虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

リビア

【リビア情勢】フランスNPAのコミュニケ

npa lybieフランスの反資本主義新党(NPA)の、リビア情勢に関するコミュニケを転載する。

NATOを通じてリビアに軍を派兵している当事国の左翼の態度表明として、読まれてほしい。





コミュニケ

民衆に自己決定権を 帝国主義とアラブ独裁体制の介入を許すな
 http://www.npa2009.org/content/communiqu%C3%A9-du-npa-kadhafi-tomb%C3%A9-aux-populations-de-d%C3%A9cider

反資本主義新党(NPA)
 

 (チュニジアの)ベン・アリと(エジプトの)ムバラクが倒された後の2月15日と16日、今度は、42年間にわたる時代遅れの独裁体制に反対する民衆の運動の発展が見られることとなったリビアの番であった。

 カダフィの反撃としての残忍な弾圧の中で、自らの解放を要求する暴動の口火となったのはベンガジでの一人の人権活動家の逮捕であった。

 弾圧によって生み出されたのは逆効果であった。抵抗、カダフィの代理人たちのくびきからのベンガジの解放、反乱の近隣都市への拡大、が発展した。

 チュニジアとエジプトの革命的過程もこうした苦難を潜り抜けたのであり、両国の革命的過程は弾圧への抵抗に勇気を与えたのだった。

 この六ヵ月間、反乱が発展したが、同時に、反乱から一ヵ月後に、国連決議という覆いのもとで、NATO諸国が空からの軍事介入を通じて進行中のこの過程を自らのものにしたいと考えた。NPA(反資本主義新党)はこの介入を弾劾する。その目的は明白である。それは、過去と現在にわたって、この独裁体制を最後まで自らが支持してきたという事実を忘れさせるためであり、石油と天然ガスの資源が豊かなこの国を支配するためである。

 独裁体制の崩壊は人民にとってはよい知らせである。NPAは、アラブ地域で継続している革命的過程に全面的に連帯している。この過程を完成させるには、人民は反革命の二つの顔を打ち破らなければならない。反革命の一つはシリアのアサド体制をはじめとするアラブの独裁体制であり、もう一つは帝国主義大国による民衆の運命を奪い取ろうとする試みである。

 リビア民衆に切り開かれたのは新しい生活である。自由、民主的諸権利、天然資源によってもたらされる富を人民の基本的必要を満たすことに使うこと。こうしたことが日程にのぼっている。



  2011年8月21日

リビア:きわめて重大な疑問 リビアの反乱勢力とは何者か?

リビア:きわめて重大な疑問 リビアの反乱勢力とは何者か?
「デモクラシー・ナウ」がジルベール・アシュカルにインタビュー


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▲アシュカル(右)にインタビューするエイミー・グットマン

番組映像は
Democracy Now!のサイトでみられます
日本語サマリーは
Democracy Now!日本語版でみられます


 リビアの反乱勢力はムアンマー・カダフィ大佐の住宅地区を確保し、首都トリポリを掌握した。しかしリビアの指導者(カダフィ)の行方は知れず、カダフィは彼の部隊が「勝利か死か」をかけて「総力で攻撃に立ち向かう」と誓った。トリポリからの報道では、数十人の海外のジャーナリストたちが重武装したカダフィ派の兵士に監視されて、離れることができないままでいるリクソスホテルの近辺の地域では、銃声がなお聞こえているとのことである。八月二三日、アラブ連盟は、数カ月前にカダフィ政権から奪った連盟の議席をリビアの反乱勢力に与えることを今週中に考えると述べた。

 今日(八月二四日)英国の国家安全保障協議会は、リビア国民評議会を財政的に支援するためにリビアの資産凍結を解除を討議する会議を行った。「デモクラシー・ナウ」(訳注:米国のパシフィカ・ラジオ・ネットワークの報道番組。企業メディアが取り上げない独立した報道を配信している)のエイミー・グッドマンが、ロンドンの東方・アフリカ研究スクール教授のジルベール・アシュカルと討論した。(「インターナショナル・ビューポイント」編集部)


