雨傘運動から数ヶ月経過した冷静な分析だとすれば、第二部以降は運動の渦中で書かれたものであり、論争的、タイムリー、躍動感に溢れる論考が数多く収録されているのが特徴である。

第二部 「オキュパイ・セントラル雨傘の前奏曲」について

 第二部「オキュパイ・セントラル雨傘の前奏曲」は、二〇一三年初頭に提起されたオキュパイ・セントラル運動における著者の一連の論考収録している。

 「香港のあり方をめぐって」に収録されている冒頭の二論文は二〇一二年に書かれたものであるが、オキュパイ・セントラルおよび翌年の雨傘運動を惹起した状況を理解する手助けとなるだろう。他にも新たな情勢の中で登場した新しい民主化運動の萌芽と香港社会の変容、そして中国共産党の対応などについての論考をまとめて収録した。

 「新しい民主化運動青年とプロレタリア」では、ブルジョア民主派につらなる人脈によって呼びかけられたオキュパイ・セントラル運動に、プロレタリア民主派が積極的にかかわることの重要性を説いた論考を中心に収録した。イギリスの普通選挙運動や戦後日本の反戦平和運動、あるいは植民地解放闘争や一九世紀の欧州におけるブルジョア革命など、プロレタリア民主派を前衛とした労働者階級が、その運動(革命)に層として参加したすることで、より強固で断固とした闘争に発展したという階級闘争の歴史的経験に裏打ちされた論考である。

 「オキュパイ・セントラルの決行に向けて」では、新たに登場した学生を中心とした民主化世代がけん引する運動をプロレタリア民主派として鼓舞する論考を収録している。

 「香港自決権の防衛と排外主義極右批判」では、主権在民の立場から香港の自己決定権を擁護するとともに、「中国」という圧力に対する反発をバネに台頭する排外主義を批判する論考を収録した。排外主義極右の参加を巡る問題は、雨傘運動の内部においても大きな争点の一つとなったことは第一部の総括でも触れられている。この時期の論考の多くは「香港独立媒体」「主場新聞」などのオルタナティブ・ウェブメディアおよび「左翼二一」や「労働民主網」など左派ウェブサイトに掲載された。

第三部 「雨傘運動のなかで」について

 第三部「雨傘運動のなかで」では、雨傘運動の直接のきっかけとなった二〇一四年九月下旬の学生ストから、雨傘運動が終了した一二月までのあいだに書かれた論考や分析を収録した。

 第二部で展開されたプロレタリア民主派の主張や分析が、実際の運動の発展においてどのように有機的に適用されたのかを知ることができるだろう。

 「学生ストと新しい世代」は第二部に収録するほうが分類的には正確なのかもしれないが、分量のバランス、そして雨傘運動の直接の契機となったことなどを踏まえて第三部の冒頭に収録した。オキュパイ・セントラルに向けて高揚する学生ストの雰囲気を伝える一連の論考を通じて、学生らが社会に異議申し立てを行う意義を理解することができるだろう。

 「雨傘運動の拡大」では、巨大かつ長期的な街頭占拠の期間に発生したさまざまな事態に関する分析を収録している。著者は雨傘運動の中心にいたわけではないが、プロレタリア民主派として可能な限りオキュパイの現場での街頭討論会やウェブメディアを通じて主張を行い、また象徴的闘争(九月二七日から二八日にかけてのオキュパイ宣言や一一月三〇日から翌日未明までの機動隊との激しい衝突を伴った行政長官官邸周辺のオキュパイ決行闘争など)にも参加し(もちろん主力は著者よりもずっと若い青年世代であったが)、自らの従来の主張や分析に現実過程を統合し発展させている。

 「香港民族共同体批判」は、運動内部の排外主義右翼のアイデンティティである「香港民族」という概念が香港の自由放任資本主義の価値観と親和的である点を批判し、雨傘運動に表現される新しい運動の目指すべき共同体が「民族」ではなく「民主」を共通概念とすべきであることを主張する二編を収録。

 「中国共産党」では、雨傘運動に対する中国共産党の反応を論じている。第三部に収録した論評の多くは、香港の主流紙「明報」の日曜版コラムに掲載されたもの。

第四部 「雨傘運動が終わって」について

 第四部「雨傘運動が終わって」に収録した論考は、時系列にそっている。第二部と第三部で示された諸問題が雨傘運動後にどのように展開されたのかを、プロレタリア民主派の立場から論じている。

 巻末に収録した「雨傘運動の底流近年における香港の民主化運動」は、第一部から第四部に貫かれるプロレタリア民主派の主張を理解するために書き下ろした。香港基本法、行政長官、議会、選挙制度の基礎知識と、普通選挙権を求める動きを中心としたトピックスから構成されている。研究論文ではないので間違いや漏れなどもあると思われるが、區龍宇氏の論考を読むうえで理解しておくべき内容に焦点をしぼったので、本書で初めて香港の民主化運動に接する読者の方は、まずこちらから読み始めてもいいだろう。必要に応じて各論文の冒頭に訳者の解説をつけた。また本文中の[ ]も読者の理解促進のための訳注である(編者)


【 解説 : 雨傘運動の底流 近年における香港の民主化運動 】

早野一

 雨傘運動は「我要真普選!」(本当の普通選挙を!)を掲げて取り組まれた。「本当の普通選挙」とは、(1)香港行政府のトップである行政長官を選出する選挙に市民誰もが自由に立候補することができ、候補者を直接選挙で選出すること、(2)香港議会(立法会)の職能別選挙枠を廃止し、全議席を直接選挙で選出できるようにすることを指す。なぜ雨傘運動が「本当の普通選挙」を要求したのかを知るには、少なくとも返還前の植民地時代から続く政治制度およびその民主化を求めた動きを理解することが重要だろう。

(略)

雨傘の下に芽生えつつある新しい民主化運動

 香港の雨傘運動は、内部の敵(排外主義極右)と外部の敵(中国政府)という二つの極右という、予想された以上に厳しい局面を経験した。雨傘運動のきっかけとなった学生ストなどを主導した学聯は、排外主義右翼の揺さぶりで加盟組織が次々に脱退するなどの事態に直面した。しかし雨傘運動を通じてプロレタリア民主派という新しい民主化運動のカードルを層として鍛えるまでには至らなかったが、目指すべき方向性を社会的に明示したことは、著者の一連の論考を読むことで理解できるだろう。もう一つの学生組織である学民思潮を率いたリーダーをはじめ、新しい民主化運動のカードルからは基本法を民主的に再制定しなおすべきであるという主張もなされはじめている。雨傘の下で確実に変化の兆しは表れている。

 「五十年不変」の問題は冒頭で述べたところであるが、オルタナティブは香港独立や脱中国化でないことは、著者の論考からも明らかである。返還から五十年後の二〇四七年までに、香港のみならず中国全土の政治と経済の民主化を実現するこそが決定的に重要である。それはひとり香港や中国だけの奮闘ではなく、台湾、日本、沖縄や朝鮮半島の極東や東アジア全体、そして世界規模での政治・経済の民主化と一体の闘争である。

遠からずして起こるべき次の爆発の方向を示す手がかりとして

 第一部の「中国共産党と雨傘運動」の最後で、著者は雨傘運動を「雨傘革命」と名付けることに反対している。訳者も完全にその意見に同意するが、最後に敢えて、一八四八年のドイツ革命の過程を分析したエンゲルスによる論考集『革命と反革命--一八四八年のドイツ』(岩波文庫)の冒頭で、敗北したドイツ革命の総括の試みたこの論評集を執筆する意義を語っている箇所を引用して本稿を終えたい。それは、區氏の一連の論考および分析が、ブルジョアジーが開始して途中で放棄してしまったドイツ革命を最後まで推し進めようとして斃れた唯一の階級である中欧の労働者階級の息吹を伝えたエンゲルスとマルクスの筆跡を彷彿とさせるからでもあるが、過密なスケジュールの中で、日本での出版に合わせて第一部を書下ろした著者の意図をほぼ正確に表現しているからでもある。

