リムジンガン雑誌紹介
責任発行人:石丸次郎、アジアプレス・インターナショナル出版部、2500円+税

『リムジンガン』―北朝鮮内部からの通信(2015年4月第7号)

 北朝鮮の民衆の姿や政治・軍事体制がどのようになっているのかを、北朝鮮の人々が自ら取材して発信している雑誌が『リムジンガン』である。北朝鮮を理解する上で極めて重要な情報源である。

 アジアプレスの石丸次郎さんは、『リムジンガン』がどのように作られているか明らかにしている。

 「北朝鮮は世界でもっとも閉鎖的で、確かな情報入手が極めて困難な国のひとつである」。そこで、「北朝鮮に暮らす人々自身が取材に当たることが絶対に不可欠であり」、…「二〇〇二年から民衆のジャーナリズム活動を支え、協働する活動を行ってきた」。…「情報統制に風穴をあけ、自由な言論社会の到来を準備
し、抑圧下に暮らす人々に開かれた社会の扉を開くための一歩となると確信している」。…「北朝鮮人自身の手によって民族の長い苦難の時代を記録することを、支援しようとする営みである」。

 どのように取材しているのか。①北朝鮮国内で『リムジンガン』の記者や協力者が直接取材したもの。その多くはビデオ撮影か、録音機によって記録されたもの。携帯電話での取材もある。②アジアプレスの取材チームが朝中国境に赴いて、北朝鮮から一時的に越境してきた「リムジンガン」記者、協力者たちに会って行うインタビュー。③朝中国境で、北朝鮮から出国して来た人たちや脱北難民への取材。④『リムジンガン』編集部の脱北者のスタッフが、自身の北朝鮮体験を綴ったもの、取材と情報を整理して書いた原稿。

 記者たちの安全問題について。取材やビデオテープやメモリカードを搬出する行為は、北朝鮮政権にとって「反国家犯罪」「スパイ行為」とみられるだろう。何よりも取材者の安全を最優先すること、本人の意志によって行動し、それをサポートすること。…あえて危険の中に飛び込んでいく『リムジンガン』の記者たちの行動力の源となっているのは「世界に知らせたい」「少しでも朝鮮をよくしたい」という意志である。

 『リムジンガン』は二〇〇八年春に創刊された。今日まで七号出されている。バックナンバーの特集1の見出しを紹介する。創刊号「06年ミサイル・核騒動 北の民衆はどう見たのか」、第2号「北朝鮮不動産取引の怪」(2008年)、第3号「金正日『異変発生』後の北朝鮮」(2009年)、第4号「デノミで混乱する北朝鮮」(2010年)、第5号「民衆は『正恩大将』をどう見たか」、第6号「金正日急死と世襲後継民衆はどう見たか」2014年。

 最新号の第7号の目次を紹介しよう。

特集 揺れた金正恩の3年 張成沢粛清の理由
●現場録音 人民統制の要「生活総和」とは何か

●農業担当幹部 秘密インタビュー「農民は奪われるために働く」
国営メディアの記者生活 顛末記
映像取材ルポ 麻痺続く国営交通 隆盛の‘民間交通’
貧しいのにスポーツ「強国」の謎に迫る
連載 市場経済「労働市場と自由労働者の出現」/政治検問所の実態/集団職場放棄発生/連続猟奇殺人ほか

 「特集 揺れた金正恩の3年 張成沢粛清の理由」の中で、「北の民衆は粛清をどう見たか」では、張成沢の粛清に続き、関係者たちが次々に粛清された様子が報告されている。「金正恩三年への民衆の評価」では、張成沢が処刑後、「政府は治安とあらゆる人民生活は良くなると言ったが、変わることなく、そのまま貧困に喘いでいる」と報告している。

 「張成沢粛清の理由を考える」では石丸さんが次のように解説している。

 北朝鮮の最大の外貨獲得源は、石炭や鉄鉱石など天然資源の中国への輸出である。それは一一年~一四年の期間、輸出額のおよそ七割を占めるが、党や軍、警察機関、有力者などが傘下に貿易会社を作って中国企業と取引してきた。その配分は「ワク」と呼ばれ金正日が決めてきた。

 この資源輸出利権を巡っては、二〇〇〇年代から、主に軍系の会社と張成沢系の会社が争ってきた。先軍政治下で特権的に振舞ってきた軍系の会社に後塵を拝していたのだが、金正日死亡で「ワク」の配分は一変することになる。この「ワク」の仕切りを金正日が張成沢に託したか、張成沢が力で奪取した可能性だ。

 北朝鮮の軍隊は部隊装備の補充・更新や、兵士たちの消耗品を国家からまともに供給されなくなって久しく、九〇年代から「自体解決」(自力解決)を求めてきた。石炭輸出利権は、幹部たちの懐を潤わせるだけではなく、それらの財源にもなっており、軍部の張成沢に対する反発は相当に激しかったはずだ。

