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雨傘

【香港】全人民の議論で、大業を共謀しよう

以下は香港の區龍宇さんが、政府本部ビル包囲封鎖戦の翌日、12月2日にウェブメディアに掲載した論考の翻訳。文中の添馬公園は、政府本部ビル、立法会ビル、行政長官官邸に囲まれた巨大な公園で、ビクトリア港を挟んで対岸の九龍半島側の夜景が見える絶好のポイント。(H)

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 2014年12月1日未明 香港・添華道


全人民の議論で、大業を共謀しよう
區龍宇

原文はこちら

学生連合会が政府本部ビルの包囲失敗を認めた。だが午前中いっぱいの包囲それだけで、すでに勝利といえる。それは警察による11月25日の旺角での残虐行為に対する力強い回答なのだ。たとえ失敗を認めたとしても、次のことを忘れるべきではない。民主化闘争はたった一回の戦闘でその成否が決まるものではない。たった一度の決戦という可笑しな考えは、民主化運動を商売と同じような態度で扱うものだ。まるで一回の勝ち負けでその優劣が決まるとでもいわんばかりに。

だが運動が曲がり角にあることは否定しがたいことかもしれない。一千余名の民衆が学生団体の呼び掛けに呼応して政府本部ビルを包囲したが、添馬公園から行政長官官邸に迫る階段を駆け下りよ、という呼びかけに応えるものはそう多くはなかった。中には躊躇する者もいた。10月17日に旺角を奪回したときの英雄的行為と比較にもならない。

雨傘運動の背後にある巨大な大衆的情熱はすでに消散が始まりつつある。さらにオキュパイを呼びかけた3人の自首によって、縁の下の力持ち的支えが今後は失われていくだろう。だが、われわれはそう簡単にオキュパイを終わらせるわけにはいかない。運動は転化が必要である。これまでの巨大な大衆的攻勢の運動を、長期的な組織化、宣伝戦、鼓舞、教育に転化し、次のさらに大きな運動のために思想と実力を準備しよう。

転化へのかけはしは、そう遠くない時期に金鐘オキュパイの終了を宣言すると同時に、隣接する添馬公園のオキュパイを実施し、長期的な雨傘民主大学の拠点にすることだろう。雨傘民主大学では市民集会、民主主義の授業、そして雨傘運動ディスプレイのイベントを定期的に開催しよう。あわせて、一年から二年のうちに恒久的な民主大学を設立するためのカンパ運動を呼びかけよう。学生連合会は雨傘民主大学の設立準備をする資格を持っている。

永続的な民主大学というハードを建設するまで、添馬公園を長期的にオキュパイしよう。それまではこの陣地を防衛し、強制排除をはねのけよう。添馬公園でのオキュパイは交通に全く影響を与えることもないので、多くの市民の支持を得ることができるだろう。雨傘運動はここに新たな拠点を得ることになるだろう。学生連合会は香港全18区から構成される人民防衛隊を設立し、添馬オキュパイの輪番防衛を組織することも可能だ。

このような大衆的基礎のうえに、全18区からなる人民議会の設置を呼びかけ、民主主義勢力の梃を草の根から組織化することもできるだろう。梃があれば地球さえ動かすことができる。

あわせて、この週末を利用して、学生連合会は全民衆の討論の夕べを呼びかけ、オキュパイ拠点のメインステージを民主的に開放し、一日目には短期、中期、長期の参加計画を議論し、二日目にはさまざまな団体からの自由な発言を行わせるべきである。しかし事前に次のことを明確にしておくべきである。学生連合会は11月30日の夜の行動の原則を堅持し、非暴力と公共建造物破壊の禁止を堅持するという立場から、そうではない立場を吹聴する主張は、あくまで個別の見解であり、学生連合会や集会全体の総意ではない、ということである。もしかりに発言の機会を利用して公共建造物の破壊や警察への襲撃を鼓舞するものがいた場合は、学生連合会はそれに反対する意見を表明すべきである。さまざまな意見はすべて、添馬公園での民主大学や各区の人民会議において継続して討論することができるだろう。

2014年12月2日

【香港】政府本部ビルを包囲・封鎖せよ

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            ↓        ↓
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「突入をやめなければ武力を用いる」という警告を掲げながら
学生部隊に突入する香港警察(2014年12月1日未明)
その他当日の画像はこちら


香港「雨傘運動」のオキュパイ(占拠)は大きな転換を迎えつつある。11月25日に九龍半島側のオキュパイ拠点であった旺角オキュパイが強制排除された。「雨傘運動」の指導部に押し上げられた学生団体は、運動のレベルアップを求められ、11月30日の夜に香港島側のオキュパイの最大拠点である金鐘オキュパイに隣接する香港政府本部ビル包囲封鎖行動を呼びかけた。結果的には封鎖行動は半日しかもたず、オキュパイ拠点の防衛を継続することになった。以下は、政府本部ビル包囲封鎖を呼びかけた学生連合会の声明および参加を呼びかけた左翼21の声明の翻訳。(H)



政府が市民の訴えに答えなければ
政府本部ビル封鎖を解くことはできない


香港大学生連合会

(原文はこちら

オキュパイ開始から64日が経過したが、政権は取り乱すばかりであり、逆に市民に対する滅茶苦茶な弾圧を強めている。今晩9時、香港大学生連合会(学聯)としみんは「警察に対する不要な挑発あるいは襲撃はしない、集団で行動する、公共施設を不要に破壊しない」という三つの原則のもとに、権力中枢の象徴である政府本部ビルの封鎖を試みた。

これまでに、添馬、龍和通り一帯で多数の衝突がみられた。ニュースの中継では、デモ参加者が顔面から流血し、随所にあざができ、あちこちに傷痕が見られた。ヘルメットで武装した警察が、デモ参加者に対して警棒を振るいながら雨傘を払いのけ、段ボールで作られたデモ隊の盾を奪い去りながら、添華通りに引きずり込んで拘束した。警察は市民を地面に押さえつけながら、手足をきつく縛りあげていた。そしてペッパーガスを噴射したあとに、その容器をデモ参加者の顔面に押し付けるという恥ずべき暴力を見せた。

