虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

アクション

「怒りは限界を超えた」~ 沖縄県民大会(2016年6月19日)フォトレポート

みなさん。

たいへんご無沙汰していました。6.19県民大会の様子を写真でお届けします。

名称は「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会」。当初の目標は5万人でしたが、参加者は主催者発表によると6万5千人でした。会場となった奥武山陸上競技場のトラックの内側の芝生部分だけでなく、トラックの外側の木陰を中心に人々が密集しました。何年か前の読谷の10万人集会に劣らない迫力でした。沖縄の人々の悲しみ、怒りの意思表示はとどめようなくあふれ出しています。

自民・公明・維新は参加しませんでした。そして自分たちが参加しなかったから、超党派でなく一部の勢力による集会だと理屈をこね、県民大会の意義を低めようとしています。彼らは沖縄の太く大きな民意の黒潮のような流れから脱落したのです。たとえ現在いくつかの議席を県議会に占めていたとしても、今後の県民の自立に向けた歩みの妨害物にしかならないでしょうし、県民の多数から振り向かれなくなるでしょう。


①2016.6.19 県民大会。集会開始は午後2時。正午過ぎからのぼりを持って集まりだしました。
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②2016.6.19 県民大会。どこかの取材陣でしょう。初めから終わりまでクレーンの上で撮影していました。お疲れさま。
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③2016.6.19 県民大会。梅雨もあけて真夏の太陽の光がさんさんと降り注ぐ中、じっと我慢です。追悼の意を表すため何か黒いものを身につけるよう事前に連絡がありました。黒のかりゆし、ズボン、帽子、それから黒い傘も目に付きました。
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④2016.6.19 県民大会。集会は古謝美佐子さんの「童神~天の子守歌」のあと、黙祷。
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⑤2016.6.19 県民大会。この頃には会場はぎっしりです。主催者を代表して、オール沖縄会議の4人の共同代表(稲嶺進名護市長、呉屋守将金秀グループ会長、高里鈴代基地・軍隊を許さない行動する女たちの会代表、シールズ琉球の玉城愛さん)が発言しました。
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⑥2016.6.19 県民大会。トラックの外側の木陰に集まっている人々。
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⑦2016.6.19 県民大会。トラックの外側の木陰に集まっている人々。
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⑧県民大会。トラックの外側の木陰に集まっている人々。若者のメッセージはシールズ琉球の4人が行ないました。
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⑨2016.6.19 県民大会。全員でプラカードを掲げてアピール。「海兵隊は撤退を」
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⑩2016.6.19 県民大会。全員でプラカードを掲げてアピール。「怒りは限界を越えた」
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⑪2016.6.19 県民大会。外側の木陰の人々も並んでアピール。
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⑫2016.6.19 県民大会。年配の人々ともに、子供連れ、家族連れ、若いカップルが多く目に付きました。
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⑬2016.6.19 県民大会。子どもや孫たちに平和で安全な沖縄を伝えたいとの思いなのでしょう。
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⑭2016.6.19 県民大会。琉球新報、沖縄タイムスはさっそく号外を出し配ります。新報、タイムスとも3万部の号外を刷ったそうです。
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⑮2016.6.19 県民大会。テレビ取材の中継車。東京のテレビ局もたくさんいました。取材のヘリコプターは合計5機、上空を飛んでいました。騒音が気になりました。
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⑯2016.6.19 県民大会。各地から大型バスをチャーターして結集しました。集会が終わっても混雑してなかなか全員が戻ってきません。待機中です。
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⑰2016.6.19 県民大会。私たちが乗ったしまぐるみ八重瀬の会のバス。定員54人満席でした。
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なお、県民大会を報道した琉球新報を入手希望の方はご連絡ください。
沖縄の新聞はすごいですよ。一読の価値アリ。

O・Y

沖縄情報(2016年5月15日)

みなさん

沖縄情報を二つお届けします。

その1 5.15平和行進のニュースです。

①5.12 平和行進全国結団式。700人集まりました。山城博治平和運動センター議長が発言しています。
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②5.13キャンプシュワブゲート前テント。座り込み677日。
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③行進に先立ち決起集会。第1ゲートの前で行進出発式をしました。黄色の旗は30人参加した韓国からの訪問団のもの。
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④5.13 発言しているのは韓国訪問団のキム・ヨンハンさん。赤い服と赤のクバ傘は高里鈴代さん
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⑤東コースの行進。山城博治さんも行進。キャンプ・シュワブからキャンプ・ハンセン、嘉手納基地を回ります。
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⑥辺野古集落の国道をゆっくり行進。台湾からの参加者もいます。
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⑦韓国からの代表団は30人が参加。横断幕を手に行進。基地村の女性保護の活動をしている団体や米軍の犯罪をなくそうとしている団体などが参加しました。
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⑧会場の新都心公園は人並みでぎっしりと埋まりました。ここは元は米軍基地(マチナト住宅地区)、その前はシュガーローフに代表される日米の激戦地。復帰後返還され、沖縄の新しい顔として姿を変えました。
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⑨5.15右翼の街頭宣伝車が5~6台。最近右翼の活動が盛んです。体制が危機に陥っている証しなのでしょう。
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⑩チェジュ道のカンジョン村から婦人会会長はあいさつ。カン・ムンシンさん「ともに集い、共に歩き、共に叫ぼう!沖縄の平和!カンジョンの平和!」
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⑪チェジュ道からの参加者も横断幕と共に参加。「軍事基地のない東アジアの平和のため連帯しましょう」
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⑫東、西、南の各代表が壇上に上がり平和行進の総括。暑い中、たいへんお疲れさまでした。
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【沖縄】東村高江現地緊急集会(4月27日)

みなさん、お久しぶりです。


この間の動きを少しまとめてお伝えします。

 

