虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

脱原発

【報告】7.29脱原発国会大包囲

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 七月一六日さようなら原発一六万人参加集会の後、七月二九日、脱原発国会大包囲行動は国会正門前規制を打ち破り、数万人の参加者が国会前から下につながる道路を解放区として、アピールを実現した。この行動の主催は首都圏反原発連合で、さようなら原発一〇〇〇万人アクション/原発をなくす全国連絡会/ザ・アトミックカフェ/脱原発世界会議/WISE Amsterdam、が協賛した。


 午後三時過ぎには日比谷図書館前を中心に数万人の人々が埋め尽くした。三時三〇分から前段集会が一時間の予定で開かれた。雨宮処凛さんが「メディアの対応が変わった。直接民主主義の意識が芽生え、歴史を変える時だ」と司会者の訴えを行い集会が始められた。最初に首都圏反原発連合が「三月末から毎週金曜日に首相官邸前行動を行ってきたが、参加者が増えて、今やそれが社会現象になっている。追い風が来ている。大飯原発は早期に中止し、どこも再稼働させない」と主催者あいさつをした。たんぽぽ舎の原田さんは「東電一七基の原発は一基も動いていないのに、電気が足りないなんてウソだ」と発言した。俳優の山本太郎さんが原子力規制委員会の人事案を「原子力ムラ」が乗っ取ろうとしていると批判し、「国のやり方にみんな怒っている。怒りが爆発しているからこんなに多くの人が集まっている。絶対に社会を政治を変えることができる。今日はヘリコプターから撮影し伝える」と訴えた。

 青山学院大学教授の小島敏郎さんは原子力規制委員会のメンバー人選について批判し、パブリックコメントに対して百万人を組織しようと訴えた。ピースボートは「ベネズエラ、ニカラグアに行ったが連日テレビで日本の反原発行動が報道されていた。それは広島・長崎への原爆の投下があり福島原発事故があったのに、なぜ原発が再稼働されたのかと言う疑問だ。回答はこのデモだ」と語った。作家の落合恵子さんが「脱原発署名が八〇〇万筆に達した。六〇年、七〇年安保闘争と挫折してきたが今度こそ答えを出そう。私たちの怒りを消すことはできない」と話した。


 午後四時にデモ隊が出発した。先頭に太鼓隊が地響きがするような太鼓を打ち鳴らし、白装束にガスマスクやさまざまな化粧をした隊列が強烈な反原発のアピールをしながら練り歩く。福島の女たちは福島の踊りを披露しながらアピールした。次々とプラカードや横断幕を掲げたデモ隊が続く。

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 さまざまな集会が行われたが、こうした反原発デモほど工夫がこらされたプラカードや隊列を他のデモでは見ることができない。それほどそれぞれが自立し、おのおのアピールの仕方を考えていることが分かる。デモ隊は東電本店前を通り新橋駅をぐるりとまわり日比谷公園に帰ってくるコースだったがデモの最終は先頭が日比谷公園に戻っても、公園に残っていた。内幸町の交差点で右翼十数人が日の丸を振り、デモ隊を口汚くののしる妨害行動を続けたが、万余のデモ隊の前に「恥」をさらすのみだった。
 
 デモが終わった参加者は国会包囲に向かう。警察は国会側の歩道をすべて遮断し、向かい側の歩道に人々をすしづめにした。参加者は警察に対して、「規制をやめろ。道路を解放しろ」とコールを上げたり、抗議する姿が目立った。


 七時に国会正門前脇でメインのスピーチが始まった。鎌田慧さんは「国会包囲は大成功だ。ただちに原発をゼロにしよう」と訴えた。首藤信彦さん(民主党、衆院議員)は「福島原発事故は偶然によって今の状態になっているが、少し間違えばものすごい被害が出た。大飯原発再稼働はしっかり検証しなければならない。原子力規制庁に原子力ムラを入れてはいけない」と語った。川内博史さん(民主党、衆院議員)が「民主党が一番おかしい。われわれは再稼働を止めるためにここにやってきた。民主党に残って闘うことが重要だ」と訴えた。この発言に「民主党をやめてから来い」など厳しい批判が沸き起こり、「再稼働反対」のコールが鳴り響いた。


