DSC_1030 二月一一日午後一時より、東京・連合会館で「高校闘争から半世紀―私たちは何を残したのか、未来への継承 高校生が世界を変える」シンポジウムが実行委主催で開かれ、会場一杯の三〇〇人が集まった。

 集会の主旨は次の通り。

 今から半世紀前、日本の高校生たちは自由を求めて起ち上がった。「高校紛(闘)争」と呼ばれたこの闘いは、制服の自由化や管理教育の廃止を求め、時に校舎をバリケードで封鎖したり、授業ボイコット、卒業式中止など多種多様、同時多発的な高校生の叛乱だった。……

 高校生が世界を変える。いびつな大人社会へ否を突き付け、研ぎ澄まされた感性と熱情を持ち、恐れを知らず起ち上がった高校生運動の足跡を語り継ぎ、未来への糧に繋がるよう、「高校闘争50年集会」を企画した。かつての高校生は、半世紀の時間をどう生きてきたのか。様々な人生をくぐりながらも高校生としての決意を原点に生き抜いてきた仲間も少なくない。学生運動とは似て非なる高校生運動、その実相に迫り、現在、未来の高校生に何を伝えられるか探る集いである。(呼びかけより)

 シンポジウムは以下の三部からなっていた。

Ⅰ部 1968 年は我々に何をもたらしたか ―自己否定を巡って―山本義隆(東大全共闘)+高校全共闘 司会:高橋順一(武蔵高校・早稲田大学教育学部教授)

Ⅱ部 運動の現場から ―香港の学生・日本の高校生の闘い―
香港の闘う学生+日本の闘う学生 司会:初沢亜利(ドキュメンタリー写真家、東北・沖縄・北朝鮮・香港などの現場撮影取材)

Ⅲ部 いま高校生は社会とどう向き合っているか 現役・卒業高校生+保坂展人
(東京世田谷区長)司会:小林哲夫(『高校生紛争』1969―1970「闘争」の歴史と証言 著者)

 元大阪府高連OB有志からのメッセージの紹介、一九六七年一〇・八羽田闘争で虐殺された山崎博昭さんへの黙とうから会が始まった。

 Ⅰ部。都立北高、麻布学園、都立上野高、慶応高校、教育大付属駒場の元高校
生たちがどのように闘ったのかを証言した。

 池田実さん。都立北高は進学校ではなく、定時制も併設されていた。学内問題とベトナム反戦、王子野戦病院撤去などを求めて、一カ月間バリケード封鎖した。警察の導入による封鎖解除の時、先に教師が来て生徒を逃した。スローガンは「永続バリケードを続ける」、それが革命に続く。全日・夜間の三人ずつが退学処分になった。中卒で郵政に入り、一九七八年の年賀をとばす闘いで解雇されたが撤回闘争を続けて勝利し、職場復帰した。物事を知らないから闘えたし、自分で考え行動する、社会を変えるという信念でその後の人生を生きてきた。

 麻布学園。リベラルの学校だったが山内校長代行が就任してから、生徒への処分を乱発し生徒会を凍結した。それに生徒が怒り大衆的な高校生デモ。学校が学園を封鎖した。全校生徒集会で追及し、山内がその場で辞任を表明し勝利した。街頭デモで逮捕されたが楽しかったし、真実の価値観を見つけた。勝つことで自信がついた。

 その他の高校闘争が紹介された。世界的な閉塞した状況の解放に向けた新しい文化の発信を受けていた。新鮮な怒りの発露であったとの証言。



 そして、元東大全共闘の山本義隆さんが次のように発言した。

 六〇年安保の年に大学に入学した。東大闘争の時は大学院生。一九五八年当時全学連委員長の塩川喜信さん(助手共闘)がいて、集会で発言してもらったら参加していた学生から「ウォー」という驚きと共感の声があがった。

 一九六八年七月に安田講堂を占拠した。もともと本部学館を占拠し、安田講堂は開放しようと考えていた。主導したのはノンセクトと青医連だった。東大闘争は突然起こったのではなく、砂川闘争やベトナム反戦会議の運動の蓄積があったからだ。

 帝大解体というスローガンは国策大学批判として初めからあったが「自己否定」という言い方は安田闘争の後ではないか。

 一九六六年、日本物理学会が米国から援助金をもらった。「科学が発達すれば
いい。政治を持ち込むな」と。ベトナム戦争の最中であり、米国からの援助は政治的なことだった。研究を進めるとは何かが問われた。なぜ、国がカネを出すのか。それは近代的国家になっていく、国際社会に認められるという国威発揚のためだ。

 中曽根元首相は原子力開発を最初に言い出した。核武装のためというより、核技術を持つことが一等国になる、超大国の扱いを受けるという狙いがあった。企業からカネが入ってくる。官産学で推進した。それを支えたのが旧帝大で、特権階級だ。その枠内での運動ではいけないということで、「自己否定」という考えが出てきた。
 

 二〇一一年福島原発事故が起きた。この時、東大の学生は何もしていない。去年、香港の大学に機動隊が突入する時、京大の学園祭に行ったが、連帯の盾看が一つもなかった。ダメだと思った。「この五〇年何をやっていたのか。若い人たちに何も伝えてこなかった」。悔しい思いでいっぱいだ。

