【訳注】新疆ウイグル自治区における「再教育キャンプ」という名の民族抑圧システムが暴露された。ウイグル人による多くの証言だけでなく、中国政府自身もその存在を認めている。ただしそれはウイグル人を「文明化させる」という、植民主義者の大義名分を否が応でも想起させる。
職業訓練も漢語のマスターも、そして他民族と一つの国になる、あるいは連邦を形成するという選択においても、それは自発的でなければならない。この「自発性」こそ、中国共産党が早くから放棄したレーニンの民族政策の肝である。中国共産党は、民族政策においても労働者農民政策においても、この「自発性」を奪い去るか、「上からの自発性」を強制してきた。中国の抑圧的官僚体制による民族抑圧政策に、グローバル資本主義がさらに火に油を注いでいる。
日本も無縁ではない。2020年3月に公表されたオーストラリア戦略政策研究所(ASPI)の報告書によると、日本企業は、日立製作所、ジャパンディスプレイ、三菱電機、ミツミ電機、任天堂、パナソニック、ソニー、TDK、東芝、ファーストリテイリング(UNIQLO)、シャープの11社が、新疆ウイグル自治区での強制労働による製品を使っている疑いがあることが暴露されている。われわれもまたグローバルに自省し、行動する必要がある。
以下は、在外香港人左派のプラットフォーム『流傘LAUSAN』に掲載された論考である。原文は英語だが、中国語訳より重訳した。
新疆ウイグルの再教育キャンプ問題はグローバルに自省する必要がある
A.Liu 2021年1月11日
2020年9月、ディズニーが映画「ムーラン」のクレジットタイトルのなかで、新疆再教育キャンプを管理するトルファン[吐魯番]公安局に感謝の意を表したことについて、世論と政界の双方から非難の声が上がった。NBAでプレーするルディ・ゴベールやフランスの複数のサッカー選手などの著名なプロスポーツ選手が、ウイグル人に連帯してソーシャルメディアに投稿した。ディズニーと同じように、別の米国の娯楽大手Netflix(ネットフリックス)は、中国のSF作家である劉慈欣の『三体』の制作を続けるために、劉慈欣が新疆の「再教育キャンプ」を支援する発言したことを擁護した。
多くの外国人の観察者は、これらのニュースの見出しを政治的な専門用語に翻訳する方法を知らないのかもしれない。強制収容所の詳細は本当に衝撃的です。これまでのところ、それらの報道は否定できないようで、基本的な詳細も中国政府自身によってほぼ確認されている。一方で、これらの事実はしばしば、自由を守るアメリカを悪の中国と戦わせるという二項対立の物語の中に織り込まれている。不吉な右翼のアメリカの政治家と中国の軍国主義強硬派によって、この物語は思う壺になっている。
例えば、ミズーリ州のジョシュ・ホーリー上院議員はムーラン事件を利用して、ディズニーの「原則よりも利益を優先し、中国共産党の大量虐殺やその他の残虐行為を無視するだけでなく、それらを援助し、幇助することを決定した(これは)アメリカの価値観を侮辱することである」と宣言した。
拡大する新疆問題については、ホーリー議員などの粗雑な親米的立場とは異なる立場を提示する国際主義的な視点が研究者には必要であろう。現在の世論の風潮は、極端なナショナリズムを助長している。現在の世論の状況は、反中国か(政治家側の利己的な行為というよりは、あい対峙する国家暴力のデモンストレーション)、親中国か(新疆の「再教育キャンプ」での暴力を認めず、反帝国主義を掲げて多くの中国左翼を味方につける)といった極端なナショナリムズを育成している。例えば、社会主義雑誌『マンスリー・レビュー』は10月10日付で、中国の新疆での政策を恐るべき修正主義的言辞で擁護する記事を掲載している。
これまでのところ、新疆の「再教育キャンプ」をめぐる議論の多くは、漢民族と非漢民族の間の永遠の民族対立を「民族中心主義」として保守派の専門家が対立の根源と見なしているか、あるいはリベラルな西側資本主義に対するアンチテーゼである権威主義的なアジア共産主義か、という二つの説明の間を行き来してきた。
