香港「雨傘運動」では、中国の民主化と香港の民主化は関係ない、中国は政府も人民も民主主義を望んでいない、という香港ナショナリズム右翼の主張が登場した。その後遺症はいまも続いている。

香港ナショナリズム右翼は、毎年香港で行われる6・4天安門事件追悼集会が香港民主化にとって有害だと主張している。このような主張に対して、中国と香港の民主化は一体であるという長年来の主張とともに香港民主化運動の歴史的問題点について触れている區龍宇氏の論評を紹介する。[ ]内は訳注。 (H)

原文はこちら
http://www.inmediahk.net/node/1034848

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天安門追悼集会に参加すべし
支聯会は改革すべし
黔驢は柵に入れておくべき


2015年6月3日

區龍宇


199764
写真は1997年の6月4日天安門追悼集会に関する司徒華と先駆社との公開紙上討論



明日の夜、ビクトリア・パークには参加しなければならない。それはほかでもなく、中国共産党を歴史的恥辱の柱にくぎ付けにしつづけるためである、

今年の六・四天安門事件記念日には特別な意義がある。半年前、戦後の香港史上はじめての壮大な民主化運動が巻き起こった。雨傘運動である。運動は成功しなかったが、香港の民主化をいかに推し進めるかという議論に無数の香港市民を議論に巻き込んだ。


◎ 鹿は馬で馬は鹿?

香港防衛を自称する驢なにがし氏[人気ブロガーの盧斯達のこと。「驢」はロバのことで後出の皮肉とかけている]は、一九八九年六月七日に支聯会[香港市民支援愛国民主運動聯合會]の指導者である司徒華[1931年~2011年]が三つのストライキ(労働組合、学校、商店)を中止したことを批判するとともに、支聯会の解散を主張している。ストライキ中止の件については、議論すべきことであり後述する。

問題は、この驢なにがし氏が「中国人は民主主義を必要としてない」ので香港人は中国民主化支援などにかかわる必要はないと大真面目で主張する一方で、昨日開催された六四フォーラムの席上、もし司徒華が三つのストライキを発動してそれが成功していれば香港はもっと多くの民主化が実現できただろう、もしかしたら独立も可能だったかもしれないなどと発言していることである。

なんとも奇妙な自己矛盾に満ちた主張ではないか! 一九八九年の三つのストライキが成功すれば良かったことには違いない。しかしこの三つのストライキは一体だれのために計画されたのか? 香港の民主化のためなのか?そうではない。それは中国の民主主義のために計画されたのだ。

だが驢なにがし氏の見解によれば、中国の民主化は香港にとって百害あって一利なしだそうだ。なのに三つのストの成功がなぜ香港民主化のためになるのか? これが自己矛盾でなければなんだというのか?もしやフロイト的失言、つまり無意識のうちに本音が出てしまったのか?驢なにがし氏自身が無意識に持っている大中華コンプレックスがあらわになったのだろうか?それとも、相手を攻撃するため、論理矛盾も気にせずに、まずは攻撃してみたということだろうか? 

しかし、小我[自分の小さな世界。仏教用語]の上には、無限の客観的論理[真理]が存在しており、それは一切の人間の自己矛盾を暴露するということを忘れてはいないだろうか。


◎ 民主化運動と地政学的政治

驢なにがし氏のような人々は、大中華コンプレックスの人間だけが中国の民主化に関心を持っていると主張する。なんとまあ、まるで義和団[區氏は政治改革を主張する反共排外主義者らをこうよんでいる]の主張ではないか。かれらは、真の民主主義者たちが国際主義的精神で他国の民主化運動を熱烈に支援してきたことを知らないのだろう。一七七六年のアメリカの独立戦争ではフランスとイギリスの民主主義者がそれを支援し、フランスは軍隊を派兵して独立戦争を支援した。一九三六年には選挙で勝利したスペインの左翼共和派に対してフランコがクーデターを起こして内戦になったが、五〇カ国、三万人余り民主主義者と社会主義者(『動物農場』や『一九八四年』のジョージ・オーウェルを含む)が国際旅団を結成して、左翼と共和派の側について内戦を戦った。

地理的に近ければ近いほど、民主主義者は相互に支援しあう。それはほかでもなく実際の利害関係が関係してるからだ。一八世紀末、ポーランドは近隣の三大国[プロイセン・オーストリア・ロシア]によって分割されたが、十九世紀以降はロシア帝国からの抑圧を受け続けていた。ポーランド人民はポーランド復活の願いを持ち続けた。当時のポーランド社会民主党は、ロシアの民主勢力と連帯してロシアの皇帝と貴族を孤立させる取り組みこそ、列強に包囲されたポーランドを民主的に復活させることができると考えた。ポーランド社会民主党は当時のロシア社会民主労働党[のちの共産党]と共同でロシア帝国の支配と戦い続けた。指導者のひとりにローザ・ルクセンブルグがいた。ポーランド人であった彼女は、ロシア社会民主労働党の会議に夜活動にも積極的に参加した。その後ドイツに移住してドイツ社会民主党の理論家および実践家となったが、一九一八年に極右派に惨殺された。


