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【第四インターナショナル声明】朝鮮半島危機に関する声明

Donald-Trump-Kim-Jong-Un-762784朝鮮半島危機に関する声明

第四インターナショナル書記局


二〇一七年一〇月一五日

(1)
朝鮮半島危機が勃発する以前から、東アジアにおける中国、日本、米国間の政治的・軍事的緊張はすでに高まっていた。米朝間の衝突に関して言えば、多年にわたるレベルとは匹敵できないレベルに達しており、この地域においてきわめて深刻な意味を持つものへと高まっていた。それは軍事化の力学を強め、それはこの間でとは比べられないほどのレベルに達し、すでにこの地域で深刻な意味を持つものになってしまった。それは民族主義的右派を強化し(とりわけ日本)、韓国新大統領の自主的な外交の余地を切り縮め、反ミリタリズム・平和志向の草の根運動は、ますます強い圧力の下に置かれている。

アメリカ帝国主義は中国に対抗して、東アジアにおけるイニシアティブを再度掌握できるようになっており、この地域のすべての国にメッセージを送っている。米国政府はとりわけフィリピンの政府に対し、同盟関係というものはシャツのように取り換えられるものではない、と思い起こさせている。

ペンタゴン(米国防総省)は現行条約に従ってマラウィ(ミンダナオ島北部の都市)でジハーディストとの戦闘を行っているフィリピン国軍にさまざまな武器を送っている。

 三つの大国(米国、中国、ロシア)は今回の朝鮮危機に直接かかわっており、核軍拡競争に新しい推進力を与えてきた。アメリカ帝国主義は、世界のこの地域において覇権を再確立する意向を明らかにしている。

(2)
アメリカは、歴史的な、かつ繰り返されるこの危機の状態に主要な責任がある。

朝鮮戦争(一九五〇~五三年)の主要な目的は、朝鮮・韓国の民衆的運動を破壊し、毛沢東の中国と対決することだった。米国は、平和協定の調印を拒否し、北朝鮮を再征服する永続的脅威を与え続けてきた。北朝鮮の核開発凍結協定が調印されたとき、米国政府はそれを尊重しなかった。

 サイバー戦争から経済制裁や韓国との合同軍事作戦に至るまで、米国政府は北朝鮮に対してきわめて攻撃的な政策を追求してきた。

 ドナルド・トランプの「黙示録」的声明は、緊張激化の原因となっている。彼は国連総会の場で北朝鮮の「完全な破壊」という脅迫を行った。朝鮮半島危機は、米国の軍部が軍事予算の大幅な増額を求めることに貢献している。その目標は、東アジアにおける米国の覇権を再確立することにとどまらない。これはこの大統領特有の「言葉の過剰」以上のものがある。朝鮮半島危機は軍が予算の大幅な増額を要求する手助けとなっている。その目標は、東アジアにおける米国の覇権を再確立することにとどまらない。既存の超大国(米国)は新興の大国(中国)の勃興を阻止することも望んでいる。米国と北朝鮮の衝突はグローバルな側面をも持っている。

(3)キム・ジョンウンの政策は、破滅的結果をもたらした。この国(北朝鮮)が脅威にさらされており、北朝鮮がこの脅威から自国を守ろうと望んでいるのは事実である。サダム・フセインやカダフィの結末を見た北朝鮮は、作戦使用可能な核兵器を保有することによってのみ生き残りの保障となるとの結論を持った。

しかしその結果、この地域における終わりのない軍事化のらせんと核兵器のエスカレーションに油を注ぐことになってしまった。

 北朝鮮は別の政策を採ることもできたはずだ。韓国の新大統領ムン・ジェニンの対話の申し入れに応えること、国際的レベルで米国の外交に反対すること、日本や韓国の住民の平和主義的感情、アジアの多くの反軍・反ミリタリズム、反核運動の存在に依拠することであり、そのような形で米国による孤立化を回避することである。

 しかしキム・ジョンウンはそうではなく、力の試し合いと北朝鮮・米国の衝突を選択した。この選択は自らの孤立化を促し、勤労住民の犠牲の上にますます多くの資源を軍事計画のために使用しなければならないことになった。

 こうした政治的選択は、極度に抑圧的で、民族主義的で、王朝的で、エスノナショナリスト的な、北朝鮮の独裁的な本質からもたらされた。その対外政策は国内政策の反映である。この政権が国際的な外交バトルを構想し、連帯の民衆的動員に訴えることは極めて困難である。

(4)
 専門家たちは、こうした「挑発」と対抗のエスカレーションが、多かれ少なかれコントロールされた、大国を巻きこむ戦闘行為に至ることを恐れている。しかし状況の進展がどうなるかは予測することは、きわめて困難である。

ドナルド・トランプは、現在の緊張のレベルでの彼の政策について十分な支持をうけてきた。しかし米国では、ブルジョアジーの重要な部分は、緊張緩和政策を主導するため外交的交渉を支持しているようにも見える。明日にはどのような政策が必要なのだろうか。

北朝鮮の政権は、ワシントンが予期したよりもはるかに弾力性に富んでいる。しかし彼らは圧力、とりわけ新しい一連の経済制裁による拘束の圧力に抗しうるのだろうか。中国指導部は、朝鮮指導部への影響力がきわめて弱いときに、どのようにして東アジアでイニシアチブを取り戻そうとするのだろうか。

いずれにせよ、情勢はすでにきわめて危機的であり、進歩的勢力はこの問題に関して動員を行わなければならない。
  
(5)
 緊張のらせん的拡大を阻止し、緊張緩和を促すことが緊急に必要である。米政府は脅しをやめ。米韓海軍の演習などの軍事作戦を停止しなければならない。北朝鮮政府は核実験とミサイル発射を中止しなければならない。

 継続的な緊張緩和を保障する会談を開始しなければならない。

(6)
 反戦運動の責任は重大である。韓国からパキスタンに至るアジアの運動はその前線に立っている。しかし彼らは世界の他の地域の姉妹組織からの支援を必要としている。朝鮮半島の危機はすべての人々の課題とならなければならない。

 同様のことが、とりわけ核兵器廃止のために闘っている運動に適用される。軍備拡大競争が再開されている。たとえば中国は、韓国へのサード・ミサイル迎撃ミサイルの配備に対抗して戦略的潜水艦部隊を配備しようとしているが、ロシアと異なり中国はこれまでそうした潜水艦部隊を持っていなかった。

 核不拡散条約は失敗した。オルタナティブは単純なものだ。核廃絶かそれとも一九四五年に広島・長崎の人びとに使用されたように、そしてペンタゴンが一九五〇~五三年の朝鮮戦争で構想したように、再び使用されるかだ。一二二か国のイニシアティブによる国連での核兵器禁止条約の採択は、核兵器廃
絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞したことにより、この闘いを進めていくことが可能であることを示した。こうした意識の発展に基づいて、核兵器のあらゆる「常態化」に反対しなければならない。

一部の諸国において第四インターナショナルをふくむラディカル左翼潮流は、すでに核兵器廃絶の運動にかかわっている(インド、パキスタン、日本、フィリピンなど)。こうした運動の強化は、すべての進歩的勢力にかかわるまさに「時間との闘い」なのである。


(2017年10月15日)

中国型資本主義 二つの最悪の制度の結合か

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區龍宇さんの『台頭する中国 その強靭性と脆弱性』の中国語版『強国危機』が台湾の群学出版社から出版され、出版に合わせて422日に台北市でイベントが行われました。ウェブメディアにその時の様子が掲載されていたので訳してみました。原文はこちら (H

 

 

中国型資本主義 二つの最悪の制度の結合か

 

【編集者注:今年初め、香港の社会運動家の區龍宇が台湾で『強国危機』を出版した。人民の視点から中国の台頭を分析するという、近年の出版業界ではあまり見かけないものである。2017年4月に著者が台湾を訪れ、香港の活動家という立場から、台湾の学者の許家豪と対談を行い、中国というこの「強大な隣人」という帝国の分析と批判的議論を展開した。以下はその対談をまとめたもの】

 

発言者
區龍宇:香港社会運動団体《全球化監察》創設者

許家豪:中山大学アジア太平洋研究所 助理研究員

 

整理:莊孟文

 

 

◎ 中国はけっきょく左なのか右なのか?

 

【區龍宇(以下、區)】:中国についての論述は、だいたい5、6年に一度おおきな転換があります。以前には中国の崩壊を予言する内容の『中国はもうすぐ崩壊する』といった書籍が発行されていました。しかしその後、すぐに台頭する中国についての論述に転換しました。そして最近の西側では「中国は帝国主義か否か」といった論述に転換しています。このような急速な転換の主な原因は、中国の急速な変化が継続しているからです。

 

1979年以降、中国は徐々に最大の人口を持つ国家資本主義になっていきました。そしてそれは中国国家の階級規定の二極化をもたらしました。アメリカの著名な左翼雑誌『Monthly Review』は、中国を左翼政権だと考えました。また別な人は中国は全体主義右翼だと考え、全体主義的資本主義、あるいはクローニー資本主義と呼びました。わたしは中国を官僚資本主義と呼んでいます。これについて、一部の海外の友人からは「腐敗した官僚は世界的な現象であり、中国だけの特例ではない。たとえばエジプトは、軍隊は企業と同じであり、将校や将軍は軍需産業を含むビジネスに従事している」という指摘もされています。

 

その指摘の一部には同意します。しかしエジプトと中国の違いは次のことにあります。エジプトでは官僚がどれほど腐敗していようとも、民間企業が消滅したことはありませんでしたし、市民社会もなくなりはしませんでした。それらは政府に対する圧力となりつづけました。しかし中国では民間企業と地主が完全に消滅しました。1980年代に入ってから民間企業はふたたび発展しはじめましたが、それは官僚に依存したかたちでの復活でした。

 

その他、これら復活したばかりの民間企業は、一方で政府の圧力を受けながら、他方で労働運動を抑えつけるために政府に頼らなければならないという中途半端な境遇にありました。これは他の国にはなかった現象です。1980年代には中国の内外においてこれら民間企業のオーナーが民主化運動の推進者になるだろうと期待されました。しかし30年たった今、そのようなことはおきませんでした。なぜならそれら企業主は政府に依存するという条件のもとで、かりに政治的野心が起こったとしても、それを横に広げて市民社会のほうにむけることはせずに、上に向けて官僚と結託したからです。

 

こうして中国の官僚資本主義の性質は、必然的に極めて保守的、独占的、寄生的、独裁的です。他方、中共官僚はありとあらゆることを統制しようとしていますが、官僚自身の略奪、錯乱、汚職はますます統制不可能になっており、それは必然的に膨張しています。21世紀の中国官僚は歴代政権の官僚のような安穏とした泰平を過ごすことはできません。経済発展、近代化、都市化の必要に迫られているからです。過去2030年の中国において大規模な反対運動が見られませんでしたが、それは民衆が絶対的貧困にあったからです。絶対的貧困はたしかに改善されましたが、相対的貧困の状況は悪化しています。

 

2008年からの世界金融危機で、中国の輸出は減少し、中国の疾風怒濤の近代化はボトルネックに突き当たっています。民衆生活の改善の継続は困難で、中共はさらに潜在的な敵――都市化による農民工の登場に直面しています。これまで分散していた農民が工場労働者として大規模に集中してきました。これは共産党にとって長期的に挑戦となります。現状について言えば、中国は短期的には社会を転覆するような革命は困難でしょう。しかし長期の歴史的視野でみれば、中国のような独裁、官僚化、そして腐敗した資本主義制度は、ひとつの過渡的段階にすぎず、永続することは不可能です。

 

【許家豪(以下、許)】1978年以降の中国は、基本的にある国家が私有化を通じて資本を社会に放出した過程であり、利益を得たのは私的経営者のほかに、これまで大量の財産を蓄積することができなかった官僚が直接あるいは間接に資本を統制することで、まったく新しい官僚と資本家の合体階級を生み出しました。現在の中国のもっとも顕著な問題は、この隅々まで浸透した官僚と資本家の結合システムがあり、この階級が今日の中国の大部分の資源を統制しているということです。この意味において、區先生が官僚資本主義という用語を用いて改革開放後の中国を形容したことはたいへん適切だと思います。しかしここで補足すべきは、ここでいう官僚とは中国的特徴があるということです。中国の「官僚」とは単に政府の役人と言うだけでなく、党の専従という意味合いも含んでいるからです。

 

 

◎ 中国資本の世界輸出はいつまで続く?

