虹とモンスーン

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公開講座

【アジ連公開講座】〔宮城報告〕復興の名の下で何が起きているのか

アジア連帯講座・公開講座

〔宮城報告〕
復興の名の下で何が起きているのか

 
報告:
日野正美さん(電気通信産業労働組合)
 
高橋喜一さん(電通労組)



●日時:2013年1月26日(土)/午後6時30分

●場所:文京シビックセンター(障害者会館3階C会議室)〔地下鉄三田線春日駅下車〕 

●主催:アジア連帯講座(http://monsoon.doorblog.jp/
 
 電通労組は、2011年3月11日の東日本大震災、福島原発事故以降、家屋損壊で移転や、福島県の緊急時避難準備区域をはじめ日常的被ばくの環境の中に生活を強いられる組合員・家族も抱えながら被災地の組合として「希望を持てる復興と生活再建に取り組もう!」のスローガンを掲げ、救援活動やボランティア活動を取り組んできました。

 NTTに対しては、救援最優先、内部留保の解除や、過労や被ばくの労働者の健康等の権利尊守を要求して闘っています。

 さらに、この間の取り組みを通して政府の復旧復興政策が被災地住民の地域コミュニティを基本とした復旧、復興ではなく、企業活動を重視した特区構想など新自由主義的復興を批判してきました。それは宮城県の村井知事が進める「宮城県方式復興策」(高台移転・職住分離、建設制限、復興増税、水産業特区、原発不問等)であり、大企業が大儲けの「除染・廃炉ビジネス」などです。まさに大震災を利用した社会を上から変えようとする「惨事便乗型復興」でしかなく、「住民一人ひとりが主体」となる復旧・復興とはほど遠いのです。

 住居、医療・福祉・教育、水産業と農業、雇用など、最優先されるべき被災地の生活再建が進んでいません。湾岸改修や被災学校の復旧、鉄道再建等の交通インフラ、被災家屋の修理など大きな課題に被災地は直面しつづけています。

 電通労組の「2011年 年頭アピール」(
http://www.dentu-rouso.or.jp/)で「大地震、巨大津波、人災として原発事故の複合災害とどう向き合い、被災地、被災者、原発避難者と寄り添い、経済復興ではなく人間復興を目指し『脱原発社会実現』に向けて労働者が、労働組合が、何を、誰となすべきかが問われているのです」と問いかけています。
 
JPG 講座では日野さんから「復興の名の下で何が起きているのか」(『季刊ピープルズ・プラン』第58号)を報告していただき、「震災便乗型や規制緩和の復興に反対する被災者の『民意』に応え、自ら望む復興を果たそうという被災者の声と繋がりながら支えていく取り組み」について共に考えていきたいと思います。

 高橋さんからは、「宮城、福島の被災地から学ぶスタディーツアー」(四・28~30)、宮城全労協(ニュース―復興交付金配分の波紋/労働局への申し入れ/最賃審議会に意見書/「災害廃棄物」処理の現状/
http://www.ne.jp/asahi/miyagi/zenroukyou/)の取り組み、現地状況などを報告していただきます。

 ぜひご参加ください。


写真は犠牲になった子どもたちを追悼する鯉のぼり(2012.4.28 東松島市大曲地区/宮城、福島の被災地から学ぶスタディーツアー)






アジ連講座報告:いわき自由労組━「労働者を襲う解雇・失業・被曝労働に抗して」

DSCN3337 11月10日、アジア連帯講座は、文京シビックセンターで「労働者を襲う解雇・失業・被曝労働に抗して」というテーマでいわき自由労働組合の桂武さん(書記長)、齋藤春光さん(同組合員)から問題提起が行われた

 3・11東北大震災と津波によって、いわき市沿岸部は、壊滅的打撃を受け、同時に東電福島第一原発事故によって被災に追い込まれた。多くの労働者は、会社の自宅待機命令のまま、賃金未払いのうえ自己都合退職など震災便乗労基法違反や解雇の横行にさらされた。いわき自由労働組合は、「雇用なき復興はあり得ない!」を掲げ、地域再生、産業と農業・漁業を再建するための復興資金の要求、失業者雇用の取り組みを行ってきた。

 さらに原発の中で被曝労働を続けている作業員、除染作業に従事する労働者の被ばく問題を取りあげ、生涯の健康管理と生活保障を要求している。放射能除染問題の取り組みを通してゼネコンと下請け企業によるピンハネ構造、「危険手当」の未払いなどの問題を労働運動として位置づけ反撃を開始している。被ばく労働を考えるネットワークの立ち上げにも参加し、闘う陣形を作り出しつつある。



『仮の街構想』について



 講座は山谷・野宿者運動に参加している仲間からの司会あいさつで始まり、「山谷では福島原発収束のための被ばく労働の募集ビラが配布されたり、電子柱に募集ポスターが貼られていたりしている。都の清掃工場のダイオキシンまみれの炉の清掃作業の募集もしている。こういう危険な作業に貧困層をターゲットに雇い、ピンハネによる不当な搾取が強いられている。被ばくネットの立ち上げは、大きなバネとなる」と発言した。

 齋藤さんは、「脱原発運動の課題と今後」について住民の取り組みから報告した。

 「12年9月にいわき市議選が行われた。市民の多数は、原発はいらないだが、選挙結果は原発維持派が多数となってしまった。東北電力と下請け企業が、フル回転して圧力をかけて選挙運動を展開した結果だ。原子力村(電力労連電気工事企業)を使って町内会まで網の目で学習会を組織している。こういった流れに抗して、住民自身の自己決定権を強化していく取り組み、東京電力福島第一原発事故の責任をあいまいにさせないために福島原発告訴団が結成し、原発事故を起こし被害を拡大した責任者たちの刑事裁判を求め、福島地方検察庁へ告訴した」。

 「『仮の街構想』では住民コミュニティーの解体と分散についてどうしていくのかなど大きな課題が突きつけられている。だが原発がどうなっているのか、高線量状態、放射能廃棄物、高レベル汚染水をどうするのか、インフラ整備も必要だし、被ばくの可能性もある。こういったことが論議されず『帰還』が言われている。しかも使用済み燃料の最終処分場は未解決どころか展望も出口も見えない。谷中村住民(足尾鉱毒事件)には強制移転後の困難な生活が強いられたが、再び繰り返してはならない」と批判した。



被ばく労働者と結びつくために



 桂さんは、「除染労働者へのピンハネ、未払い賃金、労働争議」について報告。

 「朝日新聞(一一・五)が『除染手当 作業員に渡らず』『消えた危険手当』『業者が中抜きか』と報じた。下請けの企業の労働者が被ばくネットに相談するなかで明らかとなった。福島第一原発周辺の警戒区域などでは、除染作業を行う労働者に基本賃金とは別に特別勤務手当(除染危険手当)が支給されることになっている。しかしゼネコンと下請けの多重請負構造の中で正当に支給されていない。しかも二次下請、三次下請会社の採用時に説明はなく、日当額を最低賃金にまで減額し、宿泊費を天引きするというものだった。除染労働者は、これに怒り集団交渉をしたが、『そんな金はもらっていない』と居直るだけだった。後にいわき自由労組に加盟し、団体交渉を行うが進展がなかった。特殊勤務手当の『中抜き』を許さず全額を獲得していく」。

 「そもそも除染の雇用は、ほとんどが雇用契約書のない口頭契約であり、労基法に違反しており、労働条件の変更が一方的に行われている。除染特別地域で支給される危険手当は、その危険性に対する手当として労賃と別枠で労働者に支給されるのであり、業者がピンハネできるものではない。危険手当が支給されることを根拠に労賃減額や宿泊費・食費天引きが行われるのは、事実上、危険手当の減額であり、認められない」など今後の課題を語った。

 さらに「被ばく労働者はいい給料を貰っていると誤解している人たちがいる。いい給料を貰っているのは一人もいない。社会保険がないのだから給料から引かれる。労災隠しがあるから労災補償もない。短期で被ばく線量は一杯になってしまう。雇用保険の適用もない。今では日当一万円になっている。さらに宿代が引かれる」という実態を紹介し、「現地の労働者と繋がった運動、生活支援も含めた連帯のあり方が求められている。労働者を意識した取り組みをぜひやっていただきたい」と強調した。

 討論では「巨額の除染費用の多くが大手建設会社に流れ、ピンハネ下請け構造が続いている」、「除染の効果の検証なしに行われている。除染後も再び高線量が戻っている実態がある」、「東電に福島第一原発の廃炉はまかせてはだめだ。この作業にも金儲け優先でやろうとしている。国家の責任をはっきりさせ、労働者管理していくことだ」、「孤立した労働者と結びつくためには、現地とつながった運動作りが求められている。論議と実践がもっと必要だ」などの意見があった。

 講座は、提起された課題をさらに継続して深めていくことを確認した。

(Y)
 

