虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

宗教的原理主義

ビンラディン虐殺についてのパキスタン左翼の見解

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インターナショナル・ビューポイント オンラインマガジン : IV436 - May 2011

復讐の感情はオサマが死んでも終わらないだろう―パキスタン左翼の見解
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article2138
 
ファルーク・タリク



 オサマ・ビンラディンの死から四日たった今、パキスタンの大衆的反応はきわめて錯綜している。パンジャブ州(中東部の州、州都:ラホール)ではオサマへの一般的同情が見られるが、シンド州(南東部の州、州都:カラチ)ではその共感を公然と表現する人は多くはない。しかし市によって反応は異なっている。例えばカラチではオサマへの同情とアメリカへの非難はより能動的である。

 驚くべきことに、オサマが殺害されたカイバル・パクトゥンカワ州(旧北西辺境州、州都:ペシャワール)では多くのことが起きているわけではない。同様にバロチスタン州(西部の州、イランに隣接)では殺害に対する反応は穏やかなものだ。しかしながらアボタバードの住宅地区への攻撃に対する厳しい反応は、広範に広がっており、他の地域にも拡大するだろう。多くの宗教的原理主義者たちは、アフガニスタンから逃げ出してバロチスタン州とカイバル・パクトゥンカワ州に難民として流れ込んでいる。かれらは2002年から08年までこうした州を統治してきた。

 原理主義者の支配が生じたのは、ムシャラフ将軍がアメリカ帝国主義との二元的ゲームにうつつをぬかしていた時だった。彼は一方で「対テロ戦争」連合に参加し、他方では原理主義者との闘いという名目でアメリカ帝国主義からより多くの軍事的・経済的援助を引き出すために、原理主義者の成長に依拠していたのである。この時期に、オサマ・ビンラディンは国境を越えてパキスタンに入ったに違いない。

 2011年5月の攻撃は誰をも驚かせた。人びとは当惑し言葉を失った。今年初めラホールで白昼堂々と二人のパキスタン人を殺したCIAの工作員デービッド・レイモンドが釈放された直後に、こうした厚かましい行為がなされるとは誰も予測していなかった。オサマ暗殺への穏やかな反応と対比すれば、デービッド・レイモンドの殺人行為への大衆的反応はきわめて強力なものだったため政府は受け身に追いやられた。今回の攻撃によってアメリカ帝国主義は、パキスタン征服を前進させたように見える。

 ジャマアト・イスラミ、ジャミアト・ウレマイ・イスラムなどの宗教政党は、アルカイーダが行った殺害や残虐行為には沈黙しているが、アメリカについては「パキスタンの主権侵害」として厳しくこきおろしている。ジャマト・ダワの強硬派であるハフィド・サイードは、一部の地域においてオサマ・ビンラディンの霊を慰め、ナマ・ジェナザ(ムスリムの死に際して行われる祈り)を捧げる最も行動的な宗教的原理主義者になっている。こうした諸政党がオサマへの支持を組織し、襲撃に反対して街頭に出るのもそれほど先の話ではないだろう。

 パキスタン人民党、パキスタンムスリム連盟Q(訳注:カーイデ・アザム派)、パキスタンムスリム連盟L(訳注:シャリーフ派)などのブルジョア政党はアメリカの行為を支持し、オサマ殺害は宗教的原理主義の高揚に対決する偉大な勝利と見なしている。政府はいまだに一貫性のある説明を行っていない。そのかわりに様々な高官が矛盾だらけの声明を発表している。



パキスタン・米国同盟



 昨年いっぱいを通じて、パキスタンと米国の政府は両者の関係を打ち固めた。それは情報当局間の相互訪問がより頻繁に行われたことや、CIA要員へのビザ発行数からも分かることだ。さらに政府は、米国政府に無人機による攻撃へのフリーハンドを与え、攻撃の最初の局面では行っていた非難の見せかけをも放棄した。ワシントンはオサマ・ビンラディンがパキスタンにいたことを知っていたように思われる。

 米国政府は、きわめて脆弱な人民党(PPP)政権に全面的な政治的支援を行った。パキスタン政府はなんのためらいもなく、アメリカ帝国主義、IMF、世界銀行のアドバイスに従って行動した。米国政府は、最も腐敗した反民衆的な部分が主導するこの政府以上にましなパートナーを持つことができなかったのである。さらにワシントンは、ムスリム連盟Q(PMLQ)――ムシャラフ将軍と政権を共有していた――が現政権に入ることをも支持していたように見える。オサマが殺されたまさにその日、PMLQの一四人の新閣僚が宣誓を行い、新たに就任したかれら閣僚たちが「沈みかけた船」と呼んでいた政府に参加したのである。

