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商業化が進む住宅公社運営の非民主制に抗議する住民たちが
家賃支払いに対する市民的不服従運動を開始(2014年10月23日)



雨傘運動の自発性と自覚性
旺角(モンコック)攻防戦のアップグレード(その2)


區龍宇 

原文

旺角でのオキュパイ区域が確保できるかどうかは、オキュパイ参加者の果敢な行動いかんにかかっている。その多くはこれまでどのような党派にも参加したことのない人々であり、初めて運動に参加したニューフェイスたちが示した決意は何物にも代えがたいものがある。


◆民衆の傲骨

労働者にしろ、中下層の学生にしろ、すでに早くから、この極度に貧富の格差の激しい社会に対して不満を持っていたことは確かである。メインストリームの中産階級の主張は、支配的エリートの言う「社会的亀裂は避けなければならない」という類の主張への不用意な追従が常に見受けられる。まるでそれまでの社会がとても調和的であったかのように。

だが香港社会はこれまでもずっと1%の超大金持ちと99%の中下層に分裂していたのであり、とりわけ近年においてこれら一握りの財閥による階級闘争という攻撃が中下層の人々にしかけられてきた。民営化、家賃統制の廃止、巨大な箱もの工事によるゼネコンへの利益誘導などだ。

そしていま、このような生活苦を耐え忍んできた人々が、街頭で不満を爆発させる機会に巡りあえたのだ。人々は警察との攻防のなかで街頭の奪回に成功したことで、はじめてエンパワーメントされ、自信を獲得した。このような精神的な自由と自立は、勇気と意志を鼓舞する。これこそが民衆の傲骨(気骨、プライド)である。

この世には二種類の反抗がある。ひとつは目的なく騒ぐこと。たとえば香港では1981年のクリスマスと84年のタクシードライバーのストライキの時に発生した青年たちの騒乱がある。しかし30年にわたる民主主義意識の普及によって、今回爆発したのはそのような騒乱ではなく、強烈な市民的不服従の意識を表現したオキュパイ運動であり、明確な民主的目標を持っており、充分に自律的で、敵意ある状況においても非暴力を貫徹し続けている。とりわけ旺角では、警察の攻勢にもかかわらず敗北を認めない精神を示し続けている。これは民衆の自発的で自主的な創造的スピリットの表現である。


◆目標の混乱

しかし、現在のオキュパイ運動がボトルネック(隘路)にあることもまた事実である。オキュパイ参加者の自発性にもますます限界が近づいている。もちろん民主的な要求については毎日のように新しいアイデアが生み出されている。しかし真の民主主義を実現するための経路については、はっきりとした方針があるわけではない。

20日付けの「明報」では、オキュパイ参加者に対して行った世論調査の結果(複数回答可)が掲載されている。オキュパイを解散する条件として、「政府が諮問をやり直す」が45.6%、「候補者指名委員会(※訳注1)の『民主化』を政府が約束する」が43.9%、「梁振英の辞任」が24.6%であった。

この三つの条件は、どれも本当の解決にはつながらないだけでなく、落とし穴になる可能性がさらに高くなる。諮問のやり直し[政府が諮問・パブリックコメントの募集を行い報告書をまとめて中国政府に提出する:訳注]については、陳建民[オキュパイを呼びかけた3人の知識人の一人]が最初に提起したものである。この方法は下策に他ならない。オキュパイ解散の代わりに得るものは、形式上の諮問という政府の茶番にすぎないからだ。候補者指名委員会の「民主化」は全人代決議の問題点を覆い隠すだけである。(原注1)

この世には二種類の妥協がある。一つは、目的は達成できてはいないが、今後もその目標に向けて奮闘する条件を獲得できる妥協。もう一つは、目的が達成できなかっただけでなく、敵に有利で自分に不利な条件で妥協することだ。上記の三つの条件のいずれにしても、それでオキュパイを解散してしまうことは、後者の妥協とおなじことである。しかし調査の結果をみれば、多くの人がそのような選択をしてしまうことに、政治的な認識不足がうかがわれる。

