IMG_2296過労死遺族が痛切な訴え

日本弁護士連合会が主催


二月二八日午後六時から、 衆議院第二議員会館多目的会議室で「労働時間法制を考える院内市民学習会」が日弁連主催で開かれ、一四〇人が参加した。日弁連が次のような目的で集会を開いた。

「政府は、二〇一三年六月一四日に、『日本再興戦略』と『規制改革実施計画』
を閣議決定して以来、労働法制全般の規制緩和を進め、本年の通常国会において、労働基準法改正法案を含めた『働き方改革関連法案』が提出される見通しです。労働基準法改正法案は、長時間労働の実効的な抑制策が曖昧なままに、一定の労働者について、使用者による労働時間管理義務を免除し、かつ、いわゆる残業代の支払さえも免除しようとするものであり、経済的負担により長時間労働を間接的に抑制しようとしてきた我が国の労働時間規制の歴史に逆行するものです。労働法制の行き過ぎた規制緩和は、労働者の権利確保の観点から極めて問題が多いと言えます。日本弁護士連合会は、二〇一六年一一月二四日付『あるべき労働時間法制に関する意見書』等を公表し、労働者の命、生活および健康を維持するため、労働時間規制の安易な緩和を進めないよう繰り返し求めてきたところです」。


あらゆる規制をなくす高プロ制

最初に加藤裕さん(日弁連副会長)が「政府が提出しようとしている労働法制の改正は、残業時間の規制ではなく枠をはずし、過労死ラインを容認するものだ。本当に何が必要なのかは当事者の声を聞くことが重要だ。あるべき労働時間規制を考え直す。法案提出を断念させるために全力を尽くす」と開会のあいさつを行った。

次に、星野圭さん(日弁連貧困問題対策本部事務局次長)が日弁連のこれまでの取り組みを報告した。続いて川人博さん(東京弁護士会)が基調講演を行い、今回提出しようとしている「働き方改革」法案の問題点を分かりやすく説明した。

「みなし労働制の対象は、事業場外労働、編集者やシステムエンジニアの専門業務裁量労働、経営の中枢にいる人などの企画業務裁量労働、高度プロフェッショナル制。この企画業務裁量労働を営業職に大幅に拡大する。そうすると対象者は五〇〇万から一〇〇〇万人と言われ、残業規制の対象外になる。高プロ制はあらゆる労働法の規制をなくしてしまう。今まで夜一〇時から翌朝四時までは手当を出しているがそれもなくす。何時間残業しても一日八時間勤務したものとしてしまう」。

「二〇一七年に三六時間連続勤務して一カ月後、くも膜下出血で突然死した二八歳の労働者がいる。現に今も過労死が発生している。三六協定をなくし、裁量労働制にすると徹夜をしやすくする。危険な法律で究極の労働時間規制撤廃法案だ」。

「残業の月の上限一〇〇時間未満の規制の除外業務が多い。建設・運輸・医師・研究開発業務が除外対象だ。これらは長時間労働が問題になっている。現行法の上限四五時間、特列の八〇時間を一〇〇時間に変えてしまう。残業をアップする企業が増える危険がある。例えば、看護師は深夜交替勤務がある。そうした労働をどうするのか、せいぜい二〇~三〇時間規制にすべきだ」。

娘は未来も夢も奪われた!

過労死家族の二人から証言があった。

二〇一五年四月に入社し、一二月二五日、電通社員で過労自殺した高橋まつりさん(当時24歳)の母親幸美さんが娘の過労死について怒りを込めて報告した。

母子家庭で育った。自分の努力で夢を実現し、希望を持っていた。入社九カ月で長時間労働とパワハラで命を落とした。労働時間を記録しないように指示していた。死ぬほど働けと言われた。「この会社はおかしい。東京の夜景は私たちが作っている」と言っていた。連続三日徹夜していた。二四歳だった。夢・未来を奪われ、取り返しがつかない。過労死絶対に許せない。

残業時間の上限規制を一〇〇時間未満とする。これは過労死ラインを超えて、職場に許すものだ。裁量労働の拡大、高プロ制の導入は過労死を助長する。労働法を守らない会社を増やす。電通は労基署の監督を受けていた。成果だけ求められる。企画業務型裁量になる。娘のような長時間労働が合法とされる。一一時間インターバル(以上の休息時間を与える)にしてほしい。娘は五時間程だった。そうすれば眠ることができ、死なずにすんだ。

