kubiturisyasinn1919-(安倍談話が肯定する「日露戦争」の帰結は、朝鮮植民地支配と独立を求めた人々への過酷な弾圧だった)


「謝罪はこれで打ち止め」――「戦争国家」法案と表裏一体、居直りの歴史認識



 「積極的平和主義」のスローガンを掲げて地球上の至るところに「切れ目なく」自衛隊を送り、武力行使を行う、新しい安保関連法案=違憲の「戦争国家」法案が国会に提出され、参議院で強行採決された。論議の場を参院に移した「戦争国家」法案に対して、ますます多くの人びとが反対の声を上げ、幾万人にものぼる国会包囲の行動が繰り返されている。全国各地、津々浦々でこれまで反戦平和の運動に直接かかわってこなかった若者たちを含め、「戦争法案反対」の声と運動が広がっている。どの世論調査をとっても安倍内閣に対して不支持が支持を大きく上回るようになった。

 こうした中で、「戦後七〇年の安倍談話」が国際的にも大きな注目を浴びてきた。安倍首相は、「植民地支配」と「侵略」への「痛切な反省」と「お詫び」を盛り込んだ「戦後五〇年」の村山談話、「六〇年」の小泉談話を引き継ぐ、と言明しつつ、「七〇年談話」を出すと語ってきた。そのために、「集団的自衛権」の行使に合憲のお墨付きを与えた安保法制懇座長の北岡伸一(国際大学学長)を座長代理に据えた「有識者」による「21世紀構想懇談会」に「提言」作成を委ねた。

 八月一四日に閣議決定された「戦後七〇年の安倍首相談話」は、どのようなものであったか。マスメディアは、「侵略・植民地支配」さらには「お詫び」等の言葉(キーワード)が盛り込まれたと報じた。しかしそれらの単語はどのような文脈でちりばめられているのか。日本の侵略戦争や植民地支配によって甚大な被害を与えた国や地域の住民たちに、明確な「反省と謝罪」を行っているのか。そうではない。

 一例を上げよう。「安倍談話」は、「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実」を語る。しかしそこから直接に引き出されているのは「歴史とは、実に取り返しのつかない、苛烈なものです」という感慨にすぎない。この無責任きわまる感慨がもたらすものは「今なお、言葉を失い、断腸の念を禁じ得ません」とする、「謝罪」の拒否を合理化するための手前勝手な居直りなのである。



 さらに「安倍談話」による居直りに満ちた歴史認識がどのように展開されているか、取り上げてみよう。

 「……植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」。

 これは、司馬遼太郎の『坂の上の雲』史観そのものというべきであり、ここでは「植民地支配への危機感が近代化への原動力」という言い分で、日清戦争、日露戦争自身が、朝鮮半島への日本自身による植民地支配のための戦争であったことを完全にごまかしている。独立インドの初代首相となったネルーが、一九三〇年代に獄中で書いた『父が子に語る世界史』の中で、日露戦争での日本の勝利が、独立を求めるアジアの人びとを勇気づけたと評価したのは事実だが、ネルーはその記述の後に、しかしそれは日本が帝国主義陣営に加わるもう一つの国になっただけだったと述べ、日本の朝鮮植民地支配を厳しく批判しているのだ。

 次に、日本の中国侵略の拡大についての記述である。

「……世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました」。

 これは世界恐慌と、「欧米による経済のブロック化」のために、日本経済が大きな打撃を受けたことが、道を誤った原因というような記述になっている。しかし、日本による中国への侵略と植民地化は第一次大戦中の一九一五年、大隈内閣の下での「対華二一カ条要求」などによって本格化しているのであり、あたかも欧米の恐慌とブロック経済化への対応として、日本による「力の行使」(ここでも「侵略」の語は避けられている)が始まったというのはごまかしである。

 次に、満州事変(一九三一年)と中国への軍事侵略の本格化について。

 「満州事変、そして国際連盟からの脱退、日本は次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした『新しい国際秩序』への挑戦者となっていった。進むべき進路を誤り、戦争への道を進んで行きました」。

