hk201607

94日に投開票が行われる香港立法会選挙が揺れている。


候補者受付は71629日の期間に行われたが、直前の714日に選管委員長が突如として立候補予定者に「確認書」への署名を求めた。

確認書は、香港基本法に定められている、香港は中国の一部である、基本法を順守する、香港は高度の自治と中央政府の直轄であること、などを立候補者が認めることを求めている。

この確認書は、直接的には2014年秋の雨傘運動ののちに社会勢力化した「本土派」(香港独立派)の立候補を拒否する口実である。本土派のなかには、立候補するために「確認書」への署名を行った立候補予定者もいたが、署名を拒否するものもいた。しかし結局は署名したものをふくめ香港民族党、民主進歩党、本土民主前線、保守党などの候補者6名が立候補を認められなかった。

2月に行われた補選で本土派の本土民主前線の梁天琦(香港大学大学院生、25歳)が予想を大きく上回り15%の得票率で惜敗したことに、中国政府が大きな危機感を持ち、9月の選挙では香港独立を掲げる本土派の立候補を阻止しようとしたとも考えられる。

雨傘運動を担った民主派からも、選管の「確認書」は政治主張によって立候補を認めない非民主的な手続きだという批判が上がり、民主派は、従来の汎民主派も、そして雨傘運動後に登場した民主自決派も一致団結してこの確認書への署名を拒否するとともに、本土派の立候補が認められなかったことに対しても、汎民主派(工党、公民党、民主党、公共専業聯盟、街工、民協、教協、人民力量、社会民主連線、社工復興運動)と民主自決派(香港衆志、朱凱廸、劉小麗)のそれぞれが連名で、民主主義擁護の立場から中国政府の意向を色濃く反映した選挙管理委員会の決定を批判している。

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2日に選管が開いた選挙説明会は、汎民主派、民主自決派、本土派の候補者らが会場内で抗議の声を上げ、壇上を占拠しようとしたり、会場で抗議の横断幕を掲げたりと大荒れに荒れた。メディアでは立候補が認められなかった一人、本土民主前線の梁天琦に注目が集まっている。

しかし選挙説明会で、最終的に説明会を中止(時間を繰り上げて終了)に追いやることに成功したのは、最初に壇上に駆け上った香港衆志(Demosisto)の羅冠聡であり、「香港自決」のプラカードを掲げた朱凱廸であり、多数の警官に囲まれて会場から排除されながらも最後まで政治的選別反対を訴え続けた劉小麗ら「香港自決」のプラカードを掲げた民主自決派の若い候補者たちの奮闘によるものだ。

在香港のメディアをふくめ多くのメディアは、本土派の動向のみを報道している。これは中国政府の世論操作にとっても都合のいい報道ぶりといえなくもない。つまり問題の核心を批判する民主自決派ではなく、ほとんど中身のない主張しか持たない排外的本土派のみが取り上げられることになるからだ。

以下は、「確認書」を巡る本土派の立場を批判した選民決起(今回の選挙にあわせて作られた民主自決派のひとつ)の文章、そして2月はじめの旧暦正月に発生した暴動における梁天琦の言動を批判した區龍宇の文章を翻訳紹介する。

本土派の立候補を認めない選挙管理委員会の政治的選別を批判した民主自決派の声明も追って翻訳紹介したい。(早野)


「確認書」は妖魔鏡 本土派は朝令暮改

《選民起義》政制組

原文


選挙管理委員会の確認書が、候補者に対して香港基本法を擁護するよう求めているが、明らかに香港独立派の立候補を拒否するためではないか。このような要求は、選管がまちがいなく中国政府の手先であることを暴露したにすぎない。しかし外国でも違憲行為という認定はあるが、「違憲言論」という表現など見たことなどない!中国政府自身の違憲行為には枚挙にいとまがない。たとえば1976年の四人組打倒は明らかにクーデーターであり、明らかに憲法違反であるが、現在の中国政府は共和国を救った英雄行為と考えている。

他方、中国政府は「違憲言論」を理由に言論の自由を弾圧しているが、その禍はいま香港にまで蔓延しようとしている。「違憲言論」という罪状で香港独立派を弾圧しようとしているのだ。どこの文明世界で「違憲言論」なる罪が成立するというのだ!どんな憲法でもどんな法律でも、その行為を追及するのであって、言論を追するものではない。たとえば上映中の映画館で「火事だ!」とウソの危険を大声で叫ぶというような、直接的に人々を扇動するような危険なものではなく、一般的な政治的見解であるのなら、それが香港独立であろうと、自由に発表できるべきである。そこにはもちろん政府打倒という主張も含まれるべきである。

