三里塚に生きる 2月22日、日本キリスト教会館(東京・早稲田)で「映画『三里塚に生きる』(監督・撮影:大津幸四郎、監督・編集:代島治彦)」自主上映会(実行委員会)が行なわれ、会場いっぱいとなる80人が参加した。


上映実行委員会は、代島治彦監督の「配給宣伝・劇場公開をご支援ください」との要請に応え、自主上映と三里塚闘争について語り合う場を東京で創ろうということでできればいいなという思いを込めて2014年12月に、上映実行委員会が作られた。呼びかけ人は、今も三里塚闘争の支援を続けている繁山達郎さん(研究所テオリア)、芝崎眞吾さん(連帯社)、辻和夫さん(横堀団結小屋維持会/田んぼくらぶ)、和多田粂夫さん(元管制塔被告)、中川憲一さん(元管制塔被告)、平田誠剛さんの6人。賛同人は41人だった。


上映時間2時間20分。登場しているのは13人。柳川秀夫さん(元青年行動隊リーダー)、故・三ノ宮文男さん(元青年行動隊リーダー)、小泉英政さん(三里塚に定住した支援者)、島寛征さん(元反対同盟事務局次長)、三ノ宮静枝さん(元婦人行動隊)、椿たかさん(元婦人行動隊)、故・大木よねさん(元婦人行動隊)、萩原勇一さん(元親同盟)、堀越昭平さん(元親同盟)、石毛博道さん(元青年行動隊)、秋葉清春さん(元青年行動隊)、山崎宏さん(団結小屋の住人)、北井一夫(写真家)さんなどだ。登場した皆さんは、三里塚の今と「思い」をそれぞれ語り続けた。参加者は、登場するそれぞれの「重い語り」を受け止め、自分史を検証しながら引き込まれていった。参加者のアンケートにも「素晴らしいドキュメンタリーだ」「生きるとは何かを考えさせられた」「三里塚の人々の思いがよくわかった」等々に現れている。

 

映画を制作したのは、2人の監督。撮影を担当したのは大津幸四郎監督。編集やインタビューや編集を担当したのが代島治彦監督。上映後の代島監督講演会の冒頭、司会の辻さんがからあいさつと「監督・撮影の大津幸四郎さんが14年11月28日に肺がんで逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします」と報告した。

 

代島監督の講演に移った。現地に詳しい方々が集まるだけに、「当日どんな意見が出るか、戦々恐々としています」と、事前に語っていた代島監督だが、「会場から笑い声があり、ここで笑うのかと、映画館とは違う体験ができた。」と、会場の熱気が伝わったことを述べた。「昔のことは喋りたくねえ」という人々の前で苦労したが三里塚闘争の真実を伝えたかったことを語った。(講演要旨別掲)。

 

現地から駆けつけた石井紀子さん(成田市川上)は、「この映画を観るのは3回目だ。観るたびに新たな発見があり、三里塚の人々の気持がわかってくる。私は一九七五年に東峰部落に入った。三里塚ワンパックを立ち上げて東峰の人たちと一緒にやってきた。空港会社は、小泉英政さんが43年目にしてようやく大木よねさんの土地に対する強制収用の補償問題を空港会社と小泉英政さんと話し合いを始めるわれるという有様だ。映画で小泉さんの思いが語られていてよかった。東峰は、北原派、旧熱田派、旧小川派の関係者がいる。あまり多くを語らない、生きていることが闘いだという感じだ。映画を作ると聞いて、何人が喋ってくれるのかと思ったほどだ。いまだから語りたい農民の気持を撮れていた。終わりがない三里塚だといえる」と発言した。

 

呼びかけ人あいさつが芝崎眞吾さん(連帯社)から行なわれ、かつて現地援農の取り組みのことを紹介しながら決意を表明した。

 

会場から感想や質問があり、交流の最後に、山崎宏さん(労活評現闘)が、最新のから現地報告と丹波山「共有者の家」撤去への抗議行動への参加を呼びかけた。策動を許すな! 2・28現地緊急抗議行動に結集を! 三里塚空港に反対する連絡会」が呼びかけられた。

 

最後に質疑応答などが行なわれ交流を深めていった。

(Y)


 

代島監督 代島監督の講演から
「見えにくくなっていた三里塚闘争、百姓の闘いは、基地や原発の問題ともつながっている」


今日は三里塚闘争に関係している方が多いということで画面に対して反応が一番あった上映会になった。ここで笑うのかのシーンがいくつもあって今でとは違う体験ができた。

 

この映画は、大津幸四郎さんに誘われる形で2012年8月、三里塚に踏み入れた。最初は大津さんの思いだった。1968年の「三里塚の夏」に写っている人たちが、DVD化されるのを契機に今どうしているのだろうかということを一人一人会って話してみたいということだった。島さんも柳川さんも温かくは迎えてくれたが、「昔のことは喋りたくねえ」「今、生きることで抵抗している。それでいいじゃないか」ということだった。また、「シンポジウム・円卓会議が終わって、それぞれが自由に生きている。今の三里塚を撮れるのか」と言われたりもした。

 

ドキュメンタリーを作る仲間たちは、東日本大震災があり、被災地を撮りに行ったり、福島原発事故など現在進行形のテーマに入っていた。私は、自分の八〇年代、九〇年代の生き方の反省もあって三里塚に入った。

 

この映画は、単純に闘争を描くということではなくて、日本の戦後の長い時間の動き、人間ってなんだろうという思いが三里塚の人々と話すなかで深く考えることができた。

 

映画には登場していないが、早くから石井紀子さんとはお話していた。逆に柳川さんは農作業、講演などの喋りだけでインタビューはできませんでした。柳川さんは、そういう方なんですね。生き方です。

 

山崎さんは、一番最初に登場しています。撮った順じゃないです。ある上映会で山崎さんが三里塚に生きる一人に入るのか入らないのかという質問があったが、僕は「入る」と言いました。三里塚で生きていると感じたからです。初対面なのに色々と質問をした。山崎さんは緊張感を持って答えたくれた。

 

大津さんが亡くなる前に気にしていたのが、三ノ宮静枝さんだった。周辺の人たちは静枝さんに文男さんのことを聞く人はいなかった。私たちは何回か静枝さんに伺うなかで文男さんの話ができた。静枝さんにとっては、文夫さんのことは過去の話ではない。今も生きている。

 

一人一人の体験、悩み、苦しみ、うしろめたさ、悲しいことなどの心話を持ち、溜め込みながら人生の心話になっていくんだなと思う。だからこの映画は、一人一人の心話です。

 

三里塚は、円卓・シンポジウムを反対同盟の側から働きかけ、国と話し合いによって謝らせて闘争を解決したと言う人がいたが、実感としてそう思えなかった。共生という道を選択するが、真実が見えなくなってきた。

 

この映画の中で三ノ宮文男さんの遺書と大木よねさんの戦闘宣言が朗読される。開港後、北原派と熱田派が分裂し、内ゲバなど色々あったなかで三里塚の真実が見えにくくなっている。多くの人々は、三里塚のイメージが新左翼、過激な暴力という印象が残ってしまった。

 

若い人たちの中で三里塚って、農民の闘いだったんだと言う者がいた。だからこそ見えなくなっている百姓の闘いである三里塚を撮りたかった。基地や原発の問題とつながっている。
(要約・編集部) 

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