まず、427日、東村高江現地で開かれた緊急集会の様子です。

    7時からの集会は、防衛局のテント・車撤去の恐れがあるということで、緊急に開かれました。
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発言をしているのは、高江ヘリパッド建設反対現地行動連絡会の間島孝彦さん。
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ヘリパッド反対住民の会の伊佐真次さん。逮捕・裁判にもめげず、10年近く闘い続けています。前回の選挙で、東村議会議員に当選しました。
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広島の被爆者、米澤鉄志さんも参加しました。『ぼくは満員電車で原爆を浴びた』の米澤さんは「戦争で地獄を見た広島、長崎、沖縄はつながっている」と、辺野古、高江で連帯を訴えています。
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⑤ 国頭村島ぐるみの人々。この日は北部の国頭、大宜味、東の
3村の島ぐるみが結集しました。
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⑥ 大宜味村島ぐるみの人々。マイクを握っているのは平良啓子さん。沖縄戦で、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃に
より沈んだ学童疎開船・対馬丸の生き残り生存者のひとり。証言活動を続けています。
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⑦ ベトナム友好協会の人々もバスツアーで参加しました。
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⑧ 車の隣のトタンの塀の向こうに、ヘリパッド建設予定地の
N1に至る道があります。6月まではノグチゲラなど営巣活動の保護のために重機を使った大掛かりな工事はできませんが、防衛局はその後行動に出てくるでしょう。県道の管理者である県を使って、テントや車の撤去をさせようと画策しています。
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O・Y

 

報告 : 沖縄ツアー(4月8日~10日)キャンプ・シュワブゲート前デモと沖縄戦跡地めぐり

IMG_1062  実体験することの重要性

  新時代社呼びかけで、四月八日~一五日まで、沖縄現地闘争参加ツアーを組み、五人の仲間が参加した。四月八日~一〇日について報告する。

  那覇空港に着くと軍民共用のため航空自衛隊のF15戦闘機など軍用機が目に入った。しょっぱなから「沖縄の現実」が突きつけられた。空港には沖縄のAさん、Bさんが迎えに来てくれた。トヨタのハイブリッド車をレンタル。運転経験があるというので、私が運転することにした。しかし、マニュアル車を月一回運転するのみという私にとって、オートマ車の最新式を運転するということで、インターネットで運転の仕方を調べておいたが不安と緊張でいっぱいだった。

 スーパーイオンで今後の打ち合わせをした。するとCさんが三〇年前に運送の仕事をしていたことが明らかになり、一一日以降は彼が運転することになった。私はすぐにここから彼に運転を交代してもらった。運転技術は私をはるかに上回り上手であった。しかし、彼は最新のハイブリッド車の扱いをまったく分からなかった。

 Bさんから名護行きの高速に乗るように言われて別れたが、カーナビがうまく作動することができず、高速の乗る場所を過ぎて迷ってしまった。交番で入り口を聞き引き返した。この時、すでに雨が降り始め暗くなっていた。何とか入り口を見つけて入ったがそれが名護に向かっているのか確認できなかった。しばらく走って、名護方向と分かり一安心した。それから雨が激しくなった。ワイパーを使おうとしたが手で固定していないと数回動いて止まってしまう。いろいろやってみたが操作が分からない。危ない走行が続いた。ドライブインで車を止めて操作を確認すると下側に動かすことができ連続して動きだした。

 Aさんと合流し、「辺野古の家」についた。「辺野古の家」には先に利用する男女がいた。相変わらず夜は雷も鳴り激しい雨が降り続いた。
 
2日目
 
 朝、コンビニに行き朝食。「辺野古の家」に寄ってキャンプ・シュワブゲート前に行こうとしたが、「辺野古の家」近くまで来ているのに、車でぐるぐる回ってみたが分からない。結局下りて、カラオケ店の店を聞き、すぐ近くであることが分かった。ゲート前から八分くらいの所であるが、この一帯はかつてスナックやバーがたくさんあったようで、今は廃屋になったふるぼけた建物の外にペンキの薄い店名を表わしたローマ字が見える。また、たくさんの空き地が目立つ。新基地をこの地を選んだ理由が分かるようだ。原発立地がそうであったように。

IMG_1064 徒歩でゲート前へ。テントがずらりと並び、旗がなびいていた。キャンプを囲む金網には機動隊の暴力的な弾圧を示す写真や辺野古新基地建設反対のスローガンを書いた横断幕が張ってあった。座り込みは六四三日目だ。朝から雨ということもあり、テントに集まった人数は三〇人ぐらい。九時半過ぎからゲート正門前でシュプレヒコールとデモを繰り返した。

 その後、参加者による集会が行われた。この日の行動のリーダーが「東京から派遣された機動隊は帰った。制限区域内のフロートが一部撤去されている。工事用機械のレンタル料は一日数十万円もかかり、人件費も必要だ。こんな無駄な税金の使われ方はない。和解というなら、工事前にすべて戻せ」と訴えた。うるまの九条の会代表、国公労(平和運動センター)の方、千葉から来た年金者組合の方、北谷からきた元高校教員、茨城の辺野古ブルーのメンバー、稲嶺市政を支える女性の会などがアピールした。そして、東京から私たちから連帯のあいさつをした。

 午後二時から、辺野古総合大学(生きる力を与える、闘いの日に備えて。キャンプ・シュワブゲート前集会場にて。4月5日~4月30日、午後2時から3時まで)が開かれた。今回は「基地と経済」と題して前泊博盛さん(沖縄国際大学教授)が講演し、一二〇人が集まった。前泊さんは琉球新報に勤めた後、大学教員になったというだけあって話がうまい。

 米軍機の事故は、嘉手納基地が四四九件なのに普天間基地は一五件である。嘉手納の方がより危険だ。危険の除去というなら、まず嘉手納基地の閉鎖を行うことだ。基地内にあるプール、野球場、テニスコート、映画館などを民間活用すべきだ。普天間基地の閉鎖と辺野古新基地建設はまったく別の問題で、新たな巨大な基地建設は新たな危険を作り出すものでありえないと断言した。

 前泊さんは嘉手納基地の二本の滑走路のうち一本を民間に開放して軍民共用してはどうかと提案した。それに対して、質疑の中で、嘉手納爆音と闘っている女性が「基地撤去に向けた闘いのひとつとしてそういう要求の仕方もあるかもしれないが、軍用機でも民間機でも爆音は変わらない。基地はいらない」と語った。また、別の男性は嘉手納基地撤去闘争の重要性が分かった。来週金曜日から嘉手納基地撤去のために座り込みをしたいと発言した。

 講演後、沖縄のDさんの案内で嘉手納基地が見える展望台と読谷にあるチビチリガマを見に行った。嘉手納基地は広大であったが戦闘機は一機も見えなかった。 いくつも格納庫が開いていたので飛び立っているものと思われる。夕方五時をまわり小雨も降っていたので暗くなっていた。チビチリガマは目印が小さくて何度も捜すこととなった。三里塚闘争に何回も参加して訴えていた金城実さん(彫刻家)の制作した慰霊のモニュメントがあり、言葉が残されていた。Dさんが経過を説明してくれた。