 米国がオサマ・ビンラディンを「テイクアウト」(殺害)するために海軍特殊部隊(SEALS)を送りこみ、パキスタンの主権をあからさまに侵害したことは、二国の支配階級間の関係を悪化させないだろう。オバマと彼の補佐官たちは、パキスタン政府に反対するようなことを一言も語らなかった。それどころか、彼らは情報の共有を称賛したのである。



共同の努力



 オサマ・グループへの攻撃は、パキスタンとアメリカの情報機関の共同の努力によるものだった。ムシャラフが大統領だった当時から軍を指導していたキアニ将軍は、ISI(パキスタン国軍情報部)の前長官である。

彼にはアメリカ帝国主義と密接な関係を持って活動してきた長い歴史がある。2007年に立ち戻れば、彼はムシャラフとの権力分有の交渉をベナジール・ブットとの間で開始した一人であった。ベナジールがムシャラフ将軍に対して軍における彼の地位から退くよう圧力をかけた際、キアニ将軍がその地位を引き継いだ。彼の監視の下で、パキスタン軍の機構は宗教的過激派との伝統的連携を切断し始め、かれらへの軍事作戦を発動した。宗教的過激派は軍司令部をターゲットにして反撃し、軍の幹部を殺害した。



軍内部の分極化



 その結果、軍内部で将校と下部兵士との間での分極化が生じている。軍の上級士官はアメリカ軍上層部との密接な関係を形成した。かれらは莫大な資産を支配し、よりリベラルな生活様式を維持している。しかし軍の下部は依然として宗教的であり、原理主義者や宗教政党を支持しており、いまなお反インド・反西側の感情を保持している。

この分極化ゆえに、パキスタンの軍と情報機関が反テロ戦争を精力的に遂行する能力に信頼を置くことについて、米政府はためらいを見せているのである。



宗教的テロは終わらない



 ビンラディンの死という重大な打撃にもかかわらず、アルカイダや他の宗教的過激テロリスト集団は成長するだろう。レオン・トロツキーは彼の素晴らしいパンフレットで「なぜマルクス主義者は個人テロに反対するのか」と問い、「復讐の感情にはけ口を与えようとすることは、常にテロリズムの最も重要な心理的要因である」と述べている(訳注:トロツキー「テロリズム」、1911年。邦訳『トロツキー研究』一七号所収)。

復讐の感情は、オサマの死によっては終わらない。彼の殺害、オサマの遺体のアラビア海への投棄は、テロリズムに終止符を打つことにはならないだろう。実際、宗教的テロリズムはアメリカ帝国主義の行為の結果として拡大するだろう。アメリカ帝国主義に反対する道を探し求めているムスリム青年の一定の部分はテロリズムに引きつけられるかもしれない。新しいテロリストグループが形成されるだろう。

それは宗教的過激派がパキスタンで権力を獲得することを意味しない。パキスタン軍部は残虐な勢力であり、かれらは幾度かにわたって、ひとたび自分たちの権力が脅かされるや、どれだけの暴力を行使するかを見せつけてきた。パキスタン軍は過激派がイスラマバードを手中に収めたり、同国の核技術に手をつけることのないようにするためにアメリカとぐるになって活動するだろう。

世界的観点を持った過激派による個人テロの脅威は、一国に封じ込められるものではない。かれらは民族解放の名において闘うIRA(アイルランド共和国軍)と似通った存在ではなく、イデオロギー的な戦争を闘い、きわめて狭い社会基盤しか持っていなかったために粉砕されてしまった赤い旅団により似通った存在である。

アルカイダやその他の宗教的過激派は、幾百万人ものムスリムの宗教的感情を利用している。こうした過激派はイスラム教内部の幾つかの異なる傾向や宗派を代表しているが、幾つかの国々で大衆的社会基盤を植え付けることができた。

アルカイダは疑いなくこれまで世界で見られたテロリスト組織の中で最も成功したものの一つである。彼らは20年以上にわたって生き延び、幾度か目標への攻撃計画を立て、成功裏に実行した。かれらは自分と他人を殺害することによって天国に行く用意のある自殺部隊を持っている。主要指導者の殺害にもかかわらず、かれらが消滅する兆候はない。しかし個人テロ行為は、かれら自身の限界である。



