虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

反排除

【報告】8月11日、貧しい人々の存在を覆い隠すな・亀戸デモ

P8118699 8月11日、公園のリニューアルの陰で貧しい人々の存在を覆い隠すな・亀戸デモが行われた。 10時から亀戸駅近くの文泉公園で行われた集会では、山谷労働者福祉会館の仲間が発言した。同日、8月11日、竪川河川敷公園のB工区に五渡庭園という日本庭園がオープンしたが、それに伴って8月6日には公園に鋼板フェンスが設置され、公園内の通行が遮断され、野宿の仲間のテントが隔離される形となった。
 
 公園の改修は地域住民のためとされてきたが、改修されたB工区(五渡庭園)は全ての入り口に鉄製のゲートが設置され、朝10時から、夕方4時までしか開けないとの事で、公園の他のエリアも夜間は閉じるという。工事が終了したのに公園の封鎖は解かれていないのだ。
 
 野宿の人たちを排除するために公園の改修が行われている。差別の鋼板を撤去して公園封鎖を止めろと訴えた。
 
 6日の鋼板フェンス設置を受けての緊急の呼びかけにも関わらず、40人の仲間が結集し、亀戸一周のデモに出発した。デモ中にはこの日のために用意したビラを沿道で撒いたが、注目度は高く、次々と受け取られていく。
 
 解散地では三鷹や、立川など遠方より駆けつけてくれた仲間の発言を受け、亀戸駅に移動し、情宣を行った。
 
 午後からは月1回行っている「竪川カフェ」今回は先月好評だった南條直子「山谷への回廊」写真展をもう一度行った。ゲストは七十年代に山谷の活動に関わっていたという救援連絡センターの宇賀神さん。
 
 仲間たちが交流していると、五渡庭園を見に行った仲間が戻ってきて「コイが死んでるぞ!」と報告。この日は開園の式典があり、子供たちによるコイの放流があって、数百匹のコイが庭園の中の池に放流されたが、それがほとんど死んでしまっており、放流した子供たちがショックで泣いているという。
 
 かつて水道屋さんで働いていた仲間によると、打ち立てのコンクリートの池にすぐに魚などを放流しては死んでしまうという事だ。その仲間の見立てによると浄水施設も、「ありゃ、かなり業者にボラレてるな。」との事である。
 
 五渡庭園を夜間封鎖する事の根拠を江東区土木部は「コイがいるから」としていたのであるが、そのコイが死んでしまったのだ。逆に言うと公園を封鎖するためにはこの日にコイを池に入れる必要があったのだ。
 
 竪川河川敷公園は首都高小松川線の下に河川を暗渠にして埋め立てた約4キロに及ぶ細長い公園で、地域住民の通勤通学路であり、散歩道となっていた。それがスカイツリーに来た海外の観光客を呼び込もうと、グロテスクな、まるで「昔のアメリカ映画に出てきたトンデモな日本」のような日本庭園へと改修された姿はあまりにも痛々しいだけではなく、地域住民のニーズにも全く合致していないはずだ。
 
 そして、仲間たちが今まで利用していた五の橋の脇にあるトイレ(野宿の仲間が毎日清掃していた)も秋以降に3ヶ月かけて改修工事が行われる予定であるという。
 
 江東区とは6月以降3回にわたって話し合いが続けられ今も続いているが、区は野宿者排除の姿勢を全く崩していない。

(板)

【報告】美竹公園、渋谷区地下駐車場からの野宿者排除を許さない 7.7緊急デモ

P7077692 七月七日、渋谷で野宿者の排除に反対する緊急デモが行われ、約百二十名が参加した。


 デモに先立ち、午後五時から宮下公園の原宿側で行われた集会では、まず、渋谷のじれんの仲間が発言にたち、六月十一日、渋谷区が美竹公園、区役所地下駐車場、区庁舎前トイレの三カ所を封鎖した、のじれんが毎週土曜日に共同炊事を行っている美竹公園、聖公会野宿者支援活動・渋谷が毎週金曜日に炊き出しを行っている渋谷区地下駐車場という野宿者へ炊き出しの場所を奪い取るという挙に出た渋谷区を激しく批判した。


 美竹公園では区が二年前の宮下公園と同じく行政代執行の手続きに入っており、代執行を行う前に弁明の機会を与えるという弁明機会通知書を、これも二年前と同じく区役所内にこっそりと掲示しており、これはさすがに批判の声が大きく、後になって美竹公園の仲間に渡された。


