▲15万にが参加した今年の6・4天安門事件追悼集会(香港)
1989年の中国民主化運動は、6月4日未明に人民解放軍の戦車によって押しつぶされた。香港ではこの民主化運動を支援する運動が広がり、毎年追悼の集会やデモが行われ、今年も15万人が6・4天安門事件を追悼する集会に参加した。中国国内では依然としてこの民主化運動を記念する行事や活動家は厳しく弾圧されている。1997年に香港がイギリスから中国に返還されてからこれまでに、経済的、そして政治的なつながりが強化されてきた一方、香港の社会において「嫌中」感情を利用した右翼的民主化運動論が頭をもたげている。以下は、それを厳しく批判した論考である。(H)
右翼的香港本土主義は香港を損ねるだけだ
6・4天安門事件24周年を前に
区龍宇
まもなく6月4日が訪れようとしているが、街頭で大量に配布されている『熱血時報』を含むいわゆる香港本土主義者らが6・4記念日に対する反対攻撃をしかけている。このようなプロパガンダは89年民主化運動を支援した世代には必ずしも大きな影響を与えるとはいえないが、ポスト89年世代に対しては未知数であることから、その主張の是非についてはっきりとさせておく必要がある。
◆ 右翼的香港本土主義者らの間違い
彼らの文章の特徴は、感情的な八つ当たりと非理性的な分析につきる。その主張は以下の数点にまとめることができる。
1)香港の主要な危険は中国大陸化である。大陸化とは汚職の作風であり、大陸の人間が香港のリソース(資源)を奪うということも意味する。香港本土主義を高く掲げ、大陸人を排斥せよ。
2)中国民主化支援は愛(中)国的精神であり、それは香港人の利益にはそぐわない。
3)香港人は香港人という身分である。香港人の唯一の利益とは香港の現有自治を守ることである。中国人と香港人は無関係である。中国のことは忘れよう。
4)中国の民主化と香港の民主化は互いに対立する。香港人はどちらかの二者択一しかできない。
5)中国大陸の人間はみんな独裁体制の支持者であるか、民主主義を実現できない人々である。民主化が実現したとしてもファシズムになるだけだ。(陳雲の『香港ポリス論』を見よ ※訳注リンク参照)
これらの主張は、すべて間違っている。
中国から押し寄せる妊産婦〔※訳注リンク参照〕や粉ミルク買占め問題〔安全性が高い香港に大陸から買占めに来た:訳注〕など、中国と香港の人々をめぐる矛盾が浮かび上がっているが、香港民衆の生活に関する問題については、適切な措置を講じることで問題を緩和することは難しいことではないし、実際に多少なりとも緩和してきている。ごく部分的な矛盾を、調和不能な対立に無制限に拡大すべきではない。
◆ 6月4日を記念するいくつかの理由
もちろん、上記の表面的な矛盾は、さらに深い矛盾(対立)の屈折的反射である。それは香港と中国大陸の人民の対立ではなく、中国共産党の専制支配と香港市民の間の対立である。中国共産党の腐敗支配は一切の社会領域において腐敗をもたらし、中国大陸の多くの人々は香港を緊急の「非常口」としてみなしている。問題は、香港は「非常口」としてはあまりに狭すぎて、無期限かつ無制限にその任に堪えることができないことである。それゆえ長期的に問題を解決するためには病根を絶つ必要がある。その病根とは中国大陸の人々ではなく、専制支配者と官僚資本主義である。
その病根は中国大陸だけに特有のものではない。香港の高級官僚や大富豪の多くも反民主主義的であり、政治と財界は癒着している。腐敗が中国大陸に特有のものであるかのように言うのは事実に反する。多くの人々が知っているように、香港社会も数十年前はおなじように腐敗していた。カネが最優先される社会で、かつ民主主義がなく、社会運動が抑圧された社会では、腐敗の一切の病根が存在する。問題の根本は、まさに民主主義を通じて大陸の専制と腐敗(そして香港におけるその盟友)を一掃しなければならないということにある。それゆえ、今後われわれは「中国大陸化」という不正確な言葉で腐敗を表現してはならない。
いわゆる香港本土主義者は、中国大陸の民主化支援と6・4天安門事件の記念を一律に「愛(中)国」から出発するものであると考え、「われわれは香港人であり中国大陸人ではない」ことを理由に「愛国」に反対している。しかし彼らの論拠はそもそも成り立たない。〔毎年6・4追悼集会を開催する〕香港市民支援愛国民主運動連合会〔以下、民主運動連合会〕はもちろん愛国の旗幟を鮮明にしているが、6・4記念活動の参加者すべてが愛国の二文字を断固掲げることに賛成しているとは限らない。また愛国を自認している参加者でもそれが唯一重要な動機であるとも限らない。より多くの参加者は素朴な人権と民主主義の精神から6・4記念活動に参加しているのである。もちろん、真の民主主義者は「愛国」という、良く解釈されるが実際にははっきりとせず、また専制支配者と右翼によって極限にまで濫用されるこの概念を極力使うべきではない。主流民主派はこのことについてあまりに総括が足りない。
しかし、いかなる民主派でも、もし民主運動連合会の愛国スローガンに不満があるのであれば、そこから分裂して、より鮮明な記念活動を行うことは可能である。ある一つの事柄が間違っているからといって、活動そのものさえも放棄してしまうような間抜けはいない。しかし「熱血時報」は後ろ向きの批判ばかりで、なんら積極的な提案をすることもしない。唯一の積極的なスローガンといえば「悲しみにさよならし、香港を守ろう」であろうか。問題は、なぜ「香港を守ろう」という立場では、6・4天安門事件を記念することができないのか、ということである。両者は必然的に対立するのか。この問いに対して、彼らは永遠にその道理をはっきりとさせることはできないだろう。
◆ 香港人という身分は必ず中国人という身分を排斥しないといけないのか?