 「[ヨーロッパ]大陸の革命党--いな、むしろ革命諸党--が、その戦線のすべての点でこうむった敗北よりもひどい敗北を想像することはできない。だが、それがなんであろう。イギリスの第三階級が、その社会的ならびに政治的支配権をうるためにおこなった闘争は四八年、フランスの第三階級のそれは四〇年にわたる、比類のない闘争の連続ではなかっただろうか。しかもふたたびその位にもどった君主制が、まえよりもいっそう鞏固になったと考えられていたその瞬間ほど、かれら第三階級の勝利が近づいていたことが、あっただろうか。……これを強圧しようとするこころみは、いずれも、ただその要求をますます強烈にし、われわれとしては、もう一度はじめからやりなおすだけのことである。さいわいなことには、激動の第一幕のおわりと第二幕のはじめとのあいだにめぐまれたこの幕合は、おそらく非常に短いものであろうが、ともかくわれわれに対して、きわめて必要な一つの仕事をする余裕をあたえてくれている。その仕事とは、さきの蜂起とその敗北、この両者を必然ならしめた諸原因を研究すること、これである。……われわれは、たしかな事実にもとづいた合理的原因を見いだして、その運動の主要な事件と重要な推移を説明するとともに遠からずして起こるべき次の爆発が、ドイツの民衆にどういう方向を示すかという点について、一つの手がかりをあたえることが、できれば、それで満足しなければならない。」

 本書が、エンゲルスの言うところの読者の満足にかなうものであることを願う。

 二〇一五年八月五日

【香港】学生諸君、これは政治闘争である

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雨傘運動の中心を担った香港大学生連合会(学聯)は8つの大学の学生会の連合組織でしたが、雨傘運動での指導に批判的な右翼本土派(中国大陸の中国人を排斥する香港中心主義・排外主義)らのイニシアチブのもと、構成団体の一つであり現執行部の書記長を輩出している香港大学学生会で「学生連合会からの脱退に関する学生投票」が2月8日から13日の日程で行われ、脱退賛成2522票,脱退反対2278票,棄権1293票という結果で脱退を決定しました。また香港大学だけでなく、嶺南大学、理工大学などでも学生連合会からの脱退を進める右派の運動が展開されています。以下は區龍宇さんが「独立媒体」に発表した論評。原文はこちら (H)


学生諸君、これは政治闘争である

區龍宇



香港大学学生会を香港大学生連合会から脱退させるという右翼本土派の策動の成功は、われわれに対する警鐘である。香港大学から選出されている学生連合会の代表は、脱退の策動に対してすぐに明確な反対を示さなかったことについて遺憾の意を表明した。愚見だが、このような敗北的様相は、じつのところ雨傘運動の際にすでに形成されていたと考えられる。

陳雲(嫌中排外主義の学者:訳注)が「学生連合会を解散し、学生会の自治連合を再編せよ」と呼びかけたときに、

右翼本土派があちらこちらで雨傘運動の参加団体に旗を掲げさせないように試みているときに、

彼らが街頭討論を組織する団体に対して攻撃を行い、とくに学生連合会がモンコック(旺角)で行った街頭討論を破壊しようとしたときに、

彼らが自由に「サヨク」というレッテルでほとんどすべての団体に対して侮蔑を行っているときに、

彼らがベテランの社会運動活動家に対して口汚くののしっているときに、

彼らが雨傘運動のメインステージの撤去と警備係の廃止を叫んでいるときに、

われわれはつねに譲歩し、旗を降ろし、仲裁し、みずからの至らなさについて謝罪するだけだった。なかには自衛反撃をする者もいたが、個人的な対応にとどまり、集団的な反撃を行わなかった。このときすでにわれわれの敗北は始まっていたのである。

より厳格にいえば、このように恥知らずな攻撃をおこなっていた右翼本土派はすでに単なる右翼ではなく、極右へと向かっていたのである。しかし極右に向かう人々に対する民主派の対応が、このような譲歩に次ぐ譲歩であったことから、現在につながる禍根の種を遺すことになった。なぜなら政治は受動と真空を最も嫌うからである。種々の不当な攻撃と侮蔑に対して沈黙すれば、それを見た人は「黙認するんだな」と考えるだろう。もし不当な攻撃に対して反撃もせず逆に陳謝して矛盾を緩和しようとすれば、それを聞いた人は「間違いだったことを認めるんだね。だって謝ったんだから」と考えるだろう。

右翼本土派に対しては、ソフトな対応だけでなく、ハードな対応も必要である。明らかに路線闘争が必要なのであり、投げかけられた侮蔑に対しては断固として反撃しつつ、民主化運動内部の自由と多元主義を防衛しなければならない。わたしは今になってこのような主張をしているのではない。雨傘運動開始後すぐに、右翼本土派による運動破壊が明確になり始めてから、幾度となくこのような警報を発してきた。残念なことにそれに対する反応はほとんどなかった。中国に「ウリを植えればウリが獲れ、豆を植えれば豆が獲れる」という諺があるが、今回の学生連合会からの脱退は、すべてのオールド、ミドル、ヤングのすべての世代の民主派が右翼本土派の攻撃に対して軟弱な対応で萎縮した結果である。

1月31日に社会民主連線(民主派政党:訳注)が開いたシンポジウムでの羅永生(嶺南大学教員)の報告は非常によかった。彼によると、雨傘運動全体で言えば、主流民主派、社会運動団体、左翼にいたるまで、政治的準備の欠落はもとより、さらには意志に欠けていたが、逆に右翼本土派には備えがあり、また闘争の意志があったことから、雨傘運動のなかでもっとも収穫が大きかったという。

とはいえ、現時点からの反撃でも遅すぎるということはないだろう。学生諸君たちもすでに準備を始めていることと思う。だが、右翼本土派による学生連合会や民主化運動に対する破壊および排外主義を阻止しようとするのであれば、守勢一方ではだめなことは言うまでもないが、反撃するにしても、主張に頼るだけの反論ではなく、直接対決するような反撃が必要である。だがそのチャンスはまだ到来はしていない。現時点でできること、やらなければならないことは、運動の焦点を真の敵(中国政府および香港政府)の方向に向けるということである。

たとえば、今年3月に開かれる中国全人代において、われわれは「香港選出の全人代代表は我々の代表ではない」という宣伝および請願行動を行い、香港から選出される全人代代表を誰もが立候補できる普通選挙にって選出し、香港人の運命を自主的に決められるように要求を掲げつつ、中国全土の全人代代表も同じように選挙で選ぶことを主張する。

これによって、香港人の中国公民としての権利が中国共産党によって否定されている事実を顕在化させ、「選挙によってえらばれていない政権に統治権はない」という原則にもとづいて、香港人の自主(自治)要求を目的をすることができる。目的の二つ目は、このような要求を掲げることで右翼本土派との区別をはっきりとさせることができる。われわれは香港の自主とともに、中国の民主を要求する(それは大中華主義的要求ではなく、民主主義的要求である)。三つめの目的は、中国からの観光・買物客に対する批判の的を、最大の敵である中国共産党へと移すことである。