 渋谷では「渋谷ヒカリエ」が開業するなど都市再開発の動きが進んでおり、東急グループと、東京都が中心になって、二年後には大掛かりな工事も始まる予定であるという。


 のじれんの仲間は「今日は七夕ですが、織り姫と彦星は天の川で分断されていた、我々持たざる者は分断を突破して闘おう!。」と発言を結び、会場は微妙な拍手に包まれた。


 続いて二年前に宮下公園から排除され、今回美竹公園からの排除に直面している仲間が「出来る限り、抵抗したいと思います。」と力強く決意表明した。


 続いて聖公会野宿者支援活動・渋谷の仲間が発言。区の地下駐車場は「ちかちゅう」と呼ばれ、二十年ぐらい前から、役所の業務の終わった夜六時半から朝の五時半ぐらいまで野宿の仲間が寝る事の出来る貴重な場所であった。聖公会は七年半ほど前より、毎週金曜日に炊き出しを行っており、二年前に排除の動きがあった時には仲間とともに抵抗して撤回させた。


 今回は朝五時半にみんなが起きて、掃除をして出て行った後にこっそりと誰も知らないうちに封鎖が行われた。経理課長は「元々寝ては行けない場所なので、寝ている人にいう必要はない。」と発言したという。「こんな事が許されて良いのか!」と訴えた。


 地下駐車場で寝ていた仲間は、「こんな毎日雨が降っている時に、狙い撃ちにしたように追い出しをするなんて。」と声を詰まらせた。


 続いて連帯発言として、みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会、山谷労働者福祉会館、竪川の仲間、夜回り三鷹が発言し、デモに出発。区役所前、美竹公園を通り、神宮通り公園まで雨の中を力一杯デモを行った。


 終了後はのじれんは宮下公園で共同炊事を行った。七月十一日には渋谷区に抗議申し入れ行動が行われる予定。(正午、区庁舎・時計塔集合)          (板)

報告 3月4日、竪川・春のビンボー祭り

tate1 3月4日、江東区によって封鎖されている竪川河川敷公園多目的広場において、竪川・春のビンボー祭りが行われ、のべ150人ほどの人が参加した。祭りに先立ってはチンドン・チームが駅前ビラをまきながら駅前まで練り歩き地域に祭りを宣伝。 


 12時に開会式が行われ、実行委員会の仲間よりこの間の経過が説明された。6年間に渡って仲間たちの生活空間を守ってきた闘い、そして昨年末に江東区が五の橋のたもとに対して行政代執行の手続きに入って以降、工事の終わったA工区への引っ越し、1月27日の江東区土木部による公園封鎖、そして2月8日、五の橋に残っていたAさんへの行政代執行による強制排除、救急車に乗せられて連れ去られたAさんは病院を出た後、雪の降り始めた路上に放置された、にも関わらず区はAさんは生活保護を取ったと、うその発表を行った。そして翌日、区へと抗議行動に行った仲間が逮捕される。


 区は公園を封鎖している理由を「利用者の安全」のためだとしているが、危険な事は何もない、暴力を行使しているのは区の方だ。と発言を締めくくった。


 そして、竪川の仲間の「これより開催します!」との宣言で祭りが始まった。


 はずは牛スジのスープと炊きたてのご飯で腹ごしらえ。その後、各地から集まった参加者がマイクを握って発言、地元で20年以上活動する江東区に夜間中学を作る会、経産省前テントからは2名がギターを持って参加し、イムジン河の替え歌で福島への思いを歌う、続いて山谷争議団の仲間が3月11日に福島出の反原発集会に参加しようと呼びかけた。模索舎からは本の屋台の出店。


 ディストピア東京は東京都安全安心条例による「不振者狩り」状況に対して問題提起。2・9竪川弾圧救援会は逮捕された仲間が保護房に入れられ、食事の際にもハシなども使えずにいた事、そして逮捕理由の器物破損ではなく、威力業務妨害で起訴された事を報告、裁判闘争への支援を訴えた。


 祭りのメインイベントは餅つき、子供連れの人も多く、盛り上がる。


 ここでブースの紹介、竪川と連帯する関西有志の仲間はチヂミを出店「長居公園味です」、持たざる者の仲間はTシャツの店を、あすじゃの仲間は揚げたてのえびせん、フリーター全般労組は労働相談、ロカ・キッチンはケーキの店を。