実際、19世紀以降、欧州の多くで「革命」を主張する左翼あるいは右翼の政党が存在し、支配階級もその革命的言論を尊重せざるを得ず、その主張をもって「違憲」であるとは言えなくなっていた。イギリス植民地下の香港においても、1970年代以降は、内外の圧力によってこの自由主義の原則に従わざるを得なくなり、香港独立団体や左翼革命団体を認めることになった。イギリスさえも認めたことを、中国政府は認めることができないのである。

ましてや、憲法がまず制限するのは市民ではなく政府権力に対してである!主権在民!独裁者よ、中国政府よ、公安どもよ、そして香港行政長官よ、君たちは至る所で基本法が香港に付与している自治権に違反した行為を重ねているではないか。君たちこそが法廷に送られなければならない!

ところで、確認書は香港政府の醜悪さを映し出しただけではない。それはまたもう一つ別の妖魔をも映し出している。その妖魔とは本土派(※)である!本土派は次々に立候補を申請しており、次々に確認書に署名している。その一方で、多くの汎民主派政党の立候補予定者は確認書への署名を拒否している。極めて興味深い対比である。

本土派の言論を分析することに時間を費やすのは無駄であることは、これまでと変わらない。常に言うことが変わるからだ。しかしただ一人、陳雲[城邦派の学者]の主張は一貫している。それは「基本法はいいものである」「基本法が永遠に続くように」という体制派とおなじような主張のことである。かれは早くから著書『城邦論』(ポリス論)のなかで、特別行政長官でさえも香港からの推薦によってえらばれることなどを挙げて、基本法が香港に極めて高い高度の自治を付与していると主張していた。

しかしその主張はまったく取るに足らない!中国では省長は省人民大会[省議会]での選挙を経たのちに就任するのであり、副省長でさえも中央政府が委任するのではない。陳雲は基本法に対する根本的な批判を行ってはいない。それはポリス論がいっけん急進的な主張であるかにみえるが、実際には中央政府にとって都合のいいものであることを物語っている。

基本法は香港人による自治権に違反していることは、誰もが知っている。

基本法の第8章では、基本法の解釈権と改正権は中央政府にあるとされており、香港人の権利を奪うものである。

同法18条においては、中央政府はいつでも香港における緊急事態を宣言することができ、中国本土の法律を香港において実施することができるとされている。「まず香港政府に諮問したのちに」という穏健な規定でさえも無視できるのである。これは香港の自治権の消滅と同じである。

第4章の普通選挙に関する条項は、秩序ある漸進で実現すると明記されているが、具体的な期日はなく、その結果、中国政府は無期限にそれを延期することができる。

このような基本法を、永続させる必要があるのか? 国師[陳雲のあだ名:訳注]の主張がこれどほ奇妙奇天烈にもかかわらず、「全民衆による憲法制定」という別のアイデアを提起している黄毓民と熱血公民[前者は普羅政治学院という一人会派の本土派の立法議員、後者は雨傘運動で社会化した排外的本土派の団体:訳注]は、陳雲の当選を支援することに何ら矛盾も感じていないとは、なんたるでたらめ! 三者はさらに選挙管理委員会の「確認書」に署名をして、基本法を擁護することに同意しているのだ。さんざん主張してきた「建国」はどうなったのか? 永遠のご都合主義である。ライバル[民主派]の主張はすべて否定しながら、移り気な自分たちの立場はすべて肯定する。完全に終わってる。

2016728

※訳注:原文では熱・普・城=熱血公民、普羅政治学苑、城邦派の三つの本土派団体の総称だが、ここでは便宜上、「本土派」と翻訳する。本土派のなかでも香港民族党など確認書を提出していない団体もある。




洪秀全をまとった梁天琦

區龍宇
2016219

原文

中国大陸はすでにある種の局面に突入している。魯迅のいうところの「机をひとつ動かすとか、ストーブをひとつ取りかえるのですら、血をみなければ済まない」である。時代は革命を呼んでいる(原注1)。香港もそこから無縁であることは難しいだろう。

しかし革命にもいろんな種類がある。民主主義革命もあれば、別な朝廷の誕生を繰り返すだけの義和団式の革命もある。


◎ 民主主義革命なのか義和団式の革命なのか?

