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【香港】3月の行政長官選挙にラディカル左派が参戦

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 左上から時計回りで葉劉淑儀、曽俊華、林鄭月娥、胡国興

 
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 行政長官選挙への参戦を表明した社民連の梁国雄・立法議員。
 「市民推薦で立候補できる普通選挙を実現しよう」(2月8日)



【解説】

昨年末、梁振英・香港行政長官は326日に行われる行政長官選抜選挙に立候補しないことを表明し、親中派のなかで後継者争いが加速している。現在、行政長官選挙への立候補を表明しているのは林鄭月娥(キャリー・ラム、前政務官で雨傘運動と前面で対立)、曽俊華(ジョン・ツァン、前財政官、親自由主義経済の信奉者)、葉劉淑儀(レジーナ・イップ、元保安局長、現立法議員で治安立法を狙う)、胡国興(元高等裁判所判事)、そしてラディカル左派の社会民主連線の梁国雄などである。

 

香港の行政長官選挙は職能別に選出された1200人の選挙委員による間接選挙。その間接選挙に立候補する候補者資格を取得するには、214日から31日までの期間に150名以上の選挙委員の推薦を受ける必要がある。昨年末に行われた選挙委員を選ぶ選挙で民主派の議席は、前回(2011年)の200余りから今回327議席に拡大した。本番の行政長官選挙では過半数(600票)の支持が必要となるので、民主派が当選する可能性はない。

 

社民連の梁国雄は、28日に民主自決派の議員らとともにマニフェストを発表し、有権者1%の推薦で立候補できるとする国際標準の要求を掲げる民主派運動組織のプロジェクトにコミットしている。このプロジェクトは正式な選挙制度の枠外であり、かりに有権者1%の支持を得たからといって、正式な候補者資格を得られるわけではないが、9割以上もの有権者が行政長官選挙では選挙権がない現行制度の欺瞞を暴露することは可能である。

以下は香港の民主自決派を支援する區龍宇による論考である。職能別で選ばれた委員らによる間接選挙は実際には中国政府による選抜選挙でしかないが、目標を明確にしたうえで選抜選挙にかかわることは全く無意味ではないと主張している。原文はこちら(早野)

 

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皇帝[中国政府]の欽定で指名される黄大仙[行政長官]

行政長官の選抜選挙 その1


區龍宇
 


結局のところ誰が中央で誰が黄大仙人なのか? 聖旨が誤って伝えられているのか、それとも皇帝の真の詔なのか? 媚びて寵愛を争い、権謀術数的取引に事欠かないリアルなドラマは、この二〇年間テレビを席巻してきたフィクションの宮廷ドラマよりも面白い。

 


「腐敗官僚には反対するが、皇帝には反対しない」?

 

私はゴーゴリの『検察官』を思い出さずにはいられない。ストーリは、検察官が視察に派遣されてくると聞いた市長は[かねてよりの腐敗した市政のせいで]大いに慌て、たまたまその町に滞在していた博徒をその検察官だと勘違い、盛大な接待や付け届けを行い、あげくのはてには自分の娘も検察官に差し出してしまい、これで出世間違いなし、という淡いロシアンドリームを抱くのだが、そこに本物の検察官がやってきて、市長はじめ町のお偉いさん方一同ぽかんとするほかなかった、という内容だ。作者は、専制主義における人間の恥ずべき醜さを余すことなく風刺している。

 

あるいは、何人かの古くからの汎民主派(既成の民主派)はこの喜劇をご存知ないからか、同じように腐臭のする出し物を目の当たりにしているが、そのペテン性を暴露するどころか、逆にそのペテン劇に加担して、より少ない悪を支持するべきだと主張し、林鄭月娥(キャリー・ラム)ではなく、曽俊華(ジョン・ツァン)を支持せよという。しかしいわゆる「抗西環論」(西環は中国政府の香港出先機関である中央政府駐香港特区連絡弁公室がある場所)は、せいぜいのところ「腐敗官僚には反対するが、皇帝には反対しない」といった封建的忠臣ドラマの再演にすぎない。曽俊華が西環に反対するというのも、皇帝に忠誠心を示すためであり、治安維持条項の基本法二三条の立法化を進めるという点では、林鄭以上に中国政府に忠誠を誓っている。それに対して民主党の主席は批判するどころか、逆に擁護する始末だ。いったいこの党は民主派なのか、それとも「腐敗官僚には反対するが、皇帝には反対しない」派なのか、はっきりしているのではないか。

 

選挙ではなく選抜

 

初心を忘れるべからず。行政長官と議会の普通選挙の実現は、最低限の民主的要求である。世界では二〇世紀初頭に民主化運動の圧力によって各地で実現されていった。香港に目をやれば、二一世紀だというのに普通選挙は永遠に延期されているのだ! 職能別選挙制度が普通選挙の代りだという主張は、まったくの「魚目混珠」(魚の目玉を真珠に混ぜる=ニセモノ)にすぎない! 三〇年前には査良鏞が職能別選挙制度を次のように擁護していた。「政治的権利は社会的貢献に応じて分配すべきであり、大企業のトップはもっとも貢献していることから多くの権利を享受できる。一般市民の貢献は少ないので、権利も少ない」(大意)。彼らは次のことを忘れている。建設労働者がおらず、清掃労働者がいなければ、どれだけカネがあっても家も建たず、ゴミの処理にも困るだろう。勤労者に対するこのようなあからさまな差別的選抜制度は、真の民主派であれば、本来は受容も参加もしてはならない。受容し参加することは、民主主義を裏切り、支配者の酒池肉林の宴に加わるということである。

 

汎民主派の若手論客の區諾軒がウェブメディア『端』に書いた文章で曽俊華を擁護していないことは良いことである。だが「よりまし論」が間違いではないこと、そしてその論拠としてアメリカ左翼の中心的論客であるノーム・チョムスキーを引き合いに出し、彼もアメリカ大統領選挙では「よりまし論」としてトランプではなくヒラリーを支持したではないか、と主張する。しかしそれは間違いだ。アメリカ大統領選挙は普通選挙だからだ。良いも悪いも人民が権限を付与したものである。だが香港の行政長官「選挙」は、九割以上の有権者を排除するという前提で行われるものであり、専制政治のオブラートにすぎないのだ。

 

民主党はあるいはこう反論するかもしれない。ああ、道徳的高みに立った実効性のない主張になんの意味があるのか、と。その主張の前半部は正しいが、結論は正しくない。正しくは、民主政治においては道徳[正論]を説く必要があるが、道徳を説くにしても実効性がなければならない、である。世間の圧倒的大部分の政治は権謀術数と陰謀であり、民主派が道徳を説くことによってのみ、政治に対する人々の信頼を回復することができるのであり、そうしてこそ民主化運動に闘争的精神を注入することができるのだ。これが最大の実効性である。

 

行政長官制度廃止のための行政長官選挙を

 

二〇一一年に行政長官選挙に参戦した民主党の何俊仁を、社民連がこっぴどく批判したという古い対立を持ち出して、今回社民連の梁国雄が行政長官選挙に参戦するとは道徳もクソもあったものではないと批判するむきもある。確かに当時の社民連の声明の内容は水準の低いもので、道理を説かずに批判に終始していた。職能別選挙の本質はファシズムであり、原則的には参戦すべきではない。ただそれが抗議と真の民主主義のカンパニアであることを明確にした場合を除くという条件付きで。私は昨年末の「鶏毛有用、却非令箭」(一票の価値は伝家の宝刀ではないが紙クズというわけでもない)という文章のなかで、もし抗議の意味を込めて、そして「行政主導の廃止、立法主導と普通選挙による全権の議会の実現」というマニフェストの宣伝のためのみ限定して行政長官選挙[の候補者に選ばれる予備選挙]に参戦することは可能だと表明している。今日の民主化運動の最大の弱点は、目標が何なのかさえはっきりとしていないことである。もし何俊仁が二〇一一年にこのような立場で行政長官選挙に参戦したのであれば、それは必ずしも間違いだとは言えない。

 

もう一つ特別な状況として、かつて支配者が、職能別選挙は一時的なものであり、すぐに普通選挙に転換することを約束したということがある。そのような約束のもとで汎民主派が一時的に[選抜選挙という]状況を受容したことは、情状酌量の余地がないでもない。しかし約束はとっくに「鏡花水月」(絵に描いた餅)となってしまっており、汎民主派の漸進戦術は、三十年たってもなにも実現されていない!民主派はもっと早く「ちゃぶ台返し」をしていてもよかったのである。行政長官「選挙」は、無頼政権が香港における総監督官を「選抜」するために精密に設計された制度である。古くからの汎民主派は「選抜」を「選挙」だとみなしているが、何と愚かなことだろうか。

 

梁国雄の欠点や誤りを指摘する意見もある。だが民主派諸氏には、腐ったリンゴのなかからよりましなものを選ぶのではなく、どうか歴史の正しい側に立つよう、勤労市民の権利の側に立つように要請する。梁国雄のマニフェストの欠点という主張については、別な論考で考えを述べるつもりである。

 

區諾軒の文章の良いところは、今日の古くからの汎民主派がどれだけ徹底的に専制体制に取り込まれているかを明らかにした点である。彼曰く「市民が候補者を推薦することに対する嫌悪、社会運動活動家による曽俊華への反対に対する反感は、すでに私の許容範囲を超えたものになっている」。かわいそうな區諾軒よ、いっそのこと「棄暗投明」(反動勢力と手を切って正しい側に移行)してはどうだろうか? 何故にそのような投降派の隊列で苦悶するのだ。「要留清白在人間」(困難を恐れることなく、清く正しい姿でこの世にいつづけよう)ではないか(訳注)。


二〇一七年二月八日


 

(訳注)

于謙(明の政治家、1398―1457)が12歳の時に詠んだの詩「詠石灰」の最後の句。

 

・詠石灰

 千鎚万鑿出深山

 烈火焚焼若等閑

 粉骨砕身渾不怕

 要留清白在人間

 

・石灰を詠ず

 千鎚万鑿(せんついばんさく)  深山(しんざん)より出()

 烈火の焚焼(ふんしょう)    等閑(とうかん)の若(ごと)

 粉骨砕身(ふんこつさいしん)  渾(すべ)て怕(おそ)れず

 要(かなら)ず清白(せいはく)を留めて 人間(じんかん)に在()らしめん

 

(現代語訳)

・石灰を詠む

 叩かれ穿たれて 山の奥から掘りだされる

 炎に焼かれるが 気にしない

 粉骨砕身も   恐れることなく

 清く正しい姿で この世にいつづけようではないか

 

こちらのサイトを参照しました

【中国】三つの壁に直面する中国共産党政権~中国官僚資本主義の盛衰を論じる

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三つの壁に直面する中国共産党政権
中国官僚資本主義の盛衰を論じる


區龍宇

筆者は香港を拠点に活動する反資本主義左翼/トロツキスト組織「先駆社」のメンバー。邦訳に『香港雨傘運動』『台頭する中国 その強靭性と脆弱性』(いずれも柘植書房新社)などがある。


原文

習近平政権[2012年末]の発足後、経済の不安定化はさらに深刻さを増している。中国官僚資本主義の特徴は、社会的蓄積を強力に略奪して投資に回すことで急激な経済成長を素早く実現することにある。しかしこの種の資本主義は、高度の独占とウルトラ級の搾取によって、とてつもない貧富の格差をつくりだす。その結果として有効需要に事欠き、過度な蓄積と過度な生産がますます深刻化することになる。巨大なバブルが株式市場と不動産市場を覆っている。官僚資本主義の二度目の決算の期日は迫りつつある。

官僚資本主義の最初の危機は1990年代末から2000年にかけてのあいだに爆発した。当時の経済不安定も深刻であった。中国共産党の対策は、破綻に瀕する銀行を救済する一方、大量に外資を導入して、中国を主要な商品輸出国に転換し、中国が世界の搾取工場となる礎を築いた。中国共産党は転換に成功し、危機を克服し、しかも中国を主要な資本輸出国の一つに転換させたのである。これ以降、中国は完全にグローバル経済に融合した。ゆえに中国は輸入大国にもなった。とりわけ石油と鉱物資源についてはそうである。世界に対する中国の影響力はますます大きくなっているが、逆に世界への依存もまたますます大きくなっている。


◆中国の拡張法則

今日の中国は、
・世界第二の経済体
・世界最大の商品貿易国
・世界最大の製造業国家
・世界第二位の外国直接投資の輸入国
・世界第五位の外国直接投資の輸出国
・世界最大の外貨準備保有国
・世界最大のアメリカ公債の海外保有者
・世界最大のエネルギー総消費国(国内石油消費の過半数を輸入に依存)
・世界最大の富裕層の居住国

中国官僚資本主義の台頭は、必然的にグローバルな拡張の内在的法則を有しており、この法則は経済面だけでなく、政治と軍事面においても以前にも増して貫徹されている。これをもって中国は帝国主義国家になった、一般的な資本主義大国ではなくなったという主張もある。さらには、中国は以前から発展途上国や第三世界と自称してきたが、かなり前からそうではなくなっていたという主張もある。

もっとも粗雑な認識に基づき、つまり覇権的特徴を有するすべての国家や、小国を搾取することのできるすべての国家が帝国主義であると考えるのであれば、中国は疑いもなくそのような国家になりはじめていると言えるだろう。しかしより厳密な西側マルクス主義に基づけば、現在の中国を帝国主義と名付けることは、従来からの多くの帝国主義諸国との区別があいまいになってしまい、現在の中国の矛盾の性質を誤って判断することになり、我々がその弱点をはっきりと認識することの障害になる。我々が判断を誤らないためにも、中国の拡張法則と現在の実際の到達段階をしっかりと識別する必要がある。


◆グローバル・バリュー・チェーンにおける苦しい立場

まず軍事面からみてみよう。中国の軍事力はいぜんとして限定的である。世界第二の国防費大国であるが、海軍と空軍はまだ発展途上であり、グローバルな展開には至っていない。実際に、台湾を武力で統一するだけの力はないというのが現状である。というのも海峡を越えて大軍を輸送する能力がないからである。中国の領土以外にも軍事基地はなく[2016年からはジブチに自衛隊や米軍と同じく拠点基地を設置している]、何らかの軍事同盟にも参加していない。つまり、かりに海軍と空軍の近代化が今後も進んだとしても、外国でその軍隊が陸上および港湾において支援を受けることはできないのである。中国が軍事上、グローバルに展開できるのは弾道ミサイル、宇宙衛星、そしてインターネットによる攻撃のみである。これでは中国がグローバルな覇権を実現することはもちろん、アジアにおける覇権でさえも不可能だろう。中国の軍事力は比較的弱小な国家に脅威を与えるには十分であるが、それは主要な帝国主義の実力には程遠く、アメリカとは比べるすべもない。

もちろん、戦後の帝国主義は必ずしも政治および軍事による直接統治に依拠する必要はなくなった。それは軍事力を背景としてはいるが、それ以上に経済力に依拠し、後進国を搾取してきた。かれらはハイテクノロジーに依拠し、後進国から超過利潤を搾取する(いわゆるテクノロジカル・レント[先進技術の独占による超過利潤])。それはまたグローバルな金融独占に依拠して不均等交換を後進国に強制する。だがグローバル経済における中国の支配力は、やはり限定的である。我々は次のことを忘れてはならない。中国は後発国(late comer)であり、先進国を追い越そうとする際には、やはり多くの障害に直面するのである。技術の面では中国は急速に追いついたが、しかし依然として先進技術の面では不十分であり、多くの超過利潤を獲得することは難しい。中国で最高レベルのICチップメーカーでさえ先進国の二、三代前のモデルにとどまっており、大部分のICチップは輸入に頼らざるを得ない。バリュー・チェーンの面では、中国のグローバル・ブランドは極めて少ない。これは中国の多国籍企業がグローバル・バリュー・チェーンにおいてステップアップすることの困
難を意味している。

官僚の排外文化は中国の多国籍企業における外国人上級管理者の受け入れを困難にしており、多国籍企業が特に必要としている人的資源を自らはく奪している。そして人的資源の欠如は、中国の多国籍企業が世界市場で長期的に競争することを困難にしている。中国はすでに世界資源の重要なバイヤーになっているが、後発の競争者であることから、中国企業が先発帝国主義の多国籍企業との競争において、往々にして極めて高額の代金を支払わされている(例えば。ハイ・プレミアムで外国の石油を買いあさる)。先進国向けの投資では、往々にして斜陽産業あるいは倒産に瀕した企業が対象になっている。これらをまとめると、中国の対外投資の多くは薄利であり、損失を被っているケースも少なくない。

まとめると、中国の対外投資総額と貿易量の規模は巨大であるが、中国はいまだ世界市場で安定した基盤を持って充分な剰余価値を搾取できているわけではない。それゆえ帝国主義と称することは難しいのである。実際、中国は依然として世界の搾取工場であり、それは依存性の蓄積(つまり先進国の技術と市場に依存した資本蓄積モデル)が、依然として中国資本主義の重要な特徴であることを物語っている。それはまた中国共産党が依然として、主に途上国からの搾取ではなく、自国の労働者農民と自然資源からの搾取に依存していることを明らかにしている。これらすべての証拠が、中国が既に帝国主義国家になったという論断を否定しているのである。


◆半植民地の歴史的負債

われわれはまた、中国とその他の旧来からの帝国主義との重要な区別に注意すべきである。つまり半植民地の歴史的遺産が、いまだ中国の上の重く覆いかぶさっているということである。中国共産党にとって、国家統一の任務はいぜんとして完成しておらず、台湾はいまだにアメリカの保護下に置かれている。このいわゆる「不沈空母」[台湾]は、中国の覇権にとって終始ひとつの脅威となっており、取り除かずにはおられないが、しかし当面はそれを取り除く力がない。香港にいたっては、すでに中国に回帰したが、人心は回帰しておらず、逆にますます乖離の遠心力が増大している。香港は極めて小さいが、その西欧化された中産階級の上層部分は米英の支配階級とさまざまに直接あるいは間接的、文化的なつながりを持っている。中国全土に対する香港の経済的重要性はすでに以前ほどではないが、香港は中国資本が国境を越えて移動する橋梁であり、香港国際資本の守旧勢力も、中国共産党にとっては脅威ともいえるのである。

およそすべての以前からの帝国主義国家は、植民地経営の歴史があり、文化的にも影響を及ぼしつづけている。これらの旧植民地の知識階層と中層・上層階級は、旧宗主国の言語を理解する者も少なくなく、それは政治や経済的つながりの強化にとって大きな助力にもなっている。だが中国はそうではない。植民地経営の歴史を持たない後発の競争者として、中国は文化的にも後塵を拝している。各国で中国語ブームが起きてはいるが、それは商業利益がモチベーションになっているもので、一部の専門業種の人々に限られており、必ずしも中国文化に対する敬慕からのものとは言えない。このことは中国共産党が海外で宣伝を行う際の障害になっている。孔子学院[中国政府が海外の教育機関と連携して世界各地に設置している中国言語・文化の宣伝機関]の世界各地での悪評も、中国の文化的実力が欠如していることのひとつの反映である。


◆南シナ海での衝突の意味

総じてこれら半植民地の歴史的遺産は、依然として中国共産党支配階級の覇権的野心への制約となっている。それゆえ1999年にアメリカが中国の駐ユーゴスラビア大使館を爆撃し、2001年にアメリカの軍事偵察機と中国の戦闘機が南シナ海で衝突したこと等などは、アメリカが中国をけん制し続けていることを明らかにしたが、当時の中国政府は「韜光養晦」政策[才能を隠して、内に力を蓄えるという天安門事件以降に?小平が掲げた中国の外交・安保の方針]を維持し、基本的に忍耐の姿勢を貫き、徐々に足場をかためる長期展望にとどまり、直接的な対抗措置を取ることはできなかった。対外政策においても戦略的には防衛的なものが主であった。習近平の登場後、南シナ海と釣魚台(尖閣)で紛争が持ち上がり、戦術的には攻勢的な政策をとったが、防衛的な戦略姿勢を変更するまでには至っていない。習近平は南シナ海紛争において攻勢に移りつつあるが、その最も直接的な要因は防衛的なものであり、アメリカの軍事偵察を南シナ海という正面玄関から追い出して、中国沿海に接近させないことにある。

つぎに、中国の外国貿易への依存度が高まるにつれ、中国共産党の安全保障に対する危機感は深まり、南シナ海の軍事拠点をテコにして東南アジアとの航海路線を防衛する必要が高まったことが挙げられる。中国は対外貿易の90%と石油輸入の77%をマラッカ海峡と南シナ海を通過する航路に依存している。中国は、アメリカとの関係が悪化し、海上における生命線を断ち切られることを確実に恐れている。それゆえ、近年における中国の挑発行動も、やはり大戦略の変更ではなく、防衛的必要性の戦術的な調整から出発したものである。

中国共産党は国家統一の任務を完成するまでに戦略的防衛から攻勢に転換し、アジア全域でアメリカ勢力に積極的に挑戦することを追求するかどうかは疑わしいし、アメリカと世界的覇権を奪い合うことを画策しているかどうかは言うに及ばずである。「台湾回収」がいまだならず、半植民地の歴史遺産を完全に払しょくすることができないなかで、アメリカおよびそのアジアの盟友である日本に対して直接的な軍事的対抗措置をとることはできないだろう。実際、中国がその周辺地域においてより強硬な立場を採用している目的は、ほかでもなく将来における「台湾回収」のための準備なのである。同時に、香港に対しては政治的コントロールをより安定したものにしようとしている。だが中国共産党による台湾と香港に対する攻勢も、一歩進んでは砦を築き次へ進むという歩みにとどまっている。

我々は、米中関係の別の側面にも注意すべきである。それは両大国が貿易、投資、債務において高度に相互依存しているということである。それゆえ「Chinmerica」という呼称を発明し、双方の経済的に緊密な協力関係を描写する識者もいるほどだ。このような状況からも、中国共産党が米中対戦において切ることのできるカードは多くない。

もちろん、中国はグローバル経済のなかで拡張し続けており、グローバル・バリュー・チェーンにおける低位に甘んじることは望んでおらず、早晩アメリカとさらに大きな衝突が発生するだろう。中国がいまだ帝国主義ではないということは、それがアジアにおいても覇権大国のひとつではないということを意味するものではないし、弱小国を抑圧しないということを意味するものでもない。実際にそれらの事態は発生しつつある。我々は、中国共産党による広大な南シナ海の領有権主張を絶対に支持しない。現在の中国が強大になればなるほど、それを盾にして弱者を蹂躙することは許されない。一方的な軍事行動ではなく、これまで以上に東南アジア諸国との平和対等の協議を行うべきである。

釣魚島については、アメリカが1972年に日本に施政権を返還するまで、日本が有効的に管轄したことはなかった。それ以降、日本がこれらの諸島を占領したのも日米安保条約がその背景にある。このような占領は、帝国主義による中国包囲の意味合いを持ち、進歩派がそれを支持する理由はない。近年において日中両国の釣魚島紛争がヒートアップしているが、その発端は日本による一方的な国有化にある。一方、過去において世界の進歩的勢力は釣魚島に対する中国の領有権主張を支持してきたが、それは不当なことではなかった。当時の中国は反帝国家として日米同盟に対抗していたからである。しかし現在の状況は一変してしまった。中国共産党政権はすでに反動的な官僚資本主義の覇権に転換してしまった。ゆえに我々は中国共産党の釣魚島に対する行動を支持する必要もなくなった。逆に、われわれはこの諸島を国際的に中立の海洋保護区として、石油資源を永遠に海底に埋蔵するという環境保護を主張すべきである。


◆中国の覇権に立ちふさがる三つの壁

現在の中国は疑いなく上昇中のアジア覇権国家のひとつである。しかし日本を圧倒してアジア最大の覇権国家になるためには、いぜんとして非常に大きな障害に直面しているし、世界を主導する超大国になることなどは言うに及ばずである。

一つ目の障害は、遠くない将来に訪れようとしている経済危機の克服である。この危機は、かりに強力な国家介入によってその爆発性を軽減できたとしても、ただ事では済まないだろう。なぜならそれは一般的な商業周期的なものではなく、官僚資本主義の構造的危機だからである。それは極めて巨大な不均衡と矛盾を累積している。

この種の資本主義はまた巨大な政治的遠心力を生み出している。それはまさに台湾のひまわり運動と香港の雨傘運動が示したところでもある。2014年5月、これまでずっとおとなしかったマカオでも、北京[中国政府]が選んだ行政長官の腐敗に抗議する2万人のデモがあった。

同じ官僚資本主義はさらに密集した党内派閥闘争を生み出している。もう一つの障害は、中国共産党はいまだ安定した権力継承制度を確立しておらず、これは10年に一度、総書記の任期が満期になるたびに権力闘争が勃発するということである。

これらはすべて、中国共産党がさらに覇権を強化するまでに国内で直面する巨大な挑戦となるだろう。もちろん、専制支配者は国内の巨大な矛盾を、外部での衝突を惹起することで、人民の関心を空想上の外敵に向けようとする。しかし最高指導者もはっきり理解しているが、暴力装置、とくにその軍隊はとっくに恐るべき腐敗にまみれている。もし習近平がこのときに、国際関係の激化によって国内の関心を外に振り向けることを選択すれば、それは間違いなく非常に危険な策略を選択することになる。

あるいはそのような不安があるからか、習近平は反腐敗運動を展開するついでに、ライバルに打撃を与えている。だが反腐敗運動は成功しないだろう。なぜならこの運動は同じく腐敗した官僚によって主導されているからである。たとえ幾千もの腐敗官僚を牢屋に放り込んだとしても、長期的に見ればそれは全く効果がないだけでなく、党内からの反発を招き、権力闘争を激化させるだけだからである。

まとめると、中国共産党が覇権を実現するには少なくとも三つの壁を取り除く必要がある。1、中国の半植民地の歴史的遺産。2、グローバル資本主義における後発者という地位。3、激化する国内矛盾。

この三つの壁の存在が、中国が国際関係において主に守勢を取らざるを得ず、個別のケースにおいてのみ限定的な攻勢姿勢をとる理由なのである。もし習近平が自らの力を顧みることなく、アメリカと覇権を争うような火遊びをすれば、その炎によって自らが焼き殺されることになるだろう。

2016年10月4日

【香港】もうひとつの香港は可能だ--左翼は情勢判断を見誤るべからず

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もうひとつの香港は可能だ
 

左翼は情勢判断を見誤るべからず


區龍宇

 

原文は無国界社運(Borderless movement)に掲載された

社会運動圏内に一種の意見がある。それは、今回の選挙は工党、街坊工友服務処(以下、街工)、社会民主連線(以下、社民連)の三党派が後退して総得票率も減少したので、民主主義左翼が後退したことを意味し、政治情勢の悪化を反映した、という意見である。木を見て森を見ないとはこのことである。

 


三党派の後退の原因は惰性にあり

 

三党派の後退はもちろん残念なことではある。香港で労働者運動に従事する汎民主派の党派は工党[職工会連盟]と街工だけである。労働は社会の基礎であるが、そうであるがゆえに支配階級は意識的に労働者人民を貶めようとする。だからこそ左翼は多少なりとも労働者を代表する候補者を支持しなければならないのである。両党の後退は喜ばしいことではない。社民連は労働組合の基礎はないが、2011年に(右派が)分裂して以降、その路線は比較的明確になり、中道左派となった。相対的に言えば支持に値するが、この党もまた後退した。

 

しかしこの三党派の後退は、民主主義左翼の後退を代表するものではなく、ましてや情勢が悪化したといえるものでは全くない。その良し悪しは相半ばというところだろう。

 

まず次の点をしっかりと認識しなければならない。今回の選挙は、これまでの慣例と大きく異なり、香港政治の地殻変動という状況のもとで行われたということである。地殻変動とは何を意味しているのか。それは雨傘運動を経て、中国と香港の関係に大きな変化が起こったということである。中国共産党の独裁と香港人の自治権は水と油の関係になった。民主的返還論(基本法の枠組みの下での普通選挙実施)は完全に破たんした。情勢は民主派に新しい方向性を迫っている。歴史は雨傘運動において「命運自主」という名スローガンを召喚したが、それは偶然ではない。ゆえに、改めて民主自決を発展させることは必然である。投票した有権者の五分の一がこの方向性(自決)を提起した候補者を支持したことは、変化を求める意識が小さくないことを反映している。

 


蔡教授を信じると大変なことになる

 

工党、街工、社民連の三党派の後退の理由は、まずこの大局を軽視したことにある。2012年以降、私はこの三党派の友人たちと交流するなかで、大局の変化に注意するよう何度も促してきた。香港人は焦慮を迫られているのだから、政治化とオルタナティブの模索は必然である。だが民衆が左転換するのか右転換するのかはまだ不明であり、それは左翼がどう取り組むのかにかかっている。もし左翼が新しい方向性を提起することに間に合わなければ、そして排外主義的本土主義者に対抗しなければ、左翼を含む民主派全体は取り残され、ひいては敗北するだろう。従来の路線(基本法の枠組みの下での普通選挙実施)はすでに死んでいる、民主自決の方針を提起することでのみ、香港人を政治的困惑の局面から連れ出すことが可能になる、と(原注1)。

 