【11.10アジ連公開講座】いわき自由労働組合の報告「労働者を襲う解雇・失業・被曝労働に抗して」

11.10アジ連公開講座:いわき自由労働組合の報告
「労働者を襲う解雇・失業・被曝労働に抗して」




報告:桂武さん(いわき自由労働組合書記長)/齋藤春光さん(同組合員)
 
日時:11月10日(土)/午後6時30分
 
場所:文京シビックセンター(障害者会館3階C会議室)
〔地下鉄三田線春日駅下車〕 
 
主催:アジア連帯講座
http://monsoon.doorblog.jp/ 03-3372-9401)
 
 講座では、いわき自由労働組合の桂武さん、齋藤春光さんから3.11以降の組合運動と今後の課題について報告していいただきます。

 第1は、「組合活動の針路」です。
 
jpg 3.11東北大震災と津波によって、いわき市沿岸部は、壊滅的打撃を受け、同時に東電福島第一原発事故によって原発被災民に追い込まれました。社会・生活システムがストップし、深刻な「地域崩壊」です。震災と原発事故直後に脱出していく人たちもいましたが、多くの労働者は、会社の自宅待機命令のままであり、具体的な指示もないまま身動きがとれない状態だったのです。震災と放射能被曝の次に労働者に襲い掛かってきたのが、資本による賃金未払い、予告手当未払いのうえ自己都合退職の強要でした。仕事がなく、失業状態の悪循環も続きました。

 いわき自由労働組合は、労働相談活動を通して資本の震災便乗労基法違反や解雇こそ、被災した労働者の生活基盤を奪うことだと反撃を開始しました。ある分会は親会社の意向による全員解雇通告があったが、「震災用・雇用調整助成金」を活用して雇用と企業経営を続ける方向にまとめさせました。「雇用なき復興はあり得ない!」を柱にした闘いの成果です。

 組合は、粘り強く地域再生、産業と農業・漁業を再建のための復興資金の要求、失業者雇用の取り組みを行っています。また、利権集団を排除し、復興事業を被災した人々と労働者の監視の下に置く共同の取り組みにも挑戦しています。

 第2は、「除染問題と被曝労働」です。

 東電は、福島第一原発事故の収束作業に携わる原発労働者に対して下請け構造を利用しながら被曝させています。それだけではありません。撒き散らされた放射性物質によって各地域の生活と労働も被ばくを伴う事態になっています。いわき自由労組は、被曝労働という健康犠牲を前提とした社会の変革、すべての原発廃炉の実現だと訴えています。

 とりわけ原発の中で被曝労働を続けている作業員、除染作業に従事する労働者の被ばく問題を取りあげ、生涯の健康管理と生活保障を要求しています。また、放射線量検査活動、放射能除染問題の取り組みを通してゼネコンがピンハネ横行の下請け構造のうえで儲けている実態や損害賠償をあいまいにしてしまう危険性なども浮き彫りにしています。

 講座では、リアルな現地報告を交えて今後の方向性について意見交換していきたいと思います。

【アジ連講座報告】橋下・大阪維新の会を批判する―反撃の闘いは今―

P6097590講師:寺本勉さん(「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪事務局員、おおさか社会フォーラム2012事務局員)


 6月9日、アジア連帯講座は、文京シビックセンターで「橋下・大阪維新の会を批判する―反撃の闘いは今―」というテーマで講師に寺本勉さん(「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪事務局員、おおさか社会フォーラム2012事務局員)を招き、公開講座を行った。


「橋下改革」の性格


 寺本さんの提起は、「橋下・維新の会による『改革』」の時間系列的整理から始まり(別掲)、「『改革』の性格」についてつぎのように分析した。

 「橋下・維新の会は、第一の目標として統治システム、政策決定システムの改変をあげ、維新八策の第一項目で参議院の廃止、道州制の導入、大阪都構想を掲げている。つまり、日本における政治的、経済的、社会的危機の深さに対して、既成の大政党が政治・経済・社会的展望を喪失していることへのアンチ・テーゼとして設定した。これは戦後民主主義政治の機能不全を巧みに突きながら、『独裁』をも許容する雰囲気を作り出し、常に『抵抗勢力』を作り上げながら、大衆的人気を維持しようとするものである。かつての小泉純一郎が『自民党をぶっ壊す』と叫びながら郵政『改革』などを強行したのと酷似点もあるが、決定的違いは、既成政党の枠外から行っていることだ」。

 「政策の柱は、新自由主義的規制緩和、民営化・民間企業の導入であり、経済成長のための原資を自治体機能の縮小から得ようとする。教育分野においても同様の攻撃を行っている。同時に労働組合への徹底した攻撃は、旧総評運動の中で最後に残った自治労(大阪市労連)運動と組織への攻撃としてある。つまり従来は、選挙運動、職場協議、当局との交渉・折衝、組合費のチェックオフなどを積み上げて、当局との一定のもたれ合い構造の中で正規職員の権利を擁護しながら、一方で政治課題への取り組みを行ってきた。これは非正規職員の組織化の軽視へとつながり、組合運動の弱点となってしまった。だから橋下は組合の権利擁護運動の弱さを突く形で一挙に権利剥奪をかけ、組合運動の基盤そのものを破壊しようしている」。

 「この延長で『新たな労使間ルール(案)』を提案してきた。管理・運営事項は団交事項でないとし、組合に意見を聞いてもいけないというのである。あげくのはてに組合収支報告書を提出させ、『適正』組合でなかったら職員団体の登録を取り消すとしている。具体的には七月市議会へ向けて『組合活動適正化条例』の制定をねらっている。立て続けの組合破壊の暴挙を許してはならない。従来の運動の弱さを対象化しつつ、新たな反撃陣形を強化していくことが必要だ」と述べた。


反撃の闘いは今


 そのうえで「橋下・維新の会に対する闘いは今?」を報告。
 「私が参加している『日の丸・君が代』強制反対ホットライン大阪は、2000年に結成し、『君が代』起立・斉唱強制条例への反対闘争を契機に必然的に反橋下・維新の会の闘いへと広がっていった。昨年五月以来、10回以上の集会・デモ・府教委抗議行動などを展開した。現在、反『君が代』の闘いとして不起立被処分者六人が人事委に不服申し立てをおこない、一人が準備中である。市民運動として支援を行っている」。


 「労働組合運動は、どんな状況になっているか。可能性ある方向性として、昨年11月に大阪市長選での『反独裁』共同アピールが出発点にして大阪労連、大阪全労協、国労近畿、関西MIC、全日建連帯近畿、全港湾関西、おおさかユニオンネットワークによる七労組連絡会が作られた。6月25日に中之島中央公会堂で反橋下集会が行われる。この集会は、法律家8団体(連合大阪法曹団・大阪労働者弁護団・民主法律協会・大阪社会文化法律センター・自由法曹団大阪支部・青年法律家協会大阪支部・大阪民主法曹協会・日本労働弁護団大阪支部)の主催で初めて連合、大阪労連、全労協、独立組合などが結集する決起集会が行われる。6・25集会は、橋下の矢継ぎ早の攻撃に対して労働組合が一致団結して反撃し切れていない困難な状況に対して、弁護団のイニシアチブによって集会が実現するようになった。共同行動を強化していく必要がある。いずれにしても橋下・維新の会を包囲していく陣形作りは急務であり、強化していかなければならない」と強調した。

 「反橋下運動の展望は?」について、次のように提起した。

 「第一は、橋下的『民主主義』に対するオルタナティブの提起だ。橋下的『民主主義』は、選挙での多数が唯一の『民意』、選挙と選挙の間は白紙委任という論理だ。ところが橋下を支持する20代、30代の層が(間接的にではあれ)経験した『民主主義政治』は、機能不全に陥った政治状況だけという深刻な状況に追い込まれている。だから少なくともこの層の相当部分が、自らが作り上げる社会運動を通じて、直接民主主義、参加型民主主義の経験値を上げていくことが重要だ」。

 「例えば、おおさか社会フォーラム(9月15日、16日/エルおおさか)は、いろんな運動の枠を超えて社会運動、市民運動、NGO、労働組合が集まれるような場として設定している。この中で若者世代が中心にYouthフォーラムが行われる。新たな運動の兆候として可能性があり、応援していきたい。橋下的現象に対して従来の運動圏の違いを超えて反撃していくことがキーワードだろう」とまとめた。


論点


 参加者からの質問は、「橋下の大飯原発再稼働容認をめぐる運動圏の反応」、「『日の丸・君が代』強制の大阪の地域的違い」と「教育委員会と校長の指導対応の経過」、「当局の教員攻撃に対する生徒たちの反応」、「大阪の新保守主義勢力の動向」、「大阪都構想に対する市民の評価」、「不起立教員へのバッシングと周辺教員の立ち振舞い」、「橋下のメディア利用」、「貧困と格差を根拠にした橋下支持の雰囲気」などが出た。