 

【許】:中国の市場を語る際に、消費市場と投資市場との区別をわすれがちです。このように区別する理由は、中国が製造業投資の後進市場としての魅力は20年前に比べると落ちているからです。賃金の引き上げ、政府要素を考慮しないといけないビジネス慣行などは、投資意欲を引き下げています。外資は中国の消費市場としての魅力にひかれています。ハリウッド映画は毎年のように中国市場に合致したシナリオの改編を行っていますが、それは中国政府が決める年間34本の外国映画上映枠を獲得したいからです。中国市場は外資にとって魅力があるのかについては、消費市場について言えばそうでしょう。しかし製造業の投資市場にとってはそうだとは断言できません。全体的に言えば、外資にとって中国製造業への投資の魅力は下がり続けています。

 

【區】:実のところ、1980年代以降、中国はずっと世界屈指の資本輸入国でした。それが十数年もたたずに資本輸出国なり、輸出額も資本輸入を超過しています。今我々は中国資本が全世界を買い占めようとするのを目にしているのです。

 

【許】:マクロから見れば、中国の多くの産業はすでに生産能力の過剰問題に突き当たっています。ですから過剰な生産能力を海外に移転する必要があり、それゆえに中国は短期のうちに資本輸出大国となりました。海外で建設しているのは鉄道などのインフラ建設であり、これは中国政府の「一帯一路」計画がまさにこの考えに当たります。

 

【區】:中国市場の内容は変化がはじまっています。成長率は下落し、賃金は上昇し、かつての有利な条件はすでに存在していません。過去20年の高度成長、市場の吸引力は社会的連帯、道徳そして自然環境の破壊によってもたらされたものです。市場は巨大でビジネスチャンスも多いですが、それは内部矛盾を避けることができません。たとえば中堅都市や地方の小都市は「鬼城」(ゴーストタウン。不動産バブルで投資目的で建設された住宅群)には住民はいません。まさに過剰生産の典型です。

 

中国の発展は資本主義と官僚独裁という二つの最悪の制度が結合したものです。北京のひどいスモッグ公害のおかげで空気清浄機が大量に売れており、いま注文しても数年後にしか納品されないのです。これはフーリエが資本主義を批判した「民衆が苦しめば苦しむほど企業家は儲かる」といった状況です。中国は資本主義に官僚独裁が加わることで災難となっています。

 

このことから経済問題を議論する際は、メインストリームで語られる以外の思考が必要になります。たんに経済上の景気拡大、株価の上昇だけでなく、民衆の福祉、しかも全世界の民衆の福祉から見る視点が必要です。しかしこのような考え方は、利益至上主義の中国では失われています。

 

 

◎ 大国のアキレス腱

 

【許】:強大な国家の力の背後にはさらに大きな目標があります。民族の夢、民族の復興とは、イギリスを追い越しアメリカに追いつくということです。このような背景のもと、中国の左派および右派の知識人はどちらも国家の繁栄に期待を寄せており、區先生のいうところの強国左派と強国右派を形成しています。その中間の過程は国家主義の転向、つまり可能な限り権力を国家に付与することで富国強兵を実現し、もっとも効果的に目的を達成するということです。これは大国や強国に関する議論全体が起こる過程であり、これらの議論は目新しいものではなく、清朝末期から存在していましたが、実際にそれを実現したのは共産党だけでした。それゆえ共産党は民衆からの支持を得ることができたのです。

 

今日の中国では左派であれ右派であれ、経済を通じた国家の復興を実現すると考えていますが、これを実現するには、国家の力を強大にする必要があります。これは官僚資本主義の急速な悪化をもたらします。主な弊害は、政府の役人や党官僚が富を蓄積する無数の機会をもたらしたことです。そしてこれもまた中国の国内問題となっています。

 

また他にも注目すべきことがあります。トクビルの『旧体制と大革命』が2013年にベストセラーとなりました。王岐山(政治局常務委員、中央規律検査委員会)が会議でこの本を推薦したからです。その意図は、経済の発展によって今後は民衆からの抗議の声がでるだろうという考えからです。それが意味することは、中国共産党は革命政党であるが、革命の発生は許さない、ということです。ここからも、共産党は国内矛盾にも目を向けていることが分かります。われわれは中国がどのように次の一歩を準備し模索しているかを観察しなければなりません。なぜなら共産党は政策を決定したら煩雑な過程や検証を必要とせず、非常に効率的にそれを行うからです。しかしその決定自体が間違っていれば、それがもたらす結果も悲惨なものになります。それは全世界に悲惨な結果をもたらします。これも中国に関心を持たなければならない理由です。

 

【區】:中国は急速に変化し、急速に現代化し、同時にまた極度の独裁にある国家です。それは強大ですが、アメリカが強大な時期にベトナム戦争での敗北に直面し、また米国内での反戦の声を押さえられなかったという前例と似ています。これまでの強権国家や帝国のなかで破綻しなかったものは一つとしてありません。次にわたしは、民衆の民主的権力をはく奪している国では、その版図の民衆には独立する権利があると考えています。中国共産党は私たちから民主主義を奪い続けていますが、雨傘運動でも垣間見られたように、民衆自身が民主主義を実現しようとし、また一部の青年たちは独立すべきだという考えに達しています。しかし強大な隣人(中国)と対峙するには、敵の強み、そして弱点を分析すべきであり、そうしてこそ希望が持てると思います。

朝鮮半島と東アジア危機の状況

Donald-Trump-Kim-Jong-Un-762784朝鮮半島と東アジア危機の状況


ピエール・ルッセ




 ドナルド・トランプが米大統領に選出されて以来、朝鮮半島危機は日を追って厳しくなっている。全般的不安定性という情勢を背景に、この危機は三つのレベルで表現されている。?諸国間の世界的力関係、?東アジアを貫いて広がっている厳しい緊張、?「二つの朝鮮」間の現状維持の崩壊、である。さらに米国内の情勢を付け加えたい。トランプは国内政治における失敗を、外部の敵――それがロシアであろうと、中国や北朝鮮であろうと――への国民的動員の気分を醸成することで埋め合わせようという誘惑に駆られているのだ。朝鮮危機にかけられているものは極めて多くの事柄であるため、不安定性は大きなものであり、「制御しえない転落」という本物の危険性も存在する。



調印されなかった平和条約



 朝鮮戦争(一九五〇~五三年)は六五年前のことだった――しかし平和条約は調印されなかった。休戦協定だけである。朝鮮半島は依然として公式には戦争状態にある――それは単なる形式ではない。とりわけ米国は、前世紀に取り逃がしたことの実現を望んでいる。

 半島という地勢は、しばしば紛争の対象となる地政学的位置を占めているが、朝鮮半島はとりわけそうである。一九世紀の末、中国を犠牲にする形で日本の影響力が強まり、中国はアジアで最初の帝国主義に軍事的敗北をこうむった。一九一〇年、韓国は日本にあっさりと併合されてしまった。韓国が独立を回復したのは一九四五年、日本が降伏することによってだった。その時、モスクワとワシントンは日本軍を解体し、三八度線の南北で二つの占領地帯を作り上げた。

 南部では、米国が支援した李承晩政権に反対し、共産主義者や左翼民族主義者が作り上げた影響力のある委員会が人民共和国の創設を宣言した。この闘争は内発的なものだった。それはモスクワや北京や金日成から「輸出」されたものではなかった。ワシントンはソウルに軍事体制を創設し、その動きに報復した。米軍は、日本の警察、日本当局と朝鮮人協力者に頼って民族独立委員会を弾圧した。一九四八年、李承晩は大韓民国(南朝鮮)大統領に選出された。共産主義ゲリラは彼の独裁権力に抵抗した。一方、北朝鮮では人民共和国が宣言された――南では地下で選挙が組織された。

 朝鮮戦争が一九五〇年に勃発したのは、南部での内戦という状況下においてだった。それは急速に国際的性格を帯びることになった。米国は国連旗の下に強力な特別部隊を送り込んだ。北朝鮮の軍隊は中国との国境地帯に押し返された。北京の中国政府(自国の再建に献身することを望んでいたが)はこの戦争に加わり、米軍を北緯三八度線にまで押し戻した。戦線は膠着し、一九五三年には両国の間に四キロメートルの非武装地帯を設置した――それは事実上、地球上で最も豊かな自然保護地帯になった。

 フィリップ・ポンスが名づけた朝鮮における「共産主義の星雲」には、四つの構成要素があった。

*国内抵抗グループ、*ソ連への亡命者、*中国共産党に結集した「延安グループ」、*中国共産党に参加せず中国国内で活動したパルチザン部隊である。キム・イルソンはこの部隊を指導した。彼が朝鮮に帰ったのは、ロシア軍がやってきてから一か月後のことだった。モスクワは、彼の分派が朝鮮共産党指導部の中ではきわめて少数だったにもかかわらず、新体制の中で彼が頭角を現すことを歓迎した。しかし彼の分派はモスクワの忠臣にはならなかった。一九五〇年代から六〇年代にかけて、彼は一連の党内粛清を通じて自らの権力を打ち固めた。最初の犠牲者は国内派の共産党員であり、ごまかしの裁判で消されてしまった。「親ソ派」「親中派」も後に同様の運命を負わされた。体制は専制的、のちに王朝的になった。



重武装地帯



 中国の国連安保理常任理事国への参加(一九七一年)、ニクソンの訪中(一九七二年)に始まった中米の国交確立にも関わらず、朝鮮半島の戦争状態に決定的な終止符を打つための条件は成熟しなかった。米国は、ベトナム戦争中に、とりわけ東北アジアで強化された軍事力を維持した。中国は、国境に陣を張る米軍を見て、朝鮮半島の統一にかかわるリスクを取ろうとしなかった。ドイツ型の解決はなく、したがってそこにあったのは引き延ばされた状況の凍結だった。

 さらに米国の指導者たちがおそらくは期待したような、北朝鮮体制の崩壊は起こらなかった。内部の社会的危機(一九九〇年代後半の飢餓、物資不足)、ソ連邦の崩壊、中国政府の資本主義への結集や韓国との関係の発展、偉大な指導者(キム・イルソン)と、その息子の死、国際的制裁、ワシントンによる圧力ときわめて具体的な攻撃(電子戦争)にも関わらず、である。フィリップ・ポンスが述べているように、たとえ恐怖政治に訴えていたとしても「彼がたんなるスターリニストだったとしたら、かれは生き残れなかっただろう」。包囲された要塞のメンタリティーは、日本の占領下で打ち鍛えられたナショナリズム・愛国主義のメンタリティー、政治的というよりエスニック的なメンタリティーを動員し、「ゲリラ国家」の復元という近い過去と結びついた「国民的物語」を作り上げるためである。

 この問題が関心をそそるのは、米国の政策がなぜ失敗するのか、恒常的な脅しが体制の生存のイデオロギー的メカニズムをなぜ強化するのかについて、理解することを可能にさせるからだ。北朝鮮政府は、また現在の国際情勢からも教訓を学んでいる。核兵器の保有のみが、西側諸国の介入から「敵」国を効果的に守るということだ。

 北朝鮮の核開発プログラム発表に続く一連の出来事は、おそらくビル・クリントン政権の下で一九九四年にワシントンによって交渉された協定に基づいて停止されていただろう。しかしこの協定は、北朝鮮を「悪の枢軸」とも位置付けたジョージ・ブッシュ政権によって一方的に破棄された。オバマ政権は、基本的に同じ姿勢を維持した。大規模な米韓共同航空作戦は北朝鮮への上陸、あるいは浸透作戦をテーマにしていた。全電子作戦システムは、北朝鮮のプログラムをマヒさせるように設定されていた。

 東アジアでの米中間の緊張の高まりとともに、さまざまな機会をさぐる窓口は閉ざされた。この地域全体が今や戦争歩調になっている。南シナ海では中国がイニシアチブを発揮している。七つの人工島が作られ、そこでは軍事施設、飛行機の滑走路、ミサイル基地が建設されている。中国の兵器開発計画が展開されており、二隻目の空母がまさに進水したが、それはすべてが国内で作られたものだ(一隻目の空母の船体はロシアから買ったものだった)。

 こうした条件の下で、米国は何よりも第七艦隊を頼みにした海峡への支配と、東北アジアにおける軍事的優位を維持することを決意している。米国は、韓国、日本、そして何よりも沖縄といった巨大な基地ネットワークと、同盟国の軍隊を所有している(韓国、日本)。

 軍事緊張のエスカレーションは続いている。米国政府は韓国にミサイル迎撃ミサイル・サード(THAAD)基地を設置した。それは公式には北朝鮮のミサイルを破壊するためとされている。しかしその射程を考えればサード・ミサイルは中国の大部分を対象にして使用することができる。こうしてサード・ミサイルは中国の核抑止力を無力
化することができる。その結果、中国は自らの核抑止力を守るために、軍の現代化と戦略原潜の大洋配備を計画している。

 日本は自衛力を持つだけと考えられているにもかかわらず、四隻のヘリ空母をふくめて世界第六位の海軍力をすでに保有している。政府と軍産複合体は、明白に平和主義的な憲法と住民の強力な反軍国主義的な感情にもかかわらず、核武装をふくむ完全な再武装にとって残された政治的障害を除去しようとしている。

 北朝鮮の計画、韓国での米国のミサイル迎撃網、中国の攻撃能力の拡大と現代化、日本の軍国主義右翼の構想……。挑発と対抗の地獄のサイクルは、極東での核兵器競争を再開させた。関係するすべての政府はこの問題に責任があり、誰が最初に朝鮮戦争の火を放つかは、こうした惨劇に直面する中ではもはや重要なことではない。



力への意思



 ドナルド・トランプという「要因」が、すでにきわめて危険なこの情勢にいっそうの不安定さを付け加えるものになっている。彼は米空母とその付属艦隊を韓国周辺に向かわせた。自身の声明に沿って、彼は軍事熱と外交的無関心をあらわにしている。

 しかし二つの要素がとりわけ攪乱的である。トランプが大統領になって最初の一〇〇日で、彼は裁判官、州、議会、共和党などからも反撃を受け、後退を積み重ねてきた。彼の財政プログラムに反対して女性や移民、地球、科学的研究を守ろうとする一連の大規模な行進、動員に見舞われてきた……・彼は外部の脅威を引き合いに出し、ロシアやシリアへの彼の政策を変更し、米国の比類なき武力を確認し、米国が警告抜きに、そして同盟国との相談なしで、行動することができると見せつけるために、シリアとアフガニスタンにこれ見よがしの攻撃を命じてきた。

 さらにトランプは、ビジネスマンと将軍の政府を作り出した。彼は大規模な軍備計画を約束した。しかし彼の予算支出は、今度は議会からの批判を受けることになった。将官スタッフと軍産複合体は困惑した。北朝鮮の危険性を継続的に引き合いに出すことは、議員たちに圧力をかける一つの方法だった。

 アフガニスタンで遂行されたこの作戦という劇場では、何の意味もなかった。地下にあるアルカイダのシェルターのネットワークは破壊されたが、この組織はこの紛争においてきわめて少数派の構成要素に過ぎない。真の敵はタリバンであり、かれらはおそらく攻撃の破壊的暴力によって政治的に強化された。中国や北朝鮮に対するものを含んだ国際的「シグナル」は、たしかに米国の決意を示すものだったのだろうが、それ以上のものがある。世界で最も強力な爆弾である「すべての爆弾の母」は、これまで使用されたことがなかった。しかし、現実の状況で、すべての武器はテストされなければなかったのである。

 一九四五年八月、広島と長崎が核攻撃の犠牲になったのはそのためだった。日本の降伏が公式に発表される以前に、原爆・水爆の効果を比較する必要があったのであり、いっそう悪いことにあまりにも多くの「人間モルモット」、市民たちが核のホロコーストの中で皆殺しにされ、放射能にさらされたのだった。

 武器は作られなければならず、したがって使われなければならない。これが戦争ずきの軍産複合体の論理なのである。

 トランプは外交的理由を無視する理由を持っている。彼は(ビジネスを別にすれば)世界について何も知らず、大使館や関連する行政機関のアドバイスを求めない。彼の政治行動は常軌を逸し、気まぐれだ。彼は選挙後、何度にもわたって国際的レベルでの方針を大きく変えた。彼自身が不安定性と予測不能性の要因であり、日本でも韓国、オーストラリアでも米国の同盟者たちはそのことに気付いている。米国ユニラテラリズム(単独主義)がかれらを困惑させている。かれらはホワイトハウスが、相談することもないまま広範囲にわたる結果をもたらす決定ができることを知っている。