エイミー・グッドマン(以下AG) ……ここでロンドンの東方・アフリカ研究スクールの教授であるジルベール・アシュカルに加わってもらいましょう。彼には『アラブとホロコースト:アラブ・イスラエル戦争のナラティブ』など多くの著作があります。先週彼はリビアにおけるNATOの役割についての長文のエッセイ(NATO’s “Conspiracy” against the Libyan Revolution――リビア革命に敵対するNATOの「陰謀」)を発表しました。


 アシュカル教授、「デモクラシー・ナウ」にようこそ。現在リビアで何が起きているか話していただけますか。


ジルベール・アシュカル(以下GA) ハロー、エイミー。あなたとお話しできて光栄です。


 いまリビアで何が起きているかについては、あなたが話した通りです。私もあなた以上のニュースを知っているわけではありません。しかし基本的には、反乱勢力がカダフィを捕え、親カダフィ派の都市、あるいは親カダフィ派勢力が支配している都市を鎮圧するまでは、戦闘は継続します。そしてニュースから知るかぎり、かれらは平和的にそれを行うためにカダフィ派の都市の住民と集中的な交渉をしています。私は、反乱派がシルト(訳注:リビア中部のカダフィ派の勢力が強い都市)を支配下においたと彼らのスポークスパースンが語っているのを、さっき聞いたところです。まだはっきりしたことはわかりません。


AG あなたが書いた文章のタイトルは「リビア革命に敵対するNATOの『陰謀』」です。説明していただけませんか。


GA もちろん「陰謀」はカッコつきです。陰謀が存在すると言っている人の文章から引用したからです。しかし重要な点は陰謀ではありません。それは実際にはNATOの介入の当初から展開されてきた公然たる計略です。それが長期的な介入の展望として現れた時点から、この計略はある意味において、カダフィ政権と反乱勢力とのなんらかの合意を取り付けようと試みながら、この情勢、戦争が、結論にまで陥ることのないように構想されていました。つい最近までそうだったのです。


 数週間前、リビアについての青写真を作成するために作られた英国主導のNATOチームは、イラクのようになるという強迫観念がある、と主張していました。イラクに侵攻したとき、ブッシュ政権はサダム・フセインのバース党国家を解体しました。そして通常、西側の情報源では、イラク侵攻が惨劇になってしまった原因の多くを、この最初の行動のせいにしています。したがってNATOの強迫観念とは、リビアで同様の状態になることを避け、カダフィ政権と反乱勢力双方の有力者間の交渉をすることでした。


 数日前まで、たとえば「フィナンシャルタイムズ」の論説は、反乱派はトリポリを攻撃すべきではないと言っていました。その口実は、流血の惨事になるから、ということです。もちろんこうしたことは起こりませんでした。しかしトリポリを攻撃せず、トリポリとの関係を断たないという考え方は、いつでも存在していました。そしてそれをつまずかせ、起こらなくさせたのはカダフィ自身の強情さによるものでした。反乱派にとってカダフィが公的地位にとどまるのを受け入れる余地はなく、カダフィも退陣を受け入れる余地はなかったからです。

AG ジルベール・アシュカルさん。反乱派とはどういう人たちなのですか。


GA 反乱派とはどういう人たちか、ですって? そうですね、これはとてつもなくむずかしい質問です。NATOのサークルの間でさえ、同じ質問が出されるでしょう。事実はと言えば、もちろんのこと私たちは国民評議会については知っていますが、この評議会のすべてのメンバーを知っているわけではないし、トリポリをふくむ残余の地域を代表するために新メンバーが発表されるでしょうから、知識といっても限定されたものでしかありえません。その上にリベラル派、前体制のメンバー、部族やこの国のもともとの構成要素を代表する伝統的な人びとの混合物をここで見出すことになるでしょう。

 

