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反資本主義

グローバル資本が主導する国家主義のスポーツイベント=オリンピックはいらない!


▲ロンドンでの反オリンピック・デモ

グローバル資本が主導する国家主義のスポーツイベント=オリンピックはいらない!
 
 7月27日(日本時間7月28日朝)、イギリスのロンドンで第30回オリンピックが始まった。テレビをつければニュースのトップはオリンピック。番組の多くも五輪報道を中心に大幅に改編され、メダルの数がどうだこうだという話題に湧きかえっている。応援席では「国旗」が乱舞する。「いい加減にしてくれ」という辟易の思いは、少なからぬ人々に共有されているだろう。

 メディアも国際オリンピック委員会も、もちろんそうした人々の批判に耳を傾けようと言うポーズを見せないわけではない。たとえば国際オリンピック委員会加盟204カ国のうち今まで女性の選手を送ってこなかったイスラム圏のブルネイ、カタール、サウジアラビアの3カ国が初めて女性選手を派遣し、さらに全競技に女性への門戸が開放されて、「男女の機会均等」が実現された、ということなどだ。

 朝日新聞は近代オリンピックに貫かれた国家主義への批判を意識して「物語の主役は国から人に」と題する沢村同社欧州総局長のコメントを掲載した(7月28日朝刊)。

 「今は『自由にスポーツができる環境』を求めて選手が『国』を選ぶ時代だ。戦火や圧制を逃れた選手がいれば、外国で練習を積み、外国人コーチや外国企業の支援を受ける選手もいる。彼らが五輪という舞台で背負う看板はもはや国家ではなく、国境のないグローバル社会なのだ」。

 「1908年のロンドン大会で英国は新興国の米国と威信をかけた競争を繰り広げた。1948年の大会は英国にとって大戦からの復興を宣伝する絶好の機会となった。だが、成熟した二一世紀の先進国で開かれる大会は国の『威信』や『結束』などとは縁遠くなりつつある」。

 だがこの対比は適切なものなのか。国境を超えたグローバル企業が、ますますオリンピックの企画・運営を支える主役になっていることはその通りだ。しかしそれは「国家ではなく、国境のないグローバルな社会」が選手たちの背負う「看板」になっている、ということとはまったく意味が違う。グローバルな資本主義自体、グローバルな「国家システム」ぬきには存在し得ない。新自由主義的なグローバル市場が、強力な「国家」と排外主義にいろどられたナショナリズムと相携えて展開してきた事実をわれわれは知っている。

 資本主義のグローバル・システムが「国境のないグローバル社会」を実現したかのように持ち上げる「朝日」の主張は、この複合的で矛盾に満ちた現実にふたをする。資本主義の危機は、ナショナリズムを不断に再生する。金メダリストは「国旗」と「国歌」によってその栄誉を称えられるのである。「国家間競争」がオリンピックの原動力となっていることは変わっていないのだ。

 本紙で先鋭で精彩に満ちたオリンピック・ワールドカップ批判を掲載してきた故・右島一朗(彼が南アルプスで不幸な滑落事故で亡くなったのはアテネ五輪直前の2004年8月8日だった)が「金権と国家主義の反動的スポーツショー」と批判した、その性格は何も変わっていない(高島義一「オリンピックはシドニーでおしまいにしよう」『右島一朗著作集』p549~559)。



 ロンドンオリンピックに対する市民の批判も強い。最初に引用した「朝日新聞」沢村欧州総局長の記事も、選手村建設で家を立ち退きさせられたジュリアン・チェインさんの「財政難で住民向けの運動施設を閉じておいて、巨額を投じてエリート向けの施設を作るのは納得できない」という批判を紹介していた。

 五輪によるスポーツ振興という大義名分はどうか。

 「近代スポーツ発祥の地である英国では、19世紀後半から各地にプレーイングフィールド(PF)と呼ばれる運動場を持つ公園が整備され、市民のレクリエーションの場として親しまれてきた。だが、サッチャー首相が就任した79年からメージャー首相が退任した97年までの保守党政権時代、PFは財政赤字解消のために次々と売却された。……18年間で約1万カ所が住宅地に変わり、若者が最も手軽にエネルギーを発散させられる場が失われた」「教師の部活動指導の手当が廃止されたことなどから、週2時間程度の運動をする生徒が全体の25%以下にまで落ち込み、スポーツ離れが進んだ」(「英国市民と五輪 1」(「毎日新聞」2012年1月3日)。

 この傾向は、ブレア政権時代に予算を割いて学校での運動を奨励したため一定の改善をみたが、現在のキャメロン保守党政権は不況下で厳しい緊縮政策を行っており、予算は削減されている。エリートスポーツとしての五輪には経済効果を求めて投資しても、一般住民、若者たちのスポーツする権利は奪われたままだ。

 五輪公園が建設されたロンドン東部のハックニー地区は失業者や貧しい人びと、移民などが住む地区だ。昨年8月、警察官が黒人の若者を射殺したことを口火に広がった若者たちをはじめとした暴動は、この地域にも波及した。今回のロンドン五輪は、このロンドン東部の「再開発」をも目的にしていた。

 ロンドン五輪開催が決定された2005年の時点から4倍に膨れ上がった予算は、総額で約93億ポンド(1兆1300億円)。財政難の中でのこの投資が一時的にブームを呼ぶことがあったとしても、それがインフレを呼び、深刻な雇用の改善どころか、五輪が終わったあと住民にいっそうの苦難を引き起こす可能性も取りざたされている。

 さらにオリンピックに伴う「治安対策」を名目に、イギリス政府は住宅の屋上に地対空ミサイルを設置された。住民たちは中止を求めて提訴したが却下された。オリンピック会場付近にはいたるところに監視カメラが設置され、ジェット戦闘機四機が常時警戒にあたり、さらに地対空ミサイル六基も配備、テムズ川の河口には軍艦一隻が配置されるというものものしい「五輪警備」の中でのロンドン大会なのだ。

 開会式翌日の7月28日には、ロンドン市内で「テロ対策」強化・住宅屋上へのミサイル配備に反対する抗議デモが500人が参加して行われた。また市内の幹線道路の一車線が、選手や五輪組織委員会の幹部たちの専用レーンとなり、常時緑信号で特別待遇を受けることについてもタクシー運転手が抗議デモを行った。

 こうして膨大な経費を使い、住民の民主主義的権利を侵害して行われる金権・商業主義・国家主義のスポーツイベントとしてのオリンピックの性格はここでもはっきりと示された。

 あらゆる美辞麗句はごまかしにすぎない。オリンピックをもうおしまいにさせよう。2020年東京五輪招致に反対しよう!

(K)
 

【第四インター声明】欧州の労働者の未来はギリシャで決定される


▲Antarsyaの選挙宣伝用ビデオ

声明:欧州の労働者の未来はギリシャで決定される
 
第四インターナショナル執行ビューロー



 ギリシャ人民は二年間にわたりトロイカ(IMF、欧州委員会、欧州中央銀行)が押し付けた緊縮政策に反対して闘ってきた。七一日間のゼネスト、大規模なデモと「アガナクテスミニ」(怒れる者たち)の広場占拠、職場占拠の後に、五月六日に行われた選挙はギリシャに押し付けられた「メモランダ」(訳注:トロイカが旧制した「ショック療法」的新自由主義政策)を受け入れた政党を六〇%以上の票で拒絶し、PASOK(全ギリシャ社会主義運動)の反社会的な自由主義の左に位置する各政党に三七%の票を与えた。

 二年間にわたり、金融資本の過剰蓄積のはけ口として使われてきた公的債務によって押しつぶされてきたギリシャは、資本主義の危機のツケを民衆に支払わせるための政策的実験室になっていった。ギリシャに強制された救済プランは、たったひとつの目標しか持っていない。ギリシャ国家の銀行に対する債務の支払いを保障すること、銀行が作りだした金融バブルの投機的マネーを保存することである。こうしたプランに伴っている「メモランダ」は、労働者を貧困に追い詰めることで、かれらが生みだした富をどこまで独占できるかをギリシャの中で試すことを狙いとしている。

 この政策の影響とは、賃金と年金の残酷なまでの削減、労働法とさまざまな規制の解体、失業率の大幅な上昇(すでにそれはギリシャの労働力人口の二一・二%、女性の約三〇%、若者の五〇%に及んでいる)、一九二九~三〇年と同様の景気後退(二〇一一年にはGDPの六・九%低落、二〇一二年にはさらに五・三%低落の見込み、工業生産は二〇一一年三月に比べて二〇一二年三月には四・三%減少)、保健システムの破壊(一三七の病院が閉鎖、医療における雇用の五分の一が消失、一一億ユーロの不払い手形のため薬剤の不足)、住宅市場の解体(二〇万戸の住宅が売れず、その一方でホームレスの人びとの数が激増)、栄養失調……という形で及んでいる。

専横、秘密、恐怖を政府の真の統治様式とする、民衆に対するこうした残忍な支配の政策は、激情、苦悩、怒りを引き起こさずにはおかなかった。この怒りの一部は、邪悪なレイシスト、反ユダヤ主義、外国人嫌悪の勢力であるネオナチグループ「黄金の夜明け」への水路を開いた。「黄金の夜明け」は、デモ参加者を弾圧し、移民狩りを行う政府の政策の波に乗って、警察に浸透していった。われわれは、政府の弾圧政策とギリシャにおいて「トロイカ」が強制したレイシズムに警告を発し、非難しなければならない。

トロイカが押し付けた政策に対決したギリシャのラディカル左翼、とりわけ今やギリシャ政治情勢の中心的位置を占めているSyriza(急進左派連合)は、五点の緊急プランを打ち出した。

 1 国を破壊しているメモランダのあらゆる緊縮措置、労働法改悪の廃止。

 2 多額の政府資金を投入された銀行の国有化。

 3 債務の支払い停止と、不当な債務への非難と廃止を可能にする監査の実施。

 4 告訴された閣僚の不逮捕特権の廃止。

 5 ギリシャ住民を犠牲にし、国家を危機に投げ込みながら、PASOK(全ギリシャ社会主義運動)と新民主主義党(ND)に統治することを許容した選挙法の改正。



 第四インターナショナルは、すべての国際労働者運動、すべての「怒れる者たち」、左翼の理想を擁護するすべての人びとが、こうした緊急プログラムを支持するよう呼びかける。

 われわれは、ギリシャ人民がその投票と動員を通じて、緊縮政策を拒否するすべての社会的・政治的左翼による政府、債務帳消しを可能にする政府を打ち立てることに成功するのを望んでいる。われわれは、緊縮政策に反対するすべての勢力――Syriza(急進左派連合)、Antarsya(第四インター・ギリシャ支部と英SWP系組織の選挙連合)、KKE(ギリシャ共産党)、労働組合その他の社会的運動――が、緊急プランを軸に結集するよう呼びかける。

 危機はギリシャの危機ではない。資本の意思とそれに奉仕する諸政府に従属した欧州連合の危機である。それは全世界の資本主義的生産様式の危機である。この国の次の政策を決定するのはトロイカではなく、ギリシャ人民である。六月一七日の選挙の機会にユーロに関する国民投票をギリシャに強制しようというドイツ首相アンゲラ・メルケルの目論見――それはまさしく選挙による一揆的クーデターだ――は、拒否されなければならない。今や闘わなければならない対象はユーロではなく、トロイカの強制指示である。

 緊縮政策に反対する闘争は、欧州連合構築の基礎である政策や条約との決裂を、以前にも増して必要とする。緊縮政策との闘いは、民族主義への後退を意味するのではなく、主権的民主主義と、それぞれの民衆の社会的諸権利と、ヨーロッパ社会主義共和国の展望を、以前にも増して意味することになるのだ。



 ギリシャは欧州の実験室となった。かれらは、これらの措置を人間を「モルモット」としてテストしようとしており、次にはそれがポルトガル、スペイン、アイルランド、イタリアなどに適用されるだろう。ギリシャ人民は、こうした残虐な政策に反対して職場で、街頭で、そして投票箱を通じて反撃してきた。ギリシャの抵抗はわれわれの抵抗であり、かれらの闘いはわれわれの闘いだ。

民衆的諸階級の死活的利害の防衛は、国民的・欧州的レベルにおける支配階級との衝突を意味することを、この抵抗が示している。われわれは、ギリシャ人民の闘争とラディカル左翼の闘争を支持する統一的なイニシアティブを強めなければならない。しかしギリシャ人民と連帯する最善の形態は、非人間的な緊縮と破壊の政策に対する抵抗の発展と調整によって、すべての国でギリシャの模範にならうことである。危機と恐怖の責任を取らなければならないのは、まさしく資本なのだ。闘いの波及・伝染を!



