虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

ウイグル

【翻訳】新疆ウイグルの再教育キャンプ問題はグローバルに自省する必要がある


20210212mulan_ Uyghurs


【訳注】新疆ウイグル自治区における「再教育キャンプ」という名の民族抑圧システムが暴露された。ウイグル人による多くの証言だけでなく、中国政府自身もその存在を認めている。ただしそれはウイグル人を「文明化させる」という、植民主義者の大義名分を否が応でも想起させる。

職業訓練も漢語のマスターも、そして他民族と一つの国になる、あるいは連邦を形成するという選択においても、それは自発的でなければならない。この「自発性」こそ、中国共産党が早くから放棄したレーニンの民族政策の肝である。中国共産党は、民族政策においても労働者農民政策においても、この「自発性」を奪い去るか、「上からの自発性」を強制してきた。中国の抑圧的官僚体制による民族抑圧政策に、グローバル資本主義がさらに火に油を注いでいる。

日本も無縁ではない。2020年3月に公表されたオーストラリア戦略政策研究所(ASPI)の報告書によると、日本企業は、日立製作所、ジャパンディスプレイ、三菱電機、ミツミ電機、任天堂、パナソニック、ソニー、TDK、東芝、ファーストリテイリング(UNIQLO)、シャープの11社が、新疆ウイグル自治区での強制労働による製品を使っている疑いがあることが暴露されている。われわれもまたグローバルに自省し、行動する必要がある。

以下は、在外香港人左派のプラットフォーム『流傘LAUSAN』に掲載された論考である。原文は英語だが、中国語訳より重訳した。



新疆ウイグルの再教育キャンプ問題はグローバルに自省する必要がある

A.Liu 2021年1月11日

2020年9月、ディズニーが映画「ムーラン」のクレジットタイトルのなかで、新疆再教育キャンプを管理するトルファン[吐魯番]公安局に感謝の意を表したことについて、世論と政界の双方から非難の声が上がった。NBAでプレーするルディ・ゴベールやフランスの複数のサッカー選手などの著名なプロスポーツ選手が、ウイグル人に連帯してソーシャルメディアに投稿した。ディズニーと同じように、別の米国の娯楽大手Netflix(ネットフリックス)は、中国のSF作家である劉慈欣の『三体』の制作を続けるために、劉慈欣が新疆の「再教育キャンプ」を支援する発言したことを擁護した。

多くの外国人の観察者は、これらのニュースの見出しを政治的な専門用語に翻訳する方法を知らないのかもしれない。強制収容所の詳細は本当に衝撃的です。これまでのところ、それらの報道は否定できないようで、基本的な詳細も中国政府自身によってほぼ確認されている。一方で、これらの事実はしばしば、自由を守るアメリカを悪の中国と戦わせるという二項対立の物語の中に織り込まれている。不吉な右翼のアメリカの政治家と中国の軍国主義強硬派によって、この物語は思う壺になっている。

例えば、ミズーリ州のジョシュ・ホーリー上院議員はムーラン事件を利用して、ディズニーの「原則よりも利益を優先し、中国共産党の大量虐殺やその他の残虐行為を無視するだけでなく、それらを援助し、幇助することを決定した(これは)アメリカの価値観を侮辱することである」と宣言した。

拡大する新疆問題については、ホーリー議員などの粗雑な親米的立場とは異なる立場を提示する国際主義的な視点が研究者には必要であろう。現在の世論の風潮は、極端なナショナリズムを助長している。現在の世論の状況は、反中国か(政治家側の利己的な行為というよりは、あい対峙する国家暴力のデモンストレーション)、親中国か(新疆の「再教育キャンプ」での暴力を認めず、反帝国主義を掲げて多くの中国左翼を味方につける)といった極端なナショナリムズを育成している。例えば、社会主義雑誌『マンスリー・レビュー』は10月10日付で、中国の新疆での政策を恐るべき修正主義的言辞で擁護する記事を掲載している。

これまでのところ、新疆の「再教育キャンプ」をめぐる議論の多くは、漢民族と非漢民族の間の永遠の民族対立を「民族中心主義」として保守派の専門家が対立の根源と見なしているか、あるいはリベラルな西側資本主義に対するアンチテーゼである権威主義的なアジア共産主義か、という二つの説明の間を行き来してきた。

一見すると真実味があるかもしれないが、説明があまりにも静的で、歴史的な分析に欠けている。 中国の西北地域[ウイグル地区を含む]を研究する人類学者ダレン・バイラー(Darren Byler)は、次のように書いている。「『ジェノサイド(大量殺戮)』という明確な告発は、文化主義的モデルで、ある集団が悪か邪悪であり、別の集団を支配していると論証することを許しているに過ぎない。このような非難は問題の根源の解釈を認めない。」

