虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

反独裁

【シリア】革命から見た情景


エジプトでのシリア民衆連帯デモ

シリアの革命的マルクス主義者の立場からのシリア情勢分析です。

……………
 
シリア――革命から見た情景
 

モニフ・ムルヘム



 本稿は二〇一二年二月二一日に書き上げられ、シリア革命的左翼潮流のアラビア語機関誌に掲載されたものである。



 シリアにおいて、自由と尊厳のために立ち上がった民衆と、四〇年間にわたりこの国に重圧を強いてきた抑圧的独裁体制との衝突が始まった。シリアをめぐる対立は一九四六年の独立以来やむことがなかった。

シリアの現在、あるいはシリア・アラブ共和国(訳注1)という国家が、二〇世紀の初めにサイクス・ピコ協定(訳注2)でイギリスとフランスが分割した「大シリア」の残り物でしかないことを思い起こすだけで十分である。シリアと近隣諸国(レバノン、イラク、パレスチナ、ヨルダン)との関係のもつれ、そしてシリアへの影響力をめぐるエジプトとサウジのライバル関係は、それ以来ずっと続いている。帝国主義の構想と同盟関係はそうした関係を封じ込めたものであり、その最も有名なものはアイゼンハワー計画とバグダッド条約(訳注3)であった。こうした目論見はこの一〇年間、とりわけ米国のイラク侵攻後のテヘラン―ダマスカス枢軸の登場と、核開発計画を口実とした米国のイラン包囲の願望で強まった。

現実には、外国の介入あるいは不介入は、西側諸国の利害、そしてその国内的・地域的・国際的諸条件にのみ依存したものである。現在こうしたタイプの策謀にとって、諸条件は有利なものではない。シリア人たちの意見は、かれら西側諸国の関心を最もひかない問題である。かれらにとって介入する上でだれかの同意など必要ないのであり、かれらがそうしたい時には、もっともくだらない事柄であっても十分な正統性と口実を見つけることになるだろう。結局のところシリア政府の立場、その態度、そして革命のその時点での発展局面におけるシリアの状況が、軍事介入の条件と口実をつくる多くの諸要素――実際には唯一の要素――となるのだ。



シリアの反対派



 シリア民衆が決起し、政権が革命に対して開始した残虐きわまる弾圧――それは全方向で拡大し幾千人もの死者と幾万人もの逮捕者をもたらした――に直面してから数カ月後に、シリア国民評議会が設立された。国民評議会は多くの政治的・宗教的潮流とリベラルな潮流から形成され、政治的潮流が明らかに優位を占めていた。民衆運動はこのイニシアティブを歓迎し、評議会への支持を表明した。それは評議会の憲章に書かれた言葉やその内部的構造に同意したからではなく、早いうちに、すべての潮流を代表する構造の内部で、運動により勢いと力をつけ、支持を広げるために団結し、闘争を集中化することが必要だったからである。

 しかし国民評議会は、民衆運動を支え、活性化し、統一するための努力を方向づけるのではなく、そこから目をそむけてしまった。影響力のある国際的パワーの方に身を転じ、リビアの経験から示唆を引き出すことを求めて――リビアとの相違と対照性を考慮することなく――幻想の取引に身をゆだねてしまったのである。

 繰り返し要求された「緩衝地帯の設置にいたるまでの飛行禁止」からはじまり、さらに自由シリア軍に関するためらいがちの立場や、市民の保護と安全なルート確保の要求を通じて、国民評議会は革命への具体的な方針を提起できないことを立証してしまった。

 国民評議会の形成に伴って、もう一つの反政府グループである全国調整委員会が設立された。この組織は、三〇年以上にわたり弾圧と迫害を受けてきた、政権に反対する諸政党や個人を結集したものだった。しかしこの組織は、革命の各段階において大衆が達成したレベルにまで到達しなかった。全国調整委員会はその創設の段階から、政権の打倒に集中するのではなく、外国からの軍事的介入に焦点を合わせてきた――軍事的介入という問題はこれまでどこからも提起されてこなかったし、今も提起されていないにもかかわらず。

この組織は、政権と闘うよりも全国評議会との衝突に多くの関心を抱いてきたように思える。実際のところ、全国調整委員会の言説は、街頭での反乱ではなく、恐れおののき、ためらい、沈黙するというタイプに属するシリア人たちの表現だった。



共産主義者と革命



 シリアの政治的舞台は、伝統的(スターリニスト)共産党以外の他の共産党が存在しなかったという点で、他のアラブ諸国と異なっていた。伝統的共産党は一九二〇年代に創設され、一九七〇年代初頭までその統一を維持していた。その後、この党は分解・亀裂を開始し、二〇〇〇年代初頭までに四つの党が誕生した。

そのうち三つはモスクワへの忠誠を続け、支配政党である「バース党戦線」に参加したり、外部から政権の経済政策へのきわめておずおずとした批判を定式化したりするなど、独裁体制の付属物となってしまった。革命の勃発後、かれらの活動家や支持者の一部は指導部との合意のないままに民衆運動に参加したものの、ラディカルな変革の要求を理解しなかった。

この分裂から生まれ四番目の党は、一九七〇年代半ば以後は政権との距離をとり、反対派に参加して、それ以後の数十年間、弾圧と迫害に身をさらすことになった。二〇〇〇年代になって、この党は民主人民党と呼ばれるリベラル派の政党になり、現在はシリア国民評議会の一部である。

一九七〇年代末に、共産主義行動党(CAP)と呼ばれる新しい共産主義政党が設立された。この党はその隊列の中に革命的スターリニスト潮流や、さらにはトロツキスト潮流さえ含んでいた(訳注4)。体制打倒という問題が一九七九年以後提起され、この党は打ち続く弾圧と迫害の波と連続的な逮捕にさらされた。そのため一九九〇年代初頭までに、同党は政治的・組織的なマヒ状態に陥った。

二〇〇〇年代初頭、指導部の一部が獄中から釈放され(その中には一七年以上投獄されていた者もいた)、CAPの名前が再び聞かれるようになった。同党は、分裂と、リベラリズムからスターリニズムを経由した革命的関与にまで広がるイデオロギー的転換を経験している。党員の一部は党の再建と、共産主義的伝統に源流を持つ別の組織との連合を形成する――マルクス主義左翼の再編――ことができた。それは現在、全国調整委員会の構成要素の一つとなっている。革命と民衆運動の登場の中で、幾つかの左翼組織も出現したが、それらは行動力と影響力の点で限定されたものにとどまっている。



