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アジア連帯講座のBLOG

エコロジー - 反原発・反温暖化

【報告】「原発を遠隔地に押し付ける」暴力~福島・浜通り、そしてベトナム、トルコ―映像&討論集会

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二月二三日、渋谷区隠田区民会館で「原発を遠隔地に押し付ける」暴力~福島・浜通り、そしてベトナム、トルコ―映像&討論集会が東電前アクション!の主催で開かれた。去年の九月から福島からの話を聞くということで始め、今回で三回目になる。原発を押しつけた構造的暴力の問題は事故前からあったのではないか、そしてそのことはいま原発輸出という形で外国に押しつけられようとしているのではないかという問題意識で討論会を開催した、と主催があいさつをした。


大熊町出身で原発被災者として、会津で運動を行っている木幡ますみさん(大熊町の明日を考える女性の会)がゲストとして紹介された。「日本人は何をめざしてきたのか 第5回『福島・浜通り 原発と生きた町』」(NHK Eテレ 1月4日放送)を上映しながら、木幡さんの報告を受けた。

 最初に司会者が、毎日新聞(2月23日付)のトップに、「東電 賠償打ち切り」と大きく掲載されている「毎月一〇万円払われている避難者への支援金を移住を決めると打ち切るという」記事を紹介し、東電とそれを容認している国の姿勢を批判した。


Eテレで放送された内容は①福島浜通りに原発が立地されていった経過②反対運動③反対運動が切り崩されていった経緯。


原発立地地域には戦前陸軍の飛行場があった。戦後は塩田がつくられた。その塩が自由販売から統制になり、塩田では生活が成り立たなくなった。土方や木こりをやったり、農業をやりながら出稼ぎに出るようになった。それは貧しかった。そんな時代、木村守江知事は一早く、原発誘致しかないと動きだした。東電も最初は神奈川、東京湾、房総地区などで原発立地を探していた。
 
木幡さんの話。
不正に土地の買い占めが行われているとムシロバタを担いで押しかけて反対した。父は原発で何かあったらたいへんだと、町長選に立候補したが五〇〇票差で負けた。この当時、町は賛成反対で二分していた。その後町議選に立候補したが交通事故で亡くなってしまった。


最初は反対運動が強かったが招待旅行をするなどして切り崩しが行われた。反対同盟の委員長の岩本忠夫さんは酒屋をやっていたが、酒に毒が入っていると誹謗されたり、娘さんが襲われたりした。残念ながら、岩本さんは双葉町長になり、原発増設を推進する側にまわってしまった。自分の夫も反対運動をやっていた。役場からは反対運動をやっている人は相手にしないと言われていた。

双葉町は城下町で上下関係が厳しく保守的だった。馬追いはおれは士族だったという意識を持つものだった。大熊町は開拓者が多く、何でも受け入れるという雰囲気があった。プルサーマル反対の時も反対運動が起きた。大熊町は山と海とその真ん中に平地がある。山の仕事が多く、梨や炭焼きで原発に頼らなくてもよいという展望があった。平地と海岸の人たちは原発で働いている人が多かった。
 
映像。
東電と知事の思惑が一致した。原爆のこともあり、放射能が大丈夫かという声があったが、「漏れなくする。出ない」と東電は説明。「大きな工場が誘致できる。ショッピングセンターもできる、すごい地域になる」とバラ色の世界を描いて見せた。出稼ぎしなくてすむようになった。原発建設で潤う。原発建設は「神様仏様」だった。


福島第二原発の予定地の地権者は全員が反対。「土地の買収に行くと、みんな戸を閉められた。絶対安全という証拠がない」。敦賀原発に連れて行き、安全性を見せた。帰りに大阪万博で、敦賀原発で発電した電気で灯っている「原子の灯」を見せた。そうすると反対の態度が変った。
 
木幡さん。
佐藤栄佐久知事が原発に対して重い重量税をかけた。東電は困った。そんな時、得体の知れない力が起きた。それはおカネであり、縁故だったりした。家族が東電に働くようになり、反対できなくさせた。
 
映像。
双葉地方原発反対同盟が「核と人間は共存できない」と作られた。岩本忠夫さん(社会党県会議員)が議会で建設作業員が2・5レントゲンの被曝をしていると告発した。一九七三年福島で公聴会反対闘争が起きた。この当時伊方原発反対など全国的に運動が広がった。福島県はどう対応したのか。国に支援策を求めた。大熊での切り崩しが起きた。
 
木幡さん。
原発に反対する人を原発作業には雇用しない。札束で顔をたたく。被曝していると分かると札束を持っていく。白血病が多かった。原発で働く人の葬式には東電の社員が制服で来て、「かってなことを言うな」という圧力をかけるために札束の香典を置いていった。いっさい文句を言わさないようにさせた。東電は地元に工業高校があるのに、その卒業生を雇うのではなく、町長や議会の家族を優先して雇っていた。下請けが国立高専や工業高校生を受け入れた。


採用されると反対しない作業員になっていった。絆が切られた。パチンコ屋や飲み屋がいっぱいつくられた。「カネさえもらえればよい」という風潮が広がり、子どもたちは「勉強しなくてもコネを使える」と考えるようになっていった。
一二~一三年前に原発のモニターをやった。原発の状態を見ることができた。賛成反対は半々。双葉活断層があるではないかと質問したら、所長は否定した。自家発電電源を底に置くのではなく、上に上げてくれ、と要望したら、「カネがかかる。ゆくゆくやっていく」と答えた。配管には錆がいっぱいついていた。
七次下請けの洗濯屋さんがいて、その人は「死ぬから」とよく言っていた。防護服を洗濯して放射能を浴びていたからだ。なぜかこの地域は肺がんが多かった。


東電は「家を作れ」と従業員に言っていた。東電の関連会社からカネを借りさせ、家を建て、東電に絶対に逆らえないようにした。


吉田所長はがんで死んでいる。吉田さんはいっぱい書き残したが全部東電に没収された。

原発立地地域は豊かになったが代償が大きかった。悲惨な思いは我々だけでたくさんだ。

質疑応答の中で、いま必要なことはという問いに、木幡さんは①町長を取り替えること②中間貯蔵所を線量の高く、戻れない地域に作る。ただし、最終処分場をそこに作るのには反対③大熊町がカギだ。東電、国に従うのではなく、住民のための政策をつくる、と答えた。
 
木幡さんのお話の後、東電前アクションから「今国会で原子力協定を結び、原発輸出を推進する。輸出された国の中でも環境破壊が起こる。ヨルダン、UAE、トルコ、インド、ベトナム。そしてサウジアラビア、ポーランド、リトアニアと続く。国境を越えた闘いが必要だ」と訴え、インド、ベトナム、トルコの現状が報告された。最後に3・11(午後6時)東電前アクション、3・13(午後7時)経産省前原発輸出反対行動への参加が呼びかけられた。
(M)
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【フィリピン】台風被害後の民衆の生活再建のために

haiyan7(写真は東部ビサヤ地区)

ハイエン/ヨランダ後のフィリピンと「再建の政治」



リチャード・ソリス



 フィリピンの災害から四〇日という、公的で伝統的な服喪期間(二〇一三年一一月八日から一二月一八日まで)が終わったところだ。それは、愛する人びとの喪失を苦痛に満ちて受け入れ、人びとの感情的・心理的傷をいやす期間であるべきだ。それはまた、かれらに残された家屋と暮らしの何を再建するのかを、自ら見つめる時間でもあるべきだ。

 しかしこのつながりの中で、人びとは次の問いを発せざるをえない。再建、あるいは回復すべき何ものがあるのか、と。それは、災害以前の時期に戻ることを意味するのか、と。次の事実を思い返すべきだ。超大型台風ヨランダ/ハイエン(STYH)が最大の猛威をふるった東サマールとレイテ、あるいは東部ビサヤ(訳注:ビサヤ地方はフィリピン北部のルソン島と南部のミンダナオ島の間の諸島を指す)は、この国で三番目に貧しい地域なのだ。四二〇万人の人口の約半数は、低収入のコプラ(ココヤシの実を乾燥させたものでヤシ油の原料)労働者と漁民である。地域経済として、持続可能な枠組みは全くと言っていいほど欠如しており、鉱山や木材伐採といった、超大型台風の惨劇への自然のバリアーとなるエコシステムの脆弱性を直接に引き起こす自然破壊的産業によって、政治が操縦されてきた。

 こうした状況は、住民全体に慢性的貧困をもたらした。例えば東部ビサヤの事例は、貧困がますます悪化する状況をくっきりと描き出している。二〇〇九年には住民の四七%が貧困ライン以下で生活していた。二〇一二年にはそれは六〇%に急上昇した。この地域(東部ビサヤ)は、全国で収入の格差が最も大きく、勤労住民の上位三〇%が底辺の三〇%の住民の八倍の収入を得ている。

 東部ビサヤの住民の悪化する貧困状況(この国の他の地域と同様に)のため、幾百万人の人びとが自然災害(あるいは人工的災害)から自らを守る力や、災害後に損害を埋め合わせる手段を奪われている。

 超大型台風ヨランダ/ハイエン(STYH)によって最もひどい被害を受けた人びとの九〇%近くが貧しい住民であり、死者の四〇%がこうした最悪の災害から自らを救うことができない六〇歳以上の人びとだったということを知っても驚くにはあたらない。

 こうした状況は、STYHに直撃された地域の住民にとって災害前からの条件だった。ヨランダから生きのびた人びとは、かれらの生活の再建・再構築について語るとき、こうしたありかたに戻ることを望まないだろう。それは過去の過ちの再建であるべきではない。



生活の再建と過去の是正



 ベニグノ・「プノイ」・アキノ大統領(プノイはベニグノ・アキノの愛称)と彼の政府は、ヨランダによる被害総額を一二〇億ドル、再建と復興に必要な総額は一三〇〇億ドルと見積もっている。プノイは、二日前のヨランダ被害からの再建支援国際援助機関(RAY)会合の席上で、そのように言及した。プノイ政権は再建・復興活動の異なった局面についても定義した。この六カ月が決定的に重要であり、短期的には一年、中期的には四年がめどとなる。

 二〇一三年一二月二四日は、タクロバン(レイテ島の中心都市)の仮設住宅の入れ替えの期限であり、この時までにエネルギー庁長官(ペティラ長官はサマール島出身)の約束では、都市部と他の市街地中心部の電力は一〇〇%復旧することになっている。プノイ政権と地域のエリート階層は、採掘産業と開発の枠組みに突き動かされてきた政治は不可侵であり、したがって再建・復興期間中に電力が復旧されることを明らかにしているのだ。

 こうした中でヨランダの被災者たちは、この荒廃状況から生き延びるだけの生活を送っており、国内・国外のNGO機関・組織や食料配給に日々依存している」。政府からの食料パッケージは、最終的には対象とされる受領者に届いているのだが、全くというわけではないにしても、かなりの腐敗段階に入っている。

 被災地域で人身売買の被害者が出ているという証言がある。そこでは、若い女性が売春行為に引き込まれている。フィリピン人海外出稼ぎ労働者(OFWs)となる候補者を求める非合法のリクルーターたちがうろついている。そこで彼らは、OFWsとなるヨランダの生き残りたちを搾取してカネもうけをすることができるのだ。

 復興・再建計画は、過去のあやまちを繰り返すべきではない。それは採掘・伐採活動と事業の完全な停止から始めるべきである。一〇年以上前(二〇〇一年)にオルモック市(レイテ島西海岸にある都市)で大災害が起きた。せきを切ったような洪水で五千人以上が亡くなった。悪評判をかきたてる採活動の禁止に言及した当初の反応を別にすれば、その災害は意図的に忘れ去られた。政治的・経済的エリートたちが、伐採・採掘事業の背後にいたことは誰もが知っていることだ。

 再建という考え方は実際には過去のあやまちを「再建」するものだということが、はっきりと示されている。ヨランダのような最悪の災害に人びとがさらされ、より傷を受けやすくなるような条件が作りだされるだろう。

 経済的・社会的不平等が根本的に問題とされるべきであり、貧しい人びとや、そのコミュニティーが自然災害や人工の災害に対してきわめて弱いものになってしまうような抑圧的メカニズムを作り出すシステムは解体されるべきだ、という枠組みの中に、再建は位置づけられるべきだ。

 再建はたんにシェルターや橋といったインフラを建設することではない。それは民主主義的ガバナンス(自己統治)と民衆の主体的力量の向上(エンパワーメント)であるべきだ。したがってそれはまず何よりも、気候変動への弾力性がある住居の建築であれ、長期的な生計プログラムであれ、あるいは沿岸地域のマングローブの再生であれ、再建を実施するあらゆる段階において自己自身を再建するための基本的権利を尊重することである。こうしたすべての局面で、災害から生き残った人びとがまず最前線に立つべきだ。それは、かれらが自分たちの生活とコミュニティーを再建するのだという単純な理由によるものである。

 人びとは、発展のための施設を伴ったかれら自身の組織を通じて、戦略的計画を主導し、災害への脆弱性を長期的に削減するプログラムを実施し、災害後の時期の補償プロセスのためのメカニズムを打ち立てるべきである。

 しかしそうした活動には、解放的メカニズム、農民のための真の土地改革、漁民の漁獲権の擁護が必要となる。言い換えれば、さまざまなプログラムを採用する前にシステムを変革するような多くのことを成し遂げるべきである。気候変動による災害に対する貧しい人びとの、とてつもないほどの無力さを生み出す構造を除去しなければ、被害を最小限にとどめることはできない。

 これは住民の多数が、台風や洪水の破滅的影響を回避するための長い、曲がりくねった道である。しかしこの温暖化した世界に近道はない。



何が必要か?