個人テロの限界



国家テロリズムを個人テロリズムと切り離すことはできない。両者は同じ性質と方針を持っている。両者は同一の結果を引き起こす。しかし国家テロ行為はその立場を継続し、幾つかの課題に逃げ込むことができる。

アルカイダの最も成功したテロである「9.11」は、ムスリムたちを利することなく、幾百万人ものムスリムの生活は完全な悲惨な状態に置かれてしまった。それはオサマのような少数の過激派の魂を満足させたが、幾百万人もの魂は打撃を受けた。帝国主義はこの攻撃に対して、恐るべき暴虐をもって応えた。

ロシアで1911年の閣僚殺害後に起こった情勢についてコメントしたロシア革命の主要な「建築家」の一人であったレオン・トロツキーは以下のように書いている。

「テロリスト的企図が、たとえ『うまくいった』場合でも、支配層に混乱をもたらすか否かは、具体的な政治的事情に依存している。いずれにせよ、この混乱は一時的なものでしかない。資本主義国家は大臣に依拠しているのではなく、彼らを殺害したからといって滅びるものではない。その国家が奉仕している階級は常に新しい人物を見つけだす。メカニズムは全体として維持され、機能し続ける」。

「テロリスト的行動が『効果的』であればあるほど、それが大きな印象を引き起こせば引き起こすほど……それだけますます大衆の自己組織化と自己啓発にたいする関心を低めることになる。しかし爆発の煙が晴れ、パニックが収まり、殺された大臣の後任者が登場すると、生活は再び旧来の軌道に入り、資本主義的搾取の車輪が以前と同じように回転し、警察の弾圧だけがより過酷で下劣なものになる。そしてその結果、燃え上がらされた希望と人為的にかきたてられた興奮の後に、幻滅とアパシーとが始まる」(前掲 トロツキー「テロリズム」1911年)。



殺害は宗教的原理主義を終わらせるのか



 ワシントンがかつてアフガニスタンのムジャヒディン(イスラム聖戦機構)を支持したことについて、ヒラリー・クリントン米国務長官が行った二〇〇九年の発言を検証してみよう。

 「ISI(パキスタン軍情報部)とパキスタン軍に処理させよう。そしてこうしたムジャヒディンたちを雇おう。……それはソ連邦を終わらせるための悪くはない投資だが、われわれが撒いた種について注意を払おう……。われわれがそれを収穫することになるのだから……」(ヒラリー・クリントン、2009年4月23日)。

 この10年以上にわたってワシントンと過激派は、ともに自らの撒いた種を収穫している。一つの復讐行為がもう一つの復讐をもたらしている。

 宗教的原理主義を力ずくで打ち負かすことはできない。アメリカ帝国主義の戦争と占領の政策は、成功ではなく失敗の例を提示している。その教訓は鮮明である。「思想を殺すことはできない」。普通の人びとの生活にとって宗教的原理主義の真の意味は何かを暴きだす政治的闘争がなければならないのだ。



政治的イスラムの勃興



 政治的イスラムの勃興は、ムスリム世界における左翼政党の弱体化の広がりと結びついている。一方で、1990年代においてはソ連邦の崩壊後に社会主義は敗北したように見られた。他方、ポピュリスト、反帝国主義者、ブットの人民党のような大衆的基盤を持った政党も信頼を失った。宗教は、唯一手に入れることができる反帝国主義の政綱であるように思われた。

実際には、タリバンやアルカイダといった宗教的過激派は、決して帝国主義に対するオルタナティブにはならなかった。かれら自身が、かれらの宗教的信条を共有しない人びとを搾取し、抑圧し、殺害したのである。かれらは政治的反対派の物理的絶滅を信奉している。かれらは帝国主義の覇権に反対して闘う進歩的勢力ではなく、極右反動である。かれらは、歴史の時計の針をむりやり逆戻りさせるよう望んでいる。宗教的過激派は新しいファシストである。

 宗教的過激派と帝国主義諸国は、おたがいに暴力のエスカレーションを正当化している。これは終わりのない循環である。

 宗教的原理主義者の成長は、パキスタンの文民政権と軍事政権がともに労働者階級と農民の基本的問題をなに一つ解決できないという完全な失敗への反応でもある。歴代の政権は、封建主義の支配、パキスタンの資本家たちの抑圧的・搾取的本質、労働者への侮辱的扱い、国内の少数民族の抑圧と天然資源の搾取を終わらせることができなかったのだ。



