湯川順夫:民族問題の歴史からウクライナ問題を考える(2022年6月)
(誤記等は*印で修正・補足した:ブログ管理者)
A一一当面の中心的で本質的な問題は。まず何よりもロシア・プーチンの大ロシア民族排外主義政権によるウクライナ軍事侵略を阻止すべきだ。なぜなら、今回の侵略は、ウクライナに対するロシア排外主義によるあからさまな、民族抑圧、軍事的占領、直接的なその軍事侵略そのものであり、それ以外の何物でもないからだ。従って、私たちの議論、取り組みは、まず何よりも、以上の立場からから出発しなければならない。
B一一でもプーチン政権をそうせざるを得ない立場に追いやったのは、NATOを初めとした日本をも含む欧米日の西側大国ではないのか?
A一一ということは、あなたは、ロシアのプーチン体制が圧倒的軍事的優位を背景に。ウクライナを全面的に軍事侵略して、それを支配しようとしているのに、悪いのは主として西側大国だと言いたいのだろうか? 西側大国の責任非難することだけで。済ましてそれで終りだということだろうか? この事態に当面何をすべきなのか?
B一一いや、それは……。そうは言っていない。でも、これは結局、西側と東側の両大国間の対立ということなのでは?
A-一問題を戦略的に考えなければならない。
B一一「戦略的」とは、上から目線だね!
C一一戦略的とは上から目線などということではなく、全体的な今日の情勢を考えて、まず何に集中的に取り組むべきかを考えるべきだ、ということだ。当面集中すべきは、まず何よりもプーチンの政権の軍事侵略を阻止し、それを挫折、ロシア軍のウクライナからの撤退を勝ち取ることであり、これをウクライナの民衆とロシア国内の戦争に反対する勢力、全世界の民衆の力を結集して、この点を勝ち取ることだ。
その点を明確にせずに欧米日の西側大国に責任があるというだけしか言わないのは、それは当面、何に集中して闘うべきか、その焦点を曖昧にすることになるだろう。
B一一でもそれでは、ウクライナの「ネオナチ勢力と一緒になってロシアと闘うことになるのでは? それでよいのか?
A一一極右勢力がウクライナ国内で一定の勢力を保持しているのはその通りだ。隣国の大国ロシアがウクライナはロシアのものだとして軍事侵略をして来ている状況のもとで、極右がー定の勢力をもつことは、ある程度、想定される。
だが、ロシア軍の無差別攻撃によって、殺害され、家を破壊され、避難したり、故郷を迫われて国外に逃れたりしている圧倒的多数の人々はネオナチの人々なのだろうか? このように考え、宣伝しているのはプーチン政権の側であって、現実は、こうした苦難に遭遇しているウクライナの人々の圧倒的多数は、ネオナチではなくて、大国ロシアの圧倒的な軍事侵略を前にして、ウクライナ民族主義の立場を取らざるえなくなっているということなのだ。ネオナチとウクライナ民族主義とは区別しなければならない。圧倒的に強大な力をもつ大国の不当な力による軍事侵略を前にして、人々は時として民族主義に自分たちの怒りの表現のよりどころを求める。
「ル・モンド」紙(2022年3月)によれば、ネオナチだと非難されているアソフ大隊は、ウクライナ軍全体の2%未満の割合を占めているにすぎない、という。
同じく国政選挙でも同紙は、ネオナチと言われている政治勢力がきわめて弱体であると指摘している。そのうちの二つの政治勢力のうちの一方である、プロヴィイとセクトルの二党合わせた候補者の得票率は3%未満であり、すなわち、スボボダの候補者のオレグ・ティアグニボクが1.8%、プラヴィイ・とセクトルの党首、ドウミトジ・ヤロシュが0.9%であった。同紙は、要するにこれらの勢力は反ユダヤ主義とは何の関係もないとしている。これが、ウクライナの極右勢力の現在の実態なのだ。
B一一でも、それはネオファシストと一緒に反ロシアで鬪うことを意味しないだろうか?