人々は堂々と声を上げる



 しかし希望を持つ根拠は失われてはいない。韓国の人びとは何か月にも及ぶ巨大な動員の後に腐敗した大統領と軍事主義的政党を打倒した。彼らはそのほとんどが、北への挑発ではない交渉の政策を選択した。象徴的な行動が、境界線を共に越えた四〇人のフェミニストたちによってとられた。THAADミサイルが配備されたソンギュの近くでデモが行われ、警察と衝突した。運動体の連合も南部のチェジュ島に海軍基地を作ることに反対している。

 日本では、日本列島の近くの海に北朝鮮のミサイルが着水したにもかかわらず、そして極右勢力の恒常的プロパガンダにもかかわらず、この国の再軍事化への市民的抵抗はきわめて根深く行われている。沖縄では米軍基地への反対はたじろいではいない。

 地域を通じて海洋空間の非軍事化こそ戦争を止めることを可能にする唯一の道だという考え方が作り上げた影響力のある委員会が作り出されている。

 東アジアの紛争で問題となっている課題は、きわめて直接的にグローバルなものだ。反戦運動は、ヨーロッパにおいて、しかしより重要なのは米国において、アジアの人々の抵抗を支援すべきである。

(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年五月号)


報告 : ミンダナオでの軍による活動家虐殺に抗議 アジア連帯講座が比大使館に抗議行動

IMG_2573 さる3月4日午後4時ごろ、フィリピン・ミンダナオ島北西部のラナオ・デル・ノルテ州で、第四インターナショナル・フィリピン支部の革命的労働者党・ミンダナオ(RPM―M)の中心的活動家で、同党が組織するパルチザン部隊である人民革命軍(RPA)のリーダーでもあった同志ルベンが虐殺された。

□参照
【フィリピン】ドゥテルテ政府軍による革命派活動家虐殺糾弾 RPM-M/RPA声明

【フィリピン】ドゥテルテ政府軍による革命派活動家虐殺糾弾 第四インターナショナル声明


 フィリピンの仲間たちは、アロヨ前政権以来、フィリピン政府との間で続けてきた停戦合意を忠実に履行し、ドゥテルテ新政権との間でも合意に向けた交渉を行う努力を続けてきた。しかし今回の虐殺事件は、非武装で友人の家族を訪問しようとしていたルベン同志に対して、フィリピン国軍の部隊の計画的・組織的犯行として準備、実行されたものだった。こうした国軍部隊の計画的殺人行為を、われわれは絶対にゆるすことはできない。

 アジア連帯講座は、四月五日、東京・六本木五丁目のフィリピン大使館に向けて、フィリピン国軍によるこうした殺人行為に抗議し、不法な計画的虐殺の責任者・実行行為者を逮捕し、裁判にかけて処罰するよう求める英文の申し入れ文書を大使館職員書簡に手渡した。大使館職員は、確実に大使に届けると約束した。申し入れ行動の参加者は、「仲間の虐殺を許さない」「殺人の首謀者・実行者を裁判にかけて処罰せよ」とシュプレヒコールをあげた。

(K)

申し入れ:在日本フィリピン大使館御中

 私たちは「アジア連帯講座」という日本の市民組織です。貴国の市民グループ・民衆組織の活動家とも連絡を持って連帯活動を行ってきました。例えば二〇一三年に中部フィリピンを襲った台風ヨランダによって甚大な被害を受けた住民たちを支援する、フィリピンの仲間たちの要請にこたえるカンパ活動を呼びかけて、仲間たちに届けてきました。

 私たちはミンダナオの民衆組織とも連帯する活動を行っています。ところが一カ月前、ミンダナオの私たちの友人からきわめて悲しいニュースが届きました。三月四日の午後四時頃、私たちの仲間が加わっている組織である革命的労働者党・ミンダナオ(RPM-M)の中心的活動家であるルベンが、フィリピン国軍の部隊によってラナオ・デル・ノルテ州のカパタガンで虐殺されたというのです。

 虐殺されたルベンは、いかなる武器も持っていませんでした。彼を逮捕しようとするならそれはs容易なことでした。しかし彼は、重武装の兵士たちによって虐殺されたのです。彼は、貧しい農民のために献身的に活動し、大地主やギャングたちの暴力に反対してきました。

 私たちは丸腰の活動家に対する、軍部隊による不法な虐殺に抗議します。この不法な殺害事件を調査し、責任者を裁判にかけることを求めます。この殺害行為を処罰すべきです。

 以上、駐日フィリピン大使館を通じてフィリピン政府に申し入れます。

 二〇一七年四月五日
 アジア連帯講座
 

【フィリピン】ドゥテルテ政府軍による革命派活動家虐殺糾弾 第四インターナショナル声明

polmil1【フィリピン】
第四インターナショナル声明
ミンダナオで同志ルベンが暗殺された
二〇一七年三月七日
第四インターナショナルビューロー


 二〇一七年三月四日、同志ルベンがフィリピンのミンダナオ、ラナオ・デル・ノルテ州で軍により殺害された。

 これは明らかに暗殺だった。ルベンは確かにお尋ね者だった。彼が、第四インターナショナルフィリピン支部である革命的労働者党ミンダナオ(RPM―M)と人民革命軍(RPA)に参加したことを理由としたものだ。しかし彼はその時友人たちと家族を訪れようとしていたのだ。彼はどのような武器も所持していなかった。彼の逮捕は簡単にできることだっただろう。しかし彼は処刑されたのだ。

 カパタガンで作戦を指揮したのは警察(彼らもそこにいた)ではなく、重武装の政府軍歩兵大隊だった。彼は殺害されたただ一人であり、数知れない弾丸を撃ち込まれた犠牲者となった。

 ルベンは、一九九四年の分裂とRPM―M/RPA創立過程への参加まで、フィリピン共産党および新人民軍(CPP―NPA)の一メンバーだった。彼は政治的、軍事的カードルとして、農民と田舎の貧しい者たちを防衛したがゆえに、そして麻薬取引に反対する活動、選挙期間中の当地政治家による票の買い取りに反対する活動、横暴な地主の手先になったならず者たちや取り巻きたちと対決する活動、ちなみにルベンは彼らを武装解除したのだが、そうしたことのゆえに当地の地主の中に数多くの敵を作った。

 ミンダナオ北西部におけるRPM―M/RPAの人気は、一九八〇年代はじめ(当時は毛沢東主義派の共産党の下で)に遡る。一九九四年の分裂後、新しい組織は首尾一貫して、専守防衛的な政治・軍事姿勢を採用してきた。彼らは軍に対するあらゆる攻撃的な作戦を止め、アロヨ政権の下ですぐに和平協議を始めた(二〇〇一―二〇一〇年)。

 現大統領のドゥテルテはフィリピン、特にミンダナオでの和平プロセスを再開すると約束した。警察と軍による攻撃、ルベンの暗殺は、この約束に反している。事実上これは、それ以前にRPM―M/RPAとの間で始められていた和平協議への違背だ。

 われわれはルベンの同志たちの深い悲しみを共にする。そして彼らにわれわれの心からの深い連帯を送る。

 超法規的な殺人がすでに数多くの犠牲者を生み出している以上、あらゆる進歩勢力と革命勢力を確実に支えるために、われわれは国際的連帯を必要としている。

(「インターナショナル・ビューポイント」二〇一七年三月号)

【フィリピン】ドゥテルテ政府軍による革命派活動家虐殺糾弾 RPM-M/RPA声明

training4フィリピン
RPM―M/RPA声明
同志ルベン虐殺を糾弾する
二〇一七年三月五日
ハロルド・フェルナンデス


 同志ルベンに革命的敬礼を送る!

 人民革命軍(RPA)の全武装パルチザンは、ラナオ・デル・ノルテ州カパタガン、バゴン、プロク8で、政府軍部隊が二〇一七年三月四日に行った、同志ルベンの虐殺を強く糾弾する。

 前述した悲劇の午後、マルルーイ・S・ディセン中尉、小隊指揮官フェルナンド・オリベロスジュニア少尉が率いた第三歩兵師団一五歩兵旅団ブラボ中隊の多数かつ完全武装の部隊は、同師団同旅団大隊長アウディ・E・モンガオ中佐の司令の下に、多数の国家警察(PNP)部隊と共に、彼らの主張では同志ルベンの逮捕状執行を名目として、ラナオ・デル・ノルテ州カパタガン、ブルギ・ティアコンガンのある家の手入れを行った。

 同志ルベンは、フィリピン軍(AFP)武装部隊が家に近づくことに気付いた。そして、自身が武器をもっていなかったことからすぐ国軍から逃げようと決めた。しかし、大口径の武器を携えた敵の数を考えれば、逃れようとした彼の試みは不可能だった。彼はただ一人にすぎず、もっていたのは携帯電話だけだった。友人、家族と人々を訪ねるためにその場にいたからだ。

 その場に現れた武装人員の数を前提とすれば、本当の意図は同志ルベンを消すことだった。ルベンに打ち込まれた弾丸数から理解できることとして、それは一種の虐殺だった。まったく鮮明かつ非常に赤裸々であったことは、前記の作戦が警察の作戦というよりも主に軍事作戦だったということだ。それは、たとえ彼の逮捕状が彼に渡されると想定されていたとしても言えることだ。

 同志ルベンは、何らかの殺し屋であったことも、他の非革命的な活動に関わったことも一度もない。彼は、一九九〇年代初めにRPAがCPP―NPA(フィリピン共産党―新人民軍)から分裂した時から、RPAの精力的な政治的かつ軍事的カードルだった。

 彼は、犯罪者に対し、また政府軍部隊や横暴さや抑圧的なことで知られていた個人に対してはなおのこと断固としていたことで知られていた。事実として彼は、違法な麻薬取引に対する現ドゥテルテ政権のキャンペーンを、ただし超法規的手法ではない取り組みを支持して声をあげた人々の一人だった。彼が強く確信していたことは、この国に広がる麻薬問題が、わが人民の圧倒的多数を苦しめているひどい貧困と社会的不平等の象徴、ということだった。

 同志ルベンは、RPAパルチザン部隊の一メンバーとして、彼の作戦地域の農村共同体と貧しい田舎の人々を防衛することに大きな精力を傾けてきた。彼は、殺人者たちが行った悲しむべき事件まで、彼の政治的任務と軍事的任務を私心なく行ってきた。彼は、最後の数時間まで人々と共にあろうとした。

 RPAは革命的労働者党ミンダナオ(RPM―M)の武装部隊として、一九八〇年代はじめからラナオ・デル・ノルテ州を含むミンダナオ北西部に存在してきた。RPM―Mがアロヨ政権の下で、RPAとフィリピン政府との休戦協定に署名した後、RPAの同志たちは、この協定をしっかり守り、民衆の極端な貧困の結果としての武装紛争を平和的に解決するという路線を維持しようと務めてきた。

 同志ルベンの殺害は、この協定に対する違背だ。これは、ドゥテルテの下で現政府が取りかかっている和平の性質に対し、多くの疑問を起こさせた。しかし、これではるかにはっきりしたことは、AFPが達成したいと思っている和平は墓場の平和、ということだ。

 われわれは同志ルベンを失ったことを深く悲しむ。しかしわが同志の死を無駄にすることなど決してないだろう。

われわれは勝利する!

全国作戦司令部(NOC)

▼筆者は革命的労働者党ミンダナオ(RPM―M)/人民革命軍(RPA)のスポークスパーソン。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年三月号)

【国際声明】西パプア民衆の自決権のための闘いに連帯しよう

budaya西パプア民衆の自決権のための闘いに連帯しよう
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article4785


2016年12月1日



 以下に連名した組織は、西パプア民衆の自決権のための闘いに連帯を表明する。



一二月一日は、パプアの人びとにとって独立記念日である。一九六一年のこの日、それまでインドネシアに併合されていたパプアの人びとは、「明けの明星(モーニングスター)」の旗を掲げた。この旗は多くのパプア人にとって「自由西パプア」の願いを象徴するものだった。しかし西パプアで「明けの明星」旗を掲げることは依然として非合法であり、そうした行為をした人びとは、当局による逮捕・起訴に直面する可能性があった。

今年の一二月一日、西パプアの人びとは大衆的結集を通じて、自決権のための闘いのこの伝統を継続するだろう。西パプアの闘いに関わっているインドネシアの民衆は、結集して連帯を表明するだろう。西パプアの自決を支持するために、インドネシアでは全国規模の同時行動が行われるだろう。



スハルト独裁体制の下で一九六九年に行われた、不自由きわまる「自由選択条例」国民投票によって、およそ五〇万人の西パプア民衆が自己統治のための闘いの中で殺害された。西パプアの民衆は、数十年にわたって残虐な弾圧と恐怖の文化に耐えてきた。インドネシアの軍部と警察は、人種的感情を喚起しつつ、パプアの人びとに系統的な弾圧を行ってきた。

 現在にいたるまで、西パプアの人びとは、インドネシア政府によって拡大されている威嚇、弾圧、残虐行為に直面し続けている。今年だけでも、自決と独立住民投票の要求を声にしただけで幾千人もの人びとが逮捕されている。



したがってわれわれはインドネシア政府に対して以下の要求を行う。



1 西パプア民衆が、住民投票で西パプアの将来を決定する権利をふくむ、自己決定の権利を尊重せよ。

2 自己決定の要求を声に出した民衆への弾圧をやめろ。

3 言論の自由、表現の自由、結社の自由、思想の自由を西パプアの民衆に。

4 無料の教育、全般的医療保障、安価な公共交通を提供し、西パプアの人びとの生活を改善せよ。

5 インドネシア軍と警察による西パプアの民衆への人種差別的政策をやめろ。



 われわれは西パプアの民主主義的闘いの過程への、あらゆる形での帝国主義の介入を拒否する。西パプア民衆の自決へのわれわれの連帯は、西パプアの土地を奪い植民地化する

やり方を支持する帝国主義と国際的な企業に対する闘いの一部である。

 われわれは全世界の人びとに対して、パプアの自己決定の闘いへの連帯を進める活動を強化するよう訴える。



署名



マレーシア社会党(PSM、マレーシア)、

ジャリンガン・ラクヤト・テルティンダス(JERIT、マレーシア)