もしこれらの活動がうまくいけば、右翼本土派との直接対決でもなく学生連合会脱退への直接の反撃ではないにもかかわらず、右翼本土派に対抗するという意志はこれらの活動の中に明確に位置付けられるのである。

2015年2月18日

【香港】思想を大いに解放しよう~独立を目指さない自決権について

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1月14日、香港政府の梁振英行政長官が今年の施政報告を行った。民主派議員らは黄色い雨傘を掲げて抗議の意味を込めて退場した。梁行政長官は施政報告の説明で、香港大学学生会の機関誌『学苑』2014年2月号が「香港民族 命運自決」と題する特集を組んで、そのなかで香港独立を主張したと厳しく批判した。雨傘運動の中でも中国嫌いの「香港本土派」らが盛んに「香港独立」「中国国内のことなど関係ない」という主張を展開し、中国の民主化がなければ香港の独立どころか高度な自治さえも実現することができないと訴える社会運動派に対する敵がい心をあからさまに表現していたことは、區龍宇氏による一連の論評でも紹介してきたところである。以下は、區龍宇氏が「民主的自決権派」という立場から今回の問題を論じたもの。原文はこちら。(H)

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思想を大いに解放しよう
独立を目指さない自決権について


區龍宇

2015年1月16日

梁振英(行政長官)の『学苑』に対する攻撃は、準備されたものであり、香港独立派に対して先手を打ち、反す刀で主流民主派に立場表明を迫ったものである。梁家傑(民主党派の公民党党首)は梁振英から香港独立を支持するのかと追及され、やや受動的かつ簡単に、香港独立に反対すると答えた。だがこれが民主派の立場であると受け取られてはかなわない。さらに重要なことは、梁家傑 のような答えは、主流民主派がそもそも情勢の推移に追いついていないことを暴露するものである。民主主義の立場に立ち、戦略的な観点から答える、次のようになるだろう。

1、香港人には自決権がある。香港の真の民主派は、これからは「民主的自決権派」と名乗るべきである。(原注1)

2、自決権には独立する権利も含まれる。

3、独立する権利は、イコール、独立しなければならないということではない。去年のスコットランドの独立を巡る投票では、多くの有権者が自決権を支持した(独立を問う投票に参加した)が、結果は独立反対が多数を占めた。

4、つまり民主的自決権派は二つに分類することができる。独立をめざす自決権派と独立を目指さない自決権派である。

5、大多数の香港人は、(独立や自決権ではなく)高度な自治のみを願ってきたが、今日の情勢下においては、自決権をかちとらなければ自治さえも危ういということが明らかになった。

6、自決権は擁護するが独立は目指さないという価値観は、大多数を結集させることができるし、また柔軟にとらえることができる。だが独立を目指す自決権の場合は、独立と自決のどちらの実現も難しいだろう。それゆえ後者の立場は支持できない。(原注2)

7、独立を目指す自決権派は、反中国人主義と決別しなければ、支持されないばかりでなく、自ら墓穴を掘ることになるだろう。

8、香港人が自決権を実現しようとするのであれば、中国大陸人民の共感と支持をかちとり、中国政府をけん制することができれば、実現の可能性がでてくるだろう。逆に、すべての中国人を敵視する排外主義は、たとえいかに「香港の利益」を打ち出すことで粉飾したとしても、実際には一部の政治的ポピュリストのために危険な火遊びを行うことにしかならない。それは香港の民衆を袋小路に追いやることになるだけである。

9、独立を目指さない自決権派は、独立を目指す自決権派と連携して言論の自由(香港独立の主張を含む言論の自由である)を防衛するとともに、政治路線においては違いをはっきりとさせなければならない。

10、香港の自治権は空前の危機に陥っている。香港人はさらなる思想の解放、大胆な発言し、自由な思索が必要である。政権によるいかなる言論抑圧の試みに対しても、全香港人による共同の反撃が必要である。


(原注1)民族だけが自決権があるわけではない。民主主義の原則から以下に自決権を導き出すべきかについては、筆者による『自決権を誤解する郝鉄川氏』を参照してほしい。「主場新聞」に掲載され[同サイトは閉鎖:訳注]、現在は以下のサイトで閲覧できる。http://www.workerdemo.org.hk/0001/20140413.01T.pdf

(原注2) これに関する見解については、筆者はこの一年の間に「主場新聞」「独立媒体」「明報」などで述べてきたところである。

【香港】新しい世代、古い路線?

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▲学生団体と香港政府の対話(2014年10月21日)

新しい世代、古い路線?

區龍宇


11月20日、学生連合会の代表と政府との二回目の対話---。

周永康・学聯代表 「10月21日の第一回目の対話のあと、もっと大きな事件に発展しました。各業界でストライキが発生しています。もし政府が譲歩しないのであれば、さらに大きな怒りを買うことになります。」

林鄭・政務司司長 「しかし街頭占拠に反対する人たちも、それ以上にいるではありませんか。」

岑敖暉・学聯代表 「選挙制度改革は中央政府の専権事項なので香港政府には権限がないと主張し続けるのであれば、私たちは一歩下がって次のことを要求します。労働者・学生連盟の『民主憲章』にある民生に関する事項のすべての要求を受け入れてください。これらの事項はすべてあなた方自身に決定権があるのですから!」

林鄭 「それらについてはゆっくり検討しましょう。あなた方は恫喝的な態度で私たちに要求を迫るべきではありません。」

梁麗幗・学聯代表 「私たちは恫喝などしていません。ただ庶民は我慢の限界なんです。街頭の占拠者だけでなく、たくさんの労働組合もすでに準備ができています。もしも市民のための公共住宅建設を拒否したり、団体交渉権と40労働時間の法制化を拒否したりすれば、人々はすぐにストライキに突入するでしょう。この第二派のストライキは、第一波のストライキのときよりも強烈でしょう。なぜなら要求実現の権限があなた方にあることをみんな知っているからです!」

林鄭 「それらの議題についてはすぐに諮問手続きに入ることを検討して・・・・・・」

周永康 「具体的な期日を明言してください。庶民は大変苦しいんです。それが分からないのですか?それにもかかわらずタバコ税は倍に引き上げられます。どうして労働者たちが禁煙することが大変なのか分かりますか? 毎日長時間働いて、仕事だって楽じゃないんです。林鄭司長!タバコでも吸わないとやってられない。分かりますか? 健康のためだというんなら、労働時間を短くすれば、タバコ税を引き上げる必要などありませんよ。仕事が少しでも楽になれば、タバコに頼る必要も減るんですから、司長!」

◆ 亜洲電視社員の労働の尊厳はいかに?

