無題(画像はクルディスタン北部-トルコ南部のクルド住民自衛部隊YPS)


自由と尊厳をもって生きぬくために闘うクルド人民の闘争を支援する

第四インターナショナル書記局

二〇一六年三月九日



 第四インターナショナル書記局は、三月二日の国際委員会会合の委託を受けて、以下の声明を発表した。



 

1 クルディスタン労働者党(PKK)の指導者アブドゥラー・オジャランとの二年間にわたる交渉の末、エルドアン(トルコ大統領)のスンニ派権威主義・新自由主義・イスラム主義政権は、二〇一五年夏以後、クルド民衆に対する血ぬられた戦争を再開すると決定した。しかしこの夏は、六月七日の選挙結果による民衆の大きな希望をもって始まった。HDP(人民民主党――クルド人の統一した左翼改良主義政党)が得票を倍増させ、かつてないような一三%の票を獲得したのである。

そのためAKP(公正発展党、エルドアンの与党)は、国家機構の分野での支配をこわすことになりうる連立政権の形成を余儀なくされた。さらにこの選挙結果は、憲法を改変し、R・T・エルドアンが求めていた専制的大統領制――その下で、彼はスルタンになりうる――をもたらすのに必要な議席数に達することを妨げるものだった。



2 エルドアンは、すでに二〇一五年三月初めには、進行しているように見られたAKPの得票の減少を押しとどめるために強硬路線的民族主義への転換を開始し、交渉に敵対的な極右の方向に向かっていたが、それはなによりもダーイシュ/イスラム国に包囲されたコバニの抵抗運動を支持する二〇一四年一〇月の暴動への恐怖によるものだった。

クルド人大衆のこの怒りの爆発は、「和平交渉」の枠組みの中で、AKPが具体的な措置を講じるのを拒否していることに対する、つもり重なった失望に基づいていた。この怒りは、AKPはダーイシュを支持しているという、広く共有されていた確信から生まれた怒りと混ざり合っていた。その確信とは、イスラム国のジハーディストが、長年にわたりなんの統制も受けずにトルコとイラクの国境を双方向から通過できており、国境近くの病院で健康診断を受ける便益を持っていたという事実に基づいていた。

そしてわれわれは、トルコの政権がつねに隣人としてクルドよりもダーイシュの方を好んでおり、今でも明らかにそうであるということを知っている。最後に、エルドアンは「クルド問題は存在しない」と宣言してオジャランとの面会を禁止し、事実上二〇一三年春に宣言した交渉の道筋を停止してしまったのである。



3 議会選挙の結果に不満をつのらせたAKPは、エルドアンの支援の下で早期の再選挙を呼びかけた。しかしHDPの弱体化が、AKPが次の選挙の勝者になるための必要条件であった。スルチでの爆弾攻撃でダーイシュが非難され、そしてすぐその後にPKKの「地域部隊」による報復が二人の警官の死を引き起こした、というきわめて疑わしいやり方で、クルドへの戦争が再開される機会が提供された(訳注:このテロ事件については本紙昨年一〇月一九日号7面記事参照)。そのようにして「テロリスト組織」の合法部門と見なされたHDPが犯罪組織とされたのである。

すべての社会的・政治的抗議に対する暴力的弾圧、反対派報道の犯罪化、クルド人へのポグロム(集団的虐殺)の気運を伴う内戦の気運は、ついにその結果を生み出すことになった。AKPは早々と行われた二〇一五年一一月一日の選挙で容易に勝利したのである(訳注:この選挙結果については本紙昨年一二月一四日号7面参照)。



4 それ以来、テロ体制が現実のものとなった。エルドアンの党―国家体制は、トルコ内クルディスタンのすべての抗議と抵抗を粉砕するために、警察や憲兵隊と結びついた公然たるファシスト・イスラム主義者の「反テロ軍団」を動員した。

PKKと結びついた(しかし直接の統制下にあるわけではない)若いクルド人都市民兵部隊が「民主的自治」を宣言しているディヤルバクル、マルディン、スルナック、ハッカリなどさまざまな都市の各地域では、数カ月間にわたり夜間外出禁止令が出され、軍の戦車や装甲車両による包囲と破壊の下で、飢餓に直面している。その一部は完全に焼かれて識別不能になっている数百の死体が瓦礫の下に横たわり、一〇万人以上の住民が家から逃れなければならなかった。

トルコ人権基金の数字によれば、二〇一五年八月中旬から二〇一六年二月初旬までの間に二二四人の市民(四二人の子どもを含む)、四一四人の活動家、一九八人の警官と軍人が死亡した。



5 闘いを山岳部から都市に移すというPKKとYDG-H(革命的青年愛国運動)の選択――オジャランの当初の勧告に反して――は、もちろんのこと戦術に関する幾つかの討論を引き起こした。この衝突の気運は、HDPの民主主義的で戦闘的で平和志向のメッセージに耳を傾ける可能性をはっきりと弱めることになった。しかしかれらHDPは、クルド人の枠を超えて、エルドアンの独裁への衝動と社会をイスラム化するという国家的策謀に反対する住民の広範な層へのヘゲモニー的極として、自らを押し出すことに成功したのである。

