虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

パキスタン

【パキスタン】ババ・ジャンさん、釈放!

Baba Jan 1「虹とモンスーン」でも紹介した、パキスタンの同志ババ・ジャンは、彼の殺害をもねらった獄中での拷問、反テロ罪による長期投獄をはねのけ、ついに釈放を勝ち取った。

彼の釈放はパキスタン労働党の同志たちの闘い、そして国際的な連帯運動の成果である。われわれも。ささやかながらこの連帯運動の一翼を担うことができたことを喜びたい。(K)
 
ババ・ジャン、監獄から釈放される!
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article2749

ギルギットから良いニュースが届いた。われわれはたったいま、パキスタン労働者党(LPP)の全国青年担当書記で、ギルギットの進歩的青年戦線のチーフ・オルガナイザーでもあるババ・ジャンが約一年に及ぶ投獄からついに釈放されたという確実な報告を受けた。彼に対する裁判手続きの最後の段階で、土曜日(九月一五日)に彼の保釈が認められた。

 彼は刑務所の門の外で、パキスタン労働党の支持者や党員が掲げた「ババ・ジャン、ジンダバー(訳注:ウルドゥ語で万歳の意)」「人民の闘争万歳」「国際連帯万歳」といったスローガンで暖かく歓迎された。

 先週、パキスタンの上院人権委員会はギルギットの州政府官房長を召還して、なぜババ・ジャンが拷問を受け、投獄され続けているのかを問いただした。州政府官房長は、ババ・ジャンは反国家的活動家だと決めつけたが、上院人権委員長アフサヤブ・カタクにはねつけられた。アフサヤブ・カタクは州政府官房長に対して、でたらめを言うなと告げた。彼はこのギルギット・ベルチスタン州の最高幹部に向かって、「そうした告発は何度も聞いたが、彼を反国家的だと宣言するなら、その告発の証拠となる記録を持ってこい」と述べた。

 それから数日でババ・ジャンに保釈許可が下りた。

 政府と裁判所が、ババ・ジャンの事件に関して後ずさりしなければならなくなったのは、パキスタン内外での一貫したキャンペーンのおかげである。ギルギット・バルチスタンのどんな政治活動家の一件に関しても、二二カ国でデモや行動が行われたことなど、いまだかつてなかった。パキスタン国内で五〇以上のデモや集会が行われたことなど、いまだかつてなかった。彼は、パキスタン人権員会をふくむ幾つかの国際組織によって。政治囚と宣言された。

 「ババ」という名は「年老いた男」を意味する。しかしババ・ジャンは三二歳であり、すばらしい動員能力を持った活動家だ。彼はフンザ渓谷地帯の労働者階級のヒーローとなり、パキスタン全土でも国際的にもギルギット・ベルチスタンの最も著名な政治活動家となった。

皆さんありがとう。皆さんの一貫した支援にありがとう。彼の釈放は、国際連帯の宣言である。

 
ファルーク・タリク

【報告】6.27 全政治犯の釈放を求めてパキスタン大使館に申し入れ

画像+005「ババ・ジャンを釈放せよ」 「フンザ・ファイブ、ファイサラーバード・ナインを釈放せよ」 「獄中弾圧をやめろ」
 

 六月二七日、アジア連帯講座は東京・南麻布のパキスタン大使館に対し、ババ・ジャンらギルギット地方の五人の活動家(フンザ・ファイブ)、ならびに二〇一〇年七月のパキスタン第三の都市、ファイサラーバードの繊維労働者のストライキ闘争で「工場への放火」という罪状をデッチ上げられ、総計で五〇〇年(!)の投獄という超重罪判決を受けた九人の労働組合リーダー(ファイサラバード・ナイン)の即時釈放、獄中での虐待停止を求めて申し入れ行動を行った。

 われわれが午後四時、パキスタン大使館に近づくと、多くの警察官がわれわれをさえぎり、「行動は一回につき五人が慣例だ」「所持品を見せろ」などと不当な言いがかりをつけてきた。当然にもわれわれはそうした規制を拒否し、大使館の前で横断幕を広げ、事前の約束通り、代表が大使館に入って二等書記官と面談して申し入れの趣旨を伝えるとともに、パキスタン政府宛の書簡を手渡した。ナディム・バプティ二等書記官は、「日本の人からのそうした申し入れについては歓迎し、政府に伝える」と答えた。

 申し入れ終了後、パキスタン大使館前で「政治犯の即時釈放を!獄中弾圧をやめろ!パキスタンの人びとと連帯して闘おう」のコールを上げた。



二〇一〇年一月に起こったフンザ峡谷地方の地滑りで大きな被害を受けて家屋や土地を失った住民運動を支援して闘ったことにより、パキスタン労働党(LPP)のギルギット・バルチスタン地域(北部山岳地帯)のリーダーの一人ババ・ジャンら五人の活動家(LPPならびにその青年組織である進歩青年戦線のメンバー)が二〇一一年八月に治安当局によって逮捕された。

この事件は、二〇一一年八月に地滑り災害の被災者である住民たちが政府ならびに地方当局に対し、被害の正当な補償を求めて交渉のため地方行政府の建物の前に集まったことに端を達している。住民たちの抗議に対して治安当局は発砲し、二人が殺された。怒った住民たちは治安部隊と激突し、地方行政府の建物の一部を占拠した。この行動を支援したババ・ジャンらに五人に対し、治安警察は「テロリスト」だとして逮捕し、投獄したのである。

それだけではない。今年四月、ババ・ジャンらは極度に劣悪な獄中での食事(乾パン程度)などへの抗議を組織したかどで拷問を受け、外部との連絡も遮断され、生命の危険すら危ぶまれる状況に陥っていた。これに対して、パキスタン人権委員会は獄中での人権状況を憂慮する声明を出した。ババ・ジャンらに面会した弁護士によれば手の指をへし折られ、顔面に深い傷を負っており、凄惨な拷問を受けたことは一見して明らかだった。

