酒井講座 11月5日、アジア連帯講座は、文京区立アカデミー湯島で「ロシア革命― 革命的民主主義とプロレタリア権力」というテーマの講座を酒井与七さん(JRCL)を講師に招いて行った。

 来年はロシア革命100周年。資本主義の死の苦悶が続く現代において、その意義と継承すべき成果を探求していく契機の第一歩として講座を設定した。

 酒井さんは、その切り口としてトロツキーの永久革命論の成立プロセス、強調していたアプローチなどを①「マルクスとエンゲルスのヨーロッパ永久革命」②「トロツキーのプロレタリア永久革」③「1905年の第一次ロシア革命とトロツキーのロシア永久革命論の成立」④「1905年革命における革命的民主主義ブロック」⑤「トロツキー『総括と展望』と帝国主義時代におけるプロレタリア永久革命論」と整理し、各論分析、掘り下げた(講演要旨別掲)。

 講座の後半は、DVD「トロツキー伝」が上映された。
 「TROTSKY━革命の盛衰━(KULTUR社、米国)」は、以下のような内容で構成されている。

「①紹介/トロツキーの孫 エステバン・ボルコフがトロツキーの生活・襲撃時などを語る、メキシコの邸宅、撲殺後のベッドのトロツキー

 ②10月革命/武装蜂起、軍事革命委員会のトロツキー、レーニンとトロツキー

 ③トロツキーの生い立ち /1879.10.26 ヘルソン県イワノフカ村で生まれる

 ④トロツキー・ペトログラードソヴィエト議長/就任アジ演説など

 ⑤ウィーンにてスターリンとはじめての会議

 ⑥ロシア内戦

 ⑦第三インターナショナル

 ⑧クロンシュタット叛乱/鎮圧後のクロンシュタット

 ⑨勝利への試練 レーニン

 ⑩ソ連からの追放/アルマ・アタ到着1928.1.25

 ⑪わが生涯/トロツキーの演説 ほんもの声

 ⑫ヒトラーとスターリン

 ⑬メキシコシティー/リベラ、フリーダカーロなど登場、トロツキーのラジオ演
説の声とシーン

 ⑭暗殺/葬式

 ⑮メキシコ・トロツキー記念館」。
 

酒井与七さんの講演(要旨)

トロツキーの永久革命論 ― 革命的民主主義とプロレタリア権力


 1、マルクスとエンゲルスのヨーロッパ永久革命

 19世紀ヨーロッパ世界において民主主義革命を完遂することによって階級的な労働者革命にむけて急進することができるというマルクスとエンゲルスの近代的共産主義の立場は、さらに1848年 革命敗北の教訓として、労働者階級の運動が全政治革命において勝利的に前進することなしには全 ヨーロッパの民主主義革命も完遂されえないという結論にまで発展させられた。(『第二インターの革命論争』解説(1975年、 紀伊國屋書店、1~3頁) )

 トロツキーはこのような立場と方法を20世紀のヨーロッパとロシアにおいてつきすすめ、ロシア永久革命論という独自の綱領的立場に到達したのである。

 2、トロツキーのプロレタリア永久革命論とその3つの位相

 永久革命論に関するトロツキーの1929年の著作(トロツキー文庫『永続革命論』現代思潮社版) では、永久革命とされるものが3つの位相でとらえられている。

 すなわち、①帝国主義時代における民主主義革命を基盤にするプロレタリアートによる権力の獲得(いわゆる民主主義革命からプロレタリア革命への飛躍)、

②プロレタリア権力樹立後における社会主義にいたる長期の過渡的変革過程 (資本主義に対する長期にわたる過渡的社会革命過程 ― 社会主義にいたるまでの不断
の政治的・社 会的変革の過程としての反資本主義的過渡期)、

③一国または数ヵ国におけるプロレタリア革命の勝利から世界プロレタリア革命の完遂にいたるまでの国際的波及および相互影響の過程としてである。

 そして、社会主義にいたるまでの不断の政治的・社会的変革の過程としての反資本主義的過渡 期の展開は 世界プロレタリア革命の完遂にいたるまでの国際的過程に依存し、社会主義の達成は ただ国際的に世界規模においてのみ展望されうるとされる。

 トロツキーは、以上のような位相を包括するものとして永久革命または永続革命という概念を説明 している。

 3、1905年の第一次ロシア革命とトロツキーのロシア永久革命論の成立

 ロシア革命の性格とその展望をプロレタリア永久革命として構想するトロツキーの考え ― 永久革命の概念 ― は1905年の第一次ロシア革命をつうじて形成されるのであるが、1904年夏に出版されたトロツキーの『われわれの政治的任務』ではロシア革命について“2段階革命”論の立場が 依然として保持されていた。

