虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

三里塚-反空港

映画『三里塚のイカロス』の製作支援を

CeaA-UaUAAA44T0若者はなぜ農民のために
命がけで闘ったのか



第二章『三里塚のイカロス』は
人生をかけて闘ったあなたの物語です。

映画製作費の支援を、
9月20日まで、クラウドファンディングで募集中

https://motion-gallery.net/projects/sanrizuka02




■2017年劇場公開予定

 国家権力と闘った三里塚の農民たちの生きざまを描いたドキュメンタリー映画『三里塚に生きる』に続く、第二章『三里塚のイカロス』の制作が進行中だ。今度は農民の闘いを助けた若者たちが主人公である。

 2015年から始った撮影はほぼ終了し、音楽録音も行い、現在編集中で、2017年に劇場公開予定だ。制作資金が不足しており、製作者の代島治彦監督が、完成までの諸経費300万円の支援を求めている。

 8月11日、制作支援のためのイベントが都内で行われた。前作『三里塚に生きる』の無料上映に続いて、『三里塚のイカロス』ダイジェスト版が10分ほど上映された。上映後は、安保法制に反対する国会前の闘争を取材したジャーナリストと映画監督、代島監督の3人によるトークショーが行われた。

■ダイジェスト版を見てきた

 ダイジェスト版では、登場人物の名前や場所の説明はない。私の知る範囲で、少しだけ加えて紹介する。
 錆びつき蔓が絡まる鉄骨。そこに轟音とともにジェット機の腹が視界に飛び込んでくる。ジェット機は頭上を通過し、滑走路に消えて行く。航路直下の岩山記念館(要塞)の屋上から見える風景だ。開港を拒んでいた大鉄塔は倒されたが、その跡に建てられた要塞は、今も空港の前に立つ。

 前作で、大木よねの隣で、襲いかかろうとする機動隊に対して、稲を持ちながら激しく抗議する若者がいた。今はすっかり頭も薄くなった加瀬勉さんだ。加瀬さんは、全学連が1967年三里塚の支援にやってきた経過を、当時と同じように、力強い話し方で説明する。

 場面は変わり、ガラス戸が無くなり、荒れ果てた建物の前で、二人の男性が、一人は車いすに座り、支援に来た当時を振り返り、食料も不足しカエルを捕まえ食べた思い出を語りだす。「インター現闘団」と書かれた大きな古いトタン板の大看板。そう、ここは朝倉公民館、朝倉団結小屋があった場所だ。文字の一部は消えかけてい
るものの、「大地を人民の手に」「一坪再共有運動貫徹」の文字が読める。

 二人の話題は、反対同盟分裂後のテロ襲撃にうつる。「襲撃の前には、電話線が切断されるから、電話線が切れたらブザーが鳴る装置を電電公社の労働者が作り、メンバーの家にとりつけた」とテロを警戒しながら暮らした様子を語る。「ある日、ドンドンと玄関をたたく人がいた。開けてみたら『吉田さん大丈夫ですか』と警察だ
った」と笑いながら話す。そして、襲撃に反撃しようと思わなかったのかとの問いかけに、「よく耐えたよな」「耐えなきゃ大変なことになっていた」と真面目に答えた。

 一方、初老のしっかりした服装の男性は、党派の現地責任者であったが「自分に相談なしに(テロ襲撃は)決行された」と話す。

 このほかに、援農先で知り合った現地の青年と結婚した女性。なれそめを聞かれて、恥ずかしそうに、笑顔で思い出を話す。

 三里塚50年のつどいで、「網走番外地」を歌って会場を驚かせた「ミスターX」こと中川憲一さんは、横堀の農道でパトロール中の機動隊員に声をかけられる。「オレは、40年前あの管制塔を占拠した犯人だ。今、撮影中だから・・」「オレの話を聞くか」と切り返すと、機動隊員は「勤務中ですから」と面倒くさそうに引き下っがてしまう。

 わずか10分のダイジェストだが、これだけでも十分興味が沸いた。「過激派」とレッテルを張られ、政府や警察は常に農民と引き離そうとした若者たち。その本当の姿と、闘争のあまり語られない部分にも焦点をあてている。

 なお、車いすの男性は、強制代執行を迎え撃つためのトンネル(塹壕)掘りで落盤事故にあい、半身不随となったのであり、テロ襲撃の被害者ではない。

今の若者がどうみているのか

 トークショーでは、2015年国会前闘争に集まった人々を取材した二人が、昨年の闘争と三里塚闘争について語った。

 一人は、路上で声を上げ国会前を群衆で埋め尽くした学生団体『SEALDs』を、結成から半年間カメラで追った映画『わたしの自由について~SEALDs2015~』の西原孝至監督。

 三里塚闘争を直接は知らない32歳の西原さんは、映画を勉強しているときに小川伸介監督の三里塚シーリズを見て、「ドキュメンタリーはすごい」と思うと同時に三里塚闘争に「あこがれがあった」そうだ。前作については「一生を掛けて闘っている人にはげまされた」と感想を述べた。

 もう一人は、国会前を支えたもう一つの層、中高年を「シニア左翼」と名付けた『シニア左翼とは何か』の著者で教育ジャーナリスの小林哲夫さん。小林さんは、かつて政治の季節を闘った人々に期待を込めて、「70~80年代大変なことを、どうか墓場まで持って行かないでほしい」と、一番しんどい時期の話を残し、今の運動につなげるようにと訴えた。

 代島監督は最後に、「自慢できない話にしていきたい」と締めくくった。

■過激派の温床のイメージ

 前作が公開されたとき、開港阻止闘争を闘った我々の同志から批判の声が上がった。一つは、「3・26が描かれていない」であり、もう一つは、上映時に販売されたパンフレットに「1984年1月 新左翼党派による武装闘争、党派間の内ゲバがはじまる」との記述を見つけ、「あれは一方的な襲撃であり、内ゲバではない、テロだ」という批判だ。

 今作『イカロス』では、この二つの批判に答える内容が描かれている。代島監督は、「政治の季節」の先輩たちに強いあこがれをもっていた。だが、内ゲバがはじまり殺人まで起きると、その熱は冷め、ハシゴをはずされた感覚だけが残り、ハシゴを登ったら、きっとそこは地獄だったかもしれないと感じていたそうだ。前作公開後のある日、管制塔占拠し出所直後に自死した原勲さんを追悼する元被告たちの花見に参加した。横堀鉄塔の下で酒を酌み交わしているとき、三里塚で闘った先輩たちの天国と地獄を映画にしたいという、強い衝動が走ったと述べている。

 闘争を続けた者には苦しかった時期、遠くにいた者には近寄り難い「過激派の温床」というイメージ。実際にそこに生きた人々の声を引き出すのが今作『イカロス』だ。農民を助けた若者は、自由に飛び回る羽をもちながらも、太陽に近づき過ぎて墜落したイカロスだったのだろうか。代島監督は、英雄物語を作るのではなく、それを否定し、よいことも悪いことも含めて伝えたいようだ。

■製作費支援を

 三里塚闘争過程で、命を落とした者、逮捕投獄された人、また心身に傷を負った人は少なくない。多くの人が語りたくないと思っている。にも関わらず、カメラの前に立ち、あえて語った9人に敬意を表したい。また、多くの元若者に断られながらも、三里塚闘争50年の全体像を明らかにしようと努力している代島監督に期待した
い。

 映画への支援は、9月20日まで、銀行振込、口座振込のほか、インターネット上でも行える。クラウドファンディングでは支援額に応じた特典も用意されている。
https://motion-gallery.net/projects/sanrizuka02

報告:三里塚闘争50年の集い7.17東京集会

s-P7174210 7月17日、三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人・柳川秀夫)は、文京シビックセンターで「三里塚闘争50年の集い7・17東京集会」を行い、一五五人が参加した。

 1966年7月4日、政府は三里塚農民に事前に知らせず、突然三里塚の地に空港を建設することを閣議決定した。三里塚農民は空港反対同盟を結成し体を張った闘いを展開した。民主主義とは何かという問題を全国に突き付け、多くの労働者・学生・市民が三里塚に駆けつけた。集会は、50年に及ぶ農民・人民の闘いの成果、教訓を確認し、さらに現在の第三滑走路建設計画も含め、今後の方向性に向けて発言が行われた。

 会場には三里塚闘争の歴史をふり返る写真パネル、「天皇への直訴状」など貴重な資料が展示されている。集会冒頭には「抵抗の大地」(1971年強制代執行阻止闘争の記録)が上映された。

 前半の司会は山崎宏さん(横堀地区)。

 柳川秀夫さん(代表世話人)は、「巨大開発で空港がどんどん大きくなっていく。政府がいくら謝ったとしても、この課題は解決できない。世直しという筵旗を掲げて闘ってきたが、それは本質的には革命だ」と主催者あいさつ。

 石井紀子さん(成田市川上・農業)は、東峰十字路事件(1971年9月16日)で地元の青年たちが不当逮捕され、裁判支援のために家族会を結成。家族会の手紙などを紹介しながら、「三里塚の中で、ものすごく華々しく燃えた若い女たちの闘い」を語った。東峰裁判支援コンサート(1985年5月)で三里塚の女性たちを知り、女性たちを撮った島田恵さん(映画監督)も登壇し、『自分の原点は三里塚にあった』と語った。

 平野靖識さん(東峰地区/三里塚らっきょう工場)は、1969年3月の三里塚闘争に参加し、その成果としての「有機農法、農的価値を掲げた地球的課題の実験村」を取り上げた。「第三滑走路計画が問題となっているが、農業基盤が弱くなり、農業後継者がいないなかで反対運動の困難性がある」と指摘した。 

 加瀬勉さん(大地共有委員会[Ⅱ]代表)は、亡くなった反対同盟と支援、獄中闘争を闘いぬいた管制塔占拠の同志に対して「インターナショナル」を歌って敬意を表した。闘争を前進させるために①農民の主体性の確立と民主主義②社会党、共産党、中核派などの「政党公害」の総括③社会変革と結びついた三里塚闘争の発展などを強調した。

 後半の司会は辻和夫さん(田んぼくらぶ)。

 発言は、清井礼司弁護士、鎌田慧さん(ルポライター)、高見圭司さん(スペース21)、関西・三里塚闘争に連帯する会、代島治彦監督、羽田空港増便問題を考える会、中川憲一さん(元管制塔被告団)、田んぼくらぶから行われた。

  閉会あいさつで柳川さんは、今後も「世直しで頑張っていこう」と訴える。最後は、参加者全員の団結ガンバローで締めくくった。

(Y)

報告:6.26三里塚―東峰現地行動

26三里塚デモ 6月26日、三里塚空港に反対する連絡会は、「飛行制限時間緩和を許さない! 成田空港『第3滑走路』計画を撤回せよ! 横堀現闘本部裁判最高裁で勝利判決を! 反原発―再稼働やめろ! 沖縄・辺野古新基地建設反対! TPP反対!」のスローガンを掲げ東峰現地行動を行い、40人が参加した。

 前段集会を旧東峰共同出荷場跡で行い、山崎宏さん(横堀地区/労闘―労活評現闘)が現地状況について次のように報告した。

 「国土交通省、成田国際空港会社は一体となって2030年までに第三滑走路を作るという計画案を出してきた。これまでの空港反対運動の歴史を無視して、空港拡大を推進する計画だ。成田市、芝山町は、地元住民有志という形で第三滑走路の誘致を進める組織ができ、運動を展開している。報道によれば芝山町北側に3500㍍クラスの滑走路を作ろうということが有力視されている。芝山町、多古町、横芝光町などはさらに騒音が拡大する。しかし芝山町は、自分たちの利害をかけて必死になって第三滑走路誘致活動を行っている」。

 「2020年東京オリンピックを通して旅客増加が見込まれると称して夜間の飛行制限時間の緩和への動きが出ている。成田市などの推進派に要望を出させながら、政府・空港会社はこれを梃子に夜間飛行制限時間を緩和しようとしている。現在でも早朝六時から夜一一時までは飛行し、住民の生活はギリギリのところにある。それをさらに制限時間を緩和して、もっと早朝、深夜まで飛行させようと策動している。かつて平行滑走路が作られる時、サッカーワールドカップに向けて旅客増が見込まれるからと滑走路拡大計画を掲げ、平行滑走路運用を強行した。スポーツイベントを利用しながら空港拡大をねらう、同じ手口を繰り返している」。

 「政府は事業認定を取り下げて土地の強制収用ができないが、裁判を通じて農民から土地を奪う、一坪共有地の解消を図ってきている。シンポ・円卓会議で『強制的手段を行わない。住民と話し合って解決する』と確認してきたにもかかわらず、みんな反古にして一方的に権力を行使し空港拡張を行ってきた。このような攻撃を許さず、地元住民と連帯してともに闘っていこう。今後も闘いの地平を譲らず、空港絶対反対、空港拡張を許さない闘いを進めていこう」。

 平野靖識さん(東峰地区/三里塚らっきょう工場)は、三里塚闘争50年を迎え、新たな闘いに向けて決意表明を行った

 「らっきょう工場は、木々に囲まれ、騒音はうるさいが真夏でも涼しい。50年闘い続けると、若かった木々も育った。人が住み続け、土地を守ることがとても大切だ。私は三里塚に空港建設の閣議決定(1966年7月3日)後、支援として参加した。戸村一作委員長を訪問し、4000㍍滑走路計画の北側にあった駒井野に入った。第一次代執行阻止を闘い、取香の小泉よねさん宅の代執行前に別件で逮捕され、拘置房内に連れていかれ、9・16東峰十字路事件を知った。警察の弾圧は現地の若い人たちに繰り返し強行された。この闘いは、長期戦になると実感していった」。

 「彼等は、農業を見直し、1972年あたりから東峰で有機農業を取り組み始めた。国が進める化学肥料を使う大規模農業では土地が痩せ、機械化貧乏が膨らんでいったからだ。このような農業は間違いではないかと反省した。また、沖縄、水俣、三里塚が反権力の砦だったが、チッソが作る農薬で農業を行うことを拒否した。現在、反対同盟は3つに分裂しているが、空港反対闘争をしっかりと闘い続けているのは、近代化農法を拒絶し、有機農法を取り組んだ人たちが、今もなお空港に対して異議申し立てを続けている」。

 「シンポジウム・円卓会議によって国は、力ずくで空港を作っていくやり方に対して民主主義的ではなかったと公に謝罪した。収用裁決申請を全て取り下げた。三里塚物産の土地、島村家の土地、用地内の反対派の土地は強制収用の対象外となった。しかし、その後、ことごとく裏切り、現在、農地法の不当な解釈によって天神峰地区の市東孝雄さんの土地が奪われようとしている。闘いの拠点をしっかりと守りながら、これから先の闘いを続けていきたい。50周年ということで7月17日に東京で集会が行われる。皆さんとともにお会いしたい」。

 田んぼくらぶの仲間から所用で参加できない石井紀子さん(成田市川上)からのメッセージが読み上げられた。

 「7月17日の反対同盟50周年の集会には、私も参加した80年代の若い嫁たちの運動を話したいと思います。86年の東峰裁判判決の前後、青年行動隊の妻たちと支援の女性たちの裁判支援から始まった運動がありました。