汎民主派は革命と聞くだけで席を立つ。しかし実際のところ、かれらの教義の教祖であるジョン・ロックも人民に革命権があることに賛成していたことを忘れているようだ。アメリカの独立宣言でもこの点が強調されている。西欧のほとんどすべての代議制民主主義はすべて革命を経たものである。一部のリベラリストは、イギリスの1688年の無血の「名誉革命」をよく話題にするのだが、1640年の流血の清教徒革命については語ろうとしないのは不誠実と言える。1640年の革命がなければ1688年の革命がどうして起こりえただろうか。

民主主義革命の核心は、独裁を民主平等の制度に替えることであり、その逆ではない。だが梁天琦は革命を高く掲げてはいるが、それは民主主義革命ではなく、洪秀全や義和団式の革命なのである。それは民主主義をもたらすのではなく、独裁と暴力の循環をもたらすだけである。

◎「死ぬくらいなら共産主義のほうがまし」

梁は「抵抗無限界」論を新たに解釈してこう述べている。「いかなる代償もいとわない」と(原注2)。「節を曲げるくらいなら玉砕を選ぶ」ということか、ははは! いかにも武闘派らしい。だがそれは民主主義革命の路線なのか。そうではない。冷戦がピークだったころ、両陣営の支配階級は「節を曲げるくらいなら玉砕を選ぶ」の戦略、つまりMAD mutually assured destruction(相互確証破壊)という、最終的に全滅することさえ厭わない核兵器戦略である。だが西側の左翼および平和運動(哲学者ラッセルをふくむ)は核兵器に反対し、better red than dead(核兵器で死ぬくらいなら共産主義のほうがまし)というスローガンを掲げた。核戦争は人類と文明をすべて破壊する。そのような代償を払うことはできない。愚か者だけがそのような代償を厭わない。(原注3)

さらに気がかりなのは、「節を曲げるくらいなら玉砕を選ぶ」と叫んでおきながら、大衆がそれに呼応したときに、一番最初に逃げ出したのが当の本人であったということである。いったいどういうことなのか。黄台仰がまさにそのような行動をとったのでなかったか[本土民主派前線スポークスパーソンの黄台仰は29日未明に同組織が呼びかけた旺角行動での警察との衝突直前にこのスローガンを叫んで行方をくらまし、後日友人宅に潜伏しているところを逮捕された]。

梁と黄は別人であるが、諸君ら本土民主前線は、その時々で主張が違い、結局のところどれを信じればいいのだ(原注4)。Talk is cheap(言うは易し)というふうに、口だけなら何とでもいえるということを諸君ら自身がよくわかっている。

◎ 対等の暴力は、暴力を以て暴力に代えるだけ

梁は、彼らの限度が「警察に対して対等の武力を用いる」ことだと説明する。まったくおかしな言いぐさである。警察が持っているのは棍棒とピストルだけではない。その後ろには解放軍の戦車と機関銃が待ち構えているのである。諸君らに聞きたい。そのような兵器を準備して戦争を発動しようとでもいうのか? もしもそうなら、そうとはっきりと言うべきだろう。もしそうでないとすれば、単なるホラ話にすぎない。あるいは諸君らはこういうかもしれない。そのように明言することは得策ではない、と。

だが本当にそうであろうか。革命派はそうであってはならない。軍事的準備はもちろん公に語ることは難しい。だが政治的には、革命派は軍事的手段を採用することを公然と説明することができるし、また説明しなければならない。孫文もそうであったし、キューバのカストロとゲバラもそうである。旧正月の露天商の営業にかこつけるゲスの極みなどもってのほかではないか。

◎ 暴力の乱用を阻止する革命家

梁の問題は、革命を暴力と同一視していることである。洪秀全[清末の太平天国の乱の指導者]や義和団の「革命」だけだそのような考えに一致することがわからないらしい。西欧の民主主義革命家も武力で独裁者を駆逐することを畏れなかったし、英リチャード一世と仏ルイ十六世はともに断頭台に送った。しかし民主主義革命における武装闘争は、無原則とは無縁であり、対等の武力を云々するものでもなかった。それとは全く逆に以下の原則を堅持した。


1、武力は目的ではなく、あくまで手段であった。手段であるので、最高原則ではなく、さらに重要な原則、つまり民主主義の趣旨に符合するかどうかが、その運用の可否の判断材料となった。重要なのは、「対等な武力」が必要なのではなく、それで目的を達成することができるかどうかである。