しかし残念なことに、三党派の指導者は期せずして同じ類の主張をしている。つまり、排外主義本土派は恐れるに足らず、無視するのが上策である、と。彼らは、自決という要求は流行の一種に過ぎない、あるいは、これまでの主張がダメなら、別な主張を言ってみようという程度の窮余の策に過ぎないと考えている。だが彼らは、二〇世紀の世界の反植民地主義運動は、すべて民族あるいは民主的自決という結果につながっていること、国民会議を招集して憲法を制定しなおすという運動につながっているということを完全に忘れている。香港の反植民地運動や自主を求める運動だけがどうしてそのような歴史の例外となり得るというのか。

 

次のような意見もある。自決も結構だが、それはスローガンだけのものだ、と。否!このスローガンは、数百年における世界の民主革命の歴史を継承しているのだ!民主主義革命の常識を知らないものだけが、自決という主張に対して、そのような平板な考えをもつことができるのだ。もちろん、それも歴史的脈絡があってのことだ。つまり香港人には反植民地闘争の歴史がなく、また海外の運動を学ぶこともなかったことから、政治認識が不足しており、情勢の変化においてなすすべがなかったのである(原注2)

 

もちろん歴史は参考になるだけで、人間は歴史を作ることができる。もし民主自決がオルタナティブでないというのであれば、別の新しい方策を発明することもできる。しかし工党と街工は何ら新しい政治的見解を示さなかった。情勢の変化を無視するこのような状態は一般的に「惰性」と呼ばれるし、流行りの言葉でいえば「経路依存性」と言われる。明らかに大局が変化しているにもかかわらず、従来のしきたりを重んじ、すべてそれに従う。

 

蔡子強[香港大学政治行政学の上級講師で政治コメンテーター]は汎民主派政党に対して、若者票に力を割かなくてもいい、新しい主張を提起しなくてもいい、これまで通りの活動をしていればいいとアドバイスしてきた。民主党はこの「ご高見」を受け入れ、選挙結果もまずますであった。なぜなら保守の中産階級に支持基盤があったからだ。しかし工党と街工は労働者市民に依拠しており、断じてそのような保守中産階級に迎合する「ご高見」を受けいれてはならない!だが彼らはそれを受け入れて大きな代償を支払うことになった。社民連はそれよりもマシであった。選挙が始まるまでに主張を転換し、自決に似たような主張を提起した。しかし転換が遅かったことから守勢とならざるをえなかった(三党の後退は、もちろん汎民主派の多くの政党が選挙区で競合したことにもある。私自身も新界西選挙区では当日までどの候補に投票しようか迷ったほどである)。

 


ニューフェイス当選の背後にある意義

 

幸いにも今回の選挙では民主自決派(朱凱迪、小麗、衆志)が立候補し、多少なりとも排外主義本土派以外の選択肢を有権者に提起することができた。この三人が当選する一方、排外主義本土派のイデオローグであった三人のゴロツキ政治屋が落選したことは、「もうひとつの香港は可能だ!」「命運自主の香港、排外主義のない香港は可能だ!」という素朴な願望を持つ相当数の有権者を体現している。

 

排外主義ではないということは、民主的多元主義を受け入れ、中国大陸からの新移民を歓迎することとイコールではない。しかし少なくとも新移民反対を掲げる排外主義本土派とは大いに異なる。自決に賛成するということも、多くの事柄を熟慮する知識をもっていることとイコールではない。しかし工党と街工が奉じ続けている「選挙制度改革の手順のやり直し」に比べればずっとましである。総じて、三人の民主自決派の当選は、政治的綱引きにおいて、民主派の陣地の一部を奪い返し、排外主義的本土派の大勝を阻止した[排外主義本土派からも新人三人が当選した]。逆に、もし三人の民主自決派が当選していなければ、オルタナティブを模索しようとしていた多くの有権者、特に青年世代が、排外主義本土派に回収されてしまっていただろう。それこそ情勢の急激な悪化となったであろう。

 

なかには、世代交代という事情もあり、有権者は新人を好んだのであって、自決の主張など関係ない、という見方もある。このような考え方にはもちろん一定の根拠はあるが、もしそれが全てであるかのように言うのであれば、工党、街工、社民連はそれぞれ新人も候補者として立候補させていたにもかかわらず当選できなかったのはなぜなのか。[民主自決派と排外主義本土派という新興勢力に投じた]22%の有権者のおそらく一定の割合が、多少なりとも自らの政治的判断で投票したことは想像に難くない。雨傘運動を経て、政治情勢は確実に変化しており、民主派を支持する民衆は確実にオルタナティブを欲しており、確実にさらなる政治化と急進化を遂げている。世代交代という理由をあげて変化を求める有権者の願望を否定することができるのか。そもそも世代交代と変化を求めることは対立するのだろうか。

 

また別の意見として、当選した三人の民主自決派はどれも中途半端なものだ、という意見がある。たとえば何某の綱領は排外主義本土派に甘いとか、何某のこの立場は左翼ではないので彼らの当選は特に喜ばしいことでもない、等々である。そして「情勢は悲観的にならざるを得ない」と結論付ける。だがこのような意見は、三人の新人のこれまでの主張や実戦が、排外主義本土派とは全く区別されるものであることを見ていない。より重要なことは、その背景としてさらに多くの民衆がふたたび模索を始めているということだ。惟工新聞[ウェブメディア]が香港のベテラン左翼活動家である阿英に行ったインタビューのなかで、彼はこう述べている「少なくともこの選挙は、香港人に思考することを、ひいてはその政治理念を実践することさえも迫りました。」(原注3)左翼はこの決定的な時期において、消極的な批判に終わるのか、あるいは積極的に参加して大衆を勝ち取るのかが問われている。

 

発展途上という観点が必要

 

当選した三人の新人の不足については、私は「変化を求める 2016年立法会選挙の結果についての初見」のなかでも指摘した。「政治分岐は始まったばかりであるということだ。今後それがどのように発展するのかという変数は極めて大きいし、直線的に発展するかどうかはもっとわからない。とりわけ民主自決派の多くは、スタートしたばかりであり、政治主張および経験は極めて不足している。極右本土派の攻撃の中で、基盤を確立し、流れに抗して、新しい民主勢力を鍛え上げることができるかどうかは、いまだ未知数である。だが真の民主派は、手をこまねいて傍観しているだけであってはならない。闘争に身を投じ、民主勢力の世代交代を促さなければならない。

 

民主主義左翼として、われわれは次の三つの立脚点を持たなければならない。

 

ひとつは、発展途上という観点である。工党、街工、社民連、あるいは朱凱迪、小麗、衆志に対してもすべて今後の発展を期待するというスタンスである。一歩前進すれば、とりもなおさず一つの功徳として、われわれはその発展に尽くす価値がある、ということである。逆に後退すれば批判すべきであるが、それは後ろ向きの批判であってはならない。

 

第二に、民主的教育という観点である。生まれ持ってすべてを理解している人などいない。誰もが学習を通じて会得するのだ。

 

第三は、団結可能な一切の勢力は団結すべし、という観点である。

 

労働者民主派にしろ、中道左派にしろ、あるいは青年世代の民主自決派にしろ、セクト主義を克服し、思考を一新し、路線を転換し、大局を把握し、強大な連合に向けて徐々に進むことで、独裁と排外主義本土派に対抗すべきである。それができなければ、地獄への道へとまっしぐらである。

 

左翼の観点についていえば、さらに多方面にわたり、ここで書き尽くせるものではない。たとえば左翼は代議制選挙についてどう考えるのかについて、阿英のコメントを再度紹介したい。「もし純粋に議席獲得のためだけに選挙にかかわると、その団体は逆に選挙に縛られてしまい、全く逆の結果になってしまうだろう」。このコメントは三人の青年自決派にも同じように当てはまる。今回の選挙がさならる思考を促すことを期待したい。

 

2016926

 

(原注1)私は2012年初めから常に警鐘を鳴らしてきた。当時の論文を参照してほしい。「香港のあり方をめぐる右翼と左翼『香港ポリス論』批判」左翼21[『香港雨傘運動』柘植書房、2015年に収録]

 

(原注2)「雨傘運動の意義と展望」参照[『香港雨傘運動』柘植書房、2015年に収録]

 

(原注3)「労働NGO14年 『雇用関係がつづくということは、労働者がつねに犠牲にさらされるということでもある』」

【香港】分裂ばかりで連合できなければ将来は死あるのみ

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分裂ばかりで連合できなければ将来は死あるのみ
 

區龍宇

 
[本論考は香港紙「明報」2016年9月11日の日曜版付録に掲載された

終わったばかりの選挙をめぐって最も多用された用語は「味噌もくそも一緒に道連れ」であろう。民主派が重複して立候補し「分散化」したことをめぐって、それぞれが攻撃し合あう事態になった。たしかに、そのような泥試合がなければ、民主派の成績はさらに理想的なものとなっただろう。

 


道同じといえども、相為(あいとも)に謀(はか)らず

 

冷静な分析をすれば、たしかに民主派のなかでの分岐は存在していた。たとえば民主自決という主張[選挙制度改革は香港人が決める]と、選挙制度改革手続きのやり直しという主張[選挙制度改革は基本法に定められた手順に従って行う、つまり最終的な権限は中央政府にある]にはたしかに違いがある。真の分岐が存在するのであれば、それぞれ立候補することには、少なくとも一定の理由があるだろう。従来どおりの香港民主化の道筋はすでに断たれているが、新しい道筋はいまだ未定である、という厳しい状況で混乱が生じるのは必然ともいえる。

 

問題は、多くの候補者や政党の綱領に実質的な違いがないにもかかわらず、事前に合同することもできず、逆にそれぞれの主張に終始して同じ選挙区から立候補したということにある。中道右派の民主党、民主民生共進会、公民党がまさにそうである。中道左派の四つのグループも多かれ少なかれそうである。

 

汎民主派[既成の民主派政党]は分散化の原因を比例代表制のせいにしている。しかしそれは根本的な原因ではない。なぜなら分散化は政党だけに限った問題ではないからだ。社会運動を見てみよ。もっと分散化している。20年ほど前、香港では住宅局と水道局の公務員労働組合が民営化に抵抗した。しかし一つの部門に20以上もの組合が乱立していて、どうして闘争に勝利などできるだろうか!今日、政党も社会運動も同じ状況にある。これで専制[中国政府]に抵抗するなどできるだろうか。

 

 

選挙運動が民主化運動を押しのける

 

私は雨傘運動についての一連の総括文章のなかで、なぜ香港人が一般的に政治能力が不足しているのかという分析を試みたことがある。「まず香港人は長年の植民地支配にもかかわらず、それに対する抵抗を欠いてきたことがあげられる。戦後において土着の大衆に根ざした反植民地闘争は存在しなかった。イギリス植民地主義者に反抗することがなかった香港人が、中国への返還の過渡期において民主的政治能力を鍛え上げ、イギリスと中国の支配者から最大限の民主主義を勝ち取ることができなかったのは自然なことである。それゆえ、返還後、中国共産党に自治を奪われていくことも運命づけられていたとも言える。」[『香港雨傘運動』72頁]

 

汎民主派政党からはこんな反論がでるかもしれない。「われわれの二つの普通選挙運動[行政長官選挙と議会選挙]こそ、専制に反対しているのであり、植民地主義と闘っているではないか」。

 

そうではない。二つの普通選挙運動は、真の民主化運動には程遠いものである。民主化を実現するには政治の最高権力機構を徹底して民主化する必要がある。だが二つの普選運動の対象である行政長官と立法会のいずれも最高権力機構ではないのだ。最高権力は中国の中央政府が握っているのだから。だが汎民主派は真の民主化を目指してはいない。だからそれは反植民地闘争と言えるものではないのである。

 

幸運なことに香港人は反植民地闘争を経ずに選挙権を獲得した。しかし汎民主派政党は、この利点を利用して真の民主化運動を発展させるのではなく、議席の獲得だけに専念したのである。その結果、議席だけに執着し、議席のためなら原則を犠牲にして野合または分裂する一群の政治屋を各世代につくりだすことになった。選挙のたびごとに民主化から遠ざかっていった。希望は徐々に禍根に変わっていった。民主化運動の内容は恐ろしく貧相になった。民主と自由、人権と法治を口々に叫ぶが、それは無内容となり、主権在民すら俎上に上らなくなった。政治屋はごろごろいたが、民主化の闘士は姿を消した。これでは中国政府に抗うことなどできようもなく、必然的に終始ばらばらのままとなったのである。

 

 

集団的自己萎縮化

 

しかし彼らの妥協主義は、香港の主人となる準備が全くなかった当時の香港人の意識を反映したものでもあった。これはある一つのエピソードからもはっきりと見て取れる。1991年に行われた最初の立法会の直接選挙において、香港民主同盟[のちの民主党]が6・4天安門事件による追い風を受けて議席を席巻して得意満面となっていた[定数60のうち、18議席が直接選挙枠に充てられ、港同盟の12議席を含む民主派が17議席を獲得した]。そして李柱銘[弁護士出身の港同盟のリーダー]を筆頭に、香港総督府に対して行政局への参加を要求した。それに対して「権力を奪おうとしている」として世論から大々的に批判されたのである。

 

李は不満げに自己弁護した。「選挙に勝利したのだから、民主主義の慣例に従えば、政権に参加するのが当然ではないか!」。しかし当時の有権者はある番組の視聴者の声[phone-in]でこう批判した。「あんたに投票したのは、われわれの声を政府に聞いてもらいたかったからであり、あんたに権力をとらせるためではない!」。これが当時の有権者の意識であった。今日から振り返れば、笑うに笑えないエピソードである。

 

新しい世代が、上の世代と自分自身が抱える植民地の歴史を真剣に総括することなしに、香港人の解放闘争を指導しようと考えるのであれば、無邪気にもほどがあるだろう。実際に、新しい世代の多くが、自決や独立など、新しいネーミングをよどみなく暗唱してはいるが、いずれも内容的に乏しいのである。

 

 

「独立後、一切は現状維持」?

 

ある独立派のフェイスブックにこんな質問が書き込まれた。「独立派はどのような青写真を示せば、最も支持を得ることができるだろうか。 公共住宅の増設だろうか、福祉政策の充実だろうか。」答えはそのいずれでもなかった。「香港は独立した翌日にこう宣言するのだ。市民の生活方式は現状維持、一切は不変である、と。」 馬脚をあらわにした。つまり、偉大な大香港国は、その国名を除いて、現在の香港とまったく変るところがないというのだ。大資本による独占、貧富の格差、高齢者はくず紙拾いで糊口をしのぐ!このような香港国を、搾取にあえぐ庶民や高額な学費ローンに苦しむ青年たちが支持する理由があるだろうか?

 

汎民主派の学者は香港独立派と社会民主連線を、急進派という同じカテゴリーに区分する。しかし社民連の「急進」は、中道左派の急進主義である。前述の独立派は「急進的保守主義」であり、その従兄にあたるのが他でもないアメリカのトランプなのであり、同じ急進派でも全く違うのである。

 

 

香港版「ハンガーゲーム」

 

右翼独立派は、自分たちは新しく、そして急進的だと考えているようだが、実際にはそのイデオロギーは古い上にも古く、保守の上にも保守であり、汎民主派の保守主義がどんどんと右へとシフトしてきたことの結果にすぎない。彼らは古い汎民主派と同じく、植民地主義の遺産を継承している。党派間では互いに泥試合を展開しているが、しかしその社会経済政策においては、高度に同質化しているのである。

 

香港の植民地主義の制度的特質は、政治における権威主義(行政主導と呼ばれる)、経済における大資本のなすがままの独占(自由放任と呼ばれる)である。たしかに香港は特殊である。イギリス植民地から中国の植民地となったこの170年、政治と経済の制度には変化がなかったのだから! それは「超安定構造」などとも呼ばれているのだ! この170年の間、世界経済システムには大きな変化が訪れた。自由貿易は一変して関税戦争へ、そして世界大戦へと至った。その後は、国家が関与するケインズ主義、福祉国家へと移り変わった。そして1980年代初頭からはさらに新自由主義へと転換した。だが香港の政治経済制度には何ら変化も起こったことはなかったのである。

 

これまで変化が起こらなかったのは、このような制度が植民地宗主国にとっては最も理想的だったからである。

 

1、イギリスはアヘンの自由貿易で大いに潤った。中国政府は香港への自由投資で、中国資本が香港株式市場の時価総額の六割を占めるまでになった。香港でカネ儲けの兆しがあれば、大挙して投資をたたみかけ、すこしでも変化の風を感じれば、いつでも自由に投資を引き揚げる。このような自由放任で誰が一番得をするのか、はっきりしている。

 

2、宗主国は表面的には自由貿易をうたうが、実際には行政権を盾にして、土地の囲い込みと独占をおこない、自分の利益を確保しようとしてきた。政府調達では、高値にもかかわらず、必ず「宗主国」のモノが購入された。香港返還の前はイギリス製、そして今では中国製にとってかわったにすぎない。

 

右翼の香港独立派は、植民地主義の政治経済制度すべてを、永遠にそのままにするというのである! 汎民主派政党の主張もそれと大して変わりはない。しかし、まさにその自由放任が、香港人の民主共同体の誕生を阻害しているのであり、命運自主[雨傘運動で叫ばれたスローガンで「運命は自分で決める」という意味がある]を困難にしてもいるのである。「自由放任」のもとで、中下層の民衆は支配者によって引き起こされる底辺に向けた競争に駆り立てられる。まさに映画「ハンガーゲーム」のようである。民衆が互いに「スタートラインにつく前から勝負をつける」、「生まれる前から勝負をつける」というような状況では、民主共同体など存在しようもない。

 

 

植民地主義の害毒を総括し、

香港人の民主共同体を建設しよう

 

幸いにも若い世代は、その親の世代とは大いに異なっている。皇后埠頭の保存運動から雨傘運動にいたるすべてにおいて、文化と個性の発展を大いに重視する姿勢を明確にしており、非難の泥仕合に巻き込まれることを忌諱している。だが青年の素朴な理想は、新しい民主主義の理論で武装される必要があるし、それ以上に植民地主義的遺産の総括を必要とする。そうしてはじめて、新しい綱領の上に分散化を克服し、すべての民主的勢力の連合によって、専制に対する一致団結した抵抗が可能になる。

 

2016910

 

【香港】変化を求める――2016年の立法会選挙についての初見


変化を求める――2016年の立法会選挙についての初見


區龍宇

 

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【解説】9月4日に行われた第六回立法会選挙(定数70)は、建制派(政府与党)が40議席、非建制派が30議席を獲得した。直接選挙区での得票率が40%余りの建制派が議席の多数を獲得できるのは、定数35の職能選挙区が存在するからである。
 2014年8月末、中国全人代は職能性選挙区を含む選挙制度を従来通り実施することを決定。それに反発したのが同年秋からの雨傘運動であった。雨傘運動は英植民地時代からつづく支配層に有利な職能制選挙区を廃止し、全議席を普通選挙で選出することを訴えたが実現しなかった(もう一つの要求は行政長官の直接選挙)。当初、非建制派は、雨傘運動以降の混迷から苦戦が予想された。
 しかし中国政府に批判的な書籍を発行・販売する香港の書店主ら5人が中国国内で失踪し、今年6月におよそ8カ月ぶりにそのうちの一人が香港に戻って記者会見を開き、共産党中央の特別捜査チームに秘密裏に拘束・監禁され、国内顧客のリスト提供など捜査に協力することを条件に、一時的に香港帰還を許されたことを明らかにしたことで、中国政府およびその意向を組む建制派への批判が高まり、非建制派が重要議案の否決に必要な三分の一の議席を確保した。
 この非建制派には従来の民主派だけでなく、2014年秋の雨傘運動以降、若年層をふくめた広がりを見せた本土派なども含まれる。
 本土派とは「香港こそが本土だ」というナショナリストで、中国からの移民を排斥する排外主義や反共主義などが特徴で、香港独立を主張するグループもいる。この本土派の候補者6名が、香港独立の主張などを理由に立候補資格を取り消されるなど、これまでにない当局の警戒ぶりが報じられた。本土派の著名候補者などは落選したが新人3名が当選した。
 一方、それら排外的本土派とはことなる「民主自決派」として、
劉小麗(雨傘運動のときから街頭で小麗民主教室を開いてきた香港専上学院講師)、朱凱迪(高速鉄道建設による立ち退きに反対した菜園村運動のアクティビスト)、羅冠聡(雨傘運動をけん引した大学生連合会の中心的メンバーの一人。同じく雨傘運動をけん引した学民思潮の黄之鋒や周庭らと結成した政治団体「香港衆志」から立候補した)の三人が、既成の民主派政党(汎民主派)が突破することのできなかった基本法の枠組みを乗り越える香港の将来を主張し、初当選を果たした。中国政府が香港に介入する余地を保障した香港基本法の枠組みでの改革に拘泥した汎民主派の多くは得票数を減らした。
 この區龍宇氏の論考は投票日翌日に書かれ、ウェブメディア「立場新聞STAND NEWS」に掲載された。[ ]は訳注。(H)

 



2016年立法会選挙の結果は、変化を求める声を示している。それは、さらなる政治化、二極化、世代交代という三つの状況から見てとれる。三つの傾向は、逆に選挙結果を説明するものでもあり、今後の発展にも影響するものである。


 

さらなる政治化、さらなる嫌中

 

長年にわたって香港人は「政治に冷めている」と言われ、香港返還[1997年7月1日]までの投票率はずっと低いままであった。1995年の立法会選挙[返還前における最後の選挙]では直接投票の選挙区での投票率は35.79にとどまっていたが、返還後は急上昇した。しかし返還後の選挙の投票率は興味深い数字を示している。第一回、第三回、第五回の選挙の投票率は相対的に高く、第二回、第四回の投票率は低く、まるでバネの反動のようである。

 

1998年 投票率53.29% 投票人数1,489,707

2000年 投票率43.57% 投票人数1,331,080

2004年 投票率55.64% 投票人数1,784,406

2008年 投票率45.20% 投票人数1,524,249

2012年 投票率53.05% 投票人数1,838,722

2016年 投票率58.28% 投票人数2,202,283

 

1998年の投票率が高いのは、返還直後だからである。2004年は23条立法化問題があった[基本法23条の治安維持条項の立法化問題が社会不安を高めた]。2012年は愛国教育反対運動の高まりが影響した。逆にいえば、もし中国政府と香港政府が香港人の逆鱗に触れるようなことをしなければ、第二回、第四回の選挙と同じように投票率は4割台に落ち込んでいただろう。しかし愛国教育反対運動の後、中国政府は、香港人を懲らしめるという政策に変更したため、香港人の危機感は高まった。

それゆえ今回の選挙では、従来見られたような反動が見られず、逆に投票率はさらに高まる結果となった。情勢が人々をそのように追いやったのであり、香港人はいやおうなく政治化し、今回の選挙の投票率は史上最高を記録した。直接選挙区において建制派の得票率が40.6%にとどまったことは、2012年の42.7%をさらに下回る結果となった。これは、民衆が中国政府によるさらなる強硬策に対して首を垂れるのではなく、逆に民衆の抵抗と変化を求める心理を刺激したことを物語っている。


 

変化を求める心理が新しい勢力を誕生させた

 

この種の政治化は同時に二極化でもある。ひとつの極は建制派[政府与党]である。そしてもう一方の極は急浮上した自決派および本物と偽物の香港独立派であり、この勢力は22.2%の得票率を獲得した。この新興勢力のせいで、選挙制度改革のやり直しを主張してきた汎民主派[既成の民主派政党]は、まともにこの影響を受けることになった。これまでは汎民主派が一方の極であったが、現在は中道に押しやられた。図を参照してほしい。

 

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だが、この新しい勢力をどのように位置づけるのかをハッキリとさせておく必要があるだろう。ある汎民主派の学者は、これらを「本土自決派」とひとまとめにくくっている。つまり劉小麗、朱凱迪、香港衆志と、実際には全く異なる質の熱血公民および青年新政を同じ一つの鍋に入れてしまっている。そしてそれとは別に人民力量・社会民主連線連合を「急進民主派」として位置付けているのである。このような分類は極めて奇妙というほかない。

 

これはたんなる名称だけの問題ではなく、重大な分析的価値を持つ議論である。中国と香港という立場を基準に区別することは、二極化の一つのレベルにすぎない。しかしさらに第二のレベルの二極化があることを無視することはできない。つまり社会的、経済的立場における二極化である。つまり国際的に言われるところの左右の二極化である。この区別に従えば、建制派は右翼あるいは極右に位置する。汎民主派はといえば、それぞれ中道左派から中道右派のあいだに位置づけられるだろう。そして今回の選挙の注目点としては、はじめて右派・極右の排外的本土派の政治団体が選挙に立候補し当選を果たしたことである。

 

 

移民排斥の感情

 

熱血公民および青年新政は、その排外主義、反移民、反労働人権の主張から、一般的な政治常識からいえば、右翼ひいては極右(もしも移民に対して暴力を用いたり、「わが民族ではない」など主張すれば)であり、右翼本土派あるいは排外主義本土派と呼ばなければならない。「選民起義」[今回の選挙に向けて結成された選挙・政党情報を発信する団体で區氏も参加している]ではこれらの政治団体の労働、環境、地域、女性などの政策を比較した。その結果、これら右翼本土派は表面的には中国政府と対抗する主張をしているが、社会経済問題においては、建制派とおなじく、ときにはそれ以上に保守であった。そもそも極右とは、一種の急進的保守主義でもある。つまり急進的かどうかだけを判断基準として、その社会経済的政策におけるウルトラ保守の立場を無視する、社民連と熱血公民の違いさえもわからず、敵同士を同じ分類にしてしまうという判断に陥ってしまったのである。

 

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   が議会の新興勢力


この図の分類については、細かい個所については異なる評価があるだろう。しかし大まかに言って、新興勢力はひとつではなく二つ、左の一つと右の一つであることは疑いをもたない。前出の汎民主派の学者は「専制VS民主」「政府VS民間」という香港ではおなじみの二分法に拘泥しており、情勢を正しくとらえきれていない。左右の立場を組み込んだ分析によって、自決派の香港独立右翼あるいは極右の登場が、現代香港政治情勢の急激な変化を代表することを理解することができるのである。この新右翼の登場のすべての背後に中国共産党の影をみることができることは否定しがたい事実である。

しかるに、もしそれによって、香港人の中に確実に反共主義と反移民思想という一種の右翼的主張が存在することを理解しなければ、それはさらに危険なことである。危険という意味は、[右翼的主張の]攻撃対象は中国からの移民にむけられたものであり、民主主義にとっての真の人民の敵である中国共産党を見逃してしまっているからである。しかも客観的には、[右翼/極右の主張が]この人民の敵に香港の自治権を粉砕するための最高の口実を与えてしまっている。

 

今回の選挙では、移民排斥を主張せず、多少なりとも中道左派といえる三つの若い民主自決派が登場した。また社民連・人民力量連合はなんとか間に合って装いを改めることができた[社民連には反共右翼排外主義者がいたが分裂した]。この四つの勢力の社会経済政策は主流の汎民主派[公民党、民主党]とそれほどの違いはない。しかし、中国と香港の関係について新たな展望を提起しているがゆえに、新たなオルタナティブを模索しながら、移民排斥にも反対する旧来の民主派支持の有権者からの票を集めたことで、客観的には右翼候補者やそれを支持する有権者によるさらなる世論のさらなる右傾化を押しとどめることができた。

 

排外的本土派はあわせても7%の得票率(15万2180票)であったが、民主自決派は15.2%(32万9141票)を獲得した(どちらも落選候補の票を含む)。朱凱迪は8万票以上の高得票で当選し、香港の民主化運動がまだまだ健在であることを改めて示した。

 

両極の新興勢力が22.2%の得票率を獲得したことは、当然にも主流の汎民主派を圧迫した。しかしなぜ中道右派の民主党が比較的影響を受けず、逆に中道左派の労働者民主派(とくに工党)が比較的影響を受けたのだろうか[工党=労働党は、労働運動出身のベテラン議員、李卓人らが2011年に結党。今回の選挙では新人一人を含む4人が立候補したが李氏をはじめ3人が落選し、議席を1に減らした]。

考えられるひとつの理由は、安定を求める上層の中産階級の有権者は、これまでもずっと民主党の票田であったが、工党、街坊工友服務処[80年代から労働者街で地域運動や労働運動などを行い、90年代からは立法議員選挙にも参加。今回の選挙ではベテラン議員の梁耀忠は議席を守ったが、区議から転戦した新人は落選した]は、おもに中下層の中道派、あるいは中道左派を支持する有権者が支持基盤である。しかし今回、これらの有権者のなかにも変革を求める心理が起こったことで、労働者民主派の保守的な政治主張[選挙制度改革のやり直し]には関心を持たなくなり、加えて若い有権者を引き付けることができなかったことから、支持率が下がったのは自然の成り行きであった。

 

しかし指摘しておかなければならないことは、前述の政治分岐は始まったばかりであるということだ。今後それがどのように発展するのかという変数は極めて大きいし、直線的に発展するかどうかはもっとわからない。とりわけ民主自決派の多くは、スタートしたばかりであり、政治主張および経験は極めて不足している。極右本土派の攻撃の中で、基盤を確立し、流れに抗して、新しい民主勢力を鍛え上げることができるかどうかは、いまだ未知数である。だが真の民主派は、手をこまねいて傍観しているだけであってはならない。闘争に身を投じ、民主勢力の世代交代を促さなければならない。

 

 

世代交代を拒むことはできない

 

