東京パラリンピック 9月8日、2020オリンピック災害おことわり連絡会は、アカデミー茗台学習室で「みんなで議論する! 東京パラリンピック! ただし、アンチ」を行った。

 連絡会は、パラリンピック開催(2020年8月25日~9月6日)1年前にあたって様々な角度からパラリンピックを検証するためのステップとして企画した。論点としては、例えば、「競技であるかぎり差別の助長につながらないか」「競い合わないスポーツはありうるのか」などを設定した。

 すでに連絡会は、そのためのアプローチとして「反東京オリンピック ガイド」の「14 パラリンピックと優生思想」で「『障害者』スポーツの多くは、障害の程度や種類によって細かくクラス分けされています。秒単位で勝敗を争う世界の発想は、障害の軽重によって、能力の高低によって人々を序列化するのが前提です。人々はそれぞれの『障害』の軽重、能力の高低に沿って『分をわきまえる』ことが当然のように求められるようになります。これはナチスドイツが国策として『障害者』を抹殺した優生思想の発想となんら変わるところはありません」と批判。

 また、「『障害者』たちは、パラリンピックとは関係ないところで、自然発生的にスポーツを含む様々なことを工夫しながら楽しんできました。また、共生共学の空間の中では、『障害』のある子ども、ない子どもが知恵を出し合いながら色々なことを一緒に行ってきました。パラリンピックと『障害者』スポーツの称揚は、スポーツ以外のことを行っている人々の姿を不可視化し、共に生きている人たちの存在を後景化していきます」と強調している。

 そのうえで学習会の呼びかけでは「『健常』という『国民の責務』を果たさな
い、つまり戦争に行けないという『非国民』の範疇から脱出するための装置の一つとしてパラリンピックがあるのではという議論、皇室による観戦と慰労、オリパラ道徳教育、感動の共生、高額な義肢器具、オリパラの一体化など、パラリンピックが記録やメダルをともなう国威発揚に政治利用されていないかといった問題についても、みんなで議論したいと思います」と呼びかけた。

 問題提起を北村小夜さん(障害児を普通学校へ全国連絡会)、岡崎勝さん(自由すぽーつ研究所)が行った。

 北村さんは、「分けるな(パラリンピックは障害者差別を助長する)と言う立
場から」というテーマ。

 資料として「『障スポ』と歩む皇室」(朝日/18・10・12)、「東京パラリンピック 22競技540種目」、「障害区分(障害の種類・程度)」、「2018全国障害者スポーツ大会出場選手申込」などを材料にしながパラリンピックが抱える「差別・選別」などの問題性を浮き彫りにした。

 とりわけ北村さんは、「しばしばパラリンピックについて発言してきたのは、障害者や家族が生きて行くための要求をしていく中でしばしば恩恵に甘んじなければならない場面を見てきたからです。それは深い所で天皇制につながっています。皇族たちは障害児・者に対しては『憐み』を惜しみません。それがパラリンピックには露骨に表われます。感動、慈愛と同じ路線上に在る健常者は、頑張る障害者に感動し、できない障害者を憐れみます」と問いかけ、健常者と障害者の関係と差別のあり方、天皇制統合装置の反動性を暴いた。

 さらに、「『パラリンピック』が正式名称になり『もう一つのオリンピック』という考えが定着してきた。こうして大会ごとに整ってきたように見えるが、よく見ると障害者の振り分けの基準が整ってきたということである。制度が整い優れた能力の先主が現れればできないことを弁えざるを得ない障害者が明らかになる。それを無視するのが競争の理である。排除が進み、人々の心のバリアフリーも障害者の能力を過小評価するか過大評価するかに二極化されかねない」ことを明らかにした。

 岡崎さんのテーマは、「パラリンピックっていいものなの? スポーツにとっての『障害』を考える」。(この日、台風15号の影響で会場参加ではなく電話での報告となった)。

 冒頭、「教員という仕事で、障害を持った子どもたちと長い間付き合ってきたけれど、体育やスポーツの授業や指導の場面で、彼らと向き合うときは、体育やスポーツとは何か?という本質的な問いなしですまされなかった。オリンピック批判はスポーツ批判や社会批判として成立しなければならないけれど、パラリンピックも同様なのだと思う。『障害者スポーツ』について少し考えてみたい」と述べ、次のような問題提起を行った。

 「パラリンピックのスポーツとは、人間を障害者と健常者にカテゴリー化することと同一視することである。さらに掘り下げれば、①競争原理と排除の原理の中に感動を求めている ②費用対効果、宣伝効果によってスポーツの社会モデルを構築していく。資本の論理。 ③スポーツの意義を障害を持つ人にも強制していく。教育の論理。④「障害者への理解」を「障害者の『克服』を志向する」こととセットにする。勤勉効率。 ⑤障害「用」スポーツの囲い込みと分断。肢体と知的。障害の微細な分類。 ⑥「健康な障害者」イメージの固定化と暗黙の強制と動員。総動員体制などの問題が存在している―などと分析する視点をあげることができる」と述べた。

 さらに「オリンピックとパラリンピックの同一性と『協力』」、「障害者スポーツを見るまなざし」について取り上げ、「いずれも格差序列を前提としており、権力行為そのものだ。『健常』とは何かとして問われている」と訴えた。

 討論では、「運動会そのもののあり方、必要性があるのか」、「れいわ新選組
の積極性と今後の課題」、「障害者による『健常者社会』の告発、諸要求実現、あらゆる場でアプローチしていく踏みこみの必要性」などの論点などが様々な経験談の紹介も含めて提起され、明日に向けたリアルな論議が行われた。これからの1年間、パラリンピックに対する問題提起を継続して行っていくことを参加者全体で確認した。

(Y)