 私たちが本当に判断できるものは、この評議会によって提出された綱領です。私たちが持っている政治的綱領という観点からすれば、国民評議会の綱領は民主主義的移行のための青写真のようなものです。彼らは選挙を組織することを約束しており、それは現実には二つのラウンドからなっています。第一は憲法を起草する制憲議会のためのものであり、そして選挙の第二ラウンドは憲法に基づいて最終的に政府を選ぶものです。彼らはある約束をしているのですが、それについては本当のところ私は懐疑的です。その約束とは、現在の国民評議会、すなわち伝統的国民評議会の全メンバーは、この二つのラウンドの選挙には加わらないというものです。これもどうなるか分かりません。


 国民評議会の現内閣が代表する経済的綱領のレベルでは、リビアの新自由主義的改革を指揮することにおいてカダフィの下ですでに同じ役割を果たしてきた人々が見いだされます。したがってこの点でなんら変わった独自なものを期待できません。つまりこれは社会主義革命ではないということです。この点で、なんらかの幻想を抱いてきた人がいるとは思いません。


 しかし、闘う民衆という点から反乱派のことを考えるならば、日曜日(八月二一日)の夜に、トリポリの以前は「緑の広場」――実際には虐殺者広場なのですが――と呼ばれた場所に集まった巨大な数の蜂起する民衆は完全に不均質な広がりを示しており、こうした人々の圧倒的大多数は、今や武器を携えている者を含めて、それ以前の政治的背景を全く持っていません。つまり、反乱に立ち上がった武器を携えた民衆のほとんどは市民だったのです。彼らは兵士ではありません。こうした人々のほとんどは、四二年間の独裁体制によって真の政治生活を経験しておらず、政治的に表現することがきわめて困難です。私たちは、この国の政治闘争が真にスタートした時に何が起きるかを見守る必要があります。それは、独裁体制が倒された二つの国、チュニジアとエジプトで私たちが見ている政治闘争の進行と同様です。


AG NATOは他でもないこの反乱派(国民評議会)と協働することを、どのようにして選んだのでしょうか。


GA 多くの選択肢があるわけではありません。世界の多くの国が国民評議会を承認し、人々が「しかし評議会は選ばれたわけではない」と言うのを聞いた時にです。実際、どうして選ばれることなどできたでしょうか。これは武装蜂起的情勢なのであり、そのように対処しているのです。彼らはこの国を永続的に統治すると主張しているわけではありません。彼らは当初から、自ら暫定的・過渡的存在であると言ってきました。彼らは、選挙を組織し、退場すると言っています。そして私が先ほど言及したように、すべての国民評議会のメンバーは次の二ラウンドの選挙に立候補しないとさえ述べています。したがってリビアにおいて当面のところ、カダフィに代わるものとしては国民評議会以外にありません。


 政治的にこれからなにが起きるかはまだ分かりません。つまりそれはエジプトで言われていることと同様です。エジプトではムバラクが倒されましたが、誰が権力を取ったのでしょうか。つまり軍隊です。そして実際のところ、いまリビアで起きているのはエジプトで起きたよりもさらにラディカルな体制変革なのです。なぜならエジプトでは、取り除かれた氷山の一角であるムバラクとその一党を別にすれば、基本的に依然として軍部が支配しており、軍隊は一九五〇年代以来政権のバックボーンでした。他方現在のリビアでは、反乱勢力には旧体制の前構成員がいますが、旧体制の構造は、カダフィの軍隊からして私的な民兵や「近衛兵」だったのであり、それは粉々に崩壊しています。いまだ完全に終わったとは言えないまでも、トリポリにおいてそれがいかに崩壊したかは私たちが見てきたところです。


AG 「デモクラシー・ナウ」は昨日、「インスティチュート・フォー・ポリシー・スタディーズ」(政策研究所)のフィリス・ベニスの話を聞きました。彼女は、西側諸国によるリビアの石油支配が、この紛争の決定的要素だと述べました。