左右の政治化というほかに、第三の要素がある。それは世代交代という作用である。多くの有権者、とくに青年の有権者らが、既成の顔触れに嫌気をさしていたことは想像に難くない。道理で、ベテランの民主派候補者の結果が芳しくなかったわけである(芳しくないのは、当選しなかったことではなく、その主張があまりにひどかったことである)。他方、雨傘運動を押し出した新しい世代は、たとえ雨傘運動後の困惑があったとしても、かれらは戦後の香港において初めて真に大衆的で抵抗の意思を持った大運動の誕生を促したのであり、それは嫌気がさしていた有権者に新しい希望をもたらしたのである。

 

もちろん、さらに第四の要素がある。それは中国共産党が巨大なリソース資源を持ち出して、舞台の下でさまざまな卑怯な手段で介入者がその代理人を育成し、火に油を注いで扇動するなどの陰謀を企てたことであるが、それについては後日あらためて述べる。

 

2016年9月5日

【香港】日曜には二つの民主派に投票しよう そして投票後は闘いを継続しよう

日曜には二つの民主派に投票しよう
そして投票後は闘いを継続しよう

區龍宇


原文

まず問わなければならないのは次のことである。民主派にとって、今回の選挙における最大の目標は何か。議席の三分の一を確保して拒否権を維持することだろうか。この目標は、すでに汎民主派自身によって破棄されている。汎民主派の政党間では同じような立場であるにもかかわらず、いくつにも分裂して互いに票を奪い合っているからだ。よりひどいことに、この5-6年のあいだに、政治情勢は悪化しているにもかかわらず、全くなすすべがなく、勢力再編のチャンスをみすみす極右排外主義に奪われていることだ。雨傘運動ののちも、依然として「選挙改革のやり直し」という主張にとどまり続けることで、有権者の極右排外主義政党への支持を逆側から後押ししている。候補者乱立のなかでは票割などできるはずもない。三分の一の議席を確保できるかどうかは誰にもわからない。それは依然として目標とすべきだが、すでに現実的な目標ではなくなっている。


◎ 民主自決派に票を投じよう

まして、香港の自治を守る防衛戦の戦場は、すでに議会だけに限定されてはない。中国共産党はこれまでの過渡期のあいだに、「暗(ひそ)かに陳倉に渡り」[三六計の第八計で、囮で敵を正面に引き付けておき背後から急襲する計略]、背後で闇勢力を組織してきたが、それがいま「収穫期」を迎えているのである。汎民主派が拒否権を確保して基本法二三条の立法化[治安維持法]を阻止できたとしても、中国政府が闇の勢力をつかって香港自治を亡きものにすることを阻止することは出来ないだろう。政治的に極右排外主義を圧倒することもできないだろう。周永勤の選挙からの撤退[政府与党の自由党の候補者だが、同じ選挙区から立候補している中国派の有力候補と競合することなどから、立候補を取り下げるように脅迫を受けた。テレビ討論会で立候補取り下げを突如表明した]および極右排外主義への支持の高まりはそれらの格好の証拠である。

強敵に対峙する民主派の支持者は、新しい力に票を投じることで、主流の汎民主派に比べて相対的に事態の急変にも対応しようとする新しい勢力を社会的に押し上げることが必要である。雨傘運動後から今回の選挙までの期間に、汎民主派の抱える問題が暴露されたことで、民主自決派の登場が促進された。facebook「選民起義」が昨日発表した政党採点(※)は、各政党のマニフェストおよび実践についての評価を行っている。読者はそこから、四つの政党・候補者の主張が極めて似通っていることを理解できるだろう。人民力量・社民連連合、朱凱迪、小麗民主教室、そして香港衆志の四つが、程度の濃淡はあれ、すべて民主自決を主張している。

この四つの候補者のマニフェストを詳細に検討すると、それぞれの政治主張には弱点がないわけではない。だが少なくともこれらの候補者は大局の変化には比較的敏感であり、民主化運動にも新しい思考が必要であることを理解している。また労働、環境、文化、コミュニティなどの主張において、労働者民衆の利益に寄り添っており、支持することができる。人民力量・社民連連合以外の三つの候補者には経験不足という批判もある。しかしそれは今後の学習と発展の中で克服可能である。議会内にこのような新しい勢力が登場することで、事態の推移に鈍くなった主流の汎民主派を刺激することもできるだろう。

人民力量・社民連連合については若干のコメントつけておくことが有益である。人民力量の陳偉業[民主党を離党して2006年に社民連結成に参加。2011年に離党して人民力量を結成]は、連合結成の際に、人民力量は中道左派であり、社民連の立場とほとんど同じであると表明した。2008年に(当時のメンバーの)蕭若元は「真の民主主義右派を建設しよう」という文章を公開し、労働組合を批判していた。労働組合が「自由な交渉を破壊する」からだという。そのころこの勢力は中道右派であった。さらに遡れば、社民連結党の3人の立役者[陳偉業、梁国雄、黄毓民]は、主張もバラバラで政治的分類が困難であった。だが数年が経過して、社民連は三つに分裂して、その一つである人民力量は、極右からの批判にさらされる一方で、自身も分裂を重ね、陳偉業はフェードアウトして勢いがそがれた。こういう事情から立場の変更を迫られたのではないだろうか。

人民力量・社民連連合は社民連の勢力が強いので、人民力量が再度右転換することをけん制することができるかもしれない。もちろん将来その立場を変化させないとは言えないが、それら一切は相対的なものである。いずれにしても、なすすべもなく事態のなすがままの主流の汎民主派に比べると、人民力量・社民連連合は、少なくとも、その気概を有権者に示すことができている。

かりに人民力量・社民連連合が、選挙において競合するのではなく、もっと前から他の三つの民主自決派と協力関係を構築していれば、影響力はさらに拡大したであろう。これについては選挙後に期待するしかない。

以上が、まずは一票を投じることができる勢力である。


◎ 労働者に根ざした汎民主派

次に一票を投じることができるのは、労働者を組織している汎民主派政党(organised labor pan-democrats)だろう。

民主派の分散化は、香港人が一般的にもっている弱点の反映に過ぎない。社会に蔓延する強固な個人競争主義が組織化を困難にさせている。偉大な運動であった雨傘運動の傘でさえも、重大な弱点を覆い隠すことはできなかった。つまり高度の非組織化である。それゆえ運動内部の右翼挑発分子から指導部が攻撃を受けてもそれに対処することができなかった。民主化運動は、労働者民衆の参加なくしては成功しない。そして組織がなくてはもっと成功しない。工党(HKCTUが支持母体)と街坊工友服務処(略称「街工」)は、指導者の政治水準は合格とは言えず、その思考方法は20年前そのままというのが深刻な問題である。

しかし民主派はその組織と指導者とを分けて考えることを理解しなければならない。この二つの労働者組織のメンバーと幹部は、長年にわたって労働組合の組織化に従事してきたのであり、最も報われない活動のための力を注いできたのであり、しかし長期的な展望にたてば極めて重要な活動でもある。このことは知られるべきである。Facebook「選民起義」でもこの点を評価に加えている。民主自決派の政治評価は労働者民主派よりも高くなっている。しかし労働者民主派の労働に関するマニフェストと実践のポイントは、民主自決派よりも高い得点を獲得している。

現在でも「必要な時にはストライキ、罷市、同盟休校が必要だ」と主張し、ストライキの威力を理解している汎民主派もいるが、平時において労働組合の組織化に力を注ぐことなく、危機の時にだけ労働組合に対してストライキを呼びかけるだけでは、労働者大衆をまるで命令すれば動くかのような奴隷と同じように考えていることにはならないだろうか。しかも蕭若元のような政治家は労働組合を敵視さえしているのだ。

だから投票するのであれば、はなから労働者を見下しているような上流プチブル階層の汎民主派ではなく、労働者の組織化に力を注いでいる労働者に根ざした汎民主派に投票すべきである。

これが次に投票すべき候補者である。

この二つの勢力[民主自決派と労働者民主派]にはそれぞれ長所がある。民主自決派は政治的水準では賞賛すべきものがあるが、労働組合の基盤がない。労働者民主派は労働組合の基盤はあるが(強弱の違いはあるが)、政治的水準はそれほどでもない。もしこの両者が相互に学び合うことができれば、かなりの水準でお互いを補う会うこともできるだろう。しかしそのためには、主流の気風である個人競争主義を克服する必要があるだろう。

Facebook「選民起義」の評価のなかで、もう一点注目するとすれば、高得点のトップ3(人民力量・社民連連合、街工、工党)も満点の過半数にしか達しなかったことである。比較的支持に値するような候補者でさえも獲得点数はそう高くはない。古い民主化運動は死んだが、新しい民主化運動はいまだ生まれていない。しかも強敵の進行は増すばかりである。民主派を支持する有権者は闘いつつ進むしかない。新しい政治勢力へ投票を終えた後は、さらに大きな闘争の準備を進めるべきである。闘争を通じてのみ、健全な力をもつ勢力が生み出されるのである。

2016年9月1日

【香港】9月の選挙では三つの勢力に投票するな

9月の選挙では三つの勢力に投票するな

區龍宇


原文

9月の選挙は候補者乱立の混戦模様である。民主派を支援する有権者は誰もが戸惑っている。だが少し分析すれば、すくなくともどの候補者への投票を除外すればいいのかがわかり、選択肢の幅は大きく狭めることができる。

1、建制派(親中派)には投票するな。

これに説明は不要だろう。


次に、汎民主派の研究者の中には、今回の選挙では戦術的な投票をすべきだと主張しながら、政党については、たんに建制派といわゆる非建制派の二つにしか区別していないという問題がある。もし仮にそのようなあいまいな区分しかしないのであれば、民主派を支持する有権者は王維基への投票を検討すべきだということになるではないか。この候補者は、労働者の権利に敵対し、真の民主主義に反対する大金持ちの候補者である。あるいは排外主義的暴力を扇動する偽の本土派もおなじく民主派としてひとくくりにしている。このような区別は、民主派を支持する有権者にとって全く望ましいものではない。それゆえ建制派には投票しないだけでなく、次の二つの勢力にも投票してはならない。


2、極右排外主義には投票するな。

民主派を支持する有権者は、熱普城[熱血公民、普羅政治学苑=黄毓民、城邦派=陳雲の三つの排外主義右派勢力の総称]あるいは本土民主前線に投じてはならない。「本土派」を名乗る勢力もあるが、もしそうであるなら、地元文化の保護運動に真剣にとりくんだ朱凱迪やコミュニティでの民主化運動を推進した小麗民主教室[どちらも民主自決派の候補者]と、「本土派」を自称する右翼排外主義とをどのように区別すればいいのだろうか。

「急進民主派」を名乗る勢力もあるが、いい加減にしてほしい。「急進」的「民主派」とは、その語のもつ元来の意味でいうなら、それは熱普城が憎むべき左翼のことを指す(原注1)。かりに香港で一般的に行われている分類にしたがったとしても、「急進」、「民主」という分類では、社民連と熱普城を区別することはできない。そのような分類方法は百害あって一利なしである。

熱普城と本土民主前線のもつ排外主義、個人崇拝、政治の宗教化、権威主義、多元的民主主義への敵対、ころころ変わる主張、若者を暴動に扇動しながら自らは傍観する等々の特徴は、いずれも明確に極右主義の性質であるが、アメリカのトランプですらこれほどひどくはないだろう。極右の特徴は、民主主義に対する殲滅という理念である。それにも関わらず「民主派」を名乗る?そのような行為は、客観的に中国政府や香港政府による民主化運動に対する破壊を手助けするものである。それは実際には歪曲化された建制派である。そんな勢力に投票してはならない!

名正しからざれば則ち言順(したが)わず、言順わざれば則ち事成らず[論語]。名称を明確にしなければ、有権者はあいまいなまま間違った投票を行い、それによって不要な打撃を招くことになるだろう。つまり最初に戻って考えると、これら極右排外主義の存在が意味するところは、「建制VS非建制」という汎民主派の研究者による区分が百害あって一利なしであることを改めて明らかにしているのである。

もうひとつの本土派といわれる政治勢力に「青年新政」がある。しかし実際にはその主張に何ら新しいものがあるわけではなく、旧態依然の保守的な排外主義と右翼ポピュリズムである。かれらのいう「香港民族主義」は、「新移民[返還以降の中国大陸からの移民]は、広東語と繁体字、または英語を理解していることを証明する試験に合格しなければ市民権を得ることはできない」と主張している! 青年新政の指導者の祖母は80歳の客家だが、青年新政が目指す香港国家が樹立された暁には、その祖母は香港の市民権を失うことになるだろうという冗談もあるほどだ。


3、「軟弱な汎民主派」には投票するな。

いわゆる「軟弱な汎民主派」とは以下のような特徴を持っている。

1)かつての最大の汎民主派の政党であり、長い歴史を持っているがゆえに、とっくに成仏して役立たずの専門業種[弁護士など]の政治家集団となってしまい、選挙のことしか考えられない。民衆や民主化運動などは選挙の手段にすぎない。

2)妥協主義が骨髄にまで浸透している。朝廷[中国政府]による帰順の呼びかけに心中うれしくてたまらなく、それになびいてしまう。いまはなびかなくても次はなびく。臨時立法会への参加や密室協議など、これまでの事件は偶然の産物ではない。

3)妥協主義がマニフェストに表現されている。つまり基本法という鳥かごの枠内での普通選挙にのみ参加し、あえて冒険を冒そうとしない。妥協主義が階級属性にも表現されている。つまり上層プチブルの立場で、支配者と民衆のあいだでバランスをとり、そこから利益を得ようとするが、実際には一方に偏っている。このようなプチブル政党は、一貫して労働者の権利を蔑んでおり、一貫して民営化には積極的で、一貫して大企業に傾斜した主張をしてきた。このような政党が口では「庶民のため」といったところで、それを信じることができるだろうか。

4)香港は8・31通達[香港ではすぐに普通選挙は実施しないという中国政府が2014年8月31日に出した通達]を経過し、雨傘運動を経過し、5人の書店主の違法な拘束[中国政府に不利な書籍を出版・販売していた香港の書店主が中国当局に拘束された事件]を経過したというのに、いまだ「普通選挙実施のための手続きを再度やりなおす」というのんきな主張をしているのだ! 

有権者諸君は「自決権」「香港独立」「国内自決権」「基本法の永続」などの新しい政治主張に同意する必要はない。だが8・31通達が出されたことで、従来のやり方[手続きのやり直し]では先が見えてしまっている。専制主義者[中国政府]はとっくに香港人の自治権を絞め殺す決意を固めているのに、まだ跪いて普通選挙を賜ろうとし、中国共産党が設定した鳥かごの手続き[基本法にのっとった普通選挙実施のための手続き]に沿ってものごとを進めようとしている。ふたたび中国共産党にもてあそばれる[手続きに沿って普通選挙実施が拒否される]のが関の山である。このような「民主派」を「建制民主派」と呼ばずして何と呼べばよいのか。


多くの汎民主派政党には、上記のような特徴を少なくとも一つか二つは持っている。だが、これらすべての特徴を備えているのはそう多くないはずである[民主党だけ]。汎民主派候補の乱立局面において、つぶし合いを避け、最もふがいない汎民主派政党に懲罰を与え、民主化運動のブラッシュアップを促進させるために、「軟弱な民主派」には投票すべきではない。そのような政党に投票しないことが、大局にとって最も望ましいことである。

9月には以上の三つの勢力に投票しないことこそ、民主派を支持する有権者の第一の戒律となる。

2016年8月18日


原注1:香港の主流メディアで使われている分類方法ではなく、歴史的および国際的基準に照らし合わせた分類。歴史的および国際的基準でいえば、香港で「左派」と呼ばれる中国派勢力(香港共産党)は、実際には極右派であり、どのような意義においても「左」の要素を持ち合わせていない。

【中国】帝国の逆襲――南海の紛争からみえる民族主義

nanhai


帝国の逆襲
――南海の紛争からみえる民族主義

 

區龍宇

 

2016年7月26日


(訳者: 香港のウェブメディア「立場新聞」に掲載された區龍宇さんの論考を紹介します。原文はこちらです。

日本では「南シナ海」と言われている地域は、原文のまま「南海」と訳出しています)


 

三年前に、フィリピン大学国際法研究学部、国際調査教育機関(IIRE)マニラ、ヨーロッパ・アジア・ピープルフォーラム事務局が共催した「中国の台頭とアジアへの影響についてのシンポジウム」に参加した時のことだ。フィリピン人の研究者の言葉が一番印象に残っている。彼は冗談交じりにこう言った。「南海での紛争を解決する一番の方法は、すべての島礁を爆破してしまうことです。どうせほとんどが小さな岩礁なのですから。爆破してしまえば争いもなくなります。」

 

 

● 島礁よりも九段線が重要

 

国際仲裁裁判所の判定が完全に公正で妥当であるかは、とりあえずは置いておく。しかしこの判定は一つの事実を明らかにした。つまり争いのある圧倒的大部分が小さな岩礁に過ぎないと言うことであり、それは「国際海洋条約」が規定する領海と排他的経済水域となりえないということである。実際、南海での衝突で決定的なのは、島嶼の帰属問題ではなく、中国政府による九段線の主張のほうである。中国政府は広大な公海と島嶼をすべて中国の内海にしようとしているが、それはあまりに強権的だといえるだろう。国際法に従えば、国家の領海の範囲は、その領土によって決まる(海に対する陸地の支配原則)。

 

大陸棚の自然延長上にある周辺島嶼は、すでにある国が占有しており、他の国との紛争がなければ、その国の領土とみなされる。しかし南海の無数の島礁は、中国大陸棚からの自然延長にはなく、中国政府もこの論を強調することはできない。もう一つ別の援用できるであろう原則は、当事国が無主地において先に占有し、長期にわたって実質的に管理しているという原則である。しかし南海の無数の島礁において、ごくわずかの島礁だけがこの原則に合致する。それゆえ国際海洋法裁判所は、中国が歴史的に九段線に囲まれた内海および島礁に対して「排他的統制権」があるという主張を証明することはできないと述べた。これが裁判所が九段線という主張を採用することができない理由の一つである。

 

南海諸島と記載された古地図を持ち出して、はるか以前からその海域は中国のものであるという中国メディアの主張は、民衆を混乱させる主張でしかない。地図上の標識は根拠ではなく、根拠にもなりえない。中国政府は、中国人が漢の時代にすでに南海諸島を発見していたと主張している。しかし考古学者のヴィルヘルム・ソルヘイムによると、海洋民であるヌーサンタオがそれ以前に発見・利用していたとする。(原注1)

 

中国政府は2009年に国連事務総長に書簡を提出し、九段線に囲まれた内海の「南海諸島およびその付近の近海域に対する疑いようのない主権があり、その海域及び海底の主権と管轄権を有する」ことを表明した。しかし、その後、中国政府の報道官は、アメリカの艦船が九段線海域の航行の自由に同意している。これはおかしなことではないか。中国政府のこのようなあいまいな態度は、実際には意図したものである[領海においては無害通航権、排他的経済水域においては航行の自由が認められる:訳注]。中国政府は九段線の説明を避け続けている。それは国境線なのか、水域線なのか、それとも歴史的権利にもとづく線なのか。インドネシア外交官ジャラール氏はある文章でこう述べている。「九段線は定義もなければ座標もなく、その合法性と正確な位置も不明確である。」(原注2)

 

中国政府の本当の狙いは、南海を鯨飲よろしく奪ってしまおうということでは必ずしもなく、どちらかといえば試しにどれだけできるかやってみた、という感じでもある。よく言えば「あいまい戦略」であり、まずその言動に合理的な根拠があるかないかは別として、広大な公海域を中国のものだと宣言し、周囲の反応を観察してから弱いところを集中して叩くというものだ。だがそのような態度は地方ボス的覇権主義のイメージを証明するだけである。

 

 

● 奪った土地も継承する?

 

中国政府の九段線は、国民党政府の十一段線を踏襲したものである。中国政府が二本の線を削除したのは、1953年にベトナム政府との友好関係を示すために、ベトナムに近い海域のものを削除したからである。このような行為から、中国政府による南海に関する主権の主張は、実際には意図的なものと言える。この意図的な主張は国民党もそうであった。ビル・ヘイトンの著書『南海――21世紀のアジアの火薬庫と中国の覇権に向けた第一歩』[邦訳書『南シナ海―アジアの覇権をめぐる闘争史』]では、当時の国民党の主張がいかに適当であったかを明らかにしている。

 

中華民国の最初の憲法では「中華民国の領土主権は旧帝国の版図と同じである」と規定されていたことから、民国政府は清王朝を打倒したのち、清王朝の領域を確定する必要があった。そして1914年に「乾嘉時期までの中国版図」を発表した。しかしこの地図は東沙と西沙諸島が書き込まれていただけで、南側については北緯15度以北までで、北緯3度から11度に位置する南沙諸島は除外されていた。20年後、南沙諸島は版図に組み込まれたが、その理由は1933年にフランスが南沙諸島を領有しようとしたため、国民党政府は新し地図を公表し、南沙諸島を最初に版図に組み入れたのである。「とりあえず奪ってしまえ!」というわけである。

 

国民党によるこのような意図的な南沙諸島の版図組み入れに説得力があるだろうか。中国共産党の政府はこれを根拠に南海の主権を主張しているが、それはいっそう説得力に欠けるものである。しかし中国共産党の政府がさらに突きつけられる疑義はその政治的原則である。つまり、中華民国は清王朝の版図を継承し、中国共産党の政府はその中華民国の版図を継承しているというものだ。これは民族主義の原則であり、民主主義の原則ではなく、ましてや社会主義の原則ではない。

 

国民党は明らかに民族主義政党であり、帝国の遺産を忘れることはできなかった。それゆえ国民党は当然にも大清帝国の版図のすべてを継承しようとしたし、少数民族に対して中華民族の版図に留まりたいかどうかを問うことさえ思いもつかなかったし、過去において清王朝が奪った地域も当然継承しようとした。現在もなお国民党は外蒙古の独立を認めるべきではなかったと考えており、モンゴル人民の自決権を尊重すべきかどうかなど想像だにしたことはなかった。だが当時の民族革命家のほとんどが同じような考えであった。

 

章太炎[炳麟、1869年~1936年]がまだ「韃虜を駆除し、中華を復興させる」という民族革命に従事していたとき、彼は中国の領土はベトナムから朝鮮までを含むと考えていた。ベトナム人と朝鮮人は「漢人と通じ」ていたからというのが理由である。そしてチベット人やモンゴル人などは、漢人とは永久に対等にはなりえないとも考えていた。なぜなら「吾これを見るに、アメリカが黒人を見るのごとし必然である」(原注3)。自らまだ奴隷(被抑圧民族)として差別されていたにもかかわらず、将来もし機会があれば同じように自分たちよりも「低級」な民族を差別しようという思想をすでに持っていたのである。これこそ民族主義者の厚かましい面構えである。

 

しかし中国共産党の場合は、民族主義者よりもバツが悪いといえる。中国共産党の建党理念にしろ、中華人民共和国の建国理念にしろ、そもそも民族主義に立脚したものではなく、それは…そう、「社会主義」や「社会主義政権」であったにもかかわらずである。まったく民族主義者と同じく、旧王朝の帝国主義国家の領域をまるまる継承するとでもいうのだろうか? どの地域が奪い取ったものかということも明らかにしようとせず、民族自決権も尊重しようともしない?この問題について、われわれは第一次世界大戦前、オーストリア=ハンガリー帝国と帝政ロシアの社会主義者のあいだの論争から示唆を得ることができるだろう。

 

 

● 民族自決権の尊重と帝国精神への反対

 

アメリカのウィルソン大統領は1918年(大戦終結時)に14項目の宣言を発表した。そこには少数民族の自決権の尊重が含まれていた。しかしそれまでの長年にわたって欧米各国の社会民主党(当時最大の左翼勢力)、とりわけ多民族のオーストリア=ハンガリー帝国と帝政ロシアの社会民主党は、民族自決権に関する論争をおこなっていた。オーストリア=ハンガリー帝国の社会主義政党は、民族自決権を支持せず、民族自治に限って支持していた。しかし帝政ロシアの社会民主党は、多数派(ボリシェビキ)か少数派(メンシェビキ)かにかかわらず、少数民族の自決権、ひいては分離権さえも支持していた。かれらは、民族自決権を本当に実現すれば、それは帝政ロシアの屋台骨を解体につながることを理解していた。

 

二つの帝国は他民族の土地を略奪し、その地域の民族を抑圧していたからである。ロシアの社会民主党員は、自決権は民主主義の基本原則であり、帝政ロシアの屋台骨の解体こそが、各民族の労働者人民の利益にかなうと考えていた。そして1917年10月革命の後、新政権は帝政ロシアの版図を継承せず、「ロシア人民の権利宣言」を発表した。そのなかで述べられている民族問題に関する立場は以下のとおりである。

 

・ロシア諸民族の平等と主権。

・分離及び独立国家の結成を含む、ロシア諸民族の自決権。

・あらゆる民族的および宗教的特権の制限の廃止。

・ロシア領土内の少数民族と種族の自由な発展。

 

ロシア革命政府は真面目にこの立場を実行し、かつて帝政ロシアに併呑された国々、たとえばポーランド、フィンランド、バルト三国などが前後して独立を果たした。ウクライナはいったん独立をしたのち、ソ連邦に加盟した。当初のロシア革命政府によるこのような国際主義は、当時の世界各地の反植民地革命をおおいに促進することとなり、中国共産党を含む植民地革命運動はロシア共産党を指導者とみなすようになった。

 

もちろん、スターリンが台頭した1920年代半ば以降には、ソビエトロシア政府はすでに当初の革命政府とは様相を異にしていた。それまでの民族政策のほとんどすべてが転換しており、憲法に定められた多くの権利も名目上のものになっていた。興味深いのは、スターリンは反動的政策を推進したが、党の民族自決の立場を正式に否定することはできず、連邦からの離脱権を銘記した憲法の条項も削除できなかったということである。この条項は、のちに効力を発揮することになる。1991年から92年にかけて、ソ連邦で政治的危機が爆発したとき、ソ連邦に加盟していた多くの共和国がこの憲法の条項を根拠にソ連邦から離脱したのである。

 

だが中国共産党はそれとは様相が違った。中国共産党は初期(建党から抗日戦争の時期にかけて)においては、ソ連の民族政策に従い、チベットやウィグルなど少数民族の自決権を承認していた。しかしのちに完全にそれを放棄した。新中国の建国後、民族自決権を完全に否定したばかりでなく、憲法で承認された自治権でさえも、現実的には剝脱された状態となったのである。これが民族政策におけるソ連共産党と中国共産党の違いである。中国共産党の民族政策は、初期ソ連邦と異なるだけでなく、スターリン下のソ連共産党とも大いに異なっていたのである。

 

その後の数十年の腐敗と堕落によって、今日における中国共産党政府は完全に官僚ブルジョアジーの政権に変質してしまった。そしてその対外政策は、ますます拡張主義的な帝国精神をもつようになった。中国共産党政府はいっさいの恥じらいもなく清王朝と中華民国の版図を継承し、いっさいの恥じらいもなく社会主義政権を自称し、民族自決権を完全に否定しているのである。これら一切は、中国共産党の徹底した堕落の結果に他ならない。今日における南海の版図編入の野望には、ちゃんとした理由があるのである。

 

 

● 大国は小国に仁を以て接すべし

 

フィリピンの左派学者で元国会議員のウォルデン・ベローは、中国政府の南海に対する動きは、防衛的心理、つまりアメリカによる包囲への対抗であるという論考を発表し、読者に注意を喚起している。1993年の銀河号事件[積み荷に化学兵器の原料があるとして米軍艦が中国の貨物船銀河号を強制臨検した事件]、1999年のユーゴスラビアの中国大使館に対する爆撃事件、2001年の米軍偵察機と中国軍機の接触事件などは、アメリカによる包囲がいまだに続いていることを中国に喚起しており、中国政府による南海の編入は包囲網への抵抗というわけである。

 

だがわれわれは、一つを知るだけで二つ目を知らない(一面のみを知って全体を知らない)というわけにはいかない。中国の官僚資本主義への変質は、さらなる野蛮な独占資本主義への変質である。そして独占資本主義はそもそも拡張主義を内包している。今日、中国が南海において石油資源を争い、自らの海上貿易のルートを確保することで、世界の搾取工場という地位を確保しようとしていることに疑いはない。これらはすべて中国が南海に対する領有権の主張の原因である。中国は疑いなくアジアにおけるたちの悪い新たな覇権となっている。

 

アメリカやイギリスは中国がハーグ国際仲裁裁判所の判決を順守するよう呼び掛けているが、それはいささか冗談のように思える。イギリス政府は去年、仲裁裁判所から、イギリスがチャゴス諸島に海洋保護区を設置したことは海洋法に違反するという裁定を受けたばかりであるが、イギリスはそれを無視し続けている[英領チャゴス諸島には島民を追い出して建設された米軍基地のあるディエゴガルシア島がある。モーリシャス政府は英国政府に返還を要求。英政府は同諸島海域を海洋保護区にすることで島民の帰還を妨害していた]。

 

