虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

China

報告:10.1 香港の民衆と連帯し闘おう 新宿駅頭でアピール行動

配信:香港新宿②暴力で民主主義はつぶせない

 10月1日、中国の「建国記念日」にあたる「国慶節」のこの日、香港では中国・香港政府に反対する大規模な市民デモが行われた。「反送中」(法律に違反したとされる市民を逮捕して、強制的に中国に連行することを可能にする弾圧法撤回を求める運動)がメインテーマだ。香港の警察はデモに対して実弾を発射し、18歳の高校生が重傷を負った。なんとか一命を取りとめたとはいえ、こうした暴力的弾圧のエスカレートにわれわれは強く抗議する。

 この日、東京・新宿では香港の自由と民主化を求め、中国・香港の両政府によ
る暴力的弾圧に抗するアピール集会が、呼びかけられた。題して「Stand with Hong Kong @TOKYO 1001」。この間、7月と9月の二回にわたり香港でのデモに参加してきた仲間も呼びかけた。

 午後七時からのアピール行動には、40人が参加。香港から東京に来ている若者たちのグループも参加し、広東語で連帯を訴えた。

 集会では最後に、労働組合活動家による連名の連帯アピールを松元ちえさん
(新聞通信合同ユニオン)が読み上げた。

 香港では、警察の弾圧がエスカレートしている。民主主義と自由のために連帯
を広げよう!    

(K)


アピール
連帯よ永遠に 香港の市民とともに立つ


 私たちは日本における草の根の労働運動活動家のネットワークです。香港で歴史を紡ぐ行動に深く動かされ、この声明を、香港の労働組合やワーカーセンター、市民団体、また労働組合に関りがなくても声をあげている仲間のみなさんに送ります。そして、声を上げたことで解雇された香港の仲間と深く連帯し、解雇した企業に対して強く抗議します。

 私たちは自由意志に基づいて考え行動する権利があること、そしてそれは決し
て侵害されてはならない権利だということを、いまこそともに再確認するときです。声をあげる自由は基本的人権だということを考えるときです。私たちは一人ひとり生まれながらにして、大切にされ尊重される権利があり、力があります。香港の仲間の行動に突き動かされ、今あらためてそのことを思い返し、再確認しようではありませんか。

 職場でもコミュニティーでもそれぞれの国でも、世界中どこにいても、つなが
ることで私たちは強くなるのです。

 香港の仲間たちが解雇され、暴力を受けたり、表現や言論の自由を奪われているのを見て、悲しみに暮れると同時に怒りに震えます。暴力による解決はありません。私たちは、支配よりも連帯を選び、あらゆる暴力を否定します。

 私たちは離れていますが、国境により分断されることはありません。私たちは
ひとつです。労働者と社会の連帯は永遠に。

2019年9月

アジア・ワーカーズ・ソリダリティ・フォーエバー

フォト報告:7・1 55万人デモ~香港のことは香港人が決める!中国政府の統制下の香港NO!との圧倒的民意

「週刊かけはし」2019年7月15日号の、7月7日付の沖縄報告に掲載されている「7・1 55万人デモ
 香港のことは香港人が決める! 中国政府の統制下の香港NO!との圧倒的民意」の写真を掲載する。紙面に使われた写真は、そのごく一部にすぎない。(H)

①2019.7.1 香港の日刊紙「蘋果日報(アップルデイリー)」の紙面。一面に6.9の100万人デモ、6.16の200万人デモの写真と共に、「悪法未撤回、林鄭未退陣」の見出しがある。
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②2019.7.1 香港の日刊紙「蘋果日報(アップルデイリー)」が出した特集版の中の6.9デモの写真。103万人の香港人が決起し、白服姿の良識ある人海だと伝えている。
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③2019.7.1 香港。容疑者引き渡し条例の改正案に反対して行われた大デモ。55万人参加。デモを呼び掛ける横断幕。悪法の撤回と香港行政長官の林鄭退陣を求める。
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④2019.7.1 香港。容疑者引き渡し条例の改正案に反対して行われた大デモ。55万人参加。前日はがされたが一晩で元通りになったステッカー類。その横に救対班のテント。
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⑤2019.7.1 香港。容疑者引き渡し条例の改正案に反対して行われた大デモ。55万人参加。デモ行進の道路わきに設置された様々な団体のブース。
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⑥2019.7.1 香港。容疑者引き渡し条例の改正案に反対して行われた大デモ。55万人参加。デモの先頭の宣伝カーとマイクで呼びかける青年。
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⑦2019.7.1 香港。容疑者引き渡し条例の改正案に反対して行われた大デモ。55万人参加。道路はプラカードを手に行進する人々であふれかえった。
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⑧2019.7.1 香港。容疑者引き渡し条例の改正案に反対して行われた大デモ。55万人参加。中央分離帯をはさんで両側の道路が皆行進コース。
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⑨2019.7.1 香港。容疑者引き渡し条例の改正案に反対して行われた大デモ。55万人参加。「大専同志行動」というLGBTIQA+の学生団体の横断幕「すべての権力を人民へ」
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⑩2019.7.1 香港。容疑者引き渡し条例の改正案に反対して行われた大デモ。55万人参加。女性が手にしていたプラカード。写真を撮らせてと言ったら顔を隠した。
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報告 : 6.13 香港の自由と民主主義を守る緊急行動

香港13元山仁士郎さんらが呼びかけ

香港と沖縄の共通した闘い

東アジアの民主化を共に


六月一三日午後五時半から、九段下にある香港特別行政区政府香港経済貿易代表部の前で、香港の自由と民主主義を守る緊急行動がSNSで呼びかけられ、三〇
〇人を超える人たちが集まった。呼びかけたのは元山仁士郎さんや杉原浩司さんら。

「容疑者引き渡し条例は香港の一国二制度を壊し、香港の自治が脅かされる
ものだ。そして外国人にも適用される。警察の暴力的弾圧も強まっている。東アジアの自由のために連帯する」と発言者と呼びかけ人から趣旨が話された。

プラカードを掲げた参加者が増えていく。参加した人たちが次々と思いを語った。

「何かしなければいけない。民主主義的抗議をしているのに、暴力的な弾圧はしないでほしい」。

香港生まれ。「返還される前に生まれた。こういう事態を恐れていた。民主主義が壊されてしまう。日本もそうなってしまう。なぜ声を挙げないのか。返還から二二年、世界の平和が崩される。自分たちの問題だ」。

沖縄人。「中国が香港に圧力をかける。これは沖縄と日本の関係と同じだ。反対
しているのに辺野古の基地が作られている。黙っていられない」。

香港人。「香港が好きだ。海、人々が好きだ。美しい香港であるように。日本と
香港、友好であるように立ち上がるべきだ。他人ごとではない。平和な世界を歩んでいくように願っている」。

香港人。「父は上海の人。天安門事件を思い出し落ち込んでいる。中国は好きだが中国政府は批判はしなければならない。ヘイトクライムにならないようにしなければならない。今日の香港は明日の日本だ。権力の横暴には東アジアの民衆の力で立ち向かおう」。

日本人。「中国の労働運動を支援している。一九八九年天安門で労働者も立ち上がった。その後弾圧され、香港に亡命してきた。香港は中国の民主化を支援する重要な位置にある。こうした香港の運動をつぶすような条例改正を許してはならない」。

杉原浩司さん。「日本政府と米国は天安門事件弾圧に対して、動かなかった。今回も日本政府は態度表明していない。われわれの自由・人権も脅かされる。私たちの連帯行動が香港の人たちを勇気づけ、条例案を止めることにもつながる。東アジアの民主化をいっしょに進めていこう」。

SNSで呼びかけた林田さんは「無抵抗の若者が思想・自由を守ろうと闘っている。黙って見ていることはできない。法律の問題だけでなく、自由に考え行動することへの弾圧だ。それに対する連帯。言論の自由を守れ、国家の暴力に反対する。『言うことを利かせる番だ。おれたちが』」。

最後に授業の関係で遅れてかけつけた元山仁士郎さんが「なぜ、香港の人たちをサポートするのか、それは沖縄を大切に思っているからだ。人々が声を挙げても届かない。国が弾圧してくる。香港と沖縄が共通している。香港を応援することを大事にしたい」と語った。

「香港頑張れ」のコールを繰り返した。そして、引き続き午後九時から渋谷ハチ公前で同様の集会を開くことを明らかにした。午後九時からの集会には二〇〇〇人が集まり、香港の運動との連帯を固めた。

 (M)



報告 : 6月12日、明治大学で周庭さん(香港浸会大学生、香港衆志常務委員、雨傘学生運動リーダー)が講演

香港12中国政府「やりたい放題」許すな
攻防の現段階と私たちにできること


六月一二日午後五時一〇分から、明治大学駿河台校舎リバティタワー1012教室で、周庭さん(香港浸会大学生、香港衆志常務委員、雨傘学生運動リーダー)が講演「香港における犯罪容疑者の中国本土への引き渡しを可能にする条例改正案をめぐる攻防」を行った。中国法特別講義として、授業の一部をさいて行われた。六月六日、香港の議会で、この条例案が審議されるのに反対する一〇三万人もの抗議デモが行われたばかりでもあり、日本のマスコミ各社が報道カメラを持ち込んだ。また、香港からの留学生も多数参加し、教室は満席になり入りきれない人もたくさんいた。

鮮明な見解公表日本政府に望む

BBCの反対デモ映像が映し出された後、周さんが講演した。(以下講演要旨)

六月一二日に改正条例案が提出の予定だった。不当に拘束され、中国本土に送還される。これに反対し、一〇三万人が抗議した。一九九七年香港が中国に返還されて以後最大の規模だ。一国二制度によって、中国法は適用されないとされていたがすでに中国法が適用され始めている。

私は二二歳で、二〇一四年の雨傘運動に参加した。二〇一八年の立法会選挙に立候補しようとしたがその権利が取り消された。

香港は夜景が綺麗で食べ物がおいしいと見られているが、政治問題がたくさんある。逃亡犯条例改正案は、中国に引き渡される非常に危ないものだ。香港人だけでなく、外国人も影響を受ける。六月中に立法会で議決される可能性がある。本会議を予定しているが、議会前の占拠によって開催されていない。議会は半分だけが直接選挙され、残りは間接選挙で北京派の議員の方が多い。

中国本土は公平・透明性・人権・自由がない。司法が独立していない。中国共産党の道具として利用されている。三権分立がない。法治社会でもなく、恣意的拘束や逮捕、拷問が行われている。国家転覆罪もある。不可解な形で、障害を負わされたり、死んでしまった人もいる。活動家や弁護士、記者なども標的にされている。国家安全罪があるが、他の罪で引き渡される可能性もある。中国当局は罪をでっち上げることもやっている。

政治的誘拐が合法化されている。身の安全が保障されなくなる。香港の良さがなくなる。二〇一三年に、香港で中国批判の本を売っていた人が中国に誘拐された。このように中国当局のやりたい放題になる。香港は香港でなくなる。

四月二八日、一三万人のデモ、六月九日、一〇三万人の抗議デモが行われた。こ
れに対してカナダ・イギリス政府は条例に反対する共同声明を発表した。アメリカ政府と商工会議所が批判し、EUは反対の申し入れをした。

私が東京にいるのは、日本の現状を変えたいからだ。日本は香港との経済的つな
がりが大きい。日本政府は意見を言っていない。六月五日、衆院外務委員会で河野外務相は改正案について、「一国二制度があるから、声を出すべきではない」と発言した。一国二制度が一国一制度になりそうだ。改正案に対して、はっきりした意見を持ってほしい。

六月二七日を採決の予定にしている。自発的な商店の休業・ストライキや授業ボイコットが起きている。レストランに入って、IDカードをチェックしている。今日休業した店舗は一〇〇〇以上。警察が職権を濫用して、立法会のある駅で身体検査をしている。銃で撃ったという話もある。ペッパースプレイ、催涙ガスなど暴力のレベルが上がっている。どうなるか分からない。もっと注目してほしい。

民主化に関心を 日本も同じでは


講演の後、質疑応答が行われた。

——今後どうなるか。

予測することは難しい。六月九日のデモは三〇万人と予想されていたが一〇〇万人を超えた。想像できない。ストライキも起きている。雨傘運動や反愛国教育運動の時はリーダーがいた。今回は自発的な行動だ。自分の家を守りたいという責任感が強い。大学生は夏休み中、中高生が授業ボイコットした。これを見ても今回の広がりを示している。

—— 一九八九年六月天安門広場に一〇〇万人が集まり、民主化を求めた。しかし六・四悲劇が起きた。

今の香港の事態はあぶない状況になっている。戒厳令の可能性もあり、解放軍の虐殺もありうるか。

若い人はなぜと思っている。変わってしまうことに対する危機感。中国法が適用される所には住みたくない。日本政府は明確な態度を示していない。声を上げていかなければならない。

——運動のきっかけは?


責任感だと思う。一番好きなのは香港だ。好きな場所を守りたい。香港は一九九〇年代に難民を受け入れてきた。今は政治難民をつくっている。香港は自由社会だ。自由を壊しているのは中国共産党政権だ。希望を持っていたから闘ってきたし、これからも持ちたい。

——手助けすることはあるか。日本に望むことは。


民主化に関心を持ってもらいたい。香港の経験から自分が生きる社会に関心を持つことは重要だ。主権者としての意見を持つこと。日本も同じ問題がある。

——目指している政治の在り方は。

普通選挙を求めた。しかしこれがすべてではない。民主的制度がない。有権者は限られている。住宅や教育問題に声がないとダメだ。民主主義とは自らの未来は香港人が決める。生活は民衆が決める。

在日香港人留学生などがプラカードを用意していたが、学内でのパフォーマンスは禁止ということで、外に出てプラカードを掲げるパフォーマンスを行った。

 

(M)


米中貿易戦争 人民はいかなる立場に立つべきか

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米中の貿易戦争が混迷を深めている。トランプ政権は76日に340億ドル規模の輸入品目に25%の追加関税を発動し、中国はすぐに同規模の対抗措置を実施。823日からは第二弾として160億ドル規模の輸入品目に25%の追加関税を実施し、中国も同規模の対抗措置をとる。トランプ政権はさらに年間2000億ドル相当の中国からの輸入品に課す追加関税を10%から25%に引き上げることの検討もはじめた。中国政府はトランプのアメリカファーストは自由貿易に逆行するとして、中国こそが自由貿易の万里の長城であるかのごとく振る舞い対抗姿勢を崩していない。日本のブルジョアメディアは日本経済への波及に怯えながら、TPPプラスやRCEP(東アジア地域包括的経済連携)を通じたアメリカと中国との橋渡しなどという幻想に望みをかけている。以下は香港の左派ウェブサイト「無国界社運BORDERLESS MOVEMENT」からの翻訳(
原文)。原注の参考記事はすべて割愛した。(H)

 

 

米中貿易戦争 人民はいかなる立場に立つべきか

 

錢本立

 

76日、トランプ政府は中国からの340億ドル規模の輸入品に25%の関税を課すと宣言した。中国はすぐに米国からの輸入品に同額の課税を課すという反撃にでた。数か月にわたる剣抜弩張(けんばつどちょう:一発触発)の状況はついに開戦に至った。

 

この半年におよぶ双方のやり取りは、激しいコメントであったり、政府代表を派遣しての直接の交渉であったり、中興通訊(ZTE)に対する制裁やアメリカ大豆の輸入制限であったりと、非常に注目されるとともに、事態が目まぐるしく展開した。だが普通選挙権のない中国人民にとって、この争いがどれだけ熾烈なものであったとしても、それは神仙の戦争であり、関与する余地は全くなかった。

 

だが、時の推移と戦火の拡大(アメリカはすでに2000億ドル規模の対中関税を準備している)につれて、貿易戦争は人民にとっても、物価上昇、株式市場の下落、輸出産業における人員整理、社会保険料の未納、外貨兌換の制限など、無視することのできない影響をもたらすことは必至である。これらすべては社会の不安定要素を増大させるが、社会的不満がどのような方向に向かうのかは、世論の動向によってある程度決まる。

 

筆者の観察によると、現在のところこのテーマに関する中国語圏の主張は、二つの陣営が対立している。一方は右翼によるもので、トランプの政策を称賛するものである。貿易戦争の理由(中国がWTOのルールを守っていない)を正当だと考えているだけでなく、暴政転覆の支援となると考えているのだ。もう一方は、中国共産党の宣伝機関に代表されるもので、アメリカの仕掛けた攻撃が自由貿易を破壊するものであり、中国はそれに対抗することができる、というものである(だが具体的な発言内容は変幻自在で予測困難)。

 

予測可能なことは、この両陣営は民心の支持を得るための争いを今後も続けるだろうということである。左翼の立場は、たとえその身を太平洋のいずれの側に置いていたとしても、両陣営のどちらかの側にたつのではなく、「北京もワシントンも支持しない」という立場を取るべきであり、この貿易戦争のどちらかが正しいということはない、という事実を指摘することである。

 

●非リベラル・ヘゲモニー

 

トランプは新自由主義の信徒ではないことは明らかであるが(彼のブレーンにはWTO脱退を主張するものもいる)、中国の右翼がそれを擁護するおもな理由は、女性や移民やマイノリティへの攻撃という、いわゆるリベラルとは明らかに180度逆の立場をトランプが持っているからである。

 

トランプは選挙期間中に六四天安門の虐殺を称賛する発言をしたことがあるし、米国指導者の訪中の際には恒例となっていた中国の人権に対する言及もなかったことなどから、今回の貿易戦争の発動も中共の暴政に反対するという意図から出発したものではない。

 

トランプ政府の国際政策全体は、それまでの政権からの転換という面が強いが、アメリカのヘゲモニーを維持するという趣旨には全く変更はない。マサチューセッツ工科大学のバリー・ポセン教授(政治学)は今年初めに書かれた論文「非リベラルヘゲモニーの台頭(The Rise of Illiberal Hegemony)」で次のように述べている。

 

「トランプは『自由主義ヘゲモニー』のなかから『自由主義』の大部分を抹消してしまった。彼はアメリカの経済と軍事力の優勢、また世界の大部分の地域における安全保障の決裁者としての役割を維持したいと考えている。しかし彼は民主主義の輸出の放棄と多国間貿易協定の破棄を選択した。つまり、トランプはまったく新しいアメリカの大戦略――「非リベラルヘゲモニー」illiberal hegemonyの道を開いたのである。」

 

最近の朝鮮問題におけるスタンスでもこの点は確認できる。朝鮮がアメリカに対する軍事的脅威(核兵器)を放棄し、北東アジアの地政学的力関係においてアメリカの権威を承認するのであれば、金ファミリーが独裁を継続することにも頓着しないが、そうでなければ武力と制裁に直面することになるというトランプのスタンスである。このディールは、金正恩に体制立て直しの猶予を与えるという中国共産党の方針と同類のものである。

 

その中国に対するアメリカの新戦略は、アメリカのヘゲモニーに挑戦するような力を抑え込むということにのみ関心があり、かつてのような民主化を通じてアメリカの盟友にするという方針はみられない。世界のトップツーのあいだは敵対関係にあるという帝国主義のロジックに従えば、このような事態は理解できないものではない。

 

必然的対立

 

マルクス主義の古典は今日の米中関係を分析するうえでも決して時代遅れにはなっていない。ブハーリンは帝国主義に関する論述のなかで、資本主義には二つの傾向があると指摘している。ひとつは国際化(internationalization)傾向であり、資本が投資、市場、資源、廉価な労働力をグローバルな範囲で探し求めることを推し進める傾向である。もうひとつは国家化(statification)傾向であり、多国籍企業をふくむ資本が拠点をおく国に対して支援を求めるという傾向であり、これは時には競争における保護と対立企業に対する抑制のために国家資本主義企業となることもある。こうして、資本主義においては国家間の対立が不可避となる。そして経済規模が大きくなった国ほど、他国との衝突に陥る可能性が大きくなり、それは自然と世界や地域のおけるヘゲモニーを築こうとする。歴史的に、世界の主導的地位を獲得するために、資本主義大国のあいだで戦争を含む各種の相互牽制がとられてきたが、第一次世界大戦と第二次世界大戦はそのもっとも知られたケースである。

 

中国にとっては「一帯一路」およびそれ以前の「走出去」[外に出る――対外経済進出]戦略は、前述の「国際化」の傾向に対応したものである。中国政府は中興通訊(ZTE)を「国際化」の典型的ケースにしようとしてきた。中国がすでに帝国主義であるかどうかには議論の余地はあるにしても、世界第二位の経済体となった資本主義強国として、対立への道に進むことは不可避である。

 

なぜなら中国が韜光養晦(とうこうようかい:才能を人に気付かれないように包み隠して養っていくこと)政策を継続し、中興通訊(ZTE)などの「赤い企業」がルールを順守したとしても、アメリカが中国の発展を座視するわけがないからである。

 

ブッシュ(子)政権はイラクとアフガンに戦争を仕掛けて中東という戦略の要衝とエネルギー資源の産地を掌握しようとして失敗したが、[この地域における]中国とロシアに対する牽制の意図は明確である。オバマ政権は右翼から宥和的なリベラルだと罵られてきたが、それはオバマが帝国主義的ヘゲモニーに対する情熱に欠けていたからではなく、経済危機への対応と中東における混乱が中国に対する牽制よりも切迫した任務であったからにすぎない。その証拠にオバマはその後「アジア太平洋リバランス」戦略を提起した(彼の任期内での完遂はできなかったが)。

 

その一方で、中国は支配階級の欲望と超大国への熱望を満足させるため、また経済成長を維持して支配の能力と正当性を保持するために、本国資本の対外拡張が唯一の選択肢となった。こうして、短期的にはアメリカの地位に挑戦することは無理だとわかってはいたが(愚か者だけが外交部と宣伝部門の稚拙な演技を信じる)、それにもかかわらず必死に軍備拡張にまい進し、資本の対外拡張の援護射撃を行おうとした。それはアメリカに一層の危機感を抱かせた。このような悪循環のなかで、中国が外交や経済政策においてさらなる出色の表現をしたとしても、状況の趨勢を変えることはできないだろう。

 

誤った立

 

海外の一部の左翼の中には、中国の軍備拡張はアメリカから迫られた結果であり、中国の台頭はアメリカのヘゲモニーに対する牽制になると考えている。トランプの様々な反動的政策も、トランプの敵[中国]=正義の味方という図式を成り立たせている。

 

しかし、中国の対外拡張が迫られたものであろうと支配者の主観的熱望であろうと、また中共の宣伝機関がいかに中国が覇権主義の被害者であり抵抗者であるかと描き出すかにかかわらず、世界各地における中国資本の悪評を覆い隠すことはできない。他の外国資本への抵抗という要素はあるにしても、このような拡張は他の列強と同じように投資先国の民衆に対する搾取が存在する。インドネシアでは、キャッシュローン・ビジネスに対する規制が未整備であることを利用した中国資本が地元青年を借金地獄に突き落としながら巨額の利益を上げた。パキスタンでは、[中国が融資した]グワダール港の建設によって現地住民が追い出された。南アフリカでは、中国資本の縫製工場が現地の最賃を無視した操業を続けている。ガンビアでは現地の役人を買収した中国資本の魚介工場が有毒廃水を海に垂れ流している。

 

かりに、この貿易戦争が中国の降参で終わりを告げたとしても、アメリカとの長期的な対抗関係においては、間違いなく本国民衆の利益を犠牲にすること、ひいては彼らを大砲の餌食にすることを厭わないだろう。もし貿易戦争がさらにヒートアップすれば、予想される結果として、中国は国内に対してさらに搾取や福祉の削減を強めたり、経済問題を民族感情に転化したり、異論派をスケープゴートしたり、専制をさらに強化したり、ひいては局地的な戦争発動による資本の拡張スペースの確保と社会矛盾の転嫁がなされるかもしれない。

 

これらの予想は根拠なきものではない。政治に関心を寄せる者は種々の予兆を注意深く観察しなければならない。この間の税制改革、不動産税、年金改革、ウェブ規制の強化などがそうである。左翼がトランプ反対を理由に中国批判を抑制すれば、[中国]民族主義に洗脳されなかった青年たちを、結果的に[親米]右翼の側に差し出すことになるだろう。

 

内部の抵

 

実際には、帝国主義に反対するために、必ずしも帝国主義の対抗相手やその目標を支持しなければならないというわけではない。むしろ内部の抵抗を支持することこそ重要である。たとえばアメリカでは、移民に対する「ゼロ・トレランス(不寛容)」政策に抗議するデモが各地で起こり数十万人が立ち上がった。似たような闘争は多くあり、我々はそこから、すべてのアメリカ人がトランプのレイシズムや帝国主義の主張に賛同しているわけではないことを知ることができる。