二〇一二年五月二四日

【フランス大統領選一つの総括】「左翼戦線」、そしてその現在は?

front de gauche soutiensフランス:左翼戦線、そしてその現在は?
 
フランソワ・サバド

 二〇一二年のフランス大統領選挙で起きた驚くべき事態の一つは、左翼戦線とジャン=リュック・メランションの運動だった。その集会には何万人もが参加し、第一回投票で一一・〇一%を獲得するという注目すべき数字を残した。

 確かに左翼戦線の指導者たちは一五%以上獲得すること、何よりも国民戦線の指導者マリー・ルペンを抜いて第三位につけることを望んでいた。しかし選挙戦当初の世論調査での五%という予測を超えて一一%に達したことにより、かれらは「ラディカル左派」のスペースを支配し、革命的左翼の周縁化に成功したのである。



現実の力学



 この選挙運動期間中、大衆的影響力を持つ左翼改良主義勢力が再建された。これは幾つかの要因の結果である。

●社会的敗北に刻印された情勢。それは「闘争で妨げられたものであっても選挙で妨げられることはない」という希望と幻想に有利に作用した。

●共産党勢力の再動員(ポルトガル、スペイン、ギリシャでも見られた)。それはかれらがここ数年間、政権に参加しておらず、制度的機構や労働組合での位置を保持していたという事実に基づいていた。

●メランションのなかなかみごとなキャンペーン。最低賃金一七〇〇ユーロや公共サービスの防衛といったラディカルな目標を擁護する彼のスピーチは、ヴィクトル・ユーゴーの作品や、労働運動の最も輝かしい時期への革命的想像力を喚起した。この魔力は、左翼戦線諸党(訳注:左翼戦線は共産党と、社会党から左分裂した左翼党を中心に形成された選挙ブロック。メランションは左翼党のリーダー)を超える政治的力学を解き放つことになった。その運動はなによりも、とりわけあいまいで退屈きわまる(最も穏健な言い方をすれば)フランソワ・オランドとの対比で、際立つものとなった。



あいまいさと矛盾



 しかしメランションの強い印象を与える選挙運動は、あいまいさと重い矛盾を抱えたものであり、それはNPAの独立的な運動を正当化させるものだった。NPAと左翼戦線は、社会的課題(賃金、雇用、公共サービスの防衛)や民主主義的要求(比例代表制や移民の権利の擁護)については、共通の立場を取っていた。二つの組織は、国民戦線に反対する闘いでは統一していた。他方、別の課題については、両組織は鋭く分かれていた。核エネルギー問題では、フランスの原子力産業との多くのつながりの糸にまとわりつかれていたフランス共産党(PCF)指導部とNPAの間には、大きな不一致があった。

 われわれは多くの目標を共有しており、左翼戦線の運動をめぐる力学は、新しい政治的可能性を現実化する道を開いている。だが、重要な闘争に関わり、われわれの要求の実現を勝ち取る上で、PCFとジャン=リュック・メランションは資本家たちの権力との対決を拒否している。かれらは資本家の所有権ではなく、金融政策を非難する。かれらは公的な銀行部門を求めているが、銀行の収用や社会的統制の下での国有化を拒否し、公的銀行部門と民間銀行部門の競争を支持する。かれらは債務スキャンダルを非難するが、債務帳消しを拒否する。メランションは数年間にわたる債務返済を提案し、資本家と大衆の負担を相殺する。

ここでも一貫性が必要だ。われわれが市民による債務監査の運動に参加するのは、債務帳消しの土台を準備するためであって、漸次的支払いのためではない。左翼戦線の指導者は、「エコロジー的計画化」について、その計画に必要な戦略的資源、とりわけ経済の中枢部門である交通・運輸部門やエネルギー部門の社会化について示すことなく提示している。

 左翼戦線指導部の改良主義的方針は、政治的・歴史的レベルにおいてメランションの「共和主義」的立場と手を携えたものである。それは、ブルジョア階級に反対して社会的共和国を主張したパリコミューン派ではなく、「国民」「共和国」「国家」という言葉を一体化させて共和国を擁護した共和派の立場なのである。この概念は、「市民革命」あるいは「投票箱による革命」を、支配階級の国家の諸制度に対する尊重に従属させるものだ。メランションは、米帝国主義については自由に批判を喚起するが、フランス帝国主義に対してはそんなことはしない。彼は大統領選挙期間中に「現情勢の下では、核抑止力は依然としてわれわれの防衛戦略の中心的要素である」と再確認したのである。

 詳細にわたって疑問を呈するわけではないにしても、こうした概念はメランションの政治における中心的要素である。彼は大衆運動を方向づけ、従属させ、共和国の諸制度との両立・調和をはかるために、彼のなしうるすべてのことをやるだろう。



左翼戦線への方針は?



 左翼戦線との政治的関係について、われわれは以下の諸要素を考慮に入れる必要がある。運動力学だけではなく政治構想も。動員力だけではなく全般的政治プログラムも。活動力(アクティビズム)の再生だけではなく指導部の政策も。

 幾万人もの活動家、幾十万人もの有権者たちが、その投票あるいは左翼戦線のイニシアティブへの参加に、ラディカルで社会的・民主主義的な内実を与えることになった。それはかれらにとって、右派の緊縮政策への拒否であるだけではなく、左派の緊縮政策への拒否でもあった。かれらは最低賃金一七〇〇ユーロ、レイオフ禁止、公共サービスの防衛、公共部門での非正規・不安定労働者の正規化、登録証を持たない人びとの擁護といった死活的な要求で共に動員を行うことで、それを示したのである。

われわれの側は、行動における期限付きの統一を超えてさらに先に進むことが必要だと確信している。オランド政権が準備している緊縮政策に対して、われわれは左翼戦線ならびに他の組織(LO[労働者の闘争]と「オルタナティブ」)に、政権への統一反対派勢力の建設を提案する。NPAにはその用意がある。そして左翼戦線はどうするのか? この闘いは国民戦線が反対派の旗振りをすることを許さないために決定的である。左翼戦線の活動家や支持者と共同の行動の中で対話しなければならないのは、こうした問題である。

同時に左翼戦線がPCFとメランションが指導する政治的組織であって、たんなる統一戦線ではないことを忘れるべきではない。それは党ではないが、すでに政治的運動である。この事実は、すべてが決定されているわけではなく問題が残されていることを意味している。現段階では左翼戦線の指導者たちは、政権に参加する意思がないようだ。メランションは「一〇年以内に権力を、全権力を取る」ことを目標にし、彼が率いるわけではない政権への参加を排除している。

危機の強制の中でPCFは、過去に使われた「参加しないが支持」という定式を選択するように思われる。PCF指導部とメランションの間で緊張が浮上する可能性もある。PCF全国書記のピエール・ローランは、議会選挙の目標を「左翼戦線を最大限に増やした上で国民議会での左翼多数派の選出」に設定している。PS(社会党)とともに左翼多数派を形成するのか? オランド政権の予算案の票決の際に左翼戦線の国会議員はどうするのか。ほとんどすべての地方議会で、左翼戦線の議員がすでに社会党と連携しているようにか。こうした諸問題が残されている。共同行動を可能にするために、われわれの側からする適切な戦術的政策が必要になる。

この段階で、左翼戦線によって描かれている仮説のどれも、その改良主義的構想に挑戦していない。かくして左翼戦線に参加しようという呼びかけが、NPA内部からも発せられている時、われわれはそれとは違って、反資本主義組織は左翼戦線の戦術的展開に依存することはできない、と考える。左翼戦線に参加するということは、PCF指導部とメランションを受け入れることである。政治的場に重点を置けば、統一行動の活性化と批判へのあらゆる可能性を保持することは、左翼戦線からのNPAの独立性を必要にする。反資本主義組織の独立は戦術的な選択ではない。それは、革命的潮流の歴史的継続性を維持する戦略的選択なのだ。NPAには二重の挑戦が提起されている。その組織的建設を再開すること、そしてとりわけ左翼戦線との関係での統一政策の設定である。



▼フランソワ・サバドは第四インターナショナル執行ビューローのメンバーで、フランスNPA(反資本主義新党)の活動家。彼は長きにわたって革命的共産主義者同盟(LCR)の全国指導部メンバーだった。



(「インターナショナルビューポイント」二〇一二年五月号)
 

中国:重慶モデルの破たん

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薄煕来(左)と王立軍

汚職・暴力団追放と共産党精神の高揚を掲げ、格差縮小にむけた経済成長を目指すといわれる「重慶モデル」の発祥地、重慶市の副市長兼公安局長の王立軍が、その職を解任され、数日後の2月8日、「療養」を理由に成都にあるアメリカ領事館に24時間「滞在」し、その後、身柄を国家安全局に拘束されるという事件が起こった。

「重慶モデル」は、今秋に予定されている18回党大会で、最高指導部である党中央政治局常務委員会入りを取り沙汰されていた重慶市共産党委員会書記の薄煕来が、前大会直後の2007年12月に商務部大臣から重慶市に転任して以来すすめられてきた政策で、新左派とよばれる民族左派の知識人らが「格差を広げてきたアメリカモデルに対抗する中国モデルの核心的政策」として絶賛してきたものだ。

今回拘束された王立軍は、08年6月に薄煕来がかつて省長を務めた遼寧省の錦州市公安局長から重慶市公安局副局長に抜てきされ、暴力団やそれとつながっていた警察内部の責任者などに大なたを振るった「打黒」(暴力団弾圧政策)の陣頭指揮者であった。「打黒」政策は「重慶モデル」の象徴的政策のひとつで、超法規的な弾圧をふくめて広く実施された。