一方、アメリカはといえば、これまで一度も「国際海洋条約」に基づく勧告を受けたことはない。なぜなら、そもそもアメリカはこの条約に署名すらしていないからだ。超大国ゆえに、「海洋航海の自由」を制限する条約への署名などする必要がないからだ。国際仲裁裁判所どころか、国際司法裁判所でさえも、アメリカにとっては存在しないに等しい。1979年、ニカラグアのサンディニスタ革命が親米政権を打倒したが、アメリカは右翼ゲリラを支援して新政権に抵抗する一方で、ニカラグアの港湾に機雷を付設した。サンディニスタ革命政府は、これを違法として国際司法裁判所に訴えて勝訴したが、アメリカは判決を無視し続けた(原注4)[90年の選挙で政権に着いたニカラグアの親米政権は翌年訴えを取り下げた]。

 

アジアにおける新たな覇権は、覇権の筆頭であるアメリカの不安をかきたてた。第二次世界大戦後のアジア人民の不幸の多くは、中国の覇権ではなく、アメリカの覇権によってもたらされたものと言える。フィリピンの左派知識人たちが、南海をめぐる中国政府の主張に反対するとともに、フィリピン政府に対してもアメリカに頼るべきではないと主張する理由がここにある。

 

ウォルデン・ベローもその一人である。彼は文章のなかで、退任したアキノ大統領がアメリカと締結した防衛協力強化協定が「フィリピンを超大国の抗争の一方の当事者の駒に変えてしまった」と批判している(原注5)。しかし彼は、フィリピンが誤った政府リーダーのもとで一時的にアメリカの駒となったからといって、中国政府が南海紛争に手を染めるべきではないとも強調している。ベローは、中国政府がアメリカの包囲に対抗する戦略の選択を誤り、アメリカと同じ単独行動主義を選択して、南海において島嶼拡張と軍事化を一方的に実行していると述べている。わたしもこの分析は正しいと考えている。

 

しかも、中国政府は前フィリピン大統領がアメリカに依拠していると批判するときに、意図的に次の点を曖昧にしている。つまり大国と小国との区別についてである。小国が他の大国に依拠する場合、それは実際には大国間にはさまれた小国の悲哀を表現している。巨大な中国に対して東南アジアが脅威を感じないことがあろうか。もし中国が本当に「平和的台頭」を考えているのであれば、もし中国にまだ民主的精神があるのなら、「大国は小国に仁を以て接すべし、小国は大国に知恵を以て接すべし」という格言の最初の一句を実行すべきだろう。もし中国政府がアメリカと対抗しようとするなら、仁を以て小国に接して、それらの国々の民心を得るべきだろう。これは武力を誇示するよりもよっぽど賢い方法である。だが中国政府は逆のことを行っており、客観的に東南アジア諸国をアメリカの側に追いやってしまっていることは、愚か極まりないことである。

 

南海紛争がいますぐに戦争に発展することはないだろう。しかし少なくとも戦争の可能性はますます大きくなっていることを予告するものである。香港もそれと無関係というわけにはいかなくなる。アジア諸国の人民は、自国の政府が誤った政策を採ることを阻止するために声をあげなければならない。香港人は中国政府が南海を軍事化することを阻止するとともに、中国政府が世論をひとつに統制し、民族感情を扇動することをやめさせて、南海紛争における様々な意見や主張を自由に表明できるよう、言論の自由を許容、奨励することを要求しなければならない。こうしてこそ、戦争屋が煽る民族憎悪を押しとどめることができるだろう。

 

 

原注1:『南海--21世紀的亜洲火薬庫與中国称覇的第一歩』、Bill Hayton、第一章。

原注2:郁志栄『詮釋中国断続国界線刻不容緩』

原注3:『黄帝神話與晩清的国族建構』沈松僑/台湾社会研究、26頁、199712月。

原注4:Of Course China, Like All Great Powers, Will Ignore an International Legal Verdict

原注5:A Flawed Strategy and How to Rectify it: Aquino, Duterte, and the West Philippine Sea

 



【香港】立法会選挙まで一か月 ~ 民主自決派と本土派

hk201607

94日に投開票が行われる香港立法会選挙が揺れている。


候補者受付は71629日の期間に行われたが、直前の714日に選管委員長が突如として立候補予定者に「確認書」への署名を求めた。

確認書は、香港基本法に定められている、香港は中国の一部である、基本法を順守する、香港は高度の自治と中央政府の直轄であること、などを立候補者が認めることを求めている。

この確認書は、直接的には2014年秋の雨傘運動ののちに社会勢力化した「本土派」(香港独立派)の立候補を拒否する口実である。本土派のなかには、立候補するために「確認書」への署名を行った立候補予定者もいたが、署名を拒否するものもいた。しかし結局は署名したものをふくめ香港民族党、民主進歩党、本土民主前線、保守党などの候補者6名が立候補を認められなかった。

2月に行われた補選で本土派の本土民主前線の梁天琦(香港大学大学院生、25歳)が予想を大きく上回り15%の得票率で惜敗したことに、中国政府が大きな危機感を持ち、9月の選挙では香港独立を掲げる本土派の立候補を阻止しようとしたとも考えられる。

雨傘運動を担った民主派からも、選管の「確認書」は政治主張によって立候補を認めない非民主的な手続きだという批判が上がり、民主派は、従来の汎民主派も、そして雨傘運動後に登場した民主自決派も一致団結してこの確認書への署名を拒否するとともに、本土派の立候補が認められなかったことに対しても、汎民主派(工党、公民党、民主党、公共専業聯盟、街工、民協、教協、人民力量、社会民主連線、社工復興運動)と民主自決派(香港衆志、朱凱廸、劉小麗)のそれぞれが連名で、民主主義擁護の立場から中国政府の意向を色濃く反映した選挙管理委員会の決定を批判している。

8
2日に選管が開いた選挙説明会は、汎民主派、民主自決派、本土派の候補者らが会場内で抗議の声を上げ、壇上を占拠しようとしたり、会場で抗議の横断幕を掲げたりと大荒れに荒れた。メディアでは立候補が認められなかった一人、本土民主前線の梁天琦に注目が集まっている。

しかし選挙説明会で、最終的に説明会を中止(時間を繰り上げて終了)に追いやることに成功したのは、最初に壇上に駆け上った香港衆志(Demosisto)の羅冠聡であり、「香港自決」のプラカードを掲げた朱凱廸であり、多数の警官に囲まれて会場から排除されながらも最後まで政治的選別反対を訴え続けた劉小麗ら「香港自決」のプラカードを掲げた民主自決派の若い候補者たちの奮闘によるものだ。

在香港のメディアをふくめ多くのメディアは、本土派の動向のみを報道している。これは中国政府の世論操作にとっても都合のいい報道ぶりといえなくもない。つまり問題の核心を批判する民主自決派ではなく、ほとんど中身のない主張しか持たない排外的本土派のみが取り上げられることになるからだ。

以下は、「確認書」を巡る本土派の立場を批判した選民決起(今回の選挙にあわせて作られた民主自決派のひとつ)の文章、そして2月はじめの旧暦正月に発生した暴動における梁天琦の言動を批判した區龍宇の文章を翻訳紹介する。

本土派の立候補を認めない選挙管理委員会の政治的選別を批判した民主自決派の声明も追って翻訳紹介したい。(早野)


「確認書」は妖魔鏡 本土派は朝令暮改

《選民起義》政制組

原文


選挙管理委員会の確認書が、候補者に対して香港基本法を擁護するよう求めているが、明らかに香港独立派の立候補を拒否するためではないか。このような要求は、選管がまちがいなく中国政府の手先であることを暴露したにすぎない。しかし外国でも違憲行為という認定はあるが、「違憲言論」という表現など見たことなどない!中国政府自身の違憲行為には枚挙にいとまがない。たとえば1976年の四人組打倒は明らかにクーデーターであり、明らかに憲法違反であるが、現在の中国政府は共和国を救った英雄行為と考えている。

他方、中国政府は「違憲言論」を理由に言論の自由を弾圧しているが、その禍はいま香港にまで蔓延しようとしている。「違憲言論」という罪状で香港独立派を弾圧しようとしているのだ。どこの文明世界で「違憲言論」なる罪が成立するというのだ!どんな憲法でもどんな法律でも、その行為を追及するのであって、言論を追するものではない。たとえば上映中の映画館で「火事だ!」とウソの危険を大声で叫ぶというような、直接的に人々を扇動するような危険なものではなく、一般的な政治的見解であるのなら、それが香港独立であろうと、自由に発表できるべきである。そこにはもちろん政府打倒という主張も含まれるべきである。

実際、19世紀以降、欧州の多くで「革命」を主張する左翼あるいは右翼の政党が存在し、支配階級もその革命的言論を尊重せざるを得ず、その主張をもって「違憲」であるとは言えなくなっていた。イギリス植民地下の香港においても、1970年代以降は、内外の圧力によってこの自由主義の原則に従わざるを得なくなり、香港独立団体や左翼革命団体を認めることになった。イギリスさえも認めたことを、中国政府は認めることができないのである。

ましてや、憲法がまず制限するのは市民ではなく政府権力に対してである!主権在民!独裁者よ、中国政府よ、公安どもよ、そして香港行政長官よ、君たちは至る所で基本法が香港に付与している自治権に違反した行為を重ねているではないか。君たちこそが法廷に送られなければならない!

ところで、確認書は香港政府の醜悪さを映し出しただけではない。それはまたもう一つ別の妖魔をも映し出している。その妖魔とは本土派(※)である!本土派は次々に立候補を申請しており、次々に確認書に署名している。その一方で、多くの汎民主派政党の立候補予定者は確認書への署名を拒否している。極めて興味深い対比である。

本土派の言論を分析することに時間を費やすのは無駄であることは、これまでと変わらない。常に言うことが変わるからだ。しかしただ一人、陳雲[城邦派の学者]の主張は一貫している。それは「基本法はいいものである」「基本法が永遠に続くように」という体制派とおなじような主張のことである。かれは早くから著書『城邦論』(ポリス論)のなかで、特別行政長官でさえも香港からの推薦によってえらばれることなどを挙げて、基本法が香港に極めて高い高度の自治を付与していると主張していた。

しかしその主張はまったく取るに足らない!中国では省長は省人民大会[省議会]での選挙を経たのちに就任するのであり、副省長でさえも中央政府が委任するのではない。陳雲は基本法に対する根本的な批判を行ってはいない。それはポリス論がいっけん急進的な主張であるかにみえるが、実際には中央政府にとって都合のいいものであることを物語っている。

基本法は香港人による自治権に違反していることは、誰もが知っている。

基本法の第8章では、基本法の解釈権と改正権は中央政府にあるとされており、香港人の権利を奪うものである。

同法18条においては、中央政府はいつでも香港における緊急事態を宣言することができ、中国本土の法律を香港において実施することができるとされている。「まず香港政府に諮問したのちに」という穏健な規定でさえも無視できるのである。これは香港の自治権の消滅と同じである。

第4章の普通選挙に関する条項は、秩序ある漸進で実現すると明記されているが、具体的な期日はなく、その結果、中国政府は無期限にそれを延期することができる。

このような基本法を、永続させる必要があるのか? 国師[陳雲のあだ名:訳注]の主張がこれどほ奇妙奇天烈にもかかわらず、「全民衆による憲法制定」という別のアイデアを提起している黄毓民と熱血公民[前者は普羅政治学院という一人会派の本土派の立法議員、後者は雨傘運動で社会化した排外的本土派の団体:訳注]は、陳雲の当選を支援することに何ら矛盾も感じていないとは、なんたるでたらめ! 三者はさらに選挙管理委員会の「確認書」に署名をして、基本法を擁護することに同意しているのだ。さんざん主張してきた「建国」はどうなったのか? 永遠のご都合主義である。ライバル[民主派]の主張はすべて否定しながら、移り気な自分たちの立場はすべて肯定する。完全に終わってる。

2016728

※訳注:原文では熱・普・城=熱血公民、普羅政治学苑、城邦派の三つの本土派団体の総称だが、ここでは便宜上、「本土派」と翻訳する。本土派のなかでも香港民族党など確認書を提出していない団体もある。




洪秀全をまとった梁天琦

區龍宇
2016219

原文

中国大陸はすでにある種の局面に突入している。魯迅のいうところの「机をひとつ動かすとか、ストーブをひとつ取りかえるのですら、血をみなければ済まない」である。時代は革命を呼んでいる(原注1)。香港もそこから無縁であることは難しいだろう。

しかし革命にもいろんな種類がある。民主主義革命もあれば、別な朝廷の誕生を繰り返すだけの義和団式の革命もある。


◎ 民主主義革命なのか義和団式の革命なのか?

汎民主派は革命と聞くだけで席を立つ。しかし実際のところ、かれらの教義の教祖であるジョン・ロックも人民に革命権があることに賛成していたことを忘れているようだ。アメリカの独立宣言でもこの点が強調されている。西欧のほとんどすべての代議制民主主義はすべて革命を経たものである。一部のリベラリストは、イギリスの1688年の無血の「名誉革命」をよく話題にするのだが、1640年の流血の清教徒革命については語ろうとしないのは不誠実と言える。1640年の革命がなければ1688年の革命がどうして起こりえただろうか。

民主主義革命の核心は、独裁を民主平等の制度に替えることであり、その逆ではない。だが梁天琦は革命を高く掲げてはいるが、それは民主主義革命ではなく、洪秀全や義和団式の革命なのである。それは民主主義をもたらすのではなく、独裁と暴力の循環をもたらすだけである。

◎「死ぬくらいなら共産主義のほうがまし」

梁は「抵抗無限界」論を新たに解釈してこう述べている。「いかなる代償もいとわない」と(原注2)。「節を曲げるくらいなら玉砕を選ぶ」ということか、ははは! いかにも武闘派らしい。だがそれは民主主義革命の路線なのか。そうではない。冷戦がピークだったころ、両陣営の支配階級は「節を曲げるくらいなら玉砕を選ぶ」の戦略、つまりMAD mutually assured destruction(相互確証破壊)という、最終的に全滅することさえ厭わない核兵器戦略である。だが西側の左翼および平和運動(哲学者ラッセルをふくむ)は核兵器に反対し、better red than dead(核兵器で死ぬくらいなら共産主義のほうがまし)というスローガンを掲げた。核戦争は人類と文明をすべて破壊する。そのような代償を払うことはできない。愚か者だけがそのような代償を厭わない。(原注3)

さらに気がかりなのは、「節を曲げるくらいなら玉砕を選ぶ」と叫んでおきながら、大衆がそれに呼応したときに、一番最初に逃げ出したのが当の本人であったということである。いったいどういうことなのか。黄台仰がまさにそのような行動をとったのでなかったか[本土民主派前線スポークスパーソンの黄台仰は29日未明に同組織が呼びかけた旺角行動での警察との衝突直前にこのスローガンを叫んで行方をくらまし、後日友人宅に潜伏しているところを逮捕された]。

梁と黄は別人であるが、諸君ら本土民主前線は、その時々で主張が違い、結局のところどれを信じればいいのだ(原注4)。Talk is cheap(言うは易し)というふうに、口だけなら何とでもいえるということを諸君ら自身がよくわかっている。

◎ 対等の暴力は、暴力を以て暴力に代えるだけ

梁は、彼らの限度が「警察に対して対等の武力を用いる」ことだと説明する。まったくおかしな言いぐさである。警察が持っているのは棍棒とピストルだけではない。その後ろには解放軍の戦車と機関銃が待ち構えているのである。諸君らに聞きたい。そのような兵器を準備して戦争を発動しようとでもいうのか? もしもそうなら、そうとはっきりと言うべきだろう。もしそうでないとすれば、単なるホラ話にすぎない。あるいは諸君らはこういうかもしれない。そのように明言することは得策ではない、と。

だが本当にそうであろうか。革命派はそうであってはならない。軍事的準備はもちろん公に語ることは難しい。だが政治的には、革命派は軍事的手段を採用することを公然と説明することができるし、また説明しなければならない。孫文もそうであったし、キューバのカストロとゲバラもそうである。旧正月の露天商の営業にかこつけるゲスの極みなどもってのほかではないか。

◎ 暴力の乱用を阻止する革命家

梁の問題は、革命を暴力と同一視していることである。洪秀全[清末の太平天国の乱の指導者]や義和団の「革命」だけだそのような考えに一致することがわからないらしい。西欧の民主主義革命家も武力で独裁者を駆逐することを畏れなかったし、英リチャード一世と仏ルイ十六世はともに断頭台に送った。しかし民主主義革命における武装闘争は、無原則とは無縁であり、対等の武力を云々するものでもなかった。それとは全く逆に以下の原則を堅持した。


1、武力は目的ではなく、あくまで手段であった。手段であるので、最高原則ではなく、さらに重要な原則、つまり民主主義の趣旨に符合するかどうかが、その運用の可否の判断材料となった。重要なのは、「対等な武力」が必要なのではなく、それで目的を達成することができるかどうかである。

2、武力を手段とする場合も、それは非常用手段であり、その巨大な副作用、つまり敵を破壊するが、往々にして自らも破壊される。ひどい場合には、敵は無傷で自分だけが被害を受けることもある。それゆえ民主主義革命は暴力を賞賛あるいは崇拝することは絶対になく、一時的で必要な場合――特に自衛――のみの手段であると見なしてきた。

3、いわゆる「一時的」については、十分な根拠が必要であり、それは理性的に証明されなければならず、大声や攻撃的な主張に依拠してはならない。

4、民主主義革命は武力を用いた自衛の原則を根本から否定するものではないが、それを万能薬とはみなさず、時と場合を考えて用いる。武力は特殊な情勢下においてのみ使用することが考慮される。

5、大衆の一時の衝動は、自衛の際に過度に武力が用いられることはよくあることだが、よくあることとそれを承認することは同じではない。

以上のことから、結論は以下のようになるだろう。

1、革命と武装闘争は同じではない

2、武装闘争はただ特殊な状況においてのみ、限定的に使用すべきであり、洪秀全や義和団を模倣するのでない限り「武装闘争に限界はない」あるいは「対等の暴力」ということであってはならない。洪秀全や義和団のような輩は、武力を用いる際には限界を設定せず、その赴くがままに任せるのだが、それは報復することでうっぷんを晴らす心理に他ならない。そのような「革命」は暴力を以て暴力に代えるだけである。

梁天琦はさらにこんな発言をしている。警察に対して対等の武力を用いるかどうかは民衆がきめる、と。これほど狡猾な発言もないだろう。

私はこの発言を聞いて全く逆の立場にたったロシアの革命家、トロツキーを思い出した。19177月、すでに帝政は打倒されていたが、人民は「平和、パン、土地、憲法制定議会」を要求していた。臨時政府が絶望的な対独戦争を継続したこともあり、ある日、臨時政府の農業大臣、チェルノフが街頭で民衆に取り囲まれ殴打され、彼を殺せという声が上がった。その場にいあわせたトロツキーは声を上げて飛び出した。彼は「民衆が決めること」と叫んだのだろうか。同じくその場に居合わせた彼の政敵、スハーノフは次のように描写している。

「見わたすかぎり、群衆は激昂していた。……トロツキーが演説をはじめても、群衆は静まらなかった。もしだれかが挑発者が、この瞬間、この付近のどこかで一発発砲したら、それこそ恐るべき流血の惨事がおこったろう。彼らはトロツキーもろとも、われわれ全部を八つ裂きにしてしまったろう。かれはこういった。『…諸君は、革命を脅かす危険の報道を聞くやいなや、ただちにここへ駆けつけてきた。…だが、なぜ諸君は諸君自身の目的を傷つけなくてはならないのか? なぜ諸君はでたらめに個人につまらぬ暴力をくわえて、諸君の記録をくもらせ、汚さなくてはならぬのか?諸君はすべて革命への献身をしめしてきた。諸君は一人のこらず革命のために生命をすてる用意ができている。わたくしはそれを知っている。同志、きみの手をわたくしにあたえよ!』……ついに、トロツキーは群衆にむかってチェルノフに暴力がくわえられることをのぞむものは、ハッキリ手をあげよ、といった。手は一本もあがらなかった。しーんと静まりかえっているなかで、彼はいまは半ば気を失っているチェルノフの腕をとって、王宮のなかへつれこんだ。」(原注5)

これこそ革命家とエセ革命家との違いである。

(原注
1)中国の知識分子の一部は、かつては絶対的非暴力の信者であったが、現在『革命にもどる――中国の大転換を前にした激論』という本が出版されており、そこでは革命が主張されており、情勢と気分の変化が始まっていることを反映している。

(原注2)「梁天琦:抗争抱「対等武力」原則 楊岳橋:堅持非暴力 理解旺角抗争者」、立場新聞。


(原注3)雨傘運動の期間中、右派は「共産主義になるくらいなら死んだほうがましだ」とヤジを飛ばしていた。厳密に言えば、特定の状況下においては、二つの悪い選択肢がある場合、より損害が少ない方をえらぶのだが、それよりも別の解決にむけた正しい選択肢をえらぶことのほうが多いのである。前者を選ぶからといって後者を否定することはできない。しかしこの時のディスカッションでは「いかなる犠牲もいとわない」論の危険性が明らかにされたといえる。

原注4)旧正月の旺角での警察と民衆に関しては、筆者の「禍根北京種、磚頭為誰飛?」を参照[未訳]。

(原注5)「武裝的先知-先知三部曲」、伊薩克・多伊徹、中央編訳社、第一冊、1998302-3頁。

9.12 台頭する中国と香港雨傘運動 區龍宇さん 出版記念の講演会

集会9.12 台頭する中国と香港雨傘運動 區龍宇さん 出版記念の講演会

【共 催】出版記念会、柘植書房新社 
【場 所】四谷地域センター 多目的ホール


 今日未明、日本の国会で戦争法案が通過しました。今後、戦争に向かう日本になるかどうかは現時点ではわかりませんが、たくさんの方が心配していることだと思います。中国、香港の人々も大きな関心を持っています。日中緊張関係については、日本政府だけではなく、中国政府にも責任があります。中国政府は、以前よりも増して覇権的な状況になっています。

 雨傘運動は今後の中国の方向性に大きく影響する事件でした。台湾では、2014年3月にひまわり運動[中国とのサービス貿易協定締結に反対して学生たちが国会議場を占拠した]があり、半年もたたないうちに香港では雨傘運動が起こりました。マカオでも大きな大衆的な運動がありました。これまでマカオの人々は政治に大きな関心がないと思われていたにも関わらずです。台湾、香港、マカオ社会は中国との緊張関係を持つようになったのです。

雨傘運動の総括と展望

主演俳優1 中国共産党


 まず最初に雨傘運動から話します。どのような人たちがこの運動に参加したか。それぞれの勢力(配役)がどのような目的を持ち、どのような役割を演じたのか。それぞれの勢力の綱引きが雨傘運動の勃発と発展を導いたと言えます。

 最初の主演俳優は中国共産党です。共産党は、国内においてはあらゆるものの上に君臨し、全てを圧倒する力を持っています。しかし、香港では同じような対応をとることができず、硬軟織り交ぜた対応をとっています。共産党は、香港で強行路線を押し進めようとした時に大きな抵抗に遭えば、それを引っ込めて柔軟な対応をとってきました。

 例えば、香港は1997年にイギリスから中国に返還されましたが、返還直前に選出された香港議会は、共産党にとって不利な勢力構成だったので、返還後すぐに、共産党の影響下にある議員たちだけで構成された臨時立法会を立ち上げました。この臨時立法会は、香港のほとんどの民主派を排除して設立されました。この臨時立法会は大きな批判を受けたこともあり、1年後に解散して新しい議会を選挙で選ぶことになり、民主派からも多くの当選者を出しました。

 もうひとつの事例は、中国政府が2003年に香港で国家安全法を制定しようとした事件です。この中国政府の目論見に反対して50万人が参加するデモが行われたことから、中国政府は法律の制定をあきらめました。

 このような柔軟性のある香港政策が変わり始めたのは2012年からです。香港で直接選挙の議席数を拡大せよという要求が大きくなったのは2010年ごろからです。この要求に対して中国共産党は同意する意向を示しました。しかし2012年に習近平指導部が誕生して以降、香港政策が大きく転換したと言えます。習近平は2012年11月に中国共産党総書記に就任しましたが、その前の2012年3月、香港特別行政区長官に梁振英が選出されましたが、それ自体が香港政策の転換を示していたと言えます。2014年8月31日、中国全人代から次期行政長官の選出方法に関する意見が出されました。それは事実上、香港の民主派を排除する決定でした。この非常に高圧的な決定が香港の雨傘運動のスタートの契機となったのです。

 しかし、この決定は非民主的な内容に満ちていました。これまで行政長官の選挙には民主派の立候補も不可能ではなかったのですが、新しい案では事実上、民主派の立候補が不可能になります。こうしたことから香港の人々は、中国共産党に対して悪いイメージをもっています。しかし中国共産党が左翼だとか左翼政府だととらえるのであれば混乱するだけでしょう。つまり改革開放以降も中国共産党政府が左翼政府だとするならば、それ以前の毛沢東時代の政府は、どのような性格なのかという問題が出てきます。

 私は、現在の中国共産党政権は資本主義を擁護する政権だと考えています。毛沢東時代は、少なくとも資本主義と敵対する政権でした。いうなれば、現在の政府は左翼政権ではなく、右翼政権、あるいは極右政権です。わたしがこのように言うのは、「左翼だ」、「いや右翼だ」とレッテルを張りたいからではありません。この「左翼」か「右翼」かの問題は、じつは雨傘運動をとらえることと大きな関係があるからなのです。

 50年代~70年代の香港では中国共産党を支持する人たちが非常にたくさんいました。とくに青年のなかでは共産党を支持する人たちが多かったです。台湾もそうです。左傾化した青年たちが支持していたのです。

 しかし、今の香港の人たちが共産党に対して抱くイメージは、広範囲の公害、メラミン入り粉ミルクによる赤ちゃんへの被害、危険な薬品被害など、社会的腐敗が蔓延しているということです。たとえば2008年に四川省で発生した大地震では、多数の家屋が倒壊して多くの犠牲者が出ましたが、じつは多くの手抜き工事が被害拡大の原因でした。

 ですが、このように中国社会に対するマイナスイメージは、中国国内の問題であり、香港人にとってはいわば別世界の問題でした。しかし2年前に香港で発覚したある事件は香港の人々を非常に驚かせました。香港の行政のナンバーツーの役人が、中国政府の香港・マカオ対策室から140万米ドルもの莫大な賄賂を受け取っていたという事件でした。

 70年代以降の香港では、役人の腐敗がそれほど深刻な事態になることはありませんでしたが、この事件の発覚によって、中国政府の高官が香港政府の高官を買収していたことが明るみに出て、香港社会は非常に大きな衝撃を受けたのです。

 こうして中国政府のイメージはますます悪いものになっていたのです。

主演俳優2 香港政府

 2番目の主演俳優は香港政府です。雨傘運動の勃発を促したのは、香港政府の高圧的な弾圧でした。返還以降、香港政府が今回ほどの高圧的な態度で運動を弾圧したことはありませんでした。行政長官選出に関する中国政府の決定に対して、香港では学生が率先して反対の声を上げ、公民広場という政府庁舎前広場をオキュパイ(占拠)して抗議しました。それを警察が取り囲み、学生リーダーを拘束するなど高圧的な態度に対して、香港市民が怒ったことで雨傘運動が始まりました。

 2012年3月に梁振英長官が選出されたことが、中国政府の香港政策の転換を示していました。香港政府はなぜ強硬路線に転じたのでしょうか。その答えは、雨傘運動の期間中に在外メディアが行った行政長官のインタビューのなかにヒントがあります。なぜ香港で普通選挙を実施することができないのかという質問に対して、行政長官はこう答えています。「1人1票を実施してしまうと、貧しい人たち意向が選挙結果に大きく影響を及ぼしてしまうからです」と。

 一言で言ってしまえば、これまでも香港を支配してきた大企業の支配をさらに強めるということを行政長官は語ったわけです。このような思想は、中国共産党が突き進む官僚資本主義と同じ考え方です。中国共産党は、香港社会に対するコントロール強化だけではなく、中国資本による香港経済の支配を強めていくことの現れです。現在では香港の株式市場の取引額の六割が中国資本です。中国資本の影響力は非常に大きくなっています。

 中国共産党にとっての香港はテーブルに並んだ御馳走だと言えます。香港市場でのさらなる取り分を狙っているのです。つまり、中国政府が香港に対して威圧的な態度で臨んでいることと、市場における影響力を強めようとする理由は同じ線で繋がっているのです。

主演俳優3 新しい世代

 雨傘運動の勃発を促したのは、中国共産党の強硬的な態度でしたが、しかしもう一つ大きな要素がありました。それは香港における新しい世代の登場です。この新しい世代の登場がなければ、香港の雨傘運動は誕生していなかったでしょう。

 香港は80年代から2010年ごろまで、若い世代の政治化はみられませんでした。政治化した青年もいなかったわけではありませんが、結局は制度圏内の運動に収れんされていきました。

 しかし、2010年に高速鉄道計画に反対する運動に多くの青年が参加し、そこでラジカルな運動が取り組まれました。2010年には愛国教育の教科化に反発する高校生を中心とした学生たちの大きな運動がありました。

 雨傘運動を牽引した大学生の団体は、大学生自治会連合会(学聯)でした。学聯は雨傘運動なかで「命運自主(自分の運命は自分で決める)」というスローガンを提起しました。中国共産党への反発が、このようなスローガンを提起させ、ラディカルな運動を社会に送り出しました。

 学聯の歴史を振り返るとその意義がよく分かります。1971年の尖閣諸島を守れという運動が学生運動のなかで盛り上がりましたが、学聯は70年代から一貫して中国政府支持の立場をとってきました。80年代、中国とイギリスの返還交渉のときには、香港の団体では一番最初に中国への返還を支持しました。

