20180316china


習の無思想、官僚共和国、お化け主義


區龍宇


2018314日 


原文



全人代は、国家主席が連続二期をこえて就任することはできないという憲法の規定をついに削除した。これを聞いて、わたしは毛沢東が1966年に江青に宛てた手紙の一句を思い出した。「事物はいつも反対面に向かうものである。高く飛べば飛ぶほど、墜落した時の衝撃も激しくなる。わたしは墜落して粉々になることに備えている」。習総書記よ、備えは万全であろうか。


◎習総書記の官職思想


もうひとつの重要な改憲内容は、「習近平新時代の中国特色の社会主義思想」を憲法に書き入れたということだ。結局のところ習総書記の思想とは何だろうか?2015年に習総書記が自らの神格化運動をはじめた際、「焦裕禄(訳注1式の県委員会書記」という中央党学校での講演録を発表した(原注1)。講演は語るべきものなきこの人物の無思想性が見事に反映されていた。講演は全篇にわたって、いかにして……官職を全うすべきかを教え諭している。もちろん良き官僚、清廉公正な役人としてである。「民のために官職を全うしないのであれば、故郷に帰ってイモでも売ってろ」ということのようだ(訳注2)

講演は全部で六千字にのぼり、「官」という文字が19か所登場する。読めば読むほど、どうしたことか、厳かにも歴代の官箴(役人への戒め)を読んでいるようである。現代においてこの官箴を知る者はそう多くない。かつての中華帝国では、官僚は必ず腐敗したが、それでもその道の学問があり、官箴といった類の書物が書かれ、まさに習総書記とおなじように、いかにすれば良き役人となることができるのかを教え諭したのである。官箴には多くの金言がある。たとえば「官を務めるための方法は三つしかない。いわく清く、慎ましく、勤勉であること」。さらにはこんな言葉もある。「万民の心を心とし、百官は無心であれ」。この一句は習総書記の「心中に民あらば、重責を引き受けなければならず」よりもはるかに高尚である。習総書記は冷めたチャーハンにも及ばない。どうせなら歴代王朝の官箴を読むべきであろう。そこには、文学的にも名文といえるものも含まれているし、習総書記の講演のような、党文献特有のだらだらとした文章はみられない。


また、習総書記が良き官僚となるべきだと教え諭していることは、無意識のうちにある秘密を暴露している。つまり、彼は幾度となく革命の初心を忘れるべからずと指摘するが、その実、それを忘れているのが彼自身だということである。


◎「人民の公樸」の現実


毛沢東の革命は、ある程度まで易姓革命[社会革命ではなく政権交代]であったが、それでも「人民に奉仕する」という建前はいくらかあった。それゆえ、毛主席は幾度となく、官僚の旦那になるのではなく、人民の奉仕員となるべきだと全党を戒めた。中国共産党は延安時代から全面的に旧時代の官僚制度を全面的に復活させはしたが、それでも中国国内の新聞紙上では(封建時代を彷彿とさせる)「官」という字を忌諱し、「幹部」という呼称をつかうか、「官」を使う時にはカッコに入れて用い、自分たちは「人民の公樸」であることを打ち出していた。だが現在では、習総書記は人々の前で平然と良き官僚となるよう教え諭し、歴代王朝において下部官僚からの選抜を重視していたかを公然かつ積極的に引用している。これは何かの間違いなのか、これではまるで諸君らは「革命幹部」「人民の公樸」ではなく、かつての専制王朝と同じく大小さまざまな官僚であることを認めることになるのではないのか、と。だがこのような疑問については、市井の庶民は早くからわかっていたことだ。いわゆる人民共和国は、とっくの昔に官僚共和国に変質していたのである。しかし実際にそうなっていても口には出せないとは、なぜ習総書記はかくもいい加減なのだろうか。