フィリス・ベニス それは単に石油へのアクセスにかかわる問題ではありません。それはグローバル市場にかかわる問題です。それがこの問題の一部なのです。それは石油へのコントロールにかかわる事柄なのです。それはこうした契約期間のコントロールにかかわる問題なのです。それはさまざまな時期の産出量、価格のコントロールにかかわる問題です。それは死活的資源のコントロールという問題です。


AG そこで私たちは、さまざまな石油企業――フランスのトタール、米国のマラソン、ヘス、コノコフィリップスなど――について議論しました。石油企業はたくさんあります。そして興味深いのは、リビアの反カダフィ派政権がロイター通信とのインタビューで、中国の企業をふくめてカダフィ政権時代に認められたすべての石油契約を尊重すると述べていることです。アシュカルさん、あなたの意見は?


GA そうですね。NATOの介入において石油が大きな要因であったこと、リビアが石油産出国でなかったらNATOは介入などしなかっただろうことは全く明らかです。それは明白です。さてここでの問題は、あなたがおっしゃったように西側がアクセスしていない一定の領域へのアクセスを実現するということではありません。基本的にあらゆる西側の企業がリビアに入り込んでいました。すべての主要な西側の石油企業は、リビアの政権と契約を結んでいたのです。そして暫定政権である国民評議会は、すべての諸国とのこうした契約を尊重すると語っています。基本的に言って、このレベルにおいてはそれが大きな成果だとは言えません。もちろん、新しい譲歩や契約が行われることになれば、国民評議会が言うように、交渉で特権を得るのは最初から反乱勢力を支持してきた諸国でしょう。


 しかし私は来るべき市場の方がもっと大事だと思います。大規模な破壊があり、多くのインフラの再建の必要があります。そしてもちろん米国、英国、フランスをはじめとする西側の企業は、この市場に大いに関心があるのです。したがってもちろん、NATOの介入の背後には優遇措置、それによる利潤動機があったのであり、基本的にそれ以外のものはありませんでした。


 しかしこうしたことと、今やNATOがリビアを支配しているという確信の間には、とても大きな隔たりがあります。つまりNATOはイラクやアフガニスタンのような諸国に地上軍を送り、イラクでは長期間にわたって大規模な軍を送りこんだのですが、彼らは依然としてこの国を支配しえていないからです。したがってそれなら、NATOや西側諸国はいかにして地上軍を送らず、遠隔操作でリビアを支配するのでしょうか。そして米国のシンクタンクである外交問題評議会のリチャード・ハースのような人物がワシントンに対して地上部隊を送れと語っている、いや叫んでいるのはそのためです。


 しかしこれは最初から反乱勢力によって厳しく拒否されました。反カダフィ派は空の支配を求めました。彼らは空からの保護を求めました。しかし彼らはあらゆる形態の地上軍の介入に対しては初めから頑強に拒否してきました。そして彼らは依然としてこの立場に重きを置いています。彼らはごく最近、NATOがリビアにいかなる基地を建設することも許さない、とする声明さえも発表しています。


 そして私たちは多くのサインを見ることができます。たとえば彼らは、カダフィと彼の息子を国際刑事裁判所に引き渡すことを拒否し、リビア国内で裁くと言っています。したがっていかにワシントンやロンドンやパリが主張しようとも、リビア情勢を動かす彼らの影響力には重大な限界があることをそれは示しています。西側は、カダフィの勢力が存在し、戦争が継続している限り、より限定されたものだとはいえ影響力を持っています。しかしカダフィ派の抵抗が消滅するやいなや、西側が持っている影響力はきわめて削減されることになるでしょう。


AG アシュカルさん、私たちとおつきあいしていただき、ありがとうございました。


▼ジルベール・アシュカルの邦訳書には『野蛮の衝突』(作品社)、『中東の永続的動乱』(柘植書房新社)がある。

(「デモクラシー・ナウ、二〇一一年八月二四日より。「インターナショナルビューポイント」二〇一一年八月号)

