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占領中環

【香港】まるで「動物農場」のラストシーン~「帝国主義の陰謀」論を笑う(その2)

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(上) 「米帝必敗北!」ベトナム解放戦争を
    支援する中国政府のポスター
(下) 「動物農場」のラストシーン



まるで「動物農場」のラストシーン
豚と人の見わけがつかない


區龍宇

ジョージ・オーウェルの「動物農場」をご存じの方も多いだろう。この物語は、動物農場の独裁者「ナポレオン」ら支配階層の豚たちが、かつての敵であった人間たちと祝杯を挙げているシーンで終わる。豚以外の動物たちは、かつての敵(人間)と現在の抑圧者(豚)の交歓を窓の外からぽかんと眺めるだけであった。どっちが豚でどっちが人間かの見わけがつかないくらい、交歓する両者の姿は似通っていた。

今日の中国でも、「動物農場」と同じような物語が演じられている。現在の政権党は、かつて国民党から「ソ連と繋がり、ルーブル[ソ連の通貨]を受け取っている」国賊だと誹謗中傷された。政権にある今、かつての国民党と同じようなことを言っているが、さらにひどい。というのも、かつて国民党から非難を受けた1920年代から30年代の武力革命の時代には、ソ連邦からの物質的支援は厳然たる事実であったが、現在オキュパイ運動に投げかけられている誹謗中傷--アメリカが仕組み、アメリカの資金を受け取っている色の革命--は、まったくの捏造だからだ。中国の特色ある豚の独裁者は、なんとも「偉大・光栄・正確」である。[この「偉大・光栄・正確」は、常に自分が正しいという姿勢の現在の共産党を揶揄する隠語:訳注]


◆羅織虚構も甚だしい

この「偉大・光栄・正確」のロジックはこうである。オキュパイ・セントラルは、3人の知識人が発動したもので、これら3人の知識人は主流民主派に所属しており、これまで主流民主派は親米親英の立場をとっており、全米民主化基金会(National Endowment of Democracy, NED)の資金援助を受けたり、関連する活動に参加してきたことから、アメリカ政府の代理人である、というものだ。しかし誰もが知っていることだが、雨傘運動はそもそも主流民主派が領導したものではない。3人の知識人がオキュパイ運動を発動したというが、そもそも立場もはっきりせず動揺していたことから、なかなか実現しなかった。学生連合会がまず7月2日にオキュパイ予行演習を決行し、9月22日に授業ボイコットを発動し、9月末になって雨傘運動に拡大してはじめて、9月28日に戴耀庭(3人の知識人の一人)がオキュパイ・セントラルの開始を宣言したのである。つまり両学生組織[学生連合会と学民思潮]の力を借りてに過ぎない。それ以降、3人の知識人には運動を指導するようなカリスマもない。[民主党など議会内ブルジョア民主派の]主流民主派

にいたっては言うまでもないことである。

某党機関紙[文匯報(香港紙)]にいたっては、学民思潮の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)がNEDから資金園居を受けていたと報じたが、なんら証拠を示すことのできない報道であり、しかも本人はそれを否定している。この報道には、黄之鋒と陳方安生(アンソン・チャン※)と正体不明の白人と一緒に撮った一枚の写真がつけられていた。これが「外国とつながっている」という証拠というのであれば、冗談にもほどがあるだろう。こんな報道をするまえに、もうすこししっかりと資料に当たっていれば、こんな間違いは避けられたであろう。2004年9月5日の香港紙The Standardでは、NEDが別の援助組織であるNational Democratic Institute for International Affairs (NDI)を通じて、香港の複数の政党に技術支援および研修を行っていたと報じている。対象となった政党は、民主党、前線の主流民主派だけでなく、親中派の民建聯、自由党も含まれていた。同年9月7日の香港紙「信報」では、民建聯と自由党は資金援助は断ったが、シンポジウムへの参加は認めた
。民建聯の蔡素玉(※)などは「何度も参加した」と語っている。さてさて、これで民建聯も「アメリカの代理人」ということになるのだろうか?


◆アメリカの資金は中国の公的機関にも流れている

同年3月3日の香港紙「明報」では、米国会計検査院(General Accounting Office, GAO)が年初に下院に提出した報告によれば、過去五年間でアメリカ政府は3900万ドルを「中国の民主主義発展の基礎プロジェクトとして、中国の政府機関と司法部門が設立した機関に資金提供した。」このGAO報告はウェブでも公開されている。米国政府からの財政支援が、中国大陸や香港の民間団体に流れていることは確かだが、中国の政府部門や政府事業部門および大学などの機関にも直接/間接的に援助が行われてきたこともまた事実である。これらの報告では、中国最高人民法院[最高裁]、全人代[国会]および多くの付属機関に対して資金援助が行われ、中国刑事法の弁護手続きの改正を促してきた。

アメリカの資金援助は直接的な援助にとどまらない。国連人権委員会、ILO、国連開発計画など、さまざまな国際機関だけでなく、純粋な経済機構である世界銀行の対外援助なども、中国政府や各種の公的機構への資金援助を行っていることは、誰もが知っていることである。そしてこれらの機構ではアメリカ政府の資金が重要な支えになっている。GAOはこれらの国際機構における中国関連項目を国会に報告する責任がある。たとえば、国連開発計画では中国の関連機関に対して選挙制度と刑事法の改正に関するプロジェクトに対して援助を行っている。アジア開発銀行は1999~2006年の期間、中国の関連機関向けの同じようなプロジェクトに対して355万ドルの援助が行われている(原注i)

近年のデータは、アメリカのメリーランド大学法科大学院のThomas Lumの2012年の論文が参考になるだろう。(原注ii)

GAO報告や関連論文だけでは偏った情報だという批判もあるだろう。だが問題は中国政府自身が関係するデータを全く公開していないことにある。情報の非対称性の責任は中国政府が負わなければならない。


◆アメリカの民間基金

それでも中国メディアで関係する情報が報道されることもある。2004年2月23日の中国紙「経済観察報」は、英国人学者のAnthony Saichが2002年に清華大・ハーバード中国高級公務員連合研修プログラムを提唱し、次世代の中国官僚に対して管理研修を行ったという報道をしている。彼はその前にはフォード財団の駐中国首席代表を務めたこともある。

フォード財団はNEDとは違って民間の財団だ。中国の政府系宣伝メディアは、これらのアメリカ民間財団が中国の内政に干渉していると批判するのが常だ。だが実際には、アメリカの類似の民間財団の資金の多くが、中国政府を背景に持つ民間団体に流れている。そして本当の草の根の民間団体に流れる資金が最も少ないのである。この問題を専門に研究する香港の中文大学の社会学教授、Anthony J. Spiresによると「中国では、海外からの援助資金によるプロジェクトは厳格な政府の監視統制下にある。アメリカの大財団の巨額の援助の多くは、NGOあるいは草の根NGOにではなっく、中国政府のコントロール下にある組織に行われている。政府が設立したNGOはGONGO(Government-organized NGO)と呼ばれ、中国政府が支援しないプロジェクトへの資金を海外から集めている。それは同時に新たな社会的勢力を抑圧する装置にもなっている。」(原注iii)

