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「オキュパイ反対、平和を守れ」の横断幕を掲げる香港の親中派メディア「文匯報」の参加者。文匯報はオキュパイの学生指導者、黄之鋒くんへの中傷記事を掲載。黄之鋒くんは「事実無根」と反論している。
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中国共産党の高官やメディアが、香港のオキュパイ・セントラル運動が、「色の革命」の色彩を帯びているという発言を行っている。つまりアメリカ帝国主義という外部勢力の陰謀によるクーデターだというのである。

参考:米国が「色の革命」に疲れ知らずで熱中するのはなぜか?(人民網日本語版2014年10月10日)

「アメリカの陰謀」論については、日本の運動圏において、まことしやかに情報が流れている。しかし一つ一つの事柄と、事実関係を照らし合わせれば、そのような陰謀論の根拠が極めてあいまいであり、結局のところオキュパイ運動へのネガティブな評価にしかつながらないことは明らかである。このような陰謀論が運動圏において受容される理由の一つに、ラディカルで民主的な運動を通じた社会変革に対する深い絶望と不信が横たわっていることが考えられる。

以下は香港の區龍宇氏が「独立媒体」に掲載した論評(原文)。タイトルの「重惨党」は、広東語で「共産党」とよく似た発音で、国共内戦から建国初期にかけて中国共産党に対して投げかけられた中傷的名称で、「惨劇を重ねる党」という意味がある。現代ではこの名称がぴったりだ、ということで筆者はこの用語を使っている。(H)


重惨党を笑う

區龍宇

中国共産党の宣伝メディアは、雨傘運動がアメリカの資金/計画による「色の革命」であると攻撃している。実際のところ、このような宣伝攻撃は、攻撃のために持ち上げた石が自らの足を打ち砕くことにしかならないのだが。


◆ 「真理はオレが決める」

外国勢力との結託で自国人民を危機にさらすというのであれば、共産党自身がすでにそれを実行しているではないか。

事例その1。2001年、共産党はWTO加盟のために、工業製品の農産物の関税を大幅に引き下げ、何百にもわたる法律を撤廃あるいは改正し、多国籍企業を引き込み、それによって多くの国内ブランド産業に損害をもたらしただけでなく、すくなくとも3000万人の国有企業労働者を失業に追い込んだ。さらに、国内向け農業補助政策を大幅に削減し、農民らを苦しめた。外国勢力と結託してWTO加盟を進めたが、労働者農民の抵抗を恐れるあまり、労働者の海の民主的権利を徹底的に弾圧してきたではないか。

事例その2。中央や地方など各級政府は過去30年間、欧米日から多額の融資を受けてきた。一体どれだけの対外援助を受けてきたのか、そのうちのどれだけが官僚どものポケットに収まったのかは、天のみぞ知る。それによって膨れ上がったフトコロから一体どれだけのカネを海外に移転し、外国の高官や資本家と結託してきたのか、誰もわからない。彼らはこんなことをずっとやってきたのだ。しかし、国内の普通の民間ボランティア団体に対しては、外国人との関係があるというだけで、「売国」と疑われる。オックスファムですら「色の革命」組織と疑われたことがあったくらいである。党官僚らには常に秦の始皇帝のような心理が付きまとっている。つまり、自分の行いはすべて国家のためであり良いことであるが、普通の人民の行いは売国行為の疑いがあるという心理だ。なぜこのような心理に支配されているのか不思議でならないが、それは「真理はオレが決める」ということだろう。

民主派の主流派はこれまでずっと親米姿勢を取り続けてきたが、私はそれには賛同しがたい。だが今回の雨傘運動は、これらの主流民主派による指導なのか?すこしでも常識があれば、そうではないことは誰もが知っている。主流民主派の妥協的態度と無能さゆえに、結局はオキュパイ3人衆が運動の発動を呼びかけざるを得なかったのである。そしてこのオキュパイ3人衆があれこれ躊躇したことで、耐えきれなくなった学生連合が7月2日未明にオキュパイ・セントラルの予行演習を行い、9月22日に授業ボイコットが呼びかけられた。そして市民的決起が拡大した9月28日以降は、学生連盟でさえも運動を主導できず、運動は無数の個人の意志に変わり、自由激動の無定形な大衆運動と化した。このなかで主流民主派は、運動の下支えという功績がないわけではないが、かれらはそもそもこのような運動が起きることを望んでいなかったし、そのような能力もないことは、すでに明白である。主流民主派が米国民主基金の金銭的支援を受けている証拠を示すことで、雨傘運動がアメリカ政府の影響、資金的援助、計画であることの証明であるという主張は、ためにする議論であり、軽蔑すべ
きものである。


◆ 党官僚は毛主席の書を読むべき

「色の革命」とは何か?バイドゥー[中国のウェブ辞典]によると、色の革命とは「21世紀初頭に独立国家共同体、中東、北アフリカにおいて発生した一連の政変を指し、それは色が名前に付けられ、平和と非暴力を掲げるが、……背後には一般的に外部勢力の介入要素が存在している……。色の革命はほとんどが西側ブルジョア国家を模倣している……、複数政党制、参政権などを標榜していることから、色の革命の中心勢力は野党であることが多い。」