 しかしこの関係は、1989年の天安門事件によって変化します。しかしこの時は前面に立って中国政府を非難するまでにはいたりませんでした。おそらく学聯は中国政府による「港人治港(香港人による高度の自治)」を信じていたので、まさか香港に対して同じように高圧的な態度で出てくることはないだろうと考えていたと思います。しかし2014年8月31日の中国政府全人代決定は、学聯が中国政府に抱いていたわずかな期待を打ち砕いたのです。

 香港の人々が中国と距離をとりはじめたのは、言うまでもなく中国政府の高圧的政策が理由です。2011年の香港の若い人たちに対するアイデンティティ調査では「自分は香港人だ」と答える人の割合は42%でした。雨傘運動の中心を担ったのも若い世代でした。

 とはいえ雨傘運動では学生はそれほど多数を占めていたわけではありませんでした。一番多かったのは青年労働者たちです。なぜ青年労働者たちが雨傘運動に参加したのでしょうか。その一番大きな理由は、香港が徹底した資本主義社会、独占資本主義社会であり、その中で多くの労働者が貧困化しているからです。香港では選ばなければ仕事はあるのですが、しかし労働条件は非常に悪い。低賃金.で、働けば働くほど貧しくなるいわゆるワーキングプアがたくさんいます。

 オキュパイの現場では「家賃が高すぎて払えない」と書かれていた手作りのポスターが貼られていました。雨傘運動が行われた79日のあいだ、オキュパイの現場では香港経済や資本主義に対する不満の声がいたるところで出されていたのです。

主演俳優4 議会内民主派

 つづいて、いわゆる民主派と呼ばれる人々を紹介したいと思います。民主派は立法議会の中で3分の1の議席を占めています。しかしこの議会内民主派に対する若い世代の支持は高くはありません。

 その最大の理由は、議会内民主派の人たちの政治路線が、すでに破たんしているからです。民主派は、この30年間ずっと中国政府が徐々に普通選挙を拡大していくだろうと期待をかけていました。しかし全く現実は逆で、普通選挙はますます遠のいていくという状況になっています。

 議会内民主派は、香港基本法という憲法を神聖視し、そのまま真に受けてきたという問題があります。香港の自治権は実際のところ、非常に限定された自治権にすぎません。香港基本法の解釈権は、香港政府ではなく中国政府にあります。ですから香港の自治権をめぐる諸問題は、そのケースごとに中国政府が解釈することになります。

 基本法のもう一つの大きな問題は経済政策です。非常に右翼的なのです。香港では低税率を維持しすると基本法に書かれています。つまり低い法人税を基本法が保障しているのです。このような問題だらけの基本法を議会内民主派は神聖不可侵なものとして考えてきたのです。

 雨傘運動に対する根拠のないデマとして、雨傘運動は議会内民主派を通してアメリカが裏で操っているという誹謗中傷がありました。しかし議会内民主派は、雨傘運動のなかでなんら積極的な影響力をもつことはできませんでした。若い世代は議会内民主派の主張に見向きもしないどころか、むしろ見下していたからです。

主演俳優5 ナショナリスト極右

 最後の主演俳優は、香港のナショナリスト極右です。この新しい勢力も雨傘運動に参加していました。彼らは中国人のことを「なんでも貪欲に貪り食うイナゴ」というヘイトスピーチを展開していました。また運動内の社会運動団体に対しても、侮蔑の意味をこめて「サヨク」とレッテルを貼って対立しました。雨傘運動をけん引した学聯に対しても「サヨク」と激しく罵りました。またオキュパイ地区にあるメインステージを撤去しろという要求もしていました。学聯などがそのステージで発言することに反発した主張です。また各運動団体が掲げる旗を降ろせという主張もしていました。そしてオキュパイ地区のあちこちに「サヨクにご注意!」というポスターをはったのです。つまり雨傘運動を「サヨク」から防衛せよ、というわけです。かれらは街頭での議論に対しても妨害をしてきました。

 非常に残念なことは、学聯を含む雨傘運動に参加した各団体は、このような極右のやり方にして、なんら効果的で実効性のある対応をとることができなかったということです。私たちは、運動内部の民主的討論の声を潰すことはできないという主張を掲げて対抗しました。しかし、あまりに力が弱すぎました。この雨傘運動のなかでいちばん大きな成果をかちとったのはこの極右勢力だったと言えます。もちろんそれは極右勢力が雨傘運動の主導権を握ったということではありません。雨傘運動のなかにあった反中国的雰囲気を利用して、ヘイトスピーチ・排外主義的主張を社会的に拡大させることに成功したということです。

 雨傘運動は、非暴力不服従の偉大な運動でした。それは自発的、自然発生的な運動でした。つまり、事前の様々な思想的準備も乏しいまま人々が立ち上がったのです。それは中国共産党という巨大な壁に突き当たり、方向性を見いだせないまま敗北の道を進むことになりました。しかし雨傘運動の過程で、香港の在り方や、今後の中国を巡る政治路線に関する議論が、この運動の中で始まったことは重要なことです。

香港と中国共産党

 次に、香港と中国の関係についてです。中国共産党にとって台湾、香港、マカオを将来的にどのように中国と一体化させるのかということが重要な目標になっています。

 現在は統一とは程遠い状態です。「一つの中国」ではなく、中国、台湾、香港、マカオがそれぞれの社会を構成しています。台湾は基本的に中国共産党の政治的統制の影響下にはありません。香港やマカオは中国に返還されましたが、まだ直接的に管理コントロールするということにはなっていません。

 中国政府にとって台湾、香港、マカオは、それぞれの地域のそれぞれの経済的役割を担うと考えられています。台湾は製造業やハイテク技術を中国に提供する基地として捉えています。香港は金融センターとしての役割を担い、マカオは官僚の蓄財をマネーロンダリングする場所として。台湾、香港、マカオは、中国共産党にとっては政治的空間ではなく、経済的空間だということです。つまり中国官僚資本主義のためにそれぞれの役割を果たせ、ということが政策の基本にあります。

 それらの地域には主権や民主主義、あるいは自決権という政治的権利は必要ないと考えているのです。台湾、香港、マカオの人々からすれば、中国共産党がこれらの地域の民衆の政治的権利を全く尊重しようとしていないと映ります。だから中国との距離感が開いていくのです。そしてこれらの地域では、中国大陸からやってくる人々を排除しようとする差別的な感情が蔓延しています。香港では中国人のことをイナゴ、台湾では中国人のことを豚と叫ぶヘイトスピーチが広がっています。

 しかし私たちは、こういう感情を抱く香港や台湾の人たちに対して、中国には二つの民族があることを訴えていく必要があります。ひとつの民族は、特権や大資産を持っている中国人です。そしてもう一つの民族は、そのようなものを持たない中国人です。そしてこの何の特権も持たない中国人が、特権を持ち民衆の上に君臨する中国人の横暴に対して立ち上がっているのです。われわれ香港や台湾で民主主義を求める人々は、中国人を排除し対立するのではなく、中国国内で立ち上がっている人々と共に手をつなぐことが非常に重要です。

 香港では中国の民主化に対して悲観的な見方が広まっています。しかし私は悲観的な見方とは全く逆の展望を持っています。いままさに中国における新しい民主化運動が始まりつつあるからです。それは昨年出版した『台頭する中国 その強靭性と脆弱性』の中で詳しく展開しています。

 中国共産党の支配は盤石なように見えます。しかし現在の経済危機でも明らかなように、早晩大きな経済危機を迎えるでしょう。今般の危機については中国政府による強力な経済的介入によって一時的に鎮静化するかもしれませんが、危機は繰り返し、そして規模を拡大して発生するでしょう。まだまだ厳しい状況にあることは確かですが、だからといって展望がないと考えるのではなく、新しく始まりつつある民主化運動、そしてその主体である新しい労働者階級の動きに注目したいと思います。


アウさん【質疑応答】

香港雨傘運動について


 質問 雨傘運動に参加した青年や学生たちはいまどうしているのか。またナショナリスト極右と共産党はつながっているのか?

 雨傘運動に多数の青年労働者が参加しました。香港のナショナルセンターのひとつ、香港職工会連盟(HKCTU)も運動に積極的に参加しました。ところが青年労働者にとっては、組織された労働組合は、あまり魅力があるものとして映っていませんでした。

 香港では毎年6月4日に天安門事件追悼集会を行っています。今年の集会では、学聯は香港基本法が書かれた小冊子を燃やすパフォーマンスをしました。こんな基本法は燃やしてしまい、新しく作り替えなければならない、というアピールです。もちろん、これに対して中国共産党のスポークるパーソンは怒りをあらわにしました。

 これまで主流の民主派は、基本法そのものの問題点を回避してきました。基本法のルールに従って民主化を進めようという立場でした。しかし、学生たちはこの民主派の枠組みを乗り越えつつあります。運動圏では香港の自決権をめぐる論議も盛んに行われています。私たちは30年前から自決権についてさんざん主張してきましたが、当時は私たちの主張に耳を傾ける人はほとんどいませんでした。

 しかし雨傘運動を経ることで、自決権や自主独立の意識は高まりを見せています。最近では市民憲章を作ろうという運動もはじまっています。中国共産党が上から押し付ける基本法ではなく、民主化を体現する市民憲章を自分たちで作ろうという動きもあります。雨傘運動のなかで提起された市民的権利の訴えを広げていくということです。

 これらの動きはまだまだ始まったばかりで、明確な政治的方向性を持っているわけではありません。雨傘運動は従来の民主化運動の枠組みを埋葬することには成功しましたが、新しい民主化運動を作り上げたかというと、まだそこまでは達していません。今後どのような方向に向かうのかも不明確な所があります。中国共産党に妥協的になったり、ナショナリスト極右排外主義と親和的な方向に進めば運動の展望はないでしょう。中国共産党が雨傘運動を破壊するために、裏社会を動員したことははっきりしていますが、ナショナリスト極右とのはっきりとした関係は不明です。


中国について

 質問 毛沢東時代はどういう体制だったと考えればいいのか。

 
 アウ 資本主義体制に反対する体制だったと考えるのが一番わかりやすいでしょう。毛沢東の時代は資本主義蓄積は許されていない、いわば行き過ぎた反資本主義でした。例えば、農家が鶏を三羽飼っている。三羽目までは社会主義的、革命的だが、四羽目からは資本主義的だと批判されるという、滑稽な社会でした。

 では資本主義ではないとすれば、なんなのか。社会主義だったのでしょうか。そうではありません。官僚と人民の収入の格差は見かけは大きくありませんでした。しかし官僚は特権を持っていました。特権は貨幣価値だけではなく、使用価値として表現されました。当時「特別供給」という言葉がありました。官僚層のために提供されるものです。そのような官僚の物質的特権が中国社会にはびこっていました。このような経済的不平等だけでなく、政治的にはもっと格差がありました。官僚という支配的階層、人民という被支配階層に明確に分けられた社会であり、それは社会主義とは言えません。


 質問 中国の官僚資本主義はいつ発生したのか。

 アウ 簡単に言えば1989年だと言えます。中国の資本主義の復活は、80年代から始まり、80年代末には資本主義が復活していたことは間違いないでしょう。各部門の官僚が自分たちの管理する資源を使って蓄財することが社会的に蔓延していました。

 そのような不正に対して1989年に学生が立ち上がる民主化運動が起こりました。労働者も学生の動きを支持し、運動に参加しました。労働者の要求は「官僚ブローカーを打倒せよ」というものでした。例えば、鉄鋼を管理する官僚は、鉄鋼を横流しして蓄財していました。このような官僚ブローカーを打倒せよという民衆の声に対して、中国共産党は弾圧で応えたのです。

 89年民主化運動の評価は、リベラル派の説明を乗り越える必要があります。89年の天安門事件は、民主派弾圧という政治的な理由だけではなく、階級的なスタンスからも考察すべきです。労働者の要求は官僚ブローカーの打倒、つまり国有資産は全民衆の生活と福祉のために使えということです。これは非常に素朴な社会主義的要求ですが、中国共産党はそれすらも容認することができずに弾圧に乗り出したのです。弾圧ののち、以前にもまして資本主義にまい進することになりました。

 官僚主義がもたらす災厄の典型的なケースが、先日の天津港での大爆発事故でした。危険物や薬品の倉庫が港にあるわけですが、倉庫会社は官僚資本が経営者でした。社長は地元の警察のトップの息子でした。ですから違法状態でもおかまいなしにカネ儲けのために危険なものを規制以上に保管していました。危険物取扱の倉庫の場合、第三者機関の安全評価が必要ですが、安全評価を行う会社も地元の消防部門が作った会社でした。もうけのためには危険や違法状態もお構いなく官僚資本同士の結託がこの事故をもたらしたのです。


 質問 官僚資本主義はアメリカや日本の帝国主義とどう違うのか。

アウ 中国の官僚資本主義も他の帝国主義諸国と同じように世界のグローバル市場を席巻したいとおもっています。たとえば中国遠洋運輸という物流企業は、民営化されたギリシャの港湾を買収した。ギリシャの港湾労働者の賃金は引き下げられました。

 中国資本も対外進出を止めることはできません。このような動きのなかで、中国はすでに帝国主義になっていると言う人もいます。しかしそれは飛躍しすぎだと思う。帝国主義に至るまでに、国内外で克服すべき障害がまだまだあるからです。

 いまだ拡大すべき空間としての台湾、香港、マカオがあり、とりわけ台湾は米国の影響力が強いなかで、それを飛び越えて外にむかって帝国主義に向かうことにはならないでしょう。

 そうは言っても南シナ海での争いは、一つのメルクマールではないかという意見もあります。ですがここでの中国の領有権は脆弱な理論で主張しているにすぎません。中国共産党の領有権主張の根拠は、国民党時代の主張をそのまま主張しているからです。これはあまり説得力のある主張とは言えません。

 もちろん私たちはそのような主張に反対しています。だからといって中国がすでに帝国主義になってしまった規定するのは早すぎます。南シナ海を巡る領有権主張の背景には、99年ユーゴの中国大使館に対する米軍機の空爆、2001年には中国近海で偵察飛行をしていた米偵察機が中国人民解放軍の戦闘機と衝突する事件など、アメリカとの対立があります。中国の現在の反発は、アメリカの包囲に対する反発だと考えるべきです。つまり自衛措置です。だからといって擁護するという意味ではありません。自衛にもやり方があるからです。とまれ南シナ海での覇権を巡る問題にはこういう背景があることを踏まえるべきです。

 中国が帝国主義に向かう過程には、様々な地域的な衝突が起こるでしょう。様々な外国との衝突の中で私たちは、中国の労働者に向かって何を訴えていくのかが問われます。つまりわれわれの最大の敵は国外にではなく国内にいる!と訴えるべきなのです。一日も早く官僚資本主義社会を終わらせることこそ、中国が平和的に発展する道なのです。

 一般的に資本主義は弾力性があります。しかし官僚資本主義はそのような弾力性を容認することができません。それは経済だけでなく、政治的権利も含めて、民衆に譲歩することを一切拒否するものです。改良する余地はなく、危機をさらに深めていくことしかできません。これが官僚資本主義の特徴といえます。一般的に中国共産党に対する批判は、独裁という批判にとどまっています。それは事実です。ですが中国共産党の支配によって中国は貧しい農業大国から、現在の台頭する中国へと到達したのもまた事実です。

 資本主義化ということに注目すれば、ロシアと比較しても全く違うといえます。ソ連の崩壊によってロシアは資本主義へと雪崩打つわけですが、成長する資本主義化に成功したとは言えません。それに比べて中国では、もちろん環境汚染など深刻な問題はありますが、工業化や資本主義化に失敗したという人はいないでしょう。

 かつては零細、小規模農家が人口の多数を占める小農社会でした。それが現在では、毛沢東時代の一億人の労働者階級が四億人に成長しています。『共産党宣言』では、ブルジョアジーの最大の功績は自らの墓堀人を作りだしたことだと述べられていますが、まさに現在の中国官僚資本主義のことでしょう。

 いま官僚資本主義は進歩ではなく、大きな壁に直面しています。この官僚資本主義が今後も引き続き生きながらえると、エコロジーの危機が解決できないレベルに達するでしょう。また経済や社会の崩壊にむけて進むことにもなるでしょう。その結果、中国の官僚資本主義はさらに野蛮になっていくでしょう。中国の資本主義復活の進歩的な側面はまったくなくなっています。


 質問 中国の民主化運動との関連で、労働運動がどのような役割を持っている
のか。ナショナルセンターの総工会は、どういう役割を持っているのか。


アウ 中国の労働者や庶民は社会主義や共産主義などという崇高な目標を掲げているわけではありません。彼ら、彼女らは、労働法を守ってほしいと訴えているだけです。このような素朴な要求に対して、政府は弾圧で応えるだけです。例えば、ユニクロの争議では、ストライキをした労働者に対して警察が介入し、無理矢理ストライキを解除させて仕事に復帰させたのです。総工会は党に代わって、労働者に対して直接干渉して管理するのが主な役割と言えます。

 庶民の要求も極めて素朴です。近くに原発を作らないでほしい、化学薬品工場を作らないでほしいなどです。政府はそういう人々の要望を裏切る政策を続けています。

 このように厳しい状況ですが、展望や希望はどこにあるのでしょうか。これまで中国は2000年ものあいだ農民革命を繰り返してきました。農民の中に革命をする力があったわけですが、新しいシステムを作り出すまでの力はありませんでした。しかし、現代社会に登場し始めた社会的多数派である労働者階級は、きっと新しい社会を作り出す力を持っていると思うのです。これが私の展望です。

『香港雨傘運動 プロレタリア民主派の政治論評集』 區龍宇 著、柘植書房新社

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『香港雨傘運動 プロレタリア民主派の政治論評集』

區龍宇 著 / 早野一 編訳 / 三七〇〇円+税
柘植書房新社 / 二〇一五年九月一五日 発行



au01【著者紹介】 區龍宇 香港で活動する労働問題研究者。中国におけるグローバリゼーションの影響について大衆教育を推進するNGO「全球化監察」(グローバリゼーション・モニター)創立メンバーの一人で、二〇〇五年末の香港でのWTO第6回閣僚会議に対するアクションの中で「香港民衆連盟」代表の一人となった。現在、「チャイナ・レイバーネット」と『ワーキングUSA-労働・社会雑誌』の編集委員・『ニュー・ポリティークス』、『ワーキングUSA』などの雑誌に寄稿。



【 目次 】

◇ 本書を読むにあたって

◇ 第一部 雨傘運動の総括と展望


 一 中国共産党と雨傘運動

 二 六つのシナリオと一〇万人のキャスト雨傘運動の内部力学について

 三 雨傘運動の意義と展望


◇ 第二部 オキュパイ・セントラル雨傘の前奏曲(二〇一三年六月~二〇一四年七月)


一 香港社会の地殻変動
・香港のあり方をめぐる右翼と左翼『香港ポリス論』批判
・六月四日、七月一日、そしてX月Y日香港行政長官選挙後の新しい情勢と任務
・これまでの民主主義の理論は時代遅れに新しい民主主義の理論は危機の中に好機を見出す
・サンクト・ペテルブルグの「中国特使」と香港の特務工作
・戦略ゲーム「オキュパイ・セントラルの鎮圧」
・香港の三つの歴史的画期民主化運動の回顧と展望

二 新しい民主化運動青年とプロレタリア
・オキュパイ・セントラルは誰が担うべきなのか
・真のポリス論候補者指名権を巡る論争から
・普普主義プロレタリアと普通選挙
・プロレタリア民主主義の萌芽
・尊厳ある労働と理工大学の過労死

三 オキュパイ・セントラルの決行に向けて
・攻勢的に七月一日のオキュパイを実現しよう 新情勢下の新思考(一)
・青年の創造的イニシアチブの勝利
・三大決戦へ香港人よ、用意はいいか
・研究室と監獄
・新しい民主化運動の不服従の夏


四 香港自決権の防衛と排外主義極右批判
・自決権に対する郝鐵川氏の誤解
・人民ではなく権力者に奉仕する陳弘毅の憲政観と問題だらけの「人民力量」の全人民憲法制定論
・時危くして節を見し、世乱れて良を識る新情勢下の新思考(二)
・『学苑』元編集長の王俊杰氏に答える

◇ 第三部雨傘運動のなかで(二〇一四年九月~一二月)

一 学生ストと新しい世代
・学生ストという素晴らしい授業 フランス一九六八から香港二〇一四へ
・オキュパイ・セントラルからみた二つの民主的価値観
・劉兆佳よ、お楽しみはこれからだ!
【付】全人代の乱暴な結論反対真の普通選挙と民生の改善がともに必要だ 普通選挙を実現する労働団体、市民団体の声明

二 雨傘運動の拡大
・オキュパイ・セントラルの攻略
・なぜ旺角を撤退し金鐘に結集させるべきなのか
【付】旺角街頭での政治談議(白瑞雪)
・雨傘運動と八九年民主化運動似ているところ違うところ
・立法会への襲撃は運動破壊である
・全人民の議論で、大業を共謀しよう
・敗北の中の勝利

三 プロレタリア民主派の雨傘綱領
・香港人の民主共同体の誕生「雨傘運動の共同綱領」の提案
・旺角攻防戦のアップグレードその一
・雨傘運動の自発性と自覚性旺角攻防戦のアップグレードその二
・梁振英と葉國謙反する主張で補充しあう
・二つの「民」主義が雨傘を救う

四 香港民族共同体批判
・香港核心価値論を掲げる香港新民族主義 民主共同体か民族共同体か(その一)
・民主主義はこうして鍛えられた 民主共同体か民族共同体か(その二)

五 中国共産党
・事に必ず至るもの有り、理に固より然るもの有り 中国共産党の本質から全人代決議を論じる
・カモフラージュして登場する闇の勢力に社会運動はいかに対峙すべきか
 【付】ファシスト暴徒による平和的オキュパイへの襲撃を放置する香港政府を強く非難し、金鐘オキュパイに力を結集することを呼びかける
・重惨党を笑う
・まるで「動物農場」のラストシーン 豚と人の見わけがつかない
・田北俊事件と門閥資本主義

◇ 第四部 雨傘運動が終わって(二〇一五年一月~)

・新しい世代の古い路線?
・思想を大いに解放しよう独立を目指さない自決権について
・学生諸君、これは政治闘争である
・「舟に刻みて劍を求む」では香港の自治を守ることもできない
・天安門追悼集会に参加すべし支聯会は改革すべし黔驢は柵に入れておくべき
・立憲体制に介入し、香港人の政治的人格をうちたてよう
・採決直前の爆弾テロ未遂事件?

◇ 解説:雨傘運動の底流─近年における香港の民主化運動  早野一


【 本書を読むにあたって 】

 本書は、二〇一四年九月末から一二月まで、香港の政治経済の中心地や繁華街の大通りを大規模にオキュパイ(占拠)して民主化を求めた「雨傘運動」に関する論評をまとめたものである。著者の區龍宇氏は香港在住の左派活動家で、中国の労働問題やグローバリゼーションをはじめ様々な課題について、複数のウェブメディアを中心に執筆をつづけている。區龍宇氏は一九七一年に香港で盛り上がった釣魚台(尖閣諸島)運動に弱冠十四歳で参加し、その後は左翼組織に参加。一九八四年の中英共同声明によって香港の中国返還が合意され、香港社会でもさまざまな立場からの議論が活発化し、従来からの中国派はもとより、ブルジョア民主派も中国政府の返還に向けた統一戦線にからめとられていく中で、區氏ら少数の独立左派グループはおりしも盛り上がっていた中国国内の民主化運動の展望を背景として、香港の民主的返還と自己決定権を全面に掲げたプロレタリア民主派として、民主化運動に参画していく。

 中国政府による香港返還に向けた統一戦線政策は、一九八九年の民主化運動への弾圧(六・四天安門事件)による香港および国際社会の反発をうけて強硬路線に転換する。これ以降、九七年の返還から昨年まで、天安門事件の追悼集会や香港民主化運動については、民主党などのブルジョア民主派(本文では「主流の汎民主派」と表現されている)の動きだけが取り上げられてきたが、天安門事件以前の歴史と香港返還以降の民主化運動の経過を知る者にとって、それは事実の一面、しかもほとんど重要ではない一面にすぎない。本書に収録した一連の論考によって、香港における民主化運動にとって、それらブルジョア民主派が果たした─正確にいえば、果たすことができなかった─決定的な役割を知ることができるだろう。

 もちろん著者の論考もプロレタリア民主派という立場からのものであり、そのような観点には批判もあるだろう。しかし雨傘運動のような事象を全面的に理解するためには、「極」の側に立つこと、ゆるぎない明確な立場に自らを置くことが必要な場合もある。ある事象の誕生、生存、発展を規定する主な条件を精確に認識することが、事象の分析にとって重要である。雨傘運動の場合は、中国共産党と資本主義という二つがその条件にあたる。そして著者はそれに対する妥協なき闘士として長年香港で活動してきた。一方、これまで香港の民主化運動の中堅を担ってきたとされるブルジョア民主派は、中国共産党と資本主義の二つのあいだで揺れ続けてきた。ブルジョア民主派というフィルターを通して香港民主化運動を理解することは不可能とまではいわないが、事態の把握が極めて不精確とならざるを得ない。今回の雨傘運動において、八〇年代から続く香港民主化を巡る論争から、原則的な立場がほぼ一切ぶれずに変わらなかったのは、中国共産党とプロレタリア民主派だけである。その意味でも、三十年にわたる香港民主化運動のピークの一つとしての雨傘運動を理解するうえで、著者の論考に納得できなくても、それを知っておく必要があるのはいうまでもない。

第一部 「雨傘運動の総括と展望」について

 第一部「雨傘運動の総括と展望」は、雨傘運動終了後の数ヶ月後に執筆された総括的文書を収録した。

 一は、雨傘運動が対峙することになった最大の壁である中国共産党についての分析である。昨年、日本で出版された區龍宇氏の著書『台頭する中国その強靭性と脆弱性』(柘植書房新社)では香港問題に関する論考は収録されていないが、本稿はそれを補うものになっている。『台頭する中国』に収録されている中国共産党に関する論考もあわせてお読みいただきたい。二は、雨傘運動にかかわった六つのアクターに関する論考である。中国共産党という巨人に抗う運動内部の問題を中心に展開されている。三は、当初の要求をほとんど実現することができなかった雨傘運動が提起した課題と今後の展望を示す。

 第二部と第三部は、第一部で記述されたさまざまな事象を、いくつかのテーマに分けて、それぞれのテーマごとに時系列的に収録した。第一部の総括が、雨傘運動から数ヶ月経過した冷静な分析だとすれば、第二部以降は運動の渦中で書かれたものであり、論争的、タイムリー、躍動感に溢れる論考が数多く収録されているのが特徴である。

第二部 「オキュパイ・セントラル雨傘の前奏曲」について

 第二部「オキュパイ・セントラル雨傘の前奏曲」は、二〇一三年初頭に提起されたオキュパイ・セントラル運動における著者の一連の論考収録している。

 「香港のあり方をめぐって」に収録されている冒頭の二論文は二〇一二年に書かれたものであるが、オキュパイ・セントラルおよび翌年の雨傘運動を惹起した状況を理解する手助けとなるだろう。他にも新たな情勢の中で登場した新しい民主化運動の萌芽と香港社会の変容、そして中国共産党の対応などについての論考をまとめて収録した。

 「新しい民主化運動青年とプロレタリア」では、ブルジョア民主派につらなる人脈によって呼びかけられたオキュパイ・セントラル運動に、プロレタリア民主派が積極的にかかわることの重要性を説いた論考を中心に収録した。イギリスの普通選挙運動や戦後日本の反戦平和運動、あるいは植民地解放闘争や一九世紀の欧州におけるブルジョア革命など、プロレタリア民主派を前衛とした労働者階級が、その運動(革命)に層として参加したすることで、より強固で断固とした闘争に発展したという階級闘争の歴史的経験に裏打ちされた論考である。

 「オキュパイ・セントラルの決行に向けて」では、新たに登場した学生を中心とした民主化世代がけん引する運動をプロレタリア民主派として鼓舞する論考を収録している。

 「香港自決権の防衛と排外主義極右批判」では、主権在民の立場から香港の自己決定権を擁護するとともに、「中国」という圧力に対する反発をバネに台頭する排外主義を批判する論考を収録した。排外主義極右の参加を巡る問題は、雨傘運動の内部においても大きな争点の一つとなったことは第一部の総括でも触れられている。この時期の論考の多くは「香港独立媒体」「主場新聞」などのオルタナティブ・ウェブメディアおよび「左翼二一」や「労働民主網」など左派ウェブサイトに掲載された。

第三部 「雨傘運動のなかで」について

 第三部「雨傘運動のなかで」では、雨傘運動の直接のきっかけとなった二〇一四年九月下旬の学生ストから、雨傘運動が終了した一二月までのあいだに書かれた論考や分析を収録した。

 第二部で展開されたプロレタリア民主派の主張や分析が、実際の運動の発展においてどのように有機的に適用されたのかを知ることができるだろう。

 「学生ストと新しい世代」は第二部に収録するほうが分類的には正確なのかもしれないが、分量のバランス、そして雨傘運動の直接の契機となったことなどを踏まえて第三部の冒頭に収録した。オキュパイ・セントラルに向けて高揚する学生ストの雰囲気を伝える一連の論考を通じて、学生らが社会に異議申し立てを行う意義を理解することができるだろう。