 

アメリカの左翼組織もそのような状況の中で立ちあがりつつあり、小さくない成功を収めている。5月にはアメリカ民主的社会主義(Democratic Socialists of AmericaDSA)が支持する3人の社会運動活動家がペンシルバニア州議会ではじめて議席を獲得した。DSAは選挙だけにまい進しているわけではなく、コミュニティに深く分け入り、人々が関心をもつテーマを議論し、支援を提供して分断され孤立した人々をつないでいる。

 

アメリカにおける左翼の復活というには時期尚早だが、帝国主義内部における強大な左翼潮流の登場が帝国主義の対立と戦争を終わらせてきたことは、歴史が何度も証明してきた。

 

中国では組織的な左翼勢力はなおいっそう空白に近い状態である。しかしどうであれ、国内の抵抗に関心を寄せ、レイシズムを拒否し、本国支配階級こそが我々の最大の敵であり、海外において同じように支配者に抵抗する民衆こそが我々の盟友であることを示すことこそ、帝国主義の争いという暗闇のなかで進むべき道を見失わない方法なのである。

 

2018720日掲載)

習の無思想、官僚共和国、魑魅魍魎主義

20180316china


習の無思想、官僚共和国、お化け主義


區龍宇


2018314日 


原文



全人代は、国家主席が連続二期をこえて就任することはできないという憲法の規定をついに削除した。これを聞いて、わたしは毛沢東が1966年に江青に宛てた手紙の一句を思い出した。「事物はいつも反対面に向かうものである。高く飛べば飛ぶほど、墜落した時の衝撃も激しくなる。わたしは墜落して粉々になることに備えている」。習総書記よ、備えは万全であろうか。


◎習総書記の官職思想


もうひとつの重要な改憲内容は、「習近平新時代の中国特色の社会主義思想」を憲法に書き入れたということだ。結局のところ習総書記の思想とは何だろうか?2015年に習総書記が自らの神格化運動をはじめた際、「焦裕禄(訳注1式の県委員会書記」という中央党学校での講演録を発表した(原注1)。講演は語るべきものなきこの人物の無思想性が見事に反映されていた。講演は全篇にわたって、いかにして……官職を全うすべきかを教え諭している。もちろん良き官僚、清廉公正な役人としてである。「民のために官職を全うしないのであれば、故郷に帰ってイモでも売ってろ」ということのようだ(訳注2)

講演は全部で六千字にのぼり、「官」という文字が19か所登場する。読めば読むほど、どうしたことか、厳かにも歴代の官箴(役人への戒め)を読んでいるようである。現代においてこの官箴を知る者はそう多くない。かつての中華帝国では、官僚は必ず腐敗したが、それでもその道の学問があり、官箴といった類の書物が書かれ、まさに習総書記とおなじように、いかにすれば良き役人となることができるのかを教え諭したのである。官箴には多くの金言がある。たとえば「官を務めるための方法は三つしかない。いわく清く、慎ましく、勤勉であること」。さらにはこんな言葉もある。「万民の心を心とし、百官は無心であれ」。この一句は習総書記の「心中に民あらば、重責を引き受けなければならず」よりもはるかに高尚である。習総書記は冷めたチャーハンにも及ばない。どうせなら歴代王朝の官箴を読むべきであろう。そこには、文学的にも名文といえるものも含まれているし、習総書記の講演のような、党文献特有のだらだらとした文章はみられない。


また、習総書記が良き官僚となるべきだと教え諭していることは、無意識のうちにある秘密を暴露している。つまり、彼は幾度となく革命の初心を忘れるべからずと指摘するが、その実、それを忘れているのが彼自身だということである。


◎「人民の公樸」の現実


毛沢東の革命は、ある程度まで易姓革命[社会革命ではなく政権交代]であったが、それでも「人民に奉仕する」という建前はいくらかあった。それゆえ、毛主席は幾度となく、官僚の旦那になるのではなく、人民の奉仕員となるべきだと全党を戒めた。中国共産党は延安時代から全面的に旧時代の官僚制度を全面的に復活させはしたが、それでも中国国内の新聞紙上では(封建時代を彷彿とさせる)「官」という字を忌諱し、「幹部」という呼称をつかうか、「官」を使う時にはカッコに入れて用い、自分たちは「人民の公樸」であることを打ち出していた。だが現在では、習総書記は人々の前で平然と良き官僚となるよう教え諭し、歴代王朝において下部官僚からの選抜を重視していたかを公然かつ積極的に引用している。これは何かの間違いなのか、これではまるで諸君らは「革命幹部」「人民の公樸」ではなく、かつての専制王朝と同じく大小さまざまな官僚であることを認めることになるのではないのか、と。だがこのような疑問については、市井の庶民は早くからわかっていたことだ。いわゆる人民共和国は、とっくの昔に官僚共和国に変質していたのである。しかし実際にそうなっていても口には出せないとは、なぜ習総書記はかくもいい加減なのだろうか。


毛沢東は結局「お山の大将」的な革命を実行したが、それでも「革命の初心」については理解していた。しかし習総書記といえば、半封建半近代的な官僚制度の中で培養されてきたことから、初心など党の昔にわすれてしまい、官僚主義と権謀術数のほかには、凡庸さしか残らない。現代中国の官僚制度は、封建時代のそれと同じメカニズムをもっている。それは劣勝優敗であり、有能だったり独立的思考をもつ官吏を徐々に淘汰し、もっぱらイエス・マン、つまり太鼓持ちや超凡人のみが残るというものである。「無駄口をたたくな、何度も額づけ」とは、道光帝の寵臣で大学士[皇帝の補佐官]の曹振鏞の宮仕えの心得であった。


◎憲法が雑貨店に

 昨年10月の共産党19回大会の記者会見で、なぜ中国共産党の指導思想に指導者の名前を冠するのかという質問を受けたとき、当時の宣伝部副部長の答えは次のようであった。「党の指導者の名前を指導思想に用いるのは国際共産主義運動においてよく見られるやり方である。たとえばマルクス主義やレーニン主義があるし、たとえばわが国には毛沢東思想や鄧小平理論がある。習近平同志は……大いに貢献し……ゆえに彼の名前を用いて命名したが……その名に恥じない。」(原注2)この大官僚は必ず批判しなければならない。基本常識すら間違っているからだ。「マルクス主義」であれ「レーニン主義」であれ、どちらも本人自ら発明したものではなく、まして自身が所属する党派が奉じたものでさえなく、逆に彼らの敵が皮肉を込めて両人に贈った名称なのであり、おべっかを使って紹介するような代物なのだろうか。極度の自惚れだったスターリンでさえも、ソ連共産党の指導的思想として自らの名前を冠した「スターリン主義」を用いることは憚られ、「レーニン主義」を焼き直してその象徴とした。生きた指導者の名前を用いて「党の指導的思想」を命名したのは、ほかでもない毛沢東自身であり、「マルクス主義の中国化」の後の中国由来のやり方なのである。

 この宣伝副部長をあまりあげつらうのは良くないのかもしれない。「あの皇帝にこの家臣あり」だからだ。習総書記の内閣大臣[明清王朝の皇帝補佐職]が発明した「習近平新時代の中国特色の社会主義思想」という名称のなかで、「習近平」と「中国特色」の二言だけが間違いのないもので、それ以外の文言はすべて事実にそぐわないでたらめなものだ。習総書記の思想に何ら「新時代」的なものはなく、最も陳腐な官僚思想と専制思想を継承したものにすぎない。「社会主義」に至っては、あぁ!これまででのさまざまな公式の呼称である「社会主義商品経済」「社会主義初級段階」「社会主義市場経済」等々、これら導入されたものは人民を裏切る密貿易品であり、どれもこれも公共資産の私物化としての官僚資本主義に他ならない。さらに「マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、三つの代表、科学発展観」などに付け加えて習近平思想が憲法に書き入れられたが、憲法があれやこれやの密貿易品が並べられた雑貨店になってしまった。

こんな笑い話がある。ほら吹きで有名な男が、長さ20丈[約35m]、幅2丈もの大蛇を見たと言った。だが周囲の度重なる疑義に対して、どんどん長さを修正していった。「たしかに20丈はなかったが、15丈はあった!」と。しかし疑義は収まらず、最終的には目撃した蛇の長さを2丈にまで修正した。するとすぐにこう問い詰められた。「大ぼらもいいとこだ!どこにそんなまん丸の蛇がいるもんか!」

 今日の中国共産党の憲法改正は、この大ぼら吹きの男が言ったまん丸の蛇と同じくらいでたらめ極まりないものである。

あれこれと述べてきたが、中国共産党にとって、一つの主義を除いて、すべてはでたらめである。それは「魑魅魍魎主義」である。「魑魅魍魎主義」とは何か?「魑魅魍魎を描くのは簡単だが人間を描くのは難しい」とはよく言ったものだ。お化けなのでどんなふうに描いても間違いではないからだ。だがそれが続けば「正当性の危機」(legitimacy crisis)が訪れることになる。結局のところ、雑貨店なのか、無冠の皇帝なのか、あるいはまん丸の蛇なのか、いったいこれは何なのだ、というわけである。

現在すでにこの状況が訪れている。中国共産党に対して、リベラル派は市場経済から乖離していると非難する。左派は社会主義を裏切ったと批判する。儒家は羊頭狗肉だと憤る。レイオフされた国有企業労働者は労働者への裏切りだと怒りをあらわにする。農民工は低端人口と言われて排除されたと罵る……、こうして中国共産党は人民の公僕から人民の公敵になってしまった。たしかにその批判の多くが公然となされているものではない。だがリベラル派であれ、あれこれの左翼であれ、最近逮捕された8人の毛沢東主義者への支援を公然と行っていることからみれば、事情は確実に変化している。少し前までは、リベラル派と毛沢東主義者はたがいを主要な敵とみなしており、党や政府がその一方を弾圧したときには、もう一方の側はもろ手をあげて歓迎していた。しかし今回は違った。

 中国共産党は、前述の笑い話の男のように批判を受けて自らの主張や振る舞いを後退させることはない。むしろ頑なに「20丈の長さの大蛇」というホラ話を貫き通そうとする。だがここでも問題に突き当たる。ホラ話を貫こうとすると結局は、白黒をつけることができるのは自分だけ、つまり自分の言うことだけが真理ということになる。つまり「朕は国家なり」である。


◎無冠の皇帝の苦悩


ここでもまた問題に突き当たる。今回の憲法改正で実現できるのは、せいぜいのところ習総書記が死ぬまでは法的根拠にもとづいてその地位を享受できるということに過ぎず、皇帝になることはできない。せいぜいなれても無冠の皇帝どまりである。無冠と冠の違いは、習近平にとってはダモクレスの剣[栄華に存在する危険]となる。毛沢東ですら後継者問題を解決することができなかったのに、習総書記がはたして……。この話はこの辺にしておこう。われわれは、冒頭に紹介した毛沢東の手紙のなかの一句を紹介して結論に代えることにしよう。「勝利に酔い痴れていてはならない。自らの弱点、欠点、誤りを常に考えなければならない。」


帝政の長所は、あらかじめ権力継承の方法が、少なくとも制度的に与えられているという事である。だが無冠の皇帝には継承方法が存在しない。これは権力継承の闘争を不断に促進することになる。しかもこの種の制度は高度の不安定さを伴い、正当性の危機に対処する能力に最も欠けるものでもある。習総書記は専制主義と旧官僚制度の全面的復活によって自らの支配を維持できると考えているようだが、この二つの「お化け」こそが、今日の中国の混乱の源なのである。一方、習総書記が直面している今日の中国人民は、識字率の低い農民が大部分を占める1949年のときの人民と全く違った状況にある。かつてのように天下を取り、天下を治めた開国の英雄が、皇帝に即位するとこは当然のことだと考えられていた。だが21世紀の今日、そのような伝統的な考えを信じる者はますます少なくなっている。


さぁ、お立会い。お芝居の見どころは最後に訪れる。

 

2018314


 
【原注】


(原注1)習近平:做焦裕禄式的県委書記(
2015/9/7、学習時報)http://dangjian.people.com.cn/n/2015/0907/c117092-27551158.html

(原注2)王暁暉:用党的領袖来命名理論是国際共産主義運動中的通行做法(2017/10/26、新華網)

http://news.xinhuanet.com/politics/19cpcnc/2017-10/26/c_129727202.htm


【訳注】


(訳注1)焦裕禄(192264):山東省の貧農の家に生まれ1946年入党。196212月、河南省蘭考県書記に就任。防風、治水、土地改良を自ら率先して進めた。64514日肝臓ガンで病死。遺言として「私を蘭考県に送り返して、砂の中に埋めてほしい。生前には砂丘の治理が果たせなかったが、死後も砂丘の治理を見守りたい」という要望を残す。死後、革命烈士に封ぜられ、662月に「人民日報」で紹介。「毛沢東同志のよき学生、焦裕禄同志に学ぶ」という社説も掲載された。

(訳注2)明代の親民聡明な地方役人の活躍を描いた映画「七品芝麻官」の名台詞。

中国型資本主義 二つの最悪の制度の結合か

20170422au

區龍宇さんの『台頭する中国 その強靭性と脆弱性』の中国語版『強国危機』が台湾の群学出版社から出版され、出版に合わせて422日に台北市でイベントが行われました。ウェブメディアにその時の様子が掲載されていたので訳してみました。原文はこちら (H

 

 

中国型資本主義 二つの最悪の制度の結合か

 

【編集者注:今年初め、香港の社会運動家の區龍宇が台湾で『強国危機』を出版した。人民の視点から中国の台頭を分析するという、近年の出版業界ではあまり見かけないものである。2017年4月に著者が台湾を訪れ、香港の活動家という立場から、台湾の学者の許家豪と対談を行い、中国というこの「強大な隣人」という帝国の分析と批判的議論を展開した。以下はその対談をまとめたもの】

 

発言者
區龍宇:香港社会運動団体《全球化監察》創設者

許家豪:中山大学アジア太平洋研究所 助理研究員

 

整理:莊孟文

 

 

◎ 中国はけっきょく左なのか右なのか?

 

【區龍宇(以下、區)】:中国についての論述は、だいたい5、6年に一度おおきな転換があります。以前には中国の崩壊を予言する内容の『中国はもうすぐ崩壊する』といった書籍が発行されていました。しかしその後、すぐに台頭する中国についての論述に転換しました。そして最近の西側では「中国は帝国主義か否か」といった論述に転換しています。このような急速な転換の主な原因は、中国の急速な変化が継続しているからです。

 

1979年以降、中国は徐々に最大の人口を持つ国家資本主義になっていきました。そしてそれは中国国家の階級規定の二極化をもたらしました。アメリカの著名な左翼雑誌『Monthly Review』は、中国を左翼政権だと考えました。また別な人は中国は全体主義右翼だと考え、全体主義的資本主義、あるいはクローニー資本主義と呼びました。わたしは中国を官僚資本主義と呼んでいます。これについて、一部の海外の友人からは「腐敗した官僚は世界的な現象であり、中国だけの特例ではない。たとえばエジプトは、軍隊は企業と同じであり、将校や将軍は軍需産業を含むビジネスに従事している」という指摘もされています。

 

その指摘の一部には同意します。しかしエジプトと中国の違いは次のことにあります。エジプトでは官僚がどれほど腐敗していようとも、民間企業が消滅したことはありませんでしたし、市民社会もなくなりはしませんでした。それらは政府に対する圧力となりつづけました。しかし中国では民間企業と地主が完全に消滅しました。1980年代に入ってから民間企業はふたたび発展しはじめましたが、それは官僚に依存したかたちでの復活でした。

 

その他、これら復活したばかりの民間企業は、一方で政府の圧力を受けながら、他方で労働運動を抑えつけるために政府に頼らなければならないという中途半端な境遇にありました。これは他の国にはなかった現象です。1980年代には中国の内外においてこれら民間企業のオーナーが民主化運動の推進者になるだろうと期待されました。しかし30年たった今、そのようなことはおきませんでした。なぜならそれら企業主は政府に依存するという条件のもとで、かりに政治的野心が起こったとしても、それを横に広げて市民社会のほうにむけることはせずに、上に向けて官僚と結託したからです。

 

こうして中国の官僚資本主義の性質は、必然的に極めて保守的、独占的、寄生的、独裁的です。他方、中共官僚はありとあらゆることを統制しようとしていますが、官僚自身の略奪、錯乱、汚職はますます統制不可能になっており、それは必然的に膨張しています。21世紀の中国官僚は歴代政権の官僚のような安穏とした泰平を過ごすことはできません。経済発展、近代化、都市化の必要に迫られているからです。過去2030年の中国において大規模な反対運動が見られませんでしたが、それは民衆が絶対的貧困にあったからです。絶対的貧困はたしかに改善されましたが、相対的貧困の状況は悪化しています。

 

2008年からの世界金融危機で、中国の輸出は減少し、中国の疾風怒濤の近代化はボトルネックに突き当たっています。民衆生活の改善の継続は困難で、中共はさらに潜在的な敵――都市化による農民工の登場に直面しています。これまで分散していた農民が工場労働者として大規模に集中してきました。これは共産党にとって長期的に挑戦となります。現状について言えば、中国は短期的には社会を転覆するような革命は困難でしょう。しかし長期の歴史的視野でみれば、中国のような独裁、官僚化、そして腐敗した資本主義制度は、ひとつの過渡的段階にすぎず、永続することは不可能です。

 

【許家豪(以下、許)】1978年以降の中国は、基本的にある国家が私有化を通じて資本を社会に放出した過程であり、利益を得たのは私的経営者のほかに、これまで大量の財産を蓄積することができなかった官僚が直接あるいは間接に資本を統制することで、まったく新しい官僚と資本家の合体階級を生み出しました。現在の中国のもっとも顕著な問題は、この隅々まで浸透した官僚と資本家の結合システムがあり、この階級が今日の中国の大部分の資源を統制しているということです。この意味において、區先生が官僚資本主義という用語を用いて改革開放後の中国を形容したことはたいへん適切だと思います。しかしここで補足すべきは、ここでいう官僚とは中国的特徴があるということです。中国の「官僚」とは単に政府の役人と言うだけでなく、党の専従という意味合いも含んでいるからです。

 

 

◎ 中国資本の世界輸出はいつまで続く?

 

【許】:中国の市場を語る際に、消費市場と投資市場との区別をわすれがちです。このように区別する理由は、中国が製造業投資の後進市場としての魅力は20年前に比べると落ちているからです。賃金の引き上げ、政府要素を考慮しないといけないビジネス慣行などは、投資意欲を引き下げています。外資は中国の消費市場としての魅力にひかれています。ハリウッド映画は毎年のように中国市場に合致したシナリオの改編を行っていますが、それは中国政府が決める年間34本の外国映画上映枠を獲得したいからです。中国市場は外資にとって魅力があるのかについては、消費市場について言えばそうでしょう。しかし製造業の投資市場にとってはそうだとは断言できません。全体的に言えば、外資にとって中国製造業への投資の魅力は下がり続けています。

 

【區】:実のところ、1980年代以降、中国はずっと世界屈指の資本輸入国でした。それが十数年もたたずに資本輸出国なり、輸出額も資本輸入を超過しています。今我々は中国資本が全世界を買い占めようとするのを目にしているのです。

 

【許】:マクロから見れば、中国の多くの産業はすでに生産能力の過剰問題に突き当たっています。ですから過剰な生産能力を海外に移転する必要があり、それゆえに中国は短期のうちに資本輸出大国となりました。海外で建設しているのは鉄道などのインフラ建設であり、これは中国政府の「一帯一路」計画がまさにこの考えに当たります。

 

【區】:中国市場の内容は変化がはじまっています。成長率は下落し、賃金は上昇し、かつての有利な条件はすでに存在していません。過去20年の高度成長、市場の吸引力は社会的連帯、道徳そして自然環境の破壊によってもたらされたものです。市場は巨大でビジネスチャンスも多いですが、それは内部矛盾を避けることができません。たとえば中堅都市や地方の小都市は「鬼城」(ゴーストタウン。不動産バブルで投資目的で建設された住宅群)には住民はいません。まさに過剰生産の典型です。

 

中国の発展は資本主義と官僚独裁という二つの最悪の制度が結合したものです。北京のひどいスモッグ公害のおかげで空気清浄機が大量に売れており、いま注文しても数年後にしか納品されないのです。これはフーリエが資本主義を批判した「民衆が苦しめば苦しむほど企業家は儲かる」といった状況です。中国は資本主義に官僚独裁が加わることで災難となっています。

 

このことから経済問題を議論する際は、メインストリームで語られる以外の思考が必要になります。たんに経済上の景気拡大、株価の上昇だけでなく、民衆の福祉、しかも全世界の民衆の福祉から見る視点が必要です。しかしこのような考え方は、利益至上主義の中国では失われています。

 

 

◎ 大国のアキレス腱

 

【許】:強大な国家の力の背後にはさらに大きな目標があります。民族の夢、民族の復興とは、イギリスを追い越しアメリカに追いつくということです。このような背景のもと、中国の左派および右派の知識人はどちらも国家の繁栄に期待を寄せており、區先生のいうところの強国左派と強国右派を形成しています。その中間の過程は国家主義の転向、つまり可能な限り権力を国家に付与することで富国強兵を実現し、もっとも効果的に目的を達成するということです。これは大国や強国に関する議論全体が起こる過程であり、これらの議論は目新しいものではなく、清朝末期から存在していましたが、実際にそれを実現したのは共産党だけでした。それゆえ共産党は民衆からの支持を得ることができたのです。

 

今日の中国では左派であれ右派であれ、経済を通じた国家の復興を実現すると考えていますが、これを実現するには、国家の力を強大にする必要があります。これは官僚資本主義の急速な悪化をもたらします。主な弊害は、政府の役人や党官僚が富を蓄積する無数の機会をもたらしたことです。そしてこれもまた中国の国内問題となっています。

 

また他にも注目すべきことがあります。トクビルの『旧体制と大革命』が2013年にベストセラーとなりました。王岐山(政治局常務委員、中央規律検査委員会)が会議でこの本を推薦したからです。その意図は、経済の発展によって今後は民衆からの抗議の声がでるだろうという考えからです。それが意味することは、中国共産党は革命政党であるが、革命の発生は許さない、ということです。ここからも、共産党は国内矛盾にも目を向けていることが分かります。われわれは中国がどのように次の一歩を準備し模索しているかを観察しなければなりません。なぜなら共産党は政策を決定したら煩雑な過程や検証を必要とせず、非常に効率的にそれを行うからです。しかしその決定自体が間違っていれば、それがもたらす結果も悲惨なものになります。それは全世界に悲惨な結果をもたらします。これも中国に関心を持たなければならない理由です。

 

【區】:中国は急速に変化し、急速に現代化し、同時にまた極度の独裁にある国家です。それは強大ですが、アメリカが強大な時期にベトナム戦争での敗北に直面し、また米国内での反戦の声を押さえられなかったという前例と似ています。これまでの強権国家や帝国のなかで破綻しなかったものは一つとしてありません。次にわたしは、民衆の民主的権力をはく奪している国では、その版図の民衆には独立する権利があると考えています。中国共産党は私たちから民主主義を奪い続けていますが、雨傘運動でも垣間見られたように、民衆自身が民主主義を実現しようとし、また一部の青年たちは独立すべきだという考えに達しています。しかし強大な隣人(中国)と対峙するには、敵の強み、そして弱点を分析すべきであり、そうしてこそ希望が持てると思います。

【中国】嬴秦に仁政なく、鬼国に義士あり 劉暁波を追悼する

20170718liu

嬴秦に仁政なく、鬼国に義士あり
(訳注1)

劉暁波を追悼する

 

區龍宇

 

劉暁波は自由になったが、劉霞はこれまで以上に不自由となった。痛わしきや、劉霞よ。

 

劉暁波を殺したのは中共である。しかし劉暁波はたんに被害者に甘んじたわけではない。かりに劉暁波の全綱領に、すべての人が同意するものではないとしても(訳注2)、彼は専制に反対し、その身を殉じたのだから義士である。罪を犯したのは彼ではなく、中共である。我々は劉霞とともに嘆き悲しむ。

 

◎ 習近平は蒋介石にも及ばない

 

香港本土派の一部は、中国人のことを「鬼国賊民」と形容して喜んでいる。前半の句[鬼国]は真実である。中共統治下の中国は、すでに悪鬼が横行する国となっている。中共が1949年に政権を獲得して以降、自ら好んで「新中国」と称し、「旧中国では人が鬼となった。新中国では鬼が人になった」と主張していた。これも同じようにその前半の句は真実である。旧中国の[政権党の]国民党は、人々から「刮民党」と呼ばれていた。民から刮(け)ずる、つまり奪い取るには、悪鬼[悪党]を雇わなければならない。だから「人が鬼になった」のである。だが「新中国」もそれほど誇れるものではなかった。1949年からほどなくして、新中国も猛スピードで以前の状況に後退したからだ。その結果、革命の幹部らも徐々に人から鬼になってしまった。鬼になることをよしとしない者は、毛主席による闘争で命を奪われ、恨みを抱えた鬼[幽霊]になるしかなかった。共産党も早いうちから重惨党[旧中国時代の共産党に対する中傷的呼称]となっていた。ここで両党のもとでの反対派の運命を比較しても差し支えないだろう。

 

1932年、刮民党統治下の中華民国で名声赫々たる反対派の陳独秀が逮捕された。当初、弾圧に都合の良い軍事法廷で彼を裁こうとした。しかし逮捕のニュースが伝わると、全国で陳独秀救援運動が展開された。国民党の著名人であった宋慶齢、柏文尉、蔡元培らも進んで陳独秀擁護の言論を展開した。蒋介石はしかたなく、陳を公開裁判で裁くことにした。胡適と蔡元培はすぐさま陳のために同じく名声赫々たる「公共知識人」である章士釗を弁護士として選んだ。法廷で検察官は「(陳が)国民党を打倒することを主張して民国に危害を及ぼした」と告発した。章士釗はすぐに立ち上がってこう弁護した。「そんなことはありません。陳独秀はすでに共産党を離脱しています。つまり国民党のためなることをしたのです」。これを聞いた陳独秀は、机をたたいて立ち上がり、自分の声明を読み上げた。「章弁護士の弁護はまったく彼個人の意見であり、当事者の政治主張は当事者の文書を根拠とすべきである!」 つづけて彼は自分で執筆した「弁訴状」を読み上げたのである。

 

「半植民地の中国、経済が立ち遅れた中国は、外からは国際資本帝国主義に、国内では軍閥官僚に苦しめられている。民族の解放、民主政治の成功を求め、血で自由をあがなう大業は、自分の身や妻子のことしか考えない懦弱で妥協的な上層搾取階級の輩に実行できるものではない。…最も抑圧され最も革命的な労農勤労人民[の]革命の怒潮をもって、対外的には帝国主義の支配を排除し、対内的には軍閥官僚の抑圧を一掃」する。(原注)

 

◎ 共産党は国民党にも及ばない

 

ここで注目すべきは、当時の刮民党の党内において、著名人が公然と蒋介石と論争し、蒋介石も若干の譲歩を余儀なくされたということである。そして刮民党は公開裁判を決めれば、本当に公開裁判を行い、原告と被告の双方の主張が新聞で報じられ、そのおかげで、これまで刮民党が抑えてきた陳独秀による刮民党批判が、広範な読者の目に触れることができたのである! もちろん刮民党もお人よしではない。最後には8年間の懲役刑で陳独秀に応えた。刮民党の監獄は居心地のいいものではなく、無数の仁愛の義士が暗闇の監獄の命を落とした。だが陳独秀のような著名な反対派に対してはいくらか丁寧に接した。妻子との毎週の面会を許可するなど、監獄の決まりを大幅に超えた優遇をしたのである。

 

これに比べると、重惨党はまったく刮民党に及ばないし、習近平は蒋介石に及ばない!暁波ひとりの容疑に対して、妻子や友人にまで弾圧を広げている!すべての裁判は事実上の秘密裁判である!そして獄中の待遇は犬小屋以下である!

