虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

山谷

8月4日~5日、山谷夏祭り2012が盛況

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 8月4日から5日の2日間、台東区の玉姫公園で山谷夏祭りが行われ、多くの労働者、支援者でにぎわった。
 
 4日昼に山谷労働者福祉会館に集まった仲間たちは、打ち合わせを済ますと物資を玉姫公園に運び込む。盆踊りのやぐらを建て、舞台や祭壇、屋台の準備に汗を流す。同時に共同炊事の準備も進められる。
 
 4時半に共同炊事が始まり、ひとさじの会のお坊さんたちが無くなった仲間たちの写真の飾られた祭壇でお経を上げ、追悼を行う。
 
 ステージでは山谷争議団の仲間が、開会の挨拶を行った。東京の東部地域ではスカイツリー開業に伴う再開発によって、野宿の仲間のテントの排除が激しさを増し、それとともにこの間少年たちのテントや、野宿者に対する襲撃が激増している。 また生活保護制度や受給者に対する攻撃も激しさを増している。このような中、貧乏人同士が分断される事を許さず多くの仲間と結びついて夏祭りを成功させようと訴えた。
 
 そして今回の夏祭りの呼びかけが遅れた事について説明した。 この間、山谷争議団、山谷労働者福祉会館活動委員会が中心的に関わっている取り組みの中で、その呼びかけによって参加した者による別の参加者に対しての深刻な性暴力事件が発生した。今も解決とはほど遠い状態にある。
 
 そのような中、夏祭り実行委員会の呼びかけを発する事に大きな躊躇があり、討論を重ねてきた。
 
 この数年、夏祭りや、越年の取り組みの中で、力の強い者も弱い者も、若者も年寄りも性別による差別も無く、誰もが安心して参加できるようにと「セーファースペース」の取り組みを行って来たが、我々の差別に対する取り組みが全く十分ではなかった事を改めて突きつけられる形となった。
 
 今回の夏祭りではその事をふまえて、より取り組みを強化していかなければならない。実行委員会でも、この問題に多くの時間を割いて討論してきた。参加した仲間たちにも共に誰もが安心して参加できる夏祭りを作っていこうと呼びかけた。
 
 続いて乾杯で祭りがスタート。ステージではカラオケの他、缶カラ三線やギターで懐メロなどを歌ってくれる岡大介さん、ホーンも入った総勢十数名のバンドでいつも盛り上げてくれる真っ黒毛BOX、ニューヨークのハーレムと大阪を拠点に演奏活動を続けるswingMASAさんがかけつけてくれた。
 
 ステージの合間には、この間被曝労働の問題に取り組んでいる山谷労働者福祉会館のなすびさん、2月9日の江東区抗議行動で弾圧された仲間、アフガニスタンで無くなった写真家・南條直子さんがかつて山谷て撮っていた写真を集めた写真集「山谷への回廊」の編・著者である織田忍さん、立川で野宿者支援の活動を行っているサンキューハウスの仲間、今年屋台で初参加の学生「ゆとり全共闘」、などの仲間が発言した。 会場では「山谷への回廊」の写真展も行われ、好評であった。
 
 屋台はビール(第3の)が100円であとは全て50円に設定され、祭りに先立って行われたアルミ缶の買い取りではアルミ缶10個で夏祭り限定の地域通貨「50ワッショイ」と交換された他、1キロ100円での買い取りも行われた。アルミ缶の相場は北京オリンピックの頃を頂点として下がり続け現在は1キロ80円ほど昨年は約110円であったので大幅な値下がりである。くわえてこの数年はアルミ缶の持ち去り禁止条例が各区で作られたり、強化されたりして、野宿の仲間の生活の糧が奪い取られようとしている。
 
 祭りの最後は2日間とも盆踊り、やぐらの上では和太鼓ならぬジャンベ(アフリカの太鼓)が打ち鳴らされ、なぜだか異様に盛り上がる。
 
 2日間の祭りを終えた仲間たちはその日のうちに公園からの撤収作業を終えた。
 
 今後の野宿の仲間の排除との闘いに注目を。                (板)

【報告】佐藤さん虐殺27ヵ年山岡さん虐殺26ヵ年 1.9日雇全協反失業総決起集会

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 一月九日、山谷・玉姫公園において今年も全国各地で越年闘争を闘い抜いた日雇、野宿の労働者たち、そして支援の仲間が一堂に会して日雇全協反失業総決起集会が行われた。


 まず、司会の仲間が天皇主義右翼・国粋会金町一家のテロに倒れた映画監督の佐藤さん、佐藤さんを引き継いで映画を完成させた直後にやはり金町一家の凶弾に倒れた山谷争議団の中心的な活動家であった山岡さんの事を紹介し、二人に黙祷を捧げ、集会は始まった。