王立軍によって2009年8月までに1500人の暴力団構成員と50人の汚職役人が逮捕された。逮捕者には重慶市の司法局長や高等裁判所副所長もふくまれる。司法局長の文強が処刑された2010年7月、薄煕来は勝利宣言を行い、王立軍はその最大の功労者と言われた。

その王立軍が今回アメリカ領事館に逃げ込んだ。2月9日、王立軍によるとされる2月3日付の「公開状」がインターネットを駆け巡った。

「薄煕来の『唱紅打黒』(革命を称え暴力団を取り締まる)政策は、政治局常務委員になるためのパフォーマンスである。……彼は私を含む部下にありとあらゆる事をやらせた。従わない者がいればすぐに卑劣な方法で処分した。……彼こそが最大の暴力団の親玉である。薄煕来は清廉潔白で売っているが、実際にはどん欲でいやらしく、親族に荒稼ぎさせ、それ驚くべき金額に上る……。」

薄煕来は中国東北部の遼寧省の省長在任中に国有企業のリストラという国策を強力に進めた。2002年3月、遼寧省の中堅都市の遼陽市にある遼陽鉄合金工場でリストラに抗議する労働者らが複数の工場と連帯してストライキを打った。だが「国家転覆罪」でスト指導者の姚福信が7年、肖雲良が4年の懲役という弾圧を受けた。

遼陽鉄合金労働者の闘争の敗北は、その後の国有企業の民営化をさらに促進した。グローバル資本主義の大国としてのし上がった中国は、労働者階級の犠牲の上に成立したといえる。遼陽鉄合金労働者に対する弾圧の最高責任者の一人であった薄煕来が進める「重慶モデル」が、格差縮小の経済成長や調和ある社会をめざすなど、冗談にもほどがある。

【参考】 ・2002年春の中国国有企業労働者のたたかい
      ・姚福信と肖雲良を釈放せよ

「重慶モデル」の冗談のなかでも極めつけは「唱紅歌」(共産党賛歌を歌う運動)である。「唱紅歌」運動を「文化大革命の復古主義」と評する論評もあるが、この運動が中国共産党90周年の2011年7月1日にむけた全国規模での愛党・愛国運動の牽引役となったことを考えると、グローバル資本主義化にともなう社会的動揺を、党への忠誠心と愛国心の発揚によって覆い隠そうとするきわめて現代的なものだといえるだろう。


建党90周年の前日に行われた重慶での「唱紅歌」大会

このような「重慶モデル」を高く評価したり、指導部の傾向の違いに希望を見出してきた民族左派知識人たちには、民主主義と労働者階級に対する徹底した自己批判が求められる。

今後、王立軍事件を巡るさまざまな報道や憶測が流されるだろう。2月中旬には習近平国家副主席の訪米が予定されている。習近平は今秋の党大会で引退予定の胡錦濤を継いで中国共産党中央委員会総書記という8000万党員のトップに就任すると言われている。指導部交代にともなう党内闘争についての報道や噂も絶えないだろう。

階級闘争は、どの時代でも支配体制内の権力闘争や外国からの干渉と無縁ではありえない。しかしそれは支配体制内の権力闘争の一方の側につくということではあり得ないし、外国からの干渉に無批判に便乗したり瞬間的に反発するということではない。

中国における民主主義の実現と労働者の解放をめざす勢力のたたかいは長く厳しい局面にある。資本のグローバル化と中国労働者階級の苦難に満ちたたたかいが、労働者の国境を超えた闘争をつなげるだろう。(H)

「重慶モデル」の実態については、こちらの現地ルポも参考になる

・日刊べリタ:中国経済開発・ある断面:高効率農業と農的生活のはざまで
 上 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201202021153174
 中 http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201202051301010
 下 http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201202081154413

【スペイン総選挙】右派の勝利、大きな危機が迫っている



 11月20日に行われたスペイン総選挙で、与党の社会労働党(PSOE)が大敗北を喫し、右派野党の国民党(PP)が8年ぶりに政権の座に復帰した。社会労働党の敗北は、深刻な財政危機と20%を超える失業率をもたらした社会民主主義政党への不信の表現である。

 社会労働党の敗北は確かに右派の復活をもたらしたが、同時に他方では統一左翼(スペイン共産党系)・緑連合の躍進も見られる。またバスクでは民族主義右派を抑えて、民族主義左派連合のAmaiurが第一党になった。

 大都市の広場を占拠する「怒れる者たちの運動」が社会労働党の敗北を促したが、EUを貫く危機の拡大の中で、いまだ反資本主義の政治的オルタナティブが弱体であることもスペインの選挙結果は示している。

…………



スペイン

右派の勝利、大きな危機が迫っている



ルイス・ラベル



 11月20日に行われたスペインの選挙での社会労働党(PSOE)の予想通りの敗北は、予言されたほど重大なものではなかった。スペインの選挙制度は比例制とはまったく違い、実際をはなはだしくゆがめる歪曲されたイメージを投げかける。獲得議席数からはフランコ独裁時代に起源を持つ保守右派の国民党(PP)の「歴史的勝利」と見ることができる。

 PPは2008年の選挙での153議席から186議席に増加し、圧倒的な絶対多数を確保した。確かに右派は、民衆的諸階層を疑いなく含んだ伝統的支持層を活性化させ、動員した。しかしこれは「押し寄せる波」のようなものではなかった。PPはスペイン全土で得票数を60万票を少し上回る程度しか増加させなかった。

議会多数派の右派への移行は、PSOEの疑いなく壊滅的な敗北によるものである。それは重大な結果をもたらすことになる。議席数ではPSOEの後退は壊滅的である。2008年に獲得した議席は169だったが、2011年には110議席しか取れなかった。この敗北の規模をつかみ取ることは、何よりも得票数を比較することで可能になる。PSOEは前回の総選挙と比べて400万票以上を失ったのである。

 欧州を揺るがす経済危機は、こうして政府をもう一つ追い払ってしまった。確かに今回は社会自由主義の政府だった――サパテロは、守られない約束、欧州連合の金融市場と諸制度の指令への協力に対するツケを払うことになった。500万人の失業、公的救済措置によって支えられる荒廃した不動産市場と銀行を抱えたまま、2010年5月以来採用された緊縮措置(年金凍結、公務員の賃金削減、予算カット、年金の改悪)は、左派支持の有権者の不満をもたらしただけであり、その中で国は不況に沈みこみ、社会情勢は誰の目にも明らかな形で悪化した。

社会労働党(PSOE)の伝統的二大拠点であるアンダルシアとカタルーニャは右に移行した。サパテロの二度の勝利に決定的な役割を果たしたカタルーニャでは、PSOEは右翼民族主義者のCIUに敗北した。CIUは課税問題でのカタルーニャの主権と、移民に反対するポピュリスト的不平を混ぜ合わせて訴える言説によって世論をリードした。この春、CIUはすでに、以前は複数左翼が掌握していた地方政府選で勝利した後、三〇年以上にわたる左派の領地だったバルセロナの市政をPSOEから奪っていた。カタルーニャ州政府は今や公共サービスへの新自由主義的攻撃の最前線に立っている。

統一左翼(IU、スペイン共産党主導の選挙組織。今回は「緑」との統一リストで選挙に臨んだ)は得票数を七〇万票以上増やし、これまでの二議席から一一議席に伸ばす大きな前進を収めた。IUは批判的かつ新自由主義反対の主張で、PSOEへの投票の一部をすくい取った(しかし他の地域、とりわけマドリッドではPSOE支持票は右翼的選択へと流れた)。「怒れる者たちの運動」もまた、PSOEより左の「有効投票」先として現れたIUに有利に作用した。欧州エコロジーの例に示唆を受けたグリーンプロジェクトを出発させる企図は破綻した。

しかし「有効投票」への圧力は、スペインの第四インターナショナル派が他の勢力や活動家とともに支援した「反資本主義」候補がターゲットにしていた層にも感じられていた。銀行、証券取引所、省庁オフィスの象徴的な占拠によって強調され、われわれがバルセロナにおける候補者リストのトップに据えたエステル・ヴィヴァスへの法的措置までもたらした、不服従を呼びかける大胆なキャンペーンは、オルタナティブな綱領の大衆化、はっきりと見て取れる活動家の突破口を可能にした。(「反資本主義」リストは、候補者リストが選挙法の強制する制限条項を乗りこえることができた幾つかの州で、約2万5000の支持を得た)。

反社会的攻撃を倍化させようという右派の意図は勝利した。しかし、ここ数週間にわたってマドリッドでの学校での重要な動員、バルセロナの大学のゼネストが見られる。選挙のレベルではバスク独立派左翼連合のAmaiurはスペイン議会に登場して以来の爆発的躍進を遂げた(6議席を獲得)。その一方、5月15日運動(15―M)は決して終わってはいない。国際的危機の脈絡の中で、激しい社会的・政治的衝突のシナリオが地平線上に姿を現している。戦闘的左翼の新たな編成が以前にもまして課題となっている。

▼ルイス・ラベルはカタルーニャの反資本主義左翼の活動家



(「インターナショナルビューポイント」11年11月号)
 

【ギリシャ】自称救済者によって搾り取られ破壊された国

インターナショナル・ビューポイント オンラインマガジン : IV441 - October 2011

【ギリシャ】

 
自称救済者によって搾り取られ破壊された国
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article2335
 
ソニア・ミトラリア
 
 2011年10月1日、「抵抗の連合」が組織した「欧州反緊縮政策」ロンドン会議の開会セッションで行われたこの発言は、参加者のスタンディング・オベーションで迎えられた。(「インターナショナル・ビューポイント」編集部)
 
 私は、この国を救済すると称する者、すなわち国際通貨基金(IMF)、欧州中央銀行、欧州委員会によって搾り取られ、破壊された国であるギリシャからやってきました。「メモランダ」という名で知られている四つのショック療法が採択され、適用され、何よりもそれが失敗に終わった後、現在適用されている五番目のものは最も乱暴で、非人間的なものであり、ギリシャはもはや私たちが知っていた国ではなくなっています。今や日没とともに街頭は空っぽとなり、レストランは客を求めて絶望的になっており、荒れ果てた商店街にある店舗は廃墟と化しています。


▲10月19日から48時間の全土ゼネスト-国会包囲闘争に起ちあがった労働者・失業者たち
 
 この変化の原因は、次に述べるような事実と数字に示されています。賃金取得者と年金生活者はすでに三〇%から五〇%、場合によってはそれ以上の購買力を失いました。その結果、約三〇%の店舗と三五%のガソリンスタンドが永遠に閉店となりました。失業率は来年にはおそらく三〇%になるでしょう。病院とベッドの数は四〇%以下となるでしょう。数日前、ギリシャ国家は子どもたちに教科書を与えることができなくなり、子どもたちはコピーするよう求められている、などなどです。簡単に言えば今や飢餓、そう飢餓が大都市で見られるようになっており、ストレスと絶望に襲われた農村では自殺が増えています。

 しかしギリシャ人は絶望しているだけではありません。人びとは戦闘的になり、抵抗し、闘ってもいます。とりわけ2011年5月末に「アガナクティスメニ」運動、ギリシャの「怒れる者」たちの運動が登場しました。「われわれには借りがない、われわれは何も売らない、われわれは払わない」、「奴らはみんな出ていけ」という二つのスローガンを掲げた急進化した群衆が、数百のギリシャの都市の広場を占拠したのです。
 

 しかし気をつけなければならないのは、「メモランダ」の野放図な緊縮政策の時期にギリシャで抵抗するのは、たやすくはないということです。第一に、恐ろしく、体系的で、非人間的な弾圧のためです。それから課題の重要さゆえにギリシャは現在、世界的テストケースになっています。それは公的債務の大規模な危機の中で、構造調整政策に対する民衆の抵抗能力が試される、まさしくグローバルな実験室なのです。すなわち、頂点にいる者であれ底辺にいる者であれ、すべての人びとの目が、今や最もシニカルな新自由主義のグローバルなモルモット(実験動物)になるという不幸を背負ったこの欧州の小国に注がれています。その結果、ほんのわずかな実際的要求を勝ち取ったとしても、政府の打倒、まさしく革命ということになるのです!