近年、香港では一種の香港人優越感と香港人身分アイデンティティが見られる。それは香港の人権や法治が比較的良いことが要因としてある。だがいわゆる香港本土主義者はその裏返しとして中国大陸の人民を蔑視し、中国大陸の人すべてが専制支配の支持者だと考える。しかし彼らは故意につぎの事を忘れようとしている。それは、香港人がひろく民主主義に覚醒したのは、まさに中国大陸における89年民主化運動の賜物であったということである。89年民主化運動は敗北したが、それはまた香港人に対して民主主義の教育という貴重な役割をも果たした。それまでは政治に対する冷ややかな態度が香港全体を覆っていたのである。現在、中国大陸の人民を軽蔑する香港人がいるとすれば、それは忘恩負義のそしりを免れず、中国と香港の歴史的、民主的紐帯を断絶することを企てることに他ならない。香港人自身をみわたしても、政治的立場はさまざまであり、民主派もいれば強固な反民主派もいる。
だから、地域身分だけで敵と味方を決め付けるのは根本的に誤っている。民族や地域だけを基準に人間の上下を決めたり、民族や地域が他の一切の価値(民主主義、人権、公平性)を凌駕すると考える人間は、絶対に真の民主主義者ではなく、右翼、ひいてはファシストである。いわゆる香港本土主義者は「愛(中)国」を嘲笑するが、彼ら自身の「愛香港」という主張も、実のところ極端で狭隘な排外主義なのである。
世界には中国人だけではなく、少なくとも二種類の人間が存在する。専制支配者とプロレタリア民衆である。前者は民主主義を敵視し、後者は民主主義を必要とし、またその実現のために長年たたかっている。89年民主化運動は突如として天から降ってわいたわけではない。それは中国の労働者人民によるいく度かの民主的抵抗のピークであった。歴史的にみれば、中国大陸と香港の民主化運動はともに切磋琢磨してきた。現在はただ香港の特殊的条件によって一時的に先を進んでいるに過ぎない。夜郎自大になるのではなく、文化的な柔軟性を利用して中国大陸の民主化を促進させるべきである。もちろんわれわれは香港の特殊性を考慮に入れねばならないが、香港の自主自立意識を、香港と中国の人民が共同で民主化のために奮闘するという健全な方向に誘導しなければならない。
◆ 主流民主派も変わらなければならない
右翼的香港本土主義は「河川は井戸を侵さない(互いの領分を侵さない)」論〔主流民主派の主張で、河川は中国、井戸は香港を意味する。一国二制度の根拠でもある:訳注〕の変形バージョンに過ぎず、それはどれだけ中国共産党を批判していても、客観的には中国共産党を利することになっている。香港でも「互いの領分を侵さない」論への支持者は少なくない。なぜならそれによって中国政府から香港への干渉を回避できると考えるからである。しかしちょっと考えれば分かるように、実際には中国政府は日々、香港の大小さまざまな政策や法律に干渉しているのである。
今日、中国共産党が香港人による香港自治を尊重すると考えるのはあまりに楽観的過ぎる。香港人がどれだけ「極めて優秀な人種」(陳雲)であっても、香港人の民主的力量だけに依拠するのであれば、短期的には可能かもしれないが、長期的に同時に二つの政府(香港政府とそのボスである中国政府)に対抗することは不可能である。香港人には二つの道しかない。中国大陸の人民と共同で民主化のために奮闘するか、それとも座して奴隷となるかの道である。長期的には中間の道は存在しない。翻って、むやみやたらに中国大陸のプロレタリア民衆を排斥することは、香港の自治権を消滅させる近道なのである。
右翼的香港本土主義者は「中国大陸が民主化しないと香港の民主主義は守れない」という民主派の主張に対して、「香港人のことを無能だと見なしている証拠だ」と批判する。確かにこの民主派の主張は正確とはいえない。中国大陸の民主化を支持する友人たちは次のような別な言い方をするほうがいいだろう。「香港と中国の民主化運動は相互に促進しあおう。団結は一挙両得、分裂は互いを損ね合う」。
2013年5月29日
※訳注『香港ポリス論』とその批判はこちら
・香港のあり方をめぐる右翼と左翼:『香港ポリス論』批判
http://monsoon.doorblog.jp/archives/53604248.html