 渋谷のじれん、三多摩野宿者ネットワーク、荒川堀切の仲間、甘酒の店を出したカミイカ・ナイト、代々木公園テント村と参加者は実に多彩であった。


 ステージではモンゴルの独特の発声を使っての歌、荒川の野宿者Kさんの歌、プロの歌手・魅酒健太郎さんなど多彩な出演者。映像ブースではこの間の竪川の反排除の闘いが流されている。


 祭りの最後はテントは命の砦と書かれた神輿を担いで会場を練り歩き一日を締めくくった。


 6年間に渡って仲間たちの生活空間を守ってきた竪川の闘いは、きわめて厳しい局面にたたされている。公園の封鎖は今も続き、仲間たちの話し合いの要求に対しても、区は一方的に排除を迫っている。行政代執行の危機は未だ去ってはいない。


 東京スカイツリーの開業を控えてその周辺の墨田区、江東区などでは野宿者のテントや排除や、炊き出しへの圧力が強まっている中、竪川の闘いはその流れにあらがう象徴的な闘いとなっている。


 竪川への再度の行政代執行を許さない闘いに支援を。


(板)

報告 2月25日、竪川デモ

tate2 二月二十五日、竪川河川敷公園の野宿者排除に反対する亀戸一周デモが行われた。


十一時から亀戸駅近くの文泉公園で行われた集会ではまず実行委の仲間が発言。一月二十一日に行政代執行をかけられていた五の橋のたもとから工事の終わったA工区多目的広場へと移動してから一ヶ月の動きを振り返る。二十七日には江東区による公園のフェンス封鎖が行われ、二月八日日には一人で五の橋のたもとに残っていたAさんの小屋に対して行政代執行による強制排除が行われ、翌日の抗議行動では一名に支援者が逮捕されている。


 代執行によって持っていったAさんの荷物だが、代執行前には「とりにくれば返す」と言っていた、水辺と緑の課・荒木課長は「代執行にかかった費用を払わないと返さない。」と言い出したが、弁護士が電話すると「返す」と言ったり「検討中」と言ってみたりと、はっきりしない。


 移動した仲間のテントにはすぐに警告書が貼られ、その後、指示書も3回貼られている。年末からの動きを見ると3回、警告書が貼られた後、最後の警告書の撤去期限の翌日に、弁明機会通知書が出されて、行政代執行の動きが始まっていったので、再度の代執行という事態も十分に考えられる。「行政代執行を許さず、闘おう。」と発言を結んだ。


 続いて竪川現地の仲間が小屋を守り抜いて闘っている現状と、再度の代執行を許さない決意を表明し、竪川とともに追い出しと闘う荒川の仲間、野宿者六名が参加した三多摩の仲間が発言。


 続いて各団体から連帯の発言、争議団連絡会議、経産省前テントの仲間、宮下公園のナイキ公園化に対して国賠を闘う仲間、2・9竪川弾圧救援会、竪川と連帯する関西有志の仲間が発言。


 最後に竪川の「長老」が発言してデモに出発。


 参加者約五十人は竪川周辺の亀戸を一周し、地域に「野宿者排除反対」を訴えた。


 この間仲間たちは区役所前の他、駅前など地域でもビラ撒きを行っているが、そのビラを受け取った地域住民も今回のデモに参加した。


 八日の代執行後には戻ってきたAさんのテント(仲間が再建した)に近所の主婦が訪れ「心配していたのよ!また合えて良かったわ。」と話していたのが印象的であった。 キャットフードを差し入れていたが、猫を飼っているAさんの所には猫好きの近所の人たちがよく訪れているとの事。


 区は区民からの苦情を野宿者排除の口実にしたり、野宿者がいると危険などとして公園の封鎖を正当化しているが、竪川に十五年も住むAさん初め、地域住民とは顔見知りであったり、散歩に来る人と立ち話をしたりするような関係性が作られていたのである。


 それが、区による野宿者排除が進むにつれ、少年たちの襲撃なども頻発するようになっていったのである。


 江東区に対して「再度の行政代執行を許さない!」という声を大きく広げていこう。


                                     (板)