LPPをはじめとするパキスタンの仲間たちは、連帯行動を国際的に呼びかけ、六月二〇日~二七日には各国のパキスタン大使館に向けて申し入れ、大使館前でのピケットなどが展開された。



この日の行動は、同様に二〇一〇年七月のパキスタン中部パンジャブ州ファイサラーバード(人口二六〇万人)の繊維労働者の賃上げを求めるストライキ闘争で、「工場への放火」をでっちあげられた九人の活動家(ファイサラーバード・ナイン)が「反テロ法」で実に総計で懲役四九一年という超重罪判決を受けたことへの抗議、即時釈放のための闘いとしても行われた。

今やアフガニスタンでの帝国主義による「対テロ」戦争の主戦場ともなっているパキスタンでは、ムシャラフ軍事独裁体制の崩壊後もパキスタン人民党(PPP)政権の汚職・腐敗によって政情不安定が深刻化し、首相の失職とともに、ザルダリ大統領体制の統治能力の崩壊が進行している。この中で一方では軍部による「反テロリスト」名目での労働運動、社会運動への暴力的弾圧が吹き荒れ、他方ではパキスタン・タリバン運動などの宗教的原理主義勢力による公然たる人権侵害、テロも拡大している。

そして米国の無人機による越境空爆や、昨年の米特殊部隊による首都イスラマバード近郊でのオサマ・ビンラディン暗殺作戦などによって、民衆の間での反米感情もいっそう高まっているのだ。

この日、世界では日本、オーストラリア、フランスでパキスタン大使館への行動が取り組まれるとともに六月二〇~二七日の連帯週間を中心に、インドネシア、インド、スリランカ、デンマーク、ドイツ、米国などでさまざまなキャンペーンが展開された。また六月二七日、パキスタンのラホールでは「フンザ・ファイブ」の釈放を求めるデモが繰り広げられた。

なお前日の六月二六日夜には、ババ・ジャンらの弁護士からパキスタン労働党のファルーク・タリク宛に「ババ・ジャンらの保釈許可が下りるという連絡が裁判所から来た」との電話が入った。「フンザ・ファイブ」の残りの四人に対しても、近々保釈許可が下りるという。これは国際連帯運動がもたらした成果である。しかし刑務所当局は、ババ・ジャンが「待遇改善を求めて刑務所内で暴動を組織した」として保釈を拒否している、とのことである。

なおパキスタンの「ババ・ジャン釈放キャンペーン」からは、日本での行動について「フンザ峡谷での政府開発援助に巨額の資金を出している日本、そしてフンザへの観光客が多い日本で、こうした行動が取り組まれたことの意義は大きい」という感謝のメッセージが寄せられている。(K)

【6.27パキスタン大使館申し入れ行動】 パキスタンでの獄中弾圧をやめろ ババ・ジャンらの政治囚を即時釈放せよ!

パキスタンでの獄中弾圧をやめろ ババ・ジャンらの政治囚を即時釈放せよ!
6・27パキスタン大使館申し入れ行動へ

 
baba-jan1(中央のマイクがババ・ジャン)

 いまパキスタンは、アメリカの対テロ戦争の主戦場となっています。米軍は無人飛行機による爆撃で「テロリスト」と見なした一般市民をも無差別に殺害してきました。

 米国のアフガニスタン戦争に協力し、民衆の自由や権利を「非常事態」宣言で弾圧したムバラク政権は打倒されましたが、代わって登場した人民党政権もまた相次ぐ汚職・腐敗によって住民の支持を失っており、軍部・治安機構の実権が拡大しています。他方、イスラム原理主義勢力の影響も強まり、武力衝突・テロも頻発しています。こうした中で、労働者・民衆の生活と権利を求める闘争も大きく広がっています。しかし政府・軍部、そして司法権力は、労働者民衆の闘いに徹底的な弾圧を加え、長期投獄・獄中での拷問などあらゆる人権侵害をほしいままにしています。

 2010年にファイサラバードで繊維労働者の賃上げ要求ストを指導した6人の労働運動活動家に対して、昨年11月に合計490年の投獄という重刑判決が言い渡されました。「工場に放火したテロ犯罪」というでっち上げによるものです。しかしこの「工場への放火」なるものは、経営者に雇われた暴力団によることが明らかであり、その被害も、事件翌日から工場が完全に操業を開始している事実によって信憑性が疑われています。その後、逮捕が拡大し、この事件で投獄されている労働者は9人に増えています。

 他方、北部の山岳地帯でも住民運動への警察による弾圧に抗議した活動家たちが、逮捕・拷問を受け、長期にわたって投獄されています。事件の経過はこうです。

 2010年7月にフンザ峡谷で起こった土砂崩れで家を失った住民たちが補償支払いを求め、2011年8月に行動を起こしました。この中で2人の住民が警察に射殺され、怒った住民たちが行政・警察機関を占拠しました。この事件を口実に警察当局は数十人の住民や活動家たちを逮捕し、パキスタン労働党のババ・ジャンなど5人が長期投獄を受けています。

 この間、獄中で食事も満足に与えられないなどのひどい待遇に抗議したババ・ジャンたちは、連れ出されて拷問を受け、ババ・ジャンは手の指をへし折られました。獄中での虐殺の危険性も報じられています。

 このファイサラバード、フンザでの弾圧に対してパキスタンの人権委員会なども問題の深刻性を取り上げ、ババ・ジャンらの釈放を求める訴えを発しています。アジア諸国や欧州でも「弾圧・拷問をやめろ、ババ・ジャンら5人、ファイサラバードの9人の即時釈放を訴える行動が6月20日から27日にかけて国際的に展開されます。