 「米軍が四月一日に読谷の海岸から上陸を開始した。中国戦線で住民を虐殺した日本軍を知っていた看護師が『米軍に捕まったら強かんなどひどいことをされる』と話した。そこに米軍が攻めてきた。ガマに逃げ込んだ住民は子どもを殺し、自らも命を絶っていった。一四〇人のうち八三人が亡くなった。この事実は三〇数年後になってやっと明らかになった」。なんとむごい話だ。

 夕食の食材は金秀スーパーで買った。金秀は翁長県政を支える有力企業で、利益の一%を辺野古闘争のためにカンパしているという。夕食を取りながら、先客の二人と交流した。原発の話やカヌー隊の攻防の話で盛り上がった。この夜から朝方にかけて猛烈な雨と雷があり、稲妻と雷の落ちる音で不安な夜を過ごした。

3日目

 Aさんに案内してもらい、南部の摩文仁の丘にある平和祈念の公園、資料館、平和の礎に行った。まず駐車場について、目についたのは大きな韓国人慰霊塔公園と書かれた石塔であった。一万人とも言われる強制連行されて犠牲となった韓国人たちを慰霊するものだ。当時の朴正熙大統領によって建てられた。韓国各地から石を持ち寄って、韓国式の大きな円墳が作られた。

IMG_1073 その後、平和資料館の常設館に入り、沖縄戦のビデオや写真、再現したガマを見て回った。すごい迫力で、沖縄戦の姿が浮かび上がり、ガマの再現の前では体がすくんだ。展望台に上ると海や平和の礎が一望できた。平和の礎には沖縄戦で亡くなったすべての人の名前が刻まれていた。かつて平和の火が灯されていた噴水場の敷地には東アジアの地図が示されていた。平和のアジアをめざす願いが込められているという。それから、師範学校の教員・生徒たちが亡くなった健児の碑を見た。

 そして数キロ先の轟の壕に、ヘルメットをつけて入った。一昨日からの雨で、ガマを下りていくと川の水が濁流となり、激しく流れていた。滑って川に落ちれば命が危ないと思われるような所であった。こんな深いガマに八〇〇人から千人もの住民が逃げてきた。食料がなく、赤ちゃんから先に死んでいった。日本兵がガマの入り口に陣取って、住民が逃げないようにしていたという。たまたま一人の住民が川を泳ぎ外に出て、米兵にガマにいるのはほとんどが住民であることを伝え、ウチナーグチで出てくるように呼びかけると住民は安心して、投降して命が助かった。

 今回の沖縄の旅は辺野古基地建設問題と沖縄戦という歴史をこの目で、肌で感じることができる貴重なものであった。案内役をしていただいたAさん、Bさん、Dさんに感謝したい。

(M)

4・6キャンプ・フォスター米軍司令部ゲート前緊急県民抗議集会(沖縄情報2016年4月6日)


たいへんご無沙汰しています。「沖縄情報」をお伝えします。

4月6日の動きです。

①2016.4.6 キャンプ・フォスター米軍司令部ゲート前  米軍の横暴・弾圧を許さない緊急県民抗議集会。緊急の呼び掛けにもかかわらず、数百人の人々が結集した。
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②2016.4.6 キャンプ・フォスター米軍司令部ゲート前  ゲートを封鎖。米軍車両の出入は完全にストップ。
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③2016.4.6 キャンプ・フォスター米軍司令部ゲート前  座り込みの向こう、基地の中に翻る星条旗と日の丸。
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④2016.4.6 キャンプ・フォスター米軍司令部ゲート前  ずらりと並んだ軍警備員。「車が通ります。道を開けてください。歩道に上がってください」と集会の間中、マイクで叫び続けていた。
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⑤2016.4.6 キャンプ・フォスター米軍司令部ゲート前  並んで翻る星条旗と日の丸が現在の基地の島・沖縄を象徴しています。
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⑥2016.4.6 キャンプ・フォスター米軍司令部ゲート前  「米軍は謝罪しろ」。不当な拘束を繰り返す米軍を糾弾!
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⑦2016.4.6 キャンプ・フォスター米軍司令部ゲート前  発言する目取真俊さん。右横は山城博治沖縄平和センター議長。
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⑧2016.4.6 キャンプ・フォスター米軍司令部ゲート前  集会も終わりに近づいた時、機動隊が排除を始める。
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⑨2016.4.6 キャンプ・フォスター米軍司令部ゲート前  ゲート前は大混乱。
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⑩2016.4.6 キャンプ・フォスター米軍司令部ゲート前  この車1台を通すために20分かかった。この車には基地の司令官が乗っていたとのこと。
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⑪2016.4.6 キャンプ・フォスター米軍司令部ゲート前  米軍は後に6~7人並んで監視。抗議行動に対する前面に立つのは県警や民間人ガードマン。
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⑫2016.4.6 普天間上空  住宅の上、変換モードのオスプレイ。プロペラが斜めになっています。「変換は住宅上空では可能な限りしない」との言葉は空約束です。
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⑬2016.4.6 普天間上空  ヘリモードになって、普天間基地へ。
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引き続き、この間の情報をお送りします。

O・Y

報告:2.11反「紀元節」行動

配信:反「紀元節」行動 2月11日、安倍戦争国家と天皇制を問う2・11反「紀元節」行動実行委員会は、神宮前穏田区民会館で集会を行い、100人以上が参加した。

 安倍首相は、2月11日の「建国記念の日」を迎えると称して「環境の変化に適応しつつ、今日の尊い平和と繁栄を守り、素晴らしい伝統を子や孫の世代に引き渡していく大きな責任がある」というメッセージを発し、グローバル派兵国家建設に邁進していくことを再確認した。

 連動して天皇主義の日本会議や神社本庁は、明治神宮会館で「日本の建国を祝う会」を行い、「できるだけ早く政府主催の式典を開催して、国を愛する心を育てるべきだ」と要求し、「5月には三重県の伊勢志摩でサミットが開催され、世界に向けて日本のすばらしい精神性を発信する絶好の機会となる。誇りある国づくりへ向けて一層力を尽くすことを誓う」などと決議し、憲法改悪と軍拡路線を担う先兵として意志一致した。すでに「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を作り、憲法改悪にむけた1000万人署名を開始している。草の根で改憲勢力を広げ、参議院選挙に向けた事前運動を行っている。

