16文京カヌーチーム辺野古ぶるー・ヘリパッドいらない住民の会を迎えて

 三月一六日午後六時半から、東京・文京区民センターで「辺野古・高江の今、お話を聞く会」が主催:辺野古・高江を守ろう!NGOネットワークで開かれた。関本幸さん(グリーンピース・ジャパン)が辺野古・高江の現地で闘っている人の生の声を聞くことの重要性と新基地建設に反対する環境NGOを中心とする団体による共同声明を出したとする開会あいさつをした。続いて、高江で闘っている「ヘリパッドいらない住民の会」の伊佐育子さんと安次嶺雪音さんがそれぞれ報告をした。

 伊佐さんの報告。

 「京都出身だが高江に来て三〇年になる。一九九六年のSAKO合意によって六つのヘリパッドを作ることになっていたが二度の東村の反対決議により工事はできなかったが村長が賛成にまわり、二〇〇七年に工事が着工された。高江は七、八世帯だが、子どもと生活を守り、戦争へ加担したくないので反対し、座り込みを始めた。初めはふるえた。二〇一二年、オスプレイが普天間に配備され、二〇一四年二つのヘリパッドが完成した。二〇一六年、オスプレイが飛び回り、夜間騒音は二四倍にもなっている」。

 「ゲート前にテントと車を置き、工事を阻止していた。ところが昨年七月二二日、機動隊一〇〇〇人が全国から動員され、法的根拠なしに力でテントと車を排除した。機動隊が阻止線を張り、入れなくしたので水や食料の補給が断たれた。仲間たちは歩いて阻止線を潜り抜け、水とおにぎりを届けてくれた。翌日からダンプが入ってきた。一二月までに完成させるとして、一日一二〇台もダンプが入った。ヘリで重機を運んだり、森を重機で切り裂いた。一二月二二日、北部訓練場の返還式をやったが二月末まで工事をやっていた。まだ米軍には提供していない。補修工事が残っている。私たちはあきらめず座り込みをしている。六億円の予算に六〇億円が使われた。政府に怒りを感じる。オスプレイが本格的に運用されれば住めなくなる。本当の平和をめざしたい」。

 安次嶺さんの報告。

 「森の中で暮らしたいと三年探して二〇〇三年から東村に家族で移住した。二〇〇四年からカフェを経営した。二〇〇六年に報道でヘリパッドのことを知り、ここに住めなくなるかもしれないと、基地を作らないでくれと、声をあげ続けた。オスプレイのことは何も知らないと防衛局は言っていたのに、二〇一六年六月、オスプレイ三機が毎日低空で夜一一時過ぎまで飛んだ。暗闇、低周波騒音、いつ墜ちるか分からないと不安になった。気分が悪くなり、子どもも学校に行けないと役場や教育委員会に訴えた。役所から米軍に申し入れをしたが米軍からは何の返事も帰ってこない。抗議しても何も反映されず、オスプレイは飛んでいた。七月に工事が強行された。立ち直れくらい叩きのめされた。機動隊に話しかけても無視された。工事車両を通し、生活を壊した。警察は生活を守らないことを突き付けられた」。

 「弁護団と相談し、工事差し止めの仮処分を行った。負ける要素がなかったが、裁判所は暮らせなくなるような騒音ではないとして訴えを却下した。子どもたちを守るために、宿泊施設は残し、家族は来月から隣村に移住することにした。被害を実感してほしい。高江に住んで苦しくたいへんだが一人じゃないと分かるとちょっと元気になる。いっしょにがんばろう」。

 次に、「カヌーチーム辺野古ぶるー」のプリティさんが報告した。 「一九五五年、五歳の女の子をレイプ・殺害、一九九五年、一二歳の少女をレイプ、二〇一六年、二〇歳の女性をレイプ・殺害。子どもたちは宝だから守りた
い。渡嘉敷での集団自決事件、私の父母も軍隊に動員された。軍隊は住民を守らない。パレスチナやシリアの子どもたちの命を奪うことも許されない」。 

 「カヌー隊には泳げない人もいるが自然を守りたいという気持ちで闘っている。海上保安庁によって沖にやられ、置いてきぼりにされたこともある。弾圧は抵抗を呼ぶ。釜山・ハワイの先住民、世界の兄弟とつながっている。山城博治さんらを即時釈放しろ。沖縄からすべての基地を撤去させたい」。

 プリティさんは最後に、「ジュゴンの涙」をみんなで歌い、さまざまな例をあげながら、豊かな報告を締めくくった。

 質疑応答の後、MXテレビへの抗議の報告、神奈川・千葉で沖縄から県警機動隊を返す住民監査請求をしている仲間からの報告があり、「辺野古・高江における米軍基地建設に反対し、工事中止と計画撤回を求める共同声明の趣旨が紹介された。花輪伸一さん(沖縄環境ネットワーク)が閉会のあいさつを行った。

(M)