 

両党が支配した中国はどちらも「鬼の国」であるが、重惨党の鬼はたんなる悪鬼ではなく、厲鬼[凶暴な鬼]である。そうであろう。毛主席が梁漱溟[18931988、思想家、政治家。工業化を唱えた毛沢東を農本主義の立場から批判した]を攻撃した際、「共産党は仁政を敷かない!」と公然と宣言したではないか。刮民党も仁政を敷かなかったが、少なくとも公然とそのようなことを主張したことはなかった。重惨党は本当に惨事を重ねている。恥知らずに平然と厲鬼の政治を敷いていても、党内から誰ひとりの異議も敢えて提起することができないからだ!

 

◎ 市井の義士こそ中国の脊柱

 

だが市井には敢えて提起しようとする人々がまだ存在している。この瞬間も劉暁波のために身を挺して声を上げ奔走する多くの人々が存在している。これはまさに魯迅が言うところの中国の脊柱である。

 

「われわれには古来より、わき目も振らずに一所懸命にやる人、必死でやりぬき通す人、民のために助けを請う人、捨て身で真理を求める人がいた……帝王や将軍、宰相らのために書かれた家譜にも等しいいわゆる『正史』でも、これらの人々の輝きを覆い隠すことはできない。これこそ中国の脊柱なのである。」(訳注3)

 

いまでも中国には脊柱が存在している。だから、いわゆる「鬼国賊民」の後ろ半分はすべて間違いである。もちろん中国国民のなかには「虎の為に倀鬼となる」(悪人のために悪事を働く)ものもごく少数だがいる。しかし少しでも理解力のある人間なら、多数の国民が黙々と悪鬼に抵抗しており、さらにはその中の義士が身を挺して正義のために獄につながれてきたことを知っている――かつての李旺陽(訳注4)や現在の劉暁波のように。暁波の後には、幾千幾万もの暁波が、今後わき起こるであろう滔々たる民衆の波濤を巻き起こすだろう。暁波の死は無駄ではない。中国は鬼の国の歴史を終わらせるだろう。

 

 

2017714

 

 

原注:『陳独秀全伝』、唐宝林、中文大学出版社、2011年、16章から要約抜粋。[日訳は『陳独秀文集3』江田憲治、長堀祐造編訳、156頁より]

 

訳注1:嬴秦は、春秋戦国時代の「秦」の国姓「嬴」をつけた呼称。ここでは苛政を敷いた秦王朝と現在の中国をなぞらえている。

 

訳注2:劉暁波が起草にかかわった〇八憲章など、中国リベラル派に対する綱領的批判は『台頭する中国』(區龍宇ほか著、柘植書房新社、二〇一四年)に収録されている「劉暁波中国の自由主義派」に詳しい。以下のサイトも参照。
社会主義の名において劉暁波氏の逮捕を糾弾する(旧「虹とモンスーン」ブログ、2009年6月)
08憲章が提起する積極性と限界(章泉、かけはし2009518日号)


訳注3:「中国人は自信力を失ったのか」、魯迅、1934925日、『且介亭雑文』に収録

 

訳注4:李旺陽[195020121979年の民主化運動からの労働者活動家。89年民主化運動にも故郷の湖南省邵陽市で労働者組織を結成して参加し、反革命宣伝扇動罪で13年の懲役。さらに2001年に国家政権転覆罪で起訴され20115月まで刑に服した。獄中での肉体的ダメージから両目両耳が不自由となっていた。出獄後も民主化を訴え、香港のインターネットTVの取材が放映された4日後の201266日、入院先の病室で首をつった状態で発見された。当局は自殺と発表した。生前の取材では「斬首されようとも信念を曲げることはない」と力強く答えていた。こちらのサイトも参照。

一人一人の李旺陽(ふるまいよしこ、中国風見鶏便り、2012620日)

中国:労働者民主化活動家・李旺陽の死(虹とモンスーン、2012613日)




陳独秀:日本軍の空爆に感謝する~第三次中国革命の契機としての7・7盧溝橋事件

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193777日、日本帝国主義は北京郊外の盧溝橋事件を契機として、中国にたいする全面侵略にのりだした。日本では政治家トップからしての歴史修正主義の跋扈が目に余るが、人民のあいだでは侵略の歴史を反省するさまざまな活動も持続していることに希望がある。本日(77日)の東京新聞の社説でも「盧溝橋事件80年歴史に『愚』を学ぶとき」と題して日本の侵略の歴史を振り返っている。

 

日本による沖縄、台湾、朝鮮、中国をはじめとするアジア太平洋諸国の人民にたいする侵略の歴史を忘れてはならない。あわせて日本の労働者貧農人民にたいする過酷な搾取と弾圧も忘れてはならない。

 

だがもうひとつ忘れてはならないことは、盧溝橋事件を契機とする日中全面戦争の突入は、1911年から始まり、17年のロシア革命を経て、19年の日本の対中21か条の帝国主義的要求にたいする反帝青年運動としての五四運動から本格的に始まった中国革命が、27年の蒋介石国民党の上海クーデターで挫折させられながらも、第三次中国革命として復活したという事実である。

 

盧溝橋事件の前年の3612月には、あいまいな抗日態度に終始していた蒋介石を監禁して挙国一致の抗日を迫った西安事件をはじめ中国全土における抗日機運は高まっており、中国国内の主要な抗日勢力としての国民党と共産党の合作の下地はできていた。193777日の盧溝橋事件は、世界革命あるいは永続革命の一環としての中国革命の再出発であり、第三次中国革命は、45年の日本敗戦から国共内戦を経て、4910月の中華人民共和国の建国をもって一つの区切りを迎えた。だがそれはまた中国およびアジア各国の労働者農民らにとってのあらたなスタートとなった。

 

われわれは第三次中国革命の契機としても、この日中全面戦争の勃発を記憶するだろう。

 

* * * * *

 

中国共産党の紅軍を率いて第三次中国革命に勝利した毛沢東は、戦後の1964年にいまだ国交が樹立されていなかった日本から訪れた社会党の訪中団を迎えた際、訪中団代表の佐々木更三氏が「過去において、日本軍国主義が中国を侵略し、みなさんに多大の損害をもたらしました。われわれはみな、非常に申し訳なく思っております。」という発言を受けて、毛沢東は次のように答えている。

 

「何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、われわれが権力を奪取することは不可能だったのです。」

 

今日、日本の歴史修正主義者はたちはこれを以て、中国は日本の侵略に感謝したという噴飯モノの主張はしないまでも、毛沢東・共産党一流の権謀術数としてこの発言を紹介している。

 

だが毛沢東のこのような認識は、「日本の人民も、わが国の人民と同じく、日本の軍国主義者の犠牲者である。」という周恩来首相の言葉と表裏一体の認識であり、国境なき労働者農民の権力をめざした共産主義者の共通の認識なのである。もちろん中国共産党の世界革命の展望は、スターリニズムの影響を色濃く反映した人民戦線や民族主義的色彩に心底蝕まれてはいたのだが。

 

* * * * *

 

盧溝橋事件の3週間後後、太平洋を隔てたメキシコ・コヨアカンにいたトロツキーは、次のような展望を語り、抗日戦争の意義を述べていた。

 

「過去の経験によれば、蒋介石総統の社会計画に幻想を持つことは許されない。しかし、もし世界に正義の戦争というものがあるとするならば、それは抑圧に対する中国人民の戦争である。中国のすべての労働者組織、すべての進歩的勢力は、自らの綱領や政治的独立性を放棄することなく、解放戦争における自らの任務を完遂し、しかもこれを蒋介石の政府に対する態度いかんにかかわりなくやってのけるであろう。……世界の進歩的世論はすべて中国に味方している。日本軍国主義の敗北は不可避であり、それほど遠い将来のことではない。」―――「中国と日本」、1937730

 

同じころ、蒋介石・国民党の首都・南京は日本軍による空爆を受けていた。南京第一監獄には元初代中国共産党総書記であり、その後トロツキー派に転じた陳独秀ら多くの中国トロツキー派指導者が収監されていたが、8月以降つぎつぎに刑期繰り上げや保釈などで釈放された。

 

陳独秀は南京第一監獄の中からも、抗日戦争をはじめ各種の政治論文を発表していたが、1936926日に書かれた「われわれの時局における任務」でこう述べている。

 

「日本帝国主義が最も露骨に中国民衆の生存を脅かしていることは言をまたないし、抗日戦争が民族解放戦争であることも言をまたない。…労農勤労大衆は、民主主義と民族主義の闘争の主力軍である。したがって、階級闘争と民族解放闘争は分かつことができない。この主力軍が蜂起して国内外の抑圧勢力に反抗するため闘争してこそ、全国の兵士大衆から下士官にまで栄光を与えて潮の如く[闘争に]加入させ、中国民族の抗日救国の光芒を全世界に輝かせ、全世界の革命的な民衆(日本も含まれる)の支持を得て、英日帝国主義を退けることができる。スターリン派のやり方のように、労農大衆および急進的な青年にブルジョワジー・地主・軍閥・買弁・官吏との一致団結を呼びかけるなら、それは和平・鎮静・譲歩・投降での団結にすぎないのであって、抗日救国に一致団結することではない。」―――『陳独秀文集』第三巻(平凡社、江田憲治、長堀祐造 編訳)より

 

刑期を繰り上げて1937821日に南京第一監獄から釈放された陳独秀は、抗日の戦都であった武漢に移り、スターリニストによる「陳独秀・トロツキー派は日本の漢奸」というデマ中傷キャンペーンに抗いながら、労働者・農民による抗日戦争の全面的参加を全身全霊で訴え、抗日戦争にむけた新たな活動を模索する。

 

この4月で『陳独秀文集』全三巻の刊行が完結した。この東アジア近代思想史の巨人の軌跡にもぜひ挑戦してほしい。

 

以下は、毛沢東よりも20年以上も前に日本軍の侵略に「感謝」した陳独秀の訴えである。『陳独秀文集』には収録されていないので、ここに訳出して紹介する。 (H)

 


敵の飛行機と大砲に感謝する

陳独秀 
1937
1111

 

酔生夢死にして昏々沈々にあったわれわれ中国人に対して、悶々として死を欲させる中国社会に対して、日本帝国主義の飛行機と大砲は、もとより我々を壊滅させる可能性はあるが、もしわれわれがそれを善く利用することができれば、まさに時機にかなった無限の大警鐘であり、一本の強心針と最も激烈な興奮剤となる。

 

とりわけ中国全土の大都市に遍く行われた敵人の空爆は、誰が勇敢で誰が臆病か、誰が正直で誰が悪賢いのか、誰が良心を備えており誰が冷血動物なのか、誰に才能があり誰が間抜けなのかを、一つ一つ衆人の面前に明らかにすることを余儀なくさせ、おべっか使いや大ぼら吹きでごまかすことができなくなっている。人々は漢奸になる準備をするのでなければ、あるいは将来の亡国の奴隷になることを静かに待つのでなければ、最も自由気ままな男女たちでさえも、早晩においてパジャマとスリッパを脱ぎ棄てて、国を守るために武器を手に取り自衛するであろう。

 

われわれは敵人の空爆をたんなる災厄とみなすのではなく、われわれの起死回生の霊薬とみなさねばならず、それが中国のすべての都市、すべての郷村を爆撃し、すべての中国人を悠々自適の状態から激情へと転換させることを願わん。

 

激情!激情!さらに百の激情を!激情よ、永遠に。悠々自適よ、さようなら。われわれは悠々自適による損失をあまりに被りすぎたし、その状態はあまりに長かったが、われわれの祖先より受け継いできた古い病の治療を可能とする敵人の飛行機と大砲に感謝する。

 

19371111日『宇宙風』(十日刊)第五十一期  署名:陳独秀

 

香港:回帰を慶び、専制に反対し、民主化を勝ち取る6・30宣言(1997年)

19970630hk
▲1997年6月30日から7月1日にかけての香港返還闘争にたちあがる先駆社の仲間たち

【解説】7月1日、香港はイギリスから中国に返還されて20年を迎える。一向に進展しない民主化、そしてますます強まる中国政府の影響力。中国国内での民主化の厳しい停滞のなかで、香港一都市のみの民主化の進展はありえないだろう。「50年不変」「一国二制度」など中国政府の約束の欺まんについては『香港雨傘運動』などを参照して欲しい。以下は20年前の香港返還直前に香港のマルクス主義グループ、先駆社が発した宣言である。香港議会と行政長官選挙における全面的普通選挙の実施は2014年秋の雨傘運動にも通底するが、植民地時代の限定的権限しか持たない香港議会の変革なしに一人一票の普通選挙を実現したとしても限界があることから、全権普通選挙にもとづいた香港人民代表大会の招集を訴えている。これは雨傘運動のメインストリームでは主張されてこなかった。また雨傘運動につづいて登場した民主自決派の主張を先取りする自決権を以下の生命で主張していることなどに注目して欲しい。(早野)


【1997年】回帰を慶び、専制に反対し、民主化を勝ち取る6・30宣言

先驅社


植民地に陥ること150余年、香港はついに中国に回帰することになった。中国ははやくに香港割譲時の専制王朝支配を終え、40数年まえに人民民主主義を標榜する共和国となった。理に照らせば、香港が人民中国に回帰する日は、香港人が[植民地支配から抜けだして]社会の主人公となる日である。だが実際には、中国政府のお手盛りで制定された特区基本法は、官僚と大資本家の永久的支配を香港人が受け入れるよう強制している。イギリス植民地政府がその末期に迫られて実施したいくつかの政治的改良政策さえも、中国の支配者はそれを元に戻そうとしている。

民選の三級議会は一律に解散させられ、欽定の臨時立法会(これは基本法にさえ法的根拠を見出すことができない)がそれに取って代わった。近年享受してきた結社の自由とデモの自由も廃止されようとしており、新たに審査権[許可制]を制定しようとしている。報道の自由と言論の自由について、中国官僚はこれまでも何度も制限を加えると宣言してきた。これら一切の兆候は、香港人の自由と民主的権利が中国への回帰ののちに、さらなる脅威にさらされるということである。自由と民主的権利はいったん喪失すると、経済上の困難を打破することも難しくなる。

それゆえ、われわれは祖国への回帰という大いなる日々のなかで、市民大衆がたんに回帰を慶ぶだけでは不足だと考える。われわれは団結して、専制と悪法に反対し、自由を防衛し、民主化と社会的福祉をかちとる決心を示すべきである。

専制と悪法に反対し、人民の自由を侵害し、社会的不平等を温存させる一切の法律は廃止せよ。

民衆の生活レベルを保障せよ。最低賃金法を制定しなければならない。基本給はすくなくとも毎年のインフレ指数にそって上昇させなければならない。

大資本による住宅の独占を打破し、民衆の利益に奉仕する住宅や土地政策を実施せよ。

人民の就業権を保障せよ。この目的を達成するために、政府は公共事業と効果的な職業訓練を実施すべきである。賃金を維持したまま週の労働時間を40時間に短縮する法律を制定しなければならない。

香港人代表大会を招集し、真に民主自治の香港基本法を再制定せよ。香港の政治制度、社会経済制度および種々の重大問題については香港人代表大会によって決定されなければならない。

一人一票の平等の普通選挙制度を実現せよ。自由な立候補と自由な選挙。職能別選挙区の廃止。委任議員の廃止。行政長官を普通選挙で選出し、中央政府の任命は不要とせよ。

香港人と大陸住民は団結し、国家主権の人民にとりもどし、一党独裁の廃止のために闘おう。人民は、各種の大衆団体と政党を結成する十分な政治的自由を必要としている。

人民には為政者を打倒を主張する権利がある。為政者は人民の公僕とならなければならない。為政者打倒の主張を禁ずるということは、為政者が専制の帝王となることと同じであり、共和制の理念は裏切られるだろう。

民主的権利には、民族自決権と地域的な住民自決権が含まれる。この種の自決権を否定し、ある民族あるいは一つの地区の住民が一つの国家への帰属を強制されるのであれば、それは実際にはかれらに対する征服であり、かれらに対する抑圧である。強制的な統一は衝突を生み出し、最終的には分裂にまでいたる可能性がある。ただ自発的で平等な連合こそが良い結果を生むのである。

民衆組織(政治団体を含む)は、支援金の受取りを含む外国の民衆組織と連絡を確立する権利を有する。政府、政権党、資本家はみな外国と連絡をとり、外資を受け入れる権利があるのだから、民衆組織が同様の権利を享受することを禁止する理由はないはずである。外国との連絡の確立は外国勢力の支配を受けることと同義ではないし、さらには売国などですらない。民衆組織の対外連絡を禁止することは官僚独裁を助長するだけであり、中国と外国の支配者が結託して人民を抑圧することを利するだけである。

香港と中国全土の経済政策は民衆生活の保障と改善を第一原則とすべきである。社会経済の最高管理権は人民大衆に映すべきである。すべての国有企業において民主的管理を実施し、民営化に反対する。

文化事業は国家の支援を受けつつも自由に発展させるべきであり、官僚が文化活動の中身に干渉することに反対する。

人民こそが主人公にならなければならない!民衆の福祉は最後まで徹底してたたかう民衆自身によってのみ実現し防衛するができる!

1997年6月30日
(5月1日起草)

【香港】 「六七暴動」をどう規定すべきか

1967hongkong
文革や「六七暴動」は、表面的には極左的一面もあったが、その本質の大半は極右である。文革のスローガンには「一切を否定せよ」というものがあったが、毛主席の絶対的権威は、その「一切」には含まれず、逆にその絶対的権威をさらに神格化し、中国共産党政権を神権国家へと変えてしまったのである。これは極左ではなく極右である ――― 區龍宇

 

「六七暴動」とは1967年7月から11月まで、香港の中国共産党組織が発動した英植民地政府反対運動。中国で始まっていた文化大革命の影響を受け、それは爆弾闘争として展開された。闘争期間中に1167発の爆弾が町中に設置され、15人(警官2名、イギリス軍人1名、年少の姉弟をふくむ市民12名)が犠牲になった。このようなかつての武装闘争を「極左のなせる業」とする元共産党系新聞社の記者で、現在はリベラル派のジャーナリストがウェブマガジンに掲載した長文の論文に対して、『香港雨傘運動 プロレタリア民主派の政治論集』の著者である區龍宇氏が、批判する論文を書いた。區氏は、武装闘争を指導した中国共産党のスタイルは極左というよりも、国家主義を個人主義にまで高めた点でいえば極右のスタイルにより近いものであり、毛沢東時代を「極左」と規定することは、その後の鄧小平時代から現在に至る中共の立場を客観的に擁護することになると指摘する。雨傘運動の前後から登場した極右排外主義もまた、反共・反中国ではあるが、中国共産党の極右主義と共通する部分も多いと指摘する。原文は「無國界社運 Borderless movement」より。著者からの指摘で冒頭に若干の補足を加えている。訳注は[ ]および※で示した。(H)


 

「六七暴動」をどう規定すべきか


2017
515

 

區龍宇

 

「六七暴動」という北京政府の鼓舞によって発動され、人民をペテンにかけたエセ蜂起の亡霊が、いまふたたび首をもたげようとしている。だがかつては中共支持者で、その後苦難の人生を歩んできたと考えている程翔[原注1](※)は、「六七暴動」に関する長文のなかで、「六七暴動」は赤色テロであると論証している。

 

香港では、いまだスターリンや毛沢東の本質を理解できずに、真の左翼と偽物の左翼の違い、左翼と右翼の違いも理解できておらず、それゆえに暴動の亡霊が再臨しつつあるいまにいたっても、「熱血公民」という極右排外主義者の本質を理解できずにいるのである。

 

程翔は、そのような主張が、客観的には中共の免罪に手を貸すことになることを理解していない。

 

※程翔:香港の中国政府系日刊新聞の元記者で89年天安門事件に抗議して辞職、2005年に中国滞在中にスパイ容疑で逮捕され5年の実刑判決を受けたが08年に保釈。

 

● 白色テロなき赤色テロ

 

白色テロは、簡略化を厭わず言えば、支配階級が自らに抵抗する反対派にたいして法的範囲の内外で行う暴力的攻撃のことである。赤色テロとは、反対派に対する白色テロにたいする実力的反撃である。この種の決死の闘争がヒートアップし続けると、それは往々にして内戦となり、その際に暴力が濫用されることは避けがたい。

 

国民党と共産党の闘争を例に見てみよう。1925年に中国の第二次革命が勃発した。当初は国共が協力して北伐を進めたが、1927年に[国民党の]蒋介石が共産党にたいする弾圧を行い、上海では多くの共産党員が殺害された。その後も国民党は共産党討伐を進めてあっというまにファシスト化していった。他方、中国共産党はスターリンの指導のもと、第二次革命があきらかに敗北したにもかかわらず、それを認めようとせず、1927年に広州と南昌で暴動[武装蜂起]を実行した。暴動は惨敗し、湖南省共産党委員会は敵軍[国民党]の湘南[湖南省南部]への南下を阻止するために、街道沿いの十里四方の村落を焼き打ちさえしたのである!後に、中国共産党の歴史家でさえも、これによって当初は共産党にたいする反感をもっていなかった人々が共産党に反対するようになったことを認めている[原注2]。このような赤色テロは、その後もおりにつけ再演された。毛沢東は白色テロへの反撃にかこつけて、多くの無実の同志を殺害した。これがいわゆる富田事変である。

 