自由シリア軍



 政権の側の弾圧のひどさと殺人犯罪にもかかわらず、民衆運動はその最初の数カ月間、平和的に展開された。デモ参加者が時に武器に訴えることがあったとしても、それは治安機構の残酷な殺人行為によって挑発された個人的行動であり、運動の指導者による統制が可能だった。

 治安部隊は、平和的な革命家の殺害を正当化し、自分たちは「武装集団」に対処しているのだと世論に信じ込ませるために、民衆の運動を武装させる策謀を行った。そのためにかれらは二つのプロセスに依拠した。第一は、武器商人と治安部隊の間のコネクションを通じて、市民が安価な軽火器を手に入れるのを促したことである。第二は、民衆運動にとってははるかに危険なことだが、指導部を一掃することによる市民の平和な運動の首の切断、デモ中の殺害、牢獄での処刑、指導者の拘留などである。

 こうしたことにより、新しい指導者たちは、殺害や終わりのない不当な強要行為を犯した治安部隊との武装衝突にいっそう傾くようになっていった。海外からの諸要素が武装闘争的方法を尻押ししたりすることがなければ、あるいは軍の隊伍内でますます目立つようになった脱走行為――それは自由シリア軍の創設をもたらした――がなければ、運動が平和的で市民的なものであり続けることも可能だったかもしれない。

 自由シリア軍の部隊と司令官は、いかなる反抗や集団的不服従も不可能にされていたアサドの父の時代に形作られた。かれらに割り当てられた役割――政権を守るための民衆的抗議行動への弾圧、あらゆる残虐な弾圧形態の行使、民衆への差別――に直面したシリア軍の一部の要素は、可能な場合には武器を取って反乱する以外の選択肢はなかった。そしてそれはしばしば起こったのである。

 もしそうした軍隊内の反乱が脱走(その数は、最も楽観的な見積もりによっても数千人を超えるものではなかった)という形のままで止まっていたならば、自由シリア軍は政権にとって危険なものにはなり得なかっただろう。しかし自由シリア軍部隊の根幹は新たに形成された文民部隊であり、かれらは革命への興奮の外側から部隊に参加した者であるか、デモに参加したことで治安部隊の追跡を受けた者である。自由シリア軍への市民志願兵のほとんどは、周辺化された社会階層の出身である。

 自由シリア軍の規模は、現在数万人と見積もられており、今や政権側は自らの軍への信頼を日々失っており、その部隊をより信頼に値する要素、すなわちその一部は治安機構に全面的に従属した部隊によって軍部隊を強化しなければならなくなっていることを強調すべきである。われわれは、革命への同調という推測によって投獄されている軍人の数が数千人に上り、その多くは士官であることも明らかにすべきである。この事実は、政府軍の動員の規模やモラルについての状況がどうなっているかを教えてくれる。

 経済的利益によって政権に結びついている社会階層は、次第にそこから離れつつある。一部の者は国際的経済封鎖の強化とともに船を乗り移り、別の一部は片足を政権の側に乗せ、もう一方の足を革命の側に乗せている。早晩、政権は最も親密な顧客と弾圧装置のみに頼ることになるだろう。これらは、正規軍部隊というより、その構造からして私兵に類似した機構である。政権側が「サムソン・オプション」(訳注5)を行うことになれば、こうした機構は革命にとっての一つの問題となりうる。

 自由軍による危険性も残ったままである。しかし自由軍が外部のパワーによって支持され、武装化されることになれば、それは体制の打倒にあたって効果的な役割を果たすだろう。



政権は防衛のために攻撃を仕掛けている



 この間、都市や村落で行われている軍事作戦は、革命を抑え込むための攻勢のように見える。しかし現実には、政権は毎日のように革命の火が新しい都市や地域(ダマスカス、アレッポ)に広がっているのを見ており、革命が最初に起こった地域(ホムス、デラア、ハマ)でその闘いを窒息させ、新たに革命に結集した地域に脅しをかけ、体制維持への可能性についての確信が揺らいできた政権支持者たちの士気を高めようと願っているのである。それはまた、同盟国(とりわけロシア)との交渉期間中に手持ちのカードを保持するためのものである。二〇一二年二月一九日に行われた中国外務次官との会談での、シリアを脅かす内戦と分離に関するアサド大統領の言葉は、その最初のサインにすぎない。

 今や、シリア革命がルビコン川を渡ったこと、後戻りはできないことを、われわれは見ることができる。四〇年以上にわたってシリアを支配してきた政権は、終わりを迎えつつある。いつ、そしていかにして終わるのか。この問いに正確に答えるのは難しい。アサド政権と同じ性格を持ったあれこれの政権が、その崩壊という点では観察者たちを驚かせてきたからである(シャーのイラン、東欧)。

 革命とその将来にとってのもう一つの危険は、シリアが大国間の影響力と利害をめぐる闘いの地域に変わってしまうことだ。私の意見では、周囲の環境はそのようなものではない。米国が、とりわけイスラエルの利害にそって、政権を破壊するためではなくシリアを破壊するために、紛争を永続化することを熱心に願う政策を取っているにもかかわらず、少なくともロシアはそうではない。シリアの反対派が理解し、阻止すべきなのはこの点である。なぜなら政権の打倒はシリア民衆の諸勢力によってなされるべきだからである。これこそ最短の道――いかに長かろうとも――であり、シリアの情勢の代価が国際的諸勢力のバザールにおいて高騰していたとしても、これこそ最もコストのかからない道だからである。



▼モニフ・ムレヘムは一九八一年に逮捕されてから一五年以上をアサド一家独裁政権の監獄で過ごしたシリアの革命的マルクス主義者。彼は共産主義行動党の党員だった。



訳注1;シリアの正式名称

訳注2:オスマン・トルコ帝国の分割をめぐってイギリスのサイクスとフランスのピコの二人の特使により一九一六年に結ばれた秘密協定。この協定によって現在のシリアはフランスの勢力圏に、現在のイラクはイギリスの勢力圏とされた。

訳注3:一九五五年、ソ連の影響力に対抗するためにイギリス、トルコ、イラク、イラン、パキスタンが結んだ安全保障条約。米国はオブザーバー参加。中東条約機構(CENTO)の別名。