州官は火を放つことを許されても、庶民は明かりを灯すことさえ許されない。(原文:州官可以放火,百姓不可点燈)

これが「偉大、光栄、正確」のロジックなのである。

2014年10月18日


原注
i GAO report 2004
ii US assistance programs in china 
iii 《美国基金会資助了中国政府,而非NGO》

※訳注 

陳方安生(アンソン・チャン)
香港返還前後に香港政府ナンバー2に就任。返還後、トップの董建華・行政長官のトップダウン方式と対立し2001年に下野。一時、立法議員をとつめ、現在は主流民主派の顔の一人。今年4月、彼女と民主党(香港)の李柱銘(マーティン・リー)が米国でNEDの地域副理事長ルイサ・グレーブらを前にオキュパイ・セントラルの計画を1時間にわたって説明したことが、アメリカ陰謀説の根拠となっている。しかしオキュパイ・セントラルは、それより1年以上前から香港の社会運動において公然と議論されてきたことであり、秘密でも謀略でも何でもないし、アンソン・チャンやマーティン・リーがオキュパイ運動を指導したこともない。

蔡素玉
当時は民建聯(親中派)の立法議員、現在は香港選出の中国全人代代表を務める。

【香港】オキュパイ戦略の転換を

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▲旺角の「民主流動教室」で「社会運動:組織化か脱組織化か」
というテーマで講義する區龍宇さん(2014年10月19日)


香港では10月21日に学生組織と政府との対話が予定されている。現在の戦線を整理して、次の段階への戦略を明確にして、広く人びとに訴えるべきだという區龍宇氏の主張を紹介する。

いまなお旺角など複数のオキュパイ拠点への排除が画策されるなかで、数千人の学生市民が拠点防衛で体を張っているさ中での主張であり、学生団体を含む多くの人々のなかでは反発が予想される主張である。

しかし筆者は道義的責任と政治的責任を明確に分けたうえで、政治的な戦略とそれにもとづく戦術を提起することこそが責任ある対応だと訴えている。目的はオキュパイではなく、真の普通選挙という選挙制度の実現であり、オキュパイはあくまで手段に過ぎない。

街頭での衝突をあつかう報道だけでは理解できないが、長期的な闘争の大衆的教育運動として、オキュパイ当初から「
流動民主教室」というオキュパイ拠点での大衆的な議論のスペースが続けられていることなども、オキュパイ戦術の長期的展望の転換を訴える基礎となっている。

また中国国内でもエピソード的な支援の輪が広がっているが、それを上回る暴力装置と宣伝装置によって、大衆的な支持支援は、影すらも見られないことも、オキュパイ戦略転換の訴えに影響を与えていると考えられる。(H)

原文はこちら


戦線を整理し、金鐘オキュパイに集中し、
添馬公園の長期オキュパイをかちとろう


區龍宇


政府は対話復活の意向を示し、同時にオキュパイ排除も進めつつある。それゆえ、来週の対話で望ましい結果が得られることを期待するのは幻想である。あらかたの排除が終了した後に、対話をおこない双方がそれぞれの意見を述べ合うだけ、というのが政府の狙いだろう。習近平ら強硬派の支配下においては、状況が好転する可能性は極めて少ないだろう。

学生連合が政府と対話を行うことは自由だ。だがその前に戦略を明確にしておく必要がある。真の普通選挙の実現は一気呵成に成功するものではなく、長期的な奮闘が必要だ、ということである。だから政府と対話を行い、全人代の決定の撤回を主張することは構わないが、陽動作戦の域を出ないだろう。採るべき戦術目標は、戦線を縮小するとともに、添馬公園でのオキュパイを長期的に続ける準備をはじめるという、退却をもって進攻するというものでなければならない。添馬公園の長期のオキュパイは、生活交通にも影響しない。政府との対話の目的は、対話を利用して全香港の注目を集め、政府に対して長期的に添馬公園でのオキュパイの決意を宣言し、同時に大衆に向けてそれを宣伝することで最大の支持を獲得し、雨傘運動が添馬公園をオキュパイして香港民主化運動の活動・教育拠点とすることへの支持をかちとることにある。

それを通じて、運動は縮小はするが、停止はせず、敗北もしておらず、抵抗の継続を示すことができる。これは民心を獲得し、士気を維持する一手である。だから、最終的に添馬公園でも排除が行われ、我々がそれに抵抗するときには、人びとの同情は政府ではなく我々の側により多く寄せられることになるだろう。

力量が分散された不利な陣地に固執すれば、いずれ攻略され(今朝の旺角のように)、最終的には完全排除を座して待つことになる。それは下策と同じである。

政府との対話において、全人代決定の撤回だけを繰り返すだけでは、せっかくの貴重かつ現実的宣伝効果のある機会、つまり次の抵抗の一手を宣伝する機会を無駄にすることになる。

もし学生連合と学民思潮がこのような提案に基づく決定を行うのであれば、今週中に戦略を調整し、以下のことを早急に宣言する必要がある。

1、他人がどう言おうとも、金鐘オキュパイ防衛に集中し、他の陣地は放棄し、衝突を回避し、民心を獲得する。繁華街を長期間オキュパイすることは、容易に民心を失うことにつながるし、旺角の大勢が決まりつつあるなかでは、そこにこだわるべきではない。学生連合と学民思潮は道義的には不当逮捕された人々を支援する必要はあるが、道義的席にと政治的責任は分けて考えるべきである。すべての人が受け入れるかどうかにかかわらず、両学生組織は政治的責任において戦略の調整を行うべきである。

2、龍和道のオキュパイは行わない、夏愨道および添馬公園、政府総部ビル周辺の防衛を固めて、対話の圧力とする

3、もし警察が排除を始めたら、夏愨道は退去してもかまわない。龍和道でのオキュパイは行わず、添馬公園、政府総部ビル周辺を堅持し、抵抗を試みる。もし排除を跳ね返すことができれば、毎日の流動民主教室を継続する。香港全体にボランティア労働者隊の結成を呼び掛けて、ローテーションで警備をおこなう。できる限りオキュパイを継続する。オキュパイ期間の長短にかかわらず、それが実現できれば勝利である。

4、長期の不服従運動は、添馬公園でのオキュパイの開始を画期とする。今後は、断続的に添馬公園でのオキュパイアクションを行い、雨傘運動の集団的記憶を不断に刷新させていく。正規の手続きで公園使用を申請することも必要なことである。

2014年10月17日

【香港】重惨党を笑う~「帝国主義の陰謀」論を笑う(その1)