 安倍政権と右派勢力による改憲、戦争国家作りを補完する天皇制の解体を掲げ、天皇神話と賛美の日として位置づける「建国記念の日」(紀元節)反対行動を取り組んだ。

 集会は実行委の基調提起から始まり、①2・11と右派の動向②天皇のフィリピン訪問と安倍政権③国家の軍事化と社会の軍事化について批判した。

 さらに天皇制は新たな戦死者追悼の装置へと強化され、皇室外交は5月の伊勢志摩サミットにおいても繰り広げることを糾弾し、「天皇は政治利用されるために存在している。政策を円滑に進めるために『非政治的・権威的』存在として機能している。政策を遂行する政権と、政権と一体のものとしてある天皇制にNOの声をあげていこう」と訴えた。

 須永守さん(近現代史研究)は、「戦争国家と天皇の『慰霊』―『戦没者』における受難と貢献」というテーマで問題提起した(別掲)。

 連帯アピールが「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会、福島原発事故緊急会議、「3・1朝鮮独立運動89周年 今こそ日朝正常化を!日韓民衆連帯集会」、 STOP!辺野古埋め立てキャンペーン、有事立法・治安弾圧を許すな!北部集会実行委員会、「3・11天皇出席の震災追悼式典―全国一斉黙祷反対!集会・デモ」実行委から行われた。

 集会終了後、デモに移り、渋谷一帯にわたって「建国記念の日反対!天皇解体!安倍政権打倒!」のシュプレヒコールを響き渡らせた。

 なお警察・機動隊は、デモに対して不当な規制を繰り返した。とりわけデモ最後尾に対して盾を使って押し続けたり、参加者の腕を掴んで妨害した。警察・機動隊のデモ破壊を断固糾弾する。

(Y)


須永守さん(近現代史研究)講演要旨

 「平和を願い、戦争を批判する」天皇像がどのように作られてきたのか。天皇の戦地慰霊の旅がメディアで大きく取り上げられ、イメージが作り上げられてきた。天皇の発言は、あらゆる戦争責任の問題を排除することによって、犠牲者の記憶を継承し、日々を暮らしていきたいというコメントが繰り返されている。

 そこには戦没者遺族の共感(犠牲=受難者)と戦争の上に築かれた平和(犠牲=貢献)という構図を共通して語る。受難と貢献を分離せず、国のために死んだ戦没者の遺志を受け継ごうという国家への貢献の側面を賛美し、同時に、それを批判することは戦死した受難を冒涜するのかという批判に誘導してきた。そのために戦争責任、戦後責任への問いかけが回避されて続けている。「平和の象徴」としての天皇と戦没者遺族運動は相互補完的に形成されてきた。

 戦争犠牲者遺族同盟が結成(1946・6)されたが男性遺族によって分裂に追い込まれ、挫折する。日本遺族厚生連盟(1947・11)が結成され、全国組織化に際して天皇・皇后の拝謁が行われた。戦没者の遺志を受け継ぎ、戦後日本を支えようと意志一致していった。のちに日本遺族会へと受け継がれた。

 占領軍(GHQ)は、戦没者遺族運動の戦没者再評価に対して軍国主義の復活だとして認めなかった。だから遺族会は、国家の犠牲者という受難者を強調した。1952年の独立によってGHQの統制がなくなり、戦没者の再評価運動に転換していく。全国戦没者追悼式(1952・5)で戦没者は戦後日本と平和の礎であると位置づけた。つまり、受難者の状態から貢献者として確認した。天皇は、戦没者への同情、受難への同情、遺族への同情を表明することによって共感する役割を担い、可視化した。この構図がその後の流れを作っていった。

 このように 反戦平和運動の分断・解体は、戦没者遺族運動が担う戦没者の扱いについての問題が密接に関わっている。戦没者の犠牲という論理の中に受難的側面と貢献的側面が存在し、そのことによって批判を避け、戦争を肯定する側面が現れた。

 今日、安倍政権は、積極的平和主義を掲げ、「平和」をキーワードにして改憲・軍国主義へとひた走っている。新たな戦死者、戦没者に対して賞賛していくことが想定できる。「平和の象徴の天皇」、「安倍の暴走の歯止め」と思わせることが天皇制の役割だ。安倍は、戦没者の貢献を積極的に顕彰し、天皇は戦没者や遺族の受難の側面を再確認し、可視化する役割を担っている。戦没者再生産への加担だ。安倍政権と天皇制の相互補完的役割分担の危険性に注意し、批判していこう。

本日の辺野古(2016年1月28日)

沖縄情報をお届けします。

今日のキャンプ・シュワーブゲート前の様子です。

昨日の水曜日は、早朝からの大動員で午前中は機動隊の投入がなく、工事車両の進入もありませんでしたが、座り込みが手薄になった午後3時過ぎから機動隊による強制排除が行なわれました。

今日も午前中は手出しできませんでしたが、午後1時になって機動隊が投入されました。


①防衛局の職員が「ブロックを積まないで下さい。かたずけてください」と叫び続けている。

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②ブロックの上と前に座り込む。

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③午後1時過ぎに機動隊が投入され、座り込みの前に立ちはだかる。

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④強制排除が始まった。

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⑤人を排除した後は、ブロックの移動。排除に要した時間は計25分。

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⑥機動隊が運んだブロックは装甲車の横にきれいに並べられた。

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⑦全員のバケツリレーで再びブロックをゲート前に前よりもさらに高く積み上げる。

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⑧道路の向かい側から見ると、こんな感じ。

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⑨今日は、座り込み開始から571日目。闘いは勝つまで続く。

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今日の強制排除はこの1回のみ。通過したのは、ジャリを半分ほど積んだダンプ2台だけ。彼らがやっていることは、座り込みを排除して工事を進めているということをアピールするためのポーズ。

工事は進んでいない。

O・Y

本日の辺野古(2016年1月14日)

