虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

3.11大災害関連

報告:3.27「被曝労働問題の現状~フランス・ウクライナ・韓国・日本」( 主催:被ばく労働を考えるネットワーク)

配信用:被ばく労働分科会 3月27日、「核と被ばくをなくす世界社会フォーラム」(主催:実行委)の分科会6「被曝労働問題の現状~フランス・ウクライナ・韓国・日本」( 主催:被ばく労働を考えるネットワーク)が韓国YMCAスペースYで行われた。以下の5人は被曝労働の実態と問題点について報告した。

 フィリップ・ビヤールさん(フランス、原発下請労働者)―1985―2006年、仏電力公社の下請け労働者として保全作業に関わり、複数の原発で働く。

 「原発ロビー、仏政府によって制度化されている犯罪的組織と言える原発の中で働く見えない労働者の1人であり、同じような境遇の仲間たちは仏で3万人以上いる。原発ロビーによってまるで私たち自身が放射性物質の塊であるかのように扱われている。私は22年間、原発で働いてきた。2006年までの間に250ミリシーベルトの放射能を浴びてきた。ある同僚は、仕事を辞めるまで一シーベルトの放射線を浴びてきた人もいる」。

 「私は、CGTというナショナルセンターの組合員です。原発下請け労働者の組合の代表をしている。組合を立ち上げたのは、原発で働く労働者が病気となり、彼等の権利を訴えていくために作った。多くの労働者は亡くなったり、様々なガンや病気で苦しんでいる。仏電力が下請けに労働させる理由は、病気自体を下請けに出し、責任逃れが目的だ。さらに放射線にさらされるプロセスを見えなくさせ、健康診断を的確に受けさせていない。労働組合活動をさせないことも目的に入っている。原発労働者の給料を少なくすることも狙いだ。原発労働者を次ぎ次ぐと変えて、多くの放射線を浴びせている。今後も闘っていくために繋がりを強めていきたい」。

 ムィコラ・ヴォズニュークさん(ウクライナ、チェルノブイリ原発事故処理作業者)―チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)。原発から約1キロに仕事場(資材保管部門長)。関連作業で被曝。チェルノブイリ被災者認定(1992年)。

 「チェルノブイリのショックは、ある程度過ぎ去っている。事故の原因は、事故以来、統一の見解はないが、そもそも原発の構造自体に問題があった。事故時、運転員の対策が不適切であった。4号炉では実験のために安全装置のスイッチが切られていた。実験そのものが事故の原因の一つだ。事故で炉心が破壊され、大量の放射性物質が大気中に放出された」。

 「1986年から89年の間、事故処理作業費用は、100億ドル以上。間接費用が250億ドルと言われている。ウクライナは、事故後の問題を解決するために8億~9億ドルも支出しなければならなかった。10万人以上の人々が避難させられた。チェルノブイリ事故があったにもかかわらず福島原発事故が起きてしまった。人類
は原発を拒否しなければならない」。

 ヴァレンティン・ヘルマンチュクさん(チェルノブイリ原発事故処理作業者)―1985年より原発職員。チェルノブイリ原発事故当日、防衛隊に参加し被曝。キエフ放射能医療研究所から全ての臓器に問題があると言われた。高血圧で心臓に負担過重。

 「原発の運転は慎重でなければならない。原発事故の原因は色々存在している。スリーマイル島事故、チェルノブイリ事故、福島事故を見れば、明らかなように数万人の人々が心も含めて犠牲になった。今後の提案として、原子力発電の構造的欠陥、安全システムの不備について情報交換をすること、原発労働者の採用、訓練をよりよいものにする。末期的な状況でも方策がとれるような訓練が必要だ。人口が密集しているところの原発建設は廃止しなければならない」。

 「世界的な医療プログラムを被災者のために創設することが必要だ。予防的な措置もしなければならない。原発被災者のために訓練センターの設立も必要だ。放射線廃棄物の解決なくして新規に原発建設してはならない。国際的な情報交換を深めていくことは重要だ。だが国の主権の主張によって阻害されている。核兵器の輸出の可能性が存在し続けるかぎり、核を輸出してはならない。太陽光エネルギーにより関心を払うべきだ。核開発のために資金を使うのではなく太陽光エネルギーに使うべきだ。さらに労働者の労働条件改善、事故、病気対策は優先されなければならない」。

 ギム・ヅチョンさん(公共非正規職蔚珍支会水処理分会長&全国の原発水処理連合会長)―2002年8月~2014年10月/ハンウル原子力韓国の整数工業勤務、2014年10月から蔚珍原子力水産インダストリーハンウル推処理事業所。

 「2014年6月、韓国の4箇所〈ハンウル、ウォルソン、コリ、ヨングゥアン〉の原発で労働組合を結成し、私はハンウル原発で働き、全国水処理労働組合連盟の会長をしている。2016年で25基の原発が稼働している。電力生産の30%が原発電力だ。原則的には、国民の安全と核の安全管理のためにすべての従事者は直接雇用とすべきだ。しかし、整備や放射線官吏業務などは、協力業者(下請負)による間接雇用だ。協力業者は入札により、1年から3年単位で韓国水原子力と契約するので、労働者は本人の意志とは無関係で間接雇用の非正規労働者となってしまう。すでに約30%が間接雇用・非正規労働者、新たに稼働する原発では約40%が
非正規だ」。

 「組合は、韓国水力原子力を相手に、間接雇用・非正規労働者の正規・直接雇用などの問題で対政府闘争を開始した。2016年3月11日、世宗市の政府総合庁舎で集会をスタートさせ、核労働者の正当な権利を獲得するために努力している。雇用と賃金の格差は、原子力発電所の安全問題と直結している。世界原子力協会や米国原子力規制委員会などに間接雇用禁止について厳格に規制し、持続的に管理基準を策定していくことが必要だ」。

 池田実さん(元収束作業員〈東電福島第一原発〉、元除染作業員〈浪江町〉)―2014年2月~5月まで福島の帰還困難区域の浪江町で除染作業に従事。14年8月~15年4月末まで東電福島第一原発構内で廃炉に向けた事故収束作業に従事。

 「除染と第一原発で約1年3カ月働き、積算被ばく線量は7・25ミリシーベルトでした。法律では1年50ミリ、5年で100ミリシーベルトが上限と定められ、東電は年20ミリシーベルトを越えないように管理している。それから見れば十分低い値かもしれないが、厚生労働省が原発作業での白血病の労災基準としてあげている年五ミリシーベルトを越えている。昨年初めて福島第一原発で作業し白血病に罹病した労働者の労災が認定されたが、原発作業員の労災認定は狭き門だ」。

 「私のように一度離職したら、その後の保証は全くありません。もし罹病したとしても自費で受診、治療するしかなく、労災申請するには多くのリスクを伴います。劣悪な労働環境の下で保障もなく使い捨てられているのが福島原発作業の実態だ。今後、果てしなく続く廃炉収束作業、東電任せ、下請け任せの組織体制を改め、国が前面に出て、原発作業員の雇用、労働条件、福利厚生の改善、そして被ばく保障にあたるよう望む」。

 各報告者に対して若干の質疑応答が行われた。最後に論議の掘り下げは、翌28日の「被曝労働者の権利を求める 国際連帯シンポジウム」で行っていくことが提案された。(Y)

報告:1.26アジ連公開講座/「宮城からの報告/復興の名の下で何が起きているのか」

講座写真 1月26日、アジア連帯講座は、文京シビックセンターで「宮城からの報告/復興の名の下で何が起きているのか」について公開講座を行った。報告は、電気通信産業労働組合の日野正美さん、高橋喜一さんから行われた。

 報告者が所属する電通労組は、2011年3月11日の東日本大震災、福島原発事故以降、家屋損壊による移転や、福島県の緊急時避難準備区域をはじめ日常的被ばくの環境の中に生活を強いられる組合員・家族も抱えながら、被災地の組合として「希望を持てる復興と生活再建に取り組もう!」のスローガンを掲げ、救援活動やボランティア活動を取り組んできた。

 その過程で政府の復旧復興政策が被災地住民の地域コミュニティを基本とした復旧、復興ではなく、企業活動を重視した特区構想など新自由主義的復興であることがますます明らかとなった。とりわけ宮城県の村井知事が進める「宮城県方式復興策」(高台移転・職住分離、建設制限、復興増税、水産業特区、原発不問等)がその典型的な施策だ。「除染・廃炉ビジネス」も大手ゼネコンが大儲けし、ピンハネを通した下請け構造を作り出している。まさに大震災を利用した、社会を上から変えようとする「惨事便乗型復興」でしかなく、「住民一人ひとりが主体」となる復旧・復興とはほど遠いのが実態だ。

 しかも住居、医療・福祉・教育、水産業、農業、雇用問題など、最優先されるべき被災地の生活再建が進んでおらず、湾岸改修や被災学校の復旧、鉄道再建等の交通インフラ、被災家屋の修理などの課題に被災地は直面しつづけている。

 2人の報告を以下、紹介する。



■日野報告

 「地域コミュニティ(生業)再生として復興政策を!」




 遅々して進まない復旧、復興



 2005年4月に「平成の大合併」を強行した。石巻市と周辺六町が合併して新石巻市(16万6900人)ができた。被災後は、一万人ぐらいの人口が流失している。復旧・復興の要となる公務労働者が削減されてきたため復旧、復興の遅れを作り出してきている。自治体労働者の多くが被災した。死者・行方不明者が四八人。

 被災しながらも、不眠不休の自治体労働者が、先の見えない業務をこなしていた。長期化と過酷な労働環境でストレス増大、病休、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、鬱病が多発している。

 復旧、復興を押し進めるために公務労働者を増やし、待遇改善することが必要だ。ところが麻生財務相は、「震災復興財源確保のため国家公務員の賃金をカット(7.8%)し、3000億円を二次補正予算に盛り込む。さらに自治体への地方交付金を削減して地方公務員の賃下げを行え」と強要している。公務労働者削減、労働条件の悪化では復旧、復興の遅れを取り戻すことはできない。

 数十万人の方が仮設住宅と「みなし仮設」に住んでいる。だが入居の仕方が地域コミュ二ティを重視した形ではなく、抽選等の方法によって断絶が進行した。寒冷地仕様でない施工(騒音等)のため施工変更が繰り返されている。結果としてプレハブ協会とハウスメーカ、ゼネコンに膨大な仮設建設費用が落ちているのが現状だ。

 「みなし仮設」は、民間の賃貸家屋を国が借りて被災者が住むことになっている。だが居住地から離れた隣接市町(人口流出)、支援活動が届かない問題がある。現在、災害復興住宅が作られており、県で24000戸をめざしているが、着工は半分に至っていない。被災者たちは、2014年度末の完成入居ができるのか不安状態にある。

 仮設住宅同様に入居方法が抽選のため地域コミュ二ティや、従前の人間関係が断ち切られ、居住者の孤立が進行している。阪神淡路大震災後、孤独死が950人だった。再発させないような取り組みが重要だ。

 被災者は、高齢化、失職している人が多く、低収入なので自力再建がかなり困難だ。また、地域の将来が見えないから、そこに住むということも決められない不安が続いている。

 国、県、市町村は場当たり的対応でしかない。平常時から大災害時の住宅復興の方針を持っておくべきだ。



 教育の現状



 被災した小学校、中学校は、高台にある小中学校の校庭にプレハブを建て教室として使っている。2~3年後に小中学校の統廃合と広域移転を行い、新校舎を建設する予定だ。沿岸部の学校は廃止となる。これまでの地域で子育てという繋がりの崩壊だ。

 震災時の津波によって大川小学校生徒74人が亡くなった。石巻市は、避難行動を検証する第三者検証委員会を設置した。検証委員にハザードマップを作った人物が入っていたり、事務局にコンサルティング会社が入っていたりして、保護者から異論があった。2月から検証作業が始まる。今後も注目していきたい。



 医療の現状



 自治体病院が被災し、当時、赤十字石巻病院が唯一救済する病院だった。現在、臨時診療所が開設されているが、病院、開業医も津波に襲われて医療従事者が流出してしまっており、医療・介護は深刻な状態だ。

 震災以前から宮城県地域医療再生計画はあったが、震災で地域医療復興計画も同時に進められている。自治体病院の統合・再編、集約と機能分担を行おうとしていた。被災地の沿岸部では人口流出もあり公立病院を再建しない方針である。在宅医療を基本に据えた診療所化を構想している。利用者のための医療体制の充実には程遠い。復興の名のもとに公共サービスが置き去りにされている。



 村井構想



 村井宮城県知事は、「富県戦略」を掲げて当選した。震災後も「特区」(資本のための規制緩和等を行う特定地域)による企業活動を主軸にした復興政策を押し進めている。

 水産業に対しては「特区」構想の押し付けに力を注いだ。すでに政府の規制改革会議が「日本の水産業の衰退と再生」を答申(2009年)しており、村井は震災を通して一気に押し進めようとした。

 昨年には水産特区第一号として仙台水産と石巻桃浦浜漁業者との合同会社を設立した。漁業の企業化だ。1つの会社で全過程を扱うことができる六次産業化(一次産業〔生産〕+二次産業〔加工〕+三次〔流通〕)の育成だった。