そしてその「原因」は、1990年代以降の政治経済の発展と密接な関係がある。中国政府は、沿岸都市部へのエネルギー供給のために、新疆の石油や天然ガスを開発するためのインフラ整備を国内企業に奨励したのである。この期間の間に、何百万人もの中国人は新疆に移動し、地域の経済的利益を吸い上げることで、現地のウイグル人の反植民地的抗議を引き起こした。 それまでにも漢人とウイグル人の間には緊張関係が存在していたが、開発主義はそのレベルを引き上げたのである。

異論に対する政府の対応は、言語、宗教、文化教育を通じて、ウイグル人やその他の少数民族を「主流」の中華民族の社会に同化させることであった。2001年9・11事件の直後、中国政府は米国の「テロとの戦い」のレトリックを明示的に用いてイスラム教の宗教的慣習を誇大に恐ろしく描き出した。それについては、シドニー大学の歴史学者デビッド・ブロフィー(David Brophy)が記録している。 もう一つの大きな出来事は、2014年5月に起きたウルムチ駅爆破事件である。それを機に政府は「人民による対テロ戦争」を宣言した。

人類学者のダレン・バイラーにとって「再教育キャンプ」は、政府主導の資本搾取と切り離せないものである。 この搾取は、新疆の天然資源と労働力を利用している。新疆地方は、国内の石油や天然ガスの約20%、世界のトマトや綿花の約20%を供給している。中国企業は新疆を国家安全保障やサイバーセキュリティ技術の実験場として利用し、それらの技術が確立すると海外に輸出する。 新疆は中国の「一帯一路」戦略の重要な節目でもあり、新疆の安全確保こそが中国が中央アジアのインフラ輸送プロジェクトを成功させるカギでもある。再教育キャンプに収容されたウイグル人が、ナイキ、アップル、ギャップ、サムスンなどのブランド工場に強制的に出向して生産活動を行っていることが知られており、これらの工場は新疆ウイグル自治区をはじめ、合肥、鄭州、青島など東部の主要都市にある。

したがって、「再教育キャンプ」は、根深い民族紛争やアジアの独裁者の必然的な結果ではなく、中国とグローバル資本主義の結合に関係していることを理解しなければならない。「再教育キャンプ」の形成は、中国政府が市場主導の成長に転じ、天然資源や労働力資源を外国人投資家に低価格で売り込んだ1980年代にさかのぼることができる。

輸出志向の工業化は、海外からの投資に、より高い利益、より良い貯蓄、より有利な信用条件を提供することを意味していた。 こうした外資誘致政策の背景には、労働力の極端な搾取がある。中国の劣悪な労働条件はずっと批判されてきた。1990年代のスウェットショップ(超搾取工場)反対の運動、2010年代の深圳でのフォックスコン[鴻海]労働者の相次ぐ自殺、そして今回のウイグル人の[強制]労働に関する報告などである。このようなスキャンダルは決して解決されておらず、次のスキャンダルが出てきたときに静かに忘れ去られるだけだった。

これらの問題の直接の責任者は、もちろん中国の企業や機関である。 しかし、なぜこのような問題が蔓延しているのかは、グローバルな経済力学を見ないと本当に理解できない。

アメリカの政治家たちは、人権を推進し、中国との関係を断ち切るという大言壮語の割には、米国企業が激しい競争にあるグローバル資本主義から莫大な利益を得ており、米国経済と中国経済の分離がそう簡単に実現するわけでもないことを知っている。この観点から見ると、新疆の「再教育キャンプ」は、中国だけでなくグローバル資本とその政治的庇護者らの責任も問われるべきである。

だからこそ、新疆の「再教育キャンプ」問題は、もはやナショナリズムの枠組みの中で議論することはできず、中国と米国の価値観を単純に対立させることもできないのではないか。このような二項対立の受益者は結局のところ、ホーリー、テッド・クルス、マルコ・ルビオなどの保守的なアメリカの政治家である。彼らは自分たちのために感情的に訴えることに熱心だが、中国の新疆政策の背後にあるグローバルな力の結集を真剣に見ようとはしない。

昨年、米国ではウイグル人への虐待を非難し対中制裁を求める声が多く上がった。しかし、ドナルド・トランプ大統領(当時)は、米国の北京との貿易取引に支障をきたすため、これらの声を無視した。その後、トランプ政権も新疆での虐待を非難し始めたが、これは主に中国からの譲歩を勝ち取るための交渉戦術であり、その後、新型コロナウィルスのパンデミックの初動ミスを非難することに取って代わられた選挙戦略だったのではないか。