ソリダリテ・アナク・ムダ(SAMM、マレーシア)

アワミ労働者党(パキスタン)

人民解放党(PPR、インドネシア)

民族解放闘争学生センター(PEMBEBASAN、インドネシア)

セダネ労働資料センター(LIPS、インドネシア)

ペサト・ペルジュアンガン・ラクヤト・インドネシア(PPRI、インドネシア)

ペルクムプラン・ソリダリタス(インドネシア)

リングカ・スタディ・ソシアリス(インドネシア)

社会主義連盟(オーストラリア)

反資本主義新党(NPA、フランス)

第四インターナショナル

(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年一二月号)

声明:アジア・太平洋の社会主義者、進歩的活動家はタイの新たなクーデターに反対の声を上げる

THAILAND_POLITICS_17608031タイの軍事クーデターに関する、アジアの社会主義勢力の共同声明です。

呼びかけの中心はオーストラリアの社会主義連盟(DSP<民主社会主義党>)の人たちです。




…………………

明:アジア・太平洋の社会主義者、進歩的活動家はタイの新たなクーデターに反対の声を上げる



われわれ、ここに署名した組織は、プラユット・チャンオチャ(陸軍司令官)指揮下の軍部による今回の軍事クーデターに強く反対する。

二〇〇六年のクーデター以来、八年ぶりに行われた今回のクーデターは、タイにおける民主主義と社会的公正を高めるものであるどころか、独裁的支配の力と、現にあるあらゆる民主主義的諸機関を粉砕する企てを強化するだけだろう。すでに軍はメディアとインターネットの厳重な取り締まりを開始し、クーデターに反対する人びとを逮捕している。

このクーデターは、自らの権力を打ち固めるために民主主義的空間の削減を望む支配階級の一部の利害を守るために準備された。タイの軍事評議会は、政治危機を解決するための自由で公正な選挙を行うことに、何の利益も持っておらず、軍部が支配への脅威と見なす表現の自由を守るつもりはない。

タイ軍部は、民主主義的運動への無慈悲な弾圧、たとえば二〇一〇年の「赤シャツ」の民主主義のための抗議に対する流血の虐殺で、悪名をとどろかせてきた。

われわれは要求する。

●タイの戒厳令をただちに撤廃せよ。

●タイの民衆が次の政府を民主主義的に選択するために、選挙プロセスの復活を。

●タイの政治的異論派への取り締まりをやめ、すべての政治囚を釈放せよ。

●タイのクーデターを終わらせるために,ASEANの政府は一致して非難し、圧力をかけろ。

●軍事評議会を認めない意思表示として、せべての政府はタイから大使を引き揚げよ。




二〇一四年五月二三日



マレーシア社会党(PSM)

左翼転換(タイ)

PLM(フィリピン)

社会主義連盟(オーストラリア)

変革のための社会行動(カンボジア)

アワミ労働者党(パキスタン)

人権のためのタイ人連合(オーストラリア)

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【フィリピン】台風被害後の民衆の生活再建のために

haiyan7(写真は東部ビサヤ地区)

ハイエン/ヨランダ後のフィリピンと「再建の政治」



リチャード・ソリス



 フィリピンの災害から四〇日という、公的で伝統的な服喪期間(二〇一三年一一月八日から一二月一八日まで)が終わったところだ。それは、愛する人びとの喪失を苦痛に満ちて受け入れ、人びとの感情的・心理的傷をいやす期間であるべきだ。それはまた、かれらに残された家屋と暮らしの何を再建するのかを、自ら見つめる時間でもあるべきだ。

 しかしこのつながりの中で、人びとは次の問いを発せざるをえない。再建、あるいは回復すべき何ものがあるのか、と。それは、災害以前の時期に戻ることを意味するのか、と。次の事実を思い返すべきだ。超大型台風ヨランダ/ハイエン(STYH)が最大の猛威をふるった東サマールとレイテ、あるいは東部ビサヤ(訳注:ビサヤ地方はフィリピン北部のルソン島と南部のミンダナオ島の間の諸島を指す)は、この国で三番目に貧しい地域なのだ。四二〇万人の人口の約半数は、低収入のコプラ(ココヤシの実を乾燥させたものでヤシ油の原料)労働者と漁民である。地域経済として、持続可能な枠組みは全くと言っていいほど欠如しており、鉱山や木材伐採といった、超大型台風の惨劇への自然のバリアーとなるエコシステムの脆弱性を直接に引き起こす自然破壊的産業によって、政治が操縦されてきた。

 こうした状況は、住民全体に慢性的貧困をもたらした。例えば東部ビサヤの事例は、貧困がますます悪化する状況をくっきりと描き出している。二〇〇九年には住民の四七%が貧困ライン以下で生活していた。二〇一二年にはそれは六〇%に急上昇した。この地域(東部ビサヤ)は、全国で収入の格差が最も大きく、勤労住民の上位三〇%が底辺の三〇%の住民の八倍の収入を得ている。

 東部ビサヤの住民の悪化する貧困状況(この国の他の地域と同様に)のため、幾百万人の人びとが自然災害(あるいは人工的災害)から自らを守る力や、災害後に損害を埋め合わせる手段を奪われている。

 超大型台風ヨランダ/ハイエン(STYH)によって最もひどい被害を受けた人びとの九〇%近くが貧しい住民であり、死者の四〇%がこうした最悪の災害から自らを救うことができない六〇歳以上の人びとだったということを知っても驚くにはあたらない。

 こうした状況は、STYHに直撃された地域の住民にとって災害前からの条件だった。ヨランダから生きのびた人びとは、かれらの生活の再建・再構築について語るとき、こうしたありかたに戻ることを望まないだろう。それは過去の過ちの再建であるべきではない。



生活の再建と過去の是正



 ベニグノ・「プノイ」・アキノ大統領(プノイはベニグノ・アキノの愛称)と彼の政府は、ヨランダによる被害総額を一二〇億ドル、再建と復興に必要な総額は一三〇〇億ドルと見積もっている。プノイは、二日前のヨランダ被害からの再建支援国際援助機関(RAY)会合の席上で、そのように言及した。プノイ政権は再建・復興活動の異なった局面についても定義した。この六カ月が決定的に重要であり、短期的には一年、中期的には四年がめどとなる。

 二〇一三年一二月二四日は、タクロバン(レイテ島の中心都市)の仮設住宅の入れ替えの期限であり、この時までにエネルギー庁長官(ペティラ長官はサマール島出身)の約束では、都市部と他の市街地中心部の電力は一〇〇%復旧することになっている。プノイ政権と地域のエリート階層は、採掘産業と開発の枠組みに突き動かされてきた政治は不可侵であり、したがって再建・復興期間中に電力が復旧されることを明らかにしているのだ。

 こうした中でヨランダの被災者たちは、この荒廃状況から生き延びるだけの生活を送っており、国内・国外のNGO機関・組織や食料配給に日々依存している」。政府からの食料パッケージは、最終的には対象とされる受領者に届いているのだが、全くというわけではないにしても、かなりの腐敗段階に入っている。

 被災地域で人身売買の被害者が出ているという証言がある。そこでは、若い女性が売春行為に引き込まれている。フィリピン人海外出稼ぎ労働者(OFWs)となる候補者を求める非合法のリクルーターたちがうろついている。そこで彼らは、OFWsとなるヨランダの生き残りたちを搾取してカネもうけをすることができるのだ。

 復興・再建計画は、過去のあやまちを繰り返すべきではない。それは採掘・伐採活動と事業の完全な停止から始めるべきである。一〇年以上前(二〇〇一年)にオルモック市(レイテ島西海岸にある都市)で大災害が起きた。せきを切ったような洪水で五千人以上が亡くなった。悪評判をかきたてる採活動の禁止に言及した当初の反応を別にすれば、その災害は意図的に忘れ去られた。政治的・経済的エリートたちが、伐採・採掘事業の背後にいたことは誰もが知っていることだ。

 再建という考え方は実際には過去のあやまちを「再建」するものだということが、はっきりと示されている。ヨランダのような最悪の災害に人びとがさらされ、より傷を受けやすくなるような条件が作りだされるだろう。

 経済的・社会的不平等が根本的に問題とされるべきであり、貧しい人びとや、そのコミュニティーが自然災害や人工の災害に対してきわめて弱いものになってしまうような抑圧的メカニズムを作り出すシステムは解体されるべきだ、という枠組みの中に、再建は位置づけられるべきだ。

 再建はたんにシェルターや橋といったインフラを建設することではない。それは民主主義的ガバナンス(自己統治)と民衆の主体的力量の向上(エンパワーメント)であるべきだ。したがってそれはまず何よりも、気候変動への弾力性がある住居の建築であれ、長期的な生計プログラムであれ、あるいは沿岸地域のマングローブの再生であれ、再建を実施するあらゆる段階において自己自身を再建するための基本的権利を尊重することである。こうしたすべての局面で、災害から生き残った人びとがまず最前線に立つべきだ。それは、かれらが自分たちの生活とコミュニティーを再建するのだという単純な理由によるものである。

 人びとは、発展のための施設を伴ったかれら自身の組織を通じて、戦略的計画を主導し、災害への脆弱性を長期的に削減するプログラムを実施し、災害後の時期の補償プロセスのためのメカニズムを打ち立てるべきである。

 しかしそうした活動には、解放的メカニズム、農民のための真の土地改革、漁民の漁獲権の擁護が必要となる。言い換えれば、さまざまなプログラムを採用する前にシステムを変革するような多くのことを成し遂げるべきである。気候変動による災害に対する貧しい人びとの、とてつもないほどの無力さを生み出す構造を除去しなければ、被害を最小限にとどめることはできない。

 これは住民の多数が、台風や洪水の破滅的影響を回避するための長い、曲がりくねった道である。しかしこの温暖化した世界に近道はない。



何が必要か?



 先に述べたように、超大型台風ヨランダで最大の被害を受けた東部ビサヤは、この国で三番目に貧しい地域でもある。この地域をモンスター的台風が襲う前には、四二〇万人の人口の五〇%以上が貧困レベル以下で生活していた。この地域の慢性的な貧困は、貧困線以下の人口が二〇〇九年の四七%から、二〇一二年には六〇%になったことに現わされており、さらに今年、とりわけヨランダ襲来以後は、想像を絶するレベルとなっている。

 経済的周縁化状況の悪化と、住民の多くが政治から疎外されていることにより、この地域は暴動・反乱の豊饒な基盤になっていった。フィリピン共産党(CPP――いわゆるシソン派)とその武装組織である新人民軍(NPA)への徴募はきわめてたやすいことだった。この地域を支配する経済的・政治的エリートたちのあからさまな腐敗に不満をつのらせ、絶望的になっていた民衆は、CPP―NPAの接触を受けてかれらの隊列への参加を促された時、考え直す必要などなかったのである。

 したがって東部ビサヤ、とりわけサマール島が、活動家たちの発展のレベルとNPA組織の規模において、CPPの軍事部隊が最も前進した地域としてよく知られてきたのは驚くようなことではない。NPAの最初の大部隊が、この地域で組織されたことを記憶しておくべきである。そして、NPAの急速な拡大によって、この地域がかれらの武装ゲリラ戦術の攻勢を強化する試験的地域になったことも知られてきた。この地域の自然資源、人的資源は、こうした実験を促すことになった。

CPPが率いる武装闘争の強化がもたらした結果は、この地域の貧しい人びとの多くにとってさらに重荷を背負わせることになった。四〇年以上に及ぶこうしたタイプの革命運動が、民衆にとって積極的成果をもたらさなかったこと、民衆の生活の悲惨さをやわらげるものとはならなかったことは明らかになっている。

さらに、市民社会組織の発展とオープンな大衆運動との間には、とりわけ町や都市センターにおいて大きなギャップが存在してきたことに容易に気づくことができる。民衆生活のさまざまな側面で意味のある改革を推し進めるオープンな大衆運動の発展は、民衆の大衆的組織・機関の発展とからみあったものである。明らかに、ここでの民衆の選択は闘争の武装的形態に限定されている。この地域における(他の地域と同様に)CPP―NPAの力点は武装闘争の発展と強化であり、それは農村から都市を包囲する政治路線を持った持久的人民戦争のために活動する毛沢東主義的戦略路線の適用である。

真の土地改革と漁業権の擁護のための、農民と漁民それぞれの権利の防衛は無視されてきた。このような無視は政治的エンパワーメントにとって直接の影響をもたらし、援助は、少数の政治的エリートと貧しい民衆の多数との間の力の配置に変化を作り出している。こうしたあからさまな無視こそ、ヨランダのような超大型台風に対してと同様に、過去の災害に対しても基盤的民衆が「自らを守る/損害を埋め合わせる」準備ができなかったことの、決定的理由だったのである。

したがって救援チームがヨランダの犠牲者や生存者の間に入ろうとした時、まったく組織化されていない民衆や生存者を相手にすることになったのは、なにも驚くべきことではない。この地域と住民の間での、CPP/NPAの存在と影響力のトレードマークだった「オリエンタル・メディスン(東洋医学)」の活動さえも、明らかに存在しなかった。

建設と復興の段階で、ヨランダからの生存者がかれら自身の立ち直りの効果的推進者となるために、自己組織化を助けるべきだということは、きわめて重要である。被災地で活動する民衆組織がないことは活動を困難なものにするだろうが、否定的経験の重荷が少ない中で組織化を開始するために複雑な問題は少なくてすむのだ。

生き残った被災者の組織の建設と強化は、感情面・物質面でのダメージからの復活・再建という課題を直視して取り組む上で、最初になされるべきことである。それは、われわれが過去の誤りを繰り返さないための保障でもある。

民衆組織の建設と強化という方針は、具体的な民主主義的要求を実現する民衆の大衆的運動の発展を支援するものであるべきだ。このプロセスは、明らかに気候変動や、つねに民衆に降りかかる災害に対する日々の闘争の中で、民衆のエンパワーメントの強化に資するものとなるだろう。土地を手に入れるための農民の公然たる大衆運動の積極的成果は、地球温暖化の否定的諸結果を緩和するために、自分たちの耕地で有機農法を利用する仲間たちの隊伍を強化していることである。さらに自らをエリートたちの政治的疎外から解放するために、かれら(農民)の権力をも作り出していることである。つまりかれらの経済的活動は政治的解放をもたらし、したがって、かれらは災害にも、災害後の補償プロセスにも、よりいっそうの準備をすることができるのである。