 漁業破壊につながるとして宮城県漁協は反対している。漁業権=海を守る自治形態として漁業権があるが、水産特区は漁業権の企業への解放であり、管理の権限を漁協から取り上げる。つまり、自治の否定でしかない。だが県は2月にも特区申請をする。一方、漁港港湾に関しては、「選択と集中」と称して、集約化が計られようとしている。

 水産加工業の再開も遅れている。必然的に女性雇用落ち込んでいる。政府は、被災中小企業がグループ化すればグループ化補助金を支出すると言っている。だが、予算額が少なく企業に行き渡らず、年度内消化で、復興の遅れで使われない困難もある。それ以前になかなかグループがつくれず、申請できないケースも多発している。

 農業も同様の事態が進行している。津波で被災した農地は、国が圃場整備で大規模化し、「農と食のフロンティア推進特区」によって、農業法人化と農業の六次産業化を目指している。高齢化、後継者不足を、震災復興を巧みに使った「農業改革」を進めている。

  

 瓦礫問題について



 宮城県は、ガレキを抱えたが、それをゼネコンに丸投げしてしまった。ゼネコンは、談合で気仙沼ブロックを大成建設、石巻ブロックが鹿島建設、東部ブロックがJFEエンジニアリングなどによって分け、瓦礫ビジネスで大儲けだ。



 統一地方選と衆院選挙



 統一地方選は、被災地のため11年11月に実施した。投票率は過去最低で50%切り、政治不信を示した。被災沿岸部の塩釜、石巻で共産党候補が初当選し、女川町議選では共産党候補二人が上位当選した。女川原発反対同盟の阿部宗悦さんの娘の阿部美紀子さんが初当選した。

 福島に隣接する県南の丸森町の県議選での投票率は、77%だったが、これは放射線測定や健康調査を求める町民の声を無視した県への批判の現われだろう。

 2012年12月16日の総選挙では、宮城県1区~6区の民主党候補は5区の安住淳民主党幹事長代行だけが当選したがその他は全員落選した。民主党不信の現われだが、自民党など保守が復活してしまった。



 女川原発について



 震災時、女川原発は、福島第一原発と同様な危機的状況だった。重油タンクの倒壊や原子炉建屋への海水の侵入、県原子力防災対策センターも津波で壊滅的な被害だった。なんとか商用電源の復旧で免れた。

 国の原子力災害対策指針は、10キロ圏から30キロ圏に拡大した。宮城県も地域防災計画の見直しと言っていたが、「原子力災害対策編」では「国の対策論議の動向を踏まえ見直し、修正する」と言っているにすぎない。つまり、全く主体性がないのだ。

 宮城県内の反原発団体は、あまりにもひどいということで県に申し入れ(①「被ばくゼロ」をめざす防災計画を②対象地域を30キロ圏内に限定してはいけない③住民の意見を取り入れるしくみを④関係するすべての自治体と東北電力が安全協定を⑤モニタリング体制の確立を⑥実効性のある計画の確定なしに再稼働は認められない⑦無駄な労力を避けるためには廃炉がベストの選択)を行った。

 石巻は、原発問題も含めて大変な状況にあるが粘り強く取り組んでいきたい。



■高橋報告

「被災地に見る鉄道の復旧問題から公共サービスを考える」
 
 

鉄道① 2011年3・11震災で全国七六鉄道路線が被害を受け、12年4月段階で68路線が復旧した。


 現在未開通区間は、以下のような状況だ。

●JR山田線(盛岡~宮古~釜石158キロ)

●大船渡線(一関~気仙沼~陸前高田から大船渡盛駅106キロ)

●気仙沼線(石巻 前谷地~気仙沼73キロ/不通区間の柳津~気仙沼間〔12年8月、BTR(軌道舗装バス)によるバス代行〕)

●石巻線(小牛田~女川45キロ、貨物鉄道区間小牛田~石巻28キロ、不通区渡波~女川間代行バス)

●仙石線(仙台~石巻52キロ、不通区間高城町~陸前小野間代行バス、貨物鉄道区間陸前山下~石巻、石巻港)

●常磐線(日暮里~宮城県岩沼350キロ、貨物鉄道区間三河島~岩沼、不通区間広野から原町・原発事故警戒区域、相馬~亘理津波被害区域)

●三陸鉄道北リアス線(宮古~久慈71キロ、路線のほとんどが長大トンネル、一部区間開通折り返し運転)

●三陸鉄道南リアス線(大船渡~釜石37キロ、全路線不通)



三陸鉄道の歴史から



 三陸鉄道は、東京の日暮里から常磐線を通り、石巻線~三陸鉄道~八戸から青い森鉄道に繋がっている。東京から太平洋沿岸をまわり青森までの人と物流を作ってきた。その意味で三陸縦貫鉄道は重要な位置を持っている。

 1896年6月15日に明治三陸地震津波があった。三陸沿岸地域の壊滅的被害で23000人の死者が出た。三陸沿岸の交通はなにもなかったが、住民は地域復興のために三陸を縦貫する鉄道が必要だと要求した。

 三陸沿岸の地域は、急峻な山が海沿いに迫り平地の少ない地形だ。沿線に「都市」がない。今回、被害にあったのと同じような地形だ。

 住民の要求から80年後の1969年に宮古線が開通。高度経済成長に伴って少しずつ鉄道が延びていった。しかし、三陸縦貫鉄道開通は国鉄民営化によって翻弄され宮古、久慈、盛の三線は1981年に廃止した。路線廃止基準が1キロあたりの換算輸送人員・4000人としたためだ。

 翌年に、地域の力で縦管鉄道実現を図る運動が起こり、県、沿線自治体による「三陸鉄道(株)」が設立された。第三セクターによる未開通区間の開通。それが、現在の北リアス線、南リアス線だ。「地域住民の悲願であり、地域が育んだ鉄道」だと言える。その後もチリ地震、津波による被害を被ったが、そのたびに復興してきた。



 鉄道復旧の重要性



 JRは震災直後、「すべてを復旧させる」(11年4月)と宣言していた。現実には、三陸沿岸の未開通部分があり、見通しがたっていない。早期復旧を地域住民は要求しているが「高台移転・職住分離」の街の復興構想が策定が前提になっており困難な状況が続いている。

 現在、大船渡、気仙沼、石巻、仙石、常磐の五線が不通区間だが、この沿線で集団移転が検討され、また仮復旧としてBRT(軌道舗装バス)を走らせている区間等、鉄道廃止につながるのではないかと地元住民は反対している。

 JRは、BRTは「鉄道復旧より短期」「鉄道と同じレベルの運賃」「本数の増加」「ニーズに合わせたルート」「停留所の設定」などをするから地域にメリットがあると主張している。

 しかし三陸鉄道全体で見れば第三セクターの三陸線が復旧し始めているにもかわらず、JR線にはBRT導入によって「鉄路廃止」という不安を地域住民は抱いている。東京から青森に通じる鉄道網がBRT導入によって寸断されることであり、BRTは物流の核とはならないと批判している。

 東北運輸局は、「特定の民間企業に財政支援はできないというのが大原則。しかもJRは黒字企業であり国費の直接投入をする理由を見出せない」と言っている。

 JRは、「地域にふさわしい公共交通のあり方を今後検討する」「黒字を生み出しているのは首都圏の路線。東北の在来線はすべて赤字路線であることを国や住民の理解が必要だ」という態度だ。つまり、赤字だから廃止もやむをえないということであり、住民のことは考えていない。
 
 駅の役割
 

鉄道② 国鉄民営化の前に地方路線の駅無人化を行った。当時の国労、動労などが地域住民とともに無人化反対運動を取り組んだ歴史がある。

 駅は、単純な鉄道の乗り降り場所だけではなく、駅員がいて、地域住民とのコミュニケーションの場であり、社会性を持っていた。「鉄路を守れ」を掲げた国労、動労の闘いは地域社会の崩壊をくい止める闘いでもあった。

 第三セクター、無人化駅されたところの街は、ほとんど廃れている。赤字路線の廃止によって地域社会の崩壊が生み出された。人の流出、さびれ行く駅前商店街、病院の統合・閉鎖(個人病院)が続いた。地域社会は高齢化し、交通弱者問題が起きた。鉄道に代わって民間バスが導入されたが、財政基盤が脆弱な自治体のところは不採算路線廃止、ダイヤ縮小していった。駅があれば人が集まり、商業が成り立ち、物流の拠点となり、バス等の交通拠点が生み出されてきたのだ。

 
 被災地と鉄道復旧の関係
 

鉄道図 被災地住民にとって鉄道、駅舎の復旧は生活再建にとって急務だ。住宅再建、仕事の再開、地域社会の復興と直結している。また、被災地域から避難している住民にとって戻れるかどうかの問題でもある。復旧が遅れれば遅れるほど人口流出が拡大し、とくに若者、働き盛りと呼ばれる層の流出は深刻だ。駅を中心とした地域社会の形成が必要だ。

 復興の名のもとに復興道路・復興支援道路の新規事業が決まった。三陸沿岸道路(新規区間一四八キロ)ができるということは、地域が作り上げてきた三陸縦貫鉄道が自動車と競争になることだ。道路整備が進めば鉄道需要減に拍車がかかる。鉄道復旧の「重し」となってしまう。

 地域が支えてきた交通サービスを支えきれなくなっていく。JRは、赤字路線を廃止し、三セクター化へと移行することになってしまう。地域交通の衰退の進行だ。



 高台で「医療・環境都市」の問題



 宮城県は、復旧・復興計画として高台移転と職住分離を構想している。例えば、東松島市の「復興まちづくり」では、持続可能な地域社会を作ると掲げ、民間資源を導入するものだ。官民連携による街づくりと言っている。さらにPPP(行政と民間が組んだ事業)、PFI(民間資金を利用して民間に公共サービスをゆだねる手法)を導入し「公共サービスの民営化」を押し進めていこうとしている。

 読売新聞(12年3月8日)が(東松島市は)「住民と病院や役所をつなぐ地域ソーシャルネットワークサービス(SNS)を構築。住民は日々の血圧などのデータを送信すると、データを分析した病院から高血圧対策のレシピや運動法などの情報が送られてくる」と紹介している。さらに「SNSには、警備会社、電力会社が加入。住民は防災情報の入手や、非常時の警備員派遣、住宅の室温管理などのサービスも受けられる」とPRしている。

 東松島市が内閣府の環境未来都市に選定された。住友林業は、協定を結び、この計画に参加することになった。「木化構想」では有料老人ホーム、保育園、学校などの公共施設、医療施設を木造化、木質化する「新たな都市モデルの創出」を謳っている。

 壊滅的津波被害を受けた女川町では、山を削って地盤を15メートルかさ上げして、津波がきても大丈夫だとしたが、この計画に住民は反対している。高台移転は山を削り、削った土を住宅地に使うことになるが、二次被害の問題が出てくる。台風がくれば山から水、土砂が平地に流れてくる。「盛り土」による地震による地盤沈下、地滑り等、住民の不安は当然だ。高台移転と職住分離は、重大な問題をはらんでいる。

 さらに二重ローンの問題もある。津波浸水区に住んでいた人は、住宅ローンが残ったままだ。かつて坪××万だったが、現在は七割以下の価格だ。しかも売れない。移転先の地価は上がり、新たな家を建てる場合、新たなローンを抱えることになる。高齢化しており支払いが厳しいから、高台に行けない人たちが多い。この問題は東松島だけでなく南三陸でも同様の問題が起きている。被災地3県では「27市町村40000戸」の集団移転計画がある。

 漁業権の免許更新は5年ごとにある。今年が更新の年なので村井宮城県知事は、漁民会社、水産業の儲けがあるところに免許を与える意図だ。特区は、漁業組合員資格の手続きがいらず、コスト削減で民間企業を参入させるのが目的だ。「権利取得」しながら「責任」を負わなくてもよい「低コスト型近代養殖経営」を目指している。

 1970年代以降、大手水産会社と漁業者が一緒にギンサケ養殖を展開した。だが、魚価が暴落すると企業は、養殖事業から撤退し、結局、負債が漁業者に残ってしまったことがあった。漁業者は、企業は利益が見込めないとすぐに撤退するという不信感を持っている。だから企業参入は弱肉強食のなかで地域漁業の習慣文化を崩壊させ、生活基盤と生活圏の侵害だという認識を持っている。

 住民、漁民の自治を無視した復旧・復興政策の問題を継続して監視し、批判していかなければならない。
 

転載【反天連声明】国家による死者の簒奪を許すな!天皇出席の3.11「東日本大震災追悼式」に反対する

ten1ten2【反天連声明】国家による死者の簒奪を許すな!
天皇出席の3.11「東日本大震災追悼式」に反対する


 2012年2月1日
 反天皇制運動連絡会(http://hanten-2.blogspot.com/

 1月20日、政府は「東日本大震災1周年追悼式」を開催することを閣議決定し、内閣府に「追悼式準備室」を設置した。報道によれば、「追悼式」の会場は東京都の国立劇場で、1500名の規模。「地震発生時刻の午後2時46分に1分間の黙祷をささげる」「実行委員長を務める野田佳彦首相の式辞や、天皇陛下のお言葉、岩手、宮城、福島3県から招く遺族代表のあいさつなどを予定している」という。

