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アジア連帯講座のBLOG

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追悼:湯川順夫さん「民族問題の歴史からウクライナ問題を考える」(2022年6月28日絶筆)

アジア連帯講座で何度も講演されてきた湯川順夫さんが闘病の末に、2022年7月6日に亡くなった。79歳。7月8日と9日の通夜と葬儀には三鷹地域で続けてきた野宿者支援運動「びよんどネット」(21年解散)、「トロツキー研究所」(19年解散)の仲間など大勢が集まり、湯川さんを送った。以下は、お通夜のときに、お連れあいさんから頂いた湯川さんの絶筆「民族問題の歴史からウクライナ問題を考える」。お連れ合いさんによると、入院前日の6月28日まで、苦痛にたえながら病床の上で、毎日数行ずつ書いてきたという。原稿は途中で終わっている。写真は2022年3月21日に東京・代々木公園でおこなわれた「ウクライナに平和を!原発に手を出すな!3.21市民アクション」に参加した際のもの。スターリンのウクライナ、グルジア自決権はく奪に抗したレーニンの最後の闘争と同じく、湯川順夫さん最後の闘争だった。遺志を引き継ぎ、世界の仲間たちとともに新しい時代を切り開こう。(H)

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湯川順夫:民族問題の歴史からウクライナ問題を考える(2022年6月) 

(誤記等は*印で修正・補足した:ブログ管理者)

A一一当面の中心的で本質的な問題は。まず何よりもロシア・プーチンの大ロシ
ア民族排外主義政権によるウクライナ軍事侵略を阻止すべきだ。なぜなら、今回の侵略は、ウクライナに対するロシア排外主義によるあからさまな、民族抑圧、軍事的占領、直接的なその軍事侵略そのものであり、それ以外の何物でもないからだ。従って、私たちの議論、取り組みは、まず何よりも、以上の立場からから出発しなければならない。

B一一でもプーチン政権をそうせざるを得ない立場に追いやったのは、NATOを初めとした日本をも含む欧米日の西側大国ではないのか?

A一一ということは、あなたは、ロシアのプーチン体制が圧倒的軍事的優位を背景に。ウクライナを全面的に軍事侵略して、それを支配しようとしているのに、悪いのは主として西側大国だと言いたいのだろうか? 西側大国の責任非難することだけで。済ましてそれで終りだということだろうか? この事態に当面何をすべきなのか?

B一一いや、それは……。そうは言っていない。でも、これは結局、西側と東側の両大国間の対立ということなのでは?

A-一問題を戦略的に考えなければならない。

B一一「戦略的」とは、上から目線だね!

C一一戦略的とは上から目線などということではなく、全体的な今日の情勢を考えて、まず何に集中的に取り組むべきかを考えるべきだ、ということだ。当面集中すべきは、まず何よりもプーチンの政権の軍事侵略を阻止し、それを挫折、ロシア軍のウクライナからの撤退を勝ち取ることであり、これをウクライナの民衆とロシア国内の戦争に反対する勢力、全世界の民衆の力を結集して、この点を勝ち取ることだ。
 その点を明確にせずに欧米日の西側大国に責任があるというだけしか言わないのは、それは当面、何に集中して闘うべきか、その焦点を曖昧にすることになるだろう。

B一一でもそれでは、ウクライナの「ネオナチ勢力と一緒になってロシアと闘うことになるのでは? それでよいのか?

A一一極右勢力がウクライナ国内で一定の勢力を保持しているのはその通りだ。隣国の大国ロシアがウクライナはロシアのものだとして軍事侵略をして来ている状況のもとで、極右がー定の勢力をもつことは、ある程度、想定される。
 だが、ロシア軍の無差別攻撃によって、殺害され、家を破壊され、避難したり、故郷を迫われて国外に逃れたりしている圧倒的多数の人々はネオナチの人々なのだろうか? このように考え、宣伝しているのはプーチン政権の側であって、現実は、こうした苦難に遭遇しているウクライナの人々の圧倒的多数は、ネオナチではなくて、大国ロシアの圧倒的な軍事侵略を前にして、ウクライナ民族主義の立場を取らざるえなくなっているということなのだ。ネオナチとウクライナ民族主義とは区別しなければならない。圧倒的に強大な力をもつ大国の不当な力による軍事侵略を前にして、人々は時として民族主義に自分たちの怒りの表現のよりどころを求める。
 「ル・モンド」紙(2022年3月)によれば、ネオナチだと非難されているアソフ大隊は、ウクライナ軍全体の2%未満の割合を占めているにすぎない、という。
 同じく国政選挙でも同紙は、ネオナチと言われている政治勢力がきわめて弱体であると指摘している。そのうちの二つの政治勢力のうちの一方である、プロヴィイとセクトルの二党合わせた候補者の得票率は3%未満であり、すなわち、スボボダの候補者のオレグ・ティアグニボクが1.8%、プラヴィイ・とセクトルの党首、ドウミトジ・ヤロシュが0.9%であった。同紙は、要するにこれらの勢力は反ユダヤ主義とは何の関係もないとしている。これが、ウクライナの極右勢力の現在の実態なのだ。


B一一でも、それはネオファシストと一緒に反ロシアで鬪うことを意味しないだろうか?


(*A一一)きわめて大規模な反原発運動が存在しています。大衆鉄器(*「的」の誤り?)であるがゆえに、この運動には保守派をも含めて実に多様な政治潮流が登場します。でも、人々は、その中に保守派がすこしだけ参加しているからと言ってそれにについていちいち目くじらをたててはいません。そうした保守派が参加しても、それはごく少数であって、反原発運蔵(*「動」の誤り?)全体の性格に影響を及ぼすことなどないということなどはないと十分承知しているからです。
 同じことは、フランスの「黄色いベストの運動」についても言えます。この運動は、きわめて大規模で長期にわたって持続した重要な全国運動になりました、Bさんは、囗に出しては言わなかったのですが、当初、この運動に批判的だったのでないだろうか? トラック輸送業者が極右勢力と結託して、運動を代表しようと試みました。しかし、こうした姑息な試みはすぐさま運動地震(*「自身」の誤り?)から排除されてしまいました。デモに参加していた極右派の隊列も、CGTやNPAに対する武装襲撃を試みて、排除されていきました。フランスの社会運動は、この運動の中で地区から代表を選出する全国会議を何度か開催する努力を続けました、これは、これまで既存の労組や政党と関わったことはなく。
そうした官僚機構に強い不信感を抱いていた運動参加者にとっては、容易に応じることができるものではなかった。しかし、この運動は、こうした社会運動の地道な努力によって、いくつかの地城で、社会党・共産党の左の立場に立つ地域の社会運(*「動」が抜けている?)の共闘の結成へとつながり、それらを通じていくつかの地で地方議会の議員を当選させるに至りました、わずかな成欧(*「成功」の誤り?)ですが、極右派の介入を危惧するのではなく、社会運動の地道な活助によって、それを克服できるのだ、ということをこのことは物語っていないだろうか?

C一一この戦争は結局、両大国間(欧米日)ロシア(中國)という2大国陣営の対立・戦争ということになるだろう。

Aーーそこだけを取り出せば、それ事態間違っていない、でもそれでは余りにも抽象的で、第一大戦以降にも当てはまり、具体性に欠け、何も言っていないことになるだろう。
 こうした大規模な戦争では、ひとつの形だけではなく、さまざまな形態が複合的に結びついている。
 Cさんが問題しているてん(*「点」か?)を、エルンエスト・マンデルは、次のように説明している。今回のロシアの侵略のような大規模な戦争はいくつかの形の複合的組み合わせとして展開される、と。
 たとえば、第二次世界大戦の全体的な性格は次の5つの異なる戦争の組み合わせだ。
 ①帝国主義相互間の世界的ヘゲモニーを目指す戦争(米英仏など 対 日独伊)。アメリカがこれに勝利を収めたーCさんの指摘している側面
 ②ソヴィエト連邦を破壊植民地化して、1917年のその成果を破壊しようとする帝国主義の試みに対する、ソ連による正義の自衛戦争
 ③にほん帝国主義に対する中国人民のさまざまな軍事大国に対する中国人民の正義の戦争
 ④さまざまな軍事大国に対するアジア、インドシナを含むアジア人民の正義の戦争
 ⑤ヨーロッパの被占領地城の民衆よって民族解放の正義の戦争(ユーゴスラビア、ギリシャ、フランスイタリアなどのレジスタンス)。
  この5つの戦争の密接不可分の関係に関係しているので、①の戦争の携帯(*「形態」の誤りか?)も民衆の戦い(②、③、④、⑤の形態を内包していた、とマンデルは主張しているのです。この要素を彼は「正義」の戦争と表現している。そこには、旧ソ連邦の赤軍だけでなく、労働者、抑圧を受けている人々、大地主の下で搾取・収奪されている人々、女性をはじめとする、いわれないさまざま差別を受けている人々がそれに参加していたのだ。

 C--えつ、、、ソ連の官僚体制を評価するのですか?

 A--でも、①の戦争は②、③、④、⑤のような民衆の闘いと不可分に結びっいていたのではないのか?
  この視点を見ないと、今日の「歴史修正主義」の歴史的総括、「レジスタンスもナチも暴力の行使という意味では、同列だ」とする歴史的評価が台頭してきている。エンツッォ・トラヴェルソの批判は的を射ている。だから、抽象的何にしょせんは、大国間の争いにすぎないと酋長的(*「抽象的」の誤りか?)に言うべきではないのだ、という「歴史修正主義」的な歴史総括となってしまうだろうだろう。
 冷戦が終結したアメリカのブッシュ大統領の統治時代に人々は大きな期待を抱いた。第二次世界いわゆる「国際社会」を根本的に改善できる時代が到来したのだという大きな期待だ。
  エンツォ・トラヴェルソ『ポピュリズムとファシズム』(『作品社』)

A--このようにして戦われた第二世界大戦後の世界がどうあるべきか、ロシア革命の専門家であるE・H・カーは、つぎのように語っている。
 「新しい国際秩序新しい国際調和というものは、寛容なおかつ圧政的でないものとして、あるいは……実行可能な他のどんな選択肢よりものぞましいものとして、それぞれ一般に受け入れられる支配を基礎にして切めて築かる。支配下の領土に対するドイツないし日本による、事実、イギリスやアメリカの場合がの方が大きな要素となっている」
 「不平等を緩和して紛争を解決するため、経済的利益は犠牲にされなけれぱならない」。
  以上の国際的枠組みは、われわれの社会運動にとってまったく不十分なものだがー-社会主義やスターリニズ厶の指導部の抑圧、弾圧の結果として--、第二次世界大戦後の世界そのものであった。 国連、IMF、人権、福祉制度、人権、平等など

 A-ーこれについて冷戦終結がさらにここから質的に前進する機会が訪れ、冷戦時代の莫大な核・大量破壊兵器軍拡の決定的な削減、その費用を世界の貧困、地球環境の決定的な費用に振り向けることが可能となった、これは、ロシアや中国にとっても基本的に受け入れられるものだっただろう。そして、こうして軍拡に使われてきた膨大な予算、ロシア・東(*「欧」が抜けている?)官僚体制の再生に振り向けることが可能だっただろう。
 ところが、ブッシュ政権はそれとは正反対の方向へと走ったのだ。
  自国経済を優先し、EUに支援を求めるリシア(*「ロシア」の誤り?)東欧体制に対しては、IMFのかの悪名高き「構造調整」を求めるだけだった。
 経済についても、自国経済を優先し、「貿易戦争」に走った。そればかりでなく、アメリカが単独で世界の覇権を握るチャンスとばかり、「国連」すら無視し、イラク、アフガニスタンへの軍事侵略、占領にのめりこんでいった.
 まさに、今、ロシアのプーチンやっていることことにほかならない。当然、このアメリカの軍事的侵略は、見事破産した。
 ジルベール・アシュカル『野蛮の衝突』

A--以上の点を、欧米日の側の責任として指摘するCの主張は正しい
でも、再度繰り返すが、大国ロシアが大規模な軍事斟酌を展開しているこの時点で、その点触れず、プーチン政権の侵略に触れないのは、間違っている。

C--でも、ウクライナのネオファシストと一緒にかつどうするのはどうなのか?それで、国際労働者救援輸送隊の運動がある。今はヨーロッパへの送金は不可能なので これであれば、 直接、ウクライナの労働者へ救援物資を渡すことができりだろう。


C--ところで、ウクライナなどの東欧はどうしてヨーロッパの穀倉地帯になったのだろう、

Aーそれは大航海時代の世界の一体化の時代にさかのぼる。
  西ヨーロッパの中世の古典的荘園では、封建領主=農奴の力環形(*「力関係」の誤り?)は次第に農奴に有利になりつつあり、地代は、賦役→物納→貨幣地代へと変わっていた。
こうした中で、世界の一体化によって、南米のポトシ銀山の、日本の銀がヨーロッパに大量に流入し、「価格革命」がおこり、農奴の力がさらにつよまり、その中から自立した市民層も形成されていく。覇権は、古代地中海から、ヨーロッパの大西洋岸に移り、アムステルダムに移行した。
他方、東欧ではそれと逆行する事態が進行した。封建貴族が農奴への締め付けを強化するという逆行が生じ=「再販農奴制」。こうして、東欧の支配層は農奴制の強化に基づいて、「資本主義的な」取引に基づいて穀物を西ヨーロッパに輸出するが関係が成立する、
中心 対 周辺   西ヨーロッパ 対 東欧
オーデルナイセ川を境に、東欧の西半分は、オーストリア・ハンガリー帝国、東半分は帝国」の支配下に、

(*テキストはここで途絶えている) 


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2.14在日ベラルーシ人が呼びかけ「ルカシェンコの退陣を!」デモ

ベラルーシ政治犯釈放と公正選挙求め民族旗掲げて繁華街を行進

 春のような暖かな空気に包まれて、人通りが多くなっている有楽町と銀座の街頭に「ルカシェンコ退陣」「政治犯の釈放」「公正な選挙を行え」と、日本語とベラルーシ語のコールが響いた。ベラルーシの人たちと日本人が半々の約20人ほどの小さなデモなのだが、新型コロナで緊急事態宣言期間中のデモということもあって、人々の注目を集めた。

 しかし人々の注目を集めた一方で、「何のデモなのかよくわからない」という課題も残したようだ。ベラルーシの人たちは、ルカシェンコが作った赤と緑の「国旗」を認めていないので白と赤の「民族旗」を身にまとう。横断幕もなく、辛うじて掲げられたプラカードのなかに、日本語と英語で「ベラルーシ」と書かれているものがあったのが救いとなったようだ。

民衆連帯への一歩踏み出す

 ベラルーシでは昨年の8月から、大統領選挙の不正に抗議する巨大な平和的な
デモが行われてきた。実際に当選したのは、野党候補のスベトラーナ・チハノフスカヤだったのだが、ルカシェンコはデモを徹底的に弾圧して、チハノフスカヤを隣国のリトアニアに避難させて、1994年からずっと大統領職に居座っている。野党の幹部も全員が刑務所か強制亡命させられている。弾圧によって逮捕された人々の数は約3万人で、少なくとも10人が警察によって殺害されている。

 ルカシェンコを支援しているのはロシアのプーチンである。ルカシェンコはプー
チン政権の経済的・軍事的な後ろ盾なしには持ちこたえることはできなかっただろう。そしてそのロシアでも、反プーチンデモが頻発し大衆化してきている。そして弾圧も強まっている。ロシアとベラルーシの現政権が一体となって、大衆的で平和的なデモに襲いかかっているのである。

 この日のデモは、ささやかなものであったとしても、民衆への弾圧に反対する
声を上げて、ベラルーシと日本の国際主義的な民衆連帯のための貴重な一歩となったはずである。

(R)

 

【アジ連10.25講座報告】イギリスは今 ブレグジット(EU離脱)をめぐる労働組合運動の状況

配信:浅見講座アジア連帯講座:10・25公開講座/文京区民センター

イギリスは今 ブレグジット(EU離脱)をめぐる労働組合運動の状況

講師:浅見和彦さん(専修大学)


 イギリスの経済危機などを背景に2015年5月の総選挙で保守党は、英国の「ブレグジット」(欧州連合離脱)の是非を問う国民投票の実施を公約し、16年6月に国民投票を行った。結果は、離脱賛成が過半数だった。ところが保守党のメイ首相は、EU離脱協定案を議会に提出したが、否決。「ブレグジット」をめぐって混迷を深めていくことになる。メイ首相辞任後、7月に保守党党首となったボリス・ジョンソンは、「EUとの合意があってもなくても2019年10月31日の期限までに必ず離脱する」と公言。労働党は、第2回国民投票案が提出されれば支持すると表明しているが、内部的にはスタンスのとり方の違いある。


