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【アジ連10.25講座報告】イギリスは今 ブレグジット(EU離脱)をめぐる労働組合運動の状況

配信:浅見講座アジア連帯講座:10・25公開講座/文京区民センター

イギリスは今 ブレグジット(EU離脱)をめぐる労働組合運動の状況

講師:浅見和彦さん(専修大学)


 イギリスの経済危機などを背景に2015年5月の総選挙で保守党は、英国の「ブレグジット」(欧州連合離脱)の是非を問う国民投票の実施を公約し、16年6月に国民投票を行った。結果は、離脱賛成が過半数だった。ところが保守党のメイ首相は、EU離脱協定案を議会に提出したが、否決。「ブレグジット」をめぐって混迷を深めていくことになる。メイ首相辞任後、7月に保守党党首となったボリス・ジョンソンは、「EUとの合意があってもなくても2019年10月31日の期限までに必ず離脱する」と公言。労働党は、第2回国民投票案が提出されれば支持すると表明しているが、内部的にはスタンスのとり方の違いある。


 このような流れの中で左派系・労働組合はどういう態度なのだろうか。「レフト・ユニティー(左翼統一)」(映画監督のケン・ローチなどが呼びかけ、2013年11月に結成)は、「今回の国民投票は、反移民感情に突き動かされ、レイシズムが焚きつけた極右からの圧力がもたらしたものだ。これは英国の政治史の中で最も反動的な全国運動であり、極右の公然たる登場に結果してしまった」と批判。また、左派系も「レイシズム、外国人排撃、英民族主義の右翼の構想」と批判してきたが、諸傾向と温度差があり一括りできない状況だ。


 分析・評価するための情報が少ないなかで、英国の「ブレグジット」問題をこじ開けるための第一歩として公開講座を設定した。浅見和彦さん(専修大学)は、「現代労働組合研究会/新しい労働組合運動のゆくえ・戦後労働運動の歴史をたどり、イギリス運輸・一般労組の研究」というテーマで研究活動を行ってきた。浅見さんから「ブレグジット」問題をめぐる労働組合の諸傾向、人々の動向などのレポートを含めて報告してもらった。


btbrexit201903312ブレグジット(Brexit)問題―背景と経過

  2016年にブレグジット(EU離脱)をめぐる国民投票が行われた。国民投票を実施したのは、キャメロン政権だった。戦後は、保守党か労働党の単独政権だったが、保守党だけでなく自由民主党という第三党の力を借りて、戦後初めて連立政権として成立したのがキャメロン政権だった。

 なぜ国民投票を行ったのか。連立政権を組まざるを得ないなかで、保守党内の離脱強硬派(ボリス・ジョンソンなど)の存在があり、また当時、UKIP(イギリス独立党)という党派もできた。保守党の政治基盤の弱体化への危機感が一方にあり、しかしながら党内では解決できず、そのため国民投票にかけて、危機を「克服」しようとするという動機もあった。

 連立を組んでいる自由民主党は、元々は残留派で、国民投票にも反対だった。だがキャメロンが打って出たのだ。

 当時、誰もが離脱が多数を占めるとは思っていなかった。しかし、結果は投票率72%で、「離脱」52 % 、「残留」48%で、離脱派が多数派となり、みなが驚いていた。

 キャメロン首相も辞任せざるをえず、その後メイが首相になった。

 なぜ離脱派が多数となったのか。保守党の元副幹事長のアッシュクロフトは、世論調査会社を持っていて、保守党の政策に反映させるため、およそ13000人が回答したアンケート調査を行い、国民投票の分析を行っている。

 それによると、特徴としては、若い人は残留支持が多く、 18-24 歳は73 %が「残留」に投票、 25-34 歳は62 %が「残留」で、他方、45歳以上は過半数が「離脱」で、とくに 65 歳以上は60%が「離脱」だった。

 労働者のなかでは、残留支持が多かった。労働者(フルタイム、パートタイム)の過半数は「残留」で、大卒労働者の 57 %は「残留」、専門職・管理職も 57 %は「残留」支持だった。

 政党支持別(2015 年の総選挙時の投票先)に見ると、 保守党支持者は離脱派が多く、 53 %は「離脱」だった。 UKIP(イギリス独立党)への投票者は、当然ながらほとんどが「離脱」である。

 それ以外の党では「残留」が多数を占めた。労働党への投票者の 63%は「残留」 、スコットランド独立党(SNP)の 64 %は「残留」 、自由民主党、緑の党の投票者の7割以上は「残留」であった。

 「離脱」派の最大の理由(49 %)は、「イギリスのことはイギリスが決めるべき」 (いわゆる「主権」問題)が多かった 。「離脱」派の 33 %は、「入国審査と国境管理の回復」 を理由にあげている。この調査では問われていないが、新自由主義的な政策に対する反発で、底辺の人たちがかなり強い抗議を示したといわれた。

 「残留」派は、経済・雇用重視している。「残留」派の最大の理由(43 %)は、「離脱すれば、経済、雇用、物価などへのリスクが大きすぎること」 であり、「残留」派の 31 %は、「イギリスと単一市場との双方にとって最善だから」と答えている。

 2017年に総選挙がおこなわれた。保守党 313議席(-13)、労働党 262 議席(+30) という結果だった。労働党は、コービン党首で左派的な反緊縮政策が支持されていた。

 議席を減らした保守党は北アイルランドの民主統一党と連立政権を組み、第二次メイ政権はジョンソン外相らの強硬派を含めて発足した。メイ自身は、もともと残留派だった。

 メイ政権は、EUとの交渉では移行期間、清算金などは合意したが、北アイルランドとアイルランドとの国境問題で対立が続いた。EU側は、北アイルランドだけは、EUの関税同盟に残せという要求だった。離脱強硬派は、これに反対した。

 2019 年3月 29 日の離脱起期限は、まず4月 12 日まで延期になり、さらに 10月 31日まで延期となった。 2018年 11月、メイ政権が EUとのあいだで離脱合意案をまとめるが、今年に入って、離脱合意案は3度にわたってイギリス議会で否決され、メイ首相は辞任に追い込まれた。

最近の動き

 7月に保守党の党首選挙があり、ボリス・ジョンソンが外相のハントを破り、党首となって、首相に就任した。

 ジョンソンは、9月からの「議会休会」強行しようとしたが、議会内の反発と「クーデター反対」の大規模デモが行われた。最高裁も、「議会休会」に対して「違法」の判決を出した。

 この過程において保守党内の穏健派の離反で、議会の過半数割れとなってしまう。保守党内の1人が自由民主党へ移り、この時点で過半数割れとなる。 さらに、前財務相などの保守党の有力者を含む21人が造反し、除名された。結果、大幅に過半数割れとなったのである。

 労働党など野党と保守党の除名組が離脱延期法案(交渉期限の3か月延期〈2010 年1月末まで〉を EUに対して政府が要請することを求める法案)を提出し、可決された。法案が成立したためジョンソンも要請せざるをえなかった。

 労働党の態度は、どうなのか。コービンは、党首としての声明(2019年6月)で、「合意なき離脱も、保守党による離脱にも反対し、私としては、労働党が残留を支持するキャンペーンをおこなうことを鮮明にしたい」という態度を示した。ただ労働党としての結論ではなかった。

 10月25日、ジョンソンは、労働党に総選挙をやらないかと呼びかけた。解散・総選挙には下院の3分の2の賛成が必要で、保守党、労働党がOKを出さないと総選挙ができないからだ。

 2019年9月末の労働党大会でコービンは「離脱の52%ではなく、また残留の48 %でもなく、99%のために」とあいまいな発言をしている。影の離脱担当相のケア・スターマーも、あいまいな残留支持の立場だ。

 「週刊かけはし」に掲載されていたアラン・ソーネットの論評(10月21日号)は、態度がはっきりしていると評価しているようだが、全体としてはそうとは言えないと思う。

 なぜかというと、労働党の中のコービンとコンビを組んでいる最左翼の影の財務相マクドネルは、「残留」をより強調したい意向だったし、左派組合の UNISON(公務員)があいまいさに反発し、「残留」を強調している。つまり、労働党は「残留」で固まっていないということだ。

  ジョンソン政権がEUとあいだで合意した協定の改訂案

 ジョンソン政権とEUは、改訂案で合意したことを発表した。基本的な性格は、①メイ前首相のときのハードボーダー(バックストップ)を回避する ②その他の部分は、基本的にはメイのときの協定案と同じだ。

 関税については、① イギリスは EUの関税同盟から(形式的には)離脱する ②したがって、離脱後は、イギリスは各国とのあいだで貿易協定を締結する ③法的には、北アイルランドとアイルランドの国境での関税に関する国境ができる ④しかし、実際には、グレートブリテン島から北アイルランドへ送られる物品について自動的に課税されるわけではない。 ⑤イギリスとアイルランドの共同委員会で、どの物品に課税するかを決めることになる ⑥一般の人が送る物品には課税されない ⑦北アイルランドは、イギリスの規制や関税ではなく、EU の規制や関税が適用されることを意味する。

 移行期間は、メイのときと同じで、2020年末までで、1~2年の延長も可能となっている。市民権は、移行期間中は、イギリス国民の EU 諸国での市民権、EU 諸国の国民のイギリスでの市民権は保障される。清算金は、正確な金額は決まっていないが、日本円でおよそ4兆6千億円を 2022 年末までに 支払うことになると推測されている。自由貿易協定は、イギリスがEUから脱退して、独立した国として、経済関係について他の国とどうするのかとなった場合、各国と貿易の協定を結ぶ形になる。来年の9月に会合を開く予定といわれる。

 整理すると、最初は北アイルランドだけはEUの関税同盟に入れておけというEUの姿勢が、ある程度軟化して、形式的に離脱するという形を認めた。それを保守党の強硬離脱派も受け入れた。ただ現実には、北アイルランドは特別扱いで、EUのいろんな規制や関税に関するルールが適用されることになった。実質的には関税同盟から脱退しない。形式と実質を、言い訳的に使ってEUの譲歩をイギリスが勝ち取ったんだ、という評価にしている。

 北アイルランドとアイルランドの関係だが、アイルランドはEUの加盟国なので、これからは共同委員会で協議していくことになる。イギリスとアイルランドと相談するといっても、アイルランドはEUの加盟国だから、イギリスとEUが相談するような形になってしまっている。当然、おかしいという批判は出ている。
 
 10月 17日に、ジョンソン政権の改訂案に対して、EUは合意した発表している。翌日には、EUは 27カ国(イギリス以外)の首脳会議が一致して承認した。

 10月19 日、ジョンソンは議会で改定案の採決を求めたが、保守党を除名されたレトウィン議員提案の動議によって、法的な準備が整うまで、離脱条件の採決を延期することになった(322票対 306票)。この間、再度の国民投票などを求める大規模デモが行われた。

b479d07a30fc41129e28ad46aa2f9d90_18 労働党の変貌と現状― 2015年以降

 2015 年労働党首選で、最左翼のジェレミー・コービンが右派のオーエン・スミスに勝利した。以降、党内右派は「コービン不信任」動議などの抵抗を続けた。

 しかし、2017年総選挙で労働党は30議席増となった。党内外で、コービン主導で行った政策が受入れられたと評価され、コービン派の地盤の拡大・強化されることになった。そして、労働党党員が50万人以上に増えた。

 党内左派のコービン支持グループである「モメンタム」 が 2015年結成され、現在、4万2000人のメンバーを擁している。 当初は、非党員も少なくなかったが、その後は党員であることが条件になった。

 1980年代、トニーベンを中心したに左派グループがあったが、コービンが当選すると、それら党内外の左派系の人々が労働党に再結集してきた。同時に、党外の政治グループをブロックする必要があった。それが、社会主義労働者党(SWP)や社会主義党(SP)などの加入戦術に反対という態度の現れであった。

 欧州を見ると、ドイツ社民党、フランス社会党が衰退しているにもかかわらず、イギリス労働党は増えるという対照的な動きがある。ギリシャ、スペインでも急進左派の登場があるが、最近は失速しつつある。イギリス労働党が欧州最大の左派政党になったというのは興味深い現れだ。

ブレグジットに対する労働組合の態度
新自由主義の下での労使関係


 1979年以降、サッチャリズムとニューレーバーの下で労働組合運動は後退していった。ストライキなどの労働争議も激減していった。イギリスは、もともとストライキは法的な権利保障がなくて、免責があるだけだ。ストライキをやったら組合が損害賠償されることはない(民事免責)し、ストライキをやっても恐喝とはならない(刑事免責)というものだ。

 1979年から1997年まで保守党政権だった。この間、労働組合規制法をたくさん作った。例えば、クローズドショップに対し、組合員の雇用を優先するような協約を作ってはいけないとした。組合員を雇用させるという組合側のメリット、企業側も熟練労働者を確保できるというメリットがあったが、それが否定されたわけだ。

 組合のストライキなどの方針決定の時、挙手で採決するのとはだめだとなり、かならず秘密投票をおこなえとなった。連帯ストライキを禁止した。他産業の労働者との連帯ストライキだけではなく、同一産業の労働者との連帯ストライキも禁止された。自分の企業の使用者にたいするストライキだけが認められるとなったのだ。

 1997年以降、2010年までの13年間の労働党政権(ニューレーバー)も、サッチャー、メジャー政権時に作った労働組合規制法を一本も廃止していない。

 ただ変わったのは2つある。1つは、全国一律最賃と一定の条件の下での組合承認制度(使用者が団体交渉に応じなければならない制度)が導入されたことだ。イギリスでは、一般に組合の実力で団体交渉を認めさせなければならない。使用者側に応諾義務がないからだ。

 労働組合の組織的な後退が目立つ。サッチャー政権成立時の1979年の 54%から 2018年の 23%へ下がっている。

 産業別交渉機構の廃止と労働協約適用率の縮小も大きい。 協約の適用率は、1980 年の 86 %から 2018 年の 20%へ下がっている。

 大陸欧州諸国、北欧諸国は労働組合組織率が高い。ドイツ、オーストリア、イタリア、フランスの労働組合の組織率はそんなに高くはないが、協約適用率が高い。これは拡張適用制度があり、同じ産業内に適用できるシステムを作っているからである。

 イギリス、日本、アメリカ、韓国は労働組合組織率も、労働協約適用率も低い。

 イギリスには拡張適用という制度がないし、かつての産業別の交渉が潰された。ところが労働組合はその対応に対して反対しなかった。産業別交渉機構は、労働組合専従の右派がやっているからだというのが理由だった。昔は、全国交渉をやっている人たちは右派の人たちだった。しかも交渉による賃金水準は実収賃金の半分ぐらいの場合が多く、あとは職場で頑張らないと獲得できないから、左翼的な人たちは企業内で頑張れという傾向が強かった。日本の場合は、企業横断的に闘えと主張されてきたが、イギリスの場合はそんなものは役にたたないという評価だった。

 さすがにそれではまずいので、労働党の「マニフェスト 2017」では、労働法の学者などの意見を取り入れて、 産業別交渉機構の設置の義務化を提案している。

 EU指令とイギリスの労働改革

 イギリスの労働組合がEUに残留すべきだという理由の1つとしてあるのが、サッチャー保守党政権時代にできた集団的労使関係の法律は変わっていないことだ。むしろEUに加盟していることによって、労働者の権利を守るために国内法を整備しろというEUの指令によって労働者の権利が守られるという形になるからだ。労働運動の力が弱まっていることもあり、運動で諸条件を勝ち取っていくというよりは、EUに依存する傾向がある。

 EU の指令による労働改革には、①労働時間・年次有給休暇、②妊娠・出産休暇、③ 年齢・宗教・信条・性別による差別の禁止、④パートタイム労働者や有期雇用労働者などの非典型労働者の権利、⑤派遣労働者の均等待遇、⑥事業継承に伴う 労働者の権利、⑦情報・協議の権利、⑧健康・安全がある。

 イギリス労働組合指導層の変化

 全国組合の指導部には左派の人たちが多い。全体として労働組合は後退しているのに、役員のトップだけは左翼が多い。

 振り返ると、1970年代は共産党が強かったが、1980年代以降、共産党の分裂・後退とトロツキスト諸派が進出してくる。とはいえ、職場の活動家層が 1970年代のように厚みがあるとは言えない。

 労働組合の中央執行委員レベルには、かなりトロツキストがいる。 なかでも、かつてトニー・クリフが率いていた社会主義労働者党(SWP)と旧ミリタントの分裂後の多数派である社会主義党(SP)が中心だ。最大労組のUnite(一般/123万人)の執行部には、SWP1人とSWPから分かれたカウンターファイヤー1人の計2人のトロツキストがいる。2番目のUNISON(公務公共/119万人) には、SWP4人とSP6人の計10人のトロツキストが中央執行委員にいる。

 教員組合も45人の中執のうちSP4人、SWP3人、労働者解放同盟(AWL)2人の計9人がトロツキストで、公共・民間サービス労組には37人の中執のうち10人がSWPとSPによって占められている。大学教職員組合にいたっては、64人の中執のうち15人がSWPだ。主要組合の中執には56人のトロツキストがおり、かなり指導部に入っているといえる。

 SWPは特定組合に集中し、旧ミリタントのSPはいろんな組合にいるのが特徴だ。

 労働組合のブレグジットに対する態度はどうなっているか。主流派は、残留支持だ。Uniteはコービン支持の最大中核勢力で、UNISON は、コービン労働党に対して、「残留」をより明確にすることを2019年大会で要求している。穏健派の GMB(一般/61万人)、USDAW(小売・流通関連労組/43万人)も残留支持になっている。

 離脱支持派は、中小組合で、最左翼のRMT(鉄道労組/8万5000人)とBFAWU(製パン・食品関連労組/1万人)だ。

 ナショナルセンターのTUC(イギリス労働組合会議)に加盟する主要労働組合の態度は、国民投票の時と基本的な変化はない 。TUC非加盟の「中立」組合が「残留」支持へ転換したケースがあるだけである。

労働党外の左翼諸党派―その勢力とブレグジットへの態度

 基本的に多数派は、離脱支持派だ。

 労働党以外では最大党派の社会主義労働者党(SWP/5886人)は、 2016 年の国民投票でも離脱を支持した。態度は、①資本家のためではなく、労働者のためのブレグジットをめざす②EU は資本家のクラブであり、労働者とその権利を擁護しない。左翼ブレグジットのためのたたかいが必要③総選挙でのコービン支持、保守党打倒などである。

 旧ミリタント分裂後の主流派である社会主義党(SP/2000人)は、社会主義的綱領をもって、コービン政権を樹立し、EUとの交渉を、という立場だ。①離脱派の組合のRMT(鉄道労組)や BFAWU(製パン・食品関連労組)以外の労働組合指導者は、資本家クラブである EU からの離脱という挑戦を提起できていない②労働組合運動の左翼的転換、労働者によるブレグジットを③欧州諸国で社会主義諸国家を樹立し、その連合をつくろう、という主張だ。

 イギリス共産党(CPB/769人)も、 国民投票でも EU 離脱支持した。①総選挙での労働党主導政権の樹立を支持するが、EU 在留に反対し、国民投票の結果にもとづいて離脱すべきだ②EU の改革 は不可能である③TUC が EU の指令などがイギリス労働者の権利保護に 貢献していたとしている見解に同意できない、としている。

  SWP から分裂したカウンターファイヤー(Counterfire/300人)は、民衆のブレグジットのためのたたかいを広げる、という態度だ。

 旧ヒーリー派の労働者革命党(WRP/120人)は、国民投票でも EU 離脱支持し、革命でこそ真のブレグジットが実現できる、と 主張している。

 残留してたたかうという態度のトロツキスト党派は、2つしかいない。

 労働者解放同盟(AWL/140人) は、国民投票時も EU 離脱に反対した。現在も、残留してたたかうとする路線で、当面、欧州レベルにおける民主主義的で連邦制の欧州合衆国を樹しよう、という立場だ。

 第4インター派のソシアリスト・レジスタンス(SR/95人)は、EU 残留支持の態度で、①EUが資本主義の進歩的形態であるという理由によるのではない②ブレグジットは排外主義と極右にドアを開くことになるからだ③「もう一つの欧州」は可能であり、欧州左翼とともにたたかう④労働党のなかで活動し、コービン労働党政権の樹立を支持するとしている。

 「どちらでもない」というトロツキスト党派は、旧ミリタント分裂後の少数派であるソシアリスト・アピール(300人)だ。①資本家の EUにノー、イギリスの緊縮政策にノー②EU内であれ、その外であれ、 資本主義こそが民営化、規制緩和、緊縮政策の根因である③社会主義をめざす欧州労働者の連帯で社会主義の欧州合衆国の樹立を、という路線である。

 国民世論のうごき

 10月15日のOpinium による 世論調査を紹介する(他の調査機関もほぼ同様の数字)。

 まず、政党支持率は、保守党 37 %、労働党 24 %、自由民主党 16%、ブレグジット党 12 %、スコットランド民族党 4 %、緑の党 4 %、イギリス独立党 2%となっている。

 次に、ジョンソンの離脱改定案が提案されれば、下院議員は「賛成するべき」が 46 %、「反対すべき」が25%だった。

 離脱改定案が下院を通過しなかった場合、次のステップはどうすべきかでは、「再度の国民投票」が29 %、 「総選挙の実施」が 26 %になっている。

 なぜ保守党がリードしているのかだが、一つは2016年国民投票の「離脱」という結論が出ていることが重いと考えられる。強硬派は、依然「離脱」強行派だ。議会休会の強行など、ジョンソン政権への批判はもちろん在留派のなかで強いのだが、離脱派はそういうジョンソンをつよく支持する傾向が強い。
 労働党とコービンの支持率が低迷しているのはなぜか。その理由としては、①残留派の世論は、労働党と自由民主党に支持が分裂していて、直近の調査では、自由民主党への支持が徐々に増える傾向にある②労働党とコービンは再度の国民投票を強調してきたが、それでも「残留」の態度を強く打ち出せず、あいまいさがあることへの批判・不信が指摘されている、などが考えられる。

