虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

労働運動-反貧困

【報告】竪川公園の野宿者排除を許さない!2.1江東区役所包囲デモ

tate4 2月1日、竪川河川敷公園の野宿者排除に対して江東区役所包囲デモが行われた。

 11時より東陽公園で行われた集会ではまず実行委の仲間がこの間の経過を説明する。昨年12月に江東区が竪川河川敷公園の五の橋付近に住む仲間たちに対して「弁明機会通知書」を突きつけ、行政大執行の手続きが始まったこと、その場所はA工区の工事に伴ってA工区に住む仲間たちが区によって集められた場所であること、1月21日に仲間たちはその場所から不本意ながらも出ていき、工事の終わった所にある「多目的広場」に避難したこと、そして今、その場所で区との緊迫した攻防が続いていること、五の橋には体の悪い仲間1名の小屋が残っており、その中魔に対して区は「大執行令書」を出したこと、などが報告された。

 多目的広場では23日にさっそく、江東区土木部水辺と緑の課が荒木課長に率いられてやってきて、威圧をしている。話し合いを求める仲間の声にはいっさい声を傾けることもなく「お前達と話すことは何もない。」と言い放った。

 27日には公園を封鎖するフェンスを設置しに土木、業者、そしてガードマンが導入され、抗議する仲間達を暴力的に排除し、フェンス設置工事が強行された。

 その際、何人もの仲間がガードマンと土木の暴力によってけがを負っている。そしてその際ガードマンは排除の直前、胸につけた社名のワッペンをベリベリと剥がし、暴行に及んでいる。

 しかし、この明らかな警備業法違反行為の一部始終はビデオ画像に記録され、ネットに流されている。(山谷労働者福祉会館ブログ参照)

 フェンスを張られたことによって、竪川のほとんどの仲間が従事しているアルミ缶集めのための自転車やリヤカーが公園の中に持ち込めないなどの事態が生じている。

 そして今も竪川現地では強制排除の危機が続いている。

 続いて竪川の仲間が「団結してがんばろう!」「みなさん遠くからありがとう」と一人づつ発言。

 次に宮下公園のナイキ公園化に伴う行政大執行、美竹公園脇の東京都児童館での耐震工事工事を名目とした排除などと闘ってきた渋谷・のじ連の発言。三多摩からは夜回り三鷹、立川サンキュウハウスの仲間が発言。

 江東区で生まれ育ったという女性は「地域住民として子供の頃から遊んでいた竪川河川敷公園が、金儲けのための公園になることに反対です。」と発言。

 次に反原発戦線から経産省前テントから駆けつけた仲間とたんぽぽ舎が発言。たんぽぽ舎の仲間は山谷の越年に支援を呼びかけ、全国からたくさんのカンパが集まったことを報告し、「みなさんの闘いは全国の人が支持しています。」と発言した。

 続いて荒川堀切で国土交通省による排除と闘っている仲間、21日から支援に来て常駐体制をとっている関西の仲間の発言を受けて、江東区役所に向けたデモに出発した。

 平日にも関わらず100人近くの結集。大阪の仲間たちの見事なパーカッションの演奏もあって道行く人々から大いに注目されるデモとなった。歩道でもたくさんの人々がビラを受け取り、アパートの窓から手を振る姿も確認できた。

 しかし、江東区役所ではどういうつもりなのか、そろいのジャンパーを着た職員がスクラムを組み、緊張した面もちで出迎える。

 区役所前ではいっそう大きな声で「排除反対!」「区は話し合いに応じろ!」「暴力をやめろ!」とシュプレヒコールを行った。

 デモの後は区役所前で情宣活動を行い、この日の行動を終えた。                

(板)

*竪川河川敷公園強制排除続報*


 
 竪川河川敷公園の行政代執行による野宿者のテント強制排除の動きは緊迫した状況が未だ続いている。

 先週21日夜に行政代執行攻撃をかけられてきた五の橋のたもとからの移動を仲間達は行った。22日の「野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモ」の報告でも簡単に書いたが、これは工事のすでに終わったA工区と、間もなく工事の終するB工区をつなぐ場所である五の橋のたもとに対してかけられてきた「行政代執行」の手続きが進行する中で、強制的な、そして暴力的な排除から逃れるために、その範囲から出て行かざるを得なかったという事である。

 仲間達にとってはこれは全く不本意で納得のいかないものであった。五の橋のたもとに十数軒のテントが集められたのは江東区の指示であったからである。江東区土木部水辺と緑の課はそのために川を埋め立てて移転地を造成したのであった。しかし、今回の行政代執行にあたって区は「許可無く占有している」などとして言っているのである。しかも「話し合いを行う」「強制的な手段は取らない」と言っていたのは区の方なのである。

 しかし、このままでは強制的に排除されてしまうという中で、仲間達は工事の支障となっている五の橋のたもとから出て行く決断をしたのであった。区がこの事によって今一度、約束通り、話し合いでの解決の道に立ち戻ると信じて。

 しかし、その期待は見事に裏切られた。仲間達が避難したA工区の「多目的広場」には翌日から水辺と緑の課が、A 課長に率いられて登場し、「お前達とは何も話す事が無い!」と威圧し、恫喝をしている。警察権力も同行し、仲間達が少しでも挑発に乗れば介入する構えである。

 そして、27日には公園を分断するフェンスを張り巡らしたのである。その理由を「公園利用者の安全」などとするデタラメぶり。この時の混乱では社名などをテープで隠したガードマン(警備業法違反では?)や作業員の暴力で数人がけがをさせられている。そして「2月3日までに撤去しろ」と「指示書」をテントに張り、新たにここでも行政代執行の動きに出てきているのである。

 五の橋での「行政代執行」の「除去命令」に不本意ながらも従った仲間達がどこかに「避難」しなければならないのは当たり前ではないか。
P1285760
 そして、公園を歩いて見れば分かるが、仲間達が避難出来る場所は公園の中で「多目的広場」意外には無いのである。区はC工区ヘ移れと言うがB工区の工事が終わればC工区の工事が始まるのであり、そもそもC工区には元々住む仲間、B工区から移転させられた仲間達が住んでおり、五の橋の仲間達が移転出来る場所的な余裕は無いのである。

 人を人とも思わない江東区のやり方に怒りや疑問の声がわき上がり、連日、たくさんの人々が支援に訪れている。

 江東区へ抗議の声をぶつけるために緊急にデモが計画されている。平日ではあるが多くの仲間の参加を。そして江東区に抗議の声を!。                  

(板)