 先に述べたように、超大型台風ヨランダで最大の被害を受けた東部ビサヤは、この国で三番目に貧しい地域でもある。この地域をモンスター的台風が襲う前には、四二〇万人の人口の五〇%以上が貧困レベル以下で生活していた。この地域の慢性的な貧困は、貧困線以下の人口が二〇〇九年の四七%から、二〇一二年には六〇%になったことに現わされており、さらに今年、とりわけヨランダ襲来以後は、想像を絶するレベルとなっている。

 経済的周縁化状況の悪化と、住民の多くが政治から疎外されていることにより、この地域は暴動・反乱の豊饒な基盤になっていった。フィリピン共産党(CPP――いわゆるシソン派)とその武装組織である新人民軍(NPA)への徴募はきわめてたやすいことだった。この地域を支配する経済的・政治的エリートたちのあからさまな腐敗に不満をつのらせ、絶望的になっていた民衆は、CPP―NPAの接触を受けてかれらの隊列への参加を促された時、考え直す必要などなかったのである。

 したがって東部ビサヤ、とりわけサマール島が、活動家たちの発展のレベルとNPA組織の規模において、CPPの軍事部隊が最も前進した地域としてよく知られてきたのは驚くようなことではない。NPAの最初の大部隊が、この地域で組織されたことを記憶しておくべきである。そして、NPAの急速な拡大によって、この地域がかれらの武装ゲリラ戦術の攻勢を強化する試験的地域になったことも知られてきた。この地域の自然資源、人的資源は、こうした実験を促すことになった。

CPPが率いる武装闘争の強化がもたらした結果は、この地域の貧しい人びとの多くにとってさらに重荷を背負わせることになった。四〇年以上に及ぶこうしたタイプの革命運動が、民衆にとって積極的成果をもたらさなかったこと、民衆の生活の悲惨さをやわらげるものとはならなかったことは明らかになっている。

さらに、市民社会組織の発展とオープンな大衆運動との間には、とりわけ町や都市センターにおいて大きなギャップが存在してきたことに容易に気づくことができる。民衆生活のさまざまな側面で意味のある改革を推し進めるオープンな大衆運動の発展は、民衆の大衆的組織・機関の発展とからみあったものである。明らかに、ここでの民衆の選択は闘争の武装的形態に限定されている。この地域における(他の地域と同様に)CPP―NPAの力点は武装闘争の発展と強化であり、それは農村から都市を包囲する政治路線を持った持久的人民戦争のために活動する毛沢東主義的戦略路線の適用である。

真の土地改革と漁業権の擁護のための、農民と漁民それぞれの権利の防衛は無視されてきた。このような無視は政治的エンパワーメントにとって直接の影響をもたらし、援助は、少数の政治的エリートと貧しい民衆の多数との間の力の配置に変化を作り出している。こうしたあからさまな無視こそ、ヨランダのような超大型台風に対してと同様に、過去の災害に対しても基盤的民衆が「自らを守る/損害を埋め合わせる」準備ができなかったことの、決定的理由だったのである。

したがって救援チームがヨランダの犠牲者や生存者の間に入ろうとした時、まったく組織化されていない民衆や生存者を相手にすることになったのは、なにも驚くべきことではない。この地域と住民の間での、CPP/NPAの存在と影響力のトレードマークだった「オリエンタル・メディスン(東洋医学)」の活動さえも、明らかに存在しなかった。

建設と復興の段階で、ヨランダからの生存者がかれら自身の立ち直りの効果的推進者となるために、自己組織化を助けるべきだということは、きわめて重要である。被災地で活動する民衆組織がないことは活動を困難なものにするだろうが、否定的経験の重荷が少ない中で組織化を開始するために複雑な問題は少なくてすむのだ。

生き残った被災者の組織の建設と強化は、感情面・物質面でのダメージからの復活・再建という課題を直視して取り組む上で、最初になされるべきことである。それは、われわれが過去の誤りを繰り返さないための保障でもある。

民衆組織の建設と強化という方針は、具体的な民主主義的要求を実現する民衆の大衆的運動の発展を支援するものであるべきだ。このプロセスは、明らかに気候変動や、つねに民衆に降りかかる災害に対する日々の闘争の中で、民衆のエンパワーメントの強化に資するものとなるだろう。土地を手に入れるための農民の公然たる大衆運動の積極的成果は、地球温暖化の否定的諸結果を緩和するために、自分たちの耕地で有機農法を利用する仲間たちの隊伍を強化していることである。さらに自らをエリートたちの政治的疎外から解放するために、かれら(農民)の権力をも作り出していることである。つまりかれらの経済的活動は政治的解放をもたらし、したがって、かれらは災害にも、災害後の補償プロセスにも、よりいっそうの準備をすることができるのである。

 その中で、災害地域においてCPP/NPAのような左翼が従ってきたパラダイムとその転換の可能性について、深刻に考えなければならない。社会を再建・再構築する中で、気候変動の破滅的影響の激化という文脈を要因として取り込むべきである。この段階で、数十年の経験で立証されたように、戦略としての長期人民戦争(PPW)は、貧しい人びとの多くにとって、気候変動による災害への度合いを少なくさせるかといえば、そんなことは絶対にない。こうした戦略の適切性についての真剣な再考がなされるべきである。そうでなければ、どのような立派な人が主張しているかにかかわりなく革命的目標を追求するこうした戦略的方針は、実際のところはわれわれが奉仕を誓う民衆にさらなる重荷と困難を加えることになるのだ。さらに、気候変動の現実に直面した政府の枠組、そして現存の搾取と抑圧のシステムを永続化させる至高の利害について考察しなければならない。

 この点で、気候変動の結果に直面する上での最善かつ効果的な方法は、システム変革と右翼と左翼双方の既存パラダイムを大きく方向づけ直すために活動することである。



 二〇一三年一二月一九日。



 ▼リチャード・ソリスはミンダナオをベースにした政治アナリスト。彼はIIREマニラの常任研究員である。

(ESSF[国境なき欧州連帯]のサイトより)


【報告】双葉町の人々の2年7か月を知る11.2集会

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11月2日、東電前アクション!が、飯田橋しごとセンターで「双葉町の人々の2年7か月を知る11.2集会」を開催した。参加者は60人。

集会ではまず、堀切さとみさんが12年7月に完成させたドキュメンタリー映画『原発の町を追われて~避難民・双葉町の記録』を上映。堀切さんはアマチュアとして、3.11以前から祝島の原発建設反対運動を撮影していたりしたが、自宅近くの加須に双葉町の人々が集団避難してきたことから、その様子をカメラに収めることにしたいう。

映画は原発事故直後の雪の中で避難する車の渋滞から、最初の集団避難先であるさいたまスーパーアリーナ、そして埼玉県加須市の旧騎西高校跡で生活する双葉町の人々の姿を映し出す。「家を失った。自殺したくなる気分だ」、「生まれたところで死にたい。でも出来ないだろう」、「アリーナでの生活は惨めだった。ボランティアの人が来るが上から見下ろされているようで、何とも言えない屈辱だった」などの切実な訴えが続く。

上映のあと、堀切さとみさんと前双葉町町長の井戸川克隆さんとのトーク。双葉町の事故から現在までの状況について、それぞれの思いを語った。

井戸川さんは「私は、事故前から原発の危険について考えていた。だからこそ、集団避難を実現させることができた。しかし、最終的には町議会に理解されなかった。私が県知事なら県民を避難させる。県は放射能の海に県民を置いている。アウシュヴィッツとどれだけ違うと言えるのか。ゼオトライト(一定の放射性物質除去効果があるとされる鉱石)を撒いて稲作なんてさせない。牛肉や米の安全宣言など出しているがダメだ。『風評被害』ではなく実害なんだ。県のやっていることは歴史に残る愚行だ」と自らの体験から、現在の県行政を批判した。

また、政府の避難者に対する施策について「旧騎西高校も閉鎖が決められ、避難民に対する『分散作戦』が始まっている。避難暮しをしていると人間が小さくなる。文句も言わなくなる。国にとっては都合がいい。『復興災害公営住宅』をあっちこっちに作るという考えもあるようだが、失敗するだろうし、さらに分散されることになる」と批判して「必要なのは『仮の町』だ。『仮の町』を作るのに何兆円もかからない。立派な前例が作れるようにしたい。」と語った。

井戸川さんは政府に対して「現在、政府が前に出てきて東電を出さない・逃がすやり方をしている。そんなやり方だから福島で中間貯蔵施設を作ると言われても話にならない。汚染水問題はいろいろ言われるが、収束現場は今がマックス・ベスト、いっぱいいっぱいの状態だ。政府が出てきたところで何もできないだろう」と語った。 

堀切さんは「遠くに避難させたチェルノブイリと福島は逆のやり方をして住民に戻ることばかり言っている。条件は決まっているのだから、住民に選択させるやり方がおかしい。国は『ご自由に』というやり方だ」と国を批判。そして旧加須高校の閉鎖について「今では『加須が第二の故郷でいい』と言う人が結構いる。旧騎西高校は現在90人が生活している。お年寄りが多いが、いい共同体に見える。旧騎西高校なら周囲に人がいるが、アパートの借り上げでは一人暮らしになり、老人は『私は孤独死するしかない』と言っている。これは原発事故や立地地域の問題というだけでなく、高齢化社会などの私たちの問題につながる」と訴えた。

そして、堀切さんは「双葉町の人々を『かわいそうな避難民』と考えるのではなく、自分ならどうするかを考えてほしい。当事者意識から始めるしかない。政府は、これだけの事故を起こして再稼働や原発輸出など、許されるものではない。」とした。

最後に井戸川さんは、自民党がこれまでの「避難者を全員帰還させる」という政府方針を「帰還断念」に変更させる検討に入ったことについて「唐突で受け入れられるわけがない。政府・自民党には被ばく量年間1msvを守りなさい、被害者を政府の会議に出席させなさい、と言いたい。『帰還断念』など決めるのは住民でなければならない。それが民主主義だ。私たちは政府にも自民党にも頼んでいない。当事者に語らせろ」と語った。そして、「除染に関して、国は指針で『国民の責務』などと記している。今回の事故に、たとえば沖縄の人に責任があるのか。こんなことを許してはいけない。東電前会長の勝俣は悠々としているだろう。私は、こういう不条理に怒り続けているのだ。」と締めくくった。

司会が「福島とつながる運動を首都圏で模索し続けよう。そのための知る努力から始めることを自分たち自身位置づけていきたい」とまとめて、集会を終えた。

(F) 

フィリピンの破局的台風被害

1113-Philippines-Typhoon-Haiyan_full_600フィリピン;「ハイヤン」の襲撃 政治家の無能と連帯の緊急性



ピエール・ルッセ




 ワルシャワで第一九回気候変動国際会議(COP19)が始まったまさにその時、超大型台風の「ハイヤン」(注)がフィリピン諸島の中央に位置するビサヤ地方を荒廃させた。この気候変動国際会議がドーハで開催された昨年(COP18)にも、別の猛烈なサイクロンがフィリピンを直撃していた。この会議の終了前に、各国政府の代表たちは犠牲者に哀悼の意を表したが、緊急になすべきことについては何も決められなかった。今年もきっと同じに違いない。シェールガスの問題で山盛りだ。エネルギーロビーがこの取り決めを一元的に取り仕切っている。

こうして、欧州産業家円卓会議にとっては、「競争力」は「二酸化炭素排出削減」と同程度に重要であるべきだ、ということになる。なにものも彼らの利益と権力を脅かすべきではない、ということだ。



気候変動ぬきであれこれのサイクロンが起こったということを「証明」するのは不可能だ。しかしそのことが問題なのではない(注1)。「ハイヤン」は、上陸した台風の中でこれまで記録された最大のものである。フィリピンは不幸にも、太平洋で発生した例外的なまでの気象現象の暴力を、最大限のかたちでこうむってきた。この恐るべき台風のリストを上げれば、さらに長いものとなる。「フランク」(フェンシェン、二〇〇八年)、「オンドイ」(ケツナ、二〇〇九年)、「センドン」(ワシ、二〇一一年)、「パブロ」(ボパ、二〇一一年)、そして今回の「ヨランダ」(ハイヤン、二〇一三年)である。最悪のものは、まだこれからだろう。サイクロンの数はますます増え、その進路は変化している。

 「ハイヤン」のメッセージは鮮明だ。世界の人びと、とりわけ危険地域に住むことが多い最下層の人びとにとって、気象のカオスとは、洪水、土砂くずれ、高潮に脅かされることを意味する。こうした緊急事態では、行政の腐敗ならびに新自由主義のドグマと私的利易の名の下での公共サービズの破壊が、国家の無能さの上にのしかかってくる。

 豊かな国際社会の側の無関心に加えて、フィリピン大統領府の側にも犯罪的な無関心が見られる。この惨害は予測されていた。しかし、最も危険にさらされた地域の住民を避難させるための措置は、なにもなされなかった。固く防護された必需品や医療物資のストックは、使用できる状態になかった。当局が危険の到来を知り、通報がまだ容易だった時に、緊急センターは前もって設置されていなかった。フィリピンのエリートたちは、災害予防政策を完全に無視していたようだ。確かに金持ちは脅威にさらされた地域から引き上げることができるが、貧しい人びとにはそのための手段が何もないのだ。地方の当局者は、ほとんどの何の手段もないまま残されて、この状況に直面することになった。



 テレビ放送、ならびに現場にいるジャーナリストや「サイクロン・ハンター」の報告で、われわれは被害の規模を測ることができる。レイテ島の沿岸都市タクロバン(人口二二万)は文字通り徹底的に破壊され、タクロバンだけで死者は一万人に達するという恐れがある。病院は荒廃し、病院スタッフにももはや薬品はない。生存者は水、食料、衣料品、シェルターを建てるための資材を見つけるために廃墟をさまよっているが、ベニグノ・アキノ大統領は「略奪」を非難し、「秩序の再建」を誓っている。

配布されない食料支援よりも先に早く来たのは軍の戦車だった! アキノは被災者を犯罪者として名ざすよりも、民衆を守れず、災害を予防できなかった自分の無能さから結論を引き出したほうがよい。



typhoon-haiyan-philippines-aftermath-2-111413 災害に襲われた地域はタクロバンだけではない。台風「ハイヤン」はメディアが言及したサマール島やレイテ島に加え、ビサヤ地方の多くの島を通り抜けた。四一の州が、多かれ少なかれ台風により重大な被害を受けた。依然として通信はきわめて難しい。現在のところ、犠牲者の数と破壊の規模を見つもるのは不可能だ。国連は、被害の最終的結果については「最悪を予測する」ことが必要だ、と警告している。

 こうした災害に直面すれば、怒りを抑えることは不可能だ。しかし今は連帯の時である。国際的援助部隊が設立されている。よいことである。不可欠のことだが、それには限界があることを経験が示している。実際ハイチにおける劇的状況に見られる、国際援助隊の果たした倒錯した影響を、われわれは思い起こし続ける。

 援助は、被災住民の実際上の意思決定力を再建するものとして認識されるべきだ。被害者を、慈善を待ち望んでいる寄る辺のない人びととして扱うべきではない! 被災者が大きな混乱に陥り、非常な弱さと依存性を抱えている時に、被災者が自らの利益を守ることができるように、住民の自己組織化を促進するべきである。そうでなければ、最も恵まれない人びとが、自然災害、援助の不平等な配分、カネ持ちの利益となる不平等な再建のために、何回も何倍も犠牲になってしまうだろう。