中共の「赤色テロ」には擁護しがたい面もあったが、しかしそれは白色テロにたいする抵抗という状況下での応答だったのである。もちろんそれは不正確な応答ではあったのだが。だがもし「六七暴動」が赤色テロだというのであれば、白色テロはどこに存在していたのだろうか。67年5月、イギリス植民地政府は人造プラスチック工場のスト労働者を弾圧した。これは労働者の権利を侵害する事件である。だがこれは白色テロとは言えない。白色テロが存在しないのに、香港共産党みずから「赤色テロ」を作り出した。なんら正当な理由のない武装闘争であり、まったくのでたらめと児戯であり、どうりでのちに中共自身が「あれは間違いだった」と認めたわけである。

 

● 香港共産党官僚の保身のために

 

香港共産党はなぜこのようなでたらめを行ったのか。それは偉大な毛主席が「プロレタリア文化大革命」というでたらめを行ったからである。「六七暴動」は文革という大状況下の産物にすぎない。しかも「プロレタリア文化大革命」という名称自体、一語一語すべてにおいて間違っているのである。まず、これは革命ではない。そして、このエセ革命を主導したのはプロレタリアートではなく官僚集団の最高指導者である。さらに、内容も文化革命とはまったくの無縁で、毛主席の言いつけをしっかりと守れない部下を打倒することが目的であり、その過程で20世紀の焚書坑儒が行われ、官僚独裁の妨げになる文化一切を殲滅してしまったのである。

 

このとき、中国大陸の最南端にあった香港共産党の最大の関心は「反植民地闘争」や「人民の利益」などではなく、いつなんどき最高指導者の紅衛兵の炎が自分たちを焼き殺すのか、ということにすぎなかったのである。自らの地位のために、香港共産党トップであった梁威林と祁烽は、ほんの小さなストライキを無限大にもちあげて、それを反英抵抗運動に祭り上げたのである。香港共産党の当事者である金尭如は回想録のなかでつぎのように述べている。

 

「香港新華社[香港における中国共産党の出先機関]はすでに紅衛兵の扇動的情緒に満ちていた。おおくの中下層幹部は……小字報[ビラ]で、香港の党組織の中に『走資派』がいないかどうかを香港新華社の指導部に問いただしていた。……新華社の実権派は……批判の矛先を他に向けて、自らの地位と権威を守ることだけを考えていた。もし香港やマカオで反帝反植民地闘争がおこれば、新華社内部の『革命大衆』は内部で造反することもなく、中央政府も幹部を北京に償還することもないだろうというわけである……」[原注3]

 

いまでも六七暴動を擁護する人が少なくない。植民地支配があまりに酷かったからというわけである。その通り、たしかに酷かった。ではなぜ中共はさっさとそのような酷い植民地から香港を回収しなかったのか?なぜ逆に香港の労働者にたいして「静かに解放を待て」と言い続けたのか? 実際、当時多くの香港の若者が植民地支配にがまんならず、「静かに解放を待て」ない状況だったのである。1966年のスターフェリー運賃の値上げ反対闘争で、蘇守忠[25歳の青年]が座り込み抗議を行い、それが幾千もの青年たちの抗議行動を促した。これは戦後の青年世代における反植民地闘争のさきがけとなった。だが当時の香港共産党はそれを支持しなかったばかりか、逆に敵視したのである。しかしまさかその一年後に、自己保身から自らも武闘派に転身し、爆弾で「黄色の皮の犬[地元警察官]」(と通りすがりの無辜の民)を爆殺することになろうとは思いもよらなかったのである。

 

● 反英闘争はカモフラージュ

 

第一段階(非暴力不服従段階)において、香港共産党が反英闘争を呼びかけたとき、影響下にあった民衆は断固としてそれを支持したし、影響下になかった普通の青年のなかでもそれを支持する人がいた。植民地政府は白色テロを行っていたわけではないが、腐敗と抑圧ははやくから民衆の怨嗟の対象となっていたのである。しかるに三罷業[労働者のストライキ、学生の授業ボイコット、商店主の同盟罷業]が成功せず、第二段階の爆弾闘争にグレードアップしたとき、周辺の支持はすぐに失われた。これは当然のことである。労働者民衆はかならずしも政治倫理と道徳学を学んでいるわけではないが、目的と手段はたがいにふさわしくなければならないことは、多少なりとも理解しているのである。なにゆえストライキのために爆弾を爆発させなければならないというのか。しかし、このときに香港共産党の影響下にある大衆は、死をかけてその指示に忠誠を示した。なぜなら香港共産党が「植民地政府が頭を垂れないのであれば最期までたたかう」というスローガンを提起したとき、大衆は中央政府が香港を回収するつもりだと受けとめ、そして死を賭して奮闘したのである。

 

だが、そもそも……そもそも中央政府は香港を回収する意図などはなから持っておらず、逆に、香港植民地統治の繁栄と安定を維持することを考えていたなどと、いったい誰が知っていただろうか!まさに中共によって大衆がいいように使われ、天気が変わるように方針が変わり、まったく信頼に足らず、自らの信頼と栄誉を損なっただけでなく、影響下にあった大衆に苦汁をなめさせ、さらに理想にたいする幻滅という悲劇をも押しつけたのである。この闘争ののち、香港共産党の大衆的基盤は失われた(それにともない香港の労働運動も犠牲になった)。その後、共産党は大衆的基盤を再建したが、それを成したのはかつてのような真に信念から生じる無私の精神をもった大衆ではなく、見返りや地位を求める愚民にとってかわったのである。

 

香港共産党の堕落の過程は、中共政権全体における同様の過程を反映したものにすぎない。かつての国民党、そしてその後の共産党は同じように被抑圧人民を代表する民主革命党としてスタートしたが、同じように新しい支配者、しかもファシスト型の独裁的支配党として変質した。「悪魔に反対すればするほど悪魔化する」(ミイラ取りがミイラになる)。共産党について言えば、この変質は1989年の六四天安門事件で完成した。文革はこの堕落の過程の中間段階にすぎなかった。

 

これによって、なぜ文革や六七暴動を「極左」と呼ぶこと、あるいは「六七暴動」の主要な教訓が「防左」(左翼から防衛する)の二文字(張家偉[原注4])だという主張が、どれほどミスリードであるかは明らかである。文革や「六七暴動」は、表面的には極左的一面もあったが、その本質の大半は極右である。文革のスローガンには「一切を否定せよ」というものがあったが、毛主席の絶対的権威は、その「一切」には含まれず、逆にその絶対的権威をさらに神格化し、中国共産党政権を神権国家へと変えてしまったのである。これは極左ではなく極右である。

 

● 左右もわからずどうして「防左」ができるのか

 

現代では「極左」とは、たんに極端、ひいては極端な暴力であると理解されている。それでは極右やファシストは極端ではないのか?暴力を用いないのか?両者の区別はどこにあるのか?1956年の国民党による暴動と1967年の香港共産党による暴動の質的違いはどこにあるのか? 極左を単に極端であるとのみ理解する認識では、そもそも左翼と右翼の歴史的脈絡をはっきりさせることなどできはしないのである。

 

いわゆる左派と右派の違いは、右派とは保守主義に属し、極右とは極端な保守主義のことである。なかでももっとも顕著な特徴を持つのは、絶対的権威主義であり、それは「上は賢く下は愚かで、それはずっと変わらない」という考えを絶対的に信じており、それが極端に発展したものこそ、神権国家である。この種の価値観は、支配階級の利益を表したものにすぎない。

 

それとは逆に、左翼はおおむね平民精神を主張し、民主主義、自由平等、富の再分配、世俗主義(非宗教)などによって表現される。それはまた被支配者の利益をいくらか代表している。

 

「極左」とは、これらの主張を極端に推し進めたもの、あるいはすぐに結果を求めようと直反応するものをいう。その傾向の一つは、下層大衆の抵抗の自然発生性を崇めるとともに党による指導に反対するというものである。大きな社会運動が出現するたびに、この種の思想もかならず登場してきた。雨傘運動においても例外ではなかった。無政府主義者においてこの傾向は最も突出していることから、往々にして極左派とされてきた。しかし「六七暴動」はこのような本来の意味での極左とは全く逆であったにもかかわらず、どうしてそれを「極左」といえるのか[原注5]。文革に至っては、大衆の自然発生的な要素もあったが、それは主要な要素ではなかった。文革は「毛主席みずから発動し、みずから指導した」[林彪が毛沢東を持ち上げて語った言葉]ということを忘れてはならない。

 

文革時期の中共には、ある種の極左的現象はあったが、本質的には極左とはいえない。逆に、まさに文革の開始のときから、極左的言辞に満ちていたにもかかわらず、実際には極右の歴史的軌道に乗っていたのである。なぜならその時点ですでに民主主義、平等的価値観、労働者人民の利益とは全く無縁であったからだ。なぜならそのときにすでに中共は抵抗者から支配者に、そしてさらに独裁政権から神権政権に堕落したからである。文革は毛沢東という大司祭が、自らの権力のために青年を利用して劉少奇や鄧小平を打倒し、さらに軍隊を使って青年を打倒することで、自らの神聖性の基礎を固めたものにすぎない。「六七暴動」はこの全くナンセンス劇のなかの一幕にすぎない。

 

極左はもとより悪いが、しかし極左と極右では、悪さの性質と方法に大きな違いがある。被害集団と利益集団にも違いがある。それゆえその対応方法もそれぞれ異なる。もし左右の違いを区別することもできないのであれば、極右であろうと極左であろうと、それからの被害を防ぎ、対峙することなどできないだろう。どちらかの側につく必要はないが、左右の基本的な国際政治の分類についての基本的認識もないままではすまされない。そのような認識を持てなければ、ペテンに陥ることははっきりとしている。「六七暴動」の際の熱血青年や雨傘運動の前後に現れた極右排外主義にたいして、香港の民主派の多くが「同伴者」だと考え、ついには雨傘運動におけるメインステージに対する攻撃(※)を甘んじて受けるに至ったのである。

 

※雨傘運動の後期、オキュパイの中心であった金鐘地区に民主派が設置した発言ステージをめぐり、極右派はその撤去を激しく主張した。

 

● なぜ独立思考が重要なのか

 

「六七暴動」からは確かに多くの教訓をくみ取ることができるが、労働者人民の立場にたてば、この教訓は単なる「防左」ではなく、いくつかのレベルにおいて真剣に検討すべきである。

 

1、雨傘運動以降も多くの人が「不正義に抵抗するすべての手段は正義である」と主張している。しかし「六七暴動」の教訓は、まさにこの主張の間違いを明らかにしている。手段はつねに効果的なもの、まったく効果のないもの、そして全く逆効果のものがあるにもかかわらず、「抵抗するすべての手段」を用いるなどどうして言えるのか。状況に合わせ、最大多数を団結させることができてこそ、良い手段なのである。そうでなければ扇動家に利用されるだけであり、あるいは「憎悪の連鎖」という落とし穴に陥るだけである。

 

2、民主化闘争は曲折した険難な道であり、直感だけに依拠することはできず、目標と路線の絶えざる思考が必要で、善悪の分別を認識し、独立した思考能力を養わなければならない。もしそのようにふるまうのではなく、口先だけで自分を信じるように大衆にもとめる政治的指導者がいるとしたら、それは扇動家であり、民主主義の教育家と実践家ではない。

 

3、「悪魔に反対すればするほど悪魔化する」という格言は、民主化運動に反対する思想的論拠にも悪用できる。つまり、労働者人民がたちあがって独裁政府に反対すれば、その結果、暴力の応酬となるだけであり、ひいては社会的後退を招き、得るものより失うものの方が多いので、おとなしい良民であるほうがましだ、という主張である。だがこのような考えも間違っている。それは客観的には、独裁政権に無関心でいるように人民に思考停止を求める主張だからである。民主的抵抗は必要であり、暴力の連鎖を防止する方法もある。

 

4、「悪魔に反対すればするほど悪魔化する」という状況は中国では一般的で、そうなるには多くの理由があるが、その理由の一つは、中国の歴史において革命はよく見られたことであるが、しかし易姓革命(政権交代)のほうが多く、本当の民主的革命は極めて少なかったことが挙げられるだろう。このような歴史的運命から脱するためには、真の人民精神、そして民主的精神をいっそう強調することが必要である。文明がはじまって以来、社会は支配階級と被支配階級に分裂した。外国では比較的完成された代議制度のもとで、多くの労働者人民が被支配者として、四年に一度、腐った政治家の中から比較的ましな候補者を選んでいるにすぎない[アメリカ大統領選挙を指している]。香港それすらもできないでいる。中国にいたっては選択肢のメニューに独裁しか示されていない。真の民主派は自らの階級的立場を明確にする必要がある。多数の労働者人民の立場に立つのか、それとも両者の間の中間に立つのか、それとも支配階級の立場に立つのか。理性的な分析においても究極的な道徳的判断基準が必要であり、庶民大衆および青年、女性と一緒に呼吸し、ともに困難に立ち向かうという民主的精神こそが、立脚点となる。言い換えれば、民主と科学は依然として我々の歴史的任務だということである。それは往々にして容易に回答し得ない任務であるにしても、である。

 

2017515

 

原注


[1]
「六七暴動」的恐怖主義根源


[2]
《中共七十年風雲録》,利文出版社,1992年,153頁。中共はこの苦難の問題の核心をはっきり述べることができず、スターリンの責任問題をあいまいにし、責任を瞿秋白と李立三などの初期中共指導者に押しつけている。


[3]
《中共香港政策秘聞實錄》,金堯如,田園書屋,1998年,88-9頁。


[4]
《五十年了香港終究要防左》,明報,2017511日。


[5]
レーニンは中共から「教師」と称されていることから、極左とは何かについて述べる資格が充分にあるだろう。彼の「共産主義における左翼小児病」では、ドイツ共産党内部の極左指導者を批判している。レーニンに批判されている極左は独裁者だったのか?暴力で知識人の頭を打ち砕いたのか? いやじつは全く逆である。レーニンに極左と批判された人々は、大衆抵抗の自然発生性を崇拝し、「指導」などいらないと主張していたのである。文革や六七暴動を単純に極左だとひとくくりにすることは、「マルクス・レーニン主義」をしっかりと理解していないということである。

【香港】3月の行政長官選挙にラディカル左派が参戦

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 左上から時計回りで葉劉淑儀、曽俊華、林鄭月娥、胡国興

 
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 行政長官選挙への参戦を表明した社民連の梁国雄・立法議員。
 「市民推薦で立候補できる普通選挙を実現しよう」(2月8日)



【解説】

昨年末、梁振英・香港行政長官は326日に行われる行政長官選抜選挙に立候補しないことを表明し、親中派のなかで後継者争いが加速している。現在、行政長官選挙への立候補を表明しているのは林鄭月娥(キャリー・ラム、前政務官で雨傘運動と前面で対立)、曽俊華(ジョン・ツァン、前財政官、親自由主義経済の信奉者)、葉劉淑儀(レジーナ・イップ、元保安局長、現立法議員で治安立法を狙う)、胡国興(元高等裁判所判事)、そしてラディカル左派の社会民主連線の梁国雄などである。

 

香港の行政長官選挙は職能別に選出された1200人の選挙委員による間接選挙。その間接選挙に立候補する候補者資格を取得するには、214日から31日までの期間に150名以上の選挙委員の推薦を受ける必要がある。昨年末に行われた選挙委員を選ぶ選挙で民主派の議席は、前回(2011年)の200余りから今回327議席に拡大した。本番の行政長官選挙では過半数(600票)の支持が必要となるので、民主派が当選する可能性はない。

 

社民連の梁国雄は、28日に民主自決派の議員らとともにマニフェストを発表し、有権者1%の推薦で立候補できるとする国際標準の要求を掲げる民主派運動組織のプロジェクトにコミットしている。このプロジェクトは正式な選挙制度の枠外であり、かりに有権者1%の支持を得たからといって、正式な候補者資格を得られるわけではないが、9割以上もの有権者が行政長官選挙では選挙権がない現行制度の欺瞞を暴露することは可能である。

以下は香港の民主自決派を支援する區龍宇による論考である。職能別で選ばれた委員らによる間接選挙は実際には中国政府による選抜選挙でしかないが、目標を明確にしたうえで選抜選挙にかかわることは全く無意味ではないと主張している。原文はこちら(早野)

 

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皇帝[中国政府]の欽定で指名される黄大仙[行政長官]

行政長官の選抜選挙 その1


區龍宇
 


結局のところ誰が中央で誰が黄大仙人なのか? 聖旨が誤って伝えられているのか、それとも皇帝の真の詔なのか? 媚びて寵愛を争い、権謀術数的取引に事欠かないリアルなドラマは、この二〇年間テレビを席巻してきたフィクションの宮廷ドラマよりも面白い。

 


「腐敗官僚には反対するが、皇帝には反対しない」?

 

私はゴーゴリの『検察官』を思い出さずにはいられない。ストーリは、検察官が視察に派遣されてくると聞いた市長は[かねてよりの腐敗した市政のせいで]大いに慌て、たまたまその町に滞在していた博徒をその検察官だと勘違い、盛大な接待や付け届けを行い、あげくのはてには自分の娘も検察官に差し出してしまい、これで出世間違いなし、という淡いロシアンドリームを抱くのだが、そこに本物の検察官がやってきて、市長はじめ町のお偉いさん方一同ぽかんとするほかなかった、という内容だ。作者は、専制主義における人間の恥ずべき醜さを余すことなく風刺している。

 

あるいは、何人かの古くからの汎民主派(既成の民主派)はこの喜劇をご存知ないからか、同じように腐臭のする出し物を目の当たりにしているが、そのペテン性を暴露するどころか、逆にそのペテン劇に加担して、より少ない悪を支持するべきだと主張し、林鄭月娥(キャリー・ラム)ではなく、曽俊華(ジョン・ツァン)を支持せよという。しかしいわゆる「抗西環論」(西環は中国政府の香港出先機関である中央政府駐香港特区連絡弁公室がある場所)は、せいぜいのところ「腐敗官僚には反対するが、皇帝には反対しない」といった封建的忠臣ドラマの再演にすぎない。曽俊華が西環に反対するというのも、皇帝に忠誠心を示すためであり、治安維持条項の基本法二三条の立法化を進めるという点では、林鄭以上に中国政府に忠誠を誓っている。それに対して民主党の主席は批判するどころか、逆に擁護する始末だ。いったいこの党は民主派なのか、それとも「腐敗官僚には反対するが、皇帝には反対しない」派なのか、はっきりしているのではないか。

 

選挙ではなく選抜

 

初心を忘れるべからず。行政長官と議会の普通選挙の実現は、最低限の民主的要求である。世界では二〇世紀初頭に民主化運動の圧力によって各地で実現されていった。香港に目をやれば、二一世紀だというのに普通選挙は永遠に延期されているのだ! 職能別選挙制度が普通選挙の代りだという主張は、まったくの「魚目混珠」(魚の目玉を真珠に混ぜる=ニセモノ)にすぎない! 三〇年前には査良鏞が職能別選挙制度を次のように擁護していた。「政治的権利は社会的貢献に応じて分配すべきであり、大企業のトップはもっとも貢献していることから多くの権利を享受できる。一般市民の貢献は少ないので、権利も少ない」(大意)。彼らは次のことを忘れている。建設労働者がおらず、清掃労働者がいなければ、どれだけカネがあっても家も建たず、ゴミの処理にも困るだろう。勤労者に対するこのようなあからさまな差別的選抜制度は、真の民主派であれば、本来は受容も参加もしてはならない。受容し参加することは、民主主義を裏切り、支配者の酒池肉林の宴に加わるということである。

 

汎民主派の若手論客の區諾軒がウェブメディア『端』に書いた文章で曽俊華を擁護していないことは良いことである。だが「よりまし論」が間違いではないこと、そしてその論拠としてアメリカ左翼の中心的論客であるノーム・チョムスキーを引き合いに出し、彼もアメリカ大統領選挙では「よりまし論」としてトランプではなくヒラリーを支持したではないか、と主張する。しかしそれは間違いだ。アメリカ大統領選挙は普通選挙だからだ。良いも悪いも人民が権限を付与したものである。だが香港の行政長官「選挙」は、九割以上の有権者を排除するという前提で行われるものであり、専制政治のオブラートにすぎないのだ。

 

民主党はあるいはこう反論するかもしれない。ああ、道徳的高みに立った実効性のない主張になんの意味があるのか、と。その主張の前半部は正しいが、結論は正しくない。正しくは、民主政治においては道徳[正論]を説く必要があるが、道徳を説くにしても実効性がなければならない、である。世間の圧倒的大部分の政治は権謀術数と陰謀であり、民主派が道徳を説くことによってのみ、政治に対する人々の信頼を回復することができるのであり、そうしてこそ民主化運動に闘争的精神を注入することができるのだ。これが最大の実効性である。

 

行政長官制度廃止のための行政長官選挙を

 

二〇一一年に行政長官選挙に参戦した民主党の何俊仁を、社民連がこっぴどく批判したという古い対立を持ち出して、今回社民連の梁国雄が行政長官選挙に参戦するとは道徳もクソもあったものではないと批判するむきもある。確かに当時の社民連の声明の内容は水準の低いもので、道理を説かずに批判に終始していた。職能別選挙の本質はファシズムであり、原則的には参戦すべきではない。ただそれが抗議と真の民主主義のカンパニアであることを明確にした場合を除くという条件付きで。私は昨年末の「鶏毛有用、却非令箭」(一票の価値は伝家の宝刀ではないが紙クズというわけでもない)という文章のなかで、もし抗議の意味を込めて、そして「行政主導の廃止、立法主導と普通選挙による全権の議会の実現」というマニフェストの宣伝のためのみ限定して行政長官選挙[の候補者に選ばれる予備選挙]に参戦することは可能だと表明している。今日の民主化運動の最大の弱点は、目標が何なのかさえはっきりとしていないことである。もし何俊仁が二〇一一年にこのような立場で行政長官選挙に参戦したのであれば、それは必ずしも間違いだとは言えない。

 

もう一つ特別な状況として、かつて支配者が、職能別選挙は一時的なものであり、すぐに普通選挙に転換することを約束したということがある。そのような約束のもとで汎民主派が一時的に[選抜選挙という]状況を受容したことは、情状酌量の余地がないでもない。しかし約束はとっくに「鏡花水月」(絵に描いた餅)となってしまっており、汎民主派の漸進戦術は、三十年たってもなにも実現されていない!民主派はもっと早く「ちゃぶ台返し」をしていてもよかったのである。行政長官「選挙」は、無頼政権が香港における総監督官を「選抜」するために精密に設計された制度である。古くからの汎民主派は「選抜」を「選挙」だとみなしているが、何と愚かなことだろうか。

 

梁国雄の欠点や誤りを指摘する意見もある。だが民主派諸氏には、腐ったリンゴのなかからよりましなものを選ぶのではなく、どうか歴史の正しい側に立つよう、勤労市民の権利の側に立つように要請する。梁国雄のマニフェストの欠点という主張については、別な論考で考えを述べるつもりである。

 

區諾軒の文章の良いところは、今日の古くからの汎民主派がどれだけ徹底的に専制体制に取り込まれているかを明らかにした点である。彼曰く「市民が候補者を推薦することに対する嫌悪、社会運動活動家による曽俊華への反対に対する反感は、すでに私の許容範囲を超えたものになっている」。かわいそうな區諾軒よ、いっそのこと「棄暗投明」(反動勢力と手を切って正しい側に移行)してはどうだろうか? 何故にそのような投降派の隊列で苦悶するのだ。「要留清白在人間」(困難を恐れることなく、清く正しい姿でこの世にいつづけよう)ではないか(訳注)。


二〇一七年二月八日


 

(訳注)

于謙(明の政治家、1398―1457)が12歳の時に詠んだの詩「詠石灰」の最後の句。

 

・詠石灰

 千鎚万鑿出深山

 烈火焚焼若等閑

 粉骨砕身渾不怕

 要留清白在人間

 

・石灰を詠ず

 千鎚万鑿(せんついばんさく)  深山(しんざん)より出()

 烈火の焚焼(ふんしょう)    等閑(とうかん)の若(ごと)

 粉骨砕身(ふんこつさいしん)  渾(すべ)て怕(おそ)れず

 要(かなら)ず清白(せいはく)を留めて 人間(じんかん)に在()らしめん

 

(現代語訳)

・石灰を詠む

 叩かれ穿たれて 山の奥から掘りだされる

 炎に焼かれるが 気にしない

 粉骨砕身も   恐れることなく

 清く正しい姿で この世にいつづけようではないか

 