毛沢東は結局「お山の大将」的な革命を実行したが、それでも「革命の初心」については理解していた。しかし習総書記といえば、半封建半近代的な官僚制度の中で培養されてきたことから、初心など党の昔にわすれてしまい、官僚主義と権謀術数のほかには、凡庸さしか残らない。現代中国の官僚制度は、封建時代のそれと同じメカニズムをもっている。それは劣勝優敗であり、有能だったり独立的思考をもつ官吏を徐々に淘汰し、もっぱらイエス・マン、つまり太鼓持ちや超凡人のみが残るというものである。「無駄口をたたくな、何度も額づけ」とは、道光帝の寵臣で大学士[皇帝の補佐官]の曹振鏞の宮仕えの心得であった。


◎憲法が雑貨店に

 昨年10月の共産党19回大会の記者会見で、なぜ中国共産党の指導思想に指導者の名前を冠するのかという質問を受けたとき、当時の宣伝部副部長の答えは次のようであった。「党の指導者の名前を指導思想に用いるのは国際共産主義運動においてよく見られるやり方である。たとえばマルクス主義やレーニン主義があるし、たとえばわが国には毛沢東思想や鄧小平理論がある。習近平同志は……大いに貢献し……ゆえに彼の名前を用いて命名したが……その名に恥じない。」(原注2)この大官僚は必ず批判しなければならない。基本常識すら間違っているからだ。「マルクス主義」であれ「レーニン主義」であれ、どちらも本人自ら発明したものではなく、まして自身が所属する党派が奉じたものでさえなく、逆に彼らの敵が皮肉を込めて両人に贈った名称なのであり、おべっかを使って紹介するような代物なのだろうか。極度の自惚れだったスターリンでさえも、ソ連共産党の指導的思想として自らの名前を冠した「スターリン主義」を用いることは憚られ、「レーニン主義」を焼き直してその象徴とした。生きた指導者の名前を用いて「党の指導的思想」を命名したのは、ほかでもない毛沢東自身であり、「マルクス主義の中国化」の後の中国由来のやり方なのである。

 この宣伝副部長をあまりあげつらうのは良くないのかもしれない。「あの皇帝にこの家臣あり」だからだ。習総書記の内閣大臣[明清王朝の皇帝補佐職]が発明した「習近平新時代の中国特色の社会主義思想」という名称のなかで、「習近平」と「中国特色」の二言だけが間違いのないもので、それ以外の文言はすべて事実にそぐわないでたらめなものだ。習総書記の思想に何ら「新時代」的なものはなく、最も陳腐な官僚思想と専制思想を継承したものにすぎない。「社会主義」に至っては、あぁ!これまででのさまざまな公式の呼称である「社会主義商品経済」「社会主義初級段階」「社会主義市場経済」等々、これら導入されたものは人民を裏切る密貿易品であり、どれもこれも公共資産の私物化としての官僚資本主義に他ならない。さらに「マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、三つの代表、科学発展観」などに付け加えて習近平思想が憲法に書き入れられたが、憲法があれやこれやの密貿易品が並べられた雑貨店になってしまった。

こんな笑い話がある。ほら吹きで有名な男が、長さ20丈[約35m]、幅2丈もの大蛇を見たと言った。だが周囲の度重なる疑義に対して、どんどん長さを修正していった。「たしかに20丈はなかったが、15丈はあった!」と。しかし疑義は収まらず、最終的には目撃した蛇の長さを2丈にまで修正した。するとすぐにこう問い詰められた。「大ぼらもいいとこだ!どこにそんなまん丸の蛇がいるもんか!」

 今日の中国共産党の憲法改正は、この大ぼら吹きの男が言ったまん丸の蛇と同じくらいでたらめ極まりないものである。

あれこれと述べてきたが、中国共産党にとって、一つの主義を除いて、すべてはでたらめである。それは「魑魅魍魎主義」である。「魑魅魍魎主義」とは何か?「魑魅魍魎を描くのは簡単だが人間を描くのは難しい」とはよく言ったものだ。お化けなのでどんなふうに描いても間違いではないからだ。だがそれが続けば「正当性の危機」(legitimacy crisis)が訪れることになる。結局のところ、雑貨店なのか、無冠の皇帝なのか、あるいはまん丸の蛇なのか、いったいこれは何なのだ、というわけである。

