谷口講座写真 7月26日、アジア連帯講座は、文京シビックセンターで「公開講座 2020東京オリンピック・パラリンピックを問う」を行った。

 


第32回夏季オリンピック(2020年)の東京招致が昨年九月に決まり、ビッグビジネスチャンスだとして大喜びで安倍政権、スポーツマフィア、財界、ゼネコンなどが一斉に動き出している。7月24日で2020年東京五輪開幕まで六年となったことでメディア各紙が論評しているが、東京五輪応援団でさえも「東京五輪まで6年 膨張費用、どう圧縮、過少見積もり裏目」(毎日新聞)、「『世界一』への道険しく 費用、継承、環境、交通……準備遅れ」(産経新聞)と言わざるをえないほどいいかげんな状況を反映するものとなっている。

 


講座は、商業主義とナショナリズムにひた走るオリンピックを厳しく批判してきた谷口源太郎さん(スポーツジャーナリスト)を講師に迎えて、「2020東京オリンピック・パラリンピック」の問題点を明らかにし、今後の反対運動の方向性を模索した(講演要旨別)。

 


なお講座の冒頭では、ビデオ『検証!オリンピック―華やかな舞台の裏で』(PARC制作)を上映。

 


ビデオは、新国立競技場計画の問題点を指摘する。さらに野宿者排除の危険性を訴える向井健さん(山谷労働者福祉会館活動委)、新国立競技場建設に伴って立ち退きを迫られている甚野公平さん(都営霞ヶ丘アパート)、葛西臨海公園のカヌー競技場建設計画に反対する飯田陣也さん(日本野鳥の会)、佐藤和良さん(いわき市議)の話とともにが「オリンピックそのものが原発事故の隠蔽、被害者の圧殺だ」と糾弾するシーンが続き、東京オリンピックの問題点を解き明かしている。今後のオリンピック反対運動のスタートとしてビデオは有効な「武器」となるだろう。(Y)


■谷口源太郎さんの問題提起

今日は、とても暑いですね。2020年7月も今以上に暑いのではないか。その中でオリンピックをやる。アスリートだから全力をつくすわけだ。適当に暑さを避けてなどでは成り立たない。ストレートに健康に害がでる。JOC(日本オリンピック委員会)は、暑さに対する対策どうするかと慌てている。

 

今ごろになって「季節を変えたらどうか」などと言う部分も出ているが、IOC(国際オリンピック委員会)は「そんなのできない」と言っている。アメリカ・ヨーロッパのプロスポーツは、リーグのスケジュールは決まっている。だからそれをだぶらすことはできない。季節はここしかない。どこかに移せばいいという単純な話でない。莫大なオカネがかかるプロスポーツが優先だ。国際的なスポーツの構造そのものが、オリンピックを暑い季節にやらざるをえないと規定している。


堕落したオリンピック招致

1964年の東京オリンピックについて、どれだけのメディアがオリンピックが抱える国内外の問題をジャーナリストの批判精神を持って捉えたか。反対運動がほとんどなかったこともあるが、現実的に東京都民の生活は、下水道の整備の問題も含めて日常生活のためのインフラがオリンピックのために随分遅れた。予算が全部オリンピックに配分されたからだ。民生費はなかった。道路、首都高も含めて首都としての近代化にむけてオリンピックを招致した。コンクリート化、新幹線なども含めて、東京の一極集中化の基礎を作った。

 

その影で都民は、どういうことだったのかということを指摘したのは、オリンピックの後だった。その一人が美濃部都知事だった。後付けの批判だったが、東京オリンピックのおかげで、どれだけ東京都民のインフラ整備が遅れたかを明確に指摘した。

 

それが現在では1964年に対してはノスタルジアだ。あの感動、夢、様々な面で素晴らしかったと表現し、2020年オリンピックを語っている。しかし、そうではなくていろんな問題を抱えていることを提起し、議論の手がかりにしてほしいというのがビデオ制作の目的だった。

 


ビデオでも出てきたが、福島の人たちがオリンピックを強烈に批判している。結局、2020年東京オリンピック招致そのものが、ウソだらけ、欺瞞だらけだ。こんなに劣化し、堕落したオリンピック招致は、歴史上ない。メディアはほとんど取り上げない。