この対話はもちろんフィクションである。

だが、もしこのような状況であれば、労働者の尊厳はもう少しましなものになっていただろう。クリスマスと正月を目前に控えた亜洲電視(アジアテレビ)の社員らが賃金遅配の憂き目にあうという事件は起こらなかっただろう。あるいは少なくとも労働者らの怒声が悪徳資本家たちを震え上がらせることができたかもしれない。タダ働きほど耐え難い屈辱はない。

亜洲電視の社員の多くは、普段は自分のことを「労働者」というよりも「専門分野の人間」あるいは「中産階級」だと思っていたかもしれない。しかし今回の賃金欠配事件は、ほかでもなく次の事実を明らかにした。つまり彼ら彼女らも確かに労働者であり、確かに経営者階級と利害が対立しており、しかもその対立は経営者たちに踏みつけにされていることで発生しているのである。昨日の報道によると、亜洲電視の数人の経営陣の資産合計は720億香港ドル余りに上るが、欠配賃金は1500万香港ドルに過ぎない。つまり経営者らの資産総額のわずか0.02%に過ぎないにもかかわらず、それっぽちも払おうとしないのである。これは搾取というだけでなく、屈辱でさえある。

香港全土の労働者は300万余りで、総人口の約半数であるが、「普通選挙権を持っていない」と「労働の尊厳を持っていない」という「二つの持たざる者たち」でもある。(2013年の)港湾労働者の争議で、ある労働者の代表がこう語っていたことを思い出す。「仕事をするならすぐにしろ、したくないならとっとと出て行け、という職制の口癖は、みんなの憎しみの的だったね」。労働時間規制もなく、団体交渉権もない。労働権や休憩する権利の保障はわずかなもので、自分の退職金は銀行の強制積立金になってしまう。これら一切の事柄はここで詳細に述べるまでもなく周知の事実である。

◆ 「二つの持たざる者」は社会変革を求める

人々は二つの権利(民主的権利と労働権)を奪われたままになっているのだから、民主主義と民生保障はどちらもかちとるべきである。普通選挙の実施だけを求めるシングルイッシュー路線は間違いである。だが残念なことに主流民主派は一貫して大資本に親和的な路線をとっており、普通選挙以外の要求をかかげてこなかった。しかも普通選挙の要求でさえも、真剣に実現しようとはしてこなかった。

これら主流民主派はすでに民主化運動を指導することはできなくなっている。一方で労働者市民らはますます政治化し、さらに多くの労働者市民が雨傘運動に参加した。いまでも雨傘運動を学生運動としか考えていない主張もあるが、それは正確とはいえない。簡略化を恐れず言えば、旺角ではブルーカラーが多く、金鐘ではホワイトカラーと自営業者が多かったが、ブルーカラーもホワイトカラーもどちらも労働者階級であることにかわりはない。だからであろう、それぞれの占拠区では、庶民らによるメッセージ(ポスター、各種の宣言、イラスト、横断幕など)、労働団体や学生連合会を含む社会組織にいたるまで、それらすべてにおいて民生保障を求める声を発していたのである。しかし、このような真の民主主義の訴えが(民生問題を訴えない民主主義は真の民主主義にあらず)、民主主義一般の訴えから自立した形で大きく響き渡らなかったことも事実である。もちろんそれには客観的な原因がある。しかし普通選挙を求める運動において労働団体の路線が、上層の中産階級路線と明確な区別をつけることができなかったことも、ひとつの原因といえるだろう。

◆ 労働者と学生の同盟は自主的そして自覚的に

労働団体が去年初めのオキュパイ・セントラルの開始当初から学生と一緒に、主流民主派の普通選挙シングルイッシュー路線から離脱して、民主と民生の両方を掲げていれば、雨傘運動の初期に打たれたストライキの規模も少しは大きくなっていたかもしれない。あるいは規模の拡大はなかったかもしれないが、すくなくとも労働者市民からの支持は大きくなっていただろう。反オキュパイ運動との世論の引っ張り合いでも、有利な状況になっていただろう。もっと重要なことは、主流民主派に追従すして沈みゆく船に乗り込むという、骨折り損のくたびれ儲けになることもなかっただろう。

しかし、香港社会の満身創痍の理由が普通選挙権の不在だけではないことは、誰もが知っていることだ。それは1%と99%という、極度の貧富の格差が存在する社会ゆえのことである。そして99%に含まれる大学生や卒業生らも、その多くが労働者への道を歩むことになる。このような99%の人々が、全面的な社会変革を訴えたのである。だが従来の民主派の路線はそれとは異なり、香港民主化運動の目標を普通選挙シングルイッシューに制限し、労働運動、そして学生運動さえもその付属物としてしかみなさなかったのである。当然である。それこそ大資本に迎合する上流の中産階級の路線なのだから。奇妙なのは、この路線においては敗者にしかならない労働団体が、何ゆえに主流民主派と運命を共にしたのかということだ。

考えられる理由の一つは、独立した民主的労働運動の路線を掲げることで、民主化運動が分裂するのではないかという心配である。しかし、それは考えすぎだし、独立した運動であっても対立せずに協力することは可能である。それに何よりも、労働運動の圧力によって主流民主派が新しい路線を歩み始めるという選択肢を、どうして初めから排除するのか。一歩下がって、彼らがそれを受け入れないとしても、労働者と学生の同盟が独立した旗幟を掲げることは他の民主派を妨害することではない。必要に応じて協力すればいいことだし、別個に進んで共に撃てという方針のもと、共同の敵に対抗すればいいのである。

◆ 古い路線にサヨナラしよう

民主化運動の大衆的基礎を拡大しようとするなら、普通選挙の実現と同じくらいの力の入れようで、富の再分配を要求すべきだろう。もちろんこうした方針は財界の大物や上流の中産階級が喜ぶところではない。だが問わなければならないことが一つある。いったいどれだけの財界の大物が、真の普通選挙を支持しているのか、ということだ。次にオキュパイ10氏(宗教家、教員、医師、メディア主宰者ら10人のオキュパイ応援団:訳注)らが雨傘運動の進展の中でとった態度をみても、いったいどれだけの上流の中産階級たちが犠牲を厭わずに真の普通選挙を実現しようと考えていたのかがわかろうというものである。民主化運動の力は青年学生と中下層の労働者階級にある。

雨傘運動を担った若者に対して、次は選挙に取り組むべきだと鼓舞する声が聞こえてくる。主流民主派もできるだけこれらのニューフェイスを起用しようとするだろう。次回の選挙では主流民主派のリーダーたちの選挙リストの順位を二番目か三番目にすべきだという意見も聞かれる。それも道理のないことではない。しかし改めて問われなければならないことは、ニューフェイスの起用も結構だが、路線が古いままであれば、結局のところ新しい革袋に古い酒を入れる(中身は変わらない)のと同じではないのか。

新しい世代には新しい路線が必要である。それは労働者と学生が同盟し、民主と民生を掲げて、ともに社会変革を実現するという路線である。そうでなければ面白くない。

2015年1月9日

原文
http://www.pentoy.hk/%E6%99%82%E4%BA%8B/a405/2015/01/09/%E5%8D%80%E9%BE%8D%E5%AE%87%EF%BC%9A%E6%96%B0%E4%B8%96%E4%BB%A3%EF%BC%8C%E8%88%8A%E8%B7%AF%E7%B7%9A%EF%BC%9F/

【香港】抵抗者の言

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▲最後のオキュパイに参加する周保松さん(中)


香港紙「明報」2014年12月21日の日曜版に掲載された中文大学政治行政学部講師の周保松さんが金鐘オキュパイ最後の座り込みに参加した体験記を、三回の連載の最初のみだが翻訳・紹介する。原文のコピーはこちら


抵抗者の言(上)

私は2014年12月11日午後5時1分に金鐘(アドミラリティ)夏愨道(ハーコート・ロード)で正式に香港警察に逮捕された。容疑は「違法集会」と「公務執行妨害」であり、これは私が市民的不服従を選択したことで引き受けた刑事罰である。私の人生プランにおいて、こんなことになろうとは考えたこともなかった。このような一歩を踏み出したことで、今後の人生においてどのような影響がでるのかは、いまのところ予測はできない。だが記憶と感覚が残っているうちに、自らの経験と思うところを書き記し、歴史の記録としたい。