 イギリスのブレグジットをめぐる動向に、今後も継続して注目していきたい。

報告:アジア連帯講座 8.9公開講座 参院選・統一地方選の結果をどう見るか? ~大阪からの視点~

配信:寺本講座講師:寺本 勉さん (どないする大阪の未来ネット 〈 どないネット〉運営委員)

 8月9日、アジア連帯講座は、寺本 勉さん (どないする大阪の未来ネット 〈どないネット〉運営委員)を講師に招き、「参院選・統一地方選の結果をどう見るか? ~大阪からの視点~」をテーマに文京区民センターで公開講座を行った。

 大阪で活動される寺本さんは、「どないネット」の活動を通して、「大阪都構想」、地下鉄・水道など の民営化、夢洲へのカジノ(IR)・万博誘致などに反対する運動にとりくみ、情報交流・共有のネットワー クを広げてきた。この間の経験から大阪府知事・市長選挙、参院選の結果分析を通して大阪および日本の政
治動向を浮き彫りにした。

 とりわけ参院選挙について2012~2019の国政選挙の得票数の推移を分析し、戦後二番目に低い投票率(48・8%)について寺本さんは、「安倍政権は低い投票率の中で、政権を維持していることがわかる。『無関心の組織化』『政治的諦めの組織化』ともいうべき政治戦略だ。その中でも18~19歳の投票率は31.33%と低かった。森友・加計問題に典型的な徹底した責任回避、ごまかし、まともな論議をしない、臭い物に蓋をする(原発で顕著)など、政治不信をかきたてる姿勢(意図的と思える)の結果だ」と述べた。また、「共産党・公明党・社民党の緩やかな衰退」傾向なども明らかにした。

 そのうえで①左右のポピュリズム政党の台頭 ②維新とはどういう政治勢力か?なぜ大阪で強いのか? ③グローバルな視点でローカルな問題を考える―について提起した(①~③報告要旨別掲)。

 最後に寺本さんは、「新しい局面の可能性を現実化させるにはグローバルな視点が重要だ。そして、オルタナティブな社会とはどういうものか、そこに至る道筋とは何かについての議論を積み重ね、民衆の共同実践を目的意識的に形にしていく努力が求められている」と強調した。

(Y)


寺本さん①~③報告要旨

 ①左右のポピュリズム政党の台頭

 「れいわ新選組」の特徴は、①徹底的に反緊縮政策②多様性を実際に体現した候補者選び③SNSを活用した。街頭から支持を拡大させ、連動して草の根カンパで四億円を集めた。それは米のサンダース旋風を想起するような状態だった。

 朝日新聞出口調査では5%が比例区の投票先に「れいわ」を挙げた。無党派層に
限ると、10%がれいわ(公明、国民、共産、社民を上回る)だった。無党派層の自民と公明への支持は前回の参院選から大きく変わらず、ほかの野党支持層の流入があったとみられる。

 つまり、今回は、新たな層を投票行動に引き入れたというよりは、従来の立憲
民主・共産・社民の支持層からの流出が主だった。

 NHKから国民を守る党(N国党)は、表向きは「NHKスクランブル放送の実現」というワン・イシュー政党であり、立花代表のワンマン政党とも言える。本人は、右翼的主張を一切表に出さない。

 政治性格においても、例えば候補者41人中、九条改憲賛成19人、反対6人、無回答16人(毎日新聞の候補者アンケートによる)で統一性がない。だが、統一地方選立候補者には、極右レイシストが相当数入り込み、何人かは当選している。

 真鍋博さんは、「N国『躍進』の背景にあるものは何か」と問いながら、次の
ように問題提起している。

 「『NHK』という事業体そのものの改革の是非というよりは、NHKは分かりやすい〝的(まと)〟にされているに過ぎない。『NHK』に象徴される『巨大な既得権益』への反発であり、自分たちのお金を強制的に吸い上げる一方で、自分たちの生き死にに対しては一切関心を示さない、目には見えない力に対する拒絶のサインである」。

 「もしこれらの階層に潜在している怨嗟(えんさ)を上手く手当てすることができなければ、『N国党』でなくとも別の新興勢力のようなものが、数百万人は存在するであろう『怨嗟の票田』を得て急伸するだけである。想定外の事態へと突き進むポテンシャルがあることに、果たしてどれだけの人々が気付いているだろうか」と政治性格をまとめている。今後も注意し、監視していかなければならない。

 ②維新とはどういう政治勢力か?なぜ大阪で強いのか?

 日本維新の会は、右派ポピュリスト政党のはしり的存在だと言える。大阪では、10年以上にわたって、実際の行政の経験を積み、持続的な支持を得ている。しっかりした支持者名簿を持ってドブ板的選挙を展開し、きっちりした票割りを行っている。しかも参院選では、地域政党(名古屋の減税日本、北海道の新党大地、東京の「あたらしい党」など)との連携で全国展開を図った。基本的には「大阪のような改革=身を切る改革を全国で」という立場だ。

 2012年総選挙から2019年参院選での維新の比例区得票数の推移、知事・市長選の得票数の推移(略)を通して、橋下徹と維新登場の背景が見えてくる。それは大阪における「オール与党」体制という閉塞した政治状況への反発だ。つまり、東京一極集中による大阪経済の地盤沈下への不安を根拠にした一点突破型のリーダーシップへの期待へと流れていった。維新は、橋下知事(当時)によって仕掛けられた大阪自民党の大分裂によって生まれた。

 一連の維新圧勝をもたらしたのは大阪の社会的状況がある。それは①深刻な格
差と貧困②府下一斉テスト(チャレンジテスト)による内申書評価の「修正」などによる教育差別・分断の強化③公務員労働者への攻撃を集中。大阪を新自由主義の実験場とするためには不可欠だった。

 しかも維新のコアな支持層は、大阪の住民の深刻な分断状況の中で、いわゆる「勝ち組」(と思っている人々)が維新・都構想を支持した。30代から50代にかけての男性で、一定の所得がある階層だと言われている。自分たちの税金が、公務員や「負け組」のために使われることへの嫌悪感がある。そのことを2019ダブル選挙のスローガン「大阪の成長を止めるな!」に現われている。

 吉富有治さん(フェイスブック「ヨシトミの毎日、ときどき隔日の随感」から)は、次のように分析している。

 「維新は『改革』を訴えるから新しいタイプの革新政党のように見えますが、わたしの考えは違います。公立高校の廃止や統廃合、文化事業への突き放した態度を見ると公明党の福祉重視か共産党のような左派とも似ていない。それどころか、万博やIR・カジノの誘致といった公共事業型の景気対策を推し進めるあたりは自民党の体質に近いのです。維新とはつまり、自民党が変異した『ネオ自民党』ではないかと思うのです」。

 「大阪で維新に人気があるのも改革政党だからというより、安倍政権や国政自民党に人気があるのに通じるものがあるのでしょう。安倍政権のめざす新自由主義的『改革』の露払いの役割を持っており、その意味では、安倍政権の「突撃隊」的な性格を持っている」。

 ③グローバルな視点でローカルな問題を考える

 ウォルデン・ベロさん(フォーカス・オン・ザ・グローバルサウス元代表)は、ヨーロッパにおける右派ポピュリズム政治勢力台頭の背景(2017年2月講演より)について次のように分析している。

 「ヨーロッパの極右政党は、階層格差の拡大にともなってグローバリズム批判を展開するようになった。イアン・ブルーマが『右翼は新しい左翼である』と指摘したように、社会主義勢力が放棄した政策を極右が横領した形になっている。たとえば、フランス国民戦線は、当初アルジェリアからの引き揚げ者を支持基盤として、ルペン父はウルトラ自由主義を信奉していた。しかし、娘のマリーヌ・ルペンは、反資本主義、反グローバリズムを掲げ、保護主義による国民経済擁護、ユーロ離脱、社会保障制度再建という国家社会主義路線をとっている。しかし、彼女の言う社会保障制度再建は、福祉排外主義であり、福祉共同体からの外国人の排除を意味する」。

 ここでのポイントは、「オルタ・グローバリゼーション運動は極右に主張を横領された」と結論づけていることだ。

 それでは日本におけるヨーロッパ型の極右政党が台頭する可能性はあるのか。例えば、入管法改悪による「移民労働者」の急増を一つの契機にして高まるかもしれない。そもそも安倍政権は、極右ポピュリズム的性格を持つ形になっていると言ってもいいだろう。バーチャルな「改革」への幻想を自己の基盤とする点では、ヨーロッパと共通するところがある。

 一方、2011年以降、左派ポピュリズムも台頭してきた。それはギリシャのシリザ、スペインのポデモス、アメリカのサンダース、イギリスのコービン、フランスの「不服従のフランス」(メランション)などだ。

 実践的には、広場占拠を軸とする社会運動の拡大、ヨーロッパにおける若い世代を中心にした社会運動の継続などがあげられる。具体的には、ドイツの反ヘイト運動、フランスの「黄色いベスト」運動、各地での「森を守る」闘い、高校生を軸にした「フライデー・フォー・フューチャー」運動、イギリスの「絶滅への反逆」運動などをあげることができる。

 しかし、ヨーロッパの左派ポピュリズムは、すでにその限界を示しつつあるのではないか? 例えば、①2017シリザによるトロイカ(EU、欧州中央銀行、国際通貨基金)への屈服②スペイン・ポデモスの内部対立と「混乱」 ③連続する社会運動と左派ポピュリズム政党との断絶―などを上げることができる。

 今後の課題として、れいわ新選組とN国党の台頭から何を読み取るのか、読み取れるのかという問題についてともに継続して分析していこう。

 れいわ新選組は日本における左派ポピュリズムの可能性を示すのか? れいわ新選組「現象」は、新しい局面を予兆させるものが確かに存在している。山本太郎さんの街頭演説への結集とヨーロッパの「広場占拠」とは違うと思うがどうだろうか。人々の感覚を「山本太郎」という個人に集中させたもので、運動化されていないまま、「漂流」する可能性をも含んでいる。ある意味、より危機的なのかもしれない。「左」右のポピュリズムが合流してしまう可能性もあるのではないか。

 先に述べた N国党に投票した人々の感覚は、フランスの「黄色いベスト運動」の参加者に近いと思われるが、どうだろうか?

 N国党に現われた民衆の意識は、ヨーロッパの極右レイシスト政党に流れてい
った傾向と共通点はあるのかなどを追跡調査していかなければならない。いずれにしても状況としては、遅ればせながらヨーロッパに近づきつつあるのではないか。

【10.25公開講座】イギリスは今 ブレグジット(EU離脱)をめぐる労働組合運動の状況

Screenshot_20190819-155635~2イギリスは今 ブレグジット(EU離脱)をめぐる労働組合運動の状況

講師:浅見和彦さん(専修大学)

日時:10月25日(金)/午後6時30分〜

場所:文京区民センター3C会議室(都営地下鉄三田線春日駅下車)/
https://www.city.bunkyo.lg.jp

 イギリスの経済危機などを背景に2015年5月の総選挙で保守党は、英国の「ブレグジット」(欧州連合離脱)の是非を問う国民投票の実施を公約し、16年6月に国民投票を行いました。結果は、離脱賛成が過半数でした。ところが保守党のメイ首相は、EU離脱協定案を議会に提出したが、否決。「ブレグジット」をめぐって混迷を深めていくことになります。

メイ首相辞任後、7月に保守党党首とな
ったボリス・ジョンソンは、「EUとの合意があってもなくても10月31日の期限までに必ず離脱する」と公言しています。労働党は、第二回国民投票案が提出されれば支持すると表明していますが、内部的にはスタンスのとり方の違いがあるようです。

 このような流れの中で左派系・労働組合はどういう態度なのだろうか。「レフト・ユニティー(左翼統一)」(映画監督のケン・ローチなどが呼びかけ、2013年11月に結成)は、「今回の国民投票は、反移民感情に突き動かされ、レイシズムが焚きつけた極右からの圧力がもたらしたものだ。これは英国の政治史の中で最も反動的な全国運動であり、極右の公然たる登場に結果してしまった」と批判。また、左派系も「レイシズム、外国人排撃、英民族主義の右翼の構想」と批判してきたが、諸傾向と温度差があり一括りできない状況です。

 分析・評価するための情報が少ないなかで、英国の「ブレグジット」問題をこじ開けるための第一歩として公開講座を設定しました。浅見和彦さん(専修大学)は、「現代労働組合研究会/新しい労働組合運動のゆくえ・戦後労働運動の歴史をたどり、イギリス運輸・一般労組の研究」というテーマで研究活動を行っています。近日、ギリス現地調査に向かう予定です。浅見さんから「ブレグジット」問題をめぐる労働組合の諸傾向、人々の動向などのレポートを含めて報告していただきます。


浅見和彦さん(専修大学)のブログ http://e-kyodo.sakura.ne.jp/asamikazuhiko/unyuippan.htm

アジア連帯講座 東京都渋谷区初台1-50-4-103 新時代社気付 TEL:03-3372-
9401 FAX:03-3372-9402
アジア連帯講座ブログ:「虹とモンスーン」 http://monsoon.doorblog.jp/ 

案内 8.9アジア連帯講座:公開講座 参院選・統一地方選の結果をどう見るか?〜大阪からの視点〜

8.9アジア連帯講座:公開講座

参院選・統一地方選の結果をどう見るか?
〜大阪からの視点〜


講師:寺本 勉さん
(どないする大阪の未来ネット〈どないネット〉運営委員)


日時:8月9日(金)/午後6時30分
会場:文京区民センター3D会議室(東京メトロ丸ノ内線・後楽園駅/都営三田線
・春日駅)
        資料代:500円
主催:アジア連帯講座
  東京都渋谷区初台1-50-4-103 新時代社気付 TEL:03-3372-9401 FAX:
03-3372-9402
       ブログ「虹とモンスーン」 http://monsoon.doorblog.jp/

 今日、社会に対する閉塞感と不安は世界的に拡がっています。現状突破に向けた民衆の闘争が世界各地で模索される一方、現状への不安は右翼の台頭としても現れ、情勢は混迷を深めつつあるかに見えます。

 大阪では、この不安を吸い取るかのように、大阪維新の会による府・市政支配が長く続き、トップダウンの政策決定手法による地方自治と民主主義の破壊が続いています。維新の会は、経済的には新自由主義、政治的には保守反動の立場におり、民衆の分断・対立をもたらしました。その一方で深刻な貧困と格差は、解決の目処すら見出されていません。にもかかわらず、維新はなぜ支持を得ているのか、その根っこには安倍自民党への根強い支持とつながるものがあります。

 大阪で活動される寺本勉さんは、「どないネット」の活動を通して、「大阪都構想」、地下鉄・水道などの民営化、夢洲へのカジノ(IR)・万博誘致などに反対する運動にとりくみ、情報交流・共有のネットワークを広げてきました。

 寺本さんには、「どないネット」の経験とともに、この間の大阪府知事・市長選挙、さらに参院選の結果分析を通して、今後の大阪および日本の政治動向を共に探っていくために問題提起をしていただきます。共同の議論を進め、民衆の運動を再構築する道を模索していきましょう。

【アジア連帯講座:7.12公開講座】フランスはいま 「黄色いベスト」運動を学ぶ

1Screenshot_20190526-231447~2アジア連帯講座:7.12公開講座

フランスはいま
「黄色いベスト」運動を学ぶ


講師:湯川順夫さん(翻訳家)

日時:7月12日(金)18:30~

場所:文京区民センター3D会議室


 フランス・マクロン政権に抗議する「黄色いベスト」運動は、2018年11月から始まり、この5月18日で半年を迎え、フランス全土で4万1000人(主催者発表/最盛時の参加者は30万人以上)が参加しています。警察権力の弾圧に抗して持続的な民衆パワーを示し続けている。

 『黄色いベスト』運動は、燃料増税の中止など生活、雇用、年金、緊縮政策の中止などにわたって要求しています。つまり、民衆の生存権行使の要求を具体化し、同時に資本家のためのマクロン政権を許さず、デモという表現を繰り広げているのです。だからこそ「燎原の火」のごとくフランス全土に広がったのでしょう。

 『黄色いベスト』運動について、フランスの社会運動に詳しい湯川順夫さん(翻訳家)を招き、運動の分析・解説をしていただきます。日本の民衆運動とも比較しながら、今後の運動の方向性について論議していきたいと思います。

湯川さんが翻訳した著作
◦『フランス社会運動の再生――失業・不安定雇用・社会的排除に抗し』 クリストフ・アギトン、ダニエル・ベンサイド著、柘植書房新社、2001年◦『新しいインターナショナリズムの胎動――帝国の戦争と地球の私有化に対抗して』 ダニエル・ベンサイド著、加藤洋介、星野秀明共訳、柘植書房新社、2009年◦『21世紀マルクス主義の模索』 ダニエル・ベンサイド著、柘植書房新社、2011年……その他、
多数


■紹介
フランスNPA(反資本主義新党)の全国スポークスパーソンは語る
『黄色いベスト』運動は、新しい種類の民衆運動だ

                
 「……運動は、ソーシャルネットワーク上で野火のように広がった請願署名で始まった。それはこのような形で、あらゆる政治的枠組みあるいは労組の枠組みの外で発展した。高速道路上での環状交差路に対する封鎖が11月に始まった。経済的機能を乱し、トラック運行を妨げるために、町々のすぐ外側の交差点が標的にされた。数10万人(最低でも30万人)のジレ・ジョーヌ(「黄色いベスト」運動)が、およそ2500ヵ所の封鎖に参加した。昨年11月17日から、警察との調整がない無届けデモが毎週末、数10万人の参加者を連れ出した。

 パリではその連れ出し先が、労働者運動のデモが向かわない高級住宅街、政府省庁の事務所、権力の現場、そして市中心部だった。デモに対する警察の抑圧は、度を増し続けてきた。12月1日には、凱旋門が標的にされ、非常に激しい衝突の中で外観が傷付けられ、ル・ピュイ・アン・ブレ(オート・ロワール県の自治体:訳者)では知事官舎が焼き討ちされ、ニースとナンテールの空港が封鎖された。一
二月八日、政府は、軍用武器と装甲車を装備した警官85000人を動員、パリや大都市のほとんどでのデモを止めることもなく2000人以上の「予防」拘禁を行い、一つのメッセージを送りたいと思った。

 この日以後弾圧が、ジレ・ジョーヌがパリで一斉にデモを行うことを妨げることになった。しかしこの国の残りではそうはなっていない。12月半ば以後デモ参加者数が減少したとはいえ、その数は毎土曜日、依然非常に高い水準を保ってきた。運動は今なお存在し、非常に決意の固い人々数万人を動員し続けている。それでも政府は、ジレ・ジョーヌを住民の残りから政治的に孤立させようと、僅かな譲歩を行い、見せかけの論争を始めつつ、前例のない警察の弾圧と法を使った弾圧によって、決起を破壊するためにあらゆることを行ってきた。

 政府は12月1日のデモの後、抗議の起点になった燃料税引き上げの取り消しを公表した。しかしそれは小さすぎ遅すぎた。政府は12月8日のデモの後、「あなたにプレゼントを贈るが、その支払いはあなただ」との全体原則にしたがった公表を行った。プレゼントの資金はすべて税金から当てられる。富裕層や経営者から徴収される資金は一ユーロもない。そしてそのプレゼントとは、「費用を雇用主に課すことがまったくない」、被雇用者に対する最低賃金月額100ユーロ引き上げ、諸企業における年末ボーナス(雇用主がそれを選択すれば)、時間外労働に関する税控除の復活、そして月収2000ユーロ以下の年金生活者に対する、社会保障資金を補助する税の引き上げ取り消しなどだった。それはトリックだが、しかし象徴となる形で、彼らは後退したのだ!……」




アジ連講座報告:3.22小西誠さん講座 / 自衛隊の南西シフト 戦慄の対中国・日米共同作戦の実態

配信:小西講座②3月22日、アジア連帯講座は、小西誠さん(軍事ジャーナリスト)を講師に招き、「自衛隊の南西シフト 戦慄の対中国・日米共同作戦の実態」をテーマに講座を行った。
 

 開催にあたって司会は、「急ピッチで進行している南西諸島への自衛隊配備、新基地建設について、その意図するところがどういうところにあるのか。この自衛隊配備が具体化したのは、2009年の鳩山民主党政権の時だった。防衛省内文書で明らかとなった。2010年、菅政権の時に新防衛大綱で具体化され、与那国島の配備(2016年3月28日開設)を強行した。3月1日には、石垣島で基地建設に向けて旧ジュマールゴルフ場の造成工事着工した。自衛隊配備によって住民の分断、生活が破壊され、さらに基地建設によって赤土が海上に大量に流出し、サンゴが破壊されるということも報告されている。3月27日には宮古島、奄美大島で自衛隊新基地が運用される。車輌、人員が到着している。一連の自衛隊配備、基地建設の意図を正しく把握し、ヤマト・本土で配備反対運動を大きく作り切れていない現状も見据え、現地と結びつきながら少しでも止めることができるか。そのステップとして企画した」と発言。

 小西さんは、現地取材で撮影した220枚の写真をプロジェクターで映し出しながら、①「東シナ海限定戦争」を想定する「島嶼防衛戦」 ②与那国島、石垣島、宮古島、奄美大島、種子島(馬毛島)への自衛隊配備 ③沖縄本島の自衛隊配備 ④日米共同作戦態勢の実態―について提起した。

 最後に司会は、「琉球弧自衛隊配備反対アクションが明日、『石垣島工事着工・宮古島&奄美大島基地運用開始を許さない―自衛隊新基地はあってはならない3.23アクション」を行う。首相官邸前で抗議の声を上げていこう」と呼びかけた。

(Y)


小西誠さんの講演(要旨)

米軍事戦略と自衛隊の南西シフト

 米政府は、2010年QDR(4年ごとの国防計画の見直し)で「統合空海戦闘構想の開発」を打ち出し、エア・シー・バトル(JABC)の統合部隊による中国への縦深攻撃を想定する。つまり、エア・シー・バトルはアメリカによる中国への「対抗的封じ込め戦略」であり、「陸海空・宇宙・サイバー空間における統合作戦」であり、米軍の新冷戦戦略ともいうべきものである。

