IMG_0191
二月二三日、渋谷区隠田区民会館で「原発を遠隔地に押し付ける」暴力~福島・浜通り、そしてベトナム、トルコ―映像&討論集会が東電前アクション!の主催で開かれた。去年の九月から福島からの話を聞くということで始め、今回で三回目になる。原発を押しつけた構造的暴力の問題は事故前からあったのではないか、そしてそのことはいま原発輸出という形で外国に押しつけられようとしているのではないかという問題意識で討論会を開催した、と主催があいさつをした。


大熊町出身で原発被災者として、会津で運動を行っている木幡ますみさん(大熊町の明日を考える女性の会)がゲストとして紹介された。「日本人は何をめざしてきたのか 第5回『福島・浜通り 原発と生きた町』」(NHK Eテレ 1月4日放送)を上映しながら、木幡さんの報告を受けた。

 最初に司会者が、毎日新聞(2月23日付)のトップに、「東電 賠償打ち切り」と大きく掲載されている「毎月一〇万円払われている避難者への支援金を移住を決めると打ち切るという」記事を紹介し、東電とそれを容認している国の姿勢を批判した。


Eテレで放送された内容は①福島浜通りに原発が立地されていった経過②反対運動③反対運動が切り崩されていった経緯。


原発立地地域には戦前陸軍の飛行場があった。戦後は塩田がつくられた。その塩が自由販売から統制になり、塩田では生活が成り立たなくなった。土方や木こりをやったり、農業をやりながら出稼ぎに出るようになった。それは貧しかった。そんな時代、木村守江知事は一早く、原発誘致しかないと動きだした。東電も最初は神奈川、東京湾、房総地区などで原発立地を探していた。
 
木幡さんの話。
不正に土地の買い占めが行われているとムシロバタを担いで押しかけて反対した。父は原発で何かあったらたいへんだと、町長選に立候補したが五〇〇票差で負けた。この当時、町は賛成反対で二分していた。その後町議選に立候補したが交通事故で亡くなってしまった。


最初は反対運動が強かったが招待旅行をするなどして切り崩しが行われた。反対同盟の委員長の岩本忠夫さんは酒屋をやっていたが、酒に毒が入っていると誹謗されたり、娘さんが襲われたりした。残念ながら、岩本さんは双葉町長になり、原発増設を推進する側にまわってしまった。自分の夫も反対運動をやっていた。役場からは反対運動をやっている人は相手にしないと言われていた。

双葉町は城下町で上下関係が厳しく保守的だった。馬追いはおれは士族だったという意識を持つものだった。大熊町は開拓者が多く、何でも受け入れるという雰囲気があった。プルサーマル反対の時も反対運動が起きた。大熊町は山と海とその真ん中に平地がある。山の仕事が多く、梨や炭焼きで原発に頼らなくてもよいという展望があった。平地と海岸の人たちは原発で働いている人が多かった。
 
映像。
東電と知事の思惑が一致した。原爆のこともあり、放射能が大丈夫かという声があったが、「漏れなくする。出ない」と東電は説明。「大きな工場が誘致できる。ショッピングセンターもできる、すごい地域になる」とバラ色の世界を描いて見せた。出稼ぎしなくてすむようになった。原発建設で潤う。原発建設は「神様仏様」だった。


福島第二原発の予定地の地権者は全員が反対。「土地の買収に行くと、みんな戸を閉められた。絶対安全という証拠がない」。敦賀原発に連れて行き、安全性を見せた。帰りに大阪万博で、敦賀原発で発電した電気で灯っている「原子の灯」を見せた。そうすると反対の態度が変った。
 
木幡さん。
佐藤栄佐久知事が原発に対して重い重量税をかけた。東電は困った。そんな時、得体の知れない力が起きた。それはおカネであり、縁故だったりした。家族が東電に働くようになり、反対できなくさせた。
 
映像。
双葉地方原発反対同盟が「核と人間は共存できない」と作られた。岩本忠夫さん(社会党県会議員)が議会で建設作業員が2・5レントゲンの被曝をしていると告発した。一九七三年福島で公聴会反対闘争が起きた。この当時伊方原発反対など全国的に運動が広がった。福島県はどう対応したのか。国に支援策を求めた。大熊での切り崩しが起きた。
 
木幡さん。
原発に反対する人を原発作業には雇用しない。札束で顔をたたく。被曝していると分かると札束を持っていく。白血病が多かった。原発で働く人の葬式には東電の社員が制服で来て、「かってなことを言うな」という圧力をかけるために札束の香典を置いていった。いっさい文句を言わさないようにさせた。東電は地元に工業高校があるのに、その卒業生を雇うのではなく、町長や議会の家族を優先して雇っていた。下請けが国立高専や工業高校生を受け入れた。


採用されると反対しない作業員になっていった。絆が切られた。パチンコ屋や飲み屋がいっぱいつくられた。「カネさえもらえればよい」という風潮が広がり、子どもたちは「勉強しなくてもコネを使える」と考えるようになっていった。
一二~一三年前に原発のモニターをやった。原発の状態を見ることができた。賛成反対は半々。双葉活断層があるではないかと質問したら、所長は否定した。自家発電電源を底に置くのではなく、上に上げてくれ、と要望したら、「カネがかかる。ゆくゆくやっていく」と答えた。配管には錆がいっぱいついていた。
七次下請けの洗濯屋さんがいて、その人は「死ぬから」とよく言っていた。防護服を洗濯して放射能を浴びていたからだ。なぜかこの地域は肺がんが多かった。


東電は「家を作れ」と従業員に言っていた。東電の関連会社からカネを借りさせ、家を建て、東電に絶対に逆らえないようにした。


吉田所長はがんで死んでいる。吉田さんはいっぱい書き残したが全部東電に没収された。

原発立地地域は豊かになったが代償が大きかった。悲惨な思いは我々だけでたくさんだ。

質疑応答の中で、いま必要なことはという問いに、木幡さんは①町長を取り替えること②中間貯蔵所を線量の高く、戻れない地域に作る。ただし、最終処分場をそこに作るのには反対③大熊町がカギだ。東電、国に従うのではなく、住民のための政策をつくる、と答えた。
 
木幡さんのお話の後、東電前アクションから「今国会で原子力協定を結び、原発輸出を推進する。輸出された国の中でも環境破壊が起こる。ヨルダン、UAE、トルコ、インド、ベトナム。そしてサウジアラビア、ポーランド、リトアニアと続く。国境を越えた闘いが必要だ」と訴え、インド、ベトナム、トルコの現状が報告された。最後に3・11(午後6時)東電前アクション、3・13(午後7時)経産省前原発輸出反対行動への参加が呼びかけられた。
(M)

これより先はプライベートモードに設定されています。閲覧するには許可ユーザーでログインが必要です。