 私たちもパキスタンの労働者民衆と連帯し、「フンザ・ファイブ(5)」「ファイサラバード・ナイン(9)」の釈放を求めて、パキスタン大使館への申し入れ行動を行います。

 ぜひ参加ください。



6月27日(水)午後4時 パキスタン大使館前(港区南麻布4-6-17)
 
午後3時45分 東京メトロ日比谷線広尾駅1番出口(天現寺方面)を上がったところで集合。
 
呼びかけ/新時代社 労働者の力社

パキスタンとアフガニスタンの進歩的政党会議の宣言

AfPakmeet12月末にアフガニスタンとパキスタンの左翼組織の共同会議が開催され、共同声明が出されました。

画期的事態だと思いますので紹介します。
 
…………
 
 




アフガニスタン/パキスタン 

パキスタンとアフガニスタンの進歩的政党会議の宣言


 パキスタンとアフガニスタンの進歩的諸政党の二日間にわたる会議は、12月23日にラホールで閉幕した。二国間で進歩的グループ間の公式会議が組織されたのはこの数十年間で初めてのことだった。会議には両国から10の政治グループが出席した。アフガニスタンから四組織、パキスタンから六組織である。この会議にはパキスタンの主要な左翼政党のほとんどすべてが出席した。会議は三人の若い活動家、ソニア・カディル、アンマー・アリ・ジャン、アマン・カリアパーが司会団をつとめた。以下に掲載するのがこの会議で合意された共同宣言である。



 パキスタンとアフガニスタンの進歩的・民主主義的政党が、初めての二日間の合同会議のためにここラホールに集まった。両国の進歩的勢力にとって、共同の席に座り、米国が主導するNATOとタリバンという形をとった宗教的過激派によるわが国民の苦難を共有することは歴史的なステップである。われわれはまた、外国軍による占領と、宗教的過激主義の無言の保護を正当化するために様々な弁明を行っている両国の軍部と政府を激しく非難するものである。

 われわれは帝国主義と宗教的過激派勢力に対決する持続的キャンペーンの開始を決意する。われわれは政治的ならびに文化的・教育的レベルで、相互に調整した行動デーや他のイニシアティブを組織することを計画する。われわれはこの運動の拡大、そしてこの地域に公正な平和を打ち立て進歩を実現するという共通の目標を分かち持つ左翼と進歩的勢力の参加を計画している。われわれは、公正な平和を確保する広範な地域的連合を打ち立てるためにインドとイランの進歩的運動をここに含めることを決意する。

 われわれは以下のことに同意する。国際法のあらゆる承認された基準をあからさまに侵害する偽りの外観で主権国家を占領し、「人権」と「民主主義」の煙幕をシニカルに張りめぐらすNATOによる、犯罪的で女性差別的な軍閥の積極的な持ち上げは、アフガニスタン民衆に民主主義と自由をもたらすという神話の虚偽を暴露したことを。占領軍の政策は、中世的軍閥によるこの国の乗っ取りをもたらした。かれら軍閥勢力は、民主主義的プロセスの拒否、市民的自由と女性の平等な権利の否定という点で、彼らに置き換えられたタリバンと同様に頑迷固陋なのである。このことはアフガニスタンに世界最大のアヘン生産国であるという位置を回復させ、さらにアフガン社会の骨組みを破壊する無法状態へのもう一つの強力な要素になっている。

 タリバンの暴力的で神権政治的な運動はきわめて反民衆的なものであり、エリート聖職者による支配という理想を促している。タリバンはアフガニスタンの主権と自由を防衛すると主張しているが、かれらは基本的自由やかれら自身の住民を防護することができないし、かれらの政策はアフガニスタンを外国(たとえばパキスタンやイラクから)の介入、さらにはあからさまな占領の容易なターゲットにしているのだ。

 西側のメディアでは、アフガニスタンの女性の状況は、女性を擁護したNATOの侵攻以来劇的に改善されたと共通に描き出されており、アフガニスタン占領とパキスタンでの軍事作戦を正当化する口実として利用されている。われわれはこうした主張を嘘であるとして斥け、占領から10年のアフガニスタンは女性にとって最も危険な国のランク一位とされており、パキスタンもトップ5に入っていることを指摘する。

 パキスタンへのアメリカの対テロ戦争の影響を見れば、CIAとパキスタン軍の複数の部局との連携は、パキスタン国内での無人機攻撃、パキスタン市民のアメリカへの誘拐と売り渡し、カラチからカイバル峠(パキスタンとアフガニスタンとの国境)へのISAF(アフガニスタンにおける多国籍治安部隊)用軍事物資の継続的移送、パキスタン軍基地のアメリカ軍による使用をもたらした。アフガンのタリバン、パキスタンのタリバン、パキスタン軍の間の連携――タリバンとNATOの双方と取引するパキスタンの体制側の政策の一部として――の終焉が、軍部をおおっぴらにより好戦的な態度に導き、頂点にまで達した国内の反米感情につけこませ、インド・パキスタンの和平プロセスを挫折させ(あるいは少なくとも選挙で選ばれた代表の愛国的信任状を傷つけ)ようと試み、さらに恐ろしいことに政府を完全に追い出すよう試みるところにまで進ませる、とわれわれは見ている。

 われわれはバロチスタン州(訳注:イラン、アフガニスタンと国境を接するパキスタン南西部の州)での軍事行動を非難し、パキスタン政府に対して「行方不明」という形での体制側の弾圧措置をただちに実効的な形で停止するよう求める。

 こうした歴史の中でわれわれは、パキスタンとアフガニスタンの諸問題へのいかなる軍事的解決も拒否し、われわれの全エネルギーをNATOかタリバンかという虚偽の選択への具体的オルタナティブ、すなわち真に民衆的で自由のためのオルタナティブの構築にささげることを誓う。