*江東区役所抗議デモ 
  2月1日(水)11時東陽公園(東西線東陽町下車)11時デモ出発

【報告】1.22 野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモ

tate5 一月二十二日、野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモが行われた。これは江東・竪川河川敷公園の野宿者に対して江東区が行政代執行による強制排除の動きに出てきた事に対して急遽呼びかけられたもの。


 あいにくの雨の中、会場の文泉公園には全国から約二百人の参加者が集まり、この問題への関心の高さをうかがわせた。


 山谷で作ってきた弁当を食べて腹ごしらえをした後、十一時から集会は始まった。まず始めに実行委の仲間より、基調報告。六年間に渡って追い出しと闘ってきた竪川の仲間の闘いの経過、そして昨年末より江東区が行政代執行攻撃をかけてきた事、さらに前日夜の出来事についての報告が行われた。


 公園を民間企業の管理するスポーツ施設などを中心としたものに変えるという工事が始まり、二〇一〇年十月、公園を三つに分けた工区のうち最初に工事の始まったA工区のでテント生活を送る仲間たちが江東区土木部水辺と緑の課によってA工区のはずれ、五の橋のたもとの川を埋め立てて区が造成した一画に集められた事、その際、A工区の工事が終わった後には「話し合いを行う」「強制的な排除は行わない」と区が約束していた事。


 それが工事が進展するにつれ、追い出しが激しくなり、A工区の工事が終わり、B工区の工事が進む中で、A工区と、B工区をつなぐ場所である五の橋のたもとの仲間たちが、集住する場所に対して昨年末ついに区は行政代執行の攻撃をかけてきたのだ。


 十二月二十二日に「弁明機会通知書」が出され、それに対して仲間たちは一月五日、「弁明書」を提出、十二日には十八日を期限とする「除却命令」が出され、そして二十日には「戒告書」が出され、いよいよ「代執行」が秒読み段階に入ってきた。


 そのような中でデモの前日夜、まさに敵の虚をつく形でテントの移動が行われた。仲間の追い出しを行うガードマンの通報によって事態を知った水辺と緑の課の課長が一一〇番で警察を呼んだ時には、すでに仲間たちは降りしきる雨の中、工事の終わったA工区の中で唯一空いている「多目的広場」の片隅に九軒のテントを移動し終え、お茶を飲んで休憩をしているところであった。


 パトカーや自転車で次々に集まってくる警察官たちは二十人ほどが集まり部隊を組むと警棒を抜いて威圧しながら「こんな所にテントを建てるな」と迫ってくるが、仲間たちは「命を守るテントだ!」「警察官にそんな権限は無い、都市公園法を知っているのか?」と返す。何も言えなくなる警官隊。


 すると今度は私服の公安が「責任者は誰だ!」と何回も(三十回ぐらい)繰り返しながら体をぶつけたり、傘を仲間の頭にぶつけるなどの挑発行為に出てきた、見ると警官隊はこちらが何かすればすぐにでも襲いかかってくる体制である。なるほどこらが噂に聞く「転び公妨(公務執行妨害)」というやつか、仲間たちは努めて冷静にこの哀れで滑稽な公安を笑い飛ばし、挑発に乗る事は無く一切の介入をさせなかった。


 結局、なす術を無くした権力は少し離れたところに下がり威圧するだけという状態になった。そこへ今度は四名のガードマンと共に水辺と緑の課の職員がやってきた。


 「ここはテントを建ててはイケナイところです」などと一種懸命に言っているが、近づくと酒臭い、おそらくどこかで飲んでいたところを課長に電話で呼び出され現場に寄越されたのだろう。「酒臭いぞ!」と言うと「いや、飲んでない」などと言うが、目がうつろである。一緒に来たガードマンの中でも、寝ている仲間の小屋を揺すぶるなど、一番悪質なやつが、「プライベートなんだから飲んでったっていいんだよ!」などと怒鳴る。「えっプライベートなの、公務じゃないの」すると職員はあわてて「公務です、飲んでません!」どっちなんだよ!と、全然不甲斐ない。


 「そっちが代執行で出て行けって言うから引っ越してるんじゃないか。」「来週以降ちゃんと話し合いをやろうぜ。」結局、職員も引き上げざるをえず、警官隊もばつが悪そうに解散していった。というのが二十一日夜の出来事であった。警官隊の登場から撤退までの所要時間は約一時間ぐらいか?。


 基調の次は竪川の仲間たちの発言。「月曜日からの役所との攻防に、みなさんご支援を!」「これからも応援よろしく!」「オレは最後の1人になっても闘うぞ!」「ホームレスと差別されるけど、生きる権利は平等だ!」一人一人がその思いを表明する。


 続いて江東区内で頻発する少年たちによる野宿者襲撃についての報告。昨年十二月十一日に大島小松川公園で少年たちによって襲撃を受けた野宿の仲間が肋骨三本を折る重傷を負った事件は大きく報道されたが、それだけではなく、区内では少年たちによる襲撃が冷えている、竪川でも少年三人が仲間の小屋に可燃物を投げ、小屋が全焼するという事件が昨年十一月に起っている。


 区による野宿者排除の動きが強まるにつれ、襲撃も増えてきているが、江東区は全く有効な手を打ってこなかったばかりか、「工事によって野宿者をゼロにする」と明言している。


 次に、竪川と同じく排除の攻撃にさらされている荒川・堀切橋付近の仲間たちの「竪川の仲間と一緒に闘っていく」という発言を受けて亀戸一周のデモに出発。


 太鼓を叩きながらのデモに道行く人々も大いに注目し、雨中のデモにも関わらず、歩道で撒くビラを多くの人々が手に取っていく。


 竪川の五の橋付近を通るときにはひときわ大きく「追い出しをやめろ!」と声を上げ、亀戸駅前で、流れ解散となった。


 解散後は竪川の新しくテントを建てた場所に移動して交流会。静岡、名古屋、横浜・寿町、そして前夜の闘いにも合流した大阪の仲間。そして東京からは夜回り三鷹、三多摩野宿者人権ネットワーク、渋谷・のじれんの仲間が発言した。


 多くの仲間に支えられて竪川の闘いは新たな局面を迎えている。引っ越しによってひとまずは行政代執行を回避したが、新たな移転地でも行政代執行がかけられないとも限らない。また悪質なガードマンを使った嫌がらせのエスカレートも懸念される。


 さらに多くの人々の注目と支援が決定的に重要である。


(板)