「沖縄情報」をお届けします。
以下、1月14日の辺野古現場の報告です。

①朝6時半、座り込み開始から557日
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②座り込みの前に立ちはだかる警官隊6時55分
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③ゲート前に座り込んだ人々(2016.1.14 6時59分)
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④午前7時、ゲート前の座り込みに警官隊が襲い掛かろうとする。
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⑤座り込みの強制排除が始まった。7時15分頃
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⑥資材車両通過の後、再びゲート前に座り込む。午前8時前
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⑦午前11時前、ジャリをつんだダンプが基地内に進入
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⑧午前11時前、警視庁機動隊に守られ基地に入るトレーラー
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13日(水)は300人結集。警官隊も出動せず車両通過・資材搬入を阻止。

14日(木)は380人結集したが、警視庁機動隊をはじめ警官隊が導入され、1時間近くの激しい攻防ののち、作業員を乗せた車両が進入。11時ごろになって砂利を積んだダンプとトレーラーが、警視庁機動隊に守られ、基地内に入った。

O・Y

報告:12.27 「辺野古に行くな第4機動隊」抗議行動

IMG_1774 暮れも押し詰まった一二月二七日の日曜日、立川自衛隊監視テント村など「砂川祭り実行委員会」の呼びかけで、「辺野古に行くな!第4機動隊!」抗議アクションが行われた。

 沖縄・辺野古の新基地建設反対運動に対して、全国各地から警察・機動隊が派遣され、座り込みへの暴力的排除・弾圧が強行されている。その構図は一八七九年の「琉球処分」にあたって日本への併合の尖兵となった「天皇の軍隊」と似通っていると評されるほどだ。東京・警視庁の第4機動隊も沖縄に派遣され、キャンプシュワブゲート前で沖縄の労働者市民をはじめとする座り込み行動への排除の先頭に立っている。

 派遣された警視庁機動隊は年末に戻ってきたが、年明けにはまた沖縄にローテーション派遣される、ということだ。

 この日の行動は、立川 市の第4機動隊に向けて「沖縄に行くな、弾圧ヤメロ」の抗議の声を届ける行動として呼びかけられた。第4機動隊前に集まった立川、三多摩地区を中心にした労働者、市民は一二〇人。第4機動隊の施設に向けて「辺野古の闘いへの暴力をやめろ」「機動隊は仕事をさぼれ」などのシュプレヒコールと呼びかけ、歌や、スピーチが行われた。マリリン・モンロー、ジミー・ヘンドリクス、エルビス・プレスリーやダグラス・マッカーサーに扮した「米国人四人組」からのあいさつというパフォーマンス、歌での呼びかけなども行われた。

 この訴えは、確実に沖縄に派遣される機動隊員にも届いたはずだ。立川や三多摩の仲間たちは、辺野古現地の闘いにかけつけるとともに、地域住民に対して沖縄の闘いと結びつく創意的な行動をさらに大きく広げていこうとしている。

(K)

本日の辺野古(2016年1月1日)

新年おめでとうございます。


沖縄・辺野古も新年を迎えました。


元旦の日の出に合わせて、一年の闘いの決意を新たにする「初興し」が辺野古の浜で
行なわれ、700人参加しました。

 

1.辺野古の浜で、2016年正月の年初め

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2.40人のかぎやで風

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3.辺野古の海に初日の出

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4.フェンスの向こうの米軍基地のビーチは、水陸両用戦車のタイヤの跡

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5.米海兵隊のフェンスに掲げられた横断幕

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6.日が昇り、浜にあふれかえった参加者、700


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7.浜全体に広がり、全員でラインダンス

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8.山城博治さんが、来年の正月は勝利の祝いをしようと呼びかけ


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今年もまた、沖縄から出来るだけ情報を発して行きたいと思います。

よろしくお願いします。


O・Y 


報告:12.13三里塚―東峰現地行動

13三里塚デモ 12月13日、三里塚空港に反対する連絡会 は、「成田空港『第三滑走路』計画を撤回せよ! 横堀現闘本部裁判勝利! 年間30万回飛行、飛行制限時間緩和を許さない! 反原発―再稼働やめろ! 沖縄・辺野古新基地建設反対! TPP反対!」を掲げて「三里塚―東峰現地行動」を行い、36人が参加した。

 成田国際空港会社は、アジアハブ空港競争に敗北しただけではなく、羽田空港新滑走路供用開始によって国際空港としての地位低下が止まらない状況だ。すでに国交省航空局は、成田空港の役割を「国際線同士の乗り継ぎや格安航空会社(LCC)貨物中心というようになるのではないか」(東京新聞11・16)と位置づけているほどだ。

 空港会社は、劣勢挽回のために必死だ。東京五輪による航空需要拡大をでっち上げながら30万回離発着、空港拡張、安全軽視のLCCの誘致、離着陸制限時間の緩和圧力、「第三滑走路建設計画」キャンペーンを強めている。その現れが11月27日の「成田空港に関する四者協議会」(国、千葉県、成田市など周辺九市町、成田国際空港会社)だ。2030年までに成田に第3滑走路を作るという国土交通省の計画に続いて、空港会社は①B滑走路を北側に1000㍍延伸して3500㍍案②B滑走路南側に第3滑走路3500㍍整備案を提示した。メディアに「第2案が有力」とキャンペーンさせながら、早期に実現したい夜間飛行制限時間(現行では午後11時から午前6時までは飛べない)の緩和を求めるほどだ。

 事前の利権配分の合意ができていなかったため参加者から「(2013年3月に)午後11時台に新たなダイヤを組まないと約束したばかりで、夜間飛行制限緩和の議論自体おかしい」「午後10台以降の増便検討は、騒音下住民を無視していると言わざるをえない」と反発される始末だ。しかも協議会には、森田千葉県知事、夏目誠空港会社社長の欠席で不信を増幅させてしまった。

 このように空港会社は、空港周辺地元による第3滑走路計画要求を担保にして安倍政権に財政出動を迫っていく方針だ。とりわけ成田第3滑走路を目指す有志の会には、石毛博道(元青年行動隊・元反対同盟事務局長)などが事務局となり、周辺商工会が参加し、推進の先兵となっている。しかしこの手法も東京新聞に「成田空港の第三滑走路は、財源確保や事業の枠組みが未定で構想段階」「建設ありきではない姿勢が求められる」と言われるレベルなのだ。国・空港会社・空港推進派による住民追い出し廃村化、農業破壊、騒音の拡大による生活破壊を許さない。第3滑走路建設計画を撤回せよ。