 1年前のこの日、筆舌に尽くしがたい惨事が東北を中心とする人びとを襲った。それまでの生活は一瞬にして破壊され、たくさんの命が失われた。それを目の当たりにした人びとにとって、また、そういった人びとに直接繋がる人びとにとって、この日が特別の意味をもつことは当然であり、失われた命に思いを寄せ、その死を悼むことはあたりまえの感情である。だが、国家が「追悼式」において果そうとしていることは、国家がそういった人びとの感情をすくい取り、さまざまな人の持つ多様な思いを、ある種の政治方向へと集約していくことにほかならない。だからこそ私たちは、国家による「追悼式」をけっして許すことは
できない。

 野田首相は、1月24日の施政方針演説で次のように述べている。「大震災の発災から1年を迎える、来る3月11日には、政府主催で追悼式を執り行います。犠牲者のみ霊に対する最大の供養は、被災地が一日も早く復興を果たすことに他なりません。……東日本各地の被災地の苦難の日々に寄り添いながら、全ての日本人が力を合わせて、『復興を通じた日本再生』という歴史の一ページを共に作り上げていこうではありませんか」。

 「犠牲者のみ霊に対する最大の供養」が「復興」であるという。これは、例年、8月15日に天皇出席のもとで行なわれる「全国戦没者追悼式」における、国家による死者の「追悼」の論理とそっくりである。私たちは、毎年、「全国戦没者追悼式」への反対行動に取り組んでいるが、それは、戦争の死者を生み出した責任の主体に他ならぬ日本国家が、その死者を「戦後日本の繁栄」をもたらした存在として顕彰することによって意味づける儀式であるからだ。そこに決定的に欠落しているのは、その死をもたらした戦争に対する反省の意識である。国家がなすべきことは、戦争の死者を褒め称えることではない。被害者(戦場に駆り出された兵士たち、空襲や原爆投下などによるおびただしい死
者、そして日本の植民地支配と侵略戦争によって生み出された他民族の被害当事者と遺族たち)にたいして責任を認めて、謝罪と補償(恩給などというものではなく!)を行うことである。

 この8.15と同様の政治が、3.11においても起動されようとしている。そして8.15において隠蔽されるものが国家の戦争責任であるとすれば、3.11において隠蔽されるものは国家の「原発責任」とでも言うべきものである。

 野田の演説において、地震・津波災害と原発事故災害とは、たんに並列されているだけである。地震・津波の被害をあれほどに拡大させてしまった責任は国にもあるはずだが、それ自体は「自然災害」ではあろう。しかし、それによって起こされた原発事故は100%の人災である。国家的なプロジェクトとして原発を推進し続けた国に、事故の根本的な責任があることは明白である。自然災害はおさまれば確かに暮らしは再建され「復興」に向かうはずだ。しかし、現在進行形の原発事故は、決して旧に復することのできない深い傷を、日々刻み続けている。

 原発政策をそのままにした「復興」などありえない。野田もこの演説で「元に戻すのではなく、新しい日本を作り出すという挑戦」が「今を生きる日本人の歴史的な使命」であるなどと述べている。だがそれは、「自然災害に強い持続可能な国づくり・地域づくりを実現するため、災害対策全般を見直し、抜本的に強化」することであり、「原発事故の原因を徹底的に究明し、その教訓を踏まえた新たな原子力安全行政を確立」することでしかない。こんなことは、従来の原発推進路線においてすら、タテマエとしては掲げられてきたことではないのか。

 このふたつの災害を切り離して前者のみを語ることは、その責任を負っている国家にとっては、決して許されることではないはずだ。「追悼式」において、死者の死はもっぱら今後の「復興」にのみ結びつけて語られ、いまなお原発事故の被害を受け続けている人びとをも含めて、被災一般・苦難一般へと問題は解消され、それを乗り越えて「復興に向けて頑張ろう」というメッセージへと「国民的」な動員が果たされる。野田の演説にも見られる「全ての日本人」「日本再生」といった言葉は、多数の被災した在日外国人を排除するだけではない。被災者のおかれているさまざまな苦難の差異を消し去り、あやしげな「共同性」に囲い込み、挙国一致で頑張ろうと忍耐を求める国家の論理なのだ。

 さらに、国家によって「追悼」されるのは、個々の固有の名を持つ死者ではありえない。儀礼的な空間の中で、具体的な個々の死者は、集合的に追悼されるべき単一の死者=「犠牲者」なるものに統合されてしまう。その抽象的な死者に対して、国家のタクトにしたがって、「国民的」行事として一斉黙祷がなされる。それはあくまで、儀式を主宰する国家の政治目的のための「追悼」なのだ。それはそのとき、さまざまな場所で、自らの思いにおいて個別の死者を悼んでいるだろうすべての人びとの行為をも、否応なく国家行事の側に呑み込み、その一部としてしまう。それが、国家による死者の簒奪でなくて何であろうか。

 この儀式において、天皇の「おことば」は中心的な位置を占めるだろう。天皇は、昨年の震災直後にビデオメッセージを発し、また、被災地を慰問して回った。そこで天皇が果した役割は、被災者の苦難にたいして、その悲しみや怒りを、「慰撫」し「沈静化」させることであった。そのパフォーマンスは、マスコミなどで「ありがたく、おやさしい」ものとして宣伝され続けた。しかし、天皇とは憲法で規定された国家を象徴する機関である。そのような存在として天皇は、震災と原発事故が露出させた戦後日本国家の責任を隠蔽し、再び旧来の秩序へと回帰させていく役割を、精力的に担ったのだ。それこそが天皇の「任務」なのであり、3.11の「追悼式」において天皇が果すのも、そのような役割であるはずだ。

 国家がなさねばならないことは別にある。震災と原発事故の被災者の生存権を守り、被害に対する補償や支援をし、さらには被害の一層の拡大を防止するためにあらゆる手立てが尽くされなければならない。そして、これまでの成長優先社会の価値観からの転換がなされなければならない。しかし、政府が行おうとしている方向性は逆だ。原発問題一つとっても、老朽原発の寿命の延長を可能にし、インチキな「ストレステスト」を強行して無理やり再稼働に進もうとしているではないか。それは、「復興」されようとしている社会が3.11以前と同じ社会であること、そこにおいて利益を享受していた者たちの社会であることを物語ってしまっている。この点で私たちは、国家による「追悼式」への抗議の声を、3.11というこの日においてこそ、反原発という課題に合流させていかなければならない。

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報告 12.23反天連集会「原発ファシズム・天皇制」

jpg 反天皇制運動連絡会は、12月23日、千駄ヶ谷区民会館で「原発ファシズム・天皇制」というテーマで集会を行った。

 開催挨拶が反天連から行われ、「政・官・財一体となって押し進められてきた原発。山本義隆は『原発ファシズム』(『福島の原発事故をめぐって』みすず書房)と規定して批判している。さらに掘り下げていくために冷戦体制下での核の「平和利用」、天皇制の果した役割、福島第一原発事故後の天皇による『被災地巡幸』、『がんばろう日本』ナショナリズム、脱原発運動と『日の丸』などの検証は重要だ。年末に入って明仁天皇が入院したり、天皇制延命のための女性宮家構想とかの課題も見すえつつ論議していこう」と発言した。

 問題提起は三人の講師から行われた。



「天皇と原発」
 
 天野恵一さん(反天連)は、「天皇と原発」をテーマにして「天皇一族は、原発を推進してきた国家、大企業の責任を忘れさせるために被災地巡幸を行った。天皇制の戦争責任、戦後責任を問い続けるとともに原発を推進してきた責任の問題のカテゴリーを入れて考えていきたい。集会のタイトルで使った『原発ファシズム』という観点から山本義隆は、政・官・財、マスコミが総力結集したシステムと戦争遂行のための大政翼賛会が同一なものだと言っている。さらに旧財閥が原子力産業を通して一体化していったことも明らかにしている。この連続性を演出したのが裕仁天皇だ」と提示した。

 さらに裕仁が原発システムを日本社会に定着させていく政治的動きの中心だったことを『昭和天皇とワシントンを結んだ男』(青木冨美子/新潮社)、「戦後日本の核政策史」(藤田祐幸/影書房刊『隠して核武装する日本』所収)、『原子力平和利用博覧会と新聞社「戦後日本のメディア・イベント」』(井川光雄/世界思想社)などを紹介し、「原爆と原発、核と安保、天皇制の問題を一つの有機的な体系システムとして整理し、再把握していくことが求められている」と今後の課題を強調した。
 

「『笑顔のファシズム』と原子力の『平和利用』」

 
 田浪亜央江さん(ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉)は、「『笑顔のファシズム』と原子力の『平和利用』」について永井隆(長崎医科大学教授、物理的療法科部長 /白血病/1951年5月死亡、カト
リック)の主張を材料に掘り下げた。

 田浪さんは、永井分析の契機について「原発御用学者の山下俊一(福島県立医科大学副学長)が『ニコニコ笑っていれば放射能の被害は受けません』などとデマを撒き散らしていたが、永井礼賛者でもあった(総力特集 東日本震災で長崎大学が果たした役割)」ことを紹介し、次のように分析した。

 「永井は、放射線研究で被曝が重なり白血病にかかり(1945年)、米国の8・9長崎原爆投下でも被曝した。その後、被曝者の救護活動、長崎医科大で『原子病と原子医学』の研究を続けた。だが永井の本質は、『長崎の鐘』(1946年)『原子野録音』(1947年)、『いとし子よ』(1949年)などにおいて主張しているように原子力エネルギー礼賛者であり、天皇崇拝者であった」。

 永井の背景として①愛国者である一方で、クリスチャン。科学者として国家を超えた永遠のものに殉じようとする意識②神が人間の目から隠したエネルギーを工夫と努力によって解明し、正しく使うのが人間のとるべき道であり文明である、という信仰③「科学者選民思想―などについて浮き彫りにし批判した。
 

「誰も殺すな」 

 山口素明さん(フリーター全般労組共同代表)は、「誰も殺すな 福島原発事故に関するフリーター全般労働組合の声明―グスコーブドリのいないイーハトーヴはいらない」(3月17日)を資料に報告。

 声明は、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」を引用しながら、「英雄譚を作り出すためではなく、そこで働く人々をグスコーブドリにして褒め称える醜悪さを私たちが克服するために福島原発で取り組まれつつ隠されている労働のすべてを子細に公開すべきだ」と要求した。

 第二は、「原子力被災者」を対象化したうえで「都市貧困層」にひきつけて「確実に食の安全から排除される。原発の停止によって電力供給が不足し、輪番停電が実施されているが、それに伴う事業所の閉鎖や休業が相次いでいる。都市貧困層はこれによる失職と賃金カットに見舞われ購買力を低下させるだろう。私たちは被災者だ」と主張。

 要求として「原子力発電所を直ちに停止せよ。人の生命を貪るビジネスから撤退しろ。東京電力はすべての原子力被災者に補償せよ。被曝したすべての人々に今後の全健康被害を回復するまでの医療費と生活費を補償せよ。原発事故のために閉鎖や休業を余儀なくされたすべての事業者の売り上げを補填せよ。失業や休業、賃金カットに追い込まれた人々の損害を補償せよ」などを掲げたことを報告し、これまでの取組み、諸論議などを紹介した。

 問題提起後、質疑応答を行い論点を深めていった。終了後、交流会に移り「2012年反天皇闘争」にむけた意見交換を行った。(Y)

【福島第一原発】再臨界・メルトアウト・チャイナシンドローム...もはや収拾不能状態だ

福島第一原発の事故は、もはや収拾不能のカタストロフィー状況に入っている。

■4号機で再臨界トラブルか

6月14日午前1時過ぎ、東京電力が提供する福島第一原発の外側の様子を24時間動画配信する「ふくいちライブカメラ」は、突如発光し、キノコ雲状に爆発して大量に白い煙が発煙する4号機の様子をとらえている。同様の現象は午前4時台まで断続的に繰り返され、6月19日の21時以降にも起こっている。


▲6月14日の4号機(左端)1分7秒あたりで閃光が走り、
2分過ぎからキノコ雲状に白煙が広がり強い発光が発生している
(20倍速)

インターネット上では、14日のこの現象の発生直後から「大きな再臨界が起こったのではないか」という疑念が取り沙汰されたが、東京電力は当初は問い合わせに「同日は濃霧が出ていて、光っているのは作業用のライトが反射しているからではないか」などと説明していた(作業用ライトならば不安定かつ断続的に閃光が走ったり、地上部分から太陽のように光ったりするものだろうか)。しかし、一方で原子力保安院は電話での問い合わせに「同日、夜中は作業していない」と説明しており、ちぐはぐな対応を示していた。あるいは「福島第一原発での作業に従事している」と称する者はツイッター上で「米軍の無人機の光のようです」などとしていた(赤外線で撮影する無人機が投光などするはずがない)。

そして、東京電力は19日になって、ようやく「4号機の原子炉建屋上部にあり、機器を水に漬けて保管している『ピット』という場所の水位が低下、水による放射線遮蔽効果がなくなり、露出した機器から強い放射線が出ている可能性が高い」とする見解を示した。しかし、発光現象や大量の発煙について一切説明しないこんな発表は、そのまま額面通り受け取れるものではないだろう。