【報告】竪川公園の野宿者排除を許さない!2.1江東区役所包囲デモ

tate4 2月1日、竪川河川敷公園の野宿者排除に対して江東区役所包囲デモが行われた。

 11時より東陽公園で行われた集会ではまず実行委の仲間がこの間の経過を説明する。昨年12月に江東区が竪川河川敷公園の五の橋付近に住む仲間たちに対して「弁明機会通知書」を突きつけ、行政大執行の手続きが始まったこと、その場所はA工区の工事に伴ってA工区に住む仲間たちが区によって集められた場所であること、1月21日に仲間たちはその場所から不本意ながらも出ていき、工事の終わった所にある「多目的広場」に避難したこと、そして今、その場所で区との緊迫した攻防が続いていること、五の橋には体の悪い仲間1名の小屋が残っており、その中魔に対して区は「大執行令書」を出したこと、などが報告された。

 多目的広場では23日にさっそく、江東区土木部水辺と緑の課が荒木課長に率いられてやってきて、威圧をしている。話し合いを求める仲間の声にはいっさい声を傾けることもなく「お前達と話すことは何もない。」と言い放った。

 27日には公園を封鎖するフェンスを設置しに土木、業者、そしてガードマンが導入され、抗議する仲間達を暴力的に排除し、フェンス設置工事が強行された。

 その際、何人もの仲間がガードマンと土木の暴力によってけがを負っている。そしてその際ガードマンは排除の直前、胸につけた社名のワッペンをベリベリと剥がし、暴行に及んでいる。

 しかし、この明らかな警備業法違反行為の一部始終はビデオ画像に記録され、ネットに流されている。(山谷労働者福祉会館ブログ参照)

 フェンスを張られたことによって、竪川のほとんどの仲間が従事しているアルミ缶集めのための自転車やリヤカーが公園の中に持ち込めないなどの事態が生じている。

 そして今も竪川現地では強制排除の危機が続いている。

 続いて竪川の仲間が「団結してがんばろう!」「みなさん遠くからありがとう」と一人づつ発言。

 次に宮下公園のナイキ公園化に伴う行政大執行、美竹公園脇の東京都児童館での耐震工事工事を名目とした排除などと闘ってきた渋谷・のじ連の発言。三多摩からは夜回り三鷹、立川サンキュウハウスの仲間が発言。

 江東区で生まれ育ったという女性は「地域住民として子供の頃から遊んでいた竪川河川敷公園が、金儲けのための公園になることに反対です。」と発言。

 次に反原発戦線から経産省前テントから駆けつけた仲間とたんぽぽ舎が発言。たんぽぽ舎の仲間は山谷の越年に支援を呼びかけ、全国からたくさんのカンパが集まったことを報告し、「みなさんの闘いは全国の人が支持しています。」と発言した。

 続いて荒川堀切で国土交通省による排除と闘っている仲間、21日から支援に来て常駐体制をとっている関西の仲間の発言を受けて、江東区役所に向けたデモに出発した。

 平日にも関わらず100人近くの結集。大阪の仲間たちの見事なパーカッションの演奏もあって道行く人々から大いに注目されるデモとなった。歩道でもたくさんの人々がビラを受け取り、アパートの窓から手を振る姿も確認できた。

 しかし、江東区役所ではどういうつもりなのか、そろいのジャンパーを着た職員がスクラムを組み、緊張した面もちで出迎える。

 区役所前ではいっそう大きな声で「排除反対!」「区は話し合いに応じろ!」「暴力をやめろ!」とシュプレヒコールを行った。

 デモの後は区役所前で情宣活動を行い、この日の行動を終えた。                

(板)

*竪川河川敷公園強制排除続報*


 
 竪川河川敷公園の行政代執行による野宿者のテント強制排除の動きは緊迫した状況が未だ続いている。

 先週21日夜に行政代執行攻撃をかけられてきた五の橋のたもとからの移動を仲間達は行った。22日の「野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモ」の報告でも簡単に書いたが、これは工事のすでに終わったA工区と、間もなく工事の終するB工区をつなぐ場所である五の橋のたもとに対してかけられてきた「行政代執行」の手続きが進行する中で、強制的な、そして暴力的な排除から逃れるために、その範囲から出て行かざるを得なかったという事である。