米中両政府のナショナリズム競争の結果として最も可能性が高いのは、「アジアの人々の生活を向上させる」という米国の約束されることはないだろう、ということである。それは、無辜の民を犠牲にすることで成立する国家間のつばぜり合いになっている。トランプ政権による中国人学生や中国人労働者に対する在留許可の制限、中国政府による今年6月の香港国家安全保障法可決に伴う外国人ジャーナリストの追放・拘束したことに、それが表れている。

では、われわれはどう取り組めばよいのだろうか。国際的な圧力により、中国政府は少なくとも一部の「再教育収用所」を閉鎖せざるを得なくなったとの見方もある(実際にどうなったかはまだ明らかになっていないが)。また、映画「ムーラン」、アップル製品の部品、H&Mのジーンズ[それにUNIQLOのコットン製品]など、新疆の「再教育キャンプ」に関連した製品に対するボイコットは短期的には効果があるかもしれない。

しかし、長い目で見れば、新疆の「再教育キャンプ」で労働を強制されている労働者について、より国際主義的な方法で語る術を学ぶ必要がある。これは、冷戦期のナショナリズムやヒューマニズムの枠組みを超えることを意味する。つまり専門家や研究者は、グローバルな政治的・経済的な勢力が「再教育キャンプ」の存在にいかに加担しているかを強調すべきである。

アメリカの観察者らは、「再教育キャンプ」が米国社会と何の関係もないことだとみなしていることに抵抗するべきである。なぜなら、無関係だという態度は世界の警察としてのアメリカの存在をいっそう合法化するからである。むしろ逆に、アメリカの資本主義を(中国の)覇権主義や新疆の「再教育キャンプ」と関連付ける必要がある。ブッシュ政権の血なまぐさい対テロ戦争政策と闘ってきたように、中国のイスラム・フォビア(イスラム嫌悪)を強く非難すべきである。グローバル・サプライ・チェーン(国境を越えた生産システム)がウイグル人に強制労働を強いる不平等なシステムであることを指摘しつつ、安価な商品生産ネットワークが(アメリカ国内の)移住労働者や囚人労働者を搾取していることを強く非難すべきなのだ。私たちはまた、中国の辺境部における国家権力の乱用を非難しつつ、アメリカ社会の周縁部おける国境警備隊や警察の暴力を激しく非難しなければならない。

このような国際主義的な枠組みだけが、冷戦を教唆したり中国を擁護したりする当てこすりに対抗することができる。より重要なことは、国際主義的なビジョンだけが、新疆の「再教育キャンプ」を私たち全員が対面しなければならない問題だと捉えることを可能にする(つまり「中国の独裁体制の問題だ」「いやアメリカの政治介入の問題だ」と対立させるのではなく)。我々はグローバル化した今日の世界において、より自省的な対話をする必要があるだろう。

(以上)

新疆ウイグル:『私の西域、君の東トルキスタン』とレーニンの民族政策

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新疆ウイグル自治区における民族問題については、自治区政府所在地であるウルムチでウイグル族と漢族の大規模な衝突が発生した2009年7月に「週刊かけはし」紙上で以下の文章を掲載した。


◎新疆ウイグル自治区 「中華民族」主義反対! プロレタリア国際主義を
http://www.jrcl.net/frame090720c.html
◎新疆――二重の抑圧(上・下)
http://www.jrcl.net/frame090907g.html
http://www.jrcl.net/frame090914g.html


上記の「新疆――二重の抑圧」は香港の同志によって執筆されたもので、来年はじめに出版を準備している中国情勢に関する論文集のなかで、再訳しなおして掲載する予定である。


中国政府によるウイグル抑圧の状況については上記の香港の同志による論評のなかにも引用されている王力雄の『私の西域、君のトルキスタン』(集広舎、2011年1月)に詳しい。中国における民族政策の問題点について、漢族である王とウイグル族の民族派であるムフタルとの対話をつうじて問題が歴史的にも現代的にもきわめて広範囲であることが理解できる好著である。ぜひ一読されたい。(書評はこちら


大著である本書のなかで紹介すべき箇所は多々あるが、現在の状況においてはあまり関心を持たれないであろう箇所として262頁からの『サイプディンとレーニン像』がある。「ウイグル人なら、中共にどれだけ忠実であっても、どれだけの業績をあげても、たとえサイプディンのような人でも、やはり中国に信頼されない。サイプディンの事務机の上にはレーニンの銅像があった。……彼は自分の部屋で話すことにも不安を感じ、本音の話をする時は、庭で話そうと言った。」とムフタルが述べるシーンである。サイプディンについて、本書の原注では次のように紹介されている。