私たちは、4号機で起こっていたことは、やはりそれなりの規模の再臨界ではないかと考える。東電の発表によっても、漏出しているのは「放射性物質」ではなく「強い放射線」である。すなわち、X線や中性子線などが直線状に放射されているということである。これは1999年に起こったJCOにおける臨界事故と同様の現象である。

おそらく、機器を水につけて保管する「ピット」内の機器の一部や使用済み燃料プールの核物質が余震か降雨の影響で高温で再臨界を起こしながら溶け落ち、床上の格納容器から漏れている高濃度汚染水に触れた際に急激に冷やされ、核分裂反応による発光と水蒸気爆発による発煙が繰り返された、というのが真相に近いのではないだろうか(そもそも4号機は、使用済み燃料プールの放射性物質の分析などは行われておらず、秘密のベールに包まれている)。東電の19日の発表などは「あの時点ではそのように考えていた」とするアリバイのためにするものとしか考えられない。そしてまた、「メルトダウン」のときのように、二ヵ月後に真相を発表するのだろうか。

JCO臨界事故においても、放射線がどれくらいの距離まで飛んでいたのか判明していない。もしくは発表されていない。今回も一体何キロまで放射線が飛んでいるのか、政府も東電もJCO事故のとき同様、即座に調査して発表しようともしていない。これによって数年後どこかで白血病などを発症しても、政府・東電は「事故との因果関係が分からない」などとして補償から逃げ回るだろうことは想像に難くない。しかし、このように原発事故の被害は、想像をはるかに超えて様々な形で拡大し続けている。

■「フクイチ」はもはや収拾不能だ

福島第一原発の1~3号機は、燃料棒のメルトダウン(炉心溶融)からメルトスルー(溶融貫通)状態にあると発表されている。しかし、小出裕章京都大学原子炉実験所助教など少なくない専門家が、すでに格納容器の底を貫通して建屋のコンクリート部分に落ちていると指摘している。すなわち、いわゆる「メルトアウト」状態にあるとということだ。もはや、この状態では上から水をかけようがホウ素をかけようが、あまり意味をなさず下へ下へとめり込んでいく「チャイナシンドローム」状態を止めることは不可能だろう。

高温を発して地下へ潜っていく溶けた燃料の塊を回収することなどできない。東電の榎本聡明顧問は4月8日の段階で毎日新聞の取材に「原子炉を冷却し、廃炉に不可欠な核燃料の取り出しに着手するまでに約十年かかる」と語っている。菅首相は「来年1月までの冷温停止」などと語っているが、実現不可能なことはとっくに分かっているだろう。

あと十年!もしくはそれ以上、ひたすら上から水をかけ続けるしかない現在のような状態が続くのである。そして、時折地中で小規模・中規模の水蒸気爆発を繰り返しながらあらゆる放射性物質を放出しつくすまで、ほとんど手をこまねいて見ているしかないのである。たとえ「石棺化」したとしても、地下から漏出する放射性物質を止めることも不可能だろう。もはや「フクイチ」は、収拾不能状態にあると考えるしかない。

614そして、放射能被害は加速度的に広がり、深刻さを増している。14日の発光・発煙現象から約1時間後には茨城各地の測定値が跳ね上がっている(左図)。以降、マスメディアの「各地の放射能測定地」の発表でも放射線量の上昇が伝えられているが、私たちの独自の調査でも17日の品川で地上1mの空中線量が前の週の約二倍の0.14μmv(マイクロシーベルト)、18日の新宿ではそのまた二倍近くの0.22~0.24μmvの数値が出ている。この数値が続けば確実に年間被曝許容量とされる1ミリシーベルトを確実に超える数値である。福島市の「20ミリシーベルト」問題は、すでに東日本で生活するすべての人々にとって、我が身の問題なのである。

また、放射能汚染の「ホットスポット」として報道されている千葉県柏市では児童公園が使用できなくなる場所も出てきている。農作物への被害や漁業への被害も拡大の一途をたどっている。遅かれ早かれ東日本全域が、人間が安心して食べ・働き・生活できる環境ではなくなるだろう。政府と東電は、もはや福島第一原発の事故は収拾不能であることを認め、それを前提とした今後十年の被害予測データを作成し公表しろ! そして、東日本で生活するすべての人々の「避難する権利」を保障し、避難を希望する者には海外への避難も含めて補償することを開始するべきだ。根拠のない「ただちに影響はない」などの「安心メッセージ」で避難する権利を奪うことはもはや許されない。

■原発再稼動阻止!来年夏までの実質「脱原発」状態を実現させよう

この福島のカタストロフィー状況をもってしても、日本政府は原発推進政策に固執している。13カ月に一度、停止させて点検することが義務付けられている原発を二度と動かさなければ、来年の夏までには実質的に「脱原発」状態が実現するのである。日本政府と各電力資本は、この実質「脱原発」状態となることをなりふり構わず阻止しようとするだろう。

6月18日には、海江田経産相は「すべての原発の安全を確認した」などとして、現在点検によって停止している原発の再稼働を原発立地自治体に要請した。

「原発の安全」なるものが一日や二日の検査で確認されるものなのか。原子力安全委員会が「安全指針」の抜本的な見直しをこれから開始しようとしているそのときに、「全原発の安全が確認された」など、拙速以前の原発延命のためのタワゴトとしか言いようがない。

たとえば、「もう限界原発」と地元で言われている佐賀県の玄海原発の1号機は運転開始から36年が経ち深刻な老朽化が問題視されているが、老朽化の問題が小手先の対策でクリアするわけがないことは誰にでも想像がつくことだ。しかし、政府は九州電力重役の息子である古川康知事に狙いを定めて、26日にプルサーマル導入の時と同様に反対派住民を排除して県民数人だけを招いた説明会を行い、再稼働を強行しようとしている。

このような政府の攻撃は、各原発立地自治体に加えられるだろう。反原発運動は、地元住民と連帯して各自治体知事や首長へのメール・FAXでの要請・反対の意思表示を集中させるなど、全国的な運動としての展開をさらに強めなければならない。そして、来年夏までの実質「脱原発」状態をなにがなんでも実現させよう。

■停止させた原発のさらなる安全確保の徹底を

原発を停止させたから、と安心するわけにはいかない。福島第一原発の4号機は点検停止中による燃料棒を抜いた状態で被災して、今回のシビア・アクシデントを起こしている。

浜岡原発の3、4号機の原子炉は、福島第一原発の1~4号機と同じ米資本GE社製のBWRマークI型なのである。そして、「フクイチ」の原子炉群が津波が到達する前に地震でダウンしていたということは、すでに東電も保安院も認める周知の事実だ。

したがって、菅首相の要請で停止された浜岡原発の原子炉の周囲に危険な機器や4号機にあるとされているMOX燃料などが撤去されているか、調査し報告されなければならない。そして、反原発運動は、そのように要求する必要があるだろう。

「フクイチ」は、原発が一度ダウンしたら手のつけられない怪物であることをあらためて世界に示すことになった。言うまでもなく、「100%安全な原発」などありえない。アメリカでは4月28日に、アラバマ州ブラウンズフェリー原発の原子炉3基が竜巻の影響で外部電源を失い、自動停止する事態に陥った。この6月14日にも、ネブラスカ州のフォートカルフーン原発は、洪水によって施設の周囲が水没して、使用済み核燃料プールの水温が上昇するなど、危機一髪的な状況が続いている。こういう積み重ねが、「チェルノブイリ」や「フクイチ」で起こったような大惨事に至るのである。そして、原発がある限り、「フクシマ」のような事故は確実に繰り返されるのである。

世界のどこにも原発はあってはならない!そして、反原発運動は、もはや絶対に勝利しなければならない人類の生存闘争なのだ。

(F)


【関連記事】

【福島第一原発】「警戒区域」半径20キロでは狭すぎる-政府はあらゆる情報を開示しろ!(2011.04.22)

【報告】5.23 文科省は「20ミリシーベルト基準」を撤回せよ!福島の親子を先頭に文科省を包囲し、2時間の追及

m 5月23日、東京・霞が関の文部科学省前に、福島から大型バス二台でかけつけた100人近い親子を先頭に、「子ども20ミリシーベルトを撤回せよ! 福島の子どもたちを守れ!」文科省包囲・要請行動が、支援の人びとを含め650人以上の参加で行われた。

 さる4月19日、文科省は原子力安全委員会の承認を得て、各学校での屋外活動を行う基準として放射線量年間20ミリシーベルト(毎時3.8マイクロシーベルト)の暫定基準を通知した。この「暫定基準」について文科省は「できるだけ放射線を受けないようにするため」と言い訳している。しかし、多くの専門家も指摘するように「年間20ミリシーベルト」とは被曝量としてきわめて高い数値であり、とりわけ子どもたちの健康・生命にとっては極めて危険なものである。そして現に福島県の教育現場では、「基準以下」を理由にして屋外活動、運動会などが実施されており、子どもたちの被曝量を高めている。

この「20ミリシーベルト」問題については、『かけはし』紙5月16日号でふれたように、小佐古敏荘・東大大学院教授が「とんでもなく高い数値であり、それを容認したら私の学者生命は終わりだ。自分の子どもをそんな目に遭わせるのは絶対に嫌だ」と述べて、内閣官房参与を辞任したほどのとんでもない基準である。小佐古はかつて石橋克彦・神戸大名誉教授が「原発震災」の危険性を訴えたことに対して「国内の原発は防護対策がなされているので、多量な放射能の外部放出は全く起こり得ない」と一蹴した経歴を持つ原発推進派である(『世界』2011年5月号、石橋論文参照)。その彼をして辞任させるほどの「20ミリシーベルト」基準の強制に対して、福島の親たちは撤回を求めて高木文科相など政務三役(大臣・副大臣・政務官)との面会を求めてきた。しかしこの面会の求めに対して菅政権・文科省は「対応しない」という拒否の姿勢に終始したのである。
 
午後一時、福島からの代表団の到着を待って文科省を650人以上の参加者は文科省を取り巻く「人間の鎖」を成功させた。参加者たちは一人ひとりマイクを手にして「20ミリシーベルト基準即時撤回」を訴えた。「3.11」まで原子炉メーカーの開発部門で働いていたという技術者の男性も、「退職して子どもを守る活動に加わっている」と語った。
 
f続いて文科省入口のテラスで雨にうたれながら福島現地の親たちや支援の人びと350人以上が取り巻いて、文科省の渡辺格(いたる)科学技術・学術政策局次長と交渉。この交渉には福島みずほ社民党党首、民主党の川内博史、森ゆうこ両衆院議員も加わった。交渉は予定を大きくオーバーして二時間にわたり、親たちの怒りの声が渦巻く「大衆団交」をほうふつさせるものになった。

この交渉の中で、ついに渡辺次長は「①20ミリシーベルトまでは安全だとする基準の撤回をめざす②年間1ミリシーベルト以下をめざすことを文科省通知として出す③現地の放射線量について、あらゆる低減措置を取るとともに、自治体が先行して行っている除染をふくむあらゆる低減措置について、国の予算で行う」との三項目を「政務三役に伝える」と回答させた。しかし渡辺次長はついにその期限については言及しなかった。

菅政権、文科省の言い逃れを許さず、「20ミリシーベルト基準」を撤回させよう。(K) 
 

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要請文

文部科学大臣 高木義明様



子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク 代表 中手聖一

〒960-8141 福島市渡利字七社宮37-1 中手方



福島の子どもたちの被ばく最小化のための行動を直ちに執るよう要請します



 私たちは、自分たちの子どもを放射能から守りたい。ただただその一心で集まった福島の親たちをはじめとする市民団体です。私たちの苦悩と悲しみがどれほどのものか。大臣はお分かりでしょうか。



 貴省が4月19日に通知した「3・8μSv/h=年間20ミリシーベルト」の基準は、いわゆる安全基準として一人歩きし、私たちの愛しい子どもたちは、部活や体育などで、校庭へグランドへと駆り出されています。校庭には毎時数十~数百マイクロシーベルトという、恐ろしいほどの放射線を放つ場所が、何の管理もされずに放置されています。校舎内の放射能汚染は日に日に進み、子どもたちは毎日毎日被ばくさせられています。



 全国全世界から福島に集まっている関係者は、みな線量計で被ばくを管理しながら働き、その傍らで子どもたちは無防備のまま生活しています。このような異常な状態を作りだしたのは、大臣、貴省が出した“子ども20ミリシーベルト基準”によるのです。