私が、学生連合会の呼びかけに応えて警察の強制排除の際に逮捕されるまで非暴力で座り込むことを決めたのは、12月10日の夜8時過ぎのことだ。その時、私は干諾道(コンノート・ロード)にある人通りの多い陸橋の中央分離帯の上で、薄赤くなった空を眺めながらそっと寝ころんで、小一時間ほど経過していた。その時すでにはっきりと決意は固まっていたが、思わずそのまま寝入ってしまった。眠りから覚めると、若い女性が通りにしゃがみ込んで、「天下太平」の大きなアートを描いていた。描かれた人々は一人一人、黄色い雨傘をさしている。わたしも急に思いつき、落ちていたチョークを拾って、誰もいない所をさがして「悲観する理由はない、こうする以外にない」の二行の文字を書き記した。高いところから、眼下にある自習室を眺めるとまだ明かりがともっていた。そしてあちらこちらで立ち去りがたい人々の影が見えた。最後の夜だということを、私は理解した。

家に帰ると真夜中になっていた。私は妻に自分の考えを伝えた。妻との議論で私はなんども最後にこう言うしかなかった。「こうしないわけにはいかないんだよ」と。妻は私の決意が固いことを知り、不承不承こう言った。「明日の朝、寝坊して、起きたときにはすべてが終わっていたらいいのに」。朝8時半に目がさめたとき、ちょうど3歳の娘が保育園に行くところだった。私は娘を抱いて「パパは今晩は一緒にご飯を食べられないんだ、ごめんね」と伝えた。そして妻には、子どもの心に悪影響を及ぼすかもしれないので本当のことは伝えないようにと頼んだ。というのも、このところ、娘はテレビで警察が出てくると「警察が捕まえにきたよー」と恐怖心が入り混じる大声で叫ぶようになっていたからだ。

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金鐘に戻ってきたときには、午前10時近くになっていた。地下鉄の駅を出ると、太陽は同じように差していたが、世界はすでに同じではなかった。夏*村はすでに狼藉の後で、レノン・ウォールに貼られていた幾千幾万の願いを書いたカードはすべて撤去されており、「We are Dreamers」の文字だけがさびしく壁に残されていた。(ジョンレノンの「イマジン」の歌詞に出てくる:訳注)「失望しても絶望はしない」と書かれていたところにはいまは何もなく、「初心は愛」という大きな文字だけが残されている。文字の色は白く、用紙は黒く、そして壁は灰色だった。9月28日、わたしはこの壁のすぐそばで、傘をさして無数の市民らと一緒に、最初の催涙弾の洗礼を受けた。その時には、まさかそれが香港の歴史の転換点になるとは思ってもいなかった。さらには、その75日後には中文大学政治行政学部のトレーナーを着て、無数の市民らと一緒に満員電車に乗車し、金鐘の駅で降りて、彼らは出勤し、私は逮捕されに行くことになろうとは思ってもいなかった。

レノン・ウォールの前にしばらく黙して立ちすくんでいると、陽の光に照らされて、Johnson(楊政賢)とEason(鍾耀華)が手をつないでこちらにやってくるのが遠くに見えた。二人はともに中文大学政治行政学部の学生で、中文大学の元学生会長だ。Johnsonは民間人権陣線の呼びかけ人の一人でもある。Easonは学生連合会の執行部書記で、政府との対話に参加した5人の学生代表の一人。のちの強制排除のときには、Easonは最初に逮捕され、Johnsonは最後に逮捕された。私たちは多くを語るわけでもなく、「We will be Back」の横断幕のところで一緒に写真を撮り、夏愨道と添美道(ティムメイ・アベニュー)の方へと一緒に向かった。そこでは、不服従の市民らが座り込んで最期の時を待っていた。

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◎ 政府は「権威」から「権力」に堕落した

しかしついてみたら、その場にいる人はかなり少ないことがわかった。座り込んでいる人も200人ほどしかおらず、周囲にいる記者や観衆よりもかなり少ない。さらに意外だったのは、多くの民主派の議員らもそこにいたことだ。また李柱銘(マーティン・リー、元民主党党首)、黎智英(アップルデイリー会長)、余若薇(公民党主席)、楊森(元民主党党首)などもいた。これは私が昨晩想定していたものとはかなり違っていた。わたしはもっと多くの若者がこの場に残るのではないかと考えていた。だからといって失望しているわけではない。むしろ幸いだったとひそかに思っている。というのも、これまで若者たちは多くの代償を払ってきており、これ以上の苦難を味わう必要はないと思っていたからだ。

だがもっと深い理由を考えると、この二か月余りの経験の中で、若い世代の市民的不服従に対する理解が根本的に変化したのではないか、と私は考えている。ルソーの「社会契約論」に絡めていえば、香港政府はすでに「権威」(authority)から「権力」(power)へ堕落する過程に深く入り込んでいるということだ。正当性のない権力は、せいぜいのところ人々を恐怖で屈伏させるだけにすぎず、政治的な義務感を生じさせることはできない。そして市民が服従する義務を感じなければ、市民的不服従においてもっとも核心的な「法律に忠実に従う」という道徳的拘束力を大いに損ねることになるからだ。

そう考えれば、香港政府の支配の正当性の危機は、今回の運動を経たことで根本的に変化した。それまでの危機は、権力が人民の投票によって権限を与えられたものでないというところに原因があったが、にもかかわらず、人々はそれでも条件付きでそれを受け入れてきたが、それは権力機構がかなりの程度みずから抑制し、手続き上の公正さと専門家倫理という一連の基本的な要求をクリアしていたからでもある。しかし現在の危機は、権力がなんら制約を受けることがないという態度で恣意的に公権力を乱用し、それが権力の正統性のさらなる喪失を導いた。その必然的結果は広範な政治的不服従である。

当初わたしは後方に座っていたが、しばらくして学生とともにいるために座り込んでいるのだから、学生たちのいるところのほうがいいだろう、ということで前から二列目の一番右側に座り込んだ。わたしの隣にはmenaという若い女性が座っていた。彼女は学生だと思っていたが、聞いてみると社会人だという。10月から学生連合会の手伝いをしているといい、数多くいたボランティアのなかで唯一、最後の座り込みに参加していた。なぜこのような選択をしたのかを聞いてみた。彼女は、こうすることが正しいと思ったからだと答えた。ご両親は知っているの?とさらに聞いてみた。彼女はちょっと笑って、今朝一時間かけて母親を説得したと答えた。私と同じ列には、周博賢(シンガーソングライター)、何芝君(元理工大学教員、フェミニスト)、何韻詩(デニス・ホー、歌手・女優)、羅冠聡(嶺南大学学生会事務局長、大学生連合会中執)らがいた。さらに遠くには以前学生だった黄永志と中文大学で同級生だった蒙兆達と譚駿賢がいた。私の後ろには、韓連山(道徳教育反対のハンストなどで著名な元教員の政治家)、毛孟静(民主派の公明党議員)、李柱銘(マーティン・リー、
民主党創設者)、李永達(元民主党党首)などが座っていた。しばらくして、今日の座り込みには、政党やNGOのメンバーが多く、私のような「独立人士」は多くないようだ。

◎ なぜ「こうせずにはいられなかった」のか

警察が障害物を排除する速度が遅かったことから、数時間の余裕ができた。私たちはその場に座り込んで、警察が一度、また一度と座り込みを続ける人々にすぐにその場から立ち去るように警告する放送を聞いていた。そしてオキュパイ地区は徐々に封鎖されていった。しかし現場の雰囲気は緊張したものではなく、みんなは必ず起こるであろう、そしてどのように起ころうとしているかが分かっている事柄にも、それほどの憂慮や恐怖もなかった。わたしは内心は平静だったが、ときどき座り疲れて立ち上がって、密集した記者、それほど遠くない所で警戒にあたっている警官、立体交差道の上から見下ろしている観衆を見渡し、疲労の表情を見せる学生たちを見下ろした時には、いくばかの困惑と心の痛みを感じずにはいられなかった。どうして我々はここにいるのか? どうして彼らはここにいないのか?どうして我々の「こうせずにはいられなかった」が、他の人にとってはそうではなかったのか?香港のこの街は、本当にわれわれが代償を払うほどの価値があるのか?