 このような流れの中で左派系・労働組合はどういう態度なのだろうか。「レフト・ユニティー(左翼統一)」(映画監督のケン・ローチなどが呼びかけ、2013年11月に結成)は、「今回の国民投票は、反移民感情に突き動かされ、レイシズムが焚きつけた極右からの圧力がもたらしたものだ。これは英国の政治史の中で最も反動的な全国運動であり、極右の公然たる登場に結果してしまった」と批判。また、左派系も「レイシズム、外国人排撃、英民族主義の右翼の構想」と批判してきたが、諸傾向と温度差があり一括りできない状況だ。


 分析・評価するための情報が少ないなかで、英国の「ブレグジット」問題をこじ開けるための第一歩として公開講座を設定した。浅見和彦さん(専修大学)は、「現代労働組合研究会/新しい労働組合運動のゆくえ・戦後労働運動の歴史をたどり、イギリス運輸・一般労組の研究」というテーマで研究活動を行ってきた。浅見さんから「ブレグジット」問題をめぐる労働組合の諸傾向、人々の動向などのレポートを含めて報告してもらった。


btbrexit201903312ブレグジット(Brexit)問題―背景と経過

  2016年にブレグジット(EU離脱)をめぐる国民投票が行われた。国民投票を実施したのは、キャメロン政権だった。戦後は、保守党か労働党の単独政権だったが、保守党だけでなく自由民主党という第三党の力を借りて、戦後初めて連立政権として成立したのがキャメロン政権だった。

 なぜ国民投票を行ったのか。連立政権を組まざるを得ないなかで、保守党内の離脱強硬派(ボリス・ジョンソンなど)の存在があり、また当時、UKIP(イギリス独立党)という党派もできた。保守党の政治基盤の弱体化への危機感が一方にあり、しかしながら党内では解決できず、そのため国民投票にかけて、危機を「克服」しようとするという動機もあった。

 連立を組んでいる自由民主党は、元々は残留派で、国民投票にも反対だった。だがキャメロンが打って出たのだ。

 当時、誰もが離脱が多数を占めるとは思っていなかった。しかし、結果は投票率72%で、「離脱」52 % 、「残留」48%で、離脱派が多数派となり、みなが驚いていた。

 キャメロン首相も辞任せざるをえず、その後メイが首相になった。

 なぜ離脱派が多数となったのか。保守党の元副幹事長のアッシュクロフトは、世論調査会社を持っていて、保守党の政策に反映させるため、およそ13000人が回答したアンケート調査を行い、国民投票の分析を行っている。

 それによると、特徴としては、若い人は残留支持が多く、 18-24 歳は73 %が「残留」に投票、 25-34 歳は62 %が「残留」で、他方、45歳以上は過半数が「離脱」で、とくに 65 歳以上は60%が「離脱」だった。

 労働者のなかでは、残留支持が多かった。労働者(フルタイム、パートタイム)の過半数は「残留」で、大卒労働者の 57 %は「残留」、専門職・管理職も 57 %は「残留」支持だった。

 政党支持別(2015 年の総選挙時の投票先)に見ると、 保守党支持者は離脱派が多く、 53 %は「離脱」だった。 UKIP(イギリス独立党)への投票者は、当然ながらほとんどが「離脱」である。

 それ以外の党では「残留」が多数を占めた。労働党への投票者の 63%は「残留」 、スコットランド独立党(SNP)の 64 %は「残留」 、自由民主党、緑の党の投票者の7割以上は「残留」であった。

 「離脱」派の最大の理由(49 %)は、「イギリスのことはイギリスが決めるべき」 (いわゆる「主権」問題)が多かった 。「離脱」派の 33 %は、「入国審査と国境管理の回復」 を理由にあげている。この調査では問われていないが、新自由主義的な政策に対する反発で、底辺の人たちがかなり強い抗議を示したといわれた。

 「残留」派は、経済・雇用重視している。「残留」派の最大の理由(43 %)は、「離脱すれば、経済、雇用、物価などへのリスクが大きすぎること」 であり、「残留」派の 31 %は、「イギリスと単一市場との双方にとって最善だから」と答えている。

 2017年に総選挙がおこなわれた。保守党 313議席(-13)、労働党 262 議席(+30) という結果だった。労働党は、コービン党首で左派的な反緊縮政策が支持されていた。

 議席を減らした保守党は北アイルランドの民主統一党と連立政権を組み、第二次メイ政権はジョンソン外相らの強硬派を含めて発足した。メイ自身は、もともと残留派だった。

 メイ政権は、EUとの交渉では移行期間、清算金などは合意したが、北アイルランドとアイルランドとの国境問題で対立が続いた。EU側は、北アイルランドだけは、EUの関税同盟に残せという要求だった。離脱強硬派は、これに反対した。

 2019 年3月 29 日の離脱起期限は、まず4月 12 日まで延期になり、さらに 10月 31日まで延期となった。 2018年 11月、メイ政権が EUとのあいだで離脱合意案をまとめるが、今年に入って、離脱合意案は3度にわたってイギリス議会で否決され、メイ首相は辞任に追い込まれた。

最近の動き

 7月に保守党の党首選挙があり、ボリス・ジョンソンが外相のハントを破り、党首となって、首相に就任した。

 ジョンソンは、9月からの「議会休会」強行しようとしたが、議会内の反発と「クーデター反対」の大規模デモが行われた。最高裁も、「議会休会」に対して「違法」の判決を出した。

 この過程において保守党内の穏健派の離反で、議会の過半数割れとなってしまう。保守党内の1人が自由民主党へ移り、この時点で過半数割れとなる。 さらに、前財務相などの保守党の有力者を含む21人が造反し、除名された。結果、大幅に過半数割れとなったのである。

 労働党など野党と保守党の除名組が離脱延期法案(交渉期限の3か月延期〈2010 年1月末まで〉を EUに対して政府が要請することを求める法案)を提出し、可決された。法案が成立したためジョンソンも要請せざるをえなかった。

 労働党の態度は、どうなのか。コービンは、党首としての声明(2019年6月)で、「合意なき離脱も、保守党による離脱にも反対し、私としては、労働党が残留を支持するキャンペーンをおこなうことを鮮明にしたい」という態度を示した。ただ労働党としての結論ではなかった。

 10月25日、ジョンソンは、労働党に総選挙をやらないかと呼びかけた。解散・総選挙には下院の3分の2の賛成が必要で、保守党、労働党がOKを出さないと総選挙ができないからだ。

 2019年9月末の労働党大会でコービンは「離脱の52%ではなく、また残留の48 %でもなく、99%のために」とあいまいな発言をしている。影の離脱担当相のケア・スターマーも、あいまいな残留支持の立場だ。

 「週刊かけはし」に掲載されていたアラン・ソーネットの論評(10月21日号)は、態度がはっきりしていると評価しているようだが、全体としてはそうとは言えないと思う。

 なぜかというと、労働党の中のコービンとコンビを組んでいる最左翼の影の財務相マクドネルは、「残留」をより強調したい意向だったし、左派組合の UNISON(公務員)があいまいさに反発し、「残留」を強調している。つまり、労働党は「残留」で固まっていないということだ。

  ジョンソン政権がEUとあいだで合意した協定の改訂案

 ジョンソン政権とEUは、改訂案で合意したことを発表した。基本的な性格は、①メイ前首相のときのハードボーダー(バックストップ)を回避する ②その他の部分は、基本的にはメイのときの協定案と同じだ。

 関税については、① イギリスは EUの関税同盟から(形式的には)離脱する ②したがって、離脱後は、イギリスは各国とのあいだで貿易協定を締結する ③法的には、北アイルランドとアイルランドの国境での関税に関する国境ができる ④しかし、実際には、グレートブリテン島から北アイルランドへ送られる物品について自動的に課税されるわけではない。 ⑤イギリスとアイルランドの共同委員会で、どの物品に課税するかを決めることになる ⑥一般の人が送る物品には課税されない ⑦北アイルランドは、イギリスの規制や関税ではなく、EU の規制や関税が適用されることを意味する。

 移行期間は、メイのときと同じで、2020年末までで、1~2年の延長も可能となっている。市民権は、移行期間中は、イギリス国民の EU 諸国での市民権、EU 諸国の国民のイギリスでの市民権は保障される。清算金は、正確な金額は決まっていないが、日本円でおよそ4兆6千億円を 2022 年末までに 支払うことになると推測されている。自由貿易協定は、イギリスがEUから脱退して、独立した国として、経済関係について他の国とどうするのかとなった場合、各国と貿易の協定を結ぶ形になる。来年の9月に会合を開く予定といわれる。

 整理すると、最初は北アイルランドだけはEUの関税同盟に入れておけというEUの姿勢が、ある程度軟化して、形式的に離脱するという形を認めた。それを保守党の強硬離脱派も受け入れた。ただ現実には、北アイルランドは特別扱いで、EUのいろんな規制や関税に関するルールが適用されることになった。実質的には関税同盟から脱退しない。形式と実質を、言い訳的に使ってEUの譲歩をイギリスが勝ち取ったんだ、という評価にしている。

 北アイルランドとアイルランドの関係だが、アイルランドはEUの加盟国なので、これからは共同委員会で協議していくことになる。イギリスとアイルランドと相談するといっても、アイルランドはEUの加盟国だから、イギリスとEUが相談するような形になってしまっている。当然、おかしいという批判は出ている。
 
 10月 17日に、ジョンソン政権の改訂案に対して、EUは合意した発表している。翌日には、EUは 27カ国(イギリス以外)の首脳会議が一致して承認した。

 10月19 日、ジョンソンは議会で改定案の採決を求めたが、保守党を除名されたレトウィン議員提案の動議によって、法的な準備が整うまで、離脱条件の採決を延期することになった(322票対 306票)。この間、再度の国民投票などを求める大規模デモが行われた。

b479d07a30fc41129e28ad46aa2f9d90_18 労働党の変貌と現状― 2015年以降

 2015 年労働党首選で、最左翼のジェレミー・コービンが右派のオーエン・スミスに勝利した。以降、党内右派は「コービン不信任」動議などの抵抗を続けた。

 しかし、2017年総選挙で労働党は30議席増となった。党内外で、コービン主導で行った政策が受入れられたと評価され、コービン派の地盤の拡大・強化されることになった。そして、労働党党員が50万人以上に増えた。

 党内左派のコービン支持グループである「モメンタム」 が 2015年結成され、現在、4万2000人のメンバーを擁している。 当初は、非党員も少なくなかったが、その後は党員であることが条件になった。

 1980年代、トニーベンを中心したに左派グループがあったが、コービンが当選すると、それら党内外の左派系の人々が労働党に再結集してきた。同時に、党外の政治グループをブロックする必要があった。それが、社会主義労働者党(SWP)や社会主義党(SP)などの加入戦術に反対という態度の現れであった。

 欧州を見ると、ドイツ社民党、フランス社会党が衰退しているにもかかわらず、イギリス労働党は増えるという対照的な動きがある。ギリシャ、スペインでも急進左派の登場があるが、最近は失速しつつある。イギリス労働党が欧州最大の左派政党になったというのは興味深い現れだ。

ブレグジットに対する労働組合の態度
新自由主義の下での労使関係


 1979年以降、サッチャリズムとニューレーバーの下で労働組合運動は後退していった。ストライキなどの労働争議も激減していった。イギリスは、もともとストライキは法的な権利保障がなくて、免責があるだけだ。ストライキをやったら組合が損害賠償されることはない(民事免責)し、ストライキをやっても恐喝とはならない(刑事免責)というものだ。

 1979年から1997年まで保守党政権だった。この間、労働組合規制法をたくさん作った。例えば、クローズドショップに対し、組合員の雇用を優先するような協約を作ってはいけないとした。組合員を雇用させるという組合側のメリット、企業側も熟練労働者を確保できるというメリットがあったが、それが否定されたわけだ。

 組合のストライキなどの方針決定の時、挙手で採決するのとはだめだとなり、かならず秘密投票をおこなえとなった。連帯ストライキを禁止した。他産業の労働者との連帯ストライキだけではなく、同一産業の労働者との連帯ストライキも禁止された。自分の企業の使用者にたいするストライキだけが認められるとなったのだ。

 1997年以降、2010年までの13年間の労働党政権(ニューレーバー)も、サッチャー、メジャー政権時に作った労働組合規制法を一本も廃止していない。

 ただ変わったのは2つある。1つは、全国一律最賃と一定の条件の下での組合承認制度(使用者が団体交渉に応じなければならない制度)が導入されたことだ。イギリスでは、一般に組合の実力で団体交渉を認めさせなければならない。使用者側に応諾義務がないからだ。

 労働組合の組織的な後退が目立つ。サッチャー政権成立時の1979年の 54%から 2018年の 23%へ下がっている。

 産業別交渉機構の廃止と労働協約適用率の縮小も大きい。 協約の適用率は、1980 年の 86 %から 2018 年の 20%へ下がっている。

 大陸欧州諸国、北欧諸国は労働組合組織率が高い。ドイツ、オーストリア、イタリア、フランスの労働組合の組織率はそんなに高くはないが、協約適用率が高い。これは拡張適用制度があり、同じ産業内に適用できるシステムを作っているからである。

 イギリス、日本、アメリカ、韓国は労働組合組織率も、労働協約適用率も低い。

 イギリスには拡張適用という制度がないし、かつての産業別の交渉が潰された。ところが労働組合はその対応に対して反対しなかった。産業別交渉機構は、労働組合専従の右派がやっているからだというのが理由だった。昔は、全国交渉をやっている人たちは右派の人たちだった。しかも交渉による賃金水準は実収賃金の半分ぐらいの場合が多く、あとは職場で頑張らないと獲得できないから、左翼的な人たちは企業内で頑張れという傾向が強かった。日本の場合は、企業横断的に闘えと主張されてきたが、イギリスの場合はそんなものは役にたたないという評価だった。

 さすがにそれではまずいので、労働党の「マニフェスト 2017」では、労働法の学者などの意見を取り入れて、 産業別交渉機構の設置の義務化を提案している。

 EU指令とイギリスの労働改革

 イギリスの労働組合がEUに残留すべきだという理由の1つとしてあるのが、サッチャー保守党政権時代にできた集団的労使関係の法律は変わっていないことだ。むしろEUに加盟していることによって、労働者の権利を守るために国内法を整備しろというEUの指令によって労働者の権利が守られるという形になるからだ。労働運動の力が弱まっていることもあり、運動で諸条件を勝ち取っていくというよりは、EUに依存する傾向がある。

 EU の指令による労働改革には、①労働時間・年次有給休暇、②妊娠・出産休暇、③ 年齢・宗教・信条・性別による差別の禁止、④パートタイム労働者や有期雇用労働者などの非典型労働者の権利、⑤派遣労働者の均等待遇、⑥事業継承に伴う 労働者の権利、⑦情報・協議の権利、⑧健康・安全がある。

 イギリス労働組合指導層の変化

 全国組合の指導部には左派の人たちが多い。全体として労働組合は後退しているのに、役員のトップだけは左翼が多い。

 振り返ると、1970年代は共産党が強かったが、1980年代以降、共産党の分裂・後退とトロツキスト諸派が進出してくる。とはいえ、職場の活動家層が 1970年代のように厚みがあるとは言えない。

 労働組合の中央執行委員レベルには、かなりトロツキストがいる。 なかでも、かつてトニー・クリフが率いていた社会主義労働者党(SWP)と旧ミリタントの分裂後の多数派である社会主義党(SP)が中心だ。最大労組のUnite(一般/123万人)の執行部には、SWP1人とSWPから分かれたカウンターファイヤー1人の計2人のトロツキストがいる。2番目のUNISON(公務公共/119万人) には、SWP4人とSP6人の計10人のトロツキストが中央執行委員にいる。

 教員組合も45人の中執のうちSP4人、SWP3人、労働者解放同盟(AWL)2人の計9人がトロツキストで、公共・民間サービス労組には37人の中執のうち10人がSWPとSPによって占められている。大学教職員組合にいたっては、64人の中執のうち15人がSWPだ。主要組合の中執には56人のトロツキストがおり、かなり指導部に入っているといえる。

 SWPは特定組合に集中し、旧ミリタントのSPはいろんな組合にいるのが特徴だ。

 労働組合のブレグジットに対する態度はどうなっているか。主流派は、残留支持だ。Uniteはコービン支持の最大中核勢力で、UNISON は、コービン労働党に対して、「残留」をより明確にすることを2019年大会で要求している。穏健派の GMB(一般/61万人)、USDAW(小売・流通関連労組/43万人)も残留支持になっている。