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「オキュパイ反対、平和を守れ」の横断幕を掲げる香港の親中派メディア「文匯報」の参加者。文匯報はオキュパイの学生指導者、黄之鋒くんへの中傷記事を掲載。黄之鋒くんは「事実無根」と反論している。
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中国共産党の高官やメディアが、香港のオキュパイ・セントラル運動が、「色の革命」の色彩を帯びているという発言を行っている。つまりアメリカ帝国主義という外部勢力の陰謀によるクーデターだというのである。

参考:米国が「色の革命」に疲れ知らずで熱中するのはなぜか?(人民網日本語版2014年10月10日)

「アメリカの陰謀」論については、日本の運動圏において、まことしやかに情報が流れている。しかし一つ一つの事柄と、事実関係を照らし合わせれば、そのような陰謀論の根拠が極めてあいまいであり、結局のところオキュパイ運動へのネガティブな評価にしかつながらないことは明らかである。このような陰謀論が運動圏において受容される理由の一つに、ラディカルで民主的な運動を通じた社会変革に対する深い絶望と不信が横たわっていることが考えられる。

以下は香港の區龍宇氏が「独立媒体」に掲載した論評(原文)。タイトルの「重惨党」は、広東語で「共産党」とよく似た発音で、国共内戦から建国初期にかけて中国共産党に対して投げかけられた中傷的名称で、「惨劇を重ねる党」という意味がある。現代ではこの名称がぴったりだ、ということで筆者はこの用語を使っている。(H)


重惨党を笑う

區龍宇

中国共産党の宣伝メディアは、雨傘運動がアメリカの資金/計画による「色の革命」であると攻撃している。実際のところ、このような宣伝攻撃は、攻撃のために持ち上げた石が自らの足を打ち砕くことにしかならないのだが。


◆ 「真理はオレが決める」

外国勢力との結託で自国人民を危機にさらすというのであれば、共産党自身がすでにそれを実行しているではないか。

事例その1。2001年、共産党はWTO加盟のために、工業製品の農産物の関税を大幅に引き下げ、何百にもわたる法律を撤廃あるいは改正し、多国籍企業を引き込み、それによって多くの国内ブランド産業に損害をもたらしただけでなく、すくなくとも3000万人の国有企業労働者を失業に追い込んだ。さらに、国内向け農業補助政策を大幅に削減し、農民らを苦しめた。外国勢力と結託してWTO加盟を進めたが、労働者農民の抵抗を恐れるあまり、労働者の海の民主的権利を徹底的に弾圧してきたではないか。

事例その2。中央や地方など各級政府は過去30年間、欧米日から多額の融資を受けてきた。一体どれだけの対外援助を受けてきたのか、そのうちのどれだけが官僚どものポケットに収まったのかは、天のみぞ知る。それによって膨れ上がったフトコロから一体どれだけのカネを海外に移転し、外国の高官や資本家と結託してきたのか、誰もわからない。彼らはこんなことをずっとやってきたのだ。しかし、国内の普通の民間ボランティア団体に対しては、外国人との関係があるというだけで、「売国」と疑われる。オックスファムですら「色の革命」組織と疑われたことがあったくらいである。党官僚らには常に秦の始皇帝のような心理が付きまとっている。つまり、自分の行いはすべて国家のためであり良いことであるが、普通の人民の行いは売国行為の疑いがあるという心理だ。なぜこのような心理に支配されているのか不思議でならないが、それは「真理はオレが決める」ということだろう。

民主派の主流派はこれまでずっと親米姿勢を取り続けてきたが、私はそれには賛同しがたい。だが今回の雨傘運動は、これらの主流民主派による指導なのか?すこしでも常識があれば、そうではないことは誰もが知っている。主流民主派の妥協的態度と無能さゆえに、結局はオキュパイ3人衆が運動の発動を呼びかけざるを得なかったのである。そしてこのオキュパイ3人衆があれこれ躊躇したことで、耐えきれなくなった学生連合が7月2日未明にオキュパイ・セントラルの予行演習を行い、9月22日に授業ボイコットが呼びかけられた。そして市民的決起が拡大した9月28日以降は、学生連盟でさえも運動を主導できず、運動は無数の個人の意志に変わり、自由激動の無定形な大衆運動と化した。このなかで主流民主派は、運動の下支えという功績がないわけではないが、かれらはそもそもこのような運動が起きることを望んでいなかったし、そのような能力もないことは、すでに明白である。主流民主派が米国民主基金の金銭的支援を受けている証拠を示すことで、雨傘運動がアメリカ政府の影響、資金的援助、計画であることの証明であるという主張は、ためにする議論であり、軽蔑すべ
きものである。


◆ 党官僚は毛主席の書を読むべき

「色の革命」とは何か?バイドゥー[中国のウェブ辞典]によると、色の革命とは「21世紀初頭に独立国家共同体、中東、北アフリカにおいて発生した一連の政変を指し、それは色が名前に付けられ、平和と非暴力を掲げるが、……背後には一般的に外部勢力の介入要素が存在している……。色の革命はほとんどが西側ブルジョア国家を模倣している……、複数政党制、参政権などを標榜していることから、色の革命の中心勢力は野党であることが多い。」

かなりの長期にわたって、かつ多くの国家で発生し、きわめて複雑な様相を呈している大衆的政治運動を、すべてアメリカ帝国主義による合法政権への攻撃の結果だとみなす考えは、冗談にもほどがあるだろう。このように主張する人々は毛主席の戒めを忘れている。「外因は内因を通じて作用する」。(矛盾論、1937年)

かりにこの運動が完全にアメリカの策動によるものであり、参加者が完全にアメリカの駒であったとしても、俗に「モノが腐ってから虫が湧く」というように、政権が腐敗の極みでなければ、アメリカがどれだけ巨額のカネを使っても、そう簡単には物事は成就しないだろう。

またアメリカの陰謀というような主張は、そもそも国際情勢の現実と大いにかけ離れている。もしそのような主張がまかり通るのであれば、アメリカはとっくに世界的覇権のうえに胡坐をかいていることになる。しかし現実はその逆だ。ロシアはプーチンによって復興しつつあり、中国の台頭もめざましい。このことは国際情勢が多極的に発展していることの証明である。アメリカ自身にいたっては、経済停滞がつづいており、対外的には中東の泥沼に陥っている。イラクは10年以上も思い通りになっていない。そもそもの勢力地域以外の国家など至る所でのクーデターが思いのままになるはずがない。せいぜいのところ機に乗じて何かしらの事柄を成すだけしかできない。腐敗はなはだしい政権は、色の革命の政変がすべてアメリカによるものであるという主張を利用して、人民の思考のすり替えを行っているにすぎないのだ。