私は次のことを認めなければならない。警察が逮捕行動を始めたときに私の脳裏には、私は立ち上がってその場を離れれば、私は「彼ら」にならずに済み、地下鉄で学校に戻り、安穏とした生活に戻ることができるだろう、という思いが本当によぎったということを。いま私が負わなければならない責任の一切は、そもそも私の世界に属するものではなく、私自身もだれに対してもなんの約束をしたわけでもないのに、なぜここに座りづづけなければならないのか。私は自分に問うた。

これは実はこの二ヶ月間、私がずっと考えていた問題であった。私は、結局のところどのような原因でこれほど多くの若者が立ち上がり、抵抗の道に繰り出したのか、そして巨大な個人的な代償を払うことをよしとするのかを知りたいと考えていた。もちろん誰かから示唆されたり、個人的利益ためではないことはあたりまえだ。鄭[火韋]と袁[王韋]煕によるオキュパイ参加者に対する代表的な調査(11月29日「明報」)では、運動に参加した人々の中で一番多かったのは、教育水準も高く収入もそこそこあるホワイトカラーと専門職(55%以上)であった。常識でいえば、これらの人々はゲーム理論における既得権益者であることから、個人のことだけを考えるのであれば、これらの人々がそのような行動を理由はない。かれらが立ち上がった主要な理由は、「本当の普通選挙がほしい」(87%)、すなわち自由平等な市民が彼ら自身の政治的権利を行使したいということだった。

◎ 最も深い政治的覚醒:権利と尊厳

しかし民主主義が彼らにとっていかに重要なのか?それに対して、民主主義はよりよい経済生活あるいは社会的上昇のチャンスなど、かれらにその他のメリットをもたらすからだという人も少なくない。もしそうであるなら民主主義は役割的な価値しかないことになることから、このような説明にはあまり説得力がないように思える。それよりも抗議に参加する人々は、こう答えるだろうと信じている。つまり、民主主義制度によってのみ人々は平等に尊重され、人としての人生に尊厳がもたらされるからだ、と。しかしそれは尊重と尊厳が、抽象的で理想的な中産階級の「ポスト物質主義」の追求だと言いたいのではない。絶対にそうではない。人々はまさに具体的な政治と経済の生活の中で、自らに降りかかる制度の不公正と不自由を本当に感じているからこそ、平等な尊厳の尊さを徐々に経験しつつあるということなのだ。

だから、これらの価値観が人々の行動の理由になるのは、これらの価値観がとっくにある種の方法によって彼らの生命に深く浸透し、それが自分自身と不可分の一部になっていると感じているからであると、私は考えている。こうしてのみ、他人が経済的利益を用いて彼らの政治的権利を持ち去ってしまうことに同意しないのである。そしてまたこうしてのみ、彼らが有するべきと考える政治的権利が粗暴に剥奪されようとするときに、自らの尊厳が深く傷つけられたと考えるようになるのである。そしてこれによって、今回の雨傘運動のなかで青年が最も深く政治的に覚醒したのではないか。支配者と多くの大人たちにとっては、理解できない世界なのかもしれないし、人には経済人だけでなく道徳人も存在するということ、そして人はパンだけでなく権利と尊厳が必要だということを理解できないだろう。新しい世代は、自分と生まれ育ったこの街を古い価値的規範で理解したくないのである。観念が変化するとき、行動もそれに伴い変化し、新しい主体が形成される。このような政治的自我の表現と実践に対して有効な回答ができない制度は、大きな挑戦を受けることになる。この過程がどれほ
どの苦痛を経て、どれほどの代償を受けるのかは、われわれすべて――とくに支配者――が真剣に考えなければならない問題なのである!

◎ 内心の信念に対する約束

まさにこれらの問題への回答を見出そうと、私は当日、カバンの中に衣類と水、そしてクリスティーン・コースガードの『規範性の源泉』を入れていた。座り込んでいるときに、ロンドン・レービュー・オブ・ブックスの記者が興味を持って、何の本を読んでいるのかと聞いてきた。わたしたちは、喧噪のなかで、道徳と身分について話をした。「独立媒体」の記者も私のところへやってきて、なぜ座り込んでいるのかを聞いてきた。私はちょっと考えて、自分の人格を成就させるためだと答えた。もしある重要な時に、深慮熟考ののちにもある種の価値観を堅持したいと思うのであれば、それはその価値が極めて重要なものであり、それはその人の人格の一部となっていると、私は思う。このような価値観を守るためには大きな代償を払わなければならないかもしれないが、それは確実に自我を成就させる。このような成就は、他の誰かに対しての約束ではなく、自分の内心に対する約束である。

今回の運動のなかで、真剣な参加者はみんな、このような覚醒と内省を経験し、最後に自分が正しいと思う道徳的選択を行ったと、私は信じている。それゆえ、巨視的には、怒涛のように盛んな気勢は容易に観察できるが、一人一人の真実の個々人がどのようにそのなかで真実かつ着実に自分自身の信念に生きたのかを観察することはできない。排除の直前に、私は何度も立ち上がって、座り込んでいた一人一人の表情を凝視した。特に深い印象を受けた表情の3人を紹介したい。

區龍宇。退職教員。一貫して労働者の権利に関心を持ち続け、清廉で、好く書をたしなみ、その人となりは闊達正直。初対面は19年前のイギリスで、自由主義とマルクス主義について二日二晩激論を交わした。今回の運動には最初から全身全霊を投入し、フェイスブックで若者たちと自由に議論を交わし、オキュパイ各地区でなすべきことをなすなど、一般的な「60年代生まれ」のイメージとは全く異なる(実際は56年生まれ:訳注)。当日、彼は私と握手をしながらこういった。「私はもう若くないからどうってことはないが、あなたはまだ若いのでまだまだやるべきことがあるはずだ。ここに残るかどうか、しっかりと考える必要があるよ」。

周豁然。中文大学人類学科の学生。その人となりは「豁然」の名前の通り悠然とし、田畑を耕すを好み、エコロジーに関心を寄せる中文大学農業開発チームの中心メンバーで、土地正義連盟の様々な行動にも身を投じてきた。6月20日の反東北開発集会で初めて逮捕された。7月2日早朝、チャーター通りで彼女が再度警察に連行されるのを私はこの眼で見た(オキュパイ予行演習として500人以上が座り込んで逮捕された事件:訳注)。9月28日(催涙弾が打ち込まれた日:訳注)、彼女はデモの最前線にいた。後日、彼女は私に、その日は防護用のゴーグルも雨傘も持たないことにして、警察のペッパースプレーと催涙弾に対峙したと話した。座り込みの当日、彼女は朱凱迪や葉寶琳らと最後列に座り込んでいた。私は彼女に近づいてそっと、二回も捕まっているのだから、今回はその必要はないのでは、とささやいた。彼女はちょっと笑っただけだった。