 また緊急援助(水、食料、医薬品など)と復興、再建が結び付けられるべきである。援助は短期的活動に切り縮められるべきではなく、長期に継続されるべきである。

 この精神とこの展望を持って「国境なき欧州連帯」(ESSF)は、とりわけ大量の国際援助が届かない地域の被災者を救援する、フィリピンにおけるわれわれの仲間の活動を支える財政的支援のアピールを発した。(インターナショナル・ビューポイント誌2013年11月号)

(注)台風の名前は、国際的には2000年からアジア名で呼ばれているようです。

今回の台風の名前は中国名「Haiyan」(海燕)で、日本語表記では「ハイエン」となるようです。

下記、気象庁のページの44番目にあります。
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/1-5.html

【案内】双葉町の人々の2年7か月を知る11.2集会

☆★☆★☆★☆(転送・転載大歓迎★☆★☆★☆★☆★☆★☆

≪上映会&トーク≫ 

東電/国/福島県は311事故後、何をしなかったのか 
  双葉町の人々の2年7か月を知る11.2集会

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

◆11月2日(土)17時45分開場 18時開始

 

◆場所:東京しごとセンター 5階セミナー室
(住所:東京都千代田区飯田橋3丁目10番3号、最寄駅:飯田橋)
http://bit.ly/sYOuTZ

 

◆資料代:500円

◆内容 
・映画「原発の地を追われて 避難民、双葉町の記録」(制作;堀切さとみさん、56分)
※作品公式サイト http://genpatufutaba.com/
※堀切さんは、今年の「やよりジャーナリスト賞 期待賞」の受賞が決定しました。 
 
・対談 井戸川克隆さん(前・双葉町町長)&堀切さとみさん

◆主催:東電前アクション! 
BLOG: http://antitepco.ldblog.jp/

TWIT: https://twitter.com/antitepco1

MAIL: antitepco1@yahoo.co.jp



9/28に行った「東電は福島に何をしてしまったのか」の続編です。今回は東電や国、そして福島県が「何をしなかったのか」に着目します。 

実は、私たちがこのテーマを考えるに至ったきっかけは、前回9/28にご参加された井戸川克隆さん(前・双葉町町長)の「皆さんがまだ議論されていない点があります。福島県の問題です」というご発言でした。
今回、その井戸川さんをお招きして、じっくりお話を伺いたいと思います。 

前半は、映画「原発の町を追われて 避難民・双葉町の記録」を上映します。これは旧騎西高校の避難所に暮らす双葉町の人々の姿と声を、制作者の堀切さとみさんが丁寧に拾い上げた作品です。


「『俺たちはどうせ忘れさられていくのさ』という避難民のつぶやき」
「2011年11月、ついに騎西高校で、町民自身が思いのたけをぶつけ合う集会を開いた(略)。ほったらかしにされた人々は『このままでは、国と東電に殺される』とさけぶ」(以上「原発の町を追われて」公式サイト
http://genpatufutaba.com/ より) 

後半は、井戸川さんと堀切さんに対談いただき、県当局の問題や、双葉町の人々のこれまでとこれからについてお話をお聴きしたいと思います。 

ぜひ、お集まりください。

 

◆ ~東電は福島に何をしてしまったのか?~ 福島の”いま”を知る9.28集会 記録

http://antitepco.ldblog.jp/archives/32868655.html

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報告:9.24 原子力空母はいらない!米大使館前行動

P10107069月24日、東電前アクションが、米軍原子力空母ジョージ・ワシントンの横須賀母港化から5年の日になる前日のこの日に、アメリカ大使館近くの路上で抗議行動を行った。東電前アクション!としては3年連続の取り組み。昨年に続いて、原子力空母だけでなく、オスプレイの撤去も行動の趣旨に加えられている。

9月15日の大飯原発の停止をもって、現在稼働している原発の原子炉はない。しかし、米軍の原子力空母の原子炉だけが、東京湾で二基稼働しているという異常な現実を終わらせよう、と行動が呼びかけられた。

最初にシュプレヒコールをあげて、主催の東電前アクションの栗原さんからのアピール。

「Gワシントンは『危険だから』反対という論理だけじゃダメだ。Gワシントンは90年代には、ボスニア紛争に介入し、そしてクリントン時代にイラクで800回のピンポイント爆撃を繰り返した。イラク戦争にも参加して、2004年にはイラク北部キルクークでGワシントンから発進した爆撃機が大規模空爆を実施している。私たちは、侵略の艦船であるからGワシントンに反対だ。」

「沖縄の『オスプレイ反対』の声も、単に「危険だから」というだけではない。元々撤去が前提であるはずの普天間基地にあらためて新型ヘリが配備されるという欺まんに怒りを表明している。そして、米本土では絶対に市街地の上を飛ぶことのないオスプレイは、沖縄でだけ人口密集地を自由に飛んでいる。オスプレイの腹を見ることができるのは沖縄だけだ。こういう人間性に対する侮辱こそが、基地と原発の問題がつながっているということではないか。」

「また、沖縄の米軍基地で排出された猛毒PCBを福島のいわき市で最終処分するという計画が、3億円で落札されて手続き上は『決定』された。今後、核廃棄物を含めて福島を『汚染地』として処分場にされようとする可能性もある。日米原子力協定で福島にGE社の粗悪原子炉を売りつけたアメリカが、福島事故をそのように利用することは絶対に許されない。アメリカ政府もまた、福島事故について謝罪すべき存在だ。」

また、シリアでのアメリカの軍事介入に反対するとともに、民主化を求める民衆の声を武力で弾圧するアサド政権にも反対し、「民衆同士のつながりで核や大量破壊兵器をなくしていく闘いを国境を超えて作っていこう」とアピールした。

参加者からは、「まず日米地位協定の破棄を日本政府は行なえ」などのアピールや教育労働者から平和教育が後退している現場の実情の報告などが続いた。最後に翌日の現地デモへも参加することを呼びかけ、「原子力空母もオスプレイも撤去しろ」、「基地も原発もいらない」、「日米安保はいらない」などのシュプレヒコールをあげて行動は終了した。

(K)

報告:再稼働反対!9・14さようなら原発大集会 『さようなら原発』一千万署名 市民の会

亀戸脱原発6再び全原発が停止する!

 唯一稼働していた関西電力大飯原発4号機が定期点検で停止し、日本が再び稼動原発ゼロとなる日の前日の9月14日、亀戸中央公園を会場に「再稼働反対! 9・14さようなら原発大集会」が開かれた。主催は「『さようなら原発』一千万署名 市民の会」。

 「汚染水は完全にコントロールされている」、一向に先の見えない福島の現実を切り捨てて一週間前に世界に向けて放った安倍首相のこの大嘘、それと一体となってすべてを覆い隠すようなオリンピック一色報道は、それらと正面から対決し、脱原発の広範な要求を再度強大な波として浮上させる起点として、この日の行動に改めて大きな意味を与えた。そして蒸し暑さの募るこの日会場には、汗をぬぐいながら9000人(主催者発表)の人々がつめかけ、再びめぐってきた原発ゼロを、今度こそ永続化させるために力を尽くそうと今後への行動を確認した。



次世代の生存を奪ってはならぬ



 広い公園のあちこちには午前11時から3つの出店エリアと一つの展示エリアが配置されそれぞれの活動が続く中、メインステージの集会は二部構成で午後12時50分から始まった。第一部は、福島、東海村、柏崎刈羽、横須賀、福井、青森の現地からの訴え。福島原発の大事故の真相に向き合おうともしない日本政府や原発村への怒りが直截に表明され、このような状態のまま原発再稼働などあり得ない、と強く訴えられた。

 午後二時からの第二部では、落合恵子さんの開会あいさつ、大江健三郎さんの主催者あいさつに続いて、福島の長谷川克己さん、泊原発について小野有五さん、伊方原発について門田鈴枝さん、川内原発について下馬場学さんが現地からの訴えを行った。

 落合恵子さんは、事故の責任を誰もとっていないにもかかわらず再稼働に突き進もうとする日本の現実に対決しよう、そのような者たちに少しは存在をかけさせる民衆の行動を作り上げよう、と呼びかけ、大江健三郎さんは、原発に反対する理由は単純であり、次の世代が生きる世界を破壊しないということ、それと対極の安倍首相の嘘を許す風潮を、あらゆる世論調査が広範な脱原発意志を繰り返し示すという現実にしっかり根を下ろすことで打ち返そう、と訴えた。

 福島の長谷川さんは郡山から静岡へ夫婦と子どもで自主避難したというが、行政からは「勝手に逃げた人」と扱われ、親類関係を含め多くを福島に置き去りにさせられた、福島は戻るわけには行かない場所になってしまった、とつらい思いを語った。しかしだからこそ、それには必ず片を付けると決意を語り、人としての名誉と子どもたちの未来を、取り戻さなければならないものとして挙げた。そしてその観点から、政府が実のない方針で御茶を濁そうとしている「子ども被災者支援法」の趣旨通りの実施を求める全国運動として、五〇〇万人署名運動を紹介し協力を呼びかけた。自作の詩を読み上げて訴えを終えた長谷川さんには、会場から感動を込めた大きな拍手が送られた。

 これらの訴えをまとめ上げる形で、鎌田慧さんが閉会あいさつ。鎌田さんはまず、大飯原発を再稼働させた論理はすべて完全に破綻していることをしっかり確認し、この日を再稼働を認めさせない決意の日にしようと呼びかけた。そして小泉純一郎が原発ゼロを言い出すまで脱原発の世論が広がっていることを指摘しつつ、敵の中に中間派、味方をつくり出すような、再稼働を絶対に認めない巨大な行進への一歩をこの時から踏みだそうと檄を飛ばした。



庶民感覚と向きあって



 集会は直ちに浅草方面と錦糸町方面の二コースに分かれたパレードに。東京を代表する下町に、色とりどりの旗やデコレーションを連ねた人波が繰り出し、脱原発、再稼働許さず、の声が大きく響いた。

 周辺は言わずとしれた庶民の町。通りかかる人たちはちょいと家から出てきたという風情だ。東京中心部のデモの沿道で見かける人々の、少し気取った感じとはだいぶ違う。自転車を押しながら歩いてきた日に焼けた年配のおっさんが、デモにカメラを向けていた筆者に気軽に話しかけてきた。「すごい数だけど、みんな日当もらってんのか」。デモをやるヤツは日当もらってる、とは保守派がしつこく流してきたデマの一つだが、それがあっけらかんと出てくるのも下町ならではか。こうしたデマが思いのほか浸透度が高いことに少し驚きながら「いや、みんな手弁当だよ」と答える。件のおっさんはまだ完全に納得したわけではなさそうだったが、「でも本当に止めれんのかなー」とデモを見つめながら別の疑問を口にする。

 原発は止めたい、しかし敵は強い、長いものには勝てない、おそらくかなりの人の体に染みついた感覚に違いない。鎌田さんの呼びかけを現実のものとするためには、何としてもこの感覚を打ち砕くことにも挑まなければならない。

 なおこの日の亀戸駅前(北口)には順路として逆向きを指定した集会案内掲示が出ていたことを付け加えておきたい。手書きではない立派なもので、駅前掲示地図で確かめると、指定順路の先には亀戸運動公園がある、という手の込んだもの。集会参加のためこれを見た人の中には、携帯電話で、会場変更があったのか、と確かめる人もいた。ある種の嫌がらせか、今後こうしたことが増える可能性があることも心に留める必要がありそうだ。(神谷)

報告:9.11<テント三年目 怒りのヒューマンチェーン>

jpg原発やめぬならテントも撤去せず

 9月11日、経産省前テントひろばの呼びかけで「<テント三年目 怒りのヒューマンチェーン>オリンピックよりも被災者の支援を!原発再稼動よりも福島第一原発の収束を!」が取り組まれた。2011年9月11日の「経産省包囲ヒューマンチェーン」後にテントを建設してから二年。安倍政権は、脱原発の多くの声を無視して原発再稼動に突き進もうとしている。福島第一原発の汚染水垂れ流し状況は、いっこうに止まることなく泥沼の事態だ。そして安倍首相は、東京オリンピックを射止めるために「汚染水はブロックしている。コントロールもしている」などと大嘘をついた。脱原発運動は、安倍発言に煮えたぎる怒りをもって行動を取り組んだ。

 前段の経産省申し入れと経産省前抗議行動の後、抗議集会が始まった。

 開催あいさつをテントひろば代表の淵上太郎さんが行った。

 「東京でオリンピックをやるカネがあるならば、福島の15万人を超える避難者につぎ込むべきだ。福島を中心とする放射能問題はなにも解決していない。福島の人々などの生活、健康、命の問題もなんら解決していない。さらに放射能で汚染された水は、34万トンも溜まりに溜まっている。海に流れている。世界の人々は、日本は危なくないのかと心配している。安倍首相は、堂々と放射能を港湾にとじこめているなどと国際的にウソを言った。自信があったから言ったというが、内心は自信はないはずだ。汚染水問題を解決できる人は誰もいない。すでに福島第一原発の事故による関連死が3400人にもおよんでいる。だが経産省は大手を振って原発推進のままだ。今日、原発立地で反対運動を取り組む仲間が申し入れを行ったが、不誠実な態度を繰り返していた。原発をやめないならテントは撤去しない」。

 

全国の原発立地からアピール



 続いて発言は、原発立地で反対運動を取り組む仲間から発言が行われた。

 北海道・泊原発に反対する仲間は、「北海道は食料地帯だが、泊原発が事故になれば大変な事態になる。韓国は、日本の八県からの食料輸入を禁止した。品目として北海道が一番多い。経済活動に被害がおよんでいる。泊原発の再稼動をやめてもらいたい」と訴えた。

 福井県若狭で原発反対を取り組む仲間は、「経産省は、原発推進の西川一誠知事の言うことだけを聞くな。原発のおカネで生活の仕組みができあがっているために原発がいやでも言えない人々の気持がわかるか。みんな言いたいんです。原発ではなく新しいエネルギーと補償のためにおカネを使え。経産省は一人一人の声をちゃんと聞け」と糾弾した。

 愛媛県の伊方原発に反対する仲間は、「9月13日に原子力規制委員は、再稼働にむけて伊方原発の立ち入り調査にくる。ゲート前で抗議活動を続けているが、この日にも抗議を行う。人が生きていくためには農業、水産業を守っていかなければならない。自然環境を大事にしなければ経済活動も成り立たない。瀬戸内海の破壊につながる原発の再稼働を許さない」と強調した。