 みんなの党の発言の後、共産党の志井委員長が「福島事故を徹底的に検証する。被災者のために支援を。今後のエネルギー政策をどうするか、原発をどうするかについて、三つの選択はおかしい。続けるかなくすかの選択だ」と訴えた。


 中学二年生の女性が「子どもに本当のことを知らせてください。原発をどうするか決める権利をください」と語った。制服向上委員会の音頭による「ふるさと」の大合唱があり、社民党の阿部とも子さんの発言の時、七時二五分に、ついに国会正門前交差点を規制していた阻止線が突破され、国会正門前から下る道路が解放された。


 次々と参加者が道路を埋め尽くした。警察は何とか部隊を集中して、それ以上正門に近づけさせようにするのがせいいっぱいだ。メインスピーカーはまったく聞こえなくなり、「再稼働反対」「原発反対」「命が大事」と、ものすごいコールが鳴り響く。次から次へと正門前に参加者が押し寄せた。参加者は解放感にあふれ、思い思いにコールを繰り返した。主催者はキャンドルを消すように、押さないでください。下がってください。


 八時までは行動を続行します、とアナウンスした。八時になり、終了のアナウンスがあったが、抗議を続ける人たちもいた。闘いは継続し、再稼働反対、脱原発をめざす攻防はますます激しさを増している。


 なお、国会正門前で警察は二人の参加者を、何の根拠もなく逮捕した。われわれはこの弾圧を厳しく糾弾する。(M)

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【報告】「原子力規制委員会」人事に異議あり!7・27 官邸前アクション

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「原子力規制委員会」人事に異議あり!
「原子力ムラ」から選ぶな! 7・27 官邸前アクション


 七月二七日午後六時から、「原子力規制委員会」人事に異議あり!「原子力ムラ」から選ぶな! 7・27 官邸前アクション」が再稼働反対!全国アクションの呼びかけで行われ、 二八〇〇人が参加した。


 首都圏反原発連合呼びかけの毎週金曜日の首相官邸前行動は二九日の国会包囲行動のために、今回は中止となっているので、いつもより簡単に官邸前に行けるだろうと六時一〇分前に丸の内線国会議事堂駅に着いた。すると、警察によって四つの出口のうち三つが閉鎖され、官邸側の一番遠い出口しか使えないようにされていた。仕方なく、その出口を出ると警察官は「参加者は右に折れて下に下がって下さい」と指示を出していた。国会議事堂側道路は警察のかまぼこ車によって埋まり、歩道は道路側と歩道側に遮蔽棒が置かれ一人が通れる通路が作られ、多数の警察官が配置されていた。いったん指示通りに右に折れて坂を下った。そうすると限りなく、官邸からは遠く、もちろんスピーカーでのアナウンスなんて聞こえない。


 こんなじゃしょうがないと戻っていき、駅出口付近に来ると警察官によってそれ以上の官邸前への通行をじゃまされた。そこでは参加する人たちが口々に警察官に抗議するトラブルがずっと続いた。六時からは「再稼働反対」のコールが始まった。官邸前でのスピーチはいっさい聞こえなかった。


 六時半過ぎになって、官邸前にたどりつき、スピーチが聞けた。すでに福島からの訴えや社民党福島党首などのアピールは終わっていた。俳優の山本太郎さんが「原子力規制委員会に五人中三人が『原子力ムラ』の人間が入っている。五年間脱原発はふたをされる。再稼働はどんどん行われ、新規増設もあるかもしれない。この人事が決まると誰にも止めさせることはできない。日本を破滅から守るためにこの人事を白紙撤回させよう。原子力ムラを解体しよう」と訴えた。次に経産省脱原発テント広場から、「ゾンビのように規制委員会を制圧しようとしている。原発をなくすために規制していく、大飯原発再稼働は間違っていた、これが第一にやるべきことだ。安全神話に関わったものは絶対に委員会に入れてはならない。ハッキリ脱原発派だけが加わるべきだ」と政府案を批判した。


 七時から、福島の子どもの集団疎開裁判を闘う仲間、eシフト、たんぽぽ舎、再稼働反対!全国アクション(別掲)が原子力規制委員会人事の白紙撤回を求める申し入れ書を読み上げ、野田首相などあてのものを内閣府に手渡した。この後八時までアピールが続けられた。