訳注4:一九九一年に開催された第四インターナショナル第一三回世界大会では、シリア共産主義行動党の活動家からのアピールが紹介された。

訳注5:多くのものを道連れにして自分も滅びること。旧約聖書士師記で、捕えられた豪力の英雄サムソンが縛りつけられた神殿の柱を引き倒し、自分も周りの者も瓦礫の中で命を失ったという故事に由来する。

(「インターナショナルビューポイント」二〇一二年六月号)
 

北朝鮮「人工衛星」打ち上げ問題をどう見るか

0,,15830398_401,00 迷走する北朝鮮、戦闘態勢の自衛隊
 
 二月二九日、米国と朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)両国は、北朝鮮が寧変でのウラン濃縮活動、核実験、長距離ミサイル発射を一時停止して、寧辺の核施設に国際原子力機関(IAEA)要員を受け入れるとともに、米国は北朝鮮への食糧支援を行うと表明した。さらに三月七日、八日の両日、米国が北朝鮮に栄養補助食品など二四万トンを提供する方法をめぐって、米朝両政府代表による協議が北京で行われ、合意に達した。三月一二日には、ニューヨークに滞在中の北朝鮮の核問題をめぐる六者協議における北朝鮮側首席代表の李容浩(リヨンホ)外務次官が、ウラン濃縮活動の一時停止に伴ってIAEA代表の受け入れが近いうちに行われる、と言明した。

 こうした動きは、北朝鮮の金正恩新体制が「米朝協議」を進めながら、深刻極まる食糧事情を改善し、「強盛大国の大門を開く」年と位置づけられた二〇一二年の最大イベントである四月一三日の最高人民会議、四月一五日の「金日成生誕一〇〇年式典」、そして朝鮮労働者党一四回大会を経て、自らを打ち固めるための基盤づくりと目されていた。国際的にも孤立を深め、国内的にもどん詰まりの飢餓状況からの脱却を、米朝協議を通じて図ろうとする外交と考えられたのである。



 しかし、三月一六日、朝鮮中央通信が四月一二日から一六日の間に「人工衛星を搭載したロケットを打ち上げる」と発表したことで一転して緊張が高まった。朝鮮中央通信によれば、それは、地球観測衛星「光明星3号」を運搬ロケット「銀河3号」に搭載し、北朝鮮西部の「西海衛星発射場」から南方に向けて打ち上げるもので、「平和的な宇宙利用」である、と強調している。北朝鮮が国際海事機関(IMO)に事前通報した情報によればロケットの一段目は韓国西方沖、二弾目はフィリピン東方沖に落下する予定となっている。

 日米韓政府は、この北朝鮮による「衛星」発射予告を批判し、北朝鮮への圧力を共同で行使することを確認した。韓国政府は「二〇〇九年の国連安保理事会決議では、北朝鮮の弾道ミサイル技術を使ったすべての発射が禁じられている」と指摘し、今回の行為は「明確な安保理決議違反」と非難した。米国政府も「重大な挑発」と北朝鮮に抗議し、米朝協議で確認した食糧支援準備を中断した。中国やロシアもまた、北朝鮮に「人工衛星ロケット」発射の中止を促すための外交的圧力をかけている。ソウルで三月末に開催された「核サミット」は、北朝鮮の「ロケット発射」を阻止するための外交的舞台になった。

 こうした国際的反発は、当然、北朝鮮にとっては織り込み済みである。北朝鮮は「平和的な宇宙利用の権利を否定し、自主権を侵害する卑劣な行為」と海外からの圧力を非難する一方で、「人工衛星」を海外の専門家や記者にも公開すると述べ、IAEAに対して監視員の派遣を改めて要請している。

 米韓両国は、こうした中で、韓国東部の浦項で、「北朝鮮有事」を想定した、一九八九年の米韓合同軍事演習以来最大規模の合同上陸訓練を三月二九日から開始した。そして野田政権は米韓両国と歩調を合わせながら、二〇〇九年の北朝鮮ロケット発射時と同様に、三月三〇日に安全保障会議を開催し、「弾道ミサイル破壊措置命令」を発動した。この命令によって、防衛省をイージス艦を沖縄周辺の東シナ海に二隻、日本海に一隻、そして地対空誘導弾パトリオット3(PAC3)を首都圏三カ所(朝霞、市ヶ谷、習志野)と沖縄本島の二カ所(那覇市、南城市)と宮古島、石垣島に配備した。さらに石垣、宮古、与那国島には陸上自衛隊の救援部隊を派遣した。

 この弾道ミサイル防衛体制は米軍横田基地内に置かれた「日米共同調整所」を通じて、日米共同の作戦として展開されることになる。まさに実戦体制が敷かれているのである。沖縄へのPAC3配備、石垣、宮古、与那国への陸自部隊の投入は、新防衛大綱で示された米軍のアジア・太平洋戦略の一環としての自衛隊の南西重視戦略の格好の実験場となっている。



 米朝協議を通じて「ウラン濃縮」・核実験の一時停止、IAEA復帰に応じる一方で、各国からの非難と孤立化を招くことを十二分に承知した上で「人工衛星発射」=ミサイル実験に踏み切ろうとする北朝鮮・金正恩体制の姿勢を、どのように捉えるべきだろうか。

北朝鮮は一方で、金正日体制が招き寄せた国際的孤立化と経済的・社会的危機からの脱出の糸口を手繰り寄せなければならない。他方で、金正恩継承体制の確立のためには、金日成・金正日・金正恩三代体制の「正統性」を根拠づけなければならない。

四月の「人工衛星発射」は、金正日が死去する直前の昨年一二月一五日に北朝鮮の当局者によって米国側に伝達されていたことであり、金総書記の「遺訓」を「一寸の譲歩も一寸の抜かりもなく徹底的に貫徹する」と宣言している金正恩にとっては、やめるわけにはいかなったのだとも報じられている(毎日新聞、三月二四日夕刊)。金正恩が父・正日の遺志を実行できなかったのだとすれば、彼の「継承体制」の正統性が危機に瀕するからである。