【報告】佐藤さん虐殺27ヵ年山岡さん虐殺26ヵ年 1.9日雇全協反失業総決起集会

DSCN2548

 一月九日、山谷・玉姫公園において今年も全国各地で越年闘争を闘い抜いた日雇、野宿の労働者たち、そして支援の仲間が一堂に会して日雇全協反失業総決起集会が行われた。


 まず、司会の仲間が天皇主義右翼・国粋会金町一家のテロに倒れた映画監督の佐藤さん、佐藤さんを引き継いで映画を完成させた直後にやはり金町一家の凶弾に倒れた山谷争議団の中心的な活動家であった山岡さんの事を紹介し、二人に黙祷を捧げ、集会は始まった。


 まず最初に連帯の発言、争議団連絡会議、被曝労働問題プロジェクト、新宿ど真ん中デモ、差別排外主義と闘う連絡会、いわき自由労組。いわき自由労組の桂さんは震災後の首切りの中で雇用調整助成金を利用して首切りを撤回させていった闘いや小名浜港の約五十人の日雇の仲間が八月まで全く仕事がなかった事などを報告し、さらに原発問題にも触れ、中卒で就職した会社が原発関連の会社ではなかったにもかかわらず、福島原発の仕事に無理矢理行かされ自殺してしまった事件などを紹介し、「三月十一日に福島で行われるオール県民での集会に皆さんぜひ来てください」と参加を呼びかけた。


 続いて都内での野宿者支援を行う各団体からのアピール三多摩野宿者人権ネットワークの仲間は三多摩でも越年を闘った事、昨年、アルミ缶の持ち去り禁止条例対する抗議デモを七十人の参加で勝ち取った事などを報告した。


 夜回り三鷹の仲間はアルミ缶をみんなで拾って集め、売ったお金を仙台夜回りグループにカンパした取り組みを紹介した。


 渋谷・野自連は渋谷・宮下公園の私企業であるナイキに対する売り飛ばしと、その過程での行政代執行による野宿者排除について報告し、竪川、荒川で現在行われている排除にたいする闘いへの連帯を表明した。


 続いて山谷労働者福祉会館の仲間が、荒川河川敷と江東区竪川河川敷公園での野宿者排除について発言し、竪川のA工区に現在残っている十六軒に対して十二月二十二日に弁明機会付与通知がなされ、一月末か、二月初めにも行政代執行が行われるかもしれないという緊迫した状況にあるとして、強制排除をやめさせるための闘いへの支援を訴え、一月二十二日に予定されている「野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモ」(午前十一時、亀戸駅徒歩五分の文泉公園集合)への参加を呼びかけた。


 寿の越冬に参加した神奈川県央共闘の発言の後、今年結成三〇周年を迎えた、日雇全協各支部の発言に移る。


 釜日労の仲間は二〇〇二年に施行された時限立法であるホームレス自立支援法が今年十年目の期限を迎える中で、排除条項など作り直し延長すべきと発言。


 名古屋・笹島日雇労組の仲間の発言、寿日労の仲間の越年報告に続いて山谷争議団の仲間が発言。「今年は派遣村をやらなかったが、山谷の越年には若い仲間が一杯集まってきた、飯場からでて来た仲間もいる。」そんな仲間たちと闘い抜いた一週間を振り返り、二十二日の亀戸デモへの結集を呼びかけた。


 続いて山谷地域を一周するデモを闘い、城北労働福祉会館で交流会を行い、一日の行動を終えた。竪川の最新情報は山谷会館ブログ http//san-ya.st.webry.info                (板)

【報告】2011-2012 山谷越年越冬闘争

DSCN2397

 12月29日から1月4日の早朝まで山谷越年越冬闘争が行われた。28日には山谷労働者福祉会館で越年突入前夜集会が行われ、毎年山谷の越年ために多くのカンパを集めてくれるたんぽぽ舎の人々を始め多くの労働者、支援者が集まって、越年闘争についての最終的な打ち合わせを行い、その後浅草、上野、江東区竪川でのパトロールを行った。


 29日正午に会館に集まった仲間たちは物資を城北労働福祉センターへと運び込み、三里塚から切り出してきた竹を使ってテントを設営、同時に夕食の準備を始め、越年闘争が始まった。


 実行委員会で決まった今越冬のスローガンは「仲間の命は仲間で守ろう!奪い返そう!生きるために!」この間、都内では野宿者のテントに対する排除が激しさを増している事から生きる権利を奪い返そうと考えられた。


 09年に行われた渋谷・宮下公園の行政代執行に続いて年末に江東区が区内の竪川河川敷公園で行政代執行の手続に入った。首都高・小松川線の下2.5キロに渡って広がる竪川河川敷公園には二十年ほど前からテントで野宿生活を送る仲間が多くいる場所であったが、六年ほど前から公園の改修工事が計画され、それに伴う野宿者のテントに対する排除が行われてきた。改修工事は公園の中にカヌー・カヤック場などの有料のスポーツ施設を作り民間委託するというもので、公共の物である公園を企業に売り飛ばすという意味では宮下公園のナイキ公園化とも通底する問題をはらむ。


 竪川の仲間たちは区・緑と水辺の課との交渉や、区役所前でのビラ撒き、地域デモなど様々な闘いを展開して来たが、09年より工事が始まった。


 工事は公園を3つに分けた工区の内、A工区から始まり、そこに住んでいた仲間たちは代替地を要求、B工区かC工区へ移れという区に対し、あくまでA工区内での移転を求めた。その結果B工区と隣接するA工区の端、五の橋のたもとに二十人ほどの人々が暮らす事となった。


 工事は現在A工区が終了し、B工区へと移っている。区の用意した代替地だが、仲間たちがここから出て行かなければA工区とB工区がつながらない、工事の進展とともに区の追い出しが激しさを増してきた。当初は話し合いで、と区の側も言っていたはずなのにである。水辺と緑の課の課長が仲間たちのところへ来て、差別的な言辞を吐き、怒鳴り散らすという事もあった。


 そしてそのような行政による排除の動きに伴って江東区周辺では少年たちの野宿者襲撃が頻発するようになっていった。竪川でも五の橋の上からテントに物が投げ落とされたり、テントが放火され全焼するといった一歩間違えれば命に関わるような事件も起きていた。


 仲間たちは江東区の土木部水辺と緑の課、教育委員会、人権推進課などと交渉を行ったが、警察沙汰になるとかケガ人が出るなどのはっきりした被害が出ないと動けない。などと、不真面目な対応であった。果ては「野宿者が通行人を襲ったという情報もある。」などと根も葉もない事を言い出す始末。


 そんな中、「はっきりとした被害」が出てしまう。12月11日深夜、都立大島小松川公園で野宿者の男性が小中学生と見られる五人の少年に襲撃され肋骨三本を骨折する重傷を負うという事件が発生したのだ。