世論調査ではあらかじめ回答の選択肢が決められていることから、その結果だけで評価することはできないのかもしれない。しかし運動内部の一部の指導者からも、オキュパイを堅持を掲げつつ、市民立候補という目的が達成できない場合は、目標を候補者指名委員会の民主化に変更するという提案がなされていることもまた事実である。


◆手段は目的に従属すべし

このような思考は、運動をひとつの矛盾に陥れる。それは、オキュパイは頑強性があるが、政治目標は混乱しており弾力性がある、というものだ。これでは事にあたる手順がバラバラである。オキュパイは手段であり、その実施には弾力性を持たせなければならない。市民の立候補は政治目標であり、それは原則であり、簡単に変更してはならない。オキュパイという手段は市民立候補という目的に従属するのであり、その逆ではない。運動の指導者から運動の参加者にいたるまで、どのような目標を堅持すべきなのかについてすら、意見が噴出している状態で、それらの意見のなかにも問題ある意見も多い。このような状況は、容易に敵の側からの分断工作が功を奏することになるし、運動の側も消耗して消滅するだけだ。

ここで基本的な問題に立ち返ることになる。大衆運動の自発性を疑うことなく信じるだけで、事は足りるのか、ということだ。


◆感情の赴くままにか、プロアクティブにか

大衆運動の自発性はすばらしいことであり、歴史を前進させた無数の大事件はすべて大衆の自発性の結果であり、支配者や知恵者があらかじめ計画した物事によってではない。しかし、これらの大事件においても、大衆の自発性だけが絶対的なものではなく、その背景には自覚性も内在していたのである。つまりそれまでの年月のあいだに、志ある人々によって長期にわたる啓蒙と教育の時期があり、それは新たな知識を汲んだ新しい知識世代(学生や労働者を含む)のなかで深厚なコンセンサスを鍛えた。だから、このような偉大な歴史的事件は、自覚性と自発性が結合した結果なのである。

ただ自発性のみに依拠することは、運動を感情の赴くままに走らせることになりはしないか。そう、89年民主化運動のように。この社会の政治経済の状況は巨大かつ複雑な構造であり、その構造を変革するためには、感覚に依拠するだけでは絶対に成功しない。目覚まし時計を修理するのでさえ、ばねやねじまきの構造を認識する必要があるのだから、社会の変革においてはいうに及ばずである。運動には大衆の自発性とともに、その自覚性も必要なのであり、より学び、より議論し、そしてより深く思索しなければならない。

しかるに現在、オキュパイの現場において公然たる議論を阻止しようとする輩がいるのだ。このような反知識の行動は、客観的には敵を利することにしかならない。

運動の中には一貫して一種の極右排外主義(イナゴ=中国本土からの移住者を叩き出せ!というスローガンを掲げる)が存在している。かれらはごくごく少数にとどまってはいるが、運動の側が自覚的に真の民主主義と平等という政治的方向性に大衆を振り向かせようとしないのであれば、大衆に対する極右の自覚的な扇動を勢いづかせることになるだろう。

2014年10月27日

原注1
論理上は、候補者指名委員会の民主化も不可能ではないが、このような主張は実際には中国政府の同意を得ることは難しく、難易度においては市民立候補の要求とさして変わらない。いま指名委員を普通選挙で選出するという要求を掲げるべきではないだろう。それは民衆を欺き、雨傘運動を誤った道に進めることになるだろう。

※訳注1
候補者指名委員会:立法議員や業界団体など1200名の香港人で構成される現行の選挙委員会を引き継ぐ。2017年の行政長官選挙では委員の過半数の支持を得た候補者2-3名を香港の全有権者が投票で選ぶ「中国の特色ある普通選挙」形式で実施される。委員の大半が親中派で固められることから中国政府の意向を反映した候補者しか立候補できない恐れがあるとして、オキュパイ・セントラル運動では有権者の1%の賛成を集めた香港市民ならだれでも立候補できるようにするべきだという対案を示している。なお付言すれば、漸次的な普通選挙を実現すればよい、というアドバイスは無意味である。香港基本法45条では、指名委員会が候補者を指名したうえで普通選挙を実施するのが最終目標として明記されているからである。民主化運動は、香港基本法と50年不変という英中両政府が上から決めた取り決めを乗り越える必要がある。