 そのうえで実際の作戦として策定されたのが、A2/AD戦略(アクセス(接近)阻止/エリア(領域)拒否)であり、実体化したのがオフショア・コントロール戦略だ。ポイントは、①抑止力と信頼性の増大②核エスカレーションの可能性低下③紛争終結の可能性が高まる④平時のコストを低減⑤中国に武器システム最大距離で戦うことを強制⑥米国の海軍力発揮が可能と設定している。つまり、中国軍と米軍の死傷者を少なくし、経済的後退にむけた圧力を行使していくことにある。

 このオフショア・コントロールに基づいて自衛隊に対して「拒否的抑止戦略」(DBD)と「島嶼防衛戦略」を担わせることにある。すでに日米安保共同宣言(1996年)、日米防衛協力のための指針改定(1997年)から新ガイドライン、中国封じ込め政策を軸にした日米安保再編に動き出していた。連動して防衛省・自衛隊は、「統合幕僚監部『日米の[動的防衛協力]』について」(2012年)を策定し、「対中防衛」を軸にした南西シフト態勢を初めて明記する。

 この延長においてトランプ政権は、中国を米国の覇権に挑戦する最大の脅威とみなし、そして、中国とロシアとの『長期的な戦略的競争』に備える体制に転換するという方針を打ち出した。米新軍事戦略下のうえで安倍政権の「インド太平洋戦略」が設計され、対中抑止戦略を米と共同して、その先兵を担うことなのである。それは南西諸島におけるミサイル部隊配備にとどまらず、沖縄本島への水陸機動団一個連隊の配備、在沖米軍基地が自衛隊との共同運営さえも射程にしていた。

 要するに、在沖海兵隊の司令部、戦闘部隊のほとんどは、グアムなどへの移駐を決定しているが、この米海兵隊の穴埋めを狙っているのが、水陸機動団ということだ。このような総戦略のうえで南西諸島シフトと日米共同作戦態勢が現在進行している。このプロセスについて、マスコミや反戦運動の関心が薄いのが現状だ。

 与那国島への自衛隊配備

 2016年3月28日に与那国島に自衛隊が配備された。第303沿岸監視隊160人、空自移動警戒隊約50人。「兵站施設」(巨大弾薬庫)配備の位置づけだが、正式には事前集積拠点という。武器、弾薬などを事前に集積する。

 さらに「情報保全隊(旧調査隊)」と「警務隊」の配備も公表した。大部隊の配備を想定して配備されたといえる。対住民情報などの調査活動は行う。

 しかし、これだけにとどまらずミサイル部隊も配備されるだろう。防衛省文書には、機動展開として配備すると書いている。常駐はしないが、いざとなったら本土から部隊を送るということだ。こういう部隊配備を許したら、どんどん増殖する。与那国は、160人だが、500から1000人へと膨らむだろう。その兆候として、情報公開でわかったが、防衛省は頻繁に現地を訪問し、土地売買、住民対策をしている。

 石垣島への自衛隊配備
 
 自衛隊基地建設に向けて3月1日、旧ジュマールゴルフ場の造成工事を着工した。土地は幸福の科学の市会議員のものだったが、防衛省が買収した。19年度以降、約600人規模の警備部隊と対艦・対空ミサイル部隊を配備予定だ。だが、防衛省の「「機動展開構想概案」では2000人規模の部隊を投入すると明記している。だから当初計画の約600人規模はうそだ。また、石垣島を実際の戦闘現場と想定し、自衛隊の戦力などを検討していたことも分かっている。

 現在のところ基地建設予定地の全体は買収されていない。基地建設反対派の土地がまだ残っている。住宅地、最良の農地がある。石垣空港反対闘争の三四年間の歴史があり、簡単に基地建設が進むとは思わない。
  
 宮古島への自衛隊配備

 自衛隊の南西諸島への配備は、2010年から始まっている。電波傍受施設が建設されていた。これは早い時期から対中国シフトのうえで配備していたと考えられる。2017年には、新型のレーダーが作られた。

 さらに野原(のばる)岳の手前に、航空自衛隊基地が作られた。宮古島に800人規模で警備部隊と対艦・対空ミサイル部隊を配備、ミサイル指揮統制部隊約200人を配備予定だ。

 宮古島の闘いで重要なことは、孤立しながらも大福地区に予定されていた駐屯地を中止に追い込んだ。宮古島は、山がない、川がない平坦な島だ。水はサンゴ礁の地盤の下に溜まる。地下ダムを造り、水をあげて供給している。この水源を守るために中止に追い込んだ。

 基地建設は3月1日に着工されたが、真相は環境アセスメントを逃れるためにあわてて強行着工した、ということだ。

 これは宮古島の住民運動が中心になって沖縄県に20ヘクタール以上の自衛隊基地を環境アセスメントの適用対象にしろと運動して、沖縄県が認めた。その結果、4月1日から沖縄県の20ヘクタール以上の基地建設予定は、環境アセスをやらなければならなくなった。だから自衛隊は、石垣島の基地工事着工した。さらに市城辺保良(ぐすくべぼら)地区の基地予定地を19ヘクタールにせざるをえなかった。

 三月四日には、100台の装甲車をはじめ自衛隊車輌が入ってきた。住民は阻止行動を取り組んだ。さらに、まだ半分もできていないことだ。千代田地区に警備部隊が入ってきたが、ミサイル部隊はまだ入っていない。鉱山跡地の市城辺保良(ぐすくべぼら)に弾薬庫などの配備を発表(2018年秋)し、測量入札を開始している。問題は、ミサイル弾薬庫の近くに住宅地があることだ。こんなところに作るのは今までにないことだ。

 宮古島では少人数でも連日抗議行動を続けている。3月26、27日、抗議が行われる。


 奄美大島への自衛隊配備

 奄美大島に警備部隊と対艦・対空ミサイル部隊を二カ所に計550人規模。また空自の移動警戒隊を約50人などを配備する。最低四箇所の基地建設は、巨大な陸自基地となる。さらに海自の古仁屋港誘致ならび艦艇部隊を配備もねらっている。大熊地区が30ヘクタール、節子地区が28ヘクタールだ。

 宮古と同じ3月1日、夜中に部隊が入ってきた。大熊地区で隊友会などによる歓迎式典が行われた。奄美市全体で歓迎式典が行われたわけではない。ここに弱点もあると考えている。

 住民が情報公開請求して、五本のトンネルと整備工場があることがわかった。弾薬貯蔵庫は、南西シフトに動員されるミサイル弾薬庫となる。

 岩屋防衛大臣は、「日本の守りの最前線は南西地域にあるわけですけれども、安全保障上の観点から言って、現在の移設計画が適切だと考えております」(19年2月)と言った。これは奄美、種子島、南西諸島への機動展開事前集積拠点、兵站拠点として具体的に着手していることの現われだ。

 琉球弧に沿って配備される部隊は、基本的に対艦ミサイル部隊だ。車載式で移動が簡単にみえるが、そんなに簡単に動けない。1個中隊で10数台が動くから動きは鈍い。これを守るために地対空ミサイル部隊が必要となる。これらを守る部隊が警備部隊だ。だから奄美、種子島、馬毛島の部隊は、南西諸島の部隊を先島、八重山の部隊の機動展開拠点として位置づけている。2012年「奄美大島等の薩南諸島の防衛上の意義について」で明らかにしている。要するに機動展開拠点・事前集積拠点・上陸作戦訓練拠点としての奄美大島―種子島(馬毛島)の要塞化だ。

 すでに5年前から演習が行われている。奄美・種子島などでの演習を「鎮西演習」と名付けた生地訓練(市街地戦闘訓練) が行われている。奄美市内は、武装した自衛隊が展開する。民間フェリーをチャーターもしている。有事になれば民間船舶はすべて徴用するつもりだ。海員組合は、戦争動員に反対している。

 種子島(馬毛島)への自衛隊配備

 報道は、政府が馬毛島の買収を決定すると報道している。だが、馬毛島は米軍空母艦載機による陸上空母離着陸訓練(FCLP)施設だと報道しているが、間違いだ。米軍のFCLPは、年間の1カ月も使わない。主力は自衛隊だ。2012年統幕文書で「南西諸島の防衛中継拠点として馬毛島を確保する」と言っている。

 地元の説明資料では、2011年防衛省資料「国を守る」では、馬毛島に上陸訓練・物資集積拠点、FCLP(空母艦載機着陸訓練) にすることを言っている。つまり、主力は自衛隊基地であり、南西シフトの機動展開事前集積拠点という位置づけだ。このことを報道は一切行わない。

 3年前、種子島に全国地対艦ミサイル部隊が集結し、演習を行った。この後、図上演習など軍事演習も行っている。さらに種子島から奄美大島、徳之島、沖永良部島の北琉球―薩南諸島は、自衛隊の南西シフト態勢の、「機動展開拠点」「事前集積拠点」「上陸訓練・演習拠点」また「島嶼戦争の出撃拠点」(馬毛島の航空基地化)という位置づけで急ピッチに推進されつつある。

 こういう状況の中、政府・自衛隊は、徳之島の基地化にまで踏み込もうとしている。住民はオスプレイ反対の取り組みをしているが、地元の一部は自衛隊誘致運動を始めている。さらに十島(としま)村・臥蛇島(がじゃじま)の実弾射爆場(産経・2016年 9月 16日)もねらい、南西諸島全体の軍事化を押し進めている。

 沖縄本島への自衛隊配備

 沖縄本島の自衛隊配備は、2010年で約6300人、16年が8050人。ここ5年で約1750人増、空自で約1210人増に達した。さらに陸自は、第15混成団の旅団への昇格(2010年)し、人員は現在約2200人(1個連隊増強) だ。対艦サイル部隊も配備(18年1月) された。

 空自も第9航空団へ昇格(第83航空隊から第9航空団の新編F15で40機態勢)、早期警戒機E2C、4機を配備した。第60三飛行隊の編成へと至っている。

 これだけではない。17年7月、南西航空混成団から「南西航空方面隊」へ昇格し、1000人以上増員した。 海自・潜水艦部隊も増強し、16隻から22隻態勢となった。護衛艦も47隻から54隻へと増強し、1個護衛隊へと増強した。イージス艦も6隻から8隻態勢となり、同時に沖縄本島に20機の対潜哨戒機(P3C)が配備された。

 ところが自衛隊は、那覇空港しかなく、民間航空機とともに過密状況だ。「空の危険」が増しているにもかかわらず、九州の航空自衛隊も増強態勢に入っている。南九州―沖縄の空自の増強は、日米共同基地化の踏み込みだ。

 新防衛大綱等で「いずも」型護衛艦の空母への改修を決定した。南西シフトの観点から見ると琉球列島弧の島々の航空基地化――要塞化 として位置づけた。新中期防ではF35Bを20機、新防衛大綱で42機(空自編成)へと増強する。空母も2隻から3隻に向けて5年、10年かけて改修していく。

日米共同作戦態勢の実態

 日米共同作戦態勢の現れとして、キャンプ・ハンセンに陸自部隊を配備する予定だ。すでにキャンプ・シュワブ、ハンセン等の米軍基地・訓練場・射爆場など全ての米軍基地が日米共同使用になっている。これも2012年統合幕僚監部「日米の『動的防衛協力』について」で「沖縄本島における恒常的な共同使用にかかわる新たな陸上部隊の配置」 「対中戦略」と南西シフト態勢を策定について明らかしている。

 実際の有事を想定して「統合衛生」という戦時治療態勢=野戦病院づくりも着手している。統合衛生ロードマップには、「島嶼部における治療後送・態勢」を明記した。防衛省「自衛隊病院等在り方検討委員会」報告書では、統合後送態勢構築のために飛行場及び港湾の輸送上の要所 に整備、関東地区の飛行場近傍に病院を整備することも明らかにしている。

 さらに共同作戦態勢の強化として陸自は在日米陸軍司令部(座間)に中央即応集団(18年3月廃止)から、「陸自総隊司令部・日米共同部」を新設している。在日米空軍司令部の横田基地に空自航空総隊司令部も設置している(2012年) 。在日米海軍司令部・第7艦隊司令部と海自護衛艦隊司令部も横須賀に同居している。このように米軍基地を自衛隊が共同使用することは、米軍と自衛隊は一体化するということだ。戦略的プレゼンスとして「中国の海洋権益を阻止する」ことを柱にしている。対中戦略を正面から日米共同戦略とし押し出した。

 琉球列島弧・第1列島線の中に中国軍、中国の経済力を封じ込める体制を作り上げることだ。ただちに戦争になるのではなく、軍事外交、砲艦外交、空母を出して圧力をかける。北朝鮮に対して空母、B1を出して圧力をかけたが、同様の手法で中国に対して行う。

 しかし、当然、中国も軍事的に対応してくる。それで軍拡競争となる。去年九月、中国艦艇と米軍艦艇が東シナ海でぶつかる寸前となった。12メートルで止まった。防衛白書でも言っているように島嶼戦争は、平事から有事へ、シームレスに、切れ目なく発展する。すでにこのように南シナ海、東シナ海で始まっている。こんな緊迫した状況にもかかわらず日中間のホットラインも構築されていない。

 最初は限定すると言っているが、しかしかならず限定できなくなる。段々と規模が大きくなっていく。戦争がエスカレートする。今、日米経済、世界経済の状況からすれば必死に限定せざるをえない。世界恐慌にまで至ってしまうからだ。だが限定戦争が西太平洋における通常型戦争へと拡大する可能性もある。核戦争だってないとは言えない。

 私たちはどうするか。3月26日、宮古島、奄美でアクション行動がある。僕も3月31日に奄美に行く予定です。

(講演要旨、文責編集部)


報告 1.18アジア連帯講座 「反基地運動から見えてきた自衛隊の今」

配信:池田さん講座アジア連帯講座
反自衛隊連続講座①
「反基地運動から見えてきた自衛隊の今」

報告:池田五律さん(戦争に協力しない!させない!練馬アクション)


 アジア連帯講座は、1月18日、文京区民センターで反自衛隊連続講座①「反基地運動から見えてきた自衛隊の今」をテーマに池田五律さん(戦争に協力しない!させない!練馬アクション)を講師に公開講座を行った。

 日米安保体制下、グローバル派兵に向けて自衛隊と基地が大きく変貌しつつある。安倍政権は、2013年に決定した防衛計画の大綱(防衛大綱)を2018年12月に改定した。大綱は、対中国シフトを強め、地上配備型迎撃システム「イージスアショア」やステルス戦闘機F35など高額な武器を米国から購入、さらに宇宙やインターネット空間での能力の強化、離島防衛として長射程の巡航ミサイルの導入などを明記し、自衛隊の敵基地攻撃能力を持つことを軸に再編しようとしている。

 池田五律さんは、自衛隊再編について①朝霞駐屯地と練馬駐屯地について②自
衛隊観閲式から見えてくるもの③東京都防災訓練と自衛隊④地域に溶け込む自衛隊を柱に報告した(発言要旨別掲)。

 さらに新防衛大綱分析、安倍政権の憲法九条改悪の性格と批判を行い、ともに反基地運動の取り組みの強化を呼びかけた。(Y)

 池田五律さん報告(要旨)

 東京北部の反基地運動から見えてきた自衛隊をお話したいと思います。

 朝霞駐屯地は、埼玉県朝霞市、和光市、志木市、東京都練馬、西東京市にまたがる九九七〇〇平方㍍の広大な敷地を持っている。

 朝霞駐屯地では日米合同指揮所演習「ヤマサクラ」が、各方面隊の持ち回りなので五年に一回行われている。日米地位協定の第2条第4項Bで自衛隊施設は、自動的に米軍が使いたい時は、使えるようになっている。朝霞駐屯地の機能が本格的に強化されたのは、東部方面総監部が市ヶ谷から朝霞に移転した1993年以降になる。

 大きな変化としては、去年3月末に陸自総隊司令部が朝霞駐屯地に発足した。自衛隊には、北部(北海道、東北)、東部(関東、甲信越、静岡)、中部(東海三県、北陸、近畿、中四国)、西部(九州・沖縄)方面隊がある。陸上自衛隊の場合は、各方面隊を越えた統一司令部はなかった。それは戦前の陸軍参謀本部の暴走の教訓から陸上自衛隊全体を一元的に動かせるような司令部をつくるのはまずいという判断があった。ところがそれが作られ、一元的に陸上自衛隊を動かせることになった。さらに総隊司令部の下に各方面隊があるだけではなく、総隊直轄部隊がある。宇都宮駐屯地にある中央即応連隊(海外派兵専門部隊)、習志野駐屯地の空挺団、覆面部隊の特殊作戦軍がある。

 木更津駐屯地には、水陸機動団、自衛隊版の海兵隊がある。朝霞駐屯地は、こういう部隊の要の司令部機能を持っている。

 もう一つの朝霞駐屯地の役割は、広報機能。陸上自衛隊広報センターがあり、
「りっくんランド」という無料で遊べる「戦争」ゲームセンターがある。体感できる3Dシアター、ヘリコプターの模型に乗れたりするので子ども連れの人たちがたくん来ている。修学旅行のコース、はとバスのコースにもなっている。

 さらに自衛隊体育学校があり、メダリストをはじめとするアスリートがたくさ
んいる。「アスリートと交流しませんか」とかで、大きな広報の役割をしている。一番すごいのが、戦争賛美の振武館といって付属記念館があります。敗戦を認めないという陸軍予科士官の「血判状」とかの資料が展示されている。

 練馬駐屯地は、2万2419平方メートルの敷地があり、川越街道で朝霞駐屯地と繋がっている。東部方面隊は、南関東を管轄している第1師団で練馬駐屯地に司令部がある。第一師団は、政経中枢を守る役割をになっている。第12旅団は、群馬に拠点を置き、空中機動展開旅団と呼ぶ。ヘリコプター部隊とかと連携しながら首都圏でなにかあった場合、緊急展開する。

●観閲式から見えてくるもの

 観閲式とは、自衛隊の戦力を誇示する大々的な軍事パレードだ。

 米軍などの駐在武官とかが見にくる。同時に米軍が友情参加しており、日米安保の威力を見せつける役割を果たしている。

 観閲式の一週間前、予行演習が行われるが、目撃情報では夜中にゴミ出しに行
ったら、自衛隊の制服部隊がウロウロしていたと報告されている。イラク派兵の時は、東武練馬と平和台の間に練馬駐屯地があるが、駅周辺はもちろんのこと、春日町あたりまで自衛隊員がうろついていたり、学校の屋上にも来たという情報もある。

 練馬駐屯地に対し、4月の第2土曜日に駐屯地祭があって、毎年ビラを撒いている。6月の第1か、第2日曜日にデモをしているが、警察・公安だけではなく、駐屯地の中から自衛隊警務隊が写真を撮りまくっている。

 ビックレスキュー東京2000では石原慎太郎が「三国人の騒擾が予想されるから頑張れ」という差別排外主義発言があり、銀座では自衛隊装甲車を出した。まだ開通していなかった大江戸線の都庁から北回りで自衛隊の部隊進出も行った。ビッグレスキューのスローガンは、「首都を守れ」であり、「都民を守れ」ではなかった。

 自衛隊員とか、その家族にとっては、観閲式は「晴れ」の舞台だ。以前、大泉学園で観閲式反対のビラを撒いていたら、若い女の子がビラを受け取ってくれたが「兄が出るンです」と言っていた。大泉学園は、高級住宅地であり、そこは自衛隊幹部の高級住宅地になる。

 観閲式の前日に、防衛省本庁舎のメモリアルパークで、1年間に亡くなった自衛官の追悼「慰霊」式典が行われる。自衛隊版靖国が市ヶ谷にある。

 警察にとっても観閲式は、テロ対処訓練だ。埼玉県の予算要求書には、観閲式
は東京オリンピックテロ対処訓練という位置づけで要求されている。テロ対処で自衛隊と警察は連携している。

●防災訓練から見えてくるもの

 9月の第1日曜日に東京都総合防災訓練が行われ、環状7号線封鎖訓練をやっている。環7は、政経中枢を維持するうえでの一つの柱だ。防災車輌を優先的に動かす。だから道路を一般車両に使用させない。

 大規模震災、緊急事態が起きたら内側から出てくる人たちを誘導して、検問する。それに紛れてテロリストが逃げたり、攪乱するようなやつは中に入れない。

 防災訓練の時も自衛隊が航空管制を握る。2002年、練馬区の東京都総合防災訓
練ではじめて自衛隊が航空管制を行った。

 ビックレスキューの時は、警察は自衛隊アレルギーを持っていたが、その後、国家安全保障局が設立され、自衛隊、警察が出向し、防災訓練、テロ対処訓練を通して警察と自衛隊の連携が深まっていった。治安出動の時も、自衛隊と警察の協定というものが、2002年ぐらいに新協定が結ばれている。洞爺湖サミットで警察と自衛隊の連携が完成化された。北海道自衛隊駐屯地で機動隊が訓練していた。

 最近の防災訓練では自衛隊は前面に出てこない。2~3年前、上野音楽堂でやったテロ対処訓練でも、化学物質が撒かれたという想定だが、消防とかが中心だった。実践の場で自衛隊は来ないよということを想定した訓練になっている。防災訓練は自衛隊をデモンストレーションする役割がなくなってきている。

 私たちは、去年の東京都防災訓練の前、8月に都に対して質問書を出し、交渉した。それでわかったことだが、都が自衛隊に対してこういう施設で、こういう時間帯で訓練をやりますけど、やりたいことがあったら企画をたててくださいということだった。だから自衛隊は、どこどこの会場だったらこんな訓練ができそうだ、自分たちの都合がいい訓練を企画していたことがわかった。

 この間の防災訓練は、参加している高校生に対する自衛隊へのリクルート活動が中心だ。東京都防災訓練では、とくに中高一貫校が狙われ、動員を要請している。総合学習、ボランティア授業の一環として防災訓練に参加させている。