 まず最初に連帯の発言、争議団連絡会議、被曝労働問題プロジェクト、新宿ど真ん中デモ、差別排外主義と闘う連絡会、いわき自由労組。いわき自由労組の桂さんは震災後の首切りの中で雇用調整助成金を利用して首切りを撤回させていった闘いや小名浜港の約五十人の日雇の仲間が八月まで全く仕事がなかった事などを報告し、さらに原発問題にも触れ、中卒で就職した会社が原発関連の会社ではなかったにもかかわらず、福島原発の仕事に無理矢理行かされ自殺してしまった事件などを紹介し、「三月十一日に福島で行われるオール県民での集会に皆さんぜひ来てください」と参加を呼びかけた。


 続いて都内での野宿者支援を行う各団体からのアピール三多摩野宿者人権ネットワークの仲間は三多摩でも越年を闘った事、昨年、アルミ缶の持ち去り禁止条例対する抗議デモを七十人の参加で勝ち取った事などを報告した。


 夜回り三鷹の仲間はアルミ缶をみんなで拾って集め、売ったお金を仙台夜回りグループにカンパした取り組みを紹介した。


 渋谷・野自連は渋谷・宮下公園の私企業であるナイキに対する売り飛ばしと、その過程での行政代執行による野宿者排除について報告し、竪川、荒川で現在行われている排除にたいする闘いへの連帯を表明した。


 続いて山谷労働者福祉会館の仲間が、荒川河川敷と江東区竪川河川敷公園での野宿者排除について発言し、竪川のA工区に現在残っている十六軒に対して十二月二十二日に弁明機会付与通知がなされ、一月末か、二月初めにも行政代執行が行われるかもしれないという緊迫した状況にあるとして、強制排除をやめさせるための闘いへの支援を訴え、一月二十二日に予定されている「野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモ」(午前十一時、亀戸駅徒歩五分の文泉公園集合)への参加を呼びかけた。


 寿の越冬に参加した神奈川県央共闘の発言の後、今年結成三〇周年を迎えた、日雇全協各支部の発言に移る。


 釜日労の仲間は二〇〇二年に施行された時限立法であるホームレス自立支援法が今年十年目の期限を迎える中で、排除条項など作り直し延長すべきと発言。


 名古屋・笹島日雇労組の仲間の発言、寿日労の仲間の越年報告に続いて山谷争議団の仲間が発言。「今年は派遣村をやらなかったが、山谷の越年には若い仲間が一杯集まってきた、飯場からでて来た仲間もいる。」そんな仲間たちと闘い抜いた一週間を振り返り、二十二日の亀戸デモへの結集を呼びかけた。


 続いて山谷地域を一周するデモを闘い、城北労働福祉会館で交流会を行い、一日の行動を終えた。竪川の最新情報は山谷会館ブログ http//san-ya.st.webry.info                (板)

【報告】2011-2012 山谷越年越冬闘争

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 12月29日から1月4日の早朝まで山谷越年越冬闘争が行われた。28日には山谷労働者福祉会館で越年突入前夜集会が行われ、毎年山谷の越年ために多くのカンパを集めてくれるたんぽぽ舎の人々を始め多くの労働者、支援者が集まって、越年闘争についての最終的な打ち合わせを行い、その後浅草、上野、江東区竪川でのパトロールを行った。


 29日正午に会館に集まった仲間たちは物資を城北労働福祉センターへと運び込み、三里塚から切り出してきた竹を使ってテントを設営、同時に夕食の準備を始め、越年闘争が始まった。


 実行委員会で決まった今越冬のスローガンは「仲間の命は仲間で守ろう!奪い返そう!生きるために!」この間、都内では野宿者のテントに対する排除が激しさを増している事から生きる権利を奪い返そうと考えられた。


 09年に行われた渋谷・宮下公園の行政代執行に続いて年末に江東区が区内の竪川河川敷公園で行政代執行の手続に入った。首都高・小松川線の下2.5キロに渡って広がる竪川河川敷公園には二十年ほど前からテントで野宿生活を送る仲間が多くいる場所であったが、六年ほど前から公園の改修工事が計画され、それに伴う野宿者のテントに対する排除が行われてきた。改修工事は公園の中にカヌー・カヤック場などの有料のスポーツ施設を作り民間委託するというもので、公共の物である公園を企業に売り飛ばすという意味では宮下公園のナイキ公園化とも通底する問題をはらむ。