 


ブエノスアイレスでのIOC総会で安倍首相のプレゼンテーションが、かなり招致の決め手の一つになったとメディアは評価している。安倍首相が、福島第一原発の汚染水問題をめぐり、「完全にブロックされている」、「コントロール下にある」と発言した。

 

ところが色々と取材してみると、当初、安倍のプレゼン原稿の中には「完全にブロックされている」「コントロール下にある」という文章はなかった。ある東京を支持するIOC委員がいて、次のようなことをJOCに言った。

 


「イギリスのBBCが前々から福島原発の汚染水漏れ等含めて厳しい報道をし続けていた。BBCは、チェルノブイリの経験もあって福島の放射線漏れ、汚染水問題に対して徹底した取材態勢を敷いた。もしこのままだとだめだ。首相クラスが明確に説明をしないと、東京は落ちる。BCCは、総会で厳しい質問もする」。

 

それでJOCは、まずい!となって、首相官邸にすぐに作文を送り、「アンダーコントロール」についてきちっと言えと提言した。このことがG7のサンクトペテルブルクからブエノスアイレスに向かう飛行機搭乗中の安倍首相に届き、作文に加筆することになった。安倍は作文されたままをそのまま読んだだけだ。だからいかにいいかげんなプレゼンだったかということだ。

 


BBCの激しい追及は、現地でもあって、総会の数日前に行われた各立候補地の記者会見で竹田恆和JOC会長、日本体協の張富士夫会長に向かって汚染水問題を問いただした。シドロモドロになってしまった。最終的には安倍首相がプレゼンで説明すると丸投げした。さらに福島は東京から250キロ離れているから東京はまったく安心だと言ってしまった。

 

この発言に対してもBBCは、反論した。あの竹田の発言は、完全に福島を切り捨てるものではないか、そういうことでいいのかと批判した。

 


このように日本の招致活動の最後のところで、こんなデタラメが作られた。しかもこれはIOCとの合作だ。IOCは、日本に勝たせるためには福島原発事故に対する明確な説明を求めた。IOCと結託して東京が選ばれた。


森喜朗独裁体制の暴走


2016年、オリンピックの東京招致に落選した。石原都知事は、プライドが高い男だったから、そうとうなショックだった。二度と立候補しないという思いだった。

 


それを引っ張り出したのは森喜朗だった。実は、ある企みをもって石原を都知事に立候補させて、再度、2020年オリンピックに立候補させた。ほんとうの企みは、二〇一九年のラクビーワールドカップの日本開催だった。森は、日本ラグビー協会の会長であり、2019年の日本でのラグビーワールドカップに立候補し、選ばれた。

 

ここには森の一つの国家戦略がある。スポーツ立国ということを文教族の麻生太郎と森が組んで、スポーツを国家戦略として位置づけてラグビー、オリンピック招致を進めていた。国際的なイベントを国内でやることが、いろんなメリットを生み出すという発想だ。単に大会で選手たちが活躍して、メダルをたくさん取るということだけではなく、国策としてやる。ラグビーは人気がないが、ワールドカップを招致してしまった。ラグビー国際連盟の規約の中にワールドカップの準決勝、決勝は八万人規模を収容できるスタジアムが必要だという内規がある。森は、規定に反しては、まずいと思った。

 

つまり、国立競技場を壊すのは、オリンピックのためではなく、ラグビーワールドカップの準決勝、決勝を行うために、現在の国立競技場を建て替えるということだ。ところが世間はラグビーのワールドカップのために、そんなスタジアムなんて必要だと思わない。森は、オリンピックを招致し、そのメインスタジアムとして使うという口実を考えた。森の策謀は、石原慎太郎に再度立候補させ、国立競技場を8万人の規模に向けて建て替えることだった。すべて森が仕組んだたくらみだった。石原は、それを知っていたから途中で投げ出してしまう。さらに森は、国立競技場のみならず2020年東京オリンピック組織委員会を取り仕切ることもねらっていた。

 

大会の組織委員長として、できれば政治家以外を会長にすべきだというアドバイスがIOCからJOCに届いた。当初、JOCは財界人から出そうとしていた。全部断られたという形にして、森が引き受けようとなった。森周辺が財界人に根回しして、立候補しないように画策していた。森は、どうしてもやりたかった。新聞では森が押し出されたという評価だが、実はそうではなかった。