 集会が旧東峰出荷場跡で始まった。

 山崎宏さん(横堀地区/労活評現闘)は、「第3滑走路計画を国が出し、空港会社がそのメリットについて報告した。11月の4者協議会ではB滑走路南側に第3滑走路3500㍍案が有力だという。成田第3滑走路を目指す有志の会は、そのお先棒となっている。第3滑走路計画に対して厳しく批判していこう」とアピールした。

 石井紀子さん(成田市川上)の発言。

 「先ほど皆さんと一緒に東峰共同墓地に行って、大木よねさんのお墓を墓参した。立派な石碑ができてよかった。感無量です。私も東峰の『特別区民』として色々な行事に参加させてもらっている。ここに生きて暮らし、守っていきたい」。

 「安保法制反対で国会に行ったが、あんな戦争法を通してしまった政府はなんなんだろう。国民の平和を守るなどと空々しく言えたものだ。腹が立ってしょうがない。国会には小さい子どもを連れたお母さんたちとか、お年寄りのグループとか、高校生、若者たちが一人一人で集まってきて心強かった」。

 平野靖識さん(東峰地区/らっきょう工場)の発言。

 「昔の仲間たちが第3滑走路計画のお先棒をかついでいる。地域の生き残りのために空港誘致に動いている。非常に残念な事態だ。これは地域力が衰えていることによって起こっている。三里塚物産は、地域の生産物を加工して販売している。ベテランの農業者が他地域の若者も含めて伝えている。地域力を維持しながら、根拠地にして闘っていきたい」。

 「11月のはじめにNGOのスタディーツアーで沖縄の辺野古、高江に行った。現地の仲間たちも含めてかつて三里塚に行ったことを話してくれたり、いろんな出会いがあった。三里塚に参加した人たちが各地で闘っている。空港半分を諦めさせ、仕事をして暮らしているのは根拠地だとも言われた。今、北原派の市東孝雄さんの土地が奪われようとしている。高裁で不当判決が出て、最高裁で争っている。ぜひ関心を持って、支援していただきたい」。

 根本博さん(泉州沖に空港を作らせない住民連絡会)は、「関西新空港は、いまだに1兆円を超える赤字を抱えている。空港建設に伴ったエアポートシティやゲートウェイに出資した地元自治体は多額な借金で苦しい状況だ。2001年から反空港全国連絡会とし全国の仲間と交流し、赤字の福岡空港、関西新空港、静岡空港の問題点を明らかにしてきた。運営権を民間に売って生き延びようとし、そのしわ寄せが空港で働く労働者に強まっていく。空港が右肩上がりで続くというのは嘘だ。成田空港の第三滑走路は必要ない。生活破壊、軍事利用反対などの視点からもチェックし反対していこう」とアピールした。

 集会終了後、デモに移り、開拓道路前に到着。B滑走路に向けて「三里塚空港粉砕!第3滑走路計画を撤回しろ!」のシュプレヒコールを行った。デモは、旧東峰共同出荷場跡に戻り、交流会に入り、各地の闘いなどを報告した。

(Y)

本日の辺野古(2015年12月18日、19日)

本日の沖縄情報は、先週金、土の現地の様子です。

12月18日(金)は、ゲート前座り込み530日。早朝からの座り込みを強制排除する機動隊は手加減なし。けが人が出てもひるまず闘いつづける。決して屈しないこと。


(1)ゲート前530日

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(2)座り込みの人の手足を持って強制排除する機動隊

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(3)手作りのポスターを持って掲げる人

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12月19日(土)は531日目。台湾からの参加者は早朝6時過ぎからゲート前に。機動隊の排除に抗議しながら、カメラで撮影。台湾人権促進会のメンバーたちは、沖縄の闘いをかならず台湾へも広げてくれることだろう。ゲート前で歓迎のカチャーシー。

(1)ゲート前531日目

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(2)台湾人権促進会の人々がゲート前を訪れ挨拶

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(3)台湾の人びとを歓迎してカチャーシー

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O・Y

本日の辺野古(2015年12月16日)

本日は、今日(12月16日)のゲート前の様子を報告します。

①12.16今日は座り込み528日目。キャンプ・シュワーブゲート前の闘いは、不屈。528日目に。
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②ぎっしりと座り込んだ抗議の人々。資材搬入ゲート、通称旧ゲートに座り込む人人。
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③着いた時にはもう人がいっぱい。私もすみに座り込む。通常、ゲートが開き機動隊の強制排除が始まる7時前になっても機動隊は出てこず、工事車両も姿をみせない。
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④各市町村議員が挨拶。県議団に続いて、西原町、八重瀬町、名護市、那覇市、豊見城市などの議員たちが発言。
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⑤ゲートを通過する米軍車両に抗議。第一ゲート、通称新ゲートで通過する米軍車両に、‘US Marines, get out of Okinawa'
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⑥道路に飛び出して抗議する人も。米軍に対する怒りも徐々に沸騰しつつある。
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⑦第一ゲート前も抗議の人でいっぱい。資材搬入ゲートの座り込みののち、第一ゲートに移動してゲート前で集会。今朝の結集はおよそ300~400人ほど。
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⑧ゲート前のテントはますます拡張。立派なテント長屋に。
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今日も資材の搬入ができませんでした。最近毎週水曜日は大結集で、工事車両の進入を阻止しています。
週1を週2、週3にしていくのが行動面の当面の課題です。

安倍は工事の遅れを挽回しようと、法律を無視し県の許可を得ないで勝手に工事を進めています。
彼は自分のやることが法律なんですね。

O・Y

本日の辺野古(2015年11月20日)

キャンプ・シュワーブゲート前、1120日(金)早朝の様子をお伝えします。


同日朝、北中城の米軍司令部前で500人を集めて抗議行動をしたことも関係して、辺野古への結集は100人足らずでした。


それに対して警察機動隊は最大動員。座り込みの前に、34重に警官が取り囲み、力ずくで排除活動を行ないました。機動隊の腕力は強いとあらためて感じました。


時系列に沿って、ご紹介します。



76分。排除された最前列の人たちから米軍基地フェンスと警察車両の狭い空間に押し込められる。激しいもみ合いと糾弾が続く。

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78分。現場の警官は主に警視庁からの機動隊。荒っぽい。

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720分。座り込みはみんな排除された。排除に20分かかった。小さな成果。ゲート周辺は警官だらけ。

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④ふたたびゲート前に集まり、集会。沖縄県内だけでなく、日本全国からの参加者がいる。今日初めて座り込みに参加した数人が挨拶。神奈川、東京、沖縄の糸満市からもいた。