文民政権の失敗



 パキスタンの支配階級は、どのような民主主義的基準をもたらすという点においても悲惨な失敗を遂げてきた。その結果、文民政府が軍事独裁によって打倒された時、大衆の圧倒的多数は抵抗の姿勢を見せなかった。現在、文民政府の政策は、パキスタンの国民に悲惨な結果を指令するアメリカ帝国主義やIMF、世界銀行といった機関によって支配されている。日々の自爆攻撃とならぶ戦争と経済的悲惨により、住民は恐怖状況に置かれている。全般的心理は不確かな未来というものだ。希望は消滅している。パキスタン政府がその政治的・経済的政策の優先順位を変えなければならないのは明らかである。政府は、腐敗を終わらせ、自らをアメリカ帝国主義に縛りつけている紐帯を断ち切らなければならない。

 左翼の混乱は9.11の後で頂点に達した。オルタナティブを築き上げる必要はないと語り、宗教的過激派に反対してNATO軍との協力を支持する人びとがいた。「宗教的過激派はファシストであり、NATOは彼らを消滅させるに十分なほど強力だ」という主張が押し出された。「NATOはわれわれのなすべきことをやっている。軍事的解決こそ唯一のオルタナティブだ。われわれは沈黙を守り目を閉じてアメリカ人と協力しなければならない。大衆を巻き込んだ反戦運動を作る必要はない」というのが、その主張の路線だった。

 もう一方で、紛争の支配的な担い手たちの中心的な理論的枠組を強めるために、問題を「米国VS彼ら」、「善と悪との戦い」、「イスラム・テロリズムに対決する十字軍」、「文明VS混沌」として提出する人びとがいた。国家、メディア、リベラル派は一部の進歩派と手を携えて、こうした議論を支配することができた。



われわれは何をなすべきか



 アメリカ人によるオサマの殺害は、対決の新たな時代を切り開いている。アルカイダ、あるいは他のテロリスト的宗教的原理主義者とつながっている諸グループや個人は、この事件を利用し、かれらの反動的路線を支持して民衆を動員しようとするだろう。

 われわれは米帝国主義、原理主義者、ならびに双方の勢力とのパキスタン政府の共謀に反対しなければならない。この議論においてわれわれは、帝国主義、資本主義国家、宗教的原理主義者についてのわれわれ自身の立場を提起してきた。われわれはかれらの宣伝と行き詰りに陥った解決策を暴露しなければならない。



●われわれは宗教的過激派と闘うために、包括的で広範な政治・経済戦略を呼びかける。パキスタン国家はあらゆる形態での宗教的マドラサ(イスラム教の教義に基づく教育を行う私設宗教学校)への支援をやめなければならない。少なくとも国家予算の10%を教育に支出すべきである。教育はすべてのパキスタン人に対して大学のレベルまで無償にしなければならない。国家は宗教的実践とのつながりを断ち、マドラサへの制度的オルタナティブを提供しなければならない。

●われわれはIMFと世界銀行の経済政策への従属を終わらせるよう呼びかける。政府は労働者と農民の利益に奉仕しなければならない。

●われわれは米帝国主義と戦争機構との結びつきを断つよう呼びかける。



 宗教的原理主義の勃興は、支配的エリートの政府政策、ならびにアメリカなどの帝国主義諸国への従属の直接的結果である。帝国主義と植民地化、そして新植民地化との闘いは、宗教的過激派へのいかなる譲歩も行うことなく、われわれのあらゆる宣伝における主要な優先課題でなければならない。

 いまやオルタナティブは大アラブ地域の春によって提起されている。自爆攻撃、爆弾、無人機攻撃その他の暴力的手段の時代は、大アラブ地域の独裁者、独裁体制に対する大衆的決起に比べればはるかに効果のないものになっている。反撃のためのアラブの道は、体制の変革から社会主義オルタナティブへと至る道筋を進む確信を大衆の間に、ついにもたらし始めているのだ。(2011年5月6日)

▼ファルーク・タリクはパキスタン労働党(LPP)の全国スポークスパースン。

(「インターナショナルビューポイント」2011年5月号)

オバマ政権によるビンラディン殺害を糾弾する

real terrorists(戦争ゲームのように虐殺を観戦する米政府首脳)
 