 私たちが、このまったく前例のない情勢から汲み取る教訓とは、昨日よりも今日になれば民族ブルジョアジーの内部での救済策はなくなってしまうということです。諸国の政府とトップにいる者たちの神聖同盟に直面する中で、底辺の人びとの抵抗の調整とネットワーク化は、成功へのあらゆる希望の必要条件なのです! 簡単に言えば、ギリシャの実験が、悪名高いトロイカ、すなわちIMF、欧州中央銀行、欧州委員会というわれわれの死刑執行人たちの利益にならないようにするためには、私たちは可能な限り速やかに私たちの勢力を結集し、底辺の者たちの「神聖同盟」を築かなければなりません!
 

 私が創立メンバーの一人である公共債務監査国際委員会ギリシャ・イニシアチブによって、債務と緊縮措置に反対する第一回国際会議が五月初旬にアテネで組織されたのは偶然の一致ではありません。この第一回国際会議の成功は、喜ばしくも私たちを驚かせましたが、実際には二重の意味でその兆しがありました。第一は、そのほんの二週間後に、ギリシャの怒れる者たちの運動がアテネのシンタグマ広場を占拠し、政治的・社会的場に爆発的に登場したことです。そして、公共債務の問題が今日のすべての重要な問題の根っこにあるということがますます鮮明になっていったというだけでなく、公共債務監査の要求を軸に独立した動員を行うことが完全に可能であるために、それは真の民衆的要求に合致したのです!

 私は、公共債務監査委員会ギリシャ・イニシアチブの経験から引き出されるこの教訓が、ギリシャだけに有効なものであるとはもはや考えません。それは、金融市場、トロイカ、資本に攻撃された他のすべての国にとっても有効です。公共債務の監査は、一見したところ割の悪い活動であり、人を引き付けるものではなく、専門家の仕事であるかのように見えるかもしれませんが、実際には二つの条件があれば多くの人びとを刺激し、動員しうるものなのです。第一は、それが制度的機構から完全に独立し、居住地域や労働・学業の場から結集した市民たちに支持されていることです。次に、債務の不正きわまる部分を明確にして帳消しにし、支払わないということです!

 アテネで開催された緊縮措置と債務に反対する第一回国際会議から五カ月後の今、私たちは達成された成果を測定できます。ギリシャ・イニシアチブは、ヨーロッパのほとんどすべて、南欧と北欧、東欧と西欧で、高く評価されています。この情勢がわれわれすべてに強いている課題は明確です。公共債務監査に関するこうした運動とキャンペーンは、すみやかに合流し、ネットワークを結成すべきです。誰にとっても遅すぎるようになる前に、行動をより効果的なものとし、民衆の期待に応えるためにそうすべきなのです。

 この課題とは、まさしくCADTMが行ってきたことでした。私もそのメンバーであるCADTM(第三世界債務帳消し委員会)は、専門的分野と幾つかの欧州諸国での闘争の分野――南の貧しい人びとと共にした二〇年間の闘いの成果――を結びつけてきました。ギリシャならびに他の諸国での債務と緊縮政策に対する運動の発展におけるCADTMの貢献は、これまでも現在でもきわめて重要です。しかし、金持ちと貧乏人との間の生死をかけた本物の戦争という情勢が投げかけている新しい挑戦に応えるためには、CADTMや、債務と緊縮政策に対して勇敢に闘っている他の組織以上のものが必要なのです。私たちは、もっと多くの活動家勢力、もっと多くの綱領的発展、とりわけもっと多くの国境を超えた協力を必要としています。



 私は最後に、私の常々考えていることをお話ししたいと思います。自立的組織あるいは自主的組織、そして債務と緊縮政策に反対する女性たちの闘いについてです。賃金所得者と社会のすべての人びとに対する現在の新自由主義的攻撃の第一の犠牲者が女性であるのは、彼女たちがまずはじめに一まとめに解雇されるからだけではないのです。それはおもに、この攻撃、すなわち公共サービスの民営化と破壊が、昨日までは国家が引き受けていた家庭内の公益的仕事を、女性たちに強制的に押し付けるという結果をもたらすからです。

 つまり今や女性たちは、以前は保育園、病院、高齢者用ホスピス、失業基金、精神治療施設、さらに社会保障が提供していたサービスを、家族の中で私的に提供するように求められているのです。そしてそれは完全に無償労働です! さらにそれは他者の忠実な奴隷としてのみ女性を受けいれる、いわゆる「女性の天性」なるものによって家庭・家族の下へ強制的に戻すイデオロギー的パッケージの中に収められています。つまり私たち女性が保持している幾つかの権利への正面攻撃と結びついた、最もあさましい家父長制への回帰なのです。

 私の結論は定言的(カテゴリカル)なものになります。なぜ女性は債務と緊縮政策に反対する闘いを独立的に組織する必要があるのか。そうしなければ、彼女たちに代わって闘う者などいないからです。

 どうもありがとう。



▼ソニア・ミトラリアはギリシャのフェミニスト活動家でCADTMギリシャのメンバー。


(「インターナショナルビューポイント」11年10月号)

10・15香港~金融センターを占拠せよ!



10月15日、アジアの金融センターのひとつである香港でもウォール街をはじめ世界各地で取り組まれた占拠アクションに呼応する取り組み「占領中環」(中環を占拠せよ)が行われた。「中環」は内外の金融機関が集まる香港のビジネス地区の中心。「占領中環」アクションは、香港証券取引所や日本領事館などがある「中環交易スクエア」とオフィスやショッピングモールの複合施設である「国際金融センター」の間の広場で行われた。


左翼21、リーマンブラザーズ投資家被害者連盟、コミュニティメディアのFM101、中文大学左翼学会、反核連盟、社会民主連盟、街坊工友服務センター、人民力量、大学人による企業監視アクション、社会主義行動などが呼びかけた。


左翼21は、第二証券取引所の入り口に「占領中環」と「反資本主義」の横断幕とテントを広げた。その他の団体もさまざまなスローガンを掲げて「中環占拠」に取り組んだ。


参加団体から金融資本が支配する社会を批判する発言が相次いだ。反核連盟のメンバーは、原発産業は核兵器産業から派生したものでありともに多国籍企業のビジネスと化している、国家だけでなく国連までをも巻き込んだ巨大ビジネスであり、それらのシンジゲートが決める被曝基準は安全や科学とは程遠い、ビジネス中心の基準であり、日本政府の福島原発事故後の対応を見ればそれは明らかだと厳しく批判した。


その後も全体行動終了の夕方までさまざまな発言やパフォーマンスがつづき、参加者全員で上海香港銀行(HSBC)までデモを行い、デモ解散地点でさらに集会が続いた。10月17日の月曜日時点でもこの場所での座り込みは続いている。(H)


以下は、左翼21に参加する香港・先駆社の同志による「占領中環」アクションでの発言。

+ + + + +

私たちが占領すべきは何なのか
「占領中環」集会での香港・先駆社の同志の発言
2011年10月15日


2011-10-15B


ニューヨークのウォール街占拠は、金融資本に反対する大衆的行動として世界各地に広がり、現代資本主義制度の本質を人々の前に明らかにしています。

現代資本主義の本質とはなんでしょうか? 私たちの後ろにあるセントラル取引所スクエアを見てください! 毎日2兆ドル(!)ものマネーが24時間絶えず国際金融市場で取引されています。そのうち、モノや労働力の売買といった、まともな経済活動はわずか1%だけです。その他はまるまる投機活動なのです。多くの社会的資本がごく一部の大企業に握られています。かれらはその富を、生産活動にではなく、ますます金融投機に振り向け、マネーがマネーを生むビジネスに賭けているのです。やれ外為だ、いやデリバディブだ、ファンドだ、サブプライム等々、まだまだあります。金融投機がこれまでになく想像を絶するほどの規模に膨れ上がる一方で、生産的な活動や医療、教育、社会福祉などの事業は活力を失い縮小する一方です。

グローバル資本主義はすでに巨大なカジノと化しています。「カジノ資本主義」になっているのです。それは普通のカジノよりもさらに悪質で恐ろしいものです。もしカジノでスったとしても、せいぜいフクロにされるか、家族に害が及ぶくらいが関の山でしょう。しかしこの「カジノ資本主義」は、賭けに参加していない普通の人々に被害を及ぼし、賃下げやリストラを強制し、苦労して支払ってきた年金などの基金の大半をあっという間にスッカラカンにしてしまうからです。


いったいこれはどういった災いなのでしょうか。それは、金融独占の時代における資本主義の腐朽性と反動性にまで発展したものに他なりません。もちろん資本主義が必然的に貧富の格差と環境破壊を引き起こすことはいうまでもありません。資本主義はすでに恐ろしい悪魔になってしまったのです。それを更正することができるなどと、いまだに信じることができるでしょうか。それは消滅させなければ、プロレタリア民衆に前途はないのです。


もちろん私たちは、労働時間の短縮、賃金引上げ、社会保障制度の設計など、部分的な改良を勝ち取ることも必要です。これらの要求は当然であり、プロレタリア民衆の切迫した要求だからです。しかし、資本主義制度が依然として維持されており、1%のブルジョア階級が権力を独占している状態では、これらの改良政策の全面的で実質的な実現は不可能なのです。1%の特権集団による政治経済領域における独裁をひっくり返し、プロレタリア民衆のための民主的政府を建設することではじめて、民衆のための各種の社会改革の全面的実現が可能になるのです。


確かに、私たちはセントラルを占領し、ウォール街を占領し、金融独占資本主義の象徴的空間の一切を占領しなければなりません。しかし、そこは本当に進駐すべき場所ではないのです。では何処を占領しなければならないのでしょうか。われわれが占領すべきはブルジョア階級が独占する政治権力と経済権力なのです。プロレタリア民衆が主人にならなければならないのです!


今日の世界同時的な抵抗アクションは「Global Revolution」と呼ばれています。これは非常にメッセージ性のあるスローガンです。資本主義がグローバル化しているのであれば、反資本主義運動もグローバル化しなければなりません。革命もグローバル化しなければなりません。革命がふたたび日程に上る日が来たのです。しかし革命はそう簡単に実現できるものではありません。なぜでしょうか?