(*A一一)きわめて大規模な反原発運動が存在しています。大衆鉄器(*「的」の誤り?)であるがゆえに、この運動には保守派をも含めて実に多様な政治潮流が登場します。でも、人々は、その中に保守派がすこしだけ参加しているからと言ってそれにについていちいち目くじらをたててはいません。そうした保守派が参加しても、それはごく少数であって、反原発運蔵(*「動」の誤り?)全体の性格に影響を及ぼすことなどないということなどはないと十分承知しているからです。
同じことは、フランスの「黄色いベストの運動」についても言えます。この運動は、きわめて大規模で長期にわたって持続した重要な全国運動になりました、Bさんは、囗に出しては言わなかったのですが、当初、この運動に批判的だったのでないだろうか? トラック輸送業者が極右勢力と結託して、運動を代表しようと試みました。しかし、こうした姑息な試みはすぐさま運動地震(*「自身」の誤り?)から排除されてしまいました。デモに参加していた極右派の隊列も、CGTやNPAに対する武装襲撃を試みて、排除されていきました。フランスの社会運動は、この運動の中で地区から代表を選出する全国会議を何度か開催する努力を続けました、これは、これまで既存の労組や政党と関わったことはなく。
そうした官僚機構に強い不信感を抱いていた運動参加者にとっては、容易に応じることができるものではなかった。しかし、この運動は、こうした社会運動の地道な努力によって、いくつかの地城で、社会党・共産党の左の立場に立つ地域の社会運(*「動」が抜けている?)の共闘の結成へとつながり、それらを通じていくつかの地で地方議会の議員を当選させるに至りました、わずかな成欧(*「成功」の誤り?)ですが、極右派の介入を危惧するのではなく、社会運動の地道な活助によって、それを克服できるのだ、ということをこのことは物語っていないだろうか?
C一一この戦争は結局、両大国間(欧米日)ロシア(中國)という2大国陣営の対立・戦争ということになるだろう。
Aーーそこだけを取り出せば、それ事態間違っていない、でもそれでは余りにも抽象的で、第一大戦以降にも当てはまり、具体性に欠け、何も言っていないことになるだろう。
こうした大規模な戦争では、ひとつの形だけではなく、さまざまな形態が複合的に結びついている。
Cさんが問題しているてん(*「点」か?)を、エルンエスト・マンデルは、次のように説明している。今回のロシアの侵略のような大規模な戦争はいくつかの形の複合的組み合わせとして展開される、と。
たとえば、第二次世界大戦の全体的な性格は次の5つの異なる戦争の組み合わせだ。
①帝国主義相互間の世界的ヘゲモニーを目指す戦争(米英仏など 対 日独伊)。アメリカがこれに勝利を収めたーCさんの指摘している側面
②ソヴィエト連邦を破壊植民地化して、1917年のその成果を破壊しようとする帝国主義の試みに対する、ソ連による正義の自衛戦争
③にほん帝国主義に対する中国人民のさまざまな軍事大国に対する中国人民の正義の戦争
④さまざまな軍事大国に対するアジア、インドシナを含むアジア人民の正義の戦争
⑤ヨーロッパの被占領地城の民衆よって民族解放の正義の戦争(ユーゴスラビア、ギリシャ、フランスイタリアなどのレジスタンス)。
この5つの戦争の密接不可分の関係に関係しているので、①の戦争の携帯(*「形態」の誤りか?)も民衆の戦い(②、③、④、⑤の形態を内包していた、とマンデルは主張しているのです。この要素を彼は「正義」の戦争と表現している。そこには、旧ソ連邦の赤軍だけでなく、労働者、抑圧を受けている人々、大地主の下で搾取・収奪されている人々、女性をはじめとする、いわれないさまざま差別を受けている人々がそれに参加していたのだ。
C--えつ、、、ソ連の官僚体制を評価するのですか?
A--でも、①の戦争は②、③、④、⑤のような民衆の闘いと不可分に結びっいていたのではないのか?
