三里塚闘争50年の集い7.17東京集会のご案内

主催:三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人・柳川秀夫)

    語り 柳川秀夫さん(代表世話人)
       石井紀子さん(成田市川上、農業)
       平野靖識さん(三里塚らっきょう工場)
    講演 加瀬勉さん(三里塚大地共有委員会[Ⅱ])

  上映:「抵抗の大地」(1971年強制代執行阻止闘争の記録)

◦日時:7月17日(日)/開場・正午/映画・12時半
                     トーク開始・午後1時
◦場所:文京シビックセンター26F・スカイホール
         (地図2頁/地下鉄後楽園駅・春日駅)
◦資料費:500円
◦賛同募集 個人1000円 団体2000円
 振替口座 00290─1─100426 大地共有委員会(2) 
 通信欄に「集会賛同」と明記してください。
◦主催:三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人・柳川秀夫)
連絡先:千葉県山武郡芝山町香山新田90-5/電話:FAX0479-78-8101

71916 呼びかけ

 1966年7月4日、政府は地元に事前に一切知らせることなく、突然三里塚の地に空港を建設することを閣議決定しました。政府は農民など金で簡単に立ち退かせる事ができると考えていたのです。こうした農民蔑視の政府のやり方に対して、三里塚農民は空港反対同盟を結成して自らの生活・農業を守るために立ち上がりました。

 「国策」としての空港建設に刃向かう農民に対して政府は国家権力の暴力装置である警察機動隊を全面に立て、農民を排際して空港建設を強行してきました。

 三里塚農民はこうした政府・公団の強権的なやり方に村ぐるみ、家族ぐるみの体を張った闘いを展開しました。こうした闘いは民衆の正義、民主主義とは何かという問題を突き付け、多くの労働者・学生・市民が三里塚に駆けつけ、共に反権力実力闘争を闘いました。

 また、世界的にもベトナム反戦闘争やパレスチナ人民の解放闘争、フランスのラルザックの空港反対の闘いをはじめとする民衆の闘いとも連帯と共感を作り出してきました。

 現在、安倍右翼政権のもとで人民の生活や権利はますます後退させられ、戦争する国家体制の構築が進められています。三里塚の闘いは今こそ大きな意義をもっています。

 三里塚ではいまだに当初計画された空港は完成させていないのです。これは多くの犠牲を払った50年に及ぶ農民・人民の闘いの成果です。こうした成果や生活、権利、民主主義も闘い続けることによってしか守ることはできません。それが三里塚闘争の教訓でもあります。

 政府・空港公団は1991年からおこなわれた「成田シンポジウム・円卓会議」をうけて「これまでの強権的やり方は間違っていた」と全面的に謝罪し、「これからは地元との話し会いによって問題の解決を図る」と確約しました。しかし、それ以降も約束を反故にし、地元を無視して平行滑走路の建設、供用、延長を強行し、今回第3滑走路の建設を画策しています。利潤の追求のみを目的とした空港機能の拡張はとまることがありません。闘いは続いているのです。 
                                                
 ここで再度、三里塚闘争の普遍的な意義を確認し、闘いを前進させていこうではありませんか。

  三里塚現地からのアピール

柳川秀夫(代表世話人)

 50年前、国によって有無もなく空港は決められた。

 生活と農地を守るため反対を続けてゆくには実力阻止の道しかなく、結果、対決のエスカレートは必然のことであった。戦争の論理に当てはめて阻止の方針を考えてゆくと物事が見え、適切な闘い方が見えてくる事態でもあった。

 また、このような闘いは流血の犠牲を伴うことでもあり、個々それぞれが参加し続けるには、何故そこまでして空港に反対するのか、その意味は常に自らに問い続けることでもあった。

 体を張って農地を守る船出は長い道のりで何故という問いと共に、単に土地を守ることではなく土を守るという考え方を厳しい闘いは教えてくれた。

 現代社会は空港を限りなく拡大してゆく方向が相も変わらないように、消費を際限なく拡大してゆく経済成長が続けられ、この社会の仕組みは変革なしには変わることは出来ない事柄でもある。

 結果、深刻な課題となっている「持続可能な」ということと、闘いの中で生まれた土を守るということは同義である。

 1971年、第一次代執行時、駒井野の地に立てられた世直しの筵旗は今もはためいている。

加瀬勉(大地共有委員会[Ⅱ]代表)

 三里塚反対同盟は全国の住民運動と連帯・共闘してきました。人間の命の尊厳、一切の価値を生み出す生産と労働、大自然は絶対に侵してはならないし、破壊してはなりません。国家権力はそれを侵し、破壊し、強奪し金と物に置き換えることを国家の政治の理念としてきました。人間の尊厳よりも金と物を最高の価値とする国家を人間と自然が共存する国家にしていかなければなりません。

 三里塚では多くの村がコンクリートの下に埋められました。騒音地帯で廃墟になった三里塚の村々、福島で原発で廃墟になったむら村、村を追われた人々と三里塚の農民の運命がかさなります。沖縄辺野古で基地建設の強行の現実が三里塚闘争と重なってきます。戦争法反対、絶対あきらめない闘争の持続と50年の歳月を国家権力に屈することなく闘い続けてきた三里塚闘争が重なってきます。日本人民の闘争の熱い思いを共有していきたいと思います。

 三里塚では第3滑走路建設計画が浮上してきました。国家権力は着々と陰謀を組んでいますが、初心に返って闘いに挑んでゆく決意です。

石井紀子(成田市川上・農業)

 反対同盟は半世紀にわたって闘い続け、しかもまだ闘いは終わってはいないのです。

 飛行機が何万回飛んでも畑を手離す人がいても、この地に生きて農に携わる人が居る限り闘いは終わらないのです。

 空港会社は更なる拡張、拡張と騒いでいますが、拡張の行き着く所はどこなのでしょうか。

 チョウチョウのいない春、トンボのいない秋、春なのに夏のように暑い昼、寒い夜、何かとてつもない変化が地球規模で起きているような気がします。人間の過剰な文明がもたらした災厄なのでしょう。

 空港会社はそのことに気づかず自分の首をしめるばかりか、大勢の人の首をしめているのです。これ以上の拡張を許すことはできません。

 みんなの力で第3滑走路を止めましょう!

平野靖識(三里塚らっきょう工場)

 ナリタは日本の民主主義の砦。

 50年前、理不尽に位置決定され、力ずくで建設された成田空港は、代執行阻止、管制塔占拠・破壊などの実力闘争の末、政府・空港公団(当時)を言論戦の場に引きずり出し、その全過程が民主的でなかったと謝らせました(空港問題シンポジウム/円卓会議)。円卓会議では空港問題の平和解決の方向も示され、国・県・公団も合意しました(隅谷調査団最終所見)。

 しかしその後、国交省・空港会社はこの合意を踏みにじり、地域のコンセンサスを得ぬまま、2本目の滑走路の建設と供用を進めました。今、平和解決へのプロセスは見失われ、地域は騒音地獄に置かれています。

 ナリタの経験は民主主義は闘いなしには達成できず、その成果も闘いなしに維持できないことを教えています。ナリタの内外に総反動の風が吹いていますが、50年守り抜いた土地と人々のネットワークで、民主主義の闘いを推し進めたいものです。これからもナリタは民主主義の砦です。