 侵略戦争が「新しい国際秩序への挑戦」という言葉で表現されている。これはまさに「東亜新秩序の建設」という言葉で中国侵略・アジア侵略を正当化した、天皇制日本帝国主義の言説の再版というべきだろう。



 次に日本の侵略戦争の拡大の中で、日本軍は組織的・計画的かつ大規模に行った軍隊「慰安婦」の強制連行については、どのように語られているのだろうか。

 「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」「私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります」。

「深く、名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいた」だって! いったい誰が、「名誉と尊厳を傷つけ」たのか。「加害」と「被害」の関係を徹底的に隠蔽し、軍隊「慰安婦」への強制連行はなかったと言いふらし、「謝罪と補償」を拒否して被害者へのバッシングを続けてきたのは、安倍首相本人である。二〇〇一年一月、「女性国際戦犯法廷」についてのNHKドキュメンタリー番組に介入し、その内容をズタズタに改ざんする圧力をかけた超本人は、当時「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の中心だった安倍晋三その人である(永田浩三『NHKと政治権力 番組改変事件当事者の証言』 岩波現代文庫)。

 軍隊「慰安婦」という言葉を消し去り、彼女たちの存在そのものをなきものにした上で、「女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードする」などという言辞は厚顔無恥の極みと言うべきだ。



 安倍談話の核心は「反省と謝罪はこれでおしまい」というところにある。

 「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」。

 右派メディアや右翼イデオローグは、「謝罪」はこれで打ち止めというべき安倍談話を高く評価した。産経新聞(八月一五日)の一面トップ見出しは「『謝罪』次世代に背負わせぬ」だった。同紙の社説に当たる「主張」欄は、「重要なのは、この談話を機会に謝罪外交を断ち切ることだ」と述べている。

 ジャーナリストの櫻井よしこは同紙上で「安易な謝罪の道をとらなかったことは、日本のため、世界のためにも建設的だ」と語り、先に批判した「日露戦争は植民地支配の下にあったアジア・アフリカの人々を勇気づけた」とする記述や、「経済のブロック化が進み、日本が孤立感を深めたこと」が中国侵略の拡大の原因だとする歴史認識についても「真実」として評価している。

 櫻井は、「週刊新潮」(八月二七日号)では、よりはっきりと安倍談話について「最大の特徴は有識者会議『21世紀構想懇談会』が打ち出した『満州事件以降、日本は侵略を拡大していった』という歴史観を拒絶したことだ」「日本が謝罪を続けることは、その照り返しとして中国、朝鮮半島に歴史に対する後ろ向きな価値観を生み出す」として、「謝罪」の繰り返しも道を断ち切ったことは良かったとして歓迎した。

 おそらくこのあたりが、安倍本人の「真意」に近いのであろう。



 「七〇年談話」の最後で、安倍は次のように語った。

「私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります……」。

「私たちは国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を共有する国々と手を携えて、『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります」。

彼の「七〇年談話」の狙いは、侵略戦争と植民地支配への責任を否定し、軍隊「慰安婦」をはじめとした戦争被害者への謝罪・補償を拒否するために、戦争の原因を「経済のブロック化」問題に一面化することによって、あらゆる既存の「国際秩序」への挑戦を軍事力で抑え込む「対テロ」戦争などへの日本の軍事的「貢献」を、「積極的平和主義」の名の下で正当化するところにある。

それはまさに憲法違反の「戦争国家法案」を何がなんでも成立させ、戦後憲法を改悪し、地球の裏側にまで米国とともに出かけて、その肩代わりを引き受けることを可能にする「談話」なのである。戦争国家法案を廃案に追い込み、辺野古新基地建設を阻止し、安倍政権を打倒することによって、東アジアの平和・人権・民主主義を共に実現する労働者・民衆の未来を切り開いていこう。

(K)