 鹿児島県の川内原発に反対する仲間は、「川内原発がある土地は、火山灰で脆弱だ。阿蘇山、桜島、新燃岳という活火山があり、今も噴火を続けている。六つも活断層がある。もし事故が起これば偏西風に乗り日本列島は放射能まみれになる。おカネだけ儲けてもおカネはたべられない。生活を守るのが、安倍首相、経産省の仕事だろ。再稼働をやめろ」と厳しく批判した。

 

すべての原発をなくす日まで



 制服向上委員会の反原発唄に続いて、脱原発テント裁判弁護団、原発いらない福島の女たちの会、福島の男性、テントひろば応援団、ミサオ・レッドウルフさん(首都圏反原発連合)、 柳田真さん(たんぽぽ舎)、反
原発自治体議員・市民連盟、さよなら原発神奈川、テントひろば応援団・関西からアピールが行われた。

 参加者全体で「原発再稼動を許さないぞ!川内原発を動かすな!玄海原発を動かすな!伊方原発を動かすな!大飯・高浜原発を動かすな!泊原発を動かすな!すべての原発をなくせ!」などシュプレヒコールを経産省にたたきつけた後、さらにヒューマンチェーンで包囲しぬいた。   (Y)

報告:5.31福島原発告訴団-東京大集会、東京地検激励、東京電力要請行動

jpg 5月31日、福島原発告訴団は、福島原発事故の厳正な捜査と起訴を求めて「東京大集会、東京地検激励、東京電力要請行動」を行い、1000人が参加した。

 2月22日の東京地検包囲行動に続いて2回目だ。告訴団は、福島地方検察庁に東電の勝俣恒久前会長、経産省原子力安全・保安院の寺坂信昭前院長、原子力安全委員会の班目春樹委員長ら33人を業務上過失致死傷罪、公害罪及び激発物破裂罪の被疑事実で、法人としての東京電力株式会社等を公害罪の被疑事実でそれぞれ刑事告訴・告発した(14716人)。

 しかし、検察は、複数の東電幹部を任意で事情聴取しつつ、いまだに東電本店の強制捜査に入り証拠を押収することもせずに処分を引き延ばしている。あげくのはてに検察は、わざわざ産経新聞(5月6日)に東電の「事故が起きる可能性を予見できなかった。事故を回避できる可能性はなかった」などという「主張」を追認しながら「これまでの捜査で過失を裏付ける明確な証拠はなく、検察当局は対象者の立件見送りを視野に入れている。刑事処分は早ければ夏にも行う見通しだ」などとリークし、不起訴キャンペーンをやる始末だ。明らかに参院選挙後を射程に安倍政権の原発再稼働推進と連動して不起訴攻撃を強行することをねらっている。

 告訴団は、このような東電と安倍政権を防衛する検察の姿勢を許さず、「福島の叫びを聞け!」「地検は起訴せよ!」「東電は自首しろ!」のスローガンを掲げて行動を行った。





福島と全国の叫び



 行動にむけた前段集会は、日比谷野音で行われ武藤類子さん(福島原発告訴団・団長)のあいさつから始まり、「私たちが希望を託した子ども被災者支援法には、一円の予算もつかなかった。どうしてこのようなことが続き、被害が拡大しているのか。真相を究明し、一刻も早く食い止めなければならない。力を合わせ声をあげ続けていこう」と訴えた。

 海渡雄一弁護士(告訴団代理人)は、「検察に対して東電本社、福島第一原発の現地に令状を持って証拠を保全しろと言ってきた。これを実現することが決定的に重要だ。すでにたくさんの方が亡くなっている。津波被害で生き埋めで救助を待っていた人たちが、原発事故による強制手段によって救助できなかった。子どもたちに甲状腺がんも発生している。まぎれもない業務上過失傷害だ。刑事責任を明確化させていこう」と発言した。

 安田行雄弁護士は、「告訴団の闘いは、東電や保安院を毅然と告訴した。このような闘いは、今までになかったことだ。これだけの事故に対して強制捜査もなく終結させてはならない。強力な要請行動を行っていこう」と呼びかけた。

 「福島からの叫びリレートーク」では7人の仲間たちが現状報告と東電を糾弾。「全国からの叫びリレートーク」は、広瀬隆さん(反原発活動家)など各地告訴団からアピールが行われた。

 閉会にあたって佐藤和良副団長は、「私たちは被ばくの世界で生きている。子どもたちをどうやって守っていくのか。避難している16万人の人たちの生活をどうしていくのか。今、路頭に迷っている。この責任をしっかりと正さなければ日本は変わらない。生きる権利を回復するために『激励行動』に行こう」とまとめた。

 「われらゆるがず」を歌い、「決議文」を採択しシュプレヒコールをあげて東京地検に向かった。

 地検前では、武藤団長、佐藤副団長、海渡弁護士、安田弁護士などが決意表明し、『厳正な捜査と起訴を求める緊急署名』(最終108763筆)と申し入れを行った。地検前には新たに参加した仲間たちも加わり、検察「激励」包囲を成功させた。

 続いて、東電に対する要請行動では、広瀬直己社長ではなく東電原子力広報担当が出てくるというあいかわらずの不誠実対応だ。告訴団の仲間たちは、次々と東電に対する抗議と申し入れを行った。所長は、「要請書は受け取りました。警察の捜査には真摯に対応する」などと言うだけだった。

 最後に参加者全体で東電に向けてシュプレヒコールを行い、なんとしてでも犯罪者たちの起訴をかちとるまで奮闘していくことを誓い合った。(Y)

【報告】6.2芝公園「つながろうフクシマ!さようなら原発集会」

DSCF1774 (1) 六月二日、東京・芝公園23号地で「つながろうフクシマ!さようなら原発集会」が「さようなら原発一千万署名」市民の会の主催で開かれ、会場を一杯にする七五〇〇人が参加した。雨模様という週間天気予報がはずれ、初夏の強い日差しの中での集会となった。

 本集会前に李政美さんのコンサートが開かれ、心をうつすばらしい歌と「会津磐梯山」「相馬の歌」など福島にちなんだ歌が披露されると福島出身者が「かんしょ」踊りをステージ前で踊った。

 集会は呼びかけ人の落合恵子さんの発言から始まった。

 落合さんは短いフレーズで「原発事故がなかったように、原発輸出や福島の復興を語る昨今の流れ」を厳しく批判した。そして「テーマを決めて柔軟に運動のつながりを強化すること、参院選で脱原発派の流れを呼び戻そう。痛みへの想像力と共感で結びつこう」と訴えた。

 大江健三郎さんは原発再稼働の動き、核保有国インドへの原発輸出問題の新聞記事を紹介し、「これはヒロシマ・ナガサキへの裏切りであり、原発ゼロへの侮辱だ」と語った。またドイツが脱原発へ転換した理由は「次の世代が生きるための環境をなくさない」という根本の倫理によるものだ。「自分もデモに出る。しっかりやりましょう」と呼びかけた。

 福島第一原発から二五㎞の所に住んでいたが今は田村市に避難している渡辺ミヨ子さん(農業)が語った。

 「原発は絶対安全、事故は起きない、大きな地震は襲わないと言われてきた。原発誘致で町は豊かになった。しかし、今回の事故でヒロシマの何百倍もの放射能が撒き散らされ、豊かな自然が汚された。復興予算、除染作業に莫大な予算がつけられ、除染が行われているが元通りになることはない。山菜から一万何千ベクレルというセシウムが出てもいる。知らない人はそれを食べている。原発事故被害を隠したい強い力が働いている」と現状を批判した。その上で、三歳の時に受けた戦争の体験と重ね合わせ、「原発を輸出することは、戦争を起こしたことを反省せずまた同じ誤りを繰り返すことだ。日本の使命は知性と愛情と調和のある地球を守っていくことだ」と福島の真実を語り、脱原発をめざそうと語った。

 東井怜さん(静岡/原発震災を防ぐ全国署名連絡会事務局長)が「浜岡原発は津波以上に恐いことがある。それは直下型地震により岩盤が一から二メートル上がって激しく揺れると制御棒が入れられなくなり、核暴走が起こり、チェルノブイリのような爆発事故が起きる。東日本大震災の一〇倍の被害が予想されている。原発震災という考え方でものごとをきちんと把握しよう。そして、脱原発派の議員を応援する緑茶会をやっている。選挙に棄権はキケンだ」と訴えた。

 原発立地点の泊(北海道)、福井、伊方(愛媛県)、川内(鹿児島県)から訴えが行われた。泊からは「今年の一二月、来年一月、六月に再稼働を目論んでいる。原発の下には一一本の活断層があり、津波対策など安全対策はまったくなっていない。七月に電力料金を値上げし、さらに原発が再稼働しなければさらに値上げすると北海道電力は言う。許せない」と報告した。福井からは「大井原発が唯一稼働している。次に高浜原発を再稼働しようとしている。とてもがまんできない。阻止したい」。伊方。「僻地に建てられ、その犠牲の上に原発を動かしている。伊方が次の再稼働に一番近いと言われている。許せない、がんばる」と訴えた。鹿児島の川内からは「原発に頼り切った町になってしまい、商工会では3号機の増設をしたいと要望している。原発に頼らない町づくりをしたい」と話した。

 原発ゼロノミクスをめざしてゼロノミクマさん(熊のぬいぐるみ)によるキャンペーン活動が紹介された。次にMisao Redwolfさん(首都圏反原連)が、本日の行動は芝公園、明治公園そして、午後五時から国会正門前大集会と三つが脱原発デーとして取り組まれていることを紹介し、首都圏反原連主催の国会前集会への参加を呼びかけた。

 最後に鎌田慧さんが「昨年の五月五日、全部の原発が止まった日に芝公園で集会を開いた。今年の八月になるとまた原発ゼロの日がやってくる。ずっと再稼働させない。被曝におののいている福島を忘れない。それとつながっていく」とまとめの発言をした。この後、新橋~東電前を通り日比谷公園まで、元気にデモを行った。(M)

【案内】日仏首脳会談抗議!反戦・反原発6.7アクション

【拡散・転載歓迎】
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 ~「原発輸出推進会談」にNON!、フランスはマリから撤退しろ~

仏オランド大統領来日・日仏首脳会談抗議!反戦・反原発6.7アクション

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6月7日(金)
◆院内集会:18時半~ 衆議院第2会館第2会議室

お話
・「フランス原発メーカーの日本戦略」
  山崎久隆さん(たんぽぽ舎)

・「日本の原発政策と植民地主義」
  崔勝久さん(No Nukes Asia Actions)

・「フランスのアフリカ植民地政策と日本」
  国富建治さん(反安保実行委員会)

◆抗議行動:20時過ぎ~ 首相官邸前記者会館側

《呼びかけ》

東電前アクション!
BLOG:
http://antitepco.ldblog.jp/
TWIT: https://twitter.com/antitepco1
MAIL: antitepco1@yahoo.co.jp
TEL: 090-1219-4519

火炎瓶テツと仲間たち
TWIT
https://twitter.com/tetsu_molotov

NNAA(No Nukes Asia Actions)
WEB:
http://ermite.just-size.net/nnaa/

反安保実行委員会
WEB:
http://www.jca.apc.org/hananpojitsu/

福島原発事故緊急会議
再稼働反対!全国アクション
WEB:
http://2011shinsai.info/

横浜でTICADに反対する会
WEB
http://ticakov.hatenablog.com/

賛同:
経産省前テントひろば
WEB:
http://tentohiroba.tumblr.com/

たんぽぽ舎
WEB:
http://www.tanpoposya.net/

 ★原発輸出の"日仏パートナーシップ"にNON!

フランスのオランド大統領が、6月6日から三日間の予定で日本に滞在し、6月7日金曜日に安倍首相との首脳会談が予定されています。今回のオランド大統領来日の主な目的は、原子力分野における「日仏パートナーシップ」のさらなる強化であり、この首脳会談は「原発輸出推進会談」であることは間違いありません。

フランスと日本の原発メーカーは互いを重要なパートナーとして、このかん連携を深めています。トルコで新規に作られようとしている原発は、原発そのものは伊藤忠商事、フランスGDFスエズ社、トルコ発電会社の合弁、原子炉は三菱とアレバ共同開発の新型炉で建設がすすめられようとしています。

また、フランスは国内では高速増殖炉事業から既に撤退しているのに、この4月24日にフランス原子力庁の幹部が福井を訪問して敦賀市長に「早くもんじゅを運転再開してくれることを望む」などと要請していることも許すわけにはいきません。そして、3月にはフランスの原子力企業アレバ社が製造したMOX燃料が高浜原発に搬出されています。

フランス政府=アレバ社はこのかん「廃炉ビジネス」の確立を掲げ、その目的のために原発事故当事国である日本との連携を強めようという思惑が透けて見えます。オランド大統領の6月の来日は、フランス政府が日本に引き続き原発推進政策を採るように圧力をかけ、日本を「核の重要なパートナー」とすることでアメリカと並ぶ核大国として世界への発言力を高めるという目的に沿ったものだと言わざるを得ません。日本政府=原発メーカー側もまた、そのようなフランスの動きに便乗して、原発事故当事国であるにもかかわらず、原発輸出をさらに推進しようとしています。

 ★フランスのマリ軍事介入と資源略奪の新植民地主義にNON!

フランスは、今年1月に西アフリカのマリ共和国に「イスラム勢力の討伐」を口実に内戦への軍事介入をしました。「人権のための戦争」を標榜するフランス政府の真の目的は、前々世紀から続くアフリカの植民地支配と資源略奪の延長線上にあるのは言うまでもありません。その略奪される資源には、核の原料であるウランも含まれており、フランスの核戦略とアフリカからの収奪は分かちがたく結びついています。

フランスはマリから「暫時撤退する」などと言いながら、実際には未だに四千人以上のフランス軍部隊が駐留を続け、フランスへの反発と戦禍は西アフリカから北アフリカ全体、そして中東へと広がる可能性も否めません。

今年1月にアルジェリアで発生した日本企業:日揮を狙った襲撃事件は、北・西アフリカにおけるフランスの帝国主義政策と日本の資源確保戦略が深く結びついていることをあらためて示したと言えます。

私たちは、6月7日の取り組みを日仏の原発輸出政策に反対し、大国のアジア・中東・アフリカへの戦争も辞さない資源略奪=新植民地主義政策に反対するものとして成功させたいと考えています。それはまた、すでに台湾で実行され、アジア全域・中東・東欧などへ拡大されようとしている日本の原発輸出政策が、戦前から続く植民地主義の延長にあるということを認識し、そして日本自身がソマリアの海賊対処法、ジブチでの自衛隊基地の設置と「交換公文(地位協定)」の締結などアフリカ内からの和平構築を妨げ、資源争奪戦にのりこんでいることへの批判でなければなりません。

 6月7日、首相官邸前で"原発も戦争もNON!"の声を上げましょう!ともに!