 「雨傘運動の拡大」では、巨大かつ長期的な街頭占拠の期間に発生したさまざまな事態に関する分析を収録している。著者は雨傘運動の中心にいたわけではないが、プロレタリア民主派として可能な限りオキュパイの現場での街頭討論会やウェブメディアを通じて主張を行い、また象徴的闘争(九月二七日から二八日にかけてのオキュパイ宣言や一一月三〇日から翌日未明までの機動隊との激しい衝突を伴った行政長官官邸周辺のオキュパイ決行闘争など)にも参加し(もちろん主力は著者よりもずっと若い青年世代であったが)、自らの従来の主張や分析に現実過程を統合し発展させている。

 「香港民族共同体批判」は、運動内部の排外主義右翼のアイデンティティである「香港民族」という概念が香港の自由放任資本主義の価値観と親和的である点を批判し、雨傘運動に表現される新しい運動の目指すべき共同体が「民族」ではなく「民主」を共通概念とすべきであることを主張する二編を収録。

 「中国共産党」では、雨傘運動に対する中国共産党の反応を論じている。第三部に収録した論評の多くは、香港の主流紙「明報」の日曜版コラムに掲載されたもの。

第四部 「雨傘運動が終わって」について

 第四部「雨傘運動が終わって」に収録した論考は、時系列にそっている。第二部と第三部で示された諸問題が雨傘運動後にどのように展開されたのかを、プロレタリア民主派の立場から論じている。

 巻末に収録した「雨傘運動の底流近年における香港の民主化運動」は、第一部から第四部に貫かれるプロレタリア民主派の主張を理解するために書き下ろした。香港基本法、行政長官、議会、選挙制度の基礎知識と、普通選挙権を求める動きを中心としたトピックスから構成されている。研究論文ではないので間違いや漏れなどもあると思われるが、區龍宇氏の論考を読むうえで理解しておくべき内容に焦点をしぼったので、本書で初めて香港の民主化運動に接する読者の方は、まずこちらから読み始めてもいいだろう。必要に応じて各論文の冒頭に訳者の解説をつけた。また本文中の[ ]も読者の理解促進のための訳注である(編者)


【 解説 : 雨傘運動の底流 近年における香港の民主化運動 】

早野一

 雨傘運動は「我要真普選!」(本当の普通選挙を!)を掲げて取り組まれた。「本当の普通選挙」とは、(1)香港行政府のトップである行政長官を選出する選挙に市民誰もが自由に立候補することができ、候補者を直接選挙で選出すること、(2)香港議会(立法会)の職能別選挙枠を廃止し、全議席を直接選挙で選出できるようにすることを指す。なぜ雨傘運動が「本当の普通選挙」を要求したのかを知るには、少なくとも返還前の植民地時代から続く政治制度およびその民主化を求めた動きを理解することが重要だろう。

(略)

雨傘の下に芽生えつつある新しい民主化運動

 香港の雨傘運動は、内部の敵(排外主義極右)と外部の敵(中国政府)という二つの極右という、予想された以上に厳しい局面を経験した。雨傘運動のきっかけとなった学生ストなどを主導した学聯は、排外主義右翼の揺さぶりで加盟組織が次々に脱退するなどの事態に直面した。しかし雨傘運動を通じてプロレタリア民主派という新しい民主化運動のカードルを層として鍛えるまでには至らなかったが、目指すべき方向性を社会的に明示したことは、著者の一連の論考を読むことで理解できるだろう。もう一つの学生組織である学民思潮を率いたリーダーをはじめ、新しい民主化運動のカードルからは基本法を民主的に再制定しなおすべきであるという主張もなされはじめている。雨傘の下で確実に変化の兆しは表れている。

 「五十年不変」の問題は冒頭で述べたところであるが、オルタナティブは香港独立や脱中国化でないことは、著者の論考からも明らかである。返還から五十年後の二〇四七年までに、香港のみならず中国全土の政治と経済の民主化を実現するこそが決定的に重要である。それはひとり香港や中国だけの奮闘ではなく、台湾、日本、沖縄や朝鮮半島の極東や東アジア全体、そして世界規模での政治・経済の民主化と一体の闘争である。

遠からずして起こるべき次の爆発の方向を示す手がかりとして

 第一部の「中国共産党と雨傘運動」の最後で、著者は雨傘運動を「雨傘革命」と名付けることに反対している。訳者も完全にその意見に同意するが、最後に敢えて、一八四八年のドイツ革命の過程を分析したエンゲルスによる論考集『革命と反革命--一八四八年のドイツ』(岩波文庫)の冒頭で、敗北したドイツ革命の総括の試みたこの論評集を執筆する意義を語っている箇所を引用して本稿を終えたい。それは、區氏の一連の論考および分析が、ブルジョアジーが開始して途中で放棄してしまったドイツ革命を最後まで推し進めようとして斃れた唯一の階級である中欧の労働者階級の息吹を伝えたエンゲルスとマルクスの筆跡を彷彿とさせるからでもあるが、過密なスケジュールの中で、日本での出版に合わせて第一部を書下ろした著者の意図をほぼ正確に表現しているからでもある。

 「[ヨーロッパ]大陸の革命党--いな、むしろ革命諸党--が、その戦線のすべての点でこうむった敗北よりもひどい敗北を想像することはできない。だが、それがなんであろう。イギリスの第三階級が、その社会的ならびに政治的支配権をうるためにおこなった闘争は四八年、フランスの第三階級のそれは四〇年にわたる、比類のない闘争の連続ではなかっただろうか。しかもふたたびその位にもどった君主制が、まえよりもいっそう鞏固になったと考えられていたその瞬間ほど、かれら第三階級の勝利が近づいていたことが、あっただろうか。……これを強圧しようとするこころみは、いずれも、ただその要求をますます強烈にし、われわれとしては、もう一度はじめからやりなおすだけのことである。さいわいなことには、激動の第一幕のおわりと第二幕のはじめとのあいだにめぐまれたこの幕合は、おそらく非常に短いものであろうが、ともかくわれわれに対して、きわめて必要な一つの仕事をする余裕をあたえてくれている。その仕事とは、さきの蜂起とその敗北、この両者を必然ならしめた諸原因を研究すること、これである。……われわれは、たしかな事実にもとづいた合理的原因を見いだして、その運動の主要な事件と重要な推移を説明するとともに遠からずして起こるべき次の爆発が、ドイツの民衆にどういう方向を示すかという点について、一つの手がかりをあたえることが、できれば、それで満足しなければならない。」

 本書が、エンゲルスの言うところの読者の満足にかなうものであることを願う。

 二〇一五年八月五日

【香港】6・4天安門事件と香港民主化運動

香港「雨傘運動」では、中国の民主化と香港の民主化は関係ない、中国は政府も人民も民主主義を望んでいない、という香港ナショナリズム右翼の主張が登場した。その後遺症はいまも続いている。

香港ナショナリズム右翼は、毎年香港で行われる6・4天安門事件追悼集会が香港民主化にとって有害だと主張している。このような主張に対して、中国と香港の民主化は一体であるという長年来の主張とともに香港民主化運動の歴史的問題点について触れている區龍宇氏の論評を紹介する。[ ]内は訳注。 (H)

原文はこちら
http://www.inmediahk.net/node/1034848

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天安門追悼集会に参加すべし
支聯会は改革すべし
黔驢は柵に入れておくべき


2015年6月3日

區龍宇


199764
写真は1997年の6月4日天安門追悼集会に関する司徒華と先駆社との公開紙上討論



明日の夜、ビクトリア・パークには参加しなければならない。それはほかでもなく、中国共産党を歴史的恥辱の柱にくぎ付けにしつづけるためである、

今年の六・四天安門事件記念日には特別な意義がある。半年前、戦後の香港史上はじめての壮大な民主化運動が巻き起こった。雨傘運動である。運動は成功しなかったが、香港の民主化をいかに推し進めるかという議論に無数の香港市民を議論に巻き込んだ。


◎ 鹿は馬で馬は鹿?

香港防衛を自称する驢なにがし氏[人気ブロガーの盧斯達のこと。「驢」はロバのことで後出の皮肉とかけている]は、一九八九年六月七日に支聯会[香港市民支援愛国民主運動聯合會]の指導者である司徒華[1931年~2011年]が三つのストライキ(労働組合、学校、商店)を中止したことを批判するとともに、支聯会の解散を主張している。ストライキ中止の件については、議論すべきことであり後述する。

問題は、この驢なにがし氏が「中国人は民主主義を必要としてない」ので香港人は中国民主化支援などにかかわる必要はないと大真面目で主張する一方で、昨日開催された六四フォーラムの席上、もし司徒華が三つのストライキを発動してそれが成功していれば香港はもっと多くの民主化が実現できただろう、もしかしたら独立も可能だったかもしれないなどと発言していることである。

なんとも奇妙な自己矛盾に満ちた主張ではないか! 一九八九年の三つのストライキが成功すれば良かったことには違いない。しかしこの三つのストライキは一体だれのために計画されたのか? 香港の民主化のためなのか?そうではない。それは中国の民主主義のために計画されたのだ。

だが驢なにがし氏の見解によれば、中国の民主化は香港にとって百害あって一利なしだそうだ。なのに三つのストの成功がなぜ香港民主化のためになるのか? これが自己矛盾でなければなんだというのか?もしやフロイト的失言、つまり無意識のうちに本音が出てしまったのか?驢なにがし氏自身が無意識に持っている大中華コンプレックスがあらわになったのだろうか?それとも、相手を攻撃するため、論理矛盾も気にせずに、まずは攻撃してみたということだろうか? 

しかし、小我[自分の小さな世界。仏教用語]の上には、無限の客観的論理[真理]が存在しており、それは一切の人間の自己矛盾を暴露するということを忘れてはいないだろうか。


◎ 民主化運動と地政学的政治

驢なにがし氏のような人々は、大中華コンプレックスの人間だけが中国の民主化に関心を持っていると主張する。なんとまあ、まるで義和団[區氏は政治改革を主張する反共排外主義者らをこうよんでいる]の主張ではないか。かれらは、真の民主主義者たちが国際主義的精神で他国の民主化運動を熱烈に支援してきたことを知らないのだろう。一七七六年のアメリカの独立戦争ではフランスとイギリスの民主主義者がそれを支援し、フランスは軍隊を派兵して独立戦争を支援した。一九三六年には選挙で勝利したスペインの左翼共和派に対してフランコがクーデターを起こして内戦になったが、五〇カ国、三万人余り民主主義者と社会主義者(『動物農場』や『一九八四年』のジョージ・オーウェルを含む)が国際旅団を結成して、左翼と共和派の側について内戦を戦った。

地理的に近ければ近いほど、民主主義者は相互に支援しあう。それはほかでもなく実際の利害関係が関係してるからだ。一八世紀末、ポーランドは近隣の三大国[プロイセン・オーストリア・ロシア]によって分割されたが、十九世紀以降はロシア帝国からの抑圧を受け続けていた。ポーランド人民はポーランド復活の願いを持ち続けた。当時のポーランド社会民主党は、ロシアの民主勢力と連帯してロシアの皇帝と貴族を孤立させる取り組みこそ、列強に包囲されたポーランドを民主的に復活させることができると考えた。ポーランド社会民主党は当時のロシア社会民主労働党[のちの共産党]と共同でロシア帝国の支配と戦い続けた。指導者のひとりにローザ・ルクセンブルグがいた。ポーランド人であった彼女は、ロシア社会民主労働党の会議に夜活動にも積極的に参加した。その後ドイツに移住してドイツ社会民主党の理論家および実践家となったが、一九一八年に極右派に惨殺された。


◎ いかにして隣国の巨大な力に抵抗するか

驢なにがし氏のグループがもし、中国人としてのアイデンティティをもつ香港市民すべてを香港から排除し、純粋な「香港人」だけによる独立を達成できたとしても、次のことを考える必要がある。それはいかにして強大な隣国からの圧力に対抗するのか、ということである。中国と戦争する?いったい何時間持ちこたえられるのか? 決起する勇ましい部隊があったとしても、孫子がいうように、「上兵は謀を伐つ、其の次は交を伐つ、其の次は兵を伐つ」(最上の戦い方は、敵の謀略、策謀を読んで無力化することであり、その次は、敵の同盟や友好関係を断ち切って孤立させることである。それができなければ、いよいよ敵と戦火を交えることになる)を考えなければならない。

だが現在までに、これら香港義和団がどのように「謀を伐ち」「交を伐つ」のかが全く不明である。このような「黔驢之技(けんろのぎ)」[見かけ倒しのはったり、※参照]で香港の将来を幸福に導くなどという主張は、本当に・・・その身を滅ぼさんばかりのものである。「黔驢」は放し飼いにするのではなく柵に入れておくのがいいだろう。

※「黔驢之技」は、ロバ(驢)のいない地域(黔州)にロバを連れてきて放し飼いにしたところ、初めてロバを見た虎は最初は恐れたが、ロバに蹴られて(技)、たいしたことはないと知りロバをたいらげたという成語。

支聯会はもちろん問題を抱えている。一九八九年六月七日、司徒華ら指導者は、三つのストら気を中止しただけでなく、デモ行進も中止にしてしまった。しかし中国共産党による虐殺と弾圧に抗議する数十万の香港市民は自発的にビクトリア・パークに集まって、中国政府の代表機関であった新華社香港支局までデモ行進した。社会運動は、長年にわたって作り上げてきたのに、その力を発揮しようというまさにその時、敵前逃亡するなどという道理があるだろうか?この問題については今に至るも支聯会の指導部は何ら反省も検証もしていないのである。


◎ 黔驢は司徒華にも遠く及ばない

だがさらに重要なことは、路線の問題である。驢なにがし氏の類は、支聯会の非民主的あり方を批判する。そんなことは今に始まったことではない。三つのストライキを中止して間もなく開かれた支聯会の会議で、私は先駆社[香港のトロツキスト組織の一つ]を代表して出席し、会議の前に支聯会指導部が三つのストライキを中止したことを批判する意見書を配布しようとしたが、それを阻止されてしまったことがあった。香港返還が迫る一九九七年の六・四天安門事件記念日の直前、支聯会の指導部は投降主義的な宣言文案を発表した。

その文案は、返還以降に六・四追悼集会が禁止された場合は各自で追悼記念してほしいという方針しか示されず、弾圧に対して抵抗を呼びかける姿勢は皆無であった。先駆社はそれを批判する文章を掲載するとともに、支聯会が断固とした抵抗の姿勢をとることを求める署名を六・四集会で集めるとともに、集会の壇上で署名の呼びかけの発言させることを求めた。のちにこの行動が司徒華から批判された。支聯会は、主流の汎民主派[民主党などリベラル派]とおなじく、反省すべきことはたくさんある。

驢なにがし氏やその仲間は、主流の汎民主派が「民主中国の建設」に血迷っていると批判する。そうすることで逆にかれらを押し上げている。だが一九七〇年代から八九年の民主化運動にいたるまで、かれら主流の汎民主派の路線は、中国の民主化運動とはまったく相交わることがなかったのである。八九年以降、致し方なく中国の民主化に関心を示すことになったのだが、厳格にその境界線を分け隔ててきたのである。

だから主流の汎民主派の政治家たちは完全にちぐはぐな行動をとるのである。一年のうちの一日(六月四日)だけは中国の民主化について発言するが、それも支聯会の四つのスローガン[実際には五つある。民主化活動家の釈放、八九年民主化運動の名誉回復、虐殺の責任追及、一党独裁の廃止、民主中国の建設]だけを叫び、それはまったく香港の民主化と関連付けられない。そして残りの三六四日、とくに七月一日[香港返還記念日]の民主化デモでは、香港の民主化を大々的に主張するが、そこでは中国の民主化についてはまったく語られないのである。

まさにこの種のちぐはぐな言動は、香港の新しい一世代に対して、中国と香港の民主化は関連していないという間違った教育を施してきたのである。

両者の民主化は密接に関連している。だが見解の相違は当たり前のことであり、それは議論するしかない。しかし残念なことに、驢なにがし氏の類は理性的な議論をもっとも嫌っているのだ。事実に基づき論理だてて主張するという議論における最低限の礼儀すらさえも持ち合わせていない。当然である。彼らの目的は、相手を貶めて、自分がその地位にとってかわろうとするものである。民主的な議論という点では、かれらは司徒華の百倍もたちが悪い。

二〇一五年六月三日

【中国】囚われたフェミニズム~労働者たちの支援メッセージ

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中国では3月8日の国際女性デーの直前、公共交通機関における性暴力などを訴えるフェミニズム・アクティビスト5人が警察に拘束された。このニュースは国内外のフェミニストたちを通じて中国全土および世界中に広がった。


中国政府に彼女たちの即時釈放を求める署名(レイバーネット日本より)


逮捕されたフェミニストの一人、大兔さんは2014年夏に広州で広がった清掃労働者たちのストライキをフェミニズムの視点でレポートしていた。


女たちのたたかい-広州大学城の環境衛生労働者のストライキ日本語訳 (日中労働情報フォーラムより)

以下に訳出したのは、労働NGOで活動する大兔さんのボーイフレンドによる文章。原文および画像はこちらから。

最後に張り付けたYouTubeは、5人のフェミニストの早期釈放を訴える労働者たちの歌声を収録したショートフィルムと歌詞の日本語訳。(H)

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囚われたフェミニズム 支援の声を上げた労働者たち

3月7日に拘束されたフェミニズム・アクティビストを労働者が支援


ソース:新媒体女性
 
筆者:危志立

20150310
 


筆者は警察に拘束された大兔のボーイフレンド。本文は作者からの了解のうえで配信しており、転載する場合には出所と著者を明記してください。


「闘争において、膨大な数の強力な敵と対峙しているとき、あなたにまだ一人の友がいること発見し、そしてそれが未知の友であったなら、それは無上の喜び(原文:最棒的感受)となるだろう」


これは映画『PRIDE』(邦題は『パレードへようこそ』、日本公開は4月から:訳注)に登場する、ストライキ中のウェールズの炭鉱労働者の指導者が、炭鉱労働者の支援カンパを行ったロンドンの同性愛者たちにむけた感謝の言葉だ。この映画は1984年におこった実際の物語を映画化したものであり、この演説もそのまま再現されている。そしてこのセリフは、この何日間で僕が心から感じたことでもある。


37日早朝、僕のガールフレンドの大兔(鄭楚然)を含む北京、広州、杭州、雲南のフェミニストが警察に拘束された。彼女たちは3月7日に公共交通におけるセクシャルハラスメント予防の啓発活動を提唱して、国際女性デー(38日)を迎えようとしていた。今日(3月10日)までに、李麦子、韋婷婷、王曼、大兔、武嶸嶸ら5人のフェミニストは拘束されたままで、すでに刑事拘留で北京海淀看守所に拘留されている可能性が高い。


3月8日、僕はチャットのモーメンツ(SNSアプリ、友人間で写真などを共有できる機能:訳注)でシアトル、ロンドン、ニューヨークの友人たちが、大兔がつくったセクシャルハラスメント反対のシールや「フェミニスト行動派」のスローガンを掲げたり、「フェミ無罪」と書かれたスローガンを掲げて、拘束されたフェミニストたちを支援する写真を見た。


その時に僕が感じたのが例の「無上の喜び」だ。そしてこの種の喜びは、じつのところ今回が初めてではない。


2012年9月26日に感じたのが、この「無上の喜び」だ。その年、僕たち深センの労働NGOがまとめて弾圧を被った。そしてその年の9月26日に広州の小鳥(人名)が、労働者の仲間たちのためにフェミニストたちが手作りした月餅102個を持ってやってきてくれたのだ。こうして僕たちは、とても厳しい状況のなか、とてもうれしい中秋節を迎えることができた。


雪中送炭(困っている人を支援する)とは、こういうことをいうのだろう。


実際のところ、大兔らフェミニストはこれまでも労働者、とくに女性労働者の権利に関心を持ってきた。2013年には迪威信の労働者代表だった呉貴軍が捕まったときにも、大兔は呉さんを積極的に支援した。



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砂浜に書いた文字は「労働者は団結しよう、もう砂つぶのようにバラバラにされない、ストライキは合法、呉兄さんを釈放せよ」


2013年11月25日、深セン手牽手工友活動室は、工場で働く女性たちのセクシャルハラスメント被害の調査報告と宣伝用のビデオを発表した。このビデオもおもに大兔が撮影・編集をてがけた。


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禁止マークに「性騒擾(セクシャルハラスメント)」などの文字がデザインされている



2014年に広州の学園都市の清掃労働者のストライキのさいには、大兔は現場に駆けつけて、レポート『見よ!これが女のたたかいだ:広州学園都市清掃労働者のストライキ』を書いて、ストライキにおける女性労働者たちの主体性を描きだし、女性労働者たち全体を鼓舞して、「ストライキは男がやるもの」という偏見を打破した。


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写真:ストライキ現場で取材する大兔



大兔たちフェミニストはこれまでも労働者の権利に関心を持ち続けてきた。だから今回フェミニストたちを襲った監獄の苦しめに際して、労働者たちが当然のごとく支援に駆けつけたのだ。


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写真:拘束されている5人のフェミニストの名前と「厦門
[アモイ]の女性労働者はあなたたちとともにいる」のメッセージ


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写真:拘束されている5人のフェミニストの名前と「支援します」「厦門の労働者より」と書かれたメッセージ


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写真:拘束されている5人のフェミニストの名前と「支援します」「厦門の労働者より」と書かれたメッセージ


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写真:拘束されている5人のフェミニストの名前と「声援します」「厦門の労働者より」と書かれたメッセージ



この労働者は(職場で)鉄さびか機械油かでメッセージを書いたようだ。彼女のぼろの軍手は、何とも言えない悲痛さを感じさせるとともに、とても感激させるものだ。


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写真:ぼろ布に「フェミニズム・アクティビストを応援します」の文字と固く握られた軍手のこぶし



この女性労働者が掲げているメッセージは「私たちはハラスメントに反対します、あなたたち(当局を指す)はハラスメントをやめなさい!!!」と書かれている。チャット仲間の言葉を借りれば「自分がこれほど覚醒したことはこれまでなかった」。


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写真:「私たちはハラスメントに反対します、あなたたち(当局を指す)はハラスメントをやめなさい!!!」と拘束されている5人の名前と「支援します」と書かれたメッセージも持った女性



労働者もフェミニズム支持!


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写真:ハート型で囲んだ「大兔」の名前、「あなたはずっと僕の自慢だ」、「無産階級」と書かれたメッセージ


労働運動の歴史における成果の多くは、フェミニストたちとともに勝ち取ってきたものだ。たとえば3・8国際女性デーも最初の目標は、労働時間の短縮、賃上げ、労働環境の改善、児童労働の禁止などだった。フェミニストたちが今回被った被害は、男主義社会の抑圧に根源があるが、同時に社会構造における階級的抑圧という根源でもある。これらの問題があるなかで、僕たちの誰一人としてこの問題を避けて通ることはできないし、まして屈服することなど断じてできない。前進する道を探し続けながら、他の誰かに対する支援の手を差し伸べよう。そしてその手を強く握りしめよう。

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听到女人在歌唱吗

女たちの歌声がきこえるか
 


このショートフィルムは、「はやくあなたたちと爆食いしたいよ!あなたたちの帰りを待ってるよ!」と題して労働者たちがつくったもので、上記に訳した文章からの引用が多くみられる。

途中から始まる、かなり素人っぽさ満載の合唱は「レ・ミゼラブル」でうたわれる「民衆の歌」の替え歌で、タイトルは「女たちの歌声がきこえるか」。

この「女たちの歌声がきこえるか」は、女性への暴力が大きな問題になっていた中国社会でも数年前から広まり、2013年11月25日の「女性に対する暴力撤廃の国際デー」の際には、フェミニストたちが北京の地下鉄でこの歌を歌い始めるフラッシュモブも行われた(そのときの映像はこちら)。

 

このショートフィルムの最後には、5人のフェミニストたちを支援する労働者たちが「パンとバラ! 労働者とフェミニズムは一緒にいる!武嶸嶸、鄭楚然、王曼、李婷婷、韋婷婷、みんな帰りを待ってるよ!」というメッセージを語っている。以下は歌詞の日本語訳(H) 

你听到女人在歌唱吗
女たちの歌声がきこえるか


你是否和我一样  あなたもわたしのように
坚信这世界应平等 この世界が平等でなければならないと信じている?
这是首传唱自由和尊严的 これははじめて自由と尊厳を歌い伝えた
女人之歌 女たちの歌


你可愿和我一样 あなたもわたしのように
为权力抗争到老 老いてなお権利のためにたたかいを続ける?
打破沉重的枷锁 重苦しい鎖を引きちぎり
找回女人的力量 女たちの力をとりもどすために


我想出门不害怕 どこへ出かけるにも恐れることなく
想美丽不被骚扰 おしゃれをしてもセクハラされることもなく
请保护我別困住我 どうかわたしを困らせないで
为何我失去自由 どうして私が自由を失わなければならないの
快醒醒巴抓住他犯錯的人不是我 寝ぼけないでよ 悪いのはアイツで私じゃない


我为自己而歌唱 私は私のために歌う
不做你评判的対象 あなたにとやかく言われるためじゃない
我爱我独特模样不论它是 自分だけのスタイルが好きなの
美丑或瘦胖 それがキレイかどうか 痩せてようが太ってようが関係ない


我有闪光的梦想 わたしにはまばゆいばかりの夢がある
我也有丰富的欲望 わたしにはあふれんばかりの欲求がある
面对怀疑和嘲笑 疑いの目や薄ら笑い
艰难中我成长  そんな逆風のなかでわたしは成長する

【香港】学生諸君、これは政治闘争である

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雨傘運動の中心を担った香港大学生連合会(学聯)は8つの大学の学生会の連合組織でしたが、雨傘運動での指導に批判的な右翼本土派(中国大陸の中国人を排斥する香港中心主義・排外主義)らのイニシアチブのもと、構成団体の一つであり現執行部の書記長を輩出している香港大学学生会で「学生連合会からの脱退に関する学生投票」が2月8日から13日の日程で行われ、脱退賛成2522票,脱退反対2278票,棄権1293票という結果で脱退を決定しました。また香港大学だけでなく、嶺南大学、理工大学などでも学生連合会からの脱退を進める右派の運動が展開されています。以下は區龍宇さんが「独立媒体」に発表した論評。原文はこちら (H)


学生諸君、これは政治闘争である

區龍宇



香港大学学生会を香港大学生連合会から脱退させるという右翼本土派の策動の成功は、われわれに対する警鐘である。香港大学から選出されている学生連合会の代表は、脱退の策動に対してすぐに明確な反対を示さなかったことについて遺憾の意を表明した。愚見だが、このような敗北的様相は、じつのところ雨傘運動の際にすでに形成されていたと考えられる。

陳雲(嫌中排外主義の学者:訳注)が「学生連合会を解散し、学生会の自治連合を再編せよ」と呼びかけたときに、

右翼本土派があちらこちらで雨傘運動の参加団体に旗を掲げさせないように試みているときに、

彼らが街頭討論を組織する団体に対して攻撃を行い、とくに学生連合会がモンコック(旺角)で行った街頭討論を破壊しようとしたときに、

彼らが自由に「サヨク」というレッテルでほとんどすべての団体に対して侮蔑を行っているときに、

彼らがベテランの社会運動活動家に対して口汚くののしっているときに、

彼らが雨傘運動のメインステージの撤去と警備係の廃止を叫んでいるときに、

われわれはつねに譲歩し、旗を降ろし、仲裁し、みずからの至らなさについて謝罪するだけだった。なかには自衛反撃をする者もいたが、個人的な対応にとどまり、集団的な反撃を行わなかった。このときすでにわれわれの敗北は始まっていたのである。

より厳格にいえば、このように恥知らずな攻撃をおこなっていた右翼本土派はすでに単なる右翼ではなく、極右へと向かっていたのである。しかし極右に向かう人々に対する民主派の対応が、このような譲歩に次ぐ譲歩であったことから、現在につながる禍根の種を遺すことになった。なぜなら政治は受動と真空を最も嫌うからである。種々の不当な攻撃と侮蔑に対して沈黙すれば、それを見た人は「黙認するんだな」と考えるだろう。もし不当な攻撃に対して反撃もせず逆に陳謝して矛盾を緩和しようとすれば、それを聞いた人は「間違いだったことを認めるんだね。だって謝ったんだから」と考えるだろう。

右翼本土派に対しては、ソフトな対応だけでなく、ハードな対応も必要である。明らかに路線闘争が必要なのであり、投げかけられた侮蔑に対しては断固として反撃しつつ、民主化運動内部の自由と多元主義を防衛しなければならない。わたしは今になってこのような主張をしているのではない。雨傘運動開始後すぐに、右翼本土派による運動破壊が明確になり始めてから、幾度となくこのような警報を発してきた。残念なことにそれに対する反応はほとんどなかった。中国に「ウリを植えればウリが獲れ、豆を植えれば豆が獲れる」という諺があるが、今回の学生連合会からの脱退は、すべてのオールド、ミドル、ヤングのすべての世代の民主派が右翼本土派の攻撃に対して軟弱な対応で萎縮した結果である。

