虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

反失業

報告 3月4日、竪川・春のビンボー祭り

tate1 3月4日、江東区によって封鎖されている竪川河川敷公園多目的広場において、竪川・春のビンボー祭りが行われ、のべ150人ほどの人が参加した。祭りに先立ってはチンドン・チームが駅前ビラをまきながら駅前まで練り歩き地域に祭りを宣伝。 


 12時に開会式が行われ、実行委員会の仲間よりこの間の経過が説明された。6年間に渡って仲間たちの生活空間を守ってきた闘い、そして昨年末に江東区が五の橋のたもとに対して行政代執行の手続きに入って以降、工事の終わったA工区への引っ越し、1月27日の江東区土木部による公園封鎖、そして2月8日、五の橋に残っていたAさんへの行政代執行による強制排除、救急車に乗せられて連れ去られたAさんは病院を出た後、雪の降り始めた路上に放置された、にも関わらず区はAさんは生活保護を取ったと、うその発表を行った。そして翌日、区へと抗議行動に行った仲間が逮捕される。


 区は公園を封鎖している理由を「利用者の安全」のためだとしているが、危険な事は何もない、暴力を行使しているのは区の方だ。と発言を締めくくった。


 そして、竪川の仲間の「これより開催します!」との宣言で祭りが始まった。


 はずは牛スジのスープと炊きたてのご飯で腹ごしらえ。その後、各地から集まった参加者がマイクを握って発言、地元で20年以上活動する江東区に夜間中学を作る会、経産省前テントからは2名がギターを持って参加し、イムジン河の替え歌で福島への思いを歌う、続いて山谷争議団の仲間が3月11日に福島出の反原発集会に参加しようと呼びかけた。模索舎からは本の屋台の出店。


 ディストピア東京は東京都安全安心条例による「不振者狩り」状況に対して問題提起。2・9竪川弾圧救援会は逮捕された仲間が保護房に入れられ、食事の際にもハシなども使えずにいた事、そして逮捕理由の器物破損ではなく、威力業務妨害で起訴された事を報告、裁判闘争への支援を訴えた。


 祭りのメインイベントは餅つき、子供連れの人も多く、盛り上がる。


 ここでブースの紹介、竪川と連帯する関西有志の仲間はチヂミを出店「長居公園味です」、持たざる者の仲間はTシャツの店を、あすじゃの仲間は揚げたてのえびせん、フリーター全般労組は労働相談、ロカ・キッチンはケーキの店を。


 渋谷のじれん、三多摩野宿者ネットワーク、荒川堀切の仲間、甘酒の店を出したカミイカ・ナイト、代々木公園テント村と参加者は実に多彩であった。


 ステージではモンゴルの独特の発声を使っての歌、荒川の野宿者Kさんの歌、プロの歌手・魅酒健太郎さんなど多彩な出演者。映像ブースではこの間の竪川の反排除の闘いが流されている。


 祭りの最後はテントは命の砦と書かれた神輿を担いで会場を練り歩き一日を締めくくった。


 6年間に渡って仲間たちの生活空間を守ってきた竪川の闘いは、きわめて厳しい局面にたたされている。公園の封鎖は今も続き、仲間たちの話し合いの要求に対しても、区は一方的に排除を迫っている。行政代執行の危機は未だ去ってはいない。


 東京スカイツリーの開業を控えてその周辺の墨田区、江東区などでは野宿者のテントや排除や、炊き出しへの圧力が強まっている中、竪川の闘いはその流れにあらがう象徴的な闘いとなっている。


 竪川への再度の行政代執行を許さない闘いに支援を。


(板)

【報告】1.22 野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモ

tate5 一月二十二日、野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモが行われた。これは江東・竪川河川敷公園の野宿者に対して江東区が行政代執行による強制排除の動きに出てきた事に対して急遽呼びかけられたもの。


 あいにくの雨の中、会場の文泉公園には全国から約二百人の参加者が集まり、この問題への関心の高さをうかがわせた。


 山谷で作ってきた弁当を食べて腹ごしらえをした後、十一時から集会は始まった。まず始めに実行委の仲間より、基調報告。六年間に渡って追い出しと闘ってきた竪川の仲間の闘いの経過、そして昨年末より江東区が行政代執行攻撃をかけてきた事、さらに前日夜の出来事についての報告が行われた。


 公園を民間企業の管理するスポーツ施設などを中心としたものに変えるという工事が始まり、二〇一〇年十月、公園を三つに分けた工区のうち最初に工事の始まったA工区のでテント生活を送る仲間たちが江東区土木部水辺と緑の課によってA工区のはずれ、五の橋のたもとの川を埋め立てて区が造成した一画に集められた事、その際、A工区の工事が終わった後には「話し合いを行う」「強制的な排除は行わない」と区が約束していた事。


