IMG_0116 4月25日、東京・御茶の水の総評会館で「チェルノブイリ原発事故から25年 チェルノブイリの今を語る」と題した集会が開催された。原発とめよう!東京ネットワークが主催したこの日の集会は、チェルノブイリ原発事故の汚染地域であるロシア共和国ブリャンスク州ノヴォズィブコフ市の社会団体「ラジーミチ」で活動するパーヴェル・イヴァーノヴィチ・ヴドヴィチェンコさんのお話しを中心にして企画された。
 
25年前の1986年4月26日に起こったチェルノブイリの原発事故は8千キロ離れた日本でも食品から放射能が検出されるなど広範な被害を世界に及ぼした。2005年9月にIAEA(国際原子力機関)、WHO(世界保健機関)やベラルーシ、ロシアの専門家によって組織された「チェルノブイリ・フォーラム」が組織した国際会議で出された報告書によれば、その時点までの死者は4千人以上となる。

しかしこの推定死者数の根拠は薄弱であり、何よりも1988年以後の事故処理作業者や、より広い範囲の汚染地住民の被害者が死者数の中に含まれていない。WHOは2006年に死者数を9千人と見積もり、国際がん機関(IARC)は同年、対象者をヨーロッパ全域に広げて1万6千人と推定している。その数も医療関係者や専門家によれば過小であり、被曝による甲状腺がんの発症などによる死者の数を含めて、最終的な死者の数は10万人から20万人に達する、と推定する研究が多い。現地では五百の村が廃村となり、多くの人びとが住みなれた土地を捨てざるをえなかった。(原子力資料情報室のパンフ『チェルノブイリ原発事故 25年のメッセージ』参照)

そして今、チェルノブイリの悲劇が福島で繰り返されているのである。

 
1952年生まれのヴドヴィチェンコさんは、チェルノブイリ原発事故が起きた当時、ロシア・ブリャンスク州ノヴォズィブコフの師範学校の教師だった。チェルノブイリから180キロ離れたこの町は高放射能スポットのただ中に位置していたが、彼は家族とともにこの町に住み続け、教師をする一方で1987年に生徒たちとともにNGO「ラジーミチ チェルノブイリの子どもたちのために」を結成し、孤立して生活する高齢者や障がいを持った子どもたちの支援・教育活動にたずさわり、国際的にも大きな評価を得ている。

ヴドヴィチェンコさんは語る。

「放射能は放射性の雲とともに私たちの村にやってきました。四月末には強い春風が吹いていて、それがチェルノブイリから一八〇キロ離れた私たちのところへ、この恐ろしい災いを伴った雨雲を運んできたのです」。

「短時間で地域全体が汚染されました。政府と私たちの市当局は何をなすべきかを知りませんでした。首尾一貫した合理的な活動を始めるまでに一カ月以上かかりました」「私たちの村や町は一九八六年の夏にすっかり静寂に包まれました。ニワトリやガチョウや牛や子ブタの声が聞こえませんでした。通りに子どもの声がしませんでした。……私の隣人たちは今でも未来のない生活のあの最初の感覚を戦慄しながら回想しています」「数年後、小さな村々が汚染のない地域に移住しはじめました。でも、老人たちはしばしば離れたがらず、自分たちの家に残りました。それもこれらの人びとにとってとても大きな悲劇でした。息子たちや娘たちによって新しい場所に連れて行かれた人たちは、自分の村や先祖の墓を恋しがり、しばしば天寿を全うせずに亡くなりました」。

こうした中で、村を離れた子どもたちが成人すると、戻ってきてヴドヴィチェンコさんが創設したNGOに加わったり、医師がやってきて新たに創設された診療所で活動するようになった。今、ヴドヴィチェンコさんたちは、子どもたちのたちの医療・教育・社会復帰のための活動に精力的に従事している。

最後にヴドヴィチェンコさんは、福島第一原発の事故について次のように語った。

「福島の事故はあらゆる人びとに核エネルギーについての考えを変えさせるでしょう。チェルノブイリ事故の後、西側世界の多くの人たちには、原子力の大惨事がソ連で起きたのは、核施設の生産と操作でテクノロジーに従わなかった罰だと思われていました。多くの人たちには、高い水準で労働が組織されている他の国々では、そこで原子力エネルギー産業に関わっているのが生産と操作の高い技術を持った尊敬すべき専門家たちであるということからして、そのような大惨事が繰り返されることはありえないように思われていました」。この「自信過剰」は打ち砕かれた。福島で起こったことを全世界が立ち止って見つめなおし、「チェルノブイリと福島の共同の経験から出発する」ことが必要なのだ、と彼は訴えた。
 
ヴドヴィチェンコさんの発言に続いて、西尾漠さん(原子力資料室共同代表)は「チェルノブイリと並ぶものとしての福島」という観点から問題提起。「チェルノブイリでは放射能の大量放出は二日で終わったが、福島の場合は事故が一カ月以上にわたって現在も継続しており、1号機から4号機へと連続的に事故が拡大し、一つの原子炉の不具合が他のところに波及している。できるだけ早い時期に収束させることが必要だが、まだ先は見えないというかつてない状況」と語った。

質疑応答の中でヴドヴィチェンコさんは、ノヴォズィブコフでは二年前の医師の検診では一万人の子どものうち完全な健康体の持主はわずか七人だったという衝撃的事実を語り、最近17歳の少女に甲状腺ガンが発見されるなど、直接にチェルノブイリ事故を経験していない事故後に生まれた子どもたちにも被害が及んでいることを報告した。そして福島でも同様のことが起こりうる のではないかという危惧を表明した。さらに避難にあたっては親せきや地域の人たちと一緒に移住することが重要、と語り、避難先には十分に事情に通じた医師を確保することが不可欠であることを指摘した。(K)