 ほとんどが見学だが、何人かは自衛隊と一緒に、自衛隊が作った給食を配布したり、その間に「自衛隊に入らない」とかのリクルート、声かけをやりまくっている。

 高校の中には、生徒会活動の一環として防災支援隊が作られたり、大学でも防災ボランティアクラブというサークルができている。田無工業高校では、防災訓練だとして朝霞駐屯地で訓練させている。自衛隊には、防災訓練のプログラムはない。送り込む学校が勝手に位置づけている。防災教育指定校もあり、自衛隊が呼ばれて講演をしたりしている。

 訓練場では、防災と関係ない「PKOで活躍しています」とかの展示をやっている。子どもに自衛隊制服を着せて記念写真とかもやる。抗議したら一時期、後景にしりぞいたが、ほっとくとまたやりだした。

 最近は、自衛隊独自の防災訓練をやっている。2012年に夜間徒歩訓練があった。練馬駐屯地から夜中二人~三人一組で徒歩で偵察で動き、区庁の危機管理室に宿泊したりしながら、進出拠点に行く。次に来るのが通信部隊で通信網を作る。

 板橋区は、危機管理室は自衛隊出身者だ。阪神大震災以降、自衛隊は「危機管
理のエキスパートを自治体に入れませんか」とセールスし、民間企業に対しても同様の手法で自衛隊を送りこんでいる。

 自衛隊が大きな訓練を実施するときは、かつては自治体に事前連絡がきていたが、最近は連絡もない。「騒音がすごい」という苦情が練馬区に入り、あわてて自衛隊に問い合わせて、初めて知るという事態になっている。この自衛隊の姿勢は、小学校、高校などに「基地見学にきませんか」とダイレクトにアプローチしたりもしている。

 少子高齢化で小学校は、自衛隊員の子どもが多い。練馬駐屯地内に居酒屋「はなの舞」がある。隊員を町の飲み屋に行かせないためだ。自衛隊で町起こしはありえない。

 自衛隊友の会などが網の目で作られ、自衛隊出身の議員が増えている。地域一体になっている。選挙では、自衛隊とOBは自民党の集票マシーンにもなっている。

 こういった地域一体構造は、自衛隊イベントとしてのオリンピックを通して強まっていかざるをえない。これら全体構造とどのように構えていくのか、沖縄連帯とともに粘り強く反戦反基地運動を強化していこう。

【2019.1.18アジア連帯講座:反自衛隊連続講座①】反基地運動から見えてきた自衛隊の今

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反基地運動から見えてきた自衛隊の今


 報告:池田五律さん(戦争に協力しない!させない!練馬アクション)

日時:2019年1月18日(金)/午後6時30分
会場:文京区民センター3D会議室
        資料代:500円
主催:アジア連帯講座
  東京都渋谷区初台1-50-4-103 新時代社気付 TEL:03-3372-9401 FAX:03-3372-9402

       ブログ「虹とモンスーン」 http://monsoon.doorblog.jp/ 


 日米安保体制下、グローバル派兵に向けて自衛隊と基地が大きく変貌しつつあります。

安倍政権は、2013年に決定した防衛計画の大綱(防衛大綱)を改定
します(2018.12)。大綱は、日米安保体制下、対中国シフトを強め、地上配備型迎撃システム「イージスアショア」やステルス戦闘機F35など高額な武器を米国から購入、さらに宇宙やインターネット空間での能力の強化、離島防衛と称して長射程の巡航ミサイルの導入などを明記しています。つまり、自衛隊の敵基地攻撃能力を持つことを軸に再編しようとしています。

 講座は、長年、反基地運動と米軍・自衛隊をシャープな切り口で分析、批判し
てきた池田五律さんに自衛隊と基地の現段階、今後の反対運動の取り組みの方向性などを報告していただきます。ぜひ参加を


■2019.3.22アジア連帯講座:反自衛隊連続講座②

自衛隊の南西シフト: 戦慄の対中国・日米共同作戦の実態
小西誠さん(軍事ジャーナリスト)

2019年3月22日(金)午後6時半/都内


報告:反資本主義の共同から21世紀の社会主義へ―第四インターナショナル第17回世界大会決議集発刊講演会

配信:アジ連写真 10月19日、アジア連帯講座は、文京区民センターで公開講座「反資本主義の共同から21世紀の社会主義へ―第四インターナショナル第17回世界大会決議集発刊講演会」を行った。

 2018年2月、第四インターナショナル第17回世界大会(ヨーロッパ)が開催され、
アジア・オセアニア、中東、アフリカ、欧州、南北アメリカの三六カ国の仲間が参加した。論点は、①「資本主義的グローバル化、帝国主義、地政学的カオスとその意味」、②「資本主義による環境破壊とエコ社会主義オルタナティブ」、③「社会的激動、反撃、オルタナティブ」だった。

 世界大会は、新自由主義的グローバル化の危機と、レイシズム、あるいは排外主義的ポピュリズムの広がりの中で、労働者民衆の新たな反撃を組織し、反資本主義的オルタナティブへの水路をいかに切り拓いていくかという問題意識の下に熱心な論議が展開された。つまり、労働運動の不均等発展の中での課題、自己組織化と協同組合、農民の闘い、民主主義・社会的公正を求める運動の位置、社会における失業青年の位置、暴力・レイプ・「フェミニサイド」(女性へのジェノサイド)に反対し女性の権利を守ること、LGBTプラスの闘い、移民の権利を守る闘い、地球温暖化に反対する運動について各国の仲間たちから様々な闘いのうえで報告された。世界大会の論議を決議集としてまとめた。

 講座は、大会に参加した国富建治さん(新時代社)、大道寺毅さん(労働者の力社)から問題提起を受けた。

 国富さんは、「第四インターナショナル第17回世界大会に参加して」というテーマから次のように提起した。

 「私が最初に参加した世界大会は、1991年の第13回世界大会でソ連・東欧ブロックの崩壊と湾岸戦争の開始という情勢だった。続いて2003年、第15回大会は、反グローバリゼーション運動の拡大とイラク戦争下だった。2010年 第16回世界大会は、08年のリーマンショックを受けてオルタグローバリゼーション運動の困難に直面した。さらに、あらためて中心的テーマとして強調されたのは『気候変動』の問題であり、エコ社会主義問題だった」。

 「今回の世界大会は、新しい反資本主義的左翼再編問題、例えば、フランス・NPAをはじめとした左翼再編の困難性についても改めて自覚的にならざるを得ない。同時にアジアでは、フィリピン・IIREマニラ、パキスタンのアワミ労働者党(AWP)の積極的な活動、朝鮮半島(とりわけ韓国との関係)、香港の仲間たちとの関係をいかに豊富化させていくのか、その責任は大きい。アジアの同志たちにとっては、日本に同志たちがいて、活動を継続している という事実そのものが貴重なことなのだろうと思う。そのあたりを意識してわれわれの政治論議を積み重ねよう。とりわけ安倍改憲のタイムスケジュールが煮詰まっていく中で沖縄闘争の政治的意味、天皇代替わり問題、2020年五輪に対して、国際主義をどう貫くかが求められる」。

 大道寺さんは、「総括的感想」を次のように提起した。

 「主に『社会的抵抗』議題の論議において、第一に資本主義の歴史的な限界を底流とした、総体的な深い危機という客観的な現実の捉え方に対する不一致はない。だが、不一致は現実に対する対応の方向性だ。民衆の闘争体制(階級意識の後退、社会主義の否定的認識)に対する政治、その克服と再建のあり方に対する違いがある。討論は極めて活発であり、型にはまった発言ではなく、各々の活動から得ている実感を基礎においた模索がにじみ出ていた。また、その中で制度化への吸収というリスクにどう対処するか、にも明確な問題意識が見られた」。

 「議論の中では、伝統的な改良主義の指導部が総逃亡している状況の中で、各国の同志たちが多様な戦線での民衆的抵抗を組織する重要な部分になっていることが示されていた。その中で新しい型で階級闘争を再建しつつ、それを足場とする世界的な社会主義革命の道筋・経路をどうつかみ取るか、という強い問題意識が広く感じられた。その上で、階級闘争に有益な幅広い政党建設、それを通じた力関係転換に向けた挑戦という任務設定に対する幅広い共有感覚があった。この活動実践での経験を裏付けに、討論を先の戦略的方向の探究に向けてどれだけ具体的に深めていけるかが今後の課題だと思われる」。

 提起を受けて質疑応答、討論を行い、今後も「第四インターナショナル第17回世界大会決議集」や「週刊かけはし」を通して継続討論をしていくことを確認した。

(Y)

 

【案内】10.19アジア連帯講座:公開講座 10.19アジア連帯講座:公開講座 反資本主義の共同から21世紀の社会主義へ ―第四インターナショナル第17回世界大会決議集発刊講演会―

配信:FI7 表紙10.19アジア連帯講座:公開講座

反資本主義の共同から21世紀の社会主義へ

―第四インターナショナル第17回世界大会決議集発刊講演会―


問題提起:国富建治さん(新時代社)、大道寺毅さん(労働者の力社)

日時:10月19日(金)/午後6時30分
会場:文京区民センター3D会議室
        資料代:500円
主催:アジア連帯講座
  東京都渋谷区初台1-50-4-103 新時代社気付 TEL:03-3372-9401 FAX:
03-3372-9402
       ブログ「虹とモンスーン」 http://monsoon.doorblog.jp/

 新自由主義的グローバル化の危機と、レイシズム、あるいは排外主義的ポピュリズムの広がりの中で、労働者民衆の新たな反撃を組織し、反資本主義的オルタナティブへの水路をいかに切り拓いていくか。

 この命題に向けて第四インターナショナル第17回世界大会(ヨーロッパ/18年2月)が開催され、アジア・オセアニア、中東、アフリカ、欧州、南北アメリカの三六カ国の仲間が参加しました。論点は、①「資本主義的グローバル化、帝国主義、地政学的カオスとその意味」、②「資本主義による環境破壊とエコ社会主義オルタナティブ」、③「社会的激動、反撃、オルタナティブ」について設定し、活発に論議されました。

 それは国際的な労働運動・民衆運動の国・地域・産業別に不均等な展開のなかで、社会で生起するすべての問題(戦争、失業、レイシズム、ホモフォビア(同性愛嫌悪)、女性に対する差別、住宅問題、環境破壊など)に立ち向かっていくこと、 すなわちグローバル資本主義システムとの闘いの中からこの「反資本主義的過渡的綱領」への挑戦をどのように創り出していくのかということでした。

 論議を集約した決議集は、労働運動の不均等発展の中での課題、自己組織化と
協同組合、農民の闘い、民主主義・社会的公正を求める運動の位置、社会における失業青年の位置、暴力・レイプ・「フェミニサイド」(女性へのジェノサイド)に反対し女性の権利を守ること、LGBTプラスの闘い、移民の権利を守る闘い、地球温暖化に反対する運動について個々に簡潔にまとめています。

 日本から参加した仲間から問題提起を受け、大会での論議、各決議などを踏ま
え、新たな国内外情勢局面のうえで今後の方向性を探っていくために共に論議を深めていきましょう。

報告 : アジア連帯講座公開講座「アラブ革命の展望を考える『アラブの春』の後の中東はどこへ? ジルベール・アシュカルの提起を受けて」

湯川講座 4月20日、アジア連帯講座は、文京区民センターで「アラブ革命の展望を考える『アラブの春』の後の中東はどこへ? ジルベール・アシュカルの提起を受けて」をテーマに公開講座を行った。

 2011年にチュニジアからはじまり、エジプト、リビア、そしてアラブ全域に一気に広がった「アラブの春」の運動は、イスラム主義勢力ではなく、青年、学生、女性、労働者が中心的な担い手であり、自由と民主主義と社会的要求をかかげ、独裁体制による警察・軍隊を使った残虐な弾圧にもけっして屈することなく抜いた。だが、この民衆反乱は、そのまま発展することなく、「イスラム国」の台頭、シリア内戦の激化に見られるように、中東全体が再びアラブの春以前の状態に舞い戻ってしまったかのようである。
 一体、「アラブの春」はどうなってしまったのか、どこへ行ってしまったのだろうか? 民衆の運動の後退は長期にわたって続くのだろうか? 

 ジルベール・アシュカル(レバノン/アラブ中東問題)は、多くの人々が抱くこの疑問に対して、「アラブ革命の展望を考える」(柘植書房新社)で提起している。アシュカルは言う。「『アラブの春』は挫折し、今日、『アラブの冬』を迎えることとなってしまった。だが、アラブ全域の革命過程は長期にわたる過程であるとみなしていて、現在が揺り戻しの局面に入っているからといって、けっして悲観的な立場には立っていない。長期的展望に立って、革命派の極を強化し
>ていく必要がある」と強調する。

 講座は、本書を翻訳した湯川順夫さんが解説(別掲)の提起を行った。

 国富建治さん(新時代社)は、「『アラブの春』年表」に基づいて、

①2011年1月14日のエジプトで民衆の広場占拠から独裁者ムバラクが大統領辞任(2月11日)
②リビアへの闘いの波及とシリアへの波及(しかし家産国家の付属物としての軍の役割)について
③リビア―NATOに支持されたリビア国民評議会が首都トリポリ制圧(8月)からリビアの独裁者カダフィ殺害(10月)について検証した。

 さらにエジプトにしぼり、
①議会選挙(11月~12月)でムスリム同胞団が第1党になり、2012年7月のエジプト大統領選挙でムスリム同胞団のモルシの当選について
②12月の新憲法を問う国民投票―ムスリム同胞団と軍ならびに大衆との離反の深まり局面
③七月、軍のクーデターによってムスリム同胞団=モルシ体制が転覆され、軍主導のシシ大統領政権が成立する。軍政権=シシ体制の下での新自由主義的開発政策を強行していくプロセスなどを明らかにした。

(Y)

『アラブ革命の展望を考える』を読む   湯川順夫

 ロシア十月革命は、民族自決権を掲げた東方諸民族大会(1920年9月)、全ロシア・ムスリム大会の決議(1917年5月22日)、「女性問題についての大会決議」(5月23日)などにみられるようにロシア・ツァー体制と結びついた土着支配体制の専制と搾取 それからの社会解放の展望をアラブ・中東世界にも影響を与えた。その後のスターリニズム体制下で希望は幻滅へと向かうが影響は残り続ける。

 第2次大戦後、ナセルやバース党に代表されるアラブ民族主義が当初、マルクス主義の勢力に対抗するため急進的路線を取らざるをえなかった。既存の政権は、1980年代以降、共産党、パレスチナ解放人民戦線 イスラム主義ではない潮流に対する恐れからイスラム原理主義による防波堤を建設せざるをえなかった。また、アラブ民族主義に対抗するためにサウジ王国によるイスラム主義勢力への支援が開始される。1973年10月の第4次中東戦争とその後の『石油戦略』、多額のオイルマネーがイスラム主義勢力支援によりいっそう注がれていく。

 このプロセスを私市正年は、『原理主義の終焉か ポスト・イスラム主義論』(山川出版社)で次のように要約している。

 「産油国にはアラブ諸国から敬虔な青年たちが教師や宗教指導者として集まり、多額の賃金を獲得した。都市には失業者や貧困者のスラム街が形成されていたが、国家の福祉政策は遅れ、そこに支援の手を差し伸べたのがモスク建設や慈善活動やイスラム教育などにかかわったイスラム主義者であった。彼らの活動資金は石油の富からもたらされていたのである。こうして都市スラムの住民たちがイスラーム主義者の連帯のネットワークに包み込まれていった」。

 「爆発的な人口の増加により、都市には人口が集中したが、国家はこれに対し大学の定員をふやすことで対応した。しかしそのため教室にはいりきれない学生や、本も買えず授業や試験対策も十分できない学生が急増した。イスラム主義者たちは、こうした学生たちのためにモスクで補習授業をしたり、安い値段で教材を複製コピーしたり、さらには特別のスクールバスを用意して女子学生が安心して登校できるようにもした。これらの活動にも石油の富が使われた。まさしく『石油』イスラムの誕生である」。

 「体制を攻撃したマルクス主義者たちが深刻化する社会矛盾や経済危機に有効な手段を講じられないでいるあいだに、イスラム主義者の勢力が伸長し、1970年代半ばになると、大学や職場でイスラム主義者と世俗的なマルクス主義者とのあいだで主導権争いが激化し、時には暴力的な衝突に発展することもあった」。

 「1980年代にはいると、イスラム主義運動はムスリム諸国全体に広がった。国家中枢における腐敗や汚職の実態が表にでるようになると、ナショナリストの政治指導者はますます専制的になった。またマルクス主義の権威はまったく力を失い、かわってイスラーム主義が政治権力を主張するようになった。イスラミストがとく公正な社会の実現は、宗教的な言説で語られ、具体像が提示されなかったが、腐敗、経済政策の失敗、専制主義、自由の抑圧を痛罵するメッセージ性は未来の理想社会として多くのムスリムを魅了した」。

 その後、1979年のイラン革命を契機にしながら80年代「イスラム主義の勝利」が広がり、支配層にとって「半体制」としての「ムスリム同胞団」の存在意義が示されていくのであった。

 このよう認識を参考にしながらアシュカルはアラブ世界、中東世界を観る視点を次のように提起している。

 ①歴史的に見れば、イスラム主義が一貫して強固に支配続ける「不変の」世界とはみない。歴史上、常にイスラム主義が前面に出続けて来たわけではない。内部が均質的な社会ではない。
 ②世界資本主義体制の中に組み込まれた従属的「周辺」として帝国主義支配下におかれてきたが、パレスチナ解放闘争を軸にしたアラブ民衆の反帝国主義的反シオニズム的結集という共通基盤がある。そのもとでの家産的資本主義下の国家機関、軍隊、経済への一族支配がある。だがそれを反映した内部矛盾と対立が発生し、青年、学生、女性、労働者の闘いが持続している。

 アシュカルは、本書(序章「革命のサイクルと季節」/終章:「アラブの冬」と希望を中心に)でこの構造を「一つの革命、二つの反革命」と規定し、「アラブ/中東世界における3つの勢力のトライアングル」(①イスラム主義勢力②世俗派既存政権③革命派=青年、学生、女性、労働者)を次のように分析している。

 「それは、直接的でない場合でも潜在的に三つ巴の闘争を生み出した。これは、歴史上の大部分の革命的激動におけるような革命と反革命という二項対立ではなくて、一方におけるひとつの革命的極ともう一方における二つの相互に対立し合う反革命陣営との間の三つ巴の対立なのである。後者は、地域の旧体制とそれに対する反動的な対立勢力であって、この二つはともに『アラブの春』という解放を目指す願望に同じく敵対している」。

 「この複雑性を知っていたなら誰であれ、アラブの反乱が短期で平和的なものになるかもしれないなどという幻想をけっして抱かなかったであろう。この地域では、革命的極を組織的に体現するほど十分に強力で、アラブ諸都市の広場で表明された『人民の意思』に沿った社会・政治的変革を政治的に指導する能力をもつ組織的に十分な勢力が存在していない。そうした中では、二つの反革命的陣営の間の二項対立的な衝突が、革命的極を背後に追いやることによって、支配的になってしまった。このようにして作り出された情勢は、危険な可能性をはらんでいた」。

 「『地域の政治的軌跡において、過去数十年間の反動的展開を消し去り、十分に民主主義的な基礎の上に進歩的な社会プログラムを復活させることができるような根本的な変革が起こらないならば、地域全体が野蛮に陥るという危険がある』……はたせるかな、実際には、地域の政治的軌跡の根本的で持続的な転換は起こらなかった。そうした転換は、組織的で断固とした進歩的大衆の指導部が登場した結果としてはじめて生まれ得たからである。そうした中で、『アラブの春』の陶酔感は間もなく、『アラブの冬』とほとんど断定的に呼ばれるようなものの暗黒に飲み込まれてしまった」。

 次にアシュカルは、2013年の中東情勢から一つの転換であったことを明らかにしている。要約すれば①シリア―崩壊寸前だったアサド政権がイランの軍事的支援によって生き延び、反転攻勢へ ②エジプト―同胞団のモルシ政権の打倒、軍部のクーデター、シシ政権の成立 ③イスラム主義勢力の中心的源泉―サウジアラビア。湾岸諸国の首長体制 ④カタール=「ムスリム同胞団」、アメリカのオバマ政権の路線とも合致 ⑤イラン―シーア派=イラクの支配層、レバノンのヒズボラ、湾岸諸国のシーア派 ⑥トルコのエルドアン体制―国内の危機からトルコ民族主義の強化へ→クルド族への軍事的弾圧作戦のエスカレート―などとスケッチすることができる。

 そのうえでアシュカルは、左翼の闘う指針に向けて「左翼にとって同盟とは」と問い、「長期的な戦略的同盟ではなくて、情勢に応じた柔軟で短期的な戦術的統一戦線政治的に独立した勢力として自らを堅持すること」の重要性について掘り下げる。

 例えば、「チュニジアにおけるイスラム主義派(アンナハダ)と旧体制派に対する第三の極が必要」であり、エジプトにおいては、「ムスリム同胞団との同盟は? 対ムバラク闘争の局面とムバラク後の選挙の局面との違い」はどうだったのか。「中東・アラブ世界におけるイラク反戦の大衆運動の組織化するためにイスラム主義潮流とは?」どうするのかについてアプローチし、次のようにまとめている。  「……中心的問題は、自らが宣言する、あるいは真の左翼であればおしなべて宣言すべき価値観に対して、アラブの左翼の主要部分が過去において忠実なままにとどまりつづけることができなかったということである。搾取され、虐げられたすべての人々のために、ありとあらゆる範囲の社会的・民主的闘争に積極的かつ断固として参加する左翼―フェミニスト的価値観や民族解放の価値観を擁護して活動するとともに、宗教に関する民主的な諸権利とともに世俗主義をも大胆に支持する左翼(きちんと理解された世俗主義が第一に擁護すべきなのは、ヒジャブを被らない女性の権利と同じくらいにヒジャブを着用する女性の権利である)―このような左翼だけが、中核となるべきいかなる価値観についても反対の極に立っている勢力との短期的な戦術的同盟を結ぶことができるのである」。