2、武力を手段とする場合も、それは非常用手段であり、その巨大な副作用、つまり敵を破壊するが、往々にして自らも破壊される。ひどい場合には、敵は無傷で自分だけが被害を受けることもある。それゆえ民主主義革命は暴力を賞賛あるいは崇拝することは絶対になく、一時的で必要な場合――特に自衛――のみの手段であると見なしてきた。

3、いわゆる「一時的」については、十分な根拠が必要であり、それは理性的に証明されなければならず、大声や攻撃的な主張に依拠してはならない。

4、民主主義革命は武力を用いた自衛の原則を根本から否定するものではないが、それを万能薬とはみなさず、時と場合を考えて用いる。武力は特殊な情勢下においてのみ使用することが考慮される。

5、大衆の一時の衝動は、自衛の際に過度に武力が用いられることはよくあることだが、よくあることとそれを承認することは同じではない。

以上のことから、結論は以下のようになるだろう。

1、革命と武装闘争は同じではない

2、武装闘争はただ特殊な状況においてのみ、限定的に使用すべきであり、洪秀全や義和団を模倣するのでない限り「武装闘争に限界はない」あるいは「対等の暴力」ということであってはならない。洪秀全や義和団のような輩は、武力を用いる際には限界を設定せず、その赴くがままに任せるのだが、それは報復することでうっぷんを晴らす心理に他ならない。そのような「革命」は暴力を以て暴力に代えるだけである。

梁天琦はさらにこんな発言をしている。警察に対して対等の武力を用いるかどうかは民衆がきめる、と。これほど狡猾な発言もないだろう。

私はこの発言を聞いて全く逆の立場にたったロシアの革命家、トロツキーを思い出した。19177月、すでに帝政は打倒されていたが、人民は「平和、パン、土地、憲法制定議会」を要求していた。臨時政府が絶望的な対独戦争を継続したこともあり、ある日、臨時政府の農業大臣、チェルノフが街頭で民衆に取り囲まれ殴打され、彼を殺せという声が上がった。その場にいあわせたトロツキーは声を上げて飛び出した。彼は「民衆が決めること」と叫んだのだろうか。同じくその場に居合わせた彼の政敵、スハーノフは次のように描写している。

「見わたすかぎり、群衆は激昂していた。……トロツキーが演説をはじめても、群衆は静まらなかった。もしだれかが挑発者が、この瞬間、この付近のどこかで一発発砲したら、それこそ恐るべき流血の惨事がおこったろう。彼らはトロツキーもろとも、われわれ全部を八つ裂きにしてしまったろう。かれはこういった。『…諸君は、革命を脅かす危険の報道を聞くやいなや、ただちにここへ駆けつけてきた。…だが、なぜ諸君は諸君自身の目的を傷つけなくてはならないのか? なぜ諸君はでたらめに個人につまらぬ暴力をくわえて、諸君の記録をくもらせ、汚さなくてはならぬのか?諸君はすべて革命への献身をしめしてきた。諸君は一人のこらず革命のために生命をすてる用意ができている。わたくしはそれを知っている。同志、きみの手をわたくしにあたえよ!』……ついに、トロツキーは群衆にむかってチェルノフに暴力がくわえられることをのぞむものは、ハッキリ手をあげよ、といった。手は一本もあがらなかった。しーんと静まりかえっているなかで、彼はいまは半ば気を失っているチェルノフの腕をとって、王宮のなかへつれこんだ。」(原注5)

これこそ革命家とエセ革命家との違いである。

(原注
1)中国の知識分子の一部は、かつては絶対的非暴力の信者であったが、現在『革命にもどる――中国の大転換を前にした激論』という本が出版されており、そこでは革命が主張されており、情勢と気分の変化が始まっていることを反映している。

(原注2)「梁天琦:抗争抱「対等武力」原則 楊岳橋:堅持非暴力 理解旺角抗争者」、立場新聞。


(原注3)雨傘運動の期間中、右派は「共産主義になるくらいなら死んだほうがましだ」とヤジを飛ばしていた。厳密に言えば、特定の状況下においては、二つの悪い選択肢がある場合、より損害が少ない方をえらぶのだが、それよりも別の解決にむけた正しい選択肢をえらぶことのほうが多いのである。前者を選ぶからといって後者を否定することはできない。しかしこの時のディスカッションでは「いかなる犠牲もいとわない」論の危険性が明らかにされたといえる。

原注4)旧正月の旺角での警察と民衆に関しては、筆者の「禍根北京種、磚頭為誰飛?」を参照[未訳]。

(原注5)「武裝的先知-先知三部曲」、伊薩克・多伊徹、中央編訳社、第一冊、1998302-3頁。