 仲間達にとってはこれは全く不本意で納得のいかないものであった。五の橋のたもとに十数軒のテントが集められたのは江東区の指示であったからである。江東区土木部水辺と緑の課はそのために川を埋め立てて移転地を造成したのであった。しかし、今回の行政代執行にあたって区は「許可無く占有している」などとして言っているのである。しかも「話し合いを行う」「強制的な手段は取らない」と言っていたのは区の方なのである。

 しかし、このままでは強制的に排除されてしまうという中で、仲間達は工事の支障となっている五の橋のたもとから出て行く決断をしたのであった。区がこの事によって今一度、約束通り、話し合いでの解決の道に立ち戻ると信じて。

 しかし、その期待は見事に裏切られた。仲間達が避難したA工区の「多目的広場」には翌日から水辺と緑の課が、A 課長に率いられて登場し、「お前達とは何も話す事が無い!」と威圧し、恫喝をしている。警察権力も同行し、仲間達が少しでも挑発に乗れば介入する構えである。

 そして、27日には公園を分断するフェンスを張り巡らしたのである。その理由を「公園利用者の安全」などとするデタラメぶり。この時の混乱では社名などをテープで隠したガードマン(警備業法違反では?)や作業員の暴力で数人がけがをさせられている。そして「2月3日までに撤去しろ」と「指示書」をテントに張り、新たにここでも行政代執行の動きに出てきているのである。

 五の橋での「行政代執行」の「除去命令」に不本意ながらも従った仲間達がどこかに「避難」しなければならないのは当たり前ではないか。
P1285760
 そして、公園を歩いて見れば分かるが、仲間達が避難出来る場所は公園の中で「多目的広場」意外には無いのである。区はC工区ヘ移れと言うがB工区の工事が終わればC工区の工事が始まるのであり、そもそもC工区には元々住む仲間、B工区から移転させられた仲間達が住んでおり、五の橋の仲間達が移転出来る場所的な余裕は無いのである。

 人を人とも思わない江東区のやり方に怒りや疑問の声がわき上がり、連日、たくさんの人々が支援に訪れている。

 江東区へ抗議の声をぶつけるために緊急にデモが計画されている。平日ではあるが多くの仲間の参加を。そして江東区に抗議の声を!。                  

(板)

*江東区役所抗議デモ 
  2月1日(水)11時東陽公園(東西線東陽町下車)11時デモ出発

【報告】1.22 野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモ

tate5 一月二十二日、野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモが行われた。これは江東・竪川河川敷公園の野宿者に対して江東区が行政代執行による強制排除の動きに出てきた事に対して急遽呼びかけられたもの。


 あいにくの雨の中、会場の文泉公園には全国から約二百人の参加者が集まり、この問題への関心の高さをうかがわせた。


 山谷で作ってきた弁当を食べて腹ごしらえをした後、十一時から集会は始まった。まず始めに実行委の仲間より、基調報告。六年間に渡って追い出しと闘ってきた竪川の仲間の闘いの経過、そして昨年末より江東区が行政代執行攻撃をかけてきた事、さらに前日夜の出来事についての報告が行われた。


 公園を民間企業の管理するスポーツ施設などを中心としたものに変えるという工事が始まり、二〇一〇年十月、公園を三つに分けた工区のうち最初に工事の始まったA工区のでテント生活を送る仲間たちが江東区土木部水辺と緑の課によってA工区のはずれ、五の橋のたもとの川を埋め立てて区が造成した一画に集められた事、その際、A工区の工事が終わった後には「話し合いを行う」「強制的な排除は行わない」と区が約束していた事。


 それが工事が進展するにつれ、追い出しが激しくなり、A工区の工事が終わり、B工区の工事が進む中で、A工区と、B工区をつなぐ場所である五の橋のたもとの仲間たちが、集住する場所に対して昨年末ついに区は行政代執行の攻撃をかけてきたのだ。


 十二月二十二日に「弁明機会通知書」が出され、それに対して仲間たちは一月五日、「弁明書」を提出、十二日には十八日を期限とする「除却命令」が出され、そして二十日には「戒告書」が出され、いよいよ「代執行」が秒読み段階に入ってきた。


 そのような中でデモの前日夜、まさに敵の虚をつく形でテントの移動が行われた。仲間の追い出しを行うガードマンの通報によって事態を知った水辺と緑の課の課長が一一〇番で警察を呼んだ時には、すでに仲間たちは降りしきる雨の中、工事の終わったA工区の中で唯一空いている「多目的広場」の片隅に九軒のテントを移動し終え、お茶を飲んで休憩をしているところであった。