●「裁く」のではなく「殺す」ことだけが目的
 
 五月二日午前一時(現地時間)、パキスタンの首都イスラマバードに近い近郊のアボタバードの住宅地で、米海軍特殊部隊(SEALS)によって編成された約八〇人の部隊が、「イスラム原理主義」テロ組織であるアルカイダの指導者オサマ・ビンラディンへの殺害作戦を敢行した。

 アフガニスタンの基地を発進した二機のヘリコプターがビンラディンの住む邸宅を襲い、ビンラディンとその息子、側近らを銃で殺害した。最初の発表ではその時銃撃戦が起きて射殺したとされていたが、その後の発表ではビンラディンとその家族らは武器をもっておらず、一方的な虐殺であったことを米政府も認めた。ビンラディンの遺体は、米空母に運ばれてアラビア海に投棄された。遺体写真の公開も米国は拒否している。

 この一連の経過から判断する限り、今回の米軍によるビンラディン殺害作戦は、「テロ犯罪容疑者」を逮捕し、裁判にかけることが目的なのではなく、はじめから見せしめと口封じのために「殺す」ことだけを目的にしたものであった。2001年の「9.11」によって当時のブッシュ米政権がアルカイダとアフガニスタン・タリバン政権への「報復戦争」を開始した時点から、米国の目標はビンラディンを「裁く」ことではなく、「抹殺」することだけを目的にしていていた、と言わなければならない。

 今回の作戦は一方的に国境を越えて主権国家パキスタンの領土内に軍の特殊部隊を侵攻させたものであり、かつ無抵抗の「容疑者」の逮捕ではなく、殺害するために発動したものであった。これが国際法にも国際人権法にも違反する犯罪行為=国家テロであることは明らかである。

 アフガニスタンからイラクへと至る米国の「対テロ」戦争は、市民の無差別大量虐殺、アブグレイブやグアンタナモの収容所での凌辱・拷問に示されるようにレイシスト的人道犯罪に貫かれたものだった。今回のビンラディンに対する無法極まる虐殺と死体遺棄行為にも、「対テロ」戦争のレイシスト的本質がくっきりと示されている。

例えば今回の作戦指令においてビンラディンを「ジェロニモ」(白人の侵略に抵抗した米先住民族の指導者)と呼んでいることは、その白人至上主義と先住民族差別の西部劇的価値観の現れである。

われわれはオバマ政権によるビンラディンとその家族虐殺という犯罪を厳しく糾弾する。それはアフガニスタンとイラクにおける米国を中心とした侵略戦争が、いかに不正に満ちたものであるかを明らかにしている。
 

●「対テロ」戦争からの撤退戦略か?



 オバマ米大統領は、自らの責任において発動したビンラディン虐殺=「国家テロリズム」の発動について「パキスタン政府との協力」(しかしパキスタン軍はこの作戦自体については知らされておらず、パキスタン軍・政府にも秘密で米特殊部隊によるビンラディン宅襲撃が決行されたと報じられている)の下で行われたものであり、ビンラディン虐殺によって「正義はなされた」との声明を発表した。潘基文(パンギムン)国連事務総長もオバマと同様に「正義が達成された」と語った。ブッシュの「報復戦争」に同調してアフガニスタンに軍を派遣した西側の帝国主義諸国もほぼ一様にビンラディン殺害作戦を「対テロ戦争」の勝利に向けた区切りとして高く評価している。

日本政府も、小泉政権の下でブッシュのアフガニスタン戦争を全面的に支援し、「テロ特措法」を成立させて自衛隊をインド洋に派兵した。そして菅直人首相は今回の無法きわまるビンラディン殺害について「テロ対策の重要な前進を歓迎する」と称賛する談話を発表した。「9.11」で倒壊したニューヨークの世界貿易センタービル跡の「グラウンドゼロ」では、10年前と同様に市民による「USA! USA!」の愛国主義的興奮が吹き荒れ、オバマ政権の支持率は急上昇している。

 しかし言うまでもなくパキスタンや中東諸国では、民衆の反応は全く異なっている。各国の米大使館前にはビンラディン虐殺に抗議する、大衆的抗議のデモが繰り返されている。パキスタンでは米国に全面的に依存し、無人機によるパキスタンへの越境爆撃・市民の虐殺に対しても暗黙の了解を与えてきた政府・軍首脳に対する批判が拡大しており、軍自身の分解も生じている。