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【案内】日印原子力協定反対!5.29緊急アクション

《拡散歓迎》
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印シン首相来日・日印首脳会談抗議!原発輸出反対!

 日印原子力協定反対!5.29緊急アクション


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日時:5月29日(水)19時~

場所:永田町首相官邸前~

呼びかけ:東電前アクション!
BLOG: http://antitepco.ldblog.jp/
TWIT: https://twitter.com/antitepco1
MAIL: antitepco1@yahoo.co.jp

賛同:ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン
HP : http://www18.ocn.ne.jp/~nnaf/
MAIL: sdaisuke@rice.ocn.ne.jp

★核武装国(インド)に原発事故当事国(日本)が原発輸出!?ありえないっ!!

インドのシン首相が来日して5月29日に安倍首相と会談する予定とのこと。
メインの議題は、インドと日本の原子力協定締結のための最終的な詰めと考えられます。

「日印原子力協定」は、世界の抗議の声を無視して核武装化を強行したインドに、今も続いている原発事故を引き起こし国内での原発推進が不透明な中で原発輸出に活路を見出そうという日本が、原子力の設備や技術を供与するための取り決めです。

核武装のための施設でもある原発の技術を被爆国であり原発事故当事国である日本が輸出して経済侵略のごとくアジアの人々に押し付ける、、、
ありえないと思いませんか!?ありえないし、あってはなりません。

朝鮮政府の核保有・核実験を非難しながら、一方ではNPT体制を無視して核武装したインドを「特例」として原発を輸出しようという日本。それを許すIAEA。このようなダブルスタンダードで、核の不拡散も核の廃絶も実現することはできません。

インドでは福島原発事故以降、原発反対の大きな世論が沸き起こる中で、南インドのクダンクラム、西インドのジャイタルプールなどで激しい反対運動が起きています。この反対運動に対して、インド政府は血の弾圧で応え、反対派住民に死者も出ています。

「日印原子力協定」は、このようなインド政府の住民無視と民主主義破壊に、日本政府が手を貸すことにもなります。
また、安倍首相はこのかん、「過酷事故を経験した日本の水準の高い原子力の技術に対して関心が高い」などと言いながら、アラブ首長国連邦や東欧諸国、トルコなどに原発の「トップセールス」を繰り広げています。

「過酷事故」を起こした日本で生活するからこそ、私たちは日本・インド両政府のこうした姿勢を批判し、原発に反対する人々とつながって原発も核兵器もない世界を実現するひとつの努力として、「日印原子力協定」と日本の原発輸出に反対するアクションを5月29日に行います。

ぜひ、ご参加ください!

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【転載】5.10弾圧糾弾!-経産省前テントひろば声明

重複をお許し願います。転送・転載を歓迎します
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声 明
                      経産省前テントひろば

 2013年5月10日、丸の内署は、テントスタッフの一人Bさんを暴行の容疑で逮捕した。

 同日14時30分頃、テント放送の準備が行われている時、経産省の金子洋悦(この度の訴訟における原告指定代理人のうちの1人)が、ビデオカメラをもった氏名不詳の男C、他とともに注意に現れた。Bさんは防犯カメラの台座(コンクリート製)に腰掛けて何気なくその模様を眺めていただけであるが、Cは執拗にBさんの顔を至近距離から撮影し続けた。Bさんは当然ながら、肖像権の侵害だから止めるように、と何度も要請したにもかかわらず、顔の数センチまで接近して撮影を続けた。

たまりかねたBさんは、手でカメラをどけながら「あんたも、こうやってなでられたら嫌だろう」とCの顔をなでるようにしたとたん、Cは「暴力だ!」と突然叫びだし、別の職員が警察に緊急連絡し、丸の内署、警視庁本庁から公安刑事を含む総勢約50名ほどの警察官が駆けつけた。

 警察は私たちと経産省職員の間に入って、双方から事情を聞くというような行動となった。もちろんBさんを初め現場にいた仲間Dさん等は、いま起きたばかりの事態を説明した。ややあって、事態は収束したのであるが、最後に刑事はBさんに「丸の内署まで来て、事情を説明してほしい」とBさんに要請。Bさんは、自らやましいことは全くなかったので、何らの疑いも持たずに事情聴取のために丸の内署に同行することになった。

その際、Dさんが「一緒に行こうか」とBさんに話し掛けたが、Bさんは「大丈夫ですよ」ということであったので、Dさんも全く大した問題ではないとの判断から、Bさんは一人で丸の内署に行くこととなった。

 その後、帰還があまりに遅いので、気をもんでいたところ、救援連絡センターから連絡が入り、Bさんが逮捕されたと情報を得た。
 Bさんの容疑は暴力行為ということだが、ともかく直ぐにDさんを含む2名が丸の内署に事情を聞きに出かけた。捜査中ということで埒があかなかったが、ともかく逮捕されていることは確認された。合わせて、Bさんはペースメーカーをつけており、心臓病の関係から、病院にいっているということだけが確認された。

 事実は、Bさんが超至近距離からの執拗な撮影を拒否し、それに抗議し、「あんたも、こうやってなでられたら嫌だろう」手を挙げた時たまたま、その手がC職員の顔に触れただけである。顔を叩くとか殴るとかとは程遠い行為である。C職員は大仰に騒ぎ立てて警察を呼び、文字通り事情聴取ということでBさんを丸の内署に同行し、そのまま逮捕したのである。容疑は暴行と器物損壊ということである。

 そもそも最近の経産省職員のテントに対する対応・嫌がらせは敵愾心丸出しである。すでに「防犯カメラ」と称する監視カメラを2台もテント付近に据え付けてあるのに、ハンディカメラによる執拗な撮影は挑発的で目に余るものがある。また、経産省は、私たちの請願権さえ認めようとしていない。請願書を、請願者を一人に限定して、職員に門前で受け取らせるなどという礼を欠く卑劣な行為をした。

 経産省職員による執拗な撮影行為は、個人の肖像権を侵す犯罪である。

○直ちにこのような犯罪行為を止めよ!
○今回の「(土地)明渡訴訟」と連動したかのような、挑発行為を一切止めよ!

 警察は、経産省の職員による犯罪行為を放置し、経産省の職員の一方的な証言に基づいてテントスタッフを逮捕した。これは不当な逮捕であり、テントに対する不当で露骨な弾圧であることは言をまたない。

○警察は不当な弾圧を止めよ!Bさんを直ちに釈放せよ!
○警察は、私たちと経産省との係争に不当に介入するな!
○東京地裁は、Bさんの拘留延長を絶対認めてはいけない!

  2013年5月12日
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報告:5.10経産省前脱原発テント 訴訟を取り下げろ!経産省抗議と申し入れ行動

jpg 5月10日、経産省前脱原発テントは、「訴訟を取り下げろ!経産省抗議と申し入れ行動」を経産省正門前で行い、150人が参加した。

 安倍政権は、脱原発運動の全国拠点である経産省前脱原発テントの破壊に向けて「テント明け渡し訴訟」「1100万円の損害賠償請求」を提訴し、テント訴訟の第一回口頭弁論が5月23日に行われる(午前11時、東京地裁526号法廷)。仲間たちは、裁判闘争勝利に向けてただちに反撃を開始し、150人近くが裁判当事者となり、傍聴闘争を呼びかけている。さらに「土地明け渡し訴訟の取り下げを求める署名」を取り組み2400筆を超えて集まり、この日、署名提出行動を行った。

 経産省は、10人の申しいれに対して「一名ならいい」などと不誠実な対応をしてきた。抗議の意思として座り込みを開始し、その結果、高瀬晴久さん(テント)と福島の黒田節子さん(郡山市)の入館を認めさせ、署名提出を行った。

 経産省前では申し入れ行動への激励を行いながら抗議集会が始まっており、脱原発テント代表の渕上太郎さんは、「原発推進でやってきた経産省の責任を追及するためにテントは、経産省前に建てた。1年8カ月にわたって闘いぬかれてきた。150人の裁判当事者とともに跳ね返していきたい」と発言した。

 経産省前テント弁護団は、「国は、原発問題を矮小化するために「ひろば」代表の渕上太郎さんと正清太一さんを民事訴訟の対象者とした。しかしテントは二人だけで運営されているわけではなく、原発に反対するすべての人びとものだ。不法占拠などと言っているが、国民として抗議を表現する権利がある。テントの活動は憲法で保障された表現の自由だけでなく幸福追求権、生存権、請願権として認められていることだ。不法占拠ではない。裁判に勝利していこう」とアピールした。

 福島県富岡町から郡山に避難生活をしている女性は、「国は、いいかげんにしてください。私たちは人扱いされていない。線量が高いところなのに防護服を配ることもせず、自由に出入りしていいと国は言ってきた。人の命をなんと思っているのか。原発を輸出したり、金儲けのことしか考えていない」と糾弾した。

 落合恵子さん(作家)は、「テントに対する攻撃は、日本中の脱原発をめざしている人々への攻撃であると位置づけましょう。テントひろばは、私たちの憤り、悲しみ、その中で見つけ出した明日への希望だ。ここを廃止せよと、決して言わせてはならない。全国、世界に向けてネットを拡げ、一緒に動いていこう」と呼びかけた。

 さらに発言は、裁判当事者の仲間たち、たんぽぽ舎、福島原発事故緊急会議、再稼働阻止全国ネットワーク&反原発自治体議員・市民連盟から行われた。

 最後に経産省に向けて「テントを守ろう!撤去をやめろ!原発・再稼働をやめろ!」などと抗議のシュプレヒコールを行った。(Y)



●「脱原発テントといのちを守る闘い」今後の日程

:5月16日(木)~訴訟取り下げを求める連続共同ハンスト(22日正午まで)/22日(水)弁護団・応援団共同記者会見(午後2時テント前)/23日(木) 午前10時~11時 東京地裁前抗議行動、午前11時~第1回口頭弁論(地裁526号法廷、)、午後1時~報告集会(弁護士会館クレオA)/6月3日(月)テント裁判を考える講演会(午後6時半~ 明治大学リバティホール)

 

【報告 アジ連4.20公開講座】原発立地・大熊町民の今-木幡ますみさんのお話を聞く-

木幡さん●3.11当日とその後の様子から

 2011年3月11日に地震がありまして、ほんとにすごい揺れが、ドスン、ドスンと下から突き抜けてくるようだった。これは大きな地震だなと感じた。私は、当時、友達のところにいて、止まると思ったらドスンと揺れが始まって、屋根が崩れてきて、窓が壊れ、私たちもここにいては大変だと思いながら、98歳のおばぁちゃんもいたので、みんなで助け合いながらいた。地震が止まったかなと思ったら、近くの石垣がくずれ、ごろごろと突進してきた。危ないと思って外に出た。外の道路は寸断され、地割れがして、これで家に帰れるかなと思いながら家に帰ろうとしましたが、途中一軒の家がくずれ落ちる寸前に出会い、数秒遅れていたら、瓦礫の下になっていたかもしれない。

 ところが私の野上という部落は、家が壊れてなかったんです。大熊町中心街は滅茶苦茶に壊れていた。ここは原発で潤ったところだった。原発で働いている方々が、よく建物の雑誌に出てくるような素晴らしい家に住んでいました。ところが土地は非常に水はけが悪くて、いつもじめじめした土地に、家を建てていた。だからこの周辺の家は、大変な状況になってました。また、原発周辺は、後で聞きましたが、津波でやられたみたいでした。

 野上の土地は、岩盤なんです。家が壊れてない、倒れていない。石垣も壊れていなかった。家の前に道路があるんですが、国道288号線の田村市に向かって全く右側は全くなかった。ところが左側は、お墓なんかもあるが、崩れていた。土地の材質によってかなり被害が違っていた。地震国日本において、原発がこのようなところで作ってはいけないということを、ほんとにまざまざと見せつけられた思いでした。

 地震の後、私は夫と二人で、夫は町会議員をやっていたので、ちょっと町内を見てこようということになった。しかし黒い大群が原発から、「もうだめだ。もうだめだ」と叫びながらも走ってきた。私が「どうしたんですか?」と聞くと、「原発は地震で、配管が上になったり、下になったり、滅茶苦茶壊れている。これから津波もくるけど、あれだけ配管が壊れているから、こんなところにいたら死んじゃうよ」と、 かなり蠢いていた人がいた。

 でも助けられない。必死に起き上がろうとする人がいたんですが、起き上がれない。私も原発の放射線が怖いから、助けることができなかった。さらにガソリンもなくなって、助けられなかった。ほとんど危ない感じの人が横たわっていた。みんな大きな声で叫びながら逃げて行った。

 私は、これはいけないと思って、とにかく水とか、食料を確保しようと思ってファミリーストアーに行った。だがそこは暴動化していた。人間って浅ましいなと思った。普通はお金を払って物を買うのだけけれど、みんな根こそぎ商品を持っていくんです。店の人は、対応しきれずに諦めたという感じだった。人間は、最後はこういうものだなと思いました。この日の夜、私と息子の二人で仙台に用事があったので長男と次男と私たち三人は、仙台に向いました。

 翌日の夜、私たちは家に帰ってきたが、当然、辺り一面真っ暗闇。皆どこに逃げて行ったかわからず、14日に夫が田村市の体育館に皆で避難しているから、ここはもうだめだから出ようということになった。

 犬と猫は車に入れられませんでした。普通、2匹とも追いかけてくるんだが、追いかけもしないでじーっと私たちを見送る様にたたずんでいた。えさは、全部袋をやぶって置いてきた。ただ水があまりないので、気が気じゃなかった。後ろ髪を引かれる思いで猫と犬は置いてきました。

 糖尿病の方、血圧が高い方、ほんとに薬が必要な方が薬を持たずに逃げた。看護士さんは、夜勤で病院に入っていたんですげと、その方は白衣のまま逃げていました。子どものオシメを持たずにお母さんたちは逃げてきたとか、とにかく悲惨な状態だった。野上部落の人々もこれはただらぬことだから持ち物を必要な物は車につめて逃げようということになったとのこと。連絡が野上の方まで入ってこなかったので。

 結局、薬を飲めなかった人は、糖尿病で血圧が高かった人などは大変だった。会津若松にいる間、バタバタと亡くなって行く状態でした。

★大熊町の人々

 避難した田村市の体育館には、非常に大勢の人々が避難していました。ところが体育館に入ろうとしたら役場職員が、「あなたたち入っちゃだめだ。もう一杯だから出ていきなさい」と言われた。私たちは、「じゃどこに出ていくんだ」と言えば、「それはわかんない」。「わかんないって、それじゃ困る。私たちだって、外にいれないのだから入れてください」と言った。役場の職員は、俺たちで一杯なんだという感じだった。自分のことで一杯、同じ町民でも関係ないという感じだった。