特区政府と親中派団体は、オキュパイ参加者が道路を占拠し、民生に影響を与えていると批判してきた。前線での衝突で、警察はなんども警告用のレッドフラッグを掲げ、警察の防衛ラインに近づくことを禁じ、わずかでも動きがあれば、ペッパーガスを噴射し警棒で殴打した。だが市民はひるむことなく次々と押し寄せ、不服従の抵抗に奮闘し、オキュパイを各地で展開し、その規模を拡大してきた。結局のところ、市民が立候補する権利を簒奪してはばからず、市民の道徳的権利という最低限の防衛ラインに対して何度も攻撃を行い、民意を踏みにじってきたのは梁振英を首班とする特区政府であり、いまふたたび機動隊を動員して無辜の市民に対する冷血な弾圧をおこなっている。

対岸(台湾)で終了したばかりの選挙では、民意を軽視し、一度は学生(ひまわり運動)に対して暴力的弾圧をおこなった政権党が無残にも惨敗した。「人民の側に立たない政府から、人民は権力を取り戻すことできる!」という主張はすでに国際的にも通用する名言であり、公権力を手放そうとしない支配者は無視することができないテストの一つとなっている。学生連合会は、市民に対して明日の出勤時間まで政府本部ビルを封鎖し、政府本部ビルの動きを麻痺させることを呼びかける。特区政府は学生連合会や様々な団体が堅持する「8月31日の(中国全人代常務委員会の決定という)枠組みを撤回し、選挙制度改革のための一連の手続きを再度実施せよ」という訴えに答えるべきである。もしそれに応えなければ、われわれは政府が人民に帰するまで、政府本部ビルの封鎖を継続しつづけるだろう。

香港大学生連合会
2014年11月30日


 左翼21 
暴力装置は人民を犠牲にして肥大する
政府本部ビルを包囲して権力エリートに迫ろう


(原文はこちら

2014年11月30日この夜、学生連合会と学民思潮のリーダシップによって、二か月にわたって続けられてきたオキュパイ・ストリートの運動は政府本部ビルの包囲封鎖に発展した。

かつての植民地時代から現在の特区時代にいたるまで、香港政府は決して我々自身の政府であったことはなかった。かつては、イギリス植民地主義者と香港の大ブルジョアジーは支配のための同盟を結んで香港を支配した。97年の中国返還後、中国共産党政府は同じように大ブルジョアジーと結託した。立法会(香港議会)の職能別議席選挙や特区行政長官選挙の選挙委員会、そして今回の中国全人代常務委員会による行政長官選挙立候補者指名委員会という枠組みは、すべて徹頭徹尾、大ブルジョアジーの利益を保護するために設定されたものだ。

そうであるがゆえに、この政府の施策は、人民の生活を犠牲して支配階級の利潤を増加させるものに他ならない。そうでなければ、この政府が人口の高齢化現象が迫る2008年に利得税率を17.5%から16.5%引き下げながら、巨額の公共工事を行った後に、長期的な民生生活の安定のための収入が不足しているなどと平然といえるだろうか。

董建華、曾蔭権、そして梁振英ら歴代の行政長官の権力の源は、中国共産党と大ブルジョアジーである。かれらが指導する政府は、既得権益者が人民を犠牲にして肥大する政府である。労働者は長時間労働、青年たちは高まる学生ローンに苦しんでいる。ますます高まる家賃、公営医療機関における長時間の待ち時間、高齢者の生活保障問題など、中産階級から庶民まで、影響を受けないものはいない。しかし、香港がこれらすべての人々の尊厳ある生活を保障するための財源に事欠いているわけではない。問題は、政権を握る人間たちが自分自身の利益のために、民衆をますます抑圧せざるをえないというところにある。

世界の他の民主国家を見ても、普通選挙が存在すれば人民の生活に尊厳が保障されるわけではないことがわかる。つまり真の普通選挙はなんら過度な要求ではなく、「とりあえず実施する」ものに過ぎない(訳注1)。しかしこの政権は何ら妥協しようとせず、自ら引き起こした社会的分裂の責任をオキュパイ参加者らにかぶせ、あらゆる暴力装置を用いて民衆の正義の訴えを弾圧しようとしている。

見境なく口汚くののしるだけの支配階級の混乱ここにいたり、行動のレベルアップは避け難い。政府本部ビルの包囲行動で、民衆を犠牲にして肥大する権力エリートの国家システムに迫り、この既得権益者らに対して、市民らへの抑圧を停止しなければ、民衆の抵抗の意志はさらに強まるだけであるという決定的な段階にあることを見せつけよう!

文:左翼廃老

訳注1 「とりあえず実施する」は、中国政府による漸進的な選挙制度改革の表現。将来的には真の普通選挙を実施すると読み替えることもできるが、香港基本法では現在の「とりあえず実施する」案が最終目標とされていることから、中国政府の案は「とりあえず」ではないという批判がある。ここでは自由な立候補を含む「真の普通選挙」こそ「とりあえず実施する」必要があると主張している。「とりあえず実施する」の詳しい解説は「香港ポスト」のこちらの記事を参照。