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OY

11.21 戦争廃止へ新宿駅西口で署名活動

IMG_0578 (1)新宿駅西口 2000万署名
戦争法を廃止せよ

  11月21日午後一時から二時半にかけてJR新宿駅西口で、アジア連帯講座が独自の「戦争法廃止を求める」二〇〇〇万人署名活動を七人で行い三〇筆を集めた。

私たちの横で「生活の党と山本太郎となかまたち」が街頭宣伝活動を行い、自分たちも「戦争法廃止を求めている」と訴え、われわれが署名活動を行っていることに連帯を表明していた。新宿駅西口を通行する人は外国人旅行者と思われる人々が多く通る中で署名活動を始めた。

  署名に応じてくれた人々は年齢の高い層が多かったとはいえ、若者も交じっており、女性や男性など幅広かった。国会行動などにも参加しているだろうと思われ、内容を理解されている人から、通りすがりの新宿区在住の方も複数いた。これから新潟に帰って署名活動を行うという方もいた。こちらからしつこく署名を求めたというよりは、自分たちの方から積極的に署名をしてくれた。戦争法が成立した九月までの熱気がまだ残っているような雰囲気を感じた。

 六カ月間の短期で二〇〇〇万人署名を達成するという集中的な活動が要請されている。アジア連帯講座も月一回の独自行動で署名活動を予定している。参加を。

(M)

報告:11.19私たちはあきらめない!戦争法廃止!安倍内閣退陣!国会正門前集会

配信:国会1 11月19日、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会は、「私たちはあきらめない!戦争法廃止!安倍内閣退陣!国会正門前集会」を行い、9000人が参加した。

 11月13日のパリ同時多発テロを受けてフィリピンでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議は、「イスラム国」対テロ戦争を意志一致した。その後の日米首脳会談でオバマ米大統領は、「日米同盟は米国の安全保障の基軸となっている。安全保障関連法が9月に成立したことを心から祝意を表したい。地域だけでなく世界における連携をさらに広める協議ができる」と賛美発言をした。

 安倍首相は、米軍の南シナ海「航行の自由作戦」を支持し、自衛隊派兵について「日本の安全保障に与える影響を注視しつつ検討する。辺野古新基地建設が唯一の解決策だ。確固たる決意で進める」と表明した。このように対中国・北朝鮮シフトの米日軍事一体化の強化を再確認した。

 すでに安倍政権は、安保法成立後、2016年2月施行にむけて国連PKO活動で南スーダンに派兵している自衛隊に「駆けつけ警護」の任務を追加し、治安維持活動の一環として「殺す殺される」戦闘に踏み込もうとしている。同時に国内的には2016年伊勢志摩サミット対策と称して全国で対テロ訓練とキャンペーンを行い治安弾圧体制のレベルアップを開始している。

 自民党は、パリ同時多発テロに便乗して話し合うだけで罪となる共謀罪の制定を言い始めた。盗聴法改悪・司法取引・全面可視化否定の刑訴法改悪(参議院継続審議)成立後、共謀罪の早期成立をねらっている。グローバル派兵と戦争挑発、対テロ治安弾圧体制強化を許してはならない。

 9月19日の戦争法「参議院強行採決」の暴挙を許さず、必ず廃止する決意を込めて毎月「19の日」行動の2回目の集会は、「戦争法廃止!安倍政権退陣!戦争止めよう!野党は共闘!」のコールで始まった。

 井上哲士参議院議員(日本共産党)は、「安倍政権は、臨時国会を開くこともなく逃げ回り、沖縄辺野古基地建設に向けて憲法違反・違法を繰り返している。本日、安保法制に反対する諸団体と野党の意見交換会が行われた。自民、公明党政権を打倒しよう」とアピール。

 照屋寛徳衆議院議員(社民党)は、「安倍独裁政権を打倒するために力を合わせていこう。昨日、キャンプ・シュワブゲート前に1200人が結集し、警視庁・沖縄機動隊をはねのけて工事阻止を闘いぬいた。戦争のための辺野古新基地建設に反対していこう」と訴えた。

 福山哲郎参議院議員(民主党)は、「強行採決の悔しさがよみがえっている。反対の闘いは、続いている。この熱気を参議院選挙まで続け、自民・公明党政権を追い込んでいこう」とアピールした。

 伊藤真弁護士(戦争法違憲訴訟)は、「残念ながらパリでテロが起きたしまった。テロは凶悪な犯罪だ。犯罪は司法によって裁かなければならない。2001・9・11同時多発テロ以降、米はテロを戦争の対象としてしまった。戦争は市民の命を奪う。多くの犠牲者を出してしまう。テロとの闘いという名目の戦争であっても、絶対に加担してはならない。どんな戦争にも否定したのが憲法九条だ。武力の行使を認めていない。戦争法によって憲法の根本が破壊された。絶対に許さない。戦争法差止めと違憲による国家賠償請求を行う。戦争法の違憲を司法の場で問いただしていく」と表明した。

 さらに、内田雅敏さん(戦争をさせない1000人委員会)、長尾ゆりさん(憲法共同センター)、山岸良太さん(日弁連憲法問題対策本部本部長代行)、坂本洋子さん(mネット・民法改正情報ネットワーク)、スンダーラム・クマールさん(インド/核軍縮と平和のための連合)、ノーマ・フィールドさん(米シカゴ大学教授)、野平晋作さん(止めよう!辺野古埋め立て 国会包囲実行委員会)、西谷修さん(安全保障関連法に反対する学者の会)から発言が行われた。

 最後に高田健さん (解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会)は、「ネットニュースで『テロとの闘い 緊急事態条項のない日本国憲法の欠陥』と言い出すメディアがいる。テロとの闘いに全面的に参加するために明文改憲をねらっているのが安倍政権だ。私に韓国の第3回李泳禧(リ・ヨンヒ)賞受賞の連絡が入った。韓国の人々が戦争法反対運動との連帯を示してくれたことを喜びたい」と述べ、①戦争法廃止を求める統一署名の取り組み②自衛隊を戦場に送るな!12・19かり講演集会(14時~/北とぴあ・さくらホール〈JR王子駅〉)③1月4日からの通常国会に国会前に集まろう、と行動提起した。

(Y)


本日の辺野古(2015年11月18日)

キャンプ・シュワーブゲート前座り込みを始めて500日目の1118日(水)、早朝から最大結集で抗議行動が展開され、ゲート前は人で埋め尽くされました。1200人とのこと。


17日、日本政府は不法にも「代執行」を掲げて翁長沖縄県知事を裁判に訴えましたが、これに対する県民ぐるみの反撃となりました。


本日の模様を時系列にそって、6枚の写真でお伝えします


7:25 夜明け前から資材用ゲート前で座り込み、すでに1000人近くに。いつもなら7時5分前くらいから警察機動隊による強制排除が始まり、工事関係車両が通過するが、この日は警察機動隊の動きなし。工事関係車両も通らない。人が集まれば工事は止められる!