 パトカーや自転車で次々に集まってくる警察官たちは二十人ほどが集まり部隊を組むと警棒を抜いて威圧しながら「こんな所にテントを建てるな」と迫ってくるが、仲間たちは「命を守るテントだ!」「警察官にそんな権限は無い、都市公園法を知っているのか?」と返す。何も言えなくなる警官隊。


 すると今度は私服の公安が「責任者は誰だ!」と何回も(三十回ぐらい)繰り返しながら体をぶつけたり、傘を仲間の頭にぶつけるなどの挑発行為に出てきた、見ると警官隊はこちらが何かすればすぐにでも襲いかかってくる体制である。なるほどこらが噂に聞く「転び公妨(公務執行妨害)」というやつか、仲間たちは努めて冷静にこの哀れで滑稽な公安を笑い飛ばし、挑発に乗る事は無く一切の介入をさせなかった。


 結局、なす術を無くした権力は少し離れたところに下がり威圧するだけという状態になった。そこへ今度は四名のガードマンと共に水辺と緑の課の職員がやってきた。


 「ここはテントを建ててはイケナイところです」などと一種懸命に言っているが、近づくと酒臭い、おそらくどこかで飲んでいたところを課長に電話で呼び出され現場に寄越されたのだろう。「酒臭いぞ!」と言うと「いや、飲んでない」などと言うが、目がうつろである。一緒に来たガードマンの中でも、寝ている仲間の小屋を揺すぶるなど、一番悪質なやつが、「プライベートなんだから飲んでったっていいんだよ!」などと怒鳴る。「えっプライベートなの、公務じゃないの」すると職員はあわてて「公務です、飲んでません!」どっちなんだよ!と、全然不甲斐ない。


 「そっちが代執行で出て行けって言うから引っ越してるんじゃないか。」「来週以降ちゃんと話し合いをやろうぜ。」結局、職員も引き上げざるをえず、警官隊もばつが悪そうに解散していった。というのが二十一日夜の出来事であった。警官隊の登場から撤退までの所要時間は約一時間ぐらいか?。


 基調の次は竪川の仲間たちの発言。「月曜日からの役所との攻防に、みなさんご支援を!」「これからも応援よろしく!」「オレは最後の1人になっても闘うぞ!」「ホームレスと差別されるけど、生きる権利は平等だ!」一人一人がその思いを表明する。


 続いて江東区内で頻発する少年たちによる野宿者襲撃についての報告。昨年十二月十一日に大島小松川公園で少年たちによって襲撃を受けた野宿の仲間が肋骨三本を折る重傷を負った事件は大きく報道されたが、それだけではなく、区内では少年たちによる襲撃が冷えている、竪川でも少年三人が仲間の小屋に可燃物を投げ、小屋が全焼するという事件が昨年十一月に起っている。


 区による野宿者排除の動きが強まるにつれ、襲撃も増えてきているが、江東区は全く有効な手を打ってこなかったばかりか、「工事によって野宿者をゼロにする」と明言している。


 次に、竪川と同じく排除の攻撃にさらされている荒川・堀切橋付近の仲間たちの「竪川の仲間と一緒に闘っていく」という発言を受けて亀戸一周のデモに出発。


 太鼓を叩きながらのデモに道行く人々も大いに注目し、雨中のデモにも関わらず、歩道で撒くビラを多くの人々が手に取っていく。


 竪川の五の橋付近を通るときにはひときわ大きく「追い出しをやめろ!」と声を上げ、亀戸駅前で、流れ解散となった。


 解散後は竪川の新しくテントを建てた場所に移動して交流会。静岡、名古屋、横浜・寿町、そして前夜の闘いにも合流した大阪の仲間。そして東京からは夜回り三鷹、三多摩野宿者人権ネットワーク、渋谷・のじれんの仲間が発言した。


 多くの仲間に支えられて竪川の闘いは新たな局面を迎えている。引っ越しによってひとまずは行政代執行を回避したが、新たな移転地でも行政代執行がかけられないとも限らない。また悪質なガードマンを使った嫌がらせのエスカレートも懸念される。


 さらに多くの人々の注目と支援が決定的に重要である。


(板)

記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