 被曝労働問題、枝野経産相が地元では原発反対派だとチラシを配っていることの暴露、東電電気料値上げ反対のために不払い運動の提起、福井で官邸前アクションと同様にアクションが行われ始めたこと、福井からのメールメッセージでは「大飯町町長が敦賀市長、高浜町長、美浜町長を引き連れ、枝野経産相に大飯だけでなく他の原発も再稼働してくれ、核燃サイクルも進めるように要望したこと」を批判した。


 午後八時になると、警察の広報車から大音量で「八時になると行動は終わります。混乱が起こらないようにすみやかに解散してください」と流された。参加者は大きな声で、警察の介入にブーイング。司会者が「警察は勝手なことを言うな」と一喝し、全員で「原子力規制委員会の人事を白紙撤回せよ、原子力ムラを解体しよう。再稼働反対」とコールを繰り返し、七月二九日の国会包囲行動を成功させることを誓い合った。(M)
 
資料

「原子力規制委員会」人事に異議あり!「原子力ムラ」から選ばないで!

内閣総理大臣野田佳彦様
内閣府特命担当大臣(原子力行政)細野豪志様

 
  国会「事故調」の報告にあるように福島原発事故は収束していません。…略…このような状況の中で、福島原発事故を反省し原発行政の推進と規制とを分離する目的で発足させるはずの「原子力規制委員会」の人事案が、一週間前に妙なリークで衆知され、昨日国会に同意願いが提出されました。

 私たちは、この人事案に異議があり絶対反対です。

 利用と規制とを分離したのに、なぜ規制に「原子力ムラ」の人が3人も入っているのですか? 特に、委員長候補の田中俊一氏は、長年「原子力ムラ」の中枢で活動してきた人で、今なお原発推進機関の職にあります。

 1967年に日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)に入所して以来長年同機構に所属し、同副理事長を務め、原子力学会会長にも就任、2007年から3年間原子力委員会の委員長代理を務めて日本政府の原子力行政を推進してきました。NPO法人放射線安全フォーラム副理事長、高度情報科学技術研究機構(元原子力データセンター)会長も歴任しました。

 「我が国の原子力産業を国際的に展開していくということが日本にとっても産業政策上も重要で、国際的にもそういうことが求められてきている」(原子力委員会、2009年12月25日)。こう言い残して原子力委員会を去った田中俊一氏。

 昨年8月にはNPO法人放射線安全フォーラム副理事長として原子力委員会で除染について発言、「この状況のままで今後の原子力の再生は非常にもう、個人の考えですけれども、絶望的です。…」と先の見えない除染を推進してきて福島県民の怒りをかっています。

  文科省の原子力損害賠償審査会では自主避難者への賠償にも最後まで抵抗しました。…略…
 以下、抗議・要請します。
  1 「原子力規制委員会」人事案の選定過程を明確にしてください。誰が担当したのですか?
  2 人事案がメディアに知られた経緯を調査確認公表してください。
  3 現人事案を白紙撤回してください。
  4 原子力規制委員は、いわゆる「原子力ムラ」から選ばないでください。3・11までの原子力行政推進者や業界からは選ばないでください。
 
  2012年7月27日 再稼働反対!全国アクション


【報告】原発ゼロの日 さようなら原発5・5(ゴーゴー)集会

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 五月五日午後一時から、東京芝公園23号地で「原発ゼロの日 さようなら原発5・5(ゴーゴー)集会」が、さよなら原発1000万人アクションの主催によって開催された。真夏を思わせる晴天の下、さまざまな反原発団体、労組、市民五五〇〇人が集まった。


 日本で唯一稼働している北海道電力泊原発の3号機がこの日に定期検査入りして停止する。原発ゼロの日だ。この状態を持続し再稼働を許さないために集会は開かれた。


 最初に生田卍さんによる歌が披露された後、集会が行われた。司会を猿田佐世さん(弁護士)が行った。猿田さんは渡米中にドイツの国防相と会った時、「今、福島はどうなっているのか」と聞かれ、原発の再稼働に向けた動きがあると報告すると、「なぜ、大事故があったのに原発を続けようとしているのか考えられない」と言われた。決して日本の原発をめぐる動きは世界標準ではないというエピソードも紹介しながら、軽快な司会を務めた。