かりに北朝鮮の体制が「ゆるやかな方向転換」を求めようとしても、「三代継承」体制の正統化の枠組みに縛られた金正恩体制は、内部から転換することはきわめて困難である。こうして強力な指導力を欠いたまま、支離滅裂で混乱した政策が今日の北朝鮮を支配することになる。「ハンドルとブレーキが故障したまま、坂を駆け下りる車」という韓国・柳佑益(リュウイク)統一相の北朝鮮への評価(朝日新聞、三月三一日)は、おそらく正しいだろう。しかしそれとともに、公式の発表の裏側にある、北朝鮮側の「政策転換」へのサインも見すごすべきではない。

われわれは、民衆の苦しみと飢餓をよそに、ただ特権的支配層の残虐きわまる独裁支配体制を維持しようとするためだけに行われる「人工衛星」発射という膨大な浪費を厳しく批判しなければならない。

そして同時に北朝鮮の民衆と真に連帯しようとするためには、こうしたロケット発射を絶好の口実にして「北朝鮮の脅威」を煽り、米日・米韓の軍事的同盟体制の実戦化に踏み込もうとする動きにきっぱりと反対することが必要である。

朝鮮半島の緊張緩和と東アジアの平和の実現は、日本帝国主義の朝鮮半島の侵略・植民地支配の真の清算に基づく日朝国交交渉の再開のための闘いによってこそなしとげられるのだ。

(四月一日、K)

【リビア情勢】フランスNPAのコミュニケ

npa lybieフランスの反資本主義新党(NPA)の、リビア情勢に関するコミュニケを転載する。

NATOを通じてリビアに軍を派兵している当事国の左翼の態度表明として、読まれてほしい。





コミュニケ

民衆に自己決定権を 帝国主義とアラブ独裁体制の介入を許すな
 http://www.npa2009.org/content/communiqu%C3%A9-du-npa-kadhafi-tomb%C3%A9-aux-populations-de-d%C3%A9cider

反資本主義新党(NPA)
 

 (チュニジアの)ベン・アリと(エジプトの)ムバラクが倒された後の2月15日と16日、今度は、42年間にわたる時代遅れの独裁体制に反対する民衆の運動の発展が見られることとなったリビアの番であった。

 カダフィの反撃としての残忍な弾圧の中で、自らの解放を要求する暴動の口火となったのはベンガジでの一人の人権活動家の逮捕であった。

 弾圧によって生み出されたのは逆効果であった。抵抗、カダフィの代理人たちのくびきからのベンガジの解放、反乱の近隣都市への拡大、が発展した。

 チュニジアとエジプトの革命的過程もこうした苦難を潜り抜けたのであり、両国の革命的過程は弾圧への抵抗に勇気を与えたのだった。

 この六ヵ月間、反乱が発展したが、同時に、反乱から一ヵ月後に、国連決議という覆いのもとで、NATO諸国が空からの軍事介入を通じて進行中のこの過程を自らのものにしたいと考えた。NPA(反資本主義新党)はこの介入を弾劾する。その目的は明白である。それは、過去と現在にわたって、この独裁体制を最後まで自らが支持してきたという事実を忘れさせるためであり、石油と天然ガスの資源が豊かなこの国を支配するためである。

 独裁体制の崩壊は人民にとってはよい知らせである。NPAは、アラブ地域で継続している革命的過程に全面的に連帯している。この過程を完成させるには、人民は反革命の二つの顔を打ち破らなければならない。反革命の一つはシリアのアサド体制をはじめとするアラブの独裁体制であり、もう一つは帝国主義大国による民衆の運命を奪い取ろうとする試みである。

 リビア民衆に切り開かれたのは新しい生活である。自由、民主的諸権利、天然資源によってもたらされる富を人民の基本的必要を満たすことに使うこと。こうしたことが日程にのぼっている。



  2011年8月21日

リビア:きわめて重大な疑問 リビアの反乱勢力とは何者か?

リビア:きわめて重大な疑問 リビアの反乱勢力とは何者か?
「デモクラシー・ナウ」がジルベール・アシュカルにインタビュー


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▲アシュカル(右)にインタビューするエイミー・グットマン

番組映像は
Democracy Now!のサイトでみられます
日本語サマリーは
Democracy Now!日本語版でみられます


 リビアの反乱勢力はムアンマー・カダフィ大佐の住宅地区を確保し、首都トリポリを掌握した。しかしリビアの指導者(カダフィ)の行方は知れず、カダフィは彼の部隊が「勝利か死か」をかけて「総力で攻撃に立ち向かう」と誓った。トリポリからの報道では、数十人の海外のジャーナリストたちが重武装したカダフィ派の兵士に監視されて、離れることができないままでいるリクソスホテルの近辺の地域では、銃声がなお聞こえているとのことである。八月二三日、アラブ連盟は、数カ月前にカダフィ政権から奪った連盟の議席をリビアの反乱勢力に与えることを今週中に考えると述べた。

 今日(八月二四日)英国の国家安全保障協議会は、リビア国民評議会を財政的に支援するためにリビアの資産凍結を解除を討議する会議を行った。「デモクラシー・ナウ」(訳注:米国のパシフィカ・ラジオ・ネットワークの報道番組。企業メディアが取り上げない独立した報道を配信している)のエイミー・グッドマンが、ロンドンの東方・アフリカ研究スクール教授のジルベール・アシュカルと討論した。(「インターナショナル・ビューポイント」編集部)


エイミー・グッドマン(以下AG) ……ここでロンドンの東方・アフリカ研究スクールの教授であるジルベール・アシュカルに加わってもらいましょう。彼には『アラブとホロコースト:アラブ・イスラエル戦争のナラティブ』など多くの著作があります。先週彼はリビアにおけるNATOの役割についての長文のエッセイ(NATO’s “Conspiracy” against the Libyan Revolution――リビア革命に敵対するNATOの「陰謀」)を発表しました。


 アシュカル教授、「デモクラシー・ナウ」にようこそ。現在リビアで何が起きているか話していただけますか。


ジルベール・アシュカル(以下GA) ハロー、エイミー。あなたとお話しできて光栄です。


 いまリビアで何が起きているかについては、あなたが話した通りです。私もあなた以上のニュースを知っているわけではありません。しかし基本的には、反乱勢力がカダフィを捕え、親カダフィ派の都市、あるいは親カダフィ派勢力が支配している都市を鎮圧するまでは、戦闘は継続します。そしてニュースから知るかぎり、かれらは平和的にそれを行うためにカダフィ派の都市の住民と集中的な交渉をしています。私は、反乱派がシルト(訳注:リビア中部のカダフィ派の勢力が強い都市)を支配下においたと彼らのスポークスパースンが語っているのを、さっき聞いたところです。まだはっきりしたことはわかりません。