「サイプディン・エズィズィ(1915~2003)ウイグル人。1935年にソ連に留学。1945年、三区革命臨時政府委員、教育庁長の職に就く。1949年中国共産党加入。のちに新疆自治区主席などの職を歴任。文革期間中に中国共産党新疆自治区第一書記に就任。1978年から新疆を離れ、実権のない全国人民代表大会常務委員会委員長と全国政治協商会議副主席に就任。」


三区革命:1944年から49年にかけてウイグル地区の北西部のイリ、タルバガタイ、アルタイの三地区で続いた民族解放闘争。本書236、274~280頁等参照(引用者注)


著者の王力雄はつぎのように返事をしている。


「彼が机の上にレーニン像を置いていたのは、私は一種の意思表示だと思う。共産党内の少数民族党員はみんなレーニンを尊敬している。なぜなら、レーニンの民族問題に関する論述は彼らの願いによくかなっているからだ。レーニンはかつて帝政ロシアが占領していた土地を中国に返したり、民族の自決を求めたりした。民族問題について非常に多くを語っている。彼らはレーニンの政策はスターリンによってゆがめられて民族弾圧になったと思っているが、実際はレーニンが生きていても同じだったろう。毛沢東も井崗山のときは独立を認めると言っていたのに、後になったらやはり弾圧だ。」


民族党員の多くが、レーニンに代表されるボリシェビキが打ち出した民族自決の原則を導入していた初期の中国共産党の綱領に獲得されたこともまた事実である。レーニンが生きていたら、毛沢東のように当初の立場を変えて民族抑圧に回ったであろうという王の予想については、毛沢東が1930年代に入って本格的に学んだマルクス主義がじつはスターリン主義であり、スターリン主義はレーニンの思想を徹底的に裏切ったものであったという事実を無視していることからくる的外れな予想である。


レーニンとともに民族自決の原則を最後まで主張し続けたトロツキーはこう述べている。


「スターリンの致命的な誤りは、被抑圧民族の闘争が進歩的な歴史的意義を持つというレーニンの学説から、植民地諸国のブルジョアジーが革命的使命をもつという結論を引き出したことにある。帝国主義時代の革命の永続的性格についての無理解、発展についての公式主義的な図式化から、そして生きた結合過程を死んだもろもろの段階――まるで時間の面で不可避的にたがいに切り離されているようなもろもろの段階――へと分割することから、スターリンは、民主主義、つまり、実際には帝国主義的独裁かプロレタリアートの独裁しかありえない『民主主義的独裁』の俗悪な理想化に立ち入った。スターリンのグループはその道を一歩一歩すすんで、民族問題でのレーニンの立場との完全な決別と、破綻した中国政策にまで行きついた。」(『ロシア革命史』第二巻 16「民族問題」/岩波文庫版第四巻255頁)


毛沢東ら指導部の堅忍不抜の闘争によって達成された抗日戦争とそれにつづく国共内戦の勝利によって建国された中華人民共和国は、その誕生前からスターリン的に捻じ曲げられたマルクス主義、つまりレーニンの思想の完全な放棄によって裏付けられていた。民族自決ではなく民族自治、プロレタリア独裁ではなく人民民主主義独裁……。


以下の論評は、昨年11月に開催された中国共産党第18回全国代表大会を前後して書いたものである。前述『ロシア革命史』の中でも「永遠に人類の揺るぎない資産として残る」と称えられたレーニンの民族政策についても抜粋紹介している。当時ブログには掲載しておらず、その後『青年戦線』という超レア物パンフレットに転載した。1年近く前の文章になるが、レーニンの民族政策の思想を継承する意義は依然として重要であることからブログに掲載する。(H)


2013年11月24日


 + + + + +


■ 中国共産党第18回代表大会(その9)


もちろん大会報告で触れられていないことであっても推進されている政策はあるし、また過度に誇大に報告されていることもある。


政治体制の改革や民主主義についてがそうである。大会報告のなかでは「末端の民主主義制度を確立させること」と述べられている。大会のおよそ1年前、広東省烏坎村の土地買収を巡り村ぐるみの闘争を経て腐敗した村のトップを引きずりおろし、村民の民主選挙を通じて新たな執行部を選出した闘争が思い起こされる。この闘争は当時「烏坎モデル」と呼ばれた。