私たちが集会でよく歌う「インターナショナル」には、次のような歌詞があります。「思想を監獄から解放せよ」という歌詞です[中国語バージョンの歌詞:訳注]。そうです!もし私たち自身の思想革命がなければ、つまり革命的意識がなければ、多くの勇敢な大衆運動が起こったとしても、それは袋小路に入り込み、成果をあげることはできないでしょう。ひどい場合には惨敗することにもなるでしょう。


もし我々が資本主義思想の監獄に囚われたまま、「パイを大きくすれば分け前も多くなる」などの主張を信じ続けたり、法人税の引き下げや福祉削減や自由市場を信じ続けたり、あるいは「福祉国家」の改良政策の再来によって貧富の格差を縮小させ公平な社会を実現できると信じていていいのでしょうか。徹底してそのような幻想を放棄することなしには、反資本主義のグローバル革命を実現することはできないでしょう。今日、私たちのセントラル座り込みは、資本主義制度の問題点を検証し、資本主義をのり超える可能性と必要性、そしてそれに代わる社会制度についての討論を始めなければなりません。


2011-10-15

【報告】ウォール街占拠-世界と連帯して 10.15「『怒れる者たち』の世界同時行動に連帯を!」デモ

1015 1
10・15「怒れる者たち」の世界同時行動に連帯を!

貧困と格差をなくそう! 生きる権利を取り戻せ!

我々はモノではないぞ! デモと広場の自由を!
 
  10月15日、東京・新宿柏木公園で、「『怒れる者たち』の世界同時行動に連帯を!」の集会とデモが10・15 「怒れる者たち」の国際連帯行動実行委員会の呼びかけで行われ、三〇〇人を超える仲間たちが参加した。この日の昼のニュースで、ウォール街では占拠していた公園を清掃と称して排除しようとしたのに対して、証券街の道路に繰り出したデモ隊と警察が激しく衝突し逮捕者が出ている、と報じていた。こうした緊張した状況の中で、新宿ほか、日比谷、六本木でも同趣旨の行動が取り組まれた。

 最初に、公園に集まった様々な仲間たちに、国際連帯行動実行委員会の仲間が以下の呼びかけの趣旨を述べた。
 
 世界中で、貧困に、格差に、圧制に、抑圧に、排除に、差別に、そして新自由主義の暴力に、「もう、たくさんだ!」「資本家、金持ちどもの非道を止めろ!」「世直しを!変革を!」と怒りの声が、今日10月15日「怒れる者たち」の世界同時行動として連なる様々なアクションが、国境を越えて70カ国以上、1600都市以上で行われる。

1015 2 この行動の発信元は、この五月、スペインのマドリッド広場を長期間にわたって占拠し、スペイン全土へと広がった社会運動「本当の民主主義を今すぐに!」(Democracia Real YA!)が、10月15日に、「グローバル・チェンジ」を合言葉に、国境を越えて怒れる者たちが一斉に街頭や広場を埋め尽くそうと、世界中へ発信されたもの。

 この発信に、ニューヨーク「ウォール街占拠」の闘いがリンクして、世界同時行動は一気に広まっている。こうした民衆の決起は、年頭のチュニジア、エジプト革命を発火点に、欧州へ、アメリカへ、全世界へと波及してきた。

 この燎原の火はまた、タハリールやマドリッドのように、無数の広場=民衆の解放区を創出した。一方、日本では3.11以降、反原発デモのうねりを「治安の脅威」だと弾圧が横行している。そもそも日本のデモは、警察権力によって長い間、理不尽に弾圧され、多くの者が不当に逮捕され、多くの広場=解放区の創出が圧殺されてきた。

 しかし、もういいかげん我慢も限界だ! 3.11から七カ月、生存権がないがしろにされ、人間の尊厳が踏みにじられてきた現実! 異議申し立ての叫びを封殺してきたのは誰だ! 今こそ反撃の闘いを、いたるところに無数につくりだすときだ。

 格差社会を強制終了! 生きる権利を再起動! 怒れる者たちはつながろう!
 
 次に、参加団体の持たざる者の国際連帯行動を代表して山谷労働者福祉会館のなすびさんが訴えた。

 なすびさんは「先進国の首脳や金持ちたちの談合の場・ダボス会議に、民衆運動が世界社会フォーラムを組織し、対抗アクションを起こした。二〇〇三年に、声なき者の世界会議が秋の世界同時行動を呼びかけ、それに呼応して日本でも毎年11月3日に、集会・デモを行ってきた」と運動の経過を報告した。「その後日本での反貧困運動が起こったが、格差問題の訴えが不充分だった。ウォールストリートの運動は反格差社会を訴えている。ごく一部の者が富を持ち、社会を動かしている。儲けている者がいる。あれをなんとかしろ! 格差を根本的にひっくり返す闘いだ。もうひとつの目的は占拠である。公共とは何かを問うている」。

 「日本でも野宿者が公園から排除されている。震災避難民たちが仮設に追いやられている問題と共通している。そして、被曝労働をしている者たちがいる。彼らは他に仕事がないので自分の命を切り売りして生活している。その労働に日雇い労働者がかり出されている。彼らと共につながるメッセージを送りたい」。

 次に、野自連の仲間が「一三年間、渋谷区の児童館前の敷地を共同炊事や寝場所として使ってきた。都は東日本大地震を受けて児童館の耐震工事をするということで、一〇月から来年一月まで閉鎖すると、事前に交渉する約束を守らず、排除してきた。来週月曜日、団交と児童館包囲のデモを行う、参加を」と訴え、さらに「野宿者は占拠という形で命をながらえている。ナイキのために宮下公園を改装するということで、排除の代執行が行われた。怒り、反対の声を敵に正確に分からせるための行動を起こそう。私たちのための世の中をつくっていく」と呼びかけた。

 福島原発事故緊急会議の仲間が11月11日午後六時~七時半、再稼働をさせないための経産省包囲アクションへの参加呼びかけを行った。9月23日新宿デモで不当逮捕された園さんが逮捕に抗議するアピールと三年前の日比谷派遣村のような大衆的なアクションを反原発運動でも起こそうと訴えた。

 参加者は新宿駅をぐるりと回るデモを元気に行い、たくさんの行き交う人々にアピールした。このデモで逮捕者こそださなかったが、警察はデモ隊と同数の機動隊と私服公安警察を大量に配置し、デモを威嚇する不当な警備を行った。デモによる表現の自由を規制した。こうした憲法違反の警備こそ「法律違反」だ。闘いの発展は抑えようがない。より大衆的な広がりをつくろう!

(M)
 

Occupy Wall Street-ウォール街を占拠せよ ニューヨーク声明

全世界に強いインパクトを与えている「Occupy Wall Street-ウォール街を占拠せよ」運動のデモ参加者によって9月29日に採択された声明を翻訳して転載します。


▲10月1日のブルックリン橋占拠闘争と700人に対する大弾圧




ニューヨーク市民総会(フリーダム公園)の第一「公式」声明

[原文 "Declaration of the Occupation of New York City"
http://nycga.cc/2011/09/30/declaration-of-the-occupation-of-new-york-city/]



これは9月29日午後8時ごろに、「ウォールストリートを占拠せよ」の全メンバーの投票で、満場一致で採択された。これは私たちの最初の、公式発表用の文書である。私たちはこのほかに3つの声明を準備中であり、まもなく発表されるだろう。それは(1)諸要求の宣言、(2)連帯の原則、(3)あなたがた自身の「直接民主主義のための占拠グループ」を組織する方法についての文書である。



ニューヨーク市の占拠の宣言



私たちは、大きな不公正に対して感じていることを表現するために連帯して集まっているこの時、何が私たちを結集させたかを見失ってはならない。私たちは、世界の企業勢力によって不当な扱いを受けていると感じているすべての人々に、私たちがあなたがたの味方であることを知らせるためにこの声明を書いている。



団結した1つの人民として、私たちは、人類の未来がその構成員たちの相互協力を必要としており、私たちのシステムは私たちの権利を守らなければならず、そのシステムが腐敗している時には、それぞれの個人こそが自分たちや隣人たちの権利を守らなければならず、民主主義的政府の正当な権力は人民に由来するが、企業は誰に同意を求めることもなく人民や地球から富を簒奪しており、民主主義のプロセスが経済権力によって決定されている間はいかなる真の民主主義も実現不可能であるという現実を認識している。



私たちは、人民よりも自分たちの利益を、公正よりも利己的な関心を、平等よりも抑圧を優先するさまざまな企業が私たちの政府を動かしているこのとき、あなた方に呼びかけている。私たちは次のような事実を知らせるために、ここに平和的に集まっており、それは私たちの権利である。



あの人たちは違法な差し押さえ手続きによって私たちの住宅を奪った。もともとの抵当権など持っていないにもかかわらずである。



あの人たちは納税者のお金で救済され、免責され、今まで通り役員たちに法外なボーナスを与え続けている。



あの人たちは職場の中に、年齢、皮膚の色、性別やジェンダー・アイデンティティー、性的指向をもとにした不平等と差別を永続化してきた。



あの人たちは怠慢によって食糧供給を汚染し、独占化を通じて農業システムを崩壊させてきた。



あの人たちは人間以外の無数の動物たちを苦しめ、閉じ込め、虐待することによって利益を上げ、そのことを隠してきた。



あの人たちは従業員から、より有利な賃金やより安全な労働条件を求めて交渉する権利を奪おうとしつづけてきた。



あの人たちは学生を教育のための何万ドルもの借金に縛り付けてきた。教育は人権であるにも関わらずである。



あの人たちは継続的に労働者をアウトソーシング(外注化)し、それを梃子として労働者の健康保険や賃金を切り下げてきた。



あの人たちは企業に人民と同等の権利を与えるように裁判所に圧力をかけてきた。いかなる刑事責任も社会的責任も負わせることなしにである。



あの人たちは健康保険に関する契約を免れる方法を見つけるために、何百万ドルものお金を法律対策チームのために使っている。



あの人たちは私たちの個人情報を商品として売っている。



あの人たちは報道の自由を妨げるために軍隊や警察を使ってきた。



あの人たちは利益追求のために、生命を危険にさらすような欠陥製品のリコールを意図的に拒否してきた。



あの人たちは自分たちの政策が破滅的な結果をもたらし、現在ももたらし続けているにもかかわらず、いまだに経済政策を決定している。



あの人たちは自分たちを規制する立場にある政治家たちに巨額の献金をしてきた。



あの人たちは代替エネルギーへの移行を妨害し、私たちを引き続き石油に依存させようとしてきた。



あの人たちは人々の生命を救うことができるジェネリック薬の普及を妨害しつづけている。これまでの投資を守るためと言っているが、それらはすでに莫大な利益を上げている。



あの人たちは利益を守るために石油の漏出や、事故、不正経理、添加物を意図的に隠してきた。



あの人たちはメディアの支配を通じて意図的に人々に誤った情報と恐怖を植え付けている。



あの人たちは囚人を殺害するための民間契約を承認してきた。容疑についての重大な疑義が提示されている場合にさえである。



あの人たちは国内でも国外でも植民地主義を永続化してきた。



あの人たちは国外において、罪のない市民の拷問と殺害に関与してきた。



あの人たちは政府からの調達契約を獲得するために、大量破壊兵器を生産し続けている




(・・・私たちの不満はこれに尽きるものではない)



世界の人々へ



ウォールストリートのリバティー広場を占拠している私たち、ニューヨーク市民総会はあなた方に、あなた方の力を行使することを促す。



あなた方の平和的に集会を開く権利を行使し、公共の空間を占拠し、私たちが直面している問題に対処するプロセスを作り出し、すべての人々に届く全体的な解決策を作り出そう。



直接民主主義の精神において行動を起こし、グループを形成しているすべてのコミュニティーに対して、私たちは提供可能なあらゆる支援、文書、およびすべての資材を提供する。私たちと共に、声を上げよう!

