配信:香港五月九日、東京の文京シビックセンターで「南京大虐殺・靖国に抗議した香港人弾圧を許すな」集会が行われた。主催は、12・12靖国神社抗議見せしめ弾圧を許さない会。集会には九〇人が集まった。

 昨年一二月一二日、香港に住む五五歳の男性、郭紹傑(グオ・シウギ)さんと二六歳の女性、厳敏華(イン・マンワ)さんが、「正当な理由がないのに、午前六時五六分頃から午前七時一分頃までの間、靖国神社の『外苑』称される敷地内に同神社神門前参道入口から侵入した」として「建造物侵入」の罪名で逮捕・起訴され、現在も拘留中である。

 郭さんと厳さんは何をしたというのだろうか。郭さんは、「南京大虐殺を忘れるな」と中国語で書かれた横断幕を掲げ、「甲級戦犯 東条英機」と書かれた紙で作った「位牌」の箱を燃やし、「軍国主義打倒」と声を出して訴え、自撮り棒を目の間に立ててスマホで、この行為を撮影した。警備員の介入により、この行動は五〇数秒で中断されてしまった、という。

 厳さんは「香港民間電台」の記者として、厳さんの抗議活動をスマホで撮影し、その映像を香港に送った。ただそれだけの話である。しかし、厳さんのこの取材活動に対して、警備員は「一緒に来て」「録画を消して」と迫ってきた。厳さんは自分が「香港民間電台」の記者だと説明したにも関わらず、「建造物侵入」の容疑で、二人とも逮捕・起訴されてしまった。すでに三月七日、三月一九日と二回の公判が行われたが、四月一五日に行われ四回目の保釈申請も四月一七日に却下され、二人はともに現在も拘留中である。

 しかし靖国神社への抗議行動と、その取材活動に、どのような違法性が認められるというのだろうか。二〇〇九年八月、台湾の先住民族で国会議員だった高金素梅さんと台湾籍元日本兵が行った靖国神社への抗議活動について、二〇一一年九月、東京地検は書類送検されていた高金素梅さんを不起訴としている。それと比べても、今回の弾圧は不当極まるものであり、安倍政権の下での司法の反動化、「靖国」イデオロギーに基づく侵略戦争の美化を象徴するものである。

 二人が抗議行動をした一二月一二日は、一九三七年一二月一三日の日本軍による「南京陥落」の前日であり、二人の行動は、「南京大虐殺」に示される天皇制日本帝国主義による戦争犯罪を絶対に繰り返してはならないということを、日本の人びとに想起させる意味を持っていた。

 この日の集会では、まず「村山首相談話を継承し発展させる会」の藤田高景さんが「なぜ香港人が靖国で抗議したのか」と題して報告。絶対に日本が侵略戦争を行ったことを認めず、南京大虐殺の歴史事実さえ認めようとしない安倍首相の「歴史認識」を厳しく糾弾し、不当な逮捕・起訴・長期拘留が、安倍政権の歴史認識に迎合したものであることを批判した。

 歴史学者の田中宏さん(一橋大名誉教授)は「追及される日本の中国侵略責任」と題して講演。朝鮮植民地化の元凶である伊藤博文の肖像が一〇〇〇円札に取り入れられた時、自分もアジアの留学生からの批判を受け止めきれなかったという、日本とアジアの歴史認識のギャップについて振り返った。中国・朝鮮を除外したサンフランシスコ講和条約と、戦後四〇年でのワイツゼッカー西独大統領演説を対比させながら、さらに日本の難民政策の欠陥の根拠に、在日韓国・朝鮮人への差別政策があることについても、田中さんは指摘した。

 一瀬敬一郎弁護士からの裁判報告に続いて、最後にジャーナリストの和仁廉夫さんが「なぜ香港人が靖国で抗議したのか」と発言。


 「二人は一二月二六日に起訴されたが、一九四一年一二月二五日は一八日戦争で香港が陥落し、『黒色聖誕節』と言われた日だ。一九四二年二月には香港占領地に日本軍の総督府が設置され、三年八カ月に及ぶ占領の中で香港住民には軍票の使用が強制されたが、それは事実上の略奪に他ならなかった。飢餓と憲兵による暴行への恐怖がまん延する占領だった」と、和仁さんは香港の人びとの苦難の歴史に思いを馳せた。

 次の公判期日は,五月二二日(水)午前一〇時〜一二時(傍聴抽選は九時半締め切り)。注目しよう。

(K)