 直ちに仲間たちは江東区宛の公開質問状を提出し、21日には区の上記三部門との交渉を行った。


 この交渉の中で水辺と緑の課は強引な追い出しはしない。と発言していたのだが、翌22日には竪川A工区の仲間に対して14日間の弁明機会を与えるという江東区長・山崎孝明名義の弁明機会付与通知書なる物が届けられた、これは行政代執行にあたって弁明機会を与えるというもので、この後、除却命令が出され、期間内に自主的に撤去がなされない場合、戒告書が出され、その後、代執行令通知書が出され、行政代執行が行われる。


 これまでの令から考えて1月末から2月の初旬が、代執行の山場と見られている。竪川の仲間たちはこのあまりにも誠意の無いデタラメなやり方に憤慨し、断固として闘う事を決めている。何しろ、区が用意した移転地なのだ。話し合いで、と言っていたのは水辺と緑の課の方なのだ。


 越年期間中、1月2日には竪川で、フィールドワークと餅つき大会が行われ、多くの労働者や支援者が集まり、問題や怒りを共有するとともに交流を深めていった。


 荒川堀切橋付近の河川敷でも国土交通省によるテント排除が行われている。ここは多いときでは約五十軒のテントがあったところで古くからの山谷労働者が多く住む、隅田川など他のところで追い出されて移ってきた人も多い、昨年八月突然工事計画が発表され、十月までに出て行けと住んでいる仲間たちは迫られた。工事は河川敷にアシなどの植物を生やす自然再生工事だという、人工河川の荒川で自然再生とは片腹痛いが、情報公開で調べた工事計画の中で満潮時にアシなどに水が浸るように掘り下げればホームレスが住めなくなる。などという記述があり、自然再生というのは口実で野宿の仲間の追い出しのための工事であった事が明らかとなった。


 昨年、河川事務所で行われた交渉でも国土交通省はアシについての説明に終始し、「アシの事は考えるけど住んでいる人間の事は考えないのか。」という仲間の声に「そうです。」と答えている。


 すでに工事が行われ、多くの仲間が施設に入ったり、他の地域へと移っていったが、数人の仲間が「最後までどかないよ!。」とがんばっている。


 荒川では越年闘争に先立って12月24日に餅つき大会が行われ、多くの仲間の結集で団結を深めた。


 山谷争議団の分裂による現在「東京・山谷日雇労働組合」を名乗る人々の暴力により、玉姫公園での越冬が困難になって以降、この15年ほど越年の拠点となっている城北労働福祉センター前の路上は毎週の共同炊事の拠点でもあるが、ここも、都内各地の炊き出し現場と同様に中止を迫られている。日雇労働者の町、山谷も再開発の進展とともに野宿者や炊き出しへの圧力が強まっている。


 センター前での越年は 三里塚からの野菜や屠場労組からのカンパの肉をつかって朝夕の二食を作る他、隅田公園や上野公園そして東京都の山谷越年対策であるなぎさ寮での餅つきの他、夜には上野などでのパトロールを行った。


 また、毎年越年で公演を行ってくれる劇団「水族館劇場」ユニット「さすらい姉妹」もまた今年も31日山谷センター前、3日上野公園と芝居を見せてくれた。そして三日夜には経済産業省前で座り込みを行っている人々がセンター前を訪れ、エールの交換を行うなど、野宿の仲間の生きるための闘いから持たざる者、排除されたものの連帯の広がりが感じられる越年でもあった。


 一週間の越年闘争を終え、四日の早朝に撤収した後は生活保護の集団申請を行った。越年期の闘いが終わっても上野での夜間パトロール越冬闘争は春まで続く、そして竪川の代執行など野宿者排除との闘いは正念場を迎えている。五日には弁明機会の期限を迎え竪川の仲間を中心に江東区役所への弁明書提出行動が行われた。この日を期限と指定してきた当人である区長が逃亡したために全く事情の分かっていない様子の総務課に手渡たさざるをえなかったが、区役所前でのビラ配布なども含めて仲間たちはこの日の行動をやりきった。


 竪川と荒川の排除の情報は逐次山谷労働者福祉会館のブログにアップされる。 今後の闘いへの注目と支援を。                          


(板)

【パキスタン】パキスタン労働運動弾圧被害者家族カンパ要請‏

poster-lqm-blog








【パキスタン】

「ファイサラバード6」への緊急カンパアピール

ファルーク・タリク

 
 皆さんがご存じのように、ファイサラバードの労働運動指導者六人は、合わせて490年間の投獄という判決を受けた。かれらの罪は、政府が発表した最低賃金引き上げのための平和的ストライキを指導したということだった。彼らとはアクバル・アリ・カンボフ、ババル・シャフィク・ランダワ、ファザル・エラヒ、ラナ・リワズ・アフメド、ムハンマド・アスラム・マリク、アスガル・アリ・アンサリである。うち四人は2010年7月に逮捕され、他の二人は2011年7月に同じ罪名で逮捕された。

 最初に逮捕された四人はすべて「労働者カウミ運動(LQM)」と呼ばれる、パキスタン第三の都市ファイサラバードの動力織機労働者組織の指導者である。LQMは2004年以来、地域社会をベースに作られた繊維労働者の権利のために闘う組織である。LQMはファイサラバード市と周辺地域の繊維労働者の中で大衆的基盤を持っている。

 2011年11月1日、ファイサラバードの反テロ法廷は六人の指導者にテロの罪状で判決を下した。パキスタンでしばしば見られるのは、テロリストがこうした法廷で釈放され、労働者がテロ法で有罪になるということだ。

 彼らはストライキ中に工場に放火したと告発されている。これはでっち上げである。事実はこうだ。2010年7月20日のストライキ当日、テクリ・ワラの工場主からカネを貰ったゴロツキが、賃金の引き上げを求めて工場から出ていく労働者たちに発砲しはじめた。一部の労働者は果敢にも工場内に入り、ゴロツキどもの発砲をやめさせた。ゴロツキどもの一部は、怒った労働者に叩きのめされた。

 裁判の中で労働者たちの弁護士は、かりに工場が焼き払われたのだとしたら、なぜその三日後に工場の運転再開が可能になったのか、と問うた。

 ファイサラバード地区の10万人以上の動力織機労働者は、2010―11年度予算の説明で政府が発表した賃上げの実施を求めて2010年7月10日にストライキを決行した。政府は民間企業の労働者の最低賃金を一七%引き上げると発表したのである。ファイサラバード、ジャンなどの地域のLQMは、ストライキの三週間前に動力織機工場主と交渉に入った。

 事件が起きたのは、多数の動力織機工場があるファイサラバード郊外の工場地帯スダールである。この地区は、労働者が大規模な自己組織化を効率的に果たしたことにより、三年間にわたって労働者と工場主の間での戦場になっていた。