【イギリスの暴動】イギリスの新自由主義は、自ら播いた種を刈り取っている

インターナショナル・ビューポイント オンラインマガジン : IV439 - August 2011

イギリスの新自由主義は、自ら播いた種を刈り取っている
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article2238


テリー・コンウェイ、ビリー・カーチス



 デービッド・キャメロンの保守党が主導する英国の連合政権の最初の一年は、緊縮政策、不平等の拡大、幾百万人もの人びとの急速な貧困化、メディア、警察、政治家たちの腐敗、公共サービスの破壊を特徴としている。その第二年目は大規模な産業労働者の行動、英国の諸都市の最も貧しい部分における、失うものをほとんど持たない人びとによる国家との公然たる激突を特徴とすることになる。8月初旬にイギリス全土で起きた暴動の持つ重大な意味がそこにある。
 
london's bunning 直接の原因は警察による二つの行為にあった。第一のものは、8月5日に起こった武装警察官によるマーク・ダガンの殺害と、その後の彼の家族への対応であった。警察は家族を訪問してマークの死を知らせることさえ怠ったのである。

 8月7日には、地域の警察署の外で正当な怒りに満ちたデモが行われた。警察は外に出て説明することすら拒否した。暴動を爆発させたのはこうした警察のやり方であり、その後の報道ではこうした事実は実質的に省かれてしまっている。この目撃証言がはっきりする中で、警察は16歳の少女を警棒で殴った。このビデオクリップは警察の行為の暴力性をはっきり表現するものである。こうした警察の攻撃が、地域社会の怒りの激発を引き起こすのは実質的に不可避だった。

 英国の他の地域からの報告も同様の事態が起こったことを物語っている。それぞれに違いはあってもテーマは共通している。たとえばロンドン東部のハックニーとウエストミッドランズのバーミンガムのように。

 一日中どんな時でも、若者たちが街頭にいるだけで止められて身体捜索を受けるという悪名高い権力行使が拡大している、と報告されている。それは黒人社会では深い憎悪の対象となっている。とりわけ全般的にターゲットになっている黒人の若者にとってそうだ。黒人は白人に比べて26倍もの頻度で停止を命じられ、身体捜索を受けている。

 いつもと違い、警察苦情処理独立委員会はマーク・ダガン事件について速やかな動きを見せた。独立委員会は、当初の弾道調査リポートによれば彼は警察官に発砲しなかったとする報告を8月9日に行い、警察は自衛のために行動したというメディアで広がっている噂をウソだと述べた。しかしこの事件に関して正義が実行されるだろうということに、誰も確信を持っていない。警察の手にかかった死亡事件については長い歴史があるが、一人の警官も起訴されたことがないのだ。

 警察への信頼の欠如が黒人コミュニティーの中でとりわけ強い――それには当然の物質的理由がある――中で、ここ数年の出来事が不穏な空気をさらに激化させてきた。2009年4月1日、ロンドンのG20抗議行動において、警察が新聞売り子のイアン・トムリンソンを殺した事件、昨年の学生デモで障がい者の学生活動家ジョディー・マッキンタイヤーが警棒で乱打された事件は、長きにわたって黒人コミュニティーに対して実行されてきたものの気付かれることのなかった警察の暴力のイメージを、多くの家庭にも知らせることになった。

 新自由主義の臆病者たちは、ねぐらに戻っている。マーク・ダガンが住んでいた地域であるハリンゲイでは、地区自治体当局の4100万ポンド(6700万米ドル)の支出カットは、地区の青年たちへの支援を荒廃させた。こうしたことは都心の低所得者地域のほとんどで共通のパターンである。若者への支援対策費はキャメロンの緊縮戦略で最初に打撃を受ける部門の一つである。同時に政府が、63万人の若者たちに一六歳以後も中等教育あるいはそれ以上の教育を受ける経済的可能性を与える教育手当を廃止したこと、そして大学生の授業料を三倍化したことは、不満、怒り、そして誰も若者世代に起きていることに配慮していないという感覚を増大させた。こうしたことは、ここ数日間にわたって爆発した圧力釜を作り出した諸要因の一部にすぎない。

 先月、トットナム(訳注:マーク・ダガン射殺事件が起きたロンドン北部の地区)選出の国会議員デービッド・ラミーは彼の選挙区で失業率が10%上がっている状況に対処する行動を政府に要求した。ここでは現在1万514人が職を探している。地域の住民はインタビューに答えて、20代後半の数千人もの人々が職を見つけられていないと語った。したがってデザイナーブランドもののスポーツウエアや携帯電話、高級なTVやMP3プレーヤーを売る店が、そうした商品を買うだけのカネを稼げないことを知っている人々によって略奪を受けたのは驚きではない。

 資本家は二つのことをいっしょにできない。彼らは一方でステータスや達成感を得るためにはそうした商品が必要だと語り、他方では、彼らが提供する職のほとんどは人々が生き延びるためだけの飢餓賃金しか払わない短期契約なのである。

 対照的に大金持ちは、その境遇にそれほどよい思い出を持っているわけではない。8月8日、高額所得者委員会は、フィナンシャルタイムズが発表する100銘柄株価指数に入っている企業の経営者たちの受け取る年間平均年金が約17万5000ポンド(28万5000米ドル)だと報告した。英国の平均年金はわずか5680ポンド(9550米ドル)であり、政府は勤労民衆をさらに貧しくすることを望んでいる。同時に彼らは年間15万ポンド(24万5000米ドル)以上の所得に課される50%の最高税率を支払う30万人の人びとに巨額のカネを引き渡そうと必死になっているのだ。ロンドン市長のボリス・ジョンソンは、そうした高率課税の廃止を呼びかけ、彼の大金持ちの親友であるジョージ・オズボーン蔵相はこの税制をやめてしまいたいと述べた。

 多くの人々が彼らこそ本当の略奪者であり、本物の犯罪者だと強調しているのは不思議なことではない。昨日の「ガーディアン」紙に掲載された一通の手紙は述べている。「暴徒たちは銀行家がこの国でやっていることを路上でやっているだけだ。銀行家と違い、暴徒たちが罰せられることは疑いないだろう」。

 労働党左派の国会議員ジョン・マクドネルは同じ紙面で書いている。「われわれは、あらゆる手段を通じてできるだけひったくるという倫理によって、グロテスクなまでに不平等な社会を作り出してきたこの30年間に播いた種を刈り取っているのだ。略奪者の社会は、国会議員とその経費、銀行家とそのボーナス、課税逃れの企業、嫌がらせを常とするジャーナリスト、わいろを受け取る警官、そして今や疎外された少年グループたちがチャンスをつかみ取っている状態を作り出したのだ……」。

 こうしたことは、JDスポーツから100ポンドのトレーナーを奪い取った十代の少年たちの心には浮かんでこなかったかもしれない。彼らが知っていることは、富と特権を持ち、その権力を幾百万人もの人びとを貧しいままにさせておくために使っている連中が向こうにいるということだ。暴動は破壊的な怒りと言葉にならない抗議の発作的表現だが、声を奪われた人びとが自らの主張を聞かせる方法の一つである。

 われわれは、マーク・ダガンの死以来、街頭で起きた出来事を、市民的自由をさらに押しつぶし、抗議の権利を攻撃するために利用しようとする試みに抵抗しなければならない。イギリス本土の街頭で以前よりもさらに広範に、警官に対してゴム弾が支給されている。われわれは、北アイルランドでその使用がいかに殺人的なものになり得たかを知っている。放水銃はここでは使用されたことはなかった。軍隊への導入は依然として論議中だが、通告後二四時間でいまや警察はそれを使用することができるようになる。

 「抵抗の連合」、そしてとりわけ「支出削減に反対する黒人活動家(BARAC)」などの支出削減に反対する組織が、自らの声を人々に伝え、この騒動の真の原因や、黒人コミュニティーに未来を与え、若者たちに新しい希望を与えるために実行することが必要な政策を語ることはきわめて積極的な意味を持つ。来るべき数カ月のうちに、労働組合やラディカル左派は彼らの主張を伝え、保守党―自民党連合政権の攻撃に対する巻き返しを開始しなければならない。



▼テリー・コンウェイは「インターナショナルビューポイント」の編集部員で「ソーシャリスト・レジスタンス」(第四インターナショナル・イギリス支部)の指導部。ビリー・カーチスはイギリスにおける「ソーシャリスト・レジスタンス」の支持者。

(「インターナショナルビューポイント」2011年8月号)

【フランス】NPA、大統領候補にフィリップ・プトゥー選出

npa

ブザンスノーを引きつぐ者は「労働者である候補者」


ダニエル・マンヴィエル


 5月28日の『リベラシオン』紙の「フィリップ・プトゥー 機械を再起動するための労働者」と題する、プトゥーについて書かれた記事の最後にはブトゥー自身の労働者代表の候補者ではなく、労働者である候補者だ」という彼自身の言葉で締めくくられている。同紙の別の記事には、こう書かれてあった。「問題の機械、それはNPA(反資本主義新党)である。この党は、週末に開催された全国協議会で『あらたな亀裂』を見せた、これは、おそらく、『活動家の資産』をすべて『浪費してしまった』NPAの二年間の過程の結果として『最後の亀裂』であろう。孤立を強いられていた社会運動とその政治的出口との仲介をその当時約束するであろうとされ、多くの人がその結成に託した希望をNPAはこの二年間の過程で無にしてしまった……」。

 同紙は、わが党を今日分岐させている民主的討論によって引き起こされた緊張を強調することに満足を見出したのであった。しかし、真の危機はNPAの内部にあるのではなくて、社会全体を揺り動かしている危機なのである。そして、この危機に直面して、活動家たちは、行動における党の統一を活性化させ、われわれを統一させている思想と綱領を掲げたいと望んでいる。フィリップは、この展望を具体的で信頼できるものとしてくれる。「労働者である候補者」として、彼は、下から、搾取され抑圧された人々に訴え、元気を取り戻し、自らの権利のために闘う必要に応える。この必要性は、オリビエ・ブザンスノーが来るべき大統領選に立候補しない選択を表明した手紙の中で語った点である。今まさに引継ぎはなされた。プトゥー自身が今回の出馬表明で仕事仲間から受けた最初の反応は、皆んな彼の言いたいことは分かったと口々に語ってくれたことであった。

