「グーシュ・シャローム」は、イスラエルによる占領の終結=一九六七年占領地からの完全撤退、イスラエルと並ぶ独立パレスチナ国家の設立、イスラエル人入植者の退去、入植地は帰還するパレスチナ難民のために利用、エルサレムは両国共通の首都とし、西エルサレムはイスラエルの首都、東エルサレムはパレスチナの首都とする、パレスチナ難民の固有の人権としての帰還権を原則的承認、歴史的事実の評価のための「真実和解委員会」の設立、水資源の共同管理と公正な分配、この地域からの大量破壊兵器の一掃、などの基本的立場を明らかにしている。
集会実行委員会から奈良本英佑さん(パレスチナ現代史研究、アル・ジスル―日本とパレスチナを結ぶ)が、集会の趣旨を説明した。
「昨年一一月にイスラエルはガザを爆撃し一七〇人を殺害したが、停戦後、国連総会では圧倒的多数でパレスチナが『オブザーバー国家』を認められるという大きな前進が勝ち取られた。しかしイスラエルのネタニヤフ政権は、その報復として新たな入植地拡大を進めている。一月二二日はイスラエルの国会(クネセト)の選挙があり、この重要な時期にケラーさんからイスラエルの平和運動について学ぶことには大きな意味がある」。
続いてアダム・ケラーさんの講演に移った。
「私は中学生の頃から平和運動に取り組んできた。今は髪の毛もなくなるほどの年齢になったが、イスラエルで平和運動をするためには短距離競走ではなくマラソンレースを行う気構えが必要だ。状況が悪い時でも悲観的にならず、良くなっても楽観的にならないことが必要。平和運動家にとってはつねに同じ場所に立ち続けることが求められている」とケラーさんは切りだした。
「重要なことはイスラエル、パレスチナという二つの民族が共に強いアイデンティティーを持ち続けていることであり、またオスマン・トルコの時代から一〇〇年以上にわたって両民族の闘いが続いているのを知ることだ。そしてもう一つ重要なことは、エルサレムが二つの国の共通の首都になるのをイスラエルの中で話題にすること」。
「イスラエルでは、エルサレムが『永遠の分かつことのできない首都』であるという合意が存在している。これは東エルサレムのパレスチナ人を犠牲にすることを意味する。私たちは一九九〇年代に東エルサレムのパレスチナ人とともに、『両民族にとってのエルサレム』という運動を行い、一〇〇〇人以上の署名を集めて五回にわたり新聞に掲載した。回を重ねるたびに新しい名前が加わった。エルサレムを分けるという主張は、今では頭ごなしに拒絶される意見ではなくなっている。このように少数者の側からの対抗的主張で多数の見解を統制することは、変化を引き起こす上で重要なのだ」。
「徴兵拒否運動、あるいは占領地やレバノンでの兵役拒否運動について。この運動では当局に『私は自分の国を守る。しかし他民族の土地を奪うために兵役に就いたのではない』という請願文を送りつけ、現にレバノンや西岸地区では約一〇〇〇人の兵士が刑務所送りとなった。私は、一八歳の時に徴兵を拒否して半年刑務所に入り、一九八八年に西岸地区でのイスラエル軍の作戦に予備役として動員されたが、その時一七〇台の戦車・軍用車に『占領者となるべきではない』と落書きして、三カ月の刑に服すことになった」。
「われわれに何ができたのか、何ができなかったのか。それはなぜか。一九九三年、オスロ合意が成立した時には、もう勝ったも同然だという気分が広がった。しかしなぜオスロ合意はうまくいかなかったのか。ラビン首相の暗殺が決定的な転機だった。その時の平和集会には一〇万人が参加し、ラビンがバルコニーからあいさつすることになった。もしもあの時ラビンが暗殺されていなかったら、一九九九年にはパレスチナ国家が成立し、両民族が平和に生きることができていただろう」。
「しかしラビンを理想化することへの批判が平和活動家の中でも生まれた。オスロ合意以後、イスラエルでもパレスチナでも状況は悪化し続けている。平和を実現するためには国際的な市民団体からの圧力が必要だ」。
このように語ったケラーさんは、西岸のパレスチナ人が自分の土地に植えたオリーブの実を収穫するのをユダヤ人入植者が暴力的に阻止して、その土地を自分のものにすることに抗議して、ともに収穫する運動を行っていることも報告した
フロアからの質問に答えてケラーさんは、パレスチナ問題の解決方針に関して「イスラエル国家」と「パレスチナ国家」という二国家案と「民族共生国家」という一国家案の論争に関して「私は一国家案に原則的に反対するわけではない。しかし新しい世代のイスラエル人はアッバース(パレスチナ自治政府大統領)が隣国の大統領になることは受け入れるだろうが、自国の大統領としては受け入れないだろう」と語り、「一国家案」はきわめて困難であるという見解を述べた。
また西岸にパレスチナ国家が建設された場合、イスラエルの入植者の多くは残らないだろうが、パレスチナの法に従い、友好を求めて残る人もいるかもしれない、とケラーさんは語った。
さらに「真実和解委員会」という「グーシュ・シャローム」の主張について、それが南アフリカのアパルトヘイト体制清算にあたって取られた措置を参考にしたものであり、「報復・処罰ではなく、何が行われたかを明らかにして、和解を実現しようとするものだ」と説明した。
集会では来日中のカナダ・モントリオール大学の歴史学者、ヤコブ・ラブキンさんもコメントした。『トーラーの名において』などの邦訳書もあり、一九世紀末に生まれたシオニズムの政治運動がユダヤ教の教えとは根本的に反するものだという主張で大きな反響をよんだ。
ラブキンさんは、「私はカナダでアダムさんの話したことをやりたいと思って活動してきた」と語り、アメリカの若いユダヤ人の三分の一は「ユダヤ人国家」という主張に「何、それ」という違和感を表明していると語り、シオニスト国家イスラエルに対するBDS(ボイコット、投資引き上げ、制裁)キャンペーンの有効性について述べた。そして「小さな運動が変化を作り出すことができる」と訴えた。
(K)