 外国軍の即時撤退とともに社会・経済的公正の達成をめざす措置は、アフガニスタンとパキスタンの双方の民衆の苦難を和らげ、この地域の公正な平和をもたらすことができるとわれわれは信じる。しかし明らかにしよう。こうした民衆に有利な措置は民衆に対して与えられるものでは決してなく、NATO軍の撤退以後もアフガニスタンの支配を計画している地域勢力と外国勢力の切迫した同盟(最近のボン会議は、そうした同盟を作る試みの最新の例である)から民衆の力で引き出さなければならないことを。そしてそれは、かれらの共通の敵――すなわちアメリカ帝国、新植民地主義的パキスタン軍、タリバンならびに様々な連合グループ――を明確に特定してともに活動するアフガニスタンとパキスタンの真の大衆運動によってのみなされうるのだ。われわれはこうした闘争が、グローバリゼーションと新自由主義的課題を名目に行われるこの地域の経済的植民地化に対決する、より広範な闘いの一環であることを認識している。

 われわれは、貿易を促進し、より多くのビジネスと雇用の機会を創出する南アジア諸国間の貿易的紐帯の強化を支持する。



アフガン労働者革命組織

アフガニスタン連帯党

アフガン革命組織

マラライ・ジョヤ防衛員会(アフガニスタン)

パキスタン労働党(LPP)

パキスタン・アワミ党

パキスタン労働者党(WPP)

パキスタン労働組合防衛キャンペーン

アワミ・テフレーク(パキスタン)

統一カシミール人民全国党(パキスタン)



(「インターナショナル・ビューポイント」2011年12月号)

【パキスタン】パキスタン労働運動弾圧被害者家族カンパ要請‏

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【パキスタン】

「ファイサラバード6」への緊急カンパアピール

ファルーク・タリク

 
 皆さんがご存じのように、ファイサラバードの労働運動指導者六人は、合わせて490年間の投獄という判決を受けた。かれらの罪は、政府が発表した最低賃金引き上げのための平和的ストライキを指導したということだった。彼らとはアクバル・アリ・カンボフ、ババル・シャフィク・ランダワ、ファザル・エラヒ、ラナ・リワズ・アフメド、ムハンマド・アスラム・マリク、アスガル・アリ・アンサリである。うち四人は2010年7月に逮捕され、他の二人は2011年7月に同じ罪名で逮捕された。

 最初に逮捕された四人はすべて「労働者カウミ運動(LQM)」と呼ばれる、パキスタン第三の都市ファイサラバードの動力織機労働者組織の指導者である。LQMは2004年以来、地域社会をベースに作られた繊維労働者の権利のために闘う組織である。LQMはファイサラバード市と周辺地域の繊維労働者の中で大衆的基盤を持っている。

 2011年11月1日、ファイサラバードの反テロ法廷は六人の指導者にテロの罪状で判決を下した。パキスタンでしばしば見られるのは、テロリストがこうした法廷で釈放され、労働者がテロ法で有罪になるということだ。

 彼らはストライキ中に工場に放火したと告発されている。これはでっち上げである。事実はこうだ。2010年7月20日のストライキ当日、テクリ・ワラの工場主からカネを貰ったゴロツキが、賃金の引き上げを求めて工場から出ていく労働者たちに発砲しはじめた。一部の労働者は果敢にも工場内に入り、ゴロツキどもの発砲をやめさせた。ゴロツキどもの一部は、怒った労働者に叩きのめされた。

 裁判の中で労働者たちの弁護士は、かりに工場が焼き払われたのだとしたら、なぜその三日後に工場の運転再開が可能になったのか、と問うた。

 ファイサラバード地区の10万人以上の動力織機労働者は、2010―11年度予算の説明で政府が発表した賃上げの実施を求めて2010年7月10日にストライキを決行した。政府は民間企業の労働者の最低賃金を一七%引き上げると発表したのである。ファイサラバード、ジャンなどの地域のLQMは、ストライキの三週間前に動力織機工場主と交渉に入った。

 事件が起きたのは、多数の動力織機工場があるファイサラバード郊外の工場地帯スダールである。この地区は、労働者が大規模な自己組織化を効率的に果たしたことにより、三年間にわたって労働者と工場主の間での戦場になっていた。

 労働者の指導者たちの長期投獄判決は、ファイサラバード、さらにはパキスタン全国の労働運動にとって破滅的な打撃となる。裁判所がこうした過酷な反労働者的判決を下すなどということは、誰もの予測を超えることだった。とりわけ司法そのものが強力な民衆運動の支援を通じて再建されたからである。しかし反テロ法廷は、緩やかなペースで労働者階級の戦闘性の全国的シンボルになってきた動力織機労働者の運動にダメージを与えるという目的だけで、判決を書くことを選択した。

 資本主義の下で労働者を規律で縛る主要な方法の一つは、資本家たちの出す条件で資本家との交渉をする以外の選択しか残されていないところまで労働者を追いやることである。それは国家の暴力を通じてでも、体制内で生き残るためには妥協の選択しかないように財政的に労働者に打撃を与えるというやり方を通じてでも、行われるのだ。

 資本家たちは、後者の方法を採るのが通例だった。労働者に割り当てられた不正に反対し声を上げる男女にとって、弾圧された労働者の指導者をお前らもこうなるのだという見せしめにするためである。投獄されている同志たちのすべては結婚しており、彼らの家族の第一の稼ぎ手である。彼らの家族は金銭的破局の瀬戸際に追いやられている。家族たちは十分な食糧も買えないため、子どもたちに学校をやめさせることを考えている。

 これは労働者たちを服従させる資本家たちの政治戦略の一部であり、それが投獄された指導者たちの家族に厳しい結果となることをわれわれは知っている。そこでパキスタン労働党(LPP)、労働者カウミ運動(LQM)、全国労組連合(NTUF)、労働者教育基金(LEF)は、投獄されたわれわれの同志たちを財政支援を訴える運動を始めている。