一見すると真実味があるかもしれないが、説明があまりにも静的で、歴史的な分析に欠けている。 中国の西北地域[ウイグル地区を含む]を研究する人類学者ダレン・バイラー(Darren Byler)は、次のように書いている。「『ジェノサイド(大量殺戮)』という明確な告発は、文化主義的モデルで、ある集団が悪か邪悪であり、別の集団を支配していると論証することを許しているに過ぎない。このような非難は問題の根源の解釈を認めない。」
そしてその「原因」は、1990年代以降の政治経済の発展と密接な関係がある。中国政府は、沿岸都市部へのエネルギー供給のために、新疆の石油や天然ガスを開発するためのインフラ整備を国内企業に奨励したのである。この期間の間に、何百万人もの中国人は新疆に移動し、地域の経済的利益を吸い上げることで、現地のウイグル人の反植民地的抗議を引き起こした。 それまでにも漢人とウイグル人の間には緊張関係が存在していたが、開発主義はそのレベルを引き上げたのである。
異論に対する政府の対応は、言語、宗教、文化教育を通じて、ウイグル人やその他の少数民族を「主流」の中華民族の社会に同化させることであった。2001年9・11事件の直後、中国政府は米国の「テロとの戦い」のレトリックを明示的に用いてイスラム教の宗教的慣習を誇大に恐ろしく描き出した。それについては、シドニー大学の歴史学者デビッド・ブロフィー(David Brophy)が記録している。 もう一つの大きな出来事は、2014年5月に起きたウルムチ駅爆破事件である。それを機に政府は「人民による対テロ戦争」を宣言した。
人類学者のダレン・バイラーにとって「再教育キャンプ」は、政府主導の資本搾取と切り離せないものである。 この搾取は、新疆の天然資源と労働力を利用している。新疆地方は、国内の石油や天然ガスの約20%、世界のトマトや綿花の約20%を供給している。中国企業は新疆を国家安全保障やサイバーセキュリティ技術の実験場として利用し、それらの技術が確立すると海外に輸出する。 新疆は中国の「一帯一路」戦略の重要な節目でもあり、新疆の安全確保こそが中国が中央アジアのインフラ輸送プロジェクトを成功させるカギでもある。再教育キャンプに収容されたウイグル人が、ナイキ、アップル、ギャップ、サムスンなどのブランド工場に強制的に出向して生産活動を行っていることが知られており、これらの工場は新疆ウイグル自治区をはじめ、合肥、鄭州、青島など東部の主要都市にある。
したがって、「再教育キャンプ」は、根深い民族紛争やアジアの独裁者の必然的な結果ではなく、中国とグローバル資本主義の結合に関係していることを理解しなければならない。「再教育キャンプ」の形成は、中国政府が市場主導の成長に転じ、天然資源や労働力資源を外国人投資家に低価格で売り込んだ1980年代にさかのぼることができる。
輸出志向の工業化は、海外からの投資に、より高い利益、より良い貯蓄、より有利な信用条件を提供することを意味していた。 こうした外資誘致政策の背景には、労働力の極端な搾取がある。中国の劣悪な労働条件はずっと批判されてきた。1990年代のスウェットショップ(超搾取工場)反対の運動、2010年代の深圳でのフォックスコン[鴻海]労働者の相次ぐ自殺、そして今回のウイグル人の[強制]労働に関する報告などである。このようなスキャンダルは決して解決されておらず、次のスキャンダルが出てきたときに静かに忘れ去られるだけだった。
これらの問題の直接の責任者は、もちろん中国の企業や機関である。 しかし、なぜこのような問題が蔓延しているのかは、グローバルな経済力学を見ないと本当に理解できない。