AG あなたが書いた文章のタイトルは「リビア革命に敵対するNATOの『陰謀』」です。説明していただけませんか。


GA もちろん「陰謀」はカッコつきです。陰謀が存在すると言っている人の文章から引用したからです。しかし重要な点は陰謀ではありません。それは実際にはNATOの介入の当初から展開されてきた公然たる計略です。それが長期的な介入の展望として現れた時点から、この計略はある意味において、カダフィ政権と反乱勢力とのなんらかの合意を取り付けようと試みながら、この情勢、戦争が、結論にまで陥ることのないように構想されていました。つい最近までそうだったのです。


 数週間前、リビアについての青写真を作成するために作られた英国主導のNATOチームは、イラクのようになるという強迫観念がある、と主張していました。イラクに侵攻したとき、ブッシュ政権はサダム・フセインのバース党国家を解体しました。そして通常、西側の情報源では、イラク侵攻が惨劇になってしまった原因の多くを、この最初の行動のせいにしています。したがってNATOの強迫観念とは、リビアで同様の状態になることを避け、カダフィ政権と反乱勢力双方の有力者間の交渉をすることでした。


 数日前まで、たとえば「フィナンシャルタイムズ」の論説は、反乱派はトリポリを攻撃すべきではないと言っていました。その口実は、流血の惨事になるから、ということです。もちろんこうしたことは起こりませんでした。しかしトリポリを攻撃せず、トリポリとの関係を断たないという考え方は、いつでも存在していました。そしてそれをつまずかせ、起こらなくさせたのはカダフィ自身の強情さによるものでした。反乱派にとってカダフィが公的地位にとどまるのを受け入れる余地はなく、カダフィも退陣を受け入れる余地はなかったからです。

AG ジルベール・アシュカルさん。反乱派とはどういう人たちなのですか。


GA 反乱派とはどういう人たちか、ですって? そうですね、これはとてつもなくむずかしい質問です。NATOのサークルの間でさえ、同じ質問が出されるでしょう。事実はと言えば、もちろんのこと私たちは国民評議会については知っていますが、この評議会のすべてのメンバーを知っているわけではないし、トリポリをふくむ残余の地域を代表するために新メンバーが発表されるでしょうから、知識といっても限定されたものでしかありえません。その上にリベラル派、前体制のメンバー、部族やこの国のもともとの構成要素を代表する伝統的な人びとの混合物をここで見出すことになるでしょう。

 

 私たちが本当に判断できるものは、この評議会によって提出された綱領です。私たちが持っている政治的綱領という観点からすれば、国民評議会の綱領は民主主義的移行のための青写真のようなものです。彼らは選挙を組織することを約束しており、それは現実には二つのラウンドからなっています。第一は憲法を起草する制憲議会のためのものであり、そして選挙の第二ラウンドは憲法に基づいて最終的に政府を選ぶものです。彼らはある約束をしているのですが、それについては本当のところ私は懐疑的です。その約束とは、現在の国民評議会、すなわち伝統的国民評議会の全メンバーは、この二つのラウンドの選挙には加わらないというものです。これもどうなるか分かりません。


 国民評議会の現内閣が代表する経済的綱領のレベルでは、リビアの新自由主義的改革を指揮することにおいてカダフィの下ですでに同じ役割を果たしてきた人々が見いだされます。したがってこの点でなんら変わった独自なものを期待できません。つまりこれは社会主義革命ではないということです。この点で、なんらかの幻想を抱いてきた人がいるとは思いません。


 しかし、闘う民衆という点から反乱派のことを考えるならば、日曜日(八月二一日)の夜に、トリポリの以前は「緑の広場」――実際には虐殺者広場なのですが――と呼ばれた場所に集まった巨大な数の蜂起する民衆は完全に不均質な広がりを示しており、こうした人々の圧倒的大多数は、今や武器を携えている者を含めて、それ以前の政治的背景を全く持っていません。つまり、反乱に立ち上がった武器を携えた民衆のほとんどは市民だったのです。彼らは兵士ではありません。こうした人々のほとんどは、四二年間の独裁体制によって真の政治生活を経験しておらず、政治的に表現することがきわめて困難です。私たちは、この国の政治闘争が真にスタートした時に何が起きるかを見守る必要があります。それは、独裁体制が倒された二つの国、チュニジアとエジプトで私たちが見ている政治闘争の進行と同様です。


AG NATOは他でもないこの反乱派(国民評議会)と協働することを、どのようにして選んだのでしょうか。


GA 多くの選択肢があるわけではありません。世界の多くの国が国民評議会を承認し、人々が「しかし評議会は選ばれたわけではない」と言うのを聞いた時にです。実際、どうして選ばれることなどできたでしょうか。これは武装蜂起的情勢なのであり、そのように対処しているのです。彼らはこの国を永続的に統治すると主張しているわけではありません。彼らは当初から、自ら暫定的・過渡的存在であると言ってきました。彼らは、選挙を組織し、退場すると言っています。そして私が先ほど言及したように、すべての国民評議会のメンバーは次の二ラウンドの選挙に立候補しないとさえ述べています。したがってリビアにおいて当面のところ、カダフィに代わるものとしては国民評議会以外にありません。


 政治的にこれからなにが起きるかはまだ分かりません。つまりそれはエジプトで言われていることと同様です。エジプトではムバラクが倒されましたが、誰が権力を取ったのでしょうか。つまり軍隊です。そして実際のところ、いまリビアで起きているのはエジプトで起きたよりもさらにラディカルな体制変革なのです。なぜならエジプトでは、取り除かれた氷山の一角であるムバラクとその一党を別にすれば、基本的に依然として軍部が支配しており、軍隊は一九五〇年代以来政権のバックボーンでした。他方現在のリビアでは、反乱勢力には旧体制の前構成員がいますが、旧体制の構造は、カダフィの軍隊からして私的な民兵や「近衛兵」だったのであり、それは粉々に崩壊しています。いまだ完全に終わったとは言えないまでも、トリポリにおいてそれがいかに崩壊したかは私たちが見てきたところです。