 これらの指導者たちは、当局との妥協を拒否し、真実を語ったことの結果を引き受けることで、素晴らしい勇気と確固たる信念を示した。家族たちがわれわれの温かい支援を受けるに値するのは、同志たちが労働者階級とともにこの運動に参加したために弾圧の苦しみを受けている、というだけの理由によるものではない。この運動の結果が、そして困難な状況に置かれているわが同志たちに連帯を差し伸べるわれわれの能力が、今回の事件が労働者階級の戦闘性を妨げることになるのか(資本家たちが願っているように)、それとも支配階級のいまわしい戦術に反対する労働者階級の輝かしい連帯の模範例になるのかを決するだろうからだ。

 反テロ法は、しばしばパンジャブ州の産業労働者の抗議行動に向けて使われている。13人の労働組合指導者が、こうしたテロリズムの名での告訴に直面している。彼らの本当の罪名は、組合員の生活向上、賃上げを要求したということにある。パンジャブ州政府は、経営者に挑戦している工場での労働組合運動をつぶすために全力を上げている。

 LQM、NTUF、LPP、LEFを代表して、われわれはこうした国家テロの被害者の家族たちに温かいカンパを訴える。家族たちは、緊急の金銭的支援を必要としており、われわれは集団的な支援によってのみ家族を支えることができる。



▼ファルーク・タリクはパキスタン労働党のスポークスパーソン。

(「インターナショナルビューポイント」11年11月号)



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パキスタン北部における暴力的弾圧

baba-jan1(中央のマイクがババ・ジャン)


パキスタン北部における暴力的弾圧 

ババ・ジャンなどの逮捕者を釈放せよ
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article2304

 
ピエール・ルッセ



 パキスタン北部、ギルギット・バルチスタン地方で拘留されているパキスタン労働党(LPP)の指導者ババ・ジャンなどの被逮捕者を守る連帯キャンペーンが進められている。LPPからの情報によればババ・ジャンは秘密警察によって二日間にわたって拷問を受けた。



 一カ月以上前、「北部地域」のヒマラヤに位置するギルギット・バルチスタン地方で進歩的活動家たちが暴力的弾圧を受けた。さる8月11日、一年前の2010年7月4日にフンザ峡谷で起きた壊滅的な地滑りへの補償支払いを求める人々に対して、警察が実弾を発射した。この地滑りはきわめて大規模な洪水を引き起こし、巨大な湖が作られることになった。そのため多くの住居と、中国との地域的交易にとって不可欠な輸送ルートが破壊された。村民を見捨て、被害を受けた457家族のうち25家族への被災見舞い金を着服した行政当局を村民たちは告発した。

 州政府の閣僚が訪問した8月11日に村民たちはデモを行った。警察部隊は、アフザル・バイド(22歳)と彼を守ろうとした父親のシェル・ウッラー・バイグ(50歳)を残忍にも殺害した。翌日、この虐殺に対してアリアバードなどフンザ地方の各地域で住民たちが立ち上がり、警察と衝突して警察署や行政官事務所に放火した。四日間にわたり住民たちは市を支配した。

 当局は住民たちを鎮めるために、住民殺害の責任者である警官を告発手続きが始まったと主張し、悲しみにうちひしがれた家族への財政的補償を行った。彼らは、8月11日に起きた事件への沈黙を強制するために進歩的サークルへの弾圧準備を有利に進める目的でそうした動きに出たのである。こうして一週間後の8月19日、36人が検挙された。その中にはLPPの党員10人が含まれており、うち6人が勾留されている。9月16日には新たな逮捕の波が始まり、さらに33人が検挙された。

 LPPの六人の党員が最初に投獄された。LPP州委員会のメンバーで進歩的青年戦線(PYF)の指導者であるババ・ジャン(1)は、民衆動員に深く関わっていた。警察に対してPYFが抵抗したために、彼は8月19日には逃げる時間があった。しかし彼はなお指名手配を受け、捕まれば即決処刑され(「行方不明者」となる)、「超法規的処刑」の犠牲者となる危険があった。不幸なことにギルギット・バルチスタン地方は当局による人権侵害でよく知られている。したがってババ・ジャンは、一カ月間の地下生活の後、彼に何が起こったかを誰も気づかないということがないように、記者会見を開いてから自ら出頭する道を選んだ。

 それにもかかわらずLPPが得た情報によれば、ババ・ジャンはパキスタン情報機関ISI(2)によって留置房から連れ出され、二日間にわたって拷問を受けたのである。彼は縄で吊るされ、気候変動の犠牲者である住民を守るために闘ったために激しく殴打された! ISIは、彼が行政官事務所に放火した責任者であると「自白」させようとした。これに対して彼は、自分がその場所に着いたのは後になってからだとはねつけた。

 ババ・ジャンが弾圧のターゲットになったのは、彼がLPP、PYFの一員として、2010年7月4日のスキャンダル(大規模地滑りとその補償問題)とその後日談をパキスタンの中で知らせる上で、きわめて積極的な役割を果たしたからである。彼らの行動、とりわけラホール、カラチ、イスラマバードで行われた記者会見によってこの問題は全国紙のトップページに掲載された。

 LPPはババ・ジャンと他の被逮捕者の釈放、すべての弾圧被害者の防衛のために連帯キャンペーンを開始している。このキャンペーンは、デモ参加者への虚偽に満ちた告発の撤回、そして2010年7月4日の地滑り事故のすべての被災者に対する有効な補償を求めている。このキャンペーンはパキスタンならびに国際的レベルで展開される。われわれはこの問題に関して定期的な報告を行うだろう。

 すでに香港に本部のあるアジア人権委員会(AHRC)はさる7月に「ギルギット―バルチスタンでの弾圧に反対するアピール」を発した。

 当面の課題として、抗議の手紙をパキスタン大使館へ、そして連帯メッセージをLPP(labour_party@yahoo.com)へ。



注1 ババ・ジャンは2004年にLPPに入党し、2010年にファイサラバードで開催されたLPP第五回大会で全国委員に選出された。

注2 ISIはパキスタン軍情報部。
 

(「インターナショナルビューポイント」2010年9月号)