 主催者あいさつが、鎌田慧さん(ルポライター・呼びかけ人)、澤地久枝さん(作家・呼びかけ人)、内橋克人さん(経済評論家、呼びかけ人)の三人から行われた。


 鎌田さんは「長年反原発運動を行ってきたが、福島原発事故を阻止できなかったことの痛苦の反省の上にたって、原発のゼロの日の歴史的瞬間をお祝いしたい。六ヶ所村の人びとをはじめ長年にわたり運動をしてきた人たちはすでに亡くなった人たちも大勢いる。こうした人たちの魂といっしょに祝いたい。そして、今後もゴーゴーしていく。一〇〇〇万人署名を突きつけ、絶対に政策を変えさせる。自信を込めてがんばろう」と語った。


 澤地さんは「野田首相はアメリカに行き、日米同盟の強化を訴えた。一九四〇年のヒットラー、ムッソリーニと軍事同盟を結んだがこれは間違いであった。核はいらないとハッキリした態度を示す国になりたい」と話した。


 内橋さんは「夕方五時に泊原発3号機は停止し、午後一一時に核分裂反応が完全に止まり、原発ゼロになる。『原発を止めるのは集団自殺だ』と言った人がいるが何の破綻も起きていない。しかし、この事態は新たな原発立国への準備だ。再稼働のための点検・準備をしている。燃料棒の四分の三を取り替える。三・一一前の姿の入念な準備をしている。われわれは持続可能・永久にゼロにするために進まなければならない。原発がなければ生きてゆけないような社会を変えなければならない」と、今後の厳しい攻防について注意を喚起した。


 賛同者からは、古今亭菊千代さん(落語家・賛同人)と神田香織さん(講談師・賛同人)が発言した後、長田秀樹さん(北海道平和運動フォーラム事務局長)が泊原発の危険性について訴えた。


 「泊原発が止まります。それは全国の声の結集点だ。泊が止まれば電力が三・一%不足するから、再稼働したいというが泊原発は危険な原発だ。第一に、原発は砂岩・泥岩の上にあり、下には活断層がある。そして北海道の西のはじにあり、強い風が吹く。事故が起きれば札幌など甚大な被害が起きる。第二に、事故が起きた時、道路は行き止まりであり、いったん原発に向かって避難することになっている。第三に、大飯原発のまわりの知事はストレステスト一次審査だけではダメだと言っているのに、経産省OBの高橋北海道知事は国の判断待ちとして、安全問題をないがしろにしている。五月八日には知事の申し入れをする」。


 山口幸夫さん(原子力資料情報室共同代表)が脱原発に向かうには「原子力ムラをどう壊すか。大飯原発の再稼働をめぐるストレステストによっても、ムラはまったく変わっていないから、再稼働を容認した」と批判し、秋にも発足する原子力規制庁を監視する民衆運動を提起した。チェ・ヨルさん(韓国・環境財団代表)が韓国での反原発運動を紹介しながら、中国・韓国・日本で脱原発ネットワークをつくり、平和的な東アジアをめざそうと訴えた。


 次に、経産省前テントひろばにも参加している福島の「原発いらない女たちの会」の仲間たちが壇上に登壇した。代表して椎名ちえこさんが「福島は桜、桃の花が終わり、緑がきれいになったが三・一一のまま止まっている。線量が高くても日曜日にはキッズパレードだ、夢のマラソンだと復興キャンペーンのイベントが行われている。しかし、われわれは負けない。訴訟団が起こされ、命の診療所作りが立ち上がった。原発は止まったのではなく、止めたんだと確認したい。どんな絶望的なことが起きても、子どもたちの命は守る、そんな思いでここに集まっている。つながりを強め、原発ゼロを作り出そう」と力強く訴えた。彼女たちは伝統の「かんしょ踊り」をパレード出発出口で披露した。


 続いて「さようなら原発鯉のぼり」を参加者が持ち、スタンドアップのパフォーマンスを行った。落合恵子さん(作家・呼びかけ人)が「四二年ぶりに原発ゼロになったが、一六万人の人々が避難している。二度とこんなことはごめんだ。原発というこれ以上のテロはない。子どもたちの未来をかけて、原発ゼロの社会を作っていかなければならない。これからそのために一歩を歩みだそう」と呼びかけ、まとめとした。


 パレードは芝23号地~東京タワー~芝大門~浜松町~旧芝離宮庭園(JR浜松町駅前)と行われ、道行く人々に、「原発ゼロの持続、再稼働反対」をにぎやかに訴えた。(M)

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