朝雲。市民記者。痩せこけて顔面蒼白。目の奥には憂いを宿している。オキュパイ運動が始まってからは、仕事を辞めて、この運動のすべての過程に参加した。将来、人びとがこの運動を振り返る際に、もし朝雲が撮った写真や記録した文章がなかったら、我々がこの運動に抱く認識は全く違ったものになっていただろうと思うかもしれない。朝雲は記録者としてだけでなく、オキュパイの予行演習(7月2日)でも逮捕された。旺角オキュパイの強制排除(11月25日、26日)でも逮捕された。ここ金鐘の排除の際にも最後まで座り込み続け、最後のシャッターを押してからカメラを知人に託して逮捕された。そして銅鑼湾での排除(12月15日、最後のオキュパイ拠点)でも逮捕された。当日は彼と話す機会はなかった。私たちの間は座り込む人々が隔てており、お互いに眺めあい、目が合うと互いに微笑みあい、そして別れを告げた。

これらの友たちと一緒だったことが、わが人生、最高の幸せだ。
君たちに感謝する。

「明報」2014年12月21日(日曜版)掲載

【香港】暗闇の中で光明を探し尋ねる--大学生連合会から香港全市民に送る書

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暗闇の中で光明を探し尋ねる
大学生連合会から香港全市民に送る書


市民の皆さんへ

9月22日の同盟大休校から昨日の警察による強制排除までの長い道のりの中で、私たちは、全人代8・31決議の撤回、選挙制度改革に関する議論のやり直し、そして真の普通選挙の実現を、変わることなき目標としてきました。私たちは最も平和的な方法で当然の政治的権利の実現を粘り強く求めてきました。しかし大変残念なことに、政府は私たちの訴えを完全に無視し、この威風堂々たる民主化運動を暴力によって終わらせたのです。私たちは苦痛と怒りに包まれましたが、決して絶望はしていません。私たちは、香港というこの土地に民主主義の花が開くまで、私たちの世代が闘争を継続することを、ここに誓います。

私たちはこれまで政府高官、国家主席、総理に公開書簡を送ったことを、皆さんも覚えていると思います。これらの書簡で私たちは、事実を詳細に述べ、論拠をひとつひとつ示し、私たちが街頭に繰り出した理由を記し、香港が陥っている困難な局面の原因を分析し、選挙制度改革の必要性を力説してきました。しかし残念なことに、これらの書簡が送られましたがまるでなしのつぶてで、何の回答も得られませんでした。私たちは街頭を占拠し、政府との対話を行い、北京行きをも試みました。しかしそれによって得られたものは、軽視、恥辱、そして入国拒否という扱いだったのです。

そうです、時代は私たちを選択したのです。ここでいう「私たち」とは、世代を超えた、貧富の分け隔てなく、左右の違いのないものです。私たちはともにこの空間に生活しているのです。否応なしにこの大地に立ち、同じ空を仰ぎ見ており、同じ空気を吸っているのです。私たちの運命はつながっており、憂いや悲しみを共にしているのです。

そうです、私たちが形ある通りを封鎖したのは、すでに塞がれていた(民主化へつながる)形なき道を切り開くためだったのです。政府が民主主義を私たちに与えなかったので、自分たちでそれを実践したのです。オキュパイの期間中、私たちはコミュニティに落下傘で舞い降り、各地で民主化の理念を宣伝してきました。討論会を主催し、政治についてみんなで協議してきました。私たちはオキュパイ区域の日常的活動を、職業や貧富の分け隔てなく、いっしょに運営してきました。私たちは、政治とビジネスの共謀によって抑圧される日常が、オキュパイ区域においては創造性にあふれる発現となるようプロデュースしてきました。私たちは各々が運動の方向性について激しい議論を交わしながら、それぞれが責任を果たしながら尊重するよう努めてきました。私たちは民衆とともに、共同で責任ある活動を担ってきました。各方面からの善意あるアドバイスと批判に対して、私たちはすべての力を尽くして応え、引き受けてきました。まだまだ例を挙げればきりがありません。

政府はいまのところ民主の声に対して聞こえないふりをして、しばらくは傲慢な態度で、私たちの正当な要求をないがしろにできるでしょう。警察はデモ参加者に対して暴力的に対応し、オキュパイに反対していた人たちが別な課題で街頭に繰り出したときには、同じような対応に直面しないことを保証はできないでしょう。私たちの抵抗は、当初から香港人の共同の利益--自由と民主--を願ってのものであり、一切の私利私欲は存在しません。70日余りの中で、私たちは、様々な方法で道を切り開こうと努力してきました。しかしついに政府は警察の力で民主の訴えを排除してしまいました。

今日、太陽はいつもと同じように昇りましたが、テントの姿はなく、自習室テントはたおれ、中央分離帯にかけられた自作のステップは片づけられ、空中コンコースから掲げられていた横断幕や垂れ幕ははがされ、壁に貼られたシールは時が経つにつれて風雨に洗い流されて消えてしまうでしょう。色とりどりに飾られたレノン・ウォールの時間は終わり、すべては灰色に戻ってしまいました。

一見したところ、香港は「正常」に戻ったかのようです。そして私たちの訴えは全く目的を果たせず、今日で終わりを迎えたかのようです。しかし私たちは過度な悲観に陥る必要などないのです。なぜなら私たちが一歩一歩記した足跡、私たちが共に歩んだ道を、みなさんがしっかりと記憶しているからです。選挙制度にかんしてはしばらくは具体的な成果を勝ち取れてはいませんが、共に歩んだ道から見た風景や、ともに築いた美しいコミュニティはみなさんの心の中に刻まれているのですから。私たちの故郷の自由と民主を実現するという初心は、もはやすべてのオキュパイ参加者の生命に融合されたのです。

次の主戦場は、地域における市街戦となるでしょう。私たちはしっかりと鍛錬し、落下傘で地域に降り立ち、民主の理念を根付かせ、闘争の意識を張り巡らさなければなりません。次回の政府による選挙制度改革に関する諮問の際には、それぞれの段階で機会を利用して抵抗を継続するでしょう。闘争を堅持しさえすれば、レノン・ウォールに書かれた願いは必ず成就することを、私たちは信じてやみません。自由と平等を愛するすべての市民の皆さんは、自分たちに属するこの香港で、もっとも基本的な政治的権利を実践することが必ずできるようになります。このような願いを実現するために、一人一人がわずかの努力を惜しむことなく、ともに奮闘しなければなりません。

咲き開いた雨傘は、一つの世代を覚醒させました。民主理想の船は出航しました。その目的地に到着するまでに、香港を基盤とする互いの理解協力が私たちの願いです。雨傘運動の洗礼を受けたすべての香港人は、たとえ立場や戦術の違いがあるにせよ、いちどは同じ現場を共にした戦友です。民主化運動の嵐はこれからも巻き起こるでしょうが、すべての友人たちはそれぞれが以心伝心で、それぞれの道をともに進み、肩を並べて再び戦える日が来ることを願っています。

雨傘運動は、香港民主化運動の新たなスタートとなりました。これまでの70日余りのなかで、私たちは一緒に暗闇の中で光明を探し尋ね、現世から未来を想像してきました。私たちはつまずき、涙し、腹をすかし、傷を負ってきました。しかし私たちは一度たりとも絶望したことはありませんでした。私たちが正しい側にいることを知っているからです。どれだけ強固で高くそびえる壁でさえ、最後には崩れ落ちる時が来ることを、私たち信じてやまないからです。なぜなら時間は私たちのものであり、そして私たちは絶対にその壁を叩き続けることをやめることはないからです。

暗闇の中で光明を探し尋ね、刻下の中で未来と契りを交わしました。私たちが被ってきた一切の苦難は絶対に徒労などではありません。今日は新しい時代の序幕となる日です。私たちは必ず帰ってくるでしょう!