AG 「デモクラシー・ナウ」は昨日、「インスティチュート・フォー・ポリシー・スタディーズ」(政策研究所)のフィリス・ベニスの話を聞きました。彼女は、西側諸国によるリビアの石油支配が、この紛争の決定的要素だと述べました。


フィリス・ベニス それは単に石油へのアクセスにかかわる問題ではありません。それはグローバル市場にかかわる問題です。それがこの問題の一部なのです。それは石油へのコントロールにかかわる事柄なのです。それはこうした契約期間のコントロールにかかわる問題なのです。それはさまざまな時期の産出量、価格のコントロールにかかわる問題です。それは死活的資源のコントロールという問題です。


AG そこで私たちは、さまざまな石油企業――フランスのトタール、米国のマラソン、ヘス、コノコフィリップスなど――について議論しました。石油企業はたくさんあります。そして興味深いのは、リビアの反カダフィ派政権がロイター通信とのインタビューで、中国の企業をふくめてカダフィ政権時代に認められたすべての石油契約を尊重すると述べていることです。アシュカルさん、あなたの意見は?


GA そうですね。NATOの介入において石油が大きな要因であったこと、リビアが石油産出国でなかったらNATOは介入などしなかっただろうことは全く明らかです。それは明白です。さてここでの問題は、あなたがおっしゃったように西側がアクセスしていない一定の領域へのアクセスを実現するということではありません。基本的にあらゆる西側の企業がリビアに入り込んでいました。すべての主要な西側の石油企業は、リビアの政権と契約を結んでいたのです。そして暫定政権である国民評議会は、すべての諸国とのこうした契約を尊重すると語っています。基本的に言って、このレベルにおいてはそれが大きな成果だとは言えません。もちろん、新しい譲歩や契約が行われることになれば、国民評議会が言うように、交渉で特権を得るのは最初から反乱勢力を支持してきた諸国でしょう。


 しかし私は来るべき市場の方がもっと大事だと思います。大規模な破壊があり、多くのインフラの再建の必要があります。そしてもちろん米国、英国、フランスをはじめとする西側の企業は、この市場に大いに関心があるのです。したがってもちろん、NATOの介入の背後には優遇措置、それによる利潤動機があったのであり、基本的にそれ以外のものはありませんでした。


 しかしこうしたことと、今やNATOがリビアを支配しているという確信の間には、とても大きな隔たりがあります。つまりNATOはイラクやアフガニスタンのような諸国に地上軍を送り、イラクでは長期間にわたって大規模な軍を送りこんだのですが、彼らは依然としてこの国を支配しえていないからです。したがってそれなら、NATOや西側諸国はいかにして地上軍を送らず、遠隔操作でリビアを支配するのでしょうか。そして米国のシンクタンクである外交問題評議会のリチャード・ハースのような人物がワシントンに対して地上部隊を送れと語っている、いや叫んでいるのはそのためです。


 しかしこれは最初から反乱勢力によって厳しく拒否されました。反カダフィ派は空の支配を求めました。彼らは空からの保護を求めました。しかし彼らはあらゆる形態の地上軍の介入に対しては初めから頑強に拒否してきました。そして彼らは依然としてこの立場に重きを置いています。彼らはごく最近、NATOがリビアにいかなる基地を建設することも許さない、とする声明さえも発表しています。


 そして私たちは多くのサインを見ることができます。たとえば彼らは、カダフィと彼の息子を国際刑事裁判所に引き渡すことを拒否し、リビア国内で裁くと言っています。したがっていかにワシントンやロンドンやパリが主張しようとも、リビア情勢を動かす彼らの影響力には重大な限界があることをそれは示しています。西側は、カダフィの勢力が存在し、戦争が継続している限り、より限定されたものだとはいえ影響力を持っています。しかしカダフィ派の抵抗が消滅するやいなや、西側が持っている影響力はきわめて削減されることになるでしょう。


AG アシュカルさん、私たちとおつきあいしていただき、ありがとうございました。


▼ジルベール・アシュカルの邦訳書には『野蛮の衝突』(作品社)、『中東の永続的動乱』(柘植書房新社)がある。

(「デモクラシー・ナウ、二〇一一年八月二四日より。「インターナショナルビューポイント」二〇一一年八月号)

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中国:化学工場の撤去を求める数万人の抗議行動が勝利

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 抗議の市民であふれる大連市庁舎前広場(8/14)

中国・東北地方の沿海都市、遼寧省大連市で、危険な化学工場の操業の即時中止を求めた市民の大規模な抗議行動が勝利した。

大連市庁舎前広場に集まった数万人の市民は、さまざまな工夫を凝らした抗議グッズで吸い込むと人体に影響の出るパラキシレン(PX)工場の危険性を訴えた。最終的に大連市のトップにあたる大連市共産党委員会の唐軍書記が、警察車両の上から集まった市民に、工場の即時停止と移転を約束した。


だが、工場移転の具体的な時期については明らかにされておらず、夜間まで広場で抗議行動を続けた市民に対して大量の武装警察が暴力的な排除行動に出た。経済発展著しい中国ではこの間各地で公害や環境破壊をめぐる市民や農民、先住民族らの闘いが展開されている。世界最大の二酸化炭素排出国となった中国。環境と労働者を破壊しながら製造されている商品は、日本をはじめ世界中に輸出されている。国境を貫く階級的連帯を!

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 大連市庁舎前広場へ向かう市民のデモ隊列(8/14)

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事件の経過はこうだ。環境都市として有名な遼寧省大連市の郊外にある大連福佳大化石油化工パラキシレン(PX)工場から、吸い込むと人体に影響の出るPXが、接近していた台風の影響で漏出した疑いが強まったという情報がインターネット上に書き込まれた。


8月8日、接近した台風が、PXタンクのある港の防波堤を破壊し、その影響でPXタンクも倒壊した。事故を知って駆け付けた中央テレビの記者たちは、復旧作業中の作業員に取材を妨害されたうえ、殴られて追い払われた。その後、警察の調べで、この作業員はPX工場のトップから「記者を入れたらただでは済まさないぞ」と脅かされていたこと明らかにした。


これら一連の経過における頑なな取材拒否に疑問を感じたメディアが事件を報道した。その後、インターネットなどでも市民らが、異臭が工場周辺に漂い、工場の労働者たちが避難をしているなどの情報を流し始めた。また工場敷地内で薬品を収めた容器設備が転倒しているのを目撃した市民等も、雨が降っているにもかかわらず異臭がどんどん強くなる、などの情報を提供し、市民に外出しないよう呼び掛けた。またその他の地区の住民からも、異臭が広範囲に漂っていることなどの情報が寄せられた。