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▲(フンザでの弾圧抗議デモ)

ビンラディン虐殺についてのパキスタン左翼の見解

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インターナショナル・ビューポイント オンラインマガジン : IV436 - May 2011

復讐の感情はオサマが死んでも終わらないだろう―パキスタン左翼の見解
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article2138
 
ファルーク・タリク



 オサマ・ビンラディンの死から四日たった今、パキスタンの大衆的反応はきわめて錯綜している。パンジャブ州(中東部の州、州都:ラホール)ではオサマへの一般的同情が見られるが、シンド州(南東部の州、州都:カラチ)ではその共感を公然と表現する人は多くはない。しかし市によって反応は異なっている。例えばカラチではオサマへの同情とアメリカへの非難はより能動的である。

 驚くべきことに、オサマが殺害されたカイバル・パクトゥンカワ州(旧北西辺境州、州都:ペシャワール)では多くのことが起きているわけではない。同様にバロチスタン州(西部の州、イランに隣接)では殺害に対する反応は穏やかなものだ。しかしながらアボタバードの住宅地区への攻撃に対する厳しい反応は、広範に広がっており、他の地域にも拡大するだろう。多くの宗教的原理主義者たちは、アフガニスタンから逃げ出してバロチスタン州とカイバル・パクトゥンカワ州に難民として流れ込んでいる。かれらは2002年から08年までこうした州を統治してきた。

 原理主義者の支配が生じたのは、ムシャラフ将軍がアメリカ帝国主義との二元的ゲームにうつつをぬかしていた時だった。彼は一方で「対テロ戦争」連合に参加し、他方では原理主義者との闘いという名目でアメリカ帝国主義からより多くの軍事的・経済的援助を引き出すために、原理主義者の成長に依拠していたのである。この時期に、オサマ・ビンラディンは国境を越えてパキスタンに入ったに違いない。

 2011年5月の攻撃は誰をも驚かせた。人びとは当惑し言葉を失った。今年初めラホールで白昼堂々と二人のパキスタン人を殺したCIAの工作員デービッド・レイモンドが釈放された直後に、こうした厚かましい行為がなされるとは誰も予測していなかった。オサマ暗殺への穏やかな反応と対比すれば、デービッド・レイモンドの殺人行為への大衆的反応はきわめて強力なものだったため政府は受け身に追いやられた。今回の攻撃によってアメリカ帝国主義は、パキスタン征服を前進させたように見える。

 ジャマアト・イスラミ、ジャミアト・ウレマイ・イスラムなどの宗教政党は、アルカイーダが行った殺害や残虐行為には沈黙しているが、アメリカについては「パキスタンの主権侵害」として厳しくこきおろしている。ジャマト・ダワの強硬派であるハフィド・サイードは、一部の地域においてオサマ・ビンラディンの霊を慰め、ナマ・ジェナザ(ムスリムの死に際して行われる祈り)を捧げる最も行動的な宗教的原理主義者になっている。こうした諸政党がオサマへの支持を組織し、襲撃に反対して街頭に出るのもそれほど先の話ではないだろう。

 パキスタン人民党、パキスタンムスリム連盟Q(訳注:カーイデ・アザム派)、パキスタンムスリム連盟L(訳注:シャリーフ派)などのブルジョア政党はアメリカの行為を支持し、オサマ殺害は宗教的原理主義の高揚に対決する偉大な勝利と見なしている。政府はいまだに一貫性のある説明を行っていない。そのかわりに様々な高官が矛盾だらけの声明を発表している。



パキスタン・米国同盟



 昨年いっぱいを通じて、パキスタンと米国の政府は両者の関係を打ち固めた。それは情報当局間の相互訪問がより頻繁に行われたことや、CIA要員へのビザ発行数からも分かることだ。さらに政府は、米国政府に無人機による攻撃へのフリーハンドを与え、攻撃の最初の局面では行っていた非難の見せかけをも放棄した。ワシントンはオサマ・ビンラディンがパキスタンにいたことを知っていたように思われる。

 米国政府は、きわめて脆弱な人民党(PPP)政権に全面的な政治的支援を行った。パキスタン政府はなんのためらいもなく、アメリカ帝国主義、IMF、世界銀行のアドバイスに従って行動した。米国政府は、最も腐敗した反民衆的な部分が主導するこの政府以上にましなパートナーを持つことができなかったのである。さらにワシントンは、ムスリム連盟Q(PMLQ)――ムシャラフ将軍と政権を共有していた――が現政権に入ることをも支持していたように見える。オサマが殺されたまさにその日、PMLQの一四人の新閣僚が宣誓を行い、新たに就任したかれら閣僚たちが「沈みかけた船」と呼んでいた政府に参加したのである。

 米国がオサマ・ビンラディンを「テイクアウト」(殺害)するために海軍特殊部隊(SEALS)を送りこみ、パキスタンの主権をあからさまに侵害したことは、二国の支配階級間の関係を悪化させないだろう。オバマと彼の補佐官たちは、パキスタン政府に反対するようなことを一言も語らなかった。それどころか、彼らは情報の共有を称賛したのである。



共同の努力



 オサマ・グループへの攻撃は、パキスタンとアメリカの情報機関の共同の努力によるものだった。ムシャラフが大統領だった当時から軍を指導していたキアニ将軍は、ISI(パキスタン国軍情報部)の前長官である。

彼にはアメリカ帝国主義と密接な関係を持って活動してきた長い歴史がある。2007年に立ち戻れば、彼はムシャラフとの権力分有の交渉をベナジール・ブットとの間で開始した一人であった。ベナジールがムシャラフ将軍に対して軍における彼の地位から退くよう圧力をかけた際、キアニ将軍がその地位を引き継いだ。彼の監視の下で、パキスタン軍の機構は宗教的過激派との伝統的連携を切断し始め、かれらへの軍事作戦を発動した。宗教的過激派は軍司令部をターゲットにして反撃し、軍の幹部を殺害した。