 離脱支持派は、中小組合で、最左翼のRMT(鉄道労組/8万5000人)とBFAWU(製パン・食品関連労組/1万人)だ。

 ナショナルセンターのTUC(イギリス労働組合会議)に加盟する主要労働組合の態度は、国民投票の時と基本的な変化はない 。TUC非加盟の「中立」組合が「残留」支持へ転換したケースがあるだけである。

労働党外の左翼諸党派―その勢力とブレグジットへの態度

 基本的に多数派は、離脱支持派だ。

 労働党以外では最大党派の社会主義労働者党(SWP/5886人)は、 2016 年の国民投票でも離脱を支持した。態度は、①資本家のためではなく、労働者のためのブレグジットをめざす②EU は資本家のクラブであり、労働者とその権利を擁護しない。左翼ブレグジットのためのたたかいが必要③総選挙でのコービン支持、保守党打倒などである。

 旧ミリタント分裂後の主流派である社会主義党(SP/2000人)は、社会主義的綱領をもって、コービン政権を樹立し、EUとの交渉を、という立場だ。①離脱派の組合のRMT(鉄道労組)や BFAWU(製パン・食品関連労組)以外の労働組合指導者は、資本家クラブである EU からの離脱という挑戦を提起できていない②労働組合運動の左翼的転換、労働者によるブレグジットを③欧州諸国で社会主義諸国家を樹立し、その連合をつくろう、という主張だ。

 イギリス共産党(CPB/769人)も、 国民投票でも EU 離脱支持した。①総選挙での労働党主導政権の樹立を支持するが、EU 在留に反対し、国民投票の結果にもとづいて離脱すべきだ②EU の改革 は不可能である③TUC が EU の指令などがイギリス労働者の権利保護に 貢献していたとしている見解に同意できない、としている。

  SWP から分裂したカウンターファイヤー(Counterfire/300人)は、民衆のブレグジットのためのたたかいを広げる、という態度だ。

 旧ヒーリー派の労働者革命党(WRP/120人)は、国民投票でも EU 離脱支持し、革命でこそ真のブレグジットが実現できる、と 主張している。

 残留してたたかうという態度のトロツキスト党派は、2つしかいない。

 労働者解放同盟(AWL/140人) は、国民投票時も EU 離脱に反対した。現在も、残留してたたかうとする路線で、当面、欧州レベルにおける民主主義的で連邦制の欧州合衆国を樹しよう、という立場だ。

 第4インター派のソシアリスト・レジスタンス(SR/95人)は、EU 残留支持の態度で、①EUが資本主義の進歩的形態であるという理由によるのではない②ブレグジットは排外主義と極右にドアを開くことになるからだ③「もう一つの欧州」は可能であり、欧州左翼とともにたたかう④労働党のなかで活動し、コービン労働党政権の樹立を支持するとしている。

 「どちらでもない」というトロツキスト党派は、旧ミリタント分裂後の少数派であるソシアリスト・アピール(300人)だ。①資本家の EUにノー、イギリスの緊縮政策にノー②EU内であれ、その外であれ、 資本主義こそが民営化、規制緩和、緊縮政策の根因である③社会主義をめざす欧州労働者の連帯で社会主義の欧州合衆国の樹立を、という路線である。

 国民世論のうごき

 10月15日のOpinium による 世論調査を紹介する(他の調査機関もほぼ同様の数字)。

 まず、政党支持率は、保守党 37 %、労働党 24 %、自由民主党 16%、ブレグジット党 12 %、スコットランド民族党 4 %、緑の党 4 %、イギリス独立党 2%となっている。

 次に、ジョンソンの離脱改定案が提案されれば、下院議員は「賛成するべき」が 46 %、「反対すべき」が25%だった。

 離脱改定案が下院を通過しなかった場合、次のステップはどうすべきかでは、「再度の国民投票」が29 %、 「総選挙の実施」が 26 %になっている。

 なぜ保守党がリードしているのかだが、一つは2016年国民投票の「離脱」という結論が出ていることが重いと考えられる。強硬派は、依然「離脱」強行派だ。議会休会の強行など、ジョンソン政権への批判はもちろん在留派のなかで強いのだが、離脱派はそういうジョンソンをつよく支持する傾向が強い。
 労働党とコービンの支持率が低迷しているのはなぜか。その理由としては、①残留派の世論は、労働党と自由民主党に支持が分裂していて、直近の調査では、自由民主党への支持が徐々に増える傾向にある②労働党とコービンは再度の国民投票を強調してきたが、それでも「残留」の態度を強く打ち出せず、あいまいさがあることへの批判・不信が指摘されている、などが考えられる。

 イギリスのブレグジットをめぐる動向に、今後も継続して注目していきたい。

【第四インターナショナル声明】 「ブリグジット(英国のEU離脱)」危機

Cl8nS9GUoAAMrfV英国のEU離脱国民投票について、英国支部の声明に続き、第4インターナショナル・ビューロー(書記局)声明を配信します。

……………
声明 「ブリグジット(英国のEU離脱)」危機

レイシズムと社会的支出の廃棄に対決し欧州における連帯を!


2016年6月28日

第四インターナショナル・ビューロー

(1)

 英国の国民投票の結果は、ギリシャ危機、難民危機に続くさらなる危機の段階を示している。イングランドとウェールズの有権者の大多数は、「ブリグジット(英国のEU離脱)」に投票し、スコットランドと北アイルランドの反対投票にもかかわらず、英王国全体の「離脱」を強制した――それは、二度目となるスコットランドの独立住民投票をもたらす要因となりうる。

(2)

 ボリス・ジョンソン(保守党の政治家、前ロンドン市長)だろうと、ニジェル・ファラージュ(UKIP 英国独立党)だろうと、「離脱」キャンペーンの主要なスポークスパースンが使った、東欧からの移民に罪の烙印を押しつける外国人嫌悪の言説が、この運動を支配した。このようにして彼らは、広範な民衆的階層――緊縮政策、失業、補助金カットの主要な犠牲者――の社会的憤懣をとらえることに成功した。この激しいいらだちが、エリートたち(ウエストミンスター=英国議会、ブリュッセル=EU本部)に対して向けられたのである。

不幸なことに、EUに対する大衆レベルでのこうした拒否は、当面のところ進歩的な反緊縮のラディカリズムとして表現されることなく、失業のスケープゴートとしてのEU移民労働者への拒否となってしまった。それらは大衆がこうむっている攻撃に責任があると見なされたEUへの拒否と結びついていた。それは、反ナチ同盟などが、高揚する過激右翼思想の波を押し戻すことに貢献した1970年代以来受け入れられることのなかった、レイシズムと外国人排斥の大衆的表現をもたらすことになった。

(3)

英国の国民投票実施をもたらした力学――とりわけ保守党のユーロ懐疑的右派に支持されたUKIP(英国独立党)の発展――は、イギリスで国民投票の討論が行われた領域が、左翼にとってきわめて不利であったことを意味している。

労働党は伝統的なEU拒否の立場――前回の1975年の国民投票でそうであったように――と、労働組合勢力と他の勢力からの圧力の間で引き裂かれることになった。その圧力とは、EUの政策は、「離脱」キャンペーンの右翼的な反移民ゼノフォビア(外国人排斥)と結びついた新自由主義の最悪の過剰への盾であった、というものである。EU「離脱」を呼びかける労働党の声は、メディアでは「残留」という党の公式の立場よりも大きく扱われた。離脱を支持した労働党員は三七%に過ぎなかったにもかかわらずである。

(4) 

 「残留」キャンペーンの主流として現れたのは、離脱した場合の破局を恐れたエリートたちと尊大きわまる「シティー」(ロンドンの金融センター)だったが、幾百万人ものイギリスの労働者たちは、EU残留を労働者たちに納得させようとした人びとと同じ連中が強制した社会的惨事をすでに経験していたのである。

(5)

 こうした情勢の下では、左翼のキャンペーン――EU残留賛成を呼びかける「もうひとつのEUは可能だ(AEIP)」と残留反対を呼びかける「左翼の離脱(Lexit)」――が、きわめて少数の支持しか得られなかったことは不可避だった。

しかしAEIPは「影の内閣財務相」のジョン・マクドネル、緑の党の指導部、多くの左派労組活動家、とりわけ消防士組合(FBU)書記長のマット・ラックをはじめ、全国の数千人に及ぶ活動家の強力な支持を得た。

(6)

 したがって投票の結果は、英国にいるEU諸国から来たすべての労働者と学生、そして第一に東欧諸国からの人びとをきわめて不安定な状況に置くことになり、この運動の中でかきたてられた外国人排斥の表現に脅かされる感情にさらすことになってしまう。

 すでに移民――とりわけポーランド人――への物理的襲撃が起きている。同様に、すべての英国労働者の雇用と購買力は、ポンド通貨をめぐる金融操作やEUによるあらゆる措置によって、厳しいものになっていくだろう。「離脱」投票は、緊縮や資本主義的政策を拒否する進歩的政策の一部ではなく、保守党新政権のより反動的な漂流をもたらし、労働党右派によるジェレミー・コービン執行部への強力は反対キャンペーンを伴う形で、労働党は国民投票を通じていっそうの弱体化に直面することになる。

(7)

 国民投票直後にイギリスで取られた移民労働者への連帯を示すイニシアティブは、したがってきわめて重要なものであり、継続・発展させられるべきである。国民投票に対する態度の違いにも関わらず、現在の課題は、緊縮政策に反対し、移民と連帯する最大限に可能な団結を組織することであり、コービンと左派に反対する労働党右派のキャンペーンに抵抗することである。

(8)

 「ブリグジット(英国の欧州離脱)」は、EUを構造的に弱体化し、その結果を予言することができない方向性の危機を引き起こした。月を重ねるごとに、緊縮支持政策の結果は支配階級にとって明らかになる。

2015年1月と7月のギリシャ民衆の反乱投票(訳注:2015年1月総選挙でのシリザ政権成立、7月国民投票でのEUによる債務返済条件拒否)、労働法制への攻撃に対決するフランスでの強力な動員、最近行われたイタリアの地方選でのマテオ・レンツィ(訳注:イタリア首相、民主党)の大敗北などに、それが示されている。

(9)

 欧州連合の機能における民主主義の完全な欠落、右翼と左翼の政府による攻撃に対する激しい社会的怒りの蓄積は、有権者が機会を得た時にはいつでも表現されることになる。欧州連合は社会的保護を破壊し、各国での立法は万人に対する万人の競争を推進し、EU全体のすべての労働者の不安定雇用化を進めている。

 不幸なことに欧州の労働運動、とりわけCES(欧州労組連合)は、国際連帯と社会的諸権利の防衛のための障壁と武器という役割を果たしていない。失望を資本主義的緊縮政策に対する挑戦へと転化する、欧州規模での進歩的力学は存在していない。

(10)

 EUは、われわれが信頼しない、改良することができないブルジョア制度であり、搾取され、抑圧された人びとの連帯を基礎にした欧州間の協力の新しい基盤を作り出すために、まさしく破壊されなければならない。

(11)

 この欧州連合の危機を、搾取され抑圧された人びとの利益に転換させるためには、全欧州的に全面的に再建されるべきラディカルな反資本主義勢力の政治的凝縮と社会的比重のレベルが求められる。

(12)

 この情勢の中で、われわれの課題は多面的なものである。

 *欧州レベルではEUが強制する緊縮政策(マドリッド会議など)と闘いつつ、各国レベルでは各国ブルジョアジーの責任を明確に説明し、さまざまな国々の労働者を相互に闘わせることを非難し、社会的諸権利と賃金の上昇的調和のために闘うこと。

 *正統化されない公的債務の支払いと、TTIP(環大西洋貿易投資パートナーシップ)、CETA(EU・カナダ総合経済貿易協定)といった非民主的な協定に反対すること。

 *トロイカ(IMF、EU、欧州中央銀行)が押し付けた政策(ギリシャ、ポルトガルなどで)に反対する具体的なすべての闘いとの連帯を民衆化し、組織すること。

 *移民とその要求――EU内での居住、労働、社会福祉受給――に連帯するわれわれの活動を刷新し、国境の開放のために闘い、移民組織との連携を強化すること。

 新しい反資本主義・反レイシスト・エコ社会主義・フェミニスト的欧州を建設する展望をもって欧州ラディカル左翼間での討論を促進し、豊かにしていくこと。

EU国民投票結果に関する「ソーシャリスト レジスタンス」(第四インターナショナル・イギリス支部)の声明

SR_Front-2-page-0-e1461055645917「ブレグジット(英国のEUからの離脱)投票」は惨事だ。しかし闘いは続く
――EU国民投票結果に関する「ソーシャリスト レジスタンス」(第四インターナショナル・イギリス支部)の声明




 2016年6月24日



 EUから離脱するという「ブレグジット」投票は、右翼のゼノフォビア(外国人排斥)の勝利であり、英国の緊縮政策に対する闘いにとっては惨事である。これはレイシズムならびに移民への国境管理を強化する政策への白紙委任的勝利なのだ。

 われわれがこの結果を惨事だと述べるのは、ほんのわずかでもEU、あるいはその諸制度に幻想を持っているからではない。われわれはEUを新自由主義の資本家クラブだと見なしている。またわれわれが、キャメロン英首相が主導する、公式の反動的な、何がなんでも「EU残留」キャンペーンなるものに幻想を持っているからでもない。彼のいわゆる再交渉とは、移民労働者をふくむこの国の労働者の諸条件を悪化させるために開始されたものである。今回の、こうした形でのEU離脱は、英国の政治情勢を右の方向に鋭く押しやるものであり、緊縮政策に反対する闘いを弱めるものであるため、われわれはこの結果に反対しているのだ。それはこの国の個々の移民、難民、そしてマイノリティーにとっても惨事となるだろう。

 興味深いのは、キャメロンが退陣演説の中で、この国のEU市民の地位については、「今のところ」変化はないだろうと述べていることだ。

 幾百万人もの人びとが「ブレグジット(EU利脱)」に賛成投票したのは、「生活水準や公共サービスの悪化は移民によって引き起こされたものであり、西側諸政府が押し付けた緊縮政策によってではない」、という主張を受け入れたからである。また「EU残留」陣営は、2008年の経済危機について英国の銀行や金融制度を非難することもなかった。

 

「レフト・ユニティー(左翼統一)」(訳注:映画監督のケン・ローチなどが呼びかけ、2013年11月に結成された左翼グループ)の声明は次のように述べている。「今回の国民投票は、反移民感情に突き動かされ、レイシズムが焚きつけた極右からの圧力がもたらしたものだ。これは英国の政治史の中で最も反動的な全国運動であり、極右の公然たる登場に結果してしまった」。

 この主張は完全にその通りだ。全体の気運は毒に満ちたものであり、憎悪の感情がかきたてられ、ファシストの「英国が一番」――それは主流の「EU離脱」キャンペーンのトップテーマだった――という叫びによって、下院議員が暗殺された。

 ジョー(ジョアンナ)・コックス(英労働党の下院議員)の暗殺は、深く悲しい出来事だったが、それは国民投票キャンペーンが引き起こした大騒ぎの直接的結果だった。ジョー・コックスは難民を防衛してきた活動家であり、「残留」運動の支持者だった。多くのメディアや極右の政治家たちが支援した主流の「離脱」運動によって動かされた怒りと憎悪の感情は、イギリスのレイシズムや外国人嫌悪を数十年も前に引き戻しただけではなく、白人至上主義とつながったファナティックな極右登場の諸条件を作り出し、街頭での彼女の射殺まで引き起こしてしまった。

 今回の国民投票は、今までは決してなかったレイシズムとゼノフォビア(外国人憎悪)の正統化をもたらした。保守党のレイシスト下院議員だったイノック・パウエル(訳注:移民排斥を訴えた1968年の「血の川」演説で失脚)のこだまのような不快の極みとも言うべき声明が、なんの罪にも問われることなく垂れ流され、ある種の「公平」なコメント付きでメディアに受け入れられた。1968年に行われたパウエルの悪名高い「血の川」演説は、保守党の指導者テッド・ヒースからの除名処分に帰結し、パウエルは政治の世界から追放されたが、ファラージ(訳注;移民排斥・EU離脱を訴える英国独立党党首)の「忍耐の限度」というレイシスト的ポスターは、ある種の温和な親近感をにおわせた批判を引き起こしただけであり、それらは全体としてジョー・コックス暗殺へと導いた。

同様のイメージは、コメントや批判抜きで繰り返し新聞に掲載された。17日間連続で移民の問題を一面で取り上げたという理由で「デイリー・エクスプレス」紙には不満が寄せられた。