 トロツキーの『1月9日以前』では、以上のように、プロレタリアートが階級的に主導する全人民 的政治ゼネストならびに武装蜂起によるツァーリ専制体制打倒と全人民的憲法制定会議の実現が展望 されていたが、しかし“臨時革命政府”の問題 ― 専制体制打倒後の革命権力とその階級的性格 の問題 ― はまだ提起され
ていなかった。

 ツァーリ専制権力に取って代わるべき革命的権力の問題が提起されるのは、専制体制の解体打倒を めざす政治的ゼネラル・ストライキと武装蜂起の実現とその勝利的成果としての臨時革命政府樹立の 問題が現実的課題として意識されることになる1905年初めであった。1905年の第一次ロシア革命は同年1月9[22]日の「血
の日曜日」をもって始まる。

 ここでは大衆的武装蜂起によるツァーリ専制政府の転覆と“われわれの政府”の樹立が呼びかけら れていて、こうして、現実の闘争展開をつうじてツァーリ専制権力打倒後の臨時革命政府の問題 ― 旧専制権力に取って代わるべき革命権力の問題が提起されたのである。

 まさにこのとき、メンシェビキは“専制権力打倒・革命政府樹立”に反対する立場をとったが、 そのメンシェビキについてトロツキーの「ロシア革命の3つの概念」で批判している。

 2つの党派の間で基本的不一致が始まったのはまさにこの点である。ボリシェビキは、ロシアのブ ルジョアジーが自分自身の革命を最後まで導くことができると認めることを断固として拒否した。”

 また1905年3~4月頃に書かれたレーニンの未発表手稿の「1879年型の革命家、1848 年型の革命か」には、ロシア革命とメンシェビキについて批判する記述がある。

 メンシェビキと異なり、革命をつうじて樹立されるべき臨時革命政府の問題について最初に鮮明な 立場を提示したのがパルヴスだった。パルヴスはトロツキー『1月9日以前』の序文を書いていて、その日付は“血の日曜日″の9日後になっている。

 1905年1月9日の労働者請願デモを主導したゲオルギー・ガポンは「血の日曜日」のうえで専 制政府打倒と武装蜂起の共同行動の呼びかけていて、レーニンはこれに積極的に呼応する「蜂起のための戦闘協定について」という文章を2月21日に発表している。

 レーニンは専制体制打倒の蜂起と民主主義的変革を実施すべき革命的臨時政府樹立が実 践的課題として現実的射程に入ってきていることを確認している。そして、民主主義的革命の全般的 課題を引き受けるべき臨時革命政府の政治的・階級的性格について、レーニンは“プロレタリアート と農民の革命的民主主義独裁”
として定式化したのである。レーニンは同年7月に『民主主義革命における社会民主党の二つの戦術』を発表し、労働者と農民 の革命的民主主義独裁の立場からロシア革命の戦略問題を詳細に論じ、メンシェビキを全面的に批判している。

 トロツキーがロシア革命における権力問題について自己の立場を確定し、パルヴスによる“労働者 民主主義の政府”の考えを跳躍台としてプロレタリア永久革命の展望を定式化したのは1905年夏 だった。

 4、1905年革命における革命的民主主義ブロック ― レーニン、ルクセンブルク、パルヴス、トロ ツキー

 1905年革命においてレーニン、ローザ・ルクセンブルク、パルヴス、トロツキーがカウツ キーをもふくめて基本的に“革命的民主主義”ブロックを形成し、全体としてメンシェヴィキに対立 していた。その基本的対立点は1905年のロシア革命におけるブルジョア自由主義派の政治的性格 の評価 ― ブルジョア自由主義派にたいして革命の政治的主導権を認めるか否かということについて であった。

 レーニン、ローザ・ルクセンブルク、パルヴス、トロツキー ― そしてカウツキー ― のあいだに 次の3点にわたる基本的一致点をみいだすことができる。

 すなわち、革命の当面する直接的性格としての民主主義革命、この革命における諸階級の基本的相 互関係、ロシア革命の国際的展望とプロレタリアートの社会主義的な階級的独立性などの諸点におい て、レーニン、パルヴス、ルクセンブルク、トロツキーはメンシェヴィキ派と対立するという点で共 通し、1905年のロシア革命において客観的に革命的民主主義ブロックを構成していた。