 オバマは「ビンラディン殺害」声明の中で「彼の死は、アルカイダへの戦いにおいて最も重要な偉業だが、これで終わったわけではない」とも訴えている。実際はどうなのだろうか。現実にはオバマの「ビンラディン殺害」声明には、泥沼化したアフガニスタンからも手を引きたいという願望が透けて見えるのではないだろうか。その意味で「ビンラディン殺害」は、「正義の実現」を宣言してアフガニスタンから撤退するための口実づくりと捉えることもできるのではないだろうか。

オバマは2011年中にイラクからの米軍撤退を完了させる計画を立てるとともに、「対テロ戦争」の主戦場と位置づけたアフガニスタンに軍を増派した。しかし米軍・多国籍軍が支援するアフガニスタンのカルザイ政権は、その腐敗・統治能力の欠如によってタリバン勢力の浸透・拡大を抑えることができない。

 今年でまる10年になるアフガニスタン戦争は、GDPに匹敵する米国の深刻な財政赤字の重要な要因となっている、アフガニスタン戦争における米軍の死者は一五〇〇人を超えており、国際治安支援部隊(ISAF)全体では死者数は二五〇〇人近くに達している。アフガニスタン側の死者(武装組織・市民ふくめて)の正確な数は不明だが、おそらく外国軍死者の数十倍となり、それをはるかに上回る難民が生み出されていることは明らかだろう。

 米軍をはじめとする外国軍の投入が続き、占領が長期化すればするほど、アフガニスタン民衆の反占領。反西欧の感情が拡大し、カルザイ政権を不安定化させる結果になることは明らかだろう。またアフガニスタン戦争のパキスタンへの拡大によって、米国にとって「対テロ戦争」の最大の同盟国であるパキスタンにおけるイスラム主義政治勢力の拡大に拍車がかかっていく、それはパキスタンの永続的政情不安を必然化する。

 かくしてオバマ政権によるビンラディンの殺害という犯罪行為は、米帝国主義にとって重荷となった「対テロ」戦争からの「出口戦略」ということもできる。もちろんそれがうまくいく保障はどこにもないのだが。
 

●米国の戦争にも反動的テロリズムにも反対
 
 
 われわれは「9.11」の無差別テロが、帝国主義に対するムスリム労働者民衆の抵抗を表現する正当な闘いの表現ではないこと、ビンラディンやアルカイダに代表される「イスラム原理主義」テロリズムが、ムスリム民衆の民主主義と人権を暴力的に抑圧し、帝国主義の抑圧と搾取に対する闘いの大義に敵対する反動的イデオロギーであると捉えてきた。

 われわれは「テロにも報復戦争にも反対! 市民緊急行動」の一翼を担い、「9.11」の無差別テロに反対するのは帝国主義を擁護するものだという左翼の中に根強く存在する傾向を批判してきた。それはブッシュのアフガニスタン・イラク戦争に反対する広範な運動を、新自由主義と一体となったグローバル資本主義に対する闘いと結びつける上で不可欠の立場であった。

 オバマ米政権によるビンラディン殺害に対する態度に関しても、われわれの態度は基本的に同一である。われわれは国際法の観点から見ても違法きわまる米軍によるビンラディン虐殺を糾弾する。われわれはアメリカ帝国主義とEU・日本など西側陣営によるムスリム諸国民衆への搾取と抑圧、植民地主義とレイシズムを強化する「対テロ」戦争に反対し、アフガニスタンでの侵略・占領の即時終結と撤退を求める。米国に支援されたシオニスト国家イスラエルによるパレスチナ占領の即時終結、入植地の撤廃、難民の帰還の権利を含むパレスチナ民衆の自決権のための闘いを支持する。

 日本政府に対しては、イラク戦争を支持・参戦した経過の事実検証を進める作業を進め、小泉政権の責任を追及しなければならない。海賊対処法の廃止、ソマリア沖・ジブチへの自衛隊派兵をやめよ。

 ビンラディンの虐殺は、そして資本主義の危機の中で吹き荒れるムスリム移民をターゲットにした西側諸国内でのレイシズムは、ムスリム民衆の中で「報復テロ」「自爆テロ」による「西側との闘い」を主張するイスラム主義的テロリズムの流れへの共感を拡大する可能性がある。しかしこうした「西側への抵抗」は、労働者・民衆自身の運動にはなりえない。真に大衆的な反帝国主義闘争の道は、チュニジア、エジプトの革命が示した労働者民衆の民主主義的・社会的運動によってこそ切り開かれるのである。(五月八日 K)
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