法律を守らない企業がある。自分自身で身を守るしかない。働くことで命や健康を失っていることが現実だ。法案の見直しを求める。裁量労働などの削除を求める。過労死を二度と起こしてはならない。働く者の命と健康を守る働き方の改善を。

みなし労働制がもたらした死

二〇一三年七月、NHK記者で過労死した佐戸未和さん(当時31歳)の母親恵美
子さんの発言。

未和は四年前に過労死した。かけがえのない宝・夢・支えであった。娘が死に、私はうつ病になった。娘の遺骨を抱いて死ぬことばかりを考えていた。過労死の事実を伝えたい。二〇一三年六~七月、都議選や参院選があり、選挙取材で忙しかった。娘は自宅でひっそりと亡くなった。その時、ラテンアメリカにいて、死後四日目に対面した。深夜残業・土日出勤と長時間労働がなぜ放置されたのか。

止められるはずだった。なぜ上司はチェックができなかったのか。亡くなる前、二〇九時間の残業、前々月は一八八時間。みなし労働制は労働時間が同じとされてしまう。時間管理はなく、個人事業主に
される。制度を濫用し人災だ。裁量労働制は仕事の量を自分で決められない。自己管理になり、制度が濫用されようになる。ズサンな労働管理の言い訳になってしまう。同じ苦しみが二度と起きないようにしてほしい。

長時間・過密労働に抗して

当事者から、株式会社プリントパック社員の中山悠平さんが「長時間・過密労働の改善を求めた闘いの報告を行った。

プリントパックは、二四時間・三六五日ネットで受付して早くて・安いを売りにしている印刷通販だ。二〇〇九年印刷オペレーターとして入社。一日一二時間二交代勤務、月に四~五日休み。七時半に出社し、夜の二二~二三時まで。どこからが残業か分からない。昼夜で印刷機を動かしている。三六協定を結んでいるが労働者代表には経営者側の従業員が立候補し、選挙なしで結んでいた。月の残業八〇時間以内、繁忙期には一〇〇時間まで。

夜勤の連続で、白髪が増え、げっそりしてくる。食事も何を食べても味がしない。辞めることも考えた。全印総連が配ったティシュを妻が持ち帰り、京都地連に相談した。職場を改善したいと入社して四年目、二〇一三年一〇月二〇日に労組を結成した。

そうすると会社は敵対し、不当労働行為を繰り返した。定時であげ、昇給やボーナスなしに、移動させられた。二〇一六年七月、労働委員会が救済命令を出した。

・差額の支給・団交に応じること。会社は中央労働委員会に申し立て。二〇一七年二月一三日、すべて組合と和解で解決した。残業は六〇時間に抑えよう。交代で休憩に行ける。少しずつ改善してきている。

次に東海林智さん(毎日新聞記者・新潟支局長)が取材に基づく現場報告を行っ
た。(別掲)

最低限の規制すら撤廃ねらう

最後に、滝沢香さん(日弁連貧困問題対策副本部長)が「一九九九年、女性労働に対して、一日二時間の残業規制や深夜労働の禁止が解除された。その結果、男性も含めて長時間労働が蔓延するようになった。今回の労働法制の改正案も長時間労働を助長させかねないものだ。最低限の規制もなくしていくことになる。日弁連としてもがんばっていきたい」と閉会のあいさつをした。

この集会には、川田龍平さん(参議院議員、立憲民主党)、福島みずほさん(参議院議員、社会民主党)、山下芳生さん(参議院議員、共産党)、山添拓さん(参議院議員、共産党)が参加し、連帯のあいさつを行った。労働法の抜本的な改悪を阻止しよう。

 (M)


東海林智さんの報告から

私の時間を取り戻すために

「命を守る政治」と逆行する「働き方改革」



働き方改革はどのような背景で主張されるようになったのか

安倍首相は成長戦略として「働き方改革」を出してきているが、命を守る政策でなければならない。一括法案は生産性の向上のためであり、人の命と生産性を天秤にかけている。その考え方が根っこから間違っている。