【香港】民主主義はこうして鍛えられた

【解説】9月末から続いている香港の「雨傘運動」は、繁華街のオキュパイ拠点である旺角(モンコック)での強制排除が行われた11月25日以降も、最大拠点であり香港政府や金融街に隣接する金鐘(アドミラリティ)のオキュパイ拠点を維持しつつ、今後の運動の方向性を大衆的に議論している。11月30日には、「政府を包囲し運動を強化しよう」と呼びかけられた金鐘オキュパイでの集会に、旺角から排除された市民らを含む多数の市民が参加した。2017年の行政長官選挙で中国政府の意向に沿った候補者の中からしか選挙で選ぶことができないという現在の政府の選挙方針に対して、学生運動や民主化運動は誰でも一定の条件(有権者の1%の推薦等)をクリアすれば立候補できる選挙制度を対置しているが、中国政府はいっさい妥協する気配を見せず、オキュパイ運動の疲弊を待っている。一方、雨傘運動には当初から、反中国、反中国人民の「香港優先主義」や「香港独立」を掲げたグループも参加しており、かれらによる学生指導部や社会運動団体への非民主的な批判的言動が行われてきた。巨大な在外権力の介入に反発する大衆的運動における排外主義の伸長は、ウクライ
ナ、そしてシリアなどで悲劇的なまでに拡大したことは記憶に新しいだろう。これら運動に介入する排外主義勢力に対して、香港のラディカル左翼の仲間たちは毅然とした対応を取るべきだと主張している。以下は11月30日付の香港紙「明報」の日曜版に掲載された區龍宇さんの主張である。(H)




民主主義はこうして鍛えられた

區龍宇

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 區龍宇さん


過去30年、支配的エリートは「敵のいない都市」等という神話のねつ造に成功してきた。しかし現在かれらは自らが創り出した神話を投げ捨て、自分たちと人民が不倶戴天の敵であることを露にした。

血涙が民主共同体を鍛える

しかし旺角で流された血と涙は無駄に流されたわけでない。それは香港の民主共同体を鍛え上げたのである。

互助相愛と打算のなき精神にあふれるオキュパイ空間を「ユートピア」であると褒めたたえる意見がある。これは、マネー第一をモットーとする中環価値、独裁を崇拝する西環価値、暴力を崇拝する国家機構と、巨大なコントラストを為している(訳注1)。だが犠牲をいとわない一群の民主的活動家のさらなる参加によってのみ、長期的闘争の継続が可能となる。

11月25日(旺角オキュパイの強制排除:訳注)以来、雨傘運動は新たな段階に突入した。大衆的な参加は縮小したが、そのかわり幾千人もの断固たる活動家を鍛え上げた。つまり運動は上昇し続けているということである。この30年来、香港民主化運動の大きな弱点は、政党・団体の職員と、民主化を支持する幅広い支持者(民主派を支持する有権者や7月1日のデモの参加者)との間に、つねに活発に動く活動家層が存在しないことである。他国ではこれらの活動家層が、その数はわずか数千、数万であっても、教育や組織活動、あるいは扇動などを持続的に行っているのである。社会変革はつねにこれら三つの要素(専従、活動家、大衆)がそれぞれ並行して活動を続けることで、突発的な運動と平時における長期的な準備の双方に目を配り、自発性と自覚性の双方に目を配ることができる。しかし香港のカードル層はこれまでずっと少数であった。9月28日の雨傘運動の発展、10月17日の旺角奪還、そして11月25日の事件を経て、雨傘運動はみずからのカードルを鍛え上げたのである。多くの庶民がオキュパイから撤退したが、数百数千の人々が警察の暴力に屈せずに闘争を継
続した。これこそがオキュパイから長期闘争へ転換するために必要な勢力なのである。

しかし雨傘運動のさらなる発展は、この運動がこれまでも解決することができなかった壁にぶつかる。つまり運動内部における意見の違いをどのように処理するのかという問題である。

あらゆる民主化運動はある難題に直面する。たとえ2、3の街頭の民主化でさえも、闘争しなければ実現などしない。しかし闘争には戦略と戦術が関係するし、その背後には各グループの「隠された目的」が存在する。それゆえ、分裂、ひいては敵対する状況も容易に生み出されるのである。


独裁に抵抗する運動の発展とともに
運動内部の民主主義を防衛せよ

では、どうすべきか。答えは一つしかない。民主主義を実践し続けることである。オキュパイ運動を支持する多くの人は、自然体の民主主義支持者でもある。街頭討論を妨害しようとする運動参加者に対して普通の参加者は「順番にはなせばいいだろう。なぜ人の話をさえぎるんだ!」と強い不満を示してきた。共同行動ができないのであれば、別個に進んで共に撃て、という方法を用いればいいだろう。たとえば戦術で違いがあるのであれば、普通は民主的な討論を経たうえで、オキュパイしている空間を物理的に分けて、それぞれがそれぞれの主張をするスペースで力を発揮すればよい。これこそ小異を残して大同につき、別個に進んで共に撃てである。だが残念なことに、この二カ月にわたり、排外主義的地元主義者らは、そのための民主的な議論ではなく、組織的、計画的にオキュパイ空間の異論派に対する封殺を行おうとしてきたのである。このような彼らの行いは、香港人の民主的共同体とは相いれない。

かれらは他人の民主的権利を尊重しない。自分たちだけが唯一香港人の利益を代表するのであり、他のオキュパイ参加者は売国奴ならぬ売港奴だと考えているからだ。

だがかれらは自らの主張の前提がすでに間違っていることに気が付いていない。

香港人が大陸の人々と異なる独特の歴史を歩んできたことは確かである。これこそ、われわれが高度の自治、ひいては政治体制の自決を要求する権利の歴史的根拠でもある。しかし「香港人」というアイデンティティは、新民族論者が想定するような単純なものではない。香港人の内部にも矛盾は存在し、決して一枚岩ではないのである。不必要な対立軸を用いて自らの主張の正当性を誇示しようとするものはいつでも存在する。

長年にわたり、香港人というアイデンティティは中国人というアイデンティティと矛盾なく共存してきた。近年の大漢民族主義の盛隆が、一部の人々の非理性的な大香港主義という反応を呼び起こしたのである。この二つの主義は、表面的には対立しているが、狭隘な民族主義という一面において完全に一致している。