 私たちの我慢ももう限界です。のんびりとモニタリングをしているときではありません。

 高木大臣、以下の被ばく低減策を直ちに行うことを決断してください。



一、 今すぐ、“子ども20ミリシーベルト基準”通知を撤回し、あらゆる被ばく低減策を、国が行ってください。

二、 そのために、授業停止やいわゆる学童疎開・避難が必要なところは、躊躇なく行ってください。また、自主的に避難や疎開を行う者への経済支援を行ってください。

三、 校庭削土をはじめとする除染作業、高放射線区域の隔離等を急いで行ってください。その際に集められた放射能は、国と東京電力が引き取ってください。

四、 マスク・手洗い等の励行はもちろん、給食食材の配慮など内部被ばく防護策を徹底してください。

五、 これらにかかった費用は、国が責任を持って負担し、東京電力に請求してください。
 

【報告】参議員憲法審査会規定策定を許すな! 5.10参院院内集会

510 5月10日、参議院議員会館で「参院憲法審査会規程強行策定反対緊急院内集会」が100人の参加で開催された。主催は2011年5.3憲法集会実行委員会。
 
2007年5月、当時の安倍内閣は改憲手続き法を強行成立させた。2009年6月には麻生内閣の下で、衆議院での憲法審査会規程の作成が強行された。当時、民主党は衆院での規程作成に反対した。しかし2010年5月に民主党・鳩山政権の下で改憲国民投票法が全面施行されると、参院選で大敗北を喫した民主党は参院での憲法審査会規程作成に賛成するようになった。だが今までそれができなかったのは、2007年5月に改憲国手続き法が参院で可決・成立した際に付けられた一八項目の付帯条項(成年規定、有効最低投票率など)の論議が、まったく進展していないということもあった。

しかし東日本大震災によって「挙国一致」ムードが高められる中で、改憲への動きが再度息を吹き返している。4月28日には「新憲法制定議員同盟」の「新しい憲法を制定する推進大会」が院内で開催され、鳩山由紀夫前首相が同議員同盟顧問に復帰した。改憲派の主張は、大震災を利用して「非常緊急事態」についての規定を憲法に導入し、「有事」における権利制限を可能にさせることが前面に打ち出されている。

こうした状況において5月2日の参院議院運営委員会で、民主党はついに参院での規定作成を提案するに至った。そして院内集会が開催された5月10日には、民主党は四年ぶりに党の憲法調査会を設置し、会長に改憲派の前原誠司・前外相を据えた。



院内集会では、主催者を代表して高田健さんが報告。続いて共産党の井上哲士参院議員が経過を説明して、こうした動きの背後に政党を超えた改憲派のつながりがあると指摘、阻止するのは国民の力だ、と強調した。社民党の福島みずほ党首は、東北地方での避難所での被災者との対話を通じて「憲法25条の生存権、憲法13条の幸福追求権を一刻も早く実現するために政治の力を発揮すべきだと実感した」と語り、「緊急事態規定がないから何もできない」という改憲派の主張を批判した。

社民党の吉田忠智参院議員、山内徳信参院議員、服部良一衆院議員、共産党の宮本岳志衆院議員の発言に続いて、許すな!憲法改悪・市民連絡会の土井登美江さん、平和憲法21世紀の会の伊藤成彦さん、前共産党参院議員の仁比聡平さんらが発言。仁比さんは「いま聞くべきは弱者、被災者の声であり、民主主義の力を発揮すべきは今である」と訴えた。



追記:5月18日に参院本会議で憲法審査会規定作成が可決された。共産党、社民党、無所属の糸数慶子議員が反対した。民主党からは五人(相原久美子、有田芳生、大河原雅子、今野東、田城郁)が棄権にまわった。(K)
 

【報告】4.27 「緊急院内集会 福島原発事故に関する公開質疑~事態の見通しと対応策~」

kokkai 政府側は事故を収束させる展望を持ちえていない
 
 四月二七日、衆院第一議員会館で「緊急院内集会 福島原発事故に関する公開質疑~事態の見通しと対応策」が開催された。主催は超党派の国会議員有志(呼びかけ議員:石田三示衆院議員[民主党]、稲見哲男衆院議員[民主党]、服部良一衆院議員[彩民党]、山崎誠衆院議員[民主党]、川田龍平参院議員[みんなの党]、平山誠参院議員[民主党])。

 反原発運動団体、反戦運動、労働運動、市民運動・社会運動グループやNGO組織が広範に集まった「福島原発事故緊急会議」が全面的に協力し、環境NGOや国際協力NGOらによって作られた「脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会(eシフト)」も賛同団体となった。

 「福島原発事故緊急会議」の討論の中で準備されたこの日の院内集会の目標は、「超党派の国会議員と市民が共同し、政府の対策本部、原子力安全委員会、原子力安全・保安院に対し、情報の完全公開を求め、原発危機がさらに悪化する可能性と、その場合の避難対策について問いただす公開討論の場を設ける」(呼びかけ文より)ことにあった。

 そのために「海外への提供情報」「原子力発電所の現状について、各号機ごとに、温度、圧力、水位など事故発生当時からの現在までの時系列データ」「放出放射能について」「事故拡大の防止対策」などの資料提出を求めた。また福島原発の現状について水素爆発・水蒸気爆発の可能性、装荷燃料や使用済核燃料貯蔵プール内の燃料の再臨界の可能性、圧力容器。格納容器の破損の可能性、そして「大規模な爆発や再臨界のなど最悪の事態を想定した避難計画」がどのように立てられているかについての質問書を事前に原子力災害対策本部長、原子力安全委員長、原子力安全・保安院長あてに提出した。



 四月二七日の院内集会には平日(水曜日)の午後一時という時間帯にもかかわらず二五〇人が参加し、主催者側が用意した資料が足りなくなった。国会議員の参加者は当日、福島に出向いたたため参加できなくなった稲見議員を除く呼びかけ議員の全員、さらに福島みずほ社民党党首、柳田和己、永江孝子、石橋通宏、篠原孝、杉本和己、京野きみこ、平山泰朗(いずれも民主党)の各議員が参加した。専門的知識を持つ脱原発派のアドバイザーとして、槌田敦さん(元名城大教授)、山崎久隆さん(たんぽぽ舎)、崎山比早子さん(高木学校)、澤井正子さん(原子力資料情報室)が参加した。

 政府側からの参加者は前川之則(経産省原子力安全保安院原子力防災課長)、氏原拓(経産省安全保安院原子力発電安全審査課課長補佐)、田辺国治(原子力安全委員会原子力被災者生活支援チーム)ほか一人の計四人。

 しかしあらかじめ政府側に求めていた資料の提出が当日の午前中にようやく届くなど、その対応はきわめて不十分なものであり、とうてい主催者側の要請に応える姿勢ではなかった。また提出していた質問への回答についても「わからない」という回答がめだった。しかし「さらなる水素爆発・水蒸気爆発」あるいは「再臨界」の可能性についても「その可能性はきわめて少ない」と言いながら、完全には否定できないという対応であり、要は政府・安全保安院、原子力安全委員会としても福島第一原発1~4号基の事故収束の展望について確実なことが言えないという現実が明らかになったというべきだろう。

 さらに今回の院内集会で問いただす主要目的だった事故のいっそうの拡大に際しての住民避難対策についても、十分な回答を準備できていないことも示された。この点と関連して、原子力災害対策本部が福島県の学校での被曝基準を年間二〇ミリシーベルトとしたことについて、原子力安全委員会が助言を行っていたこと、大人と子どもの基準を区別しないことについては国際原子力委員会(IAEA)や国際放射線防護委員会(ICRP)も大人と子どもを分けていないとして正当化したことに批判が集中した。アドバイザーの崎山比早子さんは、こうした回答に対して「本来被告席に座る人たちが、ベクレルの基準を押し付けることがおかしい」と厳しく批判した。

 また海洋への放射能汚染については原子力安全・保安院では把握していないことも明らかにされた。今後、さらに政府側の真摯な対応と対策を明らかにさせるための院内集会を持つことを主催者側は準備している。

(K)

原発のない世界を求めるのなら、資本主義システムに挑戦しなければならない ―園良太さんとのインタビュー

tepco protest(東電前アクション 右端が園良太さん)

  以下のインタビューは、仏NPA(反資本主義新党)の週刊機関紙「トゥテタ・ヌー」の依頼で、三月一八日以後東京電力の責任を追及する「東電前アクション」を呼びかけてきた園良太さん(フリーター全般労組組合員、沖縄を踏みにじるな!緊急アクション)に対して、「かけはし」編集部の国富建治が4月23日の東電アクションの後に「たんぽぽ舎」で行ったもの。このインタビューは「トゥテタ・ヌー」とともに「インターナショナルビューポイント」四月号のサイトにも掲載されている。(K)


 
International Viewpoint

  • Tout est a nous!(NPA)

  • 「TEPCO(東京電力)は、チェルノブイリのような原発事故は日本では起こり得ない。日本の原子力技術は傑出したものだからだ、と説明してきました」と園良太は語った。彼は29歳、ラディカルな平和運動活動家でフリーター全般労組の組合員でもある。3月11日の巨大地震と津波により福島の原発惨事が起きて以来、東電本社前の抗議行動を呼びかけた彼のイニシアティブは、とりわけ若い世代の間に大きな共感を引き起こした。(「インターナショナル・ビューポイント」編集部によるまえがき)


    ――東電への直接の抗議行動を呼びかけた動機は、おもにどういうものだったのでしょうか。


     震災・津波の翌日、一部の反原発グループが東京の東電ビル前で抗議行動を組織しましたが、そこに集まった活動家は20人足らずでした。それ以後一週間にわたり東電前の抗議行動を呼びかけるイニシアティブは見られませんでした。その間、大衆的な不安と怒りを「鎮静化」させるとともに、最悪の被害から回復するために「日本は団結しよう」といったたぐいのナショナリスト的心情をかきたてる一連の大規模なメディア・キャンペーンが行われていました。民主党政権と支配階級は、日本の歴代政権が追求してきた原子力開発政策を批判する民衆の声を封じ込めようとしたのです。


      私は、こうした惨事を引き起こした東電の責任を直接的に糾弾すべきだと考えました。東電は「チェルノブイリのような原発事故は日本では起こり得ない。日本の原子力技術は傑出したものだからだ」と説明してきたのです。私は東電がその責任を逃れようとするのを許すことができませんでした。  


    ――東電本社前での直接抗議行動の呼びかけへの人びとの反応はどうでしたか。


     私が呼びかけを始めてから最初の一週間ぐらいは、私と一緒に東電前に毎夕集まる人の数は十人程度でした。しかし人びとは、東電側が福島原発で本当に起きている企業にとって不都合な事実を隠していることをますます知るようになりました。人びとは、自分たちが東電に騙されてきたことをはっきり理解するようになったのです。


     破滅的震災の二週間後には、数百人の人びとが東電前の私たちの行動に加わり、「原発はいらない!」と叫んで東電に抗議するようになりました。かれらは、原発を止めるよう求める民衆の行動がなければ、悲惨な原発事故がさらに起こると考えています。なにせ日本には54基もの原発があり、その多くは地震と津波による被害を受けやすい海岸地帯に位置しているのですから。


     多くの海外メディアが私たちの行動を報告しましたが、日本のメディアは報道しませんでした。私は、日本の大新聞やTV局の多くは、大企業や政府に支配されているのだと思います。


    ――私は、あなたたちの東電への抗議行動は、若い世代の原発反対のデモへの参加を確実に刺激したと思います。


     私は4月10日に東京西部の高円寺で行われた反原発デモに参加しました。そこには1万5千人が参加しましたが、その多くは若者でした。


     参加者の多くにとっては、それはあらゆるデモというものへの初めての参加体験でした。私はいつもこうした大電力資本と政府が引き起こした犯罪的な人道的惨劇に抗議して、自ら決起するよう若者たちに強調してきました。多くの参加者たちはツイッターのような新しい社会的ネットワークを通じて、このデモを知りました。


     いま私たちは、6月11日に日本中で「原発反対100万人アクション」を行うプランをたてています。その日は地震・津波・原発惨事が起きてからちょうど三カ月後にあたります。


     もちろん私たちは原発を止め、三重の惨害――地震、津波、原発事故――の被災者に対して、東電と政府がかれらの責任において全面的補償をするよう求める全国的ネットワークを作りたいと思います。しかし私は、私たちの抗議はそうした要求を超えて進むべきだと思います。


     フクシマの後でも、日本政府と資本家たちは原発開発構想を放棄していません。かれらは依然として原発輸出を拡大しようとしています。私はそれはシステムの問題、つまり資本主義システムの問題だと思います。


     原発のない世界を求めようとするのなら、私たちは資本主義システムに挑戦しなければなりません。

    【報告】4.25 チェルノブイリの今を語る集会

    IMG_0116 4月25日、東京・御茶の水の総評会館で「チェルノブイリ原発事故から25年 チェルノブイリの今を語る」と題した集会が開催された。原発とめよう!東京ネットワークが主催したこの日の集会は、チェルノブイリ原発事故の汚染地域であるロシア共和国ブリャンスク州ノヴォズィブコフ市の社会団体「ラジーミチ」で活動するパーヴェル・イヴァーノヴィチ・ヴドヴィチェンコさんのお話しを中心にして企画された。
     
    25年前の1986年4月26日に起こったチェルノブイリの原発事故は8千キロ離れた日本でも食品から放射能が検出されるなど広範な被害を世界に及ぼした。2005年9月にIAEA(国際原子力機関)、WHO(世界保健機関)やベラルーシ、ロシアの専門家によって組織された「チェルノブイリ・フォーラム」が組織した国際会議で出された報告書によれば、その時点までの死者は4千人以上となる。

    しかしこの推定死者数の根拠は薄弱であり、何よりも1988年以後の事故処理作業者や、より広い範囲の汚染地住民の被害者が死者数の中に含まれていない。WHOは2006年に死者数を9千人と見積もり、国際がん機関(IARC)は同年、対象者をヨーロッパ全域に広げて1万6千人と推定している。その数も医療関係者や専門家によれば過小であり、被曝による甲状腺がんの発症などによる死者の数を含めて、最終的な死者の数は10万人から20万人に達する、と推定する研究が多い。現地では五百の村が廃村となり、多くの人びとが住みなれた土地を捨てざるをえなかった。(原子力資料情報室のパンフ『チェルノブイリ原発事故 25年のメッセージ』参照)