 労働者の指導者たちの長期投獄判決は、ファイサラバード、さらにはパキスタン全国の労働運動にとって破滅的な打撃となる。裁判所がこうした過酷な反労働者的判決を下すなどということは、誰もの予測を超えることだった。とりわけ司法そのものが強力な民衆運動の支援を通じて再建されたからである。しかし反テロ法廷は、緩やかなペースで労働者階級の戦闘性の全国的シンボルになってきた動力織機労働者の運動にダメージを与えるという目的だけで、判決を書くことを選択した。

 資本主義の下で労働者を規律で縛る主要な方法の一つは、資本家たちの出す条件で資本家との交渉をする以外の選択しか残されていないところまで労働者を追いやることである。それは国家の暴力を通じてでも、体制内で生き残るためには妥協の選択しかないように財政的に労働者に打撃を与えるというやり方を通じてでも、行われるのだ。

 資本家たちは、後者の方法を採るのが通例だった。労働者に割り当てられた不正に反対し声を上げる男女にとって、弾圧された労働者の指導者をお前らもこうなるのだという見せしめにするためである。投獄されている同志たちのすべては結婚しており、彼らの家族の第一の稼ぎ手である。彼らの家族は金銭的破局の瀬戸際に追いやられている。家族たちは十分な食糧も買えないため、子どもたちに学校をやめさせることを考えている。

 これは労働者たちを服従させる資本家たちの政治戦略の一部であり、それが投獄された指導者たちの家族に厳しい結果となることをわれわれは知っている。そこでパキスタン労働党(LPP)、労働者カウミ運動(LQM)、全国労組連合(NTUF)、労働者教育基金(LEF)は、投獄されたわれわれの同志たちを財政支援を訴える運動を始めている。

 これらの指導者たちは、当局との妥協を拒否し、真実を語ったことの結果を引き受けることで、素晴らしい勇気と確固たる信念を示した。家族たちがわれわれの温かい支援を受けるに値するのは、同志たちが労働者階級とともにこの運動に参加したために弾圧の苦しみを受けている、というだけの理由によるものではない。この運動の結果が、そして困難な状況に置かれているわが同志たちに連帯を差し伸べるわれわれの能力が、今回の事件が労働者階級の戦闘性を妨げることになるのか(資本家たちが願っているように)、それとも支配階級のいまわしい戦術に反対する労働者階級の輝かしい連帯の模範例になるのかを決するだろうからだ。

 反テロ法は、しばしばパンジャブ州の産業労働者の抗議行動に向けて使われている。13人の労働組合指導者が、こうしたテロリズムの名での告訴に直面している。彼らの本当の罪名は、組合員の生活向上、賃上げを要求したということにある。パンジャブ州政府は、経営者に挑戦している工場での労働組合運動をつぶすために全力を上げている。

 LQM、NTUF、LPP、LEFを代表して、われわれはこうした国家テロの被害者の家族たちに温かいカンパを訴える。家族たちは、緊急の金銭的支援を必要としており、われわれは集団的な支援によってのみ家族を支えることができる。



▼ファルーク・タリクはパキスタン労働党のスポークスパーソン。

(「インターナショナルビューポイント」11年11月号)



読者のみなさんへ。私たちもカンパを呼びかけます。「パキスタンカンパ」と明記して、新時代社の郵振口座に送ってください。新時代社:00290-6-64430

【報告】11・3「持たざる者」の国際連帯行動

113 十一月三日、渋谷区恵比寿公園において「持たざる者」の国際連帯行動が行われ、約百人が参加した。

 二時から始まった集会では最初に実行委員会の仲間が発言し、ウォール街占拠の闘いなどに連帯し十月十五日に「怒れる者たち」の世界同時アクションを三百人の結集で行った事を報告し、アラブ・中東での独裁者を打倒する闘いや、ウォール街占拠闘争などの少数の金持ちが多数の人々を搾取する社会に対する全世界の闘いと連帯し、格差社会に対する闘い、そして反原発の闘いを闘っていこうと訴え、集会が始まった。


 続いて、福島原発の事故以降、東京電力前での闘いによって首都圏での反原発の闘いを牽引してきた東電前アクションの仲間が発言にたち、三月以降の闘いを振り返り、労働者が被曝にさらされていると考えられる、東京都の下水道局や、清掃局などに情報の開示を求めている事を報告。十一月六日行う東電前アクションとしては初めて行うデモへの参加を呼びかけた。


 次に経済産業省前で座り込みを続ける仲間がテントを張って五十五日目の闘いを報告。


 続いて福島原発緊急会議・被曝労働プロジェクトの仲間が重層的な差別構造、下請け構造に支えられた被曝労働があって原発が存在してきた事を明らかにし、この間非正規労働者を多く組織している労働組合などと連携して闘ってきた事、「被曝労働を考えるネットワーク」の結成が準備されている事などを報告した。


 続いて江東区・竪川河川敷公園、荒川・堀切橋でのテント排除と闘う仲間が登場し、公共地は貧困との闘いに必要だ、ともに奪い返そう!と訴えた。竪川では二〇〇九年より一部有料のスポーツ公園としてリニューアルするとして工事が行われてきたが、当初「野宿者排除はしない。」として当事者とも何度も話し合いが行われ、テントの仲間も工事区域からは移動するなどしてきたが、工事の進展とともに江東区・水辺と緑の課は態度を硬化させ、課長がテントの仲間を怒鳴りつけるなど、排除の動きが激化してきている。そしてそれに伴って、高校生らによる襲撃なども繰り返され、放火によってテント小屋が一軒全焼するという事態にまでなっている。


 荒川河川敷の堀切橋付近は古くからの山谷労働者がこの二十年ほどテントを建てて暮らしてきた。国土交通省は八月、現在ここに暮らす約五十名に対して「十月から工事を開始するので9月末までに退去せよ。」と一方的に通告してきた。工事とはアシなど水辺の植物を生やす自然公園にする。というもので、野宿者排除のために考えられたとしか言えない代物。交渉では工事にあたって「住んでいる人の事は念頭においておりません」『アシの事は考えているけど人間の事は考えていないという事か?』「そうです」など排除の意図を全く隠さない態度であった。現在、工事が始まり、テントの横を重機が行き交い、たまりかねて出て行った仲間のテントを見つけるとユンボなどでこれ見よがしに破壊すると行った事が行われているが、約二十名ほどが残ってがんばっている。(詳しくは山谷労働者福祉会館活動ブログなどを参照)