 三里塚の女性たちというと婦人行動隊のおばさんたちが浮かぶと思いますが、一時期若い女たちも頑張っていたものです。

 辺田・浅川・中谷津・東・宿・岩山・東峰・三里塚と広範囲に渡る青行の妻たちが自分の夫にかかわることなので皆、立ち上がり、家族会を作って団結したのです。家族会ニュースを発行し、駅頭でビラを撒き、じゃがいもを配り、保釈金の足しにとキムチを漬け、田植えをし果ては日比谷公会堂で集団劇までやりました。この『家族会と支える女たち』の活動をずっと写真に撮ってくれた人がいます。今は映画監督になった島田恵さんです。石井家に住み込んで生活を共にする中で私や他のみんなの飾らない素顔を撮られました。

 ずっと私が持っていましたが、17日に公開しようと思います。みんな若くて一生懸命で輝いていたこの時期の写真をぜひ見に来て下さい。17日に会場でお会いしましょう! 石井紀子」。

 根本博さん(泉州沖に空港を作らせない住民連絡会)は、「空港問題は、国のウソとデマによって進めてきた共通なところがある」と指摘し、「関西空港も需要が伸び、経済も大きくなると言われてきた。結局、需要は伸びず、開港20年にしても1兆円以上の借金が残っている。関西空港ができる前提であった14万回着陸さえカバーできていない。航空需要は、時の経済情勢によって左右され、うなぎ登りで伸びることはない。日本人の需要は、ここ3年で減っている。1兆円の借金を減らすために空港運営権を売却したりなどで覆い隠そうとしている。環境破壊、兵站のための空港の軍事化を許さず空港建設のねらいを暴き出しながら闘っていきたい」と発言した。

 集会後、開拓道路に向けてデモに移った。開拓道路に到着後、B滑走路にむけて「三里塚空港粉砕!農民追い出しを許さないぞ!」のシュプレヒコールを響かせた。

 デモ後、旧東峰共同出荷場跡で交流会を行い、参加者から今後の三里塚闘争の方向性の問題提起、論議などを深めていった。

(Y)

【案内】三里塚闘争50年の集い7.17東京集会

三里塚闘争50年の集い7.17東京集会のご案内

主催:三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人・柳川秀夫)

    語り 柳川秀夫さん(代表世話人)
       石井紀子さん(成田市川上、農業)
       平野靖識さん(三里塚らっきょう工場)
    講演 加瀬勉さん(三里塚大地共有委員会[Ⅱ])

  上映:「抵抗の大地」(1971年強制代執行阻止闘争の記録)

◦日時:7月17日(日)/開場・正午/映画・12時半
                     トーク開始・午後1時
◦場所:文京シビックセンター26F・スカイホール
         (地図2頁/地下鉄後楽園駅・春日駅)
◦資料費:500円
◦賛同募集 個人1000円 団体2000円
 振替口座 00290─1─100426 大地共有委員会(2) 
 通信欄に「集会賛同」と明記してください。
◦主催:三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人・柳川秀夫)
連絡先:千葉県山武郡芝山町香山新田90-5/電話:FAX0479-78-8101

71916 呼びかけ

 1966年7月4日、政府は地元に事前に一切知らせることなく、突然三里塚の地に空港を建設することを閣議決定しました。政府は農民など金で簡単に立ち退かせる事ができると考えていたのです。こうした農民蔑視の政府のやり方に対して、三里塚農民は空港反対同盟を結成して自らの生活・農業を守るために立ち上がりました。

 「国策」としての空港建設に刃向かう農民に対して政府は国家権力の暴力装置である警察機動隊を全面に立て、農民を排際して空港建設を強行してきました。

 三里塚農民はこうした政府・公団の強権的なやり方に村ぐるみ、家族ぐるみの体を張った闘いを展開しました。こうした闘いは民衆の正義、民主主義とは何かという問題を突き付け、多くの労働者・学生・市民が三里塚に駆けつけ、共に反権力実力闘争を闘いました。

 また、世界的にもベトナム反戦闘争やパレスチナ人民の解放闘争、フランスのラルザックの空港反対の闘いをはじめとする民衆の闘いとも連帯と共感を作り出してきました。

 現在、安倍右翼政権のもとで人民の生活や権利はますます後退させられ、戦争する国家体制の構築が進められています。三里塚の闘いは今こそ大きな意義をもっています。

 三里塚ではいまだに当初計画された空港は完成させていないのです。これは多くの犠牲を払った50年に及ぶ農民・人民の闘いの成果です。こうした成果や生活、権利、民主主義も闘い続けることによってしか守ることはできません。それが三里塚闘争の教訓でもあります。

 政府・空港公団は1991年からおこなわれた「成田シンポジウム・円卓会議」をうけて「これまでの強権的やり方は間違っていた」と全面的に謝罪し、「これからは地元との話し会いによって問題の解決を図る」と確約しました。しかし、それ以降も約束を反故にし、地元を無視して平行滑走路の建設、供用、延長を強行し、今回第3滑走路の建設を画策しています。利潤の追求のみを目的とした空港機能の拡張はとまることがありません。闘いは続いているのです。 
                                                
 ここで再度、三里塚闘争の普遍的な意義を確認し、闘いを前進させていこうではありませんか。

  三里塚現地からのアピール

柳川秀夫(代表世話人)

 50年前、国によって有無もなく空港は決められた。

 生活と農地を守るため反対を続けてゆくには実力阻止の道しかなく、結果、対決のエスカレートは必然のことであった。戦争の論理に当てはめて阻止の方針を考えてゆくと物事が見え、適切な闘い方が見えてくる事態でもあった。

 また、このような闘いは流血の犠牲を伴うことでもあり、個々それぞれが参加し続けるには、何故そこまでして空港に反対するのか、その意味は常に自らに問い続けることでもあった。

 体を張って農地を守る船出は長い道のりで何故という問いと共に、単に土地を守ることではなく土を守るという考え方を厳しい闘いは教えてくれた。

 現代社会は空港を限りなく拡大してゆく方向が相も変わらないように、消費を際限なく拡大してゆく経済成長が続けられ、この社会の仕組みは変革なしには変わることは出来ない事柄でもある。

 結果、深刻な課題となっている「持続可能な」ということと、闘いの中で生まれた土を守るということは同義である。

 1971年、第一次代執行時、駒井野の地に立てられた世直しの筵旗は今もはためいている。

加瀬勉(大地共有委員会[Ⅱ]代表)

 三里塚反対同盟は全国の住民運動と連帯・共闘してきました。人間の命の尊厳、一切の価値を生み出す生産と労働、大自然は絶対に侵してはならないし、破壊してはなりません。国家権力はそれを侵し、破壊し、強奪し金と物に置き換えることを国家の政治の理念としてきました。人間の尊厳よりも金と物を最高の価値とする国家を人間と自然が共存する国家にしていかなければなりません。

 三里塚では多くの村がコンクリートの下に埋められました。騒音地帯で廃墟になった三里塚の村々、福島で原発で廃墟になったむら村、村を追われた人々と三里塚の農民の運命がかさなります。沖縄辺野古で基地建設の強行の現実が三里塚闘争と重なってきます。戦争法反対、絶対あきらめない闘争の持続と50年の歳月を国家権力に屈することなく闘い続けてきた三里塚闘争が重なってきます。日本人民の闘争の熱い思いを共有していきたいと思います。

 三里塚では第3滑走路建設計画が浮上してきました。国家権力は着々と陰謀を組んでいますが、初心に返って闘いに挑んでゆく決意です。

石井紀子(成田市川上・農業)

 反対同盟は半世紀にわたって闘い続け、しかもまだ闘いは終わってはいないのです。

 飛行機が何万回飛んでも畑を手離す人がいても、この地に生きて農に携わる人が居る限り闘いは終わらないのです。

 空港会社は更なる拡張、拡張と騒いでいますが、拡張の行き着く所はどこなのでしょうか。

 チョウチョウのいない春、トンボのいない秋、春なのに夏のように暑い昼、寒い夜、何かとてつもない変化が地球規模で起きているような気がします。人間の過剰な文明がもたらした災厄なのでしょう。

 空港会社はそのことに気づかず自分の首をしめるばかりか、大勢の人の首をしめているのです。これ以上の拡張を許すことはできません。

 みんなの力で第3滑走路を止めましょう!

平野靖識(三里塚らっきょう工場)

 ナリタは日本の民主主義の砦。

 50年前、理不尽に位置決定され、力ずくで建設された成田空港は、代執行阻止、管制塔占拠・破壊などの実力闘争の末、政府・空港公団(当時)を言論戦の場に引きずり出し、その全過程が民主的でなかったと謝らせました(空港問題シンポジウム/円卓会議)。円卓会議では空港問題の平和解決の方向も示され、国・県・公団も合意しました(隅谷調査団最終所見)。

 しかしその後、国交省・空港会社はこの合意を踏みにじり、地域のコンセンサスを得ぬまま、2本目の滑走路の建設と供用を進めました。今、平和解決へのプロセスは見失われ、地域は騒音地獄に置かれています。

 ナリタの経験は民主主義は闘いなしには達成できず、その成果も闘いなしに維持できないことを教えています。ナリタの内外に総反動の風が吹いていますが、50年守り抜いた土地と人々のネットワークで、民主主義の闘いを推し進めたいものです。これからもナリタは民主主義の砦です。


【案内】三里塚 6.26東峰現地行動

三里塚 6.26東峰現地行動
飛行制限時間緩和を許さない! 成田空港「第3滑走路」計画を撤回せよ!
横堀現闘本部裁判最高裁で勝利判決を!
反原発―再稼働やめろ! 沖縄・辺野古新基地建設反対! TPP反対!


●日時:6月26日(日)/午後1時結集
●場所:旧東峰共同出荷場跡(成田市東峰65-1)、開拓道路に向けてデモ
●会場への行き方:東成田駅地上12時集合/迎車待機で会場へ
(10:34発京成上野(特急)→11:41着成田11:52発→11:57着東成田)
●主催:三里塚空港に反対する連絡会
連絡先:千葉県山武郡芝山町香山新田90-5/電話:FAX0479-78-8101


13三里塚デモ安倍政権を打倒しよう

 安倍政権は戦争する国家体制構築を目指し、改憲をも射程に入れ、日米安保強化、安保法制の施行を推し進めている。また、原発再稼働、TPP推進、労働法制の改悪などを強行し、人民の生活破壊、格差の拡大、民主主義的権利の剥奪など国会での議席数を背景に行っている。安倍政権を1日も早く打倒しよう。

夜間飛行時間制限の緩和をやめろ

 成田空港においては成田国際空港会社が2016年度から3カ年の中間経営計画を発表した。それによれば「定時運行率を世界最高水準の90%に近い水準」を目標に掲げ、1時間あたりの発着回数を滑走路2本で現行68回から72回に、年間では23・5万回から27万回を目指すとしている。

 また、LCC(格安航空会社)の就航割合を現行25%から30%以上に増やすとしている。空港会社夏目誠社長は「LCCは従来の航空会社と共に成田空港を支える両翼」と語り、LCCの拡大に邁進している。国交省-空港会社は2020年東京オリンピックまでに離発着回数を増やすために夜間飛行時間制限(現行では原則午後11時から翌朝6時までは飛行禁止)を緩和しようとしている。LCCの増便にとっては成田の夜間飛行時間制限は大きな桎梏となっているのだ。

 成田は内陸空港であるが故に、住民の生活を騒音から守るため夜間飛行制限は不可欠である。それを需要の拡大を理由に利潤追求のためなし崩し的に緩和しようとしている。成田では地元の第3滑走路建設を目指す有志(利権)団体が制限時間の緩和を求める要望書を提出している。 騒音被害を拡大する制限時間の緩和を
断じて認めることはできない。

「第3滑走路計画」を撤回せよ

 国土交通省は「2030年をめどに成田に第3滑走路を」という計画を打ち出し、その実現に向けた協議を四者協議会(国、千葉県、成田市などの関係自治体、空港会社)によって行っている。また住民有志という形で成田市や芝山町を中心に組織が結成され、第3滑走路建設の推進に向けて宣伝・署名活動などを展開している。

 こうした動きには現に騒音被害を受けている住民や、第3滑走路によって新たに立ち退きを迫られたり、騒音被害を受ける住民の間からは反対の声が上がっている。目先の利潤のみを追い求め、住民の生活や環境の破壊をもたらす第3滑走路の建設を許すことはできない。

土地強奪を許さない

 空港会社は空港機能の拡充を名目に、用地内の反対派拠点を次々に裁判に提訴して強奪している。過去、農民・地元住民の反対に対して強権を発動して押さえ付け、空港建設を進めてきたことを「謝罪」し「反省」した国・空港公団は事業認定を取り下げ、「話し合いによる解決」を約束した。しかし、土地収用法による強制代執行が出来なくなった空港会社は民事訴訟によって、司法権力の強制力を使って土地を取り上げるという手段にうったえてきた。

 反対同盟横堀現闘本部の土地(1坪共有地)を裁判で取り上げ、建物の撤去を求める裁判を提訴した。一審千葉地裁はたった4回の書面審理のみで空港会社の主張を全面的に認める不当判決を出し、二審東京高裁は一回目の公判で結審し、2月3日またも「空港会社側は長期間解決の努力を続けたと認められ、提訴は許される」と会社側を擁護する不当な判決を下した。反対同盟は最高裁に上告し裁判闘争を闘い抜いている。

6.26東峰現地行動へ

 安保法制施行-日米ガイドラインにより空港の軍事利用の可能性は増大している。成田の軍事使用を許さず、日米安保粉砕の闘いとも連携して三里塚闘争を闘おう。用地内農民と連帯して東峰住民追い出し、第3滑走路建設反対を三里塚・東峰現地に結集し共に闘い抜こう!