 「左翼は、その時々に純然たる戦術的理由で『ありそうもない仲間』と『共に打つ』―旧政権の勢力に反対してイスラム勢力と協力する、あるいはその逆であっても―のだが、どちらの場合においても、二つの反革命陣営から同じように距離を置いて自身の根本的な道を明らかにすることで、常に『別個に進んで』いくべきなのである。戦術的な同盟は必要な場合には悪魔との間でも結ぶことができる。だが、そうした場合でも悪魔を天使として描くようなことを決してしてはならない。たとえば『ムスリム同胞団』を『改良主義者』と呼んだり、旧体制勢力を『世俗派』と呼んだりして、その深く反動的な本質を表面的に飾り立てることはしてはならないのである」。

つまり闘う指針は、こうだ。「統一したアラブの革命」を展望し、①パレスチナの解放②石油・天然ガス資源の国営化③ユダヤ人やキリスト教徒やクルド人などの宗教的、民族的マイノリティーの権利の尊重、自決権の承認④国家と宗教の分離⑤女性への抑圧の撤廃などの人権と平等の確立、男女の平等、夫婦における権利の平等、未成年者の結婚に禁止、離婚の権利、名誉殺人の禁止⑥言論、結社の自由、労働者の権利、労働組合の権利の確立合⑦王制、首長制の廃止―などを掲げることだ。

 「アラブの春」の運動とは何だったのか。

 酒井啓子は、『9・11後の現代史』(講談社現代新書)の中で「『春』に希望を抱くアラブ知識人のなかには、『今はまだ長い革命の途上なのだ』と主張し、フランス革命やロシア革命など、歴史上の大革命の例を引いて自己弁護する者も少なくない」と評して遠回しでアシュカルを批判する。

 だがアシュカルが強調するのは、「歴史の終焉」=20世紀とともに「革命の時代は終わった」、「資本主義は永遠に続く」と称するブルジョア評論家たちに抗して21世紀になってもいぜん「革命」の潜在的可能性が失われていないことを立証し、21世紀になって新自由主義の下でパンなどの食料品価格の高騰、青年の失業の増大、政権の腐敗、民主主義と自由の欠如に現れる、アラブ・中東世界の矛盾はいっそう深まっている時代認識を捉えきることが重要なのである。

 この視点は、ツァー体制下のロシア1917年2月にも似た情勢という観点から分析すると興味深い。新自由主義の下でのアラブ・中東地域の経済の行き詰まりがあり、近代化とオイルマネーによる教育水準の大幅な向上があるにもかかわらず青年、女性の慢性的な高失業率だ。しかも家産的資本主義の下で、縁故(コネ)がなければ職にありつけない。女性が高学歴の教育を受けられるようになって来たにもかかわらず、差別のために就職口が限られている。このような民衆の鬱積が沸騰点に達していた。チュニジアの反乱は、露天商を営む失業青年の抗議の焼身自殺だったことに現れている。

 革命の観点から掘り下げていくためにトロツキーの提起が参考になる。

 『ロシア革命史』では「革命の最も明白な特徴は、大衆が歴史的事件に直接干渉することである。平時にあっては、……歴史はそれぞれの専門家-君主、大臣、官僚、議会人、 ジャーナリスト-によってつくられる。ところが、旧秩序が大衆にとってもはやたえがたいものとなる決定的瞬間には、大衆は彼らを政治的領域からしめだしている障壁を突き破り、彼の伝統的代表者たちを一掃し、彼ら自身の干渉によって新制度への最初の基礎工事をつくりだすのである」。

 トロツキーの視点を土台すれば、次のように要約することができる。

 「アラブの春」は、もはやたえがたいもののとなっていた旧体制に対して、やむにやまれない形で大衆が決起した。しかし、イスラム主義派は、既存のイスラーム主義政権や世俗派政権に対する具体的なオールターナティブを提示できない。現実の大衆の要求にもとづく社会運動を展開して、既存の政権(世俗派政権にもイスラム主義政権にも)に反対する運動を展開できない。

 民衆は、携帯、スマホという最先端の情報技術を武器に専制体制の検閲と弾圧をかいくぐり、情報を交換し、討論し、独裁打倒へと結集していった―不均等・複合発展の法則を体現していると言える。

 その中心勢力は青年、学生、女性、労働者であり、社会的要求を掲げた。賃上げ、組合活動の自由、女性の権利などだ。イスラム主義的要求は前面にはでなかった。世俗派、イスラム主義、宗教の違いを超えて結集した。

「春」を担った青年、学生、労働者の主体は、パレスチナ民衆のインティファーダへの連帯闘争、官製組合の指導部に抗して自立的な独立労組を求め、賃上げや食料品価格の高騰に反対するストライキ闘争、労働者のストライキを支援する学生の連帯闘争、女性の権利を守る闘いなどを通じて準備されていた。

 民衆の憎悪の的であった警察機構が真っ先に解体し、ひるむことなく決死の覚悟で決起した圧倒的多数の前では、軍隊の兵士は動揺し、分解せざるを得ない。まさにロシア革命と同じだ。

 民衆の決起は、旧国家機関を麻痺・解体し、新しい民衆自身の下からの権力機関を自ら生み出していく。萌芽的に二重権力状態だった。

 この決起によって旧来の国家権力機関は麻痺し、半ば解体状態に陥った。この権力の「空白」に対して、独裁体制を打倒した民衆は、自らの権利を主張し始めた。労働者は独裁体制とつながっていた経営者を追放し、国家と癒着した半官製の労働組合とは別に新たな自立した労働熊井の結成を開始し、賃上げを勝ち取り、非正規雇用の身分を脱して正規雇用の地位を勝ち取りつつある。チュニジア、エジプトなどでは地区では自分たちで地区委員会を結成し、革命の成果を防衛し、自らの社会・経済生活を自分たちで管理し始めた。 既存の国家権力の暴力装置に対しても同様のことが見られた。

トロツキーは言う。

 「群衆は、警官にたいしては、凶暴な憎悪をしめした。彼らは、口笛、石塊、氷の破片をもって、騎馬巡査をおいだした。一方、労働者は全然ちがった態度をもって兵士に接近した。兵営、歩哨、巡邏(じゅんら)兵、および列兵の周囲には、男女労働者があつまって、兵たちと友情的な言葉を交わしていた。これは、ストライキの発展、および労働者と軍隊との個人的結合によって生まれた新しい段階であった。このような段階は、あらゆる革命に必然的にあらわれる」(『ロシア革命史』)。

 こうした事態が「アラブの春」では起こらなかっただろうか? 軍隊による弾圧にもひるまない圧倒的大衆の蜂起の中で、アラブの既存国家の中の軍隊の兵士は動揺しなかっただろうか? リビアではカダフィによって絶望的で残虐な大量虐殺に投入された軍隊は完全に分解し、その一部は反乱する民衆の側に合流した。
 この事態を恐れたチュニジアとエジプトの軍上層部は、軍による大々的な流血の弾圧によって生じる可能性のある軍隊の全面的分解を防ぐために、それまで自らが支えて来たベン・アリとムバラクという独裁者の切り捨てに踏み切った。

 それではロシア革命との違いは何かを見てみよう。ロシア革命は、1905年の革命を経験した労働者の先進層と社会主義政党指導部の存在があったが、「アラブの春」はあくまでも「統一したアラブの革命」の長い革命の過程の始まりであった。

 また強力なこの大衆運動のもうひとつの注目すべき特徴は、イスラム主義が前面にでなかったという点であり、イスラム主義勢力が最初から前面に出てこなかったという点である。それどころか、エジプトのムスリム同胞団は当初、この運動への参加をためらいさえした。また、高揚した運動の中では、宗教、宗派を超えた連帯が見られた。広場におけるムスリム同胞団とキリスト教系のコプト教徒の連帯 対ムバラク独裁体制の闘いが展開された。西はモロッコから東はイエーメン、イランにまでアラブ・中東全域に運動が拡大したことだ。

  アシュカルは、「トランプ政権下のアラブ・中東情勢の現局面」と設定し、アラブ・中東地域における主要勢力の相互関係の構図を予測している。次のように要約しておく。

①アメリカ帝国主義

  ブッシュ時代のイラク軍事侵攻が今日の地域の野蛮状態を生み出した 『野蛮の衝突』(アシュカル著/作品社)。 オバマ政権は、アフガニスタン、イラクの直接的な軍事侵攻の破産の後を受けて地上軍の撤退、クルド勢力を切り札とした介入=地域全体に対してはカタールを通じて間接的介入へ。シリア反政府派に対する積極的支援はしなかった。アサド政権のみがイラン、次いでロシアから一方的に国際的に支援される。その結果、アサド側が優勢になり内戦の力関係の逆転する。反政府勢力の中で、サウジなど湾岸諸国からの軍事的、経済的支援を受けた原理主義派部隊が優位に その一部はヌスラ戦線を経て「イスラム国」へ流れていった。チュニジア・エジプト型の大衆蜂起型の展望の挫折へとつながる。

 こうしてシリア内戦は、シリア人民に依拠した勢力の対立から遊離し、人民に統制されることのない「根無し草」的「傭兵部隊」相互間の無慈悲な戦争に転化。クルド勢力のみが大衆的基盤の上に立っている。
 トランプ政権は、イランを排除したロシアとの合意によるシリア和平 ロシアがイランを見限ることはないのでジレンマに陥っている。オバマにもとで冷却したサウジアラビアとの関係の修復の試みるが、反カタールとエルサレム問題がある。これは地域全体の戦略から導き出されたものではなく、トランプ政権の米国内基盤(シオニスト・ロビー、キリスト教保守派)をつなぎとめるものだ。保守派全体の支持を得られるかどうかは疑問だ。

②ロシア・プーチン政権

 エネルギー資源のみに依存するロシア経済から脱却できない。この危機の中でロシア民族主義にもとづく対外強硬路線、対アメリカ、対EU強硬路線(ウクライナ問題など)を選択している。それはシリアへの直接的軍事的支援をイランと結び、トルコのエルドアン政権への接近、利用へと踏み込んでいる。③イラン 核問題による対外経済関係の悪化のために経済情勢が悪化し、イスラム主義にもとづく国内に対する締め付けに対する民衆の不満が増大している。その圧力の下で支配層内で強硬路線の継続か改革かの路線の対立が発生している。

 中東地域全体に対してサウジアラビアとの間で覇権争いが起きている。シーア派勢力への支援という「口実」でシリアへの積極的な軍事支援し、レバノンのヒズボラの民兵部隊をアサド支援に投入している。

③イラン

 核問題による対外経済関係の悪化のために経済情勢が悪化し、イスラム主義にもとづく国内に対する締め付けに対する民衆の不満が増大している。その圧力の下で支配層内で強硬路線の継続か改革かの路線の対立が発生している。

 中東地域全体に対してサウジアラビアとの間で覇権争いが起きている。シーア派勢力への支援という「口実」でシリアへの積極的な軍事支援し、レバノンのヒズボラの民兵部隊をアサド支援に投入している。

④トルコ

 NATO加盟国であり、地域におけるアメリカ帝国主義の重要な同盟国だ。エルドアン政権の危機は、2015年の総選挙で現れた。公正発展党(AKP)が敗北、過半数を失う。クルド+左翼勢力の連合、極右民族主義派の伸長へ。結果としてトルコ民族主義を前面に出す路線に転換し、クルドに対する戦争を再開する。アメリカのシリア内クルド支援策と衝突し、ロシアに「接近」していく。

⑤カタール

「ムスリム同胞団」を通じた「アラブの春」の勢力の取り込みを行う。イスラム主義だが、「アラブの春」をイスラム主義の水路へと導いていった。オバマ路線とも一致だったが、しかしサウジアラビアと衝突する。

⑥サウジアラビア


 既存の政権の打倒はサウジを含む湾岸諸国の体制の危機につながるから「春」には反対だった。例外は、イランが影響力をもつ既存政権=シリア・アサド政権は打倒の対象だ。地域の覇権をめぐるイランとの対抗が基本路線だ。米軍侵攻後のイラクにおけるシーア派の台頭やシリアのアサド政権へのイランの軍事的支援に危機感を持っている。イエメンの内戦への介入を行っている。

 「アラブの春」の潜在的脅威、地域におけるイランの覇権の強まり、石油収入依存の経済から脱却し得ていない状態が続き、世界的な化石燃料「離れ」などによる危機の深まりがある。「冬」の到来による二つの反革命的陣営の対立が前面に入っている。

⑦リビア

ハフタル(旧カダフィ体制残党)対「ムスリム同胞団」系+原理主義派の内戦状態。


⑧イエメン

 現大統領(サウジの後押し)対前大統領サーレハ派+フーシ派(シーア派の一派)の間の内戦状態にある。

シリア情勢について

 アシュカルの『野蛮の衝突』の第1章を中心にして報告したい。

 当初は、地区委員会の結成などチュニジア、エジプト型の反アサド政権の大衆運動 シリア民衆に依拠した大衆的運動が拡大し、アサド政権、崩壊の危機に直面する。そのことを「今日、シリアの非アサド派地域全体に何百もの地区評議会が存在している。……これらの地区評議会は、市民社会の組織の広範なネットワークによって支えられている。これはシリアにとって、これまでになかった経験である。これこそシリア革命のエッセンスである。地区評議会と市民社会の諸組織のこの組合せは、下からの地区単位の試みの結合である。地区の人々のためにあらゆるリスクをものともしない女性と男性はヒーローである」とまとめている。

 だが、チュニジア、リビア、エジプトの前例、すなわち、ベン・アリ一族、カダフィー一族、ムバラク一家の滅亡から、アサド一族は、「政権を譲っても自分たちが生き残れる未来はない」とする「教訓」を導き出し、最後まで戦うしかない、となった。

 反政府運動が圧倒的な大衆的蜂起に向かうのを回避し、その運動を純軍事的、宗派的な軍事的衝突に持っていった。刑務所から反政府派のスンナ派原理主義派の戦士の釈放される。「イスラム国」との取引が行われた。

 こうして、大衆的デモの人数が減少するにつれて、スンナ派原理主義部隊による「ジハード」的戦闘が前面に出てくる。これはアサド政権の望むところであり、アサドはこれによって無慈悲な軍事作戦をエスカレートすることが可能になった。「テロリストと戦っている」のだという大義名分を得ることができるからだ。

アメリカのオバマ政権の対応についての評価を延べたい。

 イラク、リビアの破綻から直接的な反政府派への軍事的支援が困難になる。

 直接的軍事的支援は、クルドだけに限定した。反政府派全体への直接的な支援は行わない。「アサド政権」との和平という枠組みが基本政策だ。イラク、リビアへの介入の失敗からアメリカが引き出した教訓からだ。既存の国家体制の完全な解体は、新たな支配秩序の再建を著しく困難となり、既存の国家体制を残す。

 窮地に立つアサド政権に対しては、2013年以降、イラン、ロシアが直接的な軍事的支援を行った。

 イランはレバノンのシーア派民兵のヒズボラの部隊を投入した。2013年以降、アサド政権側の反転攻勢によって内戦の形勢逆転が起こる。イランは、当初は「アラブの春」を支持するがシリアにまで波及すると、一転して「アラブの春」に敵対する陣営に移った。

 トルコのエルドアン政権は、アサド政権やイスラム国との戦いではなくて、クルド攻撃が主要動機だった。

 サウジアラビアなどの湾岸諸国は、イランとの対抗もあり、スンナ派原理主義「戦士」を軍事的、経済的に支援した。反政府派の中で原理主義派兵士が主流になるが、その一部は、「イスラム」国に流れた。

 こうしてサウジを中心とする湾岸諸国からの大量の軍事的、経済的支援を得たスンニ派原理主義戦士たちが反政府派の中で優位になる。大衆的基盤を持たないこれらの戦士たちは、アサド政権から民衆を防衛しているというよりも、産油国の豊富な資金に寄生し、民衆から遊離した「傭兵部隊」としての性格を強めていった。

 クルド族は、トルコ、シリア、イラク、イランにまたがって存在している。現時点では、唯一、大衆的基盤を持った反政府派だ。「イスラム国」と本当に戦ったのは、クルド派民兵だ。アメリカの支援を受けるが、トルコ対アメリカ関係の亀裂、トルコの「ロシア」への接近によって困難な局面に入る。

 こうして三つ巴の対立の中で、シリアは、革命派の運動は後景に追いやられ、2つの反動的陣営の対立が前面に出る野蛮の衝突の局面に入る。

 アシュカルは、「春」の後のエジプトについての情勢について、「ムスリム同胞団」支配の破綻からシシのクーデターへのプロセスを分析している。以下、要約して報告する。

 「2011年1月5日に開始された革命の波には、その後まもなく、既成体制に対する反対派の中で主要な反動的構成要素であるムスリム同胞団が参加してきた。進歩的構成要素である左翼とリベラル派は、ムスリム同胞団とはそれまで不安定な協力関係を維持していた。同胞団は革命プロセスの拡大を食い止めようとして、潜在的反革命の選択肢として闘争に加わった」。

 この革命の第一波は、軍による2月11日のクーデターで乗っ取られた。これは、ムスリム同胞団の支持を得て、旧体制を保護しようとする保守的クーデターだった。反革命両派はどちらも1月25日革命の目標に敵対していたが、イスラム原理主義派の影響力が大きくなり、国家支配を求めての最後の一線を越えようとするまでは協力していた。

 一方、革命プロセスは発展を継続させ第二波へと突入していた。その第二波は、とりわけ労働者の闘争が頂点を迎える中に出現し、2013年6月30日に運動がクライマックスに到達する前には現実のものとなっていた。この第二波は、モルシが2013年6月30日に大統領となった瞬間から、反革命的イスラム原理主義を第一の攻撃対象としていたので、革命勢力には再び[腐敗した]反対派の主要な反動的構成要素、すなわち反革命の別の翼、今回は旧体制派が加わってきた。

 革命の第二波は、次の7月3日、反動的クーデターで乗っ取られた。軍が本格的に旧体制を復活し始めるまでにそんなに長くはかからなかった。エジプト革命の絡み合った道筋は完全に一回りした。要するに、それは長期的な革命プロセスにおける最初のサイクルであった。

 この過程でモルシ(ムスリム同胞団)の政権と軍事クーデターによってそれを倒したシシ政権に共通することは、①IMFの構造調整策への無条件の屈伏とその履行(緊縮と赤字財政の解消)②公共労働者への締め付け、物価高騰③労働運動に対する弾圧の強化などだ。

 以上の過程におけるアラブ民族主義派と左翼の連合の戦略の問題点は、二つの反革命陣営に対して第三の戦線を構築しようとする首尾一貫した戦略を追求しようとしなかった。

 2011年11月~12月、同胞団主導の「民主連合」の一員として選挙に(6議席、同胞団125議席)出る。


  その後、ムルシ政権と対立すると、2012年の大統領選挙に第三の陣営として立候補する。


 「フルル(ムバラク残党)でもなく、同胞団でもなく、革命はまだ広場にある」のスローガンが象徴的だ。第1回投票で20.7%を獲得したが、その後、ムバラク派の残党や軍との連合を選択する。だが、第3の戦線の路線を貫徹できずの状態が続いている。

案内 : 【公開講座】「アラブ革命の展望を考える 『アラブの春』の後の中東はどこへ?」

アシュカル本写真4.20 アジア連帯講座:公開講座

「アラブ革命の展望を考える
『アラブの春』の後の中東はどこへ?」


ジルベール・アシュカルの提起を受けて

解説:湯川順夫さん(翻訳家) 
コメント:国富建治さん(新時代社)


日時:4月20日(金)/午後6時30分

会場:文京区民センター2D会議室

        資料代:500円
主催:アジア連帯講座
  東京都渋谷区初台1-50-4-103 新時代社気付 TEL:03-3372-9401 FAX:
03-3372-9402
       ブログ「虹とモンスーン」 http://monsoon.doorblog.jp/

 ジルベール・アシュカル(レバノン/アラブ中東問題)著者の「アラブ革命の展望を考える」(柘植書房新社)が発刊されました。本書を翻訳した湯川さんは、「訳者あとがき」で次のようにまとめています。

 2011年にチュニジアからはじまり、エジプト、リビア、そしてアラブ全域に一気に広がった「アラブの春」の運動は、イスラム主義勢力ではなく、青年、学生、女性、労働者が中心的な担い手であり、自由と民主主義と社会的要求をかかげ、独裁体制による警察・軍隊を使った残虐な弾圧にもけっして屈することなく闘い抜いた。だが、この民衆反乱は、そのまま発展することなく、「イスラム国」の台頭、シリア内戦の激化に見られるように、中東全体が再びアラブの春以前の状態に舞い戻ってしまったかのようである。一体、「アラブの春」はどうなってしまったのか、どこへ行ってしまったのだろうか? 民衆の運動の後退は長期にわたって続くのだろうか? 多くの人々が抱くこの疑問に対して、アシュカルは、本書においてその解明を試みている。

 アシュカルは言う。「アラブの春」は挫折し、今日、「アラブの冬」を迎えることとなってしまった。だが、アラブ全域の革命過程は長期にわたる過程であるとみなしていて、現在が揺り戻しの局面に入っているからといって、けっして悲観的な立場には立っていない。長期的展望に立って、革命派の極を強化していく必要がある、としているのである。

 講座では湯川さんの解説、国富さんのコメントを参考にしながら、本書をいか

に読み、今後のアラブを展望するのかを論議しましょう。

報告:11.4シンポジウム 世界を揺るがした100年間~世界史からみたロシア革命

PB040244 11月4日、「シンポジウム 世界を揺るがした100年間~世界史からみたロシア革命」を亀戸文化センターで行った。主催は実行委、共催がトロツキー研究所、アジア連帯講座、東アジア研究会。参加者は83人。