 寺本さんは、「橋下の政治スタイルが支持されているところがある。メディアの中でも支持、不支持的傾向がある。毎日放送・MBSは、『VOICE』で批判的な橋下特集を組んだ。ある記者が橋下に批判的ということで視聴者から『辞めさせろ』という攻撃メールが殺到する状況がある。橋下もその記者を徹底的に攻撃した。諸選挙結果を通して『反独裁』だけでは橋下は倒せない。貧困と格差を基盤にしながら橋下現象が社会的に登場していると言わざるをえない。橋下は、『家庭教育支援条例』のように批判されると引っ込める手法がある。柔軟に対応しつつみえるが、やることはやっている。単純なブームという捉え方ではだめだ。政策論議だけではすまない。橋下・維新の会包囲を全国的に広げながら論議の積み上げを共同で行い反撃していこう」と呼びかけた。(Y)


●「橋下・維新の会による『改革』」

2008.2   橋下、大阪府知事に当選、「財政非常事態」宣言

2008.4   「財政再建プログラム」案
非常勤職員の解雇、非常勤講師の賃金削減(約18%)、職員の賃金・一時金・退職金カット、教育・文化・医療・福祉の諸事業の廃止・縮減など
 しかし、宣伝された「黒字転換」は借金を収入にカウントしていたためで、府知事時代の3年間で府債は2151億円の増加

2008.8   府庁のWTC移転方針を表明
その後、府庁移転は府議会で否決されたが、WTC購入を強行、一部部局を移転、耐震問題で全面移転は断念、今後の財政負担は巨額に上る

2008.9   「教育非常事態」宣言、学力テスト結果の公表を市町村教委に迫る
その後、府立高校への特進クラス(文理科)設置、私立高校授業料の一部無償化などを実施

2010.4   地域政党「大阪維新の会」結成、「大阪都」構想の立ち上げ

2011.4   統一地方選挙で、維新の会が躍進し、府議会で単独過半数を確保

2011.6   「君が代」起立・斉唱強制条例成立
複数回の職務命令違反で免職方針を打ち出す

2011.9   教育基本条例、職員基本条例を大阪府議会、大阪市議会、堺市議会に提出、大阪市議会、堺市議会で否決

2011.11  維新の会がダブル選挙で「圧勝」

2011.12 府市統合本部の設置、特別顧問を多数任命し、統合本部の議論に参加させる

2011.12~ 橋下市長による大阪市職員、労働組合への攻撃はじまる
組合事務所問題、政治活動・組合活動アンケート、賃金切り下げ、民営化、入れ墨調査(回答拒否者への懲戒処分の動き)、組合費チェックオフ廃止、組合活動適正化条例制定の動き

2012.2~3 知事、市長提案で、教育基本2条例、職員基本条例を大阪府議会、大阪市議会提案
卒業式での「君が代」起立・斉唱の職務命令
 不起立者36名への戒告処分、2名に再任用取り消し

2012.3   府議会で教育基本2条例、職員基本条例が可決成立、公明・自民が条例案賛成
国政選挙進出へ~「維新八策」(憲法改正を含む内容)、維新塾など、公明との連携

2012.5   大阪市議会で教育行政基本条例、職員基本条例が可決成立、学校活性化条例は継続審議へ

報告:4.7アジ連公開講座 「生きたマルクス主義を次世代に ベンサイド『21世紀マルクス主義の模索』を読む」

7_017 4月7日、アジア連帯講座は、文京シビックセンターで「生きたマルクス主義を次世代に ベンサイド『21世紀マルクス主義の模索』を読む」の公開講座を行った。

 2世紀におよぶ階級闘争の歴史的射程のもとでいかに「現在」をとらえ、世界変革を展望するのか。その方向性を探求していく取組みの一環としてフランスのマルクス主義思想家であるダニエル・ベンサイドの『21世紀マルクス主義の模索』をテキストにして論議した。

 講師の湯川順夫さん(翻訳家)は、「今日の時代をどうとらえるか? 戦略とは何か? ダニエル・ベンサイドの問題提起を考える」というテーマで報告した(別掲)。

 中村富美子さん(ジャーナリスト)は、ベンサイドのパリ第8大学での講演会やゼミに参加した経験から 「政治闘争家でもあった哲学者ベンサイドの遺産」について報告した(別掲)。

 討論では、以下の論点が焦点化した。

 ①LCRのメンバーであるベンサイドの活動への支持の背景やフランスでのトロツキズムの歴史的地位と成果。

 ②ベンサイドの「緑の党」批判と原発労働者に対するアプローチの仕方の検証。

 ③仏大統領選でのブザンスノーの立候補辞退とNPAの大統領選候補―フィリップ・プトゥー(元CGT(労働総同盟)フォード工場支部書記)の取り組み報告。

 ④この時代に対する問題設定とマルクス主義の継承の方向性。



 討論の集約として湯川さんは、「ベンサイドは、第二インターから第三インターのローザ、レーニンなどを含めて、複数主義のマルクス主義があって、批判的に継承していくと言っている。ただ遺産は、何も手をつけずということではなく、われわれが主体的に変えていくという意味での遺産の継承と言っている。どういう労働者が主流になるか。それはまだはっきりしていない。そういう意味で労働者階級についても、過渡期だ。労働者として意識すること自体が、非常に重要だ」と述べた。

 中村さんは、「フランス共産党は、プロレタリアという言葉を使わなくなっている。だがベンサイドは、現在のプロレタリアがどういうものであるのか、例えば、第三次産業の女性の位置について分析した。プロレタリアは、政治的な言説であり、現在的に読み返しが重要だ」と指摘した。

 最後に司会は、「ベンサイドは、共産党宣言一五〇周年の論文で『世界を変革することは、同時に世界を解釈することだ』と書いた。マルクスの『フォイエルバッハに関するテーゼ』をもじったものだ。つまり、一般論ではなく、世界を再解釈しなければ世界を変えることはできない時代にいる、という強烈な自覚があった。だから、私たちが漠然と『常識』だと思っていること、例えば、民主主義、国家、政治、独裁、プロレタリアート、革命、マルクス主義などについて、ともにコミュニケーションできる状態にならないと新しい運動は成立しないのではないか。そのように考えるベンサイドは、常に精密に語っている。それが魅力でもある」とまとめた。(Y)



湯川報告 「今日の時代をどうとらえるか? 戦略とは何か? ダニエル・ベンサイドの問題提起を考える」



 ベンサイドは、1990年代半ばから始まった社会運動の再生に焦点をあて次の可能性を展望する。「これは一時的な運動の上昇局面ではない」し、それは「新しい可能性の成立、ユートピアの出現」だと主張する。「新自由主義のグローバリゼーションに反対する気運の出現」と描き出し、「憤激は始まりだ! 決起と素晴らしい前進のための道だ。まず最初に憤激を覚え反旗をひるがえす、そうすれば分かる。この熱情の理由を理解する前であっても熱い憤激を感じる」(「不屈の人々 時代の風潮に対する抵抗の定理」)と集約する。

 具体的には、「1994年のサパティスタの放棄、1995年末のフランス公共部門のゼネスト、シアトルの反WTOデモ、世界社会フォーラム、アラブの春、ギリシャやスペインの民衆の抗議デモ、ウォルストリート占拠」という形で続いている。

 この「世の中の不正義に対する憤激の積極的意味」は、「マルクス、エンゲルス、レーニン、トロツキー、チェ・ゲバラ、ウォルター・ベンヤミン、ジャンヌ・ダルク、シャルル・ペギーにも共通してその根源にあるものであって、もぐらが一杯にあふれる憤激であり、もぐらは「地下にある過去の障害物を執拗に掘り続けて突如として地上に姿を現す人々の象徴」(「抵抗--全体的なトートロジーに関するエッセイ」)である」と押し出している。

 この「ユートピアの時期」は、そもそも「1848年の段階」から考えることができるとした。すなわち、「解放の思想が可能なものの実践的適用に直面していない。だから、「『対抗』、『別の』、『もうひとつの世界』、『可能だ』、『もうひとつの左翼』、『別のキャンペーン』という用語が使われ、濫用される。このあり方は明確に定める必要をなくしてしまう。それは成熟が存在しないことを示している。私は悲観も楽観もしていない。われわれはこの段階から戦略を明確にするところへと移行すべきだと思う」(「今や戦略を定める時だ」)と強調した。

 つまり「共産党宣言」が出た「1848年の時期」だと言う。このことをベンサイドは、「時代の支配的要素は1980年代の歴史的敗北にいぜんとしてとどまっている。われわれはまだそこから抜け出していない。それはそれはまだ勝利していない時間との競争である。急進的左翼の抵抗の重要な位置はまだ伝統的左翼の衰退を埋め合わせてはいない」(「今や戦略を定める時だ」)と言う。「われわれをとりまく時代の趨勢」は、そういう意味で「ユートピアの思想」だ。