7.17三里塚闘争50年の集い
■語り:柳川秀夫さん、加瀬勉さん
■上映:「抵抗の大地」他
■現在賛同人募集中!
主催:三里塚芝山連合空港反対同盟(会場:東京都内)



三里塚闘争50年を記念して 加瀬勉 2016.3.8

配信:加瀬さん三里塚闘争開始から50年に際して、加瀬勉さんからアピールが届きましたので配信します。


 三里塚闘争50年を記念して 加瀬勉 2016.3.8


禿頭を光らせて
 
 空港建設の暴政にこうすること55年。八街、富里、三里塚に転戦。黒髪をなびかせて闘争してきた美青年も、白髪からこのように禿頭になりました。さらに禿頭を光らせて三里塚闘争一隅を担ってゆく決意を新たにしております。

 三里塚は東峰の人たちを中心に、木の根のペンション、横堀大鉄塔、労農合宿所、そして一坪土地共有者500名が頑張っています。人民の闘争は永遠であり、三里塚闘争もまた永遠であります。
 
三里塚闘争は内乱

  今は亡きクリスチャンの戸村委員長は「地上に平和をもたらすためにきたのではない。剣を投ずるためにきたのである」と私たちを激励しました。三里塚闘争は、国家と日本人民の闘争、内乱であったと思います。

 北総台地の人民が日本の歴史の表舞台で活躍したのは、貴族社会を震撼させ武家社会の歴史的登場を予言した平将門の乱(承平5年935)、房総三国を独立国として5年にわたって支配した下総の住人(現香取郡東圧街)上総介平忠常の乱(万寿4年1028―長元4年1031)徳川初期(承応3年1654)、家老久世大和守に越訴した百姓一揆の佐倉宗吾郎、北総台地の農民と日本人民の空港建設反対闘争(1960年―)であります。特に三里塚に於いては50年の長きにわたって闘争が継続されています。それは我々の闘争に道理があり、歴史発展の法則にかなっているに外ありません。主権在民、抵抗権、革命権は我々にあります。

侵してはならないもの破壊してはならないもの

 三里塚反対同盟は、全国の住民運動と連帯・共闘してきました。人間の命の尊厳、一切の価値を生み出す生産と労働、大自然は絶対に侵してはならないし、破壊してはなりません。国家権力はそれを侵し破壊し、強奪し金と物に置き換えることを国家の政治の理念としてきました。人間の尊厳よりも金と物を最高の価値する国家を人間と自然が共存する国家に変革してなければなりません。

 地球上には70億の人が暮らしています。その人口の半分の人が栄養障害と飢餓に苦しんでいます。地域的にはアフリカ、ラテンアメリカ、アジアの諸国ですが、飽食に明け暮れている日本は世界一食糧輸入国、食糧自給率の低い国で食糧不足の飢餓の国であります。輸入食糧に頼るのではなく国内農業を発展させて自給の政策をとるべきです。日本一の条件をもっている北総畑作農業を破壊する空港建設には絶対反対しなければなりません。限られた土と自然の環境は、人類の生存のために守らなければなりません。

434e8dff47df8d62a6a9bdf913fe4f84人間の生贄

 古代王朝は神の名において人間を生贄にして国家を作ってきました。

 20世紀、三里塚に於いて、大木よねさんに代執行を行い「国策」の名の下に空港建設の生贄にしました。人間を生贄にするそれが国家の本質であります。戸村委員長は、大木よねさんは日本一貧しい人であるといいました。私もそう思います。

 大木よねさんは、7歳のとき親と別れ支配され差別され、搾取され、無一物で生きてきました。貧しい人々が少しでも幸せになる社会を作るこれが国家の理念政治の理念でなければなりません。それを、代執行をかけて全てを奪いつくした。悪鬼に劣る行為です。人間の尊厳に対する反逆です。人間を空港建設の生贄する国家の行為を断じて許してはならないと思います。主権在民、健康で文化的生活をおくる権利は憲法によって保障されています。民主主義を蹂躙する政府の行為を断じて許してはなりません。人民の意志を無視する政府をいつでも打倒することができる力を我々が持った時に真の民主主義は発展してゆきます。

国際連帯活動
 
 三里塚闘争は、世界的な広がりをもちました。ベトナム侵略戦争反対、アメリカの黒人の人権闘争、パレスチナの国家独立闘争、フランス基地反対闘争、ドイツフランクフルト空港反対闘争、中国人民との交流など国際連帯についても積極的に行ってきました。これまでの農民運動は地域性の枠を越えることができませんでした。三里塚闘争は大きく飛躍しました。人民が世界歴史の表舞台で活躍する時代が訪れてきました。

29793364_225闘争は最高の芸術である

  日本で一番長いマンホールの夜。突如、管制塔に翻った赤旗。開港阻止闘争の完全な勝利。世界的実存主義哲学者サルトルは三里塚闘争の支持者でした。20世紀地球で一番美しいものは「中国革命の長征」であるといっております。人間の良心の全面的な解放を保障する社会体制の実現をめざす、われわれの階級闘争は人間の良心が天と地、宇宙に光り輝き満ち満ちている雄大な地球上に画く最高の芸術でなければなりません。人間的感動を与えないそれは闘争ではありません。

総力戦

 警視庁、関東管区、名古屋までの中部管区の精鋭延べ9000の機動隊。夜明けの闇の中から現れて、銀色の盾に朝日が反射し機動隊の陣形は壮観でした。向かい撃つわれわれの部隊は広場を埋め尽くし、群集も呼応して鬨(とき)の声は三里塚の山野に響きわたりました。砦を死守する反対同盟婦人行動隊は柱に身体を鎖で縛りつけ、砦の中は少年行動隊、三里塚高校生協議会、反対同盟青年行動隊、老人決死隊、反対同盟総力を上げて戦いに挑みました。逮捕者461名、負傷者841名(内重傷者43名)

国賊の農民を殺せ

 農民放送塔が響いて、機動隊に向かって一斉に投石、投石で駒井野の青い空が一瞬曇った。機動隊の突入、機動隊の高圧放水、大型ブルドーザー、砦破壊の大型バックホー、代執行破壊舞台、火炎瓶で応酬。機動隊、破壊機械に命中、炎上。鎖で身体を砦にまきつけていた婦人行動隊にワイヤーロープがかけられてブルドーザーで曳かれてく、代執行破壊部隊突入、「国策に反対する人間は日本人ではない」「国賊」「上が責任を取るから何人殺してもいい」と指示されている。「殺すぞ」と掛声をかけて火事場用の鳶口を振りかかってくる、木を切るエンジンカッターで襲いかかってくる。反対同盟の農民が上っている木がそのまま切り倒されてゆく。

 私は初めて殺されると思いました。国賊として反対同盟の農民を殺しても空港は建設する。人間を殺しても空港は作る。これが国家の意思でありました。

4rz6w美しき人間の涙
 
 塞の中の白兵戦、火炎瓶も使い、ドラムカンのガソリンをバケツに汲んで機動隊に浴びせる。焚火を投げつける。火達麿になった機動隊を高圧放水車が消す。 「何で機動隊のためにあんたが死ぬのよ」と高校生・柳川信子さんの絶叫である。


 振り向くと、北原事務局長の娘さんが、バケツでガソリンをかぶって焼身自殺の抗議をするところであった。信子さんの声に北原さんの娘さんがわれに返った。

 その一瞬、信子さんの目から大粒の涙が溢れた。その涙に太陽が光った。美しい人間の涙である。私はこんな美しい涙をこれで見たことはありませんでした。

闘争は朗らかに

 婦人行動隊が少年行動隊のわが子を胸に囲んで、この親子を殺してから空港を作れと口々に絶叫している。男で残ったのは石井英祐君と私、婦人行動隊のところに駆け寄ると同時に私の襟首に機動隊の手がかかった。逮捕。その一瞬、婦人行動隊の椿のおっかさんが苦しい顔をして倒れた。「婦人行動隊が死んだ」と叫んだ。「早く砦の外に出して医者のところに連れてゆけ」と叫んだ。

 驚いた機動隊は私の襟首の手を放した。椿のおっかさんを抱きかいて砦の外に全員脱出した。安全なところに来た。椿のおっかさんが目をパチリ開けてにっこり笑った。「加瀬さん、みんな大丈夫か」と声をかけた。みんな助けるために機動隊に死んだふりの仮病を使ったのである。「機動隊の野郎ども、ざまあみろ」と婦人行動隊の笑い声が駒井野の山野に響き渡った。闘争はいつも厳しく、美し
く、朗らかである。

2祈りの心を失って

 三里塚の老人決死隊であった人たち、また、多くの人たちが亡くなってゆきました。私はこれまで「安らかにお眠りください」と祈りを捧げました。この祈りの言葉を失ってしまいました。三里塚では墓を掘り起こし暴き、その上をブルドーザーで固めてコンクリートを流して空港を建設してきました。空は騒音の爆弾の破裂です。地の下も地上も空も人間が安らかに眠るところは三里塚にはありません。人間としての祈りの心をとりもどさなければなりません。

生きている者 死んでいった者

 私は多くの反対同盟員と全国の同志を失いました。でも、これらの人たちは私の中に生きています。戸村さん、明治さん、石橋さん、源さん、菅沢老人行動隊長、熱田さん、秋葉さん、石井さん、三宮さん、岩沢吉井さん、長谷川たけさん、柳川のおっかさん、原君、東山君、新山君等々数えきれません。これらの人々と毎日言葉を交わして生きています。生きているものとの会話、亡くなった人との会話の重さは私は同じです。亡くなったこれらの人々は、三里塚空港反対同盟地獄の軍団を組織して闘っているそうです。「生きているお前たち、なんとだらしなく、意気地がないことょ」と私は毎日お叱りを受けています。

大きな課題

 三里塚闘争に深くかかわってきた社会党、総評は歴史の中に消滅してゆきました。共産党も三里塚から去ってゆきました。新左翼も力を失いました。私たちが解決しなければならない重要な課題が三里塚闘争ではっきりしました。これはとても良いことだと思っています。農民が大衆が命をかけて闘っているのに党利と党略では政党の名に値しません。

熱き思いを共有して

 三里塚では多くの村がコンクリートの下に埋められました。騒音地帯で廃墟になった三里塚の村々、福島で原発で廃墟になった村々、村を追われた人々と三里塚の農民の運命が重なります。沖縄辺野古で基地建設を強行の現実が三里塚闘争と重なってきます。戦争法案反対、絶対あきらめない闘争の持続と、50年の歳月を国家権力に屈することなく闘い続けてきた三里塚闘争が重なってきます。日本人民の闘争の熱い思いを共有していきたいと思います。三里塚では第3滑走路建設計画が浮上してきました。国家権力は着々と遠謀を組んでいますが、初心に帰って闘いに挑んでゆく決意です。

少年行動隊宮本由美子さんの手記(小学校6年生)

 駒井野代執行の時、「死んで帰ります」と両親に告げて家を出ました。命をかけてたたかって夜家に帰りました。私両親に「生きて帰って申し訳ありませんした」と頭を下げました。

横堀現闘本部破壊裁判2.3不当判決 加瀬勉談話と反対同盟声明

jpg加瀬勉 談話

 反対同盟を「権利能力なき社団」と認定し、空港会社の「職権乱用」を全面的に認めた今回の東京高裁の不当判決に断固抗議する。我々はただちに最高裁に上告し最後まで闘うことを表明する。

 三里塚大地共有委員会代表 加瀬勉

反対同盟声明

東京高裁の横堀現闘本部破壊を追認する不当判決を弾劾する

 2月3日、東京高裁民事12部(杉原則彦裁判長)は反対同盟に横堀現闘本部の建物の撤去を求める成田国際空港株式会社の主張を認め、一審千葉地裁の判決に不当として控訴した反対同盟に対して控訴棄却の決定を言い渡した。

 空港会社は別の訴訟で土地のすべてを取得したとして、建物の撤去と土地の明け渡しを求めて提訴した。

 空港会社は誘導路用地内にある建物が「朽廃」し、空港運用上妨げになるとして反対同盟に撤去を求めた。しかし、建物が「朽廃」した原因を作り出したのは空港会社である。2006年、突然現闘本部に至る道路を一方的にバリケード封鎖し、所有者の往来、管理を不可能にした。空港会社は裁判で「1998年1月の旗開き以降一切使用していない」と事実に反するでっち上げの主張を行った。反対同盟は証拠を挙げてこれに反論したが、一審千葉地裁はこれを無視、高裁判決もこれに触れることはなかった。

 また、反対同盟は裁判に提訴して強制的手段によつて事を進めることは成田空港シンポジウム(1991年)、円卓会議(1993年)での「平行滑走路の整備においては、あらゆる意味で強制的手段が用いられてはならず、あくまでも話し合いにより解決する」という信義則に反すると主張した。

 高裁は「円卓会議での合意において、あらゆる意味での強制的手段が用いられてはならないことが明示的に確認されたのは、平行滑走路のための用地の取得についてであること、また少なくともそれ以外の用地の取得について、純粋に民事上の紛争について民事訴訟の手続きによる解決を求めることを排除するものでないことは現判決のとおりである。」と三里塚闘争の歴史性から切り離し、切り縮める判断を下した。

 さらに高裁は、「なお、仮に上記合意が民事裁判をしないことも含むものであったとしても少なくとも、話し合いによる解決を目指す合理的な努力を相当期間にわたって継続しても、なお解決に至らない場合には、民事裁判による解決を求めることが許されると解すべきである」と念を押した。また、「円卓会議での合意から長期間が経過し、その前後を通じて被控訴人(空港会社)や国が、話し合いその他の方法による解決の努力を続けてきたことに照らせば、民事裁判による解決を求めることも許されると解すべきである。」として空港会社を擁護した。これは高裁が時間が経てば円卓会議の合意は時効であると言ったに等しい。また、「解決の努力を続けてきたことに照らせば」とは、どんな一方的で相手に取って受け入れ難い要求であっても、既成事実をアリバイ的に積み重ねれば「努力」したとして容認されるべきである、とも言っているのだ。

 こんな空港会社擁護一辺倒の判決を断じて認めることは出来ない。

 裁判所は歴史的に成田空港問題の当初以来、空港公団の時代から空港会社の主張を全面的に追認して来た。

 反対同盟はかかる不当な判決に断固抗議し、最高裁に上告して最後まで闘い抜く決意である。

2016年2月13日

三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人 柳川秀夫)

【横堀現闘本部破壊裁判】2・3東京高裁による不当判決を糾弾する!(三里塚空港に反対する連絡会)

配信:現闘本部横堀現闘本部破壊裁判
2・3東京高裁による不当判決を糾弾する!