軍内部の分極化



 その結果、軍内部で将校と下部兵士との間での分極化が生じている。軍の上級士官はアメリカ軍上層部との密接な関係を形成した。かれらは莫大な資産を支配し、よりリベラルな生活様式を維持している。しかし軍の下部は依然として宗教的であり、原理主義者や宗教政党を支持しており、いまなお反インド・反西側の感情を保持している。

この分極化ゆえに、パキスタンの軍と情報機関が反テロ戦争を精力的に遂行する能力に信頼を置くことについて、米政府はためらいを見せているのである。



宗教的テロは終わらない



 ビンラディンの死という重大な打撃にもかかわらず、アルカイダや他の宗教的過激テロリスト集団は成長するだろう。レオン・トロツキーは彼の素晴らしいパンフレットで「なぜマルクス主義者は個人テロに反対するのか」と問い、「復讐の感情にはけ口を与えようとすることは、常にテロリズムの最も重要な心理的要因である」と述べている(訳注:トロツキー「テロリズム」、1911年。邦訳『トロツキー研究』一七号所収)。

復讐の感情は、オサマの死によっては終わらない。彼の殺害、オサマの遺体のアラビア海への投棄は、テロリズムに終止符を打つことにはならないだろう。実際、宗教的テロリズムはアメリカ帝国主義の行為の結果として拡大するだろう。アメリカ帝国主義に反対する道を探し求めているムスリム青年の一定の部分はテロリズムに引きつけられるかもしれない。新しいテロリストグループが形成されるだろう。

それは宗教的過激派がパキスタンで権力を獲得することを意味しない。パキスタン軍部は残虐な勢力であり、かれらは幾度かにわたって、ひとたび自分たちの権力が脅かされるや、どれだけの暴力を行使するかを見せつけてきた。パキスタン軍は過激派がイスラマバードを手中に収めたり、同国の核技術に手をつけることのないようにするためにアメリカとぐるになって活動するだろう。

世界的観点を持った過激派による個人テロの脅威は、一国に封じ込められるものではない。かれらは民族解放の名において闘うIRA(アイルランド共和国軍)と似通った存在ではなく、イデオロギー的な戦争を闘い、きわめて狭い社会基盤しか持っていなかったために粉砕されてしまった赤い旅団により似通った存在である。

アルカイダやその他の宗教的過激派は、幾百万人ものムスリムの宗教的感情を利用している。こうした過激派はイスラム教内部の幾つかの異なる傾向や宗派を代表しているが、幾つかの国々で大衆的社会基盤を植え付けることができた。

アルカイダは疑いなくこれまで世界で見られたテロリスト組織の中で最も成功したものの一つである。彼らは20年以上にわたって生き延び、幾度か目標への攻撃計画を立て、成功裏に実行した。かれらは自分と他人を殺害することによって天国に行く用意のある自殺部隊を持っている。主要指導者の殺害にもかかわらず、かれらが消滅する兆候はない。しかし個人テロ行為は、かれら自身の限界である。



個人テロの限界



国家テロリズムを個人テロリズムと切り離すことはできない。両者は同じ性質と方針を持っている。両者は同一の結果を引き起こす。しかし国家テロ行為はその立場を継続し、幾つかの課題に逃げ込むことができる。

アルカイダの最も成功したテロである「9.11」は、ムスリムたちを利することなく、幾百万人ものムスリムの生活は完全な悲惨な状態に置かれてしまった。それはオサマのような少数の過激派の魂を満足させたが、幾百万人もの魂は打撃を受けた。帝国主義はこの攻撃に対して、恐るべき暴虐をもって応えた。

ロシアで1911年の閣僚殺害後に起こった情勢についてコメントしたロシア革命の主要な「建築家」の一人であったレオン・トロツキーは以下のように書いている。

「テロリスト的企図が、たとえ『うまくいった』場合でも、支配層に混乱をもたらすか否かは、具体的な政治的事情に依存している。いずれにせよ、この混乱は一時的なものでしかない。資本主義国家は大臣に依拠しているのではなく、彼らを殺害したからといって滅びるものではない。その国家が奉仕している階級は常に新しい人物を見つけだす。メカニズムは全体として維持され、機能し続ける」。

「テロリスト的行動が『効果的』であればあるほど、それが大きな印象を引き起こせば引き起こすほど……それだけますます大衆の自己組織化と自己啓発にたいする関心を低めることになる。しかし爆発の煙が晴れ、パニックが収まり、殺された大臣の後任者が登場すると、生活は再び旧来の軌道に入り、資本主義的搾取の車輪が以前と同じように回転し、警察の弾圧だけがより過酷で下劣なものになる。そしてその結果、燃え上がらされた希望と人為的にかきたてられた興奮の後に、幻滅とアパシーとが始まる」(前掲 トロツキー「テロリズム」1911年)。



殺害は宗教的原理主義を終わらせるのか



 ワシントンがかつてアフガニスタンのムジャヒディン(イスラム聖戦機構)を支持したことについて、ヒラリー・クリントン米国務長官が行った二〇〇九年の発言を検証してみよう。

 「ISI(パキスタン軍情報部)とパキスタン軍に処理させよう。そしてこうしたムジャヒディンたちを雇おう。……それはソ連邦を終わらせるための悪くはない投資だが、われわれが撒いた種について注意を払おう……。われわれがそれを収穫することになるのだから……」(ヒラリー・クリントン、2009年4月23日)。