こちらのサイトを参照しました

【中国】三つの壁に直面する中国共産党政権~中国官僚資本主義の盛衰を論じる

tianchao


三つの壁に直面する中国共産党政権
中国官僚資本主義の盛衰を論じる


區龍宇

筆者は香港を拠点に活動する反資本主義左翼/トロツキスト組織「先駆社」のメンバー。邦訳に『香港雨傘運動』『台頭する中国 その強靭性と脆弱性』(いずれも柘植書房新社)などがある。


原文

習近平政権[2012年末]の発足後、経済の不安定化はさらに深刻さを増している。中国官僚資本主義の特徴は、社会的蓄積を強力に略奪して投資に回すことで急激な経済成長を素早く実現することにある。しかしこの種の資本主義は、高度の独占とウルトラ級の搾取によって、とてつもない貧富の格差をつくりだす。その結果として有効需要に事欠き、過度な蓄積と過度な生産がますます深刻化することになる。巨大なバブルが株式市場と不動産市場を覆っている。官僚資本主義の二度目の決算の期日は迫りつつある。

官僚資本主義の最初の危機は1990年代末から2000年にかけてのあいだに爆発した。当時の経済不安定も深刻であった。中国共産党の対策は、破綻に瀕する銀行を救済する一方、大量に外資を導入して、中国を主要な商品輸出国に転換し、中国が世界の搾取工場となる礎を築いた。中国共産党は転換に成功し、危機を克服し、しかも中国を主要な資本輸出国の一つに転換させたのである。これ以降、中国は完全にグローバル経済に融合した。ゆえに中国は輸入大国にもなった。とりわけ石油と鉱物資源についてはそうである。世界に対する中国の影響力はますます大きくなっているが、逆に世界への依存もまたますます大きくなっている。


◆中国の拡張法則

今日の中国は、
・世界第二の経済体
・世界最大の商品貿易国
・世界最大の製造業国家
・世界第二位の外国直接投資の輸入国
・世界第五位の外国直接投資の輸出国
・世界最大の外貨準備保有国
・世界最大のアメリカ公債の海外保有者
・世界最大のエネルギー総消費国(国内石油消費の過半数を輸入に依存)
・世界最大の富裕層の居住国

中国官僚資本主義の台頭は、必然的にグローバルな拡張の内在的法則を有しており、この法則は経済面だけでなく、政治と軍事面においても以前にも増して貫徹されている。これをもって中国は帝国主義国家になった、一般的な資本主義大国ではなくなったという主張もある。さらには、中国は以前から発展途上国や第三世界と自称してきたが、かなり前からそうではなくなっていたという主張もある。

もっとも粗雑な認識に基づき、つまり覇権的特徴を有するすべての国家や、小国を搾取することのできるすべての国家が帝国主義であると考えるのであれば、中国は疑いもなくそのような国家になりはじめていると言えるだろう。しかしより厳密な西側マルクス主義に基づけば、現在の中国を帝国主義と名付けることは、従来からの多くの帝国主義諸国との区別があいまいになってしまい、現在の中国の矛盾の性質を誤って判断することになり、我々がその弱点をはっきりと認識することの障害になる。我々が判断を誤らないためにも、中国の拡張法則と現在の実際の到達段階をしっかりと識別する必要がある。


◆グローバル・バリュー・チェーンにおける苦しい立場

まず軍事面からみてみよう。中国の軍事力はいぜんとして限定的である。世界第二の国防費大国であるが、海軍と空軍はまだ発展途上であり、グローバルな展開には至っていない。実際に、台湾を武力で統一するだけの力はないというのが現状である。というのも海峡を越えて大軍を輸送する能力がないからである。中国の領土以外にも軍事基地はなく[2016年からはジブチに自衛隊や米軍と同じく拠点基地を設置している]、何らかの軍事同盟にも参加していない。つまり、かりに海軍と空軍の近代化が今後も進んだとしても、外国でその軍隊が陸上および港湾において支援を受けることはできないのである。中国が軍事上、グローバルに展開できるのは弾道ミサイル、宇宙衛星、そしてインターネットによる攻撃のみである。これでは中国がグローバルな覇権を実現することはもちろん、アジアにおける覇権でさえも不可能だろう。中国の軍事力は比較的弱小な国家に脅威を与えるには十分であるが、それは主要な帝国主義の実力には程遠く、アメリカとは比べるすべもない。

もちろん、戦後の帝国主義は必ずしも政治および軍事による直接統治に依拠する必要はなくなった。それは軍事力を背景としてはいるが、それ以上に経済力に依拠し、後進国を搾取してきた。かれらはハイテクノロジーに依拠し、後進国から超過利潤を搾取する(いわゆるテクノロジカル・レント[先進技術の独占による超過利潤])。それはまたグローバルな金融独占に依拠して不均等交換を後進国に強制する。だがグローバル経済における中国の支配力は、やはり限定的である。我々は次のことを忘れてはならない。中国は後発国(late comer)であり、先進国を追い越そうとする際には、やはり多くの障害に直面するのである。技術の面では中国は急速に追いついたが、しかし依然として先進技術の面では不十分であり、多くの超過利潤を獲得することは難しい。中国で最高レベルのICチップメーカーでさえ先進国の二、三代前のモデルにとどまっており、大部分のICチップは輸入に頼らざるを得ない。バリュー・チェーンの面では、中国のグローバル・ブランドは極めて少ない。これは中国の多国籍企業がグローバル・バリュー・チェーンにおいてステップアップすることの困
難を意味している。

官僚の排外文化は中国の多国籍企業における外国人上級管理者の受け入れを困難にしており、多国籍企業が特に必要としている人的資源を自らはく奪している。そして人的資源の欠如は、中国の多国籍企業が世界市場で長期的に競争することを困難にしている。中国はすでに世界資源の重要なバイヤーになっているが、後発の競争者であることから、中国企業が先発帝国主義の多国籍企業との競争において、往々にして極めて高額の代金を支払わされている(例えば。ハイ・プレミアムで外国の石油を買いあさる)。先進国向けの投資では、往々にして斜陽産業あるいは倒産に瀕した企業が対象になっている。これらをまとめると、中国の対外投資の多くは薄利であり、損失を被っているケースも少なくない。

まとめると、中国の対外投資総額と貿易量の規模は巨大であるが、中国はいまだ世界市場で安定した基盤を持って充分な剰余価値を搾取できているわけではない。それゆえ帝国主義と称することは難しいのである。実際、中国は依然として世界の搾取工場であり、それは依存性の蓄積(つまり先進国の技術と市場に依存した資本蓄積モデル)が、依然として中国資本主義の重要な特徴であることを物語っている。それはまた中国共産党が依然として、主に途上国からの搾取ではなく、自国の労働者農民と自然資源からの搾取に依存していることを明らかにしている。これらすべての証拠が、中国が既に帝国主義国家になったという論断を否定しているのである。


◆半植民地の歴史的負債

われわれはまた、中国とその他の旧来からの帝国主義との重要な区別に注意すべきである。つまり半植民地の歴史的遺産が、いまだ中国の上の重く覆いかぶさっているということである。中国共産党にとって、国家統一の任務はいぜんとして完成しておらず、台湾はいまだにアメリカの保護下に置かれている。このいわゆる「不沈空母」[台湾]は、中国の覇権にとって終始ひとつの脅威となっており、取り除かずにはおられないが、しかし当面はそれを取り除く力がない。香港にいたっては、すでに中国に回帰したが、人心は回帰しておらず、逆にますます乖離の遠心力が増大している。香港は極めて小さいが、その西欧化された中産階級の上層部分は米英の支配階級とさまざまに直接あるいは間接的、文化的なつながりを持っている。中国全土に対する香港の経済的重要性はすでに以前ほどではないが、香港は中国資本が国境を越えて移動する橋梁であり、香港国際資本の守旧勢力も、中国共産党にとっては脅威ともいえるのである。

およそすべての以前からの帝国主義国家は、植民地経営の歴史があり、文化的にも影響を及ぼしつづけている。これらの旧植民地の知識階層と中層・上層階級は、旧宗主国の言語を理解する者も少なくなく、それは政治や経済的つながりの強化にとって大きな助力にもなっている。だが中国はそうではない。植民地経営の歴史を持たない後発の競争者として、中国は文化的にも後塵を拝している。各国で中国語ブームが起きてはいるが、それは商業利益がモチベーションになっているもので、一部の専門業種の人々に限られており、必ずしも中国文化に対する敬慕からのものとは言えない。このことは中国共産党が海外で宣伝を行う際の障害になっている。孔子学院[中国政府が海外の教育機関と連携して世界各地に設置している中国言語・文化の宣伝機関]の世界各地での悪評も、中国の文化的実力が欠如していることのひとつの反映である。


◆南シナ海での衝突の意味

総じてこれら半植民地の歴史的遺産は、依然として中国共産党支配階級の覇権的野心への制約となっている。それゆえ1999年にアメリカが中国の駐ユーゴスラビア大使館を爆撃し、2001年にアメリカの軍事偵察機と中国の戦闘機が南シナ海で衝突したこと等などは、アメリカが中国をけん制し続けていることを明らかにしたが、当時の中国政府は「韜光養晦」政策[才能を隠して、内に力を蓄えるという天安門事件以降に?小平が掲げた中国の外交・安保の方針]を維持し、基本的に忍耐の姿勢を貫き、徐々に足場をかためる長期展望にとどまり、直接的な対抗措置を取ることはできなかった。対外政策においても戦略的には防衛的なものが主であった。習近平の登場後、南シナ海と釣魚台(尖閣)で紛争が持ち上がり、戦術的には攻勢的な政策をとったが、防衛的な戦略姿勢を変更するまでには至っていない。習近平は南シナ海紛争において攻勢に移りつつあるが、その最も直接的な要因は防衛的なものであり、アメリカの軍事偵察を南シナ海という正面玄関から追い出して、中国沿海に接近させないことにある。

つぎに、中国の外国貿易への依存度が高まるにつれ、中国共産党の安全保障に対する危機感は深まり、南シナ海の軍事拠点をテコにして東南アジアとの航海路線を防衛する必要が高まったことが挙げられる。中国は対外貿易の90%と石油輸入の77%をマラッカ海峡と南シナ海を通過する航路に依存している。中国は、アメリカとの関係が悪化し、海上における生命線を断ち切られることを確実に恐れている。それゆえ、近年における中国の挑発行動も、やはり大戦略の変更ではなく、防衛的必要性の戦術的な調整から出発したものである。

中国共産党は国家統一の任務を完成するまでに戦略的防衛から攻勢に転換し、アジア全域でアメリカ勢力に積極的に挑戦することを追求するかどうかは疑わしいし、アメリカと世界的覇権を奪い合うことを画策しているかどうかは言うに及ばずである。「台湾回収」がいまだならず、半植民地の歴史遺産を完全に払しょくすることができないなかで、アメリカおよびそのアジアの盟友である日本に対して直接的な軍事的対抗措置をとることはできないだろう。実際、中国がその周辺地域においてより強硬な立場を採用している目的は、ほかでもなく将来における「台湾回収」のための準備なのである。同時に、香港に対しては政治的コントロールをより安定したものにしようとしている。だが中国共産党による台湾と香港に対する攻勢も、一歩進んでは砦を築き次へ進むという歩みにとどまっている。

我々は、米中関係の別の側面にも注意すべきである。それは両大国が貿易、投資、債務において高度に相互依存しているということである。それゆえ「Chinmerica」という呼称を発明し、双方の経済的に緊密な協力関係を描写する識者もいるほどだ。このような状況からも、中国共産党が米中対戦において切ることのできるカードは多くない。

もちろん、中国はグローバル経済のなかで拡張し続けており、グローバル・バリュー・チェーンにおける低位に甘んじることは望んでおらず、早晩アメリカとさらに大きな衝突が発生するだろう。中国がいまだ帝国主義ではないということは、それがアジアにおいても覇権大国のひとつではないということを意味するものではないし、弱小国を抑圧しないということを意味するものでもない。実際にそれらの事態は発生しつつある。我々は、中国共産党による広大な南シナ海の領有権主張を絶対に支持しない。現在の中国が強大になればなるほど、それを盾にして弱者を蹂躙することは許されない。一方的な軍事行動ではなく、これまで以上に東南アジア諸国との平和対等の協議を行うべきである。

釣魚島については、アメリカが1972年に日本に施政権を返還するまで、日本が有効的に管轄したことはなかった。それ以降、日本がこれらの諸島を占領したのも日米安保条約がその背景にある。このような占領は、帝国主義による中国包囲の意味合いを持ち、進歩派がそれを支持する理由はない。近年において日中両国の釣魚島紛争がヒートアップしているが、その発端は日本による一方的な国有化にある。一方、過去において世界の進歩的勢力は釣魚島に対する中国の領有権主張を支持してきたが、それは不当なことではなかった。当時の中国は反帝国家として日米同盟に対抗していたからである。しかし現在の状況は一変してしまった。中国共産党政権はすでに反動的な官僚資本主義の覇権に転換してしまった。ゆえに我々は中国共産党の釣魚島に対する行動を支持する必要もなくなった。逆に、われわれはこの諸島を国際的に中立の海洋保護区として、石油資源を永遠に海底に埋蔵するという環境保護を主張すべきである。


◆中国の覇権に立ちふさがる三つの壁

現在の中国は疑いなく上昇中のアジア覇権国家のひとつである。しかし日本を圧倒してアジア最大の覇権国家になるためには、いぜんとして非常に大きな障害に直面しているし、世界を主導する超大国になることなどは言うに及ばずである。

一つ目の障害は、遠くない将来に訪れようとしている経済危機の克服である。この危機は、かりに強力な国家介入によってその爆発性を軽減できたとしても、ただ事では済まないだろう。なぜならそれは一般的な商業周期的なものではなく、官僚資本主義の構造的危機だからである。それは極めて巨大な不均衡と矛盾を累積している。

この種の資本主義はまた巨大な政治的遠心力を生み出している。それはまさに台湾のひまわり運動と香港の雨傘運動が示したところでもある。2014年5月、これまでずっとおとなしかったマカオでも、北京[中国政府]が選んだ行政長官の腐敗に抗議する2万人のデモがあった。

同じ官僚資本主義はさらに密集した党内派閥闘争を生み出している。もう一つの障害は、中国共産党はいまだ安定した権力継承制度を確立しておらず、これは10年に一度、総書記の任期が満期になるたびに権力闘争が勃発するということである。

これらはすべて、中国共産党がさらに覇権を強化するまでに国内で直面する巨大な挑戦となるだろう。もちろん、専制支配者は国内の巨大な矛盾を、外部での衝突を惹起することで、人民の関心を空想上の外敵に向けようとする。しかし最高指導者もはっきり理解しているが、暴力装置、とくにその軍隊はとっくに恐るべき腐敗にまみれている。もし習近平がこのときに、国際関係の激化によって国内の関心を外に振り向けることを選択すれば、それは間違いなく非常に危険な策略を選択することになる。

あるいはそのような不安があるからか、習近平は反腐敗運動を展開するついでに、ライバルに打撃を与えている。だが反腐敗運動は成功しないだろう。なぜならこの運動は同じく腐敗した官僚によって主導されているからである。たとえ幾千もの腐敗官僚を牢屋に放り込んだとしても、長期的に見ればそれは全く効果がないだけでなく、党内からの反発を招き、権力闘争を激化させるだけだからである。

まとめると、中国共産党が覇権を実現するには少なくとも三つの壁を取り除く必要がある。1、中国の半植民地の歴史的遺産。2、グローバル資本主義における後発者という地位。3、激化する国内矛盾。

この三つの壁の存在が、中国が国際関係において主に守勢を取らざるを得ず、個別のケースにおいてのみ限定的な攻勢姿勢をとる理由なのである。もし習近平が自らの力を顧みることなく、アメリカと覇権を争うような火遊びをすれば、その炎によって自らが焼き殺されることになるだろう。

2016年10月4日

【香港】もうひとつの香港は可能だ--左翼は情勢判断を見誤るべからず

20160904hk

もうひとつの香港は可能だ
 

左翼は情勢判断を見誤るべからず


區龍宇

 

原文は無国界社運(Borderless movement)に掲載された

社会運動圏内に一種の意見がある。それは、今回の選挙は工党、街坊工友服務処(以下、街工)、社会民主連線(以下、社民連)の三党派が後退して総得票率も減少したので、民主主義左翼が後退したことを意味し、政治情勢の悪化を反映した、という意見である。木を見て森を見ないとはこのことである。

 


三党派の後退の原因は惰性にあり

 

三党派の後退はもちろん残念なことではある。香港で労働者運動に従事する汎民主派の党派は工党[職工会連盟]と街工だけである。労働は社会の基礎であるが、そうであるがゆえに支配階級は意識的に労働者人民を貶めようとする。だからこそ左翼は多少なりとも労働者を代表する候補者を支持しなければならないのである。両党の後退は喜ばしいことではない。社民連は労働組合の基礎はないが、2011年に(右派が)分裂して以降、その路線は比較的明確になり、中道左派となった。相対的に言えば支持に値するが、この党もまた後退した。

 

しかしこの三党派の後退は、民主主義左翼の後退を代表するものではなく、ましてや情勢が悪化したといえるものでは全くない。その良し悪しは相半ばというところだろう。

 

まず次の点をしっかりと認識しなければならない。今回の選挙は、これまでの慣例と大きく異なり、香港政治の地殻変動という状況のもとで行われたということである。地殻変動とは何を意味しているのか。それは雨傘運動を経て、中国と香港の関係に大きな変化が起こったということである。中国共産党の独裁と香港人の自治権は水と油の関係になった。民主的返還論(基本法の枠組みの下での普通選挙実施)は完全に破たんした。情勢は民主派に新しい方向性を迫っている。歴史は雨傘運動において「命運自主」という名スローガンを召喚したが、それは偶然ではない。ゆえに、改めて民主自決を発展させることは必然である。投票した有権者の五分の一がこの方向性(自決)を提起した候補者を支持したことは、変化を求める意識が小さくないことを反映している。

 


蔡教授を信じると大変なことになる

 

工党、街工、社民連の三党派の後退の理由は、まずこの大局を軽視したことにある。2012年以降、私はこの三党派の友人たちと交流するなかで、大局の変化に注意するよう何度も促してきた。香港人は焦慮を迫られているのだから、政治化とオルタナティブの模索は必然である。だが民衆が左転換するのか右転換するのかはまだ不明であり、それは左翼がどう取り組むのかにかかっている。もし左翼が新しい方向性を提起することに間に合わなければ、そして排外主義的本土主義者に対抗しなければ、左翼を含む民主派全体は取り残され、ひいては敗北するだろう。従来の路線(基本法の枠組みの下での普通選挙実施)はすでに死んでいる、民主自決の方針を提起することでのみ、香港人を政治的困惑の局面から連れ出すことが可能になる、と(原注1)。

 

しかし残念なことに、三党派の指導者は期せずして同じ類の主張をしている。つまり、排外主義本土派は恐れるに足らず、無視するのが上策である、と。彼らは、自決という要求は流行の一種に過ぎない、あるいは、これまでの主張がダメなら、別な主張を言ってみようという程度の窮余の策に過ぎないと考えている。だが彼らは、二〇世紀の世界の反植民地主義運動は、すべて民族あるいは民主的自決という結果につながっていること、国民会議を招集して憲法を制定しなおすという運動につながっているということを完全に忘れている。香港の反植民地運動や自主を求める運動だけがどうしてそのような歴史の例外となり得るというのか。

 

次のような意見もある。自決も結構だが、それはスローガンだけのものだ、と。否!このスローガンは、数百年における世界の民主革命の歴史を継承しているのだ!民主主義革命の常識を知らないものだけが、自決という主張に対して、そのような平板な考えをもつことができるのだ。もちろん、それも歴史的脈絡があってのことだ。つまり香港人には反植民地闘争の歴史がなく、また海外の運動を学ぶこともなかったことから、政治認識が不足しており、情勢の変化においてなすすべがなかったのである(原注2)

 

もちろん歴史は参考になるだけで、人間は歴史を作ることができる。もし民主自決がオルタナティブでないというのであれば、別の新しい方策を発明することもできる。しかし工党と街工は何ら新しい政治的見解を示さなかった。情勢の変化を無視するこのような状態は一般的に「惰性」と呼ばれるし、流行りの言葉でいえば「経路依存性」と言われる。明らかに大局が変化しているにもかかわらず、従来のしきたりを重んじ、すべてそれに従う。

 

蔡子強[香港大学政治行政学の上級講師で政治コメンテーター]は汎民主派政党に対して、若者票に力を割かなくてもいい、新しい主張を提起しなくてもいい、これまで通りの活動をしていればいいとアドバイスしてきた。民主党はこの「ご高見」を受け入れ、選挙結果もまずますであった。なぜなら保守の中産階級に支持基盤があったからだ。しかし工党と街工は労働者市民に依拠しており、断じてそのような保守中産階級に迎合する「ご高見」を受けいれてはならない!だが彼らはそれを受け入れて大きな代償を支払うことになった。社民連はそれよりもマシであった。選挙が始まるまでに主張を転換し、自決に似たような主張を提起した。しかし転換が遅かったことから守勢とならざるをえなかった(三党の後退は、もちろん汎民主派の多くの政党が選挙区で競合したことにもある。私自身も新界西選挙区では当日までどの候補に投票しようか迷ったほどである)。

 


ニューフェイス当選の背後にある意義

 

幸いにも今回の選挙では民主自決派(朱凱迪、小麗、衆志)が立候補し、多少なりとも排外主義本土派以外の選択肢を有権者に提起することができた。この三人が当選する一方、排外主義本土派のイデオローグであった三人のゴロツキ政治屋が落選したことは、「もうひとつの香港は可能だ!」「命運自主の香港、排外主義のない香港は可能だ!」という素朴な願望を持つ相当数の有権者を体現している。

 

排外主義ではないということは、民主的多元主義を受け入れ、中国大陸からの新移民を歓迎することとイコールではない。しかし少なくとも新移民反対を掲げる排外主義本土派とは大いに異なる。自決に賛成するということも、多くの事柄を熟慮する知識をもっていることとイコールではない。しかし工党と街工が奉じ続けている「選挙制度改革の手順のやり直し」に比べればずっとましである。総じて、三人の民主自決派の当選は、政治的綱引きにおいて、民主派の陣地の一部を奪い返し、排外主義的本土派の大勝を阻止した[排外主義本土派からも新人三人が当選した]。逆に、もし三人の民主自決派が当選していなければ、オルタナティブを模索しようとしていた多くの有権者、特に青年世代が、排外主義本土派に回収されてしまっていただろう。それこそ情勢の急激な悪化となったであろう。

 

なかには、世代交代という事情もあり、有権者は新人を好んだのであって、自決の主張など関係ない、という見方もある。このような考え方にはもちろん一定の根拠はあるが、もしそれが全てであるかのように言うのであれば、工党、街工、社民連はそれぞれ新人も候補者として立候補させていたにもかかわらず当選できなかったのはなぜなのか。[民主自決派と排外主義本土派という新興勢力に投じた]22%の有権者のおそらく一定の割合が、多少なりとも自らの政治的判断で投票したことは想像に難くない。雨傘運動を経て、政治情勢は確実に変化しており、民主派を支持する民衆は確実にオルタナティブを欲しており、確実にさらなる政治化と急進化を遂げている。世代交代という理由をあげて変化を求める有権者の願望を否定することができるのか。そもそも世代交代と変化を求めることは対立するのだろうか。

 

また別の意見として、当選した三人の民主自決派はどれも中途半端なものだ、という意見がある。たとえば何某の綱領は排外主義本土派に甘いとか、何某のこの立場は左翼ではないので彼らの当選は特に喜ばしいことでもない、等々である。そして「情勢は悲観的にならざるを得ない」と結論付ける。だがこのような意見は、三人の新人のこれまでの主張や実戦が、排外主義本土派とは全く区別されるものであることを見ていない。より重要なことは、その背景としてさらに多くの民衆がふたたび模索を始めているということだ。惟工新聞[ウェブメディア]が香港のベテラン左翼活動家である阿英に行ったインタビューのなかで、彼はこう述べている「少なくともこの選挙は、香港人に思考することを、ひいてはその政治理念を実践することさえも迫りました。」(原注3)左翼はこの決定的な時期において、消極的な批判に終わるのか、あるいは積極的に参加して大衆を勝ち取るのかが問われている。

 

発展途上という観点が必要

 

当選した三人の新人の不足については、私は「変化を求める 2016年立法会選挙の結果についての初見」のなかでも指摘した。「政治分岐は始まったばかりであるということだ。今後それがどのように発展するのかという変数は極めて大きいし、直線的に発展するかどうかはもっとわからない。とりわけ民主自決派の多くは、スタートしたばかりであり、政治主張および経験は極めて不足している。極右本土派の攻撃の中で、基盤を確立し、流れに抗して、新しい民主勢力を鍛え上げることができるかどうかは、いまだ未知数である。だが真の民主派は、手をこまねいて傍観しているだけであってはならない。闘争に身を投じ、民主勢力の世代交代を促さなければならない。