 しかし私は、どんどん入っていったんです。隙間があり、私が知っている人たちが何人かいたので譲ってくれた。一般的にこういう非常時の時は、助け合わなければいけないと言っていますが、そんなふうには絶対ならないということが証明された。自分のことだけで精一杯で終わってしまう。人のことなんてどうでもいい感じだった(特に公のひとたちはね)。

 さらに、体育館にいるあいだは、子どもが一人泣くと、「泣かせるな、静かにさせろ」と怒号が飛んでくるんです。あるお婆さんが「まるでどっかの防空壕にいるようなもんだ」と戦争中の防空壕のことを思い出して言っていました。障がい者の子どもたちは、もうじっとしていれないのでうろうろとして泣いたり、わめいたりしてしまう。それで怒ってしまう大人がたくさんいました。

 こういうことをするのは、だいたいが男性だった。男性は、自分が思ったことをなんでも言っちゃう。お婆さんなど女性は黙っていて、なにも言わない。女性もうるさいな、いやだなと思っていてもなにも言わなかった。逆に、こういう現場に来てからは、女性たちはお互い助け合ってました。

 役場職員の男性は、普段、防災訓練をしていますからと言ってましたが、まったく訓練が生かされていなかった。体育館の中で食べ物が来た時などは、我先に集まって来て、たびたび私たちが整列させる必要があった。しかし役場職員は整列させようとしない。

 だから私たちは、子どもの頃のように先生に「整列しなさい」と言われたよう整列させていたほだ。整列させてから、こっちに持ってきなさい、このようにしなさいと、そうしてはいけないと何度も大声で言ってました。

 なんで大の大人が私たちに言われなくちゃならないのか。なんでこんなことになってしまうのだろうかと、友達と話し合った。多分これは原発の後遺症だろうと判断した。原発でお金が入り潤い、嬉しい、嬉しい、お金さえあれば良いとおかしくなってしまった。その結果として、後遺症として出てきてしまったのではないかなと思いました。

 体育館に避難してから2、3日して役場職員に「ヨウ素剤はどうしましたか。ヨウ素剤を配りましたか」と聞いたら、役場の人たちは「なにそれ。そんなの知らないよ」と言っていた。やはり後で聞いたのですが、私の他にヨウ素剤を配ってくださいと言われた方がいましたが、誰も、役場職員の方は聞いてくれなかったとのことです。

 ところが三月の終りになって、木幡さんヨウ素剤がありますよと言ってきた。私は、「今頃では遅いんだ。なんのために訓練をしてきたのか。そのためにどれだけのお金が使われてきたのか。お金はどぶに捨てているようなものだ」と痛感しました。

 体育館から会津若松に避難するという知らされた。体育館の皆さんは町長に、なんで会津に行くのか話をしてもらいたかったが、話しをしてくれない。私は、トイレの前で町長を待ち伏せして、「あなたは町長なんだから、みんなになんで会津若松に行くのかをきちんとお話をしてくださいよ。そうしないとみんな納得しないし、暴動が起きますよ」と言ったんです。初めは、困ったなという顔をしていた。役場の人は、「そんな話をする必要はない」と聞く耳持たずでしたが、私は、「皆さん聞きたいんですよ。これからどうなるかを。ちゃんときちんと話して下さい」と詰め寄って、結局、話をするようにさせた。

 町民は、町長ががきちんと一言、二言でも、「会津若松に行きますよ、今大熊町には帰れないから会津若松に避難して待ちましょう」と言ってくれれば、ある意味で安心するというか、しばらく我慢しようかなとなると思ったからでした。

 すでに東電幹部たちは、3月11日に大熊町から逃げているんです。実は、大熊町に東電の副所長が、11日の夜の9時45分頃に「危ないから逃げてください」と来ていた。ところが町長は、放射線の認識が甘く、危機意識がないから、近辺3キロ以内の人だけを体育館に逃げさせた。ほとんど逃がしたことにならない状態だったのです。

 私は、3月の終りに夫が体調を崩して仙台の病院に入院していた。会津若松に避難してから役場に行って、私は一人なので、今何が起きているのかを聞き、メモをとって、それを人に伝えるために新聞を作った。飯田山のふもとのほうに追いやられた方々、会津の奥地に避難された方々、そういう人たちがどうしているかなと思って、役場から聞いた話を遠くにいる方たちに教えようと新聞を作りました。

 そしたらその方たちが、「私たちは騙された。役場の人は毎週一回、二回来ると言っていた。病院に連れていくとか、薬を持ってきてくれるとか、色々と約束してくれたから、納得して若松市内から遠いけど、役場から遠いげと来たんだ。ところが一回も来てくれない。どうなっているのか状況がわからない」と言ってました。

 避難者は、不安でしようがないのです。私はその話を聞いて、役場の人に伝えた。「大変だから誰か行ってあげて、病院にも連れてあげて」と言ったんです。言っているだけではおさまらないなと思いまして、書いたものを直接見せるしかないと思い、それで新聞を作ることになった。体育館で友達になった人や、元々の友達、三人で新聞をあちこちに配達した。

 その時にみなさんの話を聞いた。みんな帰れると思うから、今少し我慢すればいいという感じだった。話を聞いていくと、私のお父さんが昨日死んだだよとか、うちの息子おかしくなっちゃったんだよという話も耳に入ってきた。それを役場に行って言ったが、俺たちだって大変なんだから、そんな人の話を聞いていられるかという対応だった。

 これも原発立地である大熊町は、飼いならされてきた動物みたいなもんで、自分で何もできない人だなと思った。自分で考えて行動しようということが、なかなか難しのだなと感じた。

★「帰れないから、移住先をみつけてくれ。賠償をきちんとしてくれ」

 4月に会津に来てから私は、以上のことをやっていたので大熊町とはいい関係だった。町長さんも、「木幡さんありがとうな」という感じだった。私もいい気分になって、これはいいなと思って頑張ろうとやっていたが、そのうち町民の皆さんに大熊町にはもう帰れないんだからねと、お話をしていると、そういう話はやめてくださいと言われた。

 また、女性の会で一緒にやっている仲間たちにも「放射線汚染で帰れないんだ。しばらくはもう帰れないんだよ」と言いましたが、どんなに悪い状況になっても、なぜか皆さん帰れる、帰る、今年中に帰ると信じていたんです。

 ところが、だんだん状況が悪くなってきました。一時帰宅が始まりました。皆さんその際、線量計を渡されて計測しました。家の中で70μシーベルトとか、80μシーベルトとか、ひどいところは100μシーベルトもありました。さらに高いところでは120~30μシーベルトもありました。原発の中ではなく家の中ですよ。とんでもない高さだ。これはひどいな、帰れないなと感じてきました。

 しかしこのころはネズミは、まだ出てこないんです。カラスもいない。まだ家は綺麗なままだったんですが、泥棒によって荒らされていた。

 だんだん日にちがたち女性の会で知り合った友達と、「そろそろネズミが出てきたよ」とか、「放射線量がずっと下がらないから、もう帰れないんじゃないの」という話をしていた。だから今、どうなっているんだろうかと東電に聞くことになった。東電は、「大丈夫です、帰れますよ」と言うだけだった。町長さんも「大丈夫だ、帰れる」と言っていた。

 私たちは、なんという町長だと思った。これではどうしようもない、らちがあかないと判断して、国に直接行って話をしようということになりました。大熊町に国のほうに行かせてくれと、8月の終りに要望書を出しましたが、全然対応してくれませんでした。この間、会は支援物資を配ったり、弁護士さんを呼んで話を聞いたり、放射線と原発の学習会をやったりして時を過ごしていきました。

 ところが11月の町長選挙を前にして、町長は多分、票がほしいから、突然「行ってもいいよ」と言い出した。このころは私たち女性の会は、帰れないから次のところに移住しようという考えになっていた。しかし町は、会の国との交渉について「帰れるようにしてくれ」とか、「除染を早くしてくれ」とか、「中間貯蔵施設を作るな」とか、そういう話をしてくるんだろうと思って、私たちに行ってくれと言ったのでした。私たちは、ほとんはそうじゃないんだけどなと思いながら、国に別のをするために行きました。

 私たちは「帰れないから、移住先をみつけてくれ。賠償をきちんとしてくれ」と要求しました。さらに広島・長崎と同じように将来、私たちに起きるだろうと思われる被ばくの病気に対して、被爆者手帳を作り「双葉郡だけではなく福島県全体の医療費をただにしてくれ」と要求しました。

 ところが国との要求交渉について正確に報道されずに中間貯蔵施設だけを求めたみたいな形で報道されてしまった。これでは家に帰ったら「大変」なことになると思いながら帰ってきた。やはり「大変」でした。みんな怒り、コテンコテンに罵声を浴びせられました。「なんでお前は、そんなことを言ったんだ。帰れるのに帰れないと言ったり、中間貯蔵施設を作れと言ったり、とんでもない」と言われた。友達からも言われた。ある人は離婚までしました。

 私なんかは、ほんとうは中間貯蔵施設ではなく、最終処分場まで作れと言った。原発の核のゴミを集めるのではなく、今回、大熊町から出た除染した廃棄物を大熊町が引き取るべきだと言った。このことは新聞には、最後まで出ていない。

★大熊町では何が問題となっているか

 あれから2年が過ぎました。最近、中間貯蔵施設が話題になっています。それでも町長は、帰りたい人がいる限り作れないと言っています。今、汚染水タンクの水が一杯になるとか、地下水に漏れているとか報道されている。実際に原発で働いている人は、「地下水は地震の時から漏れているんだ。海に漏れている。公表したら大変な騒ぎになるからだ」と言ってました。

 だから大熊町は、原発の事故が起きたときから、帰れないんだということを肝に銘じて言っておくべきだった。政治を携わっている人たちがやらなけれはいけないことだった。それが安易に「帰ろう」といつまでも町民に言いつづけていたのです。町民はそれだけで聞けば満足するだろうと思いますが、現実なに起きていることはそんなに甘くありません。

 その間に何人が死ぬのか。すでに年寄りは亡くなっていく。そうすると東電は、シメシメ、今日は一人亡くなった、二人亡くなった、補償をやらなくていいとほくそ笑んでいるような感じだ。すでに最近は、一人亡くなると「東電は喜ぶんだよね。補償をやらなくていいからね」ということを平気で町民は言うようになってきている。

 昨日、弁護士さんを呼んで賠償問題について学習会をやった。現在の賠償は、帰れることを前提にやっている。だから財物賠償、家とか土地に関しては、5年~6年帰れないから、その間だけを賠償しますよということだ。だけど放射線が出たところに誰が帰れるのか。

 賠償は減価償却と、土地家屋士が現場に来て査定する方法があります。今までの減価償却で計算すると私の家は、築180年です。ぜんぜん計算にならない。家は三軒あるんですが、母屋はとくに古いので賠償額は、だいたい犬小屋ができるぐらい、また、それを証明する物がなければならない。これを使うと母家は800万円近くになるのだが……。これではどうやって家を作るというのか。好きで出たんじゃない。

 弁護士は、ダム作りなどの場合の立ち退きになり、その時の収用価格が同様の家と土地を持てる額になる。だけど帰れることを前提でやっているから、全然、低額だ。

 また、住民票がある人は補償される。しかし3月11日、大熊町にいたとしても住民票がなければ補償されない。長男の住民票は大熊にはない。筑波にあるが、3月11日には大熊町に居ました。夫の兄は病院に入院しているが、住民票は大熊町にある。だが、3月11日に大熊町にいたわけではないから、補償の対象になりませんというのです。だから二人とも補償されない。

 東電職員の場合は、実家が東京にあり、ときどき帰る人もいるが、そういう人は補償されるというのです。この間、東電と交渉しているが、東電という企業は、ほんとにどうしょうもない企業だ。大熊にいて被ばくしているかもしれないのにひどい会社だ。

 賠償はぜんぜん決まっていません。精神的な補償が1ヶ月10万円と言われるが、自分で細かいとこまで色々書き、提出しないと貰えない。だけど年寄には書けない。だから東電の職員が集会所に来て、初めはペコペコするが、そのうち「判子持ってきなさい」「なになに持ってきなさい」と命令口調になってくる。年寄は、「はいはい」と足早に家に戻ってきて、言われたとおりに書いてお金を貰っている状況です。

 だけど1ヶ月10万円しかない。10万円で生活ができるかというと、仮設にいて、光熱費など全部、自分持ちだ。

 老人の方は、息子たちが大変だと思うから、自分のカネをあげちゃう。自分は食べる物も、節約しながら生きている。私が「おばさんどうしたの」と言うと、「ご飯食べていないんだ」、「どうしてよ」、「カネみんなやっちまったからよ」と言うんです。みんなから「息子にカネをやったりしてはだめだよ」と言われるが、おばあさんは「息子が車が欲しいと言うからな。やっぱり会津からいわきに通うので」。「大熊町の原発廃炉の仕事に行っている」ということでした。

 みなさんは、バスとかで逃げているので車がないんです。帰って車を取ってくる人もいるが、放射線が高い車だから、持ってくると子どもに影響があると思って、持ってこれない人が大勢いる。だからおばあさんたちは、大変だと思ってカネをみんな渡してしまう。

 だから皆さんだんだんと生活が苦しくなってきている。貧富の差が出てきている。逆に、大熊町長や役場幹部たちは、多額の年間所得が確保されている。だから必死に役場にぶら下がっていようとしている。ぎりぎりのことろに来ると、人間の本性というか、持っているものが出てくる。私は、つくづく人間とは恐ろしいと思う。

 木幡仁が三月に仮設の選挙で自治会長になった。自治会選挙には、夫ともう一人立候補した。片方の方は、絶対自分が自治会長になると思っていた。酒の席も用意したりしていたが、その人は、見事に負けた。

 これは皆さんの考えが変わってきたことです。ものすごく町に対する怒りが増えてきたんだなと思います。今まで大熊の人は、自分の思いを行動とかで現すことができない人たちが多かった。東電力があってその中でずーっと生きてきて、上の者に「ははっー」と絶対に従えと、いう感じだった。そうしないと仕事は首になるから、絶対服従だった。だから町長、役場、自治会長に対しても絶対服従だった。

 これを自分たちの意志で、選挙で、木幡仁に投票するということが、初めて行動で示された。なるほど時代は変わったなと思った。みんなの意識が変わってきたんだなと思った。

 それで町長などは、びっくりしてしまい。今度は、町長が「もうしばらく帰れないのだから、この仮設でみんなで一所懸命に生きていきましょうね」と言ったんです。町長が私たちと同じような話をしていたので、なんだあの人はと仮設の皆さんは冷ややかに見てました。