    そして今、チェルノブイリの悲劇が福島で繰り返されているのである。

     
    1952年生まれのヴドヴィチェンコさんは、チェルノブイリ原発事故が起きた当時、ロシア・ブリャンスク州ノヴォズィブコフの師範学校の教師だった。チェルノブイリから180キロ離れたこの町は高放射能スポットのただ中に位置していたが、彼は家族とともにこの町に住み続け、教師をする一方で1987年に生徒たちとともにNGO「ラジーミチ チェルノブイリの子どもたちのために」を結成し、孤立して生活する高齢者や障がいを持った子どもたちの支援・教育活動にたずさわり、国際的にも大きな評価を得ている。

    ヴドヴィチェンコさんは語る。

    「放射能は放射性の雲とともに私たちの村にやってきました。四月末には強い春風が吹いていて、それがチェルノブイリから一八〇キロ離れた私たちのところへ、この恐ろしい災いを伴った雨雲を運んできたのです」。

    「短時間で地域全体が汚染されました。政府と私たちの市当局は何をなすべきかを知りませんでした。首尾一貫した合理的な活動を始めるまでに一カ月以上かかりました」「私たちの村や町は一九八六年の夏にすっかり静寂に包まれました。ニワトリやガチョウや牛や子ブタの声が聞こえませんでした。通りに子どもの声がしませんでした。……私の隣人たちは今でも未来のない生活のあの最初の感覚を戦慄しながら回想しています」「数年後、小さな村々が汚染のない地域に移住しはじめました。でも、老人たちはしばしば離れたがらず、自分たちの家に残りました。それもこれらの人びとにとってとても大きな悲劇でした。息子たちや娘たちによって新しい場所に連れて行かれた人たちは、自分の村や先祖の墓を恋しがり、しばしば天寿を全うせずに亡くなりました」。

    こうした中で、村を離れた子どもたちが成人すると、戻ってきてヴドヴィチェンコさんが創設したNGOに加わったり、医師がやってきて新たに創設された診療所で活動するようになった。今、ヴドヴィチェンコさんたちは、子どもたちのたちの医療・教育・社会復帰のための活動に精力的に従事している。

    最後にヴドヴィチェンコさんは、福島第一原発の事故について次のように語った。

    「福島の事故はあらゆる人びとに核エネルギーについての考えを変えさせるでしょう。チェルノブイリ事故の後、西側世界の多くの人たちには、原子力の大惨事がソ連で起きたのは、核施設の生産と操作でテクノロジーに従わなかった罰だと思われていました。多くの人たちには、高い水準で労働が組織されている他の国々では、そこで原子力エネルギー産業に関わっているのが生産と操作の高い技術を持った尊敬すべき専門家たちであるということからして、そのような大惨事が繰り返されることはありえないように思われていました」。この「自信過剰」は打ち砕かれた。福島で起こったことを全世界が立ち止って見つめなおし、「チェルノブイリと福島の共同の経験から出発する」ことが必要なのだ、と彼は訴えた。
     
    ヴドヴィチェンコさんの発言に続いて、西尾漠さん(原子力資料室共同代表)は「チェルノブイリと並ぶものとしての福島」という観点から問題提起。「チェルノブイリでは放射能の大量放出は二日で終わったが、福島の場合は事故が一カ月以上にわたって現在も継続しており、1号機から4号機へと連続的に事故が拡大し、一つの原子炉の不具合が他のところに波及している。できるだけ早い時期に収束させることが必要だが、まだ先は見えないというかつてない状況」と語った。

    質疑応答の中でヴドヴィチェンコさんは、ノヴォズィブコフでは二年前の医師の検診では一万人の子どものうち完全な健康体の持主はわずか七人だったという衝撃的事実を語り、最近17歳の少女に甲状腺ガンが発見されるなど、直接にチェルノブイリ事故を経験していない事故後に生まれた子どもたちにも被害が及んでいることを報告した。そして福島でも同様のことが起こりうる のではないかという危惧を表明した。さらに避難にあたっては親せきや地域の人たちと一緒に移住することが重要、と語り、避難先には十分に事情に通じた医師を確保することが不可欠であることを指摘した。(K)

    【福島第一原発】「警戒区域」半径20キロでは狭すぎる-政府はあらゆる情報を開示しろ!

    ■放射能は「伝染病」ではない 福島県民差別を許すな

    各メディアですでに報じられているが、すでに震災や津波、そして福島第一原発の大事故によって福島県外に避難している福島の人々に対する「被曝者差別」ともいうべき事態が広がっている。船橋ではある子どもが「福島から来た」と言った途端に子どもたちが一斉に逃げ出す、あるいは茨城県つくば市は福島からの転入者に放射能検査を要求する、または福島ナンバーをみたら罵声を浴びせたり、車体に落書きするなどの悪質な事例も起きているという。


    図:想定される警戒区域など


    これらの事態は、放射能・放射性物質に関する知識の無理解からくる予断と偏見に基づく差別行為だ。しかし、原発が事故を起こして放射能が漏れているという時点でこのような事態は充分予測可能な事柄であり、放射能の最低限の基礎知識について積極的に広報することを怠った政府に最大の責任がある。政府は、放射能・放射性物質についての正しい知識を積極的に広報しろ!


    ある意味常識的なことだが、やはり何度でもそしてあらゆる場所で指摘する必要があるだろう。放射能は人から人に感染するものではない。もちろん大量被曝した衣服から被曝するということは論理的にはあり得なくはないが、実際問題として福島第一原発の周囲数キロを何日も徘徊して、着の身着のままで避難してくる人や防護服で移転する人はいないのだから、転入者の普段着から被曝などはありえない。あるいは、たとえ第一原発の周囲を数日歩いて着の身着のままであったとしても、すぐシャワー浴びて着替えればいいだけのことである(衣服類は廃棄するべきだが)。


    また、被曝地の人や動物の亡骸も除染は必要だろうが、逆に言えば拭いたり洗ったりして除染すればよい。これは生きている人や動物についても同様だ。これらは、放射能が人から人へ「伝染」するという偏見に対しての知識であり、内部被曝はまた別の事柄だ。しかし、内部被曝した人や動物が放射能を発して他者を被曝させるというものではない(食さないかぎりにおいて)。


    この程度の最低限の知識も積極的に広報しない政府の怠慢は重大な過誤である。原発事故への怒りを福島県民への差別にすり替えようとでもしているのだろうか。私たちは、この作られる「新しい差別」の蔓延を絶対に阻止しなければならない。


    ■「警戒区域」は半径20キロでは済まない


    4月21日、日本政府菅政権は、災害対策基本法に基づいて、福島第一原発から半径20キロをほぼ強制的に人を立ち退かせ、立ち入りを制限する「警戒区域」に指定することを発表した。住民も含めて立ち退きを拒否する者や立ち入ろうとする者への罰則が付されるという点は同意しないが、遅きに失したとは言え、止むを得ざる措置だと考える。しかし、「半径20キロ」ではすでに報じられている放射能の拡散状況から考えても範囲が狭すぎるし、いまだ政府は今回の大事故を過小評価することに汲々としているようにしか考えられない。


    3月20日には、福島第一原発の北西約40キロの飯館村で採取した雑草の葉から1キログラム当たりヨウ素254万ベクレル、セシウム265万ベクレルを検出したと文部科学省が発表した。これは、甘いとされるいまの日本のセシウム基準値ですら野菜で500ベクレル、チェルノブイリ事故を経験したウクライナでは40ベクレルであり、いかに飯館村で検出された数字が異常なものか分かるだろう。


    また、杓子定規に同心円で「福島原発から○キロ」などと「警戒-避難区域」を指定することにあまり意味をなさないことは、この飯館村の事例であきらかだろう。もちろん一定の基準としては必要な側面もあるが、私たちは少なくとも(基本的に)半径40キロの「警戒区域」化と風向きや地形、気象に応じた柔軟な対応が必要だと考える。


    福島市の市立第一小学校では、福島県の発表で空間線量3.4マイクロシーベルト、大気中放射能濃度5.066ベクレル、土壌放射能14,743ベクレルが検出されているhttp://www.pref.fukushima.jp/j/schoolairsoil.pdf。政府は「空間線量3.8マイクロシーベルト/時未満の学校では、通常通りに校舎や校庭を利用するとの考えを政府の原子力災害対策本部が示し、安全委が了承した」としているがとんでもないことである。これは年間被曝量をどんなに少なく見積もっても40ミリシーベルト、日常的な食べる飲むなども勘案すれば実際は100ミリシーベルトを超える値である(たんぽぽ舎『地震と原発事故情報 その47』参考)。100ミリシーベルトの年間被曝量とは、大人でも人体に影響がでるレベルである。


    一方すでに3.8マイクロシーベルトを超える数値が出ている福島市内の幼稚園・小中学校は13校に上るという。それらの学校では体育や遊戯、遠足などの「屋外活動」を制限し、学校によっては「屋外活動」を1時間に制限するという「対策」をとるということが報じられている。


    しかしもはや、「屋外活動」を制限すればやり過ごせるレベルではない!最低限かつ緊急の措置として、政府は福島市内全域と年間被曝量100ミリシーベルトを超える地域の妊婦、乳児から18歳の子どもたち全員を県外に避難・疎開させなければならない。あるいは家族ごとの避難を希望されれば最大限サポートし、経済的あるいは精神的な支援体制を早急に取り組まなければならない。この事態を放置することは、もはや未必の大虐殺だ!


    日本政府は4月12日、福島の事故が、国際原子力事象評価尺度(INES)の暫定評価をチェルノブイリと並ぶ最悪の「レベル7」であることを公式に認めた。しかし、一方では「福島の放射能漏れの量は現在、チェルノブイリの10分の1未満」などとしている。そもそも、その放射能漏れの量をどのように算出しているのか必ずしもあきらかではなく、正確な数字かどうかも検証するすべもない。オーストリアの気象地球力学中央研究所の調査によれば、福島での事故以降一日平均5千兆~5京ベクレルの放射性セシウムが蒸気となって放出されているとしている。チェルノブイリは10日間に放出された量は8.5京ベクレルである。福島では一ヶ月以上に渡って、少なくとも三つの原子炉が放射能をだだ漏れさせ続けているのである。これは人類が初めて体験する未曾有の大量放射能漏れ事故なのだ。


    そして、内閣府はこの「レベル7」の発表を受けて15日、「チェルノブイリ事故と福島原発事故の比較」を公表したhttp://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka_g3.html 。 それによると、チェルノブイリでは「(事故発生から)3週間以内に28名が亡くなっている。その後現在までに19名が亡くなっているが、放射線被ばくとの関係は認められない」あるいは「清掃作業に従事した方」や「周辺住民」に健康への被害はまったくなかったとしている。そして、そのチェルノブイリより放射能漏れの程度が低い福島では、健康被害などありえないという論法だ。


    こんな文書を怒りなしに読むことができるだろうか!チェルノブイリでは、いまも広範囲に渡って甲状腺がんや白血病などを発病させ死んでいく人々が後を絶たない状況である。死者は累計して最も低く見積もって数千人、現地の専門家によっては最終的に700万人に健康被害を及ぼすだろうとしている。ベラルーシで治療経験を持つ菅谷昭松本市長によると「15歳未満の甲状腺がんというのは100万人に一人か二人しかならないのが普通です。ところがチェルノブイリ事故の汚染地では、それが100倍から130倍に跳ね上がった」と証言している(週刊現代4月30日号)。


    日本政府にとっては、これらの健康被害はなかったことにされているのだ。これは数年後に健康被害が露見しても、「原発事故との因果関係は認められない」などとして逃げ切る布石である。そうして日本政府・菅政権は打つべき対策を打たずに、事故の責任と補償問題から逃げることばかりを考えているのである。絶対に許すことはできない。


    年間被曝量100ミリシーベルトを超える地域はすべて「警戒区域」に指定するべきだ。いま時点の放射能測定値だけで物事を考えるのはナンセンス極まりないやり方だろう。なぜなら、福島原発はいまこの瞬間にも放射能・放射性物質を漏らし続け、しかもいつ止められるか目途もたっていない状態なのだ(東京電力が17日に発表した福島第1原発の原子炉を「冷温停止状態」にするまで6~9カ月程度かかるとする工程表などは超楽観的な希望的観測にすぎない)。


    たとえば、福島市水道局は「環境放射能測定結果」を県発表として公開しているが、他県のどの水道局の同様の発表と比べてもおざなりなもので、数値を示さず、ただ「政府基準を下回っている」とだけ発表している。しかし、セシウムの基準値はウクライナの2ベクレルに対して、日本はその100倍の200ベクレルに設定されている。放射性ヨウ素ならばWHO基準の1キロの水で1ベクレルに対して、日本の基準値はなんと300ベクレルなのである。


    日本政府の恣意的で手前勝手な基準値を信用していたら、命がいくつあっても足りない! 福島市水道局は「放射能測定結果」を数値で表せ!また、各地の水道局もただ「不検出」とする表記で済ませているが、まったく放射性物質が「検出」されなかったのか、政府の基準値以上は「検出」されなかったのか不明なケースが多い。このような公共の安全に関わる重大事項はすべて、数値で表記しなければならない。


    重ねて言おう。福島第一原発から(基本的に)半径40キロ、そして福島市と年間被曝量100ミリシーベルトを超える地域はすべて「警戒区域」に指定しろ! 早急に妊婦・乳幼児から18歳までの子どもたちを緊急避難させろ!