 

民主主義左翼として、われわれは次の三つの立脚点を持たなければならない。

 

ひとつは、発展途上という観点である。工党、街工、社民連、あるいは朱凱迪、小麗、衆志に対してもすべて今後の発展を期待するというスタンスである。一歩前進すれば、とりもなおさず一つの功徳として、われわれはその発展に尽くす価値がある、ということである。逆に後退すれば批判すべきであるが、それは後ろ向きの批判であってはならない。

 

第二に、民主的教育という観点である。生まれ持ってすべてを理解している人などいない。誰もが学習を通じて会得するのだ。

 

第三は、団結可能な一切の勢力は団結すべし、という観点である。

 

労働者民主派にしろ、中道左派にしろ、あるいは青年世代の民主自決派にしろ、セクト主義を克服し、思考を一新し、路線を転換し、大局を把握し、強大な連合に向けて徐々に進むことで、独裁と排外主義本土派に対抗すべきである。それができなければ、地獄への道へとまっしぐらである。

 

左翼の観点についていえば、さらに多方面にわたり、ここで書き尽くせるものではない。たとえば左翼は代議制選挙についてどう考えるのかについて、阿英のコメントを再度紹介したい。「もし純粋に議席獲得のためだけに選挙にかかわると、その団体は逆に選挙に縛られてしまい、全く逆の結果になってしまうだろう」。このコメントは三人の青年自決派にも同じように当てはまる。今回の選挙がさならる思考を促すことを期待したい。

 

2016926

 

(原注1)私は2012年初めから常に警鐘を鳴らしてきた。当時の論文を参照してほしい。「香港のあり方をめぐる右翼と左翼『香港ポリス論』批判」左翼21[『香港雨傘運動』柘植書房、2015年に収録]

 

(原注2)「雨傘運動の意義と展望」参照[『香港雨傘運動』柘植書房、2015年に収録]

 

(原注3)「労働NGO14年 『雇用関係がつづくということは、労働者がつねに犠牲にさらされるということでもある』」

【香港】分裂ばかりで連合できなければ将来は死あるのみ

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分裂ばかりで連合できなければ将来は死あるのみ
 

區龍宇

 
[本論考は香港紙「明報」2016年9月11日の日曜版付録に掲載された

終わったばかりの選挙をめぐって最も多用された用語は「味噌もくそも一緒に道連れ」であろう。民主派が重複して立候補し「分散化」したことをめぐって、それぞれが攻撃し合あう事態になった。たしかに、そのような泥試合がなければ、民主派の成績はさらに理想的なものとなっただろう。

 


道同じといえども、相為(あいとも)に謀(はか)らず

 

冷静な分析をすれば、たしかに民主派のなかでの分岐は存在していた。たとえば民主自決という主張[選挙制度改革は香港人が決める]と、選挙制度改革手続きのやり直しという主張[選挙制度改革は基本法に定められた手順に従って行う、つまり最終的な権限は中央政府にある]にはたしかに違いがある。真の分岐が存在するのであれば、それぞれ立候補することには、少なくとも一定の理由があるだろう。従来どおりの香港民主化の道筋はすでに断たれているが、新しい道筋はいまだ未定である、という厳しい状況で混乱が生じるのは必然ともいえる。

 

問題は、多くの候補者や政党の綱領に実質的な違いがないにもかかわらず、事前に合同することもできず、逆にそれぞれの主張に終始して同じ選挙区から立候補したということにある。中道右派の民主党、民主民生共進会、公民党がまさにそうである。中道左派の四つのグループも多かれ少なかれそうである。

 

汎民主派[既成の民主派政党]は分散化の原因を比例代表制のせいにしている。しかしそれは根本的な原因ではない。なぜなら分散化は政党だけに限った問題ではないからだ。社会運動を見てみよ。もっと分散化している。20年ほど前、香港では住宅局と水道局の公務員労働組合が民営化に抵抗した。しかし一つの部門に20以上もの組合が乱立していて、どうして闘争に勝利などできるだろうか!今日、政党も社会運動も同じ状況にある。これで専制[中国政府]に抵抗するなどできるだろうか。

 

 

選挙運動が民主化運動を押しのける

 

私は雨傘運動についての一連の総括文章のなかで、なぜ香港人が一般的に政治能力が不足しているのかという分析を試みたことがある。「まず香港人は長年の植民地支配にもかかわらず、それに対する抵抗を欠いてきたことがあげられる。戦後において土着の大衆に根ざした反植民地闘争は存在しなかった。イギリス植民地主義者に反抗することがなかった香港人が、中国への返還の過渡期において民主的政治能力を鍛え上げ、イギリスと中国の支配者から最大限の民主主義を勝ち取ることができなかったのは自然なことである。それゆえ、返還後、中国共産党に自治を奪われていくことも運命づけられていたとも言える。」[『香港雨傘運動』72頁]

 

汎民主派政党からはこんな反論がでるかもしれない。「われわれの二つの普通選挙運動[行政長官選挙と議会選挙]こそ、専制に反対しているのであり、植民地主義と闘っているではないか」。

 

そうではない。二つの普通選挙運動は、真の民主化運動には程遠いものである。民主化を実現するには政治の最高権力機構を徹底して民主化する必要がある。だが二つの普選運動の対象である行政長官と立法会のいずれも最高権力機構ではないのだ。最高権力は中国の中央政府が握っているのだから。だが汎民主派は真の民主化を目指してはいない。だからそれは反植民地闘争と言えるものではないのである。

 

幸運なことに香港人は反植民地闘争を経ずに選挙権を獲得した。しかし汎民主派政党は、この利点を利用して真の民主化運動を発展させるのではなく、議席の獲得だけに専念したのである。その結果、議席だけに執着し、議席のためなら原則を犠牲にして野合または分裂する一群の政治屋を各世代につくりだすことになった。選挙のたびごとに民主化から遠ざかっていった。希望は徐々に禍根に変わっていった。民主化運動の内容は恐ろしく貧相になった。民主と自由、人権と法治を口々に叫ぶが、それは無内容となり、主権在民すら俎上に上らなくなった。政治屋はごろごろいたが、民主化の闘士は姿を消した。これでは中国政府に抗うことなどできようもなく、必然的に終始ばらばらのままとなったのである。

 

 

集団的自己萎縮化

 

しかし彼らの妥協主義は、香港の主人となる準備が全くなかった当時の香港人の意識を反映したものでもあった。これはある一つのエピソードからもはっきりと見て取れる。1991年に行われた最初の立法会の直接選挙において、香港民主同盟[のちの民主党]が6・4天安門事件による追い風を受けて議席を席巻して得意満面となっていた[定数60のうち、18議席が直接選挙枠に充てられ、港同盟の12議席を含む民主派が17議席を獲得した]。そして李柱銘[弁護士出身の港同盟のリーダー]を筆頭に、香港総督府に対して行政局への参加を要求した。それに対して「権力を奪おうとしている」として世論から大々的に批判されたのである。

 

李は不満げに自己弁護した。「選挙に勝利したのだから、民主主義の慣例に従えば、政権に参加するのが当然ではないか!」。しかし当時の有権者はある番組の視聴者の声[phone-in]でこう批判した。「あんたに投票したのは、われわれの声を政府に聞いてもらいたかったからであり、あんたに権力をとらせるためではない!」。これが当時の有権者の意識であった。今日から振り返れば、笑うに笑えないエピソードである。

 

新しい世代が、上の世代と自分自身が抱える植民地の歴史を真剣に総括することなしに、香港人の解放闘争を指導しようと考えるのであれば、無邪気にもほどがあるだろう。実際に、新しい世代の多くが、自決や独立など、新しいネーミングをよどみなく暗唱してはいるが、いずれも内容的に乏しいのである。

 

 

「独立後、一切は現状維持」?

 

ある独立派のフェイスブックにこんな質問が書き込まれた。「独立派はどのような青写真を示せば、最も支持を得ることができるだろうか。 公共住宅の増設だろうか、福祉政策の充実だろうか。」答えはそのいずれでもなかった。「香港は独立した翌日にこう宣言するのだ。市民の生活方式は現状維持、一切は不変である、と。」 馬脚をあらわにした。つまり、偉大な大香港国は、その国名を除いて、現在の香港とまったく変るところがないというのだ。大資本による独占、貧富の格差、高齢者はくず紙拾いで糊口をしのぐ!このような香港国を、搾取にあえぐ庶民や高額な学費ローンに苦しむ青年たちが支持する理由があるだろうか?

 

汎民主派の学者は香港独立派と社会民主連線を、急進派という同じカテゴリーに区分する。しかし社民連の「急進」は、中道左派の急進主義である。前述の独立派は「急進的保守主義」であり、その従兄にあたるのが他でもないアメリカのトランプなのであり、同じ急進派でも全く違うのである。

 

 

香港版「ハンガーゲーム」

 

右翼独立派は、自分たちは新しく、そして急進的だと考えているようだが、実際にはそのイデオロギーは古い上にも古く、保守の上にも保守であり、汎民主派の保守主義がどんどんと右へとシフトしてきたことの結果にすぎない。彼らは古い汎民主派と同じく、植民地主義の遺産を継承している。党派間では互いに泥試合を展開しているが、しかしその社会経済政策においては、高度に同質化しているのである。

 

香港の植民地主義の制度的特質は、政治における権威主義(行政主導と呼ばれる)、経済における大資本のなすがままの独占(自由放任と呼ばれる)である。たしかに香港は特殊である。イギリス植民地から中国の植民地となったこの170年、政治と経済の制度には変化がなかったのだから! それは「超安定構造」などとも呼ばれているのだ! この170年の間、世界経済システムには大きな変化が訪れた。自由貿易は一変して関税戦争へ、そして世界大戦へと至った。その後は、国家が関与するケインズ主義、福祉国家へと移り変わった。そして1980年代初頭からはさらに新自由主義へと転換した。だが香港の政治経済制度には何ら変化も起こったことはなかったのである。

 

これまで変化が起こらなかったのは、このような制度が植民地宗主国にとっては最も理想的だったからである。

 

1、イギリスはアヘンの自由貿易で大いに潤った。中国政府は香港への自由投資で、中国資本が香港株式市場の時価総額の六割を占めるまでになった。香港でカネ儲けの兆しがあれば、大挙して投資をたたみかけ、すこしでも変化の風を感じれば、いつでも自由に投資を引き揚げる。このような自由放任で誰が一番得をするのか、はっきりしている。

 

2、宗主国は表面的には自由貿易をうたうが、実際には行政権を盾にして、土地の囲い込みと独占をおこない、自分の利益を確保しようとしてきた。政府調達では、高値にもかかわらず、必ず「宗主国」のモノが購入された。香港返還の前はイギリス製、そして今では中国製にとってかわったにすぎない。

 

右翼の香港独立派は、植民地主義の政治経済制度すべてを、永遠にそのままにするというのである! 汎民主派政党の主張もそれと大して変わりはない。しかし、まさにその自由放任が、香港人の民主共同体の誕生を阻害しているのであり、命運自主[雨傘運動で叫ばれたスローガンで「運命は自分で決める」という意味がある]を困難にしてもいるのである。「自由放任」のもとで、中下層の民衆は支配者によって引き起こされる底辺に向けた競争に駆り立てられる。まさに映画「ハンガーゲーム」のようである。民衆が互いに「スタートラインにつく前から勝負をつける」、「生まれる前から勝負をつける」というような状況では、民主共同体など存在しようもない。

 

 

植民地主義の害毒を総括し、

香港人の民主共同体を建設しよう

 

幸いにも若い世代は、その親の世代とは大いに異なっている。皇后埠頭の保存運動から雨傘運動にいたるすべてにおいて、文化と個性の発展を大いに重視する姿勢を明確にしており、非難の泥仕合に巻き込まれることを忌諱している。だが青年の素朴な理想は、新しい民主主義の理論で武装される必要があるし、それ以上に植民地主義的遺産の総括を必要とする。そうしてはじめて、新しい綱領の上に分散化を克服し、すべての民主的勢力の連合によって、専制に対する一致団結した抵抗が可能になる。

 

2016910

 

【香港】変化を求める――2016年の立法会選挙についての初見


変化を求める――2016年の立法会選挙についての初見


區龍宇

 

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【解説】9月4日に行われた第六回立法会選挙(定数70)は、建制派(政府与党)が40議席、非建制派が30議席を獲得した。直接選挙区での得票率が40%余りの建制派が議席の多数を獲得できるのは、定数35の職能選挙区が存在するからである。
 2014年8月末、中国全人代は職能性選挙区を含む選挙制度を従来通り実施することを決定。それに反発したのが同年秋からの雨傘運動であった。雨傘運動は英植民地時代からつづく支配層に有利な職能制選挙区を廃止し、全議席を普通選挙で選出することを訴えたが実現しなかった(もう一つの要求は行政長官の直接選挙)。当初、非建制派は、雨傘運動以降の混迷から苦戦が予想された。
 しかし中国政府に批判的な書籍を発行・販売する香港の書店主ら5人が中国国内で失踪し、今年6月におよそ8カ月ぶりにそのうちの一人が香港に戻って記者会見を開き、共産党中央の特別捜査チームに秘密裏に拘束・監禁され、国内顧客のリスト提供など捜査に協力することを条件に、一時的に香港帰還を許されたことを明らかにしたことで、中国政府およびその意向を組む建制派への批判が高まり、非建制派が重要議案の否決に必要な三分の一の議席を確保した。
 この非建制派には従来の民主派だけでなく、2014年秋の雨傘運動以降、若年層をふくめた広がりを見せた本土派なども含まれる。
 本土派とは「香港こそが本土だ」というナショナリストで、中国からの移民を排斥する排外主義や反共主義などが特徴で、香港独立を主張するグループもいる。この本土派の候補者6名が、香港独立の主張などを理由に立候補資格を取り消されるなど、これまでにない当局の警戒ぶりが報じられた。本土派の著名候補者などは落選したが新人3名が当選した。
 一方、それら排外的本土派とはことなる「民主自決派」として、
劉小麗(雨傘運動のときから街頭で小麗民主教室を開いてきた香港専上学院講師)、朱凱迪(高速鉄道建設による立ち退きに反対した菜園村運動のアクティビスト)、羅冠聡(雨傘運動をけん引した大学生連合会の中心的メンバーの一人。同じく雨傘運動をけん引した学民思潮の黄之鋒や周庭らと結成した政治団体「香港衆志」から立候補した)の三人が、既成の民主派政党(汎民主派)が突破することのできなかった基本法の枠組みを乗り越える香港の将来を主張し、初当選を果たした。中国政府が香港に介入する余地を保障した香港基本法の枠組みでの改革に拘泥した汎民主派の多くは得票数を減らした。
 この區龍宇氏の論考は投票日翌日に書かれ、ウェブメディア「立場新聞STAND NEWS」に掲載された。[ ]は訳注。(H)

 



2016年立法会選挙の結果は、変化を求める声を示している。それは、さらなる政治化、二極化、世代交代という三つの状況から見てとれる。三つの傾向は、逆に選挙結果を説明するものでもあり、今後の発展にも影響するものである。


 

さらなる政治化、さらなる嫌中

 

長年にわたって香港人は「政治に冷めている」と言われ、香港返還[1997年7月1日]までの投票率はずっと低いままであった。1995年の立法会選挙[返還前における最後の選挙]では直接投票の選挙区での投票率は35.79にとどまっていたが、返還後は急上昇した。しかし返還後の選挙の投票率は興味深い数字を示している。第一回、第三回、第五回の選挙の投票率は相対的に高く、第二回、第四回の投票率は低く、まるでバネの反動のようである。

 

1998年 投票率53.29% 投票人数1,489,707

2000年 投票率43.57% 投票人数1,331,080

2004年 投票率55.64% 投票人数1,784,406

2008年 投票率45.20% 投票人数1,524,249

2012年 投票率53.05% 投票人数1,838,722

2016年 投票率58.28% 投票人数2,202,283

 

1998年の投票率が高いのは、返還直後だからである。2004年は23条立法化問題があった[基本法23条の治安維持条項の立法化問題が社会不安を高めた]。2012年は愛国教育反対運動の高まりが影響した。逆にいえば、もし中国政府と香港政府が香港人の逆鱗に触れるようなことをしなければ、第二回、第四回の選挙と同じように投票率は4割台に落ち込んでいただろう。しかし愛国教育反対運動の後、中国政府は、香港人を懲らしめるという政策に変更したため、香港人の危機感は高まった。

それゆえ今回の選挙では、従来見られたような反動が見られず、逆に投票率はさらに高まる結果となった。情勢が人々をそのように追いやったのであり、香港人はいやおうなく政治化し、今回の選挙の投票率は史上最高を記録した。直接選挙区において建制派の得票率が40.6%にとどまったことは、2012年の42.7%をさらに下回る結果となった。これは、民衆が中国政府によるさらなる強硬策に対して首を垂れるのではなく、逆に民衆の抵抗と変化を求める心理を刺激したことを物語っている。


 

変化を求める心理が新しい勢力を誕生させた

 

この種の政治化は同時に二極化でもある。ひとつの極は建制派[政府与党]である。そしてもう一方の極は急浮上した自決派および本物と偽物の香港独立派であり、この勢力は22.2%の得票率を獲得した。この新興勢力のせいで、選挙制度改革のやり直しを主張してきた汎民主派[既成の民主派政党]は、まともにこの影響を受けることになった。これまでは汎民主派が一方の極であったが、現在は中道に押しやられた。図を参照してほしい。

 

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だが、この新しい勢力をどのように位置づけるのかをハッキリとさせておく必要があるだろう。ある汎民主派の学者は、これらを「本土自決派」とひとまとめにくくっている。つまり劉小麗、朱凱迪、香港衆志と、実際には全く異なる質の熱血公民および青年新政を同じ一つの鍋に入れてしまっている。そしてそれとは別に人民力量・社会民主連線連合を「急進民主派」として位置付けているのである。このような分類は極めて奇妙というほかない。

 

これはたんなる名称だけの問題ではなく、重大な分析的価値を持つ議論である。中国と香港という立場を基準に区別することは、二極化の一つのレベルにすぎない。しかしさらに第二のレベルの二極化があることを無視することはできない。つまり社会的、経済的立場における二極化である。つまり国際的に言われるところの左右の二極化である。この区別に従えば、建制派は右翼あるいは極右に位置する。汎民主派はといえば、それぞれ中道左派から中道右派のあいだに位置づけられるだろう。そして今回の選挙の注目点としては、はじめて右派・極右の排外的本土派の政治団体が選挙に立候補し当選を果たしたことである。

 

 

移民排斥の感情

 

熱血公民および青年新政は、その排外主義、反移民、反労働人権の主張から、一般的な政治常識からいえば、右翼ひいては極右(もしも移民に対して暴力を用いたり、「わが民族ではない」など主張すれば)であり、右翼本土派あるいは排外主義本土派と呼ばなければならない。「選民起義」[今回の選挙に向けて結成された選挙・政党情報を発信する団体で區氏も参加している]ではこれらの政治団体の労働、環境、地域、女性などの政策を比較した。その結果、これら右翼本土派は表面的には中国政府と対抗する主張をしているが、社会経済問題においては、建制派とおなじく、ときにはそれ以上に保守であった。そもそも極右とは、一種の急進的保守主義でもある。つまり急進的かどうかだけを判断基準として、その社会経済的政策におけるウルトラ保守の立場を無視する、社民連と熱血公民の違いさえもわからず、敵同士を同じ分類にしてしまうという判断に陥ってしまったのである。

 

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   が議会の新興勢力


この図の分類については、細かい個所については異なる評価があるだろう。しかし大まかに言って、新興勢力はひとつではなく二つ、左の一つと右の一つであることは疑いをもたない。前出の汎民主派の学者は「専制VS民主」「政府VS民間」という香港ではおなじみの二分法に拘泥しており、情勢を正しくとらえきれていない。左右の立場を組み込んだ分析によって、自決派の香港独立右翼あるいは極右の登場が、現代香港政治情勢の急激な変化を代表することを理解することができるのである。この新右翼の登場のすべての背後に中国共産党の影をみることができることは否定しがたい事実である。

しかるに、もしそれによって、香港人の中に確実に反共主義と反移民思想という一種の右翼的主張が存在することを理解しなければ、それはさらに危険なことである。危険という意味は、[右翼的主張の]攻撃対象は中国からの移民にむけられたものであり、民主主義にとっての真の人民の敵である中国共産党を見逃してしまっているからである。しかも客観的には、[右翼/極右の主張が]この人民の敵に香港の自治権を粉砕するための最高の口実を与えてしまっている。

 

今回の選挙では、移民排斥を主張せず、多少なりとも中道左派といえる三つの若い民主自決派が登場した。また社民連・人民力量連合はなんとか間に合って装いを改めることができた[社民連には反共右翼排外主義者がいたが分裂した]。この四つの勢力の社会経済政策は主流の汎民主派[公民党、民主党]とそれほどの違いはない。しかし、中国と香港の関係について新たな展望を提起しているがゆえに、新たなオルタナティブを模索しながら、移民排斥にも反対する旧来の民主派支持の有権者からの票を集めたことで、客観的には右翼候補者やそれを支持する有権者によるさらなる世論のさらなる右傾化を押しとどめることができた。

 

排外的本土派はあわせても7%の得票率(15万2180票)であったが、民主自決派は15.2%(32万9141票)を獲得した(どちらも落選候補の票を含む)。朱凱迪は8万票以上の高得票で当選し、香港の民主化運動がまだまだ健在であることを改めて示した。

 

両極の新興勢力が22.2%の得票率を獲得したことは、当然にも主流の汎民主派を圧迫した。しかしなぜ中道右派の民主党が比較的影響を受けず、逆に中道左派の労働者民主派(とくに工党)が比較的影響を受けたのだろうか[工党=労働党は、労働運動出身のベテラン議員、李卓人らが2011年に結党。今回の選挙では新人一人を含む4人が立候補したが李氏をはじめ3人が落選し、議席を1に減らした]。

考えられるひとつの理由は、安定を求める上層の中産階級の有権者は、これまでもずっと民主党の票田であったが、工党、街坊工友服務処[80年代から労働者街で地域運動や労働運動などを行い、90年代からは立法議員選挙にも参加。今回の選挙ではベテラン議員の梁耀忠は議席を守ったが、区議から転戦した新人は落選した]は、おもに中下層の中道派、あるいは中道左派を支持する有権者が支持基盤である。しかし今回、これらの有権者のなかにも変革を求める心理が起こったことで、労働者民主派の保守的な政治主張[選挙制度改革のやり直し]には関心を持たなくなり、加えて若い有権者を引き付けることができなかったことから、支持率が下がったのは自然の成り行きであった。

 

しかし指摘しておかなければならないことは、前述の政治分岐は始まったばかりであるということだ。今後それがどのように発展するのかという変数は極めて大きいし、直線的に発展するかどうかはもっとわからない。とりわけ民主自決派の多くは、スタートしたばかりであり、政治主張および経験は極めて不足している。極右本土派の攻撃の中で、基盤を確立し、流れに抗して、新しい民主勢力を鍛え上げることができるかどうかは、いまだ未知数である。だが真の民主派は、手をこまねいて傍観しているだけであってはならない。闘争に身を投じ、民主勢力の世代交代を促さなければならない。

 

 

世代交代を拒むことはできない

 

左右の政治化というほかに、第三の要素がある。それは世代交代という作用である。多くの有権者、とくに青年の有権者らが、既成の顔触れに嫌気をさしていたことは想像に難くない。道理で、ベテランの民主派候補者の結果が芳しくなかったわけである(芳しくないのは、当選しなかったことではなく、その主張があまりにひどかったことである)。他方、雨傘運動を押し出した新しい世代は、たとえ雨傘運動後の困惑があったとしても、かれらは戦後の香港において初めて真に大衆的で抵抗の意思を持った大運動の誕生を促したのであり、それは嫌気がさしていた有権者に新しい希望をもたらしたのである。

 

もちろん、さらに第四の要素がある。それは中国共産党が巨大なリソース資源を持ち出して、舞台の下でさまざまな卑怯な手段で介入者がその代理人を育成し、火に油を注いで扇動するなどの陰謀を企てたことであるが、それについては後日あらためて述べる。

 