 


その後、森は、中枢会議を5人ぐらいでまとめ、指令を出していった。IOCは、調整会議に、かならずJOC関係者、スポーツ関係者を入れないとまずいよとアドバイスした。とくに副会長クラスは、スポーツ関連者を選出してくれと言った。竹田は、水野正人(元ミズノ代表取締役会長)が事務総長に決まっていたが、IOCのクレームがあった。水野は、IOCスタッフの制服のオフィシャル・サプライアーだ。スポンサーの会長が出るのはまずいということでボツとなった。

 


2020年に向けて水野は、会長も降りた。今度はIOCが水野を№2に入れろと言ってきた。竹田は、森に水野を入れてくださいと頼んだ。それは一言で切り捨てられた。「だめだ。あんな道具屋」と言った。

 

人事についてもIOCの意向を受けて、JOCがなんとかしようと思ったことが全部覆された。そして、現在の組織委員会ができた。35人の理事。顧問が170人も組織するわけだ。この中に巧妙に被災地三県の知事も入れている。

 


森は、人事をオールジャパン体制と、ことあるごとに強調した。秋元康の名前を最初に出し、テレビ、メディアでクローズアップされているタレントも含めて簡単に入れた。多くの人を動員する形をとりながら、実際に動かしていくのは、森を中心とした部分でしかない。

 


もう一つ見落としてはいけないのは、組織委員会のトップクラスにJOCの理事でもあるが、東京オリンピック・パラリンピック招致委員会事務総長の河野一郎がいる。日本スポーツ振興センター、サッカーくじの胴元だ。ここの理事長だ。森が後ろ盾になっている。河野は、日本ラグビー協会の医事委員だったのを森が会長に引き上げて、JOCの理事にも入れた。

 

要するに日本スポーツ振興センターが2020年に向けて一番注目すべき組織になってきた。サッカーくじのBIGという商品がある。ヨーロッパのリーグまでサッカーくじに取り入れていいということで、間違いなく売り上げがのびるはずだ。1000億円も確実に売れる。総売上の五%以内であれば国立競技場の新建設などの建設費用にあてることができると法的に改正してしまった。日本スポーツ振興センターが取り仕切っていくということだ。


スポーツ庁の役割


2020年に向けて日本スポーツ振興センターを組織改革して、新しい独立行政法人にしようという狙いがある。2015年4月、新しくスポーツ政策を統括するスポーツ庁を作る。ほぼ文科省の外局として置くことは間違いない。このスポーツ庁が国策として日本のスポーツ政策を、国家プロジェクトとしてコンセプトし政策を作り上げていく。それを実際に実践していく、組織として日本スポーツ振興センターを改組して、新しい独立行政法人として執行機関の役割を与える。競技団体と繋がって政策を具体的に展開する。

 

ところがこの流れから追い出されている組織がJOC(日本オリンピック委員会)だ。この中心が国会の超党派のスポーツ議員連盟(麻生太郎会長)だ。JOCは、スポーツ振興センターがトトカルチョ、サッカーくじで集めた金を各競技団体に分配している。しかし、一連の各競技団体の不正経理、体罰、暴力事件が広がっていった。スポーツ議員連盟は、JOCは競技団体に対して統括していく倫理観もないし、力もないからまかせられないという判断の下で、JOCではなくて新しい行政法人にまかせれば、そこにオカネもきちっと扱えるということでスポーツ振興センターを新しく改組したほうがすっきりするという考え方だ。

 


今、JOCは猛烈に反発をしているが、権限が弱いから喧嘩にならない。かろうじて麻生太郎が「JOCがやってきた選手強化の責任を全部取り上げて、新しい行政法人に移せというのは乱暴だ」と言っている。だから今もう一度スポーツ議連の中で権限の問題を再検討している。いずれにしても来年の四月まではスポーツ庁ができると同時に、新しい行政法人のことも出てくる。JOC、竹田会長体制の弱体が進行し、森体制による新しい利権構造を生み出す国家的な選手強化の体制を作り上げようとしている。金メダル獲得総数を第3位という目標を掲げだした。