その後、インターネットで、8月14日の日曜日のPX工場の操業停止と移転を求める抗議行動が呼びかけられ、それに呼応して大連市庁舎前に集まった市民は1万人以上に上った。

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 大連市庁舎前広場に集まる市民たち(8/14)

このPX工場は、中国最大級のPXプロジェクトであり、前任の大連のトップが政治的に誘致したものでもあることから、市民の間では、一部の指導者の政治的・経済的利益のために安全がないがしろにされるのではないかという不安が高まった。また当初放映する予定であったこの事件に関する取材報道も急遽放送が中止されたり、このPX工場の新規プロジェクトが環境アセスなど必要な手続きをする前から関連当局から許認可を得ていたなどの報道がインターネットメディアで流れたりしたことも、市民の不安を高めたことから、8月14日の大規模な抗議行動に発展した。


今回の抗議行動では、(1)PX工場プロジェクトの即時停止、(2)今回の事件に関する報道の自由、(3)工場撤退期限の明確化、(4)責任者の処罰という4つを勝ち取ることが目標であった。大連市のトップの唐軍・大連市共産党委員会書記は、自ら警察車輌のうえに乗り、プロジェクトの即時中止を集まった数万人の市民に約束した。最初の二つの要求は勝ち取られたが、市民らの「撤去の時期は?」の声には応えなかった。それどころか、「解散しなければ酷い目に遭うぞ」という恫喝まで行い、夜まで広場に残った市民らは十数台のトラックに満載されて動員された武装警察が暴力で排除した。

その日の夜に書き込まれたインターネットの書き込みはこう記している。

「何とか無事に家に帰って来た。一帯どうなっているのか状況はわからないが、四発の催涙弾のようなものが打ち込まれたのをこの目で見た。前方から『警察が殴り始めた、血が流れている』といって人が逃げてきた。何人かが捕まり、たくさんの人がその場で警察に包囲された。ニュースなどでよく見る被災地支援に行くような幌付きのトラックがそこに向かって……。みんな大連以外のところから駆けつけた特殊警察といっていた。」


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 暴力的排除に乗り出す武装警察(8/14夜)

中国では、近年、労働問題、環境問題、農地問題、住宅問題、人権問題、民族問題など、さまざまな課題で大衆的抗議行動が増加傾向にある。2010年は18万件もの集団的事件(騒乱)が発生している。2008年は12万7千件、2006年には9万件だった。それに対応するかのように、中国における治安維持関連の政府予算も増加の一方をたどっている。中国政府公表の予算によると、2011年の治安維持関連支出は6244億元(約7兆7400億円)。全体の6.23%を占め、前年比13.8%。一方、国防費は6011億元(約7兆4600億円)を抜いた。街頭鎮圧部隊とともに、莫大な予算をインターネット監視取締システムに注ぎ、民衆の声を圧殺する「警察国家」の姿が垣間見える。

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 大連市内を警備する武装警察部隊(8/14)

PX工場に関しては、2007年6月に福建省のアモイ市でも大規模な市民の抗議行動によって、台湾資本のPX工場を撤退させた経験がある。今回の大連での闘争はそれを模倣したとも言われている。抵抗は途切れることなく、経験を蓄積しながら継続している。注目を!


(H)

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マレーシア:人民こそが英雄だ!そして闘争は続く

人民こそが英雄だ!そして闘争は続く

勾留されていたマレーシア社会主義党の全員を奪還

 

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「ピープルパワーは勝利する!」奪還集会で気勢を上げる保釈された6人のPSMメンバー

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29日夕方、最後まで拘束されていた6人のマレーシア社会主義党(PSM)のメンバー全員が釈放された。クアラルンプール・スランゴール華人会館でその日の晩に予定されていた抗議集会は奪還勝利集会に変わった。集まった400人の支援者は保釈された6人を歓呼して迎えた。

 

釈放されたPSMの国会議員でもあるジェヤクマルは支持者にこう語った。「政府はますます人々の支持を失っています。キャンドル集会やハンストでの抗議など、皆さんが政府に圧力を加えてくれた。そうでなければこんなに早く釈放されることは無かったでしょう。」

 

同じく釈放された別のPSM中央委員はこう語った。「釈放された6人が英雄なのではない。みなさんが、そして79日に街頭に繰り出した人民こそがこの国の英雄なのです。」

 

奪還勝利集会は、PSMの党旗とインターナショナルの合唱の中でクライマックスを迎えた。

 

この集会には、1957年の独立以来、政権にしがみついてきた統一マレー国民組織を批判し、79日の街頭行動を呼びかけたクリーンで公正な選挙を要求する運動体「BERSIH 2.0」の代表や人権団体「人民の声」の代表らも参加し、6人の釈放を祝福した。79日の闘争では「BERSIH 2.0」の呼びかけに応え全国から2万人が首都クアラルンプールに集まり選挙制度の改革を訴え、警官隊が暴力的に弾圧を行い、1600人が逮捕された。PSMは「BERSIH 2.0」には加盟していないが、協力関係を維持しながら同デモの参加を呼びかけていた。

 

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公正な選挙を求める人々2万人が集まった7月9日のクアラルンプール集会

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のアルチェルバン書記長は今回の弾圧でも民衆が防衛的になることはなかったと語る。「今回の弾圧に対して多くの支持者がカンパを寄せてくれました。政府は『緊急事態法』を使って弾圧しましたが、多くの人はその弾圧を恐れることは無かったのです。これは極めて重要なことです。不正の無い選挙を要求する79日の街頭行動に何万人もが集まったことがその何よりの証です。」

 

6人を含む30名のPSMメンバーは、6月末に「もうたくさんだ!与党連合・国民戦線は退陣せよ!」のキャンペーンを展開中に、「王政との戦争、共産主義イデオロギー再生の試み」の容疑で逮捕された。そのうちの24名は10日間の勾留の後、保釈・起訴されている。

 

今回釈放された6名も83日に起訴された。容疑は共に、1966年制定の「社団条例」と1960年制定の「国家保安令」に違反して、非合法組織の反政府的な文書を所持・配布した、というものである。裁判所は、30人まとめて10月中旬に審理を行うと告げた。裁判所前では20名のPSMの支持者が支援行動を行った。