 1917年のロシア10月革命から100年。この史上初の社会主義革命は、労働者の権利獲得、民族自決、男女同権、反戦平和などを実現した。その後のスターリニスト的歪曲にもかかわらず、一〇〇年ものあいだ世界を揺るがせ続けてきた。いま改めてロシア革命を世界史の中に位置づけるとともに、ヨーロッパとアジアに及ぼしたその影響を振り返った。

 開会あいさつが山本大さん(トロツキー研究所)から行われ、「1989年のベルリンの壁崩壊に始まった東欧民主革命は、ソ連の影響下にあった東ヨーロッパ全体に及び、1992年、共産党の独裁下にあったソ連も崩壊した。こうした一連の事態からロシア革命と社会主義の歴史は一党独裁の負の歴史であるとして否定的に捉え、またヒトラーやムッソリーニの全体主義と並べて、スターリンによる独裁を左右の全体主義として歴史の闇に葬ろうとしている。シンポジウムは、こうした流れに抗し、また、ロシア革命とその後の歩み全体を賛美して、肯定的に総括しようとするものとも無縁だ。世界初のプロレタリア社会主義革命であり、永続革命として行われたロシア革命を世界史の中で検証していきたいと考えて企画した」と発言し、シンポジウムの討論の方向性を示した。

報告─森田成也さん

 森田成也さん(大学非常勤講師)は、「世界革命としてのロシア革命――ヨーロッパ、ロシア、アジア」をテーマに以下のように報告した。

 「ロシア革命の成立条件の国際的文脈と国際性」について、「その国内的諸条件として歴史的後発性、不均等複合発展の産物としてのロシア社会の特殊性、ブルジョア民主主義的課題の歴史的先送り、ブルジョアジーの反動化、労働者階級の発達とヘゲモニー、同盟者としての農民階級の革命性、都市のヘゲモニーがあり、これらがすべて合わさって典型的な永続革命的軌道をたどった。また世界大戦と帝国主義の最も弱い環としての国際的条件が存在していた」。

 「思想的諸条件としてはマルクス主義の国際性、多民族国家ロシアにおける少数民族の革命性(とくにラトビア人、ユダヤ人、 ポーランド人) があり、最終的勝利の条件としてヨーロッパ革命を展望していた。しかし第一次大戦後のヨーロッパへの波及と挫折(ドイツ、 オーストリア、イタリア、ハンガリー、等) によってロシア革命が完結しうる国際的条件の強制的停止とスターリニズムへの軌道の開始となった。また、ロシア革命はアジアへの巨大なインパクトを与え、第二次中国革命の高揚を作り出したが挫折の道を辿った」。

 「ロシア革命の世界史的位置づけと世界史的意義」について、「ロシア革命は、欧米周辺国および植民地諸国に下からの近代化、民主主義化の過程を可能としたこと(それは勝利の軌道を描いた場合には社会主義革命と必然的に結合する)と、欧米社会それ自身に社会主義的要素を大なり小なり取りこむことを余儀なくさせた(福祉国家化)。ロシア革命は、社会的平等(労働者・農民の権利、女性・少数民族・同性愛者の権利、植民地解放と民族自決権)を重視する現代社会の基礎をつくり出した。逆説的なことに、ソ連東欧の崩壊は資本主義世界システムの進歩的生命力の終焉をも意味した」と指摘した。

 さらに森田さんは、「『永続革命の時代』終焉後の21世紀はいかなる時代になるのか?」と問いかけ、「理論的推論」として「世界の資本主義化の完了と世界資本主義の危機の深化を前提にして、世界、とくに先進資本主義国を(再度)中心とした『反資本主義革命の時代』(21世紀) だ。つまり、社会主義的意識・展望の大幅な後退と、資本主義それ自身の危機・行き詰まりの深化という歴史的矛盾があり、21世紀が本当に『反資本主義革命の時代』になるかどうかは、今後の展開と主体的努力しだい。 未来はいい意味でも悪い意味でも決定されていない」と集約した。

報告─中村勝己さん

 中村勝己さん(大学非常勤講師)は、「ヨーロッパから見たロシア革命」をテーマに報告した。

 「はじめに」では、「ロシア革命はレーニン、トロツキーらが唱える『プロレタリアートの独裁』を実現したものとみなされ、これをめぐり彼らボリシェヴィキのリーダーたちとヨーロッパのマルクス主義者たちが論争を繰り広げた。カール・カウツキー(1854~1938)、ローザ・ルクセンブルク(1871~1919)らである。いずれも革命のあり方およびその後の社会の運営の原理として『プロレタリア独裁』を認めるが、その内容がかなり異なるところが興味深い。論争の際の論点はたくさんあったが、今回はあえて『社会主義革命と自由主義、民主主義は両立するのか? 例えばロシア革命で憲法制定議会を解散させたことは正しかったか?』をめぐる論争に絞って見てみることにする」と中村さんの問題意識を提起した。

 そのうえで「ロシア革命論争」として

①カウツキー『プロレタリアートの独裁』における「公開性と多元性」

②レーニンのプロレタリアートの独裁論

③ローザ・ルクセンブルクの『ロシア革命論』に見る「民主主義と自由」を比較分析し、「ローザの独裁批判は、カウツキーとは異なり民衆の自由を拡大するものとしてロシア革命を肯定的に捉えている。しかしまた、カウツキーとローザの独裁批判にはある種の共通点も見てとれる。それは、民主主義(人民主権)には多元性(複数性)を保障する論理が必要だという視点である。西欧で多元性を重視したのは自由主義の伝統である。自由主義の視点をカウツキーは明示的に、ローザは暗黙の形で前提としている。そして彼らの批判は、レーニン死去後、スターリン独裁体制の成立により裏づけられたともいえる」ことを明らかにした。

 次に中村さんは、「 グラムシとロシア革命――『資本論』に反する革命」について提起し、「グラムシは、ロシアにおける資本主義発展の遅れを取り戻す力がボリシェヴェキの主体的な行動にかかっていると考えていた。これは、カウツキーの客観主義的=待機主義的なロシア革命理解への批判にもなっている。これを指して多くの研究者たちが「初期グラムシの主意主義(主体性中心主義)」と呼んでいた。青年時代のグラムシがこうした強い主意主義的傾向をもってロシア革命の意味を解釈したことの背景には、当時のマルクス主義の主流派が社会進化論的、実証主義的な傾向を示していたのに対して、そうした実証主義への「反逆」として新たな思想潮流が登場しつつあり、それにグラムシが影響を受けていたことが挙げられる」と分析した。

 さらに「グラムシ『獄中ノート』における省察――機動戦から陣地戦への転換」では、「トロツキーが唱えた『永続革命論』とは、ロシアのような後進資本主義国における革命は、大都市の労働者階級(プロレタリアート)の主導による自由と民主主義を求める革命(ブルジョア革命)をもって始まり、そのまま中断することなく、社会主義革命へと連続していかざるをえないこと、また、その革命は先進資本主義諸国の社会主義革命へと連続的に波及し、その援助を受けることを必要とすることなどを骨子とする。グラムシは、この永続革命論に陣地戦論を対置し、西欧の革命を可能とする条件を考察する」と評価した。

 そして、「グラムシは、市民社会における知識人の役割、アメリカニズム(フォーディズム)の導入による労働と生活の規範の規律化、政党としてのメディアの役割、社会運動におけるサバルタン(従属的諸集団)の自立の過程、〈現代の君主〉としての政党の役割などのテーマを掘り下げていく。その際に注目されるのはつねに〈ヘゲモニー〉というミクロな権力作用である。物理的な強制力とは別の精神的、文化的、道徳的などの影響力がいかに国家権力による支配を支えているか、民衆はいかにそこから自立するのかが注目されている。このように獄中期グラムシの主要な関心は、ロシア革命の再審よりも来たるべき西欧革命の方向性を探ることにあったと言えるだろう」と語った。

 また「来たるべき革命は、機動戦か陣地戦か、情報戦か空間占拠戦か、といった戦術レベルでの議論をする前に、そもそも私たちが目指すべき社会とはどのような社会なのかという戦略レベルでの議論をしないと、ロシア革命を参照点とする左翼は21世紀の遠くない将来に消滅するだろう。そうならないための議論を、ロシア革命100年に際しても継続することが必要だと私は考える」と問題提起した。

 2人の報告に対して湯川順夫さん(トロツキー研究所)は、「複数制と民主主義」の論点についてダニエル・ベンサイドの「21世紀マルクス主義の模索」を紹介しながらコメントし、論議の深化を呼びかけた。

報告─江田憲治さん

 江田憲治さん(京都大学教授、中国現代政治思想史、中国共産党史)は、「ロシア革命論の継承─中国・陳独秀の場合」をテーマにして、「ロシア革命における革命理論が中国でどのように継承されたのか、この問題を、中国共産党の創立者にして初期指導者(1921~27年)、そして中国トロツキー派の指導者(の1人)であった陳独秀について検証しようというのが、本報告のねらいである」と述べた。

 そのうえで①はじめに─陳独秀と中国革命②陳独秀=「2回革命論者」説の検討③中国トロツキー派の成立と「永続革命」論争についての分析を報告した。

 さらに④「陳独秀における民主主義と社会主義」について、次のように指摘した。

 「陳独秀がロシア革命の革命論から継承していたのが、民主主義についての議論である。トロツキストとしての彼の場合、民主主義闘争から社会主義革命達成、民主主義と社会主義との併存を説き続けていたことは確かである。陳独秀は『われわれの現段階での政治闘争の戦術問題』では、民主主義そのものをブルジョアジーの専売特許とは見なさなかった」。

 「プロレタリアートは、何の遠慮会釈もなくブルジョアジーのこの切っ先鋭い道具(民主主義)を借用して、ブルジョアジーに対抗するべきなのだと言っている。さらに『ブルジョア民主主義の視点は、プロレタリア民主主義の起点につながる』と述べ、両者の同質性を指摘し、さらに『徹底した民主主義の国民会議の実現要求を通して行われる武装暴動で、プロレタリアの政権を実現し、同時に徹底した民主主義の国民会議を実現する。これがわれわれの観点である』と結論づけている」。

 「陳独秀のこうした論点は、陳独秀が獄中からトロツキー派の機関誌に掲載させた『プロレタリアートと民主主義』(『火花』1936年3月)でも、そしてまた『陳独秀最後の論文と書信』(1948年)に収録された彼のトロツキー派宛ての書簡(1940年)や、『私の根本意見』(1940年)で、より明確なかたちで(後者ではボルシェヴィキのプロレタリア独裁に対する糾弾を含みながら)、提起されることになる」と重要な示唆をしていることを強調した。

 江田報告に対して長堀祐造さん(慶應義塾大学教授、中国近現代文学─魯迅及びその周辺)は、「中国トロツキスト回想録―中国革命の再発掘  王凡西」(1979年) や「陳独秀文集」(2016年)を紹介し、「中国革命と陳独秀」の歴史的意義についてコメントした。

 質疑応答と討論を行い、最後に国富建治さん(アジア連帯講座)から閉会あいさつが行われ、「ソ連邦の崩壊という現実からロシア革命の歴史的意味を否定的に解釈するのではなく、その過程でのさまざまな可能性をつかみとり、今日の現実作業と重なりあわせて対象化する作業を今後も続けていこう」と集約した。


(Y)

報告:連続講座「永続革命としてのロシア革命――マルクス・エンゲルスからトロツキー・グラムシまで」

第二回講座写真第二回「マルクス・エンゲルスのロシア革命論の変遷」

 八月一八日、文京区民センターでトロツキー研究所とアジア連帯講座の共催で森田成也さん(大学非常勤講師)を講師に連続講座「永続革命としてのロシア革命――マルクス・エンゲルスからトロツキー・グラムシまで」の第二回目が「マルクス・エンゲルスのロシア革命論の変遷」をテーマに行われた。

 森田さんの提起の柱は、「1、マルクス、エンゲルスのロシア論、ロシア革命論の基本的特徴」、「2、1850~60年代マルクスとエンゲルスのロシア像、ロシア革命像」、「3、ロシア・ナロードニズムの生成とマルクス・エンゲルスとの対立」、「4、マルクス・エンゲルスのロシア論の転換Ⅰ――過渡期」、「5、マルクス・エンゲルスのロシア論の転換Ⅱ――第1の転換」、「6、マルクス・エンゲルスのロシア論の転換Ⅲ――第2の転換」、「7、マルクスの最後の見解――ザスーリチへの手紙と『共産党宣言』ロシア語版序文」、「8、マルクス死後のエンゲルスのロシア論、ロシア革命論Ⅰ――前半」、「9、マルクス死後のエンゲルスのロシア論、ロシア革命論Ⅱ――後半」であった。

 提起内容の一部要旨を以下紹介する。

(Y)



森田さんの提起(一部要旨)

 マルクス、エンゲルスのロシア論、ロシア革命論の基本的特徴

 
 マルクスとエンゲルスは基本的に、初期の、ロシアにまだほとんど資本主義が存在しなかったころの印象が非常に強く支配されていて、ロシアの労働者階級が革命の主体であるという点が抜け落ちたままロシア革命の展望を論じるという基本的弱点が存在した。

 そこにはオリエンタリズムという問題がある。それは彼らのロシア論に先鋭な形で示された。たとえば二人は一八四〇~五〇年代には、資本主義は世界システムであり、その文脈で革命を考えるべきだと主張し、『共産主義の原理』や『共産党宣言』でもそのような展望に基づいていた。『宣言』の最後の文句は「万国の労働者団結せよ!」だった。しかし両名の頭の中では、「万国」と言ってもだいたい西ヨーロッパと北アメリカに制限されていて、とくにイギリス、フランス、ドイツだった。なぜこの三国かというと、この三国の言語を彼らは縦横に使うことができたし、実際にこの三国に時期が違うけども暮らしていたし、自分の友人や知人も家族も、この三国のいずれかにいた。この三国に対しては、かなり権威を持って語れるし、それは大いに参考になるものだが、この三国を離れるやいなや、具体的に語ることはたちまちできなくなる。

 これは非難しているのではなく、ある意味当然のことだ。自分の知らない国・地域について具体的に分析してその国の正しい革命路線を確立することなどできるわけがない。だからマルクスのロシア論、ロシア革命論を金科玉条にするのはきわめて危険だということになる。

  ロシア論の第一の転換
  
 基本的に一八四〇年代末から一八五〇年代前半にかけて、マルクス・エンゲルスにとって、ロシアはヨーロッパにおける反動の防波堤であり、反革命の牙城だった。それは一八四八年革命におけるロシア軍の反革命的役割によってはっきりと証明されており、両名とも、ヨーロッパ革命のためにはロシアと戦争しなければならないとさえ考えていた。それに対してポーランドはヨーロッパ革命の前衛とみなされ、民主主義的ポーランドの再興こそ、反動の牙城ロシアから革命ヨーロッパを守る防波堤になるとみなされていた。

 ところが、このような状況は一八五〇年代に変わり始める。まず、これまで無敵で不敗の軍隊だったはずのロシア軍がクリミア戦争で敗北した。ロシアの支配層は、今までのような旧態依然とした農奴制国家であるかぎり、ヨーロッパの文明化し産業化した国には勝てないと痛感した。そこで上からの産業化と農奴解放という「大改革」が始まる。マルクスとエンゲルスはすでに一八五〇年代末ごろから、ロシアが一枚岩の反動国家ではなくなりつつあること、農奴解放をきっかけとして革命的動きが内部から起こりつつあることに注目した。たとえばマルクスはエンゲルスへの手紙の中で(一八五九年一二月一三日)、「次の革命ではロシアもいっしょに革命を起してもらいたいものだ」と言っている。その後、マルクスとエンゲルスは繰り返し、今度はロシアがヨーロッパ革命の口火を切る可能性について語るようになる。反動の牙城から革命の前衛へとロシアの位置づけが変わったわけだ。

  ロシア論の第二の転換
  
 その後、さらに、一八七〇年代になってから第二の転換が生じる。当初、マルクスもエンゲルスも、ロシアの農村共同体が未来の社会主義・共産主義の基盤になるというゲルツェンやバクーニンの考え(これは基本的にナロードニズムと呼ばれるロシア土着の社会主義思想の基礎となった)をばかにしていた。なぜならそれは明らかに史的唯物論の原則に反するし、農民にそんなことを行なう力量などないことは明らかだったからである。

 ところが、マルクスが一八六七年に『資本論』初版を出版すると事態が大きく変わり始める。ロシアのペテルブルクから突然一通の手紙がマルクスのもとに届く。『資本論』のロシア語版を準備しているというのだ。筆者はダニエリソンという若者で、当時はまだ外国語が出されていなかったのだから、これは驚くべき反響だった。マルクスは、当時の手紙の中で、これまでずっと自分の敵であったロシア人からこのような手紙が来たことについて驚きをこめて報告している。これをきっかけにして、マルクスとロシア人急進派との交流が始まる。その後、マルクスはダニエリソンを通じて『ロシアにおける労働者階級の状態』を読んだり、チェルヌイシェフスキーの著作を読んだり、農村共同体に関するさまざまな資料や研究書を読み漁るようになる。ロシア語もすぐに上達し、すらすら読めるようになる。

 こうした研究を通じて、マルクスはしだいに、ロシア・ナロードニキの共同体論がけっして荒唐無稽なものではなく、考慮に値する議論だと考えるようになる。エンゲルスは当初はマルクスのこの転換についていっていなかったが、やがてマルクスに影響されて、同じような認識を持つようになる(ただしマルクスのほうがよりナロードニキへのシンパシーが強かった)。

 さらに、この転換に続いて、革命の手段・方法に関しても大きな転換が両名に訪れる。一八七八年にロシアで「土地と自由」という名前の革命的ナロードニキの結社が成立し、これがやがてツァーリを倒すためにテロリズムを組織方針として採用するようになり、これをめぐって組織が分裂し、組織的テロを主張する人民の意志派と、それを否定してこれまでのナロードニキの立場を維持しようとする「黒い割替」派が成立する。後者の組織には、後にロシア・マルクス主義の創始者となるプレハーノフやザスーリチが含まれていた。

 マルクスとエンゲルスは当時、このテロリズム活動に共感を示し、これによってツァーリズムが倒れれば、ヨーロッパ革命への合図になるだろうとみなすようになった。そして実際に一八八一年三月に人民の意志派はツァーリ殺害に成功し、両名ともそれを支持したのだが、実際にはこの結果、「人民の意志」派は徹底的な弾圧を受け、壊滅の道へと突き進むことになる。

 こうして、マルクスとエンゲルスは、農村共同体の意義についても、革命の方法についても、基本的にナロードニキの立場を受け入れることになる。これは、「労働者階級の解放は労働者階級自身の事業である」というマルクス主義の根本的理念からするとちょっと信じがたい転換だが、マルクスは基本的にこの路線を死ぬまで堅持する。農村共同体に関しては、マルクスの最後の見解が、有名なザスーリチへの手紙の草稿と『共産党宣言』ロシア語版への序文に示されている。ザスーリチへの手紙の草稿は、マルクスが生前に書いたほとんど最後のまとまった文章だが、草稿段階では相当詳しく農村共同体についてナロードニキ的見解が語られていたのだが、実際にザスーリチに出した手紙ではかなり短縮され、かなりそっけないものになっている。この変化の理由についてはいろいろと憶測されているが、この点については中身をより深く検討する次回の課題にしておこう。

 また、両名の連名で発表されたが実際にはエンゲルスが書いた『共産党宣言』一八八二年ロシア語版序文では、ロシア革命がヨーロッパ革命と相互に補い合うならばという条件付で、ロシアの農村共同体が未来の社会主義のための基礎になりうることが明言されている。ヨーロッパ革命という条件を入れたことは、史的唯物論の原則からの根本的離脱をかろうじて回避するものであり、エンゲルスのイニシアチブによるものであろう。いずれにせよ、晩年のマルクスの理論がきわめてナロードニキ的なものであったことは間違いない。

  マルクス死後のエンゲルスのロシア革命論
  
 エンゲルスはマルクスが一八八三年に亡くなってからもさらに一二年長生きした。その間にロシアでは資本主義がきわめて精力的に発展し、労働者階級が成長し始め、農村共同体の解体は不可逆的に進行することになる。エンゲルスはこの過程にそれなりに注目していて、しだいに農村共同体の社会主義的意義について懐疑的になっていった。さらにその間に、ロシアでマルクス主義者の組織が新たに生まれ、それがナロードニキと激しい論戦を行なうようになる。こうした中で、エンゲルスの見解はしだいに晩年のマルクスの見解から離れ、ロシア・マルクス主義の見地へと接近していくことになる。

 まずもって、マルクスとエンゲルスが期待したような早期のロシア・ブルジョア革命は起こらなかったし、革命の起爆剤になると考えたテロリズムも、ツァーリ暗殺に成功しながら、組織は壊滅状態になった。それに拍車をかけたのは、一八八八年に「人民の意志」派の最高幹部だったチホミーロフが転向し、革命を放棄するに至ったことだ。これでテロリズム路線は完全に破産し、一握りのインテリによるテロリズムでは革命が不可能であることが明らかとなった。

 さらに、ロシアの農村共同体に希望を託す発想についても、ロシアの社会的現実の具体的な分析に基づいてナロードニズムに対する全面的な批判を展開したプレハーノフやザスーリチらの影響を受けて、しだいにエンゲルスの中で克服されていく。晩年のエンゲルスがプレハーノフに宛てた手紙などを見ると、今なおナロードニズム的展望にこだわるダニエリソンに対するかなり辛らつな発言が見られる。和田春樹氏はこのような発言を、エンゲルスが文通相手に配慮したものにすぎないと言って過小評価しているが、それはかなり苦しい説明だろう。