民族主義の本当の意味するものは、「愛国」であるか「愛香港」であるかにかかわらず、民族的アイデンティティを一切のその他の価値(人権、民主主義、労働者の権利、女性の権利、少数民族の権利、エコロジーなど)を凌駕する記号として高く掲げられ、すべての民衆をそのもとに拝跪させるところにある。このような主義は、投機的政治屋を選挙で当選させる手助けにはなるだろうが、その代償は多数の香港人を対立面、つまり民主主義の破壊の側に押しやってしまうことである。

このようなアイデンティティは、自らを皇帝のように位置づけ、人びとを奴隷のように見下すものである。もしそのような考えはないというのであっても、次のことは認めるべきである。民族、地域アイデンティティは、その人がもっているさまざまなアイデンティティの一つに過ぎず、他の一切の価値観を凌駕することなどありえないということである。たとえそれを認めようとはしなくても、少なくとも次の事実は尊重すべきである。多くの人が、民族性こそが唯一のアイデンティティであるというような考えには賛同していないという事実である。

民主優先、貧者優先

興味深いことに、排外主義的香港主義は誰かれとなく敵とみなすにもかかわらず、明確な貧富の格差という対立軸にはまったく興味を示そうとしないことである。どうやら、かれらの新民族(香港人)にも、貧富のピラミッドが厳然と存在することを忘れているようだ。かれらの主張する「香港人優先」は、1万4千香港ドルの平均収入ライン以下の香港人のことを言っているのか、それとも60%の富を握る3335人の大富豪の香港人のことを言っているのか聞きたいところだ。(訳注2)

フェイスブックである友人がこのようにコメントを寄せた。「中国と香港が完全に隔絶されたと想定して、それでどうなるのでしょうか?香港で安穏と暮らせるのでしょうか?香港は大財閥のコントロールから自由になるのでしょうか? お年寄りが段ボール拾いで生計をたてなくても済むようになるのでしょうか?」

意味不明な「香港優先」を主張するよりも、ジョン・ロールズの貧者優先(貧者への優先的分配)を主張するほうがずっとましである。

「明報」2014年11月30日副刊に掲載


訳注1 中環(セントラル)とは香港金融マーケットの中心街、西環(ウェストポイント)とは中国政府の香港出先機関がある場所。

訳注2 梁振英行政長官は雨傘運動のさなかの10月下旬に訪米した際のインタビューで香港人の半分は1万4千香港ドル(約20万円)の月収しかないので、過半数の意見が尊重される普通選挙を実施すれば、そのような平均所得以下の人々に偏った政治を行わなければならなくなると答えて、香港市民の不評を買った。11月中旬にある金融機関のレポートでは、香港には3000万米ドル以上の純資産を有する富豪が3335人が存在し、それらの資産を合計すると全香港の資産の6割近くに達することが明らかにされた。

【香港】次の一歩 何をなすべきか?

次の一歩 何をなすべきか?
2014-10-10 

區龍宇

林鄭月娥(キャリー・ラム)香港政務司司長[行政長官に次ぐ官僚トップ:訳注]による対話のキャンセルを受けて、学生連合会と学民思潮は今晩(10月10日)の抗議集会を呼びかけた。民主派を支持する民衆はこの呼びかけに呼応し、敗北主義の圧力に抗し、学生は街頭から全面撤退すべきだという主張に対する抵抗の意思を示さなければならない。

しかし、全面撤退の圧力には抗すべきであるが、戦術的の練り直しをしなくてもいい、というわけではない。現在、運動を主導している団体が、民衆に対してそのような議論を呼びかける形跡がみられないことは残念である。逆に懸念すべき状況が顔をのぞかしつつある。


◆ 目標は簡単に変更すべきでないが、戦術は臨機応変であるべきだ

今日の「明報」紙に掲載されたインタビューで、黄之鋒[ジョシュア・ウォン:学民思潮の若きリーダー]は「実際の成果がないまま広場を撤退することは、多くの市民の賛同を得ることができない」と語っている。彼の言うところの実際の成果とは、全人代常務委員会決定の再考であり、「再考の意味は、(全人代常務委員会事務局次長の)李飛がすぐに市民立候補案(訳注1)を受け入れるということではなく、すくなくとも[行政長官に立候補するために選挙委員会の]過半数の推薦が必要という条件を撤回することです」。

このような条件闘争には同意しかねる。しかし私はまず黄之鋒の結論に含まれている政治的前提について議論したい。彼の考えでは、市民立候補という目標は一時的に凍結して、立候補の条件を引き下げるべきだという。そして同時に、街頭でのオキュパイを堅持すべきだともいう(原文は「広場」であるが、インタビューの全文およびそれまでの黄の発言を考慮すれば、街頭のオキュパイを意味すると受け取られる)。このような政治的駆け引きはやや奇妙であると言わざるを得ない。目標には弾力性を持たせて、短期間のうちにあれこれと変更を加えることができる。しかし戦術(金鐘と旺角のオキュパイ)は高度な不動性を維持して、断固として変更を許さない、というものである。

だが政治的駆け引きの正道は、その逆でなければならない。目標はそう簡単に変更してはならないが、戦術は臨機応変であるべきだ。戦術は目標を実現するための手段に過ぎないからだ。目的達成のための手段が容易に変更できないなどということはありえない。

なぜ現時点で市民立候補の要求を放棄して、立候補の条件の引き下げを要求するのか、私にはわからない。条件引下げは、主流民主派[民主党などブルジョア民主党派を指す]が有利になるだけである。非民主的な政治制度がそのままの状態で、仮に主流民主派の行政長官が誕生したとしても、それは権力エリート階級の人質になってしまうだけであり、いまの張炳良(訳注2)と何ら変わらないだろう。市民立候補それ自体はすでにきわめて基本的な要求なだけに条件の引き下げなど問題にならない。もし現時点でこの要求を放棄するのであれば、それが一時的なものであっても、説得力に欠けるものになるだろう。