 しかし悲劇の責任が、エルドアン体制と、みずからの権力の強化のためにクルド人に関する別の政策をその道具とするやり方にあることは明らかである。さらにエルドアンの政策は、双方の側の民族主義的感情に油を注ぎ、両民族が共に生きる可能性を深刻に掘り崩している。

 われわれはエルドアン政権とAKPの好戦的政策を非難する。われわれはトルコ国家が、虐殺を終わらせ、クルド人の都市に行っている夜間外出禁止令や封鎖を解除するよう要求する。またわれわれは、男女の人権侵害の責任者を特定し、有罪判決を下すよう要求する。

 われわれはトルコ国家が、オジャランの独房への隔離を終わらせ、永続する平和への条件を確立するためにクルド人運動のさまざまな勢力との交渉を再開するよう求める。それはクルド人の民主的・社会的要求に合致することによってのみ永続する平和を達成できるのだ。

 われわれはまた、西側帝国主義、とりわけ欧州連合の共謀を非難する。EUは移民の波――その責任の一部はかれらにある――に恐怖し、トルコが巨大な難民収容キャンプになることを受け入れるという条件で――そんなことはありえないのだが――抑圧・虐殺の体制と共存しようとしている。われわれは欧州のクルド人運動への迫害と法的告訴を終わらせるよう求める。PKKは欧州においても、どこにおいても「テロ組織」リストから取り除かれなければならない。

 われわれは尊厳を持って生きるためのクルド人の闘い、国家機構によって前代未聞の犯罪組織化攻撃を受けているHDP、ラディカル左翼活動家、平和と人権擁護活動家、エルドアンの民族主義的・宗教的・権威主義的体制に訴追されている学者やジャーナリストへの支援を表明する。



6 トルコ国家がクルド人の運動に対して行っている戦争は、PKKの戦略と同様に、今や主要にはシリアで起こっている事態の展開によって決定されている。PKKにとっては北部シリア(ロジャバ)の兄弟党であるPYD(民主連合党)の支配を通した行政の確立と拡大が、トルコ国家との交渉を通じて獲得できる成果よりもはるかに重要である。とりわけPKKの歴史的競争相手であるバルザーニの封建主義的・親米路線から、四カ国(イラン、イラク、トルコ、シリア)に分割されたクルド人へのヘゲモニーを取り戻すという観点からもそう言えるのである。

 トルコにとっては中東における地域的覇権国家になろうとする目的から、シリアの民衆決起が始まって以来、エルドアンは最初の数カ月、政権とムスリム同胞団との間の交渉を追求した。その後、その外交政策の中心は、アル―アサド政権の急速な打倒を計算に入れて、シリア問題への積極的関与に移った。

 トルコは、その目的のために最初はムスリミ同胞団とリベラルな反対派が支配するシリア国民評議会を支援し、アサド体制の暴力的な圧力に抗して決起の軍事化を進めたが、ダーイシュをふくむさまざまなジハーディスト集団への直接的・間接的なさまざまのレベル(政治、財政、物資調達、軍事、医療)での支援をもためらうことはなかった。



7 エルドアン政権がシリアのアル―アサド政権を打倒する戦いに関与している主要な理由の一つは、トルコ・シリア国境地帯に強力なクルド人住民が存在していることである。帝国主義が二〇〇三年に侵攻して以後、イラク北部にクルド人の地域行政機構が形成されたことは、トルコ国家が経験した最も目立った政治的トラウマの一つであったことは疑いない。

 かくして、シリアでの体制転換に続いて同じようなシナリオを見るはめになってしまう恐怖こそ、トルコ政府をシリアの危機に介入するよう押しやった要因である。しかし二〇一二年七月にシリアのクルド人地域から政権の武装部隊が後退するや、情勢はさらに危機的となった。PYD(民主統一党;シリアのクルド人政党)はトルコとの国境に近いこの地域の支配権を握ることに成功し、後にはこの地域の自治を宣言するに至ったのだ。

 現在トルコ政府は、トルコとシリアの国境封鎖を実施し、トルコならびに海外で組織されたロジャバ(北部シリアのクルド人)との連帯の努力を妨害している。われわれは、弾圧に反対し、封鎖反対のキャンペーンを行う市民的イニシアチブを失敗させようとする政府による国境管理の実施を非難する。



8 二〇〇三年にPKKの中に脱中央集権の流れが生まれる中で、PYDは今でもアブドゥラー・オジャランのイデオロギー的・政治的指導性を認めている。「ロジャバ革命」を受けて、ジャジラ、アフリン、コバニの三つの地域の行政組織は、オジャランの「民主的自治主義」(あるいは「民主的連邦主義」)の戦略を実施する企図を代表するものとなっている。それはPKKのかつてのマルクス・レーニン主義への固執(一九九〇年代初頭にそれは放棄された)に代わるものと考えられている。