 続いてAPFS労働組合の仲間が震災以降、不当解雇や自宅待機、賃金不払いなど外国人からの相談が殺到した事を報告、十六年も働いていた職場を解雇されたミャンマー人、労災でけがをしたエチオピア人が支援を訴えた。


 さらに、争議団連絡会議、差別排外主義に反対する連絡会がアピールを行った。


 最後に実行委員会の仲間から不当弾圧で逮捕されていた神奈川学校事務職員労組の仲間が前日に全員奪還された事が報告された。


 格差社会反対や、反原発を訴え恵比寿から渋谷を一周するデモを行った。解散地は美竹公園ここは渋谷・のじれんの炊き出し拠点(毎週土曜日)であり、隣接する東京都児童会館の軒下は以前より多くの人々が雨露をしのぐ野宿スポットであったが、十一月一日、東京都福祉保険局は耐震工事を名目に全面封鎖した。


 夜にはスペースたんぽぽへ場所を移し「原発震災下の<生存権>を問う」をテーマに屋内集会を行った。  

                             (板)

【転載】がくろう神奈川組合員4人への「団交弾圧」抗議声明

★★★転送転載大歓迎★★★

1.抗議・支援要請

 すでに新聞報道その他でご存知の方も多いかと思いますが、去る10月25日、私たち学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川)の組合員と退職した元組合員のあわせて4人が、神奈川県警公安3課と栄警察署に強要未遂容疑で逮捕されました。しかし本件の実態は、手続き的にも道義的にもまったく正当な「校長交渉」=労使交渉、すなわち正当な労働組合活動に対する、まったく不当な刑事弾圧です。ことの経緯は、別紙「組合員への不当逮捕に抗議する(声明)」をご覧ください。

 この不当な弾圧に対する抗議と、救援活動への支援を要請します。私たちは、労使交渉という労働組合の基本的活動そのものを対象とした、この極めて悪質な刑事弾圧を断固許さず、立ち向かって行きます。皆様のご尽力をたまわれれば幸いです。


【抗議先】
神奈川県警本部
横浜市中区海岸通2丁目4番
代表電話・FAX 045-211-1212
総合相談室電話・FAX 045-664-9110
神奈川県警栄警察署
横浜市栄区桂町320?2
電話 045-894-0110

【支援・激励・問い合わせ】
学校事務職員労働組合神奈川
横浜市港北区篠原台町36-28 東横白楽マンション602
電話・FAX  045-434-2114


組合員への不当逮捕に抗議する(声明)


 10月25日、私たち学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川)の組合員と退職した元組合員のあわせて4人が、神奈川県警公安3課と栄警察署に強要未遂容疑で逮捕された。しかし本件の実態は、正当な労働組合活動に対するまったく不当な刑事弾圧である。がくろう神奈川は強く抗議するとともに、不当に逮捕・勾留された4人の即時釈放を要求する。



 本件不当逮捕は、がくろう神奈川が組合員勤務の横浜市立中学校長と2009年3月に行った「校長交渉」=労使交渉に際しての、当時いずれも組合員であった4人の行為を被疑事実としている。

 しかしまず、この交渉は事前にがくろう神奈川より申し入れ、校長も受諾した上で行われたものである。一部報道では県警公安3課の説明として、「地方公務員法は人事評価についての交渉は認めておらず」などと交渉そのものが違法であったかのように報じているが、そのような明文規定はなく、まして交渉することそのものを違法とする法解釈などありはしない。何より本件は当事者同士が、人事評価という議題も労使交渉であるという位置づけも事前に承知した上で行ったものであり、まったく適法な労使交渉であった。

 そして労使交渉の席上、両者の主張が平行線をたどれば厳しい議論になるのは当然であるし、使用者側が一方的に打ち切ろうとすれば抗議し、要求が受け入れられなければ相手側の問題点を指摘し、あるいは今後の更なる取り組みの強化を通告して追及するのも、労使交渉である以上当然のことである。違法行為を予告したわけでもない交渉における言動を「強要未遂」などと言いなすのは、民間労組が交渉でスト権行使を示唆するのを「強要未遂」と言うのと同じくらい、通用しえない話である。


 そもそもの発端は、組合員に対する人事評価であった。一部報道では「人事評価を上げるよう要求」とあり、あたかも通常を上回る高評価を不当に得ようとしたかのような印象を受けるかもしれないが、事実はまったく異なる。そもそもがくろう神奈川は、人事評価制度そのものに強く反対しており、制度撤廃を求め続けている。その上で現場においては、制度上どうしても評価をせざるをえないなら全て標準にあたるB評価を、と申し入れており、SやAなどの高評価を求めるなどあり得ない。

 その上で本件はどういった交渉であったのか。当該中学校勤務の組合員はこの年度に新規採用され、初任ながら事務職員単数校に配属された。県内でもっとも多忙とされる横浜で、右も左もわからない1年目からたったひとりの事務職員として配属された上、本来頼りになるべき管理職=人事評価制度上の「観察指導者(校長)」も「助言指導者(副校長)」も事務職員の仕事を知らず、指導も助言もありはしない。この組合員はそんな環境の中でも尽力し、1年間事務職員業務を滞りなく勤めた。しかし人事評価における校長評価は、標準がB評価であるところ、7ヵ所中5ヵ所にC評価をつけるものであった。C評価を受ける者は県内全体で1%にも満たず、著しく低い評価であった。

 当該校長は、人事評価制度上本来果たすべきとされている「指導」や「助言」もせず、また勤続年数に基づく評価を行ってはならないとされているにもかかわらず「初任者はC評価から始まる」といった重大な誤解ないしはデタラメに基づいて、著しい低評価を下した。C評価を下した場合に記入すべき「指導・助言内容」も記入できていない。これを不当評価と言わずしてどう言おう。後の話であるが、この評価については横浜市教委も「行き過ぎ」と認め、不充分ながら一部を訂正させたほどである。

 以上の経緯・理由を踏まえて、がくろう神奈川はC評価の撤回とB評価への修正を要求した。私たちはこの要求を、組合員への不当極まる評価を撤回させ、組合員の人権を守り名誉を回復するための正当なものであったと信じる。



 以上の通り本件刑事弾圧は、手続き的にも道義的にもまったく正当な労働組合活動に対する、警察の不当介入・不当弾圧そのものである。がくろう神奈川は、逮捕・勾留を行い、あるいは請求し、あるいは許可した県警・検察・裁判所に強く抗議し、4人の即時釈放を要求する。加えて、逮捕された現職組合員の任命権者である横浜市教委と相模原市教委には、今回の逮捕・勾留を理由としたいかなる処分や不利益取扱いも行わないよう要求する。

 最後に、私たちがくろう神奈川は今回の不当な刑事弾圧に屈することなく、逮捕された4人の救援活動とともに、組合活動を決然と展開して行くことを表明する。みなさんのご支援ご注目をお願いします。



2011年10月27日

学校事務職員労働組合神奈川

【報告】ウォール街占拠-世界と連帯して 10.15「『怒れる者たち』の世界同時行動に連帯を!」デモ

1015 1
10・15「怒れる者たち」の世界同時行動に連帯を!