 なかでも「潮流としてのアナーキズムが強固に存在するわけではなくて、運動する側の強固な風潮」という時代の雰囲気が感じられる。だから「権力を取らずに世界を変える」というホロウェイ、あるいはネグリの思想が出てきていると分析する。そのうえでベンサイドは、「この時代はどれだけ続くのか」と問いかけながら「長い闘いが必要」だと結論づける。

 これは私の評価だが、「1848年あるいはロシアにおけるナロードニキの時代」だと言えるのではないか。「1917年ロシア革命」にすぐに行くわけではなく、もっと長い射程が「ユートピアの時期」が続くのではないかと思う。

 だからこそ「戦略=政治=政治潮流が必要」だとベンサイドは、次のテーマに踏み込むのであった。

 考え方のヒントとしてベンサイドは、「19世紀後半の時点での資本主義」と「その当時のグローバリゼーション(イギリス・ヴィクトリア朝時代)」を取り上げる。今日のグローバリゼーションと似たような状況として、「交通、通信の技術革命の飛躍的発展によって世界が狭くなる」「汽船、汽車、無線、印刷用輪転機の発明による大衆的な新聞の出現」「空前の株式、投機ブームと倒産、スキャンダル」「植民地への探検(ジャック・ロンドンの小説)と進出と軍事的冒険(ナポレオンⅢ世のメキシコ遠征)」をピックアップし、マルクスは「資本の、資本主義体制の謎を解明する」ために資本論を書いた。それは「アルセーヌ・ル・パンやシャーロック・ホームズのように」「他人の労働をいかに誰が盗んだ、その犯人を突き止める」ことに到達したと言う。

 このように分析しながらベンサイドは、戦略にひきつけて「戦略は、社会運動の成立抜きに、抽象的な頭の中で練り上げられるものではない。現実の社会運動の豊かな実践的経験から導き出されるのであるが、社会運動の延長上に自動的に生まれるもではない。それは意識的な闘いによって勝ち取られなければならないものである」と断言する。



 「戦略とは何か」についてベンサイドは、「自分個人の要求を充足にとどまらず、人々を要求のもとに組織することを考えること--人々を結集することのできる要求やスローガンを考えること=政治的に考えること、戦略を考えること」だと提起している。

 さらにそのプロセスを掘り下げていくために「差し迫る破局、それとどう闘うか」、「過渡的綱領」、「統一戦線」、「過渡的要求」、「労働者政府」について歴史的に運動の中で勝ち取られた考え方からのアプローチが重要だと言っている。

 さらに「この社会運動の中には社会運動の可能性に対する過大評価、政治的なものに対する不信が存在した。政党、政治勢力に対する不信、「権力を取らないで世界を変革する」、「対抗権力だけですますことができる(ホロウェイ、ネグリ、リチャード・デイなど)、戦略的なアプローチに対する拒否、の雰囲気が強固である」とスケッチし、この状況を「マルクスの『ユダヤ人問題によせて』」からアナロジーして次のように指摘する。

 「ユダヤ人の解放、政治的な平等の市民権の獲得だけで十分」というのは、「社会的解放を考えていない」と同じだ。「社会的解放こそが重要であり、政治的解放必要なし、というのは幻想だ」と批判する。だからこそベンサイドは新自由主義と手を切った反資本主義左派政治潮流の形成に着手した。その途上半ばでベンサイドは亡くなってしまったが(2010年1月12日死去。63歳没)。



中村報告 「政治闘争家でもあった哲学者ベンサイドの遺産」



 私がフランスに行ったのが1998年です。パリには、13の国立大学がある。ベンサイドは、第8大学だった。私は、10年いて、第8には登録していなかったが、ベンサイドの講演会とかに参加しておもしろい人だなと思っていた。後に知り合いになって、交流が始まった。

 ベンサイドは「責任と謙虚」の人だった。責任の中には実践を踏まえていた。そして、労働者の文化(連帯)に非常に誠実であった。集団との関係で全てが作ら、集団として考えることが非常に大切だと言っていた。彼は哲学者だけれども、非常に謙虚に、「私は哲学の一教員である」という言い方を常にしていた。1968年の闘いは、学生と教師のヒエラルキーとかを壊していった。つまり、教師と学生の関係は、教える、教えられる関係だが、彼の場合は常に対等であった。



 彼は、複数性とその中の固有性の重要性をわかっていた。彼はトゥルート出身でものすごい訛りがある。パッと聞くだけで、どこのフランス語なんだという感じだ。それを絶対に手放さなかった。家は貧しかった。だが優秀だったのでエリートコースの学校にいった。パリのブルジョワが集まるような場でもトゥルート訛りを通した。一つの表現だった。自分が体得してきた文化、ある種の固有性の重要さを表現していた。普遍性とは単純な抽象的ではなく、個別の活動とか、実践の中から繋がっていく普遍性を大切にしてきたところと結びついている。

 ベンサイドの言語に対する感性、思考は、両親がトゥルートに来てから生まれているのだけれど、ユダヤ人の流れであり、そこの文化と言語がねじれているところにある。だから複数性の原理と固有性の重要性の考えに結びついているのかなと思います。



 私は2001年、ベンサイドの教授資格の公開審査に参加したことがある。ベンサイドがいて指導教授が4人ぐらいいた。審査員たちは、ベンサイドの今までの業績や彼の本を積み上げていた。ところが審査員の中の一人は、ベンサイドの人格を褒め称えた。普通ではありえないことだ。彼の学問的業績を踏まえつつ、まずベンサイドの人格を取り上げざるをえなかったといえる。単純な人柄ということではなく、集団で考えていくこととかに繋がっているから、当然出てきたと評価している。

 審査員の一人であるデリダはベンサイドの本を見ながら、「あなたはランデブー(人と何か会う、約束)のこだわりがある。非常に強い結びつきというか、こだわりがあなたの中にある。あなたが革命を語るときは、活動家というものが、革命家とランデブーする感じを受ける」と言っていたことが印象的だった。



 1968年の五月革命。最初は五月の前に第10大学からベトナム戦争に対する反戦運動が激しく行なわれた。逮捕者が出て、それに対する抗議を契機としている。第10大学は封鎖されてしまった。機動隊とか導入した。逆に大学生の闘いは燃え上がった。労働者、市民も加わり、ゼネストまで行った。

 その年の秋、フーコーなども力になったのだが、社会に開かれた大学を作ろうということでできたのが、第8大学だった。非常に保守的な大学制度に対してアンチなものを作る反アカデミズムを軸にしていた。教師と学生の間に敷居を設けない、あるいは大学と社会の関係を見直していく、現在の政治に対して開いていかなければならないという主張だった。

 だから第8大学は、高校資格もいらないという感じで開いていった。授業も社会人が働いた後でも来れるように夕方に開講する。外国人にも開いていく。大きな教室でマイクを使って授業をすることはしない。普通の教室に教師を中心に学生たちが囲んで熱気に満ちていた。

 ところ80年代に入ると、第8大学はパリの郊外サン・ドニに移転させられてしまった。この地域は、2005年ぐらいに郊外の若者たちが暴動を起こしたという言い方で報道された(サン・ドニ県クリシー・ス・ボワ)。

 自由で始まった大学ですから、反権力・反アカデミニズムでいろんな人たちと結びついていた。当局は、それを嫌がって郊外に移転させた。



 1990年代に入ってから、サパティスタの闘い、世界社会フォーラムの実現、マルクスの国際的研究会議も実現した。ある種の社会的見直しが始まった。ジャーナリズムも批評を武器にして発言していくべきだという状況が生まれた。

 しかし第8大学は、「普通化」してしまった。本来あった批判的勢力としての第8は、制度面でも他の大学と変わらなくなってしまった ベンサイドは、その現象を「くそったれ」と言っていた。これは第8だけではなく、教育制度が日本とまったく同じで、民営化、市場原理が入ってくるなかで進行していった。学長の権限も集中させ、教授会の意見を聞こうとしない。  第8大学の「普通化」について紹介しておこう。他の大学と違って、少しは政治的な人たちがくる。パレスチナ問題なんかを積極的に取り組んでいるグループが世界からパレスチナ研究者を集めて講義を開こうとした。そのタイトルは、「イスラエルはアパルトヘイト国家か」というものだった。イスラエル・ボイコットを呼びかけた。



 この企画に大学は、最初、OKを出していたが、経済的支援もすると言っていたにもかかわらず、シオニストの圧力によって直前に、学長判断で中止させられた。これは不当だということで、学生たちは行政裁判所に訴えた。だが却下されてしまった。学長の判断は秩序をまもるために正当だとした。つまり大学でパレスチナ研究をするなということだ。パリの第8大学でこういう状況になってしまった。

 とはいえ日本と違うのは、私が行ったときは、年間学費は1万ちょっとだった。今でも安いはずだ。そういうところはフランス革命をはじめいろんな革命を経て獲得してきた価値、教育をあらゆる人に平等に開かれたものであるという理念は続いている。だから奨学金、安い学生寮も存在している。