 竪川の仲間たちは区・緑と水辺の課との交渉や、区役所前でのビラ撒き、地域デモなど様々な闘いを展開して来たが、09年より工事が始まった。


 工事は公園を3つに分けた工区の内、A工区から始まり、そこに住んでいた仲間たちは代替地を要求、B工区かC工区へ移れという区に対し、あくまでA工区内での移転を求めた。その結果B工区と隣接するA工区の端、五の橋のたもとに二十人ほどの人々が暮らす事となった。


 工事は現在A工区が終了し、B工区へと移っている。区の用意した代替地だが、仲間たちがここから出て行かなければA工区とB工区がつながらない、工事の進展とともに区の追い出しが激しさを増してきた。当初は話し合いで、と区の側も言っていたはずなのにである。水辺と緑の課の課長が仲間たちのところへ来て、差別的な言辞を吐き、怒鳴り散らすという事もあった。


 そしてそのような行政による排除の動きに伴って江東区周辺では少年たちの野宿者襲撃が頻発するようになっていった。竪川でも五の橋の上からテントに物が投げ落とされたり、テントが放火され全焼するといった一歩間違えれば命に関わるような事件も起きていた。


 仲間たちは江東区の土木部水辺と緑の課、教育委員会、人権推進課などと交渉を行ったが、警察沙汰になるとかケガ人が出るなどのはっきりした被害が出ないと動けない。などと、不真面目な対応であった。果ては「野宿者が通行人を襲ったという情報もある。」などと根も葉もない事を言い出す始末。


 そんな中、「はっきりとした被害」が出てしまう。12月11日深夜、都立大島小松川公園で野宿者の男性が小中学生と見られる五人の少年に襲撃され肋骨三本を骨折する重傷を負うという事件が発生したのだ。


 直ちに仲間たちは江東区宛の公開質問状を提出し、21日には区の上記三部門との交渉を行った。


 この交渉の中で水辺と緑の課は強引な追い出しはしない。と発言していたのだが、翌22日には竪川A工区の仲間に対して14日間の弁明機会を与えるという江東区長・山崎孝明名義の弁明機会付与通知書なる物が届けられた、これは行政代執行にあたって弁明機会を与えるというもので、この後、除却命令が出され、期間内に自主的に撤去がなされない場合、戒告書が出され、その後、代執行令通知書が出され、行政代執行が行われる。


 これまでの令から考えて1月末から2月の初旬が、代執行の山場と見られている。竪川の仲間たちはこのあまりにも誠意の無いデタラメなやり方に憤慨し、断固として闘う事を決めている。何しろ、区が用意した移転地なのだ。話し合いで、と言っていたのは水辺と緑の課の方なのだ。


 越年期間中、1月2日には竪川で、フィールドワークと餅つき大会が行われ、多くの労働者や支援者が集まり、問題や怒りを共有するとともに交流を深めていった。


 荒川堀切橋付近の河川敷でも国土交通省によるテント排除が行われている。ここは多いときでは約五十軒のテントがあったところで古くからの山谷労働者が多く住む、隅田川など他のところで追い出されて移ってきた人も多い、昨年八月突然工事計画が発表され、十月までに出て行けと住んでいる仲間たちは迫られた。工事は河川敷にアシなどの植物を生やす自然再生工事だという、人工河川の荒川で自然再生とは片腹痛いが、情報公開で調べた工事計画の中で満潮時にアシなどに水が浸るように掘り下げればホームレスが住めなくなる。などという記述があり、自然再生というのは口実で野宿の仲間の追い出しのための工事であった事が明らかとなった。


 昨年、河川事務所で行われた交渉でも国土交通省はアシについての説明に終始し、「アシの事は考えるけど住んでいる人間の事は考えないのか。」という仲間の声に「そうです。」と答えている。


 すでに工事が行われ、多くの仲間が施設に入ったり、他の地域へと移っていったが、数人の仲間が「最後までどかないよ!。」とがんばっている。


 荒川では越年闘争に先立って12月24日に餅つき大会が行われ、多くの仲間の結集で団結を深めた。


 山谷争議団の分裂による現在「東京・山谷日雇労働組合」を名乗る人々の暴力により、玉姫公園での越冬が困難になって以降、この15年ほど越年の拠点となっている城北労働福祉センター前の路上は毎週の共同炊事の拠点でもあるが、ここも、都内各地の炊き出し現場と同様に中止を迫られている。日雇労働者の町、山谷も再開発の進展とともに野宿者や炊き出しへの圧力が強まっている。


 センター前での越年は 三里塚からの野菜や屠場労組からのカンパの肉をつかって朝夕の二食を作る他、隅田公園や上野公園そして東京都の山谷越年対策であるなぎさ寮での餅つきの他、夜には上野などでのパトロールを行った。


