polmil1【フィリピン】
第四インターナショナル声明
ミンダナオで同志ルベンが暗殺された
二〇一七年三月七日
第四インターナショナルビューロー


 二〇一七年三月四日、同志ルベンがフィリピンのミンダナオ、ラナオ・デル・ノルテ州で軍により殺害された。

 これは明らかに暗殺だった。ルベンは確かにお尋ね者だった。彼が、第四インターナショナルフィリピン支部である革命的労働者党ミンダナオ(RPM―M)と人民革命軍(RPA)に参加したことを理由としたものだ。しかし彼はその時友人たちと家族を訪れようとしていたのだ。彼はどのような武器も所持していなかった。彼の逮捕は簡単にできることだっただろう。しかし彼は処刑されたのだ。

 カパタガンで作戦を指揮したのは警察(彼らもそこにいた)ではなく、重武装の政府軍歩兵大隊だった。彼は殺害されたただ一人であり、数知れない弾丸を撃ち込まれた犠牲者となった。

 ルベンは、一九九四年の分裂とRPM―M/RPA創立過程への参加まで、フィリピン共産党および新人民軍(CPP―NPA)の一メンバーだった。彼は政治的、軍事的カードルとして、農民と田舎の貧しい者たちを防衛したがゆえに、そして麻薬取引に反対する活動、選挙期間中の当地政治家による票の買い取りに反対する活動、横暴な地主の手先になったならず者たちや取り巻きたちと対決する活動、ちなみにルベンは彼らを武装解除したのだが、そうしたことのゆえに当地の地主の中に数多くの敵を作った。

 ミンダナオ北西部におけるRPM―M/RPAの人気は、一九八〇年代はじめ(当時は毛沢東主義派の共産党の下で)に遡る。一九九四年の分裂後、新しい組織は首尾一貫して、専守防衛的な政治・軍事姿勢を採用してきた。彼らは軍に対するあらゆる攻撃的な作戦を止め、アロヨ政権の下ですぐに和平協議を始めた(二〇〇一―二〇一〇年)。

 現大統領のドゥテルテはフィリピン、特にミンダナオでの和平プロセスを再開すると約束した。警察と軍による攻撃、ルベンの暗殺は、この約束に反している。事実上これは、それ以前にRPM―M/RPAとの間で始められていた和平協議への違背だ。

 われわれはルベンの同志たちの深い悲しみを共にする。そして彼らにわれわれの心からの深い連帯を送る。

 超法規的な殺人がすでに数多くの犠牲者を生み出している以上、あらゆる進歩勢力と革命勢力を確実に支えるために、われわれは国際的連帯を必要としている。

(「インターナショナル・ビューポイント」二〇一七年三月号)