 だが彼ら の間には、一つの革命政党の内部において存在しうる様々な戦術的相違やロシア革命の究極的な綱領 的展望についての相違があった。

 ロシア革命の勝利にむけた綱領的展望にかんしては、ロシア民主主義革命の勝利は農民に支持されたプロレタリアートの独裁以外にはありえないし、そのプロレタリア独裁権力は都市の大工業にたいして反資本主義的な集産主義的手段をとるだろうと主張するトロツキーが他の3人から“孤立”して いた。

 他方、レーニンは、ロシア民主主義革命の勝利によって実現されるべき革命権力の階級的ならびに 政治的性格についてきわめて慎重で“抑制”的だった。専制体制打倒後の“権力は …… プロレタリ アートの手中に移るだろう”としたローザ・ルクセンブルクの考えは政治的にレーニンに非常の近 かったが、民主主義革命勝利の見通しについて最も慎重かつ“抑制”的だったといえるだろう。そし て、革命勝利後に“労働者民主主義の政府”を展望するパルヴスはレーニンとトロツキーの中間に位置し、カウツキーはロシア革命の展望についてパルヴスとトロツキーの中間に位置していたといえそうである。

 レーニンのロシア革命構想は、
①ツァーリ専制体制転覆後の革命権力を“プロレタ リアートと農民の革命的民主主義的独裁”であるとし、この革命権力はさしあたってブルジョア民主 主義革命の枠内にとどまらざるえないこと、しかしながら、

②労働者・農民の革命的民主主義独 裁として勝利的に実現されるロシア革命はヨーロッパ・プロレタリアートの革命的活性化の時期を切り開くだろうということ、そして

③ロシア・プロレタリアートの社会主義のための階級的闘争 ― プロレタリア革命 ― は西ヨーロッパ諸国プロレタリアートを主力とする国際社会主義革命の一環として展望することができるということによって構成されていたといえるだろう。

 このようなロシア革命構想からすると、レーニンはロシア革命の“革命的民主主義独裁”=ブルジョア民主主義革命段階を必ずしも固定的・教条主義的にとらえることなく、永久革命的モメントの 可能性を含めて考えていたように思われるし、以上のような構想は、その内容からして、独自のレー ニン版“永久革命”構想といえるかもしれない。

 5、トロツキー『総括と展望』と帝国主義時代におけるプロレタリア永久革命論

 トロツキーのロシア永久革命構想の基本的枠組みは、1905年『総括と展望』でまとめ、“永久革命論の3つの位相”という特徴を明らかに認めることができる。

 『総括と展望』の主張を“1905年ロシア永久革命論”といえるが、この時期の永久革命論の国 際的枠組みは、同書の第九章「ヨーロッパと革命」の結語から明らかなように資本主義ヨーロッパ だった。 また、一九〇五年ロシア永久革命論はその革命的労働者党建設において自然発生主義であった。こ のことについて、トロツキーの『永久革命論』(1929年) において革命的労働者党建設において“一種の社会革命的運命論”に陥っていたことを述べている。

 だが、 トロツキーの『永久革命論』(1929年)は『結果と展望』(1906年)のたんなる拡大延長 ではない。この2つのもののあいだには、一つの飛躍と一つの転換がある。『永久革命論』は資本主 義の帝国主義時代の意識的把握のうえに展開された反帝プロレタリア国際社会主義革命の理論と綱領 であり、そこには『結果と展望』からの重大な歴史的飛躍がある。また、1929年の『永久革命論』 はプロレタリア革命党組織論におけるトロツキーのレーニン的転換を明白に前提としているのである。

 「帝国主義と国際革命 ― 一国社会主義反対」については、 『レーニン死後の第三インターナショナル』一章、 『ヨーロッパとアメリカ』 で述べている。

 「帝国主義と植民地革命」については、「東洋における展望と任務 ― 東洋勤労者大学三周年記念講演」、 『レーニン死後の第三インターナショナル』3章、『永久革命論』で述べている。

 「プロレタリア独裁下における反資本主義的過渡期」については、ソ連共産党10大会トロツキー報告「産業 について」、「合同左翼反対派綱領」のソ連邦経済政策の部分『裏切られた革命』で述べている。

 最後に

 “3つの位相”とは別に、永久革命論に潜在的に含意されるものとして“国家をめぐる権力のため の闘争方法”という位相があると私は考えていて、“革命的民主主義と革命的民主主義とプロレタリ ア権力”というテーマは“国家をめぐる権力のための闘争方法”の問題になる。今後、このテーマを追求してみたい。