 その中で、災害地域においてCPP/NPAのような左翼が従ってきたパラダイムとその転換の可能性について、深刻に考えなければならない。社会を再建・再構築する中で、気候変動の破滅的影響の激化という文脈を要因として取り込むべきである。この段階で、数十年の経験で立証されたように、戦略としての長期人民戦争(PPW)は、貧しい人びとの多くにとって、気候変動による災害への度合いを少なくさせるかといえば、そんなことは絶対にない。こうした戦略の適切性についての真剣な再考がなされるべきである。そうでなければ、どのような立派な人が主張しているかにかかわりなく革命的目標を追求するこうした戦略的方針は、実際のところはわれわれが奉仕を誓う民衆にさらなる重荷と困難を加えることになるのだ。さらに、気候変動の現実に直面した政府の枠組、そして現存の搾取と抑圧のシステムを永続化させる至高の利害について考察しなければならない。

 この点で、気候変動の結果に直面する上での最善かつ効果的な方法は、システム変革と右翼と左翼双方の既存パラダイムを大きく方向づけ直すために活動することである。



 二〇一三年一二月一九日。



 ▼リチャード・ソリスはミンダナオをベースにした政治アナリスト。彼はIIREマニラの常任研究員である。

(ESSF[国境なき欧州連帯]のサイトより)


フィリピンの破局的台風被害

1113-Philippines-Typhoon-Haiyan_full_600フィリピン;「ハイヤン」の襲撃 政治家の無能と連帯の緊急性



ピエール・ルッセ




 ワルシャワで第一九回気候変動国際会議(COP19)が始まったまさにその時、超大型台風の「ハイヤン」(注)がフィリピン諸島の中央に位置するビサヤ地方を荒廃させた。この気候変動国際会議がドーハで開催された昨年(COP18)にも、別の猛烈なサイクロンがフィリピンを直撃していた。この会議の終了前に、各国政府の代表たちは犠牲者に哀悼の意を表したが、緊急になすべきことについては何も決められなかった。今年もきっと同じに違いない。シェールガスの問題で山盛りだ。エネルギーロビーがこの取り決めを一元的に取り仕切っている。

こうして、欧州産業家円卓会議にとっては、「競争力」は「二酸化炭素排出削減」と同程度に重要であるべきだ、ということになる。なにものも彼らの利益と権力を脅かすべきではない、ということだ。



気候変動ぬきであれこれのサイクロンが起こったということを「証明」するのは不可能だ。しかしそのことが問題なのではない(注1)。「ハイヤン」は、上陸した台風の中でこれまで記録された最大のものである。フィリピンは不幸にも、太平洋で発生した例外的なまでの気象現象の暴力を、最大限のかたちでこうむってきた。この恐るべき台風のリストを上げれば、さらに長いものとなる。「フランク」(フェンシェン、二〇〇八年)、「オンドイ」(ケツナ、二〇〇九年)、「センドン」(ワシ、二〇一一年)、「パブロ」(ボパ、二〇一一年)、そして今回の「ヨランダ」(ハイヤン、二〇一三年)である。最悪のものは、まだこれからだろう。サイクロンの数はますます増え、その進路は変化している。

 「ハイヤン」のメッセージは鮮明だ。世界の人びと、とりわけ危険地域に住むことが多い最下層の人びとにとって、気象のカオスとは、洪水、土砂くずれ、高潮に脅かされることを意味する。こうした緊急事態では、行政の腐敗ならびに新自由主義のドグマと私的利易の名の下での公共サービズの破壊が、国家の無能さの上にのしかかってくる。

 豊かな国際社会の側の無関心に加えて、フィリピン大統領府の側にも犯罪的な無関心が見られる。この惨害は予測されていた。しかし、最も危険にさらされた地域の住民を避難させるための措置は、なにもなされなかった。固く防護された必需品や医療物資のストックは、使用できる状態になかった。当局が危険の到来を知り、通報がまだ容易だった時に、緊急センターは前もって設置されていなかった。フィリピンのエリートたちは、災害予防政策を完全に無視していたようだ。確かに金持ちは脅威にさらされた地域から引き上げることができるが、貧しい人びとにはそのための手段が何もないのだ。地方の当局者は、ほとんどの何の手段もないまま残されて、この状況に直面することになった。



 テレビ放送、ならびに現場にいるジャーナリストや「サイクロン・ハンター」の報告で、われわれは被害の規模を測ることができる。レイテ島の沿岸都市タクロバン(人口二二万)は文字通り徹底的に破壊され、タクロバンだけで死者は一万人に達するという恐れがある。病院は荒廃し、病院スタッフにももはや薬品はない。生存者は水、食料、衣料品、シェルターを建てるための資材を見つけるために廃墟をさまよっているが、ベニグノ・アキノ大統領は「略奪」を非難し、「秩序の再建」を誓っている。

配布されない食料支援よりも先に早く来たのは軍の戦車だった! アキノは被災者を犯罪者として名ざすよりも、民衆を守れず、災害を予防できなかった自分の無能さから結論を引き出したほうがよい。



typhoon-haiyan-philippines-aftermath-2-111413 災害に襲われた地域はタクロバンだけではない。台風「ハイヤン」はメディアが言及したサマール島やレイテ島に加え、ビサヤ地方の多くの島を通り抜けた。四一の州が、多かれ少なかれ台風により重大な被害を受けた。依然として通信はきわめて難しい。現在のところ、犠牲者の数と破壊の規模を見つもるのは不可能だ。国連は、被害の最終的結果については「最悪を予測する」ことが必要だ、と警告している。

 こうした災害に直面すれば、怒りを抑えることは不可能だ。しかし今は連帯の時である。国際的援助部隊が設立されている。よいことである。不可欠のことだが、それには限界があることを経験が示している。実際ハイチにおける劇的状況に見られる、国際援助隊の果たした倒錯した影響を、われわれは思い起こし続ける。

 援助は、被災住民の実際上の意思決定力を再建するものとして認識されるべきだ。被害者を、慈善を待ち望んでいる寄る辺のない人びととして扱うべきではない! 被災者が大きな混乱に陥り、非常な弱さと依存性を抱えている時に、被災者が自らの利益を守ることができるように、住民の自己組織化を促進するべきである。そうでなければ、最も恵まれない人びとが、自然災害、援助の不平等な配分、カネ持ちの利益となる不平等な再建のために、何回も何倍も犠牲になってしまうだろう。

 また緊急援助(水、食料、医薬品など)と復興、再建が結び付けられるべきである。援助は短期的活動に切り縮められるべきではなく、長期に継続されるべきである。

 この精神とこの展望を持って「国境なき欧州連帯」(ESSF)は、とりわけ大量の国際援助が届かない地域の被災者を救援する、フィリピンにおけるわれわれの仲間の活動を支える財政的支援のアピールを発した。(インターナショナル・ビューポイント誌2013年11月号)

(注)台風の名前は、国際的には2000年からアジア名で呼ばれているようです。

今回の台風の名前は中国名「Haiyan」(海燕)で、日本語表記では「ハイエン」となるようです。

下記、気象庁のページの44番目にあります。
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/1-5.html

【報告】11.16「日印原子力協定反対・原発輸出反対」首相官邸前アクション

1116インド1クダンクラム原発稼動反対・住民弾圧やめろ」、「日本政府はインドの核開発に手を貸すな」

 一一月一六日午後八時から、首相官邸前で「日印原子力協定反対・原発輸出反対」、「クダンクラム原発稼動反対・住民弾圧やめろ」、「日本政府はインドの核開発に手を貸すな」行動が東電前アクションとノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパンの呼びかけで行われ四〇人が参加した。

 この日、日本とインドの原子力協定反対の署名提出を予定していたが衆院解散に伴い、インド首相来日の延期が伝えられ、議員会館前の行動は中止になり、首相官邸前行動のみになった。

 最初に、東電前アクションの栗原さんが「インド・シン首相の来日は中止になったが、二日後のアセアン会議で野田首相と会うことになっている。シン首相の来日の大きな目的のひとつは日印原子力協定の締結のための調整と言われている。日印原子力協定は、主に日本からインドへの原子力技術と設備の提供・供与を目的としている。それは当然、近い将来の日本からインドへの原発輸出のための地ならしだ。また、核兵器保有国への原発技術の提供は、核武装を積極的に是認する暴挙であり、許されるものではない」と、協定の問題点を指摘した。

さらに、「インド政府はインド最南端のクダンクラム原発の建設を強行し、住民の強い反対の意思を踏みにじり続けています。今年九月一〇日には住民たちの反対デモに対して警官隊が発砲して死者まで出している」と、インドでの反原発運動の攻防を伝えた。

 そして、「福島の巨大原発事故を引き起こしながら未だに原発を推進し、海外に売り込みを図る日本政府。核兵器を保有し、さらなる核大国をめざして人々を暴力で踏みにじりながら原発増設を目論むインド政府。私たちはインドの人々とつながって、世界のどこにも原発はいらない」と訴えた。

 次に九月にインド政府に入国を拒否された大阪の二人がアピールした。

  宇野田陽子さん(ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン事務局)さんは「ロシアから一〇〇万Kwの二基の原子炉を輸入してクダンクラム原発が建設されている。九月九日には地元民二〇〇〇人が座り込みをし、三万人が原発を包囲した。九月一〇日一万人の武装警官が陸から海へと包囲し人々に襲いかかった。何人も逮捕者は遠くに拘留された。クダンクラム原発反対運動のリーダーのウラル・クマールさんは死刑か終身刑かの国家反逆罪で逮捕状が出ている。ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを経験した我々が脱原発・脱核兵器のメッセージを出し、世界中のどこでもダメだと言おう」と報告した。

 中井信介さん(ビデオジャーナリスト)はベトナムの原発建設問題を報告した。

 「建設予定地に行き、住民に話を聞いた。一〇kmぐらい離れているので自分たちには関係がない。原発が出来て道路や雇用が生まれるのに期待している、という答えだった。日本の原発メーカーが村の有力者を日本の原発を視察させ、安全性をアピールしていた。原発安全神話が作られている。また、ベトナムでは政府の弾圧によって、反対運動が出来ない状況がある。知識人のある人がブログで反対署名を集めたら、傷痍軍人が研究所に押しかけやめるようにいやがらせをした。こうした状況だからこそ、日本をはじめ海外からの働きかけが重要だ」。

 再稼働反対!全国アクションの国富さんが「インドは出稼ぎ労働者がたくさんいるが、原発反対運動をすると政府はパスポートを出さないいやがらせをしている。また独立記念日に黒い旗を掲げた人たちに国家反逆罪を適用して弾圧している。ウラン鉱山での労働者の被曝問題も深刻だ」とインドの運動の状況を報告した。

 この日、日本とインドの原子力協定反対の署名を官邸に提出しようとすると警察官が「アポがない」とジャマをし、提出者を無理やり官邸前から道路反対側に押し返した。主催者はこうした民主主義を踏みにじる行為を批判し、総務省の受付に署名を手渡した。なお、東電前アクションは11月23日午後六時から八時まで東電前で「被曝労働問題などで東電の責任を追及する」アクションを起こすと告知があった。(M)

【歴史資料】釣魚台(「尖閣列島」)に対する社会党・共産党の排外主義を批判する(「世界革命」1972年4月21日号)

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1971年7月7日に香港ビクトリア公園で開かれた釣魚台防衛集会の一幕。横断幕には「日米の陰謀的結託を粉砕しよう」等と書かれている。この後、香港植民地警察により集会は暴力的に解散させられ20名を越す逮捕者を出す大弾圧を受ける。香港の学生運動はこの弾圧に対する抗議から盛り上がっていく。

以下に紹介するのは「世界革命」269号(1972年4月21日)に掲載された論文です。当時の立場は、「革命」中国に対して日本の労働者民衆は「祖国敗北主義」をとるべきである、というものです。

今日、この論文を掲載するにあたっては、現在も私たちが中国を「歪曲された労働者国家」と見なしているのかどうか、ということにも言及する必要があるのではないかと思います。組織的に統一された見解ではありませんが、私は、現在の中国を私は労働者国家と見なしていません。いつから労働者国家ではなくなったのかという点については、1989年6月4日の「天安門事件」で「労働者国家に値しないことが明らかになった」と考えています。


現在の中国は資本主義国家なのかというと、その通りで、日本の高度成長期に比べると、様々な条件から「歪んだ開発主義国家」なのではないか、と考えています。歪んでない開発主義国家はあり得ませんが、中国の場合は国がでかいので、様々な矛盾が大きく表れるというニュアンスを含んでいます。


資本主義であれば資本はいずれ利潤を求めてより弱い国へ進出するのは必然であり、中国資本が進出した地域の労働者にとっては、「革命」中国どころか、一種の「帝国主義」に映るのかもしれません。中国国内の少数民族からみればすでに「中華帝国主義」だともいえるのではないでしょうか。この議論は今後も継続していきたいと思います。

(Y)


「世界革命」第269号1972年4月21日
釣魚台(「尖閣列島」)に対する社会党・共産党の排外主義を批判する


沖縄「返還」協定粉砕、自衛隊沖縄派兵阻止、四次防粉砕、春闘勝利の闘いをすすめるなかで、日本帝国主義の釣魚台(「尖閣列島」)領有にたいしてわれわれがいかなる態度に立つべきかは「世界革命」第267号において原則的にしめした。しかしここでは他の諸党派の立場について充分にたちいって論ずることができなかった。


釣魚台にたいする態度は、釣魚台が現在のアジア情勢の焦点のひとつとして問題となり、かつまた領土にかかわる問題であるがゆえにそれぞれの諸党派の階級的本質を端的に示すものである。それゆえ、釣魚台問題は単にわれわれが自己の主張的態度を提示し、闘争スローガンに掲げるだけでは不充分であり、この問題をめぐって激しい党派闘争を展開することが、われわれをして全人民の多数派の獲得への道をきりひらくものであるといわねばならない。


(1)


社会党・共産党は3月30日にそれぞれ「尖閣列島」は日本の領土であるという見解を決定し、発表した。両党の主張はその論理構成と政治的立場において本質的に同一である。いまここでは共産党の見解を追ってみよう。彼らの見解は次の如くである。

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【パキスタン】ババ・ジャンさん、釈放!