中国共産党の真意は、バイドゥーの説明の中で明らかにされている。いわゆる色の革命が民主主義と競争的な複数政党制を標榜していることが問題だと考えているのである。これらの制度がすべてブルジョア的な問題のある制度だと考えるのであれば、もちろんそれは憎らしく映るだろうし、「わが共産党が指導する複数政党協力制こそ、すばらしい制度だ!」と考えるだろう。


◆ 重惨党によって重ねて悲惨になる

だがこのような考え方は歴史的事実を無視したものだと言える。19世紀から20世紀の初めにかけて、欧州の普通選挙権運動は、そもそも労働運動が中心的な勢力であった。西側の代議制それ自身には欠点も存在するし、それはマルクス主義者が何度も批判してきたところである。しかし批判の核心は、いかにして問題のある代議制民主主義を、さらに理想的な民主主義制度に代えるのか、というところにあったのである。理想的な制度に代えるということには、もともとの制度の長所を吸収することが当然含まれる。代議制民主主義を完全に否定することは、虚無主義でなければ、それは文革式の「一切を否定せよ」にしかならない。「一切を否定せよ」というスローガンは、表面的には極めて革命的であるが、実際には反動復古的に作用した。なぜならそれは「一切」を否定せず、毛沢東という無冠の皇帝を否定しなかっただけでなく、逆にそれを崇拝してしまったのだから。

このような偽りの革命スローガンは、結局のところ、完全な個人独裁をもって一党独裁体制の集団的指導にとって代えるものでしかなかった。文革終了後、?小平は文革を否定したが、個人独裁は断固として擁護した点は、毛沢東時代とさして変わりはない。?小平の復活当初、庶民から支持された主な理由は、市場の自由を開放し、剰余農産物を農民が自由に交換できるようにしたからに過ぎない。だが80年代末には、この開放市場は官僚たちが先に豊かになるために利用され、「官僚ブローカー」が形成されることになった。

89年の民主化運動は、このような共産党による公有財産の私物化を阻止することが目的であったが、運動は敗北し、官僚は民衆を犠牲にして自らを富ませることに徹底して成功した。毛沢東時代の官僚は独裁的であったが、大胆な腐敗はできなかった。現在の官僚たちは、独裁はそのままで、腐敗は大胆で大規模になっている。だから私は「重惨党」と呼ぶことにしている。(「惨劇を重ねる党」の意で、広東語では「共産党」の発音と似ている。)

「重惨党」という名称は私の発明ではない。1946年から49年の国共内戦の時期、中国共産党の政策は国民党よりもましであったが、それでも完全に労働者人民の幸福という趣旨に沿ったものであったというのは、やや誇張した言い方だという[労農革命ではなく新民主主義革命を主張していたことを指す:訳注]。そして内戦に勝利した共産党は軍事管制を敷いて、異論派に対する弾圧を始めていた。その頃、広東で聞かれた民謡はこう唄われていたという。「国民党は刮民党(民を傷つける党)、共産党は重惨党」。

中国共産党が社会主義の原則から乖離する現象は、もちろんもっと早くから始まっている。遅くとも延安での整風運動(1942年)の時点で、毛沢東は1921年の建党時に創出された民主と科学の精神を完全に消滅させることに成功した(高華の著書『紅太陽はいかに昇ったのか』で詳しく論じられている)。時は移り1980年代末、公共資産の私物化が大規模に実行されることになった。

西側諸国との比較においても、あるいは自らの党の歴史との比較においても、現在の共産党は「重惨党」なのである。

2014年10月16日

【香港】白いリボンと黄色いリボン~オキュパイ運動に対する極右からの攻撃

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「警戒せよ!集会を乗っ取ろうとするサヨクを阻止しよう」という
スローガンをオキュパイの現場で掲げる極右


【解説】香港のオキュパイ運動は黄色いリボンをイメージアイテムにしている。それに対して、オキュパイ運動に反対する「反オキュパイ運動」は青いリボンをイメージアイテムにしている。オキュパイ運動をけん引する社会運動派に対して、極右からの妨害や暴力が仕掛けられている。社会的に広がった運動をけん引する活動家に対して「左膠(Leftard)」と呼んでそこ腹排除しようという動きである。日本でも「サヨク」「極左」「プロ市民」などという誹謗中傷があるがそれと同じ現象であるが、香港の社会運動にとってはじめての経験である。これは社会運動全体に対する反動保守からの攻撃であることをしっかりとした認識すべきだと訴える香港の區龍宇さんの文章を紹介する。香港紙「明報」日曜版(2014年10月12日号)に掲載された文章。原文はこちら(H)



白いリボンと黄色いリボン

區龍宇

いま香港では二つの陣営が対立している。黄色いリボンと青い(藍色)リボンである。なぜ後者が青いリボンを選んだのかは不明だが、青いリボンと聞いて私は、かつて国民党のファシスト組織の藍衣社を思い出した。国民党が青色を好んでいたことは誰もが知っている。周融[オキュパイ反対運動の指導者:訳注]が青色を選ぶとは思わなかったが、それにはあまりこだわらないでおこう。悪いのは人であって、色には罪がないのだから。

では白いリボンとは? 色が違うだけでよく似ているが。街頭に通い詰めて二週間、緊張のせいか、なかなか寝付けない夜に「白いリボン」という2009年作製のモノクロのドイツ映画を見た。監督はMichael Haneke。第一次世界大戦のドイツ北部にある農村の家族の物語。メインテーマは社会的抑圧と抵抗である。伯爵(大地主)、牧師、医師の三家族は上流階級に属する。そして貧農らが登場する。材木工場で働く貧農の妻が大きな鋸切断機械に命を奪われる。息子が復讐を図るが「一家すべてを犠牲にする気か?」と父親に止められる。サブテーマは、メインテーマに関連するが別な観点から描かれる。つまり牧師の一家における権威主義、家父長制、禁欲主義を通じた、妻や子どもたちを含めた支配である。青春真っ只中の息子と牧師の父親が衝突する。父親は息子の両手を縛り、自慰行為をやめさせようとする。一年後、息子は父親の言う通りに従い、父親から白いリボンをつけられる。「この白いリボンのように純潔無垢のままで」という意味が込められていた。

白い色は西側では一般的に純潔を表す。しかしこのような牧師がいうところの白い色は、極端な保守主義を表している。1918年にロシア各地で出現した旧ロシア帝国軍人らの反乱軍が白色をトレードカラーとして、白軍と呼ばれ、その軍隊によるテロは白色テロと呼ばれたことも道理のないことではない。白い色にとっては災難でしかないが。