 「補佐、後見役としていた張成沢は若い金正恩を操ろうと画策したが軍部との抗争に敗れた」との分析だ。

 樋上徹夫同志は張成沢粛清について、「一九九〇年代中盤の飢餓的状態の現出によって、国家統制が崩れて、『市場経済』が蔓延し新興層が現れた。それを代表する張成沢系と軍部との対立である」と分析した。以下紹介する。

 「粛清に至る深層と真相」 北朝鮮当局は自己の政治指導の安定性や確固さを表現するときの常套句の一つとして「元老政治」という用語を好んできた。影の実力者、影の参謀の存在を暗示する用語だ。中国経済事情に精通した張成沢とその系列下の諸機関や成長してきた北朝鮮の新興層に警戒感を募らせてきた労働党組織指導部と軍の元老層(既得権層)が計画的に張成沢とその副官たちを見せしめ的に粛清したのだろう。大掛かりな演出下での粛清劇はその首謀者たちが北朝鮮当局の統制すら無力化しかねないまでに成長してきた新興層をどれほど恐れているかを明らかにした。

 ちなみに北朝鮮の影の執権層が主導したこの粛清劇の渦中にあって、『白頭山の血統』などと煽てられて指導者を演じきるのに余念のない金正恩第一書記はただの傍観者にすぎなかったと推察する。(「張成沢はなぜ粛清されたのか?」〈かけはし〉2014年1月20日付『北朝鮮はどこへ』〈新時代社パンフレット〉所収)

 二〇一三年一二月、張成沢の粛清後も、五月一三日に韓国の情報機関、国家情報院は玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)人民武力相がロシア訪問から帰国直後、四月三〇日に反逆罪で粛清されたと国会委員会で報告した。金正恩が権力についてから側近や軍部幹部の七〇人程が粛清されたという情報も流れている。

 核実験やミサイル発射などで、中国との関係が冷え込む中で、ロシアにシフトしようとしていると推測される状況で起こった今回の粛清劇だ。中国との関係改善に向けたシグナルであったかもしれない。一〇月一〇日の建軍七〇周年軍事パレードには中国の劉雲山(序列ナンバー5の政治局常務委員)が参加し、関係改善をアピールした。

 そして、二〇一二年七月には、金正日総書記時代からの朝鮮人民軍の有力者だった李英鎬軍総参謀長が解任された。軍部最上層部のたび重なる解任や粛清は金正日による一元的な軍部の掌握をそのまま引き継ぐことではなく、新たに金正恩系とも言うべき権力構造をつくらざるをえない対立の現れととれる。金一族・特権的軍部独裁体制は安定とはほど遠い姿が浮かび上がってくる。
 
 一〇月一〇日の朝鮮労働党創建七〇周年の軍事パレードが大々的に行われた。その取材が西側メディアにも許された。一〇月一〇日夕方のテレ朝のニュースで取材した記者がピョンヤンの様子を次のように伝えていた。

 「タクシーがたくさん走っている。今まで見たことがない渋滞が起きている。地下鉄の駅改札はタッチパネルだ。乗客は携帯電話も使っている。ピョンヤンで二六〇万台の携帯電話が普及している。街中もビルの建設が進んでいる。この間、毎年一%台の経済成長をとげている北朝鮮が実感できた」というものだった。

 果たしてそうなのかと疑問に思っていたら、『リムジンガン』は次のように報告している。

 国家が責任を持つべき電気、水道、鉄道などの社会インフラの麻痺が広がっている。特に電気は、一四年昨秋以降、「一秒も来ない日が珍しくない」「国中が停電みたいなものだ」という不満の声が北朝鮮各地の取材協力者たちから届いている。電気の優先供給があるはずの平壌の大同江区域に住む取材協力者は「一三年末までよく来ていた電気も、一四年三月から一日三―四時間程度しか来ない、水道が出るのも一日一回だけ」と電話で伝えて来た。

 鉄道は、正常運行なら二日で行ける行程に二週間かかることも珍しくない。

 平壌を訪れた外国人記者や観光客の中には、高層ビルや遊園地の絶叫マシーン、タクシーの台数が多いこと、携帯電話を使う人の姿などを目撃して「経済は上向きだ」などと無邪気に評する人が少なくない。それはごく限られた設えられた場所の、それも演出された舞台を見た印象に過ぎない。北朝鮮内部から伝わって来るのは、総じて「正恩時代になって徐々に悪くなった」という評価である。

 今回は張成沢粛清という政治的事件を紹介したがそれ以外に北朝鮮の庶民の姿が生生しく描かれている報告が満載である。ぜひ「イムジンガン」を読んでいただきたい。一九九〇年代半ばの飢餓時代には数十万人の脱北者が中国へ押し寄せた。今は、ヤミ経済(市場経済)によって危機は一定乗り切ったが依然として厳しい状況は続いている。北朝鮮の民衆は生きるために極度の抑圧体制であっても、それをすり抜けて様々な方法を編み出したくましく生き抜いている。

 一割にも満たない金一族・軍部・官僚支配層の超強権的独裁と民衆との対立、矛盾はこの独裁体制がある限り解消しないし、極度に緊張した状況が続くであろう。北朝鮮の真の姿を知り、北朝鮮民衆とどのように連帯していくのか、それが問われている。

(滝)