    ■「警戒区域」に罰則はいらない


    ただし、「警戒区域」で立ち退きを拒否する者や立ち入ろうとする者への罰則が付されるというのは行き過ぎであり、治安維持や防犯を名目にした別の意図を疑わせるものだ。また、住民たちへの説明が「警戒区域」を指定する前日というのも、地元を軽視した拙速かつ乱暴極まりないやり方だと言わざるを得ない。


    長く居住していた故郷への愛着から立ち退きを拒否する住民やどうしても必要なものを取りに帰ろうとする者、飼育してきた牛や豚などの様子を一目見ようとする者がいるであろうことは想像に難くないだろう。こういう人々をも「処罰」をちらつかせて立ち退かせるのは、あまりに道義にもとるというものだ。そもそも、この原発事故は政府の歴史的な原発推進政策の結果もたらされたものではないか! その政策の被害者に対して「故郷に戻ったら逮捕」などと恫喝するような施策はあまりに間違っている。必要なのは、正確な情報の伝達と退去の必要性を粘り強く訴えることだ。


    また、福島原発から20キロ圏内で放射能を測定するNGOや事実を報道しようとするジャーナリスト、被災した動物の救出活動をすすめているアニマル・ライツ(動物解放運動)の活動家たちも、見つけ次第叩き出し、場合によっては検挙するということだろうか。これでは、福島原発周囲20キロを秘密のベールに覆い隠し、政府が真偽の確かめようのない情報を一方的に流すということになるだろう。


    政府・菅政権は情報遮断につながる「警戒区域」の処罰方針を撤回しろ!必要なのは、安全に留意するための「注意喚起」だ。そして、民衆は民衆自身の手によって、この原発大事故の真相や被害状況を調査する権利がある。また、被災して徘徊する動物や畜産用の牛や豚を可能な限り保護して飼い主の元へ戻す努力をする必要もあるだろう。動物たちもまた被災者たちの心の友であり、かけがえのない財産なのであり、その動物たちが人間の引き起こした人災で何らの救いの手も差し伸べられないなどということも絶対に許されない。


    ■政府はあらゆるリスクを正確にあきらかにしろ


    東京電力が17日に発表した「工程表」によれば、福島第一原発の原子炉を「冷温停止状態」にするまで6~9カ月程度かかるとしている。こんなものは、すべて自分のイメージどおりにコトが進み、かつすべて順調に作業が進んだ場合、ということを前提とした超楽観的な希望的観測にすぎない。実際は、余震や落雷、台風、なにより現場の作業が長期間維持できるのかなど、様々な不確定要素があまりに多すぎて、楽観的に考えることなど出来ない。


    経済産業省原子力安全・保安院は、18日の内閣府原子力安全委員会で、初めて燃料棒の溶融を公式に認め、報告した。保安院は1~3号機で「燃料ペレットの溶融が起きている」として、「溶けた制御棒と燃料ペレットが、下にたまった水で冷やされ、水面付近で再び固まっている」としている。


    しかし、東電自身が「6~9カ月程度」としている燃料棒の冷却期間中に何かのトラブルで下に落ちた燃料棒の冷却が不能になった場合、コンクリートを突き抜けて地下水脈に達して水蒸気爆発を起こす可能性や、あるいは圧力容器内の温度が上がり、燃料棒が大量に溶けて、容器の中で水素爆発が起こす可能性もいまだ決して低くないように思える。そして、一つ爆発すれば、もはや冷却作業は完全に不能になり、1~3号機と1~4号機の燃料プールの七つすべてが爆発することになるのである。


    このような事態に至れば、もはや日本のどこにも逃げる場所などないが、政府はこの最悪の事態の可能性があるのかないのか、あるとすれば何%の可能性なのか、すべてあきらかにして最大限の避難態勢を構築するべきである。


    それには原子炉の冷却作業の完全な情報公開が必要だ。よほどのことがないかぎり、ある日突然前触れもなく原子炉が爆発することはないだろうから、真実をあきらかにした上でパニックを回避する避難方法をシミュレーションし、すべての市民にヨウ素剤を無料配布し、原子炉爆発の危機が100%去るまで市民の避難態勢を構築・確立するべきだろう。


    あるいは、数パーセントでも爆発の可能性があるのならば、海外への避難を希望する者のために各国に協力を要請し、海外での受け入れ態勢を早急に構築して、子どもたちと希望者から順次避難させなくてはならない。そして、避難時の生活補償・賃金保障・就労補償の緊急支援措置を制定する必要があるだろう。


    これはもはや、絶望的な状況における絶望的な提案でしかないが、それでも政府が民衆の運命を秘密にして「神のみぞ知る」などとする態度は許すわけにはいかない。そして、一人でも生存させるための可能性を、政府も、そして社会運動も追求していかなければならない。


    ■浜岡原発を今すぐ止めろ! 菅は政治判断を!


    最後に詳細は稿をあらためるが、気象庁が関東・甲信越地方も含めて震度7前後の地震の可能性に言及しているなかで、浜岡原発がいまだ稼動していることは戦慄すべき事柄である。浜岡がもし地震でダウンしたら、「発電所から風下方向の70キロメートルまでの範囲の人全員が全身被曝によって死亡し,110キロメートルの範囲の人の半分がやはり全身に浴びた放射線や放射能によって死亡する」(『大地震によって浜岡原発全体で事故が起こったら』上澤千尋-子力資料情報室 浜岡訴訟資料からhttp://www.stop-hamaoka.com/higaiyosoku.htm)という大惨事に至る可能性も指摘されている。この浜岡原発を今すぐ止めることは、日本社会運動全体の焦眉の課題だ!


     浜岡原発を今すぐ止める大運動を早急にさらに大きくつくりだそう!
     菅首相は"政治主導"によって浜岡原発の即時停止を政治判断せよ!


    (F)

    現地報告:津波・原発災害を受けたいわき市の今

    311 4月3日、東京・御茶ノ水の総評会館で「緊急報告『福島原発震災―“いわき”からの報告』」が開催された。主催は原子力資料情報室。日曜日の夜、しかも緊急の開催だったにもかかわらず総評会館の大会議室は満席となった。メインの報告者は翌日の経産省申し入れをかねて、この日上京したいわき市議会議員の佐藤和良さん。佐藤さんは脱原発福島ネットワークの世話人でもある。

     最初に司会をつとめた原子力資料情報室の沢井正子さんが、大震災・津波に直撃された福島第一原発の事故状況の概要と現状を報告した。つづいて佐藤和良いわき市議の報告に移った。

     「明日、経産省に福島第一、第二原発10基すべての廃炉と被害の全額補償を求めて申し入れ」を行う、と切り出した佐藤さんは、自分の叔母さんも行方不明だという。「事故を起こさないために20年以上にわたって脱原発福島ネットワークの活動を行ってきたが、ついにこんなことになってしまった。私たちの非力さを自覚し、皆さんにお詫びしなければならない」と語った佐藤さんは悲痛な表情を浮かべた。
     
     「いわきの放射線線量は1.2~1.3マイクロシーベルトで、東京の100倍に達する。いわき市の沿岸部は空襲を受けたような惨状だ。いわき市34万人の市民のうち約三分の一が自主的に避難したのではないか。私の住む町内でも、夜間に電気についている家はまばらだ。原発爆発・放射能漏れの後、マスコミも一斉にいわきから逃げてしまった。社会機能はマヒし、市内は100%断水した。水が届き始めたのは3月18日以後だ。この非常事態の中でこそ地域力が問われる。つね日ごろの地域活動が機能しているところが頑張れるということが明らかになった」。

     「避難所に2万人が生活しているが、物資が届かない。対策本部と地域の現実がかみああっていない。避難所にはプライバシーがなく、いさかいが絶えない。私の生まれた第二原発立地の楢葉町の人びとは、もう戻れないと思いつめている。いま第一原発は冷却機能の回復以前のところでさまざまな障害が発生しており、事態は長期化するだろう。放射能線量の高い数値もあって日常的に住民のストレスが強まっている」。

     「4月7日に、新学期で学校が再開することになるが私の属する市議会の会派では二カ月間の休校を提案している。教育委員会に市議会会派として休校措置と各学校への放射線線量測定器の導入を求めたが、学校は予定通り再開する、線量測定器の導入は検討するが各校長の『裁量』に委ねるという回答だった。いつもは教育委員会が何でも自分たちで決め、各学校の裁量など認めないのに、こういうことに関しては無責任だ」。
     
     このように語った佐藤さんは、「3.11前とその後ではまったく異なる新しい世界に入った。それは現実としての廃炉の中で被曝に日常として向き合わねばならないということだ。そこから逃れることはできない。海洋汚染も含めて絶望の中でどう生きていくか、ということなのだ」と訴えた。

    「第一原発立地の双葉町は戦争中に陸軍飛行場のあったところだ。その土地を西武の堤一族が買い占め、原発用地として売り渡した。こうして国策につき従っていった時の犠牲の大きさを今実感している」「福島原発で作られる電気はすべて首都圏に送られ、福島県内では一切使用されない。首都圏の人びとは福島からの電力はあてにしてはならない。これから電力利用はすべて地域分散型で行うことが必要だ。東京電力はこの期に及んで福島原発7・8号基の建設計画を提出している。なんということか」。

    佐藤さんは最後に、「『福島第一・第二原発の十基をすべて廃炉に。原発をなくせ』と要求して首相官邸を十万人で包囲するような闘いが必要だ。いま全原発を止めずしていつ止めるのか」と呼びかけた。

    放射能被害に心身・生活を日々脅かされている原爆震災被災地からのこの痛切なアピールを受け止め、行動に移していくことが私たちの緊急の課題である。(K)

    東日本大震災と自衛隊の救援活動を考える

    jdf●災害有事=「史上最大の作戦」
     
     東日本大震災にあたり、自衛隊は「史上最大の作戦」を発動した。3月11日菅政権が災害出動を発令した自衛隊の動員規模は5万人。それだけで阪神淡路大震災の際のピーク時の1万9千人をはるかに上回った。

    しかし被害の規模がほぼ明らかになった翌12日に、菅首相は動員規模を倍の十万人にすることを要請、北澤防衛相は13日の防衛省対策会議で「救助の手を差し伸べることができるのはわれわれ自衛隊しかいない。全軍を視野に入れて十万人態勢を築いてほしい」と指示を下した。この十万人態勢に伴って、防衛省は従来の災害対策動員では陸海空それぞれ別の指揮系統に置かれていたのを、陸自東北方面総監に指揮を一元化。さらに3月14日には即応予備自衛官と予備自衛官にも招集命令を出すことを決定、3月23日には即応予備自衛官一六〇人の「編成完結式」が宮城県の陸自多賀城駐屯地で行われ、被災地に出動した。予備自衛官の招集・出動は初めてである。
     
    3月15日には、菅内閣の緊急災害対策会議本部の会議で被災地への食料・水などの支援物資輸送に関して、地域ごとに陸自駐屯地や空自基地に物資を集積し、輸送を自衛隊によって一元管理することになった。

    こうして動員された自衛隊員の規模は3月26日段階で陸海空合わせて約10万7千人で、実に三自衛隊実員総数約23万人の半数近くに及ぶ。「災統合任務部隊」(JTF―TH)と名付けられ、新たに編成された動員部隊は、ヘリ約200機、固定翼機約300機、艦艇五〇隻に達する。

    陸自の動員部隊は北海道から九州までに及び、空自の輸送拠点は宮城県の空自松島基地だけではなく岩手県の花巻空港、福島空港といった民間空港にも置かれた。また海外派兵の先遣部隊でもある陸自中央即応集団は、福島第一原発に配置されている。自衛隊員は、救援、食料・物資の輸送、瓦礫の除去、遺体の捜索、搬送だけではなく福島第一原発への放水作業という特殊任務にも従事した。

    大震災で機能が崩壊した被災地自治体の行政機能を自衛隊が「肩代わり」する光景が各地で見られる。ある自衛隊幹部は、この自衛隊の活動について「侵攻してくる敵か、災害か、の違いはあるが、態勢は『有事』と全く同じ」と語ったという(「朝日」3月27日)。
     
    ●米軍の「お友だち作戦」
     
    東日本大震災にあたっての自衛隊の「有事」出動は、同時に「日米共同作戦」としても展開されている。ゲーツ米国防長官は大震災が発生した翌日の3月12日には、ルース駐日大使と電話会談を行い「日本政府の依頼にはすべて応じたい」と伝え、ただちに米韓軍事演習に向かっていた空母ロナルド・レーガンを随伴艦チャンセラーズビルなど三隻とともに三陸沖に向かわせた。横須賀基地からは巡洋艦カウペンスなどイージス艦七隻が急派された。八戸沖には佐世保基地の強襲揚陸艦エセックス、揚陸艦四隻が派遣され、海兵隊員計3000人を乗せ、救援物資を運搬した。揚陸艦トーテュガは苫小牧で陸自隊員273人と車両93両を乗せ、青森県の大湊港に上陸用舟艇で上陸させた。国内で米艦艇が陸自部隊を輸送したのは初めてのことである。