オリンピックの犯罪性


ビデオで佐藤和良いわき市議が言っていたが、オリンピックは原発そのものを隠す。震災・被災地の深刻さを隠してしまう。現地からも厳しい批判が上がっている。この7月21日~22日、福島に行ってきた。被災地の市町村議会議員を中心に全国からも議員が集まった。150人ぐらい集まって、シンポジウムを行った。翌日、バス3台で広野町、楢葉町、富岡町に行ってきた。オリンピックどころじゃない。現地に行くとよくわかる。

 

実は復興オリンピックという用語自身も、最初、3・11のこともあるので、オリンピック招致に復興をアピールすると安易に考えていた。

 


ところがヨーロッパは、この震災については非常に不安視している、福島原発事故、東京の復興がなんでわれわれと関係があるのかというクールな見方もある。これはアピールできないだろうということで下げちゃう。むしろ復興というのは内向きの言葉にしてしまう。復興オリンピックをほとんど一時使わなくなってしまう。それが東京に決定した後に、再度、復興が浮上してくる。森が言うオールジャパン体制は、言い換えればファシズム体制だ。なにも文句を言わせない。みんなのものだと言いながら、全体主義的に押し進めちゃう。

 

メディアも取り込まれている。朝日、毎日にしろ現場の記者たちに、そうとうプレッシャーがかかっている。オリンピック批判記事は、極力書くなと。ある記者仲間では、オリンピックに批判的な見方を持っている記者が、その記事を書いたところストップがかかり、社長室に呼ばれたということが話題になっている。社長室で「もう二度とこんな記事を書くな」「オリンピックは、われわれの商売なんだ。それに対して批判してどうするんだ」などと恫喝している。とにかく編集局は、具体的にオリンピック批判記事を書くなと言われないけど、ここまでいいかなという自己規制を要求する雰囲気が、間違いなくある。これは日々強まっている。こんな状態だから今後隠されていくものが多くなっていく。とくに被災地の問題は、これからどんどん隠蔽されていく。

 


森が被災地に回って御用聞きしたと言っているが、だいたい考えていることは、被災地の聖火リレー、宮城スタジアムでサッカーの予選を行うということだ。許しがたいことに福島のJビレッジ、今、東電の安全センターということで前線基地だが、それを2019年に全部とっぱらって綺麗にして、オリンピック用の合宿地にするというのだ。そういう要望が出ている。こんなことで復興なんて言えたもんじゃない。

 

最近でも選手たちが被災地に行って交流をしている。だけど福島は誰も行かない。被曝するのがいやだからだ。選手たちは「被曝するところは行けない」とズケズケと言っていた。

 


このようにスポーツ界が被災地に対してやろうとする底の浅さがある。マラソンの高橋尚子が行って話題となったが、ギャラが200万円だ。自分の内部から被災地の人たちに手助けできることはなにかと自ら行っているとみんなは思っているわけだ。それが200万円のギャラで行っていた。

 

テレビに出るスター選手が来れば、大喜びはするが、それだけの話だ。子どもたちには、自由放題に遊べるグラウンドもない。そんな中で簡単に復興なんて、スポーツ界が寄与するなんて、これまでやってきたことは恥ずかしいものだ。

 

ところがメディアは、復興オリンピックとまた使っている。現地はオリンピックどころじゃない。それだけではなくオリンピックを口実にして、スポーツに関わる人権侵害が進んでいる。例えば、被災地は被曝しているので、放射能の線量もまだ低くなっていない部分もある。学校の授業だけができるということで学校だけ新築している。子どもたちは、いわきからバスに乗って学校に行って、遊ばないでそのまま帰ってくる。つまり、学校もできましたよ、生徒もちゃんと帰っていますよ、授業もしていますよ、こういうことを表面的に見せる。復興が着々と進んでいますよということを、なんとしてでも安倍たちは、アピールしたいわけだ。無理矢理、帰還者を作ろうとしている。

 


佐藤和良さんもはっきり言うが、「東日本大震災、原発被害は、どんどん忘れさせていこう。復興は進んでいることだけを強調して、震災を忘れるようにする意図がありありだ」。だからやることが、ものすごく強引になってきている。子どもたちは、強制的に避難しているところからスクールバスで送り込まれている。これは子どもたちの人間性も含めて、生命の尊厳も含めて、完全に無視だ。