 今回の立候補は、フィリップをよく知る人々にとっては意外なものではない。彼は、青年時代の最初から全生涯にわたってずっと活動家であり、社会の不正義に反対し、もう一つの人間関係、もうひとつの社会を目指す希望を抱いて決起してきた。庶民の家庭出身であり、父親は郵便労働者であったが、今では定年退職している。彼は、ボルドーの「労働者の闘争派」に加盟する前は、アナーキストを自称し、17歳の時から仲間とともに活動を始めた。その彼は、1997年3月に、ボルドーとルーアンの「労働者の闘争派」のほぼすべての活動家とともにこの派から除名される。その当時、「労働者の闘争派」指導部は、そのスポークス・パーソンのアルレット・ラギエが出した一連のアピールを通じて、新しい労働者党の建設を追求するとしていたからである。

 だが、「労働者の闘争派」指導部は、革命勢力派の建設、「労働者の闘争派」とLCRの統一という展望からすぐに後退して自分自身の中に閉じ込もってしまった。プトゥーとその仲間たちはこのアピールを真剣に受け取った。彼はこの時に、この統一の建設に参加し、この政策を追求する「労働者の声」グループの政治生活に参加した。2001年7月、「労働者の声」派とLCRの合同が実現された。その後、フィリップはNPA建設に参加し、新党のジロンド県の指導的メンバーとなった。

 フィリップの政治生活は、最初から社会的闘争と結びついていた。辛い臨時職の数年間を経て、彼は1996年にボルドー近郊、ブランクフォールにあるフォード工場に雇われた。そこで、自らの政治的闘いを否定することなく積極的な組合活動家となった。彼にとっては、社会的活動と政治的活動は密接不可分なのである。彼は、LCRの、その後はNPAのさまざまな選挙での候補者となり、とりわけ先の地域圏選挙ではアキテンヌ地域圏での共同候補者リストのトップに名を連ねた。それと並行して、彼はCGT(労働総同盟)フォード工場支部の書記として、この数年来この工場の労働者による工場閉鎖反対闘争のために活動し、そのためのさまざまなイニシアチブを発揮し、この闘争の永続的な結びつきを作り出して成功させ、他の労働者や他の左翼政治勢力や地区の団体の支持を取り付ける活動を展開してきた。

 そのとおりだ。フィリップは労働者である候補者であり、「社会運動の候補者」であり、政治を実践する労働者である。日常のそれぞれの闘いの機会と同様に、彼は、支配階級によって引き起こされた危機と対決し、もうひとつの展望を掲げるために、再度、われわれの党の内部はもちろんだが、それだけにとどまらずより広範な労働界の勢力や青年の勢力を結集することに貢献できると考えている。 『トゥテタヌー』(109号、2011年6月30日)

福島の住民を先頭に6.28東電株主総会に「脱原発」の訴え

kabu 6月28日、東京・芝公園内の「ザ・プリンス パークタワー」で東京電力の株主総会が開かれた。福島第一原発事故の大惨事を引き起こし、三カ月以上たっても「収束」の見込みどころか、核燃料の「メルトダウン」から「メルトスルー」へと至った現状を覆い隠し、放射能被害をさらに撒き散らし続けている東電経営陣に対する怒りは日増しに高まっている。

 この日の株主総会では、これまで最高だった昨年をさらに三倍近くも上回る9309人もの株主が参加した。会場では402人の株主による「新規原発の建設停止、老朽原発からの順次廃炉」という脱原発を求める議案が提案されるなど、東電経営陣の責任を追及し、脱原発を求める声が渦巻いた。

 会場入り口には、この日早朝四時に郡山をバスで出発し、東電株主総会に現地の声を届けに来た福島の仲間を先頭に、長蛇の列で会場に入る株主に「原発やめよう」の宣伝が繰り広げられた。株主の中には「原発に反対するなら電気を使うな」などと突っかかる人も見受けられたが、全体としては好意的な反応で、手を振ったり、うなずいたりして激励・共感の意思を示す人が多かった。

郡山の未来をつくる会の蛇石郁子さん(郡山市議)、滝田はるなさんらは「東京電力は福島県民の損害を全面的に賠償せよ」と題するチラシを株主に配り、「事故の収束、全原発の運転停止、廃炉推進」「子どもをはじめ県民の避難・移住費用の負担」「汚染された表土、瓦礫、汚泥等の撤去・搬出、大地、空気、水、生活環境の浄化」「農林漁業・事業収入、雇用・賃金喪失、健康被害への補償、恒久的な健康管理と医療保障」「猪苗代湖・尾瀬沼水利権の福島県への無償返還と布引高原風力発電電力の供給」を訴えた。福島の子どもたち、農民・市民の健康被害を訴える蛇石さんや滝田さんのアピールに人びとは聞き入った。
 
1989年に結成され、毎年の株主総会で脱原発の議案提案を行ってきた「脱原発・東電株主運動」の人びともリーフレットを配り、会場内外で訴えた。

東電株主総会は例年を倍以上の時間を要する六時間以上の長丁場の審議となり、「脱原発」を提案した議案には8%の賛成(昨年は5%)が寄せられた。東電の株主である福島県の南相馬市と白河市の二つの自治体も「脱原発」議案に賛成した。

原発推進に固執する電力資本の責任を問い、原発を断念させるためのさまざまな取り組みがさらに求められている。(K)

【イタリア】国民投票における民衆の勝利

イタリア国民投票についての翻訳を送ります。
ここでは脱原発よりも水道民営化反対の勝利の方に焦点が当てられています。
 


………………
インターナショナル・ビューポイント6月号 IV Online magazine : IV437 - June 2011


イタリア国民投票 われわれはラディカルな動員を通じてベルルスコーニを政治的に敗北させた

公共水道委員会万歳!
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article2182


 イタリアで、6月12日、13日に水道サービスの民営化容認法案撤廃、原子力エネルギーへの回帰容認規定と刑事司法手続き(とりわけ首相の起訴免除条項)の撤回をめぐる国民投票が行われた。登録有権者の五五%が投票し、国民投票結果を有効なものとする50%規定に到達した。以前の六回の国民投票はこ50%に達しなかったのである。水道、原子力などの国民投票課題に九五%、すなわち約2600万人が賛成投票した。ベルルスコーニが支配するメディアの報道は故意に関心を向けさせず、政府与党は有効投票基準を満たさないようにするために、支持者に対して反対票を投じるのではなく棄権するよう促したのであった。(「インターナショナルビューポイント」編集部)



批判的左翼(SC)全国執行委員会を代表したフラビア・ダンジェリとエミリアーノ・ビティの声明



 国民投票の結果は、政治情勢の歴史的転換を示している。民衆の投票はベルルスコーニの時代に終止符を打った。彼は自由市場政策のチャンピオンである。したがってこの結果は、民営化政策と「共同の財貨(コモン・グッド)」に対する市場の優位の敗北でもある。「われわれの生は利潤よちも価値がある」というスローガンは、本日のイタリア国民投票の結果において意義深いものがある。一つの局面が終わった。ベルルスコーニは国民投票を通じた民主主義的動員によって打ち負かされた。これは国民投票が直接民主主義の枠組み以上のものを提供した典型的なケースである。

 決定的な役割、そして幾つかの点で歴史的な役割を果たした、以前にはなかった政治的主体――公共水道委員会――の役割に焦点を当てることが重要である。かれらはメディアの注目からはずれたところで活動していたが、国民投票の引き金となるこれまでで最大の署名を集めた。この委員会は、水の配分を公共的に管理するための政治的要求に基づいたキャンペーンを専門的にかつ一貫して繰り広げた。

民主党(PD――主要な社会民主主義野党、旧イタリア共産党の後身である左翼民主党が中心になって作った政党)はかれらに反対した。民主党は、自分たちがすでに水道を民営化していた「赤い地域」(旧共産党の拠点だったボローニャなどを中心とした地方)の投票結果に示された鮮明なメッセージに耳を傾けなければならない。IDV(ディ・ピエトロが指導する「道徳的価値のイタリア党」)もまた公共水道委員会に反対した。

今日この二党は、投票結果に大喜びしている。しかし委員会を代表する者は誰もTV番組に招かれなかった。本日の勝利はかれら委員会の勝利である。TAV反対グループ(高速鉄道反対運動)のような、利潤とカネの圧倒的な力に反対してきた運動にとって、今日は偉大な日である。こうしたキャンペーンを統一した運動に結集させたあらゆるイニシアチブ――ゴミの廃棄・焼却、地方税、高速鉄道網に反対する運動――は喜んで受け入れられるべきであり、批判的左翼はその目標のために休むことなく活動するだろう。

この勝利は、伝統的、制度的諸政党の政治についてわれわれに教えてくれる。この闘いが勝利したのは民衆が大きく結集したためであり、そこには地域や職場で遂行された熱情的でラディカルな活動があり、そして活動家たちが特定の課題を取り上げ、戦略を打ち立てることができたためである。それはラディカルな要求が勝利しうることを立証した。エマ・マルセガグリア(イタリア産業連盟会長)や、原子力で大儲けし水道を民営化したいと願っていたすべての産業は、ベルルスコーニとともに敗北した。もちろんこの同じ連中が、今や再生可能エネルギー部門に参入しようとしている! 鮮明にラディカルで反資本主義的でエコロジカルな左翼は可能であり、その役割は民主党や中道左派勢力が描く軌道に従属したものであってはならない。

今やわれわれの戦略的な政治プロジェクトは大きな勢いを得ることになった。

(フラビア・ダンジェリはイタリア批判的左翼の指導部メンバーで全国スポークスパースンであり、第四インターナショナルの指導部メンバー。エミリアーノ・ビティはイタリア批判的左翼の指導部メンバー)



(「インターナショナルビューポイント」2011年6月号)
 

オリヴィエ・ブザンスノー、2012年大統領選に不出馬を表明

オリビエ・ブザンスノーは2012年選挙のNPA候補者にはならない
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article2147 
 

 さる5月2日、反資本主義新党(NPA)指導部は、その最も著名なスポークスパースンであるオリビエ・ブザンスノーが2012年の大統領選挙に党の候補者にはならないと知らされた。NPA創設の基礎を築いたのは、2002年と2007年におけるLCR(革命的共産主義者同盟、第四インターナショナル・フランス支部)によるオリビエの選挙運動が成功したことによるものだった。五月四日のNPA執行委員会の次の会議の後に、オリビエはNPA党員に次の書簡を送った。(「インターナショナルビューポイント」編集部)



 「諸君への最善の奉仕をする者は、諸君とともに自らの生活を送り、同じ苦しみを受ける人びとの中から諸君が選ぶ者だということを忘れてはならない。

 自分自身の利益だけを考える者は、つねに自らを不可欠の存在だと見なすようになってしまうのだが、諸君は大志を抱いた新参者のように挑戦しよう……。

 諸君の票を追い求めようとしない者を選べ。最も重要な徳とは謙虚さであり、有権者にとってそれは、自らの選んだ代表を認めることであり、人目を引くように振る舞わせることではない」。