 それが工事が進展するにつれ、追い出しが激しくなり、A工区の工事が終わり、B工区の工事が進む中で、A工区と、B工区をつなぐ場所である五の橋のたもとの仲間たちが、集住する場所に対して昨年末ついに区は行政代執行の攻撃をかけてきたのだ。


 十二月二十二日に「弁明機会通知書」が出され、それに対して仲間たちは一月五日、「弁明書」を提出、十二日には十八日を期限とする「除却命令」が出され、そして二十日には「戒告書」が出され、いよいよ「代執行」が秒読み段階に入ってきた。


 そのような中でデモの前日夜、まさに敵の虚をつく形でテントの移動が行われた。仲間の追い出しを行うガードマンの通報によって事態を知った水辺と緑の課の課長が一一〇番で警察を呼んだ時には、すでに仲間たちは降りしきる雨の中、工事の終わったA工区の中で唯一空いている「多目的広場」の片隅に九軒のテントを移動し終え、お茶を飲んで休憩をしているところであった。


 パトカーや自転車で次々に集まってくる警察官たちは二十人ほどが集まり部隊を組むと警棒を抜いて威圧しながら「こんな所にテントを建てるな」と迫ってくるが、仲間たちは「命を守るテントだ!」「警察官にそんな権限は無い、都市公園法を知っているのか?」と返す。何も言えなくなる警官隊。


 すると今度は私服の公安が「責任者は誰だ!」と何回も(三十回ぐらい)繰り返しながら体をぶつけたり、傘を仲間の頭にぶつけるなどの挑発行為に出てきた、見ると警官隊はこちらが何かすればすぐにでも襲いかかってくる体制である。なるほどこらが噂に聞く「転び公妨(公務執行妨害)」というやつか、仲間たちは努めて冷静にこの哀れで滑稽な公安を笑い飛ばし、挑発に乗る事は無く一切の介入をさせなかった。


 結局、なす術を無くした権力は少し離れたところに下がり威圧するだけという状態になった。そこへ今度は四名のガードマンと共に水辺と緑の課の職員がやってきた。


 「ここはテントを建ててはイケナイところです」などと一種懸命に言っているが、近づくと酒臭い、おそらくどこかで飲んでいたところを課長に電話で呼び出され現場に寄越されたのだろう。「酒臭いぞ!」と言うと「いや、飲んでない」などと言うが、目がうつろである。一緒に来たガードマンの中でも、寝ている仲間の小屋を揺すぶるなど、一番悪質なやつが、「プライベートなんだから飲んでったっていいんだよ!」などと怒鳴る。「えっプライベートなの、公務じゃないの」すると職員はあわてて「公務です、飲んでません!」どっちなんだよ!と、全然不甲斐ない。


 「そっちが代執行で出て行けって言うから引っ越してるんじゃないか。」「来週以降ちゃんと話し合いをやろうぜ。」結局、職員も引き上げざるをえず、警官隊もばつが悪そうに解散していった。というのが二十一日夜の出来事であった。警官隊の登場から撤退までの所要時間は約一時間ぐらいか?。


 基調の次は竪川の仲間たちの発言。「月曜日からの役所との攻防に、みなさんご支援を!」「これからも応援よろしく!」「オレは最後の1人になっても闘うぞ!」「ホームレスと差別されるけど、生きる権利は平等だ!」一人一人がその思いを表明する。


 続いて江東区内で頻発する少年たちによる野宿者襲撃についての報告。昨年十二月十一日に大島小松川公園で少年たちによって襲撃を受けた野宿の仲間が肋骨三本を折る重傷を負った事件は大きく報道されたが、それだけではなく、区内では少年たちによる襲撃が冷えている、竪川でも少年三人が仲間の小屋に可燃物を投げ、小屋が全焼するという事件が昨年十一月に起っている。


 区による野宿者排除の動きが強まるにつれ、襲撃も増えてきているが、江東区は全く有効な手を打ってこなかったばかりか、「工事によって野宿者をゼロにする」と明言している。


 次に、竪川と同じく排除の攻撃にさらされている荒川・堀切橋付近の仲間たちの「竪川の仲間と一緒に闘っていく」という発言を受けて亀戸一周のデモに出発。


 太鼓を叩きながらのデモに道行く人々も大いに注目し、雨中のデモにも関わらず、歩道で撒くビラを多くの人々が手に取っていく。


 竪川の五の橋付近を通るときにはひときわ大きく「追い出しをやめろ!」と声を上げ、亀戸駅前で、流れ解散となった。


 解散後は竪川の新しくテントを建てた場所に移動して交流会。静岡、名古屋、横浜・寿町、そして前夜の闘いにも合流した大阪の仲間。そして東京からは夜回り三鷹、三多摩野宿者人権ネットワーク、渋谷・のじれんの仲間が発言した。