現在すでにこの状況が訪れている。中国共産党に対して、リベラル派は市場経済から乖離していると非難する。左派は社会主義を裏切ったと批判する。儒家は羊頭狗肉だと憤る。レイオフされた国有企業労働者は労働者への裏切りだと怒りをあらわにする。農民工は低端人口と言われて排除されたと罵る……、こうして中国共産党は人民の公僕から人民の公敵になってしまった。たしかにその批判の多くが公然となされているものではない。だがリベラル派であれ、あれこれの左翼であれ、最近逮捕された8人の毛沢東主義者への支援を公然と行っていることからみれば、事情は確実に変化している。少し前までは、リベラル派と毛沢東主義者はたがいを主要な敵とみなしており、党や政府がその一方を弾圧したときには、もう一方の側はもろ手をあげて歓迎していた。しかし今回は違った。

 中国共産党は、前述の笑い話の男のように批判を受けて自らの主張や振る舞いを後退させることはない。むしろ頑なに「20丈の長さの大蛇」というホラ話を貫き通そうとする。だがここでも問題に突き当たる。ホラ話を貫こうとすると結局は、白黒をつけることができるのは自分だけ、つまり自分の言うことだけが真理ということになる。つまり「朕は国家なり」である。


◎無冠の皇帝の苦悩


ここでもまた問題に突き当たる。今回の憲法改正で実現できるのは、せいぜいのところ習総書記が死ぬまでは法的根拠にもとづいてその地位を享受できるということに過ぎず、皇帝になることはできない。せいぜいなれても無冠の皇帝どまりである。無冠と冠の違いは、習近平にとってはダモクレスの剣[栄華に存在する危険]となる。毛沢東ですら後継者問題を解決することができなかったのに、習総書記がはたして……。この話はこの辺にしておこう。われわれは、冒頭に紹介した毛沢東の手紙のなかの一句を紹介して結論に代えることにしよう。「勝利に酔い痴れていてはならない。自らの弱点、欠点、誤りを常に考えなければならない。」


帝政の長所は、あらかじめ権力継承の方法が、少なくとも制度的に与えられているという事である。だが無冠の皇帝には継承方法が存在しない。これは権力継承の闘争を不断に促進することになる。しかもこの種の制度は高度の不安定さを伴い、正当性の危機に対処する能力に最も欠けるものでもある。習総書記は専制主義と旧官僚制度の全面的復活によって自らの支配を維持できると考えているようだが、この二つの「お化け」こそが、今日の中国の混乱の源なのである。一方、習総書記が直面している今日の中国人民は、識字率の低い農民が大部分を占める1949年のときの人民と全く違った状況にある。かつてのように天下を取り、天下を治めた開国の英雄が、皇帝に即位するとこは当然のことだと考えられていた。だが21世紀の今日、そのような伝統的な考えを信じる者はますます少なくなっている。


さぁ、お立会い。お芝居の見どころは最後に訪れる。

 

2018314


 
【原注】


(原注1)習近平:做焦裕禄式的県委書記(
2015/9/7、学習時報)http://dangjian.people.com.cn/n/2015/0907/c117092-27551158.html

(原注2)王暁暉:用党的領袖来命名理論是国際共産主義運動中的通行做法(2017/10/26、新華網)

http://news.xinhuanet.com/politics/19cpcnc/2017-10/26/c_129727202.htm


【訳注】


(訳注1)焦裕禄(192264):山東省の貧農の家に生まれ1946年入党。196212月、河南省蘭考県書記に就任。防風、治水、土地改良を自ら率先して進めた。64514日肝臓ガンで病死。遺言として「私を蘭考県に送り返して、砂の中に埋めてほしい。生前には砂丘の治理が果たせなかったが、死後も砂丘の治理を見守りたい」という要望を残す。死後、革命烈士に封ぜられ、662月に「人民日報」で紹介。「毛沢東同志のよき学生、焦裕禄同志に学ぶ」という社説も掲載された。

(訳注2)明代の親民聡明な地方役人の活躍を描いた映画「七品芝麻官」の名台詞。