 パリコミューン国民衛兵中央委員会のアピール 1871年3月25日
 
besacenot 同志諸君。

 私は2012年の大統領選挙において反資本主義新党の候補者にはならない。これは私が行った政治的決断である。そして私が本日、バトンを同志の一人に手渡すのだとしても、私はもはやわれわれのすべての闘争に参加するつもりはない、などと言うつもりはない。全く逆だ。むしろ私は、以前よりも私に刺激を与えている解放のプロジェクトに従って、新しい基盤の上にNPAが自らを確立する機会が存在していることを確信する。

 第一に私は、この機会をとらえて、この10年間にわたり私がスポークスパースンを務めてきた協同の活動に積極的に関わってきたNPA――ならびに前LCR――の人びとに感謝したい。ポスターを貼り、リーフレットを配り、集会を組織した地域支部のすべての同志たち(そしてわれわれを手を広げて歓迎してくれた人びと)に、2002年に、そして2007年にも立候補のための署名を集めてくれた人びと、議論、方針の作成、コミュニケーション、弾圧対策で活動した指導部の同志たち、皆さんすべてに私は感謝の言葉を述べたい。このチームは私に多くのことを教え、スポークスパースンになったことによるこの愉快な経験に多くの貢献を果たしてくれた。

 私は、われわれの思想と信条を広範な聴衆に伝えるために私のレベルで最善を尽くしてきた。そして私は、われわれの綱領を伝え、われわれの行動を促進し、われわれの得票を増大させるために活動し続けたいと強く思っている。NPAの活動家、そしてより全般的に言えば、世界を変えるために闘っているすべての人びとは、私の献身を当てにすることができる。 

 したがってこれは政治的決断なのであり、大きな驚きとすべきではない。私はこの数カ月間、過剰なまでに誇張された特定の個人の押し出しがもたらす政治的リスクについてわが党に警告してきた人びとのうちの一人だった。この考え方は特別な社会的・政治的状況の中で具体的な形をとった。一方で、公的代表制を通じて活動家の課題を委任――特別に時期を区切った委任――することは必要である。それは階級闘争における真の草の根からの行動の代用物としてメディアのゲームにうつつをぬかすこととは全くの別物である。

 われわれは、疎外・搾取・抑圧の社会を最終的に片付ける展望を擁護するために、職場で、闘争の場で、選挙の時も日々組織化を行っている。隷属の現代的形式からの解放は、必然的に現在のシステムとの決裂を意味する。この決裂は、政治への民衆の関与の拡大を前提としている。可能な時にはいつでも、明日になるまで革命的約束の沸騰を抑えるのではなく、この決別がいま、この場で推し進められなければならない。

 それはいま、この場ですべての名もなき市民に対し、自分の運命の所有者となるよう、倦まずたゆまずていねいに、われわれが呼びかけることを意味する。われわれがつねに民衆的諸階級に対し、そこでわれわれの生が実現される闘いの場からわれわれを引き離すために政治家たちが擁立したスピーカーたちと決別し、政治の場に飛び込むよう促しているのはそのためである。われわれが活動しているところではどこでも、この家屋資産、ビジネス、学校、大学、路上の市場への独自の破壊的なメッセージを選挙期間中の抗議の主張として、われわれは伝えている。このメッセージは、わが党の特徴を示すものであり、われわれは選挙上の一定の条件反射を理由にしてそれを曇らせてはならない。

 LCRが2002年の大統領選で、若い労働者、「郵便屋」を引き出すという大胆さを持った時、われわれはセンセーションを作り出した。われわれの現実のあり方――集団的手段であり、不均質なグループであるというあり方――を浮かび上がらせるような無名の候補者を次の選挙で立てることによって、再びセンセーションを巻き起こそうではないか。われわれには自分自身を表現する政治家は不要だということを示すこと、解決策を理解し、提案するために力を注ぐことは、進歩的な行為である。われわれは「安全運転」をすべきだと考えて自らを安心させることは、逆に他の人びとのものであるべき有害は保守的本能を生み出すことになる。しかしわれわれは、他の政党がするようには政治を認識しない。

 私の見解では、このような動きは擁護できない矛盾に分解する。その矛盾とは、一方では政治が市場調査の一形式となってしまうシステムを批判しながら、他方ではわれわれの運動と思想を儀式的議論の中にはめこむことで、われわれ自身を無意識のうちに伝統的政治の場に組み込むものである。この危険は、結果としてわれわれを、われわれ自身の戯画、さらにはシステムの失敗のアリバイにすら変形させてしまうのだ。

 皆さんすべてと同様に、これは私にとって個人的に耐えることのできない展望である。


私は、自分が一般大衆にとって伝統的政治家の一人であるように映るようになることを望まない。それは近年、われわれの立場に影響を与えてきたことである。私が郵便局での仕事を続けてきたこと――私が決して手放すことのない活動――は、合意された選挙の戦場やメディアに継続的に強制された力学に対抗する上で十分に強力な長期的予防血清ではない。2002年に政党政治に攻撃をかけるために闘いを始めた若い労働者は、不可避的に2007年には「仕事を続けながら政治をする」者となり、2012年にはおそらく「手短に政治をする」者となるだろう。

私は戦士であり、活動家であり、そうあり続けたいと望んでいる。この矛盾から私を解放することは、私が公的な場で、しかし異なったやり方でNPAの先頭を続けるための最善の保障である。

 そこで私は、私の選択がNPAを最終的に自己確立するための願いだと認識し、支持していただけるよう訴える。皆さん自身で、余り知られてはいないが、より意識的でより一貫した基盤の上に配置することを可能にする集団的アイデンティティーを再確立できる名前を見つけてほしい。現在のシステムとは明確に区別された革命的・国際主義的で、生き生きとしてオープンなプロジェクトを遂行する必要性に、いっそうの注意を払ってほしい。日常生活の全体的活動によりコンスタントに関わり、職場や住居の問題や青年たちの間での活動に恒常的に関与し、社会運動の活動的な抵抗ネットワーク――労働、反レイシズム、環境保護、フェミニズムなどなど――を主導すべきである。

 一年以内に大統領選挙が行われる。それはわれわれに対して、準備し、われわれの再建プロセスの中で2012年を大きなステップとするための時間を与えている。

 私は、自らを100%、わが党=NPAに投入し、そして私ができるかぎりの最善をつくしてわが候補者を支援する準備をしている。われわれが効果的に次期大統領選挙に介入することができるようにするためであり、そのためにわれわれは、自らを世界からこり離すのではなく、幾百万人の民衆にわれわれのメッセージを伝えなければならない。フランスの労働運動が経験している不確実性の時は、資本主義システムがこの三年以上にわたって直面しているグローバルな危機によって多くの場合引き起こされた不安定な政治情勢に暗い影を投げかけるべきではない。

 アラブ革命は一つのことを実証した。歴史の風は変化しており、急速に転換させることができる。
 

革命的あいさつを送る。

オリビエ



▼オリビエ・ブザンスノーは革命的共産主義者同盟(LCR、第四インターナショナル・フランス支部)が呼びかけて2009年に結成された反資本主義新党(NPA)の最も著名なスポークスパースン。彼は2002年、2007年の大統領選でLCRの候補者としてそれぞれ120万票(4.5%)、150万票(4.2%)を獲得した。
 

(「インターナショナルビューポイント」2011年5月号)

【アジ連3.26公開講座報告】~資本主義では生きられないョ!全員集合~

ajirenアジア連帯講座 3.26公開講座報告

「~資本主義では生きられないョ!全員集合~ 『資本論』から読み解く危機と失業青年に襲いかかる失業を跳ね返えそう!」

講師:森田成也さん(大学非常勤講師)

 

 3月26日、アジア連帯講座は、「~資本主義では生きられないョ!全員集合~ 『資本論』から読み解く危機と失業 青年に襲いかかる失業を跳ね返えそう!」というテーマで資本論研究の森田成也さん(大学非常勤講師)を講師に招き、公開講座を行った(コア・いけぶくろ)。著作に『資本と剰余価値の理論――マルクス剰余価値論の再構成』(作品社/2200円)、『価値と剰余価値の理論――続マルクス剰余価値論の再構成』(作品社/2200円)、翻訳にデヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』(作品社/2600円)、多数の翻訳などがある。

 森田さんは、「1、『資本論』から読み解く際の注意点/2、『資本論』1巻の「資本蓄積論」で読み解く失業/3、『資本論』第1巻の「資本蓄積論」の限界を超えての考察」について提起し、最後に「われわれは現代の問題を見て『資本論』に足りないもの、あるいは萌芽的なものはあるが十分には展開されていない部分を見つけ出して、それを『資本論』の精神、マルクスの精神にのっとって理論そのものを発展させていくことが必要である」と述べ、資本論との格闘姿勢を強調した。以下、講演要旨を掲載する。

 『資本論』から読み解く危機と失業

森田成也(大学非常勤講師)@豊島区民センター(2011.3.26)

はじめに

 今日のテーマは「『資本論』から読み解く危機と失業」となっているが、実を言うと、「危機」という問題について曲がりなりにもお話するには、『資本論』全巻にプラスして、さらに『資本論』のいわゆる後半体系(国家、外国貿易、世界市場)というところまで話を展開させなくてはならない。だが、これはちょっと今日の限られた時間の中ではとうてい無理なので、「危機」よりも「失業」の話、すなわち『資本論』の用語で言えば「相対的過剰人口」の話に限定して、それを『資本論』第1巻の資本蓄積論との関係でお話したい。

 

  1、『資本論』から読み解く際の注意点

 

 2008年に世界金融恐慌が起こり、金融資本主義的な路線が誰の目にも明らかな形で破綻した。その後、経済危機を解明していくツールの1つとしてマルクスや『資本論』に対する興味が復活していった。それ以前にすでに新自由主義とグローバリゼーションのせいで不平等と貧困が世界的に顕著となり、それとの関連でもマルクスに対する興味が復活していた。だから2009年頃からこの日本でもいくつかの出版社が争ってマルクス関連本を出版しだした(ただしその多くは安直な単なる便乗本だったのだが)。

 

  『資本論』は完成された書物ではない

 しかし、気をつけなければならないのは、『資本論』は完成された書物ではないということだ。マルクスの生前に出版されたのは、『資本論』の第1巻(初版1867年)だけ。第2、第3巻はいくつかの草稿という形で残され、エンゲルスが10年以上かけて苦労して、ようやくそれらの草稿をつなぎあわせて第2、第3巻を出版した。

 ならばこの第1巻は完成された書物なのかというと、そこも大いに疑問だ。マルクスは最初の草稿である『経済学批判要綱』と呼ばれているものを書いてから、何度も草稿を書いて最終的に『資本論』を書いた。この間は約10年だ。初版から2版にかけてもかなり書き直している。フランス語に翻訳する際にも自ら念入りに手を入れている。大筋の論理は変わっていないが、別の著作とも言えるぐらい細部に至るまで書き直している(現在われわれが読んでいる第4版はフランス語版からかなり文章を取り入れている)。このように何度も書き直しを繰り返したことからしても、第1巻を完成された書物とみなすことはできない。もしマルクスがもっと長生きしていたとすれば、さらに書き直した可能性があるからだ。

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