    沖縄の第三一海兵遠征軍も強襲揚陸艦エセックスで東北沖に展開しており、普天間基地や岩国基地からは輸送機で連日の物資輸送作戦が行われている。

    「オペレーション・トモダチ」(お友だち作戦)と名付けけられたこの作戦には米第七艦隊の艦艇20隻、航空機140機、兵員1万2千人が参加している。そして陸自仙台基地に置かれた「日米共同調整所」において3月14日以後、朝夕二回自衛隊幹部と米第三一海兵遠征軍の将校とが綿密な作戦会議を行っている。自衛隊と米軍との共同救援作戦は、こうして東日本大震災被災者救援を契機に、「有事」に対応する実戦的対応としていっそうの深化を遂げているの。それは例年展開されてきた「防災」名目の化学戦を想定した「対テロ」作戦訓練を実際の出動を通じて決定的にレベルアップする役割を果たしている。

    さらに米国にとっては、福島第一原発事故は核戦争に対処する独自の意義を持っている。北朝鮮の核実験の際に放射能を測定した空軍の大気収集機「コンスタント・フェニックス」が派遣され、無人機グローバルホーク、U2偵察機、情報収集衛星などの活動と組み合わせながら、福島第一原発災害での放射能飛散への情報収集につとめていることは「日本側発表の事故情報への不信感が背景にある」と報じられている(「毎日新聞」3月20日)。
     

    ●自衛隊の救援活動とわれわれの立場
     
    それでは、東日本大震災救援活動における日米の軍事的共同作戦の飛躍的強化に対して、どのように考えるべきなのだろうか。

    われわれは第一に、この戦後最大規模の地震・津波・原発事故が複合した大惨事という緊急的情勢において、菅政権が持てるあらゆる手段を総動員して被災者の救援、原発災害の拡大の防止、生活再建に総力を上げるよう訴える。そして、国家的手段・資源の総力での動員には、自衛隊が持つ専門的な組織的能力を被災者救援のために全面的かつ効果的に活用することも含まれる。被災者の救援、食料・生活物資の支援、原発被害の拡大防止という緊急優先課題のために、当面、自衛隊が果たす役割を民間組織や自治体によって代替するのは不可能だからである。

    もちろん労働者・民衆は独自の立場から被災者・避難民の支援と、生活再建にむけた活動を全力で展開していかなければならない。福島第一原発事故の災害が拡大することを避けるためのあらゆる方途についても住民の立場に立つ信頼しうる専門家の知見に基づく提案の実行を求め、被曝の脅威にさらされる原発作業員や住民の安全と権利を防衛するだろう。

    その際われわれは自衛隊による住民支援活動に反対しないどころか、自衛隊が被災者救援のために、その持てる組織的・技術的能力を救援のために最も効果的に発揮することを求めるだろう。必要に応じて自衛隊員の活動の個々の実践的側面に「協力」していくこともありうる。この局面において、「反自衛隊」の立場から自衛隊の被災者救援活動に反対することは誤りであり、最も困難な状況に直面している人びとの理解を得ることはできない。その際われわれは、自衛隊に対する原則的な批判の立場を変えることはない。自衛隊がブルジョア国家の「暴力装置」としての本質を持っているという規定についてもなんら棚上げする必要はない。

    われわれは自衛隊による救援活動の範囲と任務、期間についての正確な情報の公開を求めるとともに、自衛隊あるいは米軍が、住民あるいは支援の人びとの独自の自主的な活動に不当な妨害、敵対をすることのないよう求め、監視し、妨害に対してはきっぱりと抗議する。

    「隊を敵とし、兵を友とせよ」という反軍闘争における基本的立場はここでも貫かれる。われわれは危険な業務にたずさわる自衛隊兵士の発言権・団結権、その安全や不当かつ危険な命令への「拒否権」も防衛する。同時にわれわれは「有事」を口実にした労働者・市民の政治的・社会的諸権利を奪い去ろうとする企図を容認しない。

    「かけはし」四月四日号に掲載された福島県いわき市の仲間の報告の中で、全港湾労組小名浜支部の活動が紹介されていた。チャーター船による自衛隊の救援物資の荷役作業から全港湾組合員を排除しようという動きに対し、反戦平和の立場を取る全港湾労組はそうした権利はく奪の目論見を拒否し、組合員を動員・配置して自衛隊救援物資の荷役をやり遂げたことが報告されていた。これは一つの重要な闘いである。
     
    ●軍事作戦としての救援活動
     

    その上で、第二にわれわれが確認すべきは、自衛隊と米軍によって組織された大規模・緊密な「共同救援作戦」は、昨年一二月に閣議決定された新防衛計画大綱で明らかにされた、グローバルな危機に対応する日米間のより実践的な共同作戦態勢の構築、そのための国内体制構築の具体的一環である、ということをはっきりと意識することである。

    新防衛計画大綱の「V 防衛力の在り方」の「1 防衛力の役割 (1)実効的な抑止及び対処」では「ア 周辺海空域の安全確保」「イ 島嶼部に対する攻撃への対応」「ウ サイバー攻撃への対応」「エ ゲリラや特殊部隊による攻撃への対応」「オ 弾道ミサイル攻撃への対応」「カ 複合事態への対応」と一連の「有事」における軍事的対応が続き、その最後は「キ 大規模・特殊災害への対応」でしめくくられている。すなわち自衛隊にとって空前の規模の今回の「災害救援作戦」の展開は、「ア」から「カ」に至る軍事作戦と決して切り離すことのできないものであることを忘れてはならない。

    そして災害救援における緊密な日米共同作戦もまた、グローバルな「日米軍事一体化」の一環であり、それをより実戦的にレベルアップした活動が現に展開されていることに注意すべきである。われわれは二〇〇四年一二月のスマトラ沖大地震以後、国際的救援活動の軍事化が米国が主導する「対テロ」戦争戦略の一環としての性格を強め、米軍と一体となった自衛隊の海外派遣にはずみがつけられていると述べてきた。陸自中央即応部隊を派遣した昨年のハイチ大地震もその典型的な例であった。

    そしてまた今回の日米共同による救援軍事作戦の中で、あらためて「日米同盟の意義」があからさまな形で人びとに印象づけられようとしていることを、われわれは厳しく批判する。米海兵隊当局者は「この支援活動で、普天間飛行場の位置が災害対策に決定的に重要であることがはっきりした」と語った。米政府によって日米間の震災救援協力の調整役に任命されたのは、「沖縄はゆすりの名人」という差別に満ちた暴言で米国務省日本部長の職を解かれた元沖縄米総領事メアである。

    沖縄の人びとの闘いを踏みにじり、救援活動を沖縄での新基地建設を正当化するために利用しようとするこうした意図を、われわれは怒りを込めて糾弾する。
     

    ●自衛隊の装備・編成は「救援活動」には適さない
     

    「日本は一つのチーム」「日本は強い国」「がんばろう日本」というメッセージが社団法人・ACジャパン(公共広告機構)のCMを通じて、くりかえし垂れ流されている。「国民の公共意識の涵養」を主眼に設立されたACジャパンによるキャンペーンは、東日本大震災の惨劇で被害にあった人びとを支援しようという人びとの意識を利用しながら「日本国民の団結」を促し、空前の原発事故をもたらした歴代政府と東電の責任追及をそらそうという思惑に貫かれたものである。

    「国難」を打開するための民主党と自公野党の「救国・大連立内閣」の動きが加速する中で、「日米同盟」と自衛隊の果たす役割の重要性という宣伝がさらに強化されようとしている。

    先述したように、われわれは政府が、あらゆる持てる国家的資源・組織を有効に動員して被災者救援活動にあたることを求める。その中には現にある自衛隊の能力の緊急活用もふくまれる。

    しかしそのことは同時に自衛隊の根本的性格の問題をあらためて俎上に載せることになる。国家の「暴力装置」としての自衛隊は、軍事組織=戦争と治安弾圧のための組織であり、その装備・編成において「災害救援」を本務とするものではないことは阪神淡路大震災での活動の中で、自衛隊幹部からも公然と語られた。

    F4やF15戦闘機、最新鋭のイージス艦搭載兵器や潜水艦、弾道弾迎撃ミサイルなどの正面装備は、十万人を動員した救援作戦においては無用の長物以外の何物でもない。それは、「日米同盟の深化」に対応した「動的防衛力」の構築という軍事戦略・編成・装備、在沖・在日米軍基地、さらには日米安保そのものへの本格的批判をあらためて多くの人びとに提起する基盤を作り上げるし、また労働者・市民はその課題を積極的に提起していかなければならない。

    自衛隊の解体と国際的・国内的な恒常的災害救援専門組織の建設をふくめて、われわれは広範な論議を開始すべき時である。(K)

    福島が示したこと―原発は核の破局を意味する

    fukushima errorインターナショナル・ビューポイント オンライン・マガジン: IV434 - March 2011


    福島が示したこと―原発は核の破局を意味する

    http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article2027

    ダニエロ・タヌロ

     起こったことは完全に予測可能だった。それはいまだもう一つの核の大「事故」のレベルである。この文章を書いている時点では、福島がチェルノブイリに類似した惨事の局面に入っているかどうかは定かではないが、悲しいことにそうした方向に展開しているように見える。しかしそれが大惨事に発展するかいなかにかかわらず、われわれは、再びテクノロジーが100%安全であることなどありえないという証拠に直面しているのだ。


    その危険は恐るべきものであるので、結論は明白だ。核エネルギーを放棄すること、しかもできるだけ速やかに放棄することが緊急の課題なのだ。ここに書くことは、福島の教訓についての最初の学習である。それは終わりなき成長という資本主義モデルへのオルナタティブに関する真に社会的な討論を必要とする、きわめて根本的な社会的・政治的問題を提起している。

    危険なテクノロジー

     1957年のウインドスケール(訳注:1957年10月10日に、英国ウインドスケールのプトニウム1号炉で起きた放射性物質大量排出事故)、一九七九年のスリーマイル島、1986年のチェルノブイリ、1999年の東海村、そして現在の福島。原子力発電の事故のリストは拡大し続けている。違った道に進むことなどありえないし、なぜそうなったのかを理解するには核物理学博士になる必要などない。

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    【報告】3.27反原発緊急デモに1200人の結集

     3月27日、東京・銀座で反原発デモが開催された。この日のデモは首都圏の反原発市民団体が呼びかける「再処理とめたい!首都圏市民のつどい」が主催したもの。首都圏では3月11日以後で最も規模の大きい行動となった。デモ出発地点の水谷橋公園にはのぼり、横断幕などを持った市民が続々と結集し狭い公園敷地から路上にあふれた。午後二時にデモが出発してからも参加者が詰めかけ、デモの列は1200人に膨れ上がった。


     
     数寄屋橋交差点を通り、内幸町の東京電力本社前ではデモ隊が立ち止り、「東電はウソをつくな」「責任を取れ」「被曝労働をさせるな」などの怒りの声が渦巻いた。

     デモ解散地点の日比谷公園内ではたんぽぽ舎の柳田真さんの司会で、集会が行われた。最初に今回の地震・津波で亡くなった人びとを追悼しで黙祷した後、最初に福島第一原発の立地自治体である大熊町の住民で避難先の栃木県から参加した方が発言。避難を強制され、郷土を奪われた現地の住民の怒りを語った。たんぽぽ舎副代表の山崎久隆さんは、政府・東電とも、柏崎刈羽を襲った地震のレベルでも福島第一原発は耐えられないことを知っていた、と語り「想定外」というウソを暴きだした。山崎さんは、今すぐやらなければならないこととして今動いている原発をただちに止めること、とりわけ浜岡原発を止めなければならない、と怒りを込めて訴えた。

     続いて福島老朽原発を考える会の坂上さんは、放射能汚染が広がっていること、チェルノブイリの強制移住地の六倍のセシウム137が検出されていることをお指摘し、食品汚染の基準を緩和しようとしている政府の策動を批判した。さらに脱原発東電株主運動の木村結さん、東電前での抗議活動を続けてきた「新宿ど真ん中デモ」の園良太さん、ふぇみん婦人民主クラブの山口さん、浜岡原発停止を政府に求める意見書を市議会で採択させた清瀬市議の布施さん、プトニウムなんていらないよ!東京の高木章次さん、原発核燃とめよう会、ストップ原発・核燃意見広告の会、ピースアンドピースの斎藤美智子さん、映像作家の荒川さん、チェルノブイリこども基金、と発言が続いた。

     発言の中では、マスメデイア、御用学者の「安全」宣伝に怒りが集中した。

     地震・津波・原発災害被災者への支援活動に全力をあげるとともに、浜岡をはじめとする稼働中の原発の即時停止を勝ち取り、脱原発社会へ大きく舵を取ろう。(K)


    ▲"FUKUSHIMAは警告する"
    3月25日、ドイツ各地で反原発同時行動 警察発表で25万人の結集
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