2016年9月5日

【香港】日曜には二つの民主派に投票しよう そして投票後は闘いを継続しよう

日曜には二つの民主派に投票しよう
そして投票後は闘いを継続しよう

區龍宇


原文

まず問わなければならないのは次のことである。民主派にとって、今回の選挙における最大の目標は何か。議席の三分の一を確保して拒否権を維持することだろうか。この目標は、すでに汎民主派自身によって破棄されている。汎民主派の政党間では同じような立場であるにもかかわらず、いくつにも分裂して互いに票を奪い合っているからだ。よりひどいことに、この5-6年のあいだに、政治情勢は悪化しているにもかかわらず、全くなすすべがなく、勢力再編のチャンスをみすみす極右排外主義に奪われていることだ。雨傘運動ののちも、依然として「選挙改革のやり直し」という主張にとどまり続けることで、有権者の極右排外主義政党への支持を逆側から後押ししている。候補者乱立のなかでは票割などできるはずもない。三分の一の議席を確保できるかどうかは誰にもわからない。それは依然として目標とすべきだが、すでに現実的な目標ではなくなっている。


◎ 民主自決派に票を投じよう

まして、香港の自治を守る防衛戦の戦場は、すでに議会だけに限定されてはない。中国共産党はこれまでの過渡期のあいだに、「暗(ひそ)かに陳倉に渡り」[三六計の第八計で、囮で敵を正面に引き付けておき背後から急襲する計略]、背後で闇勢力を組織してきたが、それがいま「収穫期」を迎えているのである。汎民主派が拒否権を確保して基本法二三条の立法化[治安維持法]を阻止できたとしても、中国政府が闇の勢力をつかって香港自治を亡きものにすることを阻止することは出来ないだろう。政治的に極右排外主義を圧倒することもできないだろう。周永勤の選挙からの撤退[政府与党の自由党の候補者だが、同じ選挙区から立候補している中国派の有力候補と競合することなどから、立候補を取り下げるように脅迫を受けた。テレビ討論会で立候補取り下げを突如表明した]および極右排外主義への支持の高まりはそれらの格好の証拠である。

強敵に対峙する民主派の支持者は、新しい力に票を投じることで、主流の汎民主派に比べて相対的に事態の急変にも対応しようとする新しい勢力を社会的に押し上げることが必要である。雨傘運動後から今回の選挙までの期間に、汎民主派の抱える問題が暴露されたことで、民主自決派の登場が促進された。facebook「選民起義」が昨日発表した政党採点(※)は、各政党のマニフェストおよび実践についての評価を行っている。読者はそこから、四つの政党・候補者の主張が極めて似通っていることを理解できるだろう。人民力量・社民連連合、朱凱迪、小麗民主教室、そして香港衆志の四つが、程度の濃淡はあれ、すべて民主自決を主張している。

この四つの候補者のマニフェストを詳細に検討すると、それぞれの政治主張には弱点がないわけではない。だが少なくともこれらの候補者は大局の変化には比較的敏感であり、民主化運動にも新しい思考が必要であることを理解している。また労働、環境、文化、コミュニティなどの主張において、労働者民衆の利益に寄り添っており、支持することができる。人民力量・社民連連合以外の三つの候補者には経験不足という批判もある。しかしそれは今後の学習と発展の中で克服可能である。議会内にこのような新しい勢力が登場することで、事態の推移に鈍くなった主流の汎民主派を刺激することもできるだろう。

人民力量・社民連連合については若干のコメントつけておくことが有益である。人民力量の陳偉業[民主党を離党して2006年に社民連結成に参加。2011年に離党して人民力量を結成]は、連合結成の際に、人民力量は中道左派であり、社民連の立場とほとんど同じであると表明した。2008年に(当時のメンバーの)蕭若元は「真の民主主義右派を建設しよう」という文章を公開し、労働組合を批判していた。労働組合が「自由な交渉を破壊する」からだという。そのころこの勢力は中道右派であった。さらに遡れば、社民連結党の3人の立役者[陳偉業、梁国雄、黄毓民]は、主張もバラバラで政治的分類が困難であった。だが数年が経過して、社民連は三つに分裂して、その一つである人民力量は、極右からの批判にさらされる一方で、自身も分裂を重ね、陳偉業はフェードアウトして勢いがそがれた。こういう事情から立場の変更を迫られたのではないだろうか。

人民力量・社民連連合は社民連の勢力が強いので、人民力量が再度右転換することをけん制することができるかもしれない。もちろん将来その立場を変化させないとは言えないが、それら一切は相対的なものである。いずれにしても、なすすべもなく事態のなすがままの主流の汎民主派に比べると、人民力量・社民連連合は、少なくとも、その気概を有権者に示すことができている。

かりに人民力量・社民連連合が、選挙において競合するのではなく、もっと前から他の三つの民主自決派と協力関係を構築していれば、影響力はさらに拡大したであろう。これについては選挙後に期待するしかない。

以上が、まずは一票を投じることができる勢力である。


◎ 労働者に根ざした汎民主派

次に一票を投じることができるのは、労働者を組織している汎民主派政党(organised labor pan-democrats)だろう。

民主派の分散化は、香港人が一般的にもっている弱点の反映に過ぎない。社会に蔓延する強固な個人競争主義が組織化を困難にさせている。偉大な運動であった雨傘運動の傘でさえも、重大な弱点を覆い隠すことはできなかった。つまり高度の非組織化である。それゆえ運動内部の右翼挑発分子から指導部が攻撃を受けてもそれに対処することができなかった。民主化運動は、労働者民衆の参加なくしては成功しない。そして組織がなくてはもっと成功しない。工党(HKCTUが支持母体)と街坊工友服務処(略称「街工」)は、指導者の政治水準は合格とは言えず、その思考方法は20年前そのままというのが深刻な問題である。

しかし民主派はその組織と指導者とを分けて考えることを理解しなければならない。この二つの労働者組織のメンバーと幹部は、長年にわたって労働組合の組織化に従事してきたのであり、最も報われない活動のための力を注いできたのであり、しかし長期的な展望にたてば極めて重要な活動でもある。このことは知られるべきである。Facebook「選民起義」でもこの点を評価に加えている。民主自決派の政治評価は労働者民主派よりも高くなっている。しかし労働者民主派の労働に関するマニフェストと実践のポイントは、民主自決派よりも高い得点を獲得している。

現在でも「必要な時にはストライキ、罷市、同盟休校が必要だ」と主張し、ストライキの威力を理解している汎民主派もいるが、平時において労働組合の組織化に力を注ぐことなく、危機の時にだけ労働組合に対してストライキを呼びかけるだけでは、労働者大衆をまるで命令すれば動くかのような奴隷と同じように考えていることにはならないだろうか。しかも蕭若元のような政治家は労働組合を敵視さえしているのだ。

だから投票するのであれば、はなから労働者を見下しているような上流プチブル階層の汎民主派ではなく、労働者の組織化に力を注いでいる労働者に根ざした汎民主派に投票すべきである。

これが次に投票すべき候補者である。

この二つの勢力[民主自決派と労働者民主派]にはそれぞれ長所がある。民主自決派は政治的水準では賞賛すべきものがあるが、労働組合の基盤がない。労働者民主派は労働組合の基盤はあるが(強弱の違いはあるが)、政治的水準はそれほどでもない。もしこの両者が相互に学び合うことができれば、かなりの水準でお互いを補う会うこともできるだろう。しかしそのためには、主流の気風である個人競争主義を克服する必要があるだろう。

Facebook「選民起義」の評価のなかで、もう一点注目するとすれば、高得点のトップ3(人民力量・社民連連合、街工、工党)も満点の過半数にしか達しなかったことである。比較的支持に値するような候補者でさえも獲得点数はそう高くはない。古い民主化運動は死んだが、新しい民主化運動はいまだ生まれていない。しかも強敵の進行は増すばかりである。民主派を支持する有権者は闘いつつ進むしかない。新しい政治勢力へ投票を終えた後は、さらに大きな闘争の準備を進めるべきである。闘争を通じてのみ、健全な力をもつ勢力が生み出されるのである。

2016年9月1日

【香港】9月の選挙では三つの勢力に投票するな

9月の選挙では三つの勢力に投票するな

區龍宇


原文

9月の選挙は候補者乱立の混戦模様である。民主派を支援する有権者は誰もが戸惑っている。だが少し分析すれば、すくなくともどの候補者への投票を除外すればいいのかがわかり、選択肢の幅は大きく狭めることができる。

1、建制派(親中派)には投票するな。

これに説明は不要だろう。


次に、汎民主派の研究者の中には、今回の選挙では戦術的な投票をすべきだと主張しながら、政党については、たんに建制派といわゆる非建制派の二つにしか区別していないという問題がある。もし仮にそのようなあいまいな区分しかしないのであれば、民主派を支持する有権者は王維基への投票を検討すべきだということになるではないか。この候補者は、労働者の権利に敵対し、真の民主主義に反対する大金持ちの候補者である。あるいは排外主義的暴力を扇動する偽の本土派もおなじく民主派としてひとくくりにしている。このような区別は、民主派を支持する有権者にとって全く望ましいものではない。それゆえ建制派には投票しないだけでなく、次の二つの勢力にも投票してはならない。


2、極右排外主義には投票するな。

民主派を支持する有権者は、熱普城[熱血公民、普羅政治学苑=黄毓民、城邦派=陳雲の三つの排外主義右派勢力の総称]あるいは本土民主前線に投じてはならない。「本土派」を名乗る勢力もあるが、もしそうであるなら、地元文化の保護運動に真剣にとりくんだ朱凱迪やコミュニティでの民主化運動を推進した小麗民主教室[どちらも民主自決派の候補者]と、「本土派」を自称する右翼排外主義とをどのように区別すればいいのだろうか。

「急進民主派」を名乗る勢力もあるが、いい加減にしてほしい。「急進」的「民主派」とは、その語のもつ元来の意味でいうなら、それは熱普城が憎むべき左翼のことを指す(原注1)。かりに香港で一般的に行われている分類にしたがったとしても、「急進」、「民主」という分類では、社民連と熱普城を区別することはできない。そのような分類方法は百害あって一利なしである。

熱普城と本土民主前線のもつ排外主義、個人崇拝、政治の宗教化、権威主義、多元的民主主義への敵対、ころころ変わる主張、若者を暴動に扇動しながら自らは傍観する等々の特徴は、いずれも明確に極右主義の性質であるが、アメリカのトランプですらこれほどひどくはないだろう。極右の特徴は、民主主義に対する殲滅という理念である。それにも関わらず「民主派」を名乗る?そのような行為は、客観的に中国政府や香港政府による民主化運動に対する破壊を手助けするものである。それは実際には歪曲化された建制派である。そんな勢力に投票してはならない!

名正しからざれば則ち言順(したが)わず、言順わざれば則ち事成らず[論語]。名称を明確にしなければ、有権者はあいまいなまま間違った投票を行い、それによって不要な打撃を招くことになるだろう。つまり最初に戻って考えると、これら極右排外主義の存在が意味するところは、「建制VS非建制」という汎民主派の研究者による区分が百害あって一利なしであることを改めて明らかにしているのである。

もうひとつの本土派といわれる政治勢力に「青年新政」がある。しかし実際にはその主張に何ら新しいものがあるわけではなく、旧態依然の保守的な排外主義と右翼ポピュリズムである。かれらのいう「香港民族主義」は、「新移民[返還以降の中国大陸からの移民]は、広東語と繁体字、または英語を理解していることを証明する試験に合格しなければ市民権を得ることはできない」と主張している! 青年新政の指導者の祖母は80歳の客家だが、青年新政が目指す香港国家が樹立された暁には、その祖母は香港の市民権を失うことになるだろうという冗談もあるほどだ。


3、「軟弱な汎民主派」には投票するな。

いわゆる「軟弱な汎民主派」とは以下のような特徴を持っている。

1)かつての最大の汎民主派の政党であり、長い歴史を持っているがゆえに、とっくに成仏して役立たずの専門業種[弁護士など]の政治家集団となってしまい、選挙のことしか考えられない。民衆や民主化運動などは選挙の手段にすぎない。

2)妥協主義が骨髄にまで浸透している。朝廷[中国政府]による帰順の呼びかけに心中うれしくてたまらなく、それになびいてしまう。いまはなびかなくても次はなびく。臨時立法会への参加や密室協議など、これまでの事件は偶然の産物ではない。

3)妥協主義がマニフェストに表現されている。つまり基本法という鳥かごの枠内での普通選挙にのみ参加し、あえて冒険を冒そうとしない。妥協主義が階級属性にも表現されている。つまり上層プチブルの立場で、支配者と民衆のあいだでバランスをとり、そこから利益を得ようとするが、実際には一方に偏っている。このようなプチブル政党は、一貫して労働者の権利を蔑んでおり、一貫して民営化には積極的で、一貫して大企業に傾斜した主張をしてきた。このような政党が口では「庶民のため」といったところで、それを信じることができるだろうか。

4)香港は8・31通達[香港ではすぐに普通選挙は実施しないという中国政府が2014年8月31日に出した通達]を経過し、雨傘運動を経過し、5人の書店主の違法な拘束[中国政府に不利な書籍を出版・販売していた香港の書店主が中国当局に拘束された事件]を経過したというのに、いまだ「普通選挙実施のための手続きを再度やりなおす」というのんきな主張をしているのだ! 

有権者諸君は「自決権」「香港独立」「国内自決権」「基本法の永続」などの新しい政治主張に同意する必要はない。だが8・31通達が出されたことで、従来のやり方[手続きのやり直し]では先が見えてしまっている。専制主義者[中国政府]はとっくに香港人の自治権を絞め殺す決意を固めているのに、まだ跪いて普通選挙を賜ろうとし、中国共産党が設定した鳥かごの手続き[基本法にのっとった普通選挙実施のための手続き]に沿ってものごとを進めようとしている。ふたたび中国共産党にもてあそばれる[手続きに沿って普通選挙実施が拒否される]のが関の山である。このような「民主派」を「建制民主派」と呼ばずして何と呼べばよいのか。


多くの汎民主派政党には、上記のような特徴を少なくとも一つか二つは持っている。だが、これらすべての特徴を備えているのはそう多くないはずである[民主党だけ]。汎民主派候補の乱立局面において、つぶし合いを避け、最もふがいない汎民主派政党に懲罰を与え、民主化運動のブラッシュアップを促進させるために、「軟弱な民主派」には投票すべきではない。そのような政党に投票しないことが、大局にとって最も望ましいことである。

9月には以上の三つの勢力に投票しないことこそ、民主派を支持する有権者の第一の戒律となる。

2016年8月18日


原注1:香港の主流メディアで使われている分類方法ではなく、歴史的および国際的基準に照らし合わせた分類。歴史的および国際的基準でいえば、香港で「左派」と呼ばれる中国派勢力(香港共産党)は、実際には極右派であり、どのような意義においても「左」の要素を持ち合わせていない。

【中国】帝国の逆襲――南海の紛争からみえる民族主義

nanhai


帝国の逆襲
――南海の紛争からみえる民族主義

 

區龍宇

 

2016年7月26日


(訳者: 香港のウェブメディア「立場新聞」に掲載された區龍宇さんの論考を紹介します。原文はこちらです。

日本では「南シナ海」と言われている地域は、原文のまま「南海」と訳出しています)


 

三年前に、フィリピン大学国際法研究学部、国際調査教育機関(IIRE)マニラ、ヨーロッパ・アジア・ピープルフォーラム事務局が共催した「中国の台頭とアジアへの影響についてのシンポジウム」に参加した時のことだ。フィリピン人の研究者の言葉が一番印象に残っている。彼は冗談交じりにこう言った。「南海での紛争を解決する一番の方法は、すべての島礁を爆破してしまうことです。どうせほとんどが小さな岩礁なのですから。爆破してしまえば争いもなくなります。」

 

 

● 島礁よりも九段線が重要

 

国際仲裁裁判所の判定が完全に公正で妥当であるかは、とりあえずは置いておく。しかしこの判定は一つの事実を明らかにした。つまり争いのある圧倒的大部分が小さな岩礁に過ぎないと言うことであり、それは「国際海洋条約」が規定する領海と排他的経済水域となりえないということである。実際、南海での衝突で決定的なのは、島嶼の帰属問題ではなく、中国政府による九段線の主張のほうである。中国政府は広大な公海と島嶼をすべて中国の内海にしようとしているが、それはあまりに強権的だといえるだろう。国際法に従えば、国家の領海の範囲は、その領土によって決まる(海に対する陸地の支配原則)。

 

大陸棚の自然延長上にある周辺島嶼は、すでにある国が占有しており、他の国との紛争がなければ、その国の領土とみなされる。しかし南海の無数の島礁は、中国大陸棚からの自然延長にはなく、中国政府もこの論を強調することはできない。もう一つ別の援用できるであろう原則は、当事国が無主地において先に占有し、長期にわたって実質的に管理しているという原則である。しかし南海の無数の島礁において、ごくわずかの島礁だけがこの原則に合致する。それゆえ国際海洋法裁判所は、中国が歴史的に九段線に囲まれた内海および島礁に対して「排他的統制権」があるという主張を証明することはできないと述べた。これが裁判所が九段線という主張を採用することができない理由の一つである。

 

南海諸島と記載された古地図を持ち出して、はるか以前からその海域は中国のものであるという中国メディアの主張は、民衆を混乱させる主張でしかない。地図上の標識は根拠ではなく、根拠にもなりえない。中国政府は、中国人が漢の時代にすでに南海諸島を発見していたと主張している。しかし考古学者のヴィルヘルム・ソルヘイムによると、海洋民であるヌーサンタオがそれ以前に発見・利用していたとする。(原注1)

 

中国政府は2009年に国連事務総長に書簡を提出し、九段線に囲まれた内海の「南海諸島およびその付近の近海域に対する疑いようのない主権があり、その海域及び海底の主権と管轄権を有する」ことを表明した。しかし、その後、中国政府の報道官は、アメリカの艦船が九段線海域の航行の自由に同意している。これはおかしなことではないか。中国政府のこのようなあいまいな態度は、実際には意図したものである[領海においては無害通航権、排他的経済水域においては航行の自由が認められる:訳注]。中国政府は九段線の説明を避け続けている。それは国境線なのか、水域線なのか、それとも歴史的権利にもとづく線なのか。インドネシア外交官ジャラール氏はある文章でこう述べている。「九段線は定義もなければ座標もなく、その合法性と正確な位置も不明確である。」(原注2)

 

中国政府の本当の狙いは、南海を鯨飲よろしく奪ってしまおうということでは必ずしもなく、どちらかといえば試しにどれだけできるかやってみた、という感じでもある。よく言えば「あいまい戦略」であり、まずその言動に合理的な根拠があるかないかは別として、広大な公海域を中国のものだと宣言し、周囲の反応を観察してから弱いところを集中して叩くというものだ。だがそのような態度は地方ボス的覇権主義のイメージを証明するだけである。

 

 

● 奪った土地も継承する?

 

中国政府の九段線は、国民党政府の十一段線を踏襲したものである。中国政府が二本の線を削除したのは、1953年にベトナム政府との友好関係を示すために、ベトナムに近い海域のものを削除したからである。このような行為から、中国政府による南海に関する主権の主張は、実際には意図的なものと言える。この意図的な主張は国民党もそうであった。ビル・ヘイトンの著書『南海――21世紀のアジアの火薬庫と中国の覇権に向けた第一歩』[邦訳書『南シナ海―アジアの覇権をめぐる闘争史』]では、当時の国民党の主張がいかに適当であったかを明らかにしている。

 

中華民国の最初の憲法では「中華民国の領土主権は旧帝国の版図と同じである」と規定されていたことから、民国政府は清王朝を打倒したのち、清王朝の領域を確定する必要があった。そして1914年に「乾嘉時期までの中国版図」を発表した。しかしこの地図は東沙と西沙諸島が書き込まれていただけで、南側については北緯15度以北までで、北緯3度から11度に位置する南沙諸島は除外されていた。20年後、南沙諸島は版図に組み込まれたが、その理由は1933年にフランスが南沙諸島を領有しようとしたため、国民党政府は新し地図を公表し、南沙諸島を最初に版図に組み入れたのである。「とりあえず奪ってしまえ!」というわけである。

 

国民党によるこのような意図的な南沙諸島の版図組み入れに説得力があるだろうか。中国共産党の政府はこれを根拠に南海の主権を主張しているが、それはいっそう説得力に欠けるものである。しかし中国共産党の政府がさらに突きつけられる疑義はその政治的原則である。つまり、中華民国は清王朝の版図を継承し、中国共産党の政府はその中華民国の版図を継承しているというものだ。これは民族主義の原則であり、民主主義の原則ではなく、ましてや社会主義の原則ではない。

 

国民党は明らかに民族主義政党であり、帝国の遺産を忘れることはできなかった。それゆえ国民党は当然にも大清帝国の版図のすべてを継承しようとしたし、少数民族に対して中華民族の版図に留まりたいかどうかを問うことさえ思いもつかなかったし、過去において清王朝が奪った地域も当然継承しようとした。現在もなお国民党は外蒙古の独立を認めるべきではなかったと考えており、モンゴル人民の自決権を尊重すべきかどうかなど想像だにしたことはなかった。だが当時の民族革命家のほとんどが同じような考えであった。

 

章太炎[炳麟、1869年~1936年]がまだ「韃虜を駆除し、中華を復興させる」という民族革命に従事していたとき、彼は中国の領土はベトナムから朝鮮までを含むと考えていた。ベトナム人と朝鮮人は「漢人と通じ」ていたからというのが理由である。そしてチベット人やモンゴル人などは、漢人とは永久に対等にはなりえないとも考えていた。なぜなら「吾これを見るに、アメリカが黒人を見るのごとし必然である」(原注3)。自らまだ奴隷(被抑圧民族)として差別されていたにもかかわらず、将来もし機会があれば同じように自分たちよりも「低級」な民族を差別しようという思想をすでに持っていたのである。これこそ民族主義者の厚かましい面構えである。

 

しかし中国共産党の場合は、民族主義者よりもバツが悪いといえる。中国共産党の建党理念にしろ、中華人民共和国の建国理念にしろ、そもそも民族主義に立脚したものではなく、それは…そう、「社会主義」や「社会主義政権」であったにもかかわらずである。まったく民族主義者と同じく、旧王朝の帝国主義国家の領域をまるまる継承するとでもいうのだろうか? どの地域が奪い取ったものかということも明らかにしようとせず、民族自決権も尊重しようともしない?この問題について、われわれは第一次世界大戦前、オーストリア=ハンガリー帝国と帝政ロシアの社会主義者のあいだの論争から示唆を得ることができるだろう。

 

 

● 民族自決権の尊重と帝国精神への反対

 

アメリカのウィルソン大統領は1918年(大戦終結時)に14項目の宣言を発表した。そこには少数民族の自決権の尊重が含まれていた。しかしそれまでの長年にわたって欧米各国の社会民主党(当時最大の左翼勢力)、とりわけ多民族のオーストリア=ハンガリー帝国と帝政ロシアの社会民主党は、民族自決権に関する論争をおこなっていた。オーストリア=ハンガリー帝国の社会主義政党は、民族自決権を支持せず、民族自治に限って支持していた。しかし帝政ロシアの社会民主党は、多数派(ボリシェビキ)か少数派(メンシェビキ)かにかかわらず、少数民族の自決権、ひいては分離権さえも支持していた。かれらは、民族自決権を本当に実現すれば、それは帝政ロシアの屋台骨を解体につながることを理解していた。

 

二つの帝国は他民族の土地を略奪し、その地域の民族を抑圧していたからである。ロシアの社会民主党員は、自決権は民主主義の基本原則であり、帝政ロシアの屋台骨の解体こそが、各民族の労働者人民の利益にかなうと考えていた。そして1917年10月革命の後、新政権は帝政ロシアの版図を継承せず、「ロシア人民の権利宣言」を発表した。そのなかで述べられている民族問題に関する立場は以下のとおりである。

 

・ロシア諸民族の平等と主権。

・分離及び独立国家の結成を含む、ロシア諸民族の自決権。

・あらゆる民族的および宗教的特権の制限の廃止。

・ロシア領土内の少数民族と種族の自由な発展。

 

ロシア革命政府は真面目にこの立場を実行し、かつて帝政ロシアに併呑された国々、たとえばポーランド、フィンランド、バルト三国などが前後して独立を果たした。ウクライナはいったん独立をしたのち、ソ連邦に加盟した。当初のロシア革命政府によるこのような国際主義は、当時の世界各地の反植民地革命をおおいに促進することとなり、中国共産党を含む植民地革命運動はロシア共産党を指導者とみなすようになった。

 

もちろん、スターリンが台頭した1920年代半ば以降には、ソビエトロシア政府はすでに当初の革命政府とは様相を異にしていた。それまでの民族政策のほとんどすべてが転換しており、憲法に定められた多くの権利も名目上のものになっていた。興味深いのは、スターリンは反動的政策を推進したが、党の民族自決の立場を正式に否定することはできず、連邦からの離脱権を銘記した憲法の条項も削除できなかったということである。この条項は、のちに効力を発揮することになる。1991年から92年にかけて、ソ連邦で政治的危機が爆発したとき、ソ連邦に加盟していた多くの共和国がこの憲法の条項を根拠にソ連邦から離脱したのである。