 多くの仲間に支えられて竪川の闘いは新たな局面を迎えている。引っ越しによってひとまずは行政代執行を回避したが、新たな移転地でも行政代執行がかけられないとも限らない。また悪質なガードマンを使った嫌がらせのエスカレートも懸念される。


 さらに多くの人々の注目と支援が決定的に重要である。


(板)

【報告】佐藤さん虐殺27ヵ年山岡さん虐殺26ヵ年 1.9日雇全協反失業総決起集会

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 一月九日、山谷・玉姫公園において今年も全国各地で越年闘争を闘い抜いた日雇、野宿の労働者たち、そして支援の仲間が一堂に会して日雇全協反失業総決起集会が行われた。


 まず、司会の仲間が天皇主義右翼・国粋会金町一家のテロに倒れた映画監督の佐藤さん、佐藤さんを引き継いで映画を完成させた直後にやはり金町一家の凶弾に倒れた山谷争議団の中心的な活動家であった山岡さんの事を紹介し、二人に黙祷を捧げ、集会は始まった。


 まず最初に連帯の発言、争議団連絡会議、被曝労働問題プロジェクト、新宿ど真ん中デモ、差別排外主義と闘う連絡会、いわき自由労組。いわき自由労組の桂さんは震災後の首切りの中で雇用調整助成金を利用して首切りを撤回させていった闘いや小名浜港の約五十人の日雇の仲間が八月まで全く仕事がなかった事などを報告し、さらに原発問題にも触れ、中卒で就職した会社が原発関連の会社ではなかったにもかかわらず、福島原発の仕事に無理矢理行かされ自殺してしまった事件などを紹介し、「三月十一日に福島で行われるオール県民での集会に皆さんぜひ来てください」と参加を呼びかけた。


 続いて都内での野宿者支援を行う各団体からのアピール三多摩野宿者人権ネットワークの仲間は三多摩でも越年を闘った事、昨年、アルミ缶の持ち去り禁止条例対する抗議デモを七十人の参加で勝ち取った事などを報告した。


 夜回り三鷹の仲間はアルミ缶をみんなで拾って集め、売ったお金を仙台夜回りグループにカンパした取り組みを紹介した。


 渋谷・野自連は渋谷・宮下公園の私企業であるナイキに対する売り飛ばしと、その過程での行政代執行による野宿者排除について報告し、竪川、荒川で現在行われている排除にたいする闘いへの連帯を表明した。


 続いて山谷労働者福祉会館の仲間が、荒川河川敷と江東区竪川河川敷公園での野宿者排除について発言し、竪川のA工区に現在残っている十六軒に対して十二月二十二日に弁明機会付与通知がなされ、一月末か、二月初めにも行政代執行が行われるかもしれないという緊迫した状況にあるとして、強制排除をやめさせるための闘いへの支援を訴え、一月二十二日に予定されている「野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモ」(午前十一時、亀戸駅徒歩五分の文泉公園集合)への参加を呼びかけた。


 寿の越冬に参加した神奈川県央共闘の発言の後、今年結成三〇周年を迎えた、日雇全協各支部の発言に移る。


 釜日労の仲間は二〇〇二年に施行された時限立法であるホームレス自立支援法が今年十年目の期限を迎える中で、排除条項など作り直し延長すべきと発言。


 名古屋・笹島日雇労組の仲間の発言、寿日労の仲間の越年報告に続いて山谷争議団の仲間が発言。「今年は派遣村をやらなかったが、山谷の越年には若い仲間が一杯集まってきた、飯場からでて来た仲間もいる。」そんな仲間たちと闘い抜いた一週間を振り返り、二十二日の亀戸デモへの結集を呼びかけた。


 続いて山谷地域を一周するデモを闘い、城北労働福祉会館で交流会を行い、一日の行動を終えた。竪川の最新情報は山谷会館ブログ http//san-ya.st.webry.info                (板)

【スペイン総選挙】右派の勝利、大きな危機が迫っている



 11月20日に行われたスペイン総選挙で、与党の社会労働党(PSOE)が大敗北を喫し、右派野党の国民党(PP)が8年ぶりに政権の座に復帰した。社会労働党の敗北は、深刻な財政危機と20%を超える失業率をもたらした社会民主主義政党への不信の表現である。

 社会労働党の敗北は確かに右派の復活をもたらしたが、同時に他方では統一左翼(スペイン共産党系)・緑連合の躍進も見られる。またバスクでは民族主義右派を抑えて、民族主義左派連合のAmaiurが第一党になった。