◆ 白色テロ

「白いリボン」に話をもどそう。伯爵夫人は家父長主義の夫を嫌い、別な幸福を求めようとする。夫の伯爵は激怒して言う。「何が不満だというんだ」。妻は答える。「この村には野蛮と暴力が蔓延してるわ」。これが伯爵自身にも向けられた言葉の可能性であることを彼自身はわかっていないかもしれない。しかしこの村で最近発生した猟奇的な暴力事件のことを指していることはわかったようだ。仕掛けられた針金で落馬して負傷した医師の事件、医師の愛人の息子が殴られて目が見えなくなった事件、伯爵の息子が連れ去られ暴行を受けた事件、伯爵の支配する農園での不審火など。犯人はだれなのか?映画は村の教師がこれらの事件を回想する形で進むが、最後にこの教師の告白によって一連の事件の犯人が明らかにされる。白いリボンをつけられた牧師の息子が一連の事件の犯人だったのだ。権威主義、家父長制、亭主関白、禁欲主義によって育まれた次世代の一部が悪魔に変わってしまったというエピソードである。

これは、ドイツ映画界の流行の一つであるファシズムに対する反省をテーマにしたものでもある。数年前の「The Reader」(邦題「愛を読むひと」)もそうである。香港のある映画評論家はこの映画の主演女優のスタイルの良さばかりを強調していたが、映画で描かれていたテーマのひとつが、権威主義的人格に育てられた女性が命令に従うことによって遭遇する悲劇であったことについては、まったく言及さえもしなかった。

◆ 悪魔をつくりだす

極右に対する認識の不足は、今回のオキュパイ・セントラル運動にとってもアキレス腱になりつつある。

二週間にわたるオキュパイ運動は、市民の民主的自治能力を解放した。市民は自発的に議論を形成し、政治を語る姿はあちこちで見ることができる。これこそが民主主義である。民主主義ははじめから憲法制度の枠内にとどまるものではなかった。民主主義はまずなによりも、市民が日常のなかで一国の政治生活に自覚的に参加することをである。このような運動状態にない民主主義は、どのような制度であっても空文にすぎない。しかるにこのようないきいきとした民主主義の能力は、極端な保守勢力が最も嫌うところでもある。先週の暗黒勢力による公然たる襲撃は最近では下火になってはいるが、ここ数日、オキュパイの現場には、多くの奇妙な群衆が出現し始めている。のべつ幕なしに「サヨク」というヘイトスピーチを行い、社会運動活動家を中傷する人々である。市民団体が街頭討論を行い始めると、批判や大声での妨害、ひどいときには暴力が振るわれる。

これは社会運動活動家たちにとって心配の種の一つになっている。私がもっと心配していることは、多くの友人たちが、このような妨害を行う陣営に対して何と呼ぶべきかが分らず、意見噴出という状態である。ある友人が「右翼」だといえば、そうではないという人もいる。またある人は、かれらは何かの信仰の信徒なので挑発しなければ大丈夫だという。

名前は重要である。「蒼頡が文字を作ったとき、天は粟を降らせ、鬼は夜に泣いた」というくらい名づけは重要である[蒼頡は漢字を作ったとされる伝説上の人物:訳注]。名は体を表す。口頭であろうと書面であろうと名付けることが存在を認識するための第一歩である。名前さえもはっきりしないのに、どうして対応することができるのか。友人たちよ、この陣営は極右と呼ばれる勢力なのだ。ちょっと見れば、権威主義、家父長制、そして男主義がぷんぷんにおってくる。彼らが投げかける言葉や実際の暴力を見ればわかるはずだ。かれらはまず香港社会運動の声を押しつぶし、そして民主化運動全体の声を押しつぶして、民主化運動を武侠[任侠]小説の世界に変えてしまうのだ。

◆ 極右以外の何者でもない

彼らのことを極右と呼びたくない人々が運動の中にいることも、私は知っている。理由の一つは、自分はそのような左右のイデオロギーからは無縁でありたいという思いからだ。相手を極右と呼んでしまうと、自分が左翼(このレッテルを好んで受け入れる人はそう多くない)に見られてしまうとおもっているようだ。

何が左翼で何が右翼かについて、ここで討論するつもりはない。ただ指摘しておきたいことは、いま「サヨク」という罵倒で民主化運動や社会運動を攻撃している人々は、国際標準でいえば、間違いなく極右、あるいは極めて極右に近い立場なのである。もしオキュパイ運動が普通選挙の水準において国際標準を求めるのであれば、政治的な立場においても国際標準を使うべきである。[この「国際標準」はオキュパイ運動が中国政府の偽普通選挙に対抗する理論的根拠の一つ:訳注]

極右の特徴は、本物の左翼に対する暴力的攻撃だけでなく、民主主義、自由、平和を主張する人々(自由主義者を含む)を暴力で攻撃する。自分は左翼ではないので、極右の攻撃には遭わないだろう、という考えは、ドイツにおける自由主義者や左翼以外の社会運動の悲劇の轍を踏むことになるだろう。

私も自身の立場に固執するつもりはない。もし「極右」というのが気にそぐわないのなら、「ファシスト」と呼ぶのはどうだろうか。左翼との関係を望まない人々も、これなら誰もが受け入れることのできる呼称ではないだろうか。繰り返す。このような極悪勢力に対して、統一した名前さえも付けることができなければ、対応することさえできないのである。

(2014年10月12日「明報」日曜版に掲載)

【香港】オキュパイ運動の力を集中させよう-左派4グループ共同声明

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金鐘オキュパイにつくられたアンブレラ運動のモニュメント

以下は、複数のオキュパイ拠点を金鐘(アドミラリティ)の拠点に集中しようという二つの主張である。二つ目の文章では、特にプチブルの憤激が極右運動を大衆化させる可能性を示唆している。社会的変革の激動において、プチブルが憤激も動揺もすることなどできないくらいの確固たる組織的な運動をつうじて、このような動揺と憤激の大衆的極右化の根を完全に断ち切る、というのが理想ではあるが、現状ではとてもそのような組織的な動員をかけられるほど社会運動の側が強力ではない、という現状判断が読み取れるだろう。(H)


ファシスト暴徒による平和的オキュパイへの
襲撃を放置した特区政府を強く非難し、
みなさんの力を金鐘オキュパイに結集することを呼びかける


香港の法治は基本的人権を比較的尊重するものであったが、それは今日破壊された。今日、旺角、銅鑼湾、尖沙咀などでファシスト暴徒とマフィアが平和的にオキュパイを行っていた市民とその拠点を襲撃する事件が発生し、100名以上の負傷者がでたからだ。われわれはこの事件を強く非難する。残念なことに、われわれの特区政府は香港人の安全を守らなかっただけでなく、暴徒が平和的オキュパイ参加者を襲撃することを放置した。これらの暴徒とマフィアは明らかに準備を整えてやってきたのであり、そうであるなら特区政府がそのことを全く知らないということはありえないのである。知っていて警備態勢をとらず、市民を守るために襲撃者をひとりのこらず逮捕しなかったのは、事実上これらの暴徒とマフィアに依拠して民主化運動に打撃を与えることにほかならないのである。このような状況は、かえってオキュパイ運動の正当性と切迫性を証明するものである。民主主義を実現ことこそが法治を保障するものである、と。