アメリカの政治家たちは、人権を推進し、中国との関係を断ち切るという大言壮語の割には、米国企業が激しい競争にあるグローバル資本主義から莫大な利益を得ており、米国経済と中国経済の分離がそう簡単に実現するわけでもないことを知っている。この観点から見ると、新疆の「再教育キャンプ」は、中国だけでなくグローバル資本とその政治的庇護者らの責任も問われるべきである。
だからこそ、新疆の「再教育キャンプ」問題は、もはやナショナリズムの枠組みの中で議論することはできず、中国と米国の価値観を単純に対立させることもできないのではないか。このような二項対立の受益者は結局のところ、ホーリー、テッド・クルス、マルコ・ルビオなどの保守的なアメリカの政治家である。彼らは自分たちのために感情的に訴えることに熱心だが、中国の新疆政策の背後にあるグローバルな力の結集を真剣に見ようとはしない。
昨年、米国ではウイグル人への虐待を非難し対中制裁を求める声が多く上がった。しかし、ドナルド・トランプ大統領(当時)は、米国の北京との貿易取引に支障をきたすため、これらの声を無視した。その後、トランプ政権も新疆での虐待を非難し始めたが、これは主に中国からの譲歩を勝ち取るための交渉戦術であり、その後、新型コロナウィルスのパンデミックの初動ミスを非難することに取って代わられた選挙戦略だったのではないか。
米中両政府のナショナリズム競争の結果として最も可能性が高いのは、「アジアの人々の生活を向上させる」という米国の約束されることはないだろう、ということである。それは、無辜の民を犠牲にすることで成立する国家間のつばぜり合いになっている。トランプ政権による中国人学生や中国人労働者に対する在留許可の制限、中国政府による今年6月の香港国家安全保障法可決に伴う外国人ジャーナリストの追放・拘束したことに、それが表れている。
では、われわれはどう取り組めばよいのだろうか。国際的な圧力により、中国政府は少なくとも一部の「再教育収用所」を閉鎖せざるを得なくなったとの見方もある(実際にどうなったかはまだ明らかになっていないが)。また、映画「ムーラン」、アップル製品の部品、H&Mのジーンズ[それにUNIQLOのコットン製品]など、新疆の「再教育キャンプ」に関連した製品に対するボイコットは短期的には効果があるかもしれない。
しかし、長い目で見れば、新疆の「再教育キャンプ」で労働を強制されている労働者について、より国際主義的な方法で語る術を学ぶ必要がある。これは、冷戦期のナショナリズムやヒューマニズムの枠組みを超えることを意味する。つまり専門家や研究者は、グローバルな政治的・経済的な勢力が「再教育キャンプ」の存在にいかに加担しているかを強調すべきである。
アメリカの観察者らは、「再教育キャンプ」が米国社会と何の関係もないことだとみなしていることに抵抗するべきである。なぜなら、無関係だという態度は世界の警察としてのアメリカの存在をいっそう合法化するからである。むしろ逆に、アメリカの資本主義を(中国の)覇権主義や新疆の「再教育キャンプ」と関連付ける必要がある。ブッシュ政権の血なまぐさい対テロ戦争政策と闘ってきたように、中国のイスラム・フォビア(イスラム嫌悪)を強く非難すべきである。グローバル・サプライ・チェーン(国境を越えた生産システム)がウイグル人に強制労働を強いる不平等なシステムであることを指摘しつつ、安価な商品生産ネットワークが(アメリカ国内の)移住労働者や囚人労働者を搾取していることを強く非難すべきなのだ。私たちはまた、中国の辺境部における国家権力の乱用を非難しつつ、アメリカ社会の周縁部おける国境警備隊や警察の暴力を激しく非難しなければならない。
このような国際主義的な枠組みだけが、冷戦を教唆したり中国を擁護したりする当てこすりに対抗することができる。より重要なことは、国際主義的なビジョンだけが、新疆の「再教育キャンプ」を私たち全員が対面しなければならない問題だと捉えることを可能にする(つまり「中国の独裁体制の問題だ」「いやアメリカの政治介入の問題だ」と対立させるのではなく)。我々はグローバル化した今日の世界において、より自省的な対話をする必要があるだろう。