 中間貯蔵施設の話も、以前は調査を簡単に受け入れませんよと言っていたのに中間貯蔵施設を受け入れますとあっさりと答えた。このように自治会長が変わることだけで、こんなに簡単に変わってしまうのかなと、あきれました。

 焦りだけが皆さん出てきたり、なかなか仕事に復帰できなくなった若者も一杯いらっしゃる。夜になるとドカドカと暴れ出す人もいる。他の仮設に行って「お前にやられたよな」とか、何もやっていないのに自分の頭の中で幻覚症状を起している人が、結構、最近多くなってきた。うつ病になる人も増えてきています。

 大熊町は、すごく住みやすかった。自然も豊かで静かなところだった。ほんとに田舎なんです。皆さん、静かなところで、みんな一軒一軒、けっこう広い家に住んでいました。長屋はなかったんですが、今の仮設は長屋です。だから隣りの人の声が聞こえるんです。「うるせー」という言葉が飛び交ってくるんです。

 みんなテレビなどのボリュームを低くして、静かな声で話したり、非常に遠慮しいる状態だ。だからちょっとでも大きな声で話すと、「うるさい」となる。部屋を交換してくれと言う人もいる。みなさん、追い込まれている状態だ。だけど野上の部落の人は、そういうことはない。貧乏でも、山仕事、農業とか、ずーっとやってきて、必要以上に物を持たなかった人たちだ。山仕事は大変だ。大きくな木を、男も女も関係なく、木の伐採をしたりする。みんなこういう事態になっても、私の近くには90歳近くのおばあさんがいますが、みんな一所懸命。お互いにおかずを作ってあげたり、助け合っています。

 町の中心に旭台という区がありましたが、ほとんど仕事が東電関係の住宅でした。トップに東電社員、下請けの幹部がいて、住宅ではその人たちに従うようになっていました。住宅雑誌に載っているような家ばかりでした。だけどこういう人たちが避難してくると、滅茶苦茶になっているんです。誰が自分を統率してくれるのか、誰がやってくれるのか、そればっかり待っているんです。自分では何もしようとしない。

 逆に子どもたちは、非常にたくましくなっています。ある意味で大熊町から出てきてよかったかなと思う。というのは、子どもたちも大熊町にいるときは、なにがなんでも東電職員になりたがっていた。東電の下請け会社の親たちに聞かされて、俺は大きくなったら東電に入るんだぞという感じでした。そのためには電気科に入ろうとか、勉強ができなくてもコネで入ろうという感じだった。

 ところが子どもたちは、 この事態になって原発って怖いんだね、と言うようになりました。親が原発は安全だと言っていたが、「ウソだね」と言いっています。うちの父ちゃんは原発で働いているけど、原発にはもう行きたくない、と言ってます。子どもたちのほうが、この2年間の経験でものすごくかしこくなってきた。私たちの話を一番聞いてくれるのは、子どもたちです。「原発は危ないから、もう日本、世界には原発はいらないんだよね」と言うと、子どもたちもいらないと言ってくれます。ましてや「地震がある国に、なんで原発が必要なんだよな」と。学校の授業でも、若い先生などは、今おおぴらに授業で、「原発は危ないんだよ」と言えるようになった。昔だったら大熊町でそんな話をしたらとんでもないことだった。

 子どもたちも家でも「原発はあぶないんだよね」と言えるようになって来た。子どもたちのほうが脱原発だ。それに対して大人は文句を言わない。3.11があったけれども、子どもたちはいろんなことを学んだと思う。

 以前は勉強をしない子どもが多かった。私たちが勉強しなさいと言うと、「なに言っているんだ」という感じだったんですけど、人の話をまじめに聞くようになってきた。大熊で「勉強します」と言うと、「あいつはちょっと変わっている」と言われるほどでした。

 ほとんどがコネで東電、東電の大手の下請会社に入って行った。退学した子どもでもコネで東電、下請けに入れました。以前、私とお父さんに仕事の誘いがきていました。高額の給与を提示しました。うちの娘にも高校卒業したら原発の東電社員にならないかと電話がかかって来た。

 原発に反対している人には、家族には危ないことが一杯ありました。襲われた人もいました。私たちは塾をやっていたのですが、最初は原発反対なので生徒が来なかった。家庭教師で原発の下請けの子どものところで教えていたが、あの人は原発に反対しているんだよと噂話が出ると、最初はさーっと引いていった。双葉町で反対派の酒屋さんは、暴漢に襲われたり、家族も襲われたり、商品を一切買ってもらえなかった。家計は火の車になっていき、最後は屈服させられた。

 以前から大熊町は、原発周辺は危ないよとと言われ続けていた。最近、浪江町で尻尾がないウサギが出たとか、耳がないウサギが出たとかという事実をブログで見ました。私の家にネズミがたくさんいるんです。ところが家のネズミが猫ぐらいに大きくなっている。気持悪いです。なんでこんなに大きいのか。周りの人たちもネズミが異常に大きくなっていると言っています。しかしカラスはいない。やはりからすは利口だからなと思いますが、やはりカラスは線量が高いところに来ない。

 私の家は、一時帰宅で何回か戻り、雨どいを測りました。1月の時が120μシーベルトだった。3月が220μシーベルト、4月が320μシーベルトだった。山沿いだから、高くなってきている。雨どいのところが積もり積もって高くなっている。叔母は具合が悪くなってしまい、苦しくなり、具合が悪くなると言ってました。

 大熊町は除染したと言っている。役場も除染したが、2週間後、測ったら15μシーベルト以上だった。除染して下がったと言っても6μシーベルトだ。ところが1ヶ月たたないうちに測ったら、ちゃんと上がっていた。元の数字に戻っており、役場の後ろは30μシーベルトだった。だから除染したってお金の無駄使いだと感じてきた。

 以前は、除染して帰ろうというのが圧倒的に多かった。しかし集団移住を要求してきた木幡仁が自治会長になったことに現れているように、だんだん年寄りも帰れないということが分かってきた。

 一時帰宅するたびに線量が高くなってきている。新聞、マスコミは下がってきたと言っているが、表向きは下がってきている。しかしセシウム134は、2年で半減だ。セシウム137は30年だ。これだけではなく、その他に公表されてないことが一杯あると思います。プルトニウム、ストロンチュウムとかの線量状況などが全然公表されていない。

 原発事故時、風がものすごく吹いていた。だからあちこちに飛んでいるはずだ。セシウムは、へばり付いたら絶対に落ちないらしいし、溶けない、消えない。いくら除染やったって、上から落ちてくる。大熊町など現地に除染に何億円かけたって、湯水のごとく使う感じで除染は必要ないと思います。

 やっぱり郡山、福島、いわき、伊達のほうは、ほんとは住んじゃいけない。会津以外はね。だけど住んじゃいけないけども、みんなどこにも行けないでしょ。東電は補償もしてくれない。金もそんなにない。必死になって県外に出ている人もいる。仕事がなく、外に出たら家もないでは、子どもをどうやって育てることができるというのか。出ていくのが大変だから福島県に残るしかない。だからそのためには、せめて人が大勢住んでいるところは除染してほしいと、みんなは思っている。

 だけどチェルノブイリでは、低線量被ばくの被害がどんどん出てきている。チェルノブイリの50年先の線量の移り変わりを予想図を見れば、福島も同じような危険性があるということだ。続きを読む

【報告】3.10 原発ゼロ☆大行動

jpg 三月一〇日午後一時から、東京・日比谷野外音楽堂で「原発ゼロ☆大行動」の一環の集会が首都圏反原発連合の主催で開かれた。国会請願デモの後、官邸前、財務省、Jパワー、外務省、文科省、経産省、東京電力に抗議をして、午後五時から国会正門前で大集会を行った。午前一一時から共産党系の労組・大衆団体が参加する原発をなくす全国連絡会が独自集会をし、野音の本集会に参加した。野音は通路までいっぱいになり、入りきれなかった人々が周辺にいるという状況だった。

 黙祷をささげた後に、首都圏反原発連合のミサオ・レッドウルフさんが「事故を忘れない。抗議を続ける」と主催者あいさつをした。鈴木かおりさん(NPOいわき市民放射線測定室)は「お茶や魚から放射能が検出されていて、汚染は収まっていない。子どもたちを守るために、毎月五〇人ずつ沖縄の久米島に静養に出している。チェルノブイリから学ばなかったから事故が起きた。福島事故から学び二度と事故を起こしてほしくない」と訴えた。

 さようなら原発一千万人アクションの落合恵子さんが昨日のデモで逮捕者が出たが即日釈放されたことを報告し、脱原発に向けてがんばるとアピールした。この他、原発をなくす全国連絡会、経産省テントひろば、再稼働反対全国アクション、脱原発世界会議、脱原発をめざす議員連盟、韓国の脱原発団体からのアピールなどが行われた。集会の後、国会に向けてデモ行進を行った。

(M)

【報告】3.9 つながろうフクシマ!さようなら原発大集会

jpg 三月九日正午から、東京・明治公園で「つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」が「さようなら原発」一千万人署名 市民の会の主催で開かれ、初夏を思わせる天候にも恵まれ、会場をいっぱいにする一万五〇〇〇人が集まった。会場周辺には二二のブースが設けられ、宣伝を行った。

 二〇一一年三月一一日、福島第一原発事故から二周年を迎えるにあたって、大規模な脱原発連続行動の口火を切るものであった。大江健三郎さんら九人の市民の会呼びかけ人は「一、原発は速やかに廃炉作業に入る。二、原発の新増設は認めない。三、再処理工場、高速増殖炉(もんじゅ)の運転を認めない。四、再生可能エネルギーの普及・開発を最大限に促進する。五、廃炉の過程における原発立地自治体への経済的支援を政策化する」と三・九アピールをあらかじめ発した。

 日本音楽協議会がオープニングライブを行い、その後リレートーク・音楽が引き継いだ。

 福島と全国の原発立地点からの訴えだ。小島力さん(福島県葛尾村)。「計画的避難地区になり、いま武蔵野市に避難している。一時帰宅すると見るも無残な畑・家があった。忘れられ、見捨てられ、死んでゆく村だ。国を相手に訴訟を起こした人もいるが個人では対処できない。集団で東電・国を追及するために一月二六日に二二〇人で会を作った。何よりも被災者救済が求められている」。

 柴口正武さん(福島浪江町)。「三つの苦しみがある。放射線が下がっていない。風評被害があり、物が売れない。帰宅できない。七回の一時立ち入りをしたが家は二年前と同じで朽ち果てて、住めない状態だ。子どもたちは一二%しか学校に戻っていない。災害は今も進行中だ。さらなる困難が訪れている。三月二三日の福島県民集会に参加を」。

 井戸川前双葉町長は職責を離れたので本音でものを言うとして「チェルノブイリから教訓を得ない人は職責から離れろ。北朝鮮の核実験を非難するなら、これだけの原発事故を起こして何の制裁も受けないのはおかしいではないか」と国や東電の責任を問うた。

 大石光伸さん(茨城県東海第二原発)が、昨年七月に一〇〇〇人で運転差止め訴訟を起こし、攻防が行われていることを報告した。山田清彦さん(青森・核燃サイクル一万人訴訟)が「明日、雪が残る駅前公園で二〇〇〇人規模の集会を開く。再処理工場は着工から二〇年になるがまだ動いていない。もう工場はボロボロ。もし大事故が起きたら名古屋まで放射能が飛んでいく。大間原発は昨年工事の再着工を決めたが進んでいない。むつに核廃棄物中間貯蔵場がある。国民的議論で核のゴミについて責任を持たなければならない」と訴えた。

 伊藤実さん(浜岡原発を考える会)は「菅首相の要請によって、浜岡原発は運転が止まっている。1・2号炉は廃炉が決まっているが直下型地震の震源地に立地する浜岡原発は火薬庫の中で、焚き火をするようなものだ。浜岡から東京まで一八〇キロ、福島から東京は二二〇キロだ」と事故が起きた時の危険性を語った。山口県上関原発と闘う祝島島民の会からメッセージが寄せられた。

 反原発団体のミサオ・レッドウルフさん(首都圏反原発連合)が「毎週金曜日、首相官邸前で脱原発を訴えている。官邸前は地上戦で追いつめたが、アメリカや経団連の空中戦で落ち落とされた。政府を揺るがす力にはなりえた。可能性は二〇〇%ある。夏の参議院選に向けて、党派や違いを超えて一丸となって政府に突きつけていく。望みを捨てない。脱原発の世論は変わっていない」と訴えた。その他、国際環境NGO Feo Japan、原子力資料情報室、日本消費者連盟からアピールがあり、金城吉春とアシビナーズによる踊りとエイサーが披露された。

 第二部は女優の木内みどりさんが司会を務めた。リクルマイのライブの後に、黙祷が捧げられ、本集会が始められた。最初に呼びかけ人が発言した。鎌田慧さん。「原発はカネとウソで、権力の横暴で作られた。原発依存社会をなくしていく。福島のことは絶対に忘れない。がんばって、がんばりぬこう」。最後まで歩きとおすとスニーカーできたという大江健三郎さん。「原発ゼロをなかったことにする、という政権交代後の自民党政府の姿勢だ。これと闘う。長崎で被爆した林京子さんが内部被爆のことを小説にした。この苦難は福島につながっている。再稼働を許さない」。

 内橋克人さんが「原発は安全基準を満たせば安全だという安全神話が安倍政権によって復活している。一億玉砕と叫んだ軍国日本とどこが違うか。カタカナで書くフクシマを漢字で書く福島に戻せ」とメッセージを寄こした。落合恵子さん。「どんなことがあろうと後ずさりはしない。犠牲のシステムを変えていこう。福島は私自身だ」。澤地久枝さんが、会場の旗を下ろすようにとの司会者の要請に、日の丸を掲げた男性が従ったことについて「私は戦争体験者なので、日の丸にはこだわりがある。気になっていたが従ってくれてうれしい。この会場にはさまざまな考えの人が脱原発で集まっている」と前置きして、「人間らしく生きていける社会を作ろう。世直しに希望を捨てない」と語った。

 正しい報道をする会の広瀬隆さんが「上空のヘリに山本太郎さんが乗って中継している。明日は報道写真家の広河隆一さんがヘリ取材する」と報告した後、「余震が連続して起こっている。原発を止めても燃料棒がそのままになっていることは核分裂が起こる可能性があり恐いことだ」とし、子どもの内部被曝の問題、反原発運動への刑事弾圧に支援を訴えた。韓国の「核なき世界のための共同行動」の代表が「核なきアジアをつくっていこう」とアピールした。