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【アジ連6.4公開講座】「中東民衆革命はどこへ」



アジア連帯講座 6.4公開講座

「中東民衆革命はどこへ」


講師:湯川順夫さん(翻訳家)「チュニジアから始まった革命の波」

   田浪亜央江さん(パレスチナ研究)「アラブ〈民衆革命〉とパレスチナ」


日時:6月4日(土)/午後6時30分

場所:コア・いけぶくろ(豊島区民センター)第2会議室(JR池袋駅下車)

資料代:500円


 1月14日、チュニジアで23年間続いたベン・アリー政権は、民衆決起で打倒され逃亡した。2月にはエジプト民衆は、30年続いたムバーラク政権を崩壊させた。この民衆革命の波は、イエメン、バーレーン、リビア、シリアなどへとアラブ世界に波及していった。一連のアラブ民衆の闘いをいかにとらえるのか。さらにリビアへの「国連安保理」決議とさらに欧米主導の軍事介入をどう考えるのか。


 その糸口を湯川順夫さんは、左翼、労働組合、自治組織などの取組みの分析から、「チュニジアとエジプトでは、独裁体制の決壊後の今日一気に噴出しているのは、社会経済的要求を掲げた闘いであり、単一の官僚的ナショナルセンター指導部に抗する左派潮流と新しい独立組合結成の闘いであり、非正規を正規雇用にする闘いであり、独裁体制の時代に事実上凍結されてきた賃上げを勝ち取る闘いである」(『情況』誌2011年×月号掲載ファティ・シャムキ論文解題から)と分析する。そのうえで「統一したアラブ革命という展望のもとに展開される永続革命である」ことを浮き彫りにしていく。 


 さらに講座では、2月にパレスチナとイスラエルを訪れていた田浪亜央江さんから、「アラブ〈民衆革命〉とパレスチナ」という視点から報告していいだきます。田浪さんは、ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉 を通してパレスチナをはじめとする中東地域の動きに注目し、平和的で対等な共存を求めるこの地の人々とつながりを探っています。


アジア連帯講座

東京都渋谷区初台1-50-4-103 新時代社 気付

TEL:03-3372-9401 FAX03-3372-9402


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リビアで何が起こっているのか―ジルベール・アシュカルとのインタビュー

インターナショナル・ビューポイント オンライン・マガジン: IV434 - March 2011

リビアで何が起こっているのか―ジルベール・アシュカルとのインタビュー
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article2038

 ジルベール・アシュカルがスティーブン・R・シャロムからインタビューを受けた。このインタビューは3月19日にZネットに掲載された。(IV編集部)



――リビアの反政府勢力とはどのような人びとなのでしょうか。一部の人びとは、反乱勢力の間で王制時代の旗が掲げられていることに言及していますが。



 この旗は王制のシンボルとしてではなく、イタリアからの独立を勝ち取った後に採用されたリビア国家の旗として用いられているのです。決起した勢力が、カダフィが毛沢東と彼の『語録』をまねて『緑の書』とともに押しつけた緑の旗を拒否するために。この旗を使っているのです。三色旗は決して王制への郷愁を示すものではありません。最も共通の解釈では、この三色旗はリビアの三つの歴史的地域を象徴するものです。三日月と星はアルジェリア、チュニジア、トルコ共和国に見られるものと同じシンボルであり、王制のシンボルではありません。

 それでは反政府派とは何者なのでしょうか。反政府勢力の構成は、この地域を揺るがしている他のすべての反乱勢力と同様に、きわめて不均質です。これらすべての同質性を欠いた勢力を統一させているのは独裁の拒否であり、民主主義と人権への熱望です。その上に、多くの異なる展望が存在しています。とりわけリビアでは、人権活動家、民主主義の支持者、知識人、部族的要素、そしてイスラム主義勢力が混在する非常に広範な連合が存在しています。リビアの蜂起において最も傑出した勢力は「2月17日革命青年連合」です。かれらは民主主義的政綱を持っており、法の支配、政治的自由、自由選挙を呼びかけています。リビアの運動は、分裂して反対派勢力に加わった政府機関や軍部隊の一部を含んでいます。そうした部分はチュニジアやエジプトには存在していませんでした。