しかしこの「烏坎モデル」は、いくつかのエピソード的に散発したケース以外は、全国に拡大することはなかった。闘争から一年がたった今、村民らの熱烈な支持で選出された村民委員会は、旧幹部連中らによって無断で売却された土地使用権利書を不動産業者などから取り戻すために活動し、現在までに253ヘクタールの土地の権利を取り戻すことに成功したが、いまだ700ヘクタール以上もの土地の回収が滞っているという。旧幹部連中につながる権力腐敗の根が断ち切られておらず、ことがなかなか進まないという。民主主義制度は末端でのみ確立しても問題は解決しないというのが烏坎村の教訓である。


大会報告では民主主義との関係で民族問題についても触れられている。今回の大会には中国政府公認の55の少数民族のうち、43民族、210人が参加し、大会最終日に選出された205人の中央委員のうち10人(モンゴル族3人、チベット族、チワン族、回族、満州族、朝鮮族、ミャオ族、ウイグル族各1人)、171人の中央委員候補のうち30人の少数民族出身が選ばれている。


大会報告では「党の民族政策を全面的かつ正しく貫徹し、それを確実に実行し、民族区域自治制度を堅持するとともに、各民族がともに団結奮闘し、ともに発展する目標を確固とし、民族団結のための進歩的教育を深化させ、民族地区の発展を加速し、少数民族の合法的な権利を保障し、平等・団結・互助・調和という社会主義民族関係を安定発展させ、各民族が睦まじく共存しあい、心を合わせて協力し、調和のとれた発展をとげるよう促す」とされた。


しかし実際には、胡錦濤指導体制の後半の五年間は、2008年3月にはチベット自治区でチベット民族の抗議行動が頻発し、2009年7月には新疆ウイグル自治区のウルムチでウイグル民族と漢民族の住民間の大規模な衝突が発生した。学校での民族語教育の削減などに対するチベットでの抗議も続いている。ウイグルでは学校における漢語教育の導入によって漢語能力に劣るウイグル人教師が解雇される事件が続いている。


2012年11月26日には旧チベットの版図である青海省海南州の看護学生らが「民族平等」「民族語の自由を」などを訴えて抗議のデモを行い8名の学生が5年の刑という厳しい弾圧を受けたという事件も報道されている。チベットでは2009年から現在までに100件もの焼身抗議事件が発生している。「平等・団結・互助・調和」とはほど遠い状況にあるのが、現在の中国の「社会主義民族関係」である。


ブルジョア自由派の劉暁波らによる08憲章の呼びかけに対する弾圧や劉のノーベル平和賞受賞に対する異様ともいえる対応など、異論派への弾圧も胡錦濤指導部から習近平指導部へと継承されるだろう。マルクスの言った「他民族を抑圧する民族は自由になりえない」はそのまま現在の中国にも当てはまる。社会主義を語りながら民主主義の歪曲と民族の抑圧をつづけるいまの中国共産党に、レーニンならきっとこう言うだろう。


「勝利を得た社会主義は、かならず完全な民主主義を実現しなければならない。したがって、諸民族の完全な同権を実行するばかりでなく、被抑圧民族の自決権、すなわち自由な政治的分離の権利をも実現しなければならない。隷属させられた諸民族を解放し、自由な同盟――ところで、分離の自由なしには、自由な同盟はごまかし文句にすぎない――にもとづいてこれらの民族との関係を打ち立てることを、現在も、革命のあいだにも、革命の勝利のあとでも、その全活動によって証明しないような社会主義諸政党は、社会主義を裏切るものであろう。」(レーニン「社会主義革命と民族自決権(テーゼ)」より)


「資本主義のもとでは民族的抑圧(一般に政治的抑圧)をなくすことはできない。このためには、階級をなくすこと、すなわち社会主義を実現することが必要である。しかし、社会主義は、経済にその基礎をおきながらも、けっして、そっくり経済に帰着させられるものではない。民族的抑圧を排除するためには、土台――社会主義的生産――が必要であるが、しかし、この土台のうえで、さらに民主主義的な国家組織、民主主義的軍隊、その他が必要である。資本主義を社会主義につくりかえることによって、プロレタリアートは、民族的抑圧を完全に排除する可能性をつくりだす。この可能性は、住民の『共感』に応じた国家境界の決定までもふくめて、分離の完全な自由までもふくめて、あらゆる分野で民主主義を完全に実行するばあいに『のみ』――『のみ』だ!――現実性に転化するだろう。この基盤のうえで、つぎに、ごくわずかの民族的摩擦も、ごくわずかの民族的不信も絶対に排除される状態が実際に発展し、諸民族のすみやかな接近と融合がうまれる、そして、この後者〔諸民族の融合:引用者〕は国家の死滅によって完成されるであろう。これこそ、マルクス主義の理論である。
」(レーニン「自決にかんする討論の総括」より)


2012年12月13日記 H


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