左翼と労働運動の一部はこうした危険について認識していた。「もう一つの欧州は可能だ」の発足は、重要なステップだった。コービン(労働党党首)とマクドネル、「モメンタム」、「レフト・ユニティー」、ケン・ローチ、緑の党のほとんど、とりわけキャロライン。ルーカスは、レイシストの妄言を食い止めるために全力を上げた。労働組合指導部の多くは正しい見解を表明し、UNITEとUNISONはレイシズムに反対し、移民労働者を擁護する重要な文書を発行した。FBU(消防士組合)のマット・ラックとTSSA(運輸事務職労組)のマニュエル・コルテスはとりわけ重要な役割を果たした。これはかれらへの重要な信用となった。

しかしラディカル左派のほとんどは、「離脱」投票を支持し、いわゆる「左派のEU離脱(レグジット)」キャンペーンを行ったが、それが国民投票全体に与えた影響はゼロだった。この運動は、左翼からの「EU離脱」という道がない時に、それが提起されているという幻想をふれまわり、キャメロンが失脚に追い込まれれば左翼にとってのチャンスが開かれるという虚言を主張した。ファラージ(英国独立党党首)と保守党右派が勝利した今でも、SWP(訳注:社会主義労働者党、ソ連=「国家資本主義」論だったトニー・クリフの系譜を継承する左翼グループ)は、「離脱」票の勝利を「金持ちや力ある者への反乱」と述べ、レイシズムの危険は「不可避とは言えない」と語っている。

かれらは、「離脱」運動の主流に代表される右翼の人種差別主義者の危険を認識することができない。かれらから生み出されるレイシズムと憎悪、政治情勢と力関係に与える反動的影響、いずれにせよそれらと結びついた危険は明らかである。とりわけ「離脱」投票の場合はそうなのである。

かれらは「離脱」票がこの国に住み、その地位が選挙の直接的結果として脅かされている220万人のEU市民に与える破滅的結果を無視する(それが脅威にさらされている時でも)選択を行ったのだ。しかしかれらは結成以来、レイシズムと外国人嫌悪に反対してきた組織である。1970年代に「ロック・アゲンスト・レイシズム」はレイシズムに大きな打撃を与えたが、そこでSWPは大きな信用を得ることができたのである。

投票結果が明らかになった直後、英国独立党のファラージは、英国の解放にとっての歴史的勝利についてメディアに誇り、新しい英国にとっての彼の反動的ビジョンの大枠を説明した。彼は勝者の側の指導者として扱われた。キャメロンは直ちに去らなければならないと語り――数時間後にキャメロンは辞任表明したのだが――新しい保守党の首相は、国民投票の委託を遂行するために「EU離脱派」でなければならないと述べた。



保守党大会に先だって。保守党内での準備を完了させるために指導部選挙の引き金が引かれるだろう。したがって、国民投票で委任された課題――移民の取締り、国境管理の強化、そしてわが国に住むEU市民の地位を制限することをテーマにした宣言を実施に移す宣言の後に、総選挙が当然にも行われると考えられる。

政治情勢が右に移行しているという状況で、年末に行われる総選挙はきわめて危険だ。左翼は、そして労働党も、そのために急速にギアを上げる必要がある。

労働党党首のジェレミー・コービンは、国民投票の期間中、原則的な役割――残留への投票を呼びかけるがEUとその機関には幻想を持たない――を果たした。例えば、最後の週のスカイTVニュースのインタビューでは。多くは若者で、熱心な雰囲気の人びとで占められている聴衆を前にして、外国人嫌悪、民営化、緊縮政策への批判で満たされたものだった。「影の内閣」閣僚のジョン・マクドネルは、FBU(消防士組合)のマット・ラック、キャロライン・ルーカス、ヤニス・ヴァロウファキスとともにロンドンで開催された大規模な「もう一つの欧州は可能だ」集会に参加し、緊縮政策とレイシズムに対決するラディカルな呼びかけを行った。

しかし主流メディアは数カ月間にわたって、この国民投票をおもに保守党内の二つの翼の間の闘いとして報じた。コービンに敵対的な多くの労働党議員は、こうした流れに沿って動き、保守党に従属した政綱を掲げて現れた。13年間にわたるトニー・ブレアとゴードン・ブラウンによる緊縮支持の労働党政権、そして五年間にわたるエド・ミリバンドの下での無力な野党というあり方は、労働党支持者の幻滅をもたらすことになった。



数十年間にわたって労働党が権力の座を占めてきた地方自治体では、攻撃にさらされている住民の支持を得ることができなかった。安価な住宅の不足、地方の医療サービスの劣化、学校予算のカットなどによって、移民に対する右翼の差別キャンペーンへの傾斜を許すことになってしまったのである。

 一部の地域――労働党や左翼が最もよく組織された地域であることが多い――では、労働党への投票は、残留に大きく揺り戻した。図書館切り捨てをめぐる最近の目立った闘いの舞台となったロンドン・ランベス(ロンドン南部の自治区)では79%が残留を支持し、コービンの支持者がほんの七週間前に市長職を奪取したブリストルでは残留が多数となった。北部の最大都市の一部――マンチェスター、リバプール、ニューキャッスル――では残留が多数だった。しかしイングランドとウエールズの労働党の圧倒的多数地域では――そこでは労働党の地域支部は数十年間にわたって消滅寸前であり、党機構は党の右派によって堅固に掌握されている――労働党支持者は、かれらの置かれている状況への抗議を込めて離脱票を投じたのである。

労働党のかつての拠点地域で、労働党の「分離反対」の立場に抗議してきたスコットランドでは、より左翼的な主張を行っているスコットランド民族党に投票が移行し、スコットランドの三二の小選挙区すべてが残留に投票し、二度目の独立住民投票に向かいかねない制度的危機が作り出されている。

いまやコービンは、有効に投票を動員することに失敗したとして労働党議員団の多くからの敵意に直面している。しかし労働党からの投票が緊縮政策と外国人嫌悪症に反対する残留投票の必要性を活性化させることに失敗したとしても、それが右派がコントロールしている領域の話である。労働党の一般党員と労働組合は、党の議員団とコービンを罷免しようというあらゆる動きに対して、コービンを防衛するために強く闘う必要がある。

おそらく今年の年末になるだろうが、刷新された右派のボリス・ジョンソン――マイケル・ゴーブ指導部の率いる保守党――そのマニフェストは、移民の抑制と、国民投票の正統性の主張――に対して労働党が総選挙で勝利するならば、それはあらゆる形態の緊縮政策に反対し、移民とすべての労働者の権利を支持するラディカル左派の綱領によってのみ可能となる。

もしコービンがそのような選挙綱領に基づいて闘う準備をするのであれば――われわれは彼がそうすることを望むが――、それはわれわれの期待するところであり、左翼は彼を支持して、全面的に結集すべきである。

(「インターナショナルビューポイント」2016年6月号)

【ベルギー左翼の声明】ブリュッセルでのテロ攻撃について

Brussels-Post-Attack-Solidarity-628x356ベルギー:ブリュッセルでのテロについてのLCR(革命的共産主義者同盟)―SAP(社会主義労働者党)
:第四インターナショナル・ベルギー支部の声明です。

…………



ブリュッセルでのテロ攻撃について




LCR(革命的共産主義者同盟)―SAP(社会主義労働者党)



二〇一六年三月二二日



 LCR―SAPは第四インターナショナル・ベルギー支部。LCRはワロン語(フランス語)圏、SAPはフラマン語圏(オランダ語)圏での組織名称。



 LCR―SAPは、三月二二日、ブリュッセルで引き起こされた卑劣なテロ攻撃を、大きな怒りを込めて厳しく非難する。こうした憎むべき犯罪は、いかなる政治的・宗教的動機によっても弁明することはできない。LCR―SAPは、このような許しがたい暴力の犠牲者への支援と、心からの連帯を表明する。

 またLCR―SAPは、ベルギー、そしてその他の諸国で一部の政治家や主流メディアがこうした恐るべき事件によってかきたてようとしている、新たな戦争挑発的で、レイシスト・イスラム嫌悪的安全保障政策への流れに対して、いっそうの民主主義的警戒を呼びかける。

サラ・アブデスラム逮捕による当局者の勝利の叫び、難民送還に関するする恥ずべき欧州協定、数十人にのぼる死者を出したイスタンブールでの殺人テロとロシアによるシリアのラッカ爆撃からわずか数日後、われわれはふたたび次のことを確認することができる。すなわち、シリアの人びとへの爆撃、独裁体制支持、街頭への軍部隊の配置、あるコミュニティーへの「犯罪」の烙印(国籍剥奪といったレイシスト的方策を伴った)、さらに難民を海に投じたり、民主主義的権利を制限したり、といったことで、テロと闘っているわけではないということを。

全く逆だ。こうしたテロ政策はテロリスト組織を煽りたてるだけであり、宗派的憎悪を深め、社会を窒息させるかれらの目標と完全に一致するものだ。われわれの社会が不正義、暴力、排除に基づいたものであるかぎり、われわれを守るものは何もないという確信を、われわれは再確認する。

このような悲劇的状況の中でLCRは、連帯、民主主義的自由、この国と全世界での不平等に対する闘いに基づいた、寛容な社会へのラディカルな転換を推進することによって、犠牲者たちに送る言葉としたい。われわれはその生をかけて死の政策と闘う。

ギリシャ 国民投票で明確な審判

gettyimages-479584112不正な債務は帳消しに!

国際的連帯でトロイカを追い詰めよう




予想を上回る大勝利



 七月五日に行われたギリシャの国民投票は、一月二五日の選挙で成立したシリザ(SYRIZA、急進左翼連合)主導のチプラス新政権とEUの債務返済交渉において、EUが強制した諸条件を労働者・民衆が拒否したことを明確にした。

報道では、EUが押し付けた、ギリシャ民衆への「緊縮・耐乏」をさらに強化する過酷な諸条件への賛否が拮抗しているとされていた。しかし蓋を開けてみれば、投票率六二・五%で、チプラス政権が呼びかけた「反対」票が六一・三一%、EU・ECB(欧州中央銀行)・IMFの「トロイカ」が多数を得るために圧力を行使した「賛成」票は三八・六九%となった。圧倒的多数で反対が上回ったのである。とりわけ五〇%の失業率にあえぐ若者や、年金支給の過半をカットされ、日々の食事にも事欠く高齢者などの貧困層は、なだれをうつ勢いで拒否の意思を示した。

マスメディアは、ギリシャの労働者・市民が示したこの結果に驚愕し、チプラス政権やギリシャの有権者を罵倒しながら、もっぱらギリシャの選択が、新たな世界的金融危機・恐慌への引き金となる可能性について大騒ぎをしている。実際、七月六日の東京証券市場も大きく下落した。

しかし言うまでもなく、このギリシャ危機の性格がどのようなものであるのか、ギリシャが抱える巨額の債務は何によって引きおこされたのか、そして誰が危機の最大の犠牲者なのかを理解することが「危機克服」への出発点である



なぜ巨額の債務が作られたのか



メディアでは、公務員が全労働力の五分の一以上を占める役人天国で、退職者の年金支給額も現役時の収入の九五%に達する放漫財政が、ギリシャ危機の根源だという報道がしきりになされている。「ドイツ人はコツコツとまじめに働くアリだが、ギリシャ人は遊んでばかりいるキリギリス」という揶揄が、ドイツのメルケルとギリシャのチプラスの対立に二重写しにされて語られる。もう三年前の話になるが「日経ビジネス」デジタル二〇一二年五月八日版は「ギリシャ人は、いつから『怠け者』になったのか 欧州統合が生んだ“最後のソ連型国家”の皮肉」という大竹剛の解説記事を掲載した。

「今や、世界は市場原理を軸にした熾烈なグローバル競争に飲みこまれている。一方、EU加盟後のギリシャは、こうした潮流に逆行するかのように、『最後のソビエト型国家』と呼ばれるほど社会主義的な政策に傾倒していった」(同記事)。これが資本の意を体現したマスメディアの「ギリシャ危機」報道の、現在にまで至る基調なのだ。

しかしギリシャが抱えた巨額の債務はどのように形成されたのか。欧州の金融機関は、二〇〇四年のアテネ五輪を見据えて過剰な資金の投資先をギリシャに求めた。EUの金融機関からギリシャに貸し付けられた資金の一部は、ギリシャにとって過大なまでの軍備拡張にまわされた。そこで潤ったのはEUの軍需産業だった。

金融バブルがはじけ、二〇〇八年の「リーマン・ショック」以後、PIIGS(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン――ここには豚(PIGS)を連想させる差別的な意味が込められている)と名指された諸国に対して、債務取り立てのためにとりわけ過酷な緊縮=耐乏政策が強制された。危機のツケは、民営化、雇用の非正規化、解雇、給料引き下げ、年金の大幅カット、公共サービスの停止、社会福祉の解体という形で労働者・民衆に強要された。とりわけ若者、高齢者、女性は、生存そのものが困難になる状況に追い詰められている。



労働者民衆の不屈の抵抗――持続可能な社会のために



しかしギリシャの労働者・民衆は、「トロイカ」が強制し、ND(新民主主義)、PASOK(全ギリシャ社会主義運動)などの新自由主義政党が遂行する破滅的政策に決して屈服しなかった。幾度も決行されたゼネスト、職場占拠と自主管理、そしてアテネ・シンタグマ広場を連日連夜埋め尽くした占拠運動、さらには「黄金の夜明け」など反移民のファシスト勢力との闘い。こうした一連の行動が、今年一月にシリザ政権を誕生させた原動力だった。

こうした経過の上に、ギリシャの労働者民衆にのしかかり、その人権・生存権を奪う債務の重圧をはねかえす闘いが展開されている。ギリシャ議会に設立された公的債務監査委員会で重要な役割を果たしているエリック・トゥサン(CADTM 第三世界債務帳消し委員会)は不正・不当な債務について次のように規定している。

「持続不可能な債務とは、その返済が諸政府に住民の原理的な人権(良質な公的医療システム、良質な公教育システム、良質な社会的保護システム、尊厳ある賃金と年金その他)を保障することを不可能にさせる債務だ」と(本紙四月二〇日号六面記事参照)。

市民参加のこうした公的債務監査活動を通じて問題の所在を明らかにし、「持続不可能な債務」の帳消しを求めていかなければならない。労働者・市民にとって、問題は「金融システムの混乱」ではなく、「尊厳ある、持続可能な生活・環境」である。

昨年、われわれも参加した「国際シンポジウム実行委員会」は、ギリシャの反資本主義左翼連合(ANTARSYA)のマノス・スコウフォグロウさんを招請し、ギリシャ労働者民衆の闘いを共有していった。ギリシャ民衆への悪意と恐怖に満ちたキャンペーンを打ち破り、連帯の訴えを発していこう。(七月七日 平井純一)

【ギリシャ国民投票】民衆の歴史的勝利

635717354389714028w反対票のみごとな勝利


エリック・トゥサン
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article4105




 「反対」票のすばらしい歴史的な勝利は、ギリシャの市民が債権者からの恐喝を受け入れるのを再び拒否したことを示すものだ。ギリシャ議会が創設した公的債務真実委員会の予備的報告が示したように、不法であくどく正統性のない債務に対し、国家が一方的に支払いを猶予したり、拒絶したりすることを認める法的論拠が存在している。

 ギリシャのケースでは、こうした一方的行為は以下のような論拠に基づいている。

●国内法や、人権に関する国際的義務を違反するようギリシャに強制した債権者側の背信

●前政権が債権者やトロイカ(EU、欧州中央銀行、IMF)との間で調印したしたような協定に対する人権の優越

●その抑圧性

●ギリシャの主権や憲法を無法にも侵害する不公正な用語

●そして最後に、故意に財政的主権に損害を与え、あくどく不法で正当性のない債務を引き受けさせ、経済的自己決定権と基本的人権を侵害する債権者の不法行為に対して国家が対抗措置を取る、国際法で認められた権利

返済不可能な債務について言えば、すべての国家は例外的な状況において、重大で差し迫った危機に脅かされる基本的利害を守るために必要な措置に訴える権限を、法的に有しているのである。

こうした状況の中で、国家は未払い債務契約のような危険を増大させる国際的義務の履行を免除されうる。最後に諸国家は、不正な行為に関与せず、したがって責任を負わない場合には、自らの債務の支払いが持続不可能な時に一方的に破産を宣告する権利を持つのだ。



(エリック・トゥサンはギリシャ公的債務真実委員会の科学コーディネーター。CADTM[第三世界債務帳消し委員会]国際ネットワーク代表世話人)

【対「イスラム国」】デンマーク「赤と緑の同盟」(RGA)の立場

Iraq_0(画像は8月のコペンハーゲンでのISISによる虐殺への抗議行動)

以下は、デンマークの「赤と緑の同盟」(RGA)が、「イスラム国」(ISIS)との闘いのために軍用機を派遣する決議に賛成したことについての文書。私たちは、このRGAの立場に総体として批判的な立場を取るものですが、ISISの暴虐・ジェノサイドを国際反戦運動が止めることができていない状況で、左翼がどのような方針を採るべきか、議論の一助として掲載します。