Baba Jan 1「虹とモンスーン」でも紹介した、パキスタンの同志ババ・ジャンは、彼の殺害をもねらった獄中での拷問、反テロ罪による長期投獄をはねのけ、ついに釈放を勝ち取った。

彼の釈放はパキスタン労働党の同志たちの闘い、そして国際的な連帯運動の成果である。われわれも。ささやかながらこの連帯運動の一翼を担うことができたことを喜びたい。(K)
 
ババ・ジャン、監獄から釈放される!
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article2749

ギルギットから良いニュースが届いた。われわれはたったいま、パキスタン労働者党(LPP)の全国青年担当書記で、ギルギットの進歩的青年戦線のチーフ・オルガナイザーでもあるババ・ジャンが約一年に及ぶ投獄からついに釈放されたという確実な報告を受けた。彼に対する裁判手続きの最後の段階で、土曜日(九月一五日)に彼の保釈が認められた。

 彼は刑務所の門の外で、パキスタン労働党の支持者や党員が掲げた「ババ・ジャン、ジンダバー(訳注:ウルドゥ語で万歳の意)」「人民の闘争万歳」「国際連帯万歳」といったスローガンで暖かく歓迎された。

 先週、パキスタンの上院人権委員会はギルギットの州政府官房長を召還して、なぜババ・ジャンが拷問を受け、投獄され続けているのかを問いただした。州政府官房長は、ババ・ジャンは反国家的活動家だと決めつけたが、上院人権委員長アフサヤブ・カタクにはねつけられた。アフサヤブ・カタクは州政府官房長に対して、でたらめを言うなと告げた。彼はこのギルギット・ベルチスタン州の最高幹部に向かって、「そうした告発は何度も聞いたが、彼を反国家的だと宣言するなら、その告発の証拠となる記録を持ってこい」と述べた。

 それから数日でババ・ジャンに保釈許可が下りた。

 政府と裁判所が、ババ・ジャンの事件に関して後ずさりしなければならなくなったのは、パキスタン内外での一貫したキャンペーンのおかげである。ギルギット・バルチスタンのどんな政治活動家の一件に関しても、二二カ国でデモや行動が行われたことなど、いまだかつてなかった。パキスタン国内で五〇以上のデモや集会が行われたことなど、いまだかつてなかった。彼は、パキスタン人権員会をふくむ幾つかの国際組織によって。政治囚と宣言された。

 「ババ」という名は「年老いた男」を意味する。しかしババ・ジャンは三二歳であり、すばらしい動員能力を持った活動家だ。彼はフンザ渓谷地帯の労働者階級のヒーローとなり、パキスタン全土でも国際的にもギルギット・ベルチスタンの最も著名な政治活動家となった。

皆さんありがとう。皆さんの一貫した支援にありがとう。彼の釈放は、国際連帯の宣言である。

 
ファルーク・タリク

【報告】6.27 全政治犯の釈放を求めてパキスタン大使館に申し入れ

画像+005「ババ・ジャンを釈放せよ」 「フンザ・ファイブ、ファイサラーバード・ナインを釈放せよ」 「獄中弾圧をやめろ」
 

 六月二七日、アジア連帯講座は東京・南麻布のパキスタン大使館に対し、ババ・ジャンらギルギット地方の五人の活動家(フンザ・ファイブ)、ならびに二〇一〇年七月のパキスタン第三の都市、ファイサラーバードの繊維労働者のストライキ闘争で「工場への放火」という罪状をデッチ上げられ、総計で五〇〇年(!)の投獄という超重罪判決を受けた九人の労働組合リーダー(ファイサラバード・ナイン)の即時釈放、獄中での虐待停止を求めて申し入れ行動を行った。

 われわれが午後四時、パキスタン大使館に近づくと、多くの警察官がわれわれをさえぎり、「行動は一回につき五人が慣例だ」「所持品を見せろ」などと不当な言いがかりをつけてきた。当然にもわれわれはそうした規制を拒否し、大使館の前で横断幕を広げ、事前の約束通り、代表が大使館に入って二等書記官と面談して申し入れの趣旨を伝えるとともに、パキスタン政府宛の書簡を手渡した。ナディム・バプティ二等書記官は、「日本の人からのそうした申し入れについては歓迎し、政府に伝える」と答えた。

 申し入れ終了後、パキスタン大使館前で「政治犯の即時釈放を!獄中弾圧をやめろ!パキスタンの人びとと連帯して闘おう」のコールを上げた。



二〇一〇年一月に起こったフンザ峡谷地方の地滑りで大きな被害を受けて家屋や土地を失った住民運動を支援して闘ったことにより、パキスタン労働党(LPP)のギルギット・バルチスタン地域(北部山岳地帯)のリーダーの一人ババ・ジャンら五人の活動家(LPPならびにその青年組織である進歩青年戦線のメンバー)が二〇一一年八月に治安当局によって逮捕された。

この事件は、二〇一一年八月に地滑り災害の被災者である住民たちが政府ならびに地方当局に対し、被害の正当な補償を求めて交渉のため地方行政府の建物の前に集まったことに端を達している。住民たちの抗議に対して治安当局は発砲し、二人が殺された。怒った住民たちは治安部隊と激突し、地方行政府の建物の一部を占拠した。この行動を支援したババ・ジャンらに五人に対し、治安警察は「テロリスト」だとして逮捕し、投獄したのである。

それだけではない。今年四月、ババ・ジャンらは極度に劣悪な獄中での食事(乾パン程度)などへの抗議を組織したかどで拷問を受け、外部との連絡も遮断され、生命の危険すら危ぶまれる状況に陥っていた。これに対して、パキスタン人権委員会は獄中での人権状況を憂慮する声明を出した。ババ・ジャンらに面会した弁護士によれば手の指をへし折られ、顔面に深い傷を負っており、凄惨な拷問を受けたことは一見して明らかだった。

LPPをはじめとするパキスタンの仲間たちは、連帯行動を国際的に呼びかけ、六月二〇日~二七日には各国のパキスタン大使館に向けて申し入れ、大使館前でのピケットなどが展開された。



この日の行動は、同様に二〇一〇年七月のパキスタン中部パンジャブ州ファイサラーバード(人口二六〇万人)の繊維労働者の賃上げを求めるストライキ闘争で、「工場への放火」をでっちあげられた九人の活動家(ファイサラーバード・ナイン)が「反テロ法」で実に総計で懲役四九一年という超重罪判決を受けたことへの抗議、即時釈放のための闘いとしても行われた。

今やアフガニスタンでの帝国主義による「対テロ」戦争の主戦場ともなっているパキスタンでは、ムシャラフ軍事独裁体制の崩壊後もパキスタン人民党(PPP)政権の汚職・腐敗によって政情不安定が深刻化し、首相の失職とともに、ザルダリ大統領体制の統治能力の崩壊が進行している。この中で一方では軍部による「反テロリスト」名目での労働運動、社会運動への暴力的弾圧が吹き荒れ、他方ではパキスタン・タリバン運動などの宗教的原理主義勢力による公然たる人権侵害、テロも拡大している。

そして米国の無人機による越境空爆や、昨年の米特殊部隊による首都イスラマバード近郊でのオサマ・ビンラディン暗殺作戦などによって、民衆の間での反米感情もいっそう高まっているのだ。

この日、世界では日本、オーストラリア、フランスでパキスタン大使館への行動が取り組まれるとともに六月二〇~二七日の連帯週間を中心に、インドネシア、インド、スリランカ、デンマーク、ドイツ、米国などでさまざまなキャンペーンが展開された。また六月二七日、パキスタンのラホールでは「フンザ・ファイブ」の釈放を求めるデモが繰り広げられた。

なお前日の六月二六日夜には、ババ・ジャンらの弁護士からパキスタン労働党のファルーク・タリク宛に「ババ・ジャンらの保釈許可が下りるという連絡が裁判所から来た」との電話が入った。「フンザ・ファイブ」の残りの四人に対しても、近々保釈許可が下りるという。これは国際連帯運動がもたらした成果である。しかし刑務所当局は、ババ・ジャンが「待遇改善を求めて刑務所内で暴動を組織した」として保釈を拒否している、とのことである。

なおパキスタンの「ババ・ジャン釈放キャンペーン」からは、日本での行動について「フンザ峡谷での政府開発援助に巨額の資金を出している日本、そしてフンザへの観光客が多い日本で、こうした行動が取り組まれたことの意義は大きい」という感謝のメッセージが寄せられている。(K)

パキスタンとアフガニスタンの進歩的政党会議の宣言

AfPakmeet12月末にアフガニスタンとパキスタンの左翼組織の共同会議が開催され、共同声明が出されました。

画期的事態だと思いますので紹介します。
 
…………
 
 




アフガニスタン/パキスタン 

パキスタンとアフガニスタンの進歩的政党会議の宣言


 パキスタンとアフガニスタンの進歩的諸政党の二日間にわたる会議は、12月23日にラホールで閉幕した。二国間で進歩的グループ間の公式会議が組織されたのはこの数十年間で初めてのことだった。会議には両国から10の政治グループが出席した。アフガニスタンから四組織、パキスタンから六組織である。この会議にはパキスタンの主要な左翼政党のほとんどすべてが出席した。会議は三人の若い活動家、ソニア・カディル、アンマー・アリ・ジャン、アマン・カリアパーが司会団をつとめた。以下に掲載するのがこの会議で合意された共同宣言である。



 パキスタンとアフガニスタンの進歩的・民主主義的政党が、初めての二日間の合同会議のためにここラホールに集まった。両国の進歩的勢力にとって、共同の席に座り、米国が主導するNATOとタリバンという形をとった宗教的過激派によるわが国民の苦難を共有することは歴史的なステップである。われわれはまた、外国軍による占領と、宗教的過激主義の無言の保護を正当化するために様々な弁明を行っている両国の軍部と政府を激しく非難するものである。

 われわれは帝国主義と宗教的過激派勢力に対決する持続的キャンペーンの開始を決意する。われわれは政治的ならびに文化的・教育的レベルで、相互に調整した行動デーや他のイニシアティブを組織することを計画する。われわれはこの運動の拡大、そしてこの地域に公正な平和を打ち立て進歩を実現するという共通の目標を分かち持つ左翼と進歩的勢力の参加を計画している。われわれは、公正な平和を確保する広範な地域的連合を打ち立てるためにインドとイランの進歩的運動をここに含めることを決意する。

 われわれは以下のことに同意する。国際法のあらゆる承認された基準をあからさまに侵害する偽りの外観で主権国家を占領し、「人権」と「民主主義」の煙幕をシニカルに張りめぐらすNATOによる、犯罪的で女性差別的な軍閥の積極的な持ち上げは、アフガニスタン民衆に民主主義と自由をもたらすという神話の虚偽を暴露したことを。占領軍の政策は、中世的軍閥によるこの国の乗っ取りをもたらした。かれら軍閥勢力は、民主主義的プロセスの拒否、市民的自由と女性の平等な権利の否定という点で、彼らに置き換えられたタリバンと同様に頑迷固陋なのである。このことはアフガニスタンに世界最大のアヘン生産国であるという位置を回復させ、さらにアフガン社会の骨組みを破壊する無法状態へのもう一つの強力な要素になっている。

 タリバンの暴力的で神権政治的な運動はきわめて反民衆的なものであり、エリート聖職者による支配という理想を促している。タリバンはアフガニスタンの主権と自由を防衛すると主張しているが、かれらは基本的自由やかれら自身の住民を防護することができないし、かれらの政策はアフガニスタンを外国(たとえばパキスタンやイラクから)の介入、さらにはあからさまな占領の容易なターゲットにしているのだ。

 西側のメディアでは、アフガニスタンの女性の状況は、女性を擁護したNATOの侵攻以来劇的に改善されたと共通に描き出されており、アフガニスタン占領とパキスタンでの軍事作戦を正当化する口実として利用されている。われわれはこうした主張を嘘であるとして斥け、占領から10年のアフガニスタンは女性にとって最も危険な国のランク一位とされており、パキスタンもトップ5に入っていることを指摘する。

 パキスタンへのアメリカの対テロ戦争の影響を見れば、CIAとパキスタン軍の複数の部局との連携は、パキスタン国内での無人機攻撃、パキスタン市民のアメリカへの誘拐と売り渡し、カラチからカイバル峠(パキスタンとアフガニスタンとの国境)へのISAF(アフガニスタンにおける多国籍治安部隊)用軍事物資の継続的移送、パキスタン軍基地のアメリカ軍による使用をもたらした。アフガンのタリバン、パキスタンのタリバン、パキスタン軍の間の連携――タリバンとNATOの双方と取引するパキスタンの体制側の政策の一部として――の終焉が、軍部をおおっぴらにより好戦的な態度に導き、頂点にまで達した国内の反米感情につけこませ、インド・パキスタンの和平プロセスを挫折させ(あるいは少なくとも選挙で選ばれた代表の愛国的信任状を傷つけ)ようと試み、さらに恐ろしいことに政府を完全に追い出すよう試みるところにまで進ませる、とわれわれは見ている。

 われわれはバロチスタン州(訳注:イラン、アフガニスタンと国境を接するパキスタン南西部の州)での軍事行動を非難し、パキスタン政府に対して「行方不明」という形での体制側の弾圧措置をただちに実効的な形で停止するよう求める。

 こうした歴史の中でわれわれは、パキスタンとアフガニスタンの諸問題へのいかなる軍事的解決も拒否し、われわれの全エネルギーをNATOかタリバンかという虚偽の選択への具体的オルタナティブ、すなわち真に民衆的で自由のためのオルタナティブの構築にささげることを誓う。

 外国軍の即時撤退とともに社会・経済的公正の達成をめざす措置は、アフガニスタンとパキスタンの双方の民衆の苦難を和らげ、この地域の公正な平和をもたらすことができるとわれわれは信じる。しかし明らかにしよう。こうした民衆に有利な措置は民衆に対して与えられるものでは決してなく、NATO軍の撤退以後もアフガニスタンの支配を計画している地域勢力と外国勢力の切迫した同盟(最近のボン会議は、そうした同盟を作る試みの最新の例である)から民衆の力で引き出さなければならないことを。そしてそれは、かれらの共通の敵――すなわちアメリカ帝国、新植民地主義的パキスタン軍、タリバンならびに様々な連合グループ――を明確に特定してともに活動するアフガニスタンとパキスタンの真の大衆運動によってのみなされうるのだ。われわれはこうした闘争が、グローバリゼーションと新自由主義的課題を名目に行われるこの地域の経済的植民地化に対決する、より広範な闘いの一環であることを認識している。