 Ⅱ部。香港から陳逸正さん(在日香港人)、劉燕子(香港人、東海大講師)が参加し、香港の事態について報告した。

 新コロナウィルス問題では、マスク、水、トイレットペーパーも足りない、パ
ニック状態だ。香港政府・中国政府はまったく信用できない。患者・死者数はゼロが二つ多いのではないか、家から出ないようにしていると報告した。

 香港のデモの特徴は何か。

 ①リーダーは不在②勇武派と穏健派、内ゲバ対立が起きていない。区の選挙で大勝した。今後ともテロリズムは起きないだろう。勇武派が出てきたのは百万デモやヒューマンチェーンをやっても何も変えられなかったからだ。警察のすさまじい暴力によって、それに対抗する勇武派が登場した。民主派が闘えば勇武派にもなる。理工大の攻防の時、市民が救援に駆けつけた。数十億円のカンパが集められた。

 「時代革命」というスローガン。すべての普遍的価値を求める。香港の一国二制度が終わる二〇四七年に生きなければならない。不安を抱えながら生活していく。今後も何回もうねりが起こり成長していくだろう。皆さんの応援がぜひ必要だ。

 竹中平蔵の授業ボイコットを訴えて闘った元東洋大生の船橋秀人さんがエールを送った。

 Ⅲ部。旭川東、都立上野、国際、杉並、東京学芸大学附属国際、神奈川県立相模原、上溝南などの生徒さん、出身の学生さんなど一〇人が発言した。

◦温暖化対策を求める世界の動きと連動して、都内や全国でデモなどを取り組んだ。

◦二〇一五年安保法制反対の行動。進学校ではない、私立・党派を超えて・キリスト教など多様な人々が集まった。一八歳で選挙権が認められたが政治活動は認めない、届け出制や禁止。政治活動をしようとすると圧力をかけられた。同級生を意識しSNSでの発信、メディア写りを考えてサウンドデモ。それでも各学校二~三人、全国で百人、よく集まって三〇人。アベと言えば、巨人のアベの話になってしまった。

◦「ブラック」(ママ)校則。高校一年の時、校則が一方的に変えられた。自主・自立の自由な高校だった。署名・臨時の生徒大会をやったが、校則は校長が作るものだとはねつけられた。

◦三年間生徒会長をやったが、ブラック校則問題など考える生徒がほとんどいなかった。違和感・疑問を持っている生徒もいないわけではない。どうアプローチしていいのか悩んだ。

◦定時制高校を六年かけて卒業した。校内新聞は検閲され一旦廃刊にされた。いまは日本自治委員会をつくり、昨年から二四の都立高校で表現の自由のチラシをまいている。全校生徒の頭髪検査がやられるなど人権が侵害されている。

◦二〇一五年の夏、三里塚闘争の本を読み、運動に目覚めた。声をあげていくことが大切だ。

◦原水禁の活動に参加している。生徒会は低調で、教員組織の私兵のようになっている。教員から圧力がある。反発生徒もぽつぽついる。ひずみは大きくなっている。未来は開けてくるだろう。世代を超えていっしょにやっていきたい。

◦頭髪問題がおき、署名活動や校長室への直談判を行ったが分断工作で敗北した。国会前のハンスト実に参加したり反ヘイト直接行動をやってきた。

◦北海道の田舎では運動はなかなか広がらない。アイヌ民族への差別が行われてい
た。苦労している福島と沖縄を見ないといけない。声なき声に向き合っていきたい。

五〇年前に闘った元仙台一高が五年かけて制服の自由を勝ち取った報告を行った。



 保坂展人さん(東京世田谷区長)が自らの闘いと世田谷区での取り組みを報告した。

 私は六四歳だが中学生の時、学内新聞を作って「ベトナム反戦や部落差別問題」を訴え、政治活動をさせろと要求した。このことが高校受験の時、内申書に否定的に書かれ、すべての高校受験で落とされた。内申書裁判を起こし、地裁で勝ったが高裁・最高裁で負けた。しかし、学ぶ側の権利権で主張は認められ、その後内申書を使った弾圧はやんだ。

 役に立たない校則を見直そうと呼びかけている。世田谷区立桜丘中学で生徒会が三つの要求を出した。①体育館にエアコンをつける②校庭を芝生に③定期テストの廃止。学校側が①③を受けれ、制服の廃止、携帯電話の使用も認めた。そうすると生徒の自主的活動が活発になり、文化祭には外からも含めて一〇〇〇人もの人が押し寄せた。

 いじめ・不登校について。不登校生は五年前の倍になっている。これに対して、教育機会均等法ができ、夜間中学やフリースクールの支援が行われるようになった。東京シューレのような公設民営の学校でもオルタナティブ教育が広がっている。

 オランダのラーク(高校生連合)は国からの一億円の補助金を使い、高校生が三人の職員を雇い、ロビー活動やテストの監視をやっていて、自治拠点が生まれている。日本でも政権交代を行い、実現してほしい。

 四時間にわたる盛りだくさんのシンポジウムは成功裏に終わったが、現在の高校生が置かれている人権侵害をどうするか、五〇年前の高校生の闘争が個々の生き方として継承されたが、世代としてバトンタッチできなかったのはなぜ?かなど、今後も究明していかなければならない課題が残された。

(M)