配信:反紀元節 2月11日、「紀元節」と「天皇誕生日奉祝」に反対する 2・11〜23 連続行動は、天皇制を賛美する「紀元節」に抗議する集会(日本キリスト教会館)とデモを行い、90人が参加した。

「安倍政治」の継承

 「建国記念の日」(紀元節)は、1967年、自民党政権が神武天皇の即位によって日本が「建国」されたという天皇神話を天皇制民衆統合強化に向けてデッチ上げた「祝日」だ。連動して神武から数えて「126代目」とされる徳仁の誕生日を祝う日(2月23日)を設定し、新たな天皇制を演出していこうとしている。

 コロナ禍において天皇制賛美行事が縮小・中止に追い込まれているが、天皇一族らはオンラインを駆使しながら菅政権や支配者たちの犯罪を覆い隠すための任務を担わんとたちふるまっている。日本会議、神社本庁など天皇主義右翼は「紀元節」の政府式典の復活、憲法九条改悪をねらいつつ安倍政治を継承して菅政権の強権化を加速させるために背後で動きまわっているが、ことごとく頓挫を繰り返してきた。このいらだちを産経新聞(2・11)は「『国民を守る日本』であれ」と叫び、「国家は国民を守るためにある。この基本的な認識が、現在の日本の政治には希薄なのではないか。」と恫喝し、代弁する始末だ。

民衆弾圧拡大を許さないぞ

 同系列の一つの傾向は、1月26日、自民党議員の「保守団結の会」(顧問・高市早苗)が「国旗損壊罪」を盛り込んだ刑法改正案を今国会に議員立法で提出をねらっていることにも示されている。高市は、(国旗損壊は)「国旗が象徴する国家の存立基盤を損なうばかりか、多くの国民が抱いている国旗への尊重の念も害する」などと「表現の自由」を侵害し、憲法違反を公言する。日本会議の自民党政調会長・下村博文は、会の申し入れを了解し、国会提出準備の着手に入った。

 2012年に廃案になった「国旗損壊罪」は、「日本を侮辱する目的で日の丸を損壊、除去、汚損した場合、2年以下の懲役または20万円以下の罰金を科すとする」と明記していた。「日の丸・君が代」を強制し、あげくのはてに「国旗損壊罪」で民衆弾圧を拡大していこうとする自民党、菅政権の策動を許してはならない。

元気いっぱいにデモ行進!

 集会は、3・1朝鮮独立運動102周年行動、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)、おことわリンク(オリンピック災害お断り連絡会)、即位の礼・大嘗祭等違憲差止請求訴訟・損害賠償請求訴訟から取り組み報告とアピールが行われた。

 最後に集会宣言(別掲)を採択し、デモに移った。

 デモは、高田馬場駅周辺一帯に渡って、「『建国の日』反対! 天皇制はいらない!『国旗損壊罪』の新設を許さないぞ!」のシュプレヒコールを響かせた。

 (Y)
                         
                          集会宣言
                         
     「新型コロナ」感染拡大によって追い込まれた菅政権は、「緊急事態宣言」の延長と同時に、「新型インフルエンザ等特別措置法」などの「改正」にあたって「違反者」への罰則や公表など、個人・私権に対する、人権侵害を伴う強権的な責任転嫁で取り繕おうとしている。こうした政策は、菅政権に対する人びとの怒りを増大させているが、他方でまた、これに便乗する「自粛警察」的な動向に対しても、「お墨付き」を与えるものとして機能するだろう。

 公共施設の貸し出し停止など、「緊急事態宣言」の名の下に、またしても表現
・言論の自由が制約されている。そのような日常の中で、私たちは今年の2・11反「紀元節」、2・23「天皇誕生日奉祝」反対の連続行動に取り組もうとしている。

 2019年に強行された明仁退位・徳仁即位儀式をはじめとする「天皇代替わ
り」は、2020年11月8日の「立皇嗣の礼」を経て一応の終結をみた。しかし、「新型コロナ」状況は、「代替わり」によって新たな「体制」を作りだそうとする天皇一族のパフォーマンスに対しても、大きな制約を課している。新年の一般参賀に続いて、天皇誕生日の一般参賀も中止になった。新年のビデオメッセージや、オンラインでの「行幸」などがなされてはいるものの、明仁・美智子のような「平成流」の、徳仁・雅子へのスムーズな移行は困難である。その意味では、象徴天皇制は、ある種の「停滞」を余儀なくされている。

 しかし、こうした時期においても、やはり天皇制の記念日は、日本国家に不可欠のものとして祝われ続けるのである。2・11「建国記念の日」—2・23「天皇誕生日」というふたつの記念日の近接は、このふたつの日を、我々の側から批判的に意味づける作業を不可避のものとする。「紀元節」は、神武天皇の即位をもって日本が「建国」されたとする天皇神話に基づく記念日である。それが歴史的事実ではないことは、誰しも認めることだろう。しかし、天皇として誕生日を祝われる徳仁は、「神武天皇から数えて126代目の天皇」であると、当然のように語られる。いうまでもなく、天皇誕生日は、かつては「天長節」として祝われ、「紀元節」とともに天皇の祭祀が行われる「四大節」の一つであった。その意味において、神権主義的な天皇と象徴天皇とは、矛盾なく接合されていくのだ。

 そのことのもつ意味は、もちろん「皇国史観」の単なる復活なのではなく、「文化・伝統」という回路から、天皇制イデオロギーを「国民」に内面化し、統合しようとするものである。そしてそれは、「文化・伝統」の場面にとどまらず、現在の象徴天皇が果たしている政治的な行為をも、正当なものとして「国民」に受け入れさせることになる。

 天皇の記念日は、天皇が「神聖」なものであるとみなす感性を再生産するものである。だからこそわれわれは、反天皇制運動の軸のひとつとして、このような記念日を拒否する闘争を続けていく。今年の2・11〜23連続行動に取り組むにあたり、このことを明確に宣言する。
 
   2021年2月11日