政府容認によるひどい襲撃において、これ以上の被害を回避し、無辜の民衆への影響を緩和するには力を結集しなければならない。われわれは、他の拠点から撤収して、金鐘のオキュパイ防衛に力を集中し、現在の重要な陣地--この陣地はこの一週間で本当の市民空間になっている--を防衛することを真剣に検討するよう、みなさんに呼びかける。専制政治を終わらせるには長期の奮闘が必要であることは我々も理解している。今回の運動によって勝ち取られた成果はできる限り活用することは当然であるが、現有の実力の消耗、とくに梁振英政権が戒厳令を宣言し全面的に弾圧を行う口実を与えないよう注意する必要もある。

今回のアンブレラ民主化運動は、押し寄せる大波のごとく大きな発展をみせた。運動の参加者は驚くべき文化的素養を発揮し、香港人の自決への渇望とともに、香港人にその能力があることを示した。われわれは権力エリート階級が一切を取り決めることを拒否する!われわれは民主的自治を要求する!われわれは真の普通選挙を要求する!

今回の運動の結末がどうなろうとも、この運動の登場そのものが、すでに最大の成果である。それは香港人の民主的覚醒を代表しているからである。これこそが民主化が最後には勝利することの保証である。

すべての暴徒を法によって裁け!
梁振英は辞任しろ!本当の普通選挙、本当の民主主義を実施せよ!市民の立候補を!
全人代の決定を撤回せよ!
民主万歳!人民万歳!

2014年10月3日

街坊工友服務處
社會民主連線
全球化監察
先驅社

原文は署名団体の一つ街坊工友服務処のサイト参照
http://www.nwsc.org.hk/desktop/content.php?id=345



なぜ旺角を撤退し金鐘に集中すべきなのか?

2014年10月5日
區龍宇

街工など四団体は昨日、人々は旺角を撤退し金鐘に集中すべきだという声明を発表した。

まさにそうすることが必要となっている。政府がすぐに弾圧するという理由や、こちら側の力不足などの理由はこれまでも語られてきた。ここではもう一点を補足しておきたい。旺角での襲撃はすべてが組織された極右暴徒による計画だったわけではない、ということだ。

襲撃者のなかにはプチブルによる自発的な部分もいた。旺角は多くの小店舗が軒を連ねており、彼らに直接なんらかの影響を受けていなかったとしても、心理的にはすでに極度に動揺していた。これらのプチブル(小ブルジョアジー)は、上からは独占的な土地ブルジョアジーからの搾取を受け、下からは雇人からの突き上げに遭い、つねに社会的保守の集団を形成している。

さらに重要なことは、かれらの計江基盤が極めて脆弱であり、わずかの経済的波乱でもすぐに破産に追い込まれる状況にある。このような状況が極度に波乱を恐れ、波乱を目の当たりにすると恐慌に陥るという階級的心理を作り出している。いったん恐慌状態に陥ってしまった人間は、なんでもやってのけることができる。経験のある社会運動の活動家の第一戒は、これらのプチブルを恐慌の淵に追いやってはならないということである。いったん恐慌のふちに追いやられたプチブルは、一切を惜しむことなく「秩序回復」のために、容易に極右暴徒を支持するだろう。

ここ両日、これらのプチブルは誰かれとなく攻撃をしている。私も前夜に何人かの女性を防衛しながら旺角のオキュパイ拠点を後にしたときに、知らない人から「あんたは誰だ」と聞かれた。わたしが教師だと答えると彼は突如豹変して「お前みたいな教師がこのクソ学生たちを育てたんだろう!」と食ってかかられた。こういう人間に道理を説いても無意味である。そのプチブル精神が彼ら自身に呼びかけているのである。「一切を惜しまず秩序を回復せよ!!」と。

オキュパイ・セントラル運動はこれらプチブルの怒りを買ってはならない。さもなくばそもそも大衆運動ではない極右が大衆運動に代わってしまうかもしれないからだ!

わたしは、学生連合、学民思潮、街工、社民連、工盟およびすべての団体が、旺角およびその他の拠点を撤退し、金鐘に集中するという声明をだすことを期待する。

だが、金鐘に集中したとしても、主要幹線を長期間占拠しようと考えるべきではない。われわれの運動は無数の民衆の支持はあるが、一方で運動には弱点もあり、当面は中国共産党の譲歩を引き出すことは難しいだろう。もし無理に道路を占拠しつづけたとすれば、深刻な弾圧に発展する可能性がある。

一時的な街頭占拠によって政府との対話を再開し、すくなくとも添馬公園[政府総部ビルの目の前にある:訳注]を学生と市民が管理する民主化公園とすることを政府に認めさせるべきだろう。このような民主化公園は政府にとっても目の上のたんこぶになるし、今後のアンブレラ運動の一大拠点として、民主化の宣伝と教育のセンターとなるだろう。政府が承諾すればそれに越したことはない。実際、承諾することで交通も回復するだろうし、林鄭月娥[香港政庁ナンバー2]のいうように、双方相討ちよりもずっとましである。われわれの運動自身も成果をあげることになる。

もし政府が承諾しなくても、主要幹線道路から撤退して添馬公園の拠点化に集中すべきだろう。これによって運動は敗北するのではなく、逆に政府が難題にぶち当たることになる。公園を占拠したところで、市民生活や政府の活動に影響はでないが、拠点の登場で民主化運動にさらなる勢いがでるだろうし、これによって運動が抱えるリスクもそう大きくはないからである。

これごときで梁振英政府が戒厳令や発砲など行った時には、それこそ人々の批判を一斉に受けることになるだろう。

もし運動の側が旺角を撤退しなければ、逆に多くの批判を我々が受けることになり、暴徒による極右大衆運動の発展に力を貸すことになるだろう。

もちろん拠点を公園に移したとしても、政府は攻撃してくるだろうし、戒厳令あるいは発砲の事態に至るかもしれない。そのようなやむを得ない場合にも公園からの撤退を行うべきだろう。しかしわれわれはそれによって大衆の支持を勝ち得ることができるだろう!今日という日を失うべきではない!このチャンスを失うべきではない!自ら運動を袋小路に追い詰めてはならない!

とまれ、現在の力関係から考えれば、この運動は長期的な闘争にならざるを得ないだろう。だからこそ実力を蓄えておかなければならない!そう思うものはこの主張を拡散してほしい!