…………
デンマークの左翼は、武器・弾薬を積んだ軍用機をイラクに送る議会の決議になぜ賛成したのか

ボス・マイケル


2014年9月14日

 米国の指揮下でイラクに軍用機を派遣する国会決議にデンマークの社会主義者が賛成票を投じたのは、異例のことである。もっと異例のことは、革命的マルクス主義者を自認する私自身がこの決議に賛成票を投じたことだ。しかしこれはほんの数週間前に起きたことなのだ。

 「赤と緑の同盟」(RGA)の議会グループは他の政党とともに、イラク政府の要求に応えてイラクにハーキュリーズ機を派遣することに賛成投票した。この飛行機はISIS(イラクとシリアのイスラム国)と闘っているクルド人民兵に武器・弾薬を届けることになる。

 RGAの規約によれば、議会でのこうした投票には党指導部の承認が必要である。議会での投票の数日前に全面的な討論が行われた。それはまた、議会への提案の正確な文言が明らかになる前のことだった。

 全国指導部は決議ではなく、議員グループに対して一定の条件付きで賛成投票を認めることに賛成した。投票以前は、ほぼすべての全国指導部メンバーはある種の疑いを持っていたが、最終的にこの文書は賛成一四(私も含めて)、反対六、棄権・欠席五で採択された。

 この決定に対しては、多くの妥当な反対意見が提出された。最も基本的なものは、米国の指揮下での軍事行動を支持するという問題だった。

 米国政府と軍部は、米国の大企業と帝国主義の利益を防衛しているのであり、その両者とも狭い意味では資源、市場、利潤へのアクセスを手に入れようとしており、より一般的には地政学的支配を求めている。

 アメリカ帝国主義こそ、この地域の宗派的戦闘を引きおこした基本的原因である――それはかつてのイラク戦争がそうであり、特殊的にはアメリカ帝国主義こそ、ISISが存在していることへの責任の大きな部分を有しているのだ。米国の同盟国の一部はISISに資金提供しており、トルコは――ワシントンからのいかなる異議もなく――ISISがトルコの国境を行き来して作戦を行うのを許容している。

 そしてデンマークは、米国主導のアフガニスタン、イラク、リビアでの作戦に参加したという極めて苦い経験を、この地域で有している。

 RGA指導部と国会議員グループの誰もが、このことに留意している。しかし今回の軍用機派遣を認める決定は地域の情勢の具体的な分析に基づいたものだった。米帝国主義はISISを創り出し、かれらが一定の段階にまで成長するのを許容した。しかしかれらは大きく成長しすぎ、軍事的にあまりにも強大化し、米国の利害にとって危険な存在になった――まさにタリバンがそうであったように。したがって当面のところ米帝国主義は、ISISを止めようと望んでいる。

 革命的左翼もまた、人殺しで、宗派的で、きわめて反動的な勢力であるISISと闘い、それを阻止することを望んでいるという事実を補強するために、多くの議論が必要だと私は考えない。ISISの勝利は、シリアとイラクの一部で起こりえた社会的・民主的で女性の権利を促進する発展、あるいは反帝国主義的な発展を後退させることになるだろう。

 こうして、ISISと闘うという単純な課題において、帝国主義と社会主義者の間に一時的な利害の一致が現れる。われわれはクルド人への武器の提供を望んでおり、米帝国主義も、当面のところ、クルド人への武器提供を望んでいる。米国が指揮しているというたったそれだけの理由で武器提供を支持しないのは、ドイツ帝国主義が提供した封印列車でドイツ帝国を通ってロシア革命のただ中にあるロシアに行く旅路をレーニンが拒否したようなものだ――ある全国指導部メンバーはそのように語った。

 しかしわれわれとは全く違った意図を持った、そして地域の民衆に大きな害を与える、より広範な帝国主義の軍事作戦の一部となるというリスクを、われわれは冒してはいないのか。これは決定に反対する別の主張なのか。

デンマーク政府の方針への追認という事態を伴って、こうしたことが起こり得ることを誰も否定しない。しかし全国指導部の決議と一致した形で、わが国会議員団は以下のことを明らかにしている。

●デンマークのハーキュリーズ機は、ISISと闘う勢力に武器を届けるという目的以外に使用しない。

●この決議は、当該地域におけるデンマーク軍の別の活動を許容するものではない。

●何が起ころうとも、政府が二〇一五年一月以後も航空機の活動を延長しようとする時には新しい議会決議が必要である。

 この決議に反対する論議を考えれば、いったい誰がその武器を受け取ることになるのか、という疑いがある。少なくともRGAの誰も、この政府に武器を提供したいとは考えていない。しかし議会決議の公式文言では、イラク政府ならびにISISと闘っている他の勢力への行動を呼びかけている。

 全国指導部は、これが国際法と一致した決定であることが必要であると保証し、確認している――他の政府からの軍事的支援を受け取れるのは政府だけである。第二に、イラク政府は武器に欠乏しているわけではなく、東欧製の武器はかれらの役に立たない。第三に、イラク軍は実際のところISISとは全く闘っていない。

 さらに別の問題が残されている、最も進歩的なクルド人勢力であるトルコのPKK(クルド労働者党)とそのイラクでの仲間であるYPGが本当に武器を受け取るのか、あるいは地域のクルド人政府が武器を独占するのではないか、という疑問である。このクルド人政府は伝統的にPKK/YPGと衝突関係にあり、かれらが支配する地域で厳しい新自由主義政策を採用している、

 誰が、いかにして、この武器の大部分を現実に手に入れるのか、という問題には何の言及もない。しかしすべてのクルド人勢力は、ISISと闘う共同の軍事戦線を結成した。かれらが現実に武器を分け合っている証拠が存在しており、PKK/YPGは最も効果的な戦闘を遂行している。

 この問題に関連した反対意見と向き合い、かつ結果についての一〇〇%の保証がない中で、私と委員会の多数派は、国会議員が議会で賛成投票することを認める決議に賛成した。われわれの多くにとって賛成か反対かのバランスを決めたのは、社会主義者をふくむすべての進歩的クルド人勢力、そして当該地域ならびにデンマークのクルド人組織――幾人かのRGAのメンバーを含めて――が、たんに賛成票を投じるようアドバイスしただけではなく、決議に反対しないよう懇願したという事実にあった。かれらは、こうした決議がPKK/YPGに武器をもたらし、ISISとの闘いの強化だけではなく、地域の進歩的勢力を強化する上でも必要だと確信している。

 この決定を補足するものとして、RGAはISISへの軍事的・財政的供給を阻止する別のイニシアチブを取った。それはクルド民族の自決権のための闘いを大衆化し、また米国とEUのいわゆるテロリスト・リストからPKKを取り除くためである。デンマークの特殊な観点からすれば、全欧州のクルド人向けTV局は、最近禁止されるまでデンマークにあり、クルド人コミュニティーの一〇人が、警察の主張によれば資金を集めてPKKに送金したとして裁判にかけられている、という事情もある。

 米国の指揮下でデンマークの航空機によってPKK/YPGへの武器が輸送された時、政府当局にとってテロ組織に物資を供給したと説明することはむずかしくなるだろう。

(国境なき欧州連帯[ESSF]のサイトより)

【スコットランド独立住民投票】イギリス左派の論評

無題「プロジェクト恐怖」がスコットランド独立を拒否

アラン・ソーネット

http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article3607

 独立スコットランドの提案は住民投票で拒否され、支配エリートたちは集団で大きな安堵の息をついた。それは「ダウニング街」(訳注:ロンドンの官庁街、日本で言う「霞ヶ関」)としめしあわせた「ノー」キャンペーンが組織した恐怖と怒りに基づく敗北である。「反対」票は五五・三%を獲得し、賛成票は四四・七%だった。

 「ウエストミンスター(英国議会)」体制の全体と三つの主要政党(保守党、労働党、自由民主党)は、「独立イエス」に反対して一線に並んだ。それに加えて、実質上メディア、銀行、スーパーマーケットのすべてとロンドン市を付け加えることができる。トライデントミサイル防衛をめぐって軍も討論に参入した。かれらは、この島国で見られたこれまでで最も注目すべき草の根キャンペーンに対して、恐怖、脅しを利用し、そして反動と保守主義に訴えてやっとのことで勝利した。かれらは国際的にも、バラク・オバマからEUの議長までを「反対」の陣営に取り込んだ。

 再登場したゴードン・ブラウン(前首相)に率いられた労働党の政治家たちは、有権者に対してこの脅しを加える点では保守党よりも強力な圧力をかけた。

 一週間ほど前、「独立賛成」キャンペーンへの支持が劇的に上昇し、無分別なパニックが始まった時、「ウエストミンスター」のエリートたちは楽勝を予測していた。かれらは不測の事態について悩むこともなかった。ハモンド(七月まで国防相、現外相)はトライデントの移転についてなぜ臨時出費を行わないのか、と問われて、「独立賛成が勝つ可能性は極めて低いからだ」と答えた。これはたんに「ウエストミンスター」とスコットランドの分岐のあらわれではなく、保守党指導部がこの分岐について侮蔑していたという声明である。



 独立賛成キャンペーンは、その結果に関わらず歓迎され、祝福されるべきである。このキャンペーンは、投票日が近づくにつれてかつてないほど高レベルに達する大規模な全国討論を巻き起こした。それは有権者登録が九七%、投票率が八四・六%という注目すべき数字に表現されている。真の変革が提示された時には人びとはそれに関与し、自分たちの運命をかたちづくる機会を握りしめるという明確なサインである。

 「独立賛成」キャンペーンは粗野な民族主義や反英(イングランド)感情に根ざしたものではなく、政治的民主主義と参加の新しいレベルを伴った「今までとは違ったスコットランド」という考えに根ざしていた。それはスコットランドに住む人がスコットランドを統治すべきであり、長期にわたるイングランドへの依存を終わらせるべきだ、という考えに根ざすものだった。それは、支持投票したわけではなく、実質的にスコットランドでは支持者のいない人びとが自分たちに押し付けた保守党政権を持つべきではないという考えに根ざすものだった。

 それは、学費、とりわけ患者や障がい者への福祉支出金の削減、寝室税、カネ持ちへの課税削減、スコットランドでは支持のない連中によってスコットランドの住民に押し付けられた対外戦争など、保守党の一連の政策に対するスコットランドでの怒りの反映だった。

 「独立賛成」キャンペーンの力は、一六歳、一七歳の若者たちが、住民投票で初めて投票に参加する権利を与えられ、運動や討論に参加した熱気にも示されている。それは、キャンペーンの最後の週で「賛成」陣営がつかみ取った注目すべきエネルギーに示されていた。



 投票結果が出た日の朝、労働党の政治家たちは保守党よりも、この投票で独立の問題がきわめて長期にわたる、あるいは永遠の課題として解決される問題になった、と強調して語った。しかし、独立を支持した批判的大衆はこの運動の中で劇的に増大し、その趨勢は変わりそうもない。スコットランドの人びとは、数カ月かけて独立という考え方を討論し、擁護し、以前よりもこの問題に強く関わるようになった。

 今朝(九月一九日)、とてもいらだち、激昂していたのが労働党の政治家だったのは驚きではない。労働党は、保守党との肩を組んだキャンペーンによって大きなダメージを受けた。独立賛成票が最も多かったのは、労働党の最強の核心的基盤である工業的(あるいは脱工業的)中心地のグラスゴー、ノース・ランカシャー、ウエスト・ダンバートン、ダンディーだった。

 スコットランド労働党は、深刻な分散化をこうむり、二〇一六年に行われる次のホーリールード選挙(訳注:スコットランド議会のこと。エジンバラのホーリールード王宮の名をとってそう名付けられている)で、トラブルになりそうである。この選挙でSNP(スコットランド民族党)は再び多数を取り、労働党に代わってスコットランドにおける主要な中道左派社会民主主義政党になろうとしている。独立に賛成投票した幾万人もの労働党支持者、そうすることで労働党から攻撃を受けた人びとは当然にもSNPにぴったりとついていく。とりわけこの選挙でSNPに多くの票が投じられることは、独立の課題に再点火する最善の道となるだろう。

 「ウエストミンスター(英国議会)」のエリートたちが、自分たちが独立するといういつわりの署名をつけた証書を出したという理由で、ホーリールード(スコットランド議会)に特別の圧力をかけると考えるべきでもない。これは、それに反対しようとしている保守党の一般議員、そしてそれを望まない連合政権の閣僚がすでに疑問を投げかけている問題である。

 キャメロンは、そうすることはウェールズの独立への呼びかけを強めることを知っている。「プライド・カムリ」(ウェールズ民族党)のリーダーであるレアンヌ・ウッド――彼女はスコットランドの独立賛成キャンペーン支援で良い役割りを果たした――は、スコットランドがより多くの権力について論議している時にウェールズが取り残されるようなことはしない、とすでに明らかにしている。

 これは欧州で最も集権化された国であるイギリス全体の、巨大な人口統計学的欠陥という課題をも提起する。それは、北部の都市と北部地域のウエストミンスターと南東部からの疎外という問題を提起するし、また選挙にあたってほとんどの投票が勘定に入らない小選挙区制度の問題をも提起する。

 スコットランドへの約束に関するキャメロンの最初の声明から、彼が肩越しに、英国民族主義であるUKIP(英国独立党)、そして右派の平党員を見とおしていることが明らかである。彼は、スコットランド選出国会議員が英国の問題で投票をしないことに、イングランドの新しい憲法上の合意よりもはるかに多くの関心を持っている。それはナイジェル・フラージュ(英国独立党のリーダーで欧州議会議員)の主張として知られている。

 これは労働党に一つの問題を提起する。それはスコットランドへの誓約が第一にキャメロンではなく、ゴードン・ブラウン(労働党リーダーで前首相)によってなされたことである。キャメロンの現在の主な目的は、この展開過程全体の時計の針を元に戻すことだが、それは簡単ではない。独立賛成キャンペーンは、政治討論で全体として勝利を収めた。独立を支持した一六〇万票の多くは、当然にも政治的関与を続け、「ウエストミンスター」による約束の後退や新しい攻撃に穏やかに対応しないだろう。

 独立賛成キャンペーンの急進化は、当然にもスコットランド政治の新しい急進化に転化する。またそれは、イギリス全体に影響を及ぼすだろう。いっそうの権限移譲、民主主義的改革の要求は不可避である。「ウエストミンスター」はスコットランドで代表を持つ以上に、イングランド北部の都市や北部地域で代表者を持っていない。

 敗北にもかかわらず、以前の状態に事態を戻すことはできない。「いつも通り」は選択に入らないのである。

(2014年9月19日)



▼アラン・ソーネットはイギリスの元自動車工場労働者で第四インターナショナル・ビューロー(書記局)メンバー。「ソーシャリスト・レジスタンス」(第四インターナショナル・イギリス支部)の長きにわたる指導部メンバーでもある。

(「インターナショナル・ビューポイント」二〇一四年九月号サイトより)

報告:7.10マノスさん(アンタルシャ=反資本主義左翼連合)との討論会

マノスさんとの討論会 7月10日、渋谷勤労福祉会館で「マノスさん(アンタルシャ=反資本主義左翼連合)との討論会」(主催:国際シンポジウム実行委員会)が行われた。以下は「質疑応答」部分の発言要旨である。


Q―レイバーネット日本は、毎年、映画祭と文化祭を行っている。インターネットテレビでは労働、人権などをテーマにして配信している。ギリシャでも同様なテレビ、労働者の文化活動はどのように取り組まれているか。

マノス―労働者は、いろんなメディアを活用して発信しようとしている。


ギリシャ共産党は、自分たちのテレビチャンネルを持っている。もっぱら自分たちの宣伝を行っている。結局、経済危機のなかで売られてしまった。ラジオ局は維持している。さらに左翼第一党のシリザ(ギリシャ急進左派連合)もラジオ局を持っている。2つの独立したラジオ局もある。

 

公共のテレビ局、ラジオ局は、経済危機の影響で政府は廃止しようとした。だが労働者は、自主管理してテレビ局の運営を開始した。最近、警察によって封鎖、占拠する事態が起きたが、労働者は再度、テレビ局、ラジオ局を取り戻した。放送は、労働者の闘い、要求などを取り上げている。

 

60年代、70年代、労働者は、映画を通した文化活動を取り組んできた。最近は、左翼系の文化人、映画人、俳優が存在していない。左翼グループは、フェスティバル、サマーキャンプを行って音楽・演劇活動などによって若者たちを引きつけている。反ファシスト運動も様々な文化活動を行っている。経済危機で封鎖された劇場を自主管理し、音楽学校、演劇学校を行いながら公演している。

 