【案内】6・9公開講座 橋下・大阪維新の会を批判する―反撃の闘いは今―


講師:寺本勉さん(「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪事務局員、おおさか社会フォーラム2012事務局員) 


日時:6月9日(土)午後6時30分

場所:文京シビックセンター障害者会館3A(地下鉄三田線春日駅、地下鉄後楽園駅下車)



 大阪府知事・市長選挙(昨年11月28日)以降、橋下徹大阪市長(大阪維新の会代表)と大阪維新の会は、矢継ぎ早に労働者攻撃の暴挙を強行している。


 松井一郎大阪知事(維新の会幹事長)は、府議会に「府教育行政基本条例」「府立学校条例」、「職員基本条例」(教育目標は実質上首長が決める、従わない教育委員は罷免、高校の学区廃止、職務命令違反三回で免職、部長・校長等の公募制、職員への相対評価など)を提出し、公明、自民とともに強行可決した(3月23日)。市議会でも維公自3党によって「日の丸・君が代」起立斉唱義務条例を可決した。市長の教育目標決定権を明文化した教育関連2条例案と、分限免職手続きなどを定めた職員基本条例案は継続審議としたが、5月の議会で成立させようとしている。


 さらに橋下は、不当労働行為が明確な「労使関係に関する職員アンケート調査」、労働組合事務所退去攻撃、市庁内メール調査、市営バス運転手賃金四〇%カット、捏造された「市長選推薦リスト」に基づく大阪交通労組への攻撃、など悪質な労組攻撃、人権侵害を繰り返している。


 大阪維新の会は、次期衆院選の公約として「維新版・船中八策」を発表し、憲法改悪を射程に「大都市制度の創設」「公務員の職員基本条例案の法制化」「首相公選制の導入」「参議院の廃止」などを掲げ、「300人擁立して200人当選させて国政を動かす」などと言い出している。


 寺本さんは、橋下・維新の会のねらいが「徹底した新自由主義的政策と競争原理を導入し、実行するために、意思決定システム、言い換えれば統治システムを変えていこうとすることにほかならない」と分析(『労働情報』834号)し、「改憲をも視野に入れながら、一気に国政に進出しようとしている今、この闘いは単に大阪だけのものではなく、全国的な闘いでなければならない。春闘と結合してハシズムを包囲する闘いの陣形を構築していこう」と訴える。


 講座では、「橋下政治をどう見るのか、どのように闘うのか」というテーマを設定しつつ、この間の反撃の闘いの「成果と課題」を踏まえて、「橋下政治の新自由主義的改革のためのシステム作り」に対するオルタナティブな水路、とりわけ「直接民主主義と参加型民主主義」の重要性について、寺本さんからの提起を受けて、論議していきたいと思います。

【4.7アジ連講座】生きたマルクス主義を次世代に-ベンサイド『21世紀マルクス主義の模索』を読む

4.7アジ連公開講座
生きたマルクス主義を次世代に
ベンサイド『21世紀マルクス主義の模索』を読む
 
日時:4月7日(土)午後6時30分

場所:文京シビックセンター障害者会館3A(地下鉄春日駅)

 
講師:湯川順夫さん(翻訳家)「ダニエル・ベンサイドのメッセージとわれわれの課題」  

コメント:中村富美子さん(ジャーナリスト) 「政治闘争家でもあった哲学者ベンサイドの遺産」(週刊金曜日2011.12.16掲載)
 
資料代:500円
 
 

db 二世紀におよぶ階級闘争の歴史的射程のもとでいかに「現在」をとらえ、世界変革を展望するのか。その方向性を探求していく取組みの一環としてフランスのマルクス主義思想家であるダニエル・ベンサイドの『21世紀マルクス主義の模索』をテキストとして取り上げます。

 提起されているテーマは多岐にわたります。例えば、、、

1989年のベルリンの壁の崩壊と1991年のソ連邦の自壊をどのように歴史的・政治的に規定するのか? 

そこからどのような政治的方向づけを持とうとするのか? 

プロレタリアートの独裁は、マルクスによってどのように提起されたのか? 

何のために国家権力を獲得しようとするのか? 

獲得した国家権力をもとに私有財産と国家の廃絶へと進んでいくために、何が現在的に求められているのか? 

そこでのヘゲモニー概念を、どのように実践的に再構築するのか? 

マルクスにおいて「政治」は、どのようにとらえられていたのか? 

「市場」に支配され、消滅しつつある被抑圧者の政治を、どのように再構築しようとするのか? 

エコロジーやフェミニズムなど、マルクス、エンゲルス、レーニン、トロツキーなどにおいて明確になっていなかった課題に、現在のマルクス主義者はどのように取り組むべきか? …

…これらはいくつかの論文にまたがって関連しあいながら論じられています。

 本講座は『21世紀マルクス主義の模索』の訳者である湯川順夫さん、ベンサイドのゼミに参加したことがある中村富美子さんから報告していただきます。



■ダニエル・ベンサイド略歴

1946年3月25日生まれ

1968年5月 大学・工場占拠の闘い。共産主義者同盟(LC)の結成に参加。

第四インターナショナル・フランス支部である、革命的共産主義者同盟(LCR)の創設に加わる。

政治哲学者としてパリ第八大学教授を務める。

2002年10月、東京恵比寿・日仏会館で行われたシンポジウム「グローバル化時代のフランス政治思想」に参加。

2008年1月 NPA(反資本主義新党)創設に参加。

2010年1月12日死去。63歳没。



■『21世紀マルクス主義の模索 』ダニエル・ベンサイド著/湯川順夫訳 3800円+税 柘植書房新社

序 章 複数のマルクス主義――その過去・現在・未来

第1章 過ぎ去った20世紀とロシア十月革命の輝き

第2章 21世紀の世界を変革するマルクス主義の理論と戦略

第3章 新自由主義グローバリゼーションと世界の再植民地化

第4章 フランス反資本主義新党への挑戦

終 章 共産主義の力

【報告】10.29 アジ連公開講座「広がる放射能汚染 緩められる基準にNO!」

jpg 10月29日、アジア連帯講座は、「広がる放射能汚染 緩められる基準にNO!」というテーマで講師に松丸健二さん(原発いらない!千葉)、福島いわきの仲間を迎えて公開講座を文京シビックセンターで行った。

 講座開催にあたってアジ連の仲間は、「放射能汚染とどう向き合うのか」という観点から次のように問題提起した。


 「原発事故によって大量の放射能がばら撒かれた。私たちの力ではなくすことはできないが、現実に合わせて基準のほうがどんどん緩められ高められている。さらに下水処理場やゴミ焼却場から出る放射能汚染の汚泥だ。東京でも中央防波堤埋め立て処分場には、下水処理場から出た汚泥、ごみ焼却場から出た焼却灰で放射性物質が含まれていたものが、集められている。首都圏の各地で焼却場の周りに仮置きをしていたりして大量に存在している」。


 「これらの問題をどのように考えたらいいのか。福島原発事故は、いまだに放射能を出し続けている。大量にばら撒かれたので、食品だけではなく、身の回りに存在している。原発をやめることは当然だが、同時に放射能汚染問題についてどう向き合うのか。ともに考えていこう」。


 福島県いわきの仲間は、放射汚染の拡大と労働者の被曝問題をクローズアップし、低線量被曝の切捨てを止めさせようとアピールした。(要旨別掲)


 松丸さんは、「福島第一原発事故を被曝問題から考える」というテーマから①核技術②核災害③被曝問題④放射能を少なくする食生活⑤原発再稼働阻止――について報告した。(要旨別掲)



●福島県いわきの仲間の発言


 東京電力は福島第一原発を廃炉にするために、貫通した格納容器を塞ぎ、
そこに水を入れ水棺にすると言っている。仮に出来たと仮定して、私は現在の福島原発とりわけ第一原発地震の地震に対する安全性が心配だ。福島第一原発の近くには双葉断層という長い断層がある。東京電力は双葉断層について動く可能性の在る部分を短く評価している。


 福島県の浜通り地方は3月11日に海側を震源とする地震に遭い、その1カ月後には動かないと評価されていた湯ノ岳断層が動き、内陸型地震が発生した。3月11日の地震は最大震度7を宮城県で計測し、4月11日の地震は、福島県浜通・中通り等で震度6弱を記録し地表に長い断層が出現した。東京電力が動かないと評価した双葉断層が動く可能性が出て来たのではないか。双葉断層が東京電力の予測を外れて動いた時、福島原発はどうなるのか? このことが心配だ。


 今日、明日終わる事故ではない。私たちは3月11日に生活が変わった。世の中が変わってしまった。いまだに放射能が出続けている。あと30年以上続く、原発事故収束を見ることができないかもしれないとみんな思っている。そういう長い展望でやろうとしている。


 みんなそれぞれに不安を持っている。地元に残っている人達もそうです。それらの不安が復興のためということで切り捨てられようとしている。街、通学路だけ除染したらいいのではないかとなってしまっている。人が生きるとは、どういうことなのか。田舎ですから、土と親しみ、山に行ってキノコを採ったり、海に行って魚釣りをしたりしてきた。それは自分の幼いころの思い出とか、みんな繋がっている。これからはそういうことができない。