原文は香港独立媒体を参照
http://www.inmediahk.net/node/1026870

【香港】香港人の民主的コミュニティの誕生ーー「アンブレラ運動の共同綱領」の提案

香港人の民主的コミュニティの誕生
「アンブレラ運動の共同綱領」の提案

區龍宇

今回のアンブレラ運動は香港人による驚異的な民主主義の実践能力を示した。十数万の人々が混乱することなく、しかも自ら秩序を維持しつつ、相互の尊重し認め合っている。長年にわたり香港の人々は一種のアイデンティティの喪失状態にあったが、今回の運動はこの問題を初歩的に解決した。香港人はすでに新しい立場をもつことになった。それは香港人の民主的コミュニティである。

人類社会はコミュニティをつくることで生存が可能になる。しかし「コミュニティでは平等な政治権力を実施し、民主的な手続きで政策をきめなければならない」という概念が一般的となったのは近代社会以降のことである。中国そして香港はその後塵を拝している。1989年の中国の民主化運動において、初めて広く民主主義が叫ばれたが、それは人々が奴隷思想から抜け出しはじめたことを示しており、それに刺激を受けた香港人も同じような訴えを抱くことになった。しかし香港人は今日になってやっと、広範な動員をつうじた権利の獲得に動き始めたのだ。

現在、香港の街頭では民衆アセンブリーが登場しており、人びとは自発的に意見を表明したり相互党論を行っている。民衆アセンブリーを至る所で花開かせよう!われわれもさら様々な方法で組織化を進めなければならない。組織化こそが民主的コミュニティの骨格をうちかためることができるのだ。

この一週間の運動の深遠さから、この運動における絶対的多数の参加者にある種の共通点があることをわれわれは理解している。しかし、生まれたばかりの香港人の民主的コミュニティを健やかに成長させるために、一定の定義づけが必要だとおもわれる。まず、民主的精神とはネルソン・マンデラが言ったように、自らの権利を実現するためだけではなく、すべての人の権利を実現するものでなければならない、ということである。そう考えると、われわれは香港の全面的民主化を実現すると同時に、中国国内の民衆の民主的訴えも支持すべきなのである。われわれは香港人の政治制度の自主性と高度な自治の権利を追求しているが、香港独立を追求するのでも、また中国からの離脱を求めているのでもない。

つぎに、民主的コミュニティであるがゆえに、それは政治制度だけにとどまらず、コミュニティのすべての人の生存権や労働における尊厳が保障されなければならない。しかし1%の人々が経済を支配し、99%の人々の生存には保障も尊厳もないという格差が存在する現在の状況は、まさに民主主義に反することなのである。それゆえ、今回の全面的なオキュパイ香港運動において、独占財閥と専制政府に対する不満の声が至る所で耳にするのも、なんら不思議ではないのだ。民主主義は生存権の保障とかい離することなどできない。これが共通の訴えなのである。この訴えにはすくなくとも、労働時間規制、皆年金制度、団体交渉権が含まれるべきである。[香港では英植民地時代から中国返還された現在も、これら労働者を守る規制は存在していない:訳注]

いま運動には共同綱領が緊急に必要である。目標を明確にし、最大多数の参加者を団結させ、あわせて運動が陥るかもしれない不利な局面の主張とはっきりと境界を引くべきである。

運動は「選挙改革の五つの手続きをもう一度やり直す」などという要求を提起してはならない!これは袋小路にしかならないからだ!

香港人は自身の行動、汗と涙によって、中央政府に対して自らの要求を押し通す決意を示した。それゆえ選挙制度改革における明確な目標は次のようになるべきである。

・2017年の行政長官選挙における市民立候補の要求の堅持
・2016年の立法会選挙で、職能別議席を廃止して完全な普通選挙の実現の堅持
・基本法の変更は香港人の要望に沿ってのみ行われるべきであり、逆であってはならない
・自分たちの政府は自分たちで選ぶ!

運動はもちろん非暴力を堅持すべきである。しかし緊急の事態に対しては、心の準備をしておかなければならない。暴力を制止するためには、必要な力や方法を行使して相手の暴力を阻止することも必要である。そのためには広範な民衆によるピケット隊を組織する必要がある。

以上の提案は、コミュニティの一員としての意見である。市民からの多くの批判や意見が提起されることを望んでいる。これこそが民主主義である。

希望は人民にあり、変革は抵抗から始まる!

2014年9月30日 黎明

香港:オキュパイ・セントラルの攻略

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【解説】以下は独立ウェブメディア「独立媒体」のサイトに掲載された區龍宇さんの分析の翻訳である。授業ボイコットに引き続き、政府庁舎前の街頭オキュパイを試みた学生らへの弾圧に抗議した多くの労働者市民たちによる街頭占拠闘争を受けて書かれたものである。原文はこちら http://www.inmediahk.net/node/1026604 (H)


オキュパイ・セントラルの攻略

區龍宇


オキュパイ・セントラルは一日千里がごとく急速に拡大した。まことに喜ばしく、大変めでたいことである!

一、情勢

労働者市民が学生支援に立ち上がり、その身をつかって催涙弾を阻み、梁振英政権の攻勢を打ち負かし、人民民主主義の新時代を切り開いた。この運動にはいくつかの特徴がある。

1、学生と市民は、自ら考える能力を持っていることを実証した。それは偉大なリーダーにつき従うというものではない、下からの直接行動である。

2、運動の動力は中年世代の民主派から、学生・青年世代へと移った。しかもそれは学生からすべての人民に拡大した。

3、労働者市民が参加してすぐに、かれらの社会的平等への願望が運動に持ち込まれた。それまでも学生連合の周永康が九月二二日からの授業ボイコットにおける演説の中で、経済的不平等の問題を提起していた。一昨日には25の労働組合および社会運動団体が共同声明を発し、真の普通選挙以外にも、労働時間の規制および皆年金制度を要求した。一方、この両日のオキュパイは、労働者市民が政治的議論に参加する機会をもたらした。これらの街頭討論において、1%と99%の不平等をただす民衆の訴えをよく聞いた。

官民の対立にも重要な変化が見られた。梁政権は攻勢から守勢へ、そして運動の側は若干のダメージを受けたのちすぐに全面的な反発から反転攻勢へと状況が変化した。

現在もっとも重要なことは、この主動的情勢を利用し、最大の勝利を目指すことである。

しかし運動には重要な弱点もみられる。

1、世代間の引き継ぎがうまくいっていない。古い民主化運動の古い指導者たちは、元局面を指導する力もないが、新しい民主化運動の指導部は現在形成中である。危険はここにある。

2、組織力の不足。学生組織は比較的ましだが、それにしても運動の規模には依然として追いついていない。労働者市民はさらに組織、力点、ネットワークによる相互支援に欠けている。それゆえ、ストライキの呼びかけがすでに発せられ、それは当初において効果を発揮したが、効果を発揮するためには必要以上の多大な力を費やす必要があった。

これらの弱点は、主要には現在の運動を深化させ、一定の成果を得ることで克服するものであり、傍らで批評すればいいというものではない。運動に参加し、運動を拡大させようとしないもの、あるいは運動の立場からという理由で横からの批判を行うものに対しては、相手をしなくてもよい。