 

625日の不当な弾圧以降、マレーシア警察は、「PSMが元首に宣戦した」「PSMはマラヤ共産党の復活をもくろんでいる」「PSMは海外の特務機関と通じて政府転覆をもくろんでいる」「PMSBERSIH 2.0の中心的組織である」などとデマを振りまいてきた。PSMはマレーシア警察の正副の警視総監はデマの責任を取り辞職すべきである、と要求している。

 

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これまでの情報

マレーシア社会主義者への大弾圧を許すな

クアラルンプールの弾圧:自由・公正な選挙制度求める市民の運動に恐怖する支配者

マレーシア社会主義者への大弾圧を許すな

m(画像は6月初めに行われたマレーシア社会主義党の大会の様子)

以下の緊急アピールは、マレーシア社会主義党に対して6月25日に行われた大弾圧(「王制との闘い、共産主義イデオロギーの復活」を禁じた刑法一二二条違反)に抗議して発せられたものである。マレーシア社会主義党は、この間大きく成長してきた戦闘的で国際主義的な社会主義政党であり、前回の国会議員選挙では二人の当選を勝ち取った。マレーシア社会党への弾圧に対して、香港、フィリピン、インドネシア、パキスタン、スリランカなどアジアの同志たちとともに、日本革命的共産主義者同盟(JRCL)と国際主義労働者全国協議会(NCIW)もこの弾圧に抗議する声明を連名で送った。フランスNPA(反資本主義新党)からも抗議声明が出されている。(K)

 
マレーシア社会主義者への大弾圧を許すな
 
マレーシア社会主義党(PSM)



 2011年6月28日



未成年者二人をふくむマレーシア社会主義党(PSM)の活動家30人が、刑法122条(王制との「戦争」、共産主義イデオロギー再生の試み)によって検挙され、表現の自由を行使したという理由で七日間の勾留延長を受けた。この条項によって起訴されればかれらは保釈を認められない。

 PSMのグループは6月25日にペナン島のケパラ・バタスで逮捕された。かれらはPSMが6月24日から26日まで行っている「ウダッラー・ベルサララー」(もうたくさんだ、退陣の時だ)国民覚せいキャンペーンを知らせるために人びとにチラシを配っていたところだった。

 PSMが共産主義を復活させようとしているというニュースは、PSMの活動家を乗せていたバスの中で左翼指導者に共通のTシャツが見つかったということに基づいている。PSMが共産主義を復活させようとしているというニュースは、地域すべての主流派メディアが語る物語であり、想像上の敵への恐怖感を作り出すことを意味している。それは活動家弾圧のためにかつて共通に使われた戦術だった。

 逮捕された人びとの中にはPSM全国議長M・サラスワシやPSMの国会議員ジェイアクマル・デバライもふくまれている。(以下逮捕された30人の名が記されているが省略)

 PSMは、われわれの活動を国王への戦争や、旧マラヤ共産党の復活と結び付けようとしている政府の告訴を非難する。この見え透いたウソが、6月24日から26日まで行われたPSMの「もうたくさんだ、退陣の時だ」全国覚せいキャンペーンに対して使われている。無条件に釈放されると考えられていた活動家たちは、「国王への戦争」にかかわる刑法122条の下で七日間の勾留延長を受けた。

 警察の声明と現政権によるPSM活動家への告発は、根拠がなく、矛盾に満ち、政治的な動機に発するものである。したがってPSMは政府に対し、このナンセンスな行為をやめ、勾留された活動家を釈放し、この無根拠な告訴に対して謝罪するよう要求する。

 PSMは、共産主義の指導者をイメージさせるTシャツを発見したというだけの理由でPSMを「共産主義者」と結び付けようとする政府を、むしろ笑うべき存在だと感じている。こうしたTシャツはきわめて公然と売られており、いかなる問題もなく誰もが買うことができるのだ。さらにマレーシア政府は、中国、キューバ、ベトナムや他の多くの諸国の共産党と政治的・外交的関係を結んでいる。

 さらに、マレーシア政府は1989年にMCP(マラヤ共産党)と平和協定を結び、ラシド・マイディン、スリアニ・ダン・アブドゥラなどの古参の共産党指導者は、「マレー国王陛下」スルタン・アスラン・シャーへの忠誠を誓って謁見を許されたのである。かくしてポスト冷戦期において共産主義の妖怪を連れ戻すことは、民衆の間に恐怖を引きこんで権力にしがみつき、厳罰主義的な国内治安法の適用を正当化しようとするUMNO―BN(統一マレー国民組織―国民戦線)体制の絶望的な動きである。

 PSMは、合法的活動を行い、よく知られた、人気のある公認政党である。PSMはつねにPKMM、API、AWAS、そしてMCP(マラヤ共産党)などの左翼政党が独立闘争において果たした貢献を認識してきた。PSMがこうした左翼諸政党を認めてきたことは、わが党がMCPの復活を試みているという狭い解釈にとどまることを許すものではない。

 UMNO―BN体制によるメディア支配は、この告訴を7月9日に予定されているベルシフ2・0集会(訳注:民主主義、自由で公正な選挙を求めてクワラルンプールで呼びかけられている行進)から人びとを遠ざけるためものとして浮かび上がらせている。「もうたくさんだ、退陣の時だ」BN(国民戦線)運動は、ベルシフ2・0集会とは関係ないが、PSMはベルシフ2・0集会を支持している。しかし警察はベルシフ2・0集会をやめさせるために両者につながりがあるかのように見せつけている。

 PSMは、PSMに敵対する行為が、警察によって系統的に計画されたものであることを知っている。それは大きなはずみをつけ、民衆からの大衆的支持を得ているベルシフ2・0集会を阻止するための大規模な弾圧を行い、政府が国内治安法の発動を正当化するために「敵対的」環境を作り出す意図をもってなされている。

 PSMに対する警察の行為は、労働者と民衆の権利のためにわれわれが闘い続けることを阻止できない。

 われわれは地域的・国際的連帯を求めている。現在PSMは国内で唯一の社会主義大衆運動であり、われわれはこの大きな闘いを継続するだろう。

 社会主義万歳!

 PSM万歳!



S・アルチェブラン(PSM全国書記長)
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