 大都市の広場を占拠する「怒れる者たちの運動」が社会労働党の敗北を促したが、EUを貫く危機の拡大の中で、いまだ反資本主義の政治的オルタナティブが弱体であることもスペインの選挙結果は示している。

…………



スペイン

右派の勝利、大きな危機が迫っている



ルイス・ラベル



 11月20日に行われたスペインの選挙での社会労働党(PSOE)の予想通りの敗北は、予言されたほど重大なものではなかった。スペインの選挙制度は比例制とはまったく違い、実際をはなはだしくゆがめる歪曲されたイメージを投げかける。獲得議席数からはフランコ独裁時代に起源を持つ保守右派の国民党(PP)の「歴史的勝利」と見ることができる。

 PPは2008年の選挙での153議席から186議席に増加し、圧倒的な絶対多数を確保した。確かに右派は、民衆的諸階層を疑いなく含んだ伝統的支持層を活性化させ、動員した。しかしこれは「押し寄せる波」のようなものではなかった。PPはスペイン全土で得票数を60万票を少し上回る程度しか増加させなかった。

議会多数派の右派への移行は、PSOEの疑いなく壊滅的な敗北によるものである。それは重大な結果をもたらすことになる。議席数ではPSOEの後退は壊滅的である。2008年に獲得した議席は169だったが、2011年には110議席しか取れなかった。この敗北の規模をつかみ取ることは、何よりも得票数を比較することで可能になる。PSOEは前回の総選挙と比べて400万票以上を失ったのである。

 欧州を揺るがす経済危機は、こうして政府をもう一つ追い払ってしまった。確かに今回は社会自由主義の政府だった――サパテロは、守られない約束、欧州連合の金融市場と諸制度の指令への協力に対するツケを払うことになった。500万人の失業、公的救済措置によって支えられる荒廃した不動産市場と銀行を抱えたまま、2010年5月以来採用された緊縮措置(年金凍結、公務員の賃金削減、予算カット、年金の改悪)は、左派支持の有権者の不満をもたらしただけであり、その中で国は不況に沈みこみ、社会情勢は誰の目にも明らかな形で悪化した。

社会労働党(PSOE)の伝統的二大拠点であるアンダルシアとカタルーニャは右に移行した。サパテロの二度の勝利に決定的な役割を果たしたカタルーニャでは、PSOEは右翼民族主義者のCIUに敗北した。CIUは課税問題でのカタルーニャの主権と、移民に反対するポピュリスト的不平を混ぜ合わせて訴える言説によって世論をリードした。この春、CIUはすでに、以前は複数左翼が掌握していた地方政府選で勝利した後、三〇年以上にわたる左派の領地だったバルセロナの市政をPSOEから奪っていた。カタルーニャ州政府は今や公共サービスへの新自由主義的攻撃の最前線に立っている。

統一左翼(IU、スペイン共産党主導の選挙組織。今回は「緑」との統一リストで選挙に臨んだ)は得票数を七〇万票以上増やし、これまでの二議席から一一議席に伸ばす大きな前進を収めた。IUは批判的かつ新自由主義反対の主張で、PSOEへの投票の一部をすくい取った(しかし他の地域、とりわけマドリッドではPSOE支持票は右翼的選択へと流れた)。「怒れる者たちの運動」もまた、PSOEより左の「有効投票」先として現れたIUに有利に作用した。欧州エコロジーの例に示唆を受けたグリーンプロジェクトを出発させる企図は破綻した。

しかし「有効投票」への圧力は、スペインの第四インターナショナル派が他の勢力や活動家とともに支援した「反資本主義」候補がターゲットにしていた層にも感じられていた。銀行、証券取引所、省庁オフィスの象徴的な占拠によって強調され、われわれがバルセロナにおける候補者リストのトップに据えたエステル・ヴィヴァスへの法的措置までもたらした、不服従を呼びかける大胆なキャンペーンは、オルタナティブな綱領の大衆化、はっきりと見て取れる活動家の突破口を可能にした。(「反資本主義」リストは、候補者リストが選挙法の強制する制限条項を乗りこえることができた幾つかの州で、約2万5000の支持を得た)。

反社会的攻撃を倍化させようという右派の意図は勝利した。しかし、ここ数週間にわたってマドリッドでの学校での重要な動員、バルセロナの大学のゼネストが見られる。選挙のレベルではバスク独立派左翼連合のAmaiurはスペイン議会に登場して以来の爆発的躍進を遂げた(6議席を獲得)。その一方、5月15日運動(15―M)は決して終わってはいない。国際的危機の脈絡の中で、激しい社会的・政治的衝突のシナリオが地平線上に姿を現している。戦闘的左翼の新たな編成が以前にもまして課題となっている。

▼ルイス・ラベルはカタルーニャの反資本主義左翼の活動家



(「インターナショナルビューポイント」11年11月号)
 
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