 

だが中国共産党はそれとは様相が違った。中国共産党は初期(建党から抗日戦争の時期にかけて)においては、ソ連の民族政策に従い、チベットやウィグルなど少数民族の自決権を承認していた。しかしのちに完全にそれを放棄した。新中国の建国後、民族自決権を完全に否定したばかりでなく、憲法で承認された自治権でさえも、現実的には剝脱された状態となったのである。これが民族政策におけるソ連共産党と中国共産党の違いである。中国共産党の民族政策は、初期ソ連邦と異なるだけでなく、スターリン下のソ連共産党とも大いに異なっていたのである。

 

その後の数十年の腐敗と堕落によって、今日における中国共産党政府は完全に官僚ブルジョアジーの政権に変質してしまった。そしてその対外政策は、ますます拡張主義的な帝国精神をもつようになった。中国共産党政府はいっさいの恥じらいもなく清王朝と中華民国の版図を継承し、いっさいの恥じらいもなく社会主義政権を自称し、民族自決権を完全に否定しているのである。これら一切は、中国共産党の徹底した堕落の結果に他ならない。今日における南海の版図編入の野望には、ちゃんとした理由があるのである。

 

 

● 大国は小国に仁を以て接すべし

 

フィリピンの左派学者で元国会議員のウォルデン・ベローは、中国政府の南海に対する動きは、防衛的心理、つまりアメリカによる包囲への対抗であるという論考を発表し、読者に注意を喚起している。1993年の銀河号事件[積み荷に化学兵器の原料があるとして米軍艦が中国の貨物船銀河号を強制臨検した事件]、1999年のユーゴスラビアの中国大使館に対する爆撃事件、2001年の米軍偵察機と中国軍機の接触事件などは、アメリカによる包囲がいまだに続いていることを中国に喚起しており、中国政府による南海の編入は包囲網への抵抗というわけである。

 

だがわれわれは、一つを知るだけで二つ目を知らない(一面のみを知って全体を知らない)というわけにはいかない。中国の官僚資本主義への変質は、さらなる野蛮な独占資本主義への変質である。そして独占資本主義はそもそも拡張主義を内包している。今日、中国が南海において石油資源を争い、自らの海上貿易のルートを確保することで、世界の搾取工場という地位を確保しようとしていることに疑いはない。これらはすべて中国が南海に対する領有権の主張の原因である。中国は疑いなくアジアにおけるたちの悪い新たな覇権となっている。

 

アメリカやイギリスは中国がハーグ国際仲裁裁判所の判決を順守するよう呼び掛けているが、それはいささか冗談のように思える。イギリス政府は去年、仲裁裁判所から、イギリスがチャゴス諸島に海洋保護区を設置したことは海洋法に違反するという裁定を受けたばかりであるが、イギリスはそれを無視し続けている[英領チャゴス諸島には島民を追い出して建設された米軍基地のあるディエゴガルシア島がある。モーリシャス政府は英国政府に返還を要求。英政府は同諸島海域を海洋保護区にすることで島民の帰還を妨害していた]。

 

一方、アメリカはといえば、これまで一度も「国際海洋条約」に基づく勧告を受けたことはない。なぜなら、そもそもアメリカはこの条約に署名すらしていないからだ。超大国ゆえに、「海洋航海の自由」を制限する条約への署名などする必要がないからだ。国際仲裁裁判所どころか、国際司法裁判所でさえも、アメリカにとっては存在しないに等しい。1979年、ニカラグアのサンディニスタ革命が親米政権を打倒したが、アメリカは右翼ゲリラを支援して新政権に抵抗する一方で、ニカラグアの港湾に機雷を付設した。サンディニスタ革命政府は、これを違法として国際司法裁判所に訴えて勝訴したが、アメリカは判決を無視し続けた(原注4)[90年の選挙で政権に着いたニカラグアの親米政権は翌年訴えを取り下げた]。

 

アジアにおける新たな覇権は、覇権の筆頭であるアメリカの不安をかきたてた。第二次世界大戦後のアジア人民の不幸の多くは、中国の覇権ではなく、アメリカの覇権によってもたらされたものと言える。フィリピンの左派知識人たちが、南海をめぐる中国政府の主張に反対するとともに、フィリピン政府に対してもアメリカに頼るべきではないと主張する理由がここにある。

 

ウォルデン・ベローもその一人である。彼は文章のなかで、退任したアキノ大統領がアメリカと締結した防衛協力強化協定が「フィリピンを超大国の抗争の一方の当事者の駒に変えてしまった」と批判している(原注5)。しかし彼は、フィリピンが誤った政府リーダーのもとで一時的にアメリカの駒となったからといって、中国政府が南海紛争に手を染めるべきではないとも強調している。ベローは、中国政府がアメリカの包囲に対抗する戦略の選択を誤り、アメリカと同じ単独行動主義を選択して、南海において島嶼拡張と軍事化を一方的に実行していると述べている。わたしもこの分析は正しいと考えている。

 

しかも、中国政府は前フィリピン大統領がアメリカに依拠していると批判するときに、意図的に次の点を曖昧にしている。つまり大国と小国との区別についてである。小国が他の大国に依拠する場合、それは実際には大国間にはさまれた小国の悲哀を表現している。巨大な中国に対して東南アジアが脅威を感じないことがあろうか。もし中国が本当に「平和的台頭」を考えているのであれば、もし中国にまだ民主的精神があるのなら、「大国は小国に仁を以て接すべし、小国は大国に知恵を以て接すべし」という格言の最初の一句を実行すべきだろう。もし中国政府がアメリカと対抗しようとするなら、仁を以て小国に接して、それらの国々の民心を得るべきだろう。これは武力を誇示するよりもよっぽど賢い方法である。だが中国政府は逆のことを行っており、客観的に東南アジア諸国をアメリカの側に追いやってしまっていることは、愚か極まりないことである。

 

南海紛争がいますぐに戦争に発展することはないだろう。しかし少なくとも戦争の可能性はますます大きくなっていることを予告するものである。香港もそれと無関係というわけにはいかなくなる。アジア諸国の人民は、自国の政府が誤った政策を採ることを阻止するために声をあげなければならない。香港人は中国政府が南海を軍事化することを阻止するとともに、中国政府が世論をひとつに統制し、民族感情を扇動することをやめさせて、南海紛争における様々な意見や主張を自由に表明できるよう、言論の自由を許容、奨励することを要求しなければならない。こうしてこそ、戦争屋が煽る民族憎悪を押しとどめることができるだろう。

 

 

原注1:『南海--21世紀的亜洲火薬庫與中国称覇的第一歩』、Bill Hayton、第一章。

原注2:郁志栄『詮釋中国断続国界線刻不容緩』

原注3:『黄帝神話與晩清的国族建構』沈松僑/台湾社会研究、26頁、199712月。

原注4:Of Course China, Like All Great Powers, Will Ignore an International Legal Verdict

原注5:A Flawed Strategy and How to Rectify it: Aquino, Duterte, and the West Philippine Sea

 



【香港】立法会選挙まで一か月 ~ 民主自決派と本土派

hk201607

94日に投開票が行われる香港立法会選挙が揺れている。


候補者受付は71629日の期間に行われたが、直前の714日に選管委員長が突如として立候補予定者に「確認書」への署名を求めた。

確認書は、香港基本法に定められている、香港は中国の一部である、基本法を順守する、香港は高度の自治と中央政府の直轄であること、などを立候補者が認めることを求めている。

この確認書は、直接的には2014年秋の雨傘運動ののちに社会勢力化した「本土派」(香港独立派)の立候補を拒否する口実である。本土派のなかには、立候補するために「確認書」への署名を行った立候補予定者もいたが、署名を拒否するものもいた。しかし結局は署名したものをふくめ香港民族党、民主進歩党、本土民主前線、保守党などの候補者6名が立候補を認められなかった。

2月に行われた補選で本土派の本土民主前線の梁天琦(香港大学大学院生、25歳)が予想を大きく上回り15%の得票率で惜敗したことに、中国政府が大きな危機感を持ち、9月の選挙では香港独立を掲げる本土派の立候補を阻止しようとしたとも考えられる。

雨傘運動を担った民主派からも、選管の「確認書」は政治主張によって立候補を認めない非民主的な手続きだという批判が上がり、民主派は、従来の汎民主派も、そして雨傘運動後に登場した民主自決派も一致団結してこの確認書への署名を拒否するとともに、本土派の立候補が認められなかったことに対しても、汎民主派(工党、公民党、民主党、公共専業聯盟、街工、民協、教協、人民力量、社会民主連線、社工復興運動)と民主自決派(香港衆志、朱凱廸、劉小麗)のそれぞれが連名で、民主主義擁護の立場から中国政府の意向を色濃く反映した選挙管理委員会の決定を批判している。

8
2日に選管が開いた選挙説明会は、汎民主派、民主自決派、本土派の候補者らが会場内で抗議の声を上げ、壇上を占拠しようとしたり、会場で抗議の横断幕を掲げたりと大荒れに荒れた。メディアでは立候補が認められなかった一人、本土民主前線の梁天琦に注目が集まっている。

しかし選挙説明会で、最終的に説明会を中止(時間を繰り上げて終了)に追いやることに成功したのは、最初に壇上に駆け上った香港衆志(Demosisto)の羅冠聡であり、「香港自決」のプラカードを掲げた朱凱廸であり、多数の警官に囲まれて会場から排除されながらも最後まで政治的選別反対を訴え続けた劉小麗ら「香港自決」のプラカードを掲げた民主自決派の若い候補者たちの奮闘によるものだ。

在香港のメディアをふくめ多くのメディアは、本土派の動向のみを報道している。これは中国政府の世論操作にとっても都合のいい報道ぶりといえなくもない。つまり問題の核心を批判する民主自決派ではなく、ほとんど中身のない主張しか持たない排外的本土派のみが取り上げられることになるからだ。

以下は、「確認書」を巡る本土派の立場を批判した選民決起(今回の選挙にあわせて作られた民主自決派のひとつ)の文章、そして2月はじめの旧暦正月に発生した暴動における梁天琦の言動を批判した區龍宇の文章を翻訳紹介する。

本土派の立候補を認めない選挙管理委員会の政治的選別を批判した民主自決派の声明も追って翻訳紹介したい。(早野)


「確認書」は妖魔鏡 本土派は朝令暮改

《選民起義》政制組

原文


選挙管理委員会の確認書が、候補者に対して香港基本法を擁護するよう求めているが、明らかに香港独立派の立候補を拒否するためではないか。このような要求は、選管がまちがいなく中国政府の手先であることを暴露したにすぎない。しかし外国でも違憲行為という認定はあるが、「違憲言論」という表現など見たことなどない!中国政府自身の違憲行為には枚挙にいとまがない。たとえば1976年の四人組打倒は明らかにクーデーターであり、明らかに憲法違反であるが、現在の中国政府は共和国を救った英雄行為と考えている。

他方、中国政府は「違憲言論」を理由に言論の自由を弾圧しているが、その禍はいま香港にまで蔓延しようとしている。「違憲言論」という罪状で香港独立派を弾圧しようとしているのだ。どこの文明世界で「違憲言論」なる罪が成立するというのだ!どんな憲法でもどんな法律でも、その行為を追及するのであって、言論を追するものではない。たとえば上映中の映画館で「火事だ!」とウソの危険を大声で叫ぶというような、直接的に人々を扇動するような危険なものではなく、一般的な政治的見解であるのなら、それが香港独立であろうと、自由に発表できるべきである。そこにはもちろん政府打倒という主張も含まれるべきである。

実際、19世紀以降、欧州の多くで「革命」を主張する左翼あるいは右翼の政党が存在し、支配階級もその革命的言論を尊重せざるを得ず、その主張をもって「違憲」であるとは言えなくなっていた。イギリス植民地下の香港においても、1970年代以降は、内外の圧力によってこの自由主義の原則に従わざるを得なくなり、香港独立団体や左翼革命団体を認めることになった。イギリスさえも認めたことを、中国政府は認めることができないのである。

ましてや、憲法がまず制限するのは市民ではなく政府権力に対してである!主権在民!独裁者よ、中国政府よ、公安どもよ、そして香港行政長官よ、君たちは至る所で基本法が香港に付与している自治権に違反した行為を重ねているではないか。君たちこそが法廷に送られなければならない!

ところで、確認書は香港政府の醜悪さを映し出しただけではない。それはまたもう一つ別の妖魔をも映し出している。その妖魔とは本土派(※)である!本土派は次々に立候補を申請しており、次々に確認書に署名している。その一方で、多くの汎民主派政党の立候補予定者は確認書への署名を拒否している。極めて興味深い対比である。

本土派の言論を分析することに時間を費やすのは無駄であることは、これまでと変わらない。常に言うことが変わるからだ。しかしただ一人、陳雲[城邦派の学者]の主張は一貫している。それは「基本法はいいものである」「基本法が永遠に続くように」という体制派とおなじような主張のことである。かれは早くから著書『城邦論』(ポリス論)のなかで、特別行政長官でさえも香港からの推薦によってえらばれることなどを挙げて、基本法が香港に極めて高い高度の自治を付与していると主張していた。

しかしその主張はまったく取るに足らない!中国では省長は省人民大会[省議会]での選挙を経たのちに就任するのであり、副省長でさえも中央政府が委任するのではない。陳雲は基本法に対する根本的な批判を行ってはいない。それはポリス論がいっけん急進的な主張であるかにみえるが、実際には中央政府にとって都合のいいものであることを物語っている。

基本法は香港人による自治権に違反していることは、誰もが知っている。

基本法の第8章では、基本法の解釈権と改正権は中央政府にあるとされており、香港人の権利を奪うものである。

同法18条においては、中央政府はいつでも香港における緊急事態を宣言することができ、中国本土の法律を香港において実施することができるとされている。「まず香港政府に諮問したのちに」という穏健な規定でさえも無視できるのである。これは香港の自治権の消滅と同じである。

第4章の普通選挙に関する条項は、秩序ある漸進で実現すると明記されているが、具体的な期日はなく、その結果、中国政府は無期限にそれを延期することができる。

このような基本法を、永続させる必要があるのか? 国師[陳雲のあだ名:訳注]の主張がこれどほ奇妙奇天烈にもかかわらず、「全民衆による憲法制定」という別のアイデアを提起している黄毓民と熱血公民[前者は普羅政治学院という一人会派の本土派の立法議員、後者は雨傘運動で社会化した排外的本土派の団体:訳注]は、陳雲の当選を支援することに何ら矛盾も感じていないとは、なんたるでたらめ! 三者はさらに選挙管理委員会の「確認書」に署名をして、基本法を擁護することに同意しているのだ。さんざん主張してきた「建国」はどうなったのか? 永遠のご都合主義である。ライバル[民主派]の主張はすべて否定しながら、移り気な自分たちの立場はすべて肯定する。完全に終わってる。

2016728

※訳注:原文では熱・普・城=熱血公民、普羅政治学苑、城邦派の三つの本土派団体の総称だが、ここでは便宜上、「本土派」と翻訳する。本土派のなかでも香港民族党など確認書を提出していない団体もある。




洪秀全をまとった梁天琦

區龍宇
2016219

原文

中国大陸はすでにある種の局面に突入している。魯迅のいうところの「机をひとつ動かすとか、ストーブをひとつ取りかえるのですら、血をみなければ済まない」である。時代は革命を呼んでいる(原注1)。香港もそこから無縁であることは難しいだろう。

しかし革命にもいろんな種類がある。民主主義革命もあれば、別な朝廷の誕生を繰り返すだけの義和団式の革命もある。


◎ 民主主義革命なのか義和団式の革命なのか?

汎民主派は革命と聞くだけで席を立つ。しかし実際のところ、かれらの教義の教祖であるジョン・ロックも人民に革命権があることに賛成していたことを忘れているようだ。アメリカの独立宣言でもこの点が強調されている。西欧のほとんどすべての代議制民主主義はすべて革命を経たものである。一部のリベラリストは、イギリスの1688年の無血の「名誉革命」をよく話題にするのだが、1640年の流血の清教徒革命については語ろうとしないのは不誠実と言える。1640年の革命がなければ1688年の革命がどうして起こりえただろうか。

民主主義革命の核心は、独裁を民主平等の制度に替えることであり、その逆ではない。だが梁天琦は革命を高く掲げてはいるが、それは民主主義革命ではなく、洪秀全や義和団式の革命なのである。それは民主主義をもたらすのではなく、独裁と暴力の循環をもたらすだけである。

◎「死ぬくらいなら共産主義のほうがまし」

梁は「抵抗無限界」論を新たに解釈してこう述べている。「いかなる代償もいとわない」と(原注2)。「節を曲げるくらいなら玉砕を選ぶ」ということか、ははは! いかにも武闘派らしい。だがそれは民主主義革命の路線なのか。そうではない。冷戦がピークだったころ、両陣営の支配階級は「節を曲げるくらいなら玉砕を選ぶ」の戦略、つまりMAD mutually assured destruction(相互確証破壊)という、最終的に全滅することさえ厭わない核兵器戦略である。だが西側の左翼および平和運動(哲学者ラッセルをふくむ)は核兵器に反対し、better red than dead(核兵器で死ぬくらいなら共産主義のほうがまし)というスローガンを掲げた。核戦争は人類と文明をすべて破壊する。そのような代償を払うことはできない。愚か者だけがそのような代償を厭わない。(原注3)

さらに気がかりなのは、「節を曲げるくらいなら玉砕を選ぶ」と叫んでおきながら、大衆がそれに呼応したときに、一番最初に逃げ出したのが当の本人であったということである。いったいどういうことなのか。黄台仰がまさにそのような行動をとったのでなかったか[本土民主派前線スポークスパーソンの黄台仰は29日未明に同組織が呼びかけた旺角行動での警察との衝突直前にこのスローガンを叫んで行方をくらまし、後日友人宅に潜伏しているところを逮捕された]。

梁と黄は別人であるが、諸君ら本土民主前線は、その時々で主張が違い、結局のところどれを信じればいいのだ(原注4)。Talk is cheap(言うは易し)というふうに、口だけなら何とでもいえるということを諸君ら自身がよくわかっている。

◎ 対等の暴力は、暴力を以て暴力に代えるだけ

梁は、彼らの限度が「警察に対して対等の武力を用いる」ことだと説明する。まったくおかしな言いぐさである。警察が持っているのは棍棒とピストルだけではない。その後ろには解放軍の戦車と機関銃が待ち構えているのである。諸君らに聞きたい。そのような兵器を準備して戦争を発動しようとでもいうのか? もしもそうなら、そうとはっきりと言うべきだろう。もしそうでないとすれば、単なるホラ話にすぎない。あるいは諸君らはこういうかもしれない。そのように明言することは得策ではない、と。

だが本当にそうであろうか。革命派はそうであってはならない。軍事的準備はもちろん公に語ることは難しい。だが政治的には、革命派は軍事的手段を採用することを公然と説明することができるし、また説明しなければならない。孫文もそうであったし、キューバのカストロとゲバラもそうである。旧正月の露天商の営業にかこつけるゲスの極みなどもってのほかではないか。

◎ 暴力の乱用を阻止する革命家

梁の問題は、革命を暴力と同一視していることである。洪秀全[清末の太平天国の乱の指導者]や義和団の「革命」だけだそのような考えに一致することがわからないらしい。西欧の民主主義革命家も武力で独裁者を駆逐することを畏れなかったし、英リチャード一世と仏ルイ十六世はともに断頭台に送った。しかし民主主義革命における武装闘争は、無原則とは無縁であり、対等の武力を云々するものでもなかった。それとは全く逆に以下の原則を堅持した。


1、武力は目的ではなく、あくまで手段であった。手段であるので、最高原則ではなく、さらに重要な原則、つまり民主主義の趣旨に符合するかどうかが、その運用の可否の判断材料となった。重要なのは、「対等な武力」が必要なのではなく、それで目的を達成することができるかどうかである。

2、武力を手段とする場合も、それは非常用手段であり、その巨大な副作用、つまり敵を破壊するが、往々にして自らも破壊される。ひどい場合には、敵は無傷で自分だけが被害を受けることもある。それゆえ民主主義革命は暴力を賞賛あるいは崇拝することは絶対になく、一時的で必要な場合――特に自衛――のみの手段であると見なしてきた。

3、いわゆる「一時的」については、十分な根拠が必要であり、それは理性的に証明されなければならず、大声や攻撃的な主張に依拠してはならない。

4、民主主義革命は武力を用いた自衛の原則を根本から否定するものではないが、それを万能薬とはみなさず、時と場合を考えて用いる。武力は特殊な情勢下においてのみ使用することが考慮される。

5、大衆の一時の衝動は、自衛の際に過度に武力が用いられることはよくあることだが、よくあることとそれを承認することは同じではない。

以上のことから、結論は以下のようになるだろう。

1、革命と武装闘争は同じではない

2、武装闘争はただ特殊な状況においてのみ、限定的に使用すべきであり、洪秀全や義和団を模倣するのでない限り「武装闘争に限界はない」あるいは「対等の暴力」ということであってはならない。洪秀全や義和団のような輩は、武力を用いる際には限界を設定せず、その赴くがままに任せるのだが、それは報復することでうっぷんを晴らす心理に他ならない。そのような「革命」は暴力を以て暴力に代えるだけである。

梁天琦はさらにこんな発言をしている。警察に対して対等の武力を用いるかどうかは民衆がきめる、と。これほど狡猾な発言もないだろう。

私はこの発言を聞いて全く逆の立場にたったロシアの革命家、トロツキーを思い出した。19177月、すでに帝政は打倒されていたが、人民は「平和、パン、土地、憲法制定議会」を要求していた。臨時政府が絶望的な対独戦争を継続したこともあり、ある日、臨時政府の農業大臣、チェルノフが街頭で民衆に取り囲まれ殴打され、彼を殺せという声が上がった。その場にいあわせたトロツキーは声を上げて飛び出した。彼は「民衆が決めること」と叫んだのだろうか。同じくその場に居合わせた彼の政敵、スハーノフは次のように描写している。

「見わたすかぎり、群衆は激昂していた。……トロツキーが演説をはじめても、群衆は静まらなかった。もしだれかが挑発者が、この瞬間、この付近のどこかで一発発砲したら、それこそ恐るべき流血の惨事がおこったろう。彼らはトロツキーもろとも、われわれ全部を八つ裂きにしてしまったろう。かれはこういった。『…諸君は、革命を脅かす危険の報道を聞くやいなや、ただちにここへ駆けつけてきた。…だが、なぜ諸君は諸君自身の目的を傷つけなくてはならないのか? なぜ諸君はでたらめに個人につまらぬ暴力をくわえて、諸君の記録をくもらせ、汚さなくてはならぬのか?諸君はすべて革命への献身をしめしてきた。諸君は一人のこらず革命のために生命をすてる用意ができている。わたくしはそれを知っている。同志、きみの手をわたくしにあたえよ!』……ついに、トロツキーは群衆にむかってチェルノフに暴力がくわえられることをのぞむものは、ハッキリ手をあげよ、といった。手は一本もあがらなかった。しーんと静まりかえっているなかで、彼はいまは半ば気を失っているチェルノフの腕をとって、王宮のなかへつれこんだ。」(原注5)

これこそ革命家とエセ革命家との違いである。

(原注
1)中国の知識分子の一部は、かつては絶対的非暴力の信者であったが、現在『革命にもどる――中国の大転換を前にした激論』という本が出版されており、そこでは革命が主張されており、情勢と気分の変化が始まっていることを反映している。

(原注2)「梁天琦:抗争抱「対等武力」原則 楊岳橋:堅持非暴力 理解旺角抗争者」、立場新聞。


(原注3)雨傘運動の期間中、右派は「共産主義になるくらいなら死んだほうがましだ」とヤジを飛ばしていた。厳密に言えば、特定の状況下においては、二つの悪い選択肢がある場合、より損害が少ない方をえらぶのだが、それよりも別の解決にむけた正しい選択肢をえらぶことのほうが多いのである。前者を選ぶからといって後者を否定することはできない。しかしこの時のディスカッションでは「いかなる犠牲もいとわない」論の危険性が明らかにされたといえる。

原注4)旧正月の旺角での警察と民衆に関しては、筆者の「禍根北京種、磚頭為誰飛?」を参照[未訳]。

(原注5)「武裝的先知-先知三部曲」、伊薩克・多伊徹、中央編訳社、第一冊、1998302-3頁。

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