三里塚空港に反対する連絡会(2・10)


 2月3日、東京高裁第12民事部(杉原則彦裁判長)は、成田国際空港会社が三里塚芝山連合空港反対同盟(柳川秀夫代表世話人)に対して横堀現闘本部撤去と土地の明け渡しを求めた訴訟(朽廃建物収去土地明渡請求事件)において1審(千葉地裁/2015年9月2日)に続いて不当判決を言い渡した。なお高裁は現闘本部破壊のための「仮執行は、相当でないから付さない」としたが、1審と同様に周囲を鉄板塀で囲った不当な状態を追認した。

 判決は、「円卓会議での合意において、あらゆる意味での強制的手段が用いられてはならないことが明示的に確認されたのは、平行滑走路のための用地の取得についてであること、また、少なくともそれ以外の用地の取得について、純粋に民事上の紛争について民事訴訟の手続による解決を求めることを排除するものではないことは、原判決のとおりである」としてあらためて成田空港シンポジウム(1991年)、円卓会議(1993年)における「平行滑走路の整備については、あらゆる意味で強制的手段が用いられてはならず、あくまでも話し合いにより解決する」という歴史的事実を排除した。

 さらに高裁は、露骨な歴史の歪曲であるがゆえに「なお、仮に上記合意が民事裁判をしないことも含むものであったとしても、少なくとも、話合いによる解決を目指す合理的な努力を相当期間にわたって継続しても、なお解決に至らない場合には、民事裁判による解決を求めることが許されると解すべきである」と補強し、「円卓会議での合意から長期間が経過し、その前後を通じて被控訴人や国が、話合いその他の方法による解決の努力を続けてきたことに照らせば、民事裁判による解決を求めることも許されると解すべきである」と空港会社を防衛をするのだ。

 高裁は、いったい何を根拠にして空港会社が「話合いその他の方法による解決の努力を続けてきた」というのか。空港会社がやったことは、現闘本部が「(1998年)1月に開催された旗開き以降は一切使用していない」と事実をねじ曲げ、一方的に横堀十字路から現闘本部に至る通路にバリケードを設置(2006年7月~9月)して封鎖したことである。反対同盟は、空港会社の嘘を暴くために写真、文書などの証拠を多数提出し、1998年1月以降も諸々の行事や会合で使用していたことを証明していったが、完璧に無視するという立場を貫いた。

 高裁は、空港会社防衛の根拠があまりにも弱いため①黒野社長の「暫定滑走路に関わる謝罪」(「回答」/2002・5・9/「東峰区の皆さまへ」)②公団の浅子直樹用地業務推進室長(当時)が北原派反対同盟に属する共有地の共有分割請求訴訟での記者会見(02・12・24)で「他の共有地については引き続き任意交渉し、訴訟で取得を求めるのは今回が最後である」(毎日新聞/02・12・25)という事実について「(空港会社が)話合いにより成田空港に係わる紛争の解決を図る旨の発言をした事実があり」と触れざるをえなかった。

 だが「(空港会社が)地域住民に対して、航空機の騒音被害等について謝罪し、滑走路の整備について話合いによる解決の努力をする旨表明しているとしても、そのことによって本件請求が信義則に反し、権利濫用になるとはいえない」と暴論を展開するが、その根拠を一切提示することができないところに判決の脆弱性
が現れている。

 一審判決では、歴史的事実と本裁判を切り離して「土地が原告の単独所有に帰したことを前提として、土地の単独所有者とその地上建物の所有者との間の純粋に民事上の紛争について民事訴訟の手続き」だとすり替え、切り縮めて主張したうえで、「そのような手続きが円卓会議において用いられてはならないこととされた強制的手段に当たるとは解し難い」と一方的に不当な認定を行っていた。高裁は、ストレートに「信義則に反し、権利濫用になるとはいえない」と断定することによって、より反動判決へとエスカレートしていったのである。

 一般的・客観的に見ても「嘘つき空港会社」であり、傲慢な態度、姿勢は明白である。高裁は、具体的な証拠を検証することができないために「信義則に反し、権利濫用になるとはいえない」と言うしかなかったのだ。

 このような姿勢は、現闘本部の「老朽化」「朽廃」へと追い込んだ犯人が空港会社であるにもかかわらず、なんと「(現闘本部)の周囲を鉄板塀で囲んで使用を妨げたのが原因であると認めるには疑問が残る」と言い出す始末だ。現闘本部を管理・運営するために通行権をバリケードで妨害・圧殺するという事実があるにもかかわらず、いったいどのような「疑問が残る」というのだ。この延長で空港会社が鉄板塀で囲い込み、現闘本部内にある書類、諸備品などの反対同盟の所有物を、実質的に破壊・強奪してしまった犯罪さえも黙認している。

 しかも現闘本部の「破片」が「滑走路内に飛散した場合には、航空機の運航を妨げるのみならず、重大な航空機事故が発生する危険性があったため、それを防止するために囲い込みが必要であった」という空港会社の主張を取り入れ、空港会社の「窃盗」犯罪は正当だと認定し、「ブルジョア法」でさえも投げ棄ててしまった。

 だめ押し的に判決は、横堀現地闘争本部撤去も含めた空港機能拡大に対して「過密運行、安全軽視、環境・人権破壊、空港公害の拡大と、時代に逆行する危険に満ちたもの」という反対同盟の主張に対して、「新滑走路が設けられることに空港公害の発生の蓋然性及び程度の具体的に認定させる証拠はなく、本件請求の権利濫用を基礎付けるものではない」と真っ向から否定した。航空機の騒音の拡大、落下物、ニアミスなどの事故が多発化しているにもかかわらず、排除・無視して空港会社の営利主義を防衛するのだ。

 このように高裁判決はブルジョア国家防衛という階級的任務を貫徹するために反動判決をデッチ上げたのである。、空港会社の夏目誠社長は「一審と同様、当社の主張が正当と認められた。空港のさらなる機能強化が求められる中、機能拡充に当該用地を活用していきたい」と居直り発言を行っている。反対同盟は、高裁不当判決を許さず、ただちに上告し裁判闘争を行っていくことを表明している。

2・3高裁判決糾弾!最高裁勝利判決をかちとろう。

報告:2016三里塚芝山連合空港反対同盟旗開き

配信用:2016旗開き 1月10日、三里塚芝山連合空港反対同盟 (代表世話人:柳川秀夫)は、横堀農業研修センターで「2016反対同盟旗開き」を行い、37人が参加した。

 成田国際空港会社(NAA)の夏目誠社長は4日、年頭訓示で安全軽視の過密運航や環境破壊をもたらす夜間飛行制限の緩和などの空港機能強化にむけて「騒音下の住民に丁寧な説明を行い、理解と協力を得ることを忘れてはならない」と居直り、押し進めていくことを表明。

 さらに第3滑走路についても「成田空港に関する4者協議会(4者協)での議論が重要な局面を迎えた。空港間競争が激化する中、成田の最重要の戦略となる」と位置づけ、国・千葉県・地元周辺推進派との連携を進め、踏み込んだキャンペーンを展開していくと宣言した。すでに空港会社は「成田国際空港の更なる機能強化推進本部」(15年10月)を設置し、パンフレット作成、特設ウェブサイト開設、成田空港マフィア(利権集団)への工作などを行っている。

 安倍政権の2016年度予算で成田空港関連予算は、昨年度よりも5億円増の44億円を計上した。震災発生時対策、耐震対策、CIQ(税関・入管・検疫)機能向上に投入する。まだ第3滑走路にむけた調査費等は予算計上していない。だが空港会社は、自己財源で約470億円をかけて高速離脱誘導路(A・B滑走路の到着機の滑走路占有時間短縮にむけ、滑走路から早く離脱させるために誘導路を整備する)、エプロンの整備を行う。過密運航にむけて拡張工事を押し進めながら第3滑走路キャンペーンを強化し、空港マフィアを使って地元農民、民衆に対して当面の獲得目標である夜間飛行制限の緩和を迫っていく計画だ。同時に三里塚闘争の破壊にむけて横堀現闘本部裁判、東峰住民など闘う農民の追い出し攻撃を行っている。

 反対同盟と支援は、木の根ペンションと一坪共有地、横堀大鉄塔と案山子亭、横堀研修センター、横堀現闘本部などの拠点を守り抜き、安倍政権、成田空港会社、空港マフィアの野望を打ち砕いていく。

 「第三滑走路計画粉砕!」のスローガンを掲げた旗開きは、山崎宏さん(横堀地区/労活評現闘)の開催あいさつから始まり、「政府と空港会社は、一体となって第三滑走路の建設を目論んでいる。また、現空港用地内の土地を取り上げるために裁判に提訴し、横堀現闘本部を撤去しようとしている。東京高裁は、まともに審議もせず第1回の公判(15年12月14日)で結審し、次回は判決公判となる(2月3日〈水〉午後1時30分/824号法廷)。今年も第三滑走路計画粉砕の闘いにむけて奮闘していこう」と呼びかけた。

 柳川秀夫さん(反対同盟世話人)は、「今年、三里塚の闘いは50年を迎える。弱い者が強い者に力で押し切られるかといったら、そうではない。世界は、いろんな紛争、闘いが繰り広げられている。『テロ』の一言で片付けているが、その根源は何かについて真剣に考えなければならない。だから弱い者は、負けるわけにはいかない。これが結論だ。グローバル経済によって弱肉強食の世の中がまかり通っている。空港問題もその中の一つだ。だから新しい物差しを作っていくことを考えながら、今年も行動していきたい」と発言した。

 石井紀子さん(成田市川上)は、「残念な報告です。1月4日、ワンパックの旧宿泊所を解体しました。すでに東峰の旧ワンパック出荷場もない。なとんか残したかったが、石井恒司さんが用地内の土地・墓地の権利を売ってしまい、空港会社に渡ってしまった。思い出深いところなので最後まで見届けた。私は忸怩たる思いだが、ずっと忘れない。らっきょう工場、島村家もおり、私も含めて東峰は生き続ける。ここ横堀研修センターもみんなの力で維持していこう」と呼びかけた。

 加瀬勉さん(大地共有委員会Ⅱ代表/多古町牛尾)は、「除夜の鐘が鳴り終わると同時に、『第三滑走路計画反対』の文書を地元の100戸に配布した。権力に対する戦闘宣言だ。深夜、初めて村中に撒いた。闇は深くても朝が来ない日はない。厳しい寒さだったが、いずれ春は来る。『小さな火でも燎原を焼き尽くす』(「星火燎原」毛沢東)とあるように、1人でビラを撒きながらも、きちっと決意したのが元朝参りだ。これからは集まりがいつも同じ顔しか見ない金太郎飴ではだめだ。三里塚に新しい命を打ち込んでいこう。人民の中に新しい種を撒いてい
こう」。

 「私の村は、第3滑走路ができると騒音地区になる。みんなに問うた。騒音地獄で子々孫々まで生きていくのか。補償金を貰って移転していくのか。第3滑走路に反対し、粉砕していくのか。私は、第3滑走路計画粉砕のために生涯をかけて闘うと表明した。村の反応はよかった。文書を配布したら翌日、国家権力の手先どもが会談を申し込んできた。私は断固拒否した。決意新たに今年も闘っていこう」。

 平野靖識さん(東峰地区/らっきょう工場)は、「小泉よねさんのお墓が東峰共同墓地にできた。小泉英政さんによってよねばあちゃんの闘いを讃える文章が刻まれている。東峰で御披露目があった。第3滑走路計画推進派は、B滑走路を南に延長するのは無理だという認識になっている。東峰地区は闘いの成果として、しっかり守っていきたい。三里塚50年だが、平行滑走路の作られ方、運用の仕方について、シンポジウム、円卓会議で語られた成田空港の平和的解決の道筋から逸脱して進んでいる。そもそも平行滑走路は正当性がない。それなのに第三滑走路なんてとんでもない。異議申し立てを続け、らっきょう工場で頑張っていきた
い」と強調した。

 支援の発言に移り、高見圭司さん(スペース21)、大阪と福岡の仲間、田んぼくらぶ、首都圏の仲間などからアピールが行われた。(Y)
 

報告:12.13三里塚―東峰現地行動

13三里塚デモ 12月13日、三里塚空港に反対する連絡会 は、「成田空港『第三滑走路』計画を撤回せよ! 横堀現闘本部裁判勝利! 年間30万回飛行、飛行制限時間緩和を許さない! 反原発―再稼働やめろ! 沖縄・辺野古新基地建設反対! TPP反対!」を掲げて「三里塚―東峰現地行動」を行い、36人が参加した。

 成田国際空港会社は、アジアハブ空港競争に敗北しただけではなく、羽田空港新滑走路供用開始によって国際空港としての地位低下が止まらない状況だ。すでに国交省航空局は、成田空港の役割を「国際線同士の乗り継ぎや格安航空会社(LCC)貨物中心というようになるのではないか」(東京新聞11・16)と位置づけているほどだ。

 空港会社は、劣勢挽回のために必死だ。東京五輪による航空需要拡大をでっち上げながら30万回離発着、空港拡張、安全軽視のLCCの誘致、離着陸制限時間の緩和圧力、「第三滑走路建設計画」キャンペーンを強めている。その現れが11月27日の「成田空港に関する四者協議会」(国、千葉県、成田市など周辺九市町、成田国際空港会社)だ。2030年までに成田に第3滑走路を作るという国土交通省の計画に続いて、空港会社は①B滑走路を北側に1000㍍延伸して3500㍍案②B滑走路南側に第3滑走路3500㍍整備案を提示した。メディアに「第2案が有力」とキャンペーンさせながら、早期に実現したい夜間飛行制限時間(現行では午後11時から午前6時までは飛べない)の緩和を求めるほどだ。

 事前の利権配分の合意ができていなかったため参加者から「(2013年3月に)午後11時台に新たなダイヤを組まないと約束したばかりで、夜間飛行制限緩和の議論自体おかしい」「午後10台以降の増便検討は、騒音下住民を無視していると言わざるをえない」と反発される始末だ。しかも協議会には、森田千葉県知事、夏目誠空港会社社長の欠席で不信を増幅させてしまった。

 このように空港会社は、空港周辺地元による第3滑走路計画要求を担保にして安倍政権に財政出動を迫っていく方針だ。とりわけ成田第3滑走路を目指す有志の会には、石毛博道(元青年行動隊・元反対同盟事務局長)などが事務局となり、周辺商工会が参加し、推進の先兵となっている。しかしこの手法も東京新聞に「成田空港の第三滑走路は、財源確保や事業の枠組みが未定で構想段階」「建設ありきではない姿勢が求められる」と言われるレベルなのだ。国・空港会社・空港推進派による住民追い出し廃村化、農業破壊、騒音の拡大による生活破壊を許さない。第3滑走路建設計画を撤回せよ。

 集会が旧東峰出荷場跡で始まった。

 山崎宏さん(横堀地区/労活評現闘)は、「第3滑走路計画を国が出し、空港会社がそのメリットについて報告した。11月の4者協議会ではB滑走路南側に第3滑走路3500㍍案が有力だという。成田第3滑走路を目指す有志の会は、そのお先棒となっている。第3滑走路計画に対して厳しく批判していこう」とアピールした。

 石井紀子さん(成田市川上)の発言。

 「先ほど皆さんと一緒に東峰共同墓地に行って、大木よねさんのお墓を墓参した。立派な石碑ができてよかった。感無量です。私も東峰の『特別区民』として色々な行事に参加させてもらっている。ここに生きて暮らし、守っていきたい」。

 「安保法制反対で国会に行ったが、あんな戦争法を通してしまった政府はなんなんだろう。国民の平和を守るなどと空々しく言えたものだ。腹が立ってしょうがない。国会には小さい子どもを連れたお母さんたちとか、お年寄りのグループとか、高校生、若者たちが一人一人で集まってきて心強かった」。

 平野靖識さん(東峰地区/らっきょう工場)の発言。

 「昔の仲間たちが第3滑走路計画のお先棒をかついでいる。地域の生き残りのために空港誘致に動いている。非常に残念な事態だ。これは地域力が衰えていることによって起こっている。三里塚物産は、地域の生産物を加工して販売している。ベテランの農業者が他地域の若者も含めて伝えている。地域力を維持しながら、根拠地にして闘っていきたい」。

 「11月のはじめにNGOのスタディーツアーで沖縄の辺野古、高江に行った。現地の仲間たちも含めてかつて三里塚に行ったことを話してくれたり、いろんな出会いがあった。三里塚に参加した人たちが各地で闘っている。空港半分を諦めさせ、仕事をして暮らしているのは根拠地だとも言われた。今、北原派の市東孝雄さんの土地が奪われようとしている。高裁で不当判決が出て、最高裁で争っている。ぜひ関心を持って、支援していただきたい」。

 根本博さん(泉州沖に空港を作らせない住民連絡会)は、「関西新空港は、いまだに1兆円を超える赤字を抱えている。空港建設に伴ったエアポートシティやゲートウェイに出資した地元自治体は多額な借金で苦しい状況だ。2001年から反空港全国連絡会とし全国の仲間と交流し、赤字の福岡空港、関西新空港、静岡空港の問題点を明らかにしてきた。運営権を民間に売って生き延びようとし、そのしわ寄せが空港で働く労働者に強まっていく。空港が右肩上がりで続くというのは嘘だ。成田空港の第三滑走路は必要ない。生活破壊、軍事利用反対などの視点からもチェックし反対していこう」とアピールした。

 集会終了後、デモに移り、開拓道路前に到着。B滑走路に向けて「三里塚空港粉砕!第3滑走路計画を撤回しろ!」のシュプレヒコールを行った。デモは、旧東峰共同出荷場跡に戻り、交流会に入り、各地の闘いなどを報告した。

(Y)

【案内】12.13三里塚-東峰現地行動

12.13三里塚-東峰現地行動

成田空港「第3滑走路」計画を撤回せよ! 横堀現闘本部裁判勝利! 
年間30万回飛行、飛行制限時間緩和を許さない! 
反原発―再稼働やめろ! 沖縄・辺野古新基地建設反対! TPP反対!