◆ 市民立候補の要求は下ろせない

黄君は、今以上に市民からの支援があったとしても、政府に譲歩させることは難しいから、ここはいったん次善の策をと考えているのかもしれない。そう考えるのも根拠のないことではないが、組み立て方が間違っている。もし運動が一時的に勝利することができないのであれば、検討すべきは戦術的な調整であり、当初の目標そのものではない。一時的に敗北を喫したからといって、目標を変更していては、何を目指して奮闘しているのかという路線がわからなくなり、はじめて政治化した自主的な人々に対して誤った教訓を残すことになる。

わたしはこれまでの30年にわたる主流民主派の誤りを思い起こさずにはいられない。かれらは何度も民主化の目標を変更してきた(あるときは議席の半分の直接選挙、あるときは議席の四分の一の直接選挙、そしてまた半分に戻す・・・・・・)。一方、その戦術は、硬直化した漸進路線、遵法主義、大衆の自主性を厳しく統制するといった硬直的なものであった。この戦術は現在の新しい世代による押し上げによって変更を余儀なくされた。

しかしこの新しい世代の民主派も、国内外の社会運動の貴重な経験を吸収することでしか、主流民主派の敗北の轍を避けることができないだろう。

黄君の主張からはハッキリとそのようなを読み取ることはできないのかもしれない。しかし今後、この記事を悪用する輩がでないとも限らないから、あえて私は上記のような意見を提起した。私は批判としてではなく、運動の次の一歩を検討するために、こう言っているのである。まず最初に論理の枠組みをはっきりさせてから、討論を喚起すべきだとおもったからだ。目標(戦略)と戦術の関係をはっきりとさせておかなければ、討論すればするほど混迷するだけだからだ。


◆ 情勢分析の必要性

この十数日のあいだ、街頭やウェブ上で、旺角を断固防衛せよという主張を目にしてきた。その理由は「悪いのは政府の方であって、われわれが悪いわけではない」という類のものだ。普通の市民が数日の間で大きく政治的に変化した状況では、このように考えることは理解できる。しかし社会運動に携わる人々は、一般道徳/道義だけに依拠することはできない。政治分析にも依拠しなければならない。目標と戦術のあいだには、情勢という要素が存在する。現在の情勢変化に基づいて、戦術を練ることが必要であり、道徳的理由だけで、あるいは最高目標(最大限綱領)だけで戦術を推論することはできない。

情勢についての討論が開始されたならば、われわれはこう問わなければならないだろう。運動は高揚しているのか、それとも減退しているのか。これまで運動に参加してきた参加者は、まだ戦闘力を保持しているのか、それとも疲弊しているのか。あらたに運動に加入してくる人々は、去っていくものよりも多いのか、その逆なのか。先週末、おそらく政府内部で見解の分岐が発生したことから、政府の方針が攻勢から持久戦に転換したが、もしまた数日内に方針が転換した場合、われわれはどのように対処すべきか。われわれの軍勢は増加しているのか減少しているのか。いかにして保守プチブルの民衆の支持をかちとるのか、あるいは少なくとも中立化させるのか。問題が正しく提起されることで、議論は極めて有意義なものとなるのである。

われわれは一昨日の夜、試しに旺角でこのような討論を実施してみた。反応はまずますだった。参加した市民らがこのような討論の大筋について理解できたのであれば、社会運動に携わる人々のあいだでは、さらに深い理解を得ることができるはずである。

黄君を厳しく責めたることはできない。17,8歳の青年が突如として政治的荒波に押し上げられたのだ。しかもその背後にいる主流民主派の大人たちはこれまでも歴史的な敗北を喫してきたのである。大人であっても、その過ちは時には許すことができるのだから、青年の過ちを許すことができないことがあろうか。青年、ただ青年のみが過ちを犯すことの特権を持っているのである。青年たちへの怒りをあらわにする者は、まず自分たちの過去数十年の歴史のなかで為しえなかったことに対して反省すべきである。

2014年10月10日


訳注1 市民立候補
原文は「公民提名」で、直訳すると「市民ノミネート」 。行政長官選挙の候補者は選挙委員会が指名する。中国政府が提示した指名条件は、1200人の選挙委員の過半数の推薦を得た候補者から2~3名を指名して、香港の全有権者が投票で決めるという案。これに対してオキュパイ・セントラル運動は「公民提名」として有権者の1%の推薦を得た市民なら誰でも立候補できる案を要求している。

訳注2 張炳良
大学教員で民主党副党首などを務めたが、のちに政界に進出し、政府部門の高官などを歴任し、現在は日本の内閣に相当する政府の行政会議メンバー。

【香港】雨傘運動と89年北京の春~似ている所と違う所

今回の雨傘運動と1989年北京での民主化運動との比較を、區龍宇さんが2014年11月9日の香港紙「明報」日曜版コラムに掲載したもの。區龍宇さんは同じタイトルで11月5日の夜に旺角オキュパイでの流動民主教室で話をしており、訳文を講演風に「です・ます」調にした(H)


雨傘運動と89年民主化運動
似ているところ 違うところ


區龍宇



◆ 性格と対象

どちらの運動もともに中国共産党に対して基本的な政治的自由を要求するものですが、雨傘運動は一国二制度という複雑な状況があります。一国二制度は、中国共産党による香港直接統治を回避するものですが、いっぽうでは香港人が中央政府の政策に反対しようとする際には、克服すべき要因にもなります。雨傘運動は香港特区政府の権限外の事柄[中国全人代に決定する権限がある香港行政長官の選出方法等を指す:訳注]を特区政府に実現するよう迫っていますが、どのようにそれを実現させるかは大きな試練だといえるでしょう。

