映画紹介 監督:アンジェイ・ワイダ
「ワレサ 連帯の男」


1980年夏のポーランド・グダンスク・レーニン造船所労働者の闘いによって生まれた独立自治管理労働組合「連帯(ソルダルノスチ)」はまたたく間に、ポーランド全土に広がった。1981年12月、戒厳令がしかれる前まで、官僚的専制政府は連帯と交渉しなければ何も決められない「二重権力状態」になっていた。連帯労組の闘いは国際的にも多大な影響を与え、全世界に「連帯」労組がつくられたり、連帯を支援する組織がつくられた。日本でも「ポーランド月報」(ポーランド資料センター)の発行やポーランド連帯委員会がつくられた。連帯労組をひきいたレフ・ワレサ委員長が1981年に日本にやってきて、講演会を行った。それに参加して非常に感激したことを思い出す。アンジェイ・ワイダ監督が連帯労組・ワレサを主人公とした映画を制作し、上映されるということでぜひとも観なければならないと思った。


ワイダ監督は「大理石の男」「鉄の男」に引き続き、ポーランド労働者の闘いをワレサを通して映画化した。ワイダ監督は1980年のグダンスクの闘いでワレサと会い、それ以来、連帯と共にあり続けた。しかし、1990年ワレサが大統領選に立候補した時、ワレサに対抗して立候補したマゾヴィェツキを支援した。


連帯が分裂した。こうした政治路線の違いはあってもワイダにとって、連帯の闘い、そしてワレサの役割を記録にとどめておくべき重大なものであった。


映画はイタリアの著名な女性ジャーナリストによるワレサへのインタビューによって、1970年12月の食糧暴動事件から一1989年自由総選挙によって連帯が勝利するまでを描いている。ドキュメンタリー映画ではないのだが、当時の記録フィルムを交えながら映像が展開していくので、実にリアルで迫力のある映画に仕上がっていた。さらに、1980年代のロックミュージックがその効果を高めている。

 

ワレサは気高く、家族思いであるとともに、ユーモアがあり、弱くて傲慢でもある複雑な性格をもつ人物だ。そんなワレサを支えたのが妻のダヌクであり、ダヌクを通してワレサを描いている点が深みを与えている。


なぜ、労働者人民は自由を求め、官僚専制支配からの解放の闘いを行ったのか、その気持ちがよく分かる。1970年12月食糧暴動事件で、ワレサは逮捕された。子どもの出産があったので、スパイになるという誓約書にサインをして釈放される。これが後々まで尾を引く。1980年の闘いの時、当局は連帯のストをやめさせようとワレサにこの誓約書を持ち出してくる。当時の専制支配者たちの汚いやり方が浮き彫りにされる。

 

1981年戒厳令によっていったん連帯の闘いは押しとどめられるが、1983年、ワレサにノーベル平和賞が授与される。この時、ワレサは授賞式に出席するとポーランドに二度と帰れなくなると妻を代理出席させる。妻が帰国する時、税関で屈辱の全裸検査を強要される。ここにも官僚支配のいやらしさが象徴的に描かれている。

 

もうひとつ印象に残ったのはソ連の影である。ワレサが1981年戒厳令によって逮捕され、刑務所に移送される時、ソ連軍のヘリが上空を飛んでいた。ポーランドの公安局員がワレサに対して、「ソ連はワレサを消したいと思っている」と話す場面がある。そしてブレジネフの死によって、ワレサは釈放される。

 

1989年の自由選挙によって、連帯政権が成立し、1990年ワレサが大統領選に勝利した。しかし、この権力は「真の社会主義」をめざす労働者政権へと発展することはなかった。それはなぜか、ずっと問われてきた。1956年のハンガリー革命、1968年のプラハの春がソ連の軍事介入によって粉砕された歴史的重みの上にボーランド連帯の闘いはあった。ずっと、ソ連の介入を招かないように自制しながら闘いをつくりあげた。ゴルバショフの登場後、円卓会議を通じて官僚を追いつめ普通選挙を実現した。それは東欧・ソ連邦の崩壊を生み出す力となっていった。

 

1981年に掲げた「自主管理社会主義共和国」の夢はポーランド一国の労働者の闘いでは実現することはできなかった。西側の消費社会・自由が「真の社会主義」の実現よりも勝っていたということか。現在のポーランド連帯労組は六〇万人だという。なお、ポーランド連帯運動の軌跡をポーランド史のなかで位置づけた「ポーランド『連帯』消えた革命」(水谷驍著、柘植書房新社)の一読をぜひ薦めたい。東京・岩波ホールで5月30日まで上映中

 

(滝)

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