 したがってリビアの反対派は諸勢力の混合であり、かれらに対してこの地域の他の国の大衆的決起に対するものと異なった態度を取る理由などありません。



――カダフィは進歩的存在なのでしょうか、あるいは以前は進歩的だったのでしょうか。




 カダフィが1969年に政権を取ったのは、第二次世界大戦と1948年の「ナクバ」(イスラエル建国によるパレスチナ人の追放と離散)に続いたアラブ民族主義の波の遅れた表現でした。彼は自分のモデルとして、また自分が示唆を受けた存在と見なしたエジプトの指導者ガマル・アブデル・ナセルを模倣しようとしました。そこで彼は王制を共和制に取り換え、アラブの統一を唱道し、リビア領内の米空軍ホイーラス基地を撤退させ、社会的変革のプログラムを主導しました。

 カダフィの政権はその後、イスラム化した毛沢東主義に示唆を受け、ラディカルな路線に沿って独自の道を進んでいきました。一九七〇年代には国有化が広がり、ほとんどすべてが国有化されました。カダフィは直接民主主義を打ちたてたと主張し、国名を正式に共和国から「大衆国家」(ジャマヒリア)に変更したのです。彼は、直接民主主義を伴った社会主義的ユートピアを実現したものへと国家を転換させたと装いましたが、それにだまされる者はほとんどいませんでした。「革命委員会」は実際には、国家をコントロールする治安部隊とともに支配機構として機能したのです。同時にカダフィは、彼自身の権力の道具として部族主義を新たに活性化させたという点で、とりわけ反動的役割を果たしました。彼の外交政策はますます無鉄砲なものとなり、ほとんどのアラブ人は彼を異常な存在だと見なすようになったのです。

 ソ連邦が危機に陥る中で、カダフィは社会主義的偽装から転身し、西側とのビジネスに経済を開放しました。彼は、毛沢東の「文化大革命」の物まねをした後にゴルバチョフのペレストロイカを物まねし、経済的自由化は政治的自由化を伴ったものだと主張しましたが、その政治的主張は空虚なものでした。米国が「大量破壊兵器の捜索」を口実にイラクを侵略した時、彼は次は自分の番ではないかと心配し、突然驚くべき外交政策の転換を実行して、「ならず者国家」から西側諸国との密接な協力者へと目を見張るような地位向上を勝ち取ったのです。とりわけ彼は、米国と協力して、いわゆる「対テロ戦争」を支援し、イタリアのために、アフリカから欧州に行くことを望む移民を追い返す卑劣な仕事を行いました。

 この三回の変身を通じてカダフィ体制はつねに独裁そのものでした。カダフィが初期において進歩的措置を実行したのだとしても、彼の体制の最終局面では進歩主義や反帝国主義のひとかけらも残ってはいませんでした。その独裁の性格は、彼が抗議行動に対処するやり方に示されています。即座に実力での弾圧を決定するのです。そこには民衆に対して何らかの民主主義的はけ口を提供しようという試みなど存在しませんでした。今や彼は、抗議行動参加者に対して有名な悲喜劇的演説をするに至っています。

 「われわれは、綿密に、家ごとに、小路ごとにお前たちを探し出す。……われわれはお前たちを戸棚の中から見つけだす。われわれは情け容赦はしない」。

 カダフィが、アラブの支配者の中で唯一、独裁者ベンアリを引きずり下ろしたという咎でチュニジア民衆を公然と非難したのは驚くべきことではありません。彼はベンアリをチュニジア民衆が見いだせる最善の支配者と描き出していたのです。