1月31日に社会民主連線(民主派政党:訳注)が開いたシンポジウムでの羅永生(嶺南大学教員)の報告は非常によかった。彼によると、雨傘運動全体で言えば、主流民主派、社会運動団体、左翼にいたるまで、政治的準備の欠落はもとより、さらには意志に欠けていたが、逆に右翼本土派には備えがあり、また闘争の意志があったことから、雨傘運動のなかでもっとも収穫が大きかったという。

とはいえ、現時点からの反撃でも遅すぎるということはないだろう。学生諸君たちもすでに準備を始めていることと思う。だが、右翼本土派による学生連合会や民主化運動に対する破壊および排外主義を阻止しようとするのであれば、守勢一方ではだめなことは言うまでもないが、反撃するにしても、主張に頼るだけの反論ではなく、直接対決するような反撃が必要である。だがそのチャンスはまだ到来はしていない。現時点でできること、やらなければならないことは、運動の焦点を真の敵(中国政府および香港政府)の方向に向けるということである。

たとえば、今年3月に開かれる中国全人代において、われわれは「香港選出の全人代代表は我々の代表ではない」という宣伝および請願行動を行い、香港から選出される全人代代表を誰もが立候補できる普通選挙にって選出し、香港人の運命を自主的に決められるように要求を掲げつつ、中国全土の全人代代表も同じように選挙で選ぶことを主張する。

これによって、香港人の中国公民としての権利が中国共産党によって否定されている事実を顕在化させ、「選挙によってえらばれていない政権に統治権はない」という原則にもとづいて、香港人の自主(自治)要求を目的をすることができる。目的の二つ目は、このような要求を掲げることで右翼本土派との区別をはっきりとさせることができる。われわれは香港の自主とともに、中国の民主を要求する(それは大中華主義的要求ではなく、民主主義的要求である)。三つめの目的は、中国からの観光・買物客に対する批判の的を、最大の敵である中国共産党へと移すことである。

もしこれらの活動がうまくいけば、右翼本土派との直接対決でもなく学生連合会脱退への直接の反撃ではないにもかかわらず、右翼本土派に対抗するという意志はこれらの活動の中に明確に位置付けられるのである。

2015年2月18日

中国のリベラル派と新左派の論争

區龍宇

(2010年8月31日に左翼21が主催した討論会のテーマは現代中国の左翼思想の流派についてだった。私も講演者の一人として、中国のリベラル派と新左派との論争について提起した。私は10年間に書いた「中国の自由主義と社会主義の危機」と近年の観察にもとづいて講演したが、準備不足と発現時間の制約から内容に誤りや漏れがあった可能性があるので、私の考えをまとめたものを以下で紹介する。)

 まずはっきりさせておきたいが、この論争が「リベラリズムと新左派」の間の論争と言われているが、それはやや事実とは異なるということだ。なぜなら「新左派」と言われる人の多くが、そう呼ばれることを喜んでいないからであり、しかも多くの人が実際には「左派」でもなんでもないからである。甘陽〔新左派の代表的人物と言われる〕は「リベラル左派」を自称しており、この論争を「リベラル右派とリベラル左派」の間での論争と位置付けている。実際の論争は、このようなカテゴライズよりも混沌としている。もしこの論争に無理やり名前を付けるとすれば「様々な右派と様々な反右派との論争」といえるだろう。どちらの側も雑然としている。論争は現在も続いているが、学術的なものを除外すれば、論争は以下の四点を巡って行われてきた。いずれも現実社会と無関係なものはない。

・国家が経済と社会生活に関与することに対する見方
・市場経済に対する見方
・中国では資本主義制度が実現しているのか
・いかなる社会階層を通じて自らの社会的理想を実現するのか

◎ リベラル派について

 リベラル派の主要な観点は、政治的には憲政民主主義を主張し、経済的には中国共産党の改革開放は市場の自由化を促進したがいまだに国家権力が大きい、とくに国有経済が多くの経済命脈を握っているので自由市場が抑圧されており、個人の自由も抑圧されている、という主張である。市場を擁護し、国家による干渉に反対することが特徴だ。

 新左派は横行する腐敗の理由を市場化改革にあると主張したが、リベラル派は過大な国家権力にこそ腐敗の理由があると主張し、民営化あるいは全面的な市場化によって腐敗は自然と消滅すると考えている。経済学者の樊綱は、経済学は道徳を論じることはせず、腐敗か腐敗でないかについては関知しない、とあけすけに語っている。このような主張は腐敗を客観的に擁護するものだと批判する意見もある。

 実際に、中国ではリベラル派を自認する人の多くが、経済上のリベラリストであるが、政治的なリベラリストではない。政治的なリベラリズムと経済的なリベラリズムとはまったく同じものではないというのは周知の事実である。両者ともに私有財産権を重視するが、政治的なリベラリズムは同時に市民権と主権在民の原則も重視し、市民権を拡張することで国家権力に対抗することに重点をおく。しかし経済的なリベラリズムの範囲はもっと狭く、おもには市場の自由のみを強調する。

 このような主張を「新自由主義」と呼ぶ人もいる。この「新自由主義」は資本の自由を制限する労働運動を最も敵視する。とくに労働者政党の権力を敵視する。だから「新自由主義」は非常に危険な極右的立場に発展することもある。中国では、多くのリベラリストが実際には新自由主義者であり、旧来のリベラリズムではない。彼らは民営化を重視しており、国有経済の全面的な退場を主張し、私的資本に道を開こうとしている。そして政治的な民主化についてはそれほど熱心に主張しない。なかには憲政民主主義を語る者もいるにはいるが、その主張を詳細にみれば、真の民主化ではなく、憲政の手順重視が主な主張なのである。

 劉暁波のような比較的誠実に政治的なリベラル化を推進しようとするリベラリストは、実際には極めて少ない。そして彼の主張、あるいは彼が起草者である08憲章が反映している立場は、新自由主義の色彩を多分に持っており、比較的進歩的なリベラリズムの主張はきわめて少ない。欧米においては、リベラリストのほとんどが労働者の結社の権利や労働運動の積極性を受け入れている。しかし08憲章は基本的労働権についてはほとんど触れておらず、独立労組の結成や団体交渉権については一言も述べていない。わずかに言及されているストライキの権利も、たんに「基本的理念」のなかについでに触れられている程度である。

 このような労働者の権利を無視する姿勢は偶然のことではない。かれらは労働者人民の苦境に関心をもったことはない〔実際には劉暁波は2004年に出稼ぎ労働者や労働争議についての論文を書いている。ただし下からの労働者による社会改革ではなく、上からの秩序ある改革を主張している:訳注〕。それゆえ08憲章の起草人は20数年来の恐るべき二極分化と富の集中に対して基本的に沈黙を保っているのである。新興ブルジョアジーがつくりあげた牢獄のような工場制度についても何ら批判しない。かれらは形式的な自由は大いに語る。それもいいだろう。しかし経済的平等は置き去りにしたままだ。逆に、彼らは何ら隠すことなく新興ブルジョアジーと官僚資本の後押しをし、さらなる民営化を主張する。彼らは「公平な民営化」を主張する。「公平な民営化」それ自体がジョークである。多くの人が08憲章とチェコの77憲章を比較するがまったく違うものだ。そもそも77憲章は民営化などを呼びかけなかった。

 多くの新左派が中国の改革開放によるさまざまな社会的弊害の責任は資本主義と自由市場にあると主張している。リベラル派はそれに対して反論しており、中国はいまだ資本主義ではないということを反論の根拠としている。彼らは、中国がいまだ指令経済/社会主義の段階にあると考え、それゆえ弊害は資本主義ではなく官僚独裁によるものだと主張する。彼らにとっては、中国がいまだ十分な自由市場でなく、全面的な私的所有権と憲政民主主義が存在しないことから、中国はいまだ資本主義ではなく、それゆえ腐敗の原因を資本主義に求めることはできないと主張する。

 リベラル派は、理想的な資本主義を実現するには、中産階級の発展が必要だと考える。だが彼らのこういった主張もますます説得力がなくなっている。中国の中産階級はすでに膨大な人数に達しているが、いまだかれらが憲政民主主義を実現する努力を目にすることはできない。

◎ 新左派について

 つぎに新左派の主要な観点について述べる。「新左派」という名前は、リベラル派を批判しているがトウ力群のような「老左派」とは区別する意味で使われ出した。しかしこの呼称はあまり使い勝手の良いものではない。彼らの中の多くが毛沢東主義者である。しかし今日の中国国内では統一した毛沢東主義者はいない。立場はそれぞれ異なっており雑多でもある。

 「新左派」と呼ばれている韓毓海や汪暉などはリベラル右派とは違い、腐敗の根源は市場経済にあると考えている。右派は、市場経済が自然と経済的均衡を実現し人々に利益をもたらすシステムだと考えている。なぜなら市場は国家のような強制システムとは違うと考えているからだ。韓毓海(北京大学中文系副教授)などはそのような意見に反論する。なぜ名目上の機会の均等が、実際には不平等をもたらすのかについてリベラリストは説明していない、なぜ形式的には公正な法律が実際にはどのように運用されているのか、と。リベラリストは、名目だけの、形式だけの独立公正な国家を念頭に置いているが、現実の市場においては、片や強力な資本が存在し、片や無権利の労働者が存在するときに、この国家はどのような役割を果たすのかについて、彼らは考えもしない、と。韓毓海はさらに、市場経済が官僚政府の全知全能主義を打倒できると考えるのは間違いであると指摘する。旧ソ連、東アジア、ラテンアメリカなど急速な市場化と民営化が進む地域では、市場経済が破壊しているのは全知全能の政治社会ではなく、政治活動に参加する人民の能力、方法、市民的道徳が破壊されている
と指摘する。

 だが多くの新左派が、市場万能主義に反論する際に、極端に走るきらいがある。つまり国家の調節システムによる市場の規制を擁護するあまり、国家システムそのものに存在する抑圧性と反動性を軽視してしまうのである。彼らの多くが社会主義を支持しているが、その多くがスターリニズムの伝統を受け継いでいることから、社会主義の原則は、国家主義にあるのではなく、労働者の民主主義、政治と経済における民主主義によって自由を実現することにあることを忘れている。新左派がもつ国家に対する崇拝は、ブルジョアジーを制御するには、労働者人民の自主的解放にではなく、国家とくに現在の党-国家体制への期待につながる。

 だが、現在の政権は、新左派が反対する熾烈な資本主義を推進しているという難題がある。この難題に対する新左派の解は、この国家システムの性格は必ずしも反労働者的でもなく、また必ずしもブルジョアジー的でもなく、中立的であり特定の階級的性格はないというものである。あるいは、?小平は毛主席を裏切ったが、中国共産党はいまだ社会主義的性格を有しているので、左翼は共産党に対するロビー活動をすることで、その政策を転換させることができると考えている。それゆえ一部の新左派は、中国では資本主義がすでに復活したかどうかに関わらず、共産党それ自体は人民に奉仕するというかつての立場に回帰することが可能である考えている。一部の新左派は、毛主席の時代こそが真の社会主義であり、労働者人民が主人公であったと力説する。

 これらの新左派の最大の弱点は、国家の干渉の合理性を強調するあまり、自由主義の合理的な一面、個人の自由を国家による侵害から防衛すること、欧米の代議制民主主義などを過度に否定し、それらはすべてブルジョア民主主義およびブルジョア自由主義である、と簡単に否定しまうことにある。

◎ マルクス主義者の立場

 真のマルクス主義的伝統は、一部の新左派にみられる、自由主義や市場を全面否定することではない。国家システムについても、一部の新左派のような国家崇拝ではなく、全く逆に国家の段階的消滅こそが基本的な主張なのである。そしてこの国家の消滅の過程をつかさどるものこそ、組織された労働者人民なのである。トロツキーは簡潔につぎののように述べている。ソ連が真の社会主義に向かうためには、「市場、計画、ソビエト民主主義」という三要素が必要である。ソビエト民主主義とは、労農兵の代表者会議である。マルクスのいわゆる「プロレタリア独裁」の「独裁」とは古代ローマ時代から借用したものである。古代ローマの議会では緊急の際に「独裁官」に6か月の臨時的権限を付与し危機の対応に当たらせた。もし労働者革命政府が成立したら、当然、ブルジョアジーの武装抵抗に遭うだろうから、このような状況においては、一種の緊急的権力で危機に当たらせなければならないとマルクスは考えたのである。マルクスは終始一貫して国家主義の不倶戴天の敵であった。彼は、長期的で不断に強化される社会主義国家システムが、自主自立の労働者運動にとってかわるなどとは考えもつかなかったはずである。

 汪暉は、国家主義という欠点が比較的みられない数少ない新左派の一人であり、しかも、いわゆる近代民主主義のなかで社会運動の役割を強調することに特徴がある。リベラル派は欧米こそが近代化のモデルだというが、汪暉によると欧米で一定の民主主義が存在するのは、それが資本主義に固有の特性だからではなく、逆に、労働者の社会主義運動をふくむさまざまな社会運動による挑戦の結果である。これらの社会運動(労働運動、女性運動、少数民族の政治経済権利運動など)がなければ、欧州における民主主義制度の実現もなかっただろうと主張する。アメリカや欧州、オーストラリアをたんなる資本主義としてみるのではなく、そのなかに多くの社会主義的要素が含まれていることも見なければならないのである。つまり、資本主義近代化に対する持続的な批判と抵抗がなければ、現代の、われわれの多くがあこがれる制度改革と発展もないのである。

 十年前に開始されたこの論戦は、リベラル派、新左派もともに極端を走りすぎた。しかしこの十年でそれぞれのグループ内部の細分化はますます明らかになっている。今日では、統一した新左派あるいは毛沢東主義者について語ることはできない。一部の毛沢東主義者は、以前であれば基本的な政治的自由の実現には抵抗していた。だが最近、広州ホンダストを支援する呼びかけを書いた鞏獻田〔北京大学法学院教授で著名な新左派の一人〕はその文章の中でストライキの自由を勝ち取ることを提唱した。これは明らかに前進である。冷戦終結後20年ののち、世界の政治経済の勢力図が大きく変化するなかで、トロツキー派、毛派、ひいては新左派などの政治的呼称に基づいた政治分析の意義は薄れている。今日、われわれにとって重要なことは、実際の政治主張な何なのか、特に実際の行動はどういったものなのか、ということにもとづいた評価であり、歴史的系譜はそれほど重要ではない。

2010年9月28日

原文
http://left21.hk/wp/2010/10/%E4%B8%AD%E5%9C%8B%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%88%87%E6%96%B0%E5%B7%A6%E6%B4%BE%E7%9A%84%E8%BE%AF%E8%AB%96/

【香港】思想を大いに解放しよう~独立を目指さない自決権について

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1月14日、香港政府の梁振英行政長官が今年の施政報告を行った。民主派議員らは黄色い雨傘を掲げて抗議の意味を込めて退場した。梁行政長官は施政報告の説明で、香港大学学生会の機関誌『学苑』2014年2月号が「香港民族 命運自決」と題する特集を組んで、そのなかで香港独立を主張したと厳しく批判した。雨傘運動の中でも中国嫌いの「香港本土派」らが盛んに「香港独立」「中国国内のことなど関係ない」という主張を展開し、中国の民主化がなければ香港の独立どころか高度な自治さえも実現することができないと訴える社会運動派に対する敵がい心をあからさまに表現していたことは、區龍宇氏による一連の論評でも紹介してきたところである。以下は、區龍宇氏が「民主的自決権派」という立場から今回の問題を論じたもの。原文はこちら。(H)

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思想を大いに解放しよう
独立を目指さない自決権について


區龍宇

2015年1月16日

梁振英(行政長官)の『学苑』に対する攻撃は、準備されたものであり、香港独立派に対して先手を打ち、反す刀で主流民主派に立場表明を迫ったものである。梁家傑(民主党派の公民党党首)は梁振英から香港独立を支持するのかと追及され、やや受動的かつ簡単に、香港独立に反対すると答えた。だがこれが民主派の立場であると受け取られてはかなわない。さらに重要なことは、梁家傑 のような答えは、主流民主派がそもそも情勢の推移に追いついていないことを暴露するものである。民主主義の立場に立ち、戦略的な観点から答える、次のようになるだろう。

1、香港人には自決権がある。香港の真の民主派は、これからは「民主的自決権派」と名乗るべきである。(原注1)

2、自決権には独立する権利も含まれる。

3、独立する権利は、イコール、独立しなければならないということではない。去年のスコットランドの独立を巡る投票では、多くの有権者が自決権を支持した(独立を問う投票に参加した)が、結果は独立反対が多数を占めた。

4、つまり民主的自決権派は二つに分類することができる。独立をめざす自決権派と独立を目指さない自決権派である。

5、大多数の香港人は、(独立や自決権ではなく)高度な自治のみを願ってきたが、今日の情勢下においては、自決権をかちとらなければ自治さえも危ういということが明らかになった。

6、自決権は擁護するが独立は目指さないという価値観は、大多数を結集させることができるし、また柔軟にとらえることができる。だが独立を目指す自決権の場合は、独立と自決のどちらの実現も難しいだろう。それゆえ後者の立場は支持できない。(原注2)

7、独立を目指す自決権派は、反中国人主義と決別しなければ、支持されないばかりでなく、自ら墓穴を掘ることになるだろう。

8、香港人が自決権を実現しようとするのであれば、中国大陸人民の共感と支持をかちとり、中国政府をけん制することができれば、実現の可能性がでてくるだろう。逆に、すべての中国人を敵視する排外主義は、たとえいかに「香港の利益」を打ち出すことで粉飾したとしても、実際には一部の政治的ポピュリストのために危険な火遊びを行うことにしかならない。それは香港の民衆を袋小路に追いやることになるだけである。

9、独立を目指さない自決権派は、独立を目指す自決権派と連携して言論の自由(香港独立の主張を含む言論の自由である)を防衛するとともに、政治路線においては違いをはっきりとさせなければならない。

10、香港の自治権は空前の危機に陥っている。香港人はさらなる思想の解放、大胆な発言し、自由な思索が必要である。政権によるいかなる言論抑圧の試みに対しても、全香港人による共同の反撃が必要である。


(原注1)民族だけが自決権があるわけではない。民主主義の原則から以下に自決権を導き出すべきかについては、筆者による『自決権を誤解する郝鉄川氏』を参照してほしい。「主場新聞」に掲載され[同サイトは閉鎖:訳注]、現在は以下のサイトで閲覧できる。http://www.workerdemo.org.hk/0001/20140413.01T.pdf

(原注2) これに関する見解については、筆者はこの一年の間に「主場新聞」「独立媒体」「明報」などで述べてきたところである。

【香港】新しい世代、古い路線?

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▲学生団体と香港政府の対話(2014年10月21日)

新しい世代、古い路線?

區龍宇


11月20日、学生連合会の代表と政府との二回目の対話---。

周永康・学聯代表 「10月21日の第一回目の対話のあと、もっと大きな事件に発展しました。各業界でストライキが発生しています。もし政府が譲歩しないのであれば、さらに大きな怒りを買うことになります。」

林鄭・政務司司長 「しかし街頭占拠に反対する人たちも、それ以上にいるではありませんか。」

岑敖暉・学聯代表 「選挙制度改革は中央政府の専権事項なので香港政府には権限がないと主張し続けるのであれば、私たちは一歩下がって次のことを要求します。労働者・学生連盟の『民主憲章』にある民生に関する事項のすべての要求を受け入れてください。これらの事項はすべてあなた方自身に決定権があるのですから!」

林鄭 「それらについてはゆっくり検討しましょう。あなた方は恫喝的な態度で私たちに要求を迫るべきではありません。」

梁麗幗・学聯代表 「私たちは恫喝などしていません。ただ庶民は我慢の限界なんです。街頭の占拠者だけでなく、たくさんの労働組合もすでに準備ができています。もしも市民のための公共住宅建設を拒否したり、団体交渉権と40労働時間の法制化を拒否したりすれば、人々はすぐにストライキに突入するでしょう。この第二派のストライキは、第一波のストライキのときよりも強烈でしょう。なぜなら要求実現の権限があなた方にあることをみんな知っているからです!」

林鄭 「それらの議題についてはすぐに諮問手続きに入ることを検討して・・・・・・」

周永康 「具体的な期日を明言してください。庶民は大変苦しいんです。それが分からないのですか?それにもかかわらずタバコ税は倍に引き上げられます。どうして労働者たちが禁煙することが大変なのか分かりますか? 毎日長時間働いて、仕事だって楽じゃないんです。林鄭司長!タバコでも吸わないとやってられない。分かりますか? 健康のためだというんなら、労働時間を短くすれば、タバコ税を引き上げる必要などありませんよ。仕事が少しでも楽になれば、タバコに頼る必要も減るんですから、司長!」

◆ 亜洲電視社員の労働の尊厳はいかに?

この対話はもちろんフィクションである。

だが、もしこのような状況であれば、労働者の尊厳はもう少しましなものになっていただろう。クリスマスと正月を目前に控えた亜洲電視(アジアテレビ)の社員らが賃金遅配の憂き目にあうという事件は起こらなかっただろう。あるいは少なくとも労働者らの怒声が悪徳資本家たちを震え上がらせることができたかもしれない。タダ働きほど耐え難い屈辱はない。

亜洲電視の社員の多くは、普段は自分のことを「労働者」というよりも「専門分野の人間」あるいは「中産階級」だと思っていたかもしれない。しかし今回の賃金欠配事件は、ほかでもなく次の事実を明らかにした。つまり彼ら彼女らも確かに労働者であり、確かに経営者階級と利害が対立しており、しかもその対立は経営者たちに踏みつけにされていることで発生しているのである。昨日の報道によると、亜洲電視の数人の経営陣の資産合計は720億香港ドル余りに上るが、欠配賃金は1500万香港ドルに過ぎない。つまり経営者らの資産総額のわずか0.02%に過ぎないにもかかわらず、それっぽちも払おうとしないのである。これは搾取というだけでなく、屈辱でさえある。

香港全土の労働者は300万余りで、総人口の約半数であるが、「普通選挙権を持っていない」と「労働の尊厳を持っていない」という「二つの持たざる者たち」でもある。(2013年の)港湾労働者の争議で、ある労働者の代表がこう語っていたことを思い出す。「仕事をするならすぐにしろ、したくないならとっとと出て行け、という職制の口癖は、みんなの憎しみの的だったね」。労働時間規制もなく、団体交渉権もない。労働権や休憩する権利の保障はわずかなもので、自分の退職金は銀行の強制積立金になってしまう。これら一切の事柄はここで詳細に述べるまでもなく周知の事実である。

◆ 「二つの持たざる者」は社会変革を求める

人々は二つの権利(民主的権利と労働権)を奪われたままになっているのだから、民主主義と民生保障はどちらもかちとるべきである。普通選挙の実施だけを求めるシングルイッシュー路線は間違いである。だが残念なことに主流民主派は一貫して大資本に親和的な路線をとっており、普通選挙以外の要求をかかげてこなかった。しかも普通選挙の要求でさえも、真剣に実現しようとはしてこなかった。

これら主流民主派はすでに民主化運動を指導することはできなくなっている。一方で労働者市民らはますます政治化し、さらに多くの労働者市民が雨傘運動に参加した。いまでも雨傘運動を学生運動としか考えていない主張もあるが、それは正確とはいえない。簡略化を恐れず言えば、旺角ではブルーカラーが多く、金鐘ではホワイトカラーと自営業者が多かったが、ブルーカラーもホワイトカラーもどちらも労働者階級であることにかわりはない。だからであろう、それぞれの占拠区では、庶民らによるメッセージ(ポスター、各種の宣言、イラスト、横断幕など)、労働団体や学生連合会を含む社会組織にいたるまで、それらすべてにおいて民生保障を求める声を発していたのである。しかし、このような真の民主主義の訴えが(民生問題を訴えない民主主義は真の民主主義にあらず)、民主主義一般の訴えから自立した形で大きく響き渡らなかったことも事実である。もちろんそれには客観的な原因がある。しかし普通選挙を求める運動において労働団体の路線が、上層の中産階級路線と明確な区別をつけることができなかったことも、ひとつの原因といえるだろう。

◆ 労働者と学生の同盟は自主的そして自覚的に

労働団体が去年初めのオキュパイ・セントラルの開始当初から学生と一緒に、主流民主派の普通選挙シングルイッシュー路線から離脱して、民主と民生の両方を掲げていれば、雨傘運動の初期に打たれたストライキの規模も少しは大きくなっていたかもしれない。あるいは規模の拡大はなかったかもしれないが、すくなくとも労働者市民からの支持は大きくなっていただろう。反オキュパイ運動との世論の引っ張り合いでも、有利な状況になっていただろう。もっと重要なことは、主流民主派に追従すして沈みゆく船に乗り込むという、骨折り損のくたびれ儲けになることもなかっただろう。

しかし、香港社会の満身創痍の理由が普通選挙権の不在だけではないことは、誰もが知っていることだ。それは1%と99%という、極度の貧富の格差が存在する社会ゆえのことである。そして99%に含まれる大学生や卒業生らも、その多くが労働者への道を歩むことになる。このような99%の人々が、全面的な社会変革を訴えたのである。だが従来の民主派の路線はそれとは異なり、香港民主化運動の目標を普通選挙シングルイッシューに制限し、労働運動、そして学生運動さえもその付属物としてしかみなさなかったのである。当然である。それこそ大資本に迎合する上流の中産階級の路線なのだから。奇妙なのは、この路線においては敗者にしかならない労働団体が、何ゆえに主流民主派と運命を共にしたのかということだ。

考えられる理由の一つは、独立した民主的労働運動の路線を掲げることで、民主化運動が分裂するのではないかという心配である。しかし、それは考えすぎだし、独立した運動であっても対立せずに協力することは可能である。それに何よりも、労働運動の圧力によって主流民主派が新しい路線を歩み始めるという選択肢を、どうして初めから排除するのか。一歩下がって、彼らがそれを受け入れないとしても、労働者と学生の同盟が独立した旗幟を掲げることは他の民主派を妨害することではない。必要に応じて協力すればいいことだし、別個に進んで共に撃てという方針のもと、共同の敵に対抗すればいいのである。

◆ 古い路線にサヨナラしよう

民主化運動の大衆的基礎を拡大しようとするなら、普通選挙の実現と同じくらいの力の入れようで、富の再分配を要求すべきだろう。もちろんこうした方針は財界の大物や上流の中産階級が喜ぶところではない。だが問わなければならないことが一つある。いったいどれだけの財界の大物が、真の普通選挙を支持しているのか、ということだ。次にオキュパイ10氏(宗教家、教員、医師、メディア主宰者ら10人のオキュパイ応援団:訳注)らが雨傘運動の進展の中でとった態度をみても、いったいどれだけの上流の中産階級たちが犠牲を厭わずに真の普通選挙を実現しようと考えていたのかがわかろうというものである。民主化運動の力は青年学生と中下層の労働者階級にある。

雨傘運動を担った若者に対して、次は選挙に取り組むべきだと鼓舞する声が聞こえてくる。主流民主派もできるだけこれらのニューフェイスを起用しようとするだろう。次回の選挙では主流民主派のリーダーたちの選挙リストの順位を二番目か三番目にすべきだという意見も聞かれる。それも道理のないことではない。しかし改めて問われなければならないことは、ニューフェイスの起用も結構だが、路線が古いままであれば、結局のところ新しい革袋に古い酒を入れる(中身は変わらない)のと同じではないのか。

新しい世代には新しい路線が必要である。それは労働者と学生が同盟し、民主と民生を掲げて、ともに社会変革を実現するという路線である。そうでなければ面白くない。

2015年1月9日

原文
http://www.pentoy.hk/%E6%99%82%E4%BA%8B/a405/2015/01/09/%E5%8D%80%E9%BE%8D%E5%AE%87%EF%BC%9A%E6%96%B0%E4%B8%96%E4%BB%A3%EF%BC%8C%E8%88%8A%E8%B7%AF%E7%B7%9A%EF%BC%9F/

【香港】抵抗者の言

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▲最後のオキュパイに参加する周保松さん(中)


香港紙「明報」2014年12月21日の日曜版に掲載された中文大学政治行政学部講師の周保松さんが金鐘オキュパイ最後の座り込みに参加した体験記を、三回の連載の最初のみだが翻訳・紹介する。原文のコピーはこちら


抵抗者の言(上)

私は2014年12月11日午後5時1分に金鐘(アドミラリティ)夏愨道(ハーコート・ロード)で正式に香港警察に逮捕された。容疑は「違法集会」と「公務執行妨害」であり、これは私が市民的不服従を選択したことで引き受けた刑事罰である。私の人生プランにおいて、こんなことになろうとは考えたこともなかった。このような一歩を踏み出したことで、今後の人生においてどのような影響がでるのかは、いまのところ予測はできない。だが記憶と感覚が残っているうちに、自らの経験と思うところを書き記し、歴史の記録としたい。

私が、学生連合会の呼びかけに応えて警察の強制排除の際に逮捕されるまで非暴力で座り込むことを決めたのは、12月10日の夜8時過ぎのことだ。その時、私は干諾道(コンノート・ロード)にある人通りの多い陸橋の中央分離帯の上で、薄赤くなった空を眺めながらそっと寝ころんで、小一時間ほど経過していた。その時すでにはっきりと決意は固まっていたが、思わずそのまま寝入ってしまった。眠りから覚めると、若い女性が通りにしゃがみ込んで、「天下太平」の大きなアートを描いていた。描かれた人々は一人一人、黄色い雨傘をさしている。わたしも急に思いつき、落ちていたチョークを拾って、誰もいない所をさがして「悲観する理由はない、こうする以外にない」の二行の文字を書き記した。高いところから、眼下にある自習室を眺めるとまだ明かりがともっていた。そしてあちらこちらで立ち去りがたい人々の影が見えた。最後の夜だということを、私は理解した。