三里塚空港に反対する連絡会


●日時:12月13日(日)/午後1時結集
●場所:旧東峰共同出荷場跡(成田市東峰65-1)、開拓道路に向けてデモ
●会場への行き方:東成田駅地上12時集合/迎車待機で会場へ
(10:34発 京成上野 (特急)→11:42着 成田11:52発→11:57着  東成田)
●主催:三里塚空港に反対する連絡会
連絡先:千葉県山武郡芝山町香山新田90-5/電話:FAX0479-78-8101

安倍政権打倒

 安倍政権は米国と共に世界中で戦争をする安保法制を、労働者・市民・学生の国会を包囲する数万人の結集と全国各地で行われた抗議行動を無視して強行成立させた。安倍首相は独占資本の利益のために原発再稼働、TPPの推進、労働法制・治安法制の改悪、沖縄・辺野古新基地建設の強行など国の形を根本から変え、労働者、農民、市民の生活と権利を奪う政策を押し進めている。反人民的な安倍自公政権を全力で打倒しなければならない。

横堀現闘本部裁判不当判決糾弾

 国土交通省―成田国際空港株式会社は一体となって「空港機能の拡張」を名目として様々な悪辣な策動を行っている。

 空港会社は空港予定地内に存在する農民の土地や一坪共有地をはじめとする反対運動の拠点を訴訟によって強奪するというやり方をこの間取ってきた。空港会社は昨年2月、反対同盟を相手取って空港用地内横堀にある反対同盟現闘本部の建物を撤去し、土地を明け渡すように千葉地裁に提訴した。一坪共有地であった土地は、すでに裁判で全て空港会社の所有となり、建物は「朽廃」して空港機能拡張のジャマになるというのがその理由だった。

 9月2日、千葉地裁(金子直史裁判長)は不当にも空港会社の言い分を全て認めて、建物を撤去し土地を明け渡せという判決を言い渡した。

 空港会社(当時、空港公団)は1991―94年の「成田シンポジウム・円卓会議」の結果、「話し合いによる解決を目指す」「用地の取得には強制的手段を用いない」という確約をした。しかし、空港会社はその約束をことごとく反故にして司法の強制力(裁判所の強制執行)を使って土地の取得、団結小屋などの撤去を行ってきた。

 千葉地裁はこうした空港会社のやりかたに対し、「民事訴訟の手続きによる解決を求める」ことは「強制的手段に当るとは解し難い」と空港会社を擁護し、判決を下した。かかる不当判決は断じて認めることはできない。空港反対同盟は直ちに控訴し、最後まで裁判闘争を闘い抜くことを表明している。

 国土交通省・空港会社は2020年東京オリンピックまでに発着回数を増やすために、夜間飛行制限時間(現行では午後11時から午前6時までは飛べない)を緩和するという方針を地元に提示している。LCC(格安航空会社)の要請に応え、飛行制限時間を緩和するというのだ。資本の利潤の追求のために住民の生活を破壊する制限時間緩和を許すことはできない。

 さらに国土交通省は2030年までに成田に第3滑走路を作るという計画を作成し、地元に提示した。9月17日にはこれを話し合う4者協議会(国と県、成田市など地元9市町、空港会社)が開かれ、計画推進のために協議が行われた。

 ここで国は空港会社に対して滑走路増設の効果やコスト、騒音問題を調査するチームを設置するように提示したという。われわれは住民追い出しによる廃村化、農業破壊、騒音の拡大による生活破壊をもたらす第3滑走路建設に断固反対し闘い抜く。

 三里塚農民、用地内農民と連帯し、東峰住民追い出し、第3滑走路建設策動を許さず共に闘おう!12.13東峰現地に結集しよう!(2015.10.16)

報告:7.19三里塚―東峰現地行動

19三里塚 7月19日、三里塚空港に反対する連絡会は、「成田空港『第3滑走路』計画を撤回せよ! 横堀現闘本部裁判勝利! 年間30万回飛行、飛行制限時間緩和を許さない! 反原発―再稼働やめろ! 沖縄・辺野古新基地建設反対! TPP反対!」のスローガンを掲げて東峰現地デモを行い、40人が参加した。


安倍政権は、安保関連法(戦争法案)を7月16日に衆院で強行採決し、なにがなんでもの今国会での成立を目指している。世界中に自衛隊を派兵できるという戦争国家化に反対する大きなうねりは、国会を包囲しぬいた。三里塚の地からも戦争法案反対・沖縄辺野古新基地反対闘争連帯とともに、安倍政権の成長戦略の柱の一つである安全軽視・人権侵害の航空過密化と空港拡張の野望を許さない声を上げた。


前半の集会が旧東峰出荷場跡で行われた。

 

山崎宏さん(横堀地区/労活評現闘)は、「横堀現闘本部裁判は、千葉地裁が空港会社の主張に追随し、現地調査や証人申請を却下し、5月20日に結審した。9月2日に判決が予定されている。清井礼司弁護士は、地裁は三里塚の現実を知りたくない姿勢の現れだと批判していた。第2は、第三滑走路計画案の問題だ。国交省は、計画案を提起し、地元からの盛り上がりを利用して押し進めようとしている。成田市の第三滑走路を実現する会が立ち上げられ、芝山町の成田第3滑走路を目指す有志の会も設立が準備されている。計画案によって多くの住民、農民が追い立てられるが、そんなに簡単にはできない。今後も第3滑走路計画案をめぐる動向を注意し、反対運動を取り組んでいこう」とアピールした。


石井紀子さん(成田市川上)は、「皆さんもご存じでしょうが、石井恒司さんが持っている土地の権利を手放した。離婚してからバタバタと東峰の小屋の跡地、ワンパックの宿泊所、さらに石井武さんが埋まっている東峰の墓地まで手放した。さすがにショックでした。じいちゃんがあそこにいることが心の支えだった。なぜ墓地だけは拒絶できなかったのか。納得できないです。私は自分の世界を曲げられないし、仲間たちや信用を失ってまでお金がいるとは思わない。今、川上にいますけど東峰が根拠地であり、ここに人が暮らしていて東峰の地があるかぎり、ここに共にいたい。皆さんが来てくださって、心の支えになる。今後もよろしくお願いします」と発言した。

 

平野靖識さん(東峰地区/らっきょう工場)は、「三里塚物産は50年の闘いの成果だ。この木陰の東峰出荷場跡地も柳川秀夫さん、島村昭治さん、小泉英政さんの権利が残っている。第3滑走路が来てちょうだいよというのは、変なことになっている。政府は、これからの空港作りには地域住民のコンセサンスが必要だと言っていたが、踏みにじられてきた。有志の会は、B滑走路を北側に延長しろと言っている。南側は無理だと判断しているらしい。これは民衆の闘いの勝利の一つとして、ここはこのままでいきたい」と強調した。

 

札幌の仲間の連帯アピール後、開拓道路にむけてデモに出発した。炎天下だったが、「第三滑走路反対!空港粉砕!」のシュプレヒコールを行った。

 

デモは旧東峰出荷場に戻り、集会を再開した。

 

加瀬勉さん(三里塚大地共有委員会代表)は,冒頭、安保法案国会と自民党強行採決を糾弾し、①「三里塚50年の闘争と政党」②「三里塚の農民問題」について発言した(要旨別掲)。

 

続いて、「三里塚に生きる」自主上映実、日米安保条約終了通告を求める会が発言し、最後に今後の闘いを確認した。

加瀬勉さんの発言要旨

 

①  三里塚50年の闘争と政党」から


「革共同、即ち中核派の元政治局員、三里塚闘争責任者岸君が『中核派の分裂、政治局の堕落、崩壊』の本を出版した。その本の中で『中核派は三里塚反対同盟、三里塚反対闘争を政治的に利用するだけで裏切ってきた』と言明している。特に、反対同盟一坪共有地運動の推進者に対して、テロ、せん滅の敵対行動を行ったことに謝罪している。三里塚闘争と反対同盟農民に対して、あるいは杉並選挙闘争、婦人民主クラブの運動に対して、部落解放同盟の運動に対して、日本の大衆運動に対して敵対してきたことを幾多の事実を挙げて批判している。テロと内ゲバ、党内抗争に明け暮れて、党利党略のためにひたすら人民の闘争を利用してきたのである。この書籍によれば中核派は三里塚闘争の敵であるし、日本の大衆闘争に敵対する政治組織であることが判明した」。


「われわれは管制塔占拠闘争に勝利する等、国家権力に打撃をあたえた三里塚の歴史に輝かしい足跡を残した。その戦術的勝利をその後、政治闘争として発展させることができなかった」。

 

「三里塚50年の闘争を担いきる政党が日本に存在しなかったことが証明された。大衆闘争のなかで、思想を鍛え、行動を錬磨し、政党を発展させてゆく、大衆の利益を発展させる大衆路線を持った政党が日本には存在しなかったことが立証された。ゆえに今日の自民党独裁政権を許しているのである。われわれはこの困難の状況を深く理解し、その歴史的任務を遂行するために奮闘しなければならない」。

 

②  「三里塚の農民問題」

 

「東峰の石井恒司くんが空港(株)に敷地内の土地を売り渡した。彼はこのように言明している。『個人的には三里塚闘争は終わったと思っている』と。シンポシンポ、円卓会議を以って三里塚闘争は終了したのであると、石毛博道、相川勝重らも表明している。シンポ、円卓会議をもって三里塚闘争が終わったのであるとするならば、シンポ、円卓会議の路線は敗北主義である。抗日統一戦線問題と重慶会談、ベトナム戦争とパリ会談。話し合いも、交渉も闘争である。断じて統一戦線の中に自己の主体を解消したり、敵との会談、交渉に自らの主体を解体してはならない。交渉も話し合いも優れた政治闘争であることを理解できずシンポ・円卓会議推進者は権力の軍門に下っていったのである。そして、今や権力の手先になり、『第3滑走路の建設誘致に住民運動を』起こしている。闘争の敗北から権力の手先への変身である。厳しく批判しなくてはならない」。


③「大木よね執行問題に対しての和解」

 

「大木よねの代執行問題について反対同盟は最高裁まで裁判闘争を展開してきた。最近、小泉英政と空港(株)との間で和解が成立した。

 

(一)和解は代執行を受けた大木よねの遺志を引き継ぎ発展させるものであるのか。

 

(二)謝罪したというが謝罪をどう評価するのか。シンポ、円卓会議、東峰神社問題、天神峰小川嘉吉に対する謝罪、今回大木よねに対する謝罪、謝罪は数々の階級和解を作り出した。でも権力の空港建設の基本政策と精神は何一つ変わってはいない。巧妙に野心をとげているだけである。われわれは、金銭ですべてを奪われ、村を追い出され、運命が変わっただけである。数々の謝罪をどう評価するのかなどについて、私は現在、小泉君と意見を交わしている」。

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報告:2.28「丹波山『共有者の家』撤去を許すな! 現地緊急抗議行動

28三里塚緊急行動 2月28日、三里塚空港に反対する連絡会は、「丹波山『共有者の家』撤去を許すな! 現地緊急抗議行動」が取り組まれた。

 


成田空港会社は、夜間飛行制限緩和の圧力をかけながら年間41万回飛行(2020年)、第三滑走路建設(2030年)に向けた空港機能拡張路線をひた走っている。同時に三里塚闘争破壊に向けた東峰地区をはじめとした闘う農民、住民追い出し攻撃を強化している。その一環として空港用地内にある「丹波山『共有者の家』の破壊撤去にむけて千葉地裁に1月、提訴した。千葉地裁は、空港会社の主張を追認し、2月20日午前、強制撤去した。

 


「共有者の家」は、一坪共有地運動の拠点として1984年6月に反対同盟が建設した。だが空港公団(当時)は、反対闘争破壊に向けて1984年7月、共有地の分割と建物の撤去を求めて千葉地裁に提訴した。最高裁は、1994年3月、公団の言い分を認める不当判決を出した。しかし反対同盟は、一貫して断固として拒否してきた。

 

空港会社は、安倍政権の成長戦略に基づいて成田空港問題シンポジウムと円卓会議での「話し合いでの解決」を投げ捨て空港機能拡張路線を強行突破していくことに踏み出した。「共有者の家」の所有者は反対同盟であるにもかかわらず、個人所有としてデッチ上げ、その相続権をもつ家族から白紙委任状を取って回った手法に現れている。このような暴挙を許さず、連絡会は緊急の現地行動を取り組んだ。

 

連絡会は、B滑走路南側空港ゲート前で「丹波山『共有者の家』撤去強行 千葉地裁の強制執行を許さない」の横断幕を掲げ、「撤去糾弾!千葉地裁・空港会社を許さないぞ!」のシュプレヒコールを行なった。

 

司会の山崎宏さんは、反対同盟の「抗議声明 安倍内閣と国土交通省、空港会社が千葉地裁と結託して、われわれの丹波山『共有者』の家の建物に対して強権を発動して強制執行を行なった暴挙に断固抗議を表明する。『共有者の家』に至る道路を鉄製フェンスで封鎖し、立ち入りを阻み日常的に建物を管理できない状態にしておき、今回、強制執行による破壊、強奪という暴挙を行なった。

 

憲法に保障されている『主権在民』『財産権の擁護』に対する重大な侵害であり、民主主義を否定する行為である。強奪、破壊した建物をただちに復元して我々に返還せよ。強制執行に断固抗議する。2015年2月28日 三里塚芝山連合空港反対同盟代表世話人 柳川秀夫 大地共有委員会代表 加瀬勉」を読み上げた。

 

さらに「空港会社に忠実な千葉地裁は、反対同盟の財産を破壊し、諸物品を強奪した。この攻撃は、横堀団結小屋(12年11月)の強制撤去に続く暴挙であり、横堀現闘本部破壊裁判も同様の性格を持つものだ。現闘本部裁判は反対同盟を所有権者として提訴の相手とし、人格的には柳川代表を相手に裁判を起こしている。ところが『共有者の家』の『所有者』をデッチ上げた。そうすることによって反対同盟を全くカヤの外に置いてしまった。このような恣意的・ペテン的な空港会社のやり口を断じて許すことはできない。農民・住民無視の資本のやりたい放題の拡大路線を粉砕していこう」と訴えた。

 

辻和夫さん(『三里塚に生きる』自主上映会)は、「2月22日の上映会は、八〇人の参加があり成功しました。三里塚闘争の層の厚さを感じました。どうもありがとうございました。上映会後、山崎さんから本日の行動アピールが行なわれ、参加した。一坪共有地運動の拠点である『共有者の家』の破壊強行は、明らかにB滑走路延長計画も含んだ第三滑走路計画の先取り的な攻撃だ。丹波山『共有者の家』は、空港会社にとって二つの第三滑走路案のそれぞれの先端にあたり、滑走路と誘導路を結ぶ重要な地点だからだ。空港会社・千葉地裁を糾弾する」とアピールした。