1970年代から、香港の民主化運動が中国との関係をどのように処理するかについては、一貫して悩ましい事柄でした。現在、運動内部には三つの立場があります。ひとつは中国との関係を断ち切る、中国のことは忘れるという立場。ふたつめは中国の民主化運動と結合するという立場。みっつめは戸惑いつつ考える、というものです。奇妙なことに、6月4日の天安門事件記念集会に結集する多くの団体が、その約一ヵ月後に開催されている7月1日の香港返還記念日の香港民主化デモと、中国民主化の象徴である6月4日のデモを完全に別なものとして扱っているのです。6月4日のデモでは「民主的中国の建設を!」と叫ぶのに、7月1日に同じスローガンを叫ぶことを躊躇しているのです。

◆ 主体

どちらの運動も、学生が最前線に立ち、それが刺激となって民衆が参加したという共通点があります。しかし雨傘運動はさらに先を進んでいるといえるでしょう。89年民主化運動の学生たちは庶民らの支援を歓迎しましたが、工人自治連合会との関係は疎遠であり、民衆の生活についての議題についても関心を示しませんでした。6月4日の弾圧の数日前にストライキが呼びかけられましたが、それは遅きに失したといえるでしょう。雨傘運動は状況が異なります。学生連合会の発言では常に民衆の生活問題について言及しており、労働組合との関係も良好です。学生と労働者の同盟は大きな力になります。しかし香港の労働運動自体の弱さもあり、組合が呼びかけたストライキの成果もあまり理想的であったとはいえません。

学生と労働者の同盟はここ数年の出来事です。メーデーにも学生の隊列がみられます。しかし、ここで皆さんに考えてほしいのは、普通選挙と民衆の生活という二つのテーマが、じつは以前と同じく、別々なものとして捉えられている、ということです。5月1日のメーデ・スローガンが7月1日の香港民主化デモでも掲げられているとは限らないのです。雨傘運動でもこの二つのテーマの間には溝があります。民衆生活の議題を掲げる団体はないわけではありませんが、力不足もあって運動全体のテーマになるまでにはいたっていません。この運動が全民衆の運動にアップグレードすることは、そう簡単ではないということです。

◆ 背景

しかし、極度の貧富の格差に対する反感も、まさにこの二つの運動を生み出した主要な理由の一つでもあるのです。89年の学生たちの要求は政治的課題に集中していましたが、市民らにより大字報(壁新聞)やスローガンは、党官僚の腐敗を批判していたり、自分たちの低賃金に対する不満などでした。雨傘運動もおなじように、とりわけ青年たちの貧困への不満があります。高騰する家賃や独占的不動産業界への批判などに、それは顕著にあらわれています。

このような背景を認識することで、旺角のオキュパイ参加者を理解することができるでしょう。かれらはより庶民階層に近く、より勇敢です。これまでずっと社会の底辺で抑圧されてきた人々が、突如として警察との衝突の最前線に立ち、自らの運命を自ら変えることができる権力を獲得したかのように感じたのです。「差老を撃退したぞ!」という事実が集団的な力を認識させたのです。

◆ リーダー

89年の民主化運動は、その発生からその後まで、指導者がつぎつぎに変わったことによって、天安門広場からの撤退の決定がなんども覆されました。運動が北京以外の学生たちを巻き込めば巻き込むほど、さまざまな傾向が生まれました。北京の学生たちは、長期間の広場占拠による疲れから、撤退を提起しても、遠くの地方からやってきた学生たちは「十数時間もかけて駆けつけたのに撤退などできない」と主張します。運動が長期化すればするほど自然発生性が運動を支配していきました。当時、こんな言い方がありました。「運動は感覚とともに進む」。しかしそのなかに敗北の種があったことも、また確かです。

◆ 発展

89年民主化運動は5月中ごろには疲労を見せていました。5月19日、政府が戒厳令を発表たことで、民衆の怒りが再燃しましたが、そのような政府の挑発がなければ、運動は自然消滅していたかもしれません。雨傘運動もおなじように、もし9月29日の大弾圧がなければ、雨傘運動が誕生しなかったかもしれません。また、この弾圧から反弾圧という運動の持続によって、政府内部に分岐、ひいては分裂をもたらします。89年民主化運動と雨傘運動のどちらにおいても、程度の差こそはあれ、このような状況があります。

香港政府は9月28日以降、ハト派の路線を採用し、オキュパイの継続を容認します。しかし運動の継続はいっぽうで、その弱点も露呈させます。運動の団結の基礎はそう強いものではないことから、それぞれの要求や展望に違いが現れます。9月28日未明にオキュパイの3人の代表がオキュパイ・セントラルを正式に宣言しましたが、それは歓呼によって迎えられたわけではなく、すくなくない人々が運動から退きました。もしその日の夕方に87発の催涙弾が打ち込まれなければ、雨傘運動が誕生したかどうかはわかりません。

オキュパイはこれによって長期化することになりましたが、団結の基礎はそう強固ではありません。先月20日の「明報」紙の世論調査では、どのような条件ならオキュパイ撤退をするかという質問の回答は、かなりのばらつきがありました。オキュパイはすでに一ヶ月以上続けられています。しかし中央政府は譲歩していません。こういったボトルネックのもと、運動をさらに拡大させるのか、あるいは戦術的な撤退をするのかの判断が迫られます。難しいのは、撤退すれば非難され、かといって運動をさらに拡大させることにも困難があるということです。

◆ 結末はいかに

89年民主化運動の結末には二段階ありました。第一段階は天安門における血の弾圧です。しかしその後の第二段階といえる、全国で吹き荒れた徹底した大弾圧こそが、その世代の民主化の声を完全に消し去ることに政府が成功した大きな理由です。