貧困と格差をなくそう! 生きる権利を取り戻せ!

我々はモノではないぞ! デモと広場の自由を!
 
  10月15日、東京・新宿柏木公園で、「『怒れる者たち』の世界同時行動に連帯を!」の集会とデモが10・15 「怒れる者たち」の国際連帯行動実行委員会の呼びかけで行われ、三〇〇人を超える仲間たちが参加した。この日の昼のニュースで、ウォール街では占拠していた公園を清掃と称して排除しようとしたのに対して、証券街の道路に繰り出したデモ隊と警察が激しく衝突し逮捕者が出ている、と報じていた。こうした緊張した状況の中で、新宿ほか、日比谷、六本木でも同趣旨の行動が取り組まれた。

 最初に、公園に集まった様々な仲間たちに、国際連帯行動実行委員会の仲間が以下の呼びかけの趣旨を述べた。
 
 世界中で、貧困に、格差に、圧制に、抑圧に、排除に、差別に、そして新自由主義の暴力に、「もう、たくさんだ!」「資本家、金持ちどもの非道を止めろ!」「世直しを!変革を!」と怒りの声が、今日10月15日「怒れる者たち」の世界同時行動として連なる様々なアクションが、国境を越えて70カ国以上、1600都市以上で行われる。

1015 2 この行動の発信元は、この五月、スペインのマドリッド広場を長期間にわたって占拠し、スペイン全土へと広がった社会運動「本当の民主主義を今すぐに!」(Democracia Real YA!)が、10月15日に、「グローバル・チェンジ」を合言葉に、国境を越えて怒れる者たちが一斉に街頭や広場を埋め尽くそうと、世界中へ発信されたもの。

 この発信に、ニューヨーク「ウォール街占拠」の闘いがリンクして、世界同時行動は一気に広まっている。こうした民衆の決起は、年頭のチュニジア、エジプト革命を発火点に、欧州へ、アメリカへ、全世界へと波及してきた。

 この燎原の火はまた、タハリールやマドリッドのように、無数の広場=民衆の解放区を創出した。一方、日本では3.11以降、反原発デモのうねりを「治安の脅威」だと弾圧が横行している。そもそも日本のデモは、警察権力によって長い間、理不尽に弾圧され、多くの者が不当に逮捕され、多くの広場=解放区の創出が圧殺されてきた。

 しかし、もういいかげん我慢も限界だ! 3.11から七カ月、生存権がないがしろにされ、人間の尊厳が踏みにじられてきた現実! 異議申し立ての叫びを封殺してきたのは誰だ! 今こそ反撃の闘いを、いたるところに無数につくりだすときだ。

 格差社会を強制終了! 生きる権利を再起動! 怒れる者たちはつながろう!
 
 次に、参加団体の持たざる者の国際連帯行動を代表して山谷労働者福祉会館のなすびさんが訴えた。

 なすびさんは「先進国の首脳や金持ちたちの談合の場・ダボス会議に、民衆運動が世界社会フォーラムを組織し、対抗アクションを起こした。二〇〇三年に、声なき者の世界会議が秋の世界同時行動を呼びかけ、それに呼応して日本でも毎年11月3日に、集会・デモを行ってきた」と運動の経過を報告した。「その後日本での反貧困運動が起こったが、格差問題の訴えが不充分だった。ウォールストリートの運動は反格差社会を訴えている。ごく一部の者が富を持ち、社会を動かしている。儲けている者がいる。あれをなんとかしろ! 格差を根本的にひっくり返す闘いだ。もうひとつの目的は占拠である。公共とは何かを問うている」。

 「日本でも野宿者が公園から排除されている。震災避難民たちが仮設に追いやられている問題と共通している。そして、被曝労働をしている者たちがいる。彼らは他に仕事がないので自分の命を切り売りして生活している。その労働に日雇い労働者がかり出されている。彼らと共につながるメッセージを送りたい」。

 次に、野自連の仲間が「一三年間、渋谷区の児童館前の敷地を共同炊事や寝場所として使ってきた。都は東日本大地震を受けて児童館の耐震工事をするということで、一〇月から来年一月まで閉鎖すると、事前に交渉する約束を守らず、排除してきた。来週月曜日、団交と児童館包囲のデモを行う、参加を」と訴え、さらに「野宿者は占拠という形で命をながらえている。ナイキのために宮下公園を改装するということで、排除の代執行が行われた。怒り、反対の声を敵に正確に分からせるための行動を起こそう。私たちのための世の中をつくっていく」と呼びかけた。

 福島原発事故緊急会議の仲間が11月11日午後六時~七時半、再稼働をさせないための経産省包囲アクションへの参加呼びかけを行った。9月23日新宿デモで不当逮捕された園さんが逮捕に抗議するアピールと三年前の日比谷派遣村のような大衆的なアクションを反原発運動でも起こそうと訴えた。

 参加者は新宿駅をぐるりと回るデモを元気に行い、たくさんの行き交う人々にアピールした。このデモで逮捕者こそださなかったが、警察はデモ隊と同数の機動隊と私服公安警察を大量に配置し、デモを威嚇する不当な警備を行った。デモによる表現の自由を規制した。こうした憲法違反の警備こそ「法律違反」だ。闘いの発展は抑えようがない。より大衆的な広がりをつくろう!