 

最後にゲート前から再度シュプレヒコールを行った。

 

行動終了後、第三滑走路の計画地点の現地調査を行なった。東峰の東側に位置する新田地区の三里塚物産第二工場、圏央道建設予定コース、シンボリ牧場などを回った。いずれも農家のほか、一般住宅も多く第三滑走路計画の無謀さをあらためて確認した。

 

(Y)


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報告:3.4第4回横堀現闘本部撤去口頭弁論(朽廃建物収去土地明渡請求事件) 三里塚空港に反対する連絡会から

カラー現闘本部[1] 3月4日、千葉地裁(金子直史裁判長)で成田国際空港会社が三里塚反対同盟(柳川秀夫代表世話人)に対して横堀現闘本部撤去を求めた第4回口頭弁論(朽廃建物収去土地明渡請求事件)が行われた。

 


空港会社は、 反対同盟の「1991年、『成田空港シンポジウム』、1993年『円卓会議』は、政府が『成田空港問題』を『ボタンのかけ違い』と反省したところから始まり、結論的に、政府・公団(当時)は、シンポジウム・円卓会議に参加した(元)熱田派反対同盟の農民に対し、今後『あらゆる強制的手段』によらないことを約束した。

 

土地を取られる側に立てば、収用法の手続きと同じ結果をもたらす裁判手続きもここに含まれる」という主張に対して、「土地収用裁決申請を取り下げた公団が、『再度、土地収用法により、または、特別法を制定することで収用手続きを行なわない』、と確認されたものであって、裁判手続きを含むものではない」(準備書面14・10・17)と強引に解釈し、居直り的に「不法な有状態を解消するため、土地所有権に基づく返還請求権を行した本件訴訟のような民事訴訟までも含めて合意されたとは到底考えられるものではない」(同)と言い放ってきた。

 


さらに空港会社は、「信義違反」の事実の証拠である①公団の浅子直樹用地業務推進室長(当時)が北原派反対同盟に属する共有分割請求訴訟での記者会見(2002年12月24日)での「他の共有地については引き続き任意交渉し、訴訟で取得を求めるのは今回が最後である」と述べていた事実(毎日新聞02・12・25)。

 

②朝日新聞千葉版「一坪共有地地主の1000人に売却要請 NAA回答期限付き手紙」の記事の中で原告会社の談話として「協力が得られない場合でも訴訟による解決は考えていない」と述べていた事実――に対してもことごとく身勝手なストーリーをデッチ上げて否定してきた。

 

浅子発言に対しては、千葉地裁が共有地裁判で、「全面的価格賠償の方法にる共有物分割」(地権者との合意もなく一方的に金銭補償することをもって土地強奪ができる悪法)を前面に押し出し、「信義違反」の事実をことごとく排除し、「土地収用法上の収用手続とは本質的に異なる」とした判決(11・9・16)を持ち出して否定してきた(準備書面14・10・17)。

 

そのうえで(朝日記事の空港会社の発言は)「共有者持分権者へ持分売却依頼の手紙を送付した段階」(同)だと限定し、だから「協力を得られなかった場合、民事訴訟を行なうか否かといった方針まで決定する状況ではなかったため、原告が、その段階で、訴訟行為について明確に否定するような発言をすることは到底考えられない」(同)などと手前勝手な主観的な判断を押しつけてくるありさまだ。

 

さらに釈明書(14年12月5日)では、「仮にそのような発言がなされていたとしてしても、将来における訴訟による解決を否定する趣旨で述べたものではなく、かつ、被告との間で発言されたものではなく、被告に対し信義則違反を構成し得る程の契約的な意味を有するとは到底考えられないことから、被告の主張自体失当である」などと述べ、嘘つきを繰り返してきた空港会社だからその延長にあるのだと開き直っているにすぎない。

 

このように空港会社の主張は失敗し、信義違反は成立しており、不当な土地強奪であることを証明している。結局、空港会社は、必死で「被告の主張は円卓会議の合意事項等につき、誤った理解を前提とするものであって、何ら合理的な根拠を有するものではなく、失当である」と強調し、シンポジウム・円卓会議の歪曲と偽造のうえで浅子・空港会社発言を否定する根拠が薄弱であることを認めてしまっているのだ。

 

第二の争点である現闘本部進入路封鎖問題に対して反対同盟は、「横堀現闘本部に通ずる道路をバリケードで封鎖し、さらに本件物件の周囲を完全に鉄板で囲い込み、反対同盟関係者が本件建物について一歩も近づくことができないようにし、使用や修理・修繕を不可能とし、その結果として本件建物の状態を著しく悪化させておきながら、『建物としては朽廃し滅失状態となっている』として、本訴請求に及んだものであって、本訴請求は信義に著しく反するものであって、権利濫用に該る」と主張した。

 

ところが空港会社は、「航空機の航行の安全に支障が生ずるおそれがあったことから、空港管理者として安全管理上行なったものであり、被告が主張する使用等を妨害する目的で行なったものではない」(同準備書面)などと反論してきた。

 

さらに、「原告としては、被告より、本件物件への立ち入りについて申し出があれば、空港運用上の支障等により日時等は制限されるが、原告随行の上、認める用意があったものの、これまで、このような申し出はなかったものである」(同)と立ち入りを認めるポーズさえも示してきた。

 


しかし反対同盟の「横堀現闘本部の検証」、現闘本部の歴史、封鎖の不当性などを証明する証人尋問の要求に対して空港会社は、「敢えて検証」(検証申出に対する意見書/14年6月26日)は必要ない、「承認尋問については、その必要性を認められない」(意見書/14年10月17日)と否定しているように、これが本音なのである。しかも仮執行宣言付き判決を求めてきた。いずれにしても論理的一貫性がなく、ウソの上塗りのため論点をすりかえながら反論しているレベルなのである。

 

空港会社の目茶苦茶な主張に対して裁判所も危機感を現わし、「本件請求が、平行滑走路の整備と横風滑走路の整備とのいずれを目的とするものか」(裁判所/求釈明書/14年11月11日)、(空港会社の発言について)「新聞記事に引用されたような発言自体をしていない旨を主張しているのか、それとも、そのような発言自体はあったが、将来における訴訟による解決を否定する趣旨で述べたものではない旨を主張しているのか」(同)と誘導しなければならないほどだ。

 

空港会社の暴論、追認する地裁を許さず、勝利判決を勝ち取るために支援連帯を行なっていこう。


■横堀現闘本部撤去裁判
(朽廃建物収去土地明渡請求事件)



第五回口頭弁論 千葉地裁第601号法廷 
5月20日(水)午前11時

■裁判闘争費用のカンパ(1口 2000円)を訴えます。
振替口座:00290―1―100426 大地共有委員会〈Ⅱ〉

三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人:柳川秀夫)/大地共有委員会Ⅱ(代表:加瀬 勉)

〒289─1601 千葉県山武郡芝山町香山新田90─5(案山子亭)/電話&
FAX0479─78─8101


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報告:2.22「映画『三里塚に生きる』自主上映会

三里塚に生きる 2月22日、日本キリスト教会館(東京・早稲田)で「映画『三里塚に生きる』(監督・撮影:大津幸四郎、監督・編集:代島治彦)」自主上映会(実行委員会)が行なわれ、会場いっぱいとなる80人が参加した。


上映実行委員会は、代島治彦監督の「配給宣伝・劇場公開をご支援ください」との要請に応え、自主上映と三里塚闘争について語り合う場を東京で創ろうということでできればいいなという思いを込めて2014年12月に、上映実行委員会が作られた。呼びかけ人は、今も三里塚闘争の支援を続けている繁山達郎さん(研究所テオリア)、芝崎眞吾さん(連帯社)、辻和夫さん(横堀団結小屋維持会/田んぼくらぶ)、和多田粂夫さん(元管制塔被告)、中川憲一さん(元管制塔被告)、平田誠剛さんの6人。賛同人は41人だった。


上映時間2時間20分。登場しているのは13人。柳川秀夫さん(元青年行動隊リーダー)、故・三ノ宮文男さん(元青年行動隊リーダー)、小泉英政さん(三里塚に定住した支援者)、島寛征さん(元反対同盟事務局次長)、三ノ宮静枝さん(元婦人行動隊)、椿たかさん(元婦人行動隊)、故・大木よねさん(元婦人行動隊)、萩原勇一さん(元親同盟)、堀越昭平さん(元親同盟)、石毛博道さん(元青年行動隊)、秋葉清春さん(元青年行動隊)、山崎宏さん(団結小屋の住人)、北井一夫(写真家)さんなどだ。登場した皆さんは、三里塚の今と「思い」をそれぞれ語り続けた。参加者は、登場するそれぞれの「重い語り」を受け止め、自分史を検証しながら引き込まれていった。参加者のアンケートにも「素晴らしいドキュメンタリーだ」「生きるとは何かを考えさせられた」「三里塚の人々の思いがよくわかった」等々に現れている。

 

映画を制作したのは、2人の監督。撮影を担当したのは大津幸四郎監督。編集やインタビューや編集を担当したのが代島治彦監督。上映後の代島監督講演会の冒頭、司会の辻さんがからあいさつと「監督・撮影の大津幸四郎さんが14年11月28日に肺がんで逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします」と報告した。

 

代島監督の講演に移った。現地に詳しい方々が集まるだけに、「当日どんな意見が出るか、戦々恐々としています」と、事前に語っていた代島監督だが、「会場から笑い声があり、ここで笑うのかと、映画館とは違う体験ができた。」と、会場の熱気が伝わったことを述べた。「昔のことは喋りたくねえ」という人々の前で苦労したが三里塚闘争の真実を伝えたかったことを語った。(講演要旨別掲)。

 

現地から駆けつけた石井紀子さん(成田市川上)は、「この映画を観るのは3回目だ。観るたびに新たな発見があり、三里塚の人々の気持がわかってくる。私は一九七五年に東峰部落に入った。三里塚ワンパックを立ち上げて東峰の人たちと一緒にやってきた。空港会社は、小泉英政さんが43年目にしてようやく大木よねさんの土地に対する強制収用の補償問題を空港会社と小泉英政さんと話し合いを始めるわれるという有様だ。映画で小泉さんの思いが語られていてよかった。東峰は、北原派、旧熱田派、旧小川派の関係者がいる。あまり多くを語らない、生きていることが闘いだという感じだ。映画を作ると聞いて、何人が喋ってくれるのかと思ったほどだ。いまだから語りたい農民の気持を撮れていた。終わりがない三里塚だといえる」と発言した。

 

呼びかけ人あいさつが芝崎眞吾さん(連帯社)から行なわれ、かつて現地援農の取り組みのことを紹介しながら決意を表明した。

 

会場から感想や質問があり、交流の最後に、山崎宏さん(労活評現闘)が、最新のから現地報告と丹波山「共有者の家」撤去への抗議行動への参加を呼びかけた。策動を許すな! 2・28現地緊急抗議行動に結集を! 三里塚空港に反対する連絡会」が呼びかけられた。

 

最後に質疑応答などが行なわれ交流を深めていった。

(Y)


 

代島監督 代島監督の講演から
「見えにくくなっていた三里塚闘争、百姓の闘いは、基地や原発の問題ともつながっている」


今日は三里塚闘争に関係している方が多いということで画面に対して反応が一番あった上映会になった。ここで笑うのかのシーンがいくつもあって今でとは違う体験ができた。

 

この映画は、大津幸四郎さんに誘われる形で2012年8月、三里塚に踏み入れた。最初は大津さんの思いだった。1968年の「三里塚の夏」に写っている人たちが、DVD化されるのを契機に今どうしているのだろうかということを一人一人会って話してみたいということだった。島さんも柳川さんも温かくは迎えてくれたが、「昔のことは喋りたくねえ」「今、生きることで抵抗している。それでいいじゃないか」ということだった。また、「シンポジウム・円卓会議が終わって、それぞれが自由に生きている。今の三里塚を撮れるのか」と言われたりもした。

 

ドキュメンタリーを作る仲間たちは、東日本大震災があり、被災地を撮りに行ったり、福島原発事故など現在進行形のテーマに入っていた。私は、自分の八〇年代、九〇年代の生き方の反省もあって三里塚に入った。

 

この映画は、単純に闘争を描くということではなくて、日本の戦後の長い時間の動き、人間ってなんだろうという思いが三里塚の人々と話すなかで深く考えることができた。

 

映画には登場していないが、早くから石井紀子さんとはお話していた。逆に柳川さんは農作業、講演などの喋りだけでインタビューはできませんでした。柳川さんは、そういう方なんですね。生き方です。

 

山崎さんは、一番最初に登場しています。撮った順じゃないです。ある上映会で山崎さんが三里塚に生きる一人に入るのか入らないのかという質問があったが、僕は「入る」と言いました。三里塚で生きていると感じたからです。初対面なのに色々と質問をした。山崎さんは緊張感を持って答えたくれた。

 

大津さんが亡くなる前に気にしていたのが、三ノ宮静枝さんだった。周辺の人たちは静枝さんに文男さんのことを聞く人はいなかった。私たちは何回か静枝さんに伺うなかで文男さんの話ができた。静枝さんにとっては、文夫さんのことは過去の話ではない。今も生きている。

 

一人一人の体験、悩み、苦しみ、うしろめたさ、悲しいことなどの心話を持ち、溜め込みながら人生の心話になっていくんだなと思う。だからこの映画は、一人一人の心話です。

 

三里塚は、円卓・シンポジウムを反対同盟の側から働きかけ、国と話し合いによって謝らせて闘争を解決したと言う人がいたが、実感としてそう思えなかった。共生という道を選択するが、真実が見えなくなってきた。

 

この映画の中で三ノ宮文男さんの遺書と大木よねさんの戦闘宣言が朗読される。開港後、北原派と熱田派が分裂し、内ゲバなど色々あったなかで三里塚の真実が見えにくくなっている。多くの人々は、三里塚のイメージが新左翼、過激な暴力という印象が残ってしまった。

 

若い人たちの中で三里塚って、農民の闘いだったんだと言う者がいた。だからこそ見えなくなっている百姓の闘いである三里塚を撮りたかった。基地や原発の問題とつながっている。
(要約・編集部) 

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丹波山「共有者の家」撤去策動を許すな!2.28現地緊急抗議行動に結集を!

三里塚地図















丹波山「共有者の家」撤去策動を許すな!

2.28現地緊急抗議行動に結集を!