家に帰ると真夜中になっていた。私は妻に自分の考えを伝えた。妻との議論で私はなんども最後にこう言うしかなかった。「こうしないわけにはいかないんだよ」と。妻は私の決意が固いことを知り、不承不承こう言った。「明日の朝、寝坊して、起きたときにはすべてが終わっていたらいいのに」。朝8時半に目がさめたとき、ちょうど3歳の娘が保育園に行くところだった。私は娘を抱いて「パパは今晩は一緒にご飯を食べられないんだ、ごめんね」と伝えた。そして妻には、子どもの心に悪影響を及ぼすかもしれないので本当のことは伝えないようにと頼んだ。というのも、このところ、娘はテレビで警察が出てくると「警察が捕まえにきたよー」と恐怖心が入り混じる大声で叫ぶようになっていたからだ。

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金鐘に戻ってきたときには、午前10時近くになっていた。地下鉄の駅を出ると、太陽は同じように差していたが、世界はすでに同じではなかった。夏*村はすでに狼藉の後で、レノン・ウォールに貼られていた幾千幾万の願いを書いたカードはすべて撤去されており、「We are Dreamers」の文字だけがさびしく壁に残されていた。(ジョンレノンの「イマジン」の歌詞に出てくる:訳注)「失望しても絶望はしない」と書かれていたところにはいまは何もなく、「初心は愛」という大きな文字だけが残されている。文字の色は白く、用紙は黒く、そして壁は灰色だった。9月28日、わたしはこの壁のすぐそばで、傘をさして無数の市民らと一緒に、最初の催涙弾の洗礼を受けた。その時には、まさかそれが香港の歴史の転換点になるとは思ってもいなかった。さらには、その75日後には中文大学政治行政学部のトレーナーを着て、無数の市民らと一緒に満員電車に乗車し、金鐘の駅で降りて、彼らは出勤し、私は逮捕されに行くことになろうとは思ってもいなかった。

レノン・ウォールの前にしばらく黙して立ちすくんでいると、陽の光に照らされて、Johnson(楊政賢)とEason(鍾耀華)が手をつないでこちらにやってくるのが遠くに見えた。二人はともに中文大学政治行政学部の学生で、中文大学の元学生会長だ。Johnsonは民間人権陣線の呼びかけ人の一人でもある。Easonは学生連合会の執行部書記で、政府との対話に参加した5人の学生代表の一人。のちの強制排除のときには、Easonは最初に逮捕され、Johnsonは最後に逮捕された。私たちは多くを語るわけでもなく、「We will be Back」の横断幕のところで一緒に写真を撮り、夏愨道と添美道(ティムメイ・アベニュー)の方へと一緒に向かった。そこでは、不服従の市民らが座り込んで最期の時を待っていた。

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◎ 政府は「権威」から「権力」に堕落した

しかしついてみたら、その場にいる人はかなり少ないことがわかった。座り込んでいる人も200人ほどしかおらず、周囲にいる記者や観衆よりもかなり少ない。さらに意外だったのは、多くの民主派の議員らもそこにいたことだ。また李柱銘(マーティン・リー、元民主党党首)、黎智英(アップルデイリー会長)、余若薇(公民党主席)、楊森(元民主党党首)などもいた。これは私が昨晩想定していたものとはかなり違っていた。わたしはもっと多くの若者がこの場に残るのではないかと考えていた。だからといって失望しているわけではない。むしろ幸いだったとひそかに思っている。というのも、これまで若者たちは多くの代償を払ってきており、これ以上の苦難を味わう必要はないと思っていたからだ。

だがもっと深い理由を考えると、この二か月余りの経験の中で、若い世代の市民的不服従に対する理解が根本的に変化したのではないか、と私は考えている。ルソーの「社会契約論」に絡めていえば、香港政府はすでに「権威」(authority)から「権力」(power)へ堕落する過程に深く入り込んでいるということだ。正当性のない権力は、せいぜいのところ人々を恐怖で屈伏させるだけにすぎず、政治的な義務感を生じさせることはできない。そして市民が服従する義務を感じなければ、市民的不服従においてもっとも核心的な「法律に忠実に従う」という道徳的拘束力を大いに損ねることになるからだ。

そう考えれば、香港政府の支配の正当性の危機は、今回の運動を経たことで根本的に変化した。それまでの危機は、権力が人民の投票によって権限を与えられたものでないというところに原因があったが、にもかかわらず、人々はそれでも条件付きでそれを受け入れてきたが、それは権力機構がかなりの程度みずから抑制し、手続き上の公正さと専門家倫理という一連の基本的な要求をクリアしていたからでもある。しかし現在の危機は、権力がなんら制約を受けることがないという態度で恣意的に公権力を乱用し、それが権力の正統性のさらなる喪失を導いた。その必然的結果は広範な政治的不服従である。

当初わたしは後方に座っていたが、しばらくして学生とともにいるために座り込んでいるのだから、学生たちのいるところのほうがいいだろう、ということで前から二列目の一番右側に座り込んだ。わたしの隣にはmenaという若い女性が座っていた。彼女は学生だと思っていたが、聞いてみると社会人だという。10月から学生連合会の手伝いをしているといい、数多くいたボランティアのなかで唯一、最後の座り込みに参加していた。なぜこのような選択をしたのかを聞いてみた。彼女は、こうすることが正しいと思ったからだと答えた。ご両親は知っているの?とさらに聞いてみた。彼女はちょっと笑って、今朝一時間かけて母親を説得したと答えた。私と同じ列には、周博賢(シンガーソングライター)、何芝君(元理工大学教員、フェミニスト)、何韻詩(デニス・ホー、歌手・女優)、羅冠聡(嶺南大学学生会事務局長、大学生連合会中執)らがいた。さらに遠くには以前学生だった黄永志と中文大学で同級生だった蒙兆達と譚駿賢がいた。私の後ろには、韓連山(道徳教育反対のハンストなどで著名な元教員の政治家)、毛孟静(民主派の公明党議員)、李柱銘(マーティン・リー、
民主党創設者)、李永達(元民主党党首)などが座っていた。しばらくして、今日の座り込みには、政党やNGOのメンバーが多く、私のような「独立人士」は多くないようだ。

◎ なぜ「こうせずにはいられなかった」のか

警察が障害物を排除する速度が遅かったことから、数時間の余裕ができた。私たちはその場に座り込んで、警察が一度、また一度と座り込みを続ける人々にすぐにその場から立ち去るように警告する放送を聞いていた。そしてオキュパイ地区は徐々に封鎖されていった。しかし現場の雰囲気は緊張したものではなく、みんなは必ず起こるであろう、そしてどのように起ころうとしているかが分かっている事柄にも、それほどの憂慮や恐怖もなかった。わたしは内心は平静だったが、ときどき座り疲れて立ち上がって、密集した記者、それほど遠くない所で警戒にあたっている警官、立体交差道の上から見下ろしている観衆を見渡し、疲労の表情を見せる学生たちを見下ろした時には、いくばかの困惑と心の痛みを感じずにはいられなかった。どうして我々はここにいるのか? どうして彼らはここにいないのか?どうして我々の「こうせずにはいられなかった」が、他の人にとってはそうではなかったのか?香港のこの街は、本当にわれわれが代償を払うほどの価値があるのか?

私は次のことを認めなければならない。警察が逮捕行動を始めたときに私の脳裏には、私は立ち上がってその場を離れれば、私は「彼ら」にならずに済み、地下鉄で学校に戻り、安穏とした生活に戻ることができるだろう、という思いが本当によぎったということを。いま私が負わなければならない責任の一切は、そもそも私の世界に属するものではなく、私自身もだれに対してもなんの約束をしたわけでもないのに、なぜここに座りづづけなければならないのか。私は自分に問うた。

これは実はこの二ヶ月間、私がずっと考えていた問題であった。私は、結局のところどのような原因でこれほど多くの若者が立ち上がり、抵抗の道に繰り出したのか、そして巨大な個人的な代償を払うことをよしとするのかを知りたいと考えていた。もちろん誰かから示唆されたり、個人的利益ためではないことはあたりまえだ。鄭[火韋]と袁[王韋]煕によるオキュパイ参加者に対する代表的な調査(11月29日「明報」)では、運動に参加した人々の中で一番多かったのは、教育水準も高く収入もそこそこあるホワイトカラーと専門職(55%以上)であった。常識でいえば、これらの人々はゲーム理論における既得権益者であることから、個人のことだけを考えるのであれば、これらの人々がそのような行動を理由はない。かれらが立ち上がった主要な理由は、「本当の普通選挙がほしい」(87%)、すなわち自由平等な市民が彼ら自身の政治的権利を行使したいということだった。

◎ 最も深い政治的覚醒:権利と尊厳

しかし民主主義が彼らにとっていかに重要なのか?それに対して、民主主義はよりよい経済生活あるいは社会的上昇のチャンスなど、かれらにその他のメリットをもたらすからだという人も少なくない。もしそうであるなら民主主義は役割的な価値しかないことになることから、このような説明にはあまり説得力がないように思える。それよりも抗議に参加する人々は、こう答えるだろうと信じている。つまり、民主主義制度によってのみ人々は平等に尊重され、人としての人生に尊厳がもたらされるからだ、と。しかしそれは尊重と尊厳が、抽象的で理想的な中産階級の「ポスト物質主義」の追求だと言いたいのではない。絶対にそうではない。人々はまさに具体的な政治と経済の生活の中で、自らに降りかかる制度の不公正と不自由を本当に感じているからこそ、平等な尊厳の尊さを徐々に経験しつつあるということなのだ。

だから、これらの価値観が人々の行動の理由になるのは、これらの価値観がとっくにある種の方法によって彼らの生命に深く浸透し、それが自分自身と不可分の一部になっていると感じているからであると、私は考えている。こうしてのみ、他人が経済的利益を用いて彼らの政治的権利を持ち去ってしまうことに同意しないのである。そしてまたこうしてのみ、彼らが有するべきと考える政治的権利が粗暴に剥奪されようとするときに、自らの尊厳が深く傷つけられたと考えるようになるのである。そしてこれによって、今回の雨傘運動のなかで青年が最も深く政治的に覚醒したのではないか。支配者と多くの大人たちにとっては、理解できない世界なのかもしれないし、人には経済人だけでなく道徳人も存在するということ、そして人はパンだけでなく権利と尊厳が必要だということを理解できないだろう。新しい世代は、自分と生まれ育ったこの街を古い価値的規範で理解したくないのである。観念が変化するとき、行動もそれに伴い変化し、新しい主体が形成される。このような政治的自我の表現と実践に対して有効な回答ができない制度は、大きな挑戦を受けることになる。この過程がどれほ
どの苦痛を経て、どれほどの代償を受けるのかは、われわれすべて――とくに支配者――が真剣に考えなければならない問題なのである!

◎ 内心の信念に対する約束

まさにこれらの問題への回答を見出そうと、私は当日、カバンの中に衣類と水、そしてクリスティーン・コースガードの『規範性の源泉』を入れていた。座り込んでいるときに、ロンドン・レービュー・オブ・ブックスの記者が興味を持って、何の本を読んでいるのかと聞いてきた。わたしたちは、喧噪のなかで、道徳と身分について話をした。「独立媒体」の記者も私のところへやってきて、なぜ座り込んでいるのかを聞いてきた。私はちょっと考えて、自分の人格を成就させるためだと答えた。もしある重要な時に、深慮熟考ののちにもある種の価値観を堅持したいと思うのであれば、それはその価値が極めて重要なものであり、それはその人の人格の一部となっていると、私は思う。このような価値観を守るためには大きな代償を払わなければならないかもしれないが、それは確実に自我を成就させる。このような成就は、他の誰かに対しての約束ではなく、自分の内心に対する約束である。

今回の運動のなかで、真剣な参加者はみんな、このような覚醒と内省を経験し、最後に自分が正しいと思う道徳的選択を行ったと、私は信じている。それゆえ、巨視的には、怒涛のように盛んな気勢は容易に観察できるが、一人一人の真実の個々人がどのようにそのなかで真実かつ着実に自分自身の信念に生きたのかを観察することはできない。排除の直前に、私は何度も立ち上がって、座り込んでいた一人一人の表情を凝視した。特に深い印象を受けた表情の3人を紹介したい。

區龍宇。退職教員。一貫して労働者の権利に関心を持ち続け、清廉で、好く書をたしなみ、その人となりは闊達正直。初対面は19年前のイギリスで、自由主義とマルクス主義について二日二晩激論を交わした。今回の運動には最初から全身全霊を投入し、フェイスブックで若者たちと自由に議論を交わし、オキュパイ各地区でなすべきことをなすなど、一般的な「60年代生まれ」のイメージとは全く異なる(実際は56年生まれ:訳注)。当日、彼は私と握手をしながらこういった。「私はもう若くないからどうってことはないが、あなたはまだ若いのでまだまだやるべきことがあるはずだ。ここに残るかどうか、しっかりと考える必要があるよ」。

周豁然。中文大学人類学科の学生。その人となりは「豁然」の名前の通り悠然とし、田畑を耕すを好み、エコロジーに関心を寄せる中文大学農業開発チームの中心メンバーで、土地正義連盟の様々な行動にも身を投じてきた。6月20日の反東北開発集会で初めて逮捕された。7月2日早朝、チャーター通りで彼女が再度警察に連行されるのを私はこの眼で見た(オキュパイ予行演習として500人以上が座り込んで逮捕された事件:訳注)。9月28日(催涙弾が打ち込まれた日:訳注)、彼女はデモの最前線にいた。後日、彼女は私に、その日は防護用のゴーグルも雨傘も持たないことにして、警察のペッパースプレーと催涙弾に対峙したと話した。座り込みの当日、彼女は朱凱迪や葉寶琳らと最後列に座り込んでいた。私は彼女に近づいてそっと、二回も捕まっているのだから、今回はその必要はないのでは、とささやいた。彼女はちょっと笑っただけだった。

朝雲。市民記者。痩せこけて顔面蒼白。目の奥には憂いを宿している。オキュパイ運動が始まってからは、仕事を辞めて、この運動のすべての過程に参加した。将来、人びとがこの運動を振り返る際に、もし朝雲が撮った写真や記録した文章がなかったら、我々がこの運動に抱く認識は全く違ったものになっていただろうと思うかもしれない。朝雲は記録者としてだけでなく、オキュパイの予行演習(7月2日)でも逮捕された。旺角オキュパイの強制排除(11月25日、26日)でも逮捕された。ここ金鐘の排除の際にも最後まで座り込み続け、最後のシャッターを押してからカメラを知人に託して逮捕された。そして銅鑼湾での排除(12月15日、最後のオキュパイ拠点)でも逮捕された。当日は彼と話す機会はなかった。私たちの間は座り込む人々が隔てており、お互いに眺めあい、目が合うと互いに微笑みあい、そして別れを告げた。

これらの友たちと一緒だったことが、わが人生、最高の幸せだ。
君たちに感謝する。

「明報」2014年12月21日(日曜版)掲載

【香港】暗闇の中で光明を探し尋ねる--大学生連合会から香港全市民に送る書

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暗闇の中で光明を探し尋ねる
大学生連合会から香港全市民に送る書


市民の皆さんへ

9月22日の同盟大休校から昨日の警察による強制排除までの長い道のりの中で、私たちは、全人代8・31決議の撤回、選挙制度改革に関する議論のやり直し、そして真の普通選挙の実現を、変わることなき目標としてきました。私たちは最も平和的な方法で当然の政治的権利の実現を粘り強く求めてきました。しかし大変残念なことに、政府は私たちの訴えを完全に無視し、この威風堂々たる民主化運動を暴力によって終わらせたのです。私たちは苦痛と怒りに包まれましたが、決して絶望はしていません。私たちは、香港というこの土地に民主主義の花が開くまで、私たちの世代が闘争を継続することを、ここに誓います。

私たちはこれまで政府高官、国家主席、総理に公開書簡を送ったことを、皆さんも覚えていると思います。これらの書簡で私たちは、事実を詳細に述べ、論拠をひとつひとつ示し、私たちが街頭に繰り出した理由を記し、香港が陥っている困難な局面の原因を分析し、選挙制度改革の必要性を力説してきました。しかし残念なことに、これらの書簡が送られましたがまるでなしのつぶてで、何の回答も得られませんでした。私たちは街頭を占拠し、政府との対話を行い、北京行きをも試みました。しかしそれによって得られたものは、軽視、恥辱、そして入国拒否という扱いだったのです。

そうです、時代は私たちを選択したのです。ここでいう「私たち」とは、世代を超えた、貧富の分け隔てなく、左右の違いのないものです。私たちはともにこの空間に生活しているのです。否応なしにこの大地に立ち、同じ空を仰ぎ見ており、同じ空気を吸っているのです。私たちの運命はつながっており、憂いや悲しみを共にしているのです。

そうです、私たちが形ある通りを封鎖したのは、すでに塞がれていた(民主化へつながる)形なき道を切り開くためだったのです。政府が民主主義を私たちに与えなかったので、自分たちでそれを実践したのです。オキュパイの期間中、私たちはコミュニティに落下傘で舞い降り、各地で民主化の理念を宣伝してきました。討論会を主催し、政治についてみんなで協議してきました。私たちはオキュパイ区域の日常的活動を、職業や貧富の分け隔てなく、いっしょに運営してきました。私たちは、政治とビジネスの共謀によって抑圧される日常が、オキュパイ区域においては創造性にあふれる発現となるようプロデュースしてきました。私たちは各々が運動の方向性について激しい議論を交わしながら、それぞれが責任を果たしながら尊重するよう努めてきました。私たちは民衆とともに、共同で責任ある活動を担ってきました。各方面からの善意あるアドバイスと批判に対して、私たちはすべての力を尽くして応え、引き受けてきました。まだまだ例を挙げればきりがありません。

政府はいまのところ民主の声に対して聞こえないふりをして、しばらくは傲慢な態度で、私たちの正当な要求をないがしろにできるでしょう。警察はデモ参加者に対して暴力的に対応し、オキュパイに反対していた人たちが別な課題で街頭に繰り出したときには、同じような対応に直面しないことを保証はできないでしょう。私たちの抵抗は、当初から香港人の共同の利益--自由と民主--を願ってのものであり、一切の私利私欲は存在しません。70日余りの中で、私たちは、様々な方法で道を切り開こうと努力してきました。しかしついに政府は警察の力で民主の訴えを排除してしまいました。

今日、太陽はいつもと同じように昇りましたが、テントの姿はなく、自習室テントはたおれ、中央分離帯にかけられた自作のステップは片づけられ、空中コンコースから掲げられていた横断幕や垂れ幕ははがされ、壁に貼られたシールは時が経つにつれて風雨に洗い流されて消えてしまうでしょう。色とりどりに飾られたレノン・ウォールの時間は終わり、すべては灰色に戻ってしまいました。

一見したところ、香港は「正常」に戻ったかのようです。そして私たちの訴えは全く目的を果たせず、今日で終わりを迎えたかのようです。しかし私たちは過度な悲観に陥る必要などないのです。なぜなら私たちが一歩一歩記した足跡、私たちが共に歩んだ道を、みなさんがしっかりと記憶しているからです。選挙制度にかんしてはしばらくは具体的な成果を勝ち取れてはいませんが、共に歩んだ道から見た風景や、ともに築いた美しいコミュニティはみなさんの心の中に刻まれているのですから。私たちの故郷の自由と民主を実現するという初心は、もはやすべてのオキュパイ参加者の生命に融合されたのです。

次の主戦場は、地域における市街戦となるでしょう。私たちはしっかりと鍛錬し、落下傘で地域に降り立ち、民主の理念を根付かせ、闘争の意識を張り巡らさなければなりません。次回の政府による選挙制度改革に関する諮問の際には、それぞれの段階で機会を利用して抵抗を継続するでしょう。闘争を堅持しさえすれば、レノン・ウォールに書かれた願いは必ず成就することを、私たちは信じてやみません。自由と平等を愛するすべての市民の皆さんは、自分たちに属するこの香港で、もっとも基本的な政治的権利を実践することが必ずできるようになります。このような願いを実現するために、一人一人がわずかの努力を惜しむことなく、ともに奮闘しなければなりません。

咲き開いた雨傘は、一つの世代を覚醒させました。民主理想の船は出航しました。その目的地に到着するまでに、香港を基盤とする互いの理解協力が私たちの願いです。雨傘運動の洗礼を受けたすべての香港人は、たとえ立場や戦術の違いがあるにせよ、いちどは同じ現場を共にした戦友です。民主化運動の嵐はこれからも巻き起こるでしょうが、すべての友人たちはそれぞれが以心伝心で、それぞれの道をともに進み、肩を並べて再び戦える日が来ることを願っています。

雨傘運動は、香港民主化運動の新たなスタートとなりました。これまでの70日余りのなかで、私たちは一緒に暗闇の中で光明を探し尋ね、現世から未来を想像してきました。私たちはつまずき、涙し、腹をすかし、傷を負ってきました。しかし私たちは一度たりとも絶望したことはありませんでした。私たちが正しい側にいることを知っているからです。どれだけ強固で高くそびえる壁でさえ、最後には崩れ落ちる時が来ることを、私たち信じてやまないからです。なぜなら時間は私たちのものであり、そして私たちは絶対にその壁を叩き続けることをやめることはないからです。

暗闇の中で光明を探し尋ね、刻下の中で未来と契りを交わしました。私たちが被ってきた一切の苦難は絶対に徒労などではありません。今日は新しい時代の序幕となる日です。私たちは必ず帰ってくるでしょう!

香港大学生連合会
2014年12月12日

原文
https://zh-tw.facebook.com/hkfs1958/photos/a.433111302871.207569.269056797871/10152623590387872/?type=1

【香港】敗北の中の勝利

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関羽(関公) 「あなたも来たのですか?」
イエス 「しかたないでしょう。政府が妨害分子を呼び集めているというから」



2014年12月15日、最後のオキュパイ拠点である銅鑼湾での強制排除がおこなわれ、9月28日から79日間つづいた「雨傘運動」のオキュパイ行動はいったん終了した。香港民主化運動は新しいステージに入る。以下は、地元紙「明報」の日曜版に掲載された區龍宇さんの文章。原文はこちら


敗北の中の勝利

區龍宇


雨傘運動は直接の目標(全人代決定の撤回)を達成することはできなかった。その意味では運動は敗北した。これを理由に、香港大学生連合会と学民思潮の両組織が、主流民主派と同じような「段階的勝利」論ゆえに運動を敗北に導いたと風刺する者もいる。先週本紙に掲載された在外の学者による批評である。奇妙なことは、これらの主張はすべて消極的な批評にとどまっており、いかに敗北的状況を転換させるのか、いかに勝利を決する闘いをすべきかなど、あれこれ語ってはいるが、建設的な意見には一言も言及していないのである。このような軍師は失格のそしりをまぬかれない。

◎消極的な批評ばかりで建設的な意見なし

建設的な意見がないこととは別に、批評そのものが論として成立するかどうかということもある。問題は批評それ自体も成立しているとは言い難いことである。

主流民主派はこの30年にわたって、いくつかの段階に分けて立法会の直接選挙枠での議席を増加してきた。そして、そのたびごとに段階的勝利を宣言してきたが、その勝利の中に敗北が含まれていることに気がついてこなかった。しかし同じような批判を雨傘運動にも当てはめてしまうことは、倫(とも)でもなければ、類(るい)でもないの極地といえる。雨傘運動の先導者たちは、闘争における勝利のために運動のグレードアップを試みたというのが事実である。

雨傘運動が運動をグレードアップさせなかったという批判はまったくのでたらめである。そのような批判者は、職工会連盟がゼネストを呼びかけたことを忘れている。わずかに太古飲料(コカコーラ)労組、ソーシャルワーカー協会、教員協会が短期間の呼びかけに答えただけで、それに続くストライキがなかったことも事実である。だが事後の総括において、いかなる方法であればストライキを成功裏に導くことができたのかを指摘するのであれば、まだ責任ある態度だと言える。しかし情勢転換のために何ら方針を提起することなく、他人の努力を無に帰すだけの批判に終始するのであれば、その批判は無責任なものと言わざるを得ない。

雨傘運動は偉大な闘争であったが、その相手は強大であり、中央政府と特区政府という二つの政府を相手に対峙したのは、完全に自然発生的で突発的な運動であり、そのような運動が勝利することは極めて難しいことは明らかである。だが民主化の戦士は預言者ではない。戦士は戦場において、多くの民衆と共に困難な状況を打開し、奇跡を作り出すために準備する。その時は敗北を喫したとしても、あきらめずに戦い続ける。これこそ戦士である。

闘争前の戦力の比較では、雨傘運動が勝利する可能性は決して高くはなかったが、なぜそれでも闘いに打って出る価値があったのだろうか。なぜなら数百数千の民衆が政治の舞台に踏み込むことで、あらかじめ決められた戦力対比に変化が加わるからである。民主化運動の第一の政治哲学は、運命論を拒否することにある。当初、雨傘運動が発展すれば、中国国内における政治的危機を誘発し、中央政府が譲歩する可能性も無きにしも非ずであることを、誰もが否定していなかった。そうなれば雨傘運動が勝利する可能性は大きくなったはずである。しかし運動をさらにグレードアップさせることができるかどうかについては、理論からその知識を導き出すことはできない。それはただ実践を通じてのみ確認することができるのである。

そして事実が証明しているように、雨傘運動は戦後香港における最大の民主化運動であったにもかかわらず、それをグレードアップさせる力はなく、それゆえに敗北した。だがなぜグレードアップが容易ではなかったのかについては、運動そのものに深い原因があるが、運動にかかわった人々の共同の検証で原因を究明すべきである。それをせずにスケープゴートを持ち出そうとすることは、なんの展望もない行為でしかない。

◎失敗にも三つの種類がある

敗北にも三つの種類がある。ひとつは恥ずべき敗北である。たとえば日清戦争における敗北、あるいはドイツの社会民主党と共産党が1933年のヒトラー政権台頭の前後に互いのセクト主義の非力さによって、共同でナチスに立ち向かうことができずに被った徹底的な敗北がそれである。

二つ目の敗北は、目標は正しく、尽力にも敬意を払えるものだが、力不足ゆえに被る敗北である。最後の敗北は、二つ目の敗北にさらに一言付け加えたものである。つまり、運動の目標達成という意味では敗北したが、豊富な政治的経験と精神的遺産を遺すことで、次の世代に進むべき道を指し示すことのできる敗北である。それは成功の一面でもある。

1830年代の英国チャーチスト運動は敗北したが、その政策綱領はその後の100年の社会運動に影響を与えた。1871年のパリコミューンは敗北したが、その経験はその後の社会民主党の基礎を築いた。1968年のパリ5月革命は敗北した。しかしそれは社会の全面的な改革を導き、労働運動、女性運動、同性愛者運動、性の解放、環境運動の思想と組織のレベルを引き上げた。

雨傘運動の政治的遺産とは何か。1、それは独裁政権という鳥かごを果敢に突破し、精神的に基本法を乗り越えた「市民立候補」「運命の自己決定」という方針を提起した。2、主流民主派の紋切型を突破し、「平和、理性、非暴力」に続けて「法を犯す」を提起し、法律の限界を突破することを恐れなかった。運動の拡大にしたがって、運動の自衛権についての議論さえも登場した。今回の運動はまさに偉大な思想的解放運動であり、今後の民主化運動をつなぐことになるだろう。

◎関帝廟と雨傘と

旺角のオキュパイ地区につくられた関帝廟は伝説となった。一千年以上にわたり関公崇拝は続いているが、じつは関公は敗者であり、それを崇拝してきたのである。関公はのちに皇帝から神として祭られたが、それは彼の死後5百年以上たってからのことである。それ以前においても、唐の時代から彼に関する雑劇は広範に流布されてきた。つまり、関公が神に祭られたのは500年以上にわたる「人民投票」がもたらした賜物だともいえるのである。しかし人民はなぜこのような敗者を敬い崇拝してきたのだろうか。それは彼が義と初心を忘れることなく貫き通したからである。

もちろん関公の伝奇には旧時代の政治情実主義という要素が多分にあり、それは現在の市民政治とは相いれないものであることは確かである。とりわけ政治における情実主義は往々にして派閥政治に変化してしまい、決して真似してはならないものである。しかしそれとは別に、個人的得失にとらわれることなく、一時的な成否にこだわることなく、勝者か敗者かで英雄を決めることのなかった関公の伝奇から、われわれが学ぶことができるものは決してく少なくないのである。

だが残念なことに、見せかけだけの急進主義者は、関公から最も学ぶべきところからは何物も学ばず、逆に政治的情実主義というもっとも忌むべき派閥政治は学ばずとも身に着けてしまっている。派閥政治は最終的には、ただ一つの綱領に行きつくだけである。つまり、自分の判断だけが基準であり、それ以外の人間の判断の一切は間違っており、自分のなすべきことは、たとえ間違っていても正しい、という綱領である。

雨傘運動が切り開いた新しい民主化運動は、まさしくこの種のゴロツキ派閥政治と決別しなければならない。

「明報」2014年12月14日 日曜版副刊に掲載

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