経済危機の中で人々に音楽活動、エンターティメントの機会を安価で提供し、人々を引きつけていく活動は重要である。


Q―経済危機の中でEU離脱、債務帳消しの主張があった。EU離脱は、様々な困難が予想されるが、それらを引き受けて主張していたのか。


マノス―アンタルシアは、債務の全面的帳消しとEUとの決裂を主張した。なぜならEUは、絶対に債務帳消しを認めないからだ。これはナショナリズム的な観点からEU離脱を提起しているわけではない。

 


人々の意識は、錯綜している。緊縮政策(メモランダム)を押しつけたのはEUだという意識がある。世論調査によれば、60%がEUに対して否定的だ。

 


だが政府・マスメディアは、「EU離脱すると大変なことになる」「ギリシャは、第三世界になる」と人々に警告、恫喝をくり返し発している。だから人々は、「EU離脱は、大変なことになる」という意識も持っている。

 


アンタルシアは、EU離脱によってこれ以上の悲劇を突破し、出口を求めようといくつか提起してきた。経済危機下にあるスペイン、ポルトガル、トルコ、エジプトの民衆運動は多くの示唆に富んでおり、連帯運動が必要だ。EUの中での労働組合の共同ストライキを呼びかけてきた。

 


重要なイニシアチブとして3年前にフランスのNPAが呼びかけた地中海反資本主義左翼会議が行われたが、その後、残念ながら継続して取り組まれていない。国際的なつながりを作り出していくイニシアチブは重要である。


Q―アナーキストの政治傾向はどのような内容か。



マノス―多くのアナーキストグループが存在し、影響力がある。全国組織ではない。地域グループが中心だ。政治傾向を一言でくくることはできず、それぞれ違う。連邦主義、アナルコサンジカリスト、非合法・地下組織グループなどが存在している。ターゲットは、国家機構だ。アナーキストの大半は、労働組合活動に直接関わっていない。学生に影響力がある。

 


アンタルシアは、アナーキストと協力関係にある。街頭デモに対する警察の襲撃に連係して反撃している。2008年12月の暴動はも同様であり、正当な闘いだった。


Q―ファシストとの闘いでの自衛武装についてどのように論議してきたか。


マノス―自衛武装については、多くの論議を積み上げてきた。反ファシスト運動の自衛は、他の左翼よりも準備してきた。その一つが民兵組織を作ってきたことだ。

 

だけども我々は、武器で反撃していくことではなく、基本的には大衆運動、大衆の力によって反撃していくことだ。武装の問題と大衆運動は、両方考えていくことが重要だ。

 


ギリシャ国家は、武器の使用に対して寛容ではないし、絶対に認めない。ファシストが武装することも国家は認めない。アナーキストの武装も認めない。国家は、ギリシャ軍隊、警察以外の武装は認めないし、武装したら監獄にぶち込むのだ。

 

人々には、通常の手段で自衛しようと訴えている。我々に必要なのは、棍棒とヘルメットであって、カラシニコフではない。


AsPC2OuCQAES-g-e1379986943158 Q―「黄金の夜明け」について①メンバー人数、最大動員数②警察官のメンバー、影響力③軍事組織はあるのか。



マノス―「黄金の夜明け」は、そんなに大きな組織ではない。中心はオールド(500~1000人)、サポートを含めるとメンバーは3000人。最大動員数は、5000~10000人。

 

警察官の中にたくさんのメンバーが存在している。何人か不明。50%の警察官が「黄金の夜明け」に投票する。密接な関係にある。例えば、50人のファシストが10人の労働者を襲撃する時は抑えない。だが50人のファシストが1000人の労働者を襲撃する時は、ファシストを抑えるという対応だ。

 

最近、警察官の中から一部の「黄金の夜明け」メンバーが追放されたが、警察組織が「黄金の夜明け」を黙って見ていないというポーズでしかない。

 

ギリシャ軍は、「黄金の夜明け」が準軍事組織になることを認めない。しかし、軍が「黄金の夜明け」のメンバーの軍事訓練を行っていたことが発覚している。

 

「黄金の夜明け」の軍事組織は、銃で武装しているより、ナイフで武装し、攻撃訓練を行っている。攻撃対象は、移民、アナーキストの活動家だ。最近は、大衆的圧力によって表だった攻撃は慎重になりつつある。


Q―ギリシャ軍への徴兵制システムは、どうなっているのか。


マノス―30歳までの男性には、1年間の兵役義務がある。だからファシストだけが、武器の訓練を受けているわけではない。


Q―ギリシャのファシストのアイデンティティーは何なのか。

マノス―ヨーロッパ白人主義がある。ナショナリズムは、反トルコだ。今でもイスタンブールは、ギリシャのものだという感じだ。

 


ファシスト勢力は、1967年~74年まで軍事独裁政権にアイデンティティーを持っている。


Q―マノスさんの「独立した反資本主義左翼が必要だ」という提起の考え方を教えてほしい。



マノス―ギリシャは、決して第三世界とは違って資本主義国家であり、他のバルカン諸国に対する帝国主義的な意図を持った国家だ。経済危機の中で他国への侵略が抑えられているだけでしかない。アンタルシアは、このことを明確に主張している。

 


マオイストグループは、EU帝国主義の影響から自分たちを守るという立場だ。ギリシャ資本主義そのものが侵略的意図を持っていることを明確化させていない。シリザは、EUに親近感を持ったような態度だ。


Q―ギリシャの社会福祉、高齢者介護の実態は、どのような状態か。


マノス―ギリシャの国家予算で社会福祉は、大きな比重を持っていなかった。家族相互で支えるという発想だ。社会福祉という考え方は、低くい位置に押さえ込まれてきた。西ヨーロッパのような大規模な社会福祉予算、施設、労働者住宅は存在していない。

 

経済危機の中で家族で支えてきた構造そのものが崩壊してしまった。労働者住宅支援協会もなくなった。国家からの社会的給付は、300ユーロ(月40000円程度)でしかない。医療給付、高齢者給付は、さらに減額されている。高齢者を支える家族の状況は、非常に厳しい。だから遠い親戚も含めて援助を求めざるをえない状態に追い込まれている。


Q―ギリシャのグリーングループは、どういう状況か。



マノス―ギリシャの緑の党は、前回のヨーロッパ議会選挙で3%の票数を得て議員を送り込んだ。結局、分裂し、今回のヨーロッパ議会選挙では議席を取れなかった。移民防衛など積極的なスローガンを出している。しかし政策は、社会民主主義的であり、新自由主義的な立場もある。

 

緑の左派は、左翼社会民主主義の傾向があり、シリザに合流しようとしている。


Q―労働者の自治組織とは、どのようなイメージか。

マノス―イメージとしては労働者評議会運動だ。とりわけ地域的な自治組織は、すでにギリシャには地域的な組織基盤として存在していることが重要だ。この地域自治組織を通して、どのように活動を発展させ、同時に労働現場でも評議会を作っていこうというイメージだ。 

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報告:7.6国際シンポジウム―ギリシャの活動家を招いて/資本主義システムの世界的危機―いま問われる左翼の再生

ギリシャ・シンポ 7月6日、連合会館で「国際シンポジウム―ギリシャの活動家を招いて/資本主義システムの世界的危機―いま問われる左翼の再生」(主催:実行委員会)が行われ、100人が参加した。

 

資本主義のグローバルな危機の深まりと同時に労働者民衆に対する新自由主義的攻撃が吹き荒れている。安倍政権は、7月1日に「集団的自衛権」行使閣議決定を強行し、米国とともに戦争するためのグローバル派兵国家へと踏み出した。実行委は、新たな情勢下、日本における左翼の再生にむけて、緊迫した階級攻防を展開する国の一つであるギリシャからANTARSYA(アンタルシャ=反資本主義左翼連合)の活動家マノス・スコウフォグロウさんを招き論議を深めた。

 


マノスさん(31歳)は、1998年高校占拠運動を取り組み不当逮捕、その後、大学占拠闘争に参加し大学生のラディカル反資本主義政綱グループ(EAAK)に合流する。反グローバリゼーション運動、反軍兵士運動、反戦・反政府闘争を闘い、2009年4月、反資本主義戦線であるANTARSYA(反乱、あるいは体制打倒のための反資本主義左翼連合)創立大会(複数の左翼組織、アナーキスト、無所属の活動家など3000人)に参加し、中央調整委員会と全国調整機関のメンバーの任務につく。第四インターナショナル・ギリシャ支部OKDEスパルタコスの政治局員でもある。

 

集会は、ビデオ「映像で観るギリシャの闘い」の上映で始まった。映像は、2009年以降のギリシャの経済・債務危機に対してトロイカ(IMF、欧州銀行、資本)による緊縮政策の徹底、失業・貧困化の強要に抗する民衆反乱とデモ、消防士組合の闘いなどを次々と映し出していった。さらに反ファシストのヒップ・ホップ歌手であるパブロス・フィサス(キラーP)をファシスト「黄金の夜明け」が虐殺(13年9月)したのに抗議するデモ、ANTARSYA第1回全国大会、欧州議会選挙アピールが参加者を引きつけていった。

 



開会のあいさつを伊東誠さん(経済学者)から行われ、「資本主義の危機だが、左派も主体的危機にあり、グローバルなつながりが弱いところを検証し、克服していかなければならない。さらに国、大企業に依存しない協同組合運動を各国で実験しているが、ギリシャでも論議しているなら共有したい」と問題提起した。

 

マノスさんの講演は、①近年のギリシャ階級闘争②進行する深刻な危機③われわれは反資本主義戦線を必要としている④ANTARSYAはいかに形成されたか⑤ANTARSYAの性格と機能⑥脅威と弱点⑦なぜわれわれには独立した反資本主義左翼が必要なのか?―について提起した。

 

とりわけマノスさんは、参加者に対して「ギリシャには、独立した反資本主義左翼の必要性を際立たせる幾つかの特殊条件が存在する。しかし私は、この必要性がギリシャ特有の事情によるものだとは思わない。それは日本をふくむ多くの国にも関わりがある(そうだよね!)」とアプローチし、「危機の中では進歩的な福祉資本主義の余地などない。われわれが必要とするのは、前衛を組織し、具体的なオルタナティブの展望を提起する意識的主体なのだ。それは必要とされる綱領的な精密化、異なった革命的潮流と、労働運動の活動家の統一の結果である。

 

その活動家とは、ブルジョアの攻撃に反対し、労働者と抑圧された人びとの自立的行動の全般化のために闘い、すべての職場と居住地区での労働者の自治組織、集会、委員会建設について考えることを不可欠の課題と見なす人びとである。資本家とかれらの国家が生産を統制することに挑戦を突きつける潮流と活動家たちである」と結論づけた(報告別掲)。

 

「マノスさんの講演に答えて」をテーマに田淵太一さん(同志社大学)は、ギリシャを経済危機に追い込んだIMF、金融資本、各国政府の犯罪を批判したうえで「マノスさんの反資本主義左翼戦線の建設が必須であり、そのためには綱領プログラムの作成が必要であるという提起は同感だ」と述べた。さらにマノスさんに対してファシスト「黄金の夜明け」との闘いについて質問した。

 


マノスさんは、「昨年、『黄金の夜明け』に対して政治的反撃と草の根の反撃を取り組んだ。ファシストが登場してくる現象面だけではなく、その根拠を明らかにしていかなければならない。ナショナリズム、排外主義は、ファシストだけでではなく政権も含めて侵されている。だから敵は、移民労働者などではなく仕事を奪っている資本家だということを強く訴えた。移民労働者との共同の反撃を行うことが重要だ」と指摘した。

 


また、「街頭で闘うこと事態、非常な危険な状態だった。だが各地域で反ファシストイニシアチブを作り出し、各地のファシスト事務所に対する闘いを積み上げ、包囲していった。ファシストの暴力に対して具体的に反撃していくことも必要だ。ファシストを批判することも重要だが、人々はファシストが犯罪的だとよく知っている。問題なのは、具体的な行動だ。パブロス・フィサス虐殺抗議行動は、重要な取組みだった。『黄金の夜明け』は、事務所に閉じ籠もり、守っていたのが警察だった。ファシストによる人々への浸透があるが、暴力による直接登場を阻止し続けている」と報告した。

 

「発言 左翼の再生 私はこう考える」というテーマで土屋源太郎さん(伊達判決の会)は、7月1日の安倍政権による集団的自衛権行使容認閣議決定と沖縄辺野古新基地工事着工を糾弾し、反資本主義左翼の主体強化が求められていることを呼びかけた。

 

続いて原隆さん(NO―VOX JAPAN)が「持たざる者」の連帯の重要性について、大道寺毅さん(「かけはし」編集委員会)が「ストライキから自主管理をめざす労働運動の再生が問われている」と発言した。

 

シンポジウム終了後、マノスさん歓迎会に移り、さらに討論を深めていった。

 

(Y)


マノス・スコウフォグロウさんの報告

 

2014.7.6

A 近年のギリシャ階級闘争

危機が起きる数年前から、ギリシャにはきわめて重要な社会運動がいくつか存在していた。2006年夏には、新たな新自由主義的で権威主義的な大学改革を阻止しようとする闘いが、国内のほとんどすべての大学(400学部)の2カ月に及ぶ占拠運動として展開された。翌年の冬(2007年)には、私立大学を認める憲法改悪を阻止する3カ月間も続いた大衆的占拠運動の新しい波が起きた。

 

その中で2006年秋には小学校教員の2カ月にわたるストライキ闘争が起きた。

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【案内】7.6 国際シンポジウム―ギリシャの活動家を招いて

国際シンポジウム―ギリシャの活動家を招いて

よびかけ/資本主義システムの世界的危機―― いま問われる左翼の再生


■日時:7月6日(日)午後1時~5時


■会場:御茶ノ水連合会館2階大会議室
(交通 JR線御茶ノ水駅徒歩5分、地下鉄淡路町1分)
電話:03(3253)1771

 

■ビデオ:映像で観るギリシャの闘い

 

■講演:マノス・スコウフォグロウさん
(ギリシャ反資本主義左翼連合)
伊藤誠(経済学者・予定) 他

 

■主催:国際シンポジウム実行委員会

 

■連絡先:変革のアソシエ気付
〒164―0001 東京都中野区中野2―23―1ニューグリーンビル301号
電話:03(5342)1395 ファックス:03(6382)6538


antarsya-2whzb06qog7f9xpdh6k83u 2008年のリーマンショック以後、資本主義のグローバルな危機は一層深まり、労働者民衆に対して、失業・社会保障の切り捨て、民主主義的権利の剥奪などの新自由主義的攻撃が吹き荒れています。それに対し「アラブの春」や、欧州や米国の「広場占拠」運動に示される貧困や強権政治に対する民衆の抵抗運動は新しい形で、継続しています。


しかし、いま私たちが注意しなければならないのは、この危機の深さゆえに、他民族に対する憎悪をかきたてる極右勢力が登場して、全世界的に影響力を拡大し、それをも利用する形で国家間の対立が煽られ、平和への脅威が高まっていることです。シリア、ウクライナなどで起こっている事態は、バラバラに引き裂かれた世界の象徴と言えるでしょう。

 

日本の安倍政権も、福島原発事故の被災者を見捨て、広範な反原発の声を踏みにじりながら、憲法に体現された「戦後レジーム」そのものを否定し、集団的自衛権を行使する「戦争国家」体制づくりのコースを突き進んでいます。ここでもそのために中国や韓国への排外主義が意識的に煽られています。そしてそれは「世界で最も企業が活動しやすい国づくり」という文字通りの資本のための独裁国家づくりと表裏一体の関係にあります。

しかしこうした混乱と危機の中で、本来、この資本主義システムを変革して労働者・民衆による、平和・民主主義・人権・平等を貫いた新しい世界をめざす左翼もまた、その存在意義が根本から問われています。


私たちは、この歴史的に行き詰った資本主義システムを根本的に変革する課題に正面からチャレンジしようとする世界の左翼と連携して闘うことを訴えます。

 

安倍政権の下で繰り広げられている攻撃は、反資本主義の目標を鮮明に掲げた左翼の主体を立ち上げ、広範な労働者・市民の運動の中でその役割を発揮していく必要性を示しています。


私たちは、この7月、いま最も厳しい階級的対決の攻防戦が展開されている国の一つであるギリシャからANTARSYA(アンタルシャ=反資本主義左翼連合)の活動家を招いて、今、左翼の再生にとって何が問われているかを学び、討論する機会を持とうと思います。この企画をともに成功させることを皆さんに呼びかけます。