三里塚空港に反対する連絡会


日時:2月28日(土)、13時
場所:横堀農業研修センター(0479―78―0100/横堀農業研修センター
千葉県山武郡芝山町香山新田131)/研修センターから「共有者の家」に移動
主催:三里塚空港に反対する連絡会

(連絡先:千葉県山武郡芝山町香山新田90-5/電話:FAX0479-78-8101)


■会場への行き方:京成東成田駅地上 12時30分集合 迎えの車待機
10:34発  京成上野特急 →11:42着 京成成田→10:32発  京成成田 →乗り換え 11:52発 京成本線(普通) [芝山千代田行き]→11:57着  東成田

 

成田国際空港会社は丹波山の「共有者の家」を破壊・撤去するために1月、千葉地裁に強制執行の手続きを進めるように申し立てを行った。


「共有者の家」は、平行(B)滑走路予定地の南端付近の一坪共有地にあり、再共有化運動の拠点として1984年6月に反対同盟が建設し、会議や宿泊に活用していた。


空港公団(当時)は1984年7月、土地の所有権50分の43を取得したとして共有地の分割と建物の撤去を求めて千葉地裁に提訴、1994年3月に公団の言い分を認める最高裁の決定が出された。公団は東峰地区に代替地を用意し、建物の移転を求めて来たが、反対同盟は一貫して拒否してきた。


「NAA(空港会社)によると、裁判が確定した当時は、反対派と国が話し合いを始めた成田空港問題シンポジウム(91~93年)と、続く円卓会議(93、94年)が開かれていた。判決を受けてすぐに強制執行に踏み切ると、話し合いでの解決に影響を及ぼすとの判断があったため、見合わせていた。今回は、任意での収去の見通しも立たないことから、強制執行で区切りをつけることになったという。」(「朝日」2015.1.16)。横堀現闘本部の裁判による破壊策動同様、またもや裁判所(司法権力)を使っての強制執行である。


空港会社は昨年11月頃、道路と空港用地の境に鉄製フェンスを設置し、それまでは「共有者の家」まで行けたのに、全く近付けず建物を見ることさえできなくしてしまった。


空港会社は同じ頃、元反対同盟代表(故人)を所有者として、家族で相続権を持つ人たちから白紙委任状を取って回った。そして今回それを元に申し立てを行ったのだ。


「共有者の家」の所有者は反対同盟という組織であり、決して元代表個人のものではない。しかも元代表は20年以上前に代表を辞任しているのだ。



空港会社は反対同盟の現代表(柳川秀夫代表世話人)が建物の撤去・移転を断固拒否しているため、「所有者」をデッチ上げた。そうすることによって反対同盟を全くカヤの外に置いてしまったのだ。


実際、現在争われている横堀現闘本部撤去の裁判においては、反対同盟を所有権者として提訴の相手とし、人格的には柳川代表を相手に裁判を起こしている。このような恣意的・ペテン的な空港会社のやり口を断じて許すことはできない。そして、それを認めて受理する千葉地裁も同罪である。


本裁判の流れは裁判所が関係者(元代表の相続権者)に告知し、期限までに収去されなければ裁判所の執行官が強制執行するということだ。これが空港会社が悪知恵をはたらかせて作り上げたシナリオだ。


国、空港会社は三里塚闘争の歴史から何も学ぶことなく、再び強制的手段を用いてひたすら利益を追求することにのみ邁進している。「東京オリンピック」を目途に年間41万回飛行を目指し、そのために夜間飛行制限時間のなしくずし的緩和を周辺自治体に働きかけている。また、2030年度を目途に第3滑走路建設計画を検討している。かかる農民・住民無視の資本のやりたい放題の拡大路線を粉砕しなければならない。


 2.28現地に結集し、抗議の声を上げていこう!


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報告:1.11 2015三里塚空港反対同盟旗開き

2015反対同盟旗開き 1月11日、三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人:柳川秀夫)は、「第3滑走路計画」粉砕を掲げて、横堀農業研修センターで2015年旗開きを行い、今年も闘う決意を示した。参加者は32人。

 

国土交通省「首都圏空港機能強化技術検討小委員会は、安全軽視の過密運航・環境破壊の「第3滑走路」計画を打ち出し、2030年度をメドに完成させ50万回発着を目指すというのだ。こんな財政根拠無し、住民追い出しを前提とした無謀な計画を金儲け優先で成田商工会や経済界が一体となってキャンペーンを強化している。

 


成田空港振興協議会の講演会(2014年11月19日)で黒野匡彦(元成田国際空港社長)が「国が言い出す前に第三滑走路建設を地元が言いだすべき」と煽り、内陸空港の致命的な欠陥である飛行制限時間(夜間飛行制限を午後11時から午前0時までに延長)の緩和にむけて圧力をかけるほどだ。小泉一成成田市長も市長選挙後(12月14日)、「第三滑走路建設は選択肢の一つ」と強調し、連携プレーの強化を指し示した。

 

さらに「成田第3滑走路を実現する会」臨時総会(12月28日)では早期実現署名(目標30万人)が目標署名に届いていないにもかかわらず予算国会に間に合わせるために137000人分をあわてて15年1月に国交相に提出することを決めた。

 

夏目誠空港会社社長は、「年始の訓示」で「第3滑走路」計画キャンペーンを横で見ながらアジア・ハブ空港競争の敗北、羽田空港との増便競争の劣勢をなんとか挽回するためにLCC(格安航空)増便と新ターミナル・「第3旅客ターミナル」の供用、誘導路整備などの空港拡張を「なんとしても成功させなければいけない」と叫ぶしかなかった。とりわけ必死な延命のために成田空港圏自治体連絡協議会に対して人権破壊に満ちた飛行時間制限緩和要求の拡大、闘う農民に対する追い出しと三里塚闘争拠点破壊攻撃などを強めざるをえないのだ。


旗開きは、山崎宏さん(横堀地区)の開会あいさつで始まった。

 

山崎さんは、「安倍政権の下でとんでもない社会が作られようとしている。三里塚でも過去の歴史を一切無視して第三滑走路計画、LCC導入と制限時間の撤廃策動が強まっている。敵権力に屈することなく勝利をかちとっていこう」と訴
えた。

 

柳川秀夫さん(反対同盟代表世話人)は、「空港会社は現闘本部破壊にむけて裁判に提訴し、撤去準備を進めている。裁判の結果なんて、いいことがあったためしがない。むこうは3本目の滑走路を作ろうとしている。周辺住民に対して請願署名を取り組んでいる。自民党が選挙で圧勝し、景気対策ということで空港拡張しようということだ。腹一杯飯を食っていくことが発展だと言っている。こんな価値観に抗してわれわれの価値観を作り出していかなければならない。国と空港会社が空港を作ろうとすることに対して対応していくこと以上に、50年を闘ってきた三里塚闘争は、空港問題にかぎらず、世の中のあり方を問い、新しい社会を作り出すことをめざしていきたい。皆さんとともに確認したい。まさに革命だ。三里塚は、そこに使命がある。百姓をやってて天候不順など環境危機を感じる。地球の危機、人間の存亡に関わる事態まで引き起こしている。物質文明にひた走るのではなく、新しい社会を模索するしか生き残れない。なにが問題なのかはっきりさせていきたい。今年も頑張っていきましよう」と発言した。

 

加瀬勉さん(大地共有委員会Ⅱ代表)は、農村コミュニティーの危機、介護問題などを語りながら社会が抱える諸課題を浮き彫りにし、「深刻な状態だから取り組まなければならない課題ははっきりしているが、主体が間に合っていない。しかし沖縄の衆院選挙は勝った。闘っている主体がちゃんとしていれば統一戦線ができるということだ。敵に分裂を強いることもできた。これは三里塚闘争の原則だった。沖縄の教訓を身につける必要がある」と述べた。

 

さらに「昨年末、空港会社と行政の非公開の陰謀会があった。会社は24時間飛行させてくれと要求した。資本の論理からすれば必然だ。革命的警戒心を強めなければならない」と強調した。


石井紀子さん(成田市川上)は、「東峰から川上に移って静かになると思ったが、深夜になると空港騒音がひどく感じる。第3滑走路問題が上がってえらいことになっている。行政に説明しろと要求したりしたが、まだ具体的なことは言えないという態度だ。川上は古い農村だが、暮らしにくくなっきている。農村潰しでしかない。空港会社は、エコ空港とか言っているが農業を潰している。へこたれない野菜を作り、たくさんの人に食べてもらい、立派な野菜ができるところだと訴え続けていく。映画『三里塚に生きる』が公開され、若い人たちにも勧めた。どんどん広げていこう」と発言した。

 

平野靖識さん(東峰地区らっきょう工場)は、「第3滑走路計画用地内に三里塚物産第2工場が存在している。空港会社にとっては残念でした。こんどのデモの途中でぜひ立ち寄ってください。1966年に三里塚闘争が始まった。来年、50年だ。沖縄の選挙勝利は、うれしかった。昔、沖縄・水俣・三里塚は、反権力の砦として闘った。今も続いている。50年闘われた三里塚は、国際的にも注目されてきた。来年は三里塚闘争は50年だ。元気で闘っていこう」。

 

「暮れに空港会社が来たので『第3滑走路はリアリティーがあるのか』と問いただしたら、『あれは国のほうの技術検討会で増やそうとすればどうなるのかということを言っているだけだ』と言っていた。問題は、地域力が落ちているなかで、空港建設のおこぼれにすがるような態勢に入っていることだ。周辺はゴルフ場、産業廃棄物処理場、公園墓地が多いことに現れている。空港が来ると栄えるというのは真っ赤なウソだ。いかにその地域で根付いて暮らしていけるかが課題だ」と批判した。


たじまよしおさんのメッセージ紹介後、支援の発言が続いた。

 

関西・三里塚闘争に連帯する会から昨年の反空港全国連絡会の取り組み、京都・米軍Xバンドレーダー基地反対闘争の報告が行われた。

 

横堀団結小屋維持会から「三里塚に生きる」・東京自主上映会(2月22日(日)/午後1時半/日本キリスト教会館6F〈早稲田〉)を予告編を上映し、紹介しながら参加をよびかけた。      (Y)

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報告:12・14三里塚―東峰現地行動

14 三里塚空港に反対する連絡会は、12月14日、旧東峰共同出荷場跡で「12・14三里塚―東峰現地行動」を行い、40人が参加した。

 


政府―国土交通省の「首都圏空港機能強化技術検討小委員会」は、2030年度をメドに成田・羽田の両空港に新しい滑走路を増設する計画を立て、周辺自治体や航空会社に提案した。成田空港に対しては、安全軽視・環境破壊の過密運航にむけて20年東京オリンピックまでに年間41万回離着陸を打ち出した。さらに地元商工会や経済界がつくる「成田第三滑走路実現する会」と国交省が一体となって年間50万回に向けて三本目の滑走路を建設するという策動を開始している。カネと暴力によって農民を追い出してきた歴史を何ら反省せず、再犯していく居直りを続けている。連絡会は、「成田空港「第三滑走路」計画を撤回せよ! 横堀現闘本部裁判勝利! 年間50万回飛行、飛行制限時間緩和を許さない! 反原発―再稼働やめろ!TPP反対!」のスローガンを掲げて東峰現地行動を取り組んだ。

 


集会は、山崎宏さん(横堀地区/労活評現闘)のあいさつから始まり、「本日は総選挙の投票日だ。安倍政権が大勝すれば、まさにナチスの全権委任法を与えるような事態だ。『第三滑走路』計画に反対し、安倍政権打倒にむけて断固闘っていこう」と呼びかけた。

 

石井紀子さん(川上地区)は、「『第三滑走路』計画について住民の不安が高まっている。11月末に成田市が説明会を行ったが、『国が確定的なことを言っていないから、わからない』を繰り返すだけだった。川上地区は用地内に入るので住民の不信感が増した。成田空港よりも羽田空港の利用率が増えているのに、なんで新たな滑走路を作るのか。形だけ滑走路を作るということがミエミエだ。破綻していくのは明白だ。私は、ここで野菜を作り、しっかりと生活していく」と発言した。

 

また、映画「三里塚に生きる」に触れて「東峰から移転した堀越昭平さんが出てくるが、本当は移転したくなかった思いを語っていた。闘う柳川秀夫さんは、かっこいい。こういう人がいるかぎり三里塚闘争は続いている。そして、同じような思いで生きている人たちがいる。東峰の地に集う人々がいる。私たちはこれからもここで生きていく」と強調した。

 


平野靖識さん(東峰地区・らっきょう工場)は、「三里塚物産の第二工場が新田地区にある。静かな所を求めて作ったが、第三滑走路が来るとしたらとんでもない。私たちなりに異議申し立てを行っていきたい」と発言した。

 

さらに空港会社による市東孝雄さん(天神峰地区/北原派反対同盟)の土地強奪裁判に触れ、「三里塚物産は、父親の市東東一さんの時代からお世話になってきた。空港会社による市東さんの土地強奪は、人ごとではない。裁判闘争を支援している」とアピールした。

 

関西三里塚闘争に連帯する会の苅谷稔さんは、泉州沖に空港をつくらせない住民連絡会の9・21集会、11・29~30第一三回反空港全国交流会を報告し、連帯する会のアピールを紹介した。

 

集会終了後、東峰部落の開拓道路(B滑走路用地内)にむけてデモに移った。

 


開拓道路に到着後、山崎さんは、「成田空港会社と地元経済界は、羽田空港の利用拡大に危機感を感じ、生き残りに必死だ。成田離れの拡大を止めるためにLCC専用ターミナルを作り、増便をねらっている。しかし、周辺住民との関係で飛行制限時間(夜11時まで。緊急時は12時)があるため、空港会社にとって致命的な限界だ。だから制限時間の緩和圧力を強めている。成田第三滑走路計画とともに農民、住民への犠牲の強要を許してはならない」と訴え、B滑走路にむかって抗議のシュプレヒコールを行った。

 

デモは、解散地点の共同出荷場跡に到着し、最後に辻和夫さん(横堀団結小屋維持会/田んぼくらぶ)から2・22「三里塚に生きる」上映会(別掲参照)への協力が呼びかけられた。(Y)



■2015年反対同盟旗開きのお知らせ
主催:三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人:柳川秀夫)
日時:2015年1月11日(日)、正午
場所:横堀農業研修センター(0479―78―0100/千葉県山武郡芝山町香山新田131)
参加費:1000円

連絡先:〒289─1601 千葉県山武郡芝山町香山新田 90─5(案山子亭)

/電話&FAX0479─78─8101

■会場への行き方:京成東成田駅地上 11時00分集合 迎えの車待機
09:13発  京成上野特急 →10:21着 成田→10:32発  京成成田 →乗り換え 京成本線(普通) [芝山千代田行き]→10:37着  東成田 


■2・22『三里塚に生きる』上映実行委員会の賛同人になってください。
呼びかけ:繁山達郎(研究所テオリア)、芝崎眞吾(連帯社)、辻和夫(横堀
団結小屋維持会/田んぼくらぶ)

映画『三里塚に生きる』をご覧になりましたか(11月22日から12月19日まで東京・渋谷「ユーロスペース」で上映)。

代島治彦監督の「配給宣伝・劇場公開をご支援ください」の要請に応え、自主上映と三里塚闘争について語り合う場を東京で創ることができればいいなという思いを込めて、『三里塚に生きる』上映実行委員会を立ち上げることにしました。

映画に対しては様々な観点からのアプローチがあるでしょう。当日は代島治彦監督をお招きし、語り合いましょう。とりあえず辻の感想文(★)を参考資料にしながら共に探っていけたらなと思います。


賛同していただける方は、住所・氏名・連絡先(肩書き、氏名の公表の有無併記。記載がない場合は、「無」)をFAXか、mailをいずれかの連絡先に送ってください。賛同金は、「映画賛同金」と明記して新時代社に送ってください。(締め
切り2015年2月中旬)