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8:14 ゲートの反対側に陣取ったドラム。アピールや歌にあわせて盛り上げる。


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8:21 資材用ゲートの反対側の道路も人、人。

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8:51 資材用ゲートを間に上の方は第一ゲートまで、下のほうは名護市の水道局のゲートまで連なってアピール。


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9:13 アピール行動を終え、再び資材用ゲートで座り込み。くばがさをかぶって発言しているのは平和市民連絡会の城間さん。

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10:18 ゲート前座り込みは昼前まで継続。この日500日を迎えたテント。

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O・Y

本日の辺野古(2015年11月7日)

みなさん

少し遅くなってしまいましたが、本日は11月7日(土)の大浦湾と辺野古の海を紹介します。

この日、キャンプ・シュワーブのゲート前では、早朝6時から150人の座り込み。

警察は機動隊を動員して座り込みを排除しワゴン車3台と作業員数名を基地の中に入れました。

「本体工事着工」と言いながらこの程度の人数で何をしているのでしょうか。昨年来解体工事を進めた米軍兵舎の後始末など雑仕事です。

海上でも工事は行なわれていませんが、抗議船4隻とカヌー20隻余りを出し監視と抗議を行いました。

①左は「不屈号」右側は防衛局の船。不屈号がフロートの外を航行しているのに対し、防衛局の船はフローとの内側を航行している。右に見える島は長島。この日地元の住民から聞いたところによると、このフロートは1個、大3万円、小8千円とのこと!
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②不屈号の右に黄色のカヌー。不屈号のエンジンの後に小さく黄色いカヌーが見える。暑い日差しの中波に揺られながらも、毎日頑張りぬく。
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③フロートの外にへばりつくカヌーの群れ。二人乗りの抗議船ゴムボートとフロートの向うに小さく並ぶカヌー隊。きびしい闘いを支えるのは美ら海を絶対に守りぬくとの強い意志。
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④フロートの後に見えるキャンプ・シュワーブと辺野古岳。こんなに美しい海が埋め立てられ、戦争の基地にされてはいけない。
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⑤海から見たキャンプ・シュワーブの姿。道路側からは良く見えない米軍基地の全体像が海側からは良く見える。沖縄戦が終わってから70年。戦争の負の遺産・米軍基地がいつまでも沖縄に居座っていて良いわけがない。
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O・Y

本日の辺野古(2015年11月4日)

みなさん

昨日から警視庁の機動隊が辺野古に投入されました。現場では一段と警察の警備、暴力が強まっています。

昨日の早朝行動には約200人が結集。警察との激しい攻防の末、資材搬入ゲート前の座り込みを守り抜きました。ところがその後、第一ゲート前で、警察の暴力により、一人が逮捕、一人が倒れ救急車で病院に運ばれました。


①資材搬入ゲート前座り込み。午前6時から。沖縄県議会議員、名護市、糸満市、浦添市など市町村議会議員が約20人参加し、そろって挨拶。第二ゲートに至る道沿いを数百メートルにわたって各所でゲリラ戦を展開。警察は資材搬入ゲート前座り込みの排除を途中であきらめ、退散。

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②第一ゲート前デモ。その後、午前8時過ぎに第一ゲートに移動してデモ行進。

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③第一ゲート前座り込み。整然と座り込む。

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④第一ゲート前米軍車両。その最中も米軍車両は何台も、我が物顔でゲートを通過していく。米軍こそが当事者であることを、〝U S Marines Get Out of Okinawa"と突きつける。ニタニタ笑う米兵、Vサインをする米兵、目をそらす米兵、知らんふりの米兵。いつまでも沖縄にいられると思うな!

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⑤第一ゲート前機動隊の暴力。反対側の道路まで押し寄せ暴力を振るう警察機動隊。一人が逮捕され、一人が道路に頭を強く打ちつけ倒れた。救援メンバーが介抱している。

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⑥第一ゲート前救急車で搬送。しばらくして救急車が到着、病院に運ばれた。全治一週間とのこと。

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なお、那覇港に停泊中のグリーンピースの船「虹の戦士号」に、沖縄総合事務局は、辺野古への停泊を不許可。沖縄では、日本政府による法律を無視したとんでもない悪政がさまざまに横行しています。

O・Y


本日の辺野古(2015年10月30日)

【仲間からの報告を転載します】

昨日(10月30日)の辺野古現地の朝の攻防の様子をお知らせします。

写真は5枚です。

①座り込みは6時から始まる。座り込んでいる場所は、資材搬入用ゲート。朝7時前の写真は3枚。これはゲートを背にして道路側を写したもの。警官隊がズラリ。

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②同じく、座り込んでいるところからゲート側を写したもの。ガードマンがズラリ。このガードマンたちは、ALSOK(綜合警備保障)という会社のガードマンで、防衛局と契約している。来年3月まで約8ヶ月間の契約金額が20億円近くにのぼることが最近明らかになった。

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③同じく、座り込みの場所から右手を写したもの。左右には警察装甲車が24時間駐車したまま。

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④排除された座り込みの人びとは、こうした囲みに押しやられる。警官隊は日本本土から動員されている。どこから来たのか、沖縄の基地問題を知っているのか、何を聞いても答えない。丁寧にやさしく、辺野古基地に対する県民の考えを話す。と共に、デモ隊に対する乱暴な言葉遣い、態度をとらないよう諭す。

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⑤資材搬入用ゲート前での攻防が一段落すると、第1ゲート(新ゲート)でのアピール行動に移る。この段階では参加者は200人以上。

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この日、一人が倒れ、救急車で病院に運ばれた。警察の暴力と工事の強行に抗議して、1時間以上ゲート前を占拠。

O・Y
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