香港大学生連合会
2014年12月12日

原文
https://zh-tw.facebook.com/hkfs1958/photos/a.433111302871.207569.269056797871/10152623590387872/?type=1

【香港】敗北の中の勝利

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関羽(関公) 「あなたも来たのですか?」
イエス 「しかたないでしょう。政府が妨害分子を呼び集めているというから」



2014年12月15日、最後のオキュパイ拠点である銅鑼湾での強制排除がおこなわれ、9月28日から79日間つづいた「雨傘運動」のオキュパイ行動はいったん終了した。香港民主化運動は新しいステージに入る。以下は、地元紙「明報」の日曜版に掲載された區龍宇さんの文章。原文はこちら


敗北の中の勝利

區龍宇


雨傘運動は直接の目標(全人代決定の撤回)を達成することはできなかった。その意味では運動は敗北した。これを理由に、香港大学生連合会と学民思潮の両組織が、主流民主派と同じような「段階的勝利」論ゆえに運動を敗北に導いたと風刺する者もいる。先週本紙に掲載された在外の学者による批評である。奇妙なことは、これらの主張はすべて消極的な批評にとどまっており、いかに敗北的状況を転換させるのか、いかに勝利を決する闘いをすべきかなど、あれこれ語ってはいるが、建設的な意見には一言も言及していないのである。このような軍師は失格のそしりをまぬかれない。

◎消極的な批評ばかりで建設的な意見なし

建設的な意見がないこととは別に、批評そのものが論として成立するかどうかということもある。問題は批評それ自体も成立しているとは言い難いことである。

主流民主派はこの30年にわたって、いくつかの段階に分けて立法会の直接選挙枠での議席を増加してきた。そして、そのたびごとに段階的勝利を宣言してきたが、その勝利の中に敗北が含まれていることに気がついてこなかった。しかし同じような批判を雨傘運動にも当てはめてしまうことは、倫(とも)でもなければ、類(るい)でもないの極地といえる。雨傘運動の先導者たちは、闘争における勝利のために運動のグレードアップを試みたというのが事実である。

雨傘運動が運動をグレードアップさせなかったという批判はまったくのでたらめである。そのような批判者は、職工会連盟がゼネストを呼びかけたことを忘れている。わずかに太古飲料(コカコーラ)労組、ソーシャルワーカー協会、教員協会が短期間の呼びかけに答えただけで、それに続くストライキがなかったことも事実である。だが事後の総括において、いかなる方法であればストライキを成功裏に導くことができたのかを指摘するのであれば、まだ責任ある態度だと言える。しかし情勢転換のために何ら方針を提起することなく、他人の努力を無に帰すだけの批判に終始するのであれば、その批判は無責任なものと言わざるを得ない。

雨傘運動は偉大な闘争であったが、その相手は強大であり、中央政府と特区政府という二つの政府を相手に対峙したのは、完全に自然発生的で突発的な運動であり、そのような運動が勝利することは極めて難しいことは明らかである。だが民主化の戦士は預言者ではない。戦士は戦場において、多くの民衆と共に困難な状況を打開し、奇跡を作り出すために準備する。その時は敗北を喫したとしても、あきらめずに戦い続ける。これこそ戦士である。

闘争前の戦力の比較では、雨傘運動が勝利する可能性は決して高くはなかったが、なぜそれでも闘いに打って出る価値があったのだろうか。なぜなら数百数千の民衆が政治の舞台に踏み込むことで、あらかじめ決められた戦力対比に変化が加わるからである。民主化運動の第一の政治哲学は、運命論を拒否することにある。当初、雨傘運動が発展すれば、中国国内における政治的危機を誘発し、中央政府が譲歩する可能性も無きにしも非ずであることを、誰もが否定していなかった。そうなれば雨傘運動が勝利する可能性は大きくなったはずである。しかし運動をさらにグレードアップさせることができるかどうかについては、理論からその知識を導き出すことはできない。それはただ実践を通じてのみ確認することができるのである。

そして事実が証明しているように、雨傘運動は戦後香港における最大の民主化運動であったにもかかわらず、それをグレードアップさせる力はなく、それゆえに敗北した。だがなぜグレードアップが容易ではなかったのかについては、運動そのものに深い原因があるが、運動にかかわった人々の共同の検証で原因を究明すべきである。それをせずにスケープゴートを持ち出そうとすることは、なんの展望もない行為でしかない。

◎失敗にも三つの種類がある

敗北にも三つの種類がある。ひとつは恥ずべき敗北である。たとえば日清戦争における敗北、あるいはドイツの社会民主党と共産党が1933年のヒトラー政権台頭の前後に互いのセクト主義の非力さによって、共同でナチスに立ち向かうことができずに被った徹底的な敗北がそれである。

二つ目の敗北は、目標は正しく、尽力にも敬意を払えるものだが、力不足ゆえに被る敗北である。最後の敗北は、二つ目の敗北にさらに一言付け加えたものである。つまり、運動の目標達成という意味では敗北したが、豊富な政治的経験と精神的遺産を遺すことで、次の世代に進むべき道を指し示すことのできる敗北である。それは成功の一面でもある。

1830年代の英国チャーチスト運動は敗北したが、その政策綱領はその後の100年の社会運動に影響を与えた。1871年のパリコミューンは敗北したが、その経験はその後の社会民主党の基礎を築いた。1968年のパリ5月革命は敗北した。しかしそれは社会の全面的な改革を導き、労働運動、女性運動、同性愛者運動、性の解放、環境運動の思想と組織のレベルを引き上げた。

雨傘運動の政治的遺産とは何か。1、それは独裁政権という鳥かごを果敢に突破し、精神的に基本法を乗り越えた「市民立候補」「運命の自己決定」という方針を提起した。2、主流民主派の紋切型を突破し、「平和、理性、非暴力」に続けて「法を犯す」を提起し、法律の限界を突破することを恐れなかった。運動の拡大にしたがって、運動の自衛権についての議論さえも登場した。今回の運動はまさに偉大な思想的解放運動であり、今後の民主化運動をつなぐことになるだろう。

◎関帝廟と雨傘と

旺角のオキュパイ地区につくられた関帝廟は伝説となった。一千年以上にわたり関公崇拝は続いているが、じつは関公は敗者であり、それを崇拝してきたのである。関公はのちに皇帝から神として祭られたが、それは彼の死後5百年以上たってからのことである。それ以前においても、唐の時代から彼に関する雑劇は広範に流布されてきた。つまり、関公が神に祭られたのは500年以上にわたる「人民投票」がもたらした賜物だともいえるのである。しかし人民はなぜこのような敗者を敬い崇拝してきたのだろうか。それは彼が義と初心を忘れることなく貫き通したからである。

もちろん関公の伝奇には旧時代の政治情実主義という要素が多分にあり、それは現在の市民政治とは相いれないものであることは確かである。とりわけ政治における情実主義は往々にして派閥政治に変化してしまい、決して真似してはならないものである。しかしそれとは別に、個人的得失にとらわれることなく、一時的な成否にこだわることなく、勝者か敗者かで英雄を決めることのなかった関公の伝奇から、われわれが学ぶことができるものは決してく少なくないのである。

だが残念なことに、見せかけだけの急進主義者は、関公から最も学ぶべきところからは何物も学ばず、逆に政治的情実主義というもっとも忌むべき派閥政治は学ばずとも身に着けてしまっている。派閥政治は最終的には、ただ一つの綱領に行きつくだけである。つまり、自分の判断だけが基準であり、それ以外の人間の判断の一切は間違っており、自分のなすべきことは、たとえ間違っていても正しい、という綱領である。

雨傘運動が切り開いた新しい民主化運動は、まさしくこの種のゴロツキ派閥政治と決別しなければならない。

「明報」2014年12月14日 日曜版副刊に掲載

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