(M)
 

【報告】 2011山谷夏祭り

san 八月六日(土)、七日(日)の両日、山谷夏祭りが行われ、会場の玉姫公園には多くの労働者や支援者が集まった。


 実行委員会で決まった今年のスローガンは「なに!節電だ?もともとおらとこ電気がねえ」サブスローガンは「貧乏人を殺すな!命を守ろう!」。


 六日、午前中から作業に汗を流す、山谷労働者福祉会館から物資を運び出し、公園では盆踊りのヤグラや、ステージなどの設営、屋台の準備が行われた。屋台は年々参加団体が増え、多彩になってきた。また、祭りに先立ってはアルミ缶の買い取りと、ワッショイ券(屋台券)との交換も行われ好評だった。


 四時半からは共同炊事が行われ祭りがスタートした。共同炊事と平行して毎年会場内に設けられている祭壇の前で追悼も行われた。昨年に続き、ひとさじの会のお坊さんがお経を上げ亡くなった仲間を追悼する。


 山谷争議団の仲間が開会の挨拶にたち、震災後の厳しい状況の中、力を合わせて闘い、生き抜いていこうと訴え、乾杯を行った。今年もウーロンハイは無料だ。七日には山谷労働者福祉会館のなすびさんが被ばく労働自己防衛マニュアルを作った事を報告し、福島原発の現状について「とても人間が入って作業する状況には無い」として原発の仕事に行くな!と訴えた。


 ステージは一日目はカラオケ、そして今年で三回目の登場となった、真黒家ぼっくす(まっくろけぼっくす)ホーンも入った総勢十名のバンドでアリランなどを演奏、会場内は一気に盛り上がる。続いてもう何回も夏祭りに参加してくれている岡大介さん。缶カラ三線やギターで懐メロや、復興節などを熱唱。


 翌七日のステージは盛りだくさん、最初はジンタラムータ、映画「山谷やられたらやりかえせ」の音楽も担当した大隈亘さんを中心としたグループ、東欧のロマ(ジプシー)の職人の労働歌や、相馬盆歌などの被災地の民謡などを披露した。


 つづいてマサさん、夏祭りでは常連の女性サックス奏者、ニューヨークのハーレムを拠点に演奏活動を展開している。次にさっちゃんバンド、立川テント村のビラ撒き弾圧事件の当事者でもあるさっちゃんを中心としたバンド、最近では反原発運動の現場でもおなじみだ。途中でマサさんも加わっての演奏。最後は前日に続いて岡大介さんが登場。


 ステージの後は盆踊り、今年は事前に練習会も行い、気合いも入っている。七日はさっちゃんがシャンベ(ラテン・パーカッションの一種)をたたいて盛り上げる。


 この間、山谷・浅草周辺では東京スカイツリーの建設とそれに伴う観光化によって野宿者の排除が激しさを増している。各区ではアルミ缶の持ち去り禁止条例が強化され、野宿者の生活の糧が奪われつつある。また、江東区では竪川河川敷公園の再開発に伴うテント排除との闘いが煮詰まりつつある。


 また、毎週日曜日の共同炊事は多くの人々、特に米などの食材を提供してくれる農家のカンパによって支えられているが、今回の震災によってこの秋以降の食材の確保に赤信号が灯っている。


 さらに、震災に起因する企業倒産や、非正規切りは被災地だけでなく全国で起きており、職を失う人々が今後も増える事が予想される。そのような中で生活保護法改悪の動きが現実味を帯びてきている。


 この秋以降の野宿者戦線の闘いに注目を、そして支援を。


(板)

光州民衆蜂起31年 : 韓国民主労総の声明

1980年、全斗煥率いるクーデター軍による戒厳令体制に抗して、光州では民衆蜂起によって一時行政区域全体を解放し、血の弾圧を加えられてから31年に際しての闘う労働組合のナショナルセンター:民主労総の声明。





声明 No,6,547

5.18光州(クァンジュ)抗争31周年を迎えて- 2012年、権力を5.18虐殺勢力から国民へ
http://nodong.org/612433

イ・ミョンバク政権4年目とともに迎える5.18光州(クァンジュ)抗争31周年は格別だ。 その日光州の街頭と市民らの胸に響いて広がった民主主義と解放の熱望は相変らず進行形であり、イ・ミョンバク政権の下で一層切実だ。いつの間にか31年という歳月が流れたが、"5. 18光州"は私たちの歴史の消されない傷であり栄光だ。その日以後、私たちの社会は民主主義の回復と変革のために激しい時代を生きた。そして光州から燃え上がった抵抗の火花はついに87年民主化の野火として復活した。しかし民衆の抗争は完全な勝利をおさめることができなかった。欺瞞的な6.29宣言で軍部独裁は生き長らえたし、その権力集団の主流派であるハンナラ党政権は相変らずこの地の権力を独占している。

これら反動保守勢力の執拗な蠢動の中にまだ5.18光州虐殺の真実は徹底的に糾明されなかったし、虐殺勢力の親分は29万ウォンで国民にいやがらせをして、10億を越える血税で警護されながら豪華な生活を享受している。これらの権力を継承しているイ・ミョンバクは執権中ただの一度も5.18光州抗争記念式に参加しなかったし、ハンナラ党代表であったアン・サンスという者は卑劣にも5.18烈士墓地参拝の過程で烈士墓地の上席を侵す不敬も厭わなかった。さらに国家アイデンティティ回復国民協議会などという極右保守団体などは光州虐殺が北の蛮行という天人共怒する歪曲を日常的に行ったし、彼らにイ・ミョンバク政権は毎年3千万ウォンを越える国民の血税を使って支援している。

31年前、5.18において最も残忍で悪らつな本性を表わした国家暴力はまだ‘法と秩序’という美名の下で公然と暴政を行っている。そのように"5.18光州"は国家暴力の再発見だったが、民主主義と変革、祖国解放の熱望とその主人公らを再発見した歴史でもある。独裁の銃刀の前に命を投げ出して民主主義を守ろうと思った市民軍は平凡な市民らであったし労働者であった。これら民衆は軍部の銃刀に対抗して、たとえ短い期間ではあるが崇高な民衆共同体の希望を歴史の中に刻印したし抵抗と抗争の価値を呼び覚ました。そして私たちの民衆は5.18精神を継承して不当な権力と戦ってきたし、労働者はその先頭で新しい社会に対する夢を引っ張ってきた。

それでもまだ権力は国民の中に戻らなかった。軍部独裁勢力が銃刀で簒奪したその権力は、また財閥の市場独裁が簒奪してしまった。だから絶対多数の国民の人生と日常の労働は相変らず大変疲弊して、両極化と勝者一人占めの無限競争は全社会を葛藤と不幸の阿修羅にしている。より一層みじめなのは権力簒奪の典型だった独裁者パク・チョンヒのムチをあたかも経済発展の成果で称賛して、その娘を有力な大統領選候補に注目している現実だ。パク・クネはただ一度も独裁の遺産を反省しなかった独裁の後えいであるゆえ、2012年という政治の激変期に私たちは、独裁勢力に対抗した大胆な挑戦と抗争に出るだろう。5.18光州抗争31周年をむかえる今日、私たちは今もって虐殺権力が闊歩するということを目撃して、新たに反省と決意を新たにする。光州から始めた民主主義と変革、祖国解放と労働解放の夢は相変らず時代の希望であり指向であることを確認する。

その道を民主労総は弛みない意志と犠牲で民衆と共に歩むだろう。


2011.5.18.

記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