◎ いかにして隣国の巨大な力に抵抗するか

驢なにがし氏のグループがもし、中国人としてのアイデンティティをもつ香港市民すべてを香港から排除し、純粋な「香港人」だけによる独立を達成できたとしても、次のことを考える必要がある。それはいかにして強大な隣国からの圧力に対抗するのか、ということである。中国と戦争する?いったい何時間持ちこたえられるのか? 決起する勇ましい部隊があったとしても、孫子がいうように、「上兵は謀を伐つ、其の次は交を伐つ、其の次は兵を伐つ」(最上の戦い方は、敵の謀略、策謀を読んで無力化することであり、その次は、敵の同盟や友好関係を断ち切って孤立させることである。それができなければ、いよいよ敵と戦火を交えることになる)を考えなければならない。

だが現在までに、これら香港義和団がどのように「謀を伐ち」「交を伐つ」のかが全く不明である。このような「黔驢之技(けんろのぎ)」[見かけ倒しのはったり、※参照]で香港の将来を幸福に導くなどという主張は、本当に・・・その身を滅ぼさんばかりのものである。「黔驢」は放し飼いにするのではなく柵に入れておくのがいいだろう。

※「黔驢之技」は、ロバ(驢)のいない地域(黔州)にロバを連れてきて放し飼いにしたところ、初めてロバを見た虎は最初は恐れたが、ロバに蹴られて(技)、たいしたことはないと知りロバをたいらげたという成語。

支聯会はもちろん問題を抱えている。一九八九年六月七日、司徒華ら指導者は、三つのストら気を中止しただけでなく、デモ行進も中止にしてしまった。しかし中国共産党による虐殺と弾圧に抗議する数十万の香港市民は自発的にビクトリア・パークに集まって、中国政府の代表機関であった新華社香港支局までデモ行進した。社会運動は、長年にわたって作り上げてきたのに、その力を発揮しようというまさにその時、敵前逃亡するなどという道理があるだろうか?この問題については今に至るも支聯会の指導部は何ら反省も検証もしていないのである。


◎ 黔驢は司徒華にも遠く及ばない

だがさらに重要なことは、路線の問題である。驢なにがし氏の類は、支聯会の非民主的あり方を批判する。そんなことは今に始まったことではない。三つのストライキを中止して間もなく開かれた支聯会の会議で、私は先駆社[香港のトロツキスト組織の一つ]を代表して出席し、会議の前に支聯会指導部が三つのストライキを中止したことを批判する意見書を配布しようとしたが、それを阻止されてしまったことがあった。香港返還が迫る一九九七年の六・四天安門事件記念日の直前、支聯会の指導部は投降主義的な宣言文案を発表した。

その文案は、返還以降に六・四追悼集会が禁止された場合は各自で追悼記念してほしいという方針しか示されず、弾圧に対して抵抗を呼びかける姿勢は皆無であった。先駆社はそれを批判する文章を掲載するとともに、支聯会が断固とした抵抗の姿勢をとることを求める署名を六・四集会で集めるとともに、集会の壇上で署名の呼びかけの発言させることを求めた。のちにこの行動が司徒華から批判された。支聯会は、主流の汎民主派[民主党などリベラル派]とおなじく、反省すべきことはたくさんある。

驢なにがし氏やその仲間は、主流の汎民主派が「民主中国の建設」に血迷っていると批判する。そうすることで逆にかれらを押し上げている。だが一九七〇年代から八九年の民主化運動にいたるまで、かれら主流の汎民主派の路線は、中国の民主化運動とはまったく相交わることがなかったのである。八九年以降、致し方なく中国の民主化に関心を示すことになったのだが、厳格にその境界線を分け隔ててきたのである。

だから主流の汎民主派の政治家たちは完全にちぐはぐな行動をとるのである。一年のうちの一日(六月四日)だけは中国の民主化について発言するが、それも支聯会の四つのスローガン[実際には五つある。民主化活動家の釈放、八九年民主化運動の名誉回復、虐殺の責任追及、一党独裁の廃止、民主中国の建設]だけを叫び、それはまったく香港の民主化と関連付けられない。そして残りの三六四日、とくに七月一日[香港返還記念日]の民主化デモでは、香港の民主化を大々的に主張するが、そこでは中国の民主化についてはまったく語られないのである。

まさにこの種のちぐはぐな言動は、香港の新しい一世代に対して、中国と香港の民主化は関連していないという間違った教育を施してきたのである。

両者の民主化は密接に関連している。だが見解の相違は当たり前のことであり、それは議論するしかない。しかし残念なことに、驢なにがし氏の類は理性的な議論をもっとも嫌っているのだ。事実に基づき論理だてて主張するという議論における最低限の礼儀すらさえも持ち合わせていない。当然である。彼らの目的は、相手を貶めて、自分がその地位にとってかわろうとするものである。民主的な議論という点では、かれらは司徒華の百倍もたちが悪い。

二〇一五年六月三日