現在の香港はそれほど悪い状況にはありません。かりに暴力的な弾圧が行われたとしても、89年民主化運動に対する徹底した弾圧ほど悲惨な状況になることはないでしょう。その分析については昨年執筆した「オキュパイ・セントラル弾圧のシミュレーション」(2013年11月28日)を参考にしてください。とはいえ、いくら弾圧がそう悲惨なものでないと予想されるからといって、軽率な行動をとってもいいというわけではありません。

いずれにせよ、今回の雨傘運動は、民主化闘争の正々堂々たる予行演習となったことには違いありません。これまでとこれからでは、香港の民主化運動は格段に違ったものになるでしょう。

2014年11月8日

(2014年11月9日「明報」日曜版コラムに掲載)

【香港】オキュパイ・セントラル弾圧のシミュレーション

 「雨傘運動と89年民主化運動~似ている所と違う所」の最後の箇所で参考として挙げられていた「オキュパイ・セントラル弾圧のシミュレーション」 (2013年11月28日)を以下に紹介する。このなかで、區龍宇さんは「オキュパイ・セントラルが1万人もの参加者を集めることが出来ると考えている人はほとんどいない」としているが、それが過小評価であったことは否めない。しかしこの文章の中心である中国共産党の対応を分析した箇所については、「台頭する大国、中国」の脆弱さの一端をしめすものだと言える。また最後に「カラー革命」の方向性を示唆する主張への警告も行うとともに、オキュパイを陰謀的にではなく公然と議論して実施すべきだと訴えている。(H)


オキュパイ・セントラル弾圧のシミュレーション
2013-11-28 16:44:04

區龍宇 元教員、労働運動研究者、世界市民。
近著に《China Rise: Strength and Fragility》, published by Merlin Press.

李飛が香港を去って間もなく、呉志森が「中国共産党中央が本当の普通選挙を賜るという幻想は捨てよ」と呼びかけた。まさにその通りである![訳注1]

幻想を捨て、闘争を準備し、オキュパイ・セントラル[訳注2]を積極的に行うべきである。しかし市民団体などの討論において、筆者もオキュパイ反対の意見に接したことがある。反対する理由のなかに「中国政府は1989年の天安門の時と同じように解放軍を投入して弾圧するかもしれな」というものである。(原注1)

◎ 解放軍が出動する?

もちろんその可能性はないわけではない。しかしその可能性は極めて小さい。鶏を絞めるのに牛刀を用いる必要はないからだ。オキュパイ・セントラルが1万人もの参加者を集めることが出来ると考えている人はほとんどいないが、香港警察は3万人の要員がおり、オキュパイに対処するに余りある人数である。89年天安門事件では中国共産党は戦車で鶏をひき殺したではないかという主張もあるかもしれない。確かにその通りである。だが中国と香港は違うのである。中国共産党は中国本土では独断専横で他の社会勢力の牽制を受けることはない。香港では、内部か外部かはとりあえず論じないとしても、中国共産党上層部がコントロールすることができない勢力が依然として多く存在することから、戦車で鶏をひき殺してしまうと、思いもしない結果を引き受けなければならなくなる。

1989年の中国では、中国共産党は国家の一切を統制していた。民主化運動は一気に沸き起こったが、弾圧によって一気に霧散してしまった。香港ではすでに各種の政治および社会運動が長年にわたって成長している。中国共産党が兵力で弾圧に成功したとしても、その後には各種の組織的勢力の抵抗に直面することになる。反対するすべての声を打ち消すには、軍事統制を行わなければならないだけでなく、50年は政策を変えないという�眷小平の政策を変更することが前提となる。それは非常に重大な政治的危機に道を開くことになる。[オキュパイという]小さな事件に対応するために、大きな動揺を引き起こす危険性をあえて冒すだけの価値があるだろうか?今日の支配者も絶対的自由ではないという状況においては尚のことである。

◎ 習近平が直面する困難

昨年の『The China Quarterly』9月号に掲載された李成の「共産党による頑強権威主義の終焉」(原注2)は、今日の中国共産党の政治情勢の特徴について以下のように述べている。

1、強力な党内派閥と脆弱な指導部
2、強大な利益集団と脆弱な政府
3、強大な社会的発展と弱体化しつつある政府の統制

習近平が党政軍および国家安全部門を掌握しなければならない理由は、まさにそれらが前任者に比べて脆弱であるがゆえに、特に威厳を確立しなければならないからである(薄熙来打倒を含む)。だがそのようなやり方は反発も招く。つまり内部派閥の対立のさらなる激化をもたらし、敵対派閥による権力争奪の機会増大をもたらす。

もし習近平が軽率に軍事力に訴えれば、まず内部において分岐が発生するだろう。一旦分岐が発生してしまえば、1989年以上に党内分裂を引き起こす可能性がある。その当時分裂しなかったのはトウ小平という元老の存在が大いに影響した。だが今日の中国共産党には全党を統一させるだけの超越した元老は存在しない。

しかも、さまざまな形跡から2013年の中国はすでに危機の時代に突入したことが伺えるのである。

◎ 中国民主化には明日がある

中国共産党内部の要素だけでなく、二つの新しい政治的条件が中国共産党の政策決定を牽制している。ひとつは、中国人民が天安門事件の弾圧によって作り出された長期低迷状態を脱しつつあることだ。敗北を知らない新しい世代は特にそうである。2010年のホンダ労働者は長年にわたって誰も提起することができなかった要求――労働組合の改選を提起したのである。政府は強力な弾圧に訴えることはできず、逆にいくらかの譲歩をおこなった。

次に、中国共産党による急速な工業化は、自らに不利な新しい民主主義勢力を生み出した。中国の全人口にしめる都市人口の割合は半分を占めるまでになっている。小農を中心とした中国は、都市階級を中心とした近代化された中国に変わった。高等教育を受けた人数も爆発的に発展している。労働者階級の数は3億人に増加した。大学生から労働者階級に至るまで、初歩的な民主化闘争を経ている。農民も昔日とは異なっている。2011年の烏坎村の農民による土地収用への抵抗闘争では、臨時選挙で理事会を選出し、民主的意識を示した。