 カダフィは、抗議行動を行っている者たちはアルカイダの麻薬中毒者であり、コーヒーに幻覚剤を注いでいると主張し、脅しと暴力的弾圧に訴えました。蜂起した人びとをアルカイダと非難したのは、西側からの支持を取り付けようとする彼のやり方です。ワシントンやローマから支援の申し出があったとすれば、カダフィは喜んでそれを受け入れたのは確実です。彼は実際に、ともにパーティーを楽しんだ仲で親友であるイタリア首相シルビオ・ベルルスコーニの態度に激しい失望を表明し、他の欧州の「友人たち」も彼を裏切ったと不満を述べたてました。

 この数年間、カダフィは何人もの西側の支配者や体制側の人物と真の友人になっていました。カダフィの「友人」たちは、ドルの大金のために自らを嘲りながらカダフィと抱き合いました。元英首相トニー・ブレアの「第三の道」の際立った理論家であるアンソニー・ギデンズは、2007年にカダフィを訪問して彼の使徒への道を踏み出し、「ガーディアン」紙に、いかにリビアが改革の道を歩み、中東のノルウェーになろうとしているか、と書いたのです。



――3月17日に採択された国連安保理決議1973をどう評価しますか?



 決議それ自体は、反カダフィ決起派の飛行禁止区域を求める要求を考慮する――そしてそれに応えるように見える――形で文章化されています。反政府派はまさしく、外国の軍隊がリビアの領土に配備されないという条件で飛行禁止区域を設定するようはっきりと求めていました。カダフィは航空機、戦車を備えた多くのエリート部隊を持っており、飛行禁止区域の設定は、彼の軍事的有利さの大きな部分を実際に帳消しにする効果を持つでしょう。蜂起勢力の要求はこの安保理決議の文書に反映されており、国連加盟諸国が「外国軍がいかなる形でもリビアの領土を占領することを排しつつ、ベンガジをふくむリビア・アラブ・ジャマヒリヤ内で攻撃の脅威にさらされている市民ならびに市民居住地域を守るために……あらゆる措置を取る」ことを認めています。この決議は「市民の保護のためにリビア・アラブ・ジャマヒリヤの空域に飛行禁止区域」を設置することにしています。

 決議の文面には、帝国主義の目的のためにこの決議を利用することを禁じる十分な保証はありません。あらゆる行動の目標は市民の保護であり、「体制変革」ではないとされているものの、どのような行動がこの目標に合致するか否かを決めるのは、蜂起した勢力ではなく、国連安保理でさえなく、介入する諸国に委ねられています。決議は驚くほど混乱したものです。

しかし、カダフィの軍によるベンガジ攻撃が不可避的に引き起こす虐殺を防止するという緊急性の下では、そして市民の保護という目標を達成するための別の対案がないという条件の下では、誰もそれに反対することはできません。棄権票を理解することはできます。国連安保理常任理事国の五カ国の一部は、かれらの否認、そして/あるいは適切な監視がないという不幸を表明しようとしましたが、差し迫った虐殺への責任が欠如していました。

もちろん西側諸国の対応は、石油への欲望によるものです。西側は紛争の長期化を恐れています。大虐殺が起きたら、かれらはリビアの石油への禁輸をしなければならなくなるでしょう。そして現在のグローバル経済の状況の下で石油価格を高レベルにしておくことは、ひどい逆効果をもたらします。米国をふくむ一部諸国は、気の進まぬ行動をとりました。フランスだけが強力な行動を取ることに強い賛意を示しました。それはフランスが――ドイツ(安保理の投票に棄権)、イギリス、とりわけイタリアと異なり――リビアの石油に大きな利害関係を持っておらず、カダフィ後の政権の下でより多くのシェアを手に入れようと望んでいる事実と結びついています。

私たちすべてが西側諸国の口実とダブルスタンダードについて知っています。たとえば空爆による市民の被害への憂慮なるものは、不法な占領を促進するイスラエルの軍用機によって幾百人もの非戦闘員が殺された二〇〇八~九年のガザには適用されたようには思えません。また米国は、大きな米海軍基地を持つバーレーンで、自らの顧客である体制が、この地域におけるワシントンの別の属国の援助を受けて民衆の決起を暴力的に弾圧した時、それを容認しました。