●賛同金送金先/郵便振替 新時代社 00290=6=64430 「映画賛
同金」と明記
●賛同人(一口1000円)
●上映日時/2015年2月22日(日)/午後1時30~(上映時間/140分)/午後四時~代島治彦監督講演&賛同人の発言
●場所/早稲田奉仕園内/ 6ABC号室(日本キリスト教会館4F(地下鉄東西
線早稲田駅3b番、2番出口から徒歩5分)
http://www.hoshien.or.jp/map/map.html


●連絡先:
研究所テオリア
連絡先 東京都千代田区内神田1―17―12勝文社第二ビル101 TEL・FAX03―6273―7233
email@theoria.info

連帯社
連絡先 東京都文京区小石川1―8―9第二彦坂ビル5階 TEL FAX03―3814―1694

新時代社 東京都渋谷区初台1―50―4―103 TEL03―3372―9401 FAX03―3372―9402
mail@jrcl.net



●『三里塚に生きる』公式サイト

http://sanrizukaniikiru.com/
MotionGallery(モーションギャラリー)

https://motion-gallery.net/projects/sanrizuka

★辻の『三里塚に生きる』の感想文は、三里塚芝山連合空港反対同盟大地共有委員会(Ⅱ)ブログに掲載されています。
http://blog.livedoor.jp/kyouyutisanri/archives/8613983.html

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映画『三里塚に生きる』を観て

j_top_c 11月22日、渋谷ユーロスペースで「三里塚に生きる」の上映がスタートした。12月19日まで「不屈のロードショー」が行われる。「三里塚の今」を考えるためにぜひ観てほしい。


監督の思い

初日舞台あいさつが行われた。

 


代島治彦監督は「ご来場ありがとうございます。共同監督の大津幸四郎は、体調崩しており、ぜひ駆けつけたいといっていたが来れませんでした」と報告した。

 

大津監督の思いは、こうだ。「ともかく出来てしまったからには、農民たちの闘いは敗北したと括られるだろう。しかし、農民たちはこの地でヒコーキの発着を横目で眺めながら、農業を続けている。生きてつづけています。農民たちの生活も、心の裡も複雑に揺れ動いている、でしよう。私たちはカメラを彼らの脇にそっと置いて、彼らの独白を静謐な映像にしてみました」(『三里塚に生きる』採録シナリオ)。

 


代島監督は、「この国を相手に命をかけて闘った三里塚の人びとは『生きるかなしみ』の世界を生き続けてきました。人間は愚かで、無力なものだということを胸に刻みながら。だからこそ、いま彼らが語る真実は『人間は自らの無力さに気づかなければ、ほんとうの意味で人生を肯定的に生きることはできない』ということを教えてくれるのです」(同シナリオ)という観点からフィルム編集をやりきった。映画は二人のフィルターを通しつつも、次々と三里塚の人々の過去・現在・未来を浮き彫りにしていった。

 


「大木よね 戦闘宣言」を映画で朗読した吉行和子さん(俳優)は、「大木よねは、戦闘宣言でわかるようにすさまじい女性だった。だから監督に『戦闘宣言を読んでくれないか』と依頼されて『やるっきゃない』とOKした。三里塚に参加したわけではないが、映像は一人一人の生き方を伝え、色々と強烈に考えさせる。なにをやってもだめだという雰囲気の中で、だめでも反対していくエネルギー、忘れてはいけないものを感じさせる。今もそれは続いている。会場に若い人たちが参加しているが、さらに若い人たちに観てほしい映画だ」と訴えた。

 


映画に出演した北井一夫さん(闘争を記録した写真家)は、「大津さんは、45年間、心に残る三里塚があった。その思いを映像化した。大津さんの小川プロ時代の白黒映像もすごかったが、『三里塚に生きる』のカラー映像はみずみずしい新鮮さを感じる。三里塚とはなんだったのか突きつける説得力がある映画だ」と強調した。

 


柳川秀夫さんの思い


映画内容を詳細に記述することはできないが、「主な登場人物」をあえて以下のように明記しておく(パンフレット)。三里塚に心を寄せる人々であればこの映画の全体像をぼんやりと見えてくるのではないか。

 


登場しているのは柳川秀夫(元青年行動隊リーダー)、故・三ノ宮文男(元青年行動隊リーダー)、小泉英政(三里塚に定住した支援者)、島寛征(元反対同盟事務局次長)、三ノ宮静枝(元婦人行動隊)、椿たか(元婦人行動隊)、大木よね(元婦人行動隊)、萩原勇一(元親同盟)、堀越昭平(元親同盟)、石毛博道(元青年行動隊)、秋葉清春(元青年行動隊)、山崎宏(団結小屋の住人)、北井一夫などだ。

 


なお観客に配布された「サンリヅカニイキル? U(アンダー)三〇世代の感想座談会」は、1980年代以降に生まれた7人がおおいに語っている。その中味、
なかなか興味深いものだ。

 

映画は、三ノ宮文男さんの自死と柳川さんの三里塚に生きる=「闘う根拠」、
大木よねさんと小泉英政さんの三里塚に生きる「闘う根拠」、そして山崎宏さんの「闘う根拠」を観る側に迫ることに成功している。

 


印象的だったのは代島監督が柳川さんに対して、「なぜ闘いをやめないで闘い続けるのか」という問いに対して、「三ノ宮が死んでるのが一番でけえけど」、(三ノ宮遺書が)「『ここでずっと生き続けろ』っていう風に言っているからな」、「生きられる環境を(作れ)ってことだんべからなぁ、三ノ宮が言っていることはよ。そういうことをちゃんとやれっていうことだ」と語るシーンはズッシリと迫ってくる場面だ。あらためて柳川さんの思いがわかるような瞬間だった。

小泉英政さんの思い

冒頭、成田空港の轟音とともに全体像が映し出されるが、すぐに空港会社によって破壊された横堀団結小屋(労活評)が登場。さらに山崎さんへのインタビュー、横堀大鉄塔の上から山崎さんが空港を断固としてにらみつけるシーンを押し出してくる。このワンシーンの後に「三里塚に生きる」のタイトルが観客に飛び込んでくるのだ。

 

ラストコーナーでも「空港誘導路と隣接する『よねの畑』」シーンでは小泉さんが黙々と農作業しているシーンだ。小泉さんは、「普通のおばあちゃんが最後まで国に抵抗するという、そういう気持ちに惚れた訳で。引き継ごうと思うのは、そういう気持ちですよね」と語る。小泉さんの思いは、初日先着二〇人に三里塚・小泉循環農場の里芋プレゼントに現れているのかなと感じながらゲットした。

 

(Y)

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映画案内『三里塚に生きる』


よいよ11月22日から
東京・渋谷ユーロスペースでロードショー

長編ドキュメンタリー映画「三里塚に生きる」



 カメラが最初に訪ねるのは、「大地共有委員会2」の大看板が立つ横堀の団結小屋。団結小屋住人・山崎宏さんは、なぜ、空港に反対し続けるのか?との問いに、「何も変わっていない。問題は解決していない」と答えます。カメラは、その言葉を確かめるかのように、かつて激しく闘った人々を訪ねます。

 
 後半では、飛び交うジェット機を背景にしながら、反対同盟代表世話人・柳川秀夫さんが、もくもくと農作業を続ける姿や、東峰の畑で大木よねさんの思いを語る小泉英政さんが印象的です。
 

 映画のチラシやパンフレットに記載はありませんが、大地共有委員会2代表の加瀬勉さんの若きの姿も登場します。大木よねさんの住まいが強制代執行で奪われるその日、よねさんとともに脱穀作業をつづけ、大勢の機動隊に向かって激しく抗議しています。
 

 そのほか、アジア連帯講座が参加したデモや集会、旗開きの映像も登場しています。
 

 公共の名のもとに行われた暴力的な空港建設の理不尽さをうかびあがらせ、そこで生きている人々の姿、人生を記録した映画です。
 
 三里塚闘争に関わった人は見逃せない映画です。
 
 

 映画案内『三里塚に生きる』

監督・撮影:大津幸四郎、監督・編集:代島治彦

忘れられた人々の、忘れられない物語

国家権力を恐れなかった人びと


 農民たちに何の相談もなく一方的に新空港建設を決めた閣議決定から半世紀を迎えようとしている。現代の日本では、三里塚闘争は終わったものと、意図的に忘れ去られようとしている。大震災のあと、多くのカメラは被災地にむかった。しかし、二人の監督は、あえて三里塚に行き、国の暴力と正面から闘った農民、いまも闘い続ける農民に向き合う。強制的な弾圧に屈せず、どのように闘ったのか、いかに悩み、いかに傷つき、いかに苦しんだのか。

 人びとが静かに語る言葉が、この国の体質を浮き彫りにする長編ドキュメンタリーである。国家権力が何をしたのか、国家と闘うには何が必要なのかを伝え、そして人間は何のために生きるのかを考えさせる映画だ。日本ドキュメンタリー界で長いキャリアを持つキャメラマン大津幸四郎と、年下の映像作家代島治彦、二人の共同監督による作品。大津は、一九六八年、小川プロの三里塚作品、第一作目「日本解放戦線・三里塚の夏」を撮ったキャメラマンだ。

三里塚に向かったきっかけは、大津が「三里塚の夏」のDVDブックを製作したことにある。(「小川プロダクション『三里塚の夏』を観る」鈴木一誌編著、2012年太田出版)。一九六六年、佐藤栄作内閣は農村地帯である成田市三里塚および芝山町に空港建設を一方的に決める。農民たちは空港反対同盟を結成し、反対運動に立ち上がるが、政府・空港公団は機動隊を投入し、強制的に反対運動をつぶそうとする。国家の暴力にどう対抗するのか。三里塚闘争が転換点をむかえた六八年、小川紳介監督が率いる小川プロダクションは、抵抗する農民の姿を、農民の側に加担して描いた映画「日本解放戦線・三里塚の夏」を世に送り出した。


農民や青年たちは、「武装」しようと話し合い、反対同盟の幹部にも迫る。完全武装の機動隊と対峙した女性たちは、激しく声をぶつける。「お前たちの母親は、人を殺すためにお前を産んだのか」。最初はとまどいながら、しかし、国家権力と闘うことを覚悟し、どうどうと振る舞うように変わっていく。

このいきいきと闘った人々はどうしているか? 元気でいるだろうか? というつぶやきが、四五年ぶりに会いに行くきっかけだったそうだ。ところが、三里塚は、ジェット機が頻繁に離着陸を繰り返す騒音の中にある。小川プロの映画にもなった辺田部落を訪ねるが、かつての場所に農家は一軒も残っていない。

今もつづく三里塚闘争


農民が命をかけて抵抗し、全国から学生や青年が集まり三里塚闘争は大きな抵抗闘争となった。一九七八年、計画では三本だった滑走路が一本だけで、空港は「部分開港」する。八三年反対同盟は大地の共有運動を巡って分裂する。九〇年代、隅谷調査団が国と農民との調停にたち、シンポジウム・円卓会議を経て、九四年、国は「強制的な用地収用は二度と行わない」「地域住民との合意のうえで進めていく」と謝罪し、事業認定を取り下げた。また、農民の多くも謝罪を受け入れ、反対闘争から退場していった。

だが謝罪とはうらはらに、国は空港拡張をあきらめず、農家の軒先まで工事をすすめた。二〇〇二年サッカーワールドカップ開催を口実に、二本目の滑走路を供用開始し、農家の頭上四〇メートルをジェット機が通過する運用を始めた。また、共有地や農地などについても、空港会社(かつての空港公団)は裁判に訴え、所有者の意志を無視して強奪し、いまもなお同じ手段で強奪しようとしている。空港はいまだ未完成であり、闘争は今も続いている。

「浦島太郎」状態の中から始めて

 大津監督は、「浦島太郎」状態だった。記憶にある場所に家や目指す人もいない。ようやく訪ねあてた人も、長い年月でさまざまな苦悩があったのだろう、口は重く、簡単にはカメラの前では話さない。しかし、ベテランのドキュメンタリーキャメラマンであり、四五年前には「映画班」のヘルメットを被り、三里塚で撮影中に公務執行妨害で逮捕された大津だからだろう、ある人は懐かしい写真を手に、また別の人は開拓の思い出からカメラの前で静かに語りだす。

大津監督が開けた「玉手箱」の煙は、さまざまな言葉でちりばめられている。闘っていた時には、明かさなかった気持ちや、外からは窺うことができない苦労。複雑な心境。私にも、それぞれが輝いて聞こえた。

だが、映画は、一つの方向に導こうとはしない。ナレーションはなく、人々の独白と、かつての映像で構成されている。代島監督は「万華鏡のように、ちょっと位置をずらすだけで見える構図が一変する」と試写会で語っていた。どう見えるかは、観客にゆだねられている。

二人の死者が残した言葉


二時間二〇分と長いこの映画のクライマックスは、二人の死者の言葉だろう。

七一年、二度にわたって土地の強制収用が行われる。闘争は激しさを増し、機動隊員三人が死亡するまでになる。二二歳の三ノ宮文男は「国家権力ていうものは恐ろしいな。生きようとする百姓の生をとりあげ、たたきつぶすのだからな」との遺書を残して第二次第強制代執行の直後に自死する。その強制代執行では、大木よねの住宅と田畑も対象となった。大木よねは「戦闘宣言」を自宅の前に掲げた。

「遺書」を俳優の井浦新が、「戦闘宣言」を吉行和子が朗読する。二人の残した言葉は、あとに続く人々を生きさせている。今も闘い続ける柳川秀夫は、飛び交うジェット機の近くで、もくもくと農作業を続ける。出荷の作業をしながら、(あの遺書は)「生き続けろといっている」と答える。そして闘い続ける理由を問われると「悩んで、闘って、傷ついたことも、多くの仲間が死んだことも、空港ができたことで忘れられていくわけだっぺ。それは絶対に許せねえんだよ」と述べる。

支援者から大木よねの養子となり、三里塚に定住し農業を続ける小泉英政は、東峰の畑で空港を背にしながら、「最後まで国に抵抗することに惚れた」「それを引き継ごうと思う」と、代執行を一人で引き受けた大木よねばあちゃんについて静かに語る。

過去と現在を行きかいつつ


大津は「三里塚の夏」以降、小川プロを離れ、水俣シリーズなどを撮影する。

小川プロは七四年まで三里塚にとどまり、七本の三里塚映画を製作し、未公開のものも含め三里塚闘争に関する映像を多く残している。そうした過去の映像や、今回三年がかりで撮影した現在の映像が、自在に行き来し、国家権力に抵抗した農民の「長い時間」=人生を映像化している。

国家的事業、公共事業とされた成田空港建設。農民の暮らしは無視され、国家が一方的に決定し、押し付けてきた。闘争のなかで、目覚め、成長していく人びと。その一方で傷ついたことも。大震災や原発事故を経験し、国家や公共の名のもとに行われる政策の理不尽さを知り、どう生きるべきかを考える人には一つの指針となる映画でもあるでしょう。

この映画は、今年一一月二二日から一二月一九日まで東京・渋谷「ユーロスペース」で公開され、順次全国で上映される。前売り券を販売中。

日本での公開に先立ち、一〇月台湾国際ドキュメンタリー映画祭に招待されオー
プニングで上映され、好評だったとのこと。(敬称略)
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