 われわれは、貿易を促進し、より多くのビジネスと雇用の機会を創出する南アジア諸国間の貿易的紐帯の強化を支持する。



アフガン労働者革命組織

アフガニスタン連帯党

アフガン革命組織

マラライ・ジョヤ防衛員会(アフガニスタン)

パキスタン労働党(LPP)

パキスタン・アワミ党

パキスタン労働者党(WPP)

パキスタン労働組合防衛キャンペーン

アワミ・テフレーク(パキスタン)

統一カシミール人民全国党(パキスタン)



(「インターナショナル・ビューポイント」2011年12月号)

【パキスタン】パキスタン労働運動弾圧被害者家族カンパ要請‏

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【パキスタン】

「ファイサラバード6」への緊急カンパアピール

ファルーク・タリク

 
 皆さんがご存じのように、ファイサラバードの労働運動指導者六人は、合わせて490年間の投獄という判決を受けた。かれらの罪は、政府が発表した最低賃金引き上げのための平和的ストライキを指導したということだった。彼らとはアクバル・アリ・カンボフ、ババル・シャフィク・ランダワ、ファザル・エラヒ、ラナ・リワズ・アフメド、ムハンマド・アスラム・マリク、アスガル・アリ・アンサリである。うち四人は2010年7月に逮捕され、他の二人は2011年7月に同じ罪名で逮捕された。

 最初に逮捕された四人はすべて「労働者カウミ運動(LQM)」と呼ばれる、パキスタン第三の都市ファイサラバードの動力織機労働者組織の指導者である。LQMは2004年以来、地域社会をベースに作られた繊維労働者の権利のために闘う組織である。LQMはファイサラバード市と周辺地域の繊維労働者の中で大衆的基盤を持っている。

 2011年11月1日、ファイサラバードの反テロ法廷は六人の指導者にテロの罪状で判決を下した。パキスタンでしばしば見られるのは、テロリストがこうした法廷で釈放され、労働者がテロ法で有罪になるということだ。

 彼らはストライキ中に工場に放火したと告発されている。これはでっち上げである。事実はこうだ。2010年7月20日のストライキ当日、テクリ・ワラの工場主からカネを貰ったゴロツキが、賃金の引き上げを求めて工場から出ていく労働者たちに発砲しはじめた。一部の労働者は果敢にも工場内に入り、ゴロツキどもの発砲をやめさせた。ゴロツキどもの一部は、怒った労働者に叩きのめされた。

 裁判の中で労働者たちの弁護士は、かりに工場が焼き払われたのだとしたら、なぜその三日後に工場の運転再開が可能になったのか、と問うた。

 ファイサラバード地区の10万人以上の動力織機労働者は、2010―11年度予算の説明で政府が発表した賃上げの実施を求めて2010年7月10日にストライキを決行した。政府は民間企業の労働者の最低賃金を一七%引き上げると発表したのである。ファイサラバード、ジャンなどの地域のLQMは、ストライキの三週間前に動力織機工場主と交渉に入った。

 事件が起きたのは、多数の動力織機工場があるファイサラバード郊外の工場地帯スダールである。この地区は、労働者が大規模な自己組織化を効率的に果たしたことにより、三年間にわたって労働者と工場主の間での戦場になっていた。

 労働者の指導者たちの長期投獄判決は、ファイサラバード、さらにはパキスタン全国の労働運動にとって破滅的な打撃となる。裁判所がこうした過酷な反労働者的判決を下すなどということは、誰もの予測を超えることだった。とりわけ司法そのものが強力な民衆運動の支援を通じて再建されたからである。しかし反テロ法廷は、緩やかなペースで労働者階級の戦闘性の全国的シンボルになってきた動力織機労働者の運動にダメージを与えるという目的だけで、判決を書くことを選択した。

 資本主義の下で労働者を規律で縛る主要な方法の一つは、資本家たちの出す条件で資本家との交渉をする以外の選択しか残されていないところまで労働者を追いやることである。それは国家の暴力を通じてでも、体制内で生き残るためには妥協の選択しかないように財政的に労働者に打撃を与えるというやり方を通じてでも、行われるのだ。

 資本家たちは、後者の方法を採るのが通例だった。労働者に割り当てられた不正に反対し声を上げる男女にとって、弾圧された労働者の指導者をお前らもこうなるのだという見せしめにするためである。投獄されている同志たちのすべては結婚しており、彼らの家族の第一の稼ぎ手である。彼らの家族は金銭的破局の瀬戸際に追いやられている。家族たちは十分な食糧も買えないため、子どもたちに学校をやめさせることを考えている。

 これは労働者たちを服従させる資本家たちの政治戦略の一部であり、それが投獄された指導者たちの家族に厳しい結果となることをわれわれは知っている。そこでパキスタン労働党(LPP)、労働者カウミ運動(LQM)、全国労組連合(NTUF)、労働者教育基金(LEF)は、投獄されたわれわれの同志たちを財政支援を訴える運動を始めている。

 これらの指導者たちは、当局との妥協を拒否し、真実を語ったことの結果を引き受けることで、素晴らしい勇気と確固たる信念を示した。家族たちがわれわれの温かい支援を受けるに値するのは、同志たちが労働者階級とともにこの運動に参加したために弾圧の苦しみを受けている、というだけの理由によるものではない。この運動の結果が、そして困難な状況に置かれているわが同志たちに連帯を差し伸べるわれわれの能力が、今回の事件が労働者階級の戦闘性を妨げることになるのか(資本家たちが願っているように)、それとも支配階級のいまわしい戦術に反対する労働者階級の輝かしい連帯の模範例になるのかを決するだろうからだ。

 反テロ法は、しばしばパンジャブ州の産業労働者の抗議行動に向けて使われている。13人の労働組合指導者が、こうしたテロリズムの名での告訴に直面している。彼らの本当の罪名は、組合員の生活向上、賃上げを要求したということにある。パンジャブ州政府は、経営者に挑戦している工場での労働組合運動をつぶすために全力を上げている。

 LQM、NTUF、LPP、LEFを代表して、われわれはこうした国家テロの被害者の家族たちに温かいカンパを訴える。家族たちは、緊急の金銭的支援を必要としており、われわれは集団的な支援によってのみ家族を支えることができる。



▼ファルーク・タリクはパキスタン労働党のスポークスパーソン。

(「インターナショナルビューポイント」11年11月号)



読者のみなさんへ。私たちもカンパを呼びかけます。「パキスタンカンパ」と明記して、新時代社の郵振口座に送ってください。新時代社:00290-6-64430

パキスタン北部における暴力的弾圧

baba-jan1(中央のマイクがババ・ジャン)


パキスタン北部における暴力的弾圧 

ババ・ジャンなどの逮捕者を釈放せよ
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article2304

 
ピエール・ルッセ



 パキスタン北部、ギルギット・バルチスタン地方で拘留されているパキスタン労働党(LPP)の指導者ババ・ジャンなどの被逮捕者を守る連帯キャンペーンが進められている。LPPからの情報によればババ・ジャンは秘密警察によって二日間にわたって拷問を受けた。



 一カ月以上前、「北部地域」のヒマラヤに位置するギルギット・バルチスタン地方で進歩的活動家たちが暴力的弾圧を受けた。さる8月11日、一年前の2010年7月4日にフンザ峡谷で起きた壊滅的な地滑りへの補償支払いを求める人々に対して、警察が実弾を発射した。この地滑りはきわめて大規模な洪水を引き起こし、巨大な湖が作られることになった。そのため多くの住居と、中国との地域的交易にとって不可欠な輸送ルートが破壊された。村民を見捨て、被害を受けた457家族のうち25家族への被災見舞い金を着服した行政当局を村民たちは告発した。

 州政府の閣僚が訪問した8月11日に村民たちはデモを行った。警察部隊は、アフザル・バイド(22歳)と彼を守ろうとした父親のシェル・ウッラー・バイグ(50歳)を残忍にも殺害した。翌日、この虐殺に対してアリアバードなどフンザ地方の各地域で住民たちが立ち上がり、警察と衝突して警察署や行政官事務所に放火した。四日間にわたり住民たちは市を支配した。

 当局は住民たちを鎮めるために、住民殺害の責任者である警官を告発手続きが始まったと主張し、悲しみにうちひしがれた家族への財政的補償を行った。彼らは、8月11日に起きた事件への沈黙を強制するために進歩的サークルへの弾圧準備を有利に進める目的でそうした動きに出たのである。こうして一週間後の8月19日、36人が検挙された。その中にはLPPの党員10人が含まれており、うち6人が勾留されている。9月16日には新たな逮捕の波が始まり、さらに33人が検挙された。

 LPPの六人の党員が最初に投獄された。LPP州委員会のメンバーで進歩的青年戦線(PYF)の指導者であるババ・ジャン(1)は、民衆動員に深く関わっていた。警察に対してPYFが抵抗したために、彼は8月19日には逃げる時間があった。しかし彼はなお指名手配を受け、捕まれば即決処刑され(「行方不明者」となる)、「超法規的処刑」の犠牲者となる危険があった。不幸なことにギルギット・バルチスタン地方は当局による人権侵害でよく知られている。したがってババ・ジャンは、一カ月間の地下生活の後、彼に何が起こったかを誰も気づかないということがないように、記者会見を開いてから自ら出頭する道を選んだ。

 それにもかかわらずLPPが得た情報によれば、ババ・ジャンはパキスタン情報機関ISI(2)によって留置房から連れ出され、二日間にわたって拷問を受けたのである。彼は縄で吊るされ、気候変動の犠牲者である住民を守るために闘ったために激しく殴打された! ISIは、彼が行政官事務所に放火した責任者であると「自白」させようとした。これに対して彼は、自分がその場所に着いたのは後になってからだとはねつけた。

 ババ・ジャンが弾圧のターゲットになったのは、彼がLPP、PYFの一員として、2010年7月4日のスキャンダル(大規模地滑りとその補償問題)とその後日談をパキスタンの中で知らせる上で、きわめて積極的な役割を果たしたからである。彼らの行動、とりわけラホール、カラチ、イスラマバードで行われた記者会見によってこの問題は全国紙のトップページに掲載された。

 LPPはババ・ジャンと他の被逮捕者の釈放、すべての弾圧被害者の防衛のために連帯キャンペーンを開始している。このキャンペーンは、デモ参加者への虚偽に満ちた告発の撤回、そして2010年7月4日の地滑り事故のすべての被災者に対する有効な補償を求めている。このキャンペーンはパキスタンならびに国際的レベルで展開される。われわれはこの問題に関して定期的な報告を行うだろう。

 すでに香港に本部のあるアジア人権委員会(AHRC)はさる7月に「ギルギット―バルチスタンでの弾圧に反対するアピール」を発した。

 当面の課題として、抗議の手紙をパキスタン大使館へ、そして連帯メッセージをLPP(labour_party@yahoo.com)へ。



注1 ババ・ジャンは2004年にLPPに入党し、2010年にファイサラバードで開催されたLPP第五回大会で全国委員に選出された。

注2 ISIはパキスタン軍情報部。
 

(「インターナショナルビューポイント」2010年9月号)

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▲(フンザでの弾圧抗議デモ)

7.31国際シンポジウム「海を越える原発問題~アジアの原発輸出を考える」

731七月三一日、東京の早稲田大学小野講堂地下ホールで国際シンポジウム「海を越える原発問題――アジアの原発輸出を考える」が行われた。主催は早稲田大学アジア研究機構アジア平和研究所で、メコン・ウォッチ、インドネシア民主化支援ネットワーク、「環境・持続社会」研究センター(JACSES)、原子力資料情報室が共催、協力はノー・ニュークス・アジア・フォーラム・ジャパン、国際環境NGO Foe Japan、アジア太平洋資料センターの各団体。このシンポは七月三〇日から八月六日まで全国で開催された「ノー・ニュークス・アジオ・フォーラム2011」に参加した海外からのゲストとともに原子力産業と日本の公的資金の流れ、アジアへの原発拡散の動き、各国の市民運動について論議するために準備された。

 もともと今年の第一四回ノー・ニュークス・アジア・フォーラムは八月下旬にタイで開催の予定だったが、タイの原発建設計画が延期され、主催者のタイ側やアジアの各国からも「福島の原発事故についてもっと知り、運動に役立てたいため、日本で開催を」という要請があったため日本で行われることになったものである。



 国際シンポ開会のあいさつを行った早稲田大学アジア研究機構の村井吉敬さんは、「震災からの復興が進まない最大の原因は原発事故にある。しかし福島が世界中に投げかけた問題の大きさにもかかわらず、日本では三・一一以後内向き志向が強まっている。『海を越える原発』というテーマでは日本も韓国も当事者であるにもかかわらず、菅首相が『脱原発』を語るほど菅おろしが勢いを増している。私の専門領域であるインドネシアでもジャワ島中部ムリアでの原発建設が大きな争点になってきた。もし福島事故が起こらなければ日本や韓国がインドネシア原発建設の当事者になっていた。今日は、そういう問題を討論してほしい」と語った。

 次に「環境・持続社会」研究センターの田辺有輝さんが「日本の原発輸出と公的資金の関わり」というテーマで報告した・

 田辺さんは原発輸出の問題点として安全性、経済性と財政的リスク、廃棄物処理問題、核拡散、環境的・社会的影響などを指摘しながら、国際協力銀行(JBIC)や日本貿易保険(NEXI)、国際協力機構(JICA)による融資、保険引き受け、研修などの原発輸出支援の現状を紹介した。JICAによる原発研修は福島事故があった今年も継続される。

 菅政権は昨年六月の「新成長戦略」でパッケージ型インフラ海外展開を提唱し、原発がその重点分野のひとつになった。核物質や原子力関連の資機材・技術の海外移転のためには原子力協定の締結が必要である。今年の通常国会にはロシア、ヨルダン、韓国、ベトナムとの協定が提出され、韓国、ベトナムとの協定は見送られるが、ロシア、ヨルダンとの協定は承認予定だという。さらにアメリカに対しても今年一月にJBICがサウステキサス原発への支援を検討していると発表し、将来的には東京電力が出資予定とされていたが、福島原発事故のためこの計画は、ご破産になりそうである。