 斎藤夕香さん(福島県飯野町から京都への避難者)。「四人の子どもがいる。平和に暮らしていたが、放射線管理区域にされた。インターネットなどでいろいろ調べて、からくりが分かってきた。二〇シーベルト撤回問題で文科省行動に参加した。家族や周りの人、学校の先生に言っても私の気持ちが分かってもらえなかった。県外の人の方が理解してくれる人が多かった。去年の一月に自主避難することを決断した。それでも高二の子どもは福島に残った。顔で笑って心で泣いている。忘れ去られるという不安がある。子どもをどう守っていくのか。そのために避難ママの会を立ち上げた。情報を伝えるために意識を持って動かないといけない。とりわけ若い人に伝えることが重要だ」と切々と語った。

 署名が八二〇万七一一二筆集まっていること、ロンドン、パリ、アムステルダム、フィンランド、スイスなど世界で脱原発集会が行われていることを報告し、フランス、イギリスからのメッセージを紹介した。司会の木内さんが福島原発事故後、自ら変わっていたことを話し、「ここにいない人をどう動かしていくのか」と参加者に奮起を促した。

 会場から二コースに分かれて、都心で大規模な脱原発パレードを行った。
デモ出発地点の混雑の中で、警察が70代の参加者一人を逮捕した。反原発運動つぶしのための不当逮捕を糾弾する。

(M)

報告:福島を返せ!再稼働反対!3・11東電本店前アクション

jpg 3月11日、 東電前アクション!と福島原発事故緊急会議は、東電本店前で「原発事故から2年。福島を返せ!再稼働反対! 3・11東電本店前アクション~賠償、被ばく労働の責任をとことん取らせよう~」を行った。

 アクションは主催者の抗議のコールから始まった。

 栗原学さん(東電前アクション)は、「今日は『追悼の日』と言われているが違う、東京電力を追及する日だ。東電は福島原発事故で死者は出ていないと言っているが、東京新聞(3・11)によれば福島だけで事故による関連死が七八九人だ。それにもかかわらず原発再稼働させろといまだに言っている。犯罪企業を追及する私たちの行動に対して警察は妨害している。30人以上も逮捕されている。絶対に許せない!東電を逮捕しろ」と糾弾した。

 植松青児さん(東電前アクション)は主催者として、「本日の取り組みで共有したいことは、この二年間、東電を追い詰めきれなかったことだ。もっともっと追い詰めなければならない。被害者への責任を取らせるために。加害企業としての責任を取らせるために。被ばく労働を強い続けている企業としての責任を取らせるために。柏崎刈羽原発の再稼働を、完全に断念させるために。今後、この観点を強化していきたい」と問題提起した。

 ゲストスピーカーから次々とアピールが行われた。

 亀谷幸子さん(双葉町から浜松に避難)は、「事故直後、何も持たずに逃げた。一瞬にして財産がなくなった。情報がないから放射能が強いところへ逃げてしまった。東電は大丈夫と言ってきたが、だまされた。東電は閉鎖せよ。福島の子どもたちに甲状腺異常が出ている。国と東電は、放射能と関係ないと言っている。子どもたちを守るために医療費を一生ただにすべきだ」と抗議。

 ホットスポット在住者(埼玉県三郷市、千葉県柏市、流山市、千葉市)からは、高濃度に放射能汚染されている地域に住んでいることの不安と東電に対する怒りを表明。

 元・福島原発収束作業員は、「福島第一原発の重要免震棟内で放射線管理業務に従事していた。実質拘束時間は12~13時間で日給1万円だった。元請から宿代が出せないとか言い出し、解雇だ。現在、解雇撤回を闘っている。下請けは、都合がいい時に集められ、勝手に解雇される。こんなことをなくすためには元請に抗議していくことだ。危険手当が出ているのかあいまいだ。東電と交渉していく」と報告した。

 なすびさん(被ばく労働ネットワーク)は、「東電のコストカットのしわ寄せは、福島原発収束作業員のなどの下請け解雇だ。労働者を食い物にし、ばら撒かれた放射性物質を無主物だと言う。除染作業でも東電の子会社で私腹を肥やしている。東電解体まで追及するぞ」と訴えた。

 さらに福島原発事故の検証と東電批判を小川正治さん(プラント技術者の会)、木村結さん(東電株主代表訴訟)がアピール。菅井益郎さん(国学院大教授)が柏崎刈羽原発の廃炉について発言した。

 最後に東電本店に向けて抗議のシュプレヒコールをたたきつけた。

(Y)

報告:福島原発告訴団 2.22東京地検包囲~東電本店包囲行動

地検2月22日、福島原発告訴団は、東京地検包囲行動~東電本店前包囲行動を行った。福島、北海道、静岡、関西の告訴団など700人が参加した。

 告訴団は、2012年3月16日、「脱原発福島ネットワーク」と「ハイロアクション福島原発40年実行委員会」の呼びかけで「東京電力福島第一原子力発電所の事故により被害を受けた住民で構成し、原発事故を起こし、被害を拡大した東京電力株式会社及び国の原子力委員会、原子力安全委員会、経済産業省原子力安全・保安院等の責任者を刑事告訴することを目的」(会則)に結成した。

 その後、福島地方検察庁に東電の勝俣恒久前会長、経産省原子力安全・保安院の寺坂信昭前院長、原子力安全委員会の班目春樹委員長ら33人を業務上過失致死傷罪、公害罪及び激発物破裂罪の被疑事実で、法人としての東京電力株式会社等を公害罪の被疑事実でそれぞれ刑事告訴・告発した(第1次告訴―12年6月11日/1324人。第2次告訴―12年11月15日/13262人)。

 ところが検察は告訴を12年8月に受理したが、新聞各社は「予見可能性に高いハードル」「立件にはハードル」「立証は厳しい」「起訴は困難」などと報道している。東京・福島地検は十数人態勢で捜査にあたっており、勝俣東電前会長らを任意聴取していると言う。しかし、起訴するために証拠を確保しなければならないのに東電本店の強制捜査に入り証拠を押収することもしていない。3月に立件の可否を判断すると報道では流れている。

 このような検察の不充分な対応に対して告訴団は、「福島原発事故に関し、厳正な捜査・起訴を求める署名 」を1月8日から開始し、40265人分の署名が集まり、この日の地検包囲
と提出行動が取り組まれた。また、上申書(①地震や津波への備えを検討した議事録などを東電から押収する②原発事故の現場を検証し、後世に残る調書をつくる③甲状腺がんを発症した被災者と原発事故の因果関係をよく調べる……)も提出した。



地検は起訴せよ!



 福島告訴団を先頭に全国から駆けつけた仲間たちは、東京地検前で「地検は起訴せよ!東電は自首せよ!」のプラカードが次々と怒りを込めて掲げた。集会は、佐藤和良さん(副代表)のあいさつから始まり、「多くの署名が集まった。東京地検に起訴を迫る行動を行う。代表団は、怒りの思いをつきつけていく」と力強くアピール。告訴団代表が地検に入った。

 続いて全国の仲間のリレートークが行われた。郡山から静岡に自主避難した男性は、「子どもを守るため無念の思いでふるさとを後にした。子どもたちと一緒にいると、もう放射能に侵されているのだろうか。大人たちは、この子たちを置き去りにして、どんな発展をしようというのか。子どもたちを守れない国家は健全ではない」と訴えた。

 代表団が戻り提出行動を報告。大熊町の女性は、「有機農業をやっていたが、原発事故によって土地も職業もすべて奪われた。このくやしさは皆さんと同じです。頑張っていこう」と発言。山梨、長野、新潟告発団は、「自主避難者に対してわずかな賠償で打ち切られようとしている。生活は非常に困難な状態だ。加害者の東電が賠償金を決めているからだ。責任を明らかにさせ、生活再建させなければならないという思いをつきつけた」と報告。

 河合弘之弁護士は「福島原発事故は、最大の人災だ。東電幹部がなにも裁かれない不正義を許してはならない。福島県民、全国の怒りを地検にぶつけた。巨悪を打つ検察ならば東電幹部を起訴するのは当然のことだ。本店には証拠が一杯ある。強制捜査をやらせないとだめだ」と強調した。

 広瀬隆さん(反原発活動家)は、「地検が告発を受理して半年もたっている。なにをしているんだ。地検は、3月11日午後2時46分、被災地の方々に黙祷をささげ、ただちにダンボールを持って東電本店に入れ」と発言した。

 最後に参加者全体で「強制捜査せよ!東電を起訴せよ!保安院を起訴せよ!安全委員会を起訴せよ!山下俊一を起訴せよ!」のシュプレヒコールを地検にたたきつけた。



東電は自首せよ!



 続いて告訴団は東京電力本店前に移動し、「東電は自首しろ!東電は責任をとれ!」と糾弾していった。福島被災者たちは、次々と怒りの発言を行った。大熊町の男性は、「生まれ育った土地を追い出された私たちの気持ちがわかるか。もう帰れない。東電はウソで固めており、まともな賠償もない。どうやって生活していけばいいのか。責任をとれ」と糾弾した。

 東電は、廣瀬直己社長ら幹部は登場せず、広報部の會田満男所長に対応させ、告訴団の「要請書」受け取らせるという不誠実な対応を繰り返した。参加者は、これまで以上の怒りのシュプレヒコールを響かせ東電包囲行動を終了し、首相官邸前の金曜行動に合流した。

(Y)
 

転載【東電前アクション!声明】朝鮮民主主義人民共和国の核実験に抗議します

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東電前アクション!Blog
http://antitepco.ldblog.jp/archives/23622140.html

《転送・転載歓迎》

【東電前アクション!声明】
朝鮮民主主義人民共和国の核実験に抗議します
IAEA-NPT体制こそが核拡散の元凶-核廃絶の唯一の道は「大国」の核放棄から!


■2月12日に、朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)が実施した地下核実験に、私たち東電前アクション!は抗議します。

それは地球を破滅させる核のエネルギーを、ましてや軍事力に利用するなどということは、どこの国のものであろうとも正当化することはできない、という立場から抗議の意を表明するものです。

また、今回の核実験は、朝鮮国内の恒常的な飢餓状態を解決するよりも、軍事力を高めて「強盛大国」化することで、世襲三代の体制の健在ぶりを内外に示そうという政策の頂点にあるものであり、キムジョンウン第一書記自身が語った「3年以内に国民経済を1960~70年代のレベルに回復させ、(金日成キムイルソン主席の目標だった)『白米を食べ、肉のスープを飲み、絹の服を着て、瓦屋根の家に住む』を、真に成し遂げねばならない」という言葉に逆行するものである点も非難されなければなりません。

今回の核実験に世界中から非難が寄せられています。しかし、「核兵器を保有することで国威発揚し、強国であることを世界にアピールする」というあり方を歴史的に形作ってきたアメリカをはじめとする核大国の政府には、言うまでもなく朝鮮政府を非難する資格はありません。

■とりわけアメリカは、戦後の世界支配体制構築のために、広島・長崎への原爆投下を強行し、戦後は1030回の核実験を行っています。そして、オバマ大統領は「核なき世界を」などと言いながら、四度の未臨界核実験を行っています。そして、たった2ヶ月前の昨年12月に行われたアメリカの核実験に、日本政府やメディアがはたして抗議などしたでしょうか。

日本政府もまた、「潜在的核保有国」であるために歴史的に原発を推進し、昨年6月には民主・自民・公明の三党は原子力基本法の変更を行い「(原発は)安全保障に資する」という項目を入れる暴挙を行っています。

そして、このような核兵器を保有し、「安全保障」と称して周辺諸国への威嚇のために原発を保有する国の政府が、IAEA(国際原子力機関)とNPT(核拡散防止条約)体制によって核保有を独占し「小国」の核保有を非難する道義的矛盾とその正当性の欠如こそが、実は核を世界に拡散させるものだと指摘するものです。

「圧倒的な軍事力を持つ"大国"に対抗するために核開発をして何が悪い」...この論理に明快に反論できる政府が、世界にどれだけあるでしょうか。そして、このIAEA-NPT体制の矛盾・ダブルスタンダードこそが、インド、パキスタンの核開発を許し、イランや朝鮮とにらみ合いながら新たな「核開発競争」を促しています。

また、IAEAは世界の核開発をコントロールしながら推進するという役目を担っています。IAEAが、チェルノブイリ事故による健康被害を隠ぺいし、そして昨年12月から福島にも乗り込んできていることと、「大国」の核の独占を前提とする組織であることは一体のものです。それは「秘密主義」と「情報の独占」こそが、核による世界支配に不可欠なものであるからにほかなりません。
私たちは、アメリカをはじめとする「大国」こそが、核兵器を放棄し、あらゆる原子力から撤退することで最低限の「道義性」を確保することなくして、核不拡散そして核廃絶の道はないと訴えます。

■政府やメディアはことさらに今回の核実験について必要以上に騒ぎたて「北朝鮮脅威論」を振りまいています。それはまるで、福島第一原発の事故を覆い隠すためのようにも見えるというものです。

しかし、私たちは忘れるわけにはいきません。福島第一原発の事故発生当時、「ただちに影響はない」と繰り返した日本政府の犯罪を。この事故が、いまも海外にどれだけ迷惑をかけているかということを。あるいは溶けた燃料が沈降を続けている福島第一では毎日が「地下核実験」をやっているようなものであることを。

今回の核実験で、東京都の猪瀬知事は2月12日に「都民の不安解消のために放射線測定体制を強化する」などと表明しています。計測された放射線がはたして東京から遠く離れた国の地下で行われた核実験によるものなのか、たった200キロしか離れていない福島由来のものなのか、どうやって区別できるというのでしょうか。

このような自国の原子力政策への反省のない、アメリカの核保有や持ち込みを追及しない政府やメディアが「小国」の核実験をことさらに騒ぎ立てるあり方こそが、「大国」が核を独占するIAEA-NPT体制を下支えするものだと言わざるを得ません。福島から目を逸らさせるために「北核実験」や「中国のスモッグ」を利用するかのようなキャンペーンはいますぐやめるべきであり、今も続く福島事故の影響こそ広く知らされなければなりません。

・朝鮮の核実験に抗議!あらゆる核開発に反対!
・「大国」の核独占体制:IAEA-NPT体制解体!「大国」の核廃棄こそ核廃絶の唯一の道!
・IAEAは福島から撤退しろ!日本の脱原発に口出しするな!
・「核実験」や「中国スモッグ」を福島事故隠し・排外主義扇動に利用するな!

アジアの人々とともに、核兵器も原発も公害もない東アジアをつくろう!

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