 いったい人がそこで生活していくことを、どのように考えているのか。矮小化されて考えられている。農産物の補償があっても、農民と漁民だけだ。廃棄物問題で弁護団の調査が入った。家庭菜園をやってきた人はいっぱいます。その作物の補償とかはどうなるのか。いろんな材料費だってある。これらが一切投げ捨てられている。


 ある農家の農作業を行っているのは高齢者だ。お爺さんの楽しみは、時折訪れる孫に「爺ちゃんの作った作物はうめーだろ。爺ちゃんが丹精して農薬を使わないで育てているからだぞ」と言って食べさせることだった。ところが今回の原発の事故で放射能が怖くて、自慢の野菜を孫に食べさせることができなくなった。このようなこと至るところで起きている。


 だから場当たりじゃなくて、どういうふうに汚染されているのか。詳細なデータが調査されなければならない。住民が自主的にそのデータに基づいて計画を作ってやっていかないと、どうにもならない。どこかの科学者が基準値を作るという話ではない。根本的な民主主義をどうするのか。そういう社会体制の問題だ。政府は県民の不安の声に動かされて国の責任で除染する基準を下げる報道があるが、基本は低線量被曝を切り捨てる方向で動いている。我慢しなさいと簡単に言うけど、誰が我慢するのか。その人に我慢を押しつけていいのか。少なくとも健康管理手帳を配布し、ちゃんと健康診断し、医療補償して、そういう体制を作る事が大事だ。


 福島原発の震災被曝者援護法を作ろうという動きがある。広島、長崎では、かえってそれが原爆被害者を切り捨てる役割を果した。その基準値をどうするのか。法律をどうするのか。誰でも使えるようにする必要がある。大きな全国的な運動が繋がってやっていく必要がある。全港湾の仲間たちは、放射能汚染のレンガを横浜の埋め立てに使おうとしたところ止めさせた。現場の労働者、市民が団結して止めさせた。そういうことが大事だと思う。

 


●松丸報告


 福島第一原発事故と他の核災害


 被曝のいろんな基準は、広島・長崎の、その後の調査とかで作られています。広島・長崎の場合は、ウランとプルトニウムの違いがありますけども、瞬間的に放射線が飛び核爆発、核分裂したウランやプルトニウムが死の灰になって、拡散して、被曝をもたらした。時間的には「短時間」です。

 チェルノブイリの場合は、原因が核暴走ということで、核爆発に近い。ウラン燃料が核暴走して破裂し、中性子の減速材として使われていた黒鉛ブロックの火災が起きた。この火災による高熱で死の灰、核分裂生成物が、高い大気層まで上昇したため、広範囲に放射能が飛んだ。


 福島では、メルトダウン後に水素爆発が起きました。水素爆発で建屋が破壊されるまでは、ヨウ素やセシウムなどが内部に充満。排気塔までのルートにはフィルターが付いているので、多くの放射能は外部には出ていなかったが、水素爆発によって撒き散らかされた。建屋が吹き飛んだ後は、除々に放射能が漏出し続けている。福島では3つの原子炉がメルトダウン。チェルノブイリ事故では一つだった。


 チェルノブイリと較べて、日本政府の発表は、確か7分の1とかの放射能しか放出していないんじゃないかというものでした。それに対してスウェーデン研究機関は、その三倍ぐらい出ているのではないかと発表している。幅があって、どちらが正しいのかという判断は置いておいて、私はチェルノブイリより低めの可能性があると考えています。


 さらにチェルノブイリの場合は、大陸の真ん中で起きて、人間の住んでい
る地域としては広い地域が汚染された。福島の場合は、海岸沿いに立地しており、大部分が海へ。一九%が日本列島に降り注いで、二%が日本以外の陸地に降り注いだと言っている。海の汚染、魚の汚染状況は、なかなか報道されてはいないのですが、陸に関してはチェルノブイリと比較すれば、少ないかもしれない。



 「チェルノブイリ原発のあるブリピャチ川流域の土壌は粘土鉱物が少なく、事故前より、セシウム137の作物への移行が大きいことが知られていた」(今中哲二『「チェルノブイリ」を見つめなおす』原子力資料情報室刊)


 今中哲二さんは小出裕章さんの同僚で、京都大学原子炉実験所の助教をやっている方です。五年前に原子力資料情報室が発行した今中さんのパンフレットによれば、チェルノブイリ原発周辺の多くは、セシウムが食品に移行しやすい土壌だということです。


 福島県二本松市の旧小沢町の米の予備検査で、基準ぎりぎりの500ベクレルが検出された。その後の調査では、高い値の出た小沢町の田んぼは、山からの湧き水を利用しているので、砂の比率が高くてセシウムを吸着する粘土質が少ないため、稲に移行したんじゃないかと考えられています。セシウムは水溶性です。(他の田んぼよりカリウムの施肥が少ないため、稲がセシウムを大量に吸い上げたことも考えられる。)


 福島第一原発後、数百キロ離れた地域の野菜やお茶などが汚染されていることがわかりました。有機農法を続けてきた三里塚にも放射能が流れてきました。柳川秀夫さんは、畑の周囲に植えていたお茶の木を切り倒してしまったと聞きました。


 東峰のワンパックのホームページを見たら、
 「畑の土の放射線量の結果がきました 2011.10.20 Thursday
 たんぽぽ舎の放射能汚染食品測定室に検体を出していました、べじたぶるんの3軒の農家の土の測定結果がきました。どれも放射性セシウムの値です。


 ピポカの畑(成田市新田)    101Bq/kg
 三つ豆ファームの畑(山武市)  90Bq/kg
 南実の音の畑(成田市伊能)  104Bq/kg


でした。空間線量から予想される数値としてだいたい予想の範囲内の数値だと思います。


 ピポカベジタブルの新米(成田市新田産合鴨除草米コシヒカリ)についても


 玄米3Bq/kg


 白米検出せず (検出限界は5Bq/kgですが、時間をかけより精度を上げて測定していただきました。) 

という結果でした。」http://blog.vegetablen.main.jp/?eid=1309996


 意外に日本の土はセシウムを吸着し、野菜などに移行しにくい。筑波山のふもと、茨城県石岡市に有機農業が盛んな地域があるんですが、40年ほど有機農業を続けている魚住道郎さんという方がいらっしゃいます。3・11以降に行われた講演会で、「土の力はすごい」、「土が強いと野菜にセシウムが移行しにくい」という言い方をしているそうです。


 おそらくチェルノブイリとは違いがあるのだろうと思います。政府は、このことをわかっていたのか、3・11直後、土が1キログラム当たり5000ベクレムを超える農地では、作付けをさせなかった。一キロ当たり500ベクレルのセシウムとストロンチウムが作物に10分の1が移行するかもしないので、500ベクレムという基準を作ったという見方があるようです。


 土壌の質が違うので、輸入食品の基準は370ベクレムなのに、それより高い500ベクレムとしたのは、日本の土の状況を知っていて決めたのか、チェルノブイリと較べてその基準を作ったのか、というのはよくわかりませんが、それに近いデータが出ているのではないかと感じています。現在、流通ルートの食品の線量を中心にした測定されていますが、その作物が収穫された農地の土がどれぐらい汚染されているのか、ということがほとんど発表されていません。

国や福島県は、今後のこともあるのでしょうから、どのぐらいの汚染の土地だったら、どれぐらいの放射能が、どういう作物にどういう土壌だったら、どのくらい移行するかという調査をし、発表するべきです。事故は早春でしたから、これから作付けを始めようと準備していた時期だったろうと思います。ちょうど一年間の農業のサイクルを考えれば、調査の材料として必要だし、農業の再建のためにも取り組むべきではないかと思っています。


 先々週、ベラルーシのベラルド研究所の副所長、ウラジーミル・バベンコさんが出版社の招きで来日しました。東京と福島での講演会や記者会見の様子が動画サイトで閲覧できます。福島の市民測定所と交流などもしています。


 べラルド研究所は、国の研究機関ではなくて、海外からのカンパで作っている研究所です。設立がチェルノブイリから四年後。住民は測定器もないし、どこも調べられなかった。そういうところに放置されていて、それを知った海外の人たちがカンパをし、地元で子どもたちを被ばくから守る行動を続ける人たちを支えていこうということでできた研究所です。


 この研究所がやっている活動は、自分たちで測定器を作り、食品測定器、環境測定器、体内被曝を測るホールボディカウンターを開発している。ベラルーシもウクライナも、独立したあと、民主化の力が強いので、住民の要求が高まり、18歳未満の子どもたちのために被曝をなるべくさせないためにという法律ができて、予算措置も行い、日本より厳しい食品の基準値も作りましたが、チェルノブイリ事故から20年以上たってしまえば、その対象となっていた18歳未満の子どもたちはみな成人してしまい、ベラルーシ政府は「今の子どもたち」への予算をカットしたそうです


 日本では、政府が新しい基準値を作るまでに市民が自主的に対応していかないと、現実の被曝、子どもたちの被曝は抑えられない。事故直後、放射性ヨウ素が甲状腺に溜まり、甲状腺がんが増えることが指摘されました。甲状腺がんは、被ばくから発症するまで3年~4年。他のがんと比較すると早く発症することがチェルノブイリの経験でわかっています。


 ベラルーシでは、風土病としてヨウ素欠乏症があったそうです。ヨウ素は昆布やわかめなどの海藻に多く含有されています。日本列島は太平洋という大きな池の真ん中なので、海藻を摂取しているのでヨウ素欠乏による風土病はないのではないかと思います。ベラルーシでは、保健政策としてヨウ素のサプリメントを飲ませていたそうです。ベラルーシの人々は日常的に体内のヨウ素が欠乏しているので、チェルノブイリの事故の後、余計にヨウ素を甲状腺に溜めやすかった。

 バベンコさんは、平均的な日本人はヨウ素を多く含む海藻を食べているので、放射性ヨウ素をとりくむ率は低いだろう。チェルノブイリと同じような被害にはならないだろう。不安はたぶんあるんですが、結果を勝手に予測していいのかわからないが、だいぶチェルノブイリ、ベラルーシと日本は、違うだろうと発言していました。


 バベンコさんはストロンチウムについての話もしていました。体内でカルシウムが不足していると、生物はカルシウムと間違えストロンチウムを取り込んでしまうという性質があります。カルシウムは普段から取らなくてはならない。なるべくカルシウムを取って、体に充足させておけば、ストロンチウムを食べてしまっても、それを蓄積しにくい。


 産地で食物を選ぶことは、防衛行動として当然なことだとは思いますが、測定できる場所が増えてきていますから、どういう土だったらそこでの収穫物にセシウムが移行するか予測できるかもしれない。データを積み重ねれば、この畑にはこういう野菜を作付けすれば、セシウムが移行しにくい。あるいは、この畑では、肥料としてカリウムが少ないため、作物が放射性セシウムを取り込みやすいとかの判断もできるようになるのではないか。今の段階としては、そうしたデータが増えて対応方法がわかるまでは、防衛行動としてなるべく放射能を体の中に溜め込まないようなことも必要だと考えます。


 被災地、福島はただでさえ放射線の外部被曝が高いところで、学校給食などの地産地消は危険性を指摘する人も多くいますが、次の段階について考えていかなくてはいけないのではないかと思います。


 再稼働の問題が運動としては課題となっています


 経産省としては、電力需要が高まる来年の夏前に照準を定めているようです。やらせ問題で九州電力と佐賀県知事の関係が問題となっていますが、プルサーマルを最初に始めたところが佐賀県の玄海原発で、その次が愛媛県の伊方2号炉。浜岡は始める前に地震の関係で取りやめた。福島4号炉でプルサーマルが始まった。佐賀のように電力会社と自治体との関係が強いところから再稼動が始まるのではないかと感じています。


 原子力安全・保安院を推進機関である経産省から離して、環境省の下に原子力安全庁を作る。その設立が2012年4月。私は4月に原子力安全庁が設立してから再稼働がはじまると思うので、この原子力安全庁というものが、どういうことをやろうとしているのか、原子力安全庁ができるまでに保安院がどう変わっていくのか。原子力安全委員会も統合されるわけだから、どうなっていくのかということを監視、チェックをしていく必要があります。


 原子力安全庁の設立に向けた環境大臣のアドバイザーに、原子力資料情報室の共同代表の伴さんや環境エネルギー政策研究所の飯田代表とかが、有識者として加わると報じられていますが、安全庁が再稼働を前提にするような設置の仕方で準備されるのであれば、そういう方々はアドバイザーを辞め、開かれた場所で議論すべきだろうと思っています。


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【10.29 アジア連帯講座 公開講座】 広がる放射能汚染 緩められる基準にNO!

【10.29 アジア連帯講座 公開講座】
広がる放射能汚染 緩められる基準にNO!
 
10月29日(土) 18:30~

場所 文京シビックセンター

 3階 会議室A

(東京メトロ 「後楽園」駅、都営地下鉄「春日」駅 徒歩1分)

講師 松丸健二さん(原発いらない!千葉)

資料代 500円



◆低線量、長期の内部被ばくは無視?
 
 大量の放射性物質を環境に放出した福島第一原発事故。事故現場や公衆の被ばく線量、食品、廃棄物の汚染に対する規制値が緩められています。汚染を封じこめ人々の健康を守るのではなく、被ばくの拡散や日常化を容認するものです。

 事故直後に急きょ作られた食品の暫定基準、1㎏あたり500Bq(ベクレル)は、諸外国の基準よりも高いうえ、チェルノブイリ原発事故当時の輸入禁止基準370Bqさえ上回っています。

 暫定規制値を改定するために、内閣府食品安全委員会が7月末にまとめた答申案は、外部被ばくと内部被ばくを合わせても含め生涯累積で100ミリシーベルトを基準とするものでした。食品による内部被ばくの影響を評価するべき立場なのに、その役割を完全に放棄しています。しかも低線量の長期被ばくについては、影響が少ないと切り捨てています。
 
◆放射能含む焼却灰も一般処分場で大丈夫?

 また、放射性廃棄物かどうかの基準は、事故以前、1㎏あたり100Bqでした。ところが、下水処理場やゴミ焼却場の焼却灰から高濃度の放射性物質が検出されると、環境省は6月、福島県内について8000Bqにまで引き上げました。その後、次々と関東地方でも見つかり、一時保管場所が各地で不足すると、8月下旬、一般の最終処分場で埋め立て可能な基準を、10万Bqに引き上げてしまいました。

 規制値を一度決めてしまえば、基準以下なら「安全」として、放射性物質を含む食品や廃棄物の流通や拡散してしまいます。事故が収束しない非常事態だからやむをえないのでしょうか。いまだからこそ、厳しい基準で望むべきです。

 講座では、内部被ばくの影響や、政府が進める基準の緩和について考えます。

 

主催  アジア連帯講座

東京都渋谷区初台1-50-4-103 新時代社気付

 TEL:03-3372-9401 FAX03-3372-9402

アジア連帯講座ブログ http://monsoon.doorblog.jp/


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(下水処理施設から出た汚泥を焼却する東京・東部スラッジプラント。
3月、1kgあたり17万ベクレルの放射性物質が検出された。
8月でも8000ベクレルを超えている)

報告:6.4アジ連公開講座「中東民衆革命はどこへ」

64 6月4日、アジア連帯講座は、東京・コアいけぶくろで「中東民衆革命はどこへ」と題する講座を行った。1月14日、チュニジアで二三年間続いたベン・アリ政権は、民衆決起で打倒され逃亡した。2月にはエジプト民衆は、30年続いたムバーラク政権を崩壊させた。この民衆革命の波は、イエメン、バーレーン、リビア、シリアなどへとアラブ世界に波及していった。一連のアラブ民衆の闘いをいかにとらえるのかという観点から湯川順夫さん(翻訳家)、田浪亜央江さん(パレスチナ研究)を講師として招き問題提起してもらった。

 開催にあたって司会は、「3・11東日本大震災と福島第一原発事故以降、中東の報道が少なくなってしまった。しかし、現在進行形でチュニジア、エジプトにおいて政権打倒後、支配者たちと民衆の攻防は続いている。中東全体で見ればリビア、シリアなどでも民衆の闘いが波及し、厳しい闘いが展開されている。中東の民衆革命は、歴史的には非常に大きな出来事であり、世界のあり方を変える兆しを垣間見せているのではないか」と指摘した。



湯川報告



 湯川さんは、「チュニジアから始まった革命の波の意味するもの」について報告した。


 第一は、「民衆の決起と『イスラム主義』の関係」についてアプローチし、「イスラム主義が前面に出ていない」と評価した。

 つまり、「今回の運動は、前段の闘争がすでに始まっていた成果なのだ。グローバリゼーションに抵抗する運動、2000年のパレスチナの第二次インティファーダとの連帯闘争、2003年のイラク反戦運動、2006年以降の労働者のストライキ闘争の闘いを積み上げてきた。アラブ世界の中では、社会の中で労働者階級が相対的により大きな位置を占めるチュニジア、エジプトから運動が始まったのもそのような意味をもつものである。さらに女性の大きな役割があった。タハリール広場で男女が平等に討論し、同じ場所で食事、寝泊りし闘った。エジプトでは『ムスリムとキリスト教徒はひとつ、モスクと教会はひとつ』というスローガンがかかげられた。ムバラク体制からの弾圧に対するイスラム教徒とコプト教徒との共同の闘いも実現した」と提起した。

 そのうえで「テロを展開する『イスラム原理主義』の流れは、現実の大衆、社会との接点ないため影響力はなかった。大衆の中に基盤をおく『イスラム主義』(ヒズボラ、ハマス、ムスリム同胞団)は、事態の圧力に押し流されているだけでイニシアチブを発揮できていない」と分析した。

 第二は、アラブにおける運動の特徴について。

 「闘いの担い手は、若者、労働者、女性だった。自由と民主主義、社会・経済的要求(食品価格の暴騰、賃上げ)を掲げた。インターネットや携帯などの新しい情報媒体を活用した。中間総括的にまとめれば民衆の闘いは、アラブ各国の独裁体制のもとで推進されてきた新自由主義のグローバリゼーションの破綻と矛盾の噴出だ。先進国はいずれもこうした独裁政権を支持し支えてきた。グローバリゼーションが生み出したアラブにおける民衆の運動にタイムラグはあるが、世界社会フォーラムに象徴されるグローバリゼーションに抵抗する全世界的な社会運動の成果である。要するに新自由主義政策は、アラブの民衆に何らの恩恵をもたらさなかった」と結論づけた。

 「今回のアラブ全域への民衆の決起の拡大は、アラブ民族主義の新たな形での復活である。同時に、このアラブ民族主義のバックボーンのひとつをなしているのはパレスチナである。パレスチナ解放はアラブ民衆の共通の悲願であり、パレスチナ解放闘争への支援はアラブ大衆をひとつに結集させる巨大な吸引力をもっている。 アラブ各国における民主主義が前進すればす
るほど、各国で民意が反映されるようになればなるほど、パレスチナ解放闘争に対するアラブの大衆動員は強まりこそすれ、弱まることなどまったくない」と強調した。

 「チュニジア、エジプトの今後の闘いの展望」について「社会経済的要求を掲げた労働者の運動に対抗する『秩序の回復』、『平和的移行』を主張する軍、ブルジョアジー、それを後押しする国際帝国主義という対立構造の出現している。リビアの帰趨が他のアラブ諸国における攻防に大きな影響を及ぼす。予断を許さない局面が続いている」とまとめた。
 

田浪報告
 

 田浪さんは、「アラブ民衆革命とパレスチナ」というテーマで報告。冒頭、2月にパレスチナに滞在中、民衆がエジプト革命成功を祝う夕べの模様などを紹介した。

 分析視点の第一として「民衆蜂起の理由を生み出したパレスチナ情勢」と設定した。


 「エジプト政府がガザ封鎖に手を貸し、積極的にパレスチナ民衆の生活を破壊していた。エジプトの民衆は、このような政府を許さず状況の煮詰まりが爆発していったといえる。一九七九年にエジプトはイスラエルとの和平条約を結んだが、エジプト民衆はその30周年にあたって『エジプトには何もメリットがなかった』という総括をしている。そもそも戦争条約だったという評価だ。これまでのアラブ民雌雄の無力感、閉塞感の自覚、国内経済状況の悪化と失業増大問題などが重なり合った」と提起した。

 さらに「一般的にチュニジアの革命によって広がったという評価だが、そもそも民衆の闘いの自信は、イランの2009年5月の大統領選結果を巡る抗議運動=緑の運動が、『フェースブック革命』と形容された出来事だった」と強調した。

 第二は、「アラブ革命に対するパレスチナ側の反応」について報告。

 「チュニジアの闘いに対して当初は、様子見だった。ベンアリ逃亡後、歓迎集会、デモが行われた。エジプトについても様子見だった。ファタハ政府はエジプトへの連帯デモを禁止していたほどだ。ムバラーク辞任後にデモ等を解禁した。パレスチナ人側に立つ新外相ナビール・アラビー就任とアラブ連盟就任を歓迎した。リビア政府に対しては、民間人虐殺に非難声明を出した。ところがリビア政府のガザへの支援停止とリビア国内のパレスチナ人(7万人)の送金停止はハマース政権に打撃であった。シリアに対しては、ハマース政権はアサド政権不安定化に危機感を持ち、ファタハとの和解に向かった。基本的にシリアの内政問題という立場で現状維持だ。例えば、シリア内のパレスチナ人はアサド支持が多数で苦しい立場にあることに現れている」。

 第三は、「エジプトの民主化デモ、ムバラーク辞任に対するイスラエルの反応」について整理した。とりわけ「ファタハとハマースの和解」についてイスラエル・ネタニヤフが正式合意から2時間ほどで「テロリストに勝利を与えた」と非難したが、イスラエル外務省筋文書にある「和解はむしろ(長い眼で見て)イスラエルに戦略的機会を与える。国際社会を前にイスラエルの立場を弱めてはならず、慎重な振る舞いが必要」という見解の存在を紹介し、「9月、アラブ連盟による国連総会でのパレスチナ国家承認要請の動向を見据えたうえでこういう見解が浮上している」と解説した。そのうえで「むしろイスラエルは実をとり、アラブ連盟によるイスラエル承認と関係正常化を手にするか。今後どのように動くか注視する必要がある」とまとめた。(Y)

【アジ連3.26公開講座報告】~資本主義では生きられないョ!全員集合~

ajirenアジア連帯講座 3.26公開講座報告

「~資本主義では生きられないョ!全員集合~ 『資本論』から読み解く危機と失業青年に襲いかかる失業を跳ね返えそう!」

講師:森田成也さん(大学非常勤講師)

 

 3月26日、アジア連帯講座は、「~資本主義では生きられないョ!全員集合~ 『資本論』から読み解く危機と失業 青年に襲いかかる失業を跳ね返えそう!」というテーマで資本論研究の森田成也さん(大学非常勤講師)を講師に招き、公開講座を行った(コア・いけぶくろ)。著作に『資本と剰余価値の理論――マルクス剰余価値論の再構成』(作品社/2200円)、『価値と剰余価値の理論――続マルクス剰余価値論の再構成』(作品社/2200円)、翻訳にデヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』(作品社/2600円)、多数の翻訳などがある。

 森田さんは、「1、『資本論』から読み解く際の注意点/2、『資本論』1巻の「資本蓄積論」で読み解く失業/3、『資本論』第1巻の「資本蓄積論」の限界を超えての考察」について提起し、最後に「われわれは現代の問題を見て『資本論』に足りないもの、あるいは萌芽的なものはあるが十分には展開されていない部分を見つけ出して、それを『資本論』の精神、マルクスの精神にのっとって理論そのものを発展させていくことが必要である」と述べ、資本論との格闘姿勢を強調した。以下、講演要旨を掲載する。

 『資本論』から読み解く危機と失業

森田成也(大学非常勤講師)@豊島区民センター(2011.3.26)

はじめに

 今日のテーマは「『資本論』から読み解く危機と失業」となっているが、実を言うと、「危機」という問題について曲がりなりにもお話するには、『資本論』全巻にプラスして、さらに『資本論』のいわゆる後半体系(国家、外国貿易、世界市場)というところまで話を展開させなくてはならない。だが、これはちょっと今日の限られた時間の中ではとうてい無理なので、「危機」よりも「失業」の話、すなわち『資本論』の用語で言えば「相対的過剰人口」の話に限定して、それを『資本論』第1巻の資本蓄積論との関係でお話したい。

 

  1、『資本論』から読み解く際の注意点

 

 2008年に世界金融恐慌が起こり、金融資本主義的な路線が誰の目にも明らかな形で破綻した。その後、経済危機を解明していくツールの1つとしてマルクスや『資本論』に対する興味が復活していった。それ以前にすでに新自由主義とグローバリゼーションのせいで不平等と貧困が世界的に顕著となり、それとの関連でもマルクスに対する興味が復活していた。だから2009年頃からこの日本でもいくつかの出版社が争ってマルクス関連本を出版しだした(ただしその多くは安直な単なる便乗本だったのだが)。

 

  『資本論』は完成された書物ではない

 しかし、気をつけなければならないのは、『資本論』は完成された書物ではないということだ。マルクスの生前に出版されたのは、『資本論』の第1巻(初版1867年)だけ。第2、第3巻はいくつかの草稿という形で残され、エンゲルスが10年以上かけて苦労して、ようやくそれらの草稿をつなぎあわせて第2、第3巻を出版した。

 ならばこの第1巻は完成された書物なのかというと、そこも大いに疑問だ。マルクスは最初の草稿である『経済学批判要綱』と呼ばれているものを書いてから、何度も草稿を書いて最終的に『資本論』を書いた。この間は約10年だ。初版から2版にかけてもかなり書き直している。フランス語に翻訳する際にも自ら念入りに手を入れている。大筋の論理は変わっていないが、別の著作とも言えるぐらい細部に至るまで書き直している(現在われわれが読んでいる第4版はフランス語版からかなり文章を取り入れている)。このように何度も書き直しを繰り返したことからしても、第1巻を完成された書物とみなすことはできない。もしマルクスがもっと長生きしていたとすれば、さらに書き直した可能性があるからだ。

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