 田辺さんはベトナムでの原発建設に対して予定地の住民から反対の声が上がっていると述べ、政府は公的資金を使った原発輸出支援をやめるべきだ、と訴えた。



 次に海外代表からの報告に移った。韓国のエネルギー正義行動代表・李憲錫(イ・ホンソク)さんは「福島原発事故でも止まらない原子力発電所輸出の夢」と題して、韓国政府がまさに国家をあげて進めている原発輸出戦略について提起した。

 韓国には現在四カ所・二一基の原発があり、さらに七基が建設中で四基を計画中である。イ・ミョンバク政権は発電に占める原発の割合を現在の三一%から、二〇三〇年には五九%と約二倍に高めようとしている。韓国政府はさらに国家規模での原発の海外輸出戦略を立てており、最近初めてアラブ首長国連邦(UAE)の原発売り込みに成功した。政府はUAEの原発売り込み成功を記念してお手盛りでコンサートを行い、「原子力の日」という記念日を制定した。政府は原発に慎重な姿勢を取っているメディアに圧力をかけている。

また、いまだ売り込みに成功したのは一基だけであるにもかかわらず今後二〇年間で八〇基の原発を海外輸出すると打ち上げている。政府はUAEに韓国軍を防衛隊として派遣した。政府はそれが「ビジネス派兵」であると認めている。韓国は国際金融市場から高利で借りて低利でUAEに貸すということまで行っている。

イ・ホンソクさんは「原子力産業界は国家を越えて協力している。それに勝つためにわれわれも国境を越えて協力しなければならない」と強調した。

続いてインドネシアのヌルディン・アミンさんが報告した。アミンさんはインドネシア最大のイスラム組織であるナフダトゥル・ウラマー(NU)の中ジャワ州ジュバラ県代表で、同地のムリア原発建設計画に反対する運動を指導し、原発をイスラム教の「ハラム(禁忌)」とする裁定の「仕掛け人」である。

アミンさんは人口一二〇万人のジュバラ県が漁民、農民、家具製造労働者を中心とする豊かな自然に支えられた地域であると語り、住民に多大な影響を与える原発建設に対して住民自身にはまったく情報が与えられていないことを批判し、住民の激しい原発反対運動を報じる映像を紹介した。

 海外からの報告の最後はタイのソッサイ・サンソークさん(「タイ市民による非核ネットワーク」コーディネーター)。

 タイでは一九六六年以後、原子力発電所建設計画が持ち上がった。サンソークさんはタイの電力消費の六〇%が大規模工場。二〇%が一般家庭、一〇%が零細事業者で、消費のほとんどは首都バンコクだが電力を作っているのは地方だという都市―農村関係の矛盾を指摘し、バンコクの大手ショッピングセンター三つで地方の一県分の電力を使っている、と語った。

 そして日韓両国の運動への要求として「福島事故を教訓化し、各国政府に原子力政策の見直しを求めてもらいたい」と訴えた。サンソークさんは最後に「原子力の平和利用とは原子力を利用しないことだ」と強調した。



 パネルディスカッションでは次のような意見が語られた。

 「ASEAN会議の時に政府秘書官と会談し、原子力の導入には慎重に扱うよう求めた。福島事故の後に話し合いを再度持ったが、ベトナム政府はなお原発導入に積極的だ。ベトナムの原子力計画はベトナムだけの問題ではない。タイやラオスの問題でもありベトナムの安全対策には懸念を抱いている(サンソークさん)。

 「原子力は『こわいもの』というイメージを多くの人が抱いており、核といえば『原爆』が連想される。インドネシア独立後、歴史教科書にはかならず『ヒロシマ・ナガサキ』が出ており、原子力・原発には否定的イメージが一般的。インドネシアの人びとは政府を信用しておらず、政府がエネルギー政策や原発の必要性を訴えても、人びとはどうせ私腹を肥やすためだろうと考える」(アミンさん)。

 「一九八〇年以後、反原発運動が各地で作りだされ九カ所で新規の立地を阻止した。キム・テジュン、ノ・ムヒョンは改革派政権だったが、それでも原発推進政策は変わらなかった。確かに建設計画の数は減ったが。現在ハンナラ、民主の両党で原発政策に大きな違いは存在しない」(イ・ホンソクさん)。

 「ヒロシマ、ナガサキがありながら原発については『平和利用』ということでつなげて考えられなかった。長い歴史の中で起きたことをとらえ返す必要がある」(村井さん)。

 「アジア・東南アジアだけのネットワークではなく欧州や中東の人びととつながることが必要だ。エジプトやアラブ諸国でも人々が立ち上がった。そうした人びととの連携が大事だ。私たちはイスラムのことだけ言っているのではなく、仏教徒やキリスト教徒とも連携して生活の見直しをしていきたい」(アミンさん)。

 「アジアで作られようとしている原発の数は世界の五二%に及ぶ。アジアで原発を止めることができれば全世界で止められる。自国で原発を作らせない運動が重要であり。とりわけ韓国と日本が一番大事だ。日本で脱原発に至らなければ韓国の運動にもマイナスの影響を与える。韓国で原発が増えればベトナムでもタイでも作ろうということになる」(イ・サンソクさん)。

 最後に村井さんが「ASEANは世界に先駆けて非核(兵器)地帯を宣言したが、『非核』の中に原発も含めるようにしたい。そうした目標を掲げた運動を!」とまとめの発言を行った(K)

マレーシア:人民こそが英雄だ!そして闘争は続く

人民こそが英雄だ!そして闘争は続く

勾留されていたマレーシア社会主義党の全員を奪還

 

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「ピープルパワーは勝利する!」奪還集会で気勢を上げる保釈された6人のPSMメンバー

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29日夕方、最後まで拘束されていた6人のマレーシア社会主義党(PSM)のメンバー全員が釈放された。クアラルンプール・スランゴール華人会館でその日の晩に予定されていた抗議集会は奪還勝利集会に変わった。集まった400人の支援者は保釈された6人を歓呼して迎えた。

 

釈放されたPSMの国会議員でもあるジェヤクマルは支持者にこう語った。「政府はますます人々の支持を失っています。キャンドル集会やハンストでの抗議など、皆さんが政府に圧力を加えてくれた。そうでなければこんなに早く釈放されることは無かったでしょう。」

 

同じく釈放された別のPSM中央委員はこう語った。「釈放された6人が英雄なのではない。みなさんが、そして79日に街頭に繰り出した人民こそがこの国の英雄なのです。」

 

奪還勝利集会は、PSMの党旗とインターナショナルの合唱の中でクライマックスを迎えた。

 

この集会には、1957年の独立以来、政権にしがみついてきた統一マレー国民組織を批判し、79日の街頭行動を呼びかけたクリーンで公正な選挙を要求する運動体「BERSIH 2.0」の代表や人権団体「人民の声」の代表らも参加し、6人の釈放を祝福した。79日の闘争では「BERSIH 2.0」の呼びかけに応え全国から2万人が首都クアラルンプールに集まり選挙制度の改革を訴え、警官隊が暴力的に弾圧を行い、1600人が逮捕された。PSMは「BERSIH 2.0」には加盟していないが、協力関係を維持しながら同デモの参加を呼びかけていた。

 

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公正な選挙を求める人々2万人が集まった7月9日のクアラルンプール集会

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のアルチェルバン書記長は今回の弾圧でも民衆が防衛的になることはなかったと語る。「今回の弾圧に対して多くの支持者がカンパを寄せてくれました。政府は『緊急事態法』を使って弾圧しましたが、多くの人はその弾圧を恐れることは無かったのです。これは極めて重要なことです。不正の無い選挙を要求する79日の街頭行動に何万人もが集まったことがその何よりの証です。」

 

6人を含む30名のPSMメンバーは、6月末に「もうたくさんだ!与党連合・国民戦線は退陣せよ!」のキャンペーンを展開中に、「王政との戦争、共産主義イデオロギー再生の試み」の容疑で逮捕された。そのうちの24名は10日間の勾留の後、保釈・起訴されている。

 

今回釈放された6名も83日に起訴された。容疑は共に、1966年制定の「社団条例」と1960年制定の「国家保安令」に違反して、非合法組織の反政府的な文書を所持・配布した、というものである。裁判所は、30人まとめて10月中旬に審理を行うと告げた。裁判所前では20名のPSMの支持者が支援行動を行った。

 

625日の不当な弾圧以降、マレーシア警察は、「PSMが元首に宣戦した」「PSMはマラヤ共産党の復活をもくろんでいる」「PSMは海外の特務機関と通じて政府転覆をもくろんでいる」「PMSBERSIH 2.0の中心的組織である」などとデマを振りまいてきた。PSMはマレーシア警察の正副の警視総監はデマの責任を取り辞職すべきである、と要求している。

 

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これまでの情報

マレーシア社会主義者への大弾圧を許すな

クアラルンプールの弾圧:自由・公正な選挙制度求める市民の運動に恐怖する支配者

マレーシア社会主義者への大弾圧を許すな

m(画像は6月初めに行われたマレーシア社会主義党の大会の様子)

以下の緊急アピールは、マレーシア社会主義党に対して6月25日に行われた大弾圧(「王制との闘い、共産主義イデオロギーの復活」を禁じた刑法一二二条違反)に抗議して発せられたものである。マレーシア社会主義党は、この間大きく成長してきた戦闘的で国際主義的な社会主義政党であり、前回の国会議員選挙では二人の当選を勝ち取った。マレーシア社会党への弾圧に対して、香港、フィリピン、インドネシア、パキスタン、スリランカなどアジアの同志たちとともに、日本革命的共産主義者同盟(JRCL)と国際主義労働者全国協議会(NCIW)もこの弾圧に抗議する声明を連名で送った。フランスNPA(反資本主義新党)からも抗議声明が出されている。(K)

 
マレーシア社会主義者への大弾圧を許すな
 
マレーシア社会主義党(PSM)



 2011年6月28日



未成年者二人をふくむマレーシア社会主義党(PSM)の活動家30人が、刑法122条(王制との「戦争」、共産主義イデオロギー再生の試み)によって検挙され、表現の自由を行使したという理由で七日間の勾留延長を受けた。この条項によって起訴されればかれらは保釈を認められない。

 PSMのグループは6月25日にペナン島のケパラ・バタスで逮捕された。かれらはPSMが6月24日から26日まで行っている「ウダッラー・ベルサララー」(もうたくさんだ、退陣の時だ)国民覚せいキャンペーンを知らせるために人びとにチラシを配っていたところだった。

 PSMが共産主義を復活させようとしているというニュースは、PSMの活動家を乗せていたバスの中で左翼指導者に共通のTシャツが見つかったということに基づいている。PSMが共産主義を復活させようとしているというニュースは、地域すべての主流派メディアが語る物語であり、想像上の敵への恐怖感を作り出すことを意味している。それは活動家弾圧のためにかつて共通に使われた戦術だった。

 逮捕された人びとの中にはPSM全国議長M・サラスワシやPSMの国会議員ジェイアクマル・デバライもふくまれている。(以下逮捕された30人の名が記されているが省略)

 PSMは、われわれの活動を国王への戦争や、旧マラヤ共産党の復活と結び付けようとしている政府の告訴を非難する。この見え透いたウソが、6月24日から26日まで行われたPSMの「もうたくさんだ、退陣の時だ」全国覚せいキャンペーンに対して使われている。無条件に釈放されると考えられていた活動家たちは、「国王への戦争」にかかわる刑法122条の下で七日間の勾留延長を受けた。

 警察の声明と現政権によるPSM活動家への告発は、根拠がなく、矛盾に満ち、政治的な動機に発するものである。したがってPSMは政府に対し、このナンセンスな行為をやめ、勾留された活動家を釈放し、この無根拠な告訴に対して謝罪するよう要求する。

 PSMは、共産主義の指導者をイメージさせるTシャツを発見したというだけの理由でPSMを「共産主義者」と結び付けようとする政府を、むしろ笑うべき存在だと感じている。こうしたTシャツはきわめて公然と売られており、いかなる問題もなく誰もが買うことができるのだ。さらにマレーシア政府は、中国、キューバ、ベトナムや他の多くの諸国の共産党と政治的・外交的関係を結んでいる。

 さらに、マレーシア政府は1989年にMCP(マラヤ共産党)と平和協定を結び、ラシド・マイディン、スリアニ・ダン・アブドゥラなどの古参の共産党指導者は、「マレー国王陛下」スルタン・アスラン・シャーへの忠誠を誓って謁見を許されたのである。かくしてポスト冷戦期において共産主義の妖怪を連れ戻すことは、民衆の間に恐怖を引きこんで権力にしがみつき、厳罰主義的な国内治安法の適用を正当化しようとするUMNO―BN(統一マレー国民組織―国民戦線)体制の絶望的な動きである。

 PSMは、合法的活動を行い、よく知られた、人気のある公認政党である。PSMはつねにPKMM、API、AWAS、そしてMCP(マラヤ共産党)などの左翼政党が独立闘争において果たした貢献を認識してきた。PSMがこうした左翼諸政党を認めてきたことは、わが党がMCPの復活を試みているという狭い解釈にとどまることを許すものではない。

 UMNO―BN体制によるメディア支配は、この告訴を7月9日に予定されているベルシフ2・0集会(訳注:民主主義、自由で公正な選挙を求めてクワラルンプールで呼びかけられている行進)から人びとを遠ざけるためものとして浮かび上がらせている。「もうたくさんだ、退陣の時だ」BN(国民戦線)運動は、ベルシフ2・0集会とは関係ないが、PSMはベルシフ2・0集会を支持している。しかし警察はベルシフ2・0集会をやめさせるために両者につながりがあるかのように見せつけている。

 PSMは、PSMに敵対する行為が、警察によって系統的に計画されたものであることを知っている。それは大きなはずみをつけ、民衆からの大衆的支持を得ているベルシフ2・0集会を阻止するための大規模な弾圧を行い、政府が国内治安法の発動を正当化するために「敵対的」環境を作り出す意図をもってなされている。

 PSMに対する警察の行為は、労働者と民衆の権利のためにわれわれが闘い続けることを阻止できない。

 われわれは地域的・国際的連帯を求めている。現在PSMは国内で唯一の社会主義大衆運動であり、われわれはこの大きな闘いを継続するだろう。

 社会主義万歳!

 PSM万歳!



S・アルチェブラン(PSM全国書記長)
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