 この10年以上にわたってワシントンと過激派は、ともに自らの撒いた種を収穫している。一つの復讐行為がもう一つの復讐をもたらしている。

 宗教的原理主義を力ずくで打ち負かすことはできない。アメリカ帝国主義の戦争と占領の政策は、成功ではなく失敗の例を提示している。その教訓は鮮明である。「思想を殺すことはできない」。普通の人びとの生活にとって宗教的原理主義の真の意味は何かを暴きだす政治的闘争がなければならないのだ。



政治的イスラムの勃興



 政治的イスラムの勃興は、ムスリム世界における左翼政党の弱体化の広がりと結びついている。一方で、1990年代においてはソ連邦の崩壊後に社会主義は敗北したように見られた。他方、ポピュリスト、反帝国主義者、ブットの人民党のような大衆的基盤を持った政党も信頼を失った。宗教は、唯一手に入れることができる反帝国主義の政綱であるように思われた。

実際には、タリバンやアルカイダといった宗教的過激派は、決して帝国主義に対するオルタナティブにはならなかった。かれら自身が、かれらの宗教的信条を共有しない人びとを搾取し、抑圧し、殺害したのである。かれらは政治的反対派の物理的絶滅を信奉している。かれらは帝国主義の覇権に反対して闘う進歩的勢力ではなく、極右反動である。かれらは、歴史の時計の針をむりやり逆戻りさせるよう望んでいる。宗教的過激派は新しいファシストである。

 宗教的過激派と帝国主義諸国は、おたがいに暴力のエスカレーションを正当化している。これは終わりのない循環である。

 宗教的原理主義者の成長は、パキスタンの文民政権と軍事政権がともに労働者階級と農民の基本的問題をなに一つ解決できないという完全な失敗への反応でもある。歴代の政権は、封建主義の支配、パキスタンの資本家たちの抑圧的・搾取的本質、労働者への侮辱的扱い、国内の少数民族の抑圧と天然資源の搾取を終わらせることができなかったのだ。



文民政権の失敗



 パキスタンの支配階級は、どのような民主主義的基準をもたらすという点においても悲惨な失敗を遂げてきた。その結果、文民政府が軍事独裁によって打倒された時、大衆の圧倒的多数は抵抗の姿勢を見せなかった。現在、文民政府の政策は、パキスタンの国民に悲惨な結果を指令するアメリカ帝国主義やIMF、世界銀行といった機関によって支配されている。日々の自爆攻撃とならぶ戦争と経済的悲惨により、住民は恐怖状況に置かれている。全般的心理は不確かな未来というものだ。希望は消滅している。パキスタン政府がその政治的・経済的政策の優先順位を変えなければならないのは明らかである。政府は、腐敗を終わらせ、自らをアメリカ帝国主義に縛りつけている紐帯を断ち切らなければならない。

 左翼の混乱は9.11の後で頂点に達した。オルタナティブを築き上げる必要はないと語り、宗教的過激派に反対してNATO軍との協力を支持する人びとがいた。「宗教的過激派はファシストであり、NATOは彼らを消滅させるに十分なほど強力だ」という主張が押し出された。「NATOはわれわれのなすべきことをやっている。軍事的解決こそ唯一のオルタナティブだ。われわれは沈黙を守り目を閉じてアメリカ人と協力しなければならない。大衆を巻き込んだ反戦運動を作る必要はない」というのが、その主張の路線だった。

 もう一方で、紛争の支配的な担い手たちの中心的な理論的枠組を強めるために、問題を「米国VS彼ら」、「善と悪との戦い」、「イスラム・テロリズムに対決する十字軍」、「文明VS混沌」として提出する人びとがいた。国家、メディア、リベラル派は一部の進歩派と手を携えて、こうした議論を支配することができた。



われわれは何をなすべきか



 アメリカ人によるオサマの殺害は、対決の新たな時代を切り開いている。アルカイダ、あるいは他のテロリスト的宗教的原理主義者とつながっている諸グループや個人は、この事件を利用し、かれらの反動的路線を支持して民衆を動員しようとするだろう。

 われわれは米帝国主義、原理主義者、ならびに双方の勢力とのパキスタン政府の共謀に反対しなければならない。この議論においてわれわれは、帝国主義、資本主義国家、宗教的原理主義者についてのわれわれ自身の立場を提起してきた。われわれはかれらの宣伝と行き詰りに陥った解決策を暴露しなければならない。



●われわれは宗教的過激派と闘うために、包括的で広範な政治・経済戦略を呼びかける。パキスタン国家はあらゆる形態での宗教的マドラサ(イスラム教の教義に基づく教育を行う私設宗教学校)への支援をやめなければならない。少なくとも国家予算の10%を教育に支出すべきである。教育はすべてのパキスタン人に対して大学のレベルまで無償にしなければならない。国家は宗教的実践とのつながりを断ち、マドラサへの制度的オルタナティブを提供しなければならない。

●われわれはIMFと世界銀行の経済政策への従属を終わらせるよう呼びかける。政府は労働者と農民の利益に奉仕しなければならない。

●われわれは米帝国主義と戦争機構との結びつきを断つよう呼びかける。



 宗教的原理主義の勃興は、支配的エリートの政府政策、ならびにアメリカなどの帝国主義諸国への従属の直接的結果である。帝国主義と植民地化、そして新植民地化との闘いは、宗教的過激派へのいかなる譲歩も行うことなく、われわれのあらゆる宣伝における主要な優先課題でなければならない。

 いまやオルタナティブは大アラブ地域の春によって提起されている。自爆攻撃、爆弾、無人機攻撃その他の暴力的手段の時代は、大アラブ地域の独裁者、独裁体制に対する大衆的決起に比べればはるかに効果のないものになっている。反撃のためのアラブの道は、体制の変革から社会主義オルタナティブへと至る道筋を進む確信を大衆の間に、ついにもたらし始めているのだ。(2011年5月6日)

▼ファルーク・タリクはパキスタン労働党(LPP)の全国スポークスパースン。

(「インターナショナルビューポイント」2011年5月号)

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