新しい民主化運動にいたる道のりはまだ遠いが、その距離は短くなっている。烏坎村事件の後、中国共産党広東省委員会の朱明国副書記は、幹部への訓示として「大衆が激怒してはじめて、力とは何かを理解することができる」と語っている。

◎ 経済発展というボトルネック

最後に、経済的な観点からも検討すべきである。中国はすでに世界第二位の経済体となっており、香港で軍事力を使った弾圧を理由とする経済衰退が起こったとしてもその損失に耐えることは可能である。しかし損失は底だけにとどまらない。外国との関係で言えば、中国は完全にグローバル市場に融合している一方で、中国の台頭は日米欧による制約も受けている。このような状況において、もし中国がオキュパイ・セントラルを軍事力を使って弾圧すれば、国際的な経済制裁を引き起こす可能性があり、その期間が長くなれば、中国はそれによって引き起こされる損失を引き受けることができなくなる。とりわけ考慮しなければならないのは、中国では経済危機がますます近づきつつあるということである。資本主義の周期的生産過剰と貸し出しの膨張は、中国においてとりわけ突出している。各種の矛盾が積み重なり、爆発の機会をうかがっている。

◎ なぜ天安門の民主化運動を弾圧したのか?

上記の四つの制約にもかかわらず、習近平が依然として解放軍を出動させて弾圧をおこなうのであれば、予測不可能な政治的危機を引き起こすだろう。それは新しい民主化運動を引き起こす可能性を含んだものである。ほんの僅かのオキュパイ・セントラルを弾圧するために、このような大きなリスクを取るとは、ばかばかしいにも程があるだろう。

もちろん次のような反論もあるだろう。トウ小平も天安門の民主化運動をあれほど酷く弾圧する必要はなかったにもかかわらず、彼がそのような行動をとったことは、共産党は予測不可能またはとんでもないことをしでかすという証明ではないか、と。私は昨年出版した英文書籍のなかでそれについて検討している(原注3)。トウ小平のおこないは、まったくでたらめなとんでもない行動ではなく、一種の官僚的理性からの行為である、と。

1989年初めの中国社会は、改革が労働者人民に奉仕するのか、それとも官僚による公有財産の私有化に奉仕するのかというターニングポイントに直面していた。4月になって学生運動が起こり、それが民衆の支持を受けるに至って、このターニングポイントは、改革は労働者人民と官僚のどちらが主導権を握るのかというレベルにまで進化した。中国共産党は大弾圧を経ることにより、国有資産を安穏と私有化することができたのである。いわゆる「20万人を弾圧して、20年間の安定を得る」という主張は、このような枠組みの中で理解すべきである。20数年後の今日、中国共産党による大事業は完成した。今後の主要な任務はこれまでのような創造(官僚資本主義の新社会の創造)ではなく保守である。創造と保守の方法は異なる。官僚的理性から考えても、習近平が香港における小さなオキュパイ運動の弾圧に軍事力を使う必要は感じないだろう。もし軍事力を動員することがあれば、それはオキュパイが理由ではなく、国内外でさらに大きな危機が爆発したことによるものだろう。

◎ 陰謀詐術に対処するには

中国共産党はオキュパイ・セントラルへの攻撃を行うだろうが、それは軍事力を動員してではなく、香港特区行政長官を指揮することのほかに、次の三つの企みが考えられる。

1、公然的には、シンパや大衆組織を動員して、世論と大衆的攻撃を発動する。
2、非公然で、スパイを急進分子として運動に紛れ込ませ、発言権や指導権の簒奪を狙う
3、水面下でオキュパイ・セントラル活動家に対する中傷をおこなう

これに対処するには、スパイ合戦を妄想するのではなく、正確な政治路線による線引きを明確にし、敵と味方をはっきりとさせることである。たとえば最近では、直接選挙を実現する手段としてオキュパイ・セントラルだけでなく、ゼネストを提起すべきだという主張がある。もしも労働運動の側ですでに準備が整っているのであれば、この提案は原則上なんら間違いではない。しかし、同じような提案が、もし香港独立につながり、「英米の介入を要求し、カラー革命を進める」といった綱領につながるのであれば、仮にそれを提起した人物の主観がどうであれ、客観的には誤った路線なのである(原注4)。なぜなら英米政府はそもそも心から香港人を支援しようとは思っていないからである。英米という別の支配者のために香港人が火中の栗を拾う必要はない。このような誤った路線は、客観的には中国共産党による弾圧の口実となる。誤りの上に誤りを重ねないためにも、このようなエセ急進主義への自覚的抑制が必要となる。


原注1:林和立《習近平督師打佔中 必要時用解放軍》,ウェブニュース「主場新聞」掲載
原注2:《China Quarterly》
原注3:《China’s Rise: Strength and Fragility》
原注4:「佔領中環 奮起護港」

訳注1
2013年11月21日から23日の日程で香港を訪れた中国全国人民代表大会副議長兼香港基本法委員会主任の李飛は、訪問期間中に香港行政長官らトップと会談し「行政長官は愛国愛港であること、中央に敵対しないこと」と中国政府の立場を示し2017年の次期行政長官選挙でも中国政府の立場を反映した人事を示唆した。呉志森は香港公共放送の人気ラジオパーソナリティでストレートな政府批判が好評だったが、香港政庁高官が同放送局トップに天下って間もなく契約更新が打ち切られ、現在はフリーパーソナリティを勤めるかたわら政治コラムなどを執筆している。

訳注2
非暴力不服従で香港の中心街セントラルをオキュパイして2017年に行政長官と議員の完全直接選挙を要求しよういう訴えが2013年初めに提起され、学者などをふくむ多くの賛同を得る一方、違法な闘争手段に訴えるべきではないという穏健民主派や親中派の批判がある。

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