かなりの長期にわたって、かつ多くの国家で発生し、きわめて複雑な様相を呈している大衆的政治運動を、すべてアメリカ帝国主義による合法政権への攻撃の結果だとみなす考えは、冗談にもほどがあるだろう。このように主張する人々は毛主席の戒めを忘れている。「外因は内因を通じて作用する」。(矛盾論、1937年)

かりにこの運動が完全にアメリカの策動によるものであり、参加者が完全にアメリカの駒であったとしても、俗に「モノが腐ってから虫が湧く」というように、政権が腐敗の極みでなければ、アメリカがどれだけ巨額のカネを使っても、そう簡単には物事は成就しないだろう。

またアメリカの陰謀というような主張は、そもそも国際情勢の現実と大いにかけ離れている。もしそのような主張がまかり通るのであれば、アメリカはとっくに世界的覇権のうえに胡坐をかいていることになる。しかし現実はその逆だ。ロシアはプーチンによって復興しつつあり、中国の台頭もめざましい。このことは国際情勢が多極的に発展していることの証明である。アメリカ自身にいたっては、経済停滞がつづいており、対外的には中東の泥沼に陥っている。イラクは10年以上も思い通りになっていない。そもそもの勢力地域以外の国家など至る所でのクーデターが思いのままになるはずがない。せいぜいのところ機に乗じて何かしらの事柄を成すだけしかできない。腐敗はなはだしい政権は、色の革命の政変がすべてアメリカによるものであるという主張を利用して、人民の思考のすり替えを行っているにすぎないのだ。

中国共産党の真意は、バイドゥーの説明の中で明らかにされている。いわゆる色の革命が民主主義と競争的な複数政党制を標榜していることが問題だと考えているのである。これらの制度がすべてブルジョア的な問題のある制度だと考えるのであれば、もちろんそれは憎らしく映るだろうし、「わが共産党が指導する複数政党協力制こそ、すばらしい制度だ!」と考えるだろう。


◆ 重惨党によって重ねて悲惨になる

だがこのような考え方は歴史的事実を無視したものだと言える。19世紀から20世紀の初めにかけて、欧州の普通選挙権運動は、そもそも労働運動が中心的な勢力であった。西側の代議制それ自身には欠点も存在するし、それはマルクス主義者が何度も批判してきたところである。しかし批判の核心は、いかにして問題のある代議制民主主義を、さらに理想的な民主主義制度に代えるのか、というところにあったのである。理想的な制度に代えるということには、もともとの制度の長所を吸収することが当然含まれる。代議制民主主義を完全に否定することは、虚無主義でなければ、それは文革式の「一切を否定せよ」にしかならない。「一切を否定せよ」というスローガンは、表面的には極めて革命的であるが、実際には反動復古的に作用した。なぜならそれは「一切」を否定せず、毛沢東という無冠の皇帝を否定しなかっただけでなく、逆にそれを崇拝してしまったのだから。

このような偽りの革命スローガンは、結局のところ、完全な個人独裁をもって一党独裁体制の集団的指導にとって代えるものでしかなかった。文革終了後、?小平は文革を否定したが、個人独裁は断固として擁護した点は、毛沢東時代とさして変わりはない。?小平の復活当初、庶民から支持された主な理由は、市場の自由を開放し、剰余農産物を農民が自由に交換できるようにしたからに過ぎない。だが80年代末には、この開放市場は官僚たちが先に豊かになるために利用され、「官僚ブローカー」が形成されることになった。

89年の民主化運動は、このような共産党による公有財産の私物化を阻止することが目的であったが、運動は敗北し、官僚は民衆を犠牲にして自らを富ませることに徹底して成功した。毛沢東時代の官僚は独裁的であったが、大胆な腐敗はできなかった。現在の官僚たちは、独裁はそのままで、腐敗は大胆で大規模になっている。だから私は「重惨党」と呼ぶことにしている。(「惨劇を重ねる党」の意で、広東語では「共産党」の発音と似ている。)

「重惨党」という名称は私の発明ではない。1946年から49年の国共内戦の時期、中国共産党の政策は国民党よりもましであったが、それでも完全に労働者人民の幸福という趣旨に沿ったものであったというのは、やや誇張した言い方だという[労農革命ではなく新民主主義革命を主張していたことを指す:訳注]。そして内戦に勝利した共産党は軍事管制を敷いて、異論派に対する弾圧を始めていた。その頃、広東で聞かれた民謡はこう唄われていたという。「国民党は刮民党(民を傷つける党)、共産党は重惨党」。

中国共産党が社会主義の原則から乖離する現象は、もちろんもっと早くから始まっている。遅くとも延安での整風運動(1942年)の時点で、毛沢東は1921年の建党時に創出された民主と科学の精神を完全に消滅させることに成功した(高華の著書『紅太陽はいかに昇ったのか』で詳しく論じられている)。時は移り1980年代末、公共資産の私物化が大規模に実行されることになった。

西側諸国との比較においても、あるいは自らの党の歴史との比較においても、現在の共産党は「重惨党」なのである。

2014年10月16日