 また、毎年越年で公演を行ってくれる劇団「水族館劇場」ユニット「さすらい姉妹」もまた今年も31日山谷センター前、3日上野公園と芝居を見せてくれた。そして三日夜には経済産業省前で座り込みを行っている人々がセンター前を訪れ、エールの交換を行うなど、野宿の仲間の生きるための闘いから持たざる者、排除されたものの連帯の広がりが感じられる越年でもあった。


 一週間の越年闘争を終え、四日の早朝に撤収した後は生活保護の集団申請を行った。越年期の闘いが終わっても上野での夜間パトロール越冬闘争は春まで続く、そして竪川の代執行など野宿者排除との闘いは正念場を迎えている。五日には弁明機会の期限を迎え竪川の仲間を中心に江東区役所への弁明書提出行動が行われた。この日を期限と指定してきた当人である区長が逃亡したために全く事情の分かっていない様子の総務課に手渡たさざるをえなかったが、区役所前でのビラ配布なども含めて仲間たちはこの日の行動をやりきった。


 竪川と荒川の排除の情報は逐次山谷労働者福祉会館のブログにアップされる。 今後の闘いへの注目と支援を。                          


(板)

【報告】 2011山谷夏祭り

san 八月六日(土)、七日(日)の両日、山谷夏祭りが行われ、会場の玉姫公園には多くの労働者や支援者が集まった。


 実行委員会で決まった今年のスローガンは「なに!節電だ?もともとおらとこ電気がねえ」サブスローガンは「貧乏人を殺すな!命を守ろう!」。


 六日、午前中から作業に汗を流す、山谷労働者福祉会館から物資を運び出し、公園では盆踊りのヤグラや、ステージなどの設営、屋台の準備が行われた。屋台は年々参加団体が増え、多彩になってきた。また、祭りに先立ってはアルミ缶の買い取りと、ワッショイ券(屋台券)との交換も行われ好評だった。


 四時半からは共同炊事が行われ祭りがスタートした。共同炊事と平行して毎年会場内に設けられている祭壇の前で追悼も行われた。昨年に続き、ひとさじの会のお坊さんがお経を上げ亡くなった仲間を追悼する。


 山谷争議団の仲間が開会の挨拶にたち、震災後の厳しい状況の中、力を合わせて闘い、生き抜いていこうと訴え、乾杯を行った。今年もウーロンハイは無料だ。七日には山谷労働者福祉会館のなすびさんが被ばく労働自己防衛マニュアルを作った事を報告し、福島原発の現状について「とても人間が入って作業する状況には無い」として原発の仕事に行くな!と訴えた。


 ステージは一日目はカラオケ、そして今年で三回目の登場となった、真黒家ぼっくす(まっくろけぼっくす)ホーンも入った総勢十名のバンドでアリランなどを演奏、会場内は一気に盛り上がる。続いてもう何回も夏祭りに参加してくれている岡大介さん。缶カラ三線やギターで懐メロや、復興節などを熱唱。


 翌七日のステージは盛りだくさん、最初はジンタラムータ、映画「山谷やられたらやりかえせ」の音楽も担当した大隈亘さんを中心としたグループ、東欧のロマ(ジプシー)の職人の労働歌や、相馬盆歌などの被災地の民謡などを披露した。


 つづいてマサさん、夏祭りでは常連の女性サックス奏者、ニューヨークのハーレムを拠点に演奏活動を展開している。次にさっちゃんバンド、立川テント村のビラ撒き弾圧事件の当事者でもあるさっちゃんを中心としたバンド、最近では反原発運動の現場でもおなじみだ。途中でマサさんも加わっての演奏。最後は前日に続いて岡大介さんが登場。


 ステージの後は盆踊り、今年は事前に練習会も行い、気合いも入っている。七日はさっちゃんがシャンベ(ラテン・パーカッションの一種)をたたいて盛り上げる。


 この間、山谷・浅草周辺では東京スカイツリーの建設とそれに伴う観光化によって野宿者の排除が激しさを増している。各区ではアルミ缶の持ち去り禁止条例が強化され、野宿者の生活の糧が奪われつつある。また、江東区では竪川河川敷公園の再開発に伴うテント排除との闘いが煮詰まりつつある。


 また、毎週日曜日の共同炊事は多くの人々、特に米などの食材を提供してくれる農家のカンパによって支えられているが、今回の震災によってこの秋以降の食材の確保に赤信号が灯っている。


 さらに、震災に起因する企業倒産や、非正規切りは被災地だけでなく全国で起きており、職を失う人々が今後も増える事が予想される。そのような中で生活保護法改悪の動きが現実味を帯びてきている。


 この秋以降の野宿者戦線の闘いに注目を、そして支援を。


(板)

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