この視点を見ないと、今日の「歴史修正主義」の歴史的総括、「レジスタンスもナチも暴力の行使という意味では、同列だ」とする歴史的評価が台頭してきている。エンツッォ・トラヴェルソの批判は的を射ている。だから、抽象的何にしょせんは、大国間の争いにすぎないと酋長的(*「抽象的」の誤りか?)に言うべきではないのだ、という「歴史修正主義」的な歴史総括となってしまうだろうだろう。
冷戦が終結したアメリカのブッシュ大統領の統治時代に人々は大きな期待を抱いた。第二次世界いわゆる「国際社会」を根本的に改善できる時代が到来したのだという大きな期待だ。
エンツォ・トラヴェルソ『ポピュリズムとファシズム』(『作品社』)
A--このようにして戦われた第二世界大戦後の世界がどうあるべきか、ロシア革命の専門家であるE・H・カーは、つぎのように語っている。
「新しい国際秩序新しい国際調和というものは、寛容なおかつ圧政的でないものとして、あるいは……実行可能な他のどんな選択肢よりものぞましいものとして、それぞれ一般に受け入れられる支配を基礎にして切めて築かる。支配下の領土に対するドイツないし日本による、事実、イギリスやアメリカの場合がの方が大きな要素となっている」
「不平等を緩和して紛争を解決するため、経済的利益は犠牲にされなけれぱならない」。
以上の国際的枠組みは、われわれの社会運動にとってまったく不十分なものだがー-社会主義やスターリニズ厶の指導部の抑圧、弾圧の結果として--、第二次世界大戦後の世界そのものであった。 国連、IMF、人権、福祉制度、人権、平等など
A-ーこれについて冷戦終結がさらにここから質的に前進する機会が訪れ、冷戦時代の莫大な核・大量破壊兵器軍拡の決定的な削減、その費用を世界の貧困、地球環境の決定的な費用に振り向けることが可能となった、これは、ロシアや中国にとっても基本的に受け入れられるものだっただろう。そして、こうして軍拡に使われてきた膨大な予算、ロシア・東(*「欧」が抜けている?)官僚体制の再生に振り向けることが可能だっただろう。
ところが、ブッシュ政権はそれとは正反対の方向へと走ったのだ。
自国経済を優先し、EUに支援を求めるリシア(*「ロシア」の誤り?)東欧体制に対しては、IMFのかの悪名高き「構造調整」を求めるだけだった。
経済についても、自国経済を優先し、「貿易戦争」に走った。そればかりでなく、アメリカが単独で世界の覇権を握るチャンスとばかり、「国連」すら無視し、イラク、アフガニスタンへの軍事侵略、占領にのめりこんでいった.
まさに、今、ロシアのプーチンやっていることことにほかならない。当然、このアメリカの軍事的侵略は、見事破産した。
ジルベール・アシュカル『野蛮の衝突』
A--以上の点を、欧米日の側の責任として指摘するCの主張は正しい
でも、再度繰り返すが、大国ロシアが大規模な軍事斟酌を展開しているこの時点で、その点触れず、プーチン政権の侵略に触れないのは、間違っている。
C--でも、ウクライナのネオファシストと一緒にかつどうするのはどうなのか?それで、国際労働者救援輸送隊の運動がある。今はヨーロッパへの送金は不可能なので これであれば、 直接、ウクライナの労働者へ救援物資を渡すことができりだろう。
C--ところで、ウクライナなどの東欧はどうしてヨーロッパの穀倉地帯になったのだろう、
Aーそれは大航海時代の世界の一体化の時代にさかのぼる。
西ヨーロッパの中世の古典的荘園では、封建領主=農奴の力環形(*「力関係」の誤り?)は次第に農奴に有利になりつつあり、地代は、賦役→物納→貨幣地代へと変わっていた。
こうした中で、世界の一体化によって、南米のポトシ銀山の、日本の銀がヨーロッパに大量に流入し、「価格革命」がおこり、農奴の力がさらにつよまり、その中から自立した市民層も形成されていく。覇権は、古代地中海から、ヨーロッパの大西洋岸に移り、アムステルダムに移行した。
他方、東欧ではそれと逆行する事態が進行した。封建貴族が農奴への締め付けを強化するという逆行が生じ=「再販農奴制」。こうして、東欧の支配層は農奴制の強化に基づいて、「資本主義的な」取引に基づいて穀物を西ヨーロッパに輸出するが関係が成立する、
中心 対 周辺 西ヨーロッパ 対 東欧
オーデルナイセ川を境に、東欧の西半分は、オーストリア・ハンガリー帝国、東半分は帝国」の支配下に、
(*テキストはここで途絶えている)