 では結局、ロシアの農村共同体の運命についてどう考えればいいのか? 実はこれは問題の本質ではない。決定的なのは、ロシアにおけるブルジョア革命の主体を握るのはどの階級なのかであり、それが労働者階級であれば、革命の勝利は必然的に社会主義革命へと連続していかざるをえない。そして、このような革命が勝利した時点で、農村共同体がまだ残っていれば、それを今さら解体する必要はなくて、それを積極的に生かせばいいのである。実際のところどうだったかというと、一九一七年一〇月の時点でも、農村にはかなり共同体が残っていたし、地主の土地を収奪した農民たちはそれを自分たちの農村共同体のあいだで分配するという行動を取った。だが、それが農村の社会主義化にとって本当に有利だったかどうかはまた別問題である。なぜなら、共同体の共同所有になったとしても、土地の占有と用益は個人的なものだったからだ。この土地の個人的占有こそ、農業の集団化にとって非常に重大な障害となったからである。

報告:アジア連帯講座 「新しい『Xデー』に立ち向かおう 天皇『生前退位』問題をめぐって」

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報告:アジア連帯講座 「新しい『Xデー』に立ち向かおう 天皇『生前退位』問題をめぐって」

 

 624日、アジア連帯講座は、都内で「新しい『Xデー』に立ち向かおう 天皇『生前退位』問題をめぐって」をテーマに国富建治さん(新時代社)を講師に招き講座を行った。

 69日、参議院本会議で天皇制延命強化に向けた「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案」が可決され、成立した。自民、公明、維新、民進、共産、社民党は賛成し、皇室典範改正を主張する自由党は棄権した。実質的に天皇翼賛国会状態だ。また、昨年1120日、吉祥寺の「天皇制いらないデモ」に対して国家権力と天皇主義右翼が一体となって攻撃してきた。与野党の「退位容認」「天皇制維持」を批判し、国家権力と天皇主義右翼が一体となった反天皇制運動破壊をはねかえす闘いを強化していく必要がある。

 すでに安倍首相は、天皇代替わり、東京五輪開催を契機に2020年を改憲達成の年と設定している。天皇賛美挙国一致を煽りながらグローバル派兵国家建設を押し進めようとしている。

 国富さんにこの間の天皇制問題の評価・整理、自粛を強制した「昭和Xデー」と「平成Xデー」の違いを分析し、今後の指針を共有化していく論議を行った。

(Y)

 

■国富建治さん(新時代社)の提起

 

 昨年八月に天皇の生前退位のビデオメッセージが放映されたが、反天皇制運動の仲間たちは一種の「玉音放送」のようだと揶揄していた。だが、この問題は、今までの皇室典範に書かれていないような生前退位という形をとった天皇の代替わりへの踏み込みであった。さらにどのように法律的に実施していくのかをめぐって非常に大きな対立が、とりわけ保守派の陣営、天皇主義者の中で非和解的な形で進んでいった。

 6月に生前退位の特例法法案が成立した。実質上、天皇の意思がそのまま法律に反映される法律が成立した。来年の末には、現在の明仁天皇は退位すると言われている。201812月に退位して、最終的に確定はしていないが、おそらく2019年に新しい元号と代替わりが行われる。これらのプロセスをどのように考えたらいいのか。

 

 1、新しい天皇はXデー

 

 以前の天皇Xデーは、どうだったろうか。19891月に昭和天皇が亡くなった。

実質上、889月に下血問題があって、それ以降、889月から891月までにかけて、日本はお祭りなどが中止になったり、自粛ムードになり、毎日毎日、天皇の病状が報道された。人々は「ご記帳」に行くとか、天皇の病状の回復を願うキャンペーンが展開された。

 今回の新しい天皇Xデーは、昭和Xデーと大きな違いがある。昭和天皇は第二次世界大戦の戦犯であり、侵略戦争の最高責任者だった。そんな裕仁が亡くなったことへの国民的な自粛と追悼が行われることに対して、大きな反発が広がっていった。

 最も典型的なことは、長崎の本島市長が昭和天皇の戦争責任について言及して、右翼にピストルで撃たれた。また、昭和Xデーに抗議し、天皇制に反対する人々に対する監視・弾圧が空前の規模で強行される事態が進んでいった。

 第二次世界大戦を経験した人々にとって、昭和天皇は侵略戦争に大きな責任があり、忘れられない事態であった。いくら戦後日本の平和の象徴となっても、彼は大日本帝国の最高責任者だ。そのことに対する批判は、絶対にぬぐいされないものであった。

 当時、日本共産党は、昭和天皇の戦争責任を原則的に追及するキャンペーンを行っていた。最高指導者だった宮本顕治は、天皇の名の下に行われた治安維持法で12年間獄中に囚われていた。天皇制の弾圧、戦争責任を強く実感している世代は、日本共産党の中では、かなりの層として存在していた。

 ところが平成Xデーには、特殊な状況がある。今の明仁天皇は、終戦の年にはまだ小学生だった。美智子妃との「ご成婚」も含めて、国民的人気が意識的に煽り立てられて、象徴天皇としての役割を果たしてきた。

 天皇自身が自然災害、被災地に積極的に入り、被災者を励ますとかの行動を意識的に行ってきた。昭和天皇と違って、明仁天皇に対する国民的な批判、あるいは反発が、私たちのように天皇制は民主主義に敵対する制度であると、はっきり言う人以外にはあまり見られない。

 天皇が生前退位をビデオでメッセージを810日に流した時、78割ぐらいが「天皇様、ご苦労さまでした。生前退位していただきます」という雰囲気が非常に強かった。はっきり意識的に天皇の生前退位に反対だと言ったのは、最も極右的な天皇主義者だった。それ以外はなかった。

 もちろん反天皇制運動を取り組んできた少数の人々は、天皇自身の意志によって新しい法律が作られ、実現されていくことは、天皇の政治的行為であり、憲法に違反すると批判した。

 日本国憲法の下では、第1条では「天皇は国政に関する権能を有しない」と言っている。「天皇は、日本国ならびに日本国民の統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意にもとづく」と書いてある。天皇は、いかなる意味でも政治的権能は持たない、持ってはならないというのは、少なくとも象徴天皇制の基本的な考え方だ。

 しかし今回の事態を見るならば、明らかに天皇自身の主導による生前退位である。それによって新法が作られることは、これはあからさまな違憲行為であると捉えなければならない。

 このことについて反天皇制運動以外でも、はっきりと指摘したのが原武史さん(政治思想史/放送大学教授)だ。原さんは、決して左翼の人ではない。反天皇制をずーっと言ってきた人でもない。ただ天皇制について研究してきた人だ。『大正天皇』という興味深い著書もある。

 彼は、3月の朝日新聞に載ったインタビューの中で次のように発言している。

 「特例法に向けて与野党が合意し、天皇の退位が現実に起きています。このような流れをどう見ていますか。

 原武史─はっきり言っておかしいです。今の憲法下で国政に関与できないはずです。それなのに天皇が退位の気持ちをにじませて発言をすると、急に政府が動き出し、国会で議論が始めた。お気持ちを通して、結果的にせよ国政を動かし、私が知るかぎり戦後天皇が意志を公に現し、それを受けて法律が作られたり、改正されたりしたことはありません。明治憲法によって大権を持っていた明治天皇、大正天皇、昭和天皇の時でもこんなことはありませんでした。今回のお気持ちの表明と、その後の退位に向けた政治の動きは、極めて異例である」。

 質問者は、「政府も国会も天皇のお気持ちが第一だと受けとめたからではないですか」と言ったが、「だからと言って、これでいいとは思いません。本来、天皇を規定する法が天皇の意志で作られたり、変わったりしたら、法の上に天皇が立つことになってしまう。政府や国会での議論の争点は、特例法か皇室典範改正かが出ていたけれど、どちらになろうと天皇の意志は現実政治に影響を及ぼしたことは変わりはない」と明確に言っている。

 今回の生前退位についての法案、これが明らかに憲法が規定する天皇の役割というものを根本的に逸脱するものであると言っている。いろんな学者の中で、彼が一番明確に言っている。

 

 2、「退位特別法案成立のプロセスの問題点」について

 

 去年から有識者会議が政府の指名によって作られ、専門家の意見聴取のプロセスがあった。これを通して天皇の生前退位を望むという意志が直接に法律の作成へと結びついていった。天皇が生前退位のメッセージを行って、それに国民からの支持が集まる、国民の総意による退位支持の動きが作られていった。つまり、天皇の意図的な政治行為であるという反対論封殺の世論操作が作られていった。有識者会議と専門家の意見聴取の中で、天皇の生前退位の訴えに反対したのは、極右の天皇主義者だった。

 極右の天皇主義者、一種の天皇主義原理主義者にしてみれば、「天皇がある都合で、政治の思惑で天皇が退位するということはあってはいけない。天皇というものは神聖なものであって、政治の道具になってはいけない。天皇が辞めさせられたり、自分で辞めたいと言い出して、天皇が代わったりするのは、天皇の政治的な利用というものに他ならない。そういうものはあつてはならない」ということだ。それをハッキリ言ったのは、極右の天皇主義者だけであった。

 共産党も、いわば最終的には、この生前退位の流れに乗ることになってしまった。共産党は、ここ数年の間、象徴天皇制に対する態度は、非常にはっきりした形で態度を変えてきた。通常国会の開院式の日には、天皇の「お言葉」が行われるが、それは憲法違反であるということで本会議を退席し続けてきた。去年の1月からその開院式での天皇発言は政治的ではなかったとして、天皇が話す「お言葉」の時に欠席しなくてもいいと態度を変えた。

 今年の4月からは、赤旗は日付に元号を並記するようになった。今まで西暦しか使っていなかったのが、今年の4月から元号を並記するようになった。

 さらに共産党はね生前退位特例法が成立する前に修正案を出した。「国民は皆賛同している」「国民の意志を尊重する」「天皇の意志も尊重する」というのが生前退位特例法法案だったが、「国民が皆支持している」からといって法案に書き込むのはおかしいと、削除要求の修正案を出した。結局は共産党修正案は否決された。だが否決されたにもかかわらず、原案を支持し、賛成にまわった。

 採決に欠席したのは、自由党だけだった。自由党は、原則的に皇室典範を改正すべきだという態度だった。自由党欠席のもとで特例法は全会一致で可決されてしまった。

 特例法の法文の違憲性は、天皇の生前退位の強い意志が示され、それによって国民の圧倒的多数が支持していると書かれていることだ。普通、法律にこんなことを書くわけがない。天皇の意志が法文に明記されるという異様な形となっている。

 第1条は、字数が400字ぐらいあり、マルがない。全部、テンで繋がっており、一つの文章になっている。ものすごい文体になっている。これは一種、教育勅語と似ているところがある。教育勅語は、テンもマルもない。行替えも終わりのほうに一箇所あるだけだ。それと似ている。法律の文は、わかりやすくするために切ったりしているが、まったくマルがない。とにかく一気に繋がっている。そこに国民が天皇のメッセージを支持しているということが書かれている。

 特例法は、天皇の意思をつけたうえで公的行為を積極的に位置づけている。憲法の中で書かれているのは、天皇は私的行為以外は、国事行為だけだ。国事行為は、外国との条約を承認、日本に来た大使の信任状を発行するとか、いくつかの項目に限られている。天皇は、憲法上は国事行為以外のことをやってはいけない。それ以外は、すべて私的行為だ。

 しかしながら超憲法的な形で公的行為がこの間、いろんな形ではさまるようになった。国体に出席するとか、被災地を訪れて被災者を慰めるとか、海作り大会に出るとか、こういうことが公的行為という位置づけで、超法規的に天皇の行為となっている。憲法上は公的行為と私的行為しかないけれど、その間に公的行為を挟んで、それを象徴という地位に基づく行為だと、天皇自ら、生前退位メッセージの時にも言った。これは法律的根拠はまったくないものだった。

 特例法の第一条には、実質上、天皇の公的行為が、これが正式な天皇としての行為だという格好で、これを合法化してしまった。公的行為はまったく法的根拠がなく、それに対して国費が出されている。これは違憲である。さらにマスメディアを中心に「国民の総意」だという世論操作も行われた。

 

 3、「天皇は祈っているだけでいい」という神権的天皇論

 

 反対論としてあったのは、「天皇は祈っているだけでいい」という神権的天皇論があった。天皇は、これを意識的にメッセージで拒否している。天皇は、象徴である以上、象徴としての行為をやらなければいけないんだと、天皇は自分の意見として生前退位メッセージを行った。

 日本国憲法に天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であると言っている。そのことを逆手にとる格好で、象徴であるためには象徴としての行為をやらなければ象徴にはならないんだと主張した。放っておいても、天皇は国民統合の象徴になるわけではない。自分は被災地に赴いたり、海づくり大会や国民体育大会に出たりして、象徴としての行為を積み重ねてきたから象徴になっているんだと。したがって象徴としての行為ができなくなった以上、自分は退位しなければならない。こういうような言い方で明仁は退位したいと言った。

 これまでの公的行為、象徴としての行為についていろんなところで言われたが、その法律的根拠はまったくなかった。しかし今回の特例法は、明らかに8月メッセージの象徴としての公的行為論だ。これを法文化してしまった。そういう意味で深刻な問題だ。

 安倍内閣は、明確に極右天皇主義を切り捨て、天皇の代替わりを認めていった。特例法によって憲法の第一条に明文化されていないが、天皇の公的行為の容認による天皇政治の部分的復権が始まった。つまり、天皇の意思にもとずいて天皇の政治的役割を規定するそういうプロセスが始まった。これは立憲主義との関係で、明らかに歴史に逆行する行為だ。

 立憲主義は、どのように成立してきたのか。ヨーロッパは、王政との闘いにおいて勝ち取られてきた概念である。王の権力、独裁と闘うなかで、王権を制限する闘いの産物だったという教訓である。

 イギリスにおいても、13世紀にできたマグナカルタがあるが、それは王の恣意的な命令、課税に対して貴族達、領主たちが、逆らって王の権限を制限したものだ。王は一方的に税金を決めたり、上げたり、そういうことをしてはいけないとなった。封建的な領主たちと王との争いの中で、王の権力を制限することで立憲主義が作り出されてきた。絶対主義的な王政、皇帝の政治、それに対して貴族たちが制限していく闘いだった。

 だが今回の生前退位特例法では、天皇の意志、王の意思によって法律が作られていった。まったくの逆転現象である。このことについて立憲主義を主張する学者の中から大きな反対の声が聞こえない。このことは深刻な問題だ。

 これからの反改憲運動との関係から言っても、現在、9条改憲問題に絞りこまれているが、立憲主義の立場から九条改悪に反対することは重要だ。しかし立憲主義の立場に立っている人たちが、事実上、天皇の意志によって憲法第一条が、実質的には変えられようとしていることを認めてしまっている。

 

 4、皇室典範と憲法

 

 大日本帝国憲法において「皇室典範」は、憲法と並ぶ最高法規であるという位置づけで天皇、皇族を規定した。現憲法で同じ名前だが、皇室典範がある。昭和天皇裕仁は戦後最後まで、皇室典範の改正と改正の発議を議会に与えることに反対だったと言われる。皇室典範とは、天皇家の家内法、一族に適用される法律であって、その法律を議会が手をつけたりすることに昭和天皇は反対だった。今回は明仁天皇が発議して、皇室典範を事実上変えてしまった。

 今後、代替わりの中でどういう闘い方をしていくかが、われわれにとって問われている。昭和Xデーの場合は、戦犯天皇の戦争犯罪を許すな、免罪するな、そういう共通の問題意識があった。同時に強烈な弾圧があり、それを突破していく共通の意思もあった。

 今回の場合は、かならずしも同じではない。代替わりについて世論調査では、八~九割近い人たちが支持している。しかも平成天皇は、国民の苦しみに寄り添って、色々と慰めてくれる、ありがたい存在だという雰囲気がある。このことに対して生前退位反対運動は、このことを意識し、人々にどう伝えていくか。色々と論議をしていかなければならない。

 しかもこのプロセスは、改憲のプロセスと重なる。安倍首相は、53日の日本会議系の集会へのメッセージで2020年に新しい憲法を施行すると言った。2020年は東京オリンピックの年だ。新しい憲法の下でオリンピックを迎えようという設定だ。実際上は、自民党は今年中に憲法草案を確定したいと言っている。2018年には、憲法改正を発議するというスケジュールだ。その際、憲法改正の国民投票と総選挙を同時にやったらどうかまで言い出した。

 現在の衆議院議員の任期は、前回総選挙は201412月だから201812月までだ。

衆議院、参議院では改憲派は、三分の二以上の議席を持っている。総選挙で改憲派が三分の二を確保できるかわからないから発議と同時にやってしまえというプランも出ている。改憲の問題、天皇の代替わり問題がセットとなる可能性がないわけでもない。新しい天皇、新しい憲法、新しい元号へと誘導していくねらいだ。

代替わりの政治利用だという批判もあって、スムーズに動くかわからない。安倍内閣にとっては、かなり冒険だが、その可能性がないわけではない。

 このプロセスにおいてわれわれは、どのように反天皇制運動を作り出していくのか、決定的に問われている。

【連続講座】永続革命としてのロシア革命 ── マルクス・エンゲルスからトロツキー・グラムシへ

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【連続講座】
永続革命としてのロシア革命
 
マルクス・エンゲルスからトロツキー
・グラムシへ

 

◎講師 森田成也さん

 

今年は1917年のロシア革命100周年に当たります。言うまでもなく、1917年ロシア革命は、歴史上初めて成功したプロレタリア社会主義革命であるというだけでなく、この革命の10年以上前からその発展力学が主要な参加者によって予見されていた世界で最初の革命でもあります。

 

マルクス主義はその際、最も重要な理論的ツールとなりました。「永続革命」として成功したロシア革命の発展力学を理解するために、マルクスとエンゲルスのロシア革命論から始まって、プレハーノフとレーニンを経て、トロツキーとグラムシに至るまでのマルクス主義革命論の歴史を4回にわたって改めてきっちりと振り返ります。それによって、ロシア革命の歴史的意義とその限界とを理解し、21世紀における反資本主義革命を展望するための理論的基礎を学びます。ぜひご参加ください。

 

◎日程

 721日(金)18:3021:00 文京区民センター3B

 818日(金)18:3021:00 文京区民センター3D

 922日(金)18:30~21:00 文京区民センター3D

1013日(金) 18:30~21:00 文京区民センター3D

 

◎資料代
各回
1000
 


◎講師紹介

森田成也:大学非常勤講師。
著書に『資本と剰余価値の理論』(作品社)『ラデ

ィカルに学ぶ「資本論」』(柘植書房新社)など多数。翻訳に、ハーヴェイ『新

自由主義』『<資本論>入門』(作品社)、マルクス『賃労働と資本/賃金・価格

・利潤』『資本論第一部草稿――直接的生産過程の諸結果』(光文社古典新訳文

庫)、トロツキー『永続革命論』『ロシア革命とは何か』(近刊、光文社古典新

訳文庫)など多数。

 

◎共催
トロツキー研究所
 

 東京都福生市熊川510 ヴィラ4 105号 
アジア連帯講座
 

 東京都渋谷区初台1-50-4-103 新時代社気付 

 TEL03-3372-9401FAX03-3372-9402

【4.15 アジア連帯講座:公開講座】トランプ政権と安倍政権を批判する―東アジアの反資本主義左翼の展望

4.15 アジア連帯講座:公開講座

トランプ政権と安倍政権を批判する―東アジアの反資本主義左翼の展望


問題提起:国富建治さん(新時代社)

日時:4月15日(土)/午後6時30分
会場:文京区民センター3C会議室[東京メトロ丸ノ内線・後楽園駅 都営地下鉄
三田線・春日駅]
        資料代:500円
主催:アジア連帯講座
  東京都渋谷区初台1-50-4-103 新時代社気付 TEL:03-3372-9401 FAX:
03-3372-9402
       ブログ「虹とモンスーン」 http://monsoon.doorblog.jp/

 トランプ米大統領は、「アメリカ・ファースト」を繰り返し、メキシコ国境の壁建設など移民取り締まり強化の大統領令を乱発し、ナショナリズムと排外主義を煽り立てています。政権人事は、混乱が続き未確定の部分も多くありますが基本的に「軍人とCEO(経営最高責任者)」らで打ち固めました。これは新自由主的グローバル資本主義世界システムの長期にわたる行き詰まり状況下、グローバルヘゲモニーの崩壊過程から逃れられないあせりに満ちたアメリカ帝国主義の政治的現れです。

 トランプ政権批判を入口にしながら現在の世界情勢との関連をどのように分析していけばいいのでしょうか。

簡単にスケッチすれば、

①グローバルな資本主義的政治・経済統合の構造的危機と旧来の帝国主義による「国民統合」の衰退と分解

②イギリスのEU離脱とEU体制の危機

③旧来の「左翼」ならびに労働者運動の衰退とレイシスト的・ファシスト的政治勢力の制度圏政治での急成長

④ロシアのクリミア併合、中国による南シナ海での領土拡張主義とトランプ政権との綱引き

⑤韓国政権の不安定化と北朝鮮・金正恩体制の強権化

⑥フィリピン・ドゥテルテ政権と挙国一致再編

⑥ムスリム世界でのIS(イスラム国)に示されるジハーディスト・テロリズムの噴出、アフリカ諸国での国家的機能の事実上の崩壊と終わりのない「内戦」、欧州への難民の波⑦世界の民衆運動の可能性の始まり―と要約することができます。私たちは、グローバル資本主義の危機と国際流動化に抗して、いかに立ち向かっていくのか論議を進めていく必要があります。

 安倍政権も世界的不安定要因から逃れることはできず、延命のためにグローバル派兵国家作りと憲法改悪にひた走っています。通常国会での安倍首相の施政方針演説は、「国づくり」をキーワードにして天皇「代替わり」を組み込んだ改憲プログラムを2020年に向けて発動する宣言でした。また、「アベノミクス」の破綻を直視せず、「貧困と格差」拡大を助長し、資本のための「1億総活躍」「働き方改革」政策と労働法改悪を民衆に押し付け、「テロ対策」と称して現代版治安維持法の「共謀罪」(テロ等準備罪)の制定を表明しました。