二、目標・スローガン

現在における力関係では、つぎのことに取り組むことが可能である(難易度順の**い順に述べる)

1、公民広場および天馬公園を人民の側に取り戻すことを梁政権に受け入れさせる。運動にとって重要な拠点を与え、警察はそこから撤退させること。受け入れなければ街頭からの撤退はあり得ない。受け入れた場合、その返還は状況をみて判断する。
2、梁政権および責任者による公式の謝罪
3、梁行政長官の辞任。
4、全人代決議を撤回し、真の普通選挙と市民派の立候補を実現させる(もう一度、最初に戻って政治制度改革草案を起草し直すという陳建民の主張には絶対に同意することはできない。それは自分で自分を縛ることだ)
5、労働時間規制、皆年金制度、団体交渉権の実現
6、制度の変革、民主化運動自決

三、方向

1、学生は自発的かつ組織的に動くことが可能だが、労働者市民に対してはさらなる激励が必要である。現在はいかにストライキを拡大させるかを考えている。単産単位で自発的に組織化することを激励する。名称は民主化チームでもいいし、ストライキ委員会でもなんでもかまわない。このような基礎があってはじめて力の再結集について語り合うことができる。
スローガン:学生と労働者はつながろう、制度改革の実現、民主化運動の自決!

2、非暴力

3、あらゆる運動参加者が、民主化運動の自決あるいは政治制度の自決を提起することは適切である。しかし香港独立という提起に対しては、われわれ(民主的左翼/進歩派)は次のように答えるだろう。その問題は今後討論する価値はあるが、いまはその時期ではないと。香港独立の主張に同意できないことすぐに提示することは適切である。現在それを提起しても運動に害をもたらすだけだからである。

2014年9月29日(月) オキュパイ・セントラル 三日目に

香港:下からの組織化と長期的な闘争の準備を!

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 香港では街頭を占拠して民主化闘争がつづいている

【解説】香港の民主化闘争は、オキュパイ・セントラルという大規模な街頭闘争を成功させた。9月22日からはじまった大学生や高校生らの授業ボイコット運動、そして9月26日の街頭における機動隊の暴力と学生リーダーへの弾圧に対する広範な市民の憤激による自発的な街頭占拠闘争、9月29日には学生と市民による街頭占拠闘争を支持するための独立系労働組合ナショナルセンターによるゼネスト宣言を経て、10月1日の国慶節には10万余りの市民が、行政長官官邸から見下ろすことができる大通りを含む市内数か所を占拠するまでに発展した。オキュパイ運動は(1)中国政府が決定した2016年議会選挙(職能別議席の温存)と2017年香港行政長官選挙(親中派が占める候補者選定委員会による候補者の確定)の方法を撤回すること、(2)行政長官および選挙制度改革チーム責任者の辞任、(3)オキュパイ空間の確保などを要求している。以下は、独立系労働組合ナショナルセンターのゼネスト呼びかけ当日であり、市民による自発的な街頭占拠が始まりつつあった9月29日未明に書かれた林致良同志の呼びかけである。(H)

========

人民による正義の闘争を支持し、偽りの選挙に反対する
下からの組織化と長期的な闘争の準備を!


林致良


ここ両日、数万の香港市民、特に青年たちが、無私無欲の精神を発揮し、自発的に集会闘争を展開し、香港政府本庁舎前の学生たちを支援している。大衆運動は拡大し継続しつつある。本日未明、一部の市民はすでに自発的に銅鑼湾と旺角の通り[どちらも繁華街]を占拠した!

闘争に道理あり
偽りの選挙を恥じよ


デモに参加している市民たちは、行政長官の選出方法についての中国全人代常務委員会の決定に反対し、市民候補者と自由選挙の真の普通選挙を要求している。これは全く正当であり、かつなんら急進的な要求ではないにもかかわらず、北京当局はかたくなにそれを拒否している。北京当局は、選挙候補者指名委員会によってふるいにかけられた候補者のなかから、有権者が一人一票で選ぶ選挙を普通選挙として香港人に押しつけようとしている。このような方法は上流階級の特権を保障し、市民の真の選挙権を奪うものでしかなく、そもそも普通選挙と呼ぶことなどできない代物である。このような反動的制度と公然たるペテンに反対するために、学生たちが授業をボイコットし、市民らが平和的な集会を行うことは、まったく正当な闘争にほかならない!

各分野の闘争のための
プラットフォームの組織を


政府によるかたくなな拒否から、真の普通選挙をかちとる闘争は長期の奮闘が必要となるだろう。より多くの香港市民の支持が必要となるだけでなく、中国人民の支持を得ることが(すでに中国国内のSNSなどでは香港人民を支持する書き込みなどが見られる)、勝利をかちとるカギになるだろう。必要なことは香港の労働者民衆による下からの組織化であり、労働者、学生、女性など各分野の闘争委員会を組織し、民主化闘争の継続を共同で準備する必要がある。

街頭での議論の組織を
生活分野での民主化をいかに実現すべきか


真の普通選挙を実現することはごく当たり前のことであるが、しかしそれだけでは深刻な人々の生活困窮問題を解決することはできない。今日の民衆、とくに青年たちは、物価高騰、低賃金、長時間労働、公共住宅への永遠の入居待ちなど、未来に展望を見出すことができない。こうして織りなされるさまざまな不満は資本主義社会に普遍的な現象であり、香港においても例外ではない。それゆえ、われわれは政治制度の民主化を実現する必要があるとともに、同時に生活の困窮も改善しなければならない。専制反対の政治闘争と大企業独占反対の生活経済闘争は相互に補完するものである。

真の普通選挙は香港市民による現状変革のツールの一つであり、われわれは積極的にこのツールを手にしなければならない。同時に「われわれの生活はいかなる抑圧に直面し、その抑圧は何故に生み出されているのか?もし市民派候補者が実現するのなら、われわれはいかなる政治的手段で理想的な生活を保障し実現するのか?」について検討し討論することが極めて重要である。

大規模な大衆集会で最も貴重なのは、異なる業種、異なる居住区の人々が遭遇するチャンスをつくりだすことである。われわれは街頭で民主的政治制度を実現しようと奮闘する市民の皆さんに、みなさんの周囲の10~20人を一つの単位としたグループをつくることを呼びかけたい。そしてそこで、真の普通選挙というツールの実現のだけでなく、理想的な民主主義にはどのような実質的な内容が含まれるのか、われわれが考える真の民衆のための政府は物価高騰、低賃金と長時間労働、家賃高騰などの問題をいかに解決するのか、いかにして民主主義を経済生活のなかで実現するのかなどについて、討論することを呼びかけたい。

人民による積極的な討論を通じたコンセンサスの形成こそが、民主主義を選挙の時だけのものに限定させず、真の民主的生活を実現させることができるのである。

2014年9月29日 午前3時
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