二〇一三年一月に宣言されたロジャバ憲章は、民主主義、非宗教、多元的文化主義の原則に基礎づけられたものであり、深いエコロジー的感覚を特徴としている。女性の権利、エスニック的・宗教的少数派の権利の強調は、シリアのカオス状況の中ではとりわけ強い感動を与えるものだ。そして地域においては不安定さが広がっているにもかかわらず、これらの約束は、完全に棚上げされているわけではない。もっと先に進めるべきであるのは当然だが。

しかしこの独自で進歩的な自己統治の経験の中で、政治的複数主義は実際のところ不在となっている。ロジャバでの強力な歴史的存在の実績を持たないPYDは、亡命先であるイラクのクルド人地域から帰還して以後、ヘゲモニーを回復することに成功した。その多くはかれらの軍事力(YPG=人民防衛隊)に負っている。YPGはさまざまなクルド民族主義の地域的潮流であろうと、革命的決起に深く関わった若いクルド人の民主主義的ネットワークであろうと、軍事力を使って鎮圧することをためらわなかった。われわれは、またハッサケ、カミチなど特定の町で、自治宣言の後にもアサド政権がその勢力を保持し続けていることも付け加えなければならない。



9 現在、PYDとYPGは、ダーイシュの暴虐に対するコバニ(そこではトルコの革命組織、自由シリア軍、イラクのクルド人グループのペシュメルガも参加していた)の英雄的レジスタンスのおかげで、国際的に大きな名声を得ている。



PYDのこの地域でのポジションと戦闘における効率性は、逆説的なことに彼らを、一方では米国の、他方ではロシアの特権的な盟友に仕立て上げている。米国はもともと大きな責任を負うべきシリアのカオスという泥沼に巻き込まれたくないのであり、またロシアは二〇一五年九月三〇日以来、アル―アサドの血ぬられた政権、イラン、そしてレバノンのヒズボラの側に立ってこの地域での支配力を増大させるために紛争への軍事的介入を進めてきた。

しかしエルドアンはどんなことがあってもアザスからジャラブルスに広がる地域――その多くはダーイシュの支配下にある――がPYD―PKKの手に落ちることを阻止しようとしている。なぜならそこは、シリアとの国境地帯において、現在クルド人勢力が支配していない唯一の場所だからである。

こうして、その主要な構成組織がYPGであるシリア民主主義勢力(SDF)は、ロシアによる空爆の支援を得て、さまざまなジハーディスト集団――ダーイシュ、エル・ヌスラ、アフラル・エルシャムなど――、そしてサウジアラビア、トルコ、カタールが武器を与えて支援している、いわゆる穏健なサラフィスト集団とのきわめて効果的な戦闘を行っている。しかしSDF軍のこうした前進と勝利は、プラグマティックな同盟政策ゆえに矛盾に直面している。かれらは体制側と手をたずさえるか、あるいは「敵」の領地をどちらが早く占領するかを競争している自らを見いだすことになるからである。

さらに、政権側から解放した地域でのサラフィスト―ジハーディストによる支配の結果として、また前者(サラフィスト)の自由シリア軍(FSA)との相互浸透の結果として、SDFそしてYPGは、FSAならびに不均質な地方的反乱軍事組織との衝突に入ることがしばしばであり、地方の住民がかれら(SDF、YPG)を政権の側に立っていると見なすリスクを増大させる。

さらに特定の地域でのアラブ人住民の追放に対する非難は、幾つかの報告と証言に基づいて、YPGへの批判となり、また北部シリア地域での民族的緊張を背景にしてPYDへの疑惑の感情を強めている。それはアラブとクルドの間での緊張として、数十年の歴史を持つものだ。最後に、トルコと湾岸王制諸国が支援するシリア国民連合内の指導的勢力(リベラル派ならびにムスリム同胞団とつながっている)は、トルコの政権によるPKK弾圧を支持し、アラブ排外主義路線を採用し、クルド人の民族的諸権利になんの保障も与えないのだ。PYDのこうした反対派への疑惑は、ここから説明できる。



10  第四インターナショナルは、シリアへのあらゆる形での軍事介入と、シリア分割をねらうあらゆる帝国主義的プランへの反対を再確認する。こうした帝国主義的・サブ帝国主義的介入は、世界と地域の大国の自己利害を強めることがただ一つの目標であり、シリア民衆にいっそうの破局をもたらすだけである。われわれは、ロシアによる爆撃、そして他の諸国によるあらゆる爆撃の即時停止を求め、すべての外国の軍事勢力の撤退を要求する。

 ジハーディストや政権による暴虐に直面する中で、あらゆる形態での抑圧に反対し、シリアの住民は、かれらが見いだすことができるさまざまな手段で自らを守る権利を持つと、われわれは考える。

 PYDとFDSの特定の実践に関してわれわれが持ち得る批判にもかかわらず、われわれは、シリアにおける反革命の一つの柱である反動的ジハーディスト勢力に対するかれらの戦闘に敬意を表し、クルド人民の自決のための闘争に全面的な連帯を表明する。そしてわれわれは、クルド民族の自決のさだめとシリア革命の命運が深く結びついていることを断固として強調する。この地域の民衆の解放は、権威主義的体制の打倒と、これら諸民族の民衆的諸階級の連合を通じた、諸大国や多国籍企業の支配からの解放によってのみ達成されるのである。