政府の働き方改革は機能するのか
スローガン先行に踊る企業


誰もが知る大企業。残業をとにかく減らせ、職場単位で厳しく時間を管理するぞ。その方法は、単位職場で一人でも月八〇時間を超える労働者を出してはならない。一人でも八〇時間を超える者が出たら、その職場にはイエローカードを出す。超過者には産業医の面接を経て指導をする。それでも残業が止まらないと、連帯責任でその職場全体のボーナスを一律カットする。

この事例で問題なのは、各職場単位ごとに残業時間を減らすように厳しくしたが、六〇~一〇〇時間の残業が横行する職場にもかかわらず、具体的に残業時間を減らす手立ては何も示さなかった。相互監視が起き、人間関係がギスギスし、記録に残らない残業として地下に潜る。残業時間を減らすには、仕事量の見直し、人員(体制)の見直しが欠かせない。

過労自死。こうした状況の中、同社の関東地区のある事業所で三〇代前半の社員が自殺した。彼の部屋には会社の仕事を持ち込んでいたと見られる大量の資料と酒瓶、雑然とした汚い部屋。明らかな生活破綻。死を聞いて訪れた両親は部屋の様子に絶句。仕事で生活が破綻していたのが一目で分かる。五月納期の仕事を売り上げを計上するために三月内に収めろの指示が最後の引き金か。会社は亡くなったばかりの彼の部屋に入り込み、「部屋を整理する」との名目でパソコン、スマホや会社の資料を回収。同僚は「データ破壊が目的だろう」。両親に対し、上司は「彼は気持ちが弱かった」「十分な休養を与えていた」など責任回避に躍起。業務時間の記録は、残業は月二五時間ぐらいのきれいな記録が示された。

変わらない体質

新潟県教育委員会。今年一月、四〇代の女性職員が職場で倒れ、その後数日で亡くなった。県は一一月九九時間、一二月一二五時間の残業をしていたと公表。過労死の疑いが大きいとメディアが報道。県は第三者委員会の設置、検討を始めた。何が問題か。県はすぐさま残業時間を公表した。残業時間を把握していたのかと思いきや、把握していなかった。パソコンの起動時間から残業時間を計算して公表しただけ。

実際に労働時間を把握していないのだから、一人に仕事が集中する状況の改善など「労働者を守る取り組み」は全く行われていない。県は八〇時間超えた彼女に面接指導を行ったと言うが、面接以外の具体的な長時間労働を改善する取り組みはしていない。過去一〇カ月で半数の月で八〇時間に近い残業をしていたのを見逃していた。

さらに、新潟県教育委員会では、約一〇年前に職員が過労自死している。犠牲者の両親は情報公開請求で手に入れた資料の執念を込めた分析で労働実態を暴き、公務労災を認定させた。責任を取らない県を訴え、過労死防止対策を取ることで和解した。しかし、県が何をやったのかは不明。息子の死はどのように対策に活かされたのかを聞いても、木で鼻を括ったような回答しかしなかった。こうした闘いがあったにもかかわらず、ついに次の犠牲者が出た。

政府の労働時間規制は機能するのか

高度プロフェッショナル制度(残業代ゼロ制度)、裁量労働制の適用拡大。二つに共通するのは、労働時間規制を緩和(裁量労働)あるいは除外(高プロ)するもので、労働時間削減に逆行する。高プロでは、所定労働時間なく働く制度、対象となる年収一〇七五万円が下げられない保障はどこにもなく、経団連は過去に四〇〇万円以上を適用対象にしたいという露骨な要求を明らかにしている。正社員から残業という概念が消えることになる。

二四時間の三分割は、八時間は働き八時間は眠る、そして八時間は私の時間だ、というのが第一回メーデーのスローガンだった。それは、一四時間~一六時間と長時間労働にさらされてきた労働者が人間らしく暮らしたいとの願いを込めた要求。残業時間があるということは寝る時間、私の時間を奪われているということに他ならない。私の時間を取り戻すことが重要。私の時間にフラフラしようが自由なのだ。文化を変えていかなければならない。

(発言とレジュメを元に編集部
でまとめた)