2014年5月吉日

よびかけ人(あいうえお順)
生田あい(「変革のアソシエ」事務局長)/伊藤誠(経済学者)/国富建治(新時代社)/塩川喜信(元大学教員)/田淵太一(同志社大学教授)/土屋源太郎(伊達判決を生かす会共同代表)/仲村実(コモンズ政策研究機構)/原隆(NO-VOX Japan)/淵上太郎(経産省前脱原発テントひろば)/星川洋史(関西新時代社)/柳充(連帯労組関西生コン支部副委員長)/湯川順夫(翻訳家、トロツキー研究所)ほか

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映画紹介『ワレサ 連帯の男』

映画紹介 監督:アンジェイ・ワイダ
「ワレサ 連帯の男」


1980年夏のポーランド・グダンスク・レーニン造船所労働者の闘いによって生まれた独立自治管理労働組合「連帯(ソルダルノスチ)」はまたたく間に、ポーランド全土に広がった。1981年12月、戒厳令がしかれる前まで、官僚的専制政府は連帯と交渉しなければ何も決められない「二重権力状態」になっていた。連帯労組の闘いは国際的にも多大な影響を与え、全世界に「連帯」労組がつくられたり、連帯を支援する組織がつくられた。日本でも「ポーランド月報」(ポーランド資料センター)の発行やポーランド連帯委員会がつくられた。連帯労組をひきいたレフ・ワレサ委員長が1981年に日本にやってきて、講演会を行った。それに参加して非常に感激したことを思い出す。アンジェイ・ワイダ監督が連帯労組・ワレサを主人公とした映画を制作し、上映されるということでぜひとも観なければならないと思った。


ワイダ監督は「大理石の男」「鉄の男」に引き続き、ポーランド労働者の闘いをワレサを通して映画化した。ワイダ監督は1980年のグダンスクの闘いでワレサと会い、それ以来、連帯と共にあり続けた。しかし、1990年ワレサが大統領選に立候補した時、ワレサに対抗して立候補したマゾヴィェツキを支援した。


連帯が分裂した。こうした政治路線の違いはあってもワイダにとって、連帯の闘い、そしてワレサの役割を記録にとどめておくべき重大なものであった。


映画はイタリアの著名な女性ジャーナリストによるワレサへのインタビューによって、1970年12月の食糧暴動事件から一1989年自由総選挙によって連帯が勝利するまでを描いている。ドキュメンタリー映画ではないのだが、当時の記録フィルムを交えながら映像が展開していくので、実にリアルで迫力のある映画に仕上がっていた。さらに、1980年代のロックミュージックがその効果を高めている。

 

ワレサは気高く、家族思いであるとともに、ユーモアがあり、弱くて傲慢でもある複雑な性格をもつ人物だ。そんなワレサを支えたのが妻のダヌクであり、ダヌクを通してワレサを描いている点が深みを与えている。


なぜ、労働者人民は自由を求め、官僚専制支配からの解放の闘いを行ったのか、その気持ちがよく分かる。1970年12月食糧暴動事件で、ワレサは逮捕された。子どもの出産があったので、スパイになるという誓約書にサインをして釈放される。これが後々まで尾を引く。1980年の闘いの時、当局は連帯のストをやめさせようとワレサにこの誓約書を持ち出してくる。当時の専制支配者たちの汚いやり方が浮き彫りにされる。

 

1981年戒厳令によっていったん連帯の闘いは押しとどめられるが、1983年、ワレサにノーベル平和賞が授与される。この時、ワレサは授賞式に出席するとポーランドに二度と帰れなくなると妻を代理出席させる。妻が帰国する時、税関で屈辱の全裸検査を強要される。ここにも官僚支配のいやらしさが象徴的に描かれている。

 

もうひとつ印象に残ったのはソ連の影である。ワレサが1981年戒厳令によって逮捕され、刑務所に移送される時、ソ連軍のヘリが上空を飛んでいた。ポーランドの公安局員がワレサに対して、「ソ連はワレサを消したいと思っている」と話す場面がある。そしてブレジネフの死によって、ワレサは釈放される。

 

1989年の自由選挙によって、連帯政権が成立し、1990年ワレサが大統領選に勝利した。しかし、この権力は「真の社会主義」をめざす労働者政権へと発展することはなかった。それはなぜか、ずっと問われてきた。1956年のハンガリー革命、1968年のプラハの春がソ連の軍事介入によって粉砕された歴史的重みの上にボーランド連帯の闘いはあった。ずっと、ソ連の介入を招かないように自制しながら闘いをつくりあげた。ゴルバショフの登場後、円卓会議を通じて官僚を追いつめ普通選挙を実現した。それは東欧・ソ連邦の崩壊を生み出す力となっていった。

 

1981年に掲げた「自主管理社会主義共和国」の夢はポーランド一国の労働者の闘いでは実現することはできなかった。西側の消費社会・自由が「真の社会主義」の実現よりも勝っていたということか。現在のポーランド連帯労組は六〇万人だという。なお、ポーランド連帯運動の軌跡をポーランド史のなかで位置づけた「ポーランド『連帯』消えた革命」(水谷驍著、柘植書房新社)の一読をぜひ薦めたい。東京・岩波ホールで5月30日まで上映中

 

(滝)

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ロシア:反戦デモに5万人



ロシア・プーチン政権のクリミア併合政策に反対するデモが、モスクワで行われました。注目を!

…………
ロシア:反戦デモに5万人

イリヤ・ブルドレツキス

2014年3月15日

 今日(3月15日)、モスクワの中心部で約5万人が「平和のための行進」に参加した。しばらくなかったほどの――少なくとも昨年はなかった――最大の結集だった。デモを組織したのはアレクセイ・ナバルニの進歩党など、リベラル野党勢力だ。多くの若者や中高年の参加者がウクライナとロシアの旗や平和を訴えるポスターを掲げ、モスクワの大通りを3時間にわたって行進した。


 集会の最後に、この行動のためにモスクワを訪れたウクライナ・マイダン(広場)運動の話し手が登場した。「子猫の反乱」のナディヤ・トロコニコバと、幾人かの著名なミュージシャンやジャーナリストたちである。


 この行動には、目につく形で最左翼も参加していた――ロシア社会主義運動、CWI(労働者インタナショナルのための委員会――イギリスに本拠を持つ左翼)グループ、アナーキスト、そしてLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の一団などだ。


 この反戦デモと同時に、「クリミアをロシアに」と訴える二つのデモが行われた。一部の極右勢力とロシア正教会原理主義派が組織したものだ。このデモの参加者は合計で約5000人だった。


 ペトログラード、エカテリノブルク、ニズニ・ノブゴロドなどでも反戦行動が行われ、エカテリノブルクではデモを支持する市長が参加して、発言した。


 これは、ロシア社会の政治的に活動的な層の中に、プーチンのウクライナ政策にはっきりと反対する人びとがいることを示している。

(「インターナショナル・ビューポイント」サイトより)

声明:ウクライナとの戦争に反対する! ロシア社会主義運動中央委員会

Russian_Socialist_Movement_logo ロシア社会主義運動は二〇一一年三月に二つの組織――社会主義運動フペリョード(前進)[第四インターナショナル・ロシア支部]と社会主義レジスタンス――によって結成された。ロシア社会主義運動は、二〇一一年と二〇一二年の不正選挙反対の抗議運動の中で作られた連合組織・「左翼戦線」の構成組織でもある。(「インターナショナルビューポイント」編集部)




声明:ウクライナとの戦争に反対する!


ロシア社会主義運動中央委員会

2014年3月1日


戦争が始まった。ロシアとヤヌコヴィッチ一派の支配領域における寡頭特権集団の資産を守り、増やすという目的で、ロシア指導部はウクライナへの侵略に乗り出した。この攻撃は、ウクライナとロシアの民衆、とりわけクリミア自治共和国とウクライナ南東部の工業地帯の住民に破局的結末をもたらす脅威である。

これはウクライナにとってはエスニック紛争のエスカレーションを、ロシアにとっては独裁権力の強化、弾圧、排外主義的錯乱の激化をも意味する。それによって支配的エリート集団は、深化する経済危機の情勢に対する大衆的怒りを抑えることが可能となる。われわれは、キエフの新政権の民族主義的傾向に対する、ウクライナ南東部住民の憂慮を共有する。

しかし、自由をもたらすのはプーチンの戦車ではなく、自主的組織化と自らの市民的・政治的・社会経済的諸権利のための民衆自身の闘いである、ということがわれわれの強固な確信である。

ウクライナ民衆が、自決権、完全な自治と独立の権利を持つことは言うまでもない。しかし現在われわれが見ているものは、大衆の民主主義的意思とは何の関係もない。それは、外国の領土を併合し、ウクライナをロシアの保護国に転換させることを狙ったロシア帝国主義の鉄面皮でシニカルな行為なのだ。

今や、ロシアの自由のための闘いとは、自らの目的のために機先を制して衝突を求める現政権の冒険主義的外交政策に反対して闘うことである。ロシア社会主義運動は、すべての誠実な左翼、民主主義組織に対して反戦の抵抗を組織するよう呼びかける。

われわれの要求は以下の通り、

●ロシア・ウクライナ戦争反対! ウクライナでの流血を挑発するな!

●ウクライナとロシアの民衆は相互の争いをやめよう。

●ロシアならびに他のいかなる国の軍隊も、クリミアの事態に介入するな!

●独裁的法令からの自由を、クリミア半島住民の平和的自決権を!

●寡頭支配と腐敗した当局に対するウクライナ労働者の闘い支持、エスニック紛争反対!



(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年三月号)

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ウクライナ 民主主義をめざす大衆的反乱――左翼反対派とのインタビュー

無題 以下に掲載するのは、ウクライナの政治グループ「左翼反対派」指導部の一員で経済学者であるザカール・ポポビッチとのインタビュー。聞き手はフランス反資本主義新党(NPA)の週刊機関紙「アンチカピタリスト」のマヌ・ビシンダリツ。



――この間の動きの根本にある情勢、とりわけここで政治勢力が果たしている役割について話してくれませんか。



特別治安警察「ベルクト」に対する最初の攻撃を組織したのは、主にネオナチ組織の「プラヴィ・セクトール」であり、彼らは極右のスヴォボダ運動よりもさらにラディカルな行動を取っていました。しかしそれから数日のうちに、多くの一般人、そして実にさまざまな人びとが闘争に入っていったことも事実です。何千人もの人びとが火を大きくするためにタイヤと石油を手にしていました。活動家の中で、その多くがロシア語を話すたくさんの人びと、キエフの郊外からやってきた多くの青年たちを見ました。それは、ほとんどがウクライナ語を話す、西ウクライナの村からやってきたマイダン広場に集まった人びととは非常に違っていました。

緊急事態法令が施行された後、ほとんどのキエフ市民はひどく怒っていました。活動家たちが殺されてからは、さらに怒りがつのりました。「いつも」の夕方には数百人の人びとが訪れるマイダン広場には、そこで一夜をすごす数千人の人びとが侵入することになりました。この大衆的動員は、警察が明らかに準備していた「クリーン作戦」からマイダン広場をおそらく救ったのです。

「ベルクト」が攻撃してくるだろうと誰もが確信していました。その日に採決された新法によれば、デモ参加者たちはすべてが犯罪者と見なされるのです。その中には極右集団もいましたが、一部には左翼ラディカル派グループもいたのです(おもにアナーキスト)。ほとんどのデモ参加者たちは野党や排外主義的極右に批判的でした。多くの石や火炎びんが警察に向かって投げられ、一部に負傷者が出ました。

不幸なことに多くの青年たちは、何人かが殺された後でも、それがゲームであるかのように振る舞いました。しかしそれにもかかわらず、この行動はウクライナ人の、そしてさまざまな民族とエスニック集団たちの、ウクライナにおける民主主義を求める大衆的反乱だったのです。極右がいたのは確かですが、それはよち広範な運動の中でのことでした。



――政府の対応はどうだったのでしょう。



政府はこうした感動的なまでの大衆動員に直面して、デモ参加者に実力行使しないことを決めました。広場から撤収させようとするあらゆる試みは、多くの負傷者、おそらくは死者さえ生みだすことになったでしょう。しかし新しい反民主主義的は緊急事態法の適用を阻止したこの大衆行動は、マイダン運動の最も反民主主義的要素に刺激を与えることにもなったのです。極右ネオナチグループは警察に対する最初の戦闘の後、自らの隊伍を強化し、自分たちが運動の指導者であると宣言するほど強いのだ、と感じるようになりました。

野党の指導者たちが宣言した休戦と、ヤツェニュク(最大野党「祖国」の幹部)を首相にするというヤヌコビッチ大統領の提案にもかかわらず、暴力は止まりませんでした。議会の多数党はヤヌコビッチ本人とともに時間稼ぎを試みるだけで、新しい選挙を組織したり、根本的な変革を導入したりする意思はありませんでした。しかし野党指導者は、ラディカルな行動の準備はなく、かれらがこれ以上何ができるかについては、何の考えもなかったのです。

マイダンに集まった人びとは、双方に対してますます怒りを募らせていました。不幸なことに最もありそうなシナリオは、右翼の権威主義的・民族主義的体制が打ち立てられることでした。スヴォボダ党が、最も民族主義的なグループをなだめ、あるいは粉砕することができたとしても、この党の入閣は進歩的でラディカルな左派の体系的抑圧をもたらすことになるでしょう。この間、左翼や進歩的勢力は強化されていますが、スヴォボダ党は依然としてマイダンにおいて最も組織され、強力な勢力です。

かれらは情勢を鎮静化するために政府との交渉を追求するでしょう。二月一六日の日曜日にキエフ市役所の占拠をやめましたが、数時間後この建物は数時間後、マイダンの「自衛勢力」――その多くが「プラヴィ・セクトル」のネオナチ活動家――によって再占拠されました。こうした極右グループは、かれらの指導者から公的には非難されていますが、寛容に扱われており、ますます暴力的になり、統制困難になっています。



――あなた方の組織である「左翼反対派」は、最近「マニフェスト(宣言)」を発表しました。この運動の中で、みなさんは自分たちの方針をどのように擁護しているのですか。



困難な情勢にもかかわらず、左翼はマイダンで以前よりもはるかに受け入れられるようになっており、おもに左翼と進歩的活動家が組織した学生センターである「ウクライナの家」で系統的な働きかけを行っています。私たちの一〇項目の「マニフェスト」の幾千部ものコピーを含む左翼の書籍やリーフレットがここで配布され、私たちは大衆的討論に参加しています。

労働者統制とすべてのカネ持ちの選挙権の剥奪をふくむ私たちの提案は、よい反応を得ています。不幸なことにそれは、多くの人びとが左翼組織に参加していることを意味するものではありません。左翼は、かなりの数の新メンバーを引き付けるのには依然として弱すぎるのです。

他方、左翼とアナーキストの統一をマイダンの「自主防衛隊」の中で組織しようとする試みは、極右グループの暴力的攻撃のために成功しませんでした。現在、左翼に対する暴力が再び拡大しており、ウクライナ自由労組連合の活動家たちが受けた攻撃を思い起こさせるものになっています。この攻撃は、スヴォボダのリーダーたちが示しあわせて、あるいは個人的にしかけてきたものでした。



――「左翼反対派」はロシアとEUの競合的な国際協定の問題について、どのように主張していますか。



ウクライナにとって二つの道は、両方ともによくないものです。主要な問題は、わが国内にあるのです。「新興財閥」による政治の掌握は、大企業への課税ゼロといった結果をもたらしました。労働者と小企業がすべての税金を支払っているのです。国内には十分な資源があるのに、このようにして国庫は空っぽになったのです。

あれこれのブロックへの統合という選択は、こうした問題を解決しません。



――あなたがたは、ロシアや欧州の反資本主義・国際主義的左翼とどのようなつながりを持っていますか。



欧州の左翼の報道機関は、ウクライナに資本を保有しているオフショア企業(課税逃れのため本社をタックスヘイブンに移している企業)への調査を行うことが可能だと主張して、自分たちの政府に圧力をかけることができるでしょうか。政府の代表に対してだけではなく、「新興財閥」に対しても制裁キャンペーンを行うことができるでしょうか。「振興財閥」がヨーロッパに持っている銀行口座の差し押さえを、ウクライナ人が求めていることを示すことができるのでしょうか。この税率ゼロや政治の完全な「新興財閥化」は、ヨーロッパでは受け入れられないことを示すことができるのでしょうか。

これらすべてが実行できたのであれば、すばらしかったことでしょう。最後に、ウクライナ反対派運動の中に存在し、実際のところネオナチである極右への不寛容を示すことがもちろん重要です。欧州の活動家やさまざまな個人が、こうした問題について話し合うためにキエフに来られることも歓迎します。いまなお比較的安全な条件の中で、ここで討論することは依然として可能です。

(「インターナショナルビューポント」二〇一四年二月号)

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【第四インター声明】欧州の労働者の未来はギリシャで決定される