 それにもかかわらず、もしカダフィが攻撃を続けることを容認されてベンガジを制圧すれば、大虐殺が起きるだろうという事実は残ります。それは住民が本当に危険に陥り、かれらを守る別のもっともらしい対案がないというケースになります。カダフィの軍部隊による攻撃は、数時間、長くとも数日後に迫っています。反帝国主義的原則の名の下に、市民の虐殺を阻止する行動に反対することはできません。同じことですが、われわれがブルジョア国家の軍隊の本質とダブルスタンダードを知っていたとしても、反資本主義原則の名の下に、誰かがレイプの現場に立ち会い、レイプ犯を阻止する別の方策がない場合に軍隊に助けを求めることを非難できないのです。

 つまりわれわれは飛行禁止区域の設定に反対と語ることなく、諸国の遂行する活動を監視し、国連安保理決議が委託した市民の防衛を超えて進むことがないようにするために、抵抗を表明したり十分な監視を支持したりしなければならないのです。TVを見ていると、ベンガジの大衆は決議の一節を歓迎していましたが、私はその中に、アラビア語で「外国の介入反対」と書かれた大きなボードを見ました。この都市の人びとは地上戦部隊の介入を意味する「外国の介入」と防衛的な飛行禁止区域の設定とを区別しています。かれらは外国軍に反対しています。かれらはその危険性に気づき、賢明にも西側諸国に信頼を置いていません。

 したがってまとめて言えば、危険に瀕する住民を守るしっかりした代案がないという状況の下で、反帝国主義的展望から見て、飛行禁止区域に反対できないし、すべきでないと私は考えています。エジプト人たちはリビアの反政府勢力に武器を提供している――それはいいことです――と報じられていますが、それ自身としては、間に合ってベンガジを救い出すことには影響しません。しかし繰り返しますが、西側諸国を行うことに対してきわめて批判的な態度を維持しなければなりません。



――いま何が起ころうとしているのでしょうか。



 いま何が起ころうとしているのかを語るのはむずかしいですね。国連安保理決議は体制変革を呼びかけているわけではありません。それは市民の保護にかかわるものです。カダフィ体制の将来は不確実です。鍵となる中心問題は、トリポリをふくむ西部リビアで民衆決起が再開し、政権側の軍部隊の分解を引き起こすかどうかです。それが起こればカダフィは速やかに追放されるでしょう。しかし体制側が西部への支配を強固に維持できれば、国家は事実上分裂するでしょう。国連安保理決議が、リビアの領土的一体性と国民的統一を主張しているとしてもです。カダフィ政権が国連決議の受諾と休戦を宣言していることから見れば、これはおそらく体制側が選んだことです。そうなればカダフィが西部を支配し、反政府勢力が東部を支配するという、長期的な手詰まり状況になるかもしれません。

そうなれば反政府勢力の側が、エジプトからあるいはエジプトを通じて受け取っている武器を統合して、カダフィの軍を敗北させるようになるためには時間がかかることは明らかです。リビアの地理的特性を考えれば、これは人民戦争ではなく広大な広がりを持った地域を移動する正規軍間の戦争になるでしょう。結果を予測するのが難しいのはそのためです。

 ここで再び肝心な点は、リビアの民主主義的決起の勝利を支持することです。カダフィがこの決起を敗北させれば、現在中東と北アフリカを揺り動かしている革命の波に否定的影響を与える厳しい後退をもたらすでしょう。



▼ジルベール・アシュカルはレバノン出身の国際政治学者。ロンドンの東方・アフリカ研究スクールで教鞭をとる。邦訳書に『野蛮の衝突』(作品社)、『中東の永続的動乱』(つげ書房新社)。

▼(「インターナショナルビューポイント」11年3月号)
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