 


Jビレッジだって、一九年に綺麗に元に戻してオリンピックのためのキャンプ地に使わせるというのも、前線基地を早くほっぽり出して、形だけのオリンピック用の施設に戻す。ほんとに汚染が、除染ができるわけないじゃないかと地元の人たちは言っている。

 


このように人間の命とか、人間性とかを復興という名のもとに、いろんなものを計画に押し込んで、それを押し進めていくなかで、どんどん壊されている。現地に行くと、許せない形で、いろんなことが出てきている。


パラリンピックの問題性


今年の4月から障がい者のスポーツの管轄は、文科省に統一された。ただし身体障がい者のスポーツ全体の福祉的なリハビリなどは、厚労省の管轄だ。

 

パラリンピックは、日本語名だ。世界では、ストーク・マンデビルムーブメントと言ってきた。もともと身体障がい者のためのスポーツは、イギリスのストーク・マンデビル病院で戦傷者、とくに脊髄マヒで車いすの生活をしている戦傷者を対象にした治療として行われた。その病院のグッドマン先生がリハビリ用にスポーツを取り込んだ。1948年7月18日、第14回ロンドンオリンピックの開会式に合わせて、病院で16人の車いすの障がい者が参加して、アーチェリーの大会をやった。これがスタートだ。その後、いろんな競技へと広がっていった。

 

ただあくまでも原点は、障がい者の身体的精神的社会的なリハビリテーションの機会を与える媒介の一つとしてスポーツを用いて、障がい者が社会に関わることだった。これこそが元々の障がい者スポーツのストーク・マンデビルのムーブメントだ。いろんなマヒ、切断、視覚障害、脳性マヒなどの障がいのいろんな分野、それぞれの分野にあった競技、スポーツを決めていった。

 

しかし日本の場合、こういう思想的な障がい者スポーツの理念とかが非常に弱い。要するにパラリンピックでも頑張って、成果を上げて、それが国威発揚につながると考えている。パラリンピックのトップは、そういう考え方だ。だからいい成績を上げて、より注目されて、これもまた勝利至上主義になっている。ストーク・マンデビルムーブメントとは根本的に違う。成果主義と勝利至上主義に突っ走っている。

 

そのためにはオカネが必要だ。だから厚労省ではなくて、文科省にくっつけてオリンピックと同じように強化費が分配される、これが最大の狙いだ。この4月に一緒になったことで、初めて国庫補助から障がい者スポーツ強化費用として文科省からオカネが配分される。

 

私は、これが本当に障がい者スポーツにとって、発展に結びつくかというと大きな危惧を抱いている。目指している方向が違うんじゃないか。日本は、2020年オリンピックのメダル獲得数を世界3位として目標を掲げたが、障がい者競技でも10位以内などと目標を設定して成果を上げろと言い出している。

 

そうするとある限られた人たちが勝つために、相当なトレーニングをすることになる。障がい者スポーツとは、われわれの日常生活圏の中でどれほどの環境にあるでしょうか。バリアフリーは徹底しているでしょうか。学校も含めて地域の公共スポーツ施設も障害者用に、きちっと指導者も含めて引き受けられる、自由に参加できる環境にあるでしょうか。ほんとに貧困ですよ。普通の人だって地域の公共スポーツ施設に関わろうとしても、十分に関われない。施設は少ないし、指導者も少ない。誰にとってもスポーツというのは、誰でもスポーツをする権利がある。

 

しかしこれから先、2020年に向けておそろしいぐらいに国家的にメダル獲得のための、エリートスポーツ強化のための様々なことが強行される。

 

それで弾き出された日常生活圏での障がい者も含めた人たちが、スポーツ活動を通して人間性、尊厳というものを実現していく方向が完全に阻害されていく。東京オリンピックとは、成果主義、勝利至上主義で、メダル獲得に向けて強行していく。エリート選手中心を取り囲む組織、関わる人間たちのイデオロギーをなんとかして批判し、拒否し、崩していくことをしないといけない。そうじゃない
とスポーツの本来のあり方というものが、これを機会に徹底的に壊されていく。

 

(講演要旨、文責編集部)

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