▲Antarsyaの選挙宣伝用ビデオ

声明:欧州の労働者の未来はギリシャで決定される
 
第四インターナショナル執行ビューロー



 ギリシャ人民は二年間にわたりトロイカ(IMF、欧州委員会、欧州中央銀行)が押し付けた緊縮政策に反対して闘ってきた。七一日間のゼネスト、大規模なデモと「アガナクテスミニ」(怒れる者たち)の広場占拠、職場占拠の後に、五月六日に行われた選挙はギリシャに押し付けられた「メモランダ」(訳注:トロイカが旧制した「ショック療法」的新自由主義政策)を受け入れた政党を六〇%以上の票で拒絶し、PASOK(全ギリシャ社会主義運動)の反社会的な自由主義の左に位置する各政党に三七%の票を与えた。

 二年間にわたり、金融資本の過剰蓄積のはけ口として使われてきた公的債務によって押しつぶされてきたギリシャは、資本主義の危機のツケを民衆に支払わせるための政策的実験室になっていった。ギリシャに強制された救済プランは、たったひとつの目標しか持っていない。ギリシャ国家の銀行に対する債務の支払いを保障すること、銀行が作りだした金融バブルの投機的マネーを保存することである。こうしたプランに伴っている「メモランダ」は、労働者を貧困に追い詰めることで、かれらが生みだした富をどこまで独占できるかをギリシャの中で試すことを狙いとしている。

 この政策の影響とは、賃金と年金の残酷なまでの削減、労働法とさまざまな規制の解体、失業率の大幅な上昇(すでにそれはギリシャの労働力人口の二一・二%、女性の約三〇%、若者の五〇%に及んでいる)、一九二九~三〇年と同様の景気後退(二〇一一年にはGDPの六・九%低落、二〇一二年にはさらに五・三%低落の見込み、工業生産は二〇一一年三月に比べて二〇一二年三月には四・三%減少)、保健システムの破壊(一三七の病院が閉鎖、医療における雇用の五分の一が消失、一一億ユーロの不払い手形のため薬剤の不足)、住宅市場の解体(二〇万戸の住宅が売れず、その一方でホームレスの人びとの数が激増)、栄養失調……という形で及んでいる。

専横、秘密、恐怖を政府の真の統治様式とする、民衆に対するこうした残忍な支配の政策は、激情、苦悩、怒りを引き起こさずにはおかなかった。この怒りの一部は、邪悪なレイシスト、反ユダヤ主義、外国人嫌悪の勢力であるネオナチグループ「黄金の夜明け」への水路を開いた。「黄金の夜明け」は、デモ参加者を弾圧し、移民狩りを行う政府の政策の波に乗って、警察に浸透していった。われわれは、政府の弾圧政策とギリシャにおいて「トロイカ」が強制したレイシズムに警告を発し、非難しなければならない。

トロイカが押し付けた政策に対決したギリシャのラディカル左翼、とりわけ今やギリシャ政治情勢の中心的位置を占めているSyriza(急進左派連合)は、五点の緊急プランを打ち出した。

 1 国を破壊しているメモランダのあらゆる緊縮措置、労働法改悪の廃止。

 2 多額の政府資金を投入された銀行の国有化。

 3 債務の支払い停止と、不当な債務への非難と廃止を可能にする監査の実施。

 4 告訴された閣僚の不逮捕特権の廃止。

 5 ギリシャ住民を犠牲にし、国家を危機に投げ込みながら、PASOK(全ギリシャ社会主義運動)と新民主主義党(ND)に統治することを許容した選挙法の改正。



 第四インターナショナルは、すべての国際労働者運動、すべての「怒れる者たち」、左翼の理想を擁護するすべての人びとが、こうした緊急プログラムを支持するよう呼びかける。

 われわれは、ギリシャ人民がその投票と動員を通じて、緊縮政策を拒否するすべての社会的・政治的左翼による政府、債務帳消しを可能にする政府を打ち立てることに成功するのを望んでいる。われわれは、緊縮政策に反対するすべての勢力――Syriza(急進左派連合)、Antarsya(第四インター・ギリシャ支部と英SWP系組織の選挙連合)、KKE(ギリシャ共産党)、労働組合その他の社会的運動――が、緊急プランを軸に結集するよう呼びかける。

 危機はギリシャの危機ではない。資本の意思とそれに奉仕する諸政府に従属した欧州連合の危機である。それは全世界の資本主義的生産様式の危機である。この国の次の政策を決定するのはトロイカではなく、ギリシャ人民である。六月一七日の選挙の機会にユーロに関する国民投票をギリシャに強制しようというドイツ首相アンゲラ・メルケルの目論見――それはまさしく選挙による一揆的クーデターだ――は、拒否されなければならない。今や闘わなければならない対象はユーロではなく、トロイカの強制指示である。

 緊縮政策に反対する闘争は、欧州連合構築の基礎である政策や条約との決裂を、以前にも増して必要とする。緊縮政策との闘いは、民族主義への後退を意味するのではなく、主権的民主主義と、それぞれの民衆の社会的諸権利と、ヨーロッパ社会主義共和国の展望を、以前にも増して意味することになるのだ。



 ギリシャは欧州の実験室となった。かれらは、これらの措置を人間を「モルモット」としてテストしようとしており、次にはそれがポルトガル、スペイン、アイルランド、イタリアなどに適用されるだろう。ギリシャ人民は、こうした残虐な政策に反対して職場で、街頭で、そして投票箱を通じて反撃してきた。ギリシャの抵抗はわれわれの抵抗であり、かれらの闘いはわれわれの闘いだ。

民衆的諸階級の死活的利害の防衛は、国民的・欧州的レベルにおける支配階級との衝突を意味することを、この抵抗が示している。われわれは、ギリシャ人民の闘争とラディカル左翼の闘争を支持する統一的なイニシアティブを強めなければならない。しかしギリシャ人民と連帯する最善の形態は、非人間的な緊縮と破壊の政策に対する抵抗の発展と調整によって、すべての国でギリシャの模範にならうことである。危機と恐怖の責任を取らなければならないのは、まさしく資本なのだ。闘いの波及・伝染を!



二〇一二年五月二四日

【ロシア】拡大する反プーチン・デモ


▲12.24の反プーチン・デモは12万人を動員

ロシア
 
12月10日 ロシアの歴史における新たなページ
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article2408
 
イリヤ・ブドレイツキス

 
 12月10日の土曜日は、ロシア社会にとってまさしく歴史的な日だった。さまざまな評価によれば、モスクワで開かれた集会には五万人から八万人が結集した。それは1990年代初頭以来、最大の街頭行動だった。同日、数千人を集めた同様の行動がロシアのすべての大都市で行われた。この運動は西欧にまで到達し、各大使館の前では国を出た離散ロシア人たちがピケットを組織した。

 政権の側は、ほんの一週間前には自分たちが深刻な問題に直面することになろうとは想像することもできなかった。国家ドゥーマ(議会)の選挙キャンペーンは、今や誰もが知っていることだが、権威主義的政治モデルである「指導された民主主義」の規則にしたがって行われた。そのモデルは現憲法が採択された一九九三年に、当時のエリツィン大統領によってその基礎が据えられたものだった。

この10年間にウラジミール・プーチンと彼の見習い弟子は、住民のほとんどが完全によそよそしい違和感を抱くあきあきするような見世物へと政治を変えてしまうことに成功した。ほとんど承認されていない七つの政党が議席を得るために闘ったが、ケーキの一番大きい分け前は「統一ロシア」(プーチンの政党)になることはあらかじめの結論だった。この党は国家構造とロシアの資本主義大企業の双方への独占権を持っていた。その人気が急降下しているこの官僚的モンスターの勝利を保障するために幾十万人(実際には幾百万人!)もの公務員が動員された。投票操作、選挙委員会の活動のあらゆる可能なメカニズムに依拠してそれが行われた。

政権への不満の広がりが、「統一ロシア」に批判的立場を取ると見なされた政党への大量得票として表現された。幾百万人もの有権者が「統一ロシアでなければどの政党でもいい」という原則を適用した。こうしてかれらは共産党や中道左派の「公正ロシア」に投票したのである。12月5日の朝に投票結果が発表されると、国中に怒りが渦巻いた。「統一ロシア」は得票の50%を獲得したが、実際の人気は激しく落ち込み、住民の間ではこの党は「詐欺師と泥棒の党」として知られている。野党の観察者が刊行した報告は、四分の一近い投票用紙が、権力の座にある政党に有利に書き換えられたと暴露した!

ロシア人は、個人が侮辱され、愚弄されてきたという感情を持っており、それはますます明白になっている経済危機の結果の上に、まぎれもない貧困と社会セクターの民営化が積み重ねられたことによってもたらされている。
 
12月5日、民主化を呼びかける政治グループがモスクワで組織した集会に7000人以上が参加した。「公正な選挙を!」の要求は、ただちに「プーチンは退陣せよ」のスローガンに取って代わり、集会の終わりには警察と集会参加者の間で暴力的衝突が起こった。数日のうちに衝突が広がり、より強力になり、若者たちは社会的ネットワークを通じて市の中心で無認可の行動を行おうとした。かれらは警察によってぴったりとつきまとわれ、暴力的に解散させられた。
 
12月9日の金曜日にはモスクワとサンクト・ペテルスブルグでのこうした行動で1000人以上が逮捕された。そして12月10日の土曜日には、不満のレベルが頂点に達した。この日起きたことは、すでに現代ロシア史における亀裂のポイントとして見なすことができる。1990年代初頭以来初めて、100万人にのぼる人々が街頭で行われた生き生きとした政治行動に参加したのである。この政治的活動においてわれわれはすでに、思想の闘争と、三つの勢力――民主主義者、ラディカル左派活動家、民族主義者――間で演じられたオルタナティブの闘争を観察することができる。思想の闘争は、誰もが自ら課した任務、すなわちプーチン体制の打倒と初歩的な政治的な自由の再確立、を背景として持っている。

この新しく生まれた運動の展望は不確かなものである。しかし、いずれにせよ、すべては以前と同じではない。われわれは、以前と比べて反資本主義左翼が大きな役割を果たすであろう歴史の新しい時期に踏み入ったのだ。



▼イリヤ・ブドレイツキスは、ロシア社会主義運動の指導的メンバー。

(「インターナショナル・ビューポイント」2011年12月号)

【ロシア】不正選挙と登場した新しい闘争

【ロシア】

街頭に語らせよ
 
ロシア社会主義運動

 
 この声明は、12月4日に行われたロシア下院選挙後の情勢に関して12月6日に「ロシア社会主義運動」が発表したものである。



 この20年間で最もうんざりさせるような選挙運動は、体制側の壊滅的なモラル的敗北をもって終わった。「統一ロシア」(プーチン―メドベージェフの与党)がドゥーマ(国会)で圧倒的多数を獲得するのか、それともLDPR(ロシア自由民主党)や「公正ロシア」と政権を共有しなければならないかは、ほとんど問題ではない。問題となっているのは、安定性へのあらゆる祈りや、あらゆる巧妙なシナリオや不正投票にもかかわらず、ロシアの民衆が変革への権利を声高に宣言したということである。


▲12月10日、モスクワでソ連崩壊後最大となる10万人のデモ
 
今回の選挙は、「詐欺師と泥棒の一党」として体現された政治システム全体への不信任を力強く示すことになった。停滞と絶望という息が詰まるような雰囲気のただ中で、何かしら新しいものが空気の中に感じ取られた。それはあっという間に過ぎ去る雪解けなのか、それともアラブの春なのか、あるいは二月革命なのか。

今後われわれは、社会の活動的な部分から見て人気のない、正統性を欠いた旧体制に直面することになる。この体制は、ますます多くの問題を抱えるにもかかわらず、古いやり方での統治を企てることが避けがたいだろう。他方、われわれは詐欺師と泥棒の徒党を嫌悪する巨大な数の大衆を観ている。さらにこうした民衆は、12月4日に公然と政権に恥をかかせたのであるが、それは再びひどくだまされることになるだけなのだ。最後にわれわれは、完全にまがいもので無能力な「組織的」反対派、人々が「あいつら以外ならだれでも」という原則に従って投票した反対派、その選挙での成功がかれら自身にとっても「凶報」であるような反対派を持っている。

組織政党の一部は体制の一部分として「統一ロシア」とのブロックあるいは連合を形成しようとするのは疑いない。唯一の疑問は、かれらがその代価という問題を解決できるかどうか、ということである。「統一ロシア」の最高幹部会書記のセルゲイ・ネベロフはドミトリー・メドベージェフと声を合わせて、同党がロシア自由民主党や「公正ロシア」との戦略的連合を形成することを勘定に入れている、とすでに述べた。彼は「これで真に真剣な討論が行われる……議会になる」と語った。「野党は敵ではない。野党は代替的な意見、違った意見を持っている人々だ。そしてもしこの意見が一定の問題で(われわれと)一致したならば、大歓迎だ。われわれは協力する用意がある」と「統一ロシア」中央執行委員長アンドレイ・ボロビョフは述べた。彼は、警察がモスクワやペテルスブルグの街頭で不正選挙に抗議しているデモ参加者を殴りつけていたとしても、リベラルな腕を伸ばしているのだ。

「政治は妥協の技術であり、異なった政治グループ間の均衡を見出すことを可能にする技術である」と「公正ロシア」のニコライ・レビチェフ議長は投票の数時間後に外交的宣言を行った。「ウラジミール・プーチンは社会的不公正の克服の必要性について語った。われわれもこの言葉に同意するが、すべてはどういう方法が提案されるかにかかっている。もしその方法がわれわれにそぐわないものだとすれば、連合することはない」。したがって、「詐欺師と泥棒の一党」は公正ロシアと同じ目標を追求しているのであり、その方法にいささかの違いがあるだけだということになる。おおいに結構。われわれは次に何が起きるかを見ることにしよう。

国会の自由民主党会派のリーダーであるイゴール・レベデフは、もっと正直であり、どのようなイデオロギー的脚色もぬきにして率直な取引にたずさわっている。「われわれは会話と合理的対話の用意があるが、それは引き立て役としてではなく対等なパートナーとしてである」。

このような「野党」がいるなかで、勤労民衆は自らの生活におけるいかなる進歩的変化も期待すべきではないことは明らかである。ロシア連邦共産党をふくめてこうした政党の歴史には背信以外のなにものもなかった。国会や地方議会に進出した共産党や「公正ロシア」リストに属する一握りの労組活動家や社会運動活動家は、かれらが属する政党の政策の本質的要素に影響を与えることはできないだろう。かれらができる最大のことは、オレグ・シェイン、オレグ・スモーリンなどの人々が以前の国会で行ったように、議会外での運動に支援を与えることである。真の労働組合や市民運動が弱体であり、抑圧的治安勢力が拡大している時に、こうした活動は副次的だとはいえ重要である。

いまや街頭が政治闘争の舞台にならなければならない。ロシアがグローバルな反資本主義運動の場となるのか、それとも再び無関心と停滞に沈み込むのか。「奴ら以外の誰でも」への投票は、社会的利害をはっきりと認識した闘争に置き換えられるべきだ。新しい、独立した政治勢力が古い、腐敗した政党に置き換えられなければならない。左翼がそうした勢力になることを望むのならが、行動する党にならなければならない。われわれは、ブルョアジー、それと分離することのできない寄生的官僚との簡潔・明瞭な闘いを行い、「ロシア型政治」として知られる醜悪な茶番劇に権限を委託してきたカネ持ち連中に反対し、移民排斥のレトリックから政治的資本を引き出した民族主義的ポピュリズムと対決しなければならない!

「ロシア社会主義運動」は訴える。「みんな街頭へ出よう! 勤労民衆のロシアを!」


諸君の要求は次のようなものであるべきだ。



不正選挙の結果を取り消しにしろ!

弾圧を止めさせよう。警察と軍隊は民衆の側に立て!

大統領、政府は退陣せよ!

連合政権反対、野党と「統一ロシア」の協定反対!

すべての政党と社会運動が参加する自由選挙を!

集会・デモ行進・ストライキの自由を!

無料の教育と医療を、連邦法八三条などの反社会的法律の執行を停止せよ!

銀行、石油・ガス資源の国有化を!

進歩的税制を、カネ持ちに危機のツケを支払わせろ!

消費物資の価格統制を!

職場の労働者管理を、経営と利益配分に労働者を参加させろ!

革命―民主主義―社会主義!



▼ロシア社会主義運動は、第四インターナショナル・ロシア支部の「社会主義運動フペリョード(前進)」とCWI(労働者インターナショナルのための委員会、英ミリタント派系の国際組織)ロシア支部だった「社会主義レジスタンス」が二〇一一年に合同して結成された組織。

(「インターナショナルビューポイント」11年12月号)

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