 民衆運動の方向性は明白です。トランプ政権下、安倍政権と対決する沖縄・「本土」米軍基地撤去・辺野古新基地・高江ヘリパッド建設阻止の闘い、福島の被災者を支え原発再稼働を阻止する運動、天皇制廃止運動、2020年東京五輪に異議を突きつける運動、人権侵害と反貧困運動などを通して憲法改悪阻止・安倍政権打倒の展望を探っていこうと思います。

 このような問題意識を土台にしながら国富建治さんから問題提起を受け、共に論議しましょう。労働者民衆のインターナショナルなスクラムを実践的に構築しながら闘いの戦略と方針のねりあげに向けて共にチャレンジしていきましょう。
 

報告 : 11.19アジア連帯講座・公開講座「徹底批判―自民党改憲草案」

改憲草案への批判で、幅広く問題提起
憲法を自分たちのものにするために


 11月19日、アジア連帯講座は恒例の公開講座を開催した。テーマは「徹底批判―自民党改憲草案」。会場になった東京・文京区の文京シビックセンター会議室に、30人近い人々が集まった。

 講師は清水雅彦さん(日本体育大学教授)。憲法を研究するほか、「9条の会」世話人、「戦争をさせない1000人委員会」事務局長代行を務める。

 安倍自民党政権は憲法改悪をめざし、衆参憲法審査会での議論を急いでいる。そのたたき台となるのが、自民党が2012年に公表した「日本国憲法改正草案」(以下・草案)である。それは、天皇を国の頂点に据えて国防軍を創設し、首相の権限を強化し拡大する。「国民」の義務を大幅に増やすいっぽうで権利や自由を制限し、国家に隷属させようとする代物である。この日は清水さんの著作(※)も参考にして講演を受けた(講演要旨別掲)。

 会場にはアジア連帯講座会員のほか、清水さんの支持者や改憲に強い危機感を持つ市民らも参加した。清水さんは、大学の講義でのエピソードを交えながら、詳細かつ明確に草案を批判した。草案文言にかかわる箇所だけではなく、私たちの生活態度すなわち市民運動を担う人々の価値観にまで言及した。たとえば、「健康増進法」(2002年)などで、国家が人々の健康――朝食を抜くなとか、メタボ体型など――に口を出すべきではないと厳しく指摘した。

 人生を健康に生きられれば、それは楽だが、人間には不健康に生きる権利もある。市民運動圏の交流会では、「灰皿が置いてあるから煙草を吸う」などと、嫌煙者の合意も得ずに吸う。「公共の福利」の概念を理解していないのではないか、と疑いたくなるという。

 天皇制をやめて共和制に移行すべきだと清水さんは主張する。「日の丸」や「君が代」が国歌によって押しつけられているが、それらの意味を正しく理解している人は少ない。改憲右派はこれまでの元号をすべて言えるのか。強要するならそれを暗唱でいるくらいの学習をすべきではないか。清水さんは、天皇制はじめ安倍政権の政策を次々と喝破した。

 質疑応答では、天皇制と大統領制の責任の所在について。国家財政の明文規定について。在日外国人の権利について。天皇ビデオメッセージに対する憲法学界の反応について。国民投票での改憲項目についてなど、多くの質問や意見が出された。

 「憲法」という壮大かつ根源的なテーマを、わずか一時間あまりで講演することにはもともと無理がある。清水さんは主催者の意向に応え、無駄がなく、しかし要点をしっかりと押さえた分かりやすい話で聴講者を引きこんでいた。連日連夜全国を駆け回る忙しさのなかで、講師を引き受けていただいたことに、この場を借りて改めて謝意を表したい。なお講演の詳細については、別途公表する予定である。

(隆)

■講演要旨■

配信清水 自民党が2005年に作成した改憲案では、当時取りまとめをした舛添要一が、「こんな復古的な案では国民には通用しない」と反対した。舛添はケチだけどリベラルだった。12年案はかなり復古的だ。

 12年案発表当時は民主党政権。与党との差異化を打ち出す意図や、野党としての気安さがあったのかも知れない。総裁も安倍ではなかった。安倍はその頃党内でほとんど影響力がなかった。総裁は谷垣だった。リベラルといわれた谷垣の下でもこういう案が出てきたことは、自民党じたいが右寄りになったことを示している。

 天皇の行為について、憲法学会では2分説(国事行為と私的行為)と3分説(国事行為、公的行為、私的行為)がある。私は「公的行為を認めるべきではない」という二分説の立場だ。

 ビデオメッセージのなかで明仁自身が「象徴的行為」を連発し、彼はそれをやるのは当然だと言っている。これは明らかに政治的発言である、憲法学会では公的行為や象徴的行為を認めないという議論がある。にもかかわらず天皇みずからが象徴的行為をするのは当たり前だといい、それが負担だから退位させろと言っている。憲法を厳密に解釈すれば、天皇の仕事は増えないはずだ。メディアにはその視点がない。有識者会議も御用学者ばかりだ。

 憲法というと「人権規定」を思い浮かべるが、日本国憲法でさえ第3章たった1つ。残りは統治規定だ。国家を縛るために細々といろいろと書き、それによって人権を守る。

 もともと封建社会を打倒して作られたのが憲法だ。公権力が暴走して国民の権利を破る可能性があるから、憲法規範に回復予防措置を入れている。

 日本は市民革命を経験していない。このかんの運動の盛り上がりも市民革命とは言えない。とにかく権利自由の意識が、主権者意識が希薄な国民だ。もっと自分たちが主体意識を持って運動するべきだ。

 幣原内閣がポツダム宣言を受諾したのに、それに反するような改憲案を出した。そしてGHQが原案を出した。それは単なる押しつけではない。

 日本国憲法の中身は(1章を除いて)素晴らしいが、自分たちで勝ち取ったものではない。そういう意味で、出発点に不十分なところがあるのだから、それを国民が自覚をして、中身と理念を実現する取り組みをする。単に紙に書かれたものではなくて、憲法を自分たちのものにする取り組みをすることが大事だと思う。

 安倍は着々と大統領的首相をめざしている。緊急事態条項が成立すれば、いよいよ大統領的首相が完成する。こういう改憲は絶対に認めてはいけない。草案の恐ろしい中身が多くの人に知られていない。ぜひ周りの人に分かりやすく伝えて欲しい。みなさんの運動に期待しています。

※『憲法を変えて「戦争のボタン」を押しますか? 「自民党憲法改正草案」の
問題点』高文研・2013年

報告:アジア連帯講座/講座報告「「ロシア革命― 革命的民主主義とプロレタリア権力」 講師:酒井与七さん(JRCL)

酒井講座 11月5日、アジア連帯講座は、文京区立アカデミー湯島で「ロシア革命― 革命的民主主義とプロレタリア権力」というテーマの講座を酒井与七さん(JRCL)を講師に招いて行った。

 来年はロシア革命100周年。資本主義の死の苦悶が続く現代において、その意義と継承すべき成果を探求していく契機の第一歩として講座を設定した。

 酒井さんは、その切り口としてトロツキーの永久革命論の成立プロセス、強調していたアプローチなどを①「マルクスとエンゲルスのヨーロッパ永久革命」②「トロツキーのプロレタリア永久革」③「1905年の第一次ロシア革命とトロツキーのロシア永久革命論の成立」④「1905年革命における革命的民主主義ブロック」⑤「トロツキー『総括と展望』と帝国主義時代におけるプロレタリア永久革命論」と整理し、各論分析、掘り下げた(講演要旨別掲)。

 講座の後半は、DVD「トロツキー伝」が上映された。
 「TROTSKY━革命の盛衰━(KULTUR社、米国)」は、以下のような内容で構成されている。

「①紹介/トロツキーの孫 エステバン・ボルコフがトロツキーの生活・襲撃時などを語る、メキシコの邸宅、撲殺後のベッドのトロツキー

 ②10月革命/武装蜂起、軍事革命委員会のトロツキー、レーニンとトロツキー

 ③トロツキーの生い立ち /1879.10.26 ヘルソン県イワノフカ村で生まれる

 ④トロツキー・ペトログラードソヴィエト議長/就任アジ演説など

 ⑤ウィーンにてスターリンとはじめての会議

 ⑥ロシア内戦

 ⑦第三インターナショナル

 ⑧クロンシュタット叛乱/鎮圧後のクロンシュタット

 ⑨勝利への試練 レーニン

 ⑩ソ連からの追放/アルマ・アタ到着1928.1.25

 ⑪わが生涯/トロツキーの演説 ほんもの声

 ⑫ヒトラーとスターリン

 ⑬メキシコシティー/リベラ、フリーダカーロなど登場、トロツキーのラジオ演
説の声とシーン

 ⑭暗殺/葬式

 ⑮メキシコ・トロツキー記念館」。
 

酒井与七さんの講演(要旨)

トロツキーの永久革命論 ― 革命的民主主義とプロレタリア権力


 1、マルクスとエンゲルスのヨーロッパ永久革命

 19世紀ヨーロッパ世界において民主主義革命を完遂することによって階級的な労働者革命にむけて急進することができるというマルクスとエンゲルスの近代的共産主義の立場は、さらに1848年 革命敗北の教訓として、労働者階級の運動が全政治革命において勝利的に前進することなしには全 ヨーロッパの民主主義革命も完遂されえないという結論にまで発展させられた。(『第二インターの革命論争』解説(1975年、 紀伊國屋書店、1~3頁) )

 トロツキーはこのような立場と方法を20世紀のヨーロッパとロシアにおいてつきすすめ、ロシア永久革命論という独自の綱領的立場に到達したのである。

 2、トロツキーのプロレタリア永久革命論とその3つの位相

 永久革命論に関するトロツキーの1929年の著作(トロツキー文庫『永続革命論』現代思潮社版) では、永久革命とされるものが3つの位相でとらえられている。

 すなわち、①帝国主義時代における民主主義革命を基盤にするプロレタリアートによる権力の獲得(いわゆる民主主義革命からプロレタリア革命への飛躍)、

②プロレタリア権力樹立後における社会主義にいたる長期の過渡的変革過程 (資本主義に対する長期にわたる過渡的社会革命過程 ― 社会主義にいたるまでの不断
の政治的・社 会的変革の過程としての反資本主義的過渡期)、

③一国または数ヵ国におけるプロレタリア革命の勝利から世界プロレタリア革命の完遂にいたるまでの国際的波及および相互影響の過程としてである。

 そして、社会主義にいたるまでの不断の政治的・社会的変革の過程としての反資本主義的過渡 期の展開は 世界プロレタリア革命の完遂にいたるまでの国際的過程に依存し、社会主義の達成は ただ国際的に世界規模においてのみ展望されうるとされる。

 トロツキーは、以上のような位相を包括するものとして永久革命または永続革命という概念を説明 している。

 3、1905年の第一次ロシア革命とトロツキーのロシア永久革命論の成立

 ロシア革命の性格とその展望をプロレタリア永久革命として構想するトロツキーの考え ― 永久革命の概念 ― は1905年の第一次ロシア革命をつうじて形成されるのであるが、1904年夏に出版されたトロツキーの『われわれの政治的任務』ではロシア革命について“2段階革命”論の立場が 依然として保持されていた。

 トロツキーの『1月9日以前』では、以上のように、プロレタリアートが階級的に主導する全人民 的政治ゼネストならびに武装蜂起によるツァーリ専制体制打倒と全人民的憲法制定会議の実現が展望 されていたが、しかし“臨時革命政府”の問題 ― 専制体制打倒後の革命権力とその階級的性格 の問題 ― はまだ提起され
ていなかった。

 ツァーリ専制権力に取って代わるべき革命的権力の問題が提起されるのは、専制体制の解体打倒を めざす政治的ゼネラル・ストライキと武装蜂起の実現とその勝利的成果としての臨時革命政府樹立の 問題が現実的課題として意識されることになる1905年初めであった。1905年の第一次ロシア革命は同年1月9[22]日の「血
の日曜日」をもって始まる。

 ここでは大衆的武装蜂起によるツァーリ専制政府の転覆と“われわれの政府”の樹立が呼びかけら れていて、こうして、現実の闘争展開をつうじてツァーリ専制権力打倒後の臨時革命政府の問題 ― 旧専制権力に取って代わるべき革命権力の問題が提起されたのである。

 まさにこのとき、メンシェビキは“専制権力打倒・革命政府樹立”に反対する立場をとったが、 そのメンシェビキについてトロツキーの「ロシア革命の3つの概念」で批判している。

 2つの党派の間で基本的不一致が始まったのはまさにこの点である。ボリシェビキは、ロシアのブ ルジョアジーが自分自身の革命を最後まで導くことができると認めることを断固として拒否した。”

 また1905年3~4月頃に書かれたレーニンの未発表手稿の「1879年型の革命家、1848 年型の革命か」には、ロシア革命とメンシェビキについて批判する記述がある。

 メンシェビキと異なり、革命をつうじて樹立されるべき臨時革命政府の問題について最初に鮮明な 立場を提示したのがパルヴスだった。パルヴスはトロツキー『1月9日以前』の序文を書いていて、その日付は“血の日曜日″の9日後になっている。

 1905年1月9日の労働者請願デモを主導したゲオルギー・ガポンは「血の日曜日」のうえで専 制政府打倒と武装蜂起の共同行動の呼びかけていて、レーニンはこれに積極的に呼応する「蜂起のための戦闘協定について」という文章を2月21日に発表している。

 レーニンは専制体制打倒の蜂起と民主主義的変革を実施すべき革命的臨時政府樹立が実 践的課題として現実的射程に入ってきていることを確認している。そして、民主主義的革命の全般的 課題を引き受けるべき臨時革命政府の政治的・階級的性格について、レーニンは“プロレタリアート と農民の革命的民主主義独裁”
として定式化したのである。レーニンは同年7月に『民主主義革命における社会民主党の二つの戦術』を発表し、労働者と農民 の革命的民主主義独裁の立場からロシア革命の戦略問題を詳細に論じ、メンシェビキを全面的に批判している。

 トロツキーがロシア革命における権力問題について自己の立場を確定し、パルヴスによる“労働者 民主主義の政府”の考えを跳躍台としてプロレタリア永久革命の展望を定式化したのは1905年夏 だった。

 4、1905年革命における革命的民主主義ブロック ― レーニン、ルクセンブルク、パルヴス、トロ ツキー

 1905年革命においてレーニン、ローザ・ルクセンブルク、パルヴス、トロツキーがカウツ キーをもふくめて基本的に“革命的民主主義”ブロックを形成し、全体としてメンシェヴィキに対立 していた。その基本的対立点は1905年のロシア革命におけるブルジョア自由主義派の政治的性格 の評価 ― ブルジョア自由主義派にたいして革命の政治的主導権を認めるか否かということについて であった。

 レーニン、ローザ・ルクセンブルク、パルヴス、トロツキー ― そしてカウツキー ― のあいだに 次の3点にわたる基本的一致点をみいだすことができる。

 すなわち、革命の当面する直接的性格としての民主主義革命、この革命における諸階級の基本的相 互関係、ロシア革命の国際的展望とプロレタリアートの社会主義的な階級的独立性などの諸点におい て、レーニン、パルヴス、ルクセンブルク、トロツキーはメンシェヴィキ派と対立するという点で共 通し、1905年のロシア革命において客観的に革命的民主主義ブロックを構成していた。

 だが彼ら の間には、一つの革命政党の内部において存在しうる様々な戦術的相違やロシア革命の究極的な綱領 的展望についての相違があった。

 ロシア革命の勝利にむけた綱領的展望にかんしては、ロシア民主主義革命の勝利は農民に支持されたプロレタリアートの独裁以外にはありえないし、そのプロレタリア独裁権力は都市の大工業にたいして反資本主義的な集産主義的手段をとるだろうと主張するトロツキーが他の3人から“孤立”して いた。

 他方、レーニンは、ロシア民主主義革命の勝利によって実現されるべき革命権力の階級的ならびに 政治的性格についてきわめて慎重で“抑制”的だった。専制体制打倒後の“権力は …… プロレタリ アートの手中に移るだろう”としたローザ・ルクセンブルクの考えは政治的にレーニンに非常の近 かったが、民主主義革命勝利の見通しについて最も慎重かつ“抑制”的だったといえるだろう。そし て、革命勝利後に“労働者民主主義の政府”を展望するパルヴスはレーニンとトロツキーの中間に位置し、カウツキーはロシア革命の展望についてパルヴスとトロツキーの中間に位置していたといえそうである。

 レーニンのロシア革命構想は、
①ツァーリ専制体制転覆後の革命権力を“プロレタ リアートと農民の革命的民主主義的独裁”であるとし、この革命権力はさしあたってブルジョア民主 主義革命の枠内にとどまらざるえないこと、しかしながら、

②労働者・農民の革命的民主主義独 裁として勝利的に実現されるロシア革命はヨーロッパ・プロレタリアートの革命的活性化の時期を切り開くだろうということ、そして

③ロシア・プロレタリアートの社会主義のための階級的闘争 ― プロレタリア革命 ― は西ヨーロッパ諸国プロレタリアートを主力とする国際社会主義革命の一環として展望することができるということによって構成されていたといえるだろう。

 このようなロシア革命構想からすると、レーニンはロシア革命の“革命的民主主義独裁”=ブルジョア民主主義革命段階を必ずしも固定的・教条主義的にとらえることなく、永久革命的モメントの 可能性を含めて考えていたように思われるし、以上のような構想は、その内容からして、独自のレー ニン版“永久革命”構想といえるかもしれない。

 5、トロツキー『総括と展望』と帝国主義時代におけるプロレタリア永久革命論

 トロツキーのロシア永久革命構想の基本的枠組みは、1905年『総括と展望』でまとめ、“永久革命論の3つの位相”という特徴を明らかに認めることができる。

 『総括と展望』の主張を“1905年ロシア永久革命論”といえるが、この時期の永久革命論の国 際的枠組みは、同書の第九章「ヨーロッパと革命」の結語から明らかなように資本主義ヨーロッパ だった。 また、一九〇五年ロシア永久革命論はその革命的労働者党建設において自然発生主義であった。こ のことについて、トロツキーの『永久革命論』(1929年) において革命的労働者党建設において“一種の社会革命的運命論”に陥っていたことを述べている。

 だが、 トロツキーの『永久革命論』(1929年)は『結果と展望』(1906年)のたんなる拡大延長 ではない。この2つのもののあいだには、一つの飛躍と一つの転換がある。『永久革命論』は資本主 義の帝国主義時代の意識的把握のうえに展開された反帝プロレタリア国際社会主義革命の理論と綱領 であり、そこには『結果と展望』からの重大な歴史的飛躍がある。また、1929年の『永久革命論』 はプロレタリア革命党組織論におけるトロツキーのレーニン的転換を明白に前提としているのである。

 「帝国主義と国際革命 ― 一国社会主義反対」については、 『レーニン死後の第三インターナショナル』一章、 『ヨーロッパとアメリカ』 で述べている。

 「帝国主義と植民地革命」については、「東洋における展望と任務 ― 東洋勤労者大学三周年記念講演」、 『レーニン死後の第三インターナショナル』3章、『永久革命論』で述べている。

 「プロレタリア独裁下における反資本主義的過渡期」については、ソ連共産党10大会トロツキー報告「産業 について」、「合同左翼反対派綱領」のソ連邦経済政策の部分『裏切られた革命』で述べている。

 最後に

 “3つの位相”とは別に、永久革命論に潜在的に含意されるものとして“国家をめぐる権力のため の闘争方法”という位相があると私は考えていて、“革命的民主主義と革命的民主主義とプロレタリ ア権力”というテーマは“国家をめぐる権力のための闘争方法”の問題になる。今後、このテーマを追求してみたい。

【11.19 アジア連帯講座:公開講座】徹底批判 自民党改憲草案 ―天皇元首化、国防軍創設、人権抑圧、首相権限の強化―

11.19 アジア連帯講座:公開講座

徹底批判 自民党改憲草案
―天皇元首化、国防軍創設、人権抑圧、首相権限の強化―


清水雅彦写真講演 清水雅彦さん(日本体育大学教授・憲法学/九条の会世話人/戦争をさせない1000人委員会事務局長代行)

【参考テキスト】『憲法を変えて「戦争のボタン」を押しますか?』(清水雅彦 著/高文研)


日時:11月19日(土)/午後6時30分
会場:文京シビックセンター 会議室2 (3F)[東京メトロ丸ノ内線・後楽園駅 都営地下鉄三田線・春日駅]
資料代:500円
主催:アジア連帯講座
  東京都渋谷区初台1-50-4-103 新時代社気付 
TEL:03-3372-9401 FAX:03-3372-9402

BLOG「虹とモンスーン」 
http://monsoon.doorblog.jp/

 今年7月の参議院選挙で、自民・公明の与党におおさか維新、「日本のこころ」、さらに無所属議員を加えた改憲勢力が、非改選を含めて3分の2以上の議席を獲得。改憲発議への要件が衆参両院で満たされたことで、政権与党による憲法改定作業が、現実の政治課題として目前に迫ってきました。それに呼応するように、大手メディアも「まず修正ありき」の論調で紙面を埋めています。

 自主憲法制定は自民党結党以来の悲願であり、現憲法への「押しつけ論」「一国平和主義論」などの批判を持ち出し、修正を目論んできました。安倍首相は在任中の改憲を繰り返し公言。2012年に発表された「草案」をたたき台に、野党第一党の民進党を巻き込みつつ、秋の臨時国会・憲法審査会での議論開始に執念を燃やしています。

 来年は憲法施行から70年。改憲の原案すらこれまで国会に提出されなかったのは、その平和主義の崇高な不偏性と、二度と戦争を繰り返さないという市民のたゆみない運動や闘いがあったからではないでしょうか。

 自民党草案のどこが問題なのか。それがもたらす社会とは。そして私たちがめざす憲法の姿とは――。

 今回の公開講座では、憲法学はじめ、平和主義や監視社会論など、多方面で活躍中